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- board1 - No.1492
RE.1490
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年07月08日(木) 19時05分
>エクバターナでトゥラーンの隊商が馬を商品にしているという記述があるから「ひょっとして」と思ったのですけど、これではダメですね。あと考えられるの裏設定は「トゥラーンの馬は体格がよい」というのがありますが、これも難しいでしょう。
> エクバターナで売られているトゥラーンの馬は「特産品」と解釈するしかないでしょうね。あとは種馬とか(^^;;)。これは参考になるかわかりませんが…
13世紀に教皇の外交使節団としてタタール・ハーンへの親書を携えた修道士カルピニは、モンゴルの役人から「過酷な旅にはヨーロッパ産の馬を使うな。ヨーロッパ産の馬はすべて倒れてしまうはずだ」と忠告されています。
『雪は深く、ヨーロッパの馬はタタールの馬とは違って雪の下から草を掘り出すすべを知らな
い。タタール人は藁も干草も飼葉も蓄えていないため、道中、馬の飼料は雪に埋もれた草しか
ないのである。そこでわれわれはモンゴル人の助言に従うことにして、下僕二人をつけて、愛
馬に別れを告げた。
われわれは駄馬と付添人を快く提供してもらうために、モンゴルの役人に贈物をしなければ
ならなかった。』
パルスの馬とルシタニアの馬を同列に見ることが出来るかは不明ですが、モンゴル(トゥラーン)の馬には付加価値があったと考えられそうです。>江戸時代の庶民が食べていた主食の実体が雑穀(ヒエ・アワ・キビなど)というのはかなり眉唾ものではないでしょうか。
>雑穀を食べていたのも全くウソではないでしょうが、「雑穀が主食」というのは「江戸時代=暗黒時代」というデマゴギーのもっともたるものだと思います。まあ、「農民は土や虫を食ってた」といわんばかりの進歩史観にうんざりする気分はわかりますが、コメが日本の主食から日本人全体の主食になったのは戦後の4、50年ことですよ。
>管理人さんは日本のどの時代の、何の政治体制が「中世国家」であると定義しているのでしょうか?
辞書で調べたら「封建制前期」が中世と言うことで、鎌倉時代から室町時代ということのようです。
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- board1 - No.1493
ザ・ベスト実験更新のお知らせ
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年07月08日(木) 20時30分
しばらく更新の滞っていたザ・ベストですが、反銀英伝のみ実験的に必要部分の抄録を行ってみました。前にあったリクエストにお答えしたものですが、読みやすくなったでしょうか。ちなみに今回は今までの部分の抄録を行ったにとどめ、ログの追記は行っていません。
ご感想を聞かせていただけると幸いです。これから掲示板の論議の成果を整理して読みやすくまとめるという意味でザ・ベストを重要視していきたいと構想中ですが、掲示板のログも1500に迫り、個人でまとめるのは難しい状況になってきました。
そこで、ザ・ベストの編集を手伝っていただける方を募集いたします。非営利でやっているもので何か見返りがあるわけではありませんが、それでも手伝ってやろうという方がおられましたら管理人(yusuke-ishii@po.teleway.ne.jp)宛までメールをお願いします。
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- board1 - No.1494
ヤン・タイロンとヤンの悩みとユリアン
- 投稿者:satoko
- 1999年07月09日(金) 00時41分
>民主制政治とはファシズムの温床・・・。
>惰弱なものそのとおりでしょう。創竜伝はどうかわかりませんが(政治云々は斜め読み(笑))少なくとも銀英伝ではこの事は何度も指摘されています。
ヤン・タイロンはヤン少年にルドルフがなぜ民主政治の中で台頭し、銀河帝国を作ったか説明しています。
「みんながめんどくさい事をルドルフすべてまかせ、権力を与えていってからだ。」そしてヤンはラインハルトとの戦いのなかで次の疑問に悩まされつつけています。
「民衆が自発的意志によって専制政治を選んだらどうするのだ。」とこれら二人の考えは管理人さんが指摘する事と同じ事だと思います。民衆が自分の責任を放棄する事で簡単に崩れてしまうものが民主主義だと。しかし、それでなおヤンがいう「最悪の民主政治でも最良の専制政治はまし。」(理由についてはMarkatzさんの指摘や本編の中に出てるので省略しますが)というものにもとづいた最終的な結論としてユリアンが本編の最後にカリンに言います。
