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投稿ログ66 (No.1209 - No.1219)

board1 - No.1209

私見

投稿者:Merkatz
1999年05月09日(日) 21時55分

このサイトの意味やスタンスについてずいぶん論じられてますね。
「右傾化」という非難は仕方ないかなと思います。だって批判対象たる田中芳樹が「極左傾化」してますから、それに対する批判は自然と「右傾化」せざるをえないでしょう。
しかしそんな中でもレッテル貼りは行われてなかったと、私は思うんですけど。皆さんの批判は常に論理的で「左翼だからダメ」のような切捨ては全然なかったと思います。

それにこのサイトが新規読者の獲得に実績を上げているのは事実ですし。私がその証拠。ここのサイトに来なかったら、絶対創竜伝なんて読んでませんよ。
ここでいろいろ批判されていたから、いっちょ読んでみるか、という気になったんです。次は馬ネタで盛り上がった「アルスラーン」も読んでみたいと思ってますし。

確かに非常に細かいことまで突っ込んでいるんで、ファンの人から見れば「だから何?」と思うのも無理はないとも思いますが、「創竜伝」に限って言えば、社会批評が作品としての構成をぶち壊しているのが問題なのであって、ここの人たちは常にそれを前提として論じてきたはずです。
ですからファンの人たちもそこのところを理解してほしいと思います。ここの人たちは(自分も含めて)重箱の隅をつついて喜んでいるのではなく、田中作品のこういう所が作品の面白さを削いでいるぞと言いたいのです。
それを指摘するのに作者の思想にまで言及せねばならないところに、小説に社会批評を混ぜ込んだ「創竜伝」の業の深さがあると思うのですが。

管理人さんの「レッテル貼りはやめよう」との提言ですが、私は何のために批判を行っているのかを明らかにするほうが重要だと思います。
常連さんにとっては「社会批評が作品構成をぶち壊している」というのは暗黙の了解であっても、ここに初めて来るファンにとってはそうではありません。
ですから「こうこうこうだから、これが作品をくだらなくしている」「ああだから作者の誠意が感じられない」という風に、その批判対象が作品に及ぼしている影響を言及するほうが良いのではないでしょうか。
思想批判でとどめるのではなく、それが結果として作品に悪影響を与えているよと付け加えたほうが良いと、私は思うのです。

と言いながら自分の下の投稿は失敗してるなあ(^^;)。

board1 - No.1210

自分の言葉ではなしてみようと思います。

投稿者:satoko
1999年05月10日(月) 05時14分

どうも、カッコつけて難しい言葉で話そうとして誤解を招くようなので、ふつ~の話し方で書いてみよと思います。

Merkatzさんのご意見すごくわかりやすくて、ふむふむと思いながら読んでました。(^^)
そこを踏まえた上で、一つ言いたくて書いてます。実は私が前に書いた意見で、「なぜ田中芳樹なのか。」という事に関しておそらく「極左翼化してるからだ。」という答えが返ってくるだろうと思ってました。でそこから言いたかったのは、ここでは少し誇大に田中氏を評価(?)しすぎてないかな~。という本音です。

私の友達の「田中信者」(この表現笑える)は「田中作品に対する批判がある。」それだけで許せないようです。だから私が「田中中国小説きら~い。」とか言うだけでもまじきれになっちゃいます。その子に無理矢理うちに遊びに来た時このHPを見せました(冗談で)。いらいらしているようでしたが、メイン文の途中までは「悔しいけど、そうかも・・・。」といっていたのが、「小説なら許される」の項を読んだ瞬間に壊れました(笑=こんなにあてはまる言葉はないと思うくらい)「こんなHPぶっつぶしてやる~!!」と言い出した彼女を私と彼女の彼氏でなだめても(それも冗談半分だったけど)「こんなくされいけんに誰が共感するか~!」の一点張りでした。

途中まではほんとにちゃんと読んでたんです。なのに、あまりに露骨ないやみによってそれ以外の本当に共感できる意見が消されてしまったのです。

私はここでの議論で田中氏の記述が左翼よりなものに関して、右翼的な意見に傾くのは当然だと思います。それは同じ意見です。ですが、ここで書かれている田中像が本当に正しいものでしょうか?どうも私にはあまりに極端に田中像を作り上げているのではないかなと、それを見るとなんだか、その意見に説得力なく感じるようになるんです。

