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投稿ログ67 (No.1220 - No.1238)

board1 - No.1220

レスありがとうございます!

投稿者:satoko
1999年05月10日(月) 17時29分

管理人さんれすどうもです(^^)わかりにくい文に親身にこたえてくださってほんとにうれしいです。

とりあえず、最初に謝っておくと書き方がまずかったせいで、またもや誤解をさせてしまったかもしれないのですが、田中氏と小林氏の比較については「小林氏と田中氏の比較というやり方が間違ってる。」という事が言いたかっただけなんです。

ここのベストで「田中ファンに小林ファンはいないだろう」みたいな事があった気がするので言うといい加減と思われるかな~と思って言わなかったのですが、私はかなりの小林よしのりファンです(笑)「田中芳樹と小林よしのりをどっちを彼氏にする?」ときかれれば間違いなく「よしりん!」とこたえるくらい(笑)

冗談はさて置き、「ゴー宣」ほぼ全巻そろえてるくらいのよしりんファンとしてみれば、他の人に「真摯である。」といわれれば、すごくうれしいです。(ただあそこでは、田中氏と比べればという限定だけど)それとは別に田中作品に政治的な所でストーリーの邪魔になるから愚痴なら他でいってほしいなと思う部分はあります。ですがそれとこれとをくっつけるのはいかがなもんでしょう?

たとえばなしのようにするのが一番わかりやすいと思うので(というか好き(笑))かいてみますと、たとえば、ある人がすごく赤川次郎の推理小説が好きだったとします。その人に対して、「ほんとに赤川次郎は取材してから書いてるのか、それに比べて山村美砂の作品はよくしらべてあるので臨場感あるいい作品じゃないか。」といわれれば悔しくても納得できると思います。
ところがこれが「本当に赤川次郎は取材してから書いているのか、それに比べて横山漫画三国志は中国に調べにいっただけあって臨場感あるじゃないか。」といわれて赤川次郎のファンが納得するでしょうか?それが真実をさしていても、それは違うだろうって感じになるのが普通だし、論法的に間違っています。

「それが行き過ぎだとかは別問題だ。」と書いたのは小林氏が「真摯である」ということ(ただこれは譲れないですが、参考文献を出すのは当然しなければいけない事です)や田中氏が真摯的ではない、という事に反論したい、を問題にしてるのではなく、そういう論法が間違ってるのじゃないだろうかというための言葉だったんです(これは仕立て屋さんへのレスになっちゃうか?)

ジャンルの違いを超えての批判というのは、論評を行う上でタブーとされているのはご存知だと思うのですが、その上でかかれたのかちょっと聞いてみたいなと思います。

長くてごめんなさいm(--)m

board1 - No.1221

そのとおりです。すいません。

投稿者:satoko
1999年05月10日(月) 17時40分

管理人さんへ、つけくわえて謝るとわたしもあそこに書かれている本旨ではないことがわかっていたにも関わらず、揚げ足取りのような事を書いてごめんなさい。そのとおりです。軽く書くつもりだったのに大きく書いてしまってすいません。反省します。

