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投稿ログ168 (No.3038 - No.3051)

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board4 - No.3038

Re:人口論議よりはるかに重大

投稿者:IK
2002年10月11日(金) 05時38分

私だけかも知れませんが、KenさんとSAIさんの論争は様々な問題に飛び火しながら錯綜し、理解しにくくなっていると思います。
人口問題、経済体制の問題、差別の問題、民主主義の問題。このあたりで論点を整理されてはいかがでしょうか。

私個人の印象を言わせて貰えば、民主主義と共和主義をおふたりとも混同されているように感じます。
私はファシズムと共産主義は民主主義の対立概念ではなく、むしろその究極の姿であると考えていますので、どうにも分かりにくいなと感じています。

ローマ史で言えば、民衆の困窮を救うため護民官の権限を拡大しようとしたグラックス兄弟が、元老院守旧派から共和主義を破壊する者と見られて虐殺された例、その元老院守旧派が共和主義の名のもとに既得階級化し、それを打破するためグラックス兄弟以来の民衆派の流れを汲むカエサルが結局、帝政への扉を開いた例などが民主主義と共和主義の対立として見出せるかと思います。

board4 - No.3039

士官学校の科について

投稿者:骨
2002年10月11日(金) 08時55分

<士官学校の科の過去ログを拝見しました。
古い話題で失礼します。

防衛大学でも専攻だったらあると思います。
理系の専攻や文系の専攻などをさして、科といっているのでは
ないかと思います。
 また、専攻に分かれている現在の総合大学でも
卒業式に学長から卒業証書を受取る役目の人はいるわけで
首席を選ぶのにさほど困難はないかと思います。

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board4 - No.3040

Re:人口論議よりはるかに重大

投稿者:Ken
2002年10月11日(金) 12時32分

初めに倉本様、

失礼しました!!火曜日にレスをいただいていたのを見落としてしまって!!

同盟軍がそんなに大量の人員を必要とするはずがない、というご意見ですね。たしかに、シトレやビュコックなどが「兵員が足りない」と言っている場面は、私も覚えていません。ただ、アムリッツァ前の最高評議会で、トリューニヒトとホワン・ルイが人的資源の「取り合い」演じ、「軍が人を取りすぎるため民間部門に重大な影響が出ている」という主旨のことをホワンが言っていますので、よほど大量の人間が軍に入っているに違いないと思った次第です。もっともトリューニヒトのことですから、自己の勢力拡大のために、必要以上の人数を徴兵していた可能性はありますね。でも、動機がなんであれ、徴兵して軍籍に入れる以上、市民権を与えるしかないのでは?

市民とそうでない者が同じ権利を持てないのは分かります。私も滞米中は、税金を払っているのに、選挙権はないという、彼の国の建国理念と矛盾する状態に置かれていました。倉本さんが指摘された発言をした時は、SAIさんと准提督さんの議論の中で、「古くからの同盟市民達が安楽で見返りの多いいわば日のあたる仕事を独占します」とか「アルジェリア人をフランス人が殺しても無罪になる」とかいう、すごい話が出てましたので、そんな差別が許されるわけがない、という意味の発言をしたつもりでした。どうやら、倉本さんが考えておられた内容とは違ったようですね。

古典SFファン様、

ご無沙汰しております!最近、お名前を見かけず、同じ趣味の友人を無くした寂しさを味わっておりました。

>一旦その種の体制が成立したら、王制である以上、移行期を除いて
>民衆によって王が選ばれる事はないでしょう。
>ローマ皇帝たちがこの課程を模式的になぞっています。

私は、SAIさんの意見を読んで、真っ先に中国の伝説にいう「堯舜の世」を連想しました。思うに、この種の伝説は、全くの絵空事というよりも、太古、農耕が始まる前の、人間の作る集団がまだ十人か二十人程度だった頃の様子を伝えているのではないでしょうか?そんな状況下なら、「民主的な王制」が可能かもしれないし、経済的な貧しさを気にしなければ、全人類がそのような極少集団に分かれ、太古の時代に戻るのも選択肢の一つかもしれません。もちろんローマクラスの大集団ではだめです。ローマ帝国どころか、ローマ市でもだめでしょう。また、本当に堯舜の時代に戻ろうとすると、そのような小集団同士が、互いに干渉せずに棲息できる空間的な広がりが必要で、この点を考えれば、夢物語です。ただ、大胆な発想をするなら、情報技術がますます発達し、やがて人間が、実空間よりもサイバー空間で過ごすことが多くなると、逆に可能になるかもしれません。

