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投稿ログ191 (No.3378 - No.3389)

board4 - No.3378

少し浅はかかもしれませんが・・・

投稿者:さわら
2002年12月20日(金) 14時39分

初めて書き込みをさせていただきます。
最近このページを見つけ、田中芳樹氏の作品を愛読している者と
して興味を覚えて、いろいろ拝見いたしました。
(まだ管理人さんの本論と、主だった議論しか読んでいませんが)
そして気づいたこと。そういえば「創竜伝」は1度読んだきり、
読み返していないのです。
何故か考えてみたのですが、「銀英伝」や「アルスラーン」は
設定が異世界もしくははるかな未来であり、現実を感じる余地が少ない
のですが「創竜伝」は、現代の物語であり、それだけにあの単純な
対立の構図がかえって現実感がなく、再読する気になれない、
ということに気が付きました。

管理人さんや皆さんの田中氏批判を読んでいて、なるほど、と思える
こともたくさんありました。確かに小説という形に逃げ込んで
批判をして自己満足をしているという部分はあるのかもしれません。

最近これと対照的な作品を読みました。
村上龍氏の「希望の国エクソダス」です。
小説という形をとりながら現代社会を鋭くえぐり、
おびえる市井の微塵もない批判(政党の実名も挙げています)
もしていると思います。
浅はかかもしれませんが、こういう部分での田中芳樹批判が
この場では展開されているのかなぁと感じました。

私は「アルスラーン」の続編を首を長くして待っている
田中ファンではありますが、(それはこのページを読んだ今も
変わりませんが)このページの意義は感じることができました。
無学なゆえ、議論に入っていけないとは思いますが、
これからも拝見していきたいと思っています。

長ったらしい拙文で失礼いたしました。

親記事No.3325スレッドの返信投稿
board4 - No.3379

掲示板伝2

投稿者:不沈戦艦
2002年12月20日(金) 16時33分

 堂竜4兄弟の戦いは続く。今日も、「五人姉妹」の手先に成り下がっている、自衛隊の攻撃ヘリが堂竜兄弟を追いかけ回しているのだ。それだけではなく、警察も動員され、あちこちの道をパトカーが封鎖していた。町中でロケット弾や機関砲を撃ちまくっているので、外れ弾による被害が続出している。しかし、肝心の堂竜兄弟には、何のダメージも与えていないので、意味は全くない攻撃であった。

「この町も、国民の税金で養われている警官や自衛隊に破壊されて大変だな」
「権利の上に無関心で眠る人々は、そのうちに代償を払うということでしょうか」
「なんでもいいから、腹へったよー」
「『五人姉妹』はまだ僕たちをあきらめないのかなあ?」

 などと言いつつ、逃げ回っている堂竜兄弟である。とはいっても、逃げるばかりではなく、甘く見て突っかかってくる自衛隊員や警官の膝を叩き折り、したたかな教訓を与えてやることも、しばしばであった。

「い、偉大な表現者である中先生に、小説を書くななんて暴言は許せないんだな。な、中先生の書いているものは、フィクションでしかないんだから、それを中先生の意見を表現した評論と決めつけるのは良くないんだな。中先生の『表現』は、僕が完全に客観的と認める者以外には、批判する資格なんかないんだな、ハァハァ」

 ラード・リオンは、外の大騒ぎには全く気付くこともなく、パソコンのモニターの前で、キーボードを叩きながら、生臭い息を吐いていた。四畳半の部屋は、散らかりっ放しで埃とゴミに埋もれている。いわゆる「引きこもり」状態で、親にも見放されているのが、彼の現状であった。唯一、ネット世界のみに自分の生きがいを見い出した彼は、一日中パソコンをネットに接続して、キーボードと格闘している。彼にとって、偉大な表現者である中禿樹先生が、インターネットサイトの「中禿樹を撃つ!」で批判の嵐に晒されているのは、断じて許せることではなかったのだ。

「ククククク、YKとかいうやつは、大分おかしくなっているんだな。もう一押しで、叩きつぶせるんだな」

 書き上げた文章を投稿しようと、リターンキーを押そうとしたその時だった。突然、窓ガラスが粉砕され、強烈な爆風が部屋の中に吹き込んできたのである。もちろん、ラード・リオンはひとたまりもなく、爆風に吹き飛ばされて部屋の壁に打ち付けられ、気を失ってしまった。

「あ~あ、またとばっちりだ。本当に自衛隊のやることは酷いな」
「まあ、これも五人姉妹の言いなりになっている日本政府の責任ですからね。僕らが気に病む必要はありません」
「でもさあ、この部屋の主、こんな真っ昼間からパソコンに向かい合って、何していたんだろ?こういうのとは、あまり友達にはなりたくないなぁ」
「また来たよ、早く逃げないと」

 堂竜兄弟は、部屋ごと吹っ飛ばされ、気を失って倒れているラード・リオンに一遍の同情も示すこともなく、自衛隊のヘリから逃れる為に走り出した。

 自分でこれ(↑)を書いておいて言うのも酷い話ですけど、こんな「フィクションの表現方法」は、ロクなもんじゃないですねぇ。「書くな」と言われても、仕方ないと思いますよ。本当にね。

親記事No.3325スレッドの返信投稿
board4 - No.3380

ちょっとだけ

投稿者:石井由助
2002年12月20日(金) 17時33分

この件に関しては3284で新Q太郎さん…じゃなかった、阿Q太郎さんが大変うまいことを言っておられますね。

ttp://bbs3.otd.co.jp/318375/bbs_plain?base=3284&range=1

> そして、対等の関係であるならば、「こんな商品を作るな」という言葉はいくらなんでも失礼に当たりませんか?(せめて、~した方がいい、でしょう?)。それとも「お客様(=読者)は神様」なんですかね?

