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投稿ログ212 (No.3622 - No.3631)

親記事No.3581スレッドの返信投稿
board4 - No.3622

Re:Re3577/3581/3591:まとめレス

投稿者:ニダ
2003年02月10日(月) 17時36分

後付けで上げ足取るのが利口だなんて思ってないよね?(笑)。
そもそもの議論が仮定と期待に乗っかっただけの無意味なものに見えるの気のせいかい?(笑)。
ああ、遊びなのかな。

親記事No.3581スレッドの返信投稿
board4 - No.3623

Re:徹底反論2-2

投稿者:a-ru
2003年02月10日(月) 19時40分

③に進めないのは、当方の都合なのでお気遣い無く。
一番主張が長くなる予定なのでエネルギーを使うので。

>  理解した上で「緊急性と危険度の桁違い」ぶりを表現した訳です。

そうではないかと思いました。(笑)
 私がここで例えたかったことは、近似型(タイプ、パターン)をあげて、ある人(対象)を自分の状況に置き換えることで理解を深める手段だと「台風と家」を例にあげたのです。私の例は出来が悪かったかもしれません。(苦笑)
 勢いで言ってしまいますと、私がこの「徹底反論」を投稿したのは、RAMさんが「ホームズ」の例を引用して言われた意見と同じように考えたからです。
 私のこれまでの質問・疑問に対する解答は無いものものが結構含まれていると思います。それを分かっていてあえてしたのは、これだけ謎か在る移動要塞を軽軽しく言うべきではないと言いたいのです。今までの賛成派の意見ではまだまだ、説得材料が足りませんし、説得力にも欠けています。なにより、賛成派は「ない」ものを「ある」「できる」と主張しているのですからより精緻な証拠を示さなければなりません(当時の同盟、帝国の状況、時間を元に資金、大衆の人心掌握法など)。
否定派の説得材料より少ない中で説得しなければならないのです。
 そして、この議論するならば順序として、移動要塞が何故出来なかったのか?を徹底的に考え、シュミュレーションし出来なかった理由を考えるべきではないでしょうか。そして、それを元に「移動要塞ができる可能性」を探る議論、シュミュレーションをすべきだではないでしょうか。それから…の可能性はというように遊ぶ。これが銀英伝世界で楽しく遊ぶための態度だと私は言いたいのです。(言っちゃった)
最後にRAMの至言を聞く方がいなかったのか?堂々巡りの議論も少なくなったと思います。
③は書き上げるのにかなり力が要るので少しお待ち下さい。

親記事No.3581スレッドの返信投稿
board4 - No.3624

Re:徹底反論2-2

投稿者:S.K
2003年02月11日(火) 01時42分

> ③に進めないのは、当方の都合なのでお気遣い無く。
> 一番主張が長くなる予定なのでエネルギーを使うので。
>
了解です。

> >  理解した上で「緊急性と危険度の桁違い」ぶりを表現した訳です。
>
> そうではないかと思いました。(笑)
>
 悪いですが、ここで示唆されている原作6~8巻のヤンの逆境について①突然アンドロメダ共和国が援軍にくる②ハンサムのヤンは突然起死回生の大魔術を思い付く③なにもない現実は非情である のどれ、もしくはどうだとお考えですか?

>  私のこれまでの質問・疑問に対する解答は無いものものが結構含まれていると思います。それを分かっていてあえてしたのは、これだけ謎か在る移動要塞を軽軽しく言うべきではないと言いたいのです。今までの賛成派の意見ではまだまだ、説得材料が足りませんし、説得力にも欠けています。なにより、賛成派は「ない」ものを「ある」「できる」と主張しているのですからより精緻な証拠を示さなければなりません(当時の同盟、帝国の状況、時間を元に資金、大衆の人心掌握法など)。

 何度か出た話ですがガイエスブルグ要塞が移動した事実は認識されてますか?
 あと実は冒険風ライダーさんの考察移動要塞論A~Gまでの討論成果をかなり参考にして私は話しておりますがそこにもa-ruさんの求める回答がないかは一度ご覧になるべきでしょう。
 記録があるのにあまり既出の説明を2度したい人間は少ないですよ。