「政治は政治に関心を失ったものに必ず復讐する。だからこそ僕たちは政治への関心を失ってはいけないのだ。」と
三者の意見は田中氏が自身の民主政治への思いを反映させたものだと思います。
民主政治は惰弱で移ろいやすいものだ。その事を認識し、自身の責任を放棄するような事はしてはいけない。それをすればどういう結果になるか歴史が証明している、と(まあ、こんな単純な話じゃないんでしょうけど)
「少なくとも」銀英伝では民主政治の長所のみではなく短所も踏まえた上での結論を出しています。だから、管理人さんの指適は正しいけどそこに留まるものではない思います。
雑文で失礼しました。
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- board1 - No.1495
訂正と馬について
- 投稿者:はむぞう
- 1999年07月09日(金) 11時37分
> 「王書(シャーナーメ)」はアルスラーン戦記の参考文献のひとつに数えられています。
それにしてもトゥラーンって本当に実在していたのか……。私はササン朝に滅ぼされた「エフタル」という民族の事かと思っていましたが。
ところでササン朝は651年に滅んでいますので「11世紀」というのは間違いです。これは失礼しました。考えてみれば11世紀にササン朝があるはずがないのですよね。失敗失敗…。よく読んでみたら、ササン朝のころから度々いろんな書がつくられていたのを10世紀の詩人ダキーキーがまとめ、11世紀のフェルドゥシーが完成させたとありました。一時にできたのではなく何百年もかけて出来たものだったのですね。
で、実在の「トゥラーン」の黒テントの遊牧民クゥーチはアラビア語ではベドゥインと呼ばれているようです。最近の逸話では、1950年代のイラン政府軍との戦いの際、政府軍の戦車が乱射しながら500mまで近づいたとき、戦車の小さなのぞき窓に向けて一発だけ銃を発射しミスをしなかったといいます。> 葡萄酒の主要な輸入先としてはマルヤムでしょうけど、葡萄は輸入以外にパルス国内で生産されているのもあるでしょうね。パルスの村にさえ葡萄酒があるくらいですし。生産地はマルヤムに近いパルス北西部~北部地域でしょうか。このあたりが気候的・地理的にも妥当だと思うのですが。
これは多分パルス南部になるのではないでしょうか。実際にイラン南部は紀元前からワインと葡萄の産地として有名だったようです。まあイランとパルスが同じ気候だと仮定した場合の話ですが。
>エクバターナでトゥラーンの隊商が馬を商品にしているという記述があるから「ひょっとして」と思ったのですけど、これではダメですね。あと考えられるの裏設定は「トゥラーンの馬は体格がよい」というのがありますが、これも難しいでしょう。
> エクバターナで売られているトゥラーンの馬は「特産品」と解釈するしかないでしょうね。あとは種馬とか(^^;;)。> パルスの馬とルシタニアの馬を同列に見ることが出来るかは不明ですが、モンゴル(トゥラーン)の馬には付加価値があったと考えられそうです。
馬の品種についての特徴をかんがえてみたのですが、アルスラーンの世界にそのまま当てはまるかは疑問ですが、参考までに書いてみます。
バシキール。原産はロシアのウラル地方。体高140cm(これは地面から首の付け根の骨までの高さ)駄馬、輓用、乗馬ならびに肉・乳および衣服の素材供給用として飼育改良された。どんなに過酷な気象条件下でも生活できるという点において世界で最も頑丈な馬である。これはトゥラーンの馬に近いのではと思われます。
カスピアン。原産はイラン。体高100~120cm。アラブより古い種で、実在するなかでは最も古い。アラブの原形になったと考えられている。非常に従順でおとなしく、子供でも牡馬を扱うことができるほどである。
アラブ。原産は中近東。体高142~150cm。サラブレッドよりやや小さい感じである。世界中で最も美しいといわれる。また世界中の品種の大部分に影響がある。何千年もの育種の歴史がある。
この2種類がパルスの馬に近いのではと思われます。ルシタニアの馬については、ヨーロッパは馬の品種があまりにも多すぎて、もう少し時間をかけて検討してみないとわかりません。特にイギリスあたりでは品種改良が趣味なのかと思えるくらいに多く、性質もかけ離れて違うものも多いです。どなたかわかった方はご教授ください。
参考ついでに馬の食べる量です。これは競走馬ではなく、馬術競技用の馬にあわせた数字になっています。とはいっても現代の馬術用の馬たちは栄養過多ぎみなので、6掛けから8掛けくらいで妥当かもしれません。ちなみに500kgの成馬1頭分として計算してあります。
