- 親記事No.3325スレッドの返信投稿
- board4 - No.3329
Re:政治評論についての質問
- 投稿者:ケスラセラ
- 2002年12月09日(月) 02時45分
なるほど、なるほど。
皆様の考え方、よくわかりました。
大変丁寧なレスありがとうございます。
風刺であるからにはバランス感覚が大事である、という考え方には
大いに賛同します。
自分なりに考えをまとめてから、また質問しますので
どうぞそのときにもよろしくお願いします。
- 親記事No.3325スレッドの返信投稿
- board4 - No.3330
Re:ちと違いますね
- 投稿者:不沈戦艦
- 2002年12月09日(月) 15時22分
> 以前から何度も議論、および主張されていることを
> 繰り返すことになり申し訳ないのですが、少々お聞きしたいことが。
> 皆様の批判されている昨今の田中小説における「政治評論」
> これはこの「評論」があまりに具体的でありすぎ、それゆえ小説の範囲を超えていると。
> こういうことですね?
> どのあたりが風刺と評論の分かれ目になるか、おそらく個人の
> とり方しだいというところが大きいとは思いますが、このあたりをお聞きしたい。
> 私個人の受け取り方について述べておきます。
> 創竜伝や薬師寺シリーズにおける「政治評論」は強烈な風刺であり、
> はははと笑える。こんな感じですね。
> 私にとってはこれはこれで楽しめます。
>風刺ってのは、例えばチャップリンが「独裁者」でやったようなことでしょう。現実のヒトラーを模したキャラクターを作り上げ、徹底的におちょくることによって、ヒトラーに対する痛烈な風刺としたような。あるいは、大石英司が「第二次太平洋戦争」でやったように、芦原総理(もちろんモデルは石原慎太郎)とグッパート大統領(こちらはゲッパート議員)が権力の座についた結果、日米を限定的な戦争に突入させてしまい、最後の話し合いすべき場に至ってまで、相手の悪口を並べて罵り合っているが、日米敵味方に分かれて戦うハメになった男女の愛が、その諍いをいかに下らない、醜い姿であることを描いてみせる、というような手法こそが、「風刺」の価値があるものでしょう。この例、どちらも、現実の人間をモデルにして、徹底的におちょくってみせていますけど、「ストーリーと何の関係もないのに、突然出てくる現実の誰かへの罵倒」ということは、全くありません。また、そういう批判を浴びせられることもないでしょう。
映画の中で、ストーリーとは何の関係もないのに、突然主人公のチャップリンが大写しになって、現実のヒトラーへの罵倒を始めたりしたら(しかも相手の名前をはっきり言わずに)、それって「風刺」って言えるんですかね。ちょっと違うと思いますけど。田中芳樹がやっていることは、そういうことではありませんか?「風刺」なんて言えるような価値は全くないと思います。
- 親記事No.3325スレッドの返信投稿
- board4 - No.3331
Re:ちと違いますね
- 投稿者:ケスラセラ
- 2002年12月10日(火) 00時11分
>
> 映画の中で、ストーリーとは何の関係もないのに、突然主人公のチャップリンが大写しになって、現実のヒトラーへの罵倒を始めたりしたら(しかも相手の名前をはっきり言わずに)、それって「風刺」って言えるんですかね。ちょっと違うと思いますけど。田中芳樹がやっていることは、そういうことではありませんか?「風刺」なんて言えるような価値は全くないと思います。そこまで言っちゃいますか?
創竜伝って超人的な力を持ったヒーローが普通の人では絶対かなわない巨大な悪と戦い、それを打ち破っていくというヒロイックファンタジーですよね?そして物語の設定上、悪役には権力を持つ人間がなっています。要するに4兄弟vs権力システムということになる、と私は解しています。である以上今のシステムの中で力を持っているいわゆる権力者を対象に揶揄が入るのは「風刺」と取る見方も十分ありえると思いますがね。
- 親記事No.3325スレッドの返信投稿
- board4 - No.3332
Re:ちと違いますね
- 投稿者:横レス失礼ですが
- 2002年12月10日(火) 06時47分
> >
> > 映画の中で、ストーリーとは何の関係もないのに、突然主人公のチャップリンが大写しになって、現実のヒトラーへの罵倒を始めたりしたら(しかも相手の名前をはっきり言わずに)、それって「風刺」って言えるんですかね。ちょっと違うと思いますけど。田中芳樹がやっていることは、そういうことではありませんか?「風刺」なんて言えるような価値は全くないと思います。
>
>
> そこまで言っちゃいますか?