親記事No.3325スレッドの返信投稿
board4 - No.3381

Re:もう一度同じ事を言いますが…

投稿者:ロード・レオン
2002年12月20日(金) 18時32分

冒険風ライダーさんへ

> これは反論になっていません。それこそあなたの忌み嫌う「言論の場における妥当性のない主張」の典型でしかありませんね。
> 今まで述べてきたように、あなたの言う「内容」とやらを批判しようとしたら、内容の如何を問わず「フィクション小説中にノンフィクション評論を挿入する『表現方法』」によって田中芳樹が責任逃れをしてしまえる「客観的事実に基づいた構造的問題」が存在するわけなのですから、むしろ「内容」を批判するためにこそ、「フィクション小説中にノンフィクション評論を挿入する『表現方法』」を排除する必要性があるのです。そのような「表現方法」の問題を放置して「内容」とやらを批判したところで、「客観的事実に基づいた構造的問題」に基づいて田中芳樹に逃げられてしまうだけではないですか。
> それに前の投稿でも言いましたが、あなた自身がNo.3368で、「フィクション小説中にノンフィクション評論を挿入する『表現方法』が抱える『客観的事実に基づいた構造的問題』で田中芳樹を免罪する」というテーマを自ら実践してしまっていることを無視して「その表現方法自体が否定される必然性はない」と述べたところで、そんなものは矛盾に満ちた自爆発言以外の何物でもないでしょうね。自分の投稿No.3368で展開されている「客観的事実」くらい、きちんと尊重してはいかがですか?

内容の批判に対して、もし田中氏が責任逃れをしたとしたら、それはその内容自体が正しくないこと(批判が正しいこと)を田中氏自らが認めるに等しいのですから、それでかまわないのではありませんか? 冒険風ライダーさんは、いったいそれ以上の何を求めているのでしょうか? こちらがあくまでも正しい指摘・正しい批判・正しい主張をしさえすれば、いくらフィクションと銘打っていたとしても、結局のところ逃れることはできないのです。それで十分ではありませんか? 田中芳樹が責任逃れをすることなど心配する必要は全くないんですよ。
たとえ、「それはフィクションです」と言われたとしても、それは逃げられたのではなく、その表現が文字通り「虚構」の内容であり、現実とはかけ離れた内容となっている、ということですから、批判の目的は十分に果たしているのではありませんか?

ちなみに、冒険風ライダーさんたちが、表現された内容だけでなく、「フィクション小説中にノンフィクション風の評論を挿入する表現方法」についてまで批判・否定するのは、火事になる可能性があるから火は使っちゃいけないとか、傷害事件に利用される可能性があるから包丁を使ってはいけない、と主張するようなものですよ。批判すべきは、あくまでも火事・暴力行為なのであって、火や包丁そのものではありませんよね。

>> 「評論」がストーリー&作品設定を崩壊させているとしたら、それは田中氏の不手際であり、その田中氏の不手際を批判するのは当然のことです。しかし、「評論」が必然的にストーリー&作品設定を崩壊させるということが明確に示されない限り、「評論」を挿入する表現方法自体を批判するのは行き過ぎだと考えています。

> 「管理人の本論3 作品理論をぶち壊す創竜伝の時間構成」や「管理人の本論7 トンデモ本の世界」などでは証拠になりませんか? あと、創竜伝10巻で竜堂兄弟が「敵方である牛種の本拠地である」イギリスおよびイギリスの民主主義体制を手放しで絶賛し、日本を罵る評論を唱えまくる展開も、ストーリー&作中設定と大きく矛盾した行為としか言いようがないですね。他にも色々あったように思いますが、大きなところと言えばこんなところでしょうか。

「管理人の本論3 作品理論をぶち壊す創竜伝の時間構成」については、確かに現実世界と小説世界をリンクさせる手法の弊害が出ていますね。ただ、これは作者が注意深ければ回避できた問題であると思います(表現内容の自由度は減りますが)。まあ、内容の整合性を取りにくいので、そういう手法は使わない方がイイですよ、くらいは言えるでしょうけど、内容の整合性が必然的に崩壊する、とまでは言えませんね。
それから「管理人の本論7 トンデモ本の世界」については、少し前に一部で話題になっていた月着陸疑惑に関連した内容になっていますね(月着陸関係の写真・映像には、はためく星条旗も含めて確かに変なものも少なくありませんよ)。この中で管理人さんは『8巻を読んだ時点だと、「なるほど、月には空気があって、そこに天界があるのか」と思わせる展開になっている』とお書きになっていますけど、紹介された第8巻の文章を読むと、どうもそうは読めないんですよね。第8巻の文章では、3つの見方が列記されていますが、あの書き方を見た限りでは、一番最後の見方に重点が置かれているように読めます。したがって、必ずしも『「なるほど、月には空気があって、そこに天界があるのか」と思わせる展開になっている』とまでは言い切れないのではないでしょうか?(まあ、これは単なる僕の印象ですけど)。
イギリスについては、確かに不用意な設定だったかも知れません。

ちなみに、管理人さんは「管理人の本論3 作品理論をぶち壊す創竜伝の時間構成」の中で、『善意に考えれば、創竜伝の世界では、現実世界で起こったことが、現実世界の数倍の凄まじさで、あたかもビデオの早送りのように起きたのだと解釈することが出来る。この場合、現実世界と創竜伝世界では社会の変革を構成する下部構造が全く異なってくるから、創竜伝に出てくる評論・解説は何の意味もないことになるのだが・・・』と書いていますが、取りあえずはこれが「正規(=作者推奨)」の読み方なんじゃないでしょうかね(矛盾を最小限にする、という意味で)。結局、創竜伝に出てくる評論・解説には何の意味もなく、まともに議論するに値しないもの、ということではありませんか?(もともとフィクションなんですし)。
ただ、違う読み方をするとしても、それは言うまでもなく読者の自由ですけど。