IK様、

>ファシズムと共産主義は民主主義の対立概念ではなく、むしろその究極の姿

「民主主義」の明確な定義が必要だと思います。リンカーンは「人民自身の手による、人民の幸福を目的とした、人民統治」と言いました。(思い切り意訳しています。だって「人民の、人民による、人民のための・・・」では、何のことか分からないじゃないですか。)もっと分かりやすく訳せば、「住民が幸せになるための、住民自治」ということでしょう。

ここで問題です。リンカンは、「住民の幸せ」と「住民自治」を不可分のものと考えたわけですが、自由惑星同盟の「衆愚政治」のように、住民自治が住民の不幸に通じたらどうするか、という問いかけをしているのが銀英伝です。これに対して、「その時は、たとえ住民が不幸になっても、住民自治が優先する」という結論を、苦しみながらも出しているのがヤン・ウェンリーです。

「人民を害する権利は、人民自身にしかないからです」(風雲篇第十章-2)

という、あまりにも有名な言葉です。私は「民主主義」という日本語の正確な意味はこうだと、自信をもって言うことができませんが、「Democracy」の定義なら、かなりの自信をもって、「それは住民自治のことだ」と言えるつもりです。そして「民主主義」が「Democracy」の訳語として使われる限りにおいては、やはり「住民自治」のことだと言うべきではないでしょうか?

>民衆の困窮を救うため護民官の権限を拡大しようとしたグラックス兄弟

は、「住民自治」ではなく「住民の幸せ」を考えたのでしょうね。でも、これは「Democracy」ではないと思います。だから最後はシーザーにつながったのでしょう。

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board4 - No.3041

Re:こっれて社会評論のネタになるかな

投稿者:匿名希望
2002年10月11日(金) 12時47分

> どうも久しぶりにカキコします。
> 槍です。
> 現在こんなことが起きてます。
>
>
>  福岡市内の小学校のほぼ半数の六十九校が本年度から使っている六年生の通知表に、「国を愛する心情や日本人としての自覚」を三段階で評価する項目が新たに盛り込まれていることが八日、分かった。国の学習指導要領を踏まえたものだが、全国の政令市でも異例の措置で、福岡県内の市民団体が「人権教育上、重大な問題」として同県弁護士会に人権救済を申し立てている。
>
> ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20021009-00000026-nnp-kyu
>
> これって田中さんの社会評論のネタになるかも。

シンガポールだったかな
そこの国の首相が「金髪に染めて遊び呆けている」とか、「 韓国の若者に比べ愛国心がない」などと酷評していた
愛国心を否定的に論評する田中氏はこの発言をどう受け止めるのだろう?

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board4 - No.3042

Re:人口論議よりはるかに重大

投稿者:SAI
2002年10月11日(金) 13時12分

> 意見が合わない場合は、多数決で・
多数決ではだめでしょう。もともと多数決には、数の暴力がまかり通る、票が金で買える、そもそも多数の意見が正しいわけではないと欠点があるので。じゃあどうすればいいのかといえばわかりません。答えてあげたいんですがね。

>といってことを済ませ、代案がないままにデモクラシーを否定し、結果的に封建制や絶対王政やファシズムやコミュニズムの復活に道を開くわけにもゆかないでしょう。

それはもう手遅れです。とっくの昔に封建制は復活し、ファシズムも現れました。そもそもKenさんは実は民主主義が嫌いで、封建制を支持してるのではなかったのですか?極一部の人間にのみ富が集中し、政治はその極一部の人間のためにのみ行われる。この状況のどこが封建制と違うんですか?すくなくとも経済学的にはまったく同じですが。多国籍企業と労働者の戦いは、封建領主と農夫の戦いと何が違うんです?
そもそも民主主義の理想は極一部の大金持ちと大多数の貧民を作りだすことだったんでしょうか?
さらにいえばファシズムはどのような状況で生まれるかは知っているはずです。ファシズムの到来を待っているのではなかったのではないですか?
アメリカのユニテラリズムとは昔ファシズムと呼んだものと同じでは?

>それは白人男性に限った話で、黒人やアジア系の状況は今よりずっと悪かったのではありませんか?