もちろん、ここのHPがただたんにみんなで悪口いお~ぜ~、とか、田中ファンでも理解できないやつはほっときゃいい。という目的のものであれば別にかまわないかな~と思いますが、ここは論議を目的にしている場と感じられるし、石井さんをはじめとして「理解してもらおう。」という誠意を感じるとてもよいHPだと思います。だから、読みたくない人に無理に読ませるのは私の友達だけとして(笑)いろいろな面から見てみたいというファンが、抵抗ない、少なくとも、理論をよむきもしないなどとなり得るような所ははずしてもいいんじゃないかと思います。

そういう意味で「田中は極左だ!」とか言う表現じゃなく「こうこうこういうとこから、田中氏の考えがおかしい。」という表現になった方がいいんじゃないかなと感じるので、多分管理人さんやその他の人が言ってたのも「右翼的な意見はいうな。」というものじゃなく、「極端に田中氏を左翼扱いするのはやめよう、理論的に責めていこう。」というものだったのかなという気がします、違うかもしれないですが。そんなんわかってるよ、ってかんじたらごめんなさいねm(--)m、とりあえず、以前来た時、田中氏がまるで悪の権化か、ただの変態か(笑)といわんばかりの掲示板での書き込みがあったこともあって確かに理論的に話してくださってる人もいるが、そういう幼稚な人もいて辟易した田中ファンが「下らん」として離れていった人がいる事からかんがえて、あの忠告は軌道修正するのにすごくいい事だったんじゃないかなと思います。

それでは雑文ですいませんでした。仕立てやさんへのレスはもう少し冷静になってから書く事にします。

board1 - No.1211

そうですね

投稿者:仕立て屋
1999年05月10日(月) 08時20分

>常連さんにとっては「社会批評が作品構成をぶち壊している」というのは暗黙の了解であっても、ここに初めて来るファンにとってはそうではありません。

 そうですね。わたしもそれには同意します。ただ、わたしが1203発言においてあのような失礼な物言いをしたかと申しますと、satokoさんが1202の発言の冒頭にて以前にも発言された、云々とご発言されていたのを受けて、ああ、一応は創竜伝における田中氏の真摯さの欠如の項を(この掲示板の初期に論じられているので)お読みになってるのだ、それを踏まえた上でさえあのようなの発言(1202のその3)をされるのか、ああ、むずかしや~~~と感じたからです。
 もう少し、寛容さがひつようでした(ちょっとえらそうか?失礼)。

board1 - No.1212

RE1200

投稿者:冒険風ライダー
1999年05月10日(月) 11時49分

<謝罪外交の是非を論ずると話がかなりズレるのでやめますが、当時の南宋と現代日本では状況がまったく違うと思います。南宋は「侵略された国」であってそもそも金に臣下の礼をとる必要が無いのですが、日本はあくまで「侵略(進出でもいいですが)した国」であって、謝罪したところで全くの筋違いではないと思います。
 ここで言いたいのは謝罪外交の正否ではなく、あくまで「南宋と現代日本の状況を同じとみる事に無理がないか」という事です。>

 まず、謝罪外交と秦檜の外交は、表面的には両者とも屈辱外交であるという共通点があります。そして、「必要が無い」という点では謝罪外交の方がさらに必要性がありません。南宋の場合は、「国の存続」があったために仕方なく「名を捨てて実を取る」外交をしたと解釈できますが、謝罪外交は「名も実も丸ごと捨てたあげく、日本を貶めただけ」の外交でしかないのです。両者は確かに同列には扱えないでしょうけど、外交の例として見比べてみれば、謝罪外交の愚かさが分かるという意味で私はこの2つを一緒に並べて見ていました。だいたい「過去の戦争責任」なるシロモノは、すでに日本はサンフランシスコ平和条約や日中平和友好条約などですでに清算されているのに、なぜ今更罪を蒸し返されて謝らなければならないのですか?
 それから、謝罪外交を論ずるのに、「状況がまったく違う」という事を考慮する必要は全くありません。なぜなら謝罪外交とは「現在の価値観をもって過去を裁き、その子孫が謝罪する」という、歴史を冒涜するものであるからです。この論理を使えば、現在の価値観によって岳飛を「右翼の軍国主義者」「大量虐殺者」と断罪できますし、秦檜を「平和の使徒」と礼賛できます。田中芳樹だって中国史でこんな見方をされれば、「現在の価値観でなぜ歴史上の人物を評価するのだ!」と主張するはずです。しかし田中芳樹が創竜伝で展開している日本の歴史評論では、まさに「現在の価値観をもって過去を裁」くという事をやっています(特に戦前)。大好きな中国では比較的まともに歴史評価している(ただし岳飛と秦檜だけは例外)田中芳樹が、なぜ日本の謝罪外交の愚かさに気づかないのか、私は不思議でなりません。
 謝罪外交は、創竜伝と田中芳樹を論ずる時に非常に重要な問題だと私は感じていますので、「私の創竜伝考察シリーズ」でも取り上げてみようと思います。そのときに完全な答えを提出する事にしましょう。

