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投稿ログ47 (No.975 - No.985)

board1 - No.975

“千億の星・千億の光”を見た

投稿者:小村損三郎
1999年03月28日(日) 14時11分

遅れ馳せながら昨年発売された外伝「千億の星・千億の光」のアニメを見ました。(←遅い)
リューネブルクの声は野沢那智。大物声優は出尽くしたと思ってたけどまだこの人がいたか(^^)。
ただ、芝居がアラン・ドロンや宗像コーチではなく、最近やった「ダイ・ハード」のブルース・ウィリスの吹き替えの時の芸風だったので、なんか変。

奥さんのエリザベートは麻上洋子(現在の本業は講釈師)。相変わらず年寄りのツボを押えたキャスティング(笑)。
アレ? でもこの組み合わせはどっかで見たような・・・。
お兄さんのハルテンベルク伯がささきいさおってのも凄い。絶対狙ってる(笑)。

グリンメルスハウゼン大将の声は「赤毛のアン」のマシュウ(「そうさのう」の人)。
うーん、これははまり役だ。

あとは大体おなじみのメンバーですが、後半登場したヤン・ウェンリーはなんと郷田ほづみ!!
キリコにしか聞えん!!!
ってことは無いけど(笑)。どうしてもそのイメージが強いので、無愛想さが増してさらにグータラになったような感じがないでもない(^^;;)

あと、リンツ役の小杉十郎太氏が延々とアカペラで唄う場面があり、結構笑える。

声優の話ばかりで内容の感想がありませんが、まあいつも通り「原作に忠実」なのでパス。
(ある意味安心できる、とも言えるが・・・)

board1 - No.976

野沢那智&麻上洋子

投稿者:Merkatz
1999年03月28日(日) 16時33分

>遅れ馳せながら昨年発売された外伝「千億の星・千億の光」のアニメを見ました。(←遅い)
>リューネブルクの声は野沢那智。大物声優は出尽くしたと思ってたけどまだこの人がいたか(^^)。
>ただ、芝居がアラン・ドロンや宗像コーチではなく、最近やった「ダイ・ハード」のブルース・ウィリスの吹き替えの>時の芸風だったので、なんか変。

>奥さんのエリザベートは麻上洋子(現在の本業は講釈師)。相変わらず年寄りのツボを押えたキャスティング>(笑)。
>アレ? でもこの組み合わせはどっかで見たような・・・。
>お兄さんのハルテンベルク伯がささきいさおってのも凄い。絶対狙ってる(笑)。

野沢那智&麻上洋子の組み合わせは劇場版のヤマトでしょう。
タイトルは忘れましたが、暗黒星団とやらが地球に攻めてくる話で、
地球侵攻軍の司令官が野沢那智さんでした。
ヤマトは敵の本拠地を叩くため出発するのですが、
麻上洋子さん演じる森ユキはヤマトに乗ることが出来ず、敵に捕まってしまうのです。
そして敵司令官(野沢那智)と結構いい関係になってしまいます。(笑)

おそらくそのことをわかっていて、「ヤマト」関係で固めたのでは?

>あと、リンツ役の小杉十郎太氏が延々とアカペラで唄う場面があり、結構笑える。

昔、小杉十郎太さんが歌うのを聞いたことがあったけど、すごい音痴でした・・・。

これでネタも出尽くしたことだし、もうアニメ化されることも無いでしょうね。

board1 - No.977

超まとめレス

投稿者:石井由助
1999年03月28日(日) 16時50分

 事情でちょっとネットから離れていたら、随分と話題が進んでいますね。ありがたいことです。

>田中芳樹とNEC HEの共通点

両方とも客をなめているし、カモにされて喜ぶファンがいる!!!

>えばっている警察官がいるのも確かに真実ですが、大半の>方々は黙々と3Kに従事している非常に頭の下がる方たちだ>と思うのですが。

警察官が労働基準法を守らないという笑い話がありますが、これは本当です(知り合いの警察官がそう)。その意味では、公僕にも関わらず順法精神が足りないかも(T^T;;)

 キリスト教と田中芳樹について

 もし、「キリスト教はこのように残酷だから否定されるべきものなんだ!」という主張を通すのなら、それは一つの偉大な思想だと思います。キリスト教が生んだ文化、科学、民主主義、身近なところではマザーテレサやシュバイツァーなど、全て否定していただきたい。
 でも、そうではないですよね。田中芳樹は「キリスト教は独善的で残酷だ」といってその思想を否定しておきながら(更に創竜伝では牛種の陰謀)、その思想から派生した素晴らしい行為(例えば民主主義)には肯定的な評価を与えるわけです。
 ちょっとまとまってないので言葉足らずになってしまいましたが、私はこれを田中芳樹の欺瞞であり矛盾撞着だと思っています。これについては、考えがまとまったら、また書きます。

