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投稿ログ69 (No.1258 - No.1269)

board1 - No.1258

ゴミカキコです

投稿者:ぱ~む
1999年05月17日(月) 17時43分

自称佐藤智和(厨房)くん・・・
なにがしたいの?
君が普段行ってるような
厨房向けサイトとは違うんだから・・・
TPOってもんがあるでしょ?(__;

このサイトは肯定否定はともかく
田中芳樹にこだわってるとこなんだし
存在意義を言及するなら
ありきたりな文句の前に
客観的で説得力ある理由を書かないとね・・・

#厨房向けな説明
#田中芳樹はOOOだから(もちろんファンに対しても説得力ある理由でね)議論する価値がない
#というよう文脈で書きましょう
#それでないと相手にしてもらえないよ
#まあこんなバカカキコしたあとじゃ
#恥ずかしくてもう書き込めないでしょうが

う~ん・・・
ただでさえ最近書き込み少なくて寂しいのに
なんでこんなバカがでるかな

私はROMってるばっかりなので
偉そうことはいえませんが,お気に入りサイトにこういうことされるとかなり嫌なので・・・
厨房は徹底的に無視無視~

board1 - No.1259

善人なおもて歴史を動かす、況や悪人をや。

投稿者:新Q太郎
1999年05月18日(火) 03時25分

一度書いた文章(長文)を間違って削除してしまい、ぶっ倒れてやる気を失っていたのですが、もう一度書いてみます。
例の秦檜-岳飛について。(この場合「紅塵」と「中国武将列伝」を取りたてて区別しません)
秦檜とその和平策が、どれほど無私のものであったかと、合理的なものであったかを少し分けて考える必要があると思います。
私自体はその資料をしりませんが、田中氏も資料を調べたでしょうし、陳舜臣先生も同意されたようだから、私的な清廉さに欠けていたことは事実でしょう。そして和平策も、自らの利益やエゴをたっぷり含んでいたでしょう。
しかし、ここが面白いのですが、エゴと利益まみれの「悪」が歴史の中でまったく別の効果をもたらすことも多いわけです。豊臣家を、ありとあらゆる謀略の末に滅ぼした家康の大坂政策があったからこそ、三百年の(同時代のどこと比較しても)一般庶民にとっては安定・安楽に暮らせた「江戸文明」が成立したのであり、そしてその江戸を近代国家に、ほとんど無血で生まれ変わらせたのは徳川慶喜が、忠義の旗本たちを見捨てて船でこっそりと大阪城を脱出するという、どっかの貴族連合みたいな卑怯なことをしたからでしょう。
こういうダイナミズムを作品なり評論なりに組み込むと、それはすごく面白くなってきます。

ただ、並みの作家には難しいのも事実です。私が知る限りでは、卑怯な人の振る舞いが歴史を進ませることを描いて成功したのは司馬の「最後の将軍」と、フーシェをモデルにした漫画「静粛に、天才只今勉強中!」しかしりません。
しかし、宋と金との和平問題はこれを書くのに格好の題材であったはずです。だからそれを回避した田中氏にはマージャンで言うと、「この配牌なら役満狙えよ!マンガンで喜ぶなっつううの!」というもどかしさを覚えたのです。

そして、こういうものでよく見られるのは「悪役」の表現方法に困るとき謀略や腐敗を、取ってつけることで肉付けしようとすることです。秦檜の場合は事実の裏づけがあるから、そこまでいうのは言い過ぎかもしれないが、悪役の主張というか、拠って立つ中心そのものに対するアンチテーゼに説得力を持たせるのが本来です
(たとえば司馬の「翔ぶが如く」を読むと西郷の人格的偉大さに関わらず「ああ、近代国家にはやはり西郷的なものは有害なんだな」と思わせます。だからこそ西南戦争が説得的になるのです)。それをできず、悪役を腐敗やエゴという観点からのみ造形すると、その悪役自体が二流になってしまいます。
このへんは佐藤健二が「風の谷のナウシカ」映画版で指摘していました。「クシャナの巨神兵復活、腐海撲滅案に対するアンチテーゼに説得力を持たせられないから、宮崎はクシャナに長を殺させ『人を殺すのはよくない』という最低のレベルでナウシカや村人の抵抗を理由付けした」と。そういう点が似ている気がします。もっとも田中氏の作品中では紅塵より、この点でもっとひどいのありますがね(笑)。