> 創竜伝って超人的な力を持ったヒーローが普通の人では絶対かなわない巨大な悪と戦い、それを打ち破っていくというヒロイックファンタジーですよね?そして物語の設定上、悪役には権力を持つ人間がなっています。要するに4兄弟vs権力システムということになる、と私は解しています。である以上今のシステムの中で力を持っているいわゆる権力者を対象に揶揄が入るのは「風刺」と取る見方も十分ありえると思いますがね。物語の中で悪役が卑小化されるのはよくある事で、それ自体は特別な事ではありません。また、小説の中に実在の人物がモデルとして登場するのもよくある事です。
しかし、小説の中で主役が悪役を倒すことと、モデルが明らかな人物を極端に卑小化してこきおろすことは違います。しかも、それに何か明確な根拠があるわけでもありません。これでは風刺ではなく中傷です。
まるで喧嘩に負けた子供が想像の中で相手を一方的に痛めつけて後ろ向きな喜びに耽っているようなものではありませんか。揶揄や風刺なら、他にいくらでもやり方があります。不必要に悪者を痛めつけ、一々説教じみた言い訳をしてその場を後にする竜堂兄弟が英雄的だとは、少なくとも私には思えません。痛快な気分になるどころか、読後感の悪さと共に、田中芳樹の小説家としての実力(或いは品性)が低いなと感じるだけです。
ところで、創竜伝がヒロイックファンタジーなのだからということについて少々。
創竜伝自体がそうであるように、ファンタジーイコール絵空事ではないのですから、なおのこと竜堂兄弟には行動に責任を持ってもらいたいものです。俺達はガンジーじゃないから何やってもいいんだ、とカミングアウトされてもねえ・・・。
創竜伝がピカレスクロマンなら話は別ですが(笑)。
- 親記事No.3325スレッドの返信投稿
- board4 - No.3333
Re:ちと違いますね
- 投稿者:不沈戦艦
- 2002年12月10日(火) 14時17分
>
> >
> > 映画の中で、ストーリーとは何の関係もないのに、突然主人公のチャップリンが大写しになって、現実のヒトラーへの罵倒を始めたりしたら(しかも相手の名前をはっきり言わずに)、それって「風刺」って言えるんですかね。ちょっと違うと思いますけど。田中芳樹がやっていることは、そういうことではありませんか?「風刺」なんて言えるような価値は全くないと思います。
>
>
> そこまで言っちゃいますか?
> 創竜伝って超人的な力を持ったヒーローが普通の人では絶対かなわない巨大な悪と戦い、それを打ち破っていくというヒロイックファンタジーですよね?そして物語の設定上、悪役には権力を持つ人間がなっています。要するに4兄弟vs権力システムということになる、と私は解しています。である以上今のシステムの中で力を持っているいわゆる権力者を対象に揶揄が入るのは「風刺」と取る見方も十分ありえると思いますがね。いや、だから「船津老人」みたいなキャラはいいんじゃないか、と私は前にも言ってますけど。「国家を裏から動かす巨悪」なんてキャラクターは、「ヒロイックファンタジー」の敵方としては、悪くないじゃないですか。しかも、この敵は竜堂兄弟の「竜の血」を求めているんですから、直接に命を脅かしているんですし。「船津老人」に仮に特定のモデルが居た(居ませんが)としても、ああいう扱いなら十分「風刺」として成り立つと思います。「四人姉妹」も、冒険風ライダー氏が指摘しているように、何で竜堂兄弟と対立しているのか理解に苦しむところがあるにしても、そういう存在を出すこと自体には問題はないと思いますよ。
創竜伝の問題とはそういうことではなく、ストーリーとは何の関係もないのに、ホイホイ合間に挟まれる「現実の官僚やら政治家やら大企業やら、日本人全体への罵倒」でしょう。それは、「チャップリンが突然映画の中で現実への罵倒を始めているようなもので、そんなものは風刺とは言えない」と言っているんですけど。
- 親記事No.3325スレッドの返信投稿
- board4 - No.3334
Re:ちと違いますね
- 投稿者:ケスラセラ
- 2002年12月11日(水) 01時30分
> いや、だから「船津老人」みたいなキャラはいいんじゃないか、と私は前にも言ってますけど。「国家を裏から動かす巨悪」なんてキャラクターは、「ヒロイックファンタジー」の敵方としては、悪くないじゃないですか。しかも、この敵は竜堂兄弟の「竜の血」を求めているんですから、直接に命を脅かしているんですし。「船津老人」に仮に特定のモデルが居た(居ませんが)としても、ああいう扱いなら十分「風刺」として成り立つと思います。「四人姉妹」も、冒険風ライダー氏が指摘しているように、何で竜堂兄弟と対立しているのか理解に苦しむところがあるにしても、そういう存在を出すこと自体には問題はないと思いますよ。