>あと、何巻か忘れましたが、海上自衛隊の護衛艦の名前が「つきなみ」「よこしま」
でした。無礼すぎて笑えない冗談です。

もう嘲うしかないです(爆)

>以前に誰か「作品と作者の距離を計るべきだ」と言ってましたけど、さすがに私も田中芳樹が本気で“日本など滅びた方が世界の為だ”などと考えている、とは思いません。
>“敵”や読者に対し、意図的に挑発じみたことを言ってみてるだけでしょう。

 私も全く同感ですが、でも、せめて「自分がこれだけけなしているのに日本人であることを選択しているのか」はハッキリして貰いたいですね。

>さて2巻以降これがどのように変容していくのか、大変楽しみです。

 これがまた凄いんですよ(;^_^。

>「国家あってのの国民」か「国民あっての国家」

 小林よしのりではありませんが、行き着くところは「個と全」だと思います。
 いままで全といえば「軍隊」「国家」といった個を抑圧する、対立するものが連想され、そのため全は否定されがちに扱われてきました。ですが、現在、人間は高度な科学の発達によって、「人類」という全を考えなければならなくなっています。公害や環境汚染や核兵器などは全人類的な課題だからです。
 こうやって考えれば、「個と全」は互いに反し抑圧するものではなく、お互いにそれぞれ内包し補完し合うものだと容易に判るはずです。ですから、>「人間が集まって国家を形成する」に納得していました。今はといえば、やはりヤンの言い分は納得できる。しかしそれと同時に「国が存在する事で国民が存在する」ということも理解できるようになった。
 には、私は全面的に賛成します。
 さて、基本的に「人類」も「国家」も全であることについては同じなのですが、「国家嫌悪症」みたいな人の反応は面白いですね。
 だって、こういう人って、「国家」が嫌いなくせに、概して「人類」に対しては昔の国家主義者並の絶対視扱いをするんだから。

 ちょっと疲れているのでいまいちまとまりに欠けますね。
 冒険風ライダーさんへの感想は、後日まとめて行いたいと思います。

board1 - No.978

傲慢

投稿者:アッテンBONO
1999年03月29日(月) 10時29分

まだ小さかったころ、日航機墜落事故がありました。
当時、当然田中芳樹の「た」の字も知りませんでしたが(知らなかったゆえ?)、
「自衛隊の救助活動はこんなに遅れた」「墜落当時は生存者はもっといたが、
(救助活動の遅れのせいで)力尽きて亡くなった人が何人もいた」
といった報道を繰り返すマスコミに対し、子供心ながら
「自衛隊の人たちはあんなに泥だらけになりながら救助活動しているのに、
あの人たちは後ろから文句を言うばかりで、何様のつもりなんだろう」と思ったものです。

当時のこの報道に限らず、体制を批判するマスコミや左寄りの人たちには、
「まず結論ありき」で、その結論へ誘導するのに都合の良い「取材」や「調査」、「分析」
をしているような姿勢が感じられてなりません。
おそらく、両者とも相応の情報収集は行っていると思いますが、
その結果の著作物や出版物を見ると、自己の論旨に都合のよいセンセーショナルな
「事例」を見つけて、嬉々として飛びつき、それを補強する材料のみをかき集める様子が目に浮かぶようです。

加えて、さらに鼻持ちならないのは、「国民の知る権利」や「民主主義」という、
錦の旗を立てて(それも自己に都合のよい刺繍を施し、時に原形をとどめていない)
反論を封じるその手口のいやらしさですね。
一応申し訳程度に「現場の職員はよくやっている」というようなことを付け加えることもありますが、
組織・体制を批判することに対する偏執的な情熱に比べれば、
具体的にどのように頑張っているか、労働環境はどうか、といった具体的な記述の一つもなく、
(おそらくはろくに調べもせず)口先だけ「末端職員は違う」と書くだけではいかにも投げやりですし、
単なる批判逃れにしか見えないんですよね。
これは、体制側という現在の私の置かれている状況(といっても、下っ端公務員ですが)
によるところもあるとは思いますが。

いずれにせよ、田中氏自身が述べているように、
「自らを正義と信ずる者が、いかに傲慢に他人を虐げてきたか」
ということを、今、自戒として思い出していただきたいものです。