あとはメモ。
*「謀略・残虐・不法殺害」などはその他の政治的功績を考えても悪と評価すべき、というのはひとつの考えだが(ヴラドへの評価もそうか)、じゃあ毛沢東は鉄板で極悪人だろうに。

*「秦檜評価論」はチャイナの歴史上皆無ではないはず。どこもインテリはひねくれてるのよ(笑)。まあ、日本の吉良弁護論みたいなもんで四捨五入すれば大悪人扱いされてることは、は間違いないが、一応参考に。宣和堂主人にでも聴いてみたい所だ。

列伝などでは金の「侵略」と書いてあるが、どこからどこまでを「統一」といいどこからを「侵略」というのか?この表記を間違うと、イロイロ困るので”ガイドライン”を中国政府もつくっていただきたい気がする。チベ・・・「解放」もありましたね、はい。

board1 - No.1260

新Q太郎さんへ

投稿者:近藤崇仁
1999年05月18日(火) 09時54分

 はじめまして。平素はROMをしておるものです。
「善人なおもて歴史を動かす、況や悪人をや」非常に面白かったのですが、少し気になる点がありました。
 文中で用いられている「卑怯」という言葉です。この言葉には「臆病」と「卑劣」という、似て非なる意味あいがあります。
 慶喜の行動は「怯懦」でしょうし、家康の行動を卑怯と呼ぶ場合は「卑劣」でしょう(いくらなんでも豊臣家に本気で徳川家を滅ぼせると思っていたほど家康は馬鹿ではありますまい)。
 それで気になったのは、新Q太郎さんは、秦檜についてはどう考えているのでしょうか?
 「卑怯な人の振る舞いが歴史を~」というところからすると、「臆病」ととっているのかという気もするのですが、一方で前半部では「エゴと利益まみれの悪」という形で持ち出しているようにも見えます。
 私の場合、わりとこの両者を分けて考える人間でして、悪辣なチェーザレ・ボルジアや李世民の行動を絶賛する一方で、政権を投げ出す近衛文麿への評価は最悪です。
 何だかまとまりがなくなったので失礼させてもらいます。変な書き込みになってすいません。

board1 - No.1261

いち「銀英伝」ファンの感想 7

投稿者:Merkatz
1999年05月19日(水) 12時23分

「創竜伝」9巻まで来ました。残りも僅かとなりました。ところで創竜伝って何巻まで出ているんですか?図書館には10巻までしか置いてないもんで。

仙界だの天界だのなんかむちゃくちゃになってますね。1巻を読んだときこんな展開になろうとは想像だにしませんでした。なんとまあ大風呂敷を広げたものだと感心します。どういう風に終わるつもりなんでしょう。

例の月の空気の件、出てますね。まあ見苦しいものです。管理人さん(だったっけ?)がおっしゃってたように押し通すか、あとがきで素直に謝るか、どちらかが作家として誠実な態度だと思いますが。あっそうか。「創竜伝」は所詮、小銭稼ぎに書いているんだから誠実さなんて必要ないんだ。

「楊家将演義」の話が出ていましたが、あれが面白いという意見には賛同できます。かつてNHKのBS放送で「楊家将」という中国製ドラマを放送していたのを見たんですが、すごく面白かった。残念ながら途中から見たので、楊継業の話は知らないんですが、息子の楊袁紹からは最後まで見ました。
機会があったら読んでみたいなあと思っているのですが、出ているんでしょうかね。まあそれは置いておいて、中国文学の紹介が三國志に偏っているからといってそんなに青筋立てて怒ることでしょうか。
だって所詮よその国の文学作品ですよ。まんべんなく人気が出たりするもんですか。それぞれの国の国民の好みというものがあるんですから。
それを無視して「こんな面白いものが受け入れられないのはおかしい!」と力んだところで、日本人に中国人と同じ趣味・嗜好になれといっているのに等しいですよ。
そういう自分の考えを他者に押し付ける行為は、「創竜伝」などで田中芳樹自身が強く非難していたはずですけどね。

余談ですが、5月15日の読売新聞に「陳舜臣中国ライブラリー」という本の広告が載っていたのですが、そこに北方謙三氏に並んで田中芳樹の推薦の言葉が載っていました。以下抜粋。