>
> 創竜伝の問題とはそういうことではなく、ストーリーとは何の関係もないのに、ホイホイ合間に挟まれる「現実の官僚やら政治家やら大企業やら、日本人全体への罵倒」でしょう。それは、「チャップリンが突然映画の中で現実への罵倒を始めているようなもので、そんなものは風刺とは言えない」と言っているんですけど。ふーん、なるほどなるほど。やっぱ要するに具体性の問題ですね。横レス失礼さんのレスからも同じような感じを受けました。
んで、
「現実の官僚やら政治家やら大企業やら、日本人全体への罵倒」
なんですが、もともとの船津老が日本権力を握っていたという設定でしたよね。その船津老が4兄弟に倒されて、4兄弟を支配したものが日本の権力を握れると勘違い(かどうか知らないが)した奴らが4兄弟にちょっかい出してくるという設定上、やっぱり官僚やら政治家やら大企業が敵役ということになりますよね。ただし最初に比べ、設定がだいぶ具体的になってしまったと。
では田中芳樹さんは最後のほうではフィクションの設定をめんどくさがって、現実社会をそのまま物語の中に持ってきてしまったということかな?確かにフィクションとノンフィクションを混同してフィクションであることを盾に使うのは卑怯といわれても仕方ないですね。ふむふむ、自分なりには皆様の考え方わかったような気がします。もし私のとり方が見当はずれならまたレスお願いします。
- 親記事No.3325スレッドの返信投稿
- board4 - No.3335
今さらですが
- 投稿者:ロード・レオン
- 2002年12月11日(水) 14時06分
> 創竜伝の問題とはそういうことではなく、ストーリーとは何の関係もないのに、ホイホイ合間に挟まれる「現実の官僚やら政治家やら大企業やら、日本人全体への罵倒」でしょう。それは、「チャップリンが突然映画の中で現実への罵倒を始めているようなもので、そんなものは風刺とは言えない」と言っているんですけど。
横で失礼します。
確かに創竜伝の政治・社会批評(?)は風刺とは言えないし、品性が低い(箇所がある)のかも知れませんが、小説としてはあくまでも許容範囲内にあると言っていいのではないでしょうか? エンターテインメントとしての小説に求められる特質として最も重要なのは「面白さ」であって、社会批評・政治風刺の正確さでも、品性の高さでもないと思います(全てを兼ね備えていれば、申し分ありませんけど)。名誉毀損罪を構成するような表現があれば別ですが、創竜伝の表現は具体的であるとは言え、そこまでは行ってませんよね(そういう意味ではバランス感覚がイイのかな? それとも「及び腰・逃げ腰」と見るか?)。
ちなみに創竜伝の政治・社会批評の存在自体が小説としての面白さを損なっている、というご意見には一理あると思いますが、それはあくまでも個々人が判断することであり、客観的に正否・善悪を決めることは不可能だと思います(もちろん個人の意見として主張する分にはかまわないのですが)。そして、作者自身が面白さを犠牲にする危険を犯してでもそれが必要だと思っているのであれば、あくまでも表現方法は作者の裁量の内にあり(明らかに違法な場合を除く)、第三者が『小説中に「個人的な趣味」にすぎない評論を挿入する悪癖を止めるべき』というのは、さすがに言い過ぎでしょうね(「やめた方がいい」ならまだしも、ですが)。
- 親記事No.3325スレッドの返信投稿
- board4 - No.3336
Re:具体性ではないでしょう
- 投稿者:不沈戦艦
- 2002年12月12日(木) 15時39分
> > いや、だから「船津老人」みたいなキャラはいいんじゃないか、と私は前にも言ってますけど。「国家を裏から動かす巨悪」なんてキャラクターは、「ヒロイックファンタジー」の敵方としては、悪くないじゃないですか。しかも、この敵は竜堂兄弟の「竜の血」を求めているんですから、直接に命を脅かしているんですし。「船津老人」に仮に特定のモデルが居た(居ませんが)としても、ああいう扱いなら十分「風刺」として成り立つと思います。「四人姉妹」も、冒険風ライダー氏が指摘しているように、何で竜堂兄弟と対立しているのか理解に苦しむところがあるにしても、そういう存在を出すこと自体には問題はないと思いますよ。
> >