ちなみに、私はウヨクでもなければタカでもないし、増してや創竜伝に出てくる
「典型的な」官僚の類でもないですヨ。
むしろ、手取りと組織の権力は減ってもかまわないから、5時の定時に帰りたいという、
不良公僕ですから。(笑)

board1 - No.979

劇場版「ヤマト」

投稿者:不沈戦艦
1999年03月29日(月) 14時17分

「ヤマトよ永遠に」です。暗黒星団帝国のアルフォン少尉(野沢那智)が、傷つき地球に取り残された森雪(麻上洋子)に想いを寄せ、結局地球人類の死命を握っていた重核子爆弾(何でも、一発で地球の自然に影響を与えずに、全人類の脳を破壊して全滅させられるそうだ)の解体の秘密をバラしてしまう、ってな話でした。のっけから地球に大挙侵略軍がやって来るので、話自体が重苦しく、「ヤマト」シリーズの中では個人的には好きな作品ではありません。それにしても、「ヤマト」でも、もう解らない人もいるんでしょうね。私も年とったなぁ。

board1 - No.980

よく分からないんですけど。

投稿者:ちむⅡ
1999年03月29日(月) 16時07分

俺が正しい、という言い方を田中芳樹さんはときどきされていますが、
自己主張と現実認識のための議論を同一視しないで頂きたいと思います。
そもそもおっしゃっていることがよくわかりません。私がばかなのもあるとは思いますが。

ちょっと話しはずれますが、「国家が先か、国民が先か」
という議論は、水掛け論だ、というよりどっちもほんとうだ、というのではどうでしょう。
ダブルスタンダードという言葉を考えた国は、
神に正義を与えられた国家です。
それが間違っているとはいいませんが、
議論の末にスタンダード(それもあいまいな)を形成していくしかないわれわれとしては、
長い手順を惜しむわけにはいかないし、
だからといってあまり時間がかかってもいけないし、
しかもそれでも単一の正義なんて得られないのです。

どっちもほんとうだ。でもどちらを取るか、そのために意見を言う。
それが議論だと思います。
議論を実は否定しているのは、見ていて気持ちよくありません。

board1 - No.981

私の創竜伝考察9

投稿者:冒険風ライダー
1999年03月29日(月) 16時44分

 創竜伝3あたりから、ひとつひとつの社会評論が非常に長くなってきています。引用する方も大変です。一字一句確かめながら長々と文字をうちこまねばならないのですから(まあ3巻の社会評論は管理人さんがHPで書きこんだものが多かったので、それらを引用していましたが(^_^;))。フィクション小説であんなに長い社会評論を展開していったい何が言いたいのでしょうか。あの作家は。
 それでは今日から創竜伝4の批評に入ります。

創竜伝4「四兄弟脱出行」
1989年4月5日 初版発行

P19下段
<日本は、収賄やインサイダー取引の犯罪者が、平然として、政治改革や道徳教育を説く、ありがたいお国柄である。>

 田中芳樹よ、そんなに日本を侮蔑して何が楽しいのですか? 聞いてて腹が立ってきますね。「収賄やインサイダー取引の犯罪者が、平然として、政治改革や道徳教育を説く」とはよく言ったものです。少なくとも、収賄などの罪で有罪となった人が「平然として」、政治改革や道徳教育を説いているということはないと思いますよ。全く現実と合致していない社会評論を展開して得意げになっている田中芳樹の顔が目に浮かびます。

P26上段~下段
<「ムー大陸伝説」が学問として認められないのは、それを提唱したチャーチワード自身の責任である。そもそもこのチャーチワードという人は、いつどこで生まれてどこで死んだかも不明なのだ。彼の引用には、誰も見たことのない古文書や、いつどこで採集されたか明記されていない「伝説」がたいへん多い。
 「もはや疑う余地はない。ムー大陸は実在したのだ」と主張する人は現在も多いが、そういう人がまた開祖チャーチワードのまねをして、出典を明らかにもせず「古い伝説によると」とか「ある古文書によれば」とか平然と書くのである。こうして「ムー大陸伝説」は学問からどんどん遠ざかり、「ムー教」とでもいうべき一種の新興宗教になりさがっている。>

 田中芳樹は、創竜伝における自分の社会評論が全く同じ姿勢で書かれているのに全然気がついていないようですね。次のように文章を改編してみましょう。
『「創竜伝の社会評論」がまともな社会評論として認められないのは、それを絶叫している田中芳樹自身の責任である。そもそもこの田中芳樹という人は、そのあまりの遅筆のために、今どこで何をしているのか、それどころか今現在生存しているかどうかさえも不明なのだ。彼の引用には、どこかで見たことがある論調や反日資料、いやそれどころか「出典・資料」自体が全く書かれていない例がたいへん多い。
 「もはや疑う余地はない。創竜伝の社会評論は正しいのだ」と主張する人は現在はかなり減ってきたようだが、いまだに残存しているそういう人がまた田中芳樹のまねをして、全く信用ならない資料から「ある人の証言によると」とか「ある新聞の記事によれば」などと引用し、最悪の場合は何も資料を引用せずに平然と反日論文を書くのである。こうして「創竜伝の社会評論」はまともな社会評論からどんどん遠ざかり、「単なる反日アジテーション」とでもいうべき一種の罵倒文章になりさがっている。そのため、よほどの田中芳樹ファンでなければ創竜伝の論調についていけない、という珍現象も発生している』