ヘイキューブ(牧草を干して固めたもの5cm角くらい) 6.7kg
皮付大麦 1kg
フスマ 750g
乾草 3.6kgつまり1日で約12kgの餌が必要となります。
また足元を保護する為の敷材
オガコ 1年間で4立方メートル必要とする面積
馬小屋 3.6m×6.3m(7坪)
半分は馬房、半分は道具などを保管する為のスペース放牧場 約300坪
でもこれは遊牧しているとすれば不要でしょうね。
それに数頭同時に放すことも可能だし。また馬は草を食べるといっても、雑草の中には食べると中毒を起こしてしまう種類もあるので、注意することも必要になってきます。でもこれは野生からほどとおいサラブレッドだけの話で、アルスラーン世界の馬たちにはあてはまらないかもしれません。
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- board1 - No.1497
では目先を変えて
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年07月09日(金) 16時17分
>「少なくとも」銀英伝では民主政治の長所のみではなく短所も踏まえた上での結論を出しています。だから、管理人さんの指適は正しいけどそこに留まるものではない思います
では、ちょっと目先を変えて「ローエングラム帝国」が最良の政治形態になる可能性についてはどうでしょうか。
いきなりですが、最大の問題は帝国誕生後あっという間に世襲慣習が成立してしまったことですね。これによって歴史上の凡百の君主制と同じ道を歩むことが決定付けられてしまったわけですからね。
つまり、ローエングラム帝国はラインハルトによって最良の政治形態であるのであって、制度として最良であるわけではありません(というかむしろ何の変革もない旧態依然のもの)。結局ラインハルトはゴールデンバウム朝に復讐しても、それの本質である制度に対して復讐できなかったのではないでしょうか。
どんなに皇帝が神聖不可侵だとしても、帝国が近代国家として成立するためには「皇帝機関説」とならざるを得ません。つまり、皇帝すらも帝国という制度の歯車なのであって、結局ラインハルトは歯車を差し替えただけにとどまり、彼の悲劇を生みだした構造を変革することは出来なかったのではないでしょうか。
民主主義が進歩の可能性によって欠点が留保されるのであれば、ローエングラム朝の可能性について考えてみるのも面白いと思います。
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- board1 - No.1498
ファンサイトでの意見で
- 投稿者:satoko
- 1999年07月10日(土) 05時19分
>ローエングラム王朝の・・・
家系による継続なんてことは、民主主義者から見ればおわらいぐさだ、というのがヒルダとラインハルトの結婚の際にヒルダひいては皇后に権限をどこまで与えるか、という会議においての部分で聞かれますね。
「可能性」とはちょっと違いますが、歴史的視野から見たという意見ではファンサイトのものなんですが面白い意見がありました。
ttp://www.linkclub.or.jp/~suno/
のなかの「銀英独り言」のところにある「ラインハルトはルドルフの後継者か。」という意見が面白かったです。ファンサイトは嫌いだとかいわずに一度見てみてくださいな。
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- board1 - No.1499
アルスラーン戦記の新たなる疑問と、まとめレス
- 投稿者:冒険風ライダー
- 1999年07月10日(土) 17時24分
<まあ、「農民は土や虫を食ってた」といわんばかりの進歩史観にうんざりする気分はわかりますが、コメが日本の主食から日本人全体の主食になったのは戦後の4、50年ことですよ。>
ちょっとその辺は暴言になってしまってましたね。すいません<m(_)m>。あの進歩史観は戦前のメチャクチャな記述と並んで嫌いだったもので。
しかし私のアルスラーン戦記の食卓の引用と主食の推理は、管理人さんの言う「江戸時代の大名の食事をもって『これが日本の主食』と断定している」というようなものではありませんよ。アルスラーンが王族である事は考慮しましたし、庶民レベルの食事もかなりあったうえ、そのあたりにも「パン」「麦酒」「肉を主体とした食事」といったものがあったからこそ「小麦と羊肉が主食である可能性が高いと思われる」と主張したのですから。
