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投稿ログ249 (No.4066 - No.4077)

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board4 - No.4066

創作論を騙る原理主義者へ

投稿者:デーストロン幹部
2003年05月11日(日) 07時44分

「全く! マニュアル通りにやっていますと言うのは、阿呆の言う事だ!」
 ――ギム・ギンガナム

相変わらず重複の多い長文をどうも。

それほど権威盲従がお嫌いであるにも関らず、マニュアル盲従には何故そこまで寛容でいられるのか理解に苦しみますね。
既存のテンプレートを作品に用いる事と、「何も考えずに使う」事の間には14万5000光年ほどの隔たりがあると思いますが? 部分否定を全否定と言い張る方には言っても詮無い事かもしれませんね。
既存のテンプレートを用いる事で作品を親しみやすいものにする事と、オリジナリティを発揮する事。この二つは果たして止揚不能な矛盾でしょうか? 卑しくも創作者を名乗るならばその程度の事は弁えておくべきですし、あたかも解消不能な対立概念であるかの如く言いたてることで自作が擁護されていると知ったら、マイケル・ベイも多少は心を入れ替えるかも知れませんな。

山本氏の主張は「作品」は作品として「工業製品」は工業製品として評価しようと言うものです。
ですから「天文学には占星術という娘がいた。出来の良い娘では無かったが、娘がせっせと稼がなければ母親は飢えてしまっただろう」方式の長々とした擁護は最初から無意味ですが?

そもそも、作品を主観ぬきで評価する事など可能だとお思いですか? 完璧な客観性等という物は幻想に過ぎません。せいぜい努めて客観的に判断材料を集め、評価するのが精一杯。最終的な判断は主観的に行う他無いでしょう。あなたの要求は不当なものであるばかりか、例によってご自身を例外としておられるようですね。少なくとも氏の判断基準は(作中の描写という)事実に基づくもので、意図的に文意を捻じ曲げる事で捏造されたものではありません。
あなたの主張は要約すれば「山本弘は「科学考証」と「他の評論家の意見」を判断基準に「アルマゲドン」を評価した。だからけしからん」というものです。
仮にもSFの体裁を取った映画作品で、より適切なものさしがあれば是非教えて頂きたいものですね(「スターウォーズ」のような明らかにFTのテンプレートを用いた作品ならともかく)。以上を根拠に「アルマゲドン」を「工業製品」と判断する事は、適切な評価と言えるでしょう。

>映画制作の専門家でもない「門外漢」の山本弘が、映画制作の「専門家」に対してあれこれ評価を下した挙句、身の程知らずにも

ええ、”映画を映画とも思わない”という素晴らしい評価を得ておられる「専門家」ですけどね(^^。
専門家にももちろん優劣はある。こんな当たり前の事をわざわざ断らなければいけないのですか?

>作品評価に専門家も素人もありませんし

「悪貨が良貨を駆逐する」かの如き素人評論を心底憎んでおられるなら、優れた専門家の下した評価と、バカ映画に涙した人々の感想を同列に扱うべきではありません。撮影術や物語構成術に関する知識と経験、こうしたものが鑑賞能力に全く何の影響も及ぼさないと考える方がどうかしているのです。それこそ映画や評論に対する冒涜ではありませんか。
判断基準と情報源を明示することで、氏は充分に責任ある発言をしていると言えます。その上更に根拠を示せ、と迫るのは立証責任の転嫁と言うものです。それに反対意見を述べるのであれば、氏の文意を捻じ曲げるなどと言う姑息な手段に拠らず、「判断基準と情報源」の誤りを指摘されるがよろしいでしょう。

あなたのスタンスを一言で要約するならば、「平等原理主義」とでも言うべきでしょう。その実態は破壊的なニヒリズムに通じる腐った悪平等ですが。その特徴を挙げるなら、
1、相手の意見を一方的な主観に基づくものと規定した上で、無価値なものとする。
2、1を持ってそれならば別の主観に基づく意見も(少なくとも同程度には)重んじられるべきものだと主張する。
3、結果的に、相手が意見を述べる事自体が別の主観に基づく意見を持つ者への差別であると主張する。
――以上を持って「仮面ラーイダ変身セット」と呼んでも差し支えないかと思います。これで君も今日からnetの害虫だ!
――仮面ラーイダは平等原理主義者である! 彼が槍玉に挙げるクリエイター達は、彼に成し得ない創造的な作品を世に問うてきた人々である! 己のチンケなプライドのため、仮面ラーイダは今日も誹謗中傷を続けるのだ!

最大の問題点は、あなたの主張が山本氏の発言への反論、批判ではなく、山本氏が「発言する事」自体への非難になっていることです。
それは、自由な批判精神を必要とする評論からは、最もかけ離れたものだと言わざるを得ませんね。

「あらゆるアイデアには価値がある、という考えはあらゆるアイデアに価値など無い、という考えと同じくらいおぞましい」
  ――カール・セーガン

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board4 - No.4067

Re:創作論を騙る原理主義者へ

投稿者:山本弘問題連絡会から来ました
2003年05月11日(日) 11時59分

冒険王ライダーさん、およびこの板の住人の皆様へ。
山本信者の定義によると、

1.内容の如何に関わらず、表現の無礼な書き込みは荒らしである。

2.反論されたにもかかわらず、しつこく再反論を書き込むヤツは荒らしである。

3.長文の書き込みは荒らしである。

だそうです。
ゆえに信者ルールにより、デストローン氏は荒らしであると認定されました。
だからもうこいつの相手にしなくていいですよ~!