いいえ。今の方がはるかに悪くなっています。あの時代は確かに差別は公然とありました。だが、生活水準や社会的地位は今の方がはるかに悪くなっています。あの時代、黒人は白人よりも一段劣る人種だ、と思われていても、犯罪者だとか、黒人の住んでいる町=スラムというイメージはなかったんです。黒人と白人の生活格差は確かにあったがそれは減少していたんです。また、社会的に一段下の存在だと決められていたから白人は安心して黒人を寛大にあつかってました。差別に従う限りですがね。だが、公民権法ができたころから、アメリカ人の実質賃金が低下していきます。それに従い黒人の生活水準や社会的地位は下がってゆきます。今では黒人=犯罪者、黒人街=スラムという偏見ができてしまいました。さらにいえば今でも黒人が入れない場所というのはあるんです。法的にはありませんが、現実としてある。Kenさん、空港や飛行機の中、スキー場、ゴルフ場、プール、会社の重役室、弁護士事務所には黒人はほとんどいなかった思い出はありませんか?

>結局、50年代のアメリカにも、70年代までの日本にも共通しているのは、今よりずっと個人レベルの競争が少なかったということではありませんか

いえ、違います。個人レベルの競争はむしろ今よりも激しかったです。
差をつけないと努力する気がうせますが、つけすぎてもまた失せるんです。競争を激しくしたいなら、差はつけるべきだ、ただし挽回不可能なほどの大差はつけるな、というのが正しいんです。

>そんな身分秩序を破壊したのは、中国や日本の戦国時代もそうだったように、自由競争だと思います。

その時代は破壊と殺戮が横行しましたが、それがいいことですか?
無論前の時代の矛盾がどうしようもならなくなったからではありますが
だからといってそんなものすべて壊してしまえ、どれほど犠牲がでようともかまわないというのはいきすぎでは?さらにいえば、まずいつでも原因は同じで、貧富の格差がひろがり、金持ちは好き勝手やり、貧乏人はその影で苦しみ、治安は悪化、政治はその苦しみを省みない、そんな
社会の崩壊という状況の後に戦国時代は始まったんです。
一度あるものをすべて叩き壊してまた作り直すというなら莫大な無駄が生じるんですが、それでもかまいませんか?
Kenさんは過激な革命思想を信奉しているんですか?

>アメリカ式の競争社会ではないか、と思います
Kenさんは経済発展は嫌いですか?経済発展にもっとも最適な格差は4倍です。それ以上でもそれ以下でも効率は下がります。アメリカの格差では発展どころか崩壊の一途です。なお、この場合の経済は実体経済の話ですよ。
今の経済は間違っている、崩壊すべきだという過激な経済論を信奉しているのでしょうか?

>50、60年代までの)状況に比べれば進歩だと思っています。
そうでしょうか?むしろ退化しているのでは。その根拠は前述しました。

>そのような社会は息苦しいし、実力による競争がない以上、賄賂や汚職が横行すると思いますが、

私は別に競争は否定しておりません。間違いです。自由100で統制0も統制100で自由0も等しく間違っているといいました。
実力による競争はあるべきだ、ただし、結果の格差はある範囲内以下にすべきだというものです。

賄賂や汚職は自由100で統制0も統制100で自由0の場合も横行します(アメリカでいかに多くの賄賂と汚職がはびこっているか知らないとは言わせませんよ)どっちの極でも弊害がでる、だから状況に合わせて、その中間の最適値をとるべきだというのが私の主張です。

>古典SFファンさん

>「愚かな皇帝」「腐敗した貴族」「既得権益に群がる特権階級」
「愚かな大統領」「腐敗した多国籍企業」「既得権益に群がる特権階級」
とやれば今の状況です。民主制でもでてくるんですよ、同じ物は。

>民主制の方がよりましであるのは、権力の分立と交替システムがあり、無能な為政者を交換し、失政を衆知を政治に反映して是正する事が
制度的に可能であるからです

制度的に可能と、現実に可能は違うんです。もちろんある程度ならできますが、ある閾値を超えてしまえば不可能になる。それがいつでも本当ならば、棄権率があれほど高くはなりませんよ。そんなことは不可能だと今全世界でおもわれているからこそそういう現象がおきるんです。

民主主義ができてからの歴史を紐解けば大きな社会の変革を必要とする場合、それはそうできたらいいなあという理想論で現実は違う方法でおこなわれてきたというのが歴史の真実です。

准提督さん、当分答えられないです。すいません。

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board4 - No.3043

Re:こっれて社会評論のネタになるかな

投稿者:KUR
2002年10月11日(金) 13時15分

> シンガポールだったかな
> そこの国の首相が「金髪に染めて遊び呆けている」とか、「 韓国の若者に比べ愛国心がない」などと酷評していた
> 愛国心を否定的に論評する田中氏はこの発言をどう受け止めるのだろう?

