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投稿ログ89 (No.1565 - No.1572)

board1 - No.1565

あーあ、ブームが過ぎちゃった

投稿者:新Q太郎
1999年07月16日(金) 18時02分

やっぱそろそろ、飽きられてきて尻すぼみ状態だわ。まあこの1週間ばかりは「特別サービス週間」として引っ張るとしましょう。そんで大体、終わりそうだし。

Q>わかる?佐高氏が例えば小林よしのりを批判する、小林は「わしへのしっとだ、薬害エイズでお前が何をした!?」と言う。その小林が批判した厚生官僚や医者が「あの当時、実際にエイズを予防するために必死だった我々を、外からとやかく・・・」と怒る。
つまり構造として、全ての批判は「青蝿」と呼ばれうるのだよ。
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コ>それは、田中が自衛隊や政治家を批判したことに対する、あんたの反応にも言えると思うけどな。あげ足取るようで悪いけど。

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うーん、少しご自分の立脚点を整理したほうがいいのではありませんか?
つまりココさんは・・・。まずその前に、

>構造として、全ての批判は「差別」
>と呼ばれうるのだよ

呼ばれうる?いや、はじめて聞いた、そんな理論。ぜひすべての批判が差別と呼ばれうる、という根拠を教えてほしいと思います。だれか文豪が言ったのかな(笑)。それに

>自衛隊や政治家を批判したことに対する、あんたの反応

「私の」反応というと?お手数ですが過去ログよく探してもらうことにしましょう。
まあ、直接の反応はともかく、私は田中芳樹氏が自衛官(や警官)に対して書くような論法、ストーリーの組み立てでもって一部のフリーライターを悪役にしたフィクションを書いた。

しかしだね、それが差別的になったのは批判が構造的に差別になるのでも何でもなく、意識してワタシが差別的に書いたからじゃ(笑)。
それ最初に、1518で認めてるじゃないですか。
>下記のようなアンフェアな小説(アンフェアであることを認める。だから後で削除するかもしれん)
って。

そしてココさんが予定通り?大変傷つかれ、

>あんたが「フリーライター」を「職業差別」した
>まさに「語るにおちる」

とおっしゃった。やっぱり「ああいうのもアリ」じゃなかったわけだ(笑)。

そこでもう一度確認したいのだが、

ア:田中の自衛隊などに対する書き方はアンフェアで差別的であり、また新Q太郎の1517でのフリーライターに対する書き方もそうである

と考えているのか
イ:田中のほうは正しいが、新Q太郎のほうは許せない

ウ:新Q太郎のほうは正しいが、田中のほうは許せない

のどちらかと考えているのか、そこが不鮮明なのである。どうも貴方の立場が上下左右に動いているので分かりにくいのですよ。1553の繰り返しで悪いが。
ちなみに私自身(←注目)が「ア」だと考えているのですよ、念を押すが。しかしこれとか、

不>おっと、ココ氏は特殊例ではないと限らないか。偏見を持ってはいけないな。済まん済まん
と書いてあるのに

>オレは「特殊」な方だよ。
>何の責任もないオレの同業者を引き合いに

というように、あらかじめ防御線をはってあるところに突っ込んで自分から爆発するのはなぜだ。大仁田か?

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さて、その後がまたたいへん面白い。

>田中って政治家の「石橋湛山」と震災処理をやった「自衛隊員」を誉めてたような…。

うーんわからんわからん!別のところで別の個人や、あるひとつの業績を褒めていれば、他のアンフェアな描写は許されるというご意見なのか?実に奇抜な発想で理解しづらい。

そうすると、俺は別のところの書きこみで、山本弘はじめフリーライターも参加して構成されている「と学会」を褒めている(過去ログ参照)から1517はすべてチャラにしてもらっていーい(笑)?
まあ、まさかこんなこた言わないだろうから真意をあとでお聞きしよう。

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>いくらオレでもHPには嫉妬しねえぞ。だって今までHPなんか作ったことねえもん。

ほお、これは非常に重要な意見である。
つまり「自分がHPを造る立場にある人だけがはじめて、HPに嫉妬をする。HPを造ったことがない人間が、『嫉妬している』などといわれる筋合いはない」と。ほうほう。

不沈戦艦さん、
不>何で、物書きを志したこともなく、当然やったこともなく、今後やろうとも思っていない人間が、「物書き」としての田中芳樹に嫉妬せねばならないのだろうか?