board1 - No.1222

質問です

投稿者:仕立て屋
1999年05月10日(月) 18時34分

>satokoさんがこのことを論の本旨のように述べていますが

 この部分がよく分からないのですが(私の解釈力の無さか)。つまり、ここでお使いの本旨が誰の本旨のことを言われておられるのか
ということです。
 私がsatokoさんとのやり取りの中で使っていた論旨という言葉に引っ掛けて、satokoさんの1202のご発言におけるsatokoさんの文章全体の本旨を私が誤解しているという意味でお使いになっていらっしゃるのだとしたら一言、言わねばなりません(私の妄想か?違っていましたらお許しを)。
 satokoさんの1202のご発言においては質問というか意見がそれぞれ意味合いにおいてほぼ独立し、1~4に分けられ、為されています。1、2、4は特に取り分けて言うことはありませんでしたので、3に対してのみ発言1205において私はレスしたのです。それに対するsatokoさんの1206のご発言における内容が私の1205の論旨を汲んだものではなかったのと1204のご発言の一部に対して思うところが有った(これは私の発言1203が無礼だったのを考えるといたしかたありませんが)為に(わたしも面識のない人に論旨を汲めなどと言う言葉を使うのはあまり好みませんが)あのような言い方をしたまでです。そもそもsatokoさんの発言1202の3におけるご意見は”別ジャンルの本を比較して論ずるのは無駄である”というのがその3における本旨ではないかと思われるのですが(その引き合いに”参考文献を出してる分、小林氏の方が田中氏より真摯で・・・”が出されていたように存じます)、違いましたでしょうか。この3をうけて管理人さんがご発言1214の3に対するレスをつけておられ、そこにおいてsatokoさんのご意見に”すべてではないがある部分において”納得されておられる(リップサービスでなければ)のを踏まえますと、私の発言1218に対する管理人さんのご発言1219の私へのレスは的を得ていないように思われます。私の気のせいでしょうか?
 わたしの勘違いでしたら、お詫びいたします(本当はこんな野犬のようなマネはしたくないのですが)。もし、私の創竜伝ファンの方々に対する発言がお気に召されないのでしたら、高飛車な発言は今後控えたいと思います{管理人さんが小林氏に対して支持するものでもなく中立の立場であることは承知しております。が、管理人さんのこのホームページの意図という部分とコンテンツ8の中での小林氏に対する言及”一点だけで、私は小林の方が数倍真摯であると思う”を考えるとわたしもその”一点”においてくそまじめに論を展開したのですが(satokoさんのご発言1202その3の論旨がその”一点”に反論するものでしたから)、管理人さんのご発言1214の3のレスや1219の内容から私はこのホームページでの位置の立ち方がわからなくなったもので}

 よろしく、お願いいたします。

board1 - No.1223

RE:1220,1221

投稿者:仕立て屋
1999年05月10日(月) 18時44分

 もっと言葉を大切にしてください。
おっしゃられていることが、全然一貫していないではないですか。

>「それが行き過ぎだとかは別問題だ。」と書いたのは小林氏が「真摯である」ということ(ただこれは譲れないですが、参考文献を出すのは当然しなければいけない事です)や田中氏が真摯的ではない、という事に反論したい、を問題にしてるのではなく、そういう論法が間違ってるのじゃないだろうかというための言葉だったんです(これは仕立て屋さんへのレスになっちゃうか?)

 全然、回答になっていませんし私のあなたへの反論の趣旨とずれています。ころころ変わる主張にいちいちくそまじめにレスした私が馬鹿みたいじゃないですか。

 疲れました。しばらく、ROMに戻らせていただきます。

board1 - No.1224

よしりんとよしきん

投稿者:本ページ管理人
1999年05月10日(月) 18時46分

 小説である創竜伝と評論であるゴー宣を比較するのはどうかということなのでしょうが…

 おそらく、羊頭狗肉という故事がこれほど当てはまる事例も珍しいと思うのですが、創竜伝は小説の名を借りてはいますが実態はアジテーション評論集というのが現実だと思います。または評論が小説の「ひさしを借して母屋を取」っている状態。

 暇になったら創竜伝の内、評論部分がどれだけの割合を占めるか測ってみたいと思っています。
 きっと面白い結果が出てくると思う(^_^;)

 「小説だから評論と比べるな」というのは正論です。芥川龍之介の「羅生門」とK・シュミットの「政治神学」のどちらが優れているかを述べよ、というのは無茶な話です。しかし、創竜伝が小説の名を名乗っていても実質は評論では、評論のゴー宣と比べることは無茶だとは思いません。
 また、田中芳樹の羊頭狗肉の姿勢も責められてしかるべきですよね。小林よしのりとの比較にはその部分もあります。少なくとも、小林よしのりは羊頭狗肉はやっていませんから。
(ただ、三流の内ゲバ解析論よりもドストエフスキーの「悪霊」のほうが真実をついているというようなことはあります。創竜伝のようにわざとらしく評論を入れなくても評論以上に真実を語れるこれこそが本当の「小説」の力なのですが、ここでは例外として置いておきましょう)。

board1 - No.1225

1222のご返事が

投稿者:仕立て屋
1999年05月10日(月) 19時03分

いただけないようでしたら、ただ残念としか言いようがありません。

board1 - No.1227

RE.1222

投稿者:本ページ管理人
1999年05月10日(月) 19時28分

『satokoさんがこのことを本論8やこのサイトの本旨のように述べていますが、それを踏まえて本旨ではない余談だという(比較対象論としてまとめていないしするつもりもない)意味で「私も田中氏と小林氏の比較にとりたてて意味があるとは思いません」と書きました』