ちなみに山本弘およびその信者の生態についてもっとよく知りたい方は、こちらのサイトにどうぞ。↓

ttp://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/5254/

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board4 - No.4068

遅くなりました

投稿者:本ページ管理人
2003年05月11日(日) 14時53分

>4041
>私がお願いしているのは、すでに400件ほど収録されている第二次移動要塞論争に、あと23件だけ追加できませんでしょうか、という、それだけのものなのです。「早くしてください」とせかしたことすらありません。

それはないでしょう。本当にせかしたことすらなかったらなんで3983みたいな書き込みがあるんですか。

「確かに選択基準を提示して頂けるのはありがたいですが、冒険風ライダーさんにただ作業と要求を突き付けるのは間違っていると思いますし、議論の主体者としてもどうかと思うのですけれども。」と私は書きました。
別に冒険風ライダーさんは本サイトの編集担当でもなんでもありません。立場的にはKenさんと同じです。
実際、前には新Q太郎さんに編集したザ・ベストを送ってもらったこともあります。
ですから
>*編集するのは冒険風ライダー氏でも、採用を決めるのは管理人さんの責任である。
>*ただし、冒険風ライダーさんは、プロではないのだから、あまり厳しい要求をしてはいけない。
このような認識自体がそもそも心得違いです。

>銀英伝考察3のような長大で錯綜するスレッドを整理・編集するのが大変な作業であることは、私自身が何度も言っています。ですから私は、現在の編集に問題があることは指摘しても、冒険風ライダー氏を急きたてたことは一度もありません。さらに、ここで申し出たいと思います。冒険風ライダー氏に時間と労力を割く余裕がないのであれば、私が喜んで編集作業を手伝わせていただきます。冒険風ライダー氏の負担を最大限軽減するように努めますので、どうぞお申し付けください。

どのような事をすればよろしいか、ご理解されましたでしょうか?

ちなみに載せないと言っている訳ではありませんし、逆に載せると確約するわけでもありません。
要は内容次第です。

余談ですが
>もちろん、私は批判をすること自体がいけないなどとは金輪際いいません。批判は自由に思い切りやればよいのです。しかし、批判をすることと、批判に対する反対意見がなかったように歪曲をすることは、全く別の問題です。

既に「歪曲している」ということが前提条件になっているのですね。冒険風ライダーさんに失礼というよりも、今までKenさんが自分で言っていたことが実は慇懃無礼な言説に過ぎなかったと言うことになりませんか?

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board4 - No.4070

Re:創作論を騙る原理主義者へ

投稿者:本ページ管理人
2003年05月11日(日) 15時05分

別に冒険風ライダーさんはインデペンデンス・デイやアルマゲドンの評価などどうでも良く、「優れた専門家」とやらからみたらどう見ても取るに足らない田中芳樹の『バカ』小説を擁護しつつ、同じく『バカ』映画を根底から批判している矛盾を指摘していると思いますが。
個人的には、田中芳樹作品をファーストフードと認めていれば、別に論そのものは変なことを言っていないと思いますよ。でも、田中芳樹の小説は「手間ヒマかけたシェフの料理」って評価しているんですよね。自分で自分の言ったことを否定してどうする(笑)
ちなみに、前にこの掲示板で田中芳樹の小説を料理に例えたとき、肯定派も否定派も「田中芳樹の小説はファーストフード」という大意では同意していました。

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board4 - No.4071

Re4066:相手の論をでっち上げる山本弘信奉者へ

投稿者:冒険風ライダー
2003年05月12日(月) 12時46分

<既存のテンプレートを作品に用いる事と、「何も考えずに使う」事の間には14万5000光年ほどの隔たりがあると思いますが? 部分否定を全否定と言い張る方には言っても詮無い事かもしれませんね。>

 あなたも本当に分かっていませんね。山本弘が主張する「何も考えず」の定義は、あちらの掲示板のNo.9685で山本弘自身が「他人が考えたシーン、しかも使い古されたシーンをコピーするのは、自分では何も考えてないってことだから」とこれ以上ないほど明確な「全否定的な定義」を提示しているではないですか。
 そしてこの定義を元に山本弘は「『時限爆弾に赤と青のリード線』とか『脱出寸前に車がエンストを起こす』なんてシーンを平然と書く脚本家は頭が悪い」だの「テンプレート通りの物語を書く奴は、創作者として失格」だのといった主張を展開した挙句、「既存のテンプレートを作品に用いる映画制作者」を「頭の悪いバカ」と断定しているのですから、論の主旨や流れから言っても、山本弘の作品評価は「既存のテンプレートを作品に用いる=何も考えていない」という図式を基準にしていなければ論として全く成立しえないではありませんか。第一、この図式を映画評価の前提にしていないというのであれば、山本弘は一体何を根拠に「インディペンデンス・ディ」や「アルマゲドン」の映画制作者達を「頭の悪いバカである」と評価していることになるのですか?
 本当に山本弘を擁護したいのであれば、せめて山本弘の発言内容をもう少し熟読・理解した上で私に反論して頂けませんかね。擁護すべき山本弘的理論の論旨ひとつ正確に理解できていないようでは、擁護される山本弘も迷惑でしかないと思うのですが。