P32下段~P33下段
<大新聞の政治部が、「ジャーナリズムではなくて政治業界紙だ」と皮肉られるようになって久しい。批判性を失ってしまい、政治家どうしの抗争や方言をおもしろおかしく書きたてているだけで、記事の最後は「今後の成りゆきが注目される」と決まっている。
(中略)
 その結果、首相の私邸や別荘の家賃を合計すると、首相の一年間の収入を超えてしまう、というようなことがおこる。これは首相が、収入を過少申告して脱税しているか、政治資金を私生活に流用しているか、どちらかということになる。その点について野党議員が質問しても、「私生活のことをあげつらうとはけしからん」と、封殺してしまう。近代民主国家の首相や大統領は、こと収入と支出に関してプライバシーなどないのだ、という常識すら、この国の政界では通用しないのである。
 ただ、「政治家は精錬でありさえすればいい」という考えも、いささか危険である。フランス革命のロベスピエールとか、宗教改革時代のカルヴァンとか、日本では江戸中期の松平定信とか、ものすごい思想弾圧や恐怖政治をおこなった政治家は、清廉潔白が売り物だったからだ。むずかしいものである。もっとも、日本国首相の場合は、むずかしいなどという以前の問題で、幼稚園児に「悪いことしちゃいけません」というレベルであるが。>

 いつも思うのですが、なぜ田中芳樹は「日本のマスメディアが政治批判を全くしていない」などと事実に反する主張を何回も展開しているのでしょうか。いいかげんしつこすぎますよ。同じことを何回も聞く羽目になる読者の気持ちも少しは考えてくださいよ。
 「近代民主国家の首相や大統領は、こと収入と支出に関してプライバシーなどないのだ、という常識すら、この国の政界では通用しないのである」というのならば、せめて他国の状況と並べて比較し、日本がどのくらい遅れているかを検証するのが最低限必要なことだと思いますが。これだけ見ていると日本だけが政治家の収入と支出について『「私生活のことをあげつらうとはけしからん」と、封殺して』いるみたいではないですか。確かこれについては、法律の制定によって政治家の資産が公開されるようになったと記憶していますが、これについて知識のある方はいませんか?
 それとなぜ「「政治家は精錬でありさえすればいい」という考えも、いささか危険である」といっておきながら、「日本国首相の場合は、むずかしいなどという以前の問題で、幼稚園児に「悪いことしちゃいけません」というレベルである」などと2重基準的な主張をしているのでしょうか。どうせ自分がやたらと展開している社会評論が「いささか危険である」といわれないための用心なのでしょうが、それにしても幼稚園児と比較されるとは、日本の政治家もなめられたものです。

さて、次は原子力発電についての社会評論ですが、2ページ半にもまたがってあまりに長ったらしいので、3つに分けて論評したいと思います。

P37上段~下段
<一九八八年の末あたりになると、「温室効果」という言葉は、すっかり一般化してしまった。つまり、工場や自動車や火力発電所から排出される二酸化炭素が地球をすっぽり包んでしまい、太陽からの熱を吸収する一方で、地上の熱は外に逃がさない。かくして日本国の気象庁の気候問題懇談会によれば、「地球の気温は三・五度C上昇し、南北両極の氷が溶けて海面は一・一メートル上昇する」とある。事実ならたいへんなことだ。
 ところが、ここに奇妙な符合がある。一九八八年という年は、日本をふくむ世界各地で、原子力発電に反対する運動が、急激に盛りあがった年であった。これは何といっても、一九八六年四月にソ連のチェルノブイリで発生した原子力発電所の大事故が、しだいに実態を明らかにされていき、人々の危機感が高まっていったからだ。
 そのころから、つぎのような意見が目だちはじめた。
「原子力発電は石油や石炭のような化石燃料とちがって二酸化炭素を放出しない。だから温室効果をおこさないためには、原子力エネルギーを使うべきである。その原子力発電に反対するのは、温室効果を促進し、地球の環境破壊に荷担する行為である」
 つまり、
「原子力発電に反対する者は、環境の敵、地球の敵である!」
ということになる。この論法は正しいだろうか。>