「歴史や人物をダシにして現代人にビジネス上の教訓をお説教するような「中国もの」から、私は何ひとつ学んだことも感じることもない。文化や芸術に無関心な財界人が「曹操タイプ」と自称するような風潮にもうんざりだ。私だけがそうではないということは、陳先生の作品群が多くの読者によって熱く支持されていることで明らかだろう。近視眼的な実利など求めない読者、過去からの語りかけを実感し、歴史の悠久に思いをはせる読者がこんなにもいるというのは、うれしいことだ。」

(これは新聞に載ったままなんですけど、「熱い支持」って違いますよ。「厚い支持」です。どっちが間違えたんだろ)

(この文章、改変したら創竜伝の批判文に使えそう。冒険風ライダーさん、任せます(笑)。)

ちなみに北方謙三氏の言葉は要約すると「ひとりの人物、ひとつの出来事に、ある作品で光が当てられる。また別の作品で、同じ人物、同じ出来事に翳が与えられる。そうやって著作を積み上げることで、中国の立体性を表現している」ということです。

まあビジネス書の歴史解説が薄っぺらだという意見には賛成ですね。私もあれを蛇蝎のごとく嫌っていますから。

今回は珍しく田中芳樹の意見に賛同できる部分があったなあ。

board1 - No.1262

善人なおもて歴史を動かす、況や悪人をや。(改定版)

投稿者:新Q太郎
1999年05月19日(水) 18時13分

この前の文章は体調のせい?でへろへろ。論理はともかく主語述語、文章のてにをはからしてどうしようもないので文章を改定・補足しました。
***************

例の秦檜-岳飛について少し私見を。
(この場合「紅塵」と「中国武将列伝」の記述を厳密に区別しない)
これを考えるときは秦檜と、その和平策が「どれほど無私であったか」と「合理的なだったか」を少し分ける必要があると思う。
筆者はその資料を確認できないが、田中氏も色々な資料を調査したらしいし、陳舜臣先生も対談の中で同意されていたので、秦檜が私的な清廉さに欠けていたことは事実であり、彼の和平策も、自らの利益やエゴをたっぷり含んでいたと思われる。

しかし、ここが面白いのだが、エゴと利益まみれの「悪」が歴史の中でまったく別の効果をもたらすことも多いわけだ。
例えばありとあらゆる謀略によって豊臣家を滅ぼした、徳川家康の対大阪政策があったからこそ、三百年間(同時代のどこと比較しても)一般庶民が安定・安楽に暮らせた「江戸文明」が成立した。
そしてその江戸体制が近代国家に、大規模な内戦抜きで生まれ変わったのは徳川慶喜が、忠義の旗本たちを見捨てて船でこっそりと大阪城を脱出する(しかも小姓の振りまでして見張りを欺いた)という、どっかの貴族連合みたいな卑怯なことをしたからでしょう。

こういう善と悪とのわずかな差――というよりそのまま表裏一体となる不思議なダイナミズム――を作品なり評論なりに組み込むと、それはすごく厚みを増したものになる。少なくとも私はそちらの方を好む。
とは云え、これは並みの作家には中々リスクが大きいのも事実。私が知る限りでは、卑怯な人間の振る舞いが歴史を進ませることを描いて成功したのは

司馬の「最後の将軍」(文春文庫)
フーシェをモデルにした漫画「静粛に、天才只今勉強中!」(潮出版)
塩野七生のローマ教皇伝「神の代理人」(中央公論社)

ぐらいではないかと思う。
しかし、「南宋と金との和平」という題材は、これを書き切るのに千載一遇の好機であったはずだ。だからそれを回避し、普通の活劇風小説に留めた感のある田中氏には私はマージャンに例えると「この配牌なら役満狙えよ!ただのマンガンで喜ぶなっつうの!」というもどかしさを覚えたのだ。

そして、こういう物語でよく見られる傾向が「”悪役”の表現方法に困って、その人物の謀略、(俗流の)人格的欠陥、腐敗を取って付けることで肉付ける」ことだ。
秦檜の場合は事実の裏づけがあるらしいから、そこまでいうのは言い過ぎかもしれないが、本来なら悪役の「主張」というか、彼が拠って立っている中心そのものに対して、ヒーローらがそれを否定することに説得力、説得力を持たせなければいけない。
(たとえば司馬の「翔ぶが如く」を読むと、西郷の人格的偉大さに関わらず「ああ、近代国家にはやはり西郷的なものは有害なんだな」と思わせられる。だからこそ、その後の西南戦争の描写が説得的になる)
それをできず、悪役を腐敗やエゴという観点からのみ造形すると、その悪役自体が二流になってしまい、スケールが小さくなってしまう危険があるのだ。