<既存のテンプレートを用いる事で作品を親しみやすいものにする事と、オリジナリティを発揮する事。この二つは果たして止揚不能な矛盾でしょうか? 卑しくも創作者を名乗るならばその程度の事は弁えておくべきですし、あたかも解消不能な対立概念であるかの如く言いたてることで自作が擁護されていると知ったら、マイケル・ベイも多少は心を入れ替えるかも知れませんな。>

 それは私ではなく山本弘に対してこそ主張するべきことですね。山本弘こそが「既存のテンプレートを用いる事で作品を親しみやすいものにする事」に対して「他人が考えたシーン、しかも使い古されたシーンをコピーするのは、自分では何も考えてないってことだから」などという、何ら客観的根拠のない独り善がりな定義を勝手に行った挙句、ただそれだけをベースにして「インディペンデンス・ディ」や「アルマゲドン」の作品および映画制作者達を「オリジナリティがない」「創作者として失格」「頭の悪いバカである」として一方的に斬り捨てている張本人なのですから。
 山本弘が卑しくも創作者を名乗るならば、「既存のテンプレートを用いる事」と「オリジナリティを発揮する事」とが両立するものである事くらいは当然弁えておいて然るべきことであるはずですし、それをあたかも解消不能な対立概念であるかの如く言いたてることで自分の作品や自分自身が「オリジナリティがない」「創作者として失格」「頭の悪いバカである」などと糾弾されていると知ったら、マイケル・ベイもそれこそ「頭の悪いバカな奴もいたもんだ」と爆笑してしまうかも知れませんね~。

<山本氏の主張は「作品」は作品として「工業製品」は工業製品として評価しようと言うものです。
ですから「天文学には占星術という娘がいた。出来の良い娘では無かったが、娘がせっせと稼がなければ母親は飢えてしまっただろう」方式の長々とした擁護は最初から無意味ですが?>

 だから「作品は作品として、工業製品は工業製品として評価しよう」と主張し、「インディペンデンス・ディ」や「アルマゲドン」を「工業製品」と定義しているはずの山本弘自身が、「インディペンデンス・ディ」や「アルマゲドン」を「作品」の基準で評価した挙句、その製作者達を「オリジナリティがない」「創作者として失格」「頭の悪いバカである」と評価していること自体がおかしい、と私はNo.3986とNo.4061で何度も繰り返し主張しているはずなのですけどね。
 そもそも、山本弘の「たとえ話」は「『インディペンデンス・ディ』や『アルマゲドン』がハリウッドのアクション大作映画マニュアルに忠実に作られている典型的かつテンプレート的な大衆娯楽映画である」ことを示す例としては適切であっても、「そのような映画を製作した人間は頭が悪いバカである」ということを立証する根拠になど全くなっていないのですよ。私がNo.3986とNo.4061で述べたように、マニュアルに忠実にエンターテイメント作品を制作することにもそれなりの技術や責任意識というものが必要不可欠なのですし、テンプレートだらけの作品にもエンターテイメント作品としての存在意義があるのですから。そして、これを踏まえた上で山本弘の論に従うのであれば、「インディペンデンス・ディ」や「アルマゲドン」は「工業製品(テンプレート作品)」の判定基準に基づいてその良し悪しが評価されるべき、ということになるはずですし、論の流れから言っても当然そのような結論が導かれなければならないのです。
 にもかかわらず、山本弘は自分が提示した「たとえ話」の構図を自分で全く理解することなく、また「テンプレート作品の存在意義」を少しも顧みることすらもなく、「作品」の評価基準に基づいて「工業製品」を糞味噌に評価した挙句、「たとえ話」とは全く無関係な「オリジナリティがない」「創作者として失格」「頭の悪いバカである」などという評価を「どこからともなく」持ち出してくるわけです。だからこそ、山本弘の「たとえ話」は「テンプレート作品を制作する人間は頭の悪いバカである」という結論を導く論拠としては辻褄が合わないし、もしそんな「たとえ話」本来の道筋にすら反する愚劣な論法が万が一成立するというのであれば、山本弘が「マニュアル万能主義」と「マニュアルに忠実に働く人達に対する職業差別意識」という誤った考えを抱いていることになるということを、私は今まで繰り返し論じてきたのです。
 つまり私は、山本弘が提示する「たとえ話」にあえて乗った上で、山本弘の論が致命的に間違っていることを立証しているわけで、その私に対して「(私自身も前提とし、かつ破綻していると主張している)山本氏の主張」なるものをただひたすら振りかざしたところで、そんなものは反論にも何にもなってはいないのですよ。だからこの件にするあなたの山本弘擁護は最初から無意味ですが?

<そもそも、作品を主観ぬきで評価する事など可能だとお思いですか? 完璧な客観性等という物は幻想に過ぎません。せいぜい努めて客観的に判断材料を集め、評価するのが精一杯。最終的な判断は主観的に行う他無いでしょう。あなたの要求は不当なものであるばかりか、例によってご自身を例外としておられるようですね。少なくとも氏の判断基準は(作中の描写という)事実に基づくもので、意図的に文意を捻じ曲げる事で捏造されたものではありません。>

 私が予め予防線を張っておいたのに、わざわざ誤読して私が言ってもいない主張を勝手にでっち上げないでくれます? 私はNo.3986で以下のような主張を行っていたはずなのですがね↓