>  そして、この議論するならば順序として、移動要塞が何故出来なかったのか?を徹底的に考え、シュミュレーションし出来なかった理由を考えるべきではないでしょうか。そして、それを元に「移動要塞ができる可能性」を探る議論、シュミュレーションをすべきだではないでしょうか。それから…の可能性はというように遊ぶ。これが銀英伝世界で楽しく遊ぶための態度だと私は言いたいのです。(言っちゃった)

 それは最初の論点が違います。
 冒険風ライダーさんは「移動要塞」という作中事実に対して「実は莫大な可能性のあるハードウェアであり、有効活用するとこう」と示すのが目的だったのであり、a-ruさんの論点は検討価値はありますがあくまで冒険風ライダーさんの「移動要塞論」に対するものであり、であればまず最初は「移動要塞の可能性とその使用法、そこにいたるまでのノウハウ説明」に耳を傾けるべきでしょう。
 その説明を「理解」した上ではじめて議論になります。
「理解」としたのは「正確な把握を要する」という意味で「納得」「賛同」する必要は必ずしもはないからです。

> 最後にRAMの至言を聞く方がいなかったのか?堂々巡りの議論も少なくなったと思います。

 冒険風ライダーさんの説明や他の方の質問内容を考えもせず自分の疑問もしくは主張に固執された論者が複数名残念ながら存在した事が一番長期化と紛糾の原因ではなかったでしょうか。

board4 - No.3625

まとめ

投稿者:Ken
2003年02月11日(火) 03時30分

おそらく、私の論は、肯定・否定の対象となる以前に、非常に分かりにくかったのではないか、と思います。私たちが、日常生活で行っている精神活動とは、一線を隔する思考活動を持ち込んだからです。もちろん完全に理解し、その上で否定なり肯定なりをされた方もいるでしょう。しかし、そうではない方もおられると思いますので、再度論点を整理し、つまるところ私が何を言おうとしていたのか、説明をさせていただきます。

はじめに言っておきたいのは、私は「恒久的移動要塞は不可能である」とは言っておりません。今回の討論に参加した当初は、可能・不可能のどちらへも、天秤を傾斜することはできませんでしたが、冒険風ライダーさんとの議論を経た今では、「可能である」とする側に傾斜しています。この点で、冒険風ライダーさんの構築力と説得力は見事です。また、私がそのように考えていることで、ライダーさんや他の方が「それでよし。この問題は終了」とされるのなら、以降の文章を読んでいただく必要もありません。そういう人たちとは、問題にしている部分が異なるのですから。

************************************************

私たちの議論が紛糾した理由は一つ、恒久的移動要塞が可能であることが「証明された」という論が横行し、そこから「ヤンやラインハルトが愚かである」と展開したことに、私が承服できないからです。ただし、二人の英雄のことは今は論じません。その前提となった「既に証明できた」とする論に対する反論です。

以前に書いたように、冒険風ライダーさんも、ライダーさんと論拠を同じくする人たちも、何かを「証明する」とはどういうことかを誤解しておられます。「ピタゴラスの定理」を持ち出したのは、そのことを分かりやすく解説するためでしたが、あまり役に立たなかったようです。

そんな中で、私が注目したのは、パンツァーさんの投稿にあった以下の記述です。

演繹:自然科学において一般的な法則から当面の特殊な事象に関する結論を導き出す過程「いっそう日常的な例としては、〈毎日太陽は東から昇り、西に沈む〉ということから、今日も、また明日もそうだ、と結論することも、演繹的推理の例である。」
(平凡社:世界大百科事典)

引用をして下さったパンツァーさんには感謝いたします。

ただ、この記述は正しくありません。平凡社の百科事典に本当にそう書いてあるなら、明らかな誤植です。「昨日までずっと、太陽が東から昇り西へ沈んだから、今日以降もそうだろう」というのは、論理学では「帰納(induction)」といい、「演繹(deduction)」とは明確に区別されます。「演繹」とは、例えば次のような論理展開のことです。

1.太陽は東から昇る。
2.太陽は動きつづける。
3.太陽は動く方向を変えることはない。
4.西は東の対極にある。
5.ゆえに、太陽は西へ沈む。

1と2と3と4が前提として正しければ、5が唯一の結論となります。「演繹」とはこういうもので、演繹過程が正しければ、それは「証明」と考えてよいのです。帰納と演繹の対比について、「Microsoft Encarta」百科事典の記述を引用します。(原文は、投稿の末尾にあります。)