というのに賛同してくださる人が現れました(笑)。だがうーんと、俺は生涯2回ほど小説を書いたから「田中に嫉妬」してることになるんだろうな。いや、ながいけんに嫉妬か(分かる人は笑)。

で、ワタシもココ氏の書きこみの動機が、この人気HPへの嫉妬であるとは考えない。
というか、そう断定する理由が無い。
それは

>俺の周りの自称「作家志望」のライター連中にも。世のベストセラー作家を軒並みこき下ろして自己満足の悦に入っているヤツが。それで、自分の作家としての力量が上がるわけでも、自分の人格が向上するわけでもないのにさ。

という人々と、ここの掲示板を一緒にするのが根拠がないようにね(笑)。それともそこに、説得力ある根拠を出せるのかな?
(しかし蛇足ながら、あなたの周囲には本当にそんな人が多いのですか?やな人たちですねえ(笑))

Q>蝿にたかる小蝿、もしくは寄生虫か?

コ>よせやい、オレはそこまで自分を貶めるつもりはねえよ。どんなに低くしてもお前らとは同等であっても、下には落ちねえよ。だって、たかるほど中身がねえだろ? おまえら

なんかまた傷つけてしまったみたいで、もしそうならごめんなさいなのだが。しかし構造として貴方が

「他のHPを軒並みこき下ろして自己満足の悦に入っているヤツ。」
「それで、自分のライターとしての力量が上がるわけでも、自分の人格が向上するわけでもないのにさ。」
という点で、こちらからみて同じ、にしか見えないのである。そしてそちらの書きこみ・批判の対象は我々なのだから、自然に考えると貴方は「我々の”骸”にたかっている」ということになる。

では青蝿と貴方が呼ぶ行為と、自分はどこが違っているのか、についてご説明いただきたい。

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と思ったら、何時の間にか方向転換されて、

>批評家が批評、評論をするのはあたりまえだ。

しかしそれが

>人格を貶めるなど明らかに卑しい行為だろう。

おお、良識ありますねえ、まるで別人(笑)。
つまりココ氏は

「田中(の思考様式)はヒットラーと同じ」というのは不当だ、と。
その根拠は
>それを「実際に実行した者」と「小説にした者」を同列に扱うなど、それこそあんたの言う「アンフェア」
だと。

それでは、例えば実際にジェノサイドに荷担したゲッペルスと、まだ(笑)ジェノサイドはしていないであろう戦後日本の官僚を一緒にする描写、というのにはどう思うか聞いてみたい(爆笑)。

ちなみに私は”思考様式”が似ていると思う場合、実際に実行しようがしまいがその類似性を指摘し、その内容の正否を争えばいいと思っている。マルクスが実際に殺した人はいない(決闘は好きだったようだが(笑))かもしれんが、その思考様式にレーニン、スターリン、毛沢東のような虐殺(の実行)者の萌芽を見ることは可能だし、またキリスト教の黙示録的千年王国のメンタリティがナチス運動に影を落としている可能性を論じるとき、『キリストは人を殺していない!ナチスと比べるな!』と言われたらハラホレヒレハレではないかと思うがいかがか。
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最後に蛇足的質問。

*石井氏の批判が青蝿的人格攻撃だと思うなら、佐高信氏の評論をココ氏はどう考えるかお聞きしたい(佐高氏の文章の、どこを後で引用しようかな~♪)。

*貴兄のシェルダンやクライトン評は、嫉妬によってなされた青蝿的評論ではないか、こともお聞きしたい。

board1 - No.1566

RE.1550、1554&1563

投稿者:本ページ管理人
1999年07月16日(金) 18時33分

>はじめまして。織田といいます

こんにちは。よろしくお願いします。

>今でも鮮明に覚えているシーンの一つ。何巻かは忘れたけど、敵が「諸葛亮孔明」って言っただけで、始か誰かがまるで鬼の首でもとったかのように、「諸葛亮か諸葛孔明とは言うが、諸葛亮孔明とは言わない」と言い出すところ。この後、軍事的功績の少なかった孔明の実績について語り出す。これって芳樹さん、さぞかし「三国志」、特に「演義」ばかりを崇め奉る世間一般の人々に言いたかった事なんだろうねえ。確かに中国じゃ、お互いを呼び合う時に名と字を重ねて使う事はないけど、歴史上の人物を指し示す場合なら問題ないだろうに