あの「江戸時代の大名と庶民」の例との比較はちょっと違うと思います。<ケバブやシチュー、カレーのように、我々日本人からすると肉食のイメージがあります。しかし、これは現在の考えであって、食糧事情が発達していなかった当時、肉と乳製品のどちらを主食にしていたかと言えば、とうぜん後者になります。効率の問題です。遊牧民にとっては家畜は命綱であり、一定数が確保できるまでは家畜を手放すことはありません。彼らが肉食をするということはやはりご馳走という意味でハレの日の食事であるか、逆にせっぱ詰まった非常食であることになります。>
<というわけで、もしパルスでコメ・肉が贅沢品でないのであれば、パルスとイランの間には何かしらの差違があるものと考えられますね。>米に関する記述が全くないので(ピラフあたりは米かとも思ったのですが否定されてしまったし)米は間違いなく贅沢品なのでしょうけど、肉に関しては、パルスとイランとではやはり差異があるのではないでしょうか。「鶏肉のシチュー」だの「羊肉のシチュー」だのといった記述がありますし、エクバターナの酒場でもやたらと肉を使用した料理がでてきています。エクバターナの酒場は商人向けの酒場ではあるみたいですけどね。
余談ですが、隣のシンドゥラ国でカレーの記述がありますので引用してみましょう。アルスラーン戦記3 P186
<「やれやれ、辛いだけのシンドゥラ料理と縁がきれてありがたいものだ。もう十日も、あんな料理を食べていたら、舌がばかになるところだった」
ギーヴが毒づくと、ナルサスが苦笑しつつうなづいた。やたらと香辛料のきいたシンドゥラ料理は、パルス人たちを閉口させたのである。羊の脳を煮こんだ、とうがらしだらけの赤いカレー料理を、そうと知らずに食べさせられたあと、アルスラーンやエラムはしばらく食欲がなかった。>ところでこのシンドゥラがインドであるというのは分かりますが、インドのどのあたりの時代の国家を参考にしたのでしょうね。
<これは多分パルス南部になるのではないでしょうか。実際にイラン南部は紀元前からワインと葡萄の産地として有名だったようです。まあイランとパルスが同じ気候だと仮定した場合の話ですが。>
前にも引用しましたが
「ニームルーズの北は、適度の雨量にめぐまれ、冬には雪もふる。針葉樹の森と草原がひろがり、穀物と果実が豊かにみのる。いっぽう、分水嶺をこえて南にでると、太陽は灼熱し、空気と大地はかわき、点在するオアシスのほかには砂漠と岩場と草原が多く、森はない」(アルスラーン戦記2 P15~16)
という記述がありますから、私はパルス北西部~北部地域としたんです。葡萄というとフランスのイメージがありますし(^^;;)、あのあたりの気候に最も近いのは北部ではないかと思ったもので。
もっとも、記述にある南部の気候でも育つ葡萄もあるのかもしれませんが。当時のイラン南部の気候は分かりますか? それとパルス南部の気候が一致すれば南部で生産されているということになるでしょうけど。<パルスの馬とルシタニアの馬を同列に見ることが出来るかは不明ですが、モンゴル(トゥラーン)の馬には付加価値があったと考えられそうです。>
<バシキール。原産はロシアのウラル地方。体高140cm(これは地面から首の付け根の骨までの高さ)駄馬、輓用、乗馬ならびに肉・乳および衣服の素材供給用として飼育改良された。どんなに過酷な気象条件下でも生活できるという点において世界で最も頑丈な馬である。これはトゥラーンの馬に近いのではと思われます。>苦しまぎれに考えついた裏設定が意外な効果を生むとは……(^_^)。そうなると、新たに考えられる裏設定は
「トゥラーンの馬は頑丈で耐久性があるが、それゆえに高価なものであり、大規模な輸入はなかったがトゥラーンからの貴重な商品として珍重されていた。そのためパルスの騎馬軍団のなかでも、精鋭部隊や指揮官の馬はトゥラーンの馬で構成されていた」
というところでしょうか。そうなると、ダリューンの馬の「黒影号(シャブラング)」はトゥラーンの馬だったのかな?ところで馬の問題となると、その前に鎧や甲冑の問題がでてきます。ルシタニアの甲冑はパルスのそれよりも重いという記述がありますし(アルスラーン戦記8 P118)、馬の比較と同時に鎧の比較をする必要があるでしょうね。馬が鎧の重さによって受ける影響などもあるでしょうし、機動部隊になるか打撃部隊になるかの違いもでてきます。パルスやトゥラーンの鎧ってどんなものだったのでしょうね。このあたりは記述が不足なので分かりませんが。
余談ですが、チュルクでは「山羊の革をかさねて間に鎖を編みこんだ甲」(アルスラーン戦記8 P97)を使っているようです。
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- board1 - No.1500
祝! 初イチャモン
- 投稿者:ココ
- 1999年07月10日(土) 22時55分
うっす。初カキコミのココっす。フリーのライターやってるっす。
なんか、みなさん欲求不満がたまっているようで…。日常生活でいい目見てないのかな?