 何でフィクション小説を読んでいるのに地球温暖化や原子力発電の問題を考えなくてはならないのでしょうか。まずここで考えてしまうんですよね~。どうせ田中芳樹の趣味なのでしょうけど。
 さて、原子力発電の問題については、その安全性に疑問があるということをよくチェルノブイリを持ち出されて指摘されるのですが、チェルノブイリはソ連の、それもかなり遅れた技術と安全管理がもたらした事故であって、日本の原発がこれよりも何十倍も安全であるということは、いままで一度も大事故が起こっていない事で立証されています。この間の東海村(だったと思います)の事故も、事故といえるほどのものでははなかったそうですし。そもそもソ連を除いてどこも原発事故を起こしていない(少なくとも、大事故と呼べるような事故は起こしていない)事が、原発の安全性を証明しているではありませんか。あれはソ連の原発が異常だったのであって、それにマスコミが過剰反応したのが問題だったのです(特に朝日が)。まあ原発が100%安全だとは断言しませんが、技術向上や安全管理によって、十分に対処できると考えていますし、そうでなくてはならないと思います。
 しかしこの文章、原発反対運動が絶対に正しく、賛成が悪いという主張が見え見えですね。次の文章がそれを証明しています。

P38上段~下段
<現在の人類、ことに先進国民と自称する人々が、石油を乱費し、森林を破壊し、水と大気を汚染し、地球の環境を荒廃させつつあることは事実であり、当然、反省すべきであろう。その結果、エネルギーのむだづかいをへらし、むやみに樹木を伐採することをやめ、自動車の排気ガスをへらすことができれば、けっこうなことだ。一九八九年、「ハーグ宣言」などによりフロンガスの使用が全面禁止にむかったのは、人類の理性が確かに存在することを示すものであった。ところが、原生林を切り開いて自動車道路をつくり、珊瑚礁をたたきつぶして空港を建設するような計画を強引に進めておいて、「環境を守るために原子力を使おう」というのは、すこしおかしいのではないだろうか。>

 すこしどころかめちゃくちゃにおかしいのは、田中さん、あなたの社会評論ですよ。ここではやたらと先進国の環境汚染ばかり取り上げていますが、最近の環境問題ではむしろ発展途上国、特に中国の急速な工業化による環境汚染が深刻な問題となっています。先進国が環境汚染を展開してきたのは確かにその通りです。しかし先進国、ことに日本は、その事を反省して、省エネや環境汚染を防止する技術を開発しつづけ、環境問題や公害問題は少しずつですが消えていっています。そのような努力を、今の中国あたりは全く展開する気配がありません。今の日本の大気汚染の原因のひとつに、中国が燃やす石炭があるということをご存知でしょうか。どうせ批判するのならば、こちらの方も批判してほしいものです。
 そしてお待たせ致しました。いよいよ的外れな日本批判です。

P38下段~P39上段
<一九八九年、日本の科学技術庁は、「原子力発電反対運動に対抗するための宣伝工作費用」として、10億円という巨額の予算を獲得した。これは前年度予算の五倍である。つまり、「原子力発電は安全である」ということを新聞、雑誌、TVで宣伝するわけで、協力してくれる文化人には多額の報酬が支払われる。一部の文化人にとって、原発賛成はいい商売になるのだ。
 なお、電力会社によっては、女子社員を原子炉近くの管理区域まで行かせて、原子力発電の安全性をPRすることがある。こういうのを、昔からの日本語で「猿芝居」という。上役の命令にさからえない弱い立場の社員に、そんなことをさせるのは卑劣というものだ。電力会社の社員が、原子力発電所の敷地内に社宅を建てて、家族といっしょにそこに住みついたら、「原子力発電所は危険だ」などという者は、ひとりもいなくなるだろう。何億円も宣伝費をかけるよりも、よほど説得力があるというものである。できないのは不思議だ。彼らは「日本の原子力発電所は絶対に安全だ」と主張しているのだから、そのていどのことができないはずはない。もっと辛辣に、「東京の都心部に原発をたてたらどうだ、絶対安全なのなら」と主張する人もいるのだから。>

 原発については、以前に首都移転の話で盛り上がっていた時に「原発を受けいれる事」を条件にしたという話を聞いたことがありますね。「電気はほしいが原発はいやだ」というエゴに対して痛烈にきいたとか。
 それにしても「原子力発電反対運動に対抗するための宣伝工作費用」とはこれまた露骨にきましたね。名前だけ見ているとナチス・ドイツの宣伝省の工作費のように聞こえるのは気のせいでしょうか。本当にこんな名前だったのでしょうか。それに原発が安全だと宣伝する事によって利益を得る事がいけないといわんばかりの論調ですが、それのどこがいけないというのでしょうか。彼らも仕事でやっているのですから、利益を得て当然ではないですか。それとも、原発の安全性のPRをする時はボランティアでやれとでもいうのですか?
 それから田中さん、原発がそれほど危険だというのならば、ぜひ原子炉の近くまで行って被爆して来て下さい。「原子力発電所は絶対に安全だ」と主張する人は誰もいなくなりますから。こんなフィクション小説ででたらめな社会評論を展開するよりもずっと効果がありますよ。それができないのは不思議ですね。あなたは「原子力発電が絶対に危険だ」と主張しているのですから、その程度のことができないはずはないでしょうに。
 う~ん、ブラックジョークですね。