<オーベルシュタインと秦檜は確かに両者とも「嫌われる正論家」であったかも知れませんが、「嫌味なまでに私利私欲がない(という設定)」のオーベルシュタインと、それなりの権門である秦檜では好かれる要素に違いがありすぎだと思います。
 「自ら死間になってもいい」とまで言ってのけるオーベルシュタインと、捕虜になった金から結構いい待遇で帰ってきた秦檜では、やっぱり自己犠牲の度合いがかなり違うと思います。>

 オーベルシュタインも、銀英伝1巻でイゼルローン要塞から「たった一人で悠々と」帰還していましたし、ラインハルトに取り入って自己の安全を確保しています。また、キルヒアイスを間接的に殺したのはオーベルシュタインですし、ローエングラム王朝が成立した時には軍務尚書(←これはかなりの権門でしょう)に収まっています。もし彼を、「銀英伝の後世の歴史家」が評したら、意外に秦檜と同じような評価になってしまう可能性も充分にあります。現に「彼に否定的な歴史家」が、ロイエンタールが死んだ時に「血塗らずして対立者を葬り去った」などと評していますし。
 後世の人間にとって、オーベルシュタインに私利私欲があったのかどうかを判断する材料は歴史書しかありません。上記の行動を見て、オーベルシュタインに私利私欲や権力欲がなかったと評する事ができますか? そりゃ銀英伝読者や作品中の人間ならば知っていたでしょうけど、「後世の歴史家」が完全に知る事ができたかというと……。
 これと同じことが秦檜にも当てはまるのではないでしょうか?

<「秦檜の評価がどれも一緒なのが気に入らない」との事ですが、歴史上「悪人」の評価で固まってる人は他にもいるでしょうし、変に野党精神を発揮しなくてもいいのでは?>

 「悪人」の評価で固まっている人を、別の視点から改めて評価するということも私は重要なものであると考えています。「創竜伝」や「紅塵」における田中芳樹のように「ただ礼賛するだけ」「ただ否定するだけ」では何も分かりはしません。そう考えたからこそ、あえて「野党精神」なるものを発揮したのですけど。
 あなたもここのHPが「田中芳樹批判1色」になってしまったら気味が悪いでしょう? それと同じ事だと考えてください。

 それと論争を始めてからかなり応酬がありましたし、お互いに考え方が理解できたと思いますので、そろそろ論争を終わらせたいと思いますが、いかがでしょうか。

board1 - No.1213

RE1201

投稿者:冒険風ライダー
1999年05月10日(月) 11時51分

<「私の創竜伝考察シリーズ」自体は非常に意義のあるものだと思うのですが、ボリュームがありすぎるために、失礼ながら一つ一つの批評の質が散漫になっている面も否定できないと思います。>

 創竜伝3巻以降、ひとつあたりの社会評論が異常に長くなったために批評の文章も長くなり、文章全体が最初の頃の二倍の長さになってしまっていますからね。
 ご忠告どおり、これからはもう少しゆっくり&少しずつ批評していく事に致しましょう。

board1 - No.1214

satokoさんへのレス

投稿者:本ページ管理人
1999年05月10日(月) 14時46分

>これなら、他の田中ファンにも進める事ができると思います。

 ありがとうございます。もっとファンの方々の声も聞いてみたいと思っています。

 それでは、以下からは質問について答えたいと思います。

>その1、なぜ批判するべきが田中芳樹氏なのか?