まあ、それはさておき。オレにも悪口言わせろ~。あ~、まず管理人こと石井さんの「緒言」読んだけど…
>例えば、最近の田中芳樹の代表作「創竜伝」では、驚くべきことに小説の中にまるでエッセイまがいの政治評論が出てくるのである。小説の初歩の初歩として、作品の中に作者の言葉が入ってはいけないというものがある。作者の主張は、キャラクターに語らせるとか、テーマとして伏流にして流すとか、そういうテクニックこそが小説であり、物語だからである。わはは、なかなか挑発的な文だねこりゃ。
だけど、これ小説としては「アレはアレ」で「あり」だと思うぜ。だって、「小説は……でなくてはならない」ってかったりぃじゃん。視野狭いよ。「俺はあいつの主張が気に食わない」と表明してんなら話わかるけど。(まあ、あんたのカキコからしてこれが本音だろうけど…)。
その小説の手法をことさらあげつらうと言うのも、おかど違いではないかい?あんたの論法で行くと、パロディーや風刺も全部ダメってことになっちまうじゃん。まあ、田中のはパロディでも風刺でもないけどよ。小説家が自分の小説内で政治評論やっててもいいじゃん。それとも、どこぞの偉い文豪が「小説家は自分の小説内で政治評論やっちゃいかん!」とか言ってたの?
だ・か・ら…。「オレは田中の左翼的言動が気にくわねえ。だからこのページを立ち上げた」と最初から言ってりゃいいんだよ。
この掲示板。なかなか内容がヒートしていて気に入ったぜ。これからも色々好き放題書かせてもらうから、まあ、よろしく頼むわ。
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- board1 - No.1501
虚言 このカキコミの意図について
- 投稿者:ココ
- 1999年07月11日(日) 09時10分
う~す。ココっす。石井師のを見習って、オレもこの掲示板に「初心表明」をするぞ。石井師の「諸言 このホームページの意図について」と合わせて見るとおもしろいぞ。
角膜痛めるぐらい目の穴かっぽじって読んでくれい(できれば尻の穴も)石井由助という男がいる。一応某格闘技で北海道大会優勝経験のある男だ(だからどうした?) おそらく、アンチ田中ファンの中でも尻の穴の狭さでは有数ではないだろうか?