> 残念ながら、田中芳樹自身が作中の評論についてそのような基本スタンスを表明したところで、「フィクション小説中にノンフィクション評論を挿入する『表現方法』」によって田中芳樹が責任逃れをしてしまえる「客観的事実に基づいた構造的問題」は相も変わらず存在し続けますので、田中芳樹がいつでも責任逃れできる構造は何も変わらず、したがって「そのような表現方法は止めるべき」という主張を撤回する必然性は全く認められません。

それはおかしいでしょう。田中氏自身が「評論」=「自らの主観的意見と判断に基づいた現実世界に対する批判」と明言したのであれば、「評論」を田中氏自身の意見・主張と受け取ることに、何ら障害はなくなります。田中芳樹が責任逃れをしてしまえる「客観的事実に基づいた構造的問題」が相も変わらず存在しようと、田中氏が自ら認めたのですから、これほど確かなことはありません。なぜ、田中氏のその発言を過小評価するのか分かりません。

> むしろ、そのような表明は「田中芳樹が例の表現方法の『客観的事実に基づいた構造的問題』など百も承知の上で、読者を自分の論調でミスリードするため、『意図的かつ確信犯的に』あのような表現方法を行っていた可能性が高い」ことを示唆するものですらありえるため、道義的・倫理的な責任は却って重くなります。

その場合、そのような「告白」はしないのでは?

> 加えて田中芳樹は、タナウツだけでなく、自分の元に届く手紙にファンレターでも展開されているであろう自らの作中評論に対する反論に対して、誠実な回答・反論といったリアクションをマトモに行う気など全くないようにしか見えないのですからなおのことでしょう。

まあ、返事を強制する訳にもいきませんしね。ただ、返事がない=批判を認めている、と受け取ることは出来ますね。

> しかも対談本やエッセイ本に書かれている内容なんて、田中芳樹ファンでさえ知っている人があまり多くありませんから、仮に田中芳樹自身が「フィクションという免罪符」を駆使しなかったとしても、田中芳樹を擁護するファンがそれを使うことは充分にありえることなのですよ。現に例の「表現方法」を盾にして田中作品を擁護しようとするファンはタナウツ設立以来途絶えた事がありませんし、No.3368でロード・レオンさん自身もまたそれを実践していましたからね~。何も知らないファンのそのような作品を貶める愚劣な行動を是正するためにも、田中芳樹は例の「表現方法」を止めるべきだと私は思うのですけど。

それを言うなら、こういう場で、もっと『田中芳樹自身がそれらの評論を「自らの主観的意見と判断に基づいた現実世界に対する批判」として書いていることを自ら告白している』という「事実」を強調すべきなのでは? 「表現方法」などとは関わりなく田中氏は責任逃れすることなんて出来ない、ということをです。
それにもかかわらず、『田中芳樹が責任逃れをしてしまえる「客観的事実に基づいた構造的問題」』なんかを、いつまでも問題にしているのでは、かえって逆効果ですよ。

ただ、ご紹介いただいた1987年の週刊現代9月26日号のインタビュー記事を読んだ限りでは、冒険風ライダーさんの認識とはやや違うように思えますね。「いざ始めてみると、現実感覚が強くつきまとうので、小説独自の世界をつくりだすのが、なかなかの難物」「ほとんどが想像の世界の産物です。エンターテイメントで行くというのが僕の基本姿勢ですから。面白く仕立てるために、政治家や官僚を登場させたんです」という表現からは、評論風の部分もあくまでもフィクションに過ぎない、と言っているように読み取れるんですけど・・・(ただ、教育問題については、かなり真面目に評論しているようですね)。まあ、他の文章ではどうか、分かりませんけど。

> それからもう一度言いますけど、IKさん関連に関しても、IKさんはあなたがNo.3335で最初に主張していた「作家は主観的発想に基づいて何を言ってもかまわないが、『書くな』という表現『自体』を読者が作家に対して主張するのは【理由の如何を問わず無条件で】止めるべき」という内容について反論しているだけであって、途中からあなたがIKさんにさえも無断かつ勝手にスライドさせた論点「批判する際にはそれなりの根拠を挙げて発言するべきである」に関しては、何度も言うようにIKさんも特に異論はないように見えるのですがね。何でIKさんの主張を意図的に誤読(としか思えない読み方を)してまでIKさんに変なレッテル貼りを行おうとするのか、私には全く理解できません。

僕のNo.3335の主張は、「『書くな』という表現『自体』を読者が作家に対して主張するのは【理由の如何を問わず無条件で】止めるべき」ではなくて、「『書くな』という表現『自体』を読者が作家に対して主張するのは【原則として】止めるべき」です。もちろん、例外が常に存在し得ることは認識していましたよ。
それから、僕がIKさんを批判しているのは、根拠の明確でない「書くな」という発言をすることをあくまでも擁護しているからです(「批判する際にはそれなりの根拠を挙げて発言するべきである」に関しては同意しているのかも知れませんが)。

> あなたの最初に発言していた本来の主張内容が、「作家は主観的発想に基づいて何を言ってもかまわないが、『書くな』という表現『自体』を読者が作家に対して主張するのは【理由の如何を問わず無条件で】止めるべき」であった(すくなくともそう解釈されかねない文章であった)ということは、あなたの一連の投稿を見れば分かりますよ。(中略)そして、「明確・客観的で妥当性のある理由があるのなら、「書くな」と言ってもかまわないこともあるでしょうが」と、「書くな」という言葉を作家に対して使う事を条件つきながら初めて認めたのはNo.3358以降になってからのことです。