~しかし、帰納は非常に重要な点で演繹とは異なる。演繹においては、前提が真なら結論は必ず真でなければならない。一方、帰納においては、たとえ可能性が高い論であっても、前提は真だが結論は偽である可能性が残るのである。~
(カリフォルニア大学リバーサイド校、哲学科助教授ジェノヴィヴァ・マーティ)

「deduction」と「induction」というもともと難解な数学的概念に、「演繹」と「帰納」という難解な訳語を充てたことで、混乱を拡大させた昔の(おそらく徳川末期か明治の)学者の罪は大きいと思います。もっと単純に「deduction」は「証明過程」、「induction」は「類推過程」でよかったのです。あるいは、「de-」と「in-」の対比を活かしたいなら「可能性の絞込み」と「可能性の展開」でよかったのです。

そして、私は、冒険風ライダーさんの論旨に対して、

「証明した」「立証した」といいながら、やっていることは、すべて帰納じゃないか。証明じゃなく類推じゃないか。

と言い続けていたのです。不沈戦艦さんは、私が「・・・かもしれない」という議論ばかりしていると言われました。当然です。私は帰納ではなく演繹を行うことを求めていたのですから。演繹とは(つまり証明とは)、「・・・かもしれない」という疑義の存在を許さないものです。

そして、非常に大切なことですが、演繹と帰納は、科学論であるか作品論であるか、とは、完全に独立した、何の関係もない、100%別個の問題です。物理法則に基づく科学論にせよ、作品の記述に基づく作品論にせよ、演繹は演繹、帰納は帰納です。「証明」とは演繹を行うことです。

ただ、それでは帰納には何の価値もないのでしょうか?それはちがいます。現実世界の科学者は、観察結果を前提とした帰納を、日々実行しています。

私が言いたいのは、科学者は帰納を行うが、帰納「だけ」でことを済ませない、ということです。彼らは観察結果から背後の物理法則を「帰納」し(類推し)、その法則が正しければ観察されるはずの結果を予測し、あらたな観察で予測が正しかったことを確認します。同じ確認が最低一つのの追試でも行われたとき、その法則は当面の真実として受容されます。ただし、演繹にもとづく結論ではないので、いつか覆される可能性は、残ります。パンツァーさんが「質量保存則」を例に挙げられたように。

私が、物理法則の復権を提案したのは、銀英伝の記述に基づいての演繹証明などできるわけがないから、次善策として、現実世界の科学手法を取り入れてみてはどうか、と考えたからです。結果として、それで何かを証明できたかどうかは分かりません。でもやらないよりはましだろうと思ったのです。

しかし、今となっては、余計なことだったかもしれない、と思います。あくまでも「証明」という言葉に、古代ギリシャ以来用いられてきた定義を適用して、押し通した方が、誤解も生じず、論点が明確になったかとは思います。

「Encarta」の原文。

However, induction differs from deduction in a crucial aspect. In deduction, for an argument to be correct, if the premises were true, the conclusion would have to be true as well. In induction, however, even when an argument is inductively strong, the possibility remains that the premises are true and the conclusion false.

Genoveva Marti
Assistant Professor, Department of Philosophy, University of California at Riverside.

親記事No.3581スレッドの返信投稿
board4 - No.3626

またか・・・

投稿者:八木あつし
2003年02月11日(火) 05時28分

> 後付けで上げ足取るのが利口だなんて思ってないよね?(笑)。
> そもそもの議論が仮定と期待に乗っかっただけの無意味なものに見えるの気のせいかい?(笑)。
> ああ、遊びなのかな。

はい遊びですよ。頭の体操でもありますね。じゃあ、さようなら。
ステハンで他人の揚げ足をとるレスを残すのなら、せめてヤフーBBだと判らないように串でも刺して来たらどう?
まだ何かレスをする気があるのなら、せめて銀英伝の記述から揚げ足を取ってね。(^^)

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board4 - No.3627

Re:徹底反論2-2補足

投稿者:S.K
2003年02月11日(火) 06時44分

> > 最後にRAMの至言を聞く方がいなかったのか?堂々巡りの議論も少なくなったと思います。
>
>  冒険風ライダーさんの説明や他の方の質問内容を考えもせず自分の疑問もしくは主張に固執された論者が複数名残念ながら存在した事が一番長期化と紛糾の原因ではなかったでしょうか。
>
 最後配慮不足の表現でしたので追加いたします。
「質問者は既出の質問を読んだ上で誰かへの回答にまとめてもらう配慮があって良かったのではなかったか」という意味です。
 事実回答者の冒険風ライダーさんも大きな負担に近いニュアンスの発言をされた経緯もありましたし。
 当時の参加者の方々の名誉と不充分なレスを受けたa-ruさんに深くお詫び申し上げます。