> > 創竜伝の問題とはそういうことではなく、ストーリーとは何の関係もないのに、ホイホイ合間に挟まれる「現実の官僚やら政治家やら大企業やら、日本人全体への罵倒」でしょう。それは、「チャップリンが突然映画の中で現実への罵倒を始めているようなもので、そんなものは風刺とは言えない」と言っているんですけど。
>
>
> ふーん、なるほどなるほど。やっぱ要するに具体性の問題ですね。横レス失礼さんのレスからも同じような感じを受けました。
> んで、
> 「現実の官僚やら政治家やら大企業やら、日本人全体への罵倒」
> なんですが、もともとの船津老が日本権力を握っていたという設定でしたよね。その船津老が4兄弟に倒されて、4兄弟を支配したものが日本の権力を握れると勘違い(かどうか知らないが)した奴らが4兄弟にちょっかい出してくるという設定上、やっぱり官僚やら政治家やら大企業が敵役ということになりますよね。ただし最初に比べ、設定がだいぶ具体的になってしまったと。
> では田中芳樹さんは最後のほうではフィクションの設定をめんどくさがって、現実社会をそのまま物語の中に持ってきてしまったということかな?確かにフィクションとノンフィクションを混同してフィクションであることを盾に使うのは卑怯といわれても仕方ないですね。ふむふむ、自分なりには皆様の考え方わかったような気がします。もし私のとり方が見当はずれならまたレスお願いします。具体性というより、「ストーリーと関連性がないのに、突然間に挟む『社会評論』は酷いだろう」ということなんですけど。例に出したチャップリンの「独裁者」は「ヒトラー」という具体例をモロに指してますし、大石英司の「第二次太平洋戦争」も、「石原慎太郎とゲッパートが大嫌い」ってのが分かりますから、これも「具体性」はかなりあります。この話で、「日米限定戦争」起こすのは「芦原総理」で、その方法が「自衛隊が極秘行動起こして、横田を始めとする国内の米軍基地を、突然占領してしまう」ことによってなんですよね。「あまり役に立っていないんだから、横田基地は早く返還させ、民間用空港として活用すべき」と何度も主張している石原慎太郎という現実がある以上、ここまで「具体的」な「揶揄」もないだろう、と思いますよ。
でも、これらの例は「ストーリーと何も関係のない現実への罵倒」ってことはありませんよね。チャップリンはずばり「独裁者」と、独裁者自体を映画のテーマに据えた訳ですし、大石英司は彼の書くジャンルが「現代世界の軍事紛争もの」である以上、何とかして話の中で戦争を起こさないといけない訳です。80年代モノとしては、「日米経済摩擦が悪化して、双方とも最強硬派が政権の座についた結果、衝突コースへ一直線」というストーリーに、無理はないでしょう。ストーリーと関係なく、石原慎太郎やゲッパートを出している訳ではありません。
>確かにフィクションとノンフィクションを混同してフィクションで
>あることを盾に使うのは卑怯といわれても仕方ないですね。結局、これに尽きるんですよ。「創竜伝の問題点」とは。
- 親記事No.3325スレッドの返信投稿
- board4 - No.3337
Re:具体性ではないでしょう
- 投稿者:ケスラセラ
- 2002年12月13日(金) 00時27分
> 具体性というより、「ストーリーと関連性がないのに、突然間に挟む『社会評論』は酷いだろう」ということなんですけど。
私は創竜伝とかの中に出てくる「社会評論」はそれほどその小説自体と無関係という感じはしませんが。
創竜伝であれ、薬師寺シリーズであれ出てくる「社会評論」はその社会のバックグラウンドというか、世界観というかを構築する要素となっているでしょう?それがかなり現実の社会と酷似しているので、その具体性を問題にしているのかと思いましたが。まぁ、どうであれフィクションであることを盾に使っているという批判は免れ得ないとは思いますが、ロード・レオン様がおっしゃっていたように限度を守れば、面白ければいいじゃないかという意見もそれなりの説得力を持つと私は思います。
- 親記事No.3325スレッドの返信投稿
- board4 - No.3338
Re:具体性ではないでしょう
- 投稿者:TAC
- 2002年12月13日(金) 01時35分
この場合のストーリーとの関係が無いというのは、
物語世界の人物が物語世界の社会をどうこう言うのではなく、
現実世界の社会をどうこう言う事を指しています。物語世界は現実世界よりも下位の存在ですから、
現実世界の人物が物語世界の社会を知っていても、逆は有り得ません。