 とするとわかっていただけるでしょうか。>参考文献を出してる分、小林氏の方が田中氏より真摯で・・・の部分が私の本論8の『「この物語はあくまでフィクションであり、現実の事件・団体・個人などとは無関係であることを、とくにお断りしておきます。」という評論の本質と正反対の免罪符をかざしていない一点だけで、私は小林の方が数倍真摯であると思う』部分の誤解だと認識しましたので、その誤解部分への反論とともに、『そんなに大きく扱っているけど小林よしのりと田中芳樹の対比は本論8及びこのサイトの余録であって「本旨」ではないですよ』というつもりで「私も田中氏と小林氏の比較にとりたてて意味があるとは思いません」と書きました。

 仕立て屋さんとsatokoさんがこの件に関して論争していたことを考えれば、少々配慮に欠ける書き方だったかも知れません。申し訳ありませんでした。
 しかし、上記した以外に他意はありませんので、よろしくご理解ください。

board1 - No.1228

わかりました

投稿者:仕立て屋
1999年05月10日(月) 20時27分

 わかりました。私が誤解していたようです。ご返事ありがとうございました。
 ただ、運営者でもない私が僭越ながら言わせていただくと、このホームページの”本旨”とはいったいなんなのでしょうか?このホームページの冒頭の緒言をご覧になっていただくと(って管理人さんがお書きになっているのですから私が言うまでもありませんが)、田中氏の作品に対する取り組み姿勢とそれが軽んじられた場合にその作品がどのような果実として結実してしまうのか、そしてそれを良しとするファンに楔を僅かでも打ち込められたら、ということではなかったでしょうか?そしてここは掲示板におけるさまざまな方々の意見の積み重ねによって成り立っているのではないでしょうか(中には少し外れつつもそこから派生していろんな話題に盛り上がるのもまた、楽しく、それはそれで良しです<---こういった話題のほうがむしろ私にとっては好ましいくらいです)。そんな集まりに依っているこの場において、ましてや、田中氏の姿勢を比較するのに(断っておきますが、あくまで姿勢であって作品の内容事態を比較しているのではありませんよ<--ここがsatokoさんの私の発言に対する勘違いです)引き合いに出された(言い出しっぺはわたしではありませんよ。変な正義感を出したまでです)小林氏のくだんの話題を”余禄”と捉えてらっしゃるのを拝見いたしますと、それではいったいその本旨というのは一体何であり何によって成り立っているのかと疑問を感じざるを得ません。 わたしが野犬のごとく噛み付いたのもここだけは譲れないと思ったためです。要素をないがしろにした本質ってのに如何ほどの価値があるのでしょうか?

 えらそうにくどくどと述べましたが、頭を冷やしてまた出直します。そのときはみなさんよろしくお願いいたします。

board1 - No.1229

補足というか

投稿者:仕立て屋
1999年05月10日(月) 20時52分

 何も小林氏が最初から思想家であり学者であり、評論家であったのなら参考文献を出すのは当然でありましょうし、田中氏が創竜伝においてそうしないのを批判するのはジャンルを超えたタブーを犯していることになりましょうが、しかし、よく考えてみてください。小林氏はもともとギャグ漫画家だったのですよ。そして路線変更した場合に彼はそのまま、ギャグ漫画家を騙って(本人は今でもギャグマン画家とおもっているかもしれないが)評論まがいのことをぶっ放すことだってできたのです。それをしなかった小林氏と比べると田中氏の創竜伝にはそんな執筆者としての真摯さの欠片も感じられないのです。わたしはこのことを何度もレスしてきたのですが、、、、、、

board1 - No.1230

この件に関してはほんとにこれで最後とします

投稿者:仕立て屋
1999年05月10日(月) 21時49分

 ジャンルは違えども作品に取り組む姿勢を見比べた場合、そこに流れる本質は源流をたどれば、ここの緒言および、本旨に太く確実にリンクしていると私は思うからこそ、おかしなほどこだわったのです。そしてこれを余禄とされると、じゃぁ、根源的に根っこにおいて繋がっている(私の主観です)このサイトの本旨とは何ぞや?と問いただしたくなったのです。わたしの勝手な思い込みかもしれませんが。

board1 - No.1231

万年野党なるシロモノ

投稿者:アッテンBONO
1999年05月11日(火) 09時54分

皆さんこんにちは。
最近の掲示板での論争のこともあり、改めて過去LOGやTOPページの石井さんの
文を読み返していて、ちょっと気になったところがありました。
6.「田中芳樹の認識」の中の、竜堂始の「俺は万年野党が好きだ。」という発言内容についてです。
本来であれば、小説の原文を引用すべきなのでしょうが、仕事で引っ越す際に
創竜伝は「持って行く価値のないもの」として実家に置いてきてしまったので、間接的な引用となってしまいました。
(ここを知って俄然再読意欲が湧いてきたので、持ってくりゃよかったと思ってます。さすがに中古でもあんな本を2冊同じ物を買う気にはなれませんし)