<世の中には人間の数だけ「主観的価値観」というものが存在するわけなのですから、他人に自説を認めさせようとするのであれば、「山本弘個人の主観的価値観」を肉付けする「客観的根拠」が必要であることなど自明の理であるはずではありませんか。「個人の主観的価値観」でもっともらしく作品を論評するだけならば今時小学生でもできます。ましてや「と学会会長」である山本弘ともあろうものが、泣き喚く子供のワガママのような主張を行ってどうするのでしょうか。>

 つまり私は、「『山本弘個人の主観的価値観』で作品を論じること【自体】」を否定しているのではなく、「『山本弘個人の主観的価値観』【だけ】で作品を論じること」を問題視しているわけです。そして仮にも「と学会会長」だの「映画評論の専門家」だのといった肩書きを名乗っているのであれば、自分の主観的価値観を絶対視してそれに依存する「だけ」でなく、万人に正しいと納得させられるだけの客観的根拠「も」伴わせた上での作品評価を行うべきだ、と私は主張しているのですよ。「肉付け」という言葉でもその文意は充分に読み取れるでしょう。
 だからここの文章も、私に対する反論としては最初から完全に無意味なシロモノでしかありませんね。

<あなたの主張は要約すれば「山本弘は「科学考証」と「他の評論家の意見」を判断基準に「アルマゲドン」を評価した。だからけしからん」というものです。
仮にもSFの体裁を取った映画作品で、より適切なものさしがあれば是非教えて頂きたいものですね(「スターウォーズ」のような明らかにFTのテンプレートを用いた作品ならともかく)。以上を根拠に「アルマゲドン」を「工業製品」と判断する事は、適切な評価と言えるでしょう。>

 ムチャクチャな要約であり主張でしかありませんね。誰もそんな事言ってなどいませんし、最後の文章に至っては前述のように全く無意味な反論でしかないのですが。
 今回の件に関して私が最初からずっと一貫して主張していることは、

「山本弘は、SFフィクション作品である『インディペンデンス・ディ』や『アルマゲドン』を、作品中でも特に重要視されているわけでもない【杜撰な科学考証】や【テンプレート的作品描写】を見ただけで『これらの映画製作者は何も考えていない頭の悪いバカである』と評価するのに、何故同じカテゴリーに属し、かつ同じくらい【杜撰な科学考証】や【テンプレート的作品描写】が多数存在する田中作品については何ら批判の声を上げようとしないのか? これはダブルスタンダードではないのか?」

 ↑というものですし、それに対して提示された山本弘の主張が、どれもこれも「山本弘個人の主観的価値観【のみ】に依存しただけの、何ら客観的根拠を伴っていないシロモノ」でしかないために、ダブルスタンダードの正当化どころか、件の「インディペンデンス・ディ」や「アルマゲドン」評価における「このような映画を製作した人間は頭の悪いバカである」という主張の「万人を納得させられるだけの説得力を持つ作品評価基準の論拠」にすら全くなっていないからこそ、山本弘の主張が問題視されるわけです。
 それと、もし仮に山本弘が「『仮にもSFの体裁を取った映画作品』では『科学考証』と『他の評論家の意見』を判断基準にしなければならない」などと考えているのであれば、山本弘が大絶賛している「仮にもSFの体裁を取った」銀英伝に対しても、当然同じ基準を当てはめて評価するべきなのではありませんか? それをしないということは、やっぱり「山本弘の作品評価基準はダブルスタンダードである」ということになるのではないのですかね?

<ええ、"映画を映画とも思わない"という素晴らしい評価を得ておられる「専門家」ですけどね(^^。
専門家にももちろん優劣はある。こんな当たり前の事をわざわざ断らなければいけないのですか?>

<「悪貨が良貨を駆逐する」かの如き素人評論を心底憎んでおられるなら、優れた専門家の下した評価と、バカ映画に涙した人々の感想を同列に扱うべきではありません。撮影術や物語構成術に関する知識と経験、こうしたものが鑑賞能力に全く何の影響も及ぼさないと考える方がどうかしているのです。それこそ映画や評論に対する冒涜ではありませんか。>