このへんは佐藤健志も「風の谷のナウシカ」映画版で指摘しており
「クシャナが掲げる巨神兵復活、腐海撲滅…という案に対するアンチテーゼに、宮崎駿は説得力を持たせられなかった。だから、彼は(必要もないのに)クシャナに長を殺させ、『人を殺すのはよくない』という最低のレベルでナウシカや村人の抵抗を理由付けしたのだ」(「ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義」要約)と論じている。
そういう点が似ている気がするのだ。もっとも田中氏の作品にはこの点、紅塵とは比較にならないほどひどいものがあるが(笑)。

あとはメモ。
*「謀略・残虐・不法殺害」などをした歴史上の人物は、その他の政治的功績があろうとも悪と評価すべき、というのはひとつの考えだが(ヴラドへの評価もそうか)、じゃあ毛沢東は鉄板で極悪人だろうに。

*「秦檜評価論」はチャイナの歴史上皆無ではないはず。どこもインテリはひねくれてるのよ(笑)。まあ、日本の吉良弁護論みたいなもんで四捨五入すれば大悪人扱いされてることも、和平の「プロパガンダ」として引用しても逆効果なのもは間違いないだろうが、一応参考に。宣和堂主人にでも聴いてみたい所だ。

*で、中国武将列伝にあるように、岳飛の墓の前に縛られた秦檜夫妻像が置かれ、参拝者がその像に唾を吐く(もしくは小便をひっかける)……という光景は私も高校の歴史資料集でみた。そして当時、それにかなり薄ら寒さを覚えた。日本も幕末に志士が足利尊氏の木像をさらし首にしたという事件があったが、はっきりいってこれらはヤン・ウェンリー的(竜堂兄弟的?)にいえばヘンテコに歪んだ「愛国心」ではないか。これをグロテスクだと感じないのなら、田中氏が中国と日本(や自由惑星同盟)のナショナリズムについてダブル・スタンダードを用いている、という指摘に反論できまい。(列伝では、それに批判的な記述なし)

*「中国武将列伝」などでは田中氏、金の『侵略』と書いてあるが、どこからどこまでを「統一」といいどこからを「侵略」というのか?この表記を間違うと、イロイロ困るので”ガイドライン”を中国政府もつくっていただきたい気がする。チベ・・・「解放」もありましたね、はい。

board1 - No.1263

秦檜

投稿者:新Q太郎
1999年05月19日(水) 18時16分

それから、近藤崇仁さんに
//「卑怯」という言葉には「臆病」と「卑劣」という、似て非なる意味あいがある。私は(後者の)チェーザレ・ボルジアや李世民の行動を絶賛するが、(前者の)近衛文麿への評価は最悪である。秦檜についてはどう考えている(どちら)か?//
というご質問を頂きました。

私は、秦檜は「自分の意志というものがなく、いやいや流される」という近衛のような形での臆病さはなかったと思います。そういう点で「エゴと利益」を猛烈に求める、という意味での積極性を持った人物だと考えています(把握している資料が少ないんだけど)。ただ、チェーザレ・ボルジアや李世民は基本的に自分のエゴによって「大状況」を変えて主導権を握ったプレーヤーなのですが秦檜は「金に圧迫される宋」という大状況の”枠組みの中で”踊ったプレーヤーであります。
その点で、彼ら大エゴの持ち主とはボクシングでいう「階級」が違うのではないかと思うのです。歴史小説でも彼らのような人物を描くと「大ピカレスクロマン」というちょっと違ったジャンルに分類されるように個人的には感じていますがいかがでしょうか。
塩野の作品で「チェーザレ・ボルジア――あるいは優雅なる冷酷」を前述の文章で成功作品に取り上げなかったのはそういうことでもあるのです。

―――――――――――――――――
ところで皆さんは、「秦檜」とか「岳飛」とかいちいち新語登録してるんですか?
私は漢字探すのにあきらめて、文章で固有名詞を避けることも多いのですが(笑)。
新聞の公式サイトですら「トウ小平」と書いたりしているのに・・・

board1 - No.1264

独り言

投稿者:石井由助
1999年05月19日(水) 18時30分

ちょっとわざとらしい独り言ですが、やっとメインマシンのモデムが復活しました。ここ三ヶ月近くリブレットでHP管理していたけど、つらかった…(;;)