 5巻ですね。私の本論2に対して「たった一つの間違いですべてを否定するのはあんまりだ」という意見があるのですけれど、当の本人がこういう事を連発しているんですよね。自分がされたらイヤという想像力はどうしたのでしょうか。

>民主主義と民主主義における制度を取り違えているのではないかと思います。

>民主主義という理念が専制の母体となるのではなく、民主主義の理念を実現する為のシステム(選挙・多数決など)が、運用を間違えば専制を生み出すという話ですね。
>結局のところどのようなシステムも、実現しようとしている理念を忘れてしまっては役に立たないということでしょうか。

 私もあのHP(ttp://www.linkclub.or.jp/~suno/LGH_monologue.html)を見ましたが、この理論に関しては断固反対します。この論法が有効なら、共産主義だって専制政治だってなんだって理念の崩壊ではなく制度の崩壊でしょう。

 そうやって考えると『村井実「人間の権利」(講談社・1996年)民主主義とは,もともと人々のすべての訴えを,それがどんなに少数のものであっても平等に取り上げようという,道徳的な目的から生まれたものである。代議制とか,多数決とかは,民主主義を実現しようとする制度に過ぎないのであって,その制度がうまくゆかず,民主主義を廃止しようということになったとすると,それは自ずから,すべての訴えを真剣に取り上げるのはやめようということであり,それは前述のような民主主義本来の道徳的な目的と対立するものである。そしてこの対立の解決は,我々自身の道徳的決定の問題である,と(同書241~242頁)。これを銀英伝にフィードバックさせると,こういうことになるであろう。民主主義とは,少数者を最大限尊重しようとする思想である。しかるにその民主主義が,少数者を絶対に認めない専制政治を選択することは,まったくの背理であり,認められない。ところで,現実には選挙などの結果,民衆の大多数の支持を受けた独裁者が出現する事があり得る。しかし,これは選挙とか,多数決とかという制度がもたらした結果であって,民主主義そのものによる結果ではない。ルドルフを選んだ民衆は,民主主義の本来もつ道徳的な目的・思想を忘れ,うかうかと制度に乗ってしまったのである。これをあたかも民主主義が独裁者を生んだとか,最悪の民主政は専制政治の母であるとかというのは,民主主義の本質を忘れた誤りである』というのはとんでもない詭弁だと思うのですよ。大体『民主主義とは,もともと人々のすべての訴えを,それがどんなに少数のものであっても平等に取り上げようという,道徳的な目的から生まれたものである』という前提から根拠が無くウソっちいですが、もし仮にそうだとして、その場合には理論的により道徳的ということになる共産主義はどうなんでしょう。
 失礼ですが、ソ連崩壊後にこの本が書かれているというのは、ちょっと凄いです。

>アーレ・ハイネセンが掲げた「自由・自主・自尊・自律」の精神は、おそらくヤンの心の中に深く刻み込まれていたのではないでしょうか。
>敢えてどのような理想があったか忖度すれば、「民主主義の理念を守り、実現できる制度、そしてその理念を理解した民衆により制度が維持・運用される社会」ということでしょうか。

 ヤンの民主制の理念が「自由・自主・自尊・自律」の精神であり、理想が「民主主義の理念を守り、実現できる制度、そしてその理念を理解した民衆により制度が維持・運用される社会」であるのならば、やはりヤンの理念理想の中には崩壊の種が埋伏していると考えます。なぜなら「自由・自主・自尊・自律」出来る人間も出来ない人間もまとめて一つの集団と見たのが民衆であり、「自由・自主・自尊・自律」出来る人間だけを選りだして政治を行ったら一種の哲人政治になるからです。民衆を制度の基盤とした民主制は、かならず『制度が理念を貶め』る可能性を持っていると思います。
 民衆みんなが「自由・自主・自尊・自律」出来るというのは、おそらく人間には無理な理想であり、その意味では共産主義と同質の崩壊原因を持っていると言えそうです。