物語世界の人物が何故、現実世界の社会を知っているのかという問題が。
物語世界の人物が現実世界の社会に対してどうこう言わせたいなら、
物語世界の社会ではなく現実世界の社会に対して言っており、
物語世界には全く関係無い出来事であると、
文章の中ではっきりと読者が分かる様にするべきでしょう。物語世界と現実世界を交差させる様な話を書きたいのであれば、
メタ的に物語世界の中に物語世界を作れば良いんです。物語世界の人物がどうこう言っている内容が指す社会が、
現実世界の社会か物語世界の社会なのかについては、
内容が物語世界の社会と矛盾している以上は明らかでしょう。
例えば、物語世界では人間が行った行為では無いのに、
現実世界で人間が行った行為であるという事実を根拠として、
物語世界の人物が発言を行っているという部分などです。物語世界の人物に物語世界の設定を無視してまで、
現実世界の社会に対してどうこう言わせるのは、
作者が物語世界と現実世界をごっちゃにしている訳ですから、
「物語世界が破綻している」とするのが妥当ではないでしょうか。
もちろん敢えて破綻した世界観を舞台にしているなら別ですが、
敢えてそんな冒険をした作品の割には、質が低い気がします。社会に対する風刺という意味で評価するのであれば、
初期作品の「白夜の弔鐘」の方が遙かに質の高い小説だと思います。
- 親記事No.3325スレッドの返信投稿
- board4 - No.3339
Re:具体性ではないでしょう
- 投稿者:ケスラセラ
- 2002年12月13日(金) 03時13分
???
も、申し訳ありません。愚昧な私にはどれだけ理解できたか自信がありません。もうちょっと自分の意見を言いたいのですが、もしTAC様のおっしゃることに対して見当違いの発言であればご容赦の上、ご指摘ください。
ようするにTAC様は物語の中に現実の話を持ってくるなとおっしゃるのでしょうか?しかし風刺をするには、現実の行動に対して行わなければならないわけで、現実の社会に対する風刺をするためには、小説の中にある程度の現実社会を反映させるのは技法と言い得る事も可能かと思いますが?このある程度具合が問題なのかと私は理解しているのですが。
- 親記事No.3325スレッドの返信投稿
- board4 - No.3340
Re:今さらですが
- 投稿者:IK
- 2002年12月13日(金) 08時35分
> > 創竜伝の問題とはそういうことではなく、ストーリーとは何の関係もないのに、ホイホイ合間に挟まれる「現実の官僚やら政治家やら大企業やら、日本人全体への罵倒」でしょう。それは、「チャップリンが突然映画の中で現実への罵倒を始めているようなもので、そんなものは風刺とは言えない」と言っているんですけど。
>
> 横で失礼します。
>
> 確かに創竜伝の政治・社会批評(?)は風刺とは言えないし、品性が低い(箇所がある)のかも知れませんが、小説としてはあくまでも許容範囲内にあると言っていいのではないでしょうか? エンターテインメントとしての小説に求められる特質として最も重要なのは「面白さ」であって、社会批評・政治風刺の正確さでも、品性の高さでもないと思います(全てを兼ね備えていれば、申し分ありませんけど)。名誉毀損罪を構成するような表現があれば別ですが、創竜伝の表現は具体的であるとは言え、そこまでは行ってませんよね(そういう意味ではバランス感覚がイイのかな? それとも「及び腰・逃げ腰」と見るか?)。
> ちなみに創竜伝の政治・社会批評の存在自体が小説としての面白さを損なっている、というご意見には一理あると思いますが、それはあくまでも個々人が判断することであり、客観的に正否・善悪を決めることは不可能だと思います(もちろん個人の意見として主張する分にはかまわないのですが)。そして、作者自身が面白さを犠牲にする危険を犯してでもそれが必要だと思っているのであれば、あくまでも表現方法は作者の裁量の内にあり(明らかに違法な場合を除く)、第三者が『小説中に「個人的な趣味」にすぎない評論を挿入する悪癖を止めるべき』というのは、さすがに言い過ぎでしょうね(「やめた方がいい」ならまだしも、ですが)。
>
ロード・レオンさん、こんにちは。私は「止めるべき」と言っても構わないと思います。物理的に排除しようとするならばともかく、他人をこき下ろすのが表現の自由ならば、「やめるべき」程度は言論の自由ではないですか。
