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- board1 - No.1950
>冒険風ライダーさんへ
- 投稿者:つねひら
- 1999年09月07日(火) 16時26分
はじめまして。ちょっと気になる話題が出てたので書き込みさせて頂きます。
お話が始まって突然力が抜けるようなことを書いて申し訳ないと思うんですけど、冒険風ライダーさんのお話で、
> たかが自衛隊演習ごときで死人が1人出ただけで大ニュースになってしまう日本で一個大隊以上の死人が出てしまったらそれこそ大スクープではありませんか。
とありますが、先月だったかちょっと詳しく覚えていないんですけど、領空侵犯機が来て自衛隊の戦闘機が二機スクランブルした事件がありましたよね?
で、一機行方不明になって帰ってきたということをニュースで聞いたんですけど、この件に関しては大々的に扱われることも続報も聞かないんですが、どうでしょうか? 不気味なくらいこの事件に関しては何も聞かないので、もしかして情報統制?とか思ってみたり。某国の驚異に関心が集まるなかで、領空侵犯機に対し戦闘機が二機スクランブル発進して、一機が行方不明になったら、それこそ大騒ぎになってもおかしくないんですけどね。そこら辺について、冒険風ライダーさんはどう思われますか? 文章の本意とはずれますが、お聞かせいただけたらと思います。
でも、これで続報見逃してただけだったら恥ずかしいなぁ(汗)
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- board1 - No.1951
重ねがさね
- 投稿者:速水右近
- 1999年09月07日(火) 17時20分
不参戦艦氏へ。
重ねがさね申し訳おまへん。さて『創竜伝』の中身なんかほとんど忘れてる
んですが、警官や自衛官、その他国家公務員が
死亡したとき、主人公たちはなにか言ってまし
たっけ?
いくら公務員が“税金泥棒”だとしても、彼ら
だって慎ましい家族はあるだろうし、ある意味
じゃ被害者なんだから。主人公たちが政治家な
んかに“天誅”を加えるのは(娯楽小説だから)いいとしても、その巻き添えで死んじゃった人たちは、どーなるんでしょうかね。まぁ、
ちょっと疑問に思っただけなんですけども。
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- board1 - No.1952
横からですが
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年09月07日(火) 18時56分
>出版業界はそんなに甘い物ではありません。同人誌レベルの意識しかない人間が、生きていけるような世界ではなくまさに夢見がちな小説家を相手にしている現実主義者の集まりで保たれているんです。
>ちなみに同人誌はあんまり良く知らないのですが、少なくとも田中読本を編集なさったライトスタッフの社長さんは締め切りが迫る中で3日も事務所に泊まり込んで仕上げられたそうです。
>その点に関しては、小説家は攻められることがあっても出版および編集の方ががアマチュア気分でやっているということはないのでご心配なく。確か前にどなたかがおっしゃられていたと思うのですが、らいとすたっふの仕事には同人の利用(もちろん合法的に同意を得た上で)が多いと思ったのですが………
マンガと小説を同じ土俵で測ることは乱暴だとも思うのですが、現在のジャンプやマガジンを見ていると、『今、社会全体に蔓延しているアマチュア感覚の大半は同人界が原因です』というホリーさんの意見には感情的に賛成したくなります。 もちろん、出版や編集の人間はビジネスに徹していると思いますが、しかし、だからこそクールでドライに「アマチュア気分」を「商売」として扱える面があるのではないでしょうか。要は、作家サイドと読者サイドにアマチュア気分があれば問題は充分あるわけです。
>作品の質が落ちているとあなたが判断しても、その人には面白いのかもしれないでしょ?これは個人の能力の優劣ではなく単なるこのみの違いだと思います。違うでしょうか?