尻の穴が狭いと書いた。その理由は、この男が元田中のミーハーファンであったが、オウム事件をきっかけに転向。昔の別れた女をなじるミジメったらしさで、田中の批判に回り出したからだ。尻の穴が狭いと言う事は、それだけ視野狭窄で他人の欠点のアラさがしが上手いと言う事だ。すなわち、光学顕微鏡が微細なゴミを探しだすのに便利なのと同じ原理である。そして、視野狭窄である人間は、いきおい他者の長所を覆い隠し、その短所をことさら大きく見せてHPで公表することを喜びとする。ちょっと病的なアンチファンなら誰でも考え付きそうなことだ。
いま、私は何の脈絡もなく「視野狭窄」だとか「病的」なんて物言いをした。インターネット上で1個人を批判する言葉ではない。しかし、石井由助相手にならば、私はあえて使ってみたい。なぜならば、このHPの管理者である石井由助の田中批判は非常(異常)に「みみっちく」「尻の穴が狭い」からである。
勘違いされると困るので断っておくが、私は「HPで人気作家を批判してはいけない」などと言うつもりは毛頭ない。それどころか、人気作家のミーハーファンページが跋扈する一方、こう言ったHPを敢えて作ったことは、非常に高く評価したい(この意味で「反小林よしのり」のHPも高く評価している)。だが、同時に「批判」だからとHPで表明しても、それを運営する管理人が高尚な人間であるわけがない。「創竜伝」を転載しようが、ヤンのセリフを孫引きしようが管理人のカキコミがクソだったら、それはクソである
先に、私は石井由助のことを「みみっちく」「尻の穴が狭い」と書いた。たとえば、このHPのTOPにある「諸言 このホームページの意図について」では、あろうことか、言うに事欠いて「小説の中で政治評論をするのがケシカラン」などとほざいている。表現自由の小説において「作品の中に作者の言葉が入ってはいけない」などとのたもうっているのだ。もとより、作家でも書評家でもないこのHPの管理人が、どこのお偉い文豪から孫引きしたセリフかは知らないが、嘲笑うべき虚言である。もし、この虚言を当てはめるならば、トマス=モアの「ユートピア」や高野長英の「夢物語」などの警世書は、もとより文学史から抹殺されてしまうであろう。小説に託した警世、批判書は別に田中が先鞭ではない。このような文学史の初歩の初歩を知らない石井由助が「小説の初歩の初歩として…」てなど能書きをたれるなどチャンチャラ可笑しいと言わざるを得ない。とどのつまり、石井は田中芳樹の「小市民左翼的な言動が気に食わない」と正面きって言えないがために、姑息にも「作品の中に作者の言葉が入ってはいけない」などとさも高尚な論旨にすり替えて批判しているに過ぎないのだ。石井流の孫引きを使って言わせてもらえば、『本来酒屋で仲間を囲んで陰々滅々とやっているべき愚痴を、インターネットと言う文明の利器を介することで、さも高尚な言説をしていると錯覚している』とでもなろうか? しかも、その愚痴の卑小さが目立てば石井の「尻の穴の狭さ」はいよいよもって尋常ではない。
ここでは、いましてきたように石井由助平とそのお仲間たちのいかがわしさ、インチキぶりを立証していきたいと思う。
それでは、始めてみたい。この掲示板を見る石井とその卑小なお仲間たちが少しでも「オレの尻の穴は狭かった。実に申し訳ない」と悔悟し、彼らが自らの指でその菊座を「どうぞ」と押し開き、私の熱い肉棒をそこに打ち込めれば幸いである。どう? 石井さん。できれば「諸言 このホームページの意図について」といっしょにTOPページに掲載して欲しいんだけど。ダメ?
頼むよ~。尻の穴の広いとこ見せてよ(笑)
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- board1 - No.1502
つまらん(下の「ココ」氏)
- 投稿者:不沈戦艦
- 1999年07月11日(日) 16時00分
書き込みやな。いきなり罵倒してくる貴公の方が余程ケツの穴が狭い気がするがの。それこそ現実世界での欲求不満が溜まっているんじゃないの?それに、「小説で政治評論」するのが絶対悪とまでは思わんが、創竜伝の場合は無意味な政治評論(??と思わせるものも多い)を挿入する事によって、ストーリー自体が破綻しておるとしか思えんが、それについては貴公はどう思われるのかの?まさかあれが素晴らしいものだ、なんて言うのか?
ちなみに言っておくが、私はここの管理人さんのように中道志向ではない。「田中芳樹の左翼的思考」は嫌いだな。アンタもそういう事を書きたいのなら、自分の志向くらい書いたらどうだい?
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- board1 - No.1504
RE.1500.1501
- 投稿者:石井由助
- 1999年07月11日(日) 20時25分
>うっす。初カキコミのココっす。フリーのライターやってるっす。
>まあ、それはさておき。オレにも悪口言わせろ~。ちわっス。ウチの掲示板って、いままでこーゆー人が来ていそうで来てなかったからちょっとうれしかったりして。
>だけど、これ小説としては「アレはアレ」で「あり」だと思うぜ。だって、「小説は……でなくてはならない」ってかったりぃじゃん。視野狭いよ。
> あんたの論法で行くと、パロディーや風刺も全部ダメってことになっちまうじゃん。まあ、田中のはパロディでも風刺でもないけどよ。小説家が自分の小説内で政治評論やっててもいいじゃん。それとも、どこぞの偉い文豪が「小説家は自分の小説内で政治評論やっちゃいかん!」とか言ってたの?