 では、どうして同盟の社会が(末期はともかく)硬化してソ連のようにならなかったといえば、私の仮説では、民衆が「自由・自主・自尊・自律」なんて大して重要視していなかったからじゃないかと思うのですよ。「まあ、これらの理想は大切だけど、目を血走らせて追求する必要はないや。俺は程々でいいや」と民衆の大部分が思っていれば、社会は柔軟にまとまるのではないでしょうか。

 ちょっとネガティブな感じかな。ただ、先程のHPの引用文みたいに、現状でのヤン擁護論はちょっと無理があるような気がするもので。本当はラインハルトの可能性を擁護できると面白いんですけど、ちょっとまだ難しいですね。

board1 - No.1567

ラインハルトの夢

投稿者:satoko
1999年07月16日(金) 22時53分

>1566
確かに管理人さんがおっしゃるとおりだと思います。ただ、民主主義の意義がどうしても理想論に行き着いてしまうのと、ラインハルトの専制を積極的に肯定する事ができないのは銀英伝に

「少年の夢から抜けきれなかったラインハルトと大人の理想を捨て切れなかったヤン」

という印象を強く持っているからです。ヤンの場合大人の理想(つまり民主主義の理想)を捨て切れる事がなかった事が逆に彼自身の評価を上げる事になってると思うんですが、ラインハルトは前回も書いたのですが、専制政治にそれほどこだわっていなかったのではないかと。あくまで彼は自分が欲するままに宇宙がほしかっただけで、自分が手に入れたものをよりよく運営する事はその次だったのだろうと思うのです。ラインハルトは為政者であるとうより覇者として評価されるべきなのではないかと思います。

実際にラインハルトが帝位に就く事で、ゴールデンバウム王朝より良い政治が行われたのは確かですが、かといってその当時の混乱していた同盟とのみ比較して民主政治を専制政治で否定する事はできないと思うんです。もしその当時もっとまともな政治家達が同盟を運営していたら?市民がもっと政治に興味を持っていたら?(まあ、それも裏を返せば惰弱につながるんでしょうけど)

結局何だかんだいって、ラインハルト自身がそれほどこだわってなかったんじゃないか。単に自分の思い通りに事が運びやすい専制(というよりラインハルトが専制という政治体制そのものに疑問なり何なり持ったりしたこと自体ないんじゃないでしょうか)でいいや、と思ったんだろうと感じられる所にラインハルトの専制政治を軽く見てしまう原因があるのかなと思います。

できたら、管理人さん自身が難しいのはわかるのですが専制政治のどこらへんを評価しているのかという事を示していただければもう少し深く議論できるのではないかなと思います。

(もしかして示してくれたんでしたってけ?いちいち間が開き過ぎて確認しにくくて。してくれてたらすいません。)

board1 - No.1568

あとちょっと付け足し

投稿者:satoko
1999年07月16日(金) 23時12分

後、ちょっと付け足しなんですが

>この論法で行くと共産政治も専制政治も・・・

とあるんですが、共産主義はともかく、専制政治はこの論法をもって理念ではなくシステムの運用で崩れたとは言いにくいんではないでしょうか?

>Merkatzさんへ
至らぬ書き込みでそう言っていただけて・・・、赤面の至りです。(^^;Merkatzさんの意見いつも感心しながら読んでいますのでこれからもご指導(?)お願いします。m(--)m

