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board4 - No.3986

山本弘ダブルスタンダード弁解論 問題指摘編

投稿者:冒険風ライダー
2003年04月27日(日) 15時46分

 それにしても、何かこの一連のスレッドにおける山本弘って、投稿するたびに自分で勝手に墓穴を掘りまくって自滅への道を突き進んでいるようにしか思えないのは私だけなのでしょうか。ダブルスタンダードを弁解するための投稿で、さらなる致命的な大間違いを表明してしまった挙句、肝心のダブルスタンダードは何ら修正されていないという愚行に陥っているのですから。
 今回はその山本弘が陥っている大間違いを、箇条書きでまとめて書いてみることにしましょう。

1.「定型パターン描写」完全否定の愚

山本弘のSF秘密基地・メイン掲示板 山本弘の投稿No. 9685より抜粋
<他人が考えたシーン、しかも使い古されたシーンをコピーするのは、自分では何も考えてないってことだから。
 「名作へのオマージュ」とか、戦隊ものの名乗りのシーンみたいに「絶対に守らなくてはいけないお約束」というならまだしも、そうじゃないでしょ、あれは?
 ついでに言うと、シリアスな作品の緊迫したシーンでオマヌケなギャグ(ギャグを意図したものかどうかはともかく)を入れたら雰囲気がぶち壊しになるってことも理解してないし。>

 仮にも「SF作家」を自称し、「と学会会長」の地位に就いている山本弘ともあろうものが、こんな身も蓋もない発想や視点を元にしてしか作品中の設定や演出を評価することができないというのでは困るのですけどね~。映画の雰囲気を盛り上げ、観客受けを狙うために「色々と考えた」末、あえて「他人が考えたシーン」や「使い古されたシーン」をコピーしているのではないか、といった発想など、科学考証原理主義者の山本弘には理解することすらもできないのでしょうが。
 それに、山本弘が定義する「他人が考えたシーン」や「使い古されたシーン」なるものが、他の観客にとっては「血湧き肉踊る斬新かつ面白いシーン」として映ることだって決して珍しいことではないのですがね。初めて映画を見る人などは特にそうですし、映画マニアでも、それまで主要に見ていた映画ジャンルの趣旨変え(たとえばラブロマンス系映画 → SFX&アクション映画など)をした人にとっては「初めて見る斬新なシーン」と映ることもあるでしょう。さらには、その映画のカテゴリーに属する作品を何度も観てストーリーパターンを熟知している映画ファンでさえ、そういった「ありきたり」なシーンを素直に割り切って楽しんでいる人がほとんどでしょう。
 そもそも、全ての映画がそれまで誰ひとりとして見たことのない演出や描写の連続である必要などどこにもないのですし、そもそもそんな作品は娯楽目的で映画を観に来る観客を無用に疲れさせるだけなのですから、そうそう簡単に大ヒットなどするものではないでしょう。むしろ、山本弘のように「たとえフィクション作品でも『正しい科学考証』や『独創的な演出』はどうあっても実現されなければならないんだ!」という類の「科学教という名のオカルト信仰的な教義」などを絶叫するタイプの人間の方が少数派なのです。そんな「客層」や「客のニーズ」を考慮しながら「安定的な大ヒット」を狙おうとするのであれば、あえて「他人が考えたシーン、しかも使い古されたシーン」を多用することで映画を盛り上げる映画制作手法は、ひとつの選択肢として立派に成立しえるはずではないですか。
 そして実際、山本弘が「頭が悪い」と評価している映画は、山本弘に言わせれば「バカな映画制作者」の狙い通りそれで大ヒットしているわけなのですから、「興行収益を上げる」という観点から言えば、あながち間違った映画制作手法でもありません。難解すぎて一部の人間にしか受けない精巧かつ精緻な独創的発想だらけの映画ではなく、一般受けする大衆娯楽作品として映画を製作しようとするのであれば、「正しい科学考証」よりも「演出」や「客受け」を優先し、興行収益の安定的な獲得を狙うのはむしろ当然のことです。
 ジャンルを問わず、仮にも作家を名乗っている人物が、素人ですら理解できるこの程度のエンターテイメント作品論も知らないようで本当に大丈夫なのでしょうか?