>トマス=モアの「ユートピア」や高野長英の「夢物語」などの警世書は、もとより文学史から抹殺されてしまうであろう。どういうところでライターやっているのか知らないですけど、一応プロなんだからさ、よく読んでくださいよ~。俺、パロディや諷刺や警世書がイカンなんて言ってないよ。もし、ここで俺がゴー宣を「横紙破り」として容認しているのが「小林の主張が右寄りだから気に入っている」という理由だと思っているのだったら、説明するだけ無駄だから何も言わないけど。あと、掲示板で「ドストエフスキーの『悪霊』は小説という技法によって社会評論以上に社会の真実を描いている」ってな内容のことを俺は言っているけど、このイミ、わかるかな?
>虚言 このカキコミの意図について
うふふふふ。俺は「アンチが騒がれれば騒がれるほどアンチの対象本体の凄さを証明することになる」っていうパラドックスを承知でこのサイトやってますよ。俺個人のアンチなんてうれしいなぁ。
>できれば「諸言 このホームページの意図について」といっしょにTOPページに掲載して欲しいんだけど。ダメ?
俺なんかが田中芳樹と同列だなんて過分な評価に過ぎるでしょ?気持ちはうれしいけどねぇ。
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- board1 - No.1507
雑談的レス
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年07月11日(日) 22時31分
>No. 1499
>肉に関しては、パルスとイランとではやはり差異があるのではないでしょうか。現代のクウェートになるんですが、普通の日常食の基本形態は、
「パン類(ナン、ホブス)」+「乳製品(ミルク、チーズ、ヨーグルト)」で、ちょっと奮発して(牛丼に卵つける感覚)ケバブを食べるという感じらしいので、庶民食があの通りだとすれば、パルスはかなり生活水準が高いと言うことになりそうです。
しかしそれよりかは、まず商人が結構金持っていていいもの食べているとは考えられないでしょうか? また、長旅で普段粗食していると考えれば「やっとエクバターナに着いたんだからちょっと奮発したもの食おうぜ」という気分があるのかも知れません。
…ってところでどうでしょうか?>No. 1498
>ttp://www.linkclub.or.jp/~suno/
面白かったですね。確かにここに来ている方には一読の価値があると思います。
>「ラインハルトはルドルフの後継者か。」
>人類の歴史がもっていた君主制→共和制というベクトルに対して,結局,そのあるべき歴史の流れを停滞せしめ,かえって逆行させてしまったことになるのではないだろうかうーん、「人類の歴史がもっていた君主制→共和制というベクトル」「あるべき歴史の流れ」という未論証の根拠を持ってローエングラム朝を批判するのはどうかと思いましたね。「人類の歴史がもっていた君主制→共和制というベクトル」「あるべき歴史の流れ」が本当にそうなのか、という思考実験が銀英伝のテーマの一つですから。
これについてはまた、そのうち。>単一国家(であるはず)の銀河帝国において,端的に国力の増進を図る必要性があるとは思えない。また,搾取階級である貴族の子弟に義務教育を行う必要もないだろうし,ましてや被搾取階級の平民たちに皇帝が教育の義務を課するはずもない
私があのサイトでもっとも興味深かったのがこれです。「単一国家」は人類が未だ経験していないシミュレーションとして非常に面白い。義務教育は富国強兵制度の一環であり、近代国家においては権力者が人民の無知蒙昧を望むことはあり得ません。
自国民の知能指数の高さを誇るのが、ある意味近代国家の為政者の本音でしょう(銀英伝の世界だって宇宙船によって戦う以上は一般兵でも高度なレベルの知識が必要)。が、専制によって人類統一国家が誕生したら富国強兵の必要性がない以上人民に知識がある必要はない。むしろ、無知蒙昧のほうが扱いやすいはずですし、必要な知識は一部階級によって独占された方が支配には効率的です。
同盟という恒久的な敵が居てはじめて、帝国は強力な近代国家たりうるのではないでしょうか。
となると、どうも、帝国には同盟の存在がないと成立し得ない逆説があるような気がします。この帝国の病的な論理はソ連の病理に通じるものがあります。「我が国は社会主義国であり貧困は存在しない」という理論を現実に優先させたことが現実に貧困があってもそれを認めない(認めてはいけない)という病理的社会を生み出しましたが、「我が国は単一国家であり、他の国も敵国も存在しない(存在してはいけない)。あくまでも反乱軍である」という理論がある以上、どこかで現実と理論が矛盾を起こしそうな気がします。反銀英伝ではありませんが、帝国が同盟に優越するのは疑問ですね。
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- board1 - No.1508
あえて問う、石井由助と広末ストーカー、どこが違うのか?