名誉毀損の範囲についても、判定が難しいところです。私は一部についてはおそらく名誉毀損罪が成立するのではないかと思っているのですが、現実に手間隙を考えて立件しようとする人はいないでしょうね。それをいいことに「この程度は許される」というのは違うのではないでしょうか。
もちろん、創竜伝、薬師寺涼子の事件簿で「風刺」の対象になっている人たちは、多くは公人であり、もしくはそれに準じる方々です。多少その基準が緩やかに適用されるべきではありますが、問題は田中氏が党派的な姿勢で、対象をえり好みしていることですね。いわゆる保守派の人たちは随分、からかわれていますが、左翼でそういう対象になっている人は余りいないですね。
そこも作者の裁量のうちと言うのも分からないではないですが、それならば所詮はその程度の作品ですよ。それに対して消費者として「こんな商品を作るな」というのは当然だと思います。それはさておき、次の(次があるとしたら)創竜伝が楽しみです。前作が発表されて以来、世界にはもろもろの大事件が発生しました。
アル・カイダのテロ、イスラム原理主義の問題、北朝鮮による拉致、長年に渡ってそれを支え続けてきた朝鮮総連と社会民主党…。
こうした重大事件について「竜堂始」がどのような見解を示すか興味があります。田中さんには「これはフィクションです」という奥の手がありますから、下手をしたら迂闊なことを言えば生命に関わりかねないこうした問題についてもどんどん「竜堂始」にコメントさせて欲しいですね。
某政治家の「神の国発言」のようなちんけな話をあげつらうのではなく。
-
- board4 - No.3341
はじめまして
- 投稿者:悪猫
- 2002年12月13日(金) 13時32分
はたしてこんなのんきな賢明で始めてしまって言うのか分かりませんが、はじめまして、悪猫です。
え~、田中芳樹さんの作品は、ほとんど全部読みました。
おもしろいじゃないですか(笑)
たぶん皆さんは「ふざけんな、おれたちが長い間議論してることをそんな一言で済ませるきか!!」とか言われるかも知れませんが、いいじゃないですか、そんなに大変なことなんですか?
他人が何読んだっていいじゃないですか。
まさか、押し付けられたりしてるんですか?(笑)作家の人の思想が反映されている本ていうのも面白いじゃないですか。
- 親記事No.3325スレッドの返信投稿
- board4 - No.3342
Re:今さらですが
- 投稿者:ロード・レオン
- 2002年12月13日(金) 15時54分
IKさん、こんにちは。
> ロード・レオンさん、こんにちは。私は「止めるべき」と言っても構わないと思います。物理的に排除しようとするならばともかく、他人をこき下ろすのが表現の自由ならば、「やめるべき」程度は言論の自由ではないですか。
そうですね。その表現が「他人をこき下ろす」だけのものであるならば、確かに「やめるべき」と言ってもかまわないでしょう。しかし、それは『小説中に「個人的な趣味」にすぎない評論を挿入する悪癖を止めるべき』と同じことではありませんよね。それとも作品中の「評論」部分の全てが「他人をこき下ろす」だけのものなんでしょうか?
> 名誉毀損の範囲についても、判定が難しいところです。私は一部についてはおそらく名誉毀損罪が成立するのではないかと思っているのですが、現実に手間隙を考えて立件しようとする人はいないでしょうね。それをいいことに「この程度は許される」というのは違うのではないでしょうか。
名誉毀損に近い表現もあるかも知れませんが、その対象となっている当の本人が問題にしてないのだから、それほど目くじら立てなくてもイイように思いますけど(評論の対象となっているくらいの人だったら、名誉毀損の裁判を起こすくらい、簡単なことですよね)。そして、本人からクレームが全くなければ、「この程度は許される」と判断したとしても無理ないのでは?
> 問題は田中氏が党派的な姿勢で、対象をえり好みしていることですね。いわゆる保守派の人たちは随分、からかわれていますが、左翼でそういう対象になっている人は余りいないですね。
これは仕方ないでしょう。誰and何を「評論」の対象とするかは、(IKさんもおっしゃっているように)それこそ作者が自分の判断に従って決めることです。
> そこも作者の裁量のうちと言うのも分からないではないですが、それならば所詮はその程度の作品ですよ。それに対して消費者として「こんな商品を作るな」というのは当然だと思います。
うーん。。。曲がりなりにもそれを評価して購入している人が少なからず存在する以上、「こんな商品を作るな」というのは言い過ぎではありませんか?