 あなたも本当に山本弘同様に「頭が悪いバカ」としか言いようがないですね。自分で書いていて気づかなかったのですか?
 あなたの主張によれば、「専門家の意見が門外漢より重視されるのは当然の事」だし「優れた専門家の下した評価と、バカ映画に涙した人々の感想を同列に扱うべきではない」のでしょう? にもかかわらず「専門家にももちろん優劣はある」ということが、何故「撮影術や物語構成術に関する知識と経験」がはるかに豊富な映画制作の「専門家」に対して映画評論家という「素人」があれこれと「評価という名の感想」を並べる行為を正当化することに繋がるのですか? あなたの主張に従えば、たとえ優劣があろうがなかろうが、あくまで「専門家」は専門家、「素人」は素人なのですから、専門家の優劣に関係なく、「専門家」の意見の方が「素人」のそれより当然優先されて然るべきでしょうに。
 第一、「優れた専門家」だの「劣った専門家」だのといった判定は、一体誰が、どんな基準に基づいて行うというのでしょう? すくなくとも、映画制作に一度も携わったことのない「映画評論家という名の素人」がそれを行ったら、それは構造的に矛盾していますし、ダブルスタンダードもいいところでしょう。山本弘の論法を「専門家だから」という理由で正当化する行為は、結果としてこのような論理の破綻をきたすことにもなりかねないのですがね。
 前の投稿でも言いましたが、作品評価に専門家も素人もないのですよ。「映画評論家の作品評価」など、所詮は人間の数だけ存在する数多くの作品評価のひとつに過ぎませんし、「専門家」だからという理由「だけ」でそれを読んだ赤の他人が賛同しなければならない理由もありません。定量的に量れるわけでも、何らかの確固たる法則などが存在するわけでもなく、評価基準も評価手法も千差万別な作品評価に「これこそが絶対的に正しい模範解答」と呼べるものなど原理的に存在しえないのですから当然のことです。
 だからこそ、映画に限らず、エンターテイメント作品評価で自分の価値観を共有しない不特定多数の人間からの同意や賛同を得ようとするのであれば、自らの主観的価値観「のみ」に依存することのない、客観的根拠を伴った作品評価基準や観察眼に基づいた理論を展開する必要があるのです。そして、それができて初めて、エンターテイメント作品の評論家は「作品評価の専門家」として周囲から敬意を払われるのであって、それのできない「映画評論家」とやらがいくら肩書きや自分の専門性を強調したところで、そんなものは嘲笑と哀れみの対象にしかなりません。そして山本弘の「インディペンデンス・ディ」「アルマゲドン」評価は、まさに山本弘の「専門家」としての地位と名声を自ら貶める愚劣で醜悪で滑稽なシロモノでしかないのです。
 山本弘の愚劣な作品評価およびその作品評価基準を「専門家だから」という理由だけで内容を検証することなく免罪し、正当なものであると認めてしまうことこそ、本当の意味での映画や評論に対する冒涜ではありませんか。こんな当たり前の事がわざわざ懇切丁寧に説明されなければ分からないというのですか?

<判断基準と情報源を明示することで、氏は充分に責任ある発言をしていると言えます。その上更に根拠を示せ、と迫るのは立証責任の転嫁と言うものです。それに反対意見を述べるのであれば、氏の文意を捻じ曲げるなどと言う姑息な手段に拠らず、「判断基準と情報源」の誤りを指摘されるがよろしいでしょう。>

 私の文章を誤読しまくりながら、本来の文意を徹底的に捻じ曲げた誤解釈を当てはめて見当ハズレな反論ばかり展開しているあなたが、私に対して「氏の文意を捻じ曲げるなどと言う姑息な手段に拠らず、『判断基準と情報源』の誤りを指摘されるがよろしいでしょう」などと説教するのも笑止な限りでしかありませんが、情報源はともかく、判断基準についていつ山本弘が「充分に責任ある発言をしている」のですか?
 そもそも、今回山本弘が本当に回答しなければならないのは以下のようなテーマを持つ問題に対してであるはずでしょう↓

「なぜ『インディペンデンス・ディ』や『アルマゲドン』を【杜撰な科学考証】や【テンプレート的作品描写】のみをベースに評価しなければならないのか?」
「なぜ【杜撰な科学考証】や【テンプレート的作品描写】が存在するだけで『このような作品を作った人間は何も考えていない頭の悪いバカである』と評価されなければならないのか?」
「なぜ『インディペンデンス・ディ』や『アルマゲドン』と同様の評価基準が田中作品には全く適用されないのか?」

 で、私はこれまでに行われた山本弘の掲示板投稿を今まで検証してきたわけですが、山本弘の主張のほとんど全てが、ただ単に「山本弘個人としてはそう考えたから」といった類の主観的価値観の表明レベルで終わっているものばかりではありませんか。そして、唯一何とか客観的な理論らしきものを出してきた例の「たとえ話」の件にしたところで、実際には自説を立証する論として何ら機能してなどいないことは私が今まで散々述べてきた通り。あなたが血相変えて主張している「山本弘は専門家だから……」にしたところで、結局のところそれは「山本弘の論」自体には何ら客観的な根拠も論としての一貫性や正当性も存在しないがために「肩書き」などに頼らなければならなくなっている懐事情を図らずも暴露してしまっているようなものです。
 こんな体たらくで「山本弘が充分に責任ある発言をしている」などと言えるわけがないでしょう。そして上記3つのテーマに対する明確な回答なしに「杜撰な科学考証」だの「テンプレート的作品描写」だのに「充分に責任ある発言をし」たところで、そんなものに何の意味もありはしないのです。前の投稿でも言いましたが、前提と結論が間違っているのに、過程だけを固めても全く無意味なのですから。
 繰り返しますが、山本弘が本当に回答しなければならないことは、「インディペンデンス・ディ」「アルマゲドン」評価における「前提および結論」の「客観的根拠を伴った正当性の立証」と、田中作品に対して犯しているダブルスタンダードの「客観的根拠を伴った否定の立証」なのです。そこを履き違えないで頂きたいものですね。

<最大の問題点は、あなたの主張が山本氏の発言への反論、批判ではなく、山本氏が「発言する事」自体への非難になっていることです。
それは、自由な批判精神を必要とする評論からは、最もかけ離れたものだと言わざるを得ませんね。>

 この文章はそっくりそのままあなたにお返ししましょう。何しろ、自分と異なる意見を持つ人間というだけで、誤読と誤解釈に基づいて私が言ってもいない主張をでっち上げ、見当ハズレな反論を展開した挙句、最後には「ネットの害虫」などというレッテルを貼って憚らないというのですから。
 山本弘を擁護したいと考えるあまり、自分がどんなにバカな事を主張しているのか、もう少し頭を冷やして考え直してみることですね。

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board4 - No.4074

Re:メインテーマに対する回答がないのでは?