 というわけで、近々過去ログを更新したいと思います。ザ・ベストは選ぶのにちょっと悩みますね。

 あと、つい最近気付いたのですけど、インデックスからリンク集へのリンクが消えているのは、単なる管理ミスで<;;;m(__)m>他意はありません。どうもすみませんでした。

P.S.
>新聞の公式サイトですら「トウ小平」と書いたりしているのに・・・

 これは、トウの字を入れると文字化けを起こすためだと思います。

board1 - No.1265

レス to 1240(管理人さん発言)

投稿者:仕立て屋
1999年05月19日(水) 22時16分

 十分にクールダウンしたのでレスします。

 レスの前にひとつ言っておきたいことがあります。一連の管理人さんから私へのレスを眺めていると、知ってか知らずかどうも細切れレス、つまり、発言の主旨を汲んだレスではなく、単文だけをとりあげてのレスが目に付きます。単文抽出による反論はたやすいですよ。前後関係を無視できますから。

----------------------------------------
>>ジャンルは違えども作品に取り組む姿勢を見比べた
というのはちょっと小林よしのりを引き合いに出す趣旨が違うと思います。ジャンルを無視して自分の仕事に取り組む姿勢を比べるのであれば、野茂選手の野球に対する野球選手としての姿勢や黒沢監督の映画にかける映画監督としての姿勢を、田中氏の小説に対する作家としての姿勢と比べても良いわけですから(もちろんこの比較は「妥当」だと思いますが)。
 しかし、ここで小林よしのり氏が引き合いに出されるのは、エンターテイメントの旗手が評論に手を出すという姿勢が共通するからであり、評論をする以上はその評論に対する姿勢の比較としてわかりやすいからです。
 ですから、田中芳樹の職業に対する姿勢を問うための有力な検証として小林よしのりとの対比は有効ですが、検証は検証に過ぎず、本旨ではないのです。
----------------------------------------