> それはさておき、次の(次があるとしたら)創竜伝が楽しみです。
これについては全く同感です(笑)。
- 親記事No.3318スレッドの返信投稿
- board4 - No.3344
Re:灼熱の竜騎兵を撃つPART2
- 投稿者:八木あつし
- 2002年12月13日(金) 16時01分
どうも八木あつしでございます。
最近は時間がとれなくてこちらへの書き込みが出来ませんでした。
まぁ、ないと思いますが危急の連絡の際には、うちのサイトのBBSにでも書込んでください。(露骨な宣伝(笑))>IKさん
執念と言えば執念ですね(笑)。やはり新・旧を同時に読み進めていくのは辛かったです。見落としがないかどうか気になりました。
兵士の数を「名」から「人」に変更していたのは、最初は見逃していまして、いざ文章を書きこむぞ、という段階で気付きました。どうしても斜め読みになってしまいますから、危なかったですね。
3巻は……。タナウツで絶大な反響が起きたら考えます(笑)。>管理人さん
どうもありがとうございます。
私もタナウツの住人として、銀英伝ネタ以外で何か田中批判の書き込みをしようと狙っていたわけでした。「灼熱の竜騎兵」を選んだのは、旧新の比較レスに書いたように「大幅な加筆修正」という部分が本当かどうか気になったのもあります。しかしこれなら旧新を読み比べるだけで資料も何も必要ないから、というところも大きいですね(笑)。
ただこれまでのタナウツを議論を見ると、「田中芳樹を撃つ!」というよりも「創竜伝を撃つ!」の方が近いのではないか?と思えてしまう時があります。そのため、それに対するアンチテーゼの部分も少しあります。>Kenさん
ご無沙汰しております。無事にご出張から戻られたみたいですね。
私は司書になろうとして(公務員)試験に失敗したので、卒業後の身の振り方に悩んでいるところです。(つд`) 多分、内定をもらえた会社のどこかの店舗でPC用品でも売っているのかな。Kenさんが考えているように、惑星ザイオンは地球から太陽を挟んで向かい側にあります。木星解体で造られた新惑星は、金星・地球・火星の公転軌道に等間隔で並んでいるので、直線で結べば6角形が出来ます。
私は、Kenさんが指摘された通信部分での距離と時間や時差の関係には気付きませんでした。(^^;;) さすがです。
この部分について本編を読んでいる私が、惑星間通信がどうなっているかお答えしときます。推論部分も含みますが。
え~、基本的に「灼熱の竜騎兵」世界における惑星間通信は、地球政府及び地球軍(軍の方が強い)の管理下にあります。これは地球だけでなく各惑星の通信機構も含めてです。作中の描写から、受信は受信機があれば苦労するもののどこでも受信ができます。しかし発信においては、通信施設が必要みたいです。ザイオン独立ゲリラも通信を行う為に、宇宙港を襲撃しました。
惑星ザイオンを地球軍が制圧後、独立ゲリラによって地球軍がかき回されていることは、軍が通信施設を抑えているため地球の軍本部以外は、他の惑星はもちろん地球人も知りませんでした。
また別の惑星ツァーレンで反地球暴動が発生したものの地球軍が通信を抑えたため、紛争中のザイオンには伝わっていません。
このことから指向性レーザー・ビーム通信網は、各惑星の公転軌道で6角形を描くように結ばれているのだと思います。他の軌道の惑星に通信を送る場合は、一番距離が近い惑星から惑星に繋いで送信するのではないかと。こうすれば、指向性の名前通りに直線的に通信が送れます。(辻褄が合うかどうか分かりませんが多分)
ちなみに指向性レーザー・ビーム通信ですが、新版2巻の設定資料だけに載っていたので確実に後付け設定です!(爆)しかし、旧版では38個も惑星を造りましたがこれだけ惑星があると、どれか2~3個の惑星は常にどこかの惑星の影になってしまい、太陽の光を浴びることが出来ない惑星がありそうですね。どうするんでしょう?