 これについての主な説明は前回行ったと思うので、今回は思想家について述べます。
 確かに有効な言説の伝え方を模索せず、狭い世界で旧態依然としている論壇には批判される部分があります。しかし、「知識人の本は力作であれば力作であるほど難解になって売れにくい」と今回のゴー宣が喝破しているように、原理的に大衆社会に於いては知識人は影響力で小説家や漫画家に勝ちようがありません。
 「竹槍で戦っている論壇村に核兵器を持ち込んだようなもの」と民俗学者の大月隆寛氏がゴーマニズム宣言を評しましたが、この言葉は論壇とエンターテイメントの関係を端的に表している比喩だと思います。この言葉には「それだけ桁違いの影響力があるのだから、自分の力をよく認識して自律してくれ」というニュアンスもあるのですが、田中氏はこの点に於いてあまりにも無自覚にやりすぎたと思っています。

>その3田中氏と小林氏の比較などまったく意味のない事である

 ゴー宣がらみの話になったので、ちょっと順番を変えてお答えします。
 まず、「参考文献を出してる分、小林氏の方が田中氏より真摯で…」とありますが、「『この作品はフィクションであり実在の人物団体うんぬんとは関係ありません』という評論としての責任逃れの一文を入れてない分、小林氏の方が田中氏より真摯で…」という趣旨のことならば私も述べたと思いますし、掲示板でも出てきたと思います。もちろん、創作小説である以上は、「この作品はフィクション…」という断りを入れること自体は、当然のことです。ですから、創竜伝でも首相や保守の政治家を愚劣に描くことは小説として許されると思います。ですが、創竜伝中にはリクルート事件や大韓航空爆破事件などの実在の事件やマハティール氏など実在の人物に対する明確な評論が存在します。たとえば、全くストーリーに関係のないところで明確にマハティール氏と判る記述に対して「独裁者で反民主的だから言うことを聞く必要はない」と評論しておいて、「これはフィクションだから」ということは卑怯であり、小説という表現技法を隠れ蓑にしていることで小説を貶めていると思うのです。もちろん、マハティール氏が独裁者で反民主的という主張を持つこと自体は結構なことです。その主張に自信があるのなら、「フィクション」である創作小説と一緒にせず「現実の」評論として語ればいいのですし、風刺というのなら「超能力兄弟が悪の財閥と戦う活劇」がテーマの小説の中にわざとらしく入れるのではなく、明確に風刺をテーマにした小説を書けばいいのです。
 閑話休題。
 少々話題がずれましたが、私も田中氏と小林氏の比較にとりたてて意味があるとは思いません。ただ、まったく無意味とは思いませんし、比較するというのであれば、以上の理由から小林氏の方が自分の発言に責任を持っていると考えます。

>その2批判、批評者たるに徹しすぎて文章を読み取れてないのではないだろうか。

>メイン文の6の所に「非国民という醜悪な言葉を・・・、万葉集の時代にも・・・(以下省略)」の部分
ですが、今読み返してみるとマズい文章だと思います。この点に関しては、自分の未熟さを恥じます。ですが、内容に関しては、今でも恥じるところのないものであると自負しています。
>あれは普通に読めばただの比喩である事が分かるはずです。
とのことですが、非国民という言葉の発生起源を考えれば、これに「万葉集」や「平家物語」を対置することはあまりにも不適切です。「比喩やその他のそこに込められた技術」として問題があると言われかねない記述だと思います。

>その4田中作品少女趣味について(笑)

 については少々答えに窮しますが(^_^;)、ライトノベルであると言うことに関しては、「アルスラーン」と「創竜伝」(共にライトノベルであっても評価が違う)の差、とだけお答えしておきます。