 ところで原発について少し補足を。原発の安全性といえば、平時よりも北朝鮮あたりが暴発した時に、原発をターゲットにしたテロやミサイル発射が考えられます。その時の安全性の方がより議論されてしかるべきです。外国では、原発は軍隊が第一に守るべき対象となっています。今の日本の管理体制では、平時の事故は防げても外部からの攻撃には耐えられないと思います。様々な法整備をした上で日本も自衛隊が原発を守れるようにすべきであると、私は考えているのですが。

P40下段~P41上段
<「刑事部長がいってたがね、現在の日本の繁栄を、どうも心から信じることができないとさ。刑事部長が子供のころ、日本は第2次大戦で惨敗して、国じゅう焼野原だった。四、五十年でいつのまにか超大国になっちまったが、逆にいうと、あっというまにまた焼野原になっても不思議はない、とね」
 TV画面にそびえたつビル群をながめながら、虹川が語ると、めずらしく水地がまじめに返した。
「しかし江戸時代初期の浪人たちも、そう思っていたかもしれんぜ。泰平の世なんて、長くつづくはずはない。いつかまた乱世が来る、と……」
「ところが結果的に、泰平は二五〇年もつづいた。江戸の中期、後期なんて、ろくな人材もいなかったのに、矛盾だらけの世ながら、とにかく平和はつづいた。まあ現在の日本もそうなるかもしれん」
 蜃海があごをなでた。
「ただ、あのころは平和にせよ繁栄にせよ、国内だけで完結していた。鎖国の世だからな。いまはそうじゃない」>

 いつもの事ですが、日本は絶対に滅びるという主張を強調するために「四、五十年でいつのまにか超大国になっちまったが、逆にいうと、あっというまにまた焼野原になっても不思議はない」といわせるあたりはさすがと誉めるべきなのでしょうか。
 それにしても250年も平和が続き、教育水準も高く、独自の文化が発展した江戸時代を「矛盾だらけの世」とまで酷評するのは日本人の中でも左翼思想に汚染された者だけでしょうね。外国では江戸時代は結構高く評価されているものです。そもそも江戸時代の江戸が、現在の東京になったのですから、全く否定すべき時代でなかった事は確実でしょう。田中芳樹に限らず、江戸時代を暗黒時代のようにみなす自虐史観派の連中には、歴史を様々な側面から見るという視点が欠如しているのではないでしょうか。

 今回は原発問題でかなり書きこみましたので、40ページも進んでいないのに結構長くなってしまいました。今回はこれで終わりにして、続きはまた今度にしましょう。

board1 - No.982

ちょっと前の投稿に対するお返事

投稿者:冒険風ライダー
1999年03月29日(月) 16時47分

 ここ2日ほど、電話線の故障や急用が入って返事の投稿ができなくなってしまっていました。だから、以前の投稿に対しての返答を少し。

 ドロ改さん、確かにあなたのいう通り、このあたりには感じ方の違いがあるようですね。私は創竜伝批判などをやっているために、ついつい悪意がこもっていると深読みするくせがついてしまっているようでして。このあたりは自戒しなければなりませんね。
 しかし田中芳樹が「当時の価値観や出来事を、今の道徳感情で裁く」という視点から歴史を見ているのは間違いないと思います。宗教問題の場合は当時からしてもやはりおかしかったのでしょうが。創竜伝が異常に偏向しているのは、この視点から社会評論を書いているからであると私は考えています。

 M野さん、私の評論のフォローをありがとうございます。戦車と自衛隊問題についてはおっしゃる通りです。銀英伝やアルスラーン戦記を書いた田中芳樹がこの問題で矛盾を感じいないはずがないと私は考えているのですが。
 ところで、以前の投稿の御質問についてですが、ヒトラーのスラブ人虐殺が全くなかった訳ではないでしょうが、やはり3400万人は多すぎますよね。これが事実だったら、ユダヤ人虐殺よりもこちらの方が知れ渡っているでしょうから。私は、これはソ連の犯行ではないかと考えています。第2次世界大戦の末期に、ソ連がアメリカと手を組んで東ヨーロッパに侵攻していった時に、スラブ人虐殺を展開したのではないかと考えているのですが、それでも3400万人もいたかどうか……。あるいはスターリンが自国内で2000万~5000万の虐殺をやったというのは定説になっていますので、田中芳樹がそれと混同したのかもしれませんが。
<田中先生には是非とも、中国史の乱世の英雄達を、現在の道徳にあてはめて「大量虐殺者」と罵って欲しいものです。>
 私もそう主張してほしいのですが、どうせ2重基準で押し通すでしょうね。全くあの作家は公平な視点というものがないのですから。(怒)