あのー、No.3342の『その表現が「他人をこき下ろす」だけのものであるならば、確かに「やめるべき」と言ってもかまわないでしょう』という表現で、正当な理由があれば「書くな」という言葉を作家に対して使う事を認めているんですけど・・・。そう読めませんかね。

> したがって、一連の議論で双方の解釈が合わずに混乱をきたしている原因は、論争相手にすらも無断かつ勝手に論点を変えてしまったロード・レオンさんの方にこそ非があるのではないかと思われます。

したがって、上記の見解は、残念ながら冒険風ライダーさんの勘違い、ということになりますね。例外があり得ることは、最初から認識していました。

> 「批判する際にはそれなりの根拠を挙げて発言するべきである」だったのであれば、それはIKさんも充分に認められていることでもありますし、前半の書き込み不足な投稿でIKさんやROMにあらぬ誤解を与えてしまったことを公式に認めた上で、和解なり謝罪なり、いずれにしても何らかの対処を行うべきなのではないでしょうか。

現在、IKさんからの、『「書くな」という意見の妥当性』の提示を待っているところでして、それを見てから、また判断したいと思っています。長々と、どうもありがとうございました。

親記事No.3325スレッドの返信投稿
board4 - No.3382

Re:もう一度同じ事を言いますが…

投稿者:IK
2002年12月20日(金) 23時26分

私事ですが少々たてこんでおりまして、ロード・レオンさんの、

>IKさん、余り無理をしない方がイイですよ。

とのお言葉に甘えまして、私事の方を優先さています。来週のあたまにはレス出来るかと思いますが、どうぞ私のことは構わずにお続け下さい。

親記事No.3325スレッドの返信投稿
board4 - No.3383

Re:遅レス恐縮です

投稿者:ロード・レオン
2002年12月21日(土) 00時55分

S.Kさん、お返事ありがとうございます。

> “「こんな商品を作るな」という表現”は精々「悪評」止まりです。「悪評」の効能を過小評価はしませんが、「全否定」には程遠いですね。

「悪評」というのは悪い批評ですよね(この場合「悪い評判」という語義は不適切なので省きます)。そして「批評」というのは「事物の善悪・優劣・是非などについて考え、評価すること」であって、普通は「~は良い」とか「~は悪い」とか「~は面白い」とか「~はつまらない」とかいう表現になりませんか? 「こんな商品を作るな」という表現は、どうも「評価」の範疇を超えているように思えるんですよ。「この商品は悪い、つまらない」だったら、まだイイんですけどね

>加えて「表現」は「作家の権利」ですが「評価」は「読者の権利」です。どちらか一方のみが否定される状況を「片手落ち」と呼びます。

これは同意見ですね。そして、「作家の権利(表現)」を(何ら根拠も示さないで)認めない「評価」については批判されても仕方ないと考えます。

>> いや、実際は「相手にしてない」かも知れませんが、表面上は否定的意見を許容していると見なすしかない、ということです。これは、この掲示板と田中氏との関係と同じですよ。
>>
> しかしロードレオンさんは上記の定義を最初からはこの掲示板での論議に当てはめて評価する気はなかったのですよね、そうは仰っておられなかったのですから。
「ダブルスタンダード」とまでの失礼を申し上げる気はありませんが、意識的か無意識かに関わらず「不正直」であったことは御留意ありますよう。

「上記の定義を最初からはこの掲示板での論議に当てはめて評価する気はなかった」ということがどういうことか良く分からないのですが、不適切な内容があったのであれば謝罪したいと思います。

> ロードレオンさんのIKさんへの一連のレスも相当に上記「狭量」関連は最低限私はそういう発言だと評価しております。

よく分かりませんが、僕の発言が狭量だと受け取られかねない、ということですか?
僕は、正否を出来るだけ厳密に判断したいと思っていますが、正しい指摘なら受け入れる用意はありますよ。もちろん、誤解することもあるでしょうけど。

> 主人公側の登場人物の科白で「文化大革命の意義とその実行指導者の正当な評価には五十年の時間が必要」という大意のものがありまして、家族の小市民的幸福のために世界(の実力者)を敵に回している竜堂四兄弟はこれを聞いて発言者の老人の見識に関心するという一幕がありました。
> 先に述べた小市民の自衛権でお騒がせに拍車をかけている竜堂四兄弟の主張としては「それで紅衛兵に粛清された市民や知識人、大勢の中国人達に今すぐ聞いてこい、爺い」と袋叩きにするくらいが物語の整合性とか一貫性という物だと私は思います。

五十年後には毛沢東も失政で糾弾される、ということじゃないですか? という冗談はさて置き、これは確かに素直には首肯できない部分ですね。

> ある意味これなどは重箱の隅ですが、こういった具体的な作品内容とそれに対するこのHPでの評価に対する反論・別観点の提示などにそろそろ話を移行して下さった方がお互いに有益な論議になるかと考えますが。

この一連の議論も全くの無意味とは思っていませんけど。

> しかしロードレオンさんは田中氏の執筆内容・執筆姿勢に特に疑問はなく、翻って田中氏の作品(特に近年)のそうした点を疑問視するこのHPの議論は「全否定であり客観性を欠く」と評価なさる訳です。

これは、S.Kさんの誤解です。「創竜伝の政治・社会批評(?)は風刺とは言えないし、品性が低い(箇所がある)のかも知れません(3335)」と執筆内容に問題があることは認めていますし、「小説をなかなか完結させないこと」が執筆姿勢に含まれるとしたら、それについても大いに批判したいですね。ですから、正当な疑問・批判でしたら、「全否定であり客観性を欠く」などということは言いません。