投稿者:パンツァー
2003年05月12日(月) 15時38分

>  そもそも、今回山本弘が本当に回答しなければならないのは以下のようなテーマを持つ問題に対してであるはずでしょう↓
>
> 「なぜ『インディペンデンス・ディ』や『アルマゲドン』を【杜撰な科学考証】や【テンプレート的作品描写】のみをベースに評価しなければならないのか?」
> 「なぜ【杜撰な科学考証】や【テンプレート的作品描写】が存在するだけで『このような作品を作った人間は何も考えていない頭の悪いバカである』と評価されなければならないのか?」
> 「なぜ『インディペンデンス・ディ』や『アルマゲドン』と同様の評価基準が田中作品には全く適用されないのか?」

確かに、これこそがメインテーマであるのに、
3997のデーストロン幹部さんの本掲示板における初投稿は、
全然関係のない側面攻撃でしたね。

山本弘氏が、『インディペンデンス・ディ』や『アルマゲドン』と、田中作品とで、ダブルスタンダードを適用してしまったのは、まぎれもない事実でしょう。

ここで、山本弘氏がダブルスタンダードを用いてないとか、この矛盾をうまく回避するとかいう見事な統合化とかあるのなら、つまり、これに対する有効な反論ができるものなら、是非とも聞いてみたいものです。

くれぐれも、次の回答で、デーストロン幹部さんが、
全然関係のない側面攻撃に逃げないことを期待します。

山本弘氏の掲示板中の討論で、
山本弘氏は、
『インディペンデンス・ディ』や『アルマゲドン』を科学考証の点で非難しながら、
田中作品である銀英伝に関しては、問題なしとしていましたね。
科学的に考えて、宇宙空間では艦隊戦は成立しがたいとしながら、敢えて、歩兵戦闘のような艦隊戦を描いているのは独創性のなせる技であると。
そうすると、科学考証はどうでもよく、独創性があればよいってことになるんでしょうが、それは、
『インディペンデンス・ディ』や『アルマゲドン』
に当てはまってしまうんですよね。
『アルマゲドン』のコンピュータウイルスも独創的であれば、
『インディペンデンス・ディ』の燃える隕石において、敢えて、科学考証を無視する部分があっても、観客を圧倒する材料が欲しかった、というクリエイターの考えも独創的ですね。
模倣に過ぎないと言う観点からすれば、銀英伝の艦隊戦など、古代中国やナポレオン戦争期の歩兵戦闘等の類似に過ぎないわけですし(未来のハイテクがあるんですから、歴史にも他の作品にもないような独創的な戦闘を描き出すことも理論上可能でしょうし。作者の想像力の限界を別とすれば)。

『インディペンデンス・ディ』や『アルマゲドン』だけを貶めて、
田中作品を擁護する、
というのは、なかなか、難しいでしょうね。

親記事No.3997スレッドの返信投稿
board4 - No.4075

Re:Re4033:テンプレート作品の存在意義

投稿者:Night
2003年05月12日(月) 16時06分

 『創作をする上では、オリジナリティが必須』なんて基本的なことは、別に山本氏個人の主観的価値観の産物というわけじゃなく、小説や漫画の賞の選評を見てればざらに出てくる意見だと思いますけど。
 で、ここで言われているオリジナリティとは、『他からのアイデア(例えばワープとか超光速通信とか)を混入することは一切許さない。これまで誰も想像したことがない新しい要素だけで構成された作品でなければ認めない』というような意味だと思いますか。
 山本氏がアルマゲドンを叩いているのは、他からの借り物が多すぎる上、それに自分なりの工夫やオリジナリティを上乗せする姿勢が見受けられないということを問題にしているからだと思いますが。

 単純な話、「時限爆弾に赤と青のリード線」とか、「遅刻しそうな少女がパンをくわえて全力疾走していると、運命の相手と衝突」のような手垢の付いた場面と展開をまるまるコピーで多用した作品を出版社なり映画会社なりに持ち込んだとしたら、『どこかで見たような場面と展開が多すぎる。あなたなりの工夫やオリジナリティはどこにあるのか』というような評価が返されるのはほぼ必至と思いますよ。
 そこで今回、冒険風ライダーさんが展開されているような主張(テンプレート作品にはテンプレート作品なりのエンターテイメント性や創造性といったものが存在するとか、テンプレート作品を読んで増えるファンもいるはずだとか)をしたとして、それでその評価者は納得すると思いますか。
 罵声の一つも浴びせられた上で、原稿を突っ返されるのがオチでしょうし、また、それが健全な姿だと思いますが。

親記事No.3983スレッドの返信投稿
board4 - No.4076

Re:遅くなりました

投稿者:Ken
2003年05月13日(火) 13時47分

>遅くなりました

とんでもありません。お忙しい中、回答をいただき、ありがとうございます。

>ちなみに載せないと言っている訳ではありませんし、逆に載せると確約するわけでもありません。
>要は内容次第です。

管理人さんは、冒険風ライダー氏が送ってきた「銀英伝考察3」の内容をチェックし、是非を考慮した上で「是」と判断して掲載されたわけですね。そのような判断をされた管理人さんですので、ぜひ以下の疑問にお答えいただけませんでしょうか。