- 投稿者:ココ
- 1999年07月12日(月) 00時22分
おっす石井さん。オレのおちょくりエッセイ第2弾だ。今度は「あえて問う、田中芳樹とアドルフ=ヒトラー、どこが違うのか?」といっしょに読んでくれ。
>俺なんかが田中芳樹と同列だなんて過分な評価に過ぎるでしょ?気持ちはうれしいけどねぇ。喜んでもらえてうれしいっす。これからもずっとここでかかせてもらうよ。
「田中芳樹は、小説にエッセイを持ちこんだフトドキな作家だ」これは石井由助という男がもっとも好んだ台詞だった。嫉妬は批判を生む大きな原因である。このこと自体に異論のある人は少ないだろう。現在のワイドショーによる有名人追っかけも大衆の嫉妬に立脚したものであるし、だからこそTV局は一方で大衆に批判を浴びても大衆受け(視聴率)を求めてリポーターを派遣するのである。
また、嫉妬による批判は、その原因が嫉妬というネガティブでいやらしい理由であることに起因していることを極力隠そうとし、一見建設的であり信念があるかのように装うから判断することが難しい。その隠蔽性ゆえ、多くのマスコミは「報道の自由」の美名の元にタレントのプライバシーを暴露し、やれ「広末は早稲田をなめてる」だの「サッチーはけしからん」などと、聖人君子、閻魔様のごとくすました顔で鬱積した想いを晴らすのだ。まさに、それは人間(石井)という存在の哀しさであり、善悪で割り切ることの出来ない矛盾であり、原罪でもある。
そして、その嫉妬による狂気は転向ファンと言う石井のような存在をも生み出す。それは、やはり善悪で割り切ることの出来ない不条理を孕んでいるのだ。まず、『田中芳樹は、小説にエッセイを持ちこんだフトドキな作家だ』という言葉の意味から考える必要がある。
高校までの石井は、現在では想像もできないほど田中芳樹を信奉し、サイン会で本人を見かけるとガラにもなくドキドキしたりもした(笑)。そして、オウム事件をきっかけに、思想的に目覚め(?)反田中芳樹の転向ファンとなり、高校の文芸誌で田中批判を書くまでにいたった。
「元オウム信者がオウムを批判しうるように」と言えば聞こえがいいが、ようは、自分の思うようにならない女に「お前は不誠実だ」と泣き言を繰り返した挙句ストーカーになって追いまわす柔弱男にしか思えない。
それゆえ、その状況を無視して上記の言葉を抜き出しても、何の意味も持たない。ましてや、そのような人間が田中への警句として使うのには、これほどふさわしくない言葉は他にあるまい。このような石井が田中に対して嫉妬の感情を抱くこと自体は悪いことではない。しかし、石井のように田中を「人気作家」で「売れてるん」だから何言ってもかまわないんだろう? 俺は一介の学生だし、懲らしめてやってもそれは悪ではない、と言うのは明らかに間違いだ。
石井のような「懲らしめ」を別に珍しいことではない。ワイドショーでサッチーを「ブタ」となじったタレントや、早稲田で広末の頭を小突いたストーカー学生も石井の「懲らしめ」の延長線上にあるのだ。
「現実と虚構のボーダーラインを使った卑怯な評論」などと言って、本来、自由な表現であるべき小説をこのような矮小で手前勝手な論理で「定義」し、批判の論拠とし過剰な罵詈雑言をほざく。このような石井の心情と「ずるして早稲田に入りやがって」と登校した広末の頭を小突いた早稲田学生の心情。
何が違うというのだろうか?
どう、気に入った。できればこれもベスト版に加えてくんないかな? ダメ?
あ、ところでオレ田中芳樹は「創竜伝」(五巻まで)と「銀英伝」(外伝読んでない)、「奔流」ぐらいかな~。一番好きな作家はマイケル=クライトンだけどね。