> ロードレオンさんは「自分はIKさんに高飛車な言いがかりをつけられている」と「主観的に」解釈なさっておいでですね。

これも違いますね。少なくとも僕は「IKさんに高飛車な言いがかりをつけられている」などと思ったことはありません。

> そうでなければ「誠実に異論のすり合わせを行おうとしている相手を小馬鹿にしている」貴方の論調は「客観的に」説得力のかけらもありませんね。一度御自分が何かを誤解していないか再考察された上でこの議論を続ける事をお勧めします。

誤解していると思われる点があるのでしたら、遠慮なくご指摘願います。

親記事No.3325スレッドの返信投稿
board4 - No.3384

Re:掲示板伝2

投稿者:ロード・レオン
2002年12月21日(土) 03時15分

不沈戦艦さんへ

> 自分でこれ(↑)を書いておいて言うのも酷い話ですけど、こんな「フィクションの表現方法」は、ロクなもんじゃないですねぇ。「書くな」と言われても、仕方ないと思いますよ。本当にね。

まあ、僕の個人的な感想としては、確かに余り品のいい内容とは思えませんでしたけど、評価してくれる読者がいないとも限りませんし、第三者からは「書くな」とまでは言えないでしょうね。
ただ、自分で『「書くな」と言われても、仕方ないと思います』などと言うくらいであれば、最初から書くべきではなかったのかも知れませんけど。

親記事No.3325スレッドの返信投稿
board4 - No.3385

Re:ちょっとだけ

投稿者:ロード・レオン
2002年12月21日(土) 03時16分

管理人さんへ

> この件に関しては3284で新Q太郎さん…じゃなかった、阿Q太郎さんが大変うまいことを言っておられますね。

should notでも強過ぎるように思いますね。had better not程度が適当なところではないでしょうか。

親記事No.3325スレッドの返信投稿
board4 - No.3386

Re:もう一度同じ事を言いますが…

投稿者:ロード・レオン
2002年12月21日(土) 03時22分

IKさんへ

> 私事ですが少々たてこんでおりまして、ロード・レオンさんの、
>
>> IKさん、余り無理をしない方がイイですよ。
>
>とのお言葉に甘えまして、私事の方を優先さています。来週のあたまにはレス出来るかと思いますが、どうぞ私のことは構わずにお続け下さい。

年末でもありますし、当然のことです。気になさらないで下さい。
ただ、お戻りの際には、『彼らなりの「妥当性」』というのを教えていただけると助かりますので、出来ましたらよろしくお願いいたします。

親記事No.3325スレッドの返信投稿
board4 - No.3387

Re:ちょっとだけ

投稿者:Ken
2002年12月21日(土) 06時37分

ロード・レオン様、

> should notでも強過ぎるように思いますね。had better not程度が適当なところではないでしょうか。

阿Q太郎さんは、「should not」を「must not」よりも、「弱い」表現として挙げられたのではありません。そうではなくて、この両者は、強制力の主体が異なるのです。

「must」といいますと、当事者に選択の自由がありません。

(1)You must stop when the light is red.(赤信号では止まらねばならない)
(2)All guests must vacate their rooms by 12 noon.(お客様には正午までに部屋をお空け願います)
(3)Health care insurance must be affordable.(健康保険料は、支払える程度の額であるべきだ)

というふうに用いられます。(1)は道路交通法、(2)はホテルの規定、(3)は政策を述べたものですが、いずれの場合も、ドライバーや宿泊客や保険会社に選択の余地を与えておりません。これらは、当事者以外のなにものかによる強制です。

これに対して「should」は、当事者が自らに課する義務を表します。

(4)I should survive.(生き残ってやるぞ)
(5)You should get more exercise.(お前、運動不足だぞ)
(6)The report recommended that children should be tested regularly.(報告書は、子供たちを定期的な試験にかけることを、勧めた)

(4)は意思表明、(5)と(6)はアドバイスです。ポイントは、その人が生き残らなくても、言われた方が運動をしなくても、学校が定期試験をやらなくても、それは当人の自由であり、当人の責任で決めることです。

繰り返しますが、これは「強い」「弱い」の違いではありません。「正午までに部屋を空けてください」と「生き残ってやるぞ」では、後者のほうが「強い」意志を表しているでしょう。そうではなくて、前者は当事者以外による強制、後者は当事者の意思もしくは意思決定を助けるための材料の提供です。

そして、インターネットの掲示板という場で行われる限り、どんなに強い表現であろうとも、本質的に後者でしかありえないのです。IKさんが、

>私が執筆権を言葉で否定しようが、選択するのは田中芳樹さん個人です。

と言われるのは、そのことを指摘しておられます。

[should]と「better」の違いは、強弱といえばいえないこともありません。「better」の用法としては、このようなものがあります。

(7)Such things are better left unsaid. (そういうことは言わないほうがいいのでは)

ただ、「should」を使うか「better」を使うかを判断するとき、使用者が考慮するのは、主に情緒的な面での人間関係だと思います。「shouldでは相手の気分を害するかもしれないから、betterにしておこう」という具合にです。これは「must」と「should」の間にある本質的な違い――強制力をもつかもたないか――とは、性質が異なります。要するに、「書くな」という発言をネット掲示板でする人がいても、発言者が田中芳樹氏との間の人間関係が損なわれるリスクを承知の上でやるのなら、それはその人の問題で、あなたや私が(個人レベルでは、私もIKさんと同様に、「書くな」という発言に賛同しておりません)、干渉することではないと思います。