>私の友達の「田中信者」(この表現笑える)は「田中作品に対する批判がある。」それだけで許せないようです。だから私が「田中中国小説きら~い。」とか言うだけでもまじきれになっちゃいます。その子に無理矢理うちに遊びに来た時このHPを見せました(冗談で)。いらいらしているようでしたが、メイン文の途中までは「悔しいけど、そうかも・・・。」といっていたのが、「小説なら許される」の項を読んだ瞬間に壊れました(笑=こんなにあてはまる言葉はないと思うくらい)「こんなHPぶっつぶしてやる~!!」と言い出した彼女を私と彼女の彼氏でなだめても(それも冗談半分だったけど)「こんなくされいけんに誰が共感するか~!」の一点張りでした。
>
>途中まではほんとにちゃんと読んでたんです。なのに、あまりに露骨ないやみによってそれ以外の本当に共感できる意見が消されてしまったのです。

 しかし、強烈なインパクトは間違いなく残せたのではないでしょうか(笑)。であれば、このHPはその友人の心に楔を打ち込めたと思います。
 私も、田中芳樹の盲目的ファンであった時代には、田中氏の理論を論破するような理論に対して同じような反応をしていたと思いますし、そのような理論は不愉快でした。しかし、その不愉快さが心のモヤモヤとして残って忘れられなかったからこそ、常にそれに対する反論を考え、それが不可能ということになったとき、それが田中芳樹の姿勢に疑問を抱く契機となったのです。
 satokoさんの友人に関しては、今現在は熱狂しておられるようなので、今このサイトを読んでもらうことは無理かも知れません。しかし、多少なりとも冷静になったときに(いつかは必ずそういう日が来ます)、このサイトは自分があれだけ熱狂した田中芳樹とは何だったのかということを考える参考になるのではないかと思います。

board1 - No.1215

脳天気なヤン・ウェンリー

投稿者:不沈戦艦
1999年05月10日(月) 15時41分

 しばらく見ているだけで、書いてはいなかったんですが、何だか殺伐とした雰囲気が無きにしもあらず、といったところですね。たまには銀英伝の話でも出しましょうか?喧嘩ネタではないですし。

 ヤンが一巻で「要するに私の希望は、この先何十年かの平和なんだ」とイゼルローン攻略作戦についてもっとも重要な役割をシェーンコップに頼む場面があります。はて、これはヤンらしくもない、希望的観測もいいところじゃないですかね?
というのは、このイゼルローン攻略作戦が成功して、同盟軍がイゼルローン回廊を制圧したとして、その後に銀河帝国政府が同盟との和平など望むか?といった点に関しての考察がきれいさっぱり欠けているからです。

 ここで色々な方と意見の交換をした結果、少なく見積もっても銀河帝国の国力は同盟の2倍はあります。また、政治体制は皇帝と宮廷貴族による専制君主制で、民衆の意見が反映されるものではありません。そんな中で、一時的でも戦争を止める決断ができるのでしょうか?皇帝や貴族にとっては、「反乱軍どもを懲罰する為の戦争」であって、そもそも同盟が対等な敵手である、という意識すらないでしょう。仮に相手を対等と思っていたとしても、建前を崩して「反乱軍ではなく対等な敵」扱いすることはできますまい。そんなことを言った途端、権力闘争のいい標的になること間違いありませんから。また、彼らにとっての経済的負担は問題にもならない程度でしょうし(問題になるのであれば、貴族が戦争反対を叫んで、戦争なんぞとっくの昔に終わっている筈)、近親者が戦死する可能性にしても、職業軍人の家系なら「武門の誉れ」と諦めるだろうし、そうでないのなら危険な前線に出ることはないでしょう。そうです。皇帝や貴族にとっては、戦争を止めるメリットなど全くないのですよ。その程度の事を、あれほどの智者であるヤンがなぜ解らないんでしょうか?

 同盟は民主主義です。反戦派が選挙で勝って政権を握る、という可能性はない訳ではありません。そうなれば、和平を銀河帝国に持ちかけることも充分可能でしょう。しかし、相手が受け入れる可能性がほとんどないのでは、無意味ではないですかね。また、それがあるからこそ、同盟の国民も戦争を支持せざるを得ないのではないでしょうか。「帝国に負けたら民主主義は消滅する」のですから。どうも、この辺のヤンの考え方には、「こちらが和平を望めば、相手も受け入れる筈だ」という思いこみがあるような気がして仕方ありません。いわゆる、日本の「平和主義者」にありがちな考え方ですが。「自分たちがこれほど平和を願っているのだから、誠心誠意訴えればきっと通じる筈」というものです。実際は、誠意だけでは通じないのが国家間の交渉であったり、戦争であったりするのですがね。