これに関して私は難問だと言いましたが、それは質の善し悪しと読む側の快不快が必ずしも比例しないからなんですね。卑近な例で言えば、最高の牛肉を使っていっさい妥協をしないで作られた究極の(笑)ハンバーグより、マクドナルドのハンバーガーを好む人は厳然として存在するわけです。これは好みの問題なのだからしょうがないし、批判するには当たらないと思います。
しかし、それが「質の問題」ではないとまでいくと、ちょっと違うと思うのです。
中途半端なところで恐縮ですが、今回はここまでということで。
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- board1 - No.1953
そうだとおもうんですが・・・
- 投稿者:satoko
- 1999年09月07日(火) 23時12分
>管理人さんへ
単に編集・出版の人がシビアに仕事していると言う事がわかって頂ければ良かったんです。
ホリーさんの投稿の中で「謎本や田中読本などを作ってきたのは同人仕上がりの連中では・・・・(中略)きちんと作っている人はまれです。」と言う部分が気になってんです。シビアな意味で同人を商売として取り扱ってるかどうかというより、商品として売り出される物に真剣に取り組んでいるので、同人気分でやってるわけではないと言う事をわかって欲しかったんです。らいとすたっふは「全艦出撃!」のような同人の中で優秀な物を編集したり(でも、これって最初の監修に田中氏だったのがらいとすたっふに変わっていった事考えると田中氏はあんまり乗り気ではないのかなと思うけど。好評だったのに絶版になったし)してますが、基本的に同人が著作権など法律的に違反するものを出さないようにそのあたりを管理していたり、銀英伝とかのイベントを取り扱ってるので同人関係のと言われてるんじゃないでしょうか?
ファンの事についてなのですが、「質の問題」までいくかどうかって言い出すとちょっと時間が・・・(笑)とりあえず、不特定大多数を批判するのってすごく簡単ですが、その中には私たちより年下の世代は「創竜伝」を読んでから「銀英伝」に流れたりする人も多いよ。という事だけ言っておきます。
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- board1 - No.1954
いいんじゃない
- 投稿者:あすか
- 1999年09月08日(水) 07時09分
私は創竜伝しか読んでません。
理由は挿し絵を描いている人(CLAMP)のファンだから。
時間なんかのことは前々から私も思ってました。でもこれは小説だしそれでいいと思う。
あらを探すのも楽しいしね!こういう読者がいてもいいと思うし・・・。楽しく読めればそれでいいじゃない。
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- board1 - No.1955
Re1950・1951
- 投稿者:冒険風ライダー
- 1999年09月08日(水) 08時23分
<某国の驚異に関心が集まるなかで、領空侵犯機に対し戦闘機が二機スクランブル発進して、一機が行方不明になったら、それこそ大騒ぎになってもおかしくないんですけどね。そこら辺について、冒険風ライダーさんはどう思われますか? 文章の本意とはずれますが、お聞かせいただけたらと思います。>
これはマスコミの報道姿勢に原因があると思います。
自衛隊演習中の事故というのは自衛隊の管理責任が問えるので、常日頃から自衛隊を攻撃したがっているマスコミ(代表格はやはり朝日)はここぞとばかりに大々的に報道するのですが、スクランブル発進で戦闘機が行方不明になっても自衛隊を攻撃できないものですから、マスコミの報道も消極的になってしまうんですね(^_^)。
それに加えて、かの事件では戦闘機が中国に撃墜されたという憶測が産経あたりで報道されたものですから、中国べったりな朝日などが報道統制を始めたという一面もあるでしょうね。朝日はテポドン発射の時や3月の北朝鮮の領海侵犯事件の時も北朝鮮べったりな記事や社説を掲載したぐらいですし。「政府の報道統制」というのはほとんど考えられませんが、「朝日の報道統制ないし情報操作」なら3ダースぐらい事例を知っていますから(^^)。
要するに、自衛隊演習中の事故とスクランブル出動の時の行方不明とでは責任の所在も事情も違うため、報道姿勢も違ってくるというのが私の考えです。朝日新聞を始めとする日本の左翼マスコミは、自衛隊を攻撃できる時は小さなことでも大々的に報道し、そうでない時、もしくは自衛隊の利益になると判断した時は逆に大スクープでも小さく報道するという癖がありますからね。