2.「マニュアル万能主義」の愚

 山本弘はあちらの掲示板No. 9750の投稿でマクドナルドのハンバーガーの例を持ち出し、「ハンバーガーの作成手順は全てマニュアル化されている、スタッフはマニュアルに従っているだけ」というたとえ話を元に、「アルマゲドン」を「ハリウッドのアクション大作のマニュアルに忠実に作られている映画」と定義しています。
 そして、こんな結論に結び付けているわけですね↓

山本弘のSF秘密基地・メイン掲示板 山本弘の投稿No. 9750より抜粋
<マックのハンバーガーを好きなのはべつにかまわない。しかし、「このハンバーガーを作っているスタッフは料理の腕がいいに違いない」と考えるのは間違いです。スタッフはマニュアル通りに作ってるだけなんだから。
 誉めるんだとしたら、長い時間をかけて暗中模索しながら、ヒットする映画のパターンを築き上げてきた、過去の先人たちを誉めるべきでしょうね。>

 この発言内容だけですでに3つもの致命的な間違いが垣間見られます。ひとつは、「マニュアルに従いさえすれば誰でも簡単かつ自動的に製品が完成させられる」という前提で山本弘が件の発言を行っていることです。
 実際には、「マニュアルに従って何かを成功させる」というのはそんな簡単にできるものではありません。山本弘が例に出した「マクドナルドのハンバーガー作成手順マニュアル」にしたところで、それを何も知らない初心者にいきなりやらせたところで失敗するのは火を見るより明らかではないですか。だからこそ、雇用主は初めて自分の店でアルバイトをする初心者や新規雇用者などに対して、ある程度研修を行わせたり、先輩のバイトをサポートに付き添わせて実習させたりして、少しずつ「作成手順マニュアル」に沿った技術を習得させていくように教育していくのです。
 そして、そのような「作成手順マニュアル」をマスターして何年も働いている熟練のアルバイトでさえ、場合によっては「作成手順マニュアル」を逸脱してしまい、ハンバーガーの作成に失敗したり、お客に迷惑をかけたり、店に損害を与えたりすることがあるのです。そうなれば、当然そのアルバイトは相応の処分(減給やクビなど)を受けなければなりませんし、場合によっては店やお客に損害賠償を支払わなければならないかもしれません。
 これが映画制作であればさらに事態は深刻でしょう。山本弘が挙げた「ハリウッドのアクション大作のマニュアル」なるものに忠実に従った映画が必ずしも大ヒットすると決まっているわけではありませんし、興行収益を上げることに失敗すれば、その責任は全て映画制作者にかかってくるのです。一度映画制作に失敗すれば、その映画制作の責任者達は業界内で冷遇されたり追放されたりするかもしれませんし、場合によってはスポンサーに出資金や賠償を支払わなくてはならない事態が発生することもあるでしょう。そして、山本弘に酷評されている映画制作者もまた、そのような労働環境の下で相応の責任と技術を持って仕事をし、そして成功を収めているのですから、すくなくとも山本弘が提示するような愚劣な論法などで糞味噌に貶められなければならないような存在ではありえないでしょう。
 「マニュアルに従って何かを成功させる」ということ自体、ある程度の技術習得や経験などといったものが必要不可欠なのであり、誰でも簡単にできるようなものでも、それで確実に成功が保障されているものでもありません。山本弘の「たとえ話」は、すでにその前提自体が完全に間違っているのです。