 あのね~、いつ私がジャンルを超えた比較を一般化しましたか?こういうレスのつけ方は自覚しておられるのならある意味納得できますが(私を馬鹿にしてるのかい?とは思います)、
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>しかし、ここで小林よしのり氏が引き合いに出されるのは、エンターテイメントの旗手が評論に手を出すという姿勢が共通するからであり、評論をする以上はその評論に対する姿勢の比較としてわかりやすいからです。
 ですから、田中芳樹の職業に対する姿勢を問うための有力な検証として小林よしのりとの対比は有効ですが,,,,
---------------------------------------
 これは私がおぼっちゃまくんの例を出したりしてさんざん主張してきたことそのものなのですけど。それをそのまま返されても答えようがないのですが、、、それともそれを汲み取られずにレスされているのでしたらおどろきです。ですから、管理人さんの主旨が
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>検証は検証に過ぎず、本旨ではないのです。----------------------------------------
の部分だと良心的に解釈することにします。が、これにしたところで、わたしがいつ、この”意義ある”検証を本旨だといいましたか?このサイトにおける緒言と緒言を具体化したコンテンツ8の主旨を補強する要素(検証材料<----確かに、'よく小林よしのりのことを聞かれるけれど'と最後におまけ的に述べられていますが、この小林よしのりの話は明らかに主旨の補強として用いられています、でなければ、持ち出す必要がありません)であるとは主張しておりますが。で、管理人さんが頻繁にお使いになるサイトの本旨のことなのですが、私はそれを先ほど申し上げたように緒言のことだと理解しておりましたが違いましたでしょうか?だとすれば、その緒言の具体化のひとつであるコンテンツ8においてその補強的検証の部分が否定された場合、当然、コンテンツ8の主旨も論理的関係上、否定されかねないのはおわかりになりますね。ですから、管理人さんのsatokoさんへのレス
------------------------------------
>閑話休題。
 少々話題がずれましたが、私も田中氏と小林氏の比較にとりたてて意味があるとは思いません。ただ、まったく無意味とは思いませんし、比較するというのであれば、以上の理由から小林氏の方が自分の発言に責任を持っていると考えます。
----------------------------------------
 の部分に対してわたしが何故カチンときたかは分かっていただけると思います。つまり、自らの主張の補強的検証がsatokoさんの発言において'無意味”と言われているのに(論理構造上、コンテンツ8の主旨も危うくなる)、その検証自体は取り分けて意味がなくしいて言えば云々、とおっしゃられていることに”エラありやんけ、自分で使っといてそれがたいした意味はないってのはこりゃ、いかに?”と感じた次第です。これがもし、”田中氏のスタンスを批判するためにあえて小林よしのりを持ち出す必要はない”とおっしゃられたのでしたら、まだ、わたしも納得できたのですが(ですが、管理人さん自ら持ち出してらっしゃるのですから、おかしな話です)。しかし、これはニュアンスがまったく異なります。そもそも、自らの主張をわかりやすくするために比較対象を用いるのはよくあることですし、この場合、ちょうど掲示板で話題になった小林よしのりのスタンスとの比較を持ち出すのはごく自然な流れだと思われます、管理人さんもそう思ったのではありませんか?また、管理人さんのおっしゃるサイトの本旨なるものが主に緒言における内容であるのなら、コンテンツ8の主旨はかなりの部分その本旨に重なるとおもわれますが、どうでしょうか?わたしが何故、あれほど、satokoさんや管理人さんにこの部分で噛み付いたのかは以上の理由からです。管理人さんの概ねおっしゃりたいことはわかりますが、ここが文字情報のみの世界であり、また、それのみが相手の主張を汲み取るヨスガであるとするならば、主張、スタンスに論理矛盾を感じざるを得ません。それとも、管理人さんのおっしゃる本旨が私の理解している本旨とは違うところにあるのでしたら、わたしの見当違いということでご容赦ください。その場合、管理人さんの本旨なるものをご説明ください。でないと当サイトにおいて如何なる立場で発言してよいものか、私、迷ってしまうもので。
 あと、どうでもよいことですが、小林よしのりとの比較の件を私が先に言い出し、本旨だと私が主張しているように受け取られているようですが、少なくとも、先に触れてるのは私よりも管理人さんのほうが先なのですし、わたしは、その比較がこのサイトの主旨の補強に十分機能していると感じられるから、こだわってることだけ付け加えておきます(私が頻繁に言い出しっぺは私じゃないと繰り返していたのは、心のどこかで、別に俺が最初に小林よしのりとの比較を思いついたわけではないのに、なんで、こんなにくってかかってるんやろ?という気持ちがあったものですから。satokoさん、そういうことですのであしからず)。
 なんか、ケンカ売っちゃってるなぁ、俺。酔っ払いのクダまきのようになっちゃいましたね。常日頃、サイトの運営おつかれさまです。大変だとは存じますが、これからもよろしくお願いします。

board1 - No.1266

補足

投稿者:仕立て屋
1999年05月19日(水) 22時54分

 コンテンツ8の補強的検証で管理人さんが採用された小林よしのりと田中氏のスタンス比較がもし、否定されるとしたら、
 比較=間違いもしくは無意味--->フィクションにノンフィクションを織り交ぜた評論まがいの小説が肯定されかねない--->田中芳樹が創竜伝において評論まがいをかましてもそれはそれであり
 ってなことになるのはわざわざ指摘しなくともおわかりでしょう(管理人さんがそんなことは意図していないのはこんなサイトを立ち上げられてることから十分推定されますが、文字情報からはそうは取れません)

board1 - No.1267

新Q太郎さんへレス

投稿者:小村損三郎
1999年05月20日(木) 14時31分

>しかし、ここが面白いのだが、エゴと利益まみれの「悪」が歴史の中でまったく別の効果をもたらすことも多いわけだ。
>例えばありとあらゆる謀略によって豊臣家を滅ぼした、徳川家康の対大阪政策があったからこそ、三百年間(同時代のどこと比較しても)一般庶民が安定・安楽に暮らせた「江戸文明」が成立した。
>そしてその江戸体制が近代国家に、大規模な内戦抜きで生まれ変わったのは徳川慶喜が、忠義の旗本たちを見捨てて船でこっそりと大阪城を脱出する(しかも小姓の振りまでして見張りを欺いた)という、どっかの貴族連合みたいな卑怯なことをしたからでしょう。

>こういう善と悪とのわずかな差――というよりそのまま表裏一体となる不思議なダイナミズム――を作品なり評論なりに組み込むと、それはすごく厚みを増したものになる。少なくとも私はそちらの方を好む。
>とは云え、これは並みの作家には中々リスクが大きいのも事実。私が知る限りでは、卑怯な人間の振る舞いが歴史を進ませることを描いて成功したのは
>司馬の「最後の将軍」(文春文庫)
>フーシェをモデルにした漫画「静粛に、天才只今勉強中!」(潮出版)
>塩野七生のローマ教皇伝「神の代理人」(中央公論社)