まあかの戦闘機は行方不明になった原因が不明ですから、軽はずみな報道を控えているのかもしれませんが。
スクランブル発進については「軍事認識編」で詳しく書こうと思っていますので、もう少しお待ち下さい。<『創竜伝』の中身なんかほとんど忘れてる
んですが、警官や自衛官、その他国家公務員が
死亡したとき、主人公たちはなにか言ってまし
たっけ?>自分達が叩き潰した自衛官や警官については何も言っておりません(-_-;;)。そして彼らを「権力者の手先」とだけしか見ていないことは、ストーリー描写や社会評論を見れば一目瞭然です。人様に散々「人を思いやる想像力」とやらを説教していながら、自分達にはそれがないのですから、せっかくの正論も説得力が全くありませんな(T_T)。
余計な社会評論を展開しなければ、こんな矛盾を発生させることもなかったのでしょうけどね~。
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- board1 - No.1957
朝日新聞、ついでに
- 投稿者:仕立て屋
- 1999年09月08日(水) 12時28分
毎度、仕立て屋です。
F4だっけかな?あれが行方不明になっていた件に関してマスコミの報道が控えめであったことについての冒険風ライダーさんの見解に付け加えて、ガイドライン法をにらんでの配慮があったのかもしれません(ちょっと時期が前後するかもしれませんが)。もし、行方不明地点が北朝鮮空域であったのならばいざしらず、相手が中国となると下手な報道はできません。ガイドライン法に対する中国の関心には並々ならぬものがありますからね。この件とガイドライン法に関する報道各社の姿勢には、さまざまなものがありますが、例えば、朝日などに限っては、ガイドライン法反対の立場から、下手に日本国民の対外防衛における関心を引くのはまずいと判断したのかもしれません。不信船騒動の際、世論が異常(正常?)沸騰したことを考慮すれば、ガイドライン法の後押しにもなりかねませんからね。また、確か朝日は中華日報と提携して特集記事を連載する予定(もう始まってるのかな?)ですから、中国と、しいては中華日報との間でいざこざの種をつくりたくないのでしょう(わたしの邪推ですが)。
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- board1 - No.1958
はぁ、なるほど
- 投稿者:つねひら
- 1999年09月08日(水) 14時51分
すいません、うち朝日取ってます(笑) いや、あのニュースを見たのはNHKでですが。
でも、新聞ごとにいろんな事情があるんですねぇ。ここまでいろいろと推測できるものとは思ってもみませんでした。新聞に対する人の意見を聞くと、一人暮らしを始めたときにどれを取ろうかえらい迷います。自分にあったものか、複数取るのが良いのかも知れませんけどね。
丁寧なお返事ありがとうございます。あと、非創竜伝ネタですいません(……)。
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- board1 - No.1959
たかがフィクションなんだから……
- 投稿者:速水右近
- 1999年09月08日(水) 23時56分
冒険風ライダー氏へ
やっぱりねぇ。「革命のために犠牲もやむを
得ない」んでしょうか?しかし田中芳樹なんか読まなくなって久しいの
ですが、昨今のノベルズは総体的に変でっせ。
破綻しまくりの『紺碧=旭日』でもベストセラーにまだ残っているのはもちろん、「どーし
てこの程度の作家がプロと言えるの」って言い
たい奴が作家面していますからなぁ。
妙な社会風刺を、しかも登場人物に自分の意見
を語らせるのは、あんまりプロとしてうまいと
は言えないと思いますがね。
ノベルズなんかたかがフィクション、そして純
粋なエンターティメントでいいじゃありません
か? 娯楽を提供するのも恥ずかしい仕事では
ないし、そのなかでどれだけ完成度を高めるか
がプロでしょうに。
ここでやり玉にあげられている御仁や荒巻義雄
みたいに、思想性に執着している作家たちって、なにか娯楽小説家としての誇りが欠落していると思うんだけどなぁ。
このあたり真面目な話、「荒らし」の人たちの
意見も聞きたい。田中芳樹は、「娯楽小説家」
なの、それとも別の“称号”になるの?