親記事No.3468スレッドの返信投稿
board4 - No.3628

Re:反論が目的の反論では駄目でしょう

投稿者:不沈戦艦
2003年02月11日(火) 07時58分

> Kenさん
> > 私が記憶する限りでは、ラインハルトが「補給」を問題にするのは、常に戦時です。
>
>  いくら何でも「ガイエスブルグ要塞移動」は「ケンプ・ミュラーによるイゼルローン攻略戦」の第一段階、すなわち最初期の「戦中」です。
> 「戦略」とは「戦う前に想定されうるあらゆる事態に万全の準備を整える」事であり、この段階でいきあたりばったりな真似をするようなラインハルトであればそれはアムリッツァのフォークと大差ない代物でしょう。
>  何故そんな酷い侮辱を「常勝の天才」になさるのですか。

 特に付け加えることはありません。「平時」と言うのは無理がありますよ。

> >
> > >帝国から脱出し、同盟を建国した人々ってのは、航続距離が案外短く、逃げ切れるかどう
> > >かも分からないような代物で、脱出を敢行するほど「莫迦」なんですか
> >
> > 帝国から脱出し、同盟を建国した人々は、逃げきれるかどうか完全な自信を得るまで、自由を求めての「賭け」に出られないほど、臆病だったのでしょうか?時間が経過すれば、イオン・ファゼカスを利用するより、もっと成功率の高いチャンスがくるという確信があったのでしょうか?
>

「イオン・ファゼカス号はワープできなかった可能性がある」とか「ワープできても航続距離が極めて短かったかも知れない」ということを前提にしてそういうことを言うのなら、それは単に「勇気と無謀を取り違えいる」という類でしょう。「賭け」ではなく「自滅願望」としか言いようがありませんね。

> >
> > ただ、申し訳ありませんが、私は、不沈戦艦さ私が納得できないのは、要するに次の2点です。
> > 一つ目は、「移動要塞は可能である」ことを証明するための理論に「すき」があることです。不沈戦艦さんは、
> >
> > >数学の定理を証明するような、厳密な科学的考証
> >
> > を求めるのは誤りだと言われました。あるいは、不沈戦艦さんにとって、「現実の物理法則を否定すること」と「厳密な科学的考証を行わないこと」は同義なのかもしれません。
> >
> > しかし、私にとっては、両者は同義ではありません。現実の物理に従う科学論にせよ、銀英伝の記述に従う作品論にせよ、何かを「証明」するには、厳密さが要求されます。それができないのなら、「移動要塞を実現できる可能性がある」という表現にとどめておけばよいのです。
> >
>  事実ガイエスブルグ要塞は移動したんです。
>  移動要塞の実現にこれ以上何が必要なんですか。
>  銀河英雄伝説3巻(最新文庫版5・6巻)お読みじゃないのですか?

 これも、特に付け加えることはありませんね。「銀英伝作中ではガイエスブルグ要塞は容易く移動した」という「作中事実」を無視しないでください。

>
> > 二つ目は、ヤンとラインハルトが愚か者である、という結論です。不沈戦艦さんや冒険風ライダーさんのように、銀英伝の作品設定を最大限重視する人が、なぜこのように、設定を大きく乖離する結論を主張されるのでしょうか?
> >
> 「移動要塞」という「作中事実」が含む「ある重大な可能性に何故気付かなかったのか」という疑問からでしょう。
>  尤もこれについては私も「移動要塞の有用性」を多いに認めた上で「全人類規模で誰も気付かない事での判断で酷評と思う」と3610番の投稿で申しておりますが。
>
> 一度大荒れになった話題をあえてもう一度議題にされているのですからもう少し相手の冒険風ライダーさんの議論姿勢、議論前提を考慮して過去の考察ログを重々点検した上で異議を唱え意見を開陳された方が誰にとっても幸福ではないですか。
>

「作中事実」から推論した「移動要塞の可能性」が、別の「作中事実」である「魔術師だの天才だのと呼ばれるヤンとラインハルト」ということと、矛盾している訳です。「作中事実」として「魔術師だの天才だの」たちの行動より、もっと優れた行動があり得るのなら、「魔術師に天才という作中の評価」に疑問を持つことは変ですかね。

 しかし、これはいずれにしても「作中事実と作中事実の対立」があるからこそ、冒険風ライダー氏の「移動要塞論」が出てくるんでしょ。それに対して反論する根拠が「現実の物理学」だけじゃお話にも何にもなりはしません。だから、何度も「作中事実を根拠にして反論しなければならない」と言っているんですけどね。まだKen氏は理解できないんですか?