親記事No.3325スレッドの返信投稿
board4 - No.3388

Re3381:「責任の取り方」について

投稿者:冒険風ライダー
2002年12月21日(土) 12時25分

<内容の批判に対して、もし田中氏が責任逃れをしたとしたら、それはその内容自体が正しくないこと(批判が正しいこと)を田中氏自らが認めるに等しいのですから、それでかまわないのではありませんか? 冒険風ライダーさんは、いったいそれ以上の何を求めているのでしょうか? こちらがあくまでも正しい指摘・正しい批判・正しい主張をしさえすれば、いくらフィクションと銘打っていたとしても、結局のところ逃れることはできないのです。それで十分ではありませんか? 田中芳樹が責任逃れをすることなど心配する必要は全くないんですよ。
たとえ、「それはフィクションです」と言われたとしても、それは逃げられたのではなく、その表現が文字通り「虚構」の内容であり、現実とはかけ離れた内容となっている、ということですから、批判の目的は十分に果たしているのではありませんか?>

 どうもあなたは「責任の取り方」というものが根本的に分かっていないようですね。そんな簡単なことで「自己責任」というものが果たされるのであれば誰も苦労はしませんよ。
 まず「批判が正しいことを田中芳樹自らが認める」は「責任を取る」ということとイコールではありません。それは「責任を取る」という観点から見ればまだ最初の第一ステップでしかなく、さらなる第二、第三ステップを経なければ、「責任を取る」とは到底言えたものではないのです。
 いいですか。タナウツにおける田中芳樹&田中作品批判の意図と目的は「田中芳樹を撃つ!FAQ」の設問1に書かれているように、
「田中芳樹が、自らの作品および作中の『評論もどきの自己主張』に対してきちんとした『作家としての責任』を取り、かつての銀英伝を執筆していた頃の田中芳樹に戻ってくれること」
 にあるのですし、また設問9でも「発言には責任が伴わなければならない」ということが繰り返し明記されています。そしてタナウツは、設問1で掲げられている目的を達成しなければ、設問2に書かれている真の最終目的「存続理由の消滅による自己否定」に到達することができないのです。
 そして「責任」という言葉の定義は次のように定められています(サーチエンジン「goo」の国語辞典)。

せきにん【責任】
(1)自分が引き受けて行わなければならない任務。義務。「―を果たす」「保護者としての―」
(2)自分がかかわった事柄や行為から生じた結果に対して負う義務や償い。「―をとって辞職する」「だれの―でもない」「―の所在」「―転嫁」
(3)〔法〕法律上の不利益または制裁を負わされること。狭義では、違法な行為をした者に対する法的な制裁。民事責任と刑事責任とがある。

 これを見れば分かるように「責任を取る、取らせる」という言葉は、上記3つの定義のいずれかを何らかの形で満たした場合にのみ初めて成立するものです。
 これは会社の不祥事などを例にしてみると分かりやすいでしょう。会社で何らかの不祥事が発生し、内部告発なりマスコミの報道なりでそれが明るみに出、しかもそれが弁護の余地の全くないものであった場合、会社は不祥事の存在を「公的な場で」認めた上で、今後の再発防止に努めることを誓うと共に、不祥事に関わった社員や役員を処罰したり、最高責任者である社長が辞任したり場合によっては消費者や株主に対して会社として謝罪や賠償を行ったりすることによって、初めて「責任を取った」と世間一般に認めてもらえるのです。この場合、「不祥事の存在を会社が認める」というのは、責任を果たすための最初の第一ステップであるに過ぎず、そこから先の様々なペナルティを課せられるステップこそが「責任を果たす」という概念の本番なのです。
 これを田中芳樹に当てはめると、田中芳樹が行わなければならない「責任の取り方」とは、まず「田中芳樹がこれまでかかわった事柄や行為から生じた結果」すなわち作中のストーリーや社会評論の正当性を「公的な場で」訴えるか、そうでなければそれらが間違ったもの、悪い影響を与えるものであったことを(「暗黙の了解」ではなく)「公的な場で」認めた上で、二度と同じ間違いを繰り返さない事を誓うと共に、自分が犯した結果に対する何らかの償いや罰などといったペナルティを自らに課し、さらに自らに課したペナルティや誓いをその後ひたすら忠実に実行していくことが必要不可欠でしょう。
 「責任を取る」とは本来そういうことなのです。もちろん、田中芳樹に課せられるペナルティの内容とか妥当性などといったものについてはまた別に論じられるべきことですが、すくなくとも「責任を取る」条件の第一ステップ「田中芳樹が自分の作品や作中の評論について間違いを認めた」を満たしただけでは「田中芳樹が作家としての責任を取った」ということには全くなりません。反論するなり自らにペナルティを課すなり、何らかのリアクションを行わない限り「無責任」ないしは「責任逃れ」のそしりは免れないでしょうし、仮に間違いを認めたとしても、反省もせずにまた同じ事を繰り返すのでは元の木阿弥でしかなく、「責任を取った」とは到底言えたものではないのですから。
 そして「フィクション小説中にノンフィクション評論を挿入する『表現方法』」には、この一連の「責任を取る」諸々の手続きを、まさに「フィクション」という「葵の印籠」でもって全て無に帰せしめ、田中芳樹の発言責任を全て免罪してしまう「客観的事実に基づいた構造的問題」が存在するのです。まさにロード・レオンさん自身がNo.3368でそのことを忠実に実践してみせたように。だからこそ、田中芳樹に「作家としての責任」を取らせ、また今後第二・第三の田中芳樹を誕生させないためにも、田中芳樹自身の主観の有無に関わらず「フィクション小説中にノンフィクション評論を挿入する『表現方法』」は排除されなければならないのです。
 「責任を取る」という概念の実態と重要性、および「フィクション小説中にノンフィクション評論を挿入する『表現方法』」が抱える「客観的事実に基づいた構造的問題」の本質、これでお分かり頂けましたか?