これはマレーシアのマハティールではないでしょうか?
彼は既にさんざんこき下ろされていたような気が……… (^^;

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board4 - No.3044

Re:こっれて社会評論のネタになるかな

投稿者:Ken
2002年10月11日(金) 14時18分

槍さま、

実に興味深い情報をいただき、ありがとうございます。教えていただいたYahooのサイトを、早速見ました。

>「わが国の歴史や伝統を大切にし国を愛する心情をもつとともに、平和を願う世界の中の日本人としての自覚をもとうとする」

ここでいう、わが国の「歴史」や「伝統」とは、具体的にはどういうものを指しているんでしょうね?「歴史」というと、やっぱり聖徳太子とか、源頼朝とか、徳川家康とか、西郷隆盛とか、吉田茂が出てくる歴史なんでしょうか・・・?でも、ツルネンマルテイやラモスやサントスのような日本人には自分の「歴史」じゃないし、明治維新以前の部分は韓国系や中国系の人には「歴史」じゃないし、秀吉以前の部分は沖縄の人には「歴史」じゃないし、坂上田村麻呂より前の部分は、東北の人には「歴史」じゃないし・・・。(私も、系図上は東北です。)

槍さんに尋ねているのではありません。上の発言をした教育委員会や文部省の人に聞いてみたいと、思っているだけです。

私個人の意見を言えば、自由とデモクラシーを国の理念として掲げ、その理念に賛同してやってくる人なら、誰でも日本人である、という方がよほどすっきりしますけど。

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board4 - No.3045

Re:人口論議よりはるかに重大

投稿者:古典SFファン
2002年10月12日(土) 00時49分

SAIさん:
> >「愚かな皇帝」「腐敗した貴族」「既得権益に群がる特権階級」
> 「愚かな大統領」「腐敗した多国籍企業」「既得権益に群がる特権階級」
> とやれば今の状況です。民主制でもでてくるんですよ、同じ物は。
>
> >民主制の方がよりましであるのは、権力の分立と交替システムがあり、無能な為政者を交換し、失政を衆知を政治に反映して是正する事が
> 制度的に可能であるからです
>
> 制度的に可能と、現実に可能は違うんです。もちろんある程度ならできますが、ある閾値を超えてしまえば不可能になる。それがいつでも本当ならば、棄権率があれほど高くはなりませんよ。そんなことは不可能だと今全世界でおもわれているからこそそういう現象がおきるんです。
>
> 民主主義ができてからの歴史を紐解けば大きな社会の変革を必要とする場合、それはそうできたらいいなあという理想論で現実は違う方法でおこなわれてきたというのが歴史の真実です。
>
民主制であろうと他の制度であろうと、有能なものが権力を握るとは
限らず、既得権を握った者がそこに居座って腐るのは何の変わりもない。
「民主制なら腐らない」とは、私も云っておりません。
腐った時直せるように作られている、と云うだけです。

腐りすぎれば直せず、矛盾が限度を越えたら崩壊する、と言うパターンを、
歴史の実例、いわんや銀英伝の読者が言われるまでもないでしょう。

つまり、事がパターンを外れなければ、貴方の仰る発言はいかにも
全体が真実で、一々補強証拠を必要とはしない。
今回もパターン通りに時代がゆっくりと「大衆の生活水準と地位の長期低落」から、
クラッシュに向かうまでの何十年か何世代かを、多少の抵抗はあれど
大半の人間が手をつかねて傍観し、そして事が「歴史の教訓」通りに
なる事を看取る。
既にそのパターンがもう起きかけている、いや、もう起きていると貴方は云う。
(正確には、文脈でそう云っているように、私には見える)
故に今ある権力体制の悪から目をそらしてその長所と見える部分を
礼賛していてもだめだと。