 結局、同盟が平和を得る為には、帝国を滅ぼすしかない訳です。相手には交戦を止める理由はないんですから。しかし実際には同盟の国力では不可能に近い。まあ、前に出した私案の「同盟軍、フェザーン侵攻」という反銀英伝ネタをやったらどうなるか解りませんけど。結局泥沼なれど、同盟は戦争を続けざるを得ないんですわ。しかも、後になってラインハルト・フォン・ローエングラムが権力闘争に勝って、更に事態は悪化しますし。ラインハルトの望みは「宇宙を我が手に」ですから、和平の働きかけなど無効です。この手の危険な権力者が出てきた場合の事を、ヤンは考えなかったんでしょうか?歴史家志望のなり損ないにしては、杜撰な思考だと思います。

 えー、これは銀英伝の悪口のつもりはありませんので、異論・反論(ニュース23じゃないですが)いくらでも大歓迎です。言いたいことのある方は、存分にどうぞ。

board1 - No.1216

冒険風ライダーさんへ

投稿者:俺様ランチ
1999年05月10日(月) 16時03分

 冒険風ライダーさんへ。

 オーベルシュタインの1巻での行動、すっかり忘れてました。ですから私のオーベルシュタイン評、訂正しなきゃならない部分があると思います。そこは私が間違ってました。ただですね、この部分、

> 後世の人間にとって、オーベルシュタインに私利私欲があったのかどうかを判断する材料は歴史書しかありません。上記の行動を見て、オーベルシュタインに私利私欲や権力欲がなかったと評する事ができますか? そりゃ銀英伝読者や作品中の人間ならば知っていたでしょうけど、「後世の歴史家」が完全に知る事ができたかというと……。

 ちょっと待って下さい。銀英伝をあなたは「後世の歴史家の視点」で読んでるんですか?小説の読者が作中の人物を評価するにあたっては「作品中の情報全て」を判断材料に使っていいと思います。「オーベルシュタインに私利私欲があったかどうかを判断する材料」は「後世の歴史家」はともかく、読者である我々は作品中の文章から得ているのです。それを判断材料に使って何が悪いのでしょうか?

 別に田中作品に限ったことではありませんが、「小説のキャラを好き(嫌い)になる」かどうかの判断は「作中に客観的に表に現れる行動」にのみ影響されるのではありません。「そのキャラの行動と内面世界」を両方天秤にかけて、好き嫌いなり感情移入なりするのです。
 小説でもマンガでも物語の「主人公格の人物」ってのは行動型の人間が多いですがその行動は「作中身近にいる第三者」にとっては迷惑でしかないという場合が多々あります。つまり「作中の第三者の立場」になっていたら、その作品の主要人物の魅力を正当に評価する事などできなくなってしまいます。

 私もオーベルシュタインというキャラは嫌いでないですが、それはあくまでも「彼の内面」を読者という特権によって知っているからです。

 「じゃあ秦檜の内面を知らずに彼を一方的に断罪しているのはどうなる」と返ってくるのでしょうが、それはちょっと違います。
 「物語の人物を客観的な行動のみから評価」するのは「内面の情報まで与えられているのにそれを判断に活かさない」という理由で間違いなのですが、「歴史上の人物を客観的な行動のみから評価」するのは「内面の情報は判断材料にしたくてもできないため、客観的な行動からその内面を推し量るしかない」から「正しいのではなく仕方ない」のです。

 以上、かなり長くなってしまいましたが、冒険風ライダーさんの小説を読む姿勢にちょっと疑問を感じたので、反論を述べてみました。

 次にですね、
>「悪人」の評価で固まっている人を、別の視点から改めて評価するということも私は重要なものであると考えています。「創竜伝」や「紅塵」における田中芳樹のように「ただ礼賛するだけ」「ただ否定するだけ」では何も分かりはしません。

 この部分、コレについてはもう歩み寄りは無理でしょう。私は前回「田中芳樹だって秦檜否定一点張りじゃないと思うよ」と書いたのですが、冒険風ライダーさんは「田中芳樹は秦檜についてこっぴどい否定しかしてない」という主張は譲れないようですね。だからこれはもうどうしようもないと思います。