<それはおかしいでしょう。田中氏自身が「評論」=「自らの主観的意見と判断に基づいた現実世界に対する批判」と明言したのであれば、「評論」を田中氏自身の意見・主張と受け取ることに、何ら障害はなくなります。田中芳樹が責任逃れをしてしまえる「客観的事実に基づいた構造的問題」が相も変わらず存在しようと、田中氏が自ら認めたのですから、これほど確かなことはありません。なぜ、田中氏のその発言を過小評価するのか分かりません。>
<それを言うなら、こういう場で、もっと『田中芳樹自身がそれらの評論を「自らの主観的意見と判断に基づいた現実世界に対する批判」として書いていることを自ら告白している』という「事実」を強調すべきなのでは? 「表現方法」などとは関わりなく田中氏は責任逃れすることなんて出来ない、ということをです。>

 もちろん私としては、田中芳樹が犯してしまった「間抜けな失言」は今後とも最大限に活用させてもらうつもりですよ。No.3368に書かれているようなことを主張する人に対しては、あの「間抜けな失言」はまさに理想的な反論として使用することができるのですから。
 しかし、私はそれと同時に「フィクション小説中にノンフィクション評論を挿入する『表現方法』」が抱える「客観的事実に基づいた構造的問題」もまた非常に重要な問題であると認識していますし、また何度も言うようにこの問題は田中芳樹個人の主観云々とは別に論じるべき問題であるとも考えています。こちらにもまた「客観的事実に基づいた構造的問題」が存在するということは前述の通りですし、何よりもNo.3368が「客観的事実に基づいた構造的問題」を忠実に実践している立派な「物的証拠」として存在していますからね。
 それから「表現方法などに関わりなく、田中芳樹は責任逃れができないことをこの場で強調するべきでは?」という意見に関しては、「すでにやっています」とだけ答えておきましょうか。ただ、この手の宣伝は即効性というものがあまりないので、効いてくるのに時間がかかってしまうものなのですけど。

<僕のNo.3335の主張は、「『書くな』という表現『自体』を読者が作家に対して主張するのは【理由の如何を問わず無条件で】止めるべき」ではなくて、「『書くな』という表現『自体』を読者が作家に対して主張するのは【原則として】止めるべき」です。もちろん、例外が常に存在し得ることは認識していましたよ。
それから、僕がIKさんを批判しているのは、根拠の明確でない「書くな」という発言をすることをあくまでも擁護しているからです(「批判する際にはそれなりの根拠を挙げて発言するべきである」に関しては同意しているのかも知れませんが)。>

<あのー、No.3342の『その表現が「他人をこき下ろす」だけのものであるならば、確かに「やめるべき」と言ってもかまわないでしょう』という表現で、正当な理由があれば「書くな」という言葉を作家に対して使う事を認めているんですけど・・・。そう読めませんかね。>
<したがって、上記の見解は、残念ながら冒険風ライダーさんの勘違い、ということになりますね。例外があり得ることは、最初から認識していました。>

 まず、No.3342の文言に関しては、その文脈から「作家『のみ』に対して向けられたもの」としか解釈できませんでした。この文章の後すぐに「しかし、それは『小説中に「個人的な趣味」にすぎない評論を挿入する悪癖を止めるべき』と同じことではありませんよね」という、どう見ても最初の発言と「対」をなす文章が書かれていましたし、第一、もしこれが読者側にも向けられたものであるのならば、読者側もまた「『作家をこき下ろすから』という理由さえつけておけば、作家に対して好き勝手に誹謗中傷を行ったり、『書くな』と言い放ったりしてもかまわない」ということになってしまい、あなたの主張する「批判する際にはそれなりの根拠を挙げて発言するべきである」と大きく矛盾してしまうではありませんか。だから私はあなたの挙げた文言についてはカウントしなかったのですけど。
 それとですね、ロード・レオンさんは「例外があり得ることは、最初から認識していました」と書かれていますけど、No.3358に至るまでの投稿をざっと見た限りでは、そのことがほとんどと言って良いほど他人に伝わらない、もしくは非常に伝わりにくい文章になっています。「そんなことは書かなくても分かるだろう」とあなたは仰られるかもしれませんが、すくなくとも自分の事を誰も知らない人が集まっているところで初対面の相手と初めて議論する際には、最初の段階でクド過ぎるぐらい慎重に文章を書き、注釈とか例外とかいったものを特に強調しておかないと、相手にあらぬ誤解を与えてしまうことが多いものなのですよ。実際、私もあなたの文章の意図を(あなたの目から見れば)間違って解釈していたのでしょう? そういうことで相手が誤解し、人間関係がこじれてしまうという話は決して珍しいことではないものでしてね。
 今回のIKさんとあなたの議論で起こったすれ違いもまた、そんな一見当たり前に見える些細な文章の省略が原因で起こったのではないかと私は思うのですけどね。やはり私の目には、両者の主張の間にそれほど大きな違いがあるようには見えないのですし。
 それから、

<現在、IKさんからの、『「書くな」という意見の妥当性』の提示を待っているところでして、それを見てから、また判断したいと思っています。>

 ↑に関してですけど、例の「書くな」という件に関しては、そもそもロード・レオンさんの方が先に「田中芳樹を撃つ!FAQ」の設問5から一方的に引っ張り出してきたものなのですし、IKさんはその意見に必ずしも与しているわけではないと明言しているのですから、IKさんに対して「『書くな』という意見の妥当性」なるものを求めるのはいささか筋違いなのではないですかね? 何度も言っていますけど、IKさんが一貫して述べていた主張は、あくまでも「読者側もまた『主観的に作家に対して意見を述べること【自体】』は『言論の自由の範囲内』にあり」かつ「作家側・読者側共に自分の発言には責任を取らなければならないし、意見の開陳によって自分が他者から反論されたり、場合によっては断罪されたりすることもまた当然である」というものなのですし。
 「『書くな』という意見の妥当性」に関しては、むしろ私とあなたでやり取りしている例の「フィクション小説中にノンフィクション評論を挿入する『表現方法』」関連の議論や、不沈戦艦さんの投稿No.3379のリフレク小説「掲示板伝2」などで、すでに充分すぎるほど開陳されており、それでも充分に代替可能だと思いますので、上記の件と併せて、IKさんに対する要求は取り下げても良いのではないでしょうか?