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- board1 - No.1972
面白いフィクションを
- 投稿者:不沈戦艦
- 1999年09月09日(木) 15時33分
>たかがフィクションなんだから……
読みたいですよね。そういう意味では紺碧の艦隊・旭日の艦隊は失格でしょう。あれなら同じ作者でも「要塞シリーズ(ニセコ要塞1991、十和田要塞1993、阿蘇要塞1995、琵琶湖要塞1997)」の方が余程面白かったですよ。あとがき大量に書き散らしているのもつまんないし。いつまでも延々とやっているし。アホらしくなったんで途中で立ち読みすらしなくなりましたわ。
田中芳樹の創竜伝もねぇ・・・・・・途中で飽きたのは同じです。まあ、これは個人的感想なんで賛同されない方がいることは解りますけど。しかしどちらも何でベストセラーのままなのか理解に苦しみますな。
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- board1 - No.1974
らいとすたっふ
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年09月10日(金) 16時42分
取引停止処分(不渡2回目)出されたみたいですね。
こりゃ必死になって読本連発しようとしますわな。そのわりにはアルスラーン読本発売延期というあたりが解せませぬが。
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- board1 - No.1975
はじめまして
- 投稿者:わん
- 1999年09月10日(金) 18時01分
このページ、大変おもしろく拝見しました。
私は銀英の同人で田中芳樹の名前を知り、創竜伝、アルスラーン、銀英の順に読んではまった
元ファンです。
SATOKOさんのご意見にはなるほどと思わされましたが、こちらのHPのようなご意見も読みたいです。どっちつかずですみません。
あまり意味のない書き込みですが、記念に。
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- board1 - No.1977
1952続き 少々挑発的暴論気味
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年09月10日(金) 18時40分
もし評論のない、小説としての創竜伝が好きならば、それはそれで良いと思うのです。
キャラ目的だろうと挿し絵が好みだから買おうと、それはそれで良いと思います。私とは正反対の志向ですが、別に否定しようとは思いません。
ですが、それでも銀英伝に比べ創竜伝の小説としての質が落ちるのは明確な事実です。創竜伝を支持する人は、少なくともこの部分だけはごまかさないで欲しいですね。『能力の優劣ではなく単なるこのみの違い』ではなく、『能力の優劣の問題であり、なおかつ好みの違い』なのです。しかし、創竜伝には小説として質が低いを通り越して欠陥がありますよね。これに関しても本論で論じていますから触れません。異論があれば論争します。
質が低いのであればそれも好きずきでしょうが、欠陥小説を買い支えるというのはどういうものでしょうか。ジャンクフードが好きなのは好みの問題ですが、髪の毛や虫が入ってる食べ物は欠陥商品でしょう。創竜伝は、余計な異物(評論部分)が混入して小説部分をダメにしている欠陥商品じゃないですか?
ケナシ代を払っているようなものだ、という考えは私も好きです。しかし、そんな豪儀な人はほとんどいないでしょう。行列の出来るラーメン屋はまずくても客が入るみたいですが、それと同じじゃないですか。まずいだけなら好みの差ですが、異物混入ラーメンをわざわざ食べるのは馬鹿なファンじゃないですか? いままであった創竜伝の擁護で多かったのは異物(評論部分)を取り除いて読んでいるでしたが、何かファンのあり方というか楽しみ方としてねじくれているなぁ、という感は否めません(もっともどんな楽しみ方をしようと自由ですし、このようなサイトの管理人がもっともねじくれた楽しみ方をしているとも言えますが)。
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- board1 - No.1978
あくまで、一般論として
- 投稿者:速水右近
- 1999年09月11日(土) 00時14分
いつ間のにか常連になっちゃったなぁ(笑)。
もともと『虚構戦記研究読本』の著者、北村賢
志氏の書き込みを探しているうちに、ここに
たどり着いただけでなんですがね。
田中芳樹でまともに読んだのは銀英伝だけで、
アルスラーン、創竜伝は飛ばし読みだけだか
ら、あんまりえらそーなことは書けませんが。ともかく、昨今のノベルズ界はおかしい。
初期のワニなんかにあったアンソロジーものは
レベルが高かった(中公C★NOVELSの初
期には、コナン・ドイル集があったって知って
ました?)のに、九〇年代に入ってどこの出版
社もズタズタでしょ。
西村京太郎をはじめとするトラベル・ミステリ
も土曜ワイドレベルの陳腐さ。架空戦記も含め
たアクションも大したことないし。興味がない
から読んでないけど、ホラーや新本格のレベル
はどうなんでしょ?