 それと管理人さん、NEC HEが客をなめてかかっているという主張は全面的に賛成ですが、FXユーザーの名誉のためにあえて言わせていただきますと、NEC HEの横暴に怒っているFXユーザーはたくさんいます。FX応援のためのHPを運営している方のHPには、NECに抗議するための掲示板もありますし(そこにはNEC HEに対する批判意見もあります)、FXを盛り上げていくために署名運動も展開しているようです。またNEC HEに頼らずに自分たちでソフトをつくるという試みもやっているようです。
 余計な事かとは思いましたが、少なくともFXユーザーはNEC HEなどにひたすら盲従するほど愚かではないと主張しておきます。

board1 - No.984

>私の創竜伝考察感想7&8

投稿者:石井由助
1999年03月29日(月) 17時28分

>P67上段~下段
><「きたない、外見が他のものとちがっている、というだけで、相手の生命を奪って平然としていられる、そういう人間、ヴラドの子孫のような人間が、日本人の若い世代には、どんどん増えているわ」
> 声もなく、蜂谷は聞き入った。冷徹なはずの彼も、レディLの話に圧倒されていた。
>「そして、彼らの特徴として、かならず複数でひとりを、多数で少数を襲うこと。一対一の闘いなど絶対にしない。相手を一方的に傷つけ、決して自分は傷つかず、自分ひとりで責任をとることはない。笑うべきことに、匿名でいやがらせの手紙を送るていどのことでさえ、自分ひとりだけではできず、仲間とつるむのよ」
>「…………」
>「若い世代が、これほど精神を荒廃させ、腐食させつつある国は、日本の他にないわ。二一世紀がほんとうに楽しみだこと」
>「そ、それがヴラド計画だと……」
>「最初はべつの名が考えられたそうだけど、芸がないということで、ヴラド計画と命名されたの」
> 最初に考えられた名は、「ヒットラーの孫」という。>

引用させていただきました。
 それにしても酷いですね。「それって日本人特有の現象じゃねぇだろ」という日本人論に対するもっとも基本的かつ低レベルなツッコミが有効なあたり、三流と呼ぶのもおこがましいかも知れません。
>そして、彼らの特徴として、かならず複数でひとりを、多数で少数を襲うこと。一対一の闘いなど絶対にしない。相手を一方的に傷つけ、決して自分は傷つかず、自分ひとりで責任をとることはない。
 っていうけど、単にそれは多数で少数を襲うのが兵法の常道だからでしょう。小は喧嘩から大は戦争まであるけれど暴力の基本は同じです。田中氏だって、自分の小説の中でそれを常識として描いているではないですか。私は田中小説のほとんどに目を通していますが、「やあやあ我こそは!」と名乗りをあげながら単身ずつ敵陣に突っ込んでいく鎌倉武士のような戦い方をしているのを見たことがありません。むしろ、戦力の分散を戒め戦力の集中こそを推奨していますよね。
 イジメをするガキどもの精神性や加減を知らない集団暴行自体は非難して悪いわけがありませんが、それを日本人論や一部の時代の一部の民族の一部の世代特有の現象であるかのように論じるのは笑止です。
 ところで、ヴラドといじめガキの精神性ですが、確かに共通している部分もないこともないですが、基本的には全く別のものだと思っています。
 ヴラドには超大国トルコから小国を守るための国家統一という義務と理由がありましたし、彼が排除した集団の傾向から、おそらくアジールの理論が関係あるのではないかと私は考えています(はっきりいって不勉強です。ツッコミ求む)。
 ただ、少なくとも、この件に関する田中芳樹の歴史認識はいかがわしいものだわい、ということは間違いないと思います。

>第2次世界大戦後、私立大学出身で首相となった人に、石橋湛山がいる…
>石橋湛山がこのように述べたのは、植民地支配が悪いと考えたからではありません。石橋湛山が経済的な計算…

 これは知りませんでした。てっきり、「どうせ社会党の数少ない首相だからだろ」と思ってました。
 勉強になります。

>イギリスやフランスから、「この両国さえ消えれば世界は平和だ」と痛烈に皮肉られている現実である。

 もし日本のジャーナリストなどが「中国と北朝鮮が消えれば世界は平和だ」と言ったら、「日本人の傲慢な差別意識が云々」と評論するのではないでしょうか。この人は。
 それなのに、日本だと傲慢でも差別でもなく金言なのですか。いやはや…

>自衛隊の展開や軍事行動には道路交通法の他、建築基準法や病院法、自然公園法など自衛隊とは一見何の関係もない法律による様々な制約があり、これらを創竜伝の自衛隊に適用すると、創竜伝3はストーリー上の根幹から完全に崩壊します。

 面白い視点ですね。このあたりから攻めるのもアリかもしれません。誰か続編求む!!