3.自らの職業差別意識を曝け出す愚

 次に問題なのが、「マニュアルに従って何かを成功させる」仕事に従事している人達に対する山本弘の職業差別意識です。
 先に述べたように、山本弘は「マニュアルに従いさえすれば誰でも簡単かつ自動的に製品が完成させられる」という「マニュアル万能主義」に陥っています。だからこそ「マニュアルに従っている」というただそれだけの理由で、「インディペンデンス・ディ」「アルマゲドン」などの映画制作者を一方的に「バカ」「頭が悪い」呼ばわりしているわけですが、実に皮肉なことに、山本弘が出した「マクドナルドのマニュアル通りにハンバーガーを作るアルバイト」云々の例自体が、この山本弘の愚劣な論法が間違いであることを曝け出してしまっているのです。
 これは山本弘の結論である「『インディペンデンス・ディ』『アルマゲドン』などの映画制作者は、マニュアルに従っているだけであるが故にバカである」から「マクドナルドのマニュアル通りにハンバーガーを作るアルバイト」云々の事例へと逆に辿ってみればすぐに分かります。そこから出てくる結論とは、何と「マクドナルドのアルバイトは、ハンバーガーをマニュアル通りに作成しているだけであるから頭の悪いバカである」などという、恐るべき職業差別意識に満ち溢れた愚論なのです。言うまでもないでしょうが、こんな愚劣な論法が成立するわけがないことなど自明の理というものでしょう。
 前述のように、「マニュアルに従って何かを成功させる」ということ自体、誰にでもできる簡単なことでもなければ、確実に成功が保障された手法でもなく、また失敗すれば相応の責任を取らなければならないわけですから、「マニュアルに従って何かを成功させる」という概念自体は、決して蔑視されなければならないものなどではありません。そしてそれは、マクドナルドのアルバイトでも、山本弘に罵られている映画制作者でも同じことですし、さらに「責任の度合い」という観点で言えば、今更改めて言うまでもなく、映画制作における全ての責任を担わなければならない映画責任者の方がはるかに重いのです。彼らの仕事は、すくなくとも山本弘などに職業差別をされなければならないようなものなどではないでしょうに。
 自らが犯したダブルスタンダードを正当化しようとするあまり、さらに周囲から忌避されかねない自らの職業差別意識まで披露してしまうとは、山本弘の3流喜劇役者としての才覚にはなかなか目を見張らせるものがありますね。もちろん「天然」でしょうけど。

4.「料理」の理論で「冷凍食品」を評価する愚

 では上記で挙げた2つの欠陥をあえて無視して、山本弘の事例を「インディペンデンス・ディ」や「アルマゲドン」に当てはめてみるとどうなるか? 実はこの条件でさえ、山本弘の論が間違いであることは一目瞭然なのです。
 山本弘は、先の「たとえ話」をベースに「インディペンデンス・ディ」や「アルマゲドン」を「冷凍食品」とか「単なる工業製品」といった扱いで評価するべきであるとしています。そしてそこから「『このハンバーガーを作っているスタッフは料理の腕がいいに違いない』と考えるのは間違いです」という結論に結び付けているわけですね。
 しかし、仮に山本弘の論理が正しいとすると、そもそも「料理」の理論でもって「冷凍食品」「単なる工業製品」扱いとなっている「インディペンデンス・ディ」や「アルマゲドン」を評価すること自体がそもそもおかしな話でしょう。「インディペンデンス・ディ」や「アルマゲドン」が「冷凍食品」「単なる工業製品」であり、映画制作者達が「マニュアルに忠実に」それらの映画を製作したというのであれば、「インディペンデンス・ディ」や「アルマゲドン」のような映画ができるのは「全てマニュアルが元凶」ということになってしまい、山本弘が「料理」の理論に基づいて映画制作者達の「頭の良し悪し」を論じることはおろか、作品の出来不出来を論じることすら不可能になってしまうではありませんか。
 極めて皮肉なことに、上記の主張は他ならぬ山本弘自身が自ら明言していることなのです↓

山本弘のSF秘密基地・メイン掲示板 山本弘の投稿No. 9750より抜粋
<マックのハンバーガーを好きなのはべつにかまわない。しかし、「このハンバーガーを作っているスタッフは料理の腕がいいに違いない」と考えるのは間違いです。スタッフはマニュアル通りに作ってるだけなんだから。
 誉めるんだとしたら、長い時間をかけて暗中模索しながら、ヒットする映画のパターンを築き上げてきた、過去の先人たちを誉めるべきでしょうね。>