board1 - No.1569

ココ氏、および、カエサル君、その他

投稿者:仕立て屋
1999年07月17日(土) 03時16分

 毎度、仕立て屋です。

まずは、ココさんへ。猿呼ばわりの件は許してちょうだい、まぁ、あれもお約束ってことで。

 それにしても、Qちゃん以外、みなさん(管理人さんも含めて)のココさんへの対応つめたいねぇ。ココさんは、おふざけと無関係な発言のせいで分かりにくいかもしれんけど、要は、このサイトの緒言、コンテンツ等に対して攻撃をしかけてきてるわけよ。我々が創竜伝を批判する場合の前提として、緒言、コンテンツ等の論理が下敷きになってるってのが、共通の認識じゃなかったっけ? であるならば、前提への攻撃に対して否って言わずして、田中センセを批判し続けるなんて恥っ知らずなこと、わたしにはでけへんねけど。まぁ、人それぞれ、危機意識の持ち方は千差万別やからぁ、アカンとは言わんがね。一般的な掲示板にありがちなように、無視による時間頼みって手もエエけど、月並みでカッチョ悪いわな。あとそれから、飼えサル君に言うとくわ。世の中に全知の人間なんていないのは、君でもわかるわなぁ? そやから、知らない事があったら、知れば済む話なんよ。知らないのに知ってるフリする方が、よっぽどカッコ悪いことやと思うぞ。 確かに、わたしは夢物語を読んだことないよ。しかしながら、それを指摘されて、恥じ入る気持は少しも持ち合わせとらんね。わたしの場合、無知を指摘されるより、論理思考の欠如を指摘された方がよっぽど堪えるわい。論理思考は人間様の特権やからね。ただの暗記なら、それこそ、京大霊長類研究所のチンパンジーでさえできるこっちゃで。一方、飼えサル君の場合、違うみたいやね。最初の書き込み内で、ココさんの発言を思考の道程を示すことなく馬鹿にしといて、そのうち、叩くと言っときながら、次の瞬間には専門家とヨイショするは、一貫性がないねぇ。たしかに、知識は大切や。しかし、ココさんの攻撃の本質は知識の量やなく、緒言等に対する真偽なわけだ(真偽の論証、検証に必要な知識が欠けていたならば、それを追加すれば済む話なんよ)。なのに、”知識の有無”と”緒言等の真偽にたいする論証力”をリンクさせちゃう君の論理性の欠如は、なかなかの道化っぷり、堂に入ったもんだ、哀れ哀れ。

board1 - No.1570

ほんとよー

投稿者:カエサル
1999年07月17日(土) 04時31分

仕立屋さんよ、あんたねコンテンツの論理って別にみんなの共通するもんじゃないの。あんたが共感してそれをだしに議論しようが、それはあんたの勝手だが、あくまでコンテンツの論理ってのは管理人一人の物で他の人にそんなこというあんたは管理人の信者かなんかなんだろうね、気持ち悪。

他の人がウンザリしてるのも気付かずそれをすすめようって方がよっぽどどうかしてるぜ。

だからSATOKOさんよー、一緒にこいつ叩きつぶそうよ!シカトしないでさー!こいつ単純だから、ほめりゃすぐにつけあがるし、ちょっとからかえばこんなかんじでしょ。連呼されてはらたったのってこいつのことじゃん

論が出ないからみんながしかとしてるとかんちがいしてるみたいだけど、あきれて物が言えないってていどの分だから相手にしてないってずばっとあんたがいってやってよ

他の人かばってやるんだったら、おいらも助けて

ばかばかしくてつかれた。ねる

board1 - No.1571

RE:1560ココさんへ、これで論点がはっきりすると思います

投稿者:仕立て屋
1999年07月17日(土) 13時55分

 毎度、仕立て屋です。

 レスへのレスって伝言ゲームみたく徐々に話がそれていってしまうので、軌道修正します。
ちなみに、ボルテッカァの件はブレードの方です。初代は見たことないもんで(絵は見たことあり)。当時、期待以上のシリアスな展開に驚いたのを覚えています。