だからと云って・・・
貴方も、私も、結局は権力の委譲とエラー補正の方法論として、
民主制以上の制度についてその構想すら知らない事には何の
変わりもない。

王制や「賢人政府」のようなものは、同じく歴史が教える通りなら、
その長所が生きる時代はもうとっくの昔に終わった無想でしかない。
為政者が選挙される事に「数の暴力」が働くなら、選挙されない為政者
には、「たまたま選挙された傲慢で貪欲な人」にある悪を全て兼ね備
えた上での、「選挙されないが故にその地位を離れない」始末の悪さが
加わるだけです。
・・・もちろんそう云う欠陥は承知しておられるから、「どうしたらいいのかわからない」と仰るのでしょうが。

私は、危険すぎる王制や、「公益に奉仕する個人」を不明の基準で
選び出さなければ機能しないようなシステムを期待するより、
手近で、幾らか欠陥が少ない民主制をいじった方がまだ、ましだと
思っているだけです。

デモクラシーの根幹は選挙の「数の論理」にあるのではない。
議会で討論が行われる際の過程そのものにある。
議会が飾り物で、密室で行われる意思決定により権力機構が動くと
云うのは、また別の幻想に過ぎない。
代議制で送り出された国民の代表が、議会で討論した事が一定の
力を持ち、どれほど密室の意見調整が行われようと、議会で行われる
討論が影響力を失わない事が、デモクラシーの根幹を支えている。
デモクラシーは、云ってみれば公開された建前の議論を、その裏をも
含めて、代議員を選んだ市民が把握し認識しリアクションする事に
よってしか成り立たない。

それがわが国やアメリカで既に失われているとしたら、そして、
今後も手遅れになるまで戻らぬとしたら、歴史は教訓通りに動く。

過激な革命を、平時に肯定する者など誰も居ないでしょう。
しかし、そうして平時に失われたものが、手遅れになるまで自重を
増して積み重なっていき、遂に爆発するのを止める事はほとんど
不可能であると云う事もまた、歴史の教訓です。
今回がパターンから外れるかどうか、私は自分の手が届く範囲を
触りながら、長い時間を掛けて付き合うハメになると思っているんですが。

親記事No.2986スレッドの返信投稿
board4 - No.3046

Re:人口論議よりはるかに重大

投稿者:古典SFファン
2002年10月12日(土) 01時06分

Kenさん:
>
> ご無沙汰しております!最近、お名前を見かけず、同じ趣味の友人を無くした寂しさを味わっておりました。
>
ああ、申し訳ありません・・
こう、テンションが上がった時に集中して投稿するたちなもので。
ずっとスレッドの方は拝見させて頂いておりました。

> 私は、SAIさんの意見を読んで、真っ先に中国の伝説にいう「堯舜の世」を連想しました。思うに、この種の伝説は、全くの絵空事というよりも、太古、農耕が始まる前の、人間の作る集団がまだ十人か二十人程度だった頃の様子を伝えているのではないでしょうか?そんな状況下なら、「民主的な王制」が可能かもしれないし、経済的な貧しさを気にしなければ、全人類がそのような極少集団に分かれ、太古の時代に戻るのも選択肢の一つかもしれません。もちろんローマクラスの大集団ではだめです。ローマ帝国どころか、ローマ市でもだめでしょう。また、本当に堯舜の時代に戻ろうとすると、そのような小集団同士が、互いに干渉せずに棲息できる空間的な広がりが必要で、この点を考えれば、夢物語です。ただ、大胆な発想をするなら、情報技術がますます発達し、やがて人間が、実空間よりもサイバー空間で過ごすことが多くなると、逆に可能になるかもしれません。
>
・・・お二人の議論を拝見していて思ったのですが・・。
過去:歴史的な社会体制・国家の崩壊パターンに関する認識
現在:現状が理想的状況に近いか遠いか
未来:現状の維持と改良で済むか、現状はダメだから別の制度を見つけないとパターン通りにクラッシュするまで進むだけか
に対する観点と判断が全て異なります。