 何か前にも全く同じ文章を書いたような気がするのですけど、山本弘は自分で書いていて気づかなかったのですかね? 「スタッフはマニュアル通りに作ってるだけ」だから「『このハンバーガーを作っているスタッフは料理の腕がいいに違いない』と考えるのは間違いです」と言えるのであれば、同じ理由で「『このハンバーガーを作っているスタッフは頭の悪いバカである』と考えるのは間違いです」と主張することもできるということに。
 この論法に従うのであれば、「インディペンデンス・ディ」や「アルマゲドン」が山本弘曰く「バカな映画」である原因は、その全てが「長い時間をかけて暗中模索しながら、ヒットする映画のパターンを築き上げてきた、過去の先人たち」に求められるべきものなのであり、映画制作者達はただ「マニュアル」に従っているだけなのですから何の責任もなく、また山本弘の主張では「マニュアルを踏み外した」というケースも全く成立しえないのですから、「映画制作者の頭の良し悪し」を論じるなど、そもそも最初から論外ということになってしまいます。
 この前提で本当に論じられるものがあるとすれば、それはせいぜい「『インディペンデンス・ディ』や『アルマゲドン』のような映画を出現させてしまう【マニュアル内容】の是非」くらいしか存在しないのです。にもかかわらず、「料理」の理論で「冷凍食品」を一方的に評した挙句、「冷凍食品」を製造しているスタッフやそれを食している一般人を「バカ」呼ばわりしている山本弘は、自分で定義した事を自分から踏み倒しているわけで、本当に頭がどうかしているのではないでしょうか。
 それとも、あくまで前項で論じたように、マクドナルドのアルバイトも「インディペンデンス・ディ」「アルマゲドン」の映画制作者達も「マニュアルに従っているだけであるが故に頭の悪いバカである」ということで一括りにでもしますかね? その場合は間違いなく「職業差別論者」として認定されることになってしまいますが。

 せっかく色々探して「たとえ話」を持ち出してきたというのに、「たとえ話」自体が致命的に間違っている上、反論者に「たとえ話」を逆に利用されてしまうというのでは世話はないですね。山本弘は投稿の際に、自分の文章をもう少し推敲してみる必要性があるのではないかと思うのですけど。

5.「【個人的価値観】に基づくダブルスタンダード」を開き直る愚

 ところで「文章の推敲」といえば、同一投稿における下2つの文章もまた、自分で書いていながら自分の文章の問題点に全く気づいていない好例ですね↓

山本弘のSF秘密基地・メイン掲示板 山本弘の投稿No. 9795より抜粋
<「ジェリー・ブラッカイマー製作のブツを監督の『作品』として論じること自体に無理がある」
「単なる工業製品」
 というのは、『映画欠席裁判』(洋泉社)の中に出てくる、ウェイン町山氏とガース柳下氏の言葉です。
 この本はぜひ、大勢の人に読んでいただきたい。いろんな映画(世間で大ヒットしたものも含めて)がけなされまくっていますが、決して暴論になっていません。何しろ二人とも映画マニアで、ものすごい量の知識を元に論じてるから。笑いながら映画の知識が身につきます。おすすめ。
 僕の好きな映画も何本かけなされてるけど、正論だけに何も言い返せません。「死んだ親父に会いたいなら、恐山のイタコんとこ行け」って、確かにその通りだし(笑)。>

同上
<僕が『銀英伝』を評価する理由の一つは、それまで誰も書いたことのないタイプの小説だからです。作者のオリジナリティがあふれている。そのうえキャラクターの造形に深みがあり、ストーリーの展開にしても、熟考されて書かれていることが分かる。もちろん科学的な間違いをはじめ、欠点はいろいろあるけど、それは全体から見れば些細な傷です。
 ハンバーガーが好きなのはかまわない。だけど、シェフが精魂こめて造った料理と比較して、「ハンバーガーと同じようなものじゃん」と主張するのは、明らかに暴論です。
 同じシェフの一人として、こういう言い方には怒りを覚えてしまうわけですよ。>