本来、客であるはず読者を無視したような作品
を濫作するのはプロ作家として失格だし、また
編集者までも読者を嘗めてるとしか言いようが
ないんだけども。
しかし架空戦記の掲示板やここのファンからの
反応を見れば、「この読者なら嘗められたって
しかたないな」と妙に納得してしまう。これは
同じ“読者”として、非常に辛い。ノベルズなんか所詮は娯楽。しかしその娯楽
で、読者が作り手からバカにされる必要なんか
はまったくないはず。金払ってバカにされるの
は、「●●クラブの言葉責め」だけ。倒錯趣味じゃないかなぁ。
かりに作家や出版社が「営利のために」ひどい作品を出すのが許されるのだとしたら、読者も
“消費者”としての意識を持って、自衛しない
と。そのくらいの権利は、有するはずだけど。
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- board1 - No.1980
satokoさんへのお返事
- 投稿者:ホリー
- 1999年09月12日(日) 02時00分
ずっと論争をみてきていてsatokoさんのご意見に同意していたので、いわんとしたところがきちんと伝わらなかった文章力のなさが辛いです。
出版業界という書き方を自分が読んでいる範囲、と取り合えず訂正して進めます。漫画で育ったので特に漫画でいうと、今発行されている雑誌は割合で言うとレディースがトップで次は同人作家雑誌になっています。青年誌もたくさん出てますが一誌に一作品いいのがあればいい、というのが多すぎる。同人雑誌も同性愛のオンパレード。これを買い支えているのは同人達です。裏でやっているなら
一部の趣味で良いでしょうが書店に並ぶと普通の子も手に取ります。ほんとにフツーの子は二度とその本を手に取らず、一部の嗜好の子たちが買うわけですが、一般人が読むに絶えない世界の広がりはますます漫画の世界を
特殊なものにしてしまいます。かつて萩尾思都さん、木原敏江さん、山岸涼子さん、竹宮恵子さん、青池保子さん、美内すずえさん、
和田慎二さんなどが描いてきた作品は、少女漫画の枠を超えていろんなファンを掴みました。今は小さなコミュニティーをつくってより趣味の世界へ閉じ籠っていっているように思えます。
ライトスタッフの社長さんは三日泊り込みとおっしゃってましたが、同人作家は三日徹夜も一種自慢話になります。プロとアマの違いは頑張りではなくモラルの持ち方でもあるのではないでしょうか。売れるなら何でも良い、では殺人雑誌もありです。以前死体写真集が話題になりました。見たい欲求は分からぬではありません。しかし出版すべきものであったでしょうか。マスコミは被害者を追いかけ回していますが、モラルはないのでしょうか。学者は持説を振り回して常識とかけ離れたことを言ったり書いたりしてますが、社会に対する責任はどうなったのでしょうか。
オウム事件の時、私は社会の無責任を思い知りました。オウムを擁護した学者は相変わらず大学助教授ですし破防法に反対した為に今あちこちの住民が不安と同居していますが、
江川某も新聞社も自分の責任は忘れています。
趣旨はずれましたが、小説にしても今売れているものが果たしてプロの作品のみか、疑問です。アマチュア的な作品を好む読者が増えたらそれも好みの問題といっていいんでしょうか。管理人さんがおっしゃった「アマチュア気分」を「商売」として捉える面、それこそ今大疑問に思っていることなんです。
プロとアマの境界があいまいなんです。
小林よしのり氏がゴー宣で描いていたので、こういうのがありました。インタビューを受けたがおこしがあまりにひどくて金森さんに直させていたら、タイトルまで「わがゴーマン闘争」にするという。ちょっと待てよとやりとりしていて知らぬ間にその本は出ていた。 ・・・これって実に同人の悪い面を象徴してるんです。小林氏はゴー宣批判本で無断転載を巡った裁判で残念ながら負けちゃいましたが、本屋に転がっている謎本の類はやっぱり作家に心地よい本には思えません。同人誌のセレクションもいっぱい売っていますが、同人ネタになると売れ方もグッと上がったりしますので見逃しているのではないかと思います。
馬鹿なファン、という言葉が感性の違いと