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>読んだことない」ことを前提に「想像」で話してるからいろんなところで論理が破綻してるよ。
まるで、裁判で検事が証拠品無しに起訴したあげく「裁判長、私の想像しますところ被告は…」と答弁しているみたいだぜ。
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 いや~、申し訳ないっす。ただ、内容に言及せずとも、ココさんの、「夢物語」を引き合いに出して創竜伝を是とする三段論法を否定可能と判断したからなんですよ。まあ、「夢物語」の内容云々でこの論法の妥当性に踏み込まないと仰るなら、とりあえず、「夢物語」の内容について考えてみましょう(内容の簡単な説明には感謝致します)。で、マンモス書店で検索してみたのですが、「夢物語」のストックなかったもんで、代わりに佐藤昌介、鶴見俊輔の高野長英に関する著書を一日かけて立ち読みしました。この佐藤って人、百科事典などでも、渡辺華山、高野長英ら、蛮社の獄に係わった人物の項目で監修してはる人なんで、その分野ではそれなりに評価されているんではないでしょうか。
 先ず、この高野長英って人について。蘭学を修め、蘭書の翻訳のかたわら、経世と国防などについて渡辺華山らのもとに集まり、経世的活動をしていた人らしいですね。現在でいうところのジャーナリスト、学者、知識人の類ですか。で,経世にかかわることで問題が起きる度に会合を開いて、あれや、これやと議論されてたようです。一種の政治活動家と言えます。
 「夢物語」について。これを書くきっかけとして、モリソン号が再度、来航する件を処置する幕府評定所にてモリソン号打ち払い、決定の情報を、評定所記録方、芳賀市三郎から聞き出したことから始まります。パンフレット(小冊子)形式にて数日で書き上げられ、匿名で発表されました。夢中での劇的問答という形式や「夢物語」の題名から、写本の形で広く行き渡り、読まれ、幕府にとっては、厄介な世間の潮流を生み出したそうです(ココさん曰く、庶民がモリソン号の件を知るわけがないとのことですが、モリソン号の件を知らなくとも、当時、絵入りのかわら版等で庶民のあいだにも外国船が頻繁に訪れていた事は、広く知られていたことですし、経世的な意味では庶民にも十分受けるものと思われます。かわら版のことはNHK教育でやっていました)。当然、幕府の要職の目にとまり、作者探しがはじまるわけです。しかし、実際は、幕府大学頭、林述斎(漢学者)にとって蘭学者はライバルなわけで、述斎の三男、当時、目付けの鳥居耀蔵によって、蘭学者達がでっち上げを食らった、というのが実情のようです。創作劇的問答という形式を採っているものの、内容自体は、当時、蘭書等から得られる知識を最大限投入して足りない部分を想像で補ったもののようです。ですから、中には勘違い(アメリカ船モリソン号をモリソン氏という別のイギリス人の率いる船として登場させた上で、当時のイギリスの強盛ぶりを指摘し、打ち払いが国際法上でも、国防上でも、いかに危険かを説いた、等)はあるものの、当時としては、事実に裏付られた(事実と本人は考えていた)、すぐれた政治論文と評価されています。夢中での問答形式を採用したのも、実際に仲間内で開かれた会合での会話を参考に、即時性を第一に考えた結果からだと思われます(幕府の方針が本決まりになる前に変更を促すため-->幕府の要職を刺激しないよう配慮した記述もあり)。作品的には現在の基準からすれば、駄作であることは、筆者も認めていますが、時代性を考慮すれば、当時としては、高野長英を抜きんでたパンフレッティアであったと結論づけています。また、現在とは言論に対する意識が異なることを踏まえれば、夢物語は経世を目的とした政治論文であり、小説でもなんでもありません(ただ、かわった形式を採用しているだけで、小説とは異質)。事実、幕府側は幕政批判書と認識していました(これが時代性を考慮した上での評価というものです)。
 以上、他人の解釈にたよった形で結論づけると、「夢物語」が(ココさんの論理では小説形式の)批判書として一般的に是とされているという事実を先に提示し、次に夢物語(創作劇的問答形式の政治論文)と創竜伝(批判表現を含んだ冒険活劇)とを小説、批判書としての面で同質とみなした結果、創竜伝も批判書として、もしくわ、小説として是である、とする三段論法は論理的に無理がある、と判断します。

 しかし、ココさん流の夢物語書評と佐藤昌介らの書評は解釈の点で若干異なる部分があることは認めます。わたしは、権威主義者ではないので、佐藤昌介らの解釈を優先するのはアンフェアだということを認めます。よって、以下、解釈の違いに依存しない論理構造上の矛盾点を指摘することで、ココさんの三段論法の無理を証明してみます。

 先ず、一般論。自らの発言の信頼性向上に、原典からの引用、ことわざからの引用など、何某からの引用という方法があります。では、引用の有効性はどこにあるのでしょうか。引用に耐えられるものというのは、仮に、現在の価値基準上の諸問題の信頼性向上を意図して引用する場合、すくなくとも、現在の価値基準に通ずるものでなければ機能しません。なぜなら、現在と異なる価値基準に属するものから引用したところで、条件が違えば、まったく異なる結果を導きかねないからです(例えば、おかめ顔の女性が美人だと主張する人がいたとして、その信頼性向上に平安時代ではおかめ顔は美人とされたことを引用して、現在でも彼女は美人である、と結論づけようが、現代人でそれに納得するものは少ないでしょう)。したがって、現在の言論の自由および言論の倫理観のもとで書かれた創竜伝の是を証明するのに、現在と異なる価値基準をもった幕政批判を許さない時代の夢物語を持ち出してきても、論理上機能しないのは自明であります。すくなくても夢物語という作品が現在の価値基準からみても十分通用するものである、というならば、この引用も機能するでしょうが、ココさん、佐藤ら共通して、現在の基準から見た場合、作品的には評価高くないでしょう?では、なぜ、夢物語が評価されているのかというと、幕政批判弾圧下のもと、次代の潮流となった考えを先取りしたという”時代性”からみた評価であります。この作品は現在ではなく、あの時代にあってこそ、光り輝くのです。この三段論法を機能させるには、引用元が少なくとも、現在の言論の自由、言論の倫理観から見た場合に評価されるものでなければ、不適当であります。
 以上二つの視点から、解釈上も論理構造上も夢物語を引き合いに出した三段論法は機能しません。