 これだけ書いておきながら全く気づかないというのもある意味才能なのではないかとすら思うのですが、ここに書かれている文章は全て、何ら客観的な根拠を伴っていない「山本弘個人の主観的価値観」の表明でしかないではありませんか。たかがこんなシロモノで映画制作者やファンを一切合財「バカ」「頭が悪い」呼ばわりされたのではたまったものではないのですよ。
 たとえば「僕の好きな映画も何本かけなされてるけど、正論だけに何も言い返せません」というのは、単に「山本弘個人がそう思った」というだけでしかありませんし、銀英伝の科学考証批判に対して「同じシェフの一人として、こういう言い方には怒りを覚えてしまうわけですよ」などとのたまうのも「山本弘個人としてはそう思う」だけのことでしかないのです。山本弘以外の人間の中には「映画欠席裁判」という著書の評論内容に対して「正論であろうが何だろうが【個人の主観的価値観に基づいて】怒りを覚えて言い返してしまう」人もいるでしょうし、銀英伝の科学考証批判に対して「全くその通り!」と【個人の主観的価値観に基づいて】同意する人もいるでしょう。そして、この手の主観的価値観の相違を超克し、自分の主観的価値観でもって他人を説得なり同意なりさせようとするのであれば、それなりに客観的根拠を伴った理論が絶対的に必要となるのです。
 ところが山本弘はそういった手続きを何ら取ることなく、ただひたすら「山本弘個人の主観的価値観」のみで映画制作者やファンを罵倒したり、自分の好きな作品を擁護したりしようとするのです。「科学考証」や「定型パターン描写完全否定」などの話はその典型例でしょう。
 山本弘は「インディペンデンス・ディ」や「アルマゲドン」では「何が何でも科学考証は正しくなければならない」「定型パターンが何の考えもなく使用されている」と言い、「銀英伝」では逆に「それまで誰も書いたことのないタイプの小説だから許される」と主張していますが、実はこれ自体が単なる「山本弘個人の主観的価値観」に過ぎず、それを「客観的に」立証する具体的なルールなり概念なり法則なりを、何ら自分で提示しているわけではありません。にもかかわらず山本弘は、自らの主張のベースとなる「山本弘個人の主観的価値観」を具体的な客観的根拠の提示で補強することなく、強引に「科学考証」や「定型パターン描写完全否定」などを持ち出して「インディペンデンス・ディ」や「アルマゲドン」を糞味噌に評価した挙句、あくまでも「山本弘個人の主観的価値観」に基づいて映画制作者達やファンを罵倒しながら、一方、銀英伝に対しては一転して「それまで誰も書いたことのないタイプの小説だから許される」という、これまた「山本弘個人の主観的価値観」に基づいて勝手に矛を収め、問題のある描写を全て無条件に免罪してしまうのです。
 しかし、いかに山本弘が提示する「科学考証」や「定型パターン描写完全否定」が実際に正しい理論であったとしても、自らの主張の土台である「何が何でも科学考証は正しくなければならない」「定型パターンが何の考えもなく使用されている」「それまで誰も書いたことのないタイプの小説だから許される」などの主張自体が、あくまでも「山本弘個人の主観的価値観」の発露であるに過ぎず、何ら客観的な根拠を伴ってなどいないのですから、当然それとは異なる価値観を持つ人達を説得も同意もさせることはできませんし、傍目には「ダブルスタンダード」にしか映らないわけです。
 世の中には人間の数だけ「主観的価値観」というものが存在するわけなのですから、他人に自説を認めさせようとするのであれば、「山本弘個人の主観的価値観」を肉付けする「客観的根拠」が必要であることなど自明の理であるはずではありませんか。「個人の主観的価値観」でもっともらしく作品を論評するだけならば今時小学生でもできます。ましてや「と学会会長」である山本弘ともあろうものが、泣き喚く子供のワガママのような主張を行ってどうするのでしょうか。
 結局のところ、山本弘があくまでも「山本弘個人の主観的価値観」だけに依存して他人や作品を評価する限り、やはり「ダブルスタンダード」のそしりは免れないでしょう。そして、上記引用の発言などに至っては、「俺はダブルスタンダードで他人を罵倒したり擁護したりするんだ、文句あるか!」という「開き直り」以外の何物でもないのです。
 山本弘は、自分個人の著しくマニアックな主観的価値観に基づいた視点のみが唯一絶対の作品鑑賞&評価の基準であるとでも勘違いしているのではないでしょうかね。こういう人物こそが本当の意味での「頭の悪いトンデモなバカ」ではないのかとさえ思えてくるのですが。

親記事No.3950スレッドの返信投稿
board4 - No.3987

Re:1)2)が重要 3)はおまけ

投稿者:Night
2003年04月27日(日) 16時18分

>  そもそも創作者としての山本氏には、「小説家」「評論家(と学会)」「ゲームデザイナー(グループSNE)」という多数の側面があります。
>  そして、彼はグループSNEというゲームデザイナーの側面から、ソードワールドの制作に一枚どころか二枚も三枚も噛んでいます(中心人物の一人ですし)。
>  ただの小説家であれば私の言うことは酷な部分もありましょうが、俎上に乗せたのはそうではないからです。
>  Nightさんの例で言うなら、彼は料理人であるだけではなく、素材の制作者でもあるのです。
>  「テンプレートにはテンプレートの意味がある」という認識があって初めてライトファンタジーというジャンルに価値が見いだせる訳ですが、それを本人が否定している以上、自分で自分の首を絞めているに過ぎません。