しかし、それでも15個も惑星があれば、頻繁にグランドクロスが起きるなぁ(笑)。
それでは、今回はここまで! (^_^)/~~~
- 親記事No.3325スレッドの返信投稿
- board4 - No.3345
Re:具体性ではないでしょう
- 投稿者:ロード・レオン
- 2002年12月13日(金) 16時04分
> >確かにフィクションとノンフィクションを混同してフィクションで
> >あることを盾に使うのは卑怯といわれても仕方ないですね。>結局、これに尽きるんですよ。「創竜伝の問題点」とは。
フィクションと(一見)ノンフィクションを混同することは、あくまでも表現方法の一つであって、それ自体を問題にするのは基本的に変だと思いますね。
たとえ「チャップリンが突然映画の中で現実への罵倒を始め」たとしても、それだってあくまでも表現方法の一つでしょう?(効果的and面白いかどうかは別として)。効果的でない(or面白くない)から止めた方が良い、くらいは言えても、止めるべきだ、と言い切ってしまうのは批評の範囲を逸脱していると思います。「~してはいけない,~は止めるべき」というのは、それこそ明確なルールの裏付けがあって、初めて使うことの出来る表現ではありませんか?(これは、このサイトの緒言に対する意見となるのかな?)。また、「卑怯」と言うことですけど、このような場でその内容について批判することも可能であり、「卑怯」と言うのは、ちょっと言い過ぎなのでは? 出版物という形で万人に公開されているのですから、ある意味、これほど公明正大なことはないと思います(言った/言わない、で争う余地がありません)。
もちろん、『創竜伝の評論に反論した場合「いや、これは小説の世界のことだから」と逃げをうてるから』卑怯だ、としたい気持も分かりますが、その場合は作者本人が、その「評論」部分が現実社会に対して何ら意味・意義のない(現実社会と全く関係がない)ことを認めた、ということでしょう? それならそれで、却ってハッキリしてイイのではありませんか?(ホントは最初から、そう見なすべきなのかも知れないけど)。TACさん>>
こんにちは。
>この場合のストーリーとの関係が無いというのは、物語世界の人物が物語世界の社会をどうこう言うのではなく、現実世界の社会をどうこう言う事を指しています。
確かに一見するとTACさんのおっしゃるとおりなんですけど、作者にとっては、物語世界の人物が現実世界の社会をどうこう言っているのではなく、あくまでも物語世界の人物が物語世界の社会をどうこう言っている、ということなんでしょう(評論の対象は物語世界の中のパラレルワールド的な擬似地球であり、擬似日本)。ただ、作者の方針として部分的にせよ、物語世界の社会≒現実世界の社会、と設定されているため非常に混同しやすいのだと思います(まあ、設定に矛盾が生じるのは、明らかに作者の不注意・ミスですけど)。
だから、物語世界の設定に矛盾があってはいけない、と主張するのであれば、僕も大いに賛成したいと思います。しかし、それは「フィクションと(一見)ノンフィクションを混同すべきではない」とイコールではないんですよね。ただし、一つここで確認しておかなければならないのは、たとえ作者が全てフィクションであると主張したとしても、それがあらゆる表現についての免罪を意味するものではない、ということです。当然、内容によっては名誉毀損にもプライバシーの侵害にも問われることがあり得るでしょう。今のところ田中氏の著作には、そこまでの表現が含まれていない、というだけのことです(過去ログでは田中氏が訴えられれば敗訴する、という意見もありましたが、どうでしょうね?)。
♯♯TACさんの文意については十分に理解できていないかも知れませんので、勘違いがありましたらご容赦を。また、レスの場所が正しくありませんが、これはレスの数を徒に増やしたくなかったからです。分かりにくいとは思いますが、ご理解下さい。
- 親記事No.3325スレッドの返信投稿
- board4 - No.3346
Re:今さらですが
- 投稿者:八木あつし
- 2002年12月13日(金) 16時26分
> > それはさておき、次の(次があるとしたら)創竜伝が楽しみです。
>
> これについては全く同感です(笑)。私も次の創竜伝が非常に気になります。特に次巻で気になるのは、創竜伝世界でこれまでしぶとく生き残ってきた首相に代わり、新たに登場した新首相ですね。
まるで田中芳樹が「小渕さんが倒れたときに情報を隠した」「密室で森さんを後継に決めた」「神の国発言」という現実世界の出来事を批判したいが為に、意味もなく無理矢理首相を代えたようなものでした。
ハッキリ言って、良くも悪くも戦後の政治家の金権体質やら何やらの部分部分を寄せ集めた前首相に対して、今回出てきた新首相はまんま現実の森前総理です。直ぐに続編を出せばまだまだ「旬」なキャラクターでしたが、今となっては・・・。消えた前首相のように、いつでも味を出すことができないですね。
田中芳樹は森政権が長続きすると思って首相を代えたのかどうか。結構気になります。