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board4 - No.3629

ご愁傷様です

投稿者:a-ru
2003年02月11日(火) 11時49分

Kenさん、あなたのあげた例は少なくとも私は理解したつもりです。
ただ裁判の例は、刑事裁判ではなく、名誉毀損に対する民事裁判の形を取った方が良かったのではと思います。(軽く笑)

否定派のあなたは何も悪くないですし、胸を張ってもいいと思います。
例が理解されなかったのは、残念ながら力不足だったのでしょうね。
私も今痛切に感じていますけど。(苦笑)
疑問派の私としては、枝葉にこだわらず(これも重要なんですが、あえて無視)幹、根の方へ突っ込んで欲しかったです。そうすると矛盾点が出てくると思うんですよ。
しかし、本当にヤン、ラインハルト両名が無能、愚者の一言で片付けられて良いのでしょうか?その結果がどのような答えに行きつくのかを考えた上での発言なのでしょうか?
この議論の最大の謎の一つですね。

親記事No.3625スレッドの返信投稿
board4 - No.3630

議論の前提条件について

投稿者:パンツァー
2003年02月11日(火) 12時32分

議論の対象となっているのは、銀英伝の小説を元にした「仮定」の話です。
この「仮定」の一つとして、冒険風ライダーさんの「移動要塞」論があります。

> 私たちの議論が紛糾した理由は一つ、恒久的移動要塞が可能であることが「証明された」という論が横行し、そこから「ヤンやラインハルトが愚かである」と展開したことに、私が承服できないからです。ただし、二人の英雄のことは今は論じません。その前提となった「既に証明できた」とする論に対する反論です。

ここで、「恒久的移動要塞が可能である」ということの意味が重要ですが、
これは、例えば同盟が、イゼルローン要塞の改造に着手すれば必ず成功する、という意味ではありません。工場で多量生産されている製品の中に不良品が発生することがあるように、100%の成功率を約束するものではありません。

「自給能力(無補給)」と「航行能力」とを備えた「移動要塞」が、原理的に実現可能である、という趣旨です。繰り返しますが、実際に実行してみたら失敗する可能性がない、という意味ではありません。

つまり、実際に実行してみたら失敗する可能性があるからといって、
Kenさんの主張される
「銀英伝の記述だけでは、可能であると証明するにも、不可能と証明するにも、不十分である」<Kenさんの記載(No3599)>
ということには、なりません。

☆検証すべき点

したがって、「自給能力(無補給)」と「航行能力」とを備えた「移動要塞」に関して、A 「自給能力(無補給)」の検証と、
B 「航行能力」の検証と、
C この両者の組合せの検証と、
を行って問題がなければ、「移動要塞」が「原理的に可能」ということが言える訳です。
実際の運用や施工期間、政治上の問題等の予備的問題では、ここでは当然省略します。

☆「仮定」の検証は、「演繹」により行うべきである。

○「ピタゴラスの定理」の「証明」等の引用により、「演繹」により証明しなければ意味が無い、というのが、Kenさんの趣旨かと考えておりました。
しかし、

Kenさんの記載(No3625)
<私が、物理法則の復権を提案したのは、銀英伝の記述に基づいての演繹証明などできるわけがないから、次善策として、現実世界の科学手法を取り入れてみてはどうか、と考えたからです。>

と今回記載していることから見て、「演繹」により証明すること、は考えていない(もしくは放棄した)、ということですね。

○ここで、私が部分的に「帰納法」と「演繹法」とを取り違えていた部分があることを、述べておきます。
「これは、経験則を重視して、その背後の理論を演繹するという手法ですが」(No3587)
ここで「演繹」とした部分は、「帰納」の間違いです。