>日本人をつかまえて「成金民族」とはよく言いましたね。日本が独立を保ちつつ、ここまで成長するのにどれだけ大変だったか、

 そのとおりです。日本の経済がここまで発展したのは我々の祖父母や父母が心血を流して働いたからであって、突然豊かになったわけではありません。ましてや、田中芳樹が1ミリグラムたりともそれに貢献していないのは明白です。
 まあ、これはバブル期に書かれたものであるということで、情状酌量の余地はあるかもしれません。それにしても、その成金によって、創竜伝のようなノベルスが何百万部も売れる社会が出来たことを忘れてはいけませんね。田中芳樹がろくすっぽ続編も書かずにいい暮らしが出来ているのは、間違いなく成金社会の故です。昔、「敵の粟は食まず」といって節を通し獄中で餓死した思想家がいましたが、それらに比べなんて甘ったれたことでしょう。成金の粟を食んでいい暮らしをしている人間が成金を軽蔑するのは、節度も何もないもっとも醜い姿の一つですね。

>そういう論理で、死者の遺族を納得させることができるかどうか、やってみるといいのだ。>

 何様のつもりでしょうかね。虎の威を借る狐。死者や弱者を自分の論理のために食い物にする傲慢さを感じます。

>つねに多数派に所属して少数派を疎外するような人たちが、あたらしい歴史をつくった例はない。>

 基本的に権力者による統治とは少数による多数の支配だと思うのですが。

board1 - No.985

ガサラキ最終回

投稿者:仕立て屋
1999年03月29日(月) 18時33分

 久しぶりに本格ロボットアニメと思って観てきたガサラキがとうとう最終回を迎えました。もともとパクリだらけのアニメとはおもっていましたがボトムズが好きだったということもあり、また、メカギミックのすさまじさも私の好みに合うため一応押さえとこうかなという感じで観ておったのですが、やってくれましたガサラキ。中途半端にもりあげといて最終回直前までまとめらしいまとめもなく最終回をいかに締め括るつもりなのか危惧しておったのですが、まさに"エ○ァンゲリオン"的最終回とも言える終わり方をしてくれました。ガサラキとは?カイって?に対する回答を結局最終話の一回のみで出すってのは土台無理な話っていうか時間的に無理でしょう?で、結局、"カイ"がかつて繁栄し、その進みすぎたテクノロジーのために滅んだ種族?の意志を継ぐべく遺伝子的に手を加えられた人間で"ガサラキ"がそのメッセンジャー?であったというありがちな落ちでした。こういった設定ってともすればエコロジーものになっちゃったりするものですが、そんなメッセージもなくほんまに中途半端って感じです。また、主人公の最後の一言が”生きてた・・・"ってオ~~~イィィィ君それじゃぁもものけ姫やんけ~~(^_^;) まさに膝カックン状態です。スポンサーの意向かなんかで短縮されたのでしょうか?じつに中途半端な終わり方でした。
 ここの趣旨にあわない内容を長々と申し訳ありませんでしが、そもそも物語というのはその終わらせ方がもっとも難しいっていいますよね?話の序盤なんかはちょっとでも想像力があればおもしろい話は書けるものです(評価できるかどうかは別として)。問題はその広がった物語をいかに視聴者(読者)の納得のいく(カタルシスを与える)終わらせ方ができるかどうかです。それがその作家の評価につながるものと私は常々思っております。で、問題の田中先生はというと、確かに、風呂敷の広げ方はお上手でらっしゃいますが完結している作品がほとんどない現状を鑑みるとやはり風呂敷の畳み方を知らないと言わざるをえません。書き下ろしのかずが多いからとか中国もので忙しいためとかいうことは本質的なところではないとおもわれます。そう、決めうちさせていただきます。"田中芳樹は単に作品の終わらせ方がわからない、もしくは思いつかない”のじゃぁぁ!! そうなのです。彼はBIGなB級作家なのです。田中ファンはその広げられた風呂敷に視界をさえぎられてその向こう側がみえないだけなのです。ところで銀英伝はよくできてる数少ない田中作品というのはここのみなさんもお考えだと思いますが、私的には序盤から中盤とそれ以降の緊張感に比べると終盤の内容についてはそれほど評価はしていません(異論はあるでしょうが)。
 とこんな感じで強引に田中先生に結びつけちゃいました。スマンσ(^◇^;)

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