 で、冒険風ライダーさんが一番力を入れておられる「謝罪外交の罪」ですが、この部分を読んだ時は正直「最近の掲示板右傾化ネタを読んでくれたのか?」と思いました。
 この謝罪外交批判部分こそが「昔田中芳樹ファン(銀英オンリーファン含む)で現在は思想がちょい右(あえてレッテル貼りします)っていう限られた範囲の人間以外には絶対に通じない(by管理人さん)」主張なのですよ。
 そもそも私の述べた「南宋は「侵略された国」であり日本はあくまで「侵略(進出でもいいですが)した国」であって・・・」という文章を引用してくれているのに、引用へのレスではなくあなたの歴史観開陳に終わっています。それなら最初から私の文章など引用してくれなくていいです。

>謝罪外交は、創竜伝と田中芳樹を論ずる時に非常に重要な問題だと私は感じていますので、「私の創竜伝考察シリーズ」でも取り上げてみようと思います。そのときに完全な答えを提出する事にしましょう。

 この図式がそもそも、多数に対する説得力を持ち得ない理由なのです。「田中芳樹社会評論」への批判は「田中芳樹は社会評論に力を入れすぎて物語部分がおざなりになり、それが創竜伝をつまらなくしている」に止めないと「誰でも納得する」ものにはなりません。そうじゃなければ「実在兵器の性能描写の誤り」や「経済学の知識無しに経済を論じているので文章が意味をなしてない」とか「思想的立場によって意見の分かれるものではない事柄の誤記」です。

 おそらく「私の創竜伝批評」中では「謝罪外交の誤りを指摘→それを支持する田中芳樹の誤りを指摘→そんなダメ田中芳樹が書くダメ社会評論満載の創竜伝はダメ小説」と展開される事が予想されますが、それじゃあ絶対に一般にウケる田中芳樹批判はできないったらできないんですってば!

 極端なたとえ話ですが、10年経って右も左も謝罪外交を評価しだしたらどうします?そしたら創竜伝は「先見の明のある社会評論が全てのすばらしい小説」になりますか? そうではないでしょう。たとえ謝罪外交支持が正しく「優れた社会評論満載」という評価になったとしても「実在兵器を取材もせずに適当に話を作った」という「罪」は残りますし「そもそもこの作家は経済がわかってないのに経済評論をした」という批判も残るでしょうし、そもそも「どれだけ立派な事を言ってるのかどうかは知らないがとにかくやたら説教臭くてエンターテインメントとして楽しくない」という読者は存在し続けるでしょう。

 冒険風ライダーさんが、謝罪外交に対して憤りを感じている事はよっくわかりますが、それはこの掲示板でされるべき話題ではないと思います。そのような話題が盛り上がるようならこの掲示板は「昔田中芳樹ファン(銀英オンリーファン含む)で現在は思想がちょい右(あえてレッテル貼りします)っていう限られた範囲」の内輪ウケの場以上のものにはならないと思います。
 この掲示板は思想闘争の場ではないんです。冒険風ライダーさんの書き込みを読んでいると、「この人は田中芳樹批判に名を借りた右のアジをやりたいだけなんじゃないか?」或いは「田中芳樹とは反対の立場での社会批判開陳を(田中芳樹がやってるように)やりたいんじゃないか?」と思えてしまってしょうがないんです。

 冒険風ライダーさんには「左批判をよりどころにしない田中芳樹批判」をしてくれる事を切に望みます。「左的考えへの批判」によるレスはしてくれなくて構わないです。が、そうでない意見、反論なら大歓迎です。

board1 - No.1217

>脳天気なヤン・ウェンリー

投稿者:石井由助
1999年05月10日(月) 16時18分

> ヤンが一巻で「要するに私の希望は、この先何十年かの平和なんだ」とイゼルローン攻略作戦についてもっとも重要な役割をシェーンコップに頼む場面があります。はて、これはヤンらしくもない、希望的観測もいいところじゃないですかね?
>というのは、このイゼルローン攻略作戦が成功して、同盟軍がイゼルローン回廊を制圧したとして、その後に銀河帝国政府が同盟との和平など望むか?といった点に関しての考察がきれいさっぱり欠けているからです。