親記事No.3325スレッドの返信投稿
board4 - No.3389

Re:遅レス恐縮です

投稿者:S.K
2002年12月21日(土) 16時50分

ロードレオンさん、どうもです。
もう少し解説を入れておきましょう。

>
> 「悪評」というのは悪い批評ですよね(この場合「悪い評判」という語義は不適切なので省きます)。
>
いいえ、悪評とは「“悪い”という評価」です。
そして悪いと判断したならそう評価する事自体は何の問題もありません。
「悪い批評」などと形容したら「的を射ていない批評」の事のようではないですか、それはこの話の流れとして非常に不本意です。
>
>そして「批評」というのは「事物の善悪・優劣・是非などについて考え、評価すること」であって、普通は「~は良い」とか「~は悪い」とか「~は面白い」とか「~はつまらない」とかいう表現になりませんか? 「こんな商品を作るな」という表現は、どうも「評価」の範疇を超えているように思えるんですよ。「この商品は悪い、つまらない」だったら、まだイイんですけどね
>
「存在価値を認められない」という評価は十分成立します。
仮に「どんな物でも存在価値を否定してはいけない」なら、ロードレオンさんの「『書いてはいけない』などと書いてはいけない」というIKさんへの要求など存在できる訳がないでしょう。
まあ上記要求自体笑い話レベルの矛盾なのですが。
>
> これは同意見ですね。そして、「作家の権利(表現)」を(何ら根拠も示さないで)認めない「評価」については批判されても仕方ないと考えます。
>
それは同意見ですね
ただし「作家の権利(表現)」を(何ら根拠も示さないで)認めない「評価」とはロードレオンさんの主観の外でこの掲示板上の何処にあるという提示はないので無意味な発言だと思います。
>
> 「上記の定義を最初からはこの掲示板での論議に当てはめて評価する気はなかった」ということがどういうことか良く分からないのですが、不適切な内容があったのであれば謝罪したいと思います。
>
ロードレオンさんは田中氏の創竜伝における政治家誹謗は抗議がないから黙認されていると言いつつ、「田中芳樹を撃つ!」上の批判の一つである「書くな」発言は田中氏が何も言っていないにも関わらず「許されない」に近い意味合いのスタンスを取っておいでですね。
それはないんじゃないですかと思いましたので。
>
> よく分かりませんが、僕の発言が狭量だと受け取られかねない、ということですか?
>
「呼んでいい」と言ったから発言の検証も不完全なうちに「狭量」「ダブルスタンダード」とIKさんを呼ばわるロードレオンさんの礼節や世間知にこそ問題があるように私には見えますので。
>
> 僕は、正否を出来るだけ厳密に判断したいと思っていますが、正しい指摘なら受け入れる用意はありますよ。もちろん、誤解することもあるでしょうけど。
>
では上記のIKさんへの対応についての私の感想をロードレオンさんなりに考察してみて下さい。
その上で「別に非礼とは思わない」という結論でしたらそれはそれで仕方がないでしょう。
以後あまり対話が成立するとは思えないですが、それも又仕方ないでしょう。
>
> この一連の議論も全くの無意味とは思っていませんけど。
>
それはそう思います。
ただし「全く無意味でない」よりは「有意義」な方が良いのではないかなとも思います。
「意義の所在地の決定」はこの件ではロードレオンさんの思われる通りで結構です。
>
> > しかしロードレオンさんは田中氏の執筆内容・執筆姿勢に特に疑問はなく、翻って田中氏の作品(特に近年)のそうした点を疑問視するこのHPの議論は「全否定であり客観性を欠く」と評価なさる訳です。
>
> これは、S.Kさんの誤解です。「創竜伝の政治・社会批評(?)は風刺とは言えないし、品性が低い(箇所がある)のかも知れません(3335)」と執筆内容に問題があることは認めていますし、「小説をなかなか完結させないこと」が執筆姿勢に含まれるとしたら、それについても大いに批判したいですね。ですから、正当な疑問・批判でしたら、「全否定であり客観性を欠く」などということは言いません。
>
 了解しました、この点は誤解を認めてお詫びいたしましょう。
>
> > ロードレオンさんは「自分はIKさんに高飛車な言いがかりをつけられている」と「主観的に」解釈なさっておいでですね。
>
> これも違いますね。少なくとも僕は「IKさんに高飛車な言いがかりをつけられている」などと思ったことはありません。
>
> > そうでなければ「誠実に異論のすり合わせを行おうとしている相手を小馬鹿にしている」貴方の論調は「客観的に」説得力のかけらもありませんね。一度御自分が何かを誤解していないか再考察された上でこの議論を続ける事をお勧めします。
>
> 誤解していると思われる点があるのでしたら、遠慮なくご指摘願います。
>
 まあこれも重箱の隅みたいで恐縮ですが「ご無理なさらないほうが」に続く科白がせめて「良い」ならともかく「イイ」では、真剣に相手を務められている方に対しては嘲弄めいて見えますね。
あと礼儀として「御苦労おかけします」とか「お心遣いいたみいります」位は言った所で「慇懃無礼」と罵倒される事もないでしょうから言ってもいいのではないかと思います。
「気遣い」の範疇ですので強制はしませんが。

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