王制や賢人政府のようなものに期待できないのは、仰るとおり、
「人類の頭数はそういうものに頼ると何十億のエゴが爆発してしまう
ほど増えた」
と云う事にもあると思います。
制度的にも、今のところ「選挙なし」や「衆愚政治や利益誘導による
数の暴力を恐れるあまり、選挙制度そのものに批判的」というだけ
では、
他のシステムを採用しようとしてもどうしようもない。
「権力の委譲に適切なシステムの構想無しでは、選挙のある仕組み
よりもっとダメ」と云う事です。
公益に奉仕する有能な人に権力機構を一時お任せし、任期が来たら同様な人に委譲するような、
ほとんど「神の目」を以ってしなければ成り立たないようなシステムを
作らないと、そう云うシステムは民主制より遥かにダメになるのが速く、
ダメになった時の害もひどい(制度として権力を委譲する仕組みが機能しなくなっていたら、体制改革の手段は革命しか残らない。運がよければ無血で済むが)。

当座使える民主制をどうにかする以外に、予測し得る未来に使える
政治的道具はないと云うのが、私の現在の観測です・・。

親記事No.2986スレッドの返信投稿
board4 - No.3047

Re:人口論議よりはるかに重大

投稿者:Ken
2002年10月12日(土) 05時23分

SAIさん、

まさしく、古典SFファンさんが、

>観点と判断が全て異なります。

と言われるように、これほど異なる発想をする方と、ネット上とはいえ、知り合う機会を得たことを喜んでおります。

古典SFファンさん、

>貴方も、私も、結局は権力の委譲とエラー補正の方法論として、
>民主制以上の制度についてその構想すら知らない事には何の
>変わりもない。

私もそうだと思いますが、SAIさんからは、間違いなく反論が来ます。

>政治的には王制、ただし経済的には極端な格差が生じないようにする

と、言っているではないかと。

さて、

>多国籍企業と労働者の戦いは、封建領主と農夫の戦いと何が違うんです?

労働者は勤務先を選べるが、農夫は領主を選べない、という違いがあります。日本のように封建制の残滓が比較的に残る社会にいると、気づかないかもしれませんが、私が直接見聞したアメリカ、メキシコ、東南アジア、さらに伝聞で聞く中国で、経営者の大きな悩みに、従業員が定着しないことがあります。せっかく教育と訓練をしても、身に付けた技術を売り物に転職してしまうのです。これは、一人当たりGDPが3万6千ドルのアメリカ、2万5千ドルのシンガポール、9千ドルのメキシコ、3千6百ドルの中国(いずれも購買力平価。CIAのサイトより)と、多様な経済レベルにわたって見られる現象なので、世界の一般的な状態を表す、というのが私の認識です。

もう一つの違いは、流動性でしょう。封建時代に領主になったのは、領主の家に生まれた者だけです。ビル・ゲイツもリー・アイアコッカも、松下幸之助も本田宗一郎も、現れようがなかった。(注:この場合の「封建時代」とは、日本史で言えば鎌倉・室町時代のような、正真正銘の封建時代を指し、秀吉が現れた戦国時代や、田沼意次が台頭した徳川時代は、近代的な実力主義が封建制を相当に侵食していたと思います。)

>アメリカのユニテラリズムとは昔ファシズムと呼んだものと同じでは?

ユニ「ラ」テラリズム(unilateralism)のことですね?
SAIさんはNPRを聞くか(ブロードバンドがあれば、ttp://www.npr.org/で聞けます)、ニューヨークタイムズの社説を読まれる(ttp://www.nytimes.com/で読めます)べきだと思います。いろいろな立場の意見を、できるだけ公平に紹介しようという編集者の努力の成果が顕著に見られるし、もしも一方の意見を支持するなら、政府に反対する意見になることがずっと多いことが分かります。こういうスタンスのメディアの存在を許さないのが、ファシズムです。

>社会的に一段下の存在だと決められていたから白人は安心して黒人を寛大にあつかってました。差別に従う限りですがね。

もう一度、お尋ねします。現在のように黒人が権利を主張して、裁判やメディアで争う社会よりも、上のような社会が「まし」である、と言われているのですか?

>空港や飛行機の中、スキー場、ゴルフ場、プール、会社の重役室、弁護士事務所には黒人はほとんどいなかった思い出はありませんか?