取られたのは残念です。確かに言葉は悪かったと反省します。しかし好みの違いなら私もここまで言いません。銀英のキャラをホモにしてヤンとシェーンコップのエッチシーンを描くことも感性の違いでしょうか。自分の好きなキャラが死んでしまったらもうその先を読まない、という読者もいいですか。作品の質でいうと、銀英大好きですけど、最終巻の完結の仕方はベストではないです。やはり一級になりきれませんでした。残念なんです。本当に。それでも「すばらしい」「最高だ」
と絶賛するのがファンではないでしょう。
金正日を崇め奉るのが彼の為でないのと一緒です。田中芳樹氏が外伝を六巻まで描けなかったのは、本人いわく「同人誌でいっぱい
あるからもう描く必要もない」でした。確かにすごい作品もありましたけど、やっぱり先生の筆で読みたかったですよ。作品へのラブコールであった同人誌が自己主張の作品になったなら先生に見せてほしくなかった。
若い層でもファンはいっぱいいますよ。でも昔のファンという概念と今のファンという
概念は果たして同じか、要検証、とも思います。
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- board1 - No.1981
いわんとしてることはわかるんですが・・・・
- 投稿者:satoko
- 1999年09月12日(日) 04時01分
>ホリーさんへ
文章力がないのは私の方です。うまく伝えられないのが残念ですが、とりあえず。出版の話なんですが、とにかく私が分かって欲しかったのは、「自分が好きな物に走ってしまう同人と幅広いスタンスで売れる物をビジネスとして作っている出版」というけじめの部分だけ理解して頂ければ良かったんです。もちろん其処にモラルはあるのかと言われれば、どうでしょう?しかし、そこにはニーズがあるから出版されるのでは?モラルの線はだれが引くのか私にはわかりません。法でしょうか?社会規範でしょうか?どうかはわかりませんが、結局は最終的にそれを判断するのは個人個人なのではないでしょうか?これ以上は私からは言えません。
私はここまで書いてきた中で、同人(またはそれまがい)の中の作品を責めるなとは言っていません。出版社を同人レベルで見ないで欲しいと言っているんです。
ファンの事についてですが、これはあなたの考えに猛烈に抗議したいと思います。管理人さんにもちょっと関わるのですが、ファンがどのように楽しむか、どのように感じるかと言うのは勝手でしょう?私はそれがファンのあり方として間違っているとは思いません。書き込みの中にもありましたが、挿し絵が好きだからと言う人もいるでしょうし、社会評論云々を抜きにして単純にストーリーの展開を楽しむ人もいるでしょう。
個人的な事を言えば、私は田中作品は基本的にキャラクターを楽しむ作品だと思う。「きゃー、ミュラー!」「始クン、素敵!」と言うファンがいてもぜんぜんかまわないしちょっとファンから抜けて言わせてもらうと、「創竜伝」などは大学生がまじめになって読むような本じゃない。(といいつつ宮部女史の「竜は眠る」とか読んでるから同じレベルかもしれないけど^^;)軽く、はちゃめちゃすぎる部分を笑い飛ばす程度の作品でしょう。読み終わった後「あ~、わらった。日本が不景気なのは竜堂兄弟が公共の建物壊し過ぎるからだな~、はっはっは~。」って程度じゃありません?それが面白くて買うのはいけないことでしょうか?中学生の私の従妹も創竜伝の熱烈なファンですが、「田中先生はきっと泥棒に入られても、国家権力の陰謀だっていって警察に通報しないんだろうな~。」くらいの冷静さはもってます。(ただこの子は中学生にしちゃちょっと冷静過ぎ)ファンは作者を支えると言いますが、それ以前に自分の楽しみが先行して悪いという事はないでしょう?たいしておもしろくもない作品だと思われる物でもその人なりの楽しみがあって買った場合、結果として田中氏に楽に稼がせるという事になるとしても、その人が責められるいわれはないはずです。だって、ファンは田中氏のためにあるわけではなく、自分自身のために田中作品を手に取ってるんですから。
もちろんそんな事も分からずにそれに田中氏が便乗してぷらぷらしてるのであれば、「田中氏は」責められるべきですが。
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- board1 - No.1982