管理人さんが「是」とされた銀英伝考察3に、私はある切り口をもって、編集内容に疑問を呈しました。その疑問を妥当と思われますか?思われませんか?(論点を簡潔にするため、再編集の話は後回しにしましょう。)

私の疑問を再度まとめさせていただきます。

銀英伝考察3に関連した投稿の一部が、銀英伝考察3に収録されておりません。このことが、この論争や論争参加者への評価にバイアスをかけるのではないか、というものです。

具体例を挙げた方が分かりやすいでしょう。

今回の論争の中で、激論となった論点の一つに「銀英伝世界の艦船は無補給航行ができるか」というものがあります。非常に大きな位置を占めた論点の一つで、侃々諤々の論争になり、論争相手への個人攻撃も行われました。

ところが、銀英伝には、この論争に重要な影響を与える資料が存在するのです。「奪還者」というエピソードです。

そして、この資料の存在を指摘した投稿が、そっくり抜け落ちているのです。将来、この論争をログで読む人は、この資料の存在を知ることなく、今回の論争を評価することになるでしょう。

また、この問題は「無補給航行」よりもさらに大きな問題に影響を与えるのです。今回の論争の中では、論争相手の姿勢や人格を攻撃する表現が多用されました。(注:使った人と使わなかった人がいますが。)攻撃の中には「反対のための反対をしている」というものもありました。

そして私は、抜け落ちている投稿の中には、この面でも読む人の判断に影響を与えるものが含まれると思うのです。その投稿を読めば、「無補給航行」を否定する人が根拠をもって否定していると判断できるが、読まなければ、反対のための反対をしていると判断されることもあるでしょう。その逆だってありえます。抜け落ちている投稿を読むことで、投稿者が(例えばKenが)反対のための反対をしていると、確信を深める人がいるかもしれません。

その判断をするのは、掲示板を見ている一人一人です。ただ私が言いたいのは、その判断材料となる個々の投稿は、平等に扱うべきではないか、ということなのです。すべての投稿を読んだ上で、ある人が反対のための反対をしていると判断されるのなら、それはその人と判断する人との間の問題です。しかし掲示板が投稿をふるいにかければ、当事者同士の問題では済まなくなります。

こう考えれば、あるテーマに関して行われた論争をログにまとめるに際して、どの投稿を収録するかを決める材料は一つしかないのではありませんか?それは、その投稿がその論争と関連しているか、関連していないか、です。

ですから、私は何度か質問をしたのです。私が指摘した投稿は銀英伝考察3と関連していると思われますか、と。そして、管理人さんご自身を含め、私へのレスを下さった方で、この問いかけに正面から回答した人は、これまでのところおられません。

と、いうのが私の問題提議です。

親記事No.3997スレッドの返信投稿
board4 - No.4077

Re4075:商品を選択する「お客」は誰なのか?

投稿者:冒険風ライダー
2003年05月14日(水) 12時42分

<で、ここで言われているオリジナリティとは、『他からのアイデア(例えばワープとか超光速通信とか)を混入することは一切許さない。これまで誰も想像したことがない新しい要素だけで構成された作品でなければ認めない』というような意味だと思いますか。>

 「オリジナリティ」の一般的な意味や解釈としてはともかく、山本弘的理論から判断するならば「全くその通り」としか言いようがないでしょう。No.4071でも述べているように、山本弘は「他人が考えたシーン、しかも使い古されたシーンをコピーするのは、自分では何も考えてないってことだから」と自分で定めた定義を元に、「『時限爆弾に赤と青のリード線』とか『脱出寸前に車がエンストを起こす』なんてシーンを平然と書く脚本家は頭が悪い」だの「テンプレート通りの物語を書く奴は、創作者として失格」だのといった主張を恥ずかしげもなく堂々と展開しているのですから。
 山本弘にとっては、「『時限爆弾に赤と青のリード線』とか『脱出寸前に車がエンストを起こす』なんてシーン」といった類の「テンプレート的作品描写」を使用すること【自体】が「自分では何も考えてない」ことの証なのであり、「創作者として失格」「頭の悪いバカ」という烙印を押されるべき「忌まわしき所業」でしかないのです。とてもプロのエンターテイメント創作家から出た発言とは思えないほどに「頭の悪いバカ」としか言いようのない主張ですが、これは本人がはっきり明言していることなのですからどうしようもありません。
 したがって、

<山本氏がアルマゲドンを叩いているのは、他からの借り物が多すぎる上、それに自分なりの工夫やオリジナリティを上乗せする姿勢が見受けられないということを問題にしているからだと思いますが。>

 といった「好意的解釈」の類は到底導き出せませんし、あのような発言を行っている山本弘が、もし他の作品を評価する際に「テンプレート的作品描写」を少しでも無視したり絶賛したりするようなことがあろうものなら、それこそ「ダブルスタンダードに陥っている」と評価されるしかないのです。
 いかに山本弘が愚かなことを口走っているか、これだけでも一目瞭然なのではありませんか?