 引き続き、引用の一般論。共通価値観からの引用でなければ機能しないという点とともに、引用の有効性は、不特定多数の批判を潜り抜けてきたという強みがあります。要は、数の論理であり、一個人の発言よりも多くの批判に耐性を示したということがその信頼性を高めているにすぎません。また、仮に、批判に対する耐性の高さを認めても、その引用者自身が、引用元の意味を、オーバーに言えば引用元発言者の思考の道程を、トレースした上で、そこに必ず、引用者自身の引用元に対する評価を認定しなければ、引用の意味がありません。ことわざならば、使用者がその意味を理解し、使用の妥当性を認定してはじめて、使用の有効性が発生するのです。以上は、わたしの論理的帰結であり、特に原典はありませんが、一般的に言われる内容だと思います。

 先に示したとおり、夢物語を用いた三段論法が機能しないことが証明された上は、他の論法がある場合を除いて、ココさんの主要攻撃目標である緒言等の是非自体に直接突っ込むものでなければ意味がありません。したがって、以下、考えてみましょう。

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> つまり、ここであなたの言う「真理」とはあなたの思う「信念」、悪く言えば「信仰」なんですな。いやはや…。大体、「真理」などと言う言葉は「正義」と同様軽軽しく使う言葉ではない。Aの人にはAの人の、Bの人にはBの人の「真理」があって、Aの人の「真理」がBの人の「迷惑」である場合があるのです。たとえば、オウム”真理”教が己の手前勝手な真理にしたがって「何をしたか」よく知っているでしょう。”「真理」を認める”と言う事で、己の中にある批判精神や懐疑心を放棄していませんか?
 「私が原典を出せ」と言っている理由は、石井が「自分で創ってヨタ言ってんじゃねえのか?」と思い信用していない懐疑心と、「こんな狭量な定義が呑めるか!」という批判精神から来ています。もし、石井が「ヨタを言っていたなら」私の石井に対する信頼(うへぇ、こいつにだけは使いたくない言葉)は今まで以上、絶対零度に限りなく近いぐらい低くなり、従って「こんなやつの創ったヨタ話など信じるに足らん」と断言できます。ウソつきの言うことを信じるバカはいませんから。ただし、もしその原典が明らかになり、それが私の信頼する人物(例:宮武外骨)の言葉だった、あるいはその著書を読み大いに感銘を受けたなら「ムゥ、ひょっとして石井の言うことは正しいのかも…」と思いなおすことも可能かと思います。だから、「精神的安泰」ではなくあくまで「判断材料」の問題なのです。
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 むむ~ん、しっかりしてくださいよぉ。こんなツッコミ入れる人が必ずいると思ったんで、わたしは「真理」とは言わずに、一歩引いた形で「一面の真理」という表現を使ってるんすよぉ。それに、批判精神が生まれないって仰いますが、わたしは、なぜ、「一面の真理」を認めるか、先の投稿1543でその妥当性を説明してますよ。神の真理に検討はいらんでしょ?また、上記引用の本質的な特性を考えれば、原典の引用にも必ず引用者の是非判断が加わるんですから、仮に、管理人さんの発言に原典がないとするならば、その場合は、その言葉自体に直接突っ込んだ是非判断を加えるしか方法がないでしょう?もし、それができないと仰るならば、それは、ココさん自身が原典のある事柄にしか是非判断を下せないのか、もしくは、原典のない思考は、是非にさえ及ばない、ということのどちらかにしかありえないではありませんか。つまり、自己判断できない、権威主義的発想しかできないってことですやん。そんなことないでしょ?
っていうか、それ以前に、現在の言論の価値観に照らし合わせてみれば、フィクションの建前上、明らかに現実社会の出来事とわかる批判を挿入するってのは邪道でしょ?
 すくなくても、管理人さんの主張を否とするならば、「小説の初歩の初歩として、作品の中に作者の言葉が入ってはいけないというものがある。作者の主張は、キャラクターに語らせるとか、テーマとして伏流にして流すとか、そういうテクニックこそが小説であり、物語だからである。」の意味する概念の補集合的な部分に、ココさん流の「小説における主張表現法」があるってことでしょう(管理人さんの主張が現在の価値観を下地にしたものなのですから、当然、。ココさんの考えも現在の価値観を下地にしたものでなければならばなりませんよ、ココさんが過去に生きる人でない限りは)。どうかそれをお示しください。同時に、管理人さんの発言が現在の価値観において間違いであることを論証してください。もし、論理的証明ができないとおっしゃるのならば、ココさんの主張は根拠のないものと判断し、ただの感情屋とみなします。