楽しみ方
- 投稿者:Merkatz
- 1999年09月12日(日) 21時57分
この問題って難しいですよね。
私はアニメオタクなんで、同じ問いかけをアニメでもするわけです。こんな作品見て喜んで馬鹿じゃねーのって。
でも同時に「たで食う虫も好き好き」というのも分かるんです。だからこの手の議論って、たいがいお互いに接点のないまま平行線をたどってしまうのも、まあしょうがないかなあと。でも一つだけ、譲れない意見がある。それは「悪貨は良貨を駆逐する」です。
つまり、一つの作品をどう楽しむかは個人の自由なのですが、そういう特異な楽しみ方(邪道とあえて呼びます)が大勢を占めたときどうなるか。なるほどそういう作品が売れるのか、という勘違いを生み、邪道な楽しみ方をする人に受ける作品が氾濫することになり、正当な楽しみ方をする人の作品が少なくなってしまいます。
作る人間の態度は、競争原理でふるいをかけるべきことと思いますが、出版社というものはあくまで商業主義です。売れる物を提供しようとします。作品の質が悪くても売れるという矛盾する関係などお構いなしです。もちろん、何をもって正当な楽しみ方・邪道な楽しみ方と分けるのか、それこそ個人の自由ではと言うかもしれませんが、少なくとも「小説」というものに対し、「イラストが気に入ったから」という理由で楽しむというのは、正当でないと思います。小説とは文字を読むものなのですから。
そして「小説(文字)を読む」とはそこに書いてあることをすべて読むということであり、一部だけを読む行為を指して言わない。「私は○○を読んだ」というとき、気に入ったページだけ読んで、後は飛ばした者をその本の理解者といえるのか。だから、「小説を楽しむ」というとき、それはすべてを読んで理解することが「正当な楽しみ方」だと思うのです。
その「正当な楽しみ方」に照らしたとき、創竜伝は社会評論が物語をぶち壊しているのは明白だと思います。正当な楽しみ方だけが存在を許されるということではなくて、邪道な楽しみ方をする人が居ても結構だと思います。しかし、それはあくまで少数でなければならない。それが大勢を占めたとき、作品の質が悪くても売れるという矛盾、「悪貨は良貨を駆逐する」が起こる。
今の田中作品は明らかに邪道な楽しみ方をする人達によって支えられていると思います。同人的なものの氾濫って、なんなんでしょうね。結局はそれぞれの相関関係であり(モラルの低い作家、商業主義の出版社、そういうものを進んで求める消費者)、1箇所だけを取り上げてもどうしようもないことなのでしょう。
私個人としては、面白ければ同人でもプロでもよいと思うのですが、商業ベースに乗せたとき、それを同人と呼びうるのでしょうか。プロとアマの垣根が低いとはこういう所にあるのでしょうね。
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- board1 - No.1983
「悪貨は良貨を駆逐する」
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年09月12日(日) 22時21分
すみません。論旨に関係ないことは承知なんですが、ちょっと指摘を。
「悪貨は良貨を駆逐する」というのは、「グレシャムの法則」のことで、名目価値は同一だが、実質的価値の異なる二種の貨幣が同時に使われるとき、良貨は貯蔵され、悪貨だけが市場に流通する傾向を意味した言葉です。
つまり、語弊をおそれずに言うと、良貨が引く手あまたで売り切れ続出で市場から消え、代わりに悪貨が不良在庫を起こして市場に溢れている状態がグレシャムの法則であり、世間で思われているのとは全く正反対の意味になります。
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- board1 - No.1984
たしかに・・・
- 投稿者:satoko
- 1999年09月12日(日) 22時44分
>Markatzさん
確かに、こういうファンのあり方についての問題って平行線をたどりそうですね^^;ただ、すこし意見を言わせてください。私はいろんな楽しみ方をするファンを、正統とか蛇道とは思いません。全員正統です。挿し絵を楽しむのも、社会批判を斜め読みするのも、みんなちゃんとしたファンです。それを言うと平行線なのですが、どんな楽しみ方でもかまわないはずです。