 ??? まだ論点がずれているような気がするのですが……。
 私の前回の書き込みの内容は次の通りです。

・山本氏は「テンプレート」という言葉を、「時限爆弾に赤と青のリード線」のような、教科書に載っているような使い古されたシーンという意味で使っている。
・山本氏が批判しているのは、テンプレートに工夫やヒネリを一切加えることなく出すことである。

 山本氏が否定しているのはテンプレートそのものではありません。テンプレートの使い方です。山本氏は、『プロの創作家が、教科書に載っているような使い古されたアイデアに、自分なりの創意工夫を一切加えずに出してしまう』という行為を否定しているのであって、教科書そのものを否定しているわけではないでしょう。
 ですから、管理人氏の『そういう山本氏は教科書の執筆者だったではないか』というような批判は的外れではないかと思うのです。

> > ライトファンタジーの世界は、我々の世界の過去とは異なる世界なのですから、あまりこの辺りの武具の歴史について詳細を云々しても意味がないのではと思います。少なくとも、我々の世界の中世には、魔法も怪物もなかったのですから。
> > 鎧の重量についても、我々の世界とは金属の性質が異なると言われてしまえば、それまでです。(強引と思いますか? しかし、銀英伝世界では我々の世界と異なる物理法則が働いているのでは、という議論だって似たようなものです)
> > なお、鎧については、山本氏自身が「ジェライラの鎧」というソードワールドの短編を書いています。鎧職人の話ですが、板金鎧の構造や軽量化の問題について、山本氏が色々と考えて書いたことが分かります。
>
>  確かにあの世界にはミスリルやら魔力付与やらあることは十二分に承知しています。それと同時に、何の細工をしていない鉄板鎧がごろごろしているのも。

 そういうことではなく、鉄という金属の重さが違うのでは、ということを言いたかったのです。
 ただ、これはさすがに強引な説だと思い直しましたので、申し訳ありませんが取り下げたいと思います。(私は、銀英伝宇宙でも我々の世界と同じ物理法則が働いていると思いたい人間ですので)
 あと、「ジェライラの鎧」を読み直しましたが、やはりここに出てくる板金鎧は、No.3891で倉本さんが仰っていたようなチェインメイルの上に着る部分防御タイプのようです。

> > 山本氏が短編を書いているソードワールドで、冒険者に関して書かれた記述を引用したいと思います。(ソードワールドRPG完全版P308)
>  一方で『サーラの冒険』みたいなのも書いているんですよね。
> >身近な等身大の冒険者達の方です
>  現代人に「身近」な「等身大」で、その世界の生活臭を、生きざまを、現実を、しっかりと描いているとは思えませんでした。まあ、元がTRPGの場合が多いんで、そうなるんでしょうけど。

 私は『サーラの冒険』こそ、管理人氏のファンタジー論の

<だが、ライトファンタジーでは、当然そうではない。年端もいかない小娘や小僧どもが冒険者だったりしている。それも、「冒険したいから」などと訳の判らない理由からだったりする。>

の部分に対する一つの回答になっていると思うのですが。
 確かに、サーラ少年が冒険者を志望した理由は『冒険したいから』ですが、別に彼は浮ついた気分や、現実をなめた気持ちからそう決心したのではありません。先輩冒険者から、冒険者という職業がつらくて危険なものであることは諭されていますし、最初の冒険で殺されそうになったりもしています。
 それでも彼が平穏無事な田舎の生活を捨て、危険な冒険者の道を選んだのは、その道こそが彼の人生を充実させうることを悟ったからでしょう。彼にとってそれは決して『訳の判らない理由』ではないのです。

 あと付け加えるとすると……。
 私も山本氏の作品を全て肯定しているわけではありません。格好良さを優先しすぎて、生活臭や生きざまをしっかり書いていないと思ったことも結構あります(ソードワールドRPGアドベンチャーはその良い例です)。それは明言しておきたいと思います。