○また、以下の指摘に回答しておきます。

Kenさんの記載(No3625)
<ただ、この記述は正しくありません。平凡社の百科事典に本当にそう書いてあるなら、明らかな誤植です。「昨日までずっと、太陽が東から昇り西へ沈んだから、今日以降もそうだろう」というのは、論理学では「帰納(induction)」といい、「演繹(deduction)」とは明確に区別されます。「演繹」とは、例えば次のような論理展開のことです。>
これは、次のような展開になります。
前提「毎日、太陽は東から昇り西に沈む」
結論「今日、または明日も、太陽は東から昇り西に沈む」

つまり、「毎日」という範疇には、「今日」「明日」が含まれるから、
「毎日」において成り立つことは、必然的に、「今日」「明日」においても成立する、といっている話です。この論理展開が「演繹」です。
誤植ではありません。

☆「仮定」の検証は「現実世界の科学手法」により行うべきである。

○私は今回、「演繹」にこだわる(と私が推測していた)Kenさんの論陣に対して、反論を展開するつもりだったので、やや面食らっております。
ともかく、現時点では、Kenさんの言う「現実世界の科学手法」を検証手段とせよ、という趣旨ですね。

Kenさんの記載(No3572)
<科学の本質とは、
観測→考察→普遍化(数式化)→予測
を行うことです。>

Kenさんの言う「現実世界の科学手法」は、上記ですよね。
実際は、
観測→考察→仮説の設定(数式化)→実験(変数の代入)→仮説の立証(変数を変えた場合の予測を可能とする理論の構築)
となるものだと思いますが、
まあ、Kenさんの言う「現実世界の科学手法」に従ってみましょう。

○ここでまず、(No3572)における、Kenさんの言う「現実世界の科学手法」に基づいた検証作業の一例について、考察してみます。

Kenさんの記載(No3572)
<例えば、燃料タンクを半分だけ満たした自動車が、200キロを走行したという「観測結果」があるとします。(中略)その前提としては、「タンク10分の1の燃料で40キロ走った」「4分の1では100キロ走った」「半分では200キロ走った」という観測結果の積み重ねがあり>

「観測」された内容は、この四つですね。

「燃料タンクを半分だけ満たした自動車が、200キロを走行した」
「タンク10分の1の燃料で40キロ走った」
「4分の1では100キロ走った」
「半分では200キロ走った」

Kenさんの記載(No3572)
<「燃料の量と走行距離には、線形の比例関係がある」という、数式化された法則が導かれ、その理論的裏づけとして、>

これが、「普遍化(数式化)」ですね。

Kenさんの記載(No3572)
<「燃焼した燃料の体積と、発生する燃焼ガスのモル数には、化学式が保証する比例関係があり、内燃機関のピストンに外部から加わる力が一定なら、ガスのモル数とガスの圧力には比例関係があり、シリンダの断面積とピストンのストロークが一定なら、ガスの圧力と一回転あたりのエネルギーには比例関係がある」
という、考察がなされているのです。>

「考察」の内容は、上記ですね。

<数式化された法則が導かれ、その理論的裏づけとして、>という記載があるので、「普遍化(数式化)」の後に、「考察」が書かれたものと判断します。

この考察は、「観測」の内容とは全然関係ないんですよね。また、「普遍化(数式化)」の内容とも直接関係が無いですね。
つまるところ、Kenさんの言う「考察」は、「自動車」に関する「考察」を意味するわけですね。

この「考察」は、全然意味のない作業ですよ。
自動車の構造がブラックボックスであったとしても、
「観測結果」を「前提」として考察すれば、「燃料の量と走行距離には、線形の比例関係がある」という「結論」(「普遍化(数式化)」)が、導き出せますよね。

「考察」というのは通例、「前提」より「結論」を導くための思考過程を指すものでしょう。「前提」や「結論」と関わり無い、自動車の構造などを考える過程ではないはずですよ。

Kenさんの記載(No3572)
<科学者は、断じて「半分の燃料で200キロ走ったから、満タンなら400キロ走るだろう」などという、いい加減な推測をしているのではありません。>

とKenさんは書いていますが、「考察」の意味内容を考慮すると、
現実の科学者は、Kenさんの言う「いい加減な推測」をしているわけです。

Kenさんの記載(No3572)
<タンク半分の燃料で200キロ走ったから、タンクを75%満たせば300キロは走るだろう、という予測はできません。なぜなら、そのような観測結果はどこにもないからです。それどころか、タンク75%の燃料で、200キロプラス1メートルを走れる。という予測すらできません。>