さて、本題に入りますが、「野党(精神)が好き」という考え方は理解できます。
意地悪な言い方をすれば、少数派であること、その他大勢とは違うという意識がプライドを刺激してくれるという面もあるでしょうし、
単に相手を攻撃するだけの表面野党であれば、(特に精神的に)これほど楽なポジションもないでしょうから。

しかし、本来野党というものは単に一般人への訴求力で負けている、もしくは政界でのパワーゲームの敗者というだけで、
結党理念や政策理念といった、一本通った筋とでも言うべきものを持っていると思います。
(それを失ったがゆえに消滅した、旧社会党のような例もありますが)

では、「万年野党」とは何ぞや?
今は野党であっても、いずれは与党となり自らの理念を実現すべく、現状の歪みを指摘・批判し、代替案を考え主張していくのが
野党のあるべき姿というものでしょう。(イギリスの影の内閣とか)
「万年野党」とは、要するに「与党=多数派=悪」「野党=少数派=善」という単純な価値観の下に、主張すべき理念もなく
ただ単に時流に乗っかって「反対反対」と喚くだけの逆風見鶏のようなものではないか?と思えます。

創竜伝の世界では、与党はその暗部のみを抽出精製したかのような描かれ方で矮小化してあり論外ですが、
現実社会での与党は、確かに政権党であるがゆえに付きまとう利権や汚職といった暗部はあるものの、政権を担い国の舵取りをするということは
相当の重責・激務ですし、政権党として国民の批判を浴びつつも国政を滞りなく運営していくことは精神的にも大変なことだと思います。
(だからといって、その見返りに多少の不正くらい目をつぶれ、という気はありません)

つまり、竜堂始のあの発言は、私にとっては「与党・多数派として批判される苦労も知らず、またその度胸もないくせに、ずっと批判するだけの立場に
とどまり続けたいとは、ガキ以下の考えだね」ということで、単なるエゴの発露にしか思えません。
(こんな時だけ、竜王だから人間の政治や未来に責任はないってのはナシね)
この長兄は、生徒の個性を大切にする教師の鏡のような描かれ方をしていましたが、あんな一面的な考え方しかできず(っていうのはとーちゃんのせいでしょうが)、
万年野党でいたいなんてことを臆面もなく言ってのける精神年齢の未熟さから察するに、実在したら減点方式の教師にしかなれない気がしますね。

キャラのセリフ一つを取って何を大袈裟な、と思われるかもしれません。しかし、キャラの主張=田中氏の思想そのままという訳ではないにせよ、
やはり主役の発言には作者の考えが色濃く反映されていると思います。特に創竜伝のような批評マガイの場合。
創竜伝を読むと、田中氏は前述の「少数派=善」思想、衆愚思想(日本限定っぽいですが)を強めているのかなという気がします。
(私にはむしろ左傾化よりもこちらの方が気になります。)
田中氏自身がそういう方向に傾倒するのは個人の勝手というものですが、それが創竜伝を通して一方的なイメージを読者に植え付けて「田中氏の負の子供達」
を世に輩出し、その子供達に偏った目で判断され、脳と精神に比べて分不相応に発達した口と語彙で攻撃されるのは勘弁してほしいところです。

個人の能力と今の世の中の価値観の多様性、社会の複雑さを比較して考えると、思想や価値観に終着点はないと思います。
また、田中氏が敬愛すべき人格者であるならばなおさら、少なくともあのヤン・ウェンリーの生みの親であるならば、田中氏個人の思想を石版に刻まれた十戒の如く
奉り盲信することは望んでいないと思うのですが。

今の田中氏の描く世界を星に例えると白色矮星(巨星の残骸)みたいなもんだと思います。
まだキャラの描写力とかはありますし、なかなかの引力を維持しており、スウィング・バイで遠くへ行ける可能性もある反面、その重力に囚われると
周りの像は歪み、かえって視野狭さくになる恐れがあるのではないでしょうか。
私としては、放出し尽くした感のある勤勉さと作品に対する誠実さをかき集めて、「タイタニア」と「七都市物語」の続きを書いてほしいんですが。

board1 - No.1232

戯れ言

投稿者:アッテンBONO
1999年05月11日(火) 09時55分

とまあ、下の書き込みであれだけ吠えたあとにアレですが、私自身それを実践しているかというとそうでもなく、
やはりいろいろなものに囚われて生きているんですね。
未だに抜け出せないのが日本の芸能界。思春期におニャン子クラブに衝撃を受け、以来芸能界に対する不信感を拭い切れないまま現在に至る。(笑)
10年以上もその呪縛から逃れられないということは、ひょっとして人生に与えた影響って銀英伝より上か?