親記事No.3966スレッドの返信投稿
board4 - No.3988

Re:同盟の歴史学とフェザーン

投稿者:八木あつし
2003年04月28日(月) 01時54分

> 移動要塞論争では、成り行きで二人とも「否定派」にされてしまいましたからね。直接発言を交わすのは、たしかに数ヶ月ぶりですね。

そうですね~。成り行きとはいえ「否定派」という形でした。まぁタナウツの誇る論客、冒険風ライダーさんとやり合って見たかった部分もあります(笑)。引っ越しや就職に向けての準備やら個人的事情から、論戦から離れてしまったことは悔やんでいます。

> なによりも、八木さんが言われるとおり、ドライアイスを宇宙船にする程度の「自由」を持っていた奴隷たちなら、光ディスクを隠すくらいできるだろうと思います。

そうですよねぇ。この奴隷達は、かなりの技術力を持っています。無名の一惑星の鉱物資源だけで、造船工場もなく宇宙船を80隻も造ったのですから(笑)。もしかしたらドライアイスの宇宙船にアルタイルの機械やプラントを積んでいったのかもしれませが・・・。こんな奴隷達なら、やはり過去の歴史の光ディスクを隠し持てるかも。

> 美術品のたぐいははるかに難しいですね。ヤン・タイロンが、
>
> エトルリアの壺とやらも、ロココ様式の肖像画とやらも、漢帝国の銅馬とやら(黎明篇第一章-4)
>
> の贋作を買わされたのも、そもそも同盟には本物がないから、タイロンほどの収集家にも判別できなかった、というのが妥当な解釈かもしれません。

この同盟に美術品鑑定士がいること自体が、少々おかしいと思いました。高々100年程度で古美術の鑑定士が生まれるものなのかなぁ、と。まぁ未来だったら、成分分析装置があってもおかしくはないのですがねぇ。

> 自由惑星同盟に渡った「本物」の美術品の出所は、帝国の没落貴族というのが、最もありそうな話ではないかと思います。ロイエンタールの母親の実家の伯爵家に関する記述がありましたね。
>
> 銀河帝国において名門貴族は政治的にも経済的にも手厚く保護されているが、それでも落ちこぼれが出るのは避けられない。マールバッハ家は二代つづきで放蕩家の主人が出ており、広大な荘園と別邸のことごとくを手放したばかりか、ゴールデンバウム帝室から下賜された生活安定のための高利率の債券まで売りはらうありさまだった。
> (雌伏篇第二章-4)
>
> その挙句に娘を身分違いのロイエンタール家にやったわけですが、そこまでやる前に荘園や別邸だけでなく、秘蔵の美術品などもすべて売り払っていたでしょう。

そうですねぇ。当時は銀河帝国の上流階級のみが、美術品を持っていたと思われます。ということは同盟にきた美術品は、亡命貴族が持ってきたものか、帝国で生活に困った貴族が売り払った美術品がフェザーン経由で流れたのでしょう。

> ところで資本のないフェザーンがどうやって経済力を蓄えたかという話ですが、アニメ銀英伝では、シリウス戦役の時に隠された地球の資産が使用された、という設定になっていなかったでしょうか?

そうでしたっけ? アニメ版を現在見返すことが出来ないので、ちょっと確認できません。どうだったかなぁ。
フェザーン設立の資金源は、隠していた地球資産だったはずです。ただその後、人を集めたり船を造ったり、経済ネットワークを作る部分は、本編から省かれていますから・・・。何とも言えませんね。

親記事No.3950スレッドの返信投稿
board4 - No.3989

Re:ファンタジー論(長文)

投稿者:倉本
2003年04月28日(月) 02時55分

> >さらに管理人さんの言うプレートメイルを着ていながら武器にはレイピアを装備してるキャラクターなどはテンプレートからは大きく外れた存在です。
>
> そんな装備は私は挙げていませんが?
>
それはこれのことです。

>  武家でもない、どこの馬の骨とも知れない浪人が、飛鳥時代の鎧を着込み、明治のサーベルを腰に差して、江戸時代・大坂あたりの街中を闊歩している姿である。
>  この姿は、どこか可笑しい。鎧などの風俗がぐちゃぐちゃにアレンジされているからである。その鎧が、その剣がどのように成立したかという「論理」がすっぱり抜けているからである。