そして、Kenさんの言う「現実世界の科学手法」の最終過程の「予測」を、このように述べていますが、このようにはなりません。
Kenさんが「普遍化(数式化)」したのは、
「燃料の量と走行距離には、線形の比例関係がある」
という内容なのですから、
「タンクを75%満たせば300キロは走る」わけです。

つまり、「予測」はできるのです。
もっとも、「実績」はありません。実際に実行してみた場合、「タンクを75%満たせば300キロは走る」のか、どうかは定かではありません。
でも、実際に実行してみた場合の可否を問題にするのであれば、それは、以上の「現実世界の科学手法」とは別の話です。

それにも関わらず、
「燃料の量と走行距離には、線形の比例関係がある」にも関わらず、「タンクを75%満たした場合」の結論が導けないとするなら、
それはどんな理由であるか、私はそこを考えてみました。

パンツァーの記載(No3613)
<これに準じて考えるなら、タンク半分の燃料で100キロ走ることができるか(四分の一の燃料を残して停止すること)、ということすら、予測できないのではありませんか>

私がこのように書いたのは、Kenさんの主張の意図が、
<「燃料の量と走行距離には、線形の比例関係がある」という、数式化された法則>
があっても、「観測結果」以外の再現は否定する法則なのだ、という風に捉えたからです。例えば、「タンク半分の燃料で100キロ走る」場合は、前記の観測結果のなかにないので、不可能だということかな、と判断したのです。

○「タンクを75%満たせば300キロは走る」だけは否定できるような都合の良い「普遍化(数式化)」ができるかどうか、一つ考えてみてください。

「実績が無い」ということで否定するのであれば、
「タンクを8分の1だけ満たした場合」に関しても、同様に否定されることになるでしょう。

☆Kenさんの思考過程

Kenさんの記載(No3625)
<「証明した」「立証した」といいながら、やっていることは、すべて帰納じゃないか。証明じゃなく類推じゃないか。
> と言い続けていたのです。不沈戦艦さんは、私が「・・・かもしれない」という議論ばかりしていると言われました。当然です。私は帰納ではなく演繹を行うことを求めていたのですから。演繹とは(つまり証明とは)、「・・・かもしれない」という疑義の存在を許さないものです。>

<私が、物理法則の復権を提案したのは、銀英伝の記述に基づいての演繹証明などできるわけがない>

<次善策として、現実世界の科学手法を取り入れてみてはどうか>

○上で、「帰納」と「演繹」を取り違えた、という私が言うのもなんですが、

「帰納」:より個別的で単純な事例の集りから,より一般的な法則を導く
「演繹」:ある一般的法則が与えられた場合,個別的な適用例をその法則の意味から導きだす

といったことですね。

Kenさんの言う「現実世界の科学手法」においても、
「観測→考察→普遍化(数式化)」
の過程では、「帰納」が用いられているわけです。
「普遍化(数式化)→予測」
の過程が、「演繹」に相当しましょう。

結局、Kenさんの言う「現実世界の科学手法」においても、「帰納」を排除することにはなりません。

☆☆「仮定」の検証において考慮すべきこと

私は以下の二点を提案します。

1 「作中事実」より「帰納」的に導ける「要素」は、その仕組み(構造)がブラックボックスであってもよい。

上の例での「自動車」で、自動車の構造がブラックボックスであっても差し支えないように、銀英伝に登場する物に関して、その構造が「私たちが知っている物理法則」で説明がつくか否かは、まったく関わりがありません。

2 「仮定」に適用する「扱い」は、すべての「仮定」で「均等」にすべき

○例えば、
第一の仮定を「艦隊がワープ航法により一般に航行できる」とします。
第二の仮定を「移動要塞もワープ航法により一般に航行できる」とします。
ここで、第一の仮定が「作中事実」より、特殊例を考慮せず、「帰納」的に導けるというのであれば、第二の仮定も「作中事実」より、特殊例を考慮せず、「帰納」的に導けるとして欲しいのです。

○ここで、すべての「仮定」で「均等」にすべき、とするのは、客観的な議論を行う上での必要条件だと考えるからです。そうでないと、場合によっては、厳密な基準を適用し、他の場合には緩やかな基準を適用するなど、恣意的な主張になってしまいます。