>ぐらいではないかと思う。

非常に面白い論ですね。
歴史というものの面白さと不条理さの本質は正にこれだと思います。
こういう見方をすると、銀英伝でさえ真の
“架空歴史小説”には成り得ていないと言えますものね。
「歴史は時としてそれにふさわしくない人物に鍵を預けることがある」
とは司馬さんが『関ヶ原』で書いたんだったかな。(ひょっとしたら早坂暁脚本のドラマ版の方だったかもしれん)

ところで徳川慶喜についてなんですが、やはり『会津士魂』を始めとする一連の早乙女貢作品も外せませんね。
この人の歴史観も田中芳樹とはまた違った意味でアレだし(笑)・・・。
薩長は言うに及ばず、幕府側の人でも会津に不利な働きをした人は悉く人格低劣な卑怯者にされているという(^^;;)。
勝海舟なんて
「所詮武士ではなかった。金で武士の身分を買った者の子孫だったのである。」
だもんなー(汗)。

片や昨年の大河ドラマ『徳川慶喜』(←駄作。田向正健に長編を書かすのはもうヤメロ)では
「余が頼むに足らぬ卑怯者と見れば多くの者が戦うのは馬鹿らしいと思うであろう。」(by本木)
とか言ってエエカッコさせてたし。

>とは云え、これは並みの作家には中々リスクが大きいのも事実。

てのは本当ですなー。

>ところで皆さんは、「秦檜」とか「岳飛」とかいちいち新語登録してるんですか?

私は冒険風ライダーさんが書かれたのをコピー&ペーストしてます(爆死)。
「檜」の字を捜すのは初めから放棄してるので・・・(^^;;)

board1 - No.1268

久々の投稿

投稿者:冒険風ライダー
1999年05月20日(木) 16時42分

新Q太郎さんの投稿、なかなか面白いものがありました。
正直言って、私の秦檜弁護論よりもずっと説得力があるな~。

<「クシャナが掲げる巨神兵復活、腐海撲滅…という案に対するアンチテーゼに、宮崎駿は説得力を持たせられなかった。だから、彼は(必要もないのに)クシャナに長を殺させ、『人を殺すのはよくない』という最低のレベルでナウシカや村人の抵抗を理由付けしたのだ」(「ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義」要約)と論じている。
そういう点が似ている気がするのだ。もっとも田中氏の作品にはこの点、紅塵とは比較にならないほどひどいものがあるが(笑)。>

 創竜伝の「染血の夢」に対するアンチテーゼが、竜堂兄弟の「安っぽいヒューマニズム」でしかないというのは、私もいやでしたね。あれのおかげで、私はヒューマニズムが嫌いになってしまいました(^^;)。あんなのでは四人姉妹の方を応援したくなってしまいますよ。

<ところで皆さんは、「秦檜」とか「岳飛」とかいちいち新語登録してるんですか?
私は漢字探すのにあきらめて、文章で固有名詞を避けることも多いのですが(笑)。
新聞の公式サイトですら「トウ小平」と書いたりしているのに・・・>

 私は新語登録しました。岳飛は最初から入っていましたけど、秦檜の「檜」は自力で探しましたね。結構使うかな、と思いましたし。
 トウ小平のトウについては、私も以前の投稿で文字化けしてしまった事がありました。こっちのパソコンではちゃんと登録されているのに~(T_T)。

Merkatzさん、創竜伝は一応11巻まで出ています。これも外伝という設定です。
仙界だの天界だのといった設定も、様々な点で矛盾だらけですので、いずれそのあたりをついた批評を展開しようと思っています。

それとリクエストがあったようですので(笑)、ちょっとその読売新聞の「田中芳樹の推薦の言葉」の批評をやってみましょうか。

<歴史や人物をダシにして現代人にビジネス上の教訓をお説教するような「中国もの」から、私は何ひとつ学んだことも感じることもない。文化や芸術に無関心な財界人が「曹操タイプ」と自称するような風潮にもうんざりだ。私だけがそうではないということは、陳先生の作品群が多くの読者によって熱く支持されていることで明らかだろう。近視眼的な実利など求めない読者、過去からの語りかけを実感し、歴史の悠久に思いをはせる読者がこんなにもいるというのは、うれしいことだ。>