出張が多かったので、空港と飛行機については、乗客にも添乗員にも、黒人は珍しくもなんともなかったと断言できます。初めてシカゴへ飛んだ時、私の隣にいたのが陽気な黒人のおばさんで、シカゴへ戻る途中だと言い、こちらがシカゴは初めてだというと、高層ビルの夜景の美しさや、まだ現役だったM・ジョーダンのことを延々と説明してくれました。

プールについては、アパートの共同プールしか行ったことがありませんが、黒人も白人もヒスパニックもちゃんといました。親同士が談笑している間に、子供たちは一緒に遊んでいました。ちなみに、私が住んでいたのはシカゴ郊外の町で、所帯の平均年収が6万ドルという土地でした。SAIさんの意見に従えば、そんな所に黒人がいるわけがない、ということになりますが。

私は、スキーとゴルフはやらないので、どういう人たちがプレーしているのか、見聞がありません。また、会社の重役室も、私には縁のない世界でした。ただ、一人のイチローの後ろに数百万の野球少年が、一人の田中芳樹の後ろには数百万の同人作家がいることから類推すれば、一人のタイガー・ウッズの後ろには数百万の黒人ゴルファーがいるのではないでしょうか?テニスのウィリアムズ姉妹しかりです。

>差をつけないと努力する気がうせますが、つけすぎてもまた失せるんです。

今がそうだ、と言われているわけですね?
SAIさんは、スタンフォードやバークレイのような大学を訪れて、学生たちと交流してみるべきです。取得した単位と成績が、就職後の年収に直結するので、皆必死です。「優」が4点、「良」が3点、「可」が2点として、在学中の成績の平均点を表したものをGPAといい、例えばスタンフォードの情報科学で修士を取り、GPAが3.7だったから年収6万ドルの係長待遇で就職、2.8だったから4万ドルの一般技術者として就職、という差がつきます。ただし、日本の官僚とは異なり、就職してからの実績では逆転します。ちなみに、これらの一流大学には、黒人もいますが、それよりも「石を投げれば中国人かインド人に当たる」というほど、非白人の留学生か、移民か、またはその二世が多いのです。留学生には、卒業後帰国する人もいますが、多くはアメリカで就職し、格下の大学を格下の成績で卒業した先祖代々のアメリカ白人を、はるかに上回る収入を得ます。

>その時代は破壊と殺戮が横行しましたが、それがいいことですか?

戦国時代と、それ以外の封建時代の大きな違いは、「殺されるのは誰か?」という点にあります。鎌倉時代や初期の室町時代を考えてみてください。権力者と民衆の関係では、民衆は生きるも死ぬも、権力者のなすがままでした。これが、応仁の乱以降に大きな変化が現れます。つまり、民衆が封建領主への抵抗を始めたのです。土一揆、国人一揆、一向一揆、法華一揆を経て、下克上の世となってゆきます。民衆にとっては、戦国時代は、前の時代より「破壊と殺戮」の危険が増したわけではありません。その危険が増したのは、伝統的な権力者とその家臣の武士たちにとってです。もちろん、一揆に参加した農民の中には、戦で死んだ者もいたでしょう。でも、自分の運命のために自分で戦えるのは、他人に生殺与奪を握られているよりも、はるかにましではないですか。

>一度あるものをすべて叩き壊してまた作り直すというなら莫大な無駄が生じるんですが、それでもかまいませんか?
>Kenさんは過激な革命思想を信奉しているんですか?

戦国時代に叩き壊されたのは、伝統的な支配構造です。人間の生活レベルを支える農業技術、鉱工業技術、マネジメント技術は、むしろ長足の進歩を遂げており、決して壊れてはいません。一日二食だった日本人が三食を取るようになったのもこの時代です。(司馬遼太郎「国盗り物語」より)

>アメリカの格差では発展どころか崩壊の一途です。

アメリカ経済の崩壊を表す指標と、それが格差に由来することの証明を、していただけますでしょうか?なお、ものすごい経済格差とものすごい経済発展が同時進行している最大の例は、いまや中国かもしれません。

>アメリカでいかに多くの賄賂と汚職がはびこっているか知らないとは言わせませんよ

ぜひ、具体的な実例を挙げてください。その上で、それが他国よりも激しいものかどうか、比較をしましょう。なお、その場合の比較対象としては、日本や西欧のように、基本的にアメリカと同じシステムを持つ社会では意味がないので、ぜひSAIさんに「アメリカ型より優れた社会」の具体例を挙げていただき、それとの比較をしようではありませんか。(ただし、堯舜の世のように、実在が立証されない社会は、対象外です。)