○すべての「仮定」で「均等」にするとは、次のようなことです。

例えば、
「ガイエスブルグ要塞の実績以上に、移動化されたイゼルローン要塞が移動できる根拠が無い」というのであれば、
艦隊に関しても、「作中事実とされている航行しか、実行できる根拠が無い」としてください。つまり、艦隊の移動に関する「作中事実」と異なる仮定の一切について、そんな仮定ができる根拠は無い、としてください。

イゼルローン要塞の移動化が「帰納」的に信頼に値しないものだとするならば、以下、

パンツァーの記載(No3598)
「銀英伝中に記載されている事実としての「艦隊の移動」は、記載内容だから認める。しかし、例えば、バーミリオン会戦の時点で、ヤン艦隊がフェザーンを攻略するといった仮定は認めない。艦隊の移動可能性は「証明」されていないのだから、他の記載で「艦隊の移動」が扱われていようとも、「バーミリオン会戦の時点のヤン艦隊」において「艦隊の移動」ができるという根拠にはならない。なぜならば、経験則を重視するだけ(他の記載における艦隊の移動の例の引用だけで)で終わったら、「背後の理論を演繹(「帰納」に訂正)」したことにはならない、からだ。「艦隊が一般に移動可能である」という証明にならないからだ。」

上で、「自動車」について述べたのと同様の理屈です。
「自動車」で「燃料の量と走行距離には、線形の比例関係がある」という「普遍化(数式化)」をするのであれば、実績のない量の燃料を搭載しても成立するのですから。

○特殊例とは、
Kenさんの記載(No3579)
<元々のドライアイスの質量は、240兆トン弱ですが、(中略)当初の塊の2.3%--約5兆トン半になるかと思います。外壁の厚さが50mなら(これでも過大であるように私には思えますが)、さらに1兆トンほど軽くなります。>

このようなことを意味します。
もしも、このような特殊な場合に関する考慮も必要であるとするなら、
艦隊の一般の移動可能性についても、特殊な場合に関する考慮により、艦隊は一般に移動可能ではない、という結論を導いてください。
「均等」であるべき、という要請からです。

☆☆現時点の結論として

Kenさんの言う「現実世界の科学手法」を用いて、
「移動要塞」論を、
「銀英伝の記述だけでは、可能であると証明するにも、不可能と証明するにも、不十分である」<Kenさんの記載(No3599)>
としならば、
銀英伝における一切の仮定(例えばヤン艦隊がフェザーンを攻略するといった仮定)が、
「銀英伝の記述だけでは、可能であると証明するにも、不可能と証明するにも、不十分である」<Kenさんの記載(No3599)>
となるでしょう。

銀英伝そのものを、作中事実以外の一切の可能性を否定すべきだ、という結論でよいのでしたら、何もいうことはありませんが。

親記事No.3625スレッドの返信投稿
board4 - No.3631

Re:ご愁傷様です

投稿者:Ken
2003年02月11日(火) 12時43分

a-ruさん、こんばんは。

私の書き込みにレスをいただきありがとうございます。

>Kenさん、あなたのあげた例は少なくとも私は理解したつもりです。
>否定派のあなたは何も悪くないですし、胸を張ってもいいと思います。

本当をいうと、私は「恒久移動要塞」の否定派というより、その論証方法を否定しているのですが・・・

私だって「あんたの証明は証明になってない!」なんてネガティブなことを言うより、

移動要塞はどうやってエネルギーを補給するんだろう
移動速度は、どれくらい出せるんだろう
航続距離は、どれくらいあるんだろう
移動すると、どれくらいエネルギーを消費するんだろう

というようなことを考えて、移動要塞の具体的な運用法を考察する方が、楽しいに決まってます。移動要塞の具体的な姿が明らかになるほど、ヤンやラインハルトが「どうすべきだった」か論理的に考察できますしね。

>疑問派の私としては、枝葉にこだわらず(これも重要なんですが、あえて無視)
>幹、根の方へ突っ込んで欲しかったです。そうすると矛盾点が出てくると思うんですよ。

たしかに、そうですね。

でも、私はそういう幹・根を突っ込むための「環境」を整えようともがいていたんです。うまくいかなかったようですが。

>しかし、本当にヤン、ラインハルト両名が無能、愚者の一言で片付けられて良いのでしょうか?

片付けられてよいとは思いません。

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