「こういう蛇道なファンが増えると良い作品が減って、正当な小説のファンが困る」
というのはちょっと批判する方向が間違っていると思います。前回も言いましたが、ファンはいい作品を作らせるための道具ではありません。どんな状況であろうと、いい作品が作られてファンがついていくものでしょう?これも前回かいたことなのですが、確かに田中氏は現在楽に稼げる状況にあるかもしれません。でも、それにおごっていいかげんな作品を書いているならそれは田中氏は批判されるべきです。ですが、ここで言うようにいろいろな楽しみ方をしているファンにその理由を押し付けるのであれば、田中氏も「ずいぶんいい言い訳ができた」と逆に喜ぶのでは?あくまで作るのも作品に対する最低限のプライドを持つべきなのも、作品に対する責任を持つのも田中氏なのです。それを他に責任を求めるのは、違うと思います。
ちなみに、
前から気になっていたのですが、田中信者ってどういう定義なのでしょう?私の周りの田中信者って思われる人はいわゆる「作品の中の世界」を楽しんでる人ばかりで、田中思想に共感する部分はあるとは言え、全面的にその思想を受け継ぐみたいな人は見た事ないです。(いたとしてもそれはかなり少数だと思う)どちらかと言えば、みんなどれどれのファンでミーハーなノリの人が多いです。
それと比べて、たとえば小林よしのり氏の信者と言われてる人たちは全面的によしりんの考え方を信じ込んで(ちゅーか、普通に読めばよしりんのメッセージはそういうのをやめて個を確立しろって言ってるの、わかんないのかな?)いる人たちでしょう。蛇足
私はよしりん大好きだけど、今回のよしりんの裁判の判決はずいぶん良識的で当然の判決だと思う。各掲示板で暴れまくってるよしりんファンもう一度判決文を冷静に読んで、何でこういう判決になったか考えてみて欲しい。僕らのよしりんが負けるなんて!ってそこにこだわるんじゃなくてね。以前、ジャンルがぜんぜん違うのに田中氏とよしりんを比べるなといったのはこのあたりからなんです。で、とりあえずこの掲示板での田中信者の定義ってどういうものなのか教えて頂きたいと思います。(ああ~、また書いてしまった・・・、時間が・・・)
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- board1 - No.1985
satokoさんのおっしゃる事は正論なんだけど・・。
- 投稿者:一新人漫画家
- 1999年09月13日(月) 04時55分
お客を楽しませるのがプロのエンターテイナー・・。
いわゆる「いい作品」を作ろうとしても
読者自身がそんなものを求めていない。
プロならばお客を楽しませるべきだ、の考えのもと、
そういうミーハーファンに向けた作品ばかりが
量産されていく。
作家の信念やプライドは「ガキの戯言」と
かたずけられてしまう。
売れないものは、発表する場も与えられない。Merkatzさんのおっしゃる通り、これが現実です。
ここの掲示板で、よく「エンターテイナーとして失格」
という言葉を目にしましたが、
私の意見は逆で、田中氏は「プロのエンターテイナーになってしまったな」
と思ってます。
初期の、若い頃の青臭いまでの作品に対する
ひたむきな態度(ここの皆さんのような)が薄れ、
「大人」になってしまったと。業界の片隅に足を突っ込んだ今の私の考えとしては、
「読者を無視してでも」自分の作品に対するひたむきさを
いつまでも失ってはいけない、と思っています。
「エンターテイナー」であるよりもまず「アーティストたれ」
とぐらい思っていないと、自分の思う「いい作品」は作れないようです。残念ながら大半のファンは、(アニメでもマンガでも)
カッコイイ(かわいい)キャラが出れば
それで満足のようですから・・・。突然の横やりですみません。
ROMに徹するつもりでしたが、
お邪魔してしまいました(笑)。銀英伝は、自分も作家になってこんな話を
作りたい、と思わせてくれた作品です。
本当に面白かった。今でも、銀英伝にはまった自分自身を
否定する必要はないと思っております。