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board4 - No.3048

Re:例えとして適切ではありません

投稿者:不沈戦艦
2002年10月12日(土) 05時29分

>  ひとつ無意味な仮定の質問をさせてください。
> タナ撃つの方々が田中芳樹に要求しているのは 初期の田中作品の作風。
> そして、今の田中作品を中期とします。
> たぶんありえない話ですが、
> もし、タナ撃つの活動により 田中芳樹が初期の作風を取り戻し活動を始めたとします。
> これを後期とします。
> この時点で タナ撃つは公約どおり閉鎖しますよね。
> しかし、中期田中作品が一番いいと考えている人々は当然ながら不満を感じます。
> (今のあなた方の様に)
> それで、彼らの中には田中芳樹に もとの作風(中期)にもどってほしくて
> 後期田中作品および現在の田中芳樹の思想を批判するサイトを立ち上げて
> それが一定の支持を集めるほどの能力を持っているとしましょう。
> そのサイトをなんらかの理由で発見した場合、あなた方はどういう対処を行うのか
> 昔を懐かしんで支援するのか、田中芳樹にまた変節されてはかなわんと攻撃するのか
> ぜひ、教えて欲しいです。
>
>  また、タナ撃つの目標は プロ野球にたとえるなら
> 長島名誉監督や王監督にいますぐ現役復帰し若い時の記録を塗り替えろと
> 主張しているようもので、あまり現実的ではないと思います。
> まだ、なぜ、彼らはあのような偉大なことをできたのか、また、こうしておけばもっと記録を伸ばすことが
> できたのにと語り合うほうが有意義ですよね。
> さらに、現役の選手達に対して彼らの記録を乗り越えることを応援することも。
> そして、このようなことはいまのタナ撃つの掲示板の主要なテーマですよね。(反銀英伝など)
> つまり、管理人さんの掲げている目標はもはや現実でもないし、
> タナ撃つの常連の方々にとっても すでに どうでもいいことになっているような気がしてなりません。
>
>  ちなみに私にとっては田中芳樹は過去の人で、
> 彼の現在の作品にはまったくといっていいほど興味はありません。

 スポーツ選手は、ゴルフなどの特殊な例外を除いては年を取ってしまえばそれまで。そりゃ、プロ野球選手でも、節制を重ねて40代でも驚異的な活躍をする人もいますけど、50代60代ではどうにもなりません。体力的に衰えて、現役選手としてのキャリアはおしまいです。王長嶋に、今現役復帰して活躍しろ、なんて無理難題もいいことは承知で書いてますよね。

 でも、作家も「年を取ればお終い」などと、必ず言えますか?例えばですが、晩年の司馬遼太郎はどうでしたか?あるいは松本清張は?あなたは「作家は年を取れば衰えてお終い」が必ず成立するという前提で話を進めているようですけど、そんな通念はありはしませんよね。また、田中芳樹は決して、王長嶋のように「引退」を表明して「現役選手」としての看板を下ろした訳ではありません。まるで話が違うではありませんか。

 例えになってませんよ。スポーツ選手との比較は。

親記事No.3030スレッドの返信投稿
board4 - No.3051

Re:例えとして適切ではありません

投稿者:無気力なひと
2002年10月12日(土) 08時06分

お返事ありがとうございます。
>「年を取ればお終い」などと、必ず言えますか?例えばですが、晩年の司馬遼太郎はどうでしたか?あるいは松本清張は?あなたは「作家は年を取れば衰えてお終い」が必ず成立するという前提で話を進めているようですけど

あのう、失礼ですけど、私の前提条件をまったく読んでいらっしゃらないのではないのでしょうか?

このサイトの目的は田中芳樹が初期の作品を書くようになるまで
活動を続けると私は解釈しております。

あなたのおっしゃるとおり、人間は日々成長し、老化し、
そして死んでいきます。
王監督や長島名誉監督は現役こそ引退しましたけれども
その経験を生かし、野球界ひいてはスポーツ全体に大きな貢献を
はたしております。
それは、ほかの元スポーツ選手全てにいえることでしょう?
「年を取れば衰えてお終い」とはスポーツ選手にも当てはまらないと思います。

逆のお聞きしますが、司馬遼太郎やほかの作家(すみませんがあなたの上げた方々の作品は一度も読んだことはありません)は
ずっーーと同じ作風を通していたのですか?
時代をともに彼らは成長し、よりすばらしい作品を作り上げようとしていったと思います。そりゃ、失敗もたくさんしたのでしょうけど。

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