<単純な話、「時限爆弾に赤と青のリード線」とか、「遅刻しそうな少女がパンをくわえて全力疾走していると、運命の相手と衝突」のような手垢の付いた場面と展開をまるまるコピーで多用した作品を出版社なり映画会社なりに持ち込んだとしたら、『どこかで見たような場面と展開が多すぎる。あなたなりの工夫やオリジナリティはどこにあるのか』というような評価が返されるのはほぼ必至と思いますよ。
 そこで今回、冒険風ライダーさんが展開されているような主張(テンプレート作品にはテンプレート作品なりのエンターテイメント性や創造性といったものが存在するとか、テンプレート作品を読んで増えるファンもいるはずだとか)をしたとして、それでその評価者は納得すると思いますか。
 罵声の一つも浴びせられた上で、原稿を突っ返されるのがオチでしょうし、また、それが健全な姿だと思いますが。>

 これはこじつけもいいところですね。私はあくまで「大多数の素人を含めた不特定多数の人達に読まれることを想定した作品評論」の話をしているのであって、「出版社や映画会社などに持ち込まれる作品向けの作品評論」はそれとは全く正反対の性質を持っているのですけど。
 出版社や映画会社は、外から持ち込まれた作品の採用を決定する権利を持つと同時に、採用した作品を制作した人に対してお金を支払う義務があります。それに対して、外から作品を持ち込む側は、出版社や映画会社に対して自分の作品を提示し、採用してもらうよう「相手に頼み込む」立場です。分かりやすく言えば、この場合、外から作品を持ち込む側は「商品を売り込むセールスマン」であり、持ち込まれる側は「商品購入を決定するお客」の立場にあるわけです。ならば持ち込まれた作品に対して「お客」としての権利を行使し、また義務を果たすべき立場にある出版社や映画会社が、自社の「専門的な」基準に基づいた作品評価を行うのは当然のことです。
 しかも、出版社や映画会社にとって、作品は「商売道具」であり、作品評価は「商売道具の質を見極めるための仕事」です。そして出版社や映画会社の社員は、日々の生活の生計を立てるためにも、会社としての事業展開のためにも、また将来有望な作家や脚本家などを育て上げるためにも、外から持ち込まれた作品に対して厳しい水準の「専門的な」作品評価を行わなければならない立場にあるのですし、それこそが会社から任された「仕事」でもあるのですから、作品評価が専門的になり、批評が厳しくなるのも当たり前でしょう。
 もちろん、作品を持ち込む側もまた、自分の作品が出版社や映画会社などによる「専門的な作品評価」に晒されることを最初から承知の上で持ち込みに臨むわけです。だから、このようなケースで「専門的な作品評価」が行われる事は何ら不思議なことではありません。

 しかしそれに対して、「大多数の素人を含めた不特定多数の人達に読まれることを想定した作品評論」というのは、上記の持ち込み作品の事例とは立場が完全に逆転するのです。つまり、作品を論評する「専門家」側が「商品を売り込むセールスマン」になり、それを読む「素人」側が「商品購入を決定するお客」となるわけです。そして「お客」の大多数が「素人」であり、かつ彼らの選択が「セールスマン」側の評価や生活を左右することになる以上、「素人」にも分かりやすく、また受け入れられやすい作品評論を提示する義務が「専門家」側の方に発生するのもこれまた当然のことではありませんか。
 しかも、実はこれこそが一番重要なことなのですが、「素人」の間では「オリジナリティのある作品」と同等か、あるいはそれ以上に「テンプレート作品」が大いに受け入れられているのです。山本弘が口を極めて罵っている「インディペンデンス・ディ」や「アルマゲドン」が大ヒットしているのもその一例ですし、また「水戸黄門」や「遠山の金さん」のような時代劇や、「サザエさん」や「ドラえもん」のような「テンプレート作品」が長期にわたってTV放送されているのもそうでしょう。その他、マンガやゲームなどにも、一時期のみヒットしたバブル的なものも含めれば、「素人」に受け入れられた「テンプレート作品」はたくさん存在するのです。
 そして、大多数の「素人」がそのような「テンプレート作品」を欲しているからこそ、出版社や映画会社もまた当然のように「テンプレート作品」を「お客」に対して提供しているのです。特に出版社では、編集者が実力のある作家やマンガ家などに対して「型に嵌ったテンプレート路線」に沿った作品を書くことを要望するという話も決して珍しいことではありません。出版社側にしてみれば、多くの読者に受け入れられないかもしれない「オリジナリティ溢れる作品」で危険な賭けに打って出るよりも、分かりやすく単純であるが故に読者に受け入れられやすい「テンプレート作品」の方が安心できるのですから当然のことです。もっとも、それに対して作者側がどのようなリアクションを返すかについては、あくまで作者自身の自由意思に委ねられることになるでしょうけど。
 「大多数の素人を含めた不特定多数の人達に読まれることを想定した作品評論」というのは、自分自身の「専門家」としての知識や作品評価基準をベースにしつつ、今まで述べてきたような「素人の価値観」や「素人向けの分かりやすさ」をも前提かつ考慮に入れた上で、それでも万人に受け入れられる内容で構成されているものを提示するべきものなのです。そして一方、巷の作品評論に「お客」の立場として閲覧する「素人」側が、無条件かつ無批判に「専門家」とやらの作品評論を常に受け入れなければならない理由や義務など、どこにも存在しないのです。作品評論という名の「商品」を選ぶ権利は「素人」側にあるのですから当然でしょう。
 こんな「素人」側の事情や「専門家」としての自分の立場を黙殺して、あくまで「自分個人の主観的価値観」のみをベースにした支離滅裂かつダブルスタンダードだらけの作品評価基準に基づいた作品評論で、作品も製作者もファンも一切合財糞味噌に罵るしか能のない山本弘は、「【お客に奉仕するべき】作品評価の専門家」として完全に失格なのではないかと私は思うのですがね。

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