 細かいニュアンスまで覚えていないので間違っているかも知れませんが、ヤンが望んだのは正式な和平ではなく、パワーバランスによる実質的な和平だったのではないでしょうか。
 同盟がイゼルローンを手に入れることは、抑止力になりますから、帝国の大規模侵攻を防げる意味で暫定的な平和は希望できるのではないでしょうか。
 核抑止論の平和が偽りの平和であっても現実に小競り合い以上のことを起こさなかったように。
 まあ、結局ヤンの希望的観測というのは歴史的事実になってしまうわけですが。

board1 - No.1218

横レスですみません

投稿者:仕立て屋
1999年05月10日(月) 16時30分

 横レスで申し訳ありませんが、一言(取り立てて意味はないけどね)。

>少々話題がずれましたが、私も田中氏と小林氏の比較にとりたてて意味があるとは思いません。ただ、まったく無意味とは思いませんし、比較するというのであれば、以上の理由から小林氏の方が自分の発言に責任を持っていると考えます。

 こんな言い方は失礼であるかもしれませんが、ちょっと気になったものでお尋ねします。
これは一種のリップサービスですか?それとも本心からですか?たしかに、創竜伝における田中氏の姿勢を批判する際、何故その引き合いに小林氏を持ち出さなければならないのかと問われますと答えに窮します。ですが、管理人さんもご承知のとおり、件の田中氏の真摯さの欠如を論じていたのは、ちょうど小林氏の著書(戦争論など)が話題になっていた頃合であったわけで、その流れの中で小林氏が対極者として引き出されてきたのではないでしょうか。そこには別段、右翼的意図があったようには思えません。で、小林氏のことを考えてみると、彼はゴー宣や戦争論の類を描くまでは、おぼっちゃまくんなど(すみません、お気に入りなもので)ギャグ漫画主体でしたよね?そこから社会評論の類に切り替えたとき、本人も作品の中で言ってるわけですよ、”己の身を正す”と。”次やりたいもの”はフィクションという表現形式を採っているわけにはいかないと(←これはわたしの解釈です、あしからず)。
 小林氏も元々は田中氏同様、純粋にエンターテイメント主体の作家だったのですよ。しかし、やりたいものが変わればそれにふさわしい表現形式があることを自覚した上で、エンターテイメントを持たせつつもあのような体裁を採ったわけです。翻って田中氏はどうでしょうか。同様な観点から見つめてみると、やりたいことに最適な形を模索するという姿勢を故意かどうか、無自覚なのかどうか分かりませんが、読者に見せようとしないではありませんか。もとは田中氏同様、エンターテイナーだったいう素性をかんがみて田中氏に対する作家として小林氏を引き合いに出すのは、以外に最適だったかもしれませんし、比較する上で”非常に”意義のある話題でなかったでしょうか。

 まあ、以上のようなことは管理人さんも十分承知した上だと考えます。第一、この件はわたしが言い出しっぺだったわけではありませんし、自分自身、何故、そこまでくそまじめにレスしてるん?という気がしないではありません。ですが、”とりたてて意味があるとは思いません”とおっしゃられますとこのホームページの歴史を振り返った場合なんだか違和感があったもので横レスいたしました。

 わたしも正味、すらっと流そうと思えば、そうしていたところなので(なぜか、魔がさして1203のようなアホな反応しめしちゃいましたが)この話題はこれくらいにしたいと思います。

 失礼をば。

board1 - No.1219

RE.1218

投稿者:本ページ管理人
1999年05月10日(月) 16時57分

>>少々話題がずれましたが、私も田中氏と小林氏の比較にとりたてて意味があるとは思いません。ただ、まったく無意味とは思いませんし、比較するというのであれば、以上の理由から小林氏の方が自分の発言に責任を持っていると考えます。

satokoさんがこのことを論の本旨のように述べていますが、それを踏まえて本旨ではない余談だという(比較対象論としてまとめていないしするつもりもない)意味で「私も田中氏と小林氏の比較にとりたてて意味があるとは思いません」と書きました。

>”とりたてて意味があるとは思いません”とおっしゃられますとこのホームページの歴史を振り返った場合なんだか違和感があった

に関しては、「まったく無意味とは思いません」と述べているとおりです。

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