board1 - No.1233

あれれ、銀英伝ネタなんだけどなぁ

投稿者:不沈戦艦
1999年05月11日(火) 15時41分

>細かいニュアンスまで覚えていないので間違っているかも知れませんが、ヤンが望んだのは正式な和平ではなく、パワーバランスによる実質的な和平だったのではないでしょうか。
 同盟がイゼルローンを手に入れることは、抑止力になりますから、帝国の大規模侵攻を防げる意味で暫定的な平和は希望できるのではないでしょうか。
 核抑止論の平和が偽りの平和であっても現実に小競り合い以上のことを起こさなかったように。

 久々の書き込みで、せっかく銀英伝ネタを出したのに、管理人さんにしか相手にされないとは悲しひ(ぎゃははは)。論争はいいと思いますが、喧嘩は程々にね。私が言ってもあんまり説得力ないかも知れないけど。

 さて、ヤンが望んだ「それほど長期でない平和」に関しては、確かにその通りでしょうね。冷戦状態でもいいから、ユリアンらが戦場に駆り出されない平和な時が欲しい、と言うことでしょう。ところが、仮にアムリッツァの愚行が行われず、皇帝が急死しなかったとした場合どうでしょうか?そこで同盟政府が和平提案をした場合は。私は先ず間違いなく、銀河帝国は和平案を受け入れないと思うんですよ。結局、今まで回廊の同盟側で行われていた戦いが、今度は帝国側で延々と繰り返されるだけじゃないかと思って。帝国軍は懲りずに何回もイゼルローン奪還作戦を実行し、同盟もそれにつき合っわざるを得ず、しかも強硬派を完全に押さえることもできないだろうから、ある程度帝国領への侵攻作戦を行わざるを得ない状況です。結局、攻守ところを換えるだけで、同じ事の繰り返しではないですかね?それでは、国力が劣る同盟のじり貧は必至でしょう。「銀河帝国が和平を受け入れる可能性はない」ということに、ヤンなら気づいてもいいと思うんですけど。「イゼルローンを獲れば、和平がなるかも知れない」という考えが、希望的観測でしかないということに。

 しかも実際の銀英伝の歴史では、ラインハルトが独裁権を握る、という同盟にとっては最低最悪の展開になってしまいました。能力と野望を両方持っている恐るべき若者の危険性に、ヤンは気づかなかったんでしょうか?

board1 - No.1234

RE:ヤン和平論

投稿者:ゲオルグ
1999年05月11日(火) 16時04分

お久しぶりです。イデオロギー要素がない話題が久しぶりに出てますので(笑)、レスさせて下さい。

でヤンの和平論なのですが、ヤンは近い将来帝国内部で内戦が勃発する可能性が高いと看破していたようです。少なくとも門閥貴族派と実務官僚・軍人派の対立により帝国の安定が損なわれることは予想していたようで、イゼルローンの確保により帝国の組織的な侵攻が未然に防げるということを想定していたのではないかと。古典的なパワーゲームですね。
 この場合、欧州大陸で争闘する列強をあしらい続けた英国のように同盟が帝国の内部対立に容喙し続ければ、同盟国内は平和となるでしょう。外交がよほど上手ければ、それこそ軍事介入すら行わずに帝国の混乱を持続・拡大することすら可能です。
 おそらくヤンの構想していた和平案はそのような『汚い』ものだったのではないか? と思われます。特に2巻でヤンがユリアンに語った戦略構想から考えれば。
 ただ、ヤンはラインハルトの行動を多少美化して考えていた節がありましたので、同盟との恒久的な並存など望んでいないラインハルトにその戦略を挫折させられていた可能性がありますが。(実際、『汚い』手段も躊躇なく行うラインハルトのために同盟はクーデターが発生しましたし)

# しかし銀英伝で最大級の疑問の一つは『ヴェスターラントの悲劇』の真相をヤンは看破していたのだろうか? ということですね。ヤンの戦略センスからしてある程度推察はついていそうなものなのですが、それにしては全く屈託がないし。皆さん、どう思われますか?