 相変わらず自分勝手な主張をしていますね~。田中芳樹の怒りは理解できないでもないですけど、その怒りを読者や一般人に向けるのはスジ違いでしょう。田中芳樹と違う考えを持っているからといって、何でここまで罵られねばならないのでしょう。そんなに「三国志以外の中国もの」に目を向けさせたいのならば、自分が「中国もの」を書けばよいだけの話ではありませんか。別の視点で見てみれば、田中芳樹を始めとする少数以外は誰も見向きもしていない分野なのですから、自分が独占管理できるではありませんか。それでベストセラー小説が書けないというのならば、他人を罵るよりも先に自分のいたらなさを反省すべきではないのですか。田中芳樹には「自省」というものがないんですかね。
 自分でできないのであれば、自分の代わりにやってくれる有望な若手作家でも発掘したら良いでしょう。あなただって金持ちなんですし(長者番付作家部門17位なんですから、少なくとも一般人よりは金持ちでしょう)、中国ものをもっと拡大したいという野心ももっていらっしゃるのならば、当然自分が率先してやるべきでしょう。あれほど「文化の育成に無関心」などと批判されている日本の現状から考えると、他人を期待しても無駄のようですからね。
 もっとも私としては、「そんな事よりも既存のシリーズもの(創竜伝・クランは除く)を早く終わらせろ」と言いたいところなのですけど。

で、下が文章改変です↓
<歴史や人物をダシにして現代人に政治・社会問題の暗部をでっちあげてお説教するような「創竜伝の社会評論」から、私は何ひとつ学んだことも感じることもない。政治や経済・社会問題の実情に全く無関心な、うわべだけの社会評論を展開している田中芳樹が「小説家」と自称するような風潮にもうんざりだ。私だけがそうではないということは、「田中芳樹を撃つ」のHPサイトが多くの田中芳樹読者によって厚く支持されていることで明らかだろう。近視眼的な実利など求めない読者、過去からの語りかけを実感し、歴史の悠久に思いをはせる読者がこんなにもいるというのは、うれしいことだ。>

う~ん、こんなんで良いんだろうか?

 ところで「私の創竜伝考察シリーズ」は、ちょっと多忙&それにともなう体調不良のため、スタンスの改善も兼ねてしばらくお休みさせていただきます。暇ができる6月には再開したいものですけど。
 新シリーズも少しお待ちください。

PS.
小村さん、
<私は冒険風ライダーさんが書かれたのをコピー&ペーストしてます(爆死)。>
あらら、使われていたのね~(笑)。

board1 - No.1269

陳舜臣氏について

投稿者:Yasushi-Ta
1999年05月20日(木) 17時18分

拝啓  突然メールを差し上げるご無礼、何卒お許し下さい。
陳舜臣氏について伺いたいことがあるのです。わたしは30代のサラリーマンです
が、父が陳舜臣氏
の小説が好きで、「阿片戦争」などいくつか読んでいたようでした。わたしも少し読
んでみたのですが、
どちらかというと、あまりなじめなかったというのが正直なところです。陳舜臣氏に
ついて発言する人は、
作家の田中芳樹氏をはじめ、陳舜臣氏をたたえる人ばかりなのに違和感を感じたわた
しは、
誰かに聞いてみたくなったのです。

たとえば陳舜臣氏のシルクロードについてのエッセイを読んでみると、ウイグル族が
「開放」前はいかに
悲惨な暮らしを送っていたか、「開放」されていかに感謝しているか、というような
ことが書いてあります。
しかし、近年のウイグル族の反体制運動は、もはや隠しようもないくらいになってき
ています。
またわたしは、ダライラマのチベット関係の著作も読んだことがあるのですが、陳舜
臣氏はこういうテーマ
は扱わないようです。どうやら、中国政府のご機嫌を損ねるようなテーマは扱わない
ようなのですが、
こういう点を指摘する人が誰もおらず、賛美する人しかいない、というのが日本の知
的風土の貧しさでは
ないでしょうか。アメリカなら必ず誰か、異議を唱える人が出てきます。

陳舜臣氏は中国本土では、愛国的華僑作家として紹介されているとのことです。こう
いう作家であることを、
今後ともわたしは認識しながら読んでいこうと思っています。私見についてのご意見
・ご批判等伺えれば
幸いです。
                  敬具

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