 最後に、わたしが、夢物語を読んでいないことを直接非難対象とせず、丁寧に内容の解説をしていただいことに感謝いたします。

board1 - No.1572

なんのこっちゃ

投稿者:satoko
1999年07月17日(土) 15時41分

二度とこの件については書かないと宣言したのになんでことかいてんだ。

>カエサルさん
「おりこう」と誉めていただいてどうもありがとうございます、かえれ猿さん、いえ、カエサルさんでしたね。眠くて本音が出てしまいました。どうもすいません、感情を隠すのが下手なんです。

せっかくのお誘いですが、私も「夢物語」の概要程度はしっていても、読んだ事はありません。一般知識のない私がなんで他人様に物申せましょう。それと必要以上に私に仕立て屋さんとの事に関わらせようとしているようですが、仕立て屋さんが今回の件で私に明確に回答をどこかで求めてらっしゃったのでしょうか?
はっきり言ってココさんと明らかにココさんにのみかえしているのだろうというレスはほとんど読んでいません。そのような記述があるのならお手数ですが、何番目の何行目かはっきり挙げていただけるでしょうか。

それから、最後に他人に物申すほどの一般「常識」と同等くらいの文章解読力がございましたら、もう一度書きますのでよく読んでください。「人の名前を連呼して、他の方に失礼な事を言うな!」
犬でも2回言うと理解いたします。あっ、猿でしたっけ。

>仕立て屋さんへ
なんでこんなこといわれつづけてるのかわかりませんが、その事とは関係なくココさんについて一言。
こういう掲示板に書くにはある程度読ませるというスタンスが必要であると思います。そういった意味で今回、仕立て屋さんが言う「ふざけていてわかりにくいが」というだけでココさんは十分失敗した、と言えると思います。以前私が書いた「4つの意見、質問」の時、あなた自身「他の1、2、4はいいけど3(小林氏と田中氏の比較)だけはいただけない。」という理由から「こたえるのもたるい。」とかなり投げやりな態度で答えられていたではないですか。しかも、「そういう意味じゃない。」と言っても「そうは読めない。」とおっしゃってたし。
だから今回ココさんが書いた事に対して他の方が「なんだよ、この態度は。」ってことで深く読んでもらえなくて、議論にならなくても結局の所本人の責任なのでは?(しかも、俺様ランチさんの言うようにこういうのって田中ファンの人が今までも何度となく書き込んでたときは無視してたわけだし)

ちなみにココさん自身が(本心はどうか分かりませんが)NO.1530で「俺の事なんて無視しちゃっていいよ、俺は俺で楽しくやるからさ。」と明言されてる以上、みなさんが無視しようが文句言えないと思いますが(っていうか、いくら乱暴な文を書く人でもこんな事で文句言うほど小さい人ではないと思うけど)

先ほどもかきましたがNO.1530でココさんがこう書いてあるのを読んで以降はほとんど読んでいないので、これ以上言えませんが他の方に議論に加わわらないのはカッコ悪いという書き方が少し気になりましたので。

これでホントに最後です。これ以上私は関わるつもりはありません。(3回目です。カエサルさん。猫でも理解します。)

雑文で失礼しました

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