こういう装備をファンタジーの世界の装備に置き換えるとプレートメイルにレイピアのような装備にあたるわけです。

> >普通はあれは主に街中で活動する人間で基本的に護身以外で戦闘をしないようなキャラクターが使う武器ということになってるはずです。
> >したがってそんな武器を使ってプレートメイルのような重装備をした人間と戦うということは普通はありえません。
> >管理人さんの言うところのテンプレートに従った話ならそういうことはありません。
>
> 結構あると思いますが、現在では手元にライトファンタジーの小説がないためあえて反論はしません。
>
私はそういう小説がないとは言いません。
ただそれらはファンタジーの常識すなわち管理人さんの言うところのテンプレートからは外れた存在だということです。
ですからテンプレート批判に使うことはできないのです。
まあファンタジーの常識すなわちテンプレートが現代の常識にしたがっており本来の中世ヨーロッパの風俗はほとんど無視されているということは同意しますけどね。
でもまあそれは話を作る都合の上で仕方ないことでしょう。
それにその方が読者にはわかりやすいですしね。

親記事No.3950スレッドの返信投稿
board4 - No.3990

Re:1)2)が重要 3)はおまけ

投稿者:倉本
2003年04月28日(月) 03時10分

> >  一方で『サーラの冒険』みたいなのも書いているんですよね。

そういえば『サーラの冒険』も続きが全然出ませんね。
山本弘が田中芳樹をかばうのは実は遅筆な作家としての共感からだったりして。
ちなみに『サーラの冒険』にはこんな批判がありました。
何巻だったかは忘れましたが凄腕の盗賊が娘をさらわれて悪人から脅しを受けるという話についての批判です。
盗賊なんて危険な仕事してるくせに危機管理がなっていない。
そのせいで凄腕の盗賊がただの間抜けなおっさんに見える。
確かそんな批判だったと思います。
ちなみにこの話も典型的なテンプレートにしたがった話ですよね。
肉親を人質に取られて脅しを受けるというやつです。

親記事No.3950スレッドの返信投稿
board4 - No.3991

創作者とは

投稿者:本ページ管理人
2003年04月28日(月) 03時52分

>・山本氏は「テンプレート」という言葉を、「時限爆弾に赤と青のリード線」のような、教科書に載っているような使い古されたシーンという意味で使っている。
>・山本氏が批判しているのは、テンプレートに工夫やヒネリを一切加えることなく出すことである。
> 山本氏が否定しているのはテンプレートそのものではありません。テンプレートの使い方です。山本氏は、『プロの創作家が、教科書に載っているような使い古されたアイデアに、自分なりの創意工夫を一切加えずに出してしまう』という行為を否定しているのであって、教科書そのものを否定しているわけではないでしょう。
> ですから、管理人氏の『そういう山本氏は教科書の執筆者だったではないか』というような批判は的外れではないかと思うのです。

ドワーフやエルフが何のひねりもなく出てくるのは? ホビットがグラスランナーになっていれば創意工夫ですか?
山本氏の論法に従えば、ライトファンタジーそのものに致命的なダメージがあるんですよ。
しかも、これらの例はほんの一例だけなんです。
作家山本氏ではなく、ゲームデザイナー山本氏にとって(どちらも創作家には違いありますまい)『プロの創作家が、教科書に載っているような使い古されたアイデアに、自分なりの創意工夫を一切加えずに出してしまう』という論法は自殺行為なのです。

鎧と冒険者の件については、今回の例には蛇足と思いますので、こちらから取り下げたいと思います。

親記事No.3950スレッドの返信投稿
board4 - No.3992

倉本さんの立場次第ですが

投稿者:本ページ管理人
2003年04月28日(月) 03時59分

>でもまあそれは話を作る都合の上で仕方ないことでしょう。
>それにその方が読者にはわかりやすいですしね。

この擁護は『観客の知能にあわせて間違った描写をする――そんな脚本家や監督が本当にいるのなら、僕は軽蔑します。そんな奴は人間として最低。そんな奴が作った映画に感動する観客も問題あり。』という山本氏の持論に思いっきり引っかかってしまいますね。
もっとも、別に倉本さんが山本氏の擁護をしているのでなければ良いのですけれども。

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