board1 - No.1235

「矛盾の人」オチ

投稿者:俺様ランチ
1999年05月11日(火) 16時53分

>しかし銀英伝で最大級の疑問の一つは『ヴェスターラントの悲劇』の真相をヤンは看破していたのだろうか? ということですね。ヤンの戦略センスからしてある程度推察はついていそうなものなのですが、それにしては全く屈託がないし。

 たぶん田中芳樹が「ヤンがヴェスターラントを知っていたかどうか」設定するのを忘れた、てのが身も蓋もない真相じゃないでしょうか?
 ・・・ってんじゃ話が面白くならないので、ちゃんと考えてみます。私の結論としては、例えヴェスターラントの真相に気づいたとしても、ヤンはラインハルトを許してしまうと思います。

 まず前提として、「ヤンがヴェスターラントの虐殺映像を見ている、或いは映像の存在を知っている」事が必要です。で、見ていたとして話を進めると、ゲオルグさんの言うとおり、ヤンはやはりヴェスターラントの虐殺へのラインハルトの傍観に気づいていたと考えるのが自然だと思います。ヴェスターラントの虐殺の映像をヤンが見て「門閥貴族ってのはやっぱり悪い奴だなあ」なんて感想を持つのは不自然ですから、キルヒアイスと同じように映像の存在から真相に気づくでしょう。

 ところで、ヤンの言行不一致の最たるものはヴァーミリオンでの行動です。同盟が負けるのはイヤだし、その為に何をすればいいかわかってるのに、でもラインハルトの個性に惹かれて殺すのをやめてしまうし、その割には帝国の覇権を完全に認めるのもイヤなのでメルカッツを使って私兵集団を作らせたり。
 その後のヤンの行動は「そんな苦労するんだったら初めからラインハルト殺しとけ!」ってツッコミを入れずにはいられない類のものです。しかも始末に負えないのは、ラインハルトを生かす事がその後の苦労に繋がる事を考慮に入れてやがる事です。結局、ヤンは個人的な好き嫌いでその後の死者を100万人単位で増やしていると言えるので「矛盾の人」で済ますには勝手すぎると言えば勝手です。多くの人が触れていますが、ヤンはやっぱり勝手な口ばっか野郎と言えましょう。

 つまり私が言いたいのは「ヤンはなんだかんだ言いつつ結局ラインハルトのやる事は許してしまうんじゃないだろうか」って事です。民間人が戦争の犠牲になる事を最も嫌っていたヤンなので、もし田中芳樹が忘れてなければ、かなりの内面での葛藤ぶりが書かれたと思われますが、それでも「ローエングラム公の一代に冠絶する個性は・・・」ってな感じで許してしまうんじゃないでしょうか。やっぱりオチは「矛盾の人」になってしまいますが。

 イヤな深読みをすると、「ヤンがヴェスターラントの真相を知ってもラインハルトを許すに至るまでの、説得力ある心理描写」が思いつかなくて田中芳樹が書かなかった、というのもアリだと思います。ヤンにはさんざん「民間人を守るのが軍隊」と言わせすぎたので。

board1 - No.1236

本論3へ

投稿者:俺様ランチ
1999年05月11日(火) 17時28分

 本論3の「創竜伝世界の時間構成」への批判を初めて読んだ時に思ったんですが、そこを責めてしまうのはかわいそうだと思うんですよ。

 私の好きなマンガに「沈黙の艦隊」があるんですが、これもソ連の崩壊で話が苦しくなっています。連載初期ではソ連原潜との戦闘が描かれるんですが、連載後半(作中ではわずか2ヶ月後)のサミット場面では何もなかったようにロシア大統領が出席しています。初期に出てきた「ソ連共産党書記長」もいつの間にか消えてしまい、全く別人がロシア大統領になっています。
 ですが、それが「沈黙の艦隊」が「メチャクチャな時間構成」のマンガだとは思いませんし、作品の面白さを損なっているわけでもありません。敵役はそもそも米軍なので、ソ連が敵役として登場しなくなっても話に無理は生じていません。当時はソ連原潜艦隊もメインの敵役になる構想だったフシは感じられますが・・・。

 つまり、ソ連崩壊の時期に現実世界とリンクした物語を作ってしまった人は、責めるよりもむしろ同情してあげるべきだと思うんですよ。「90年代後半」という時間設定をする上で「ソ連消滅後」という設定にするのも当時から考えれば無理な話です。

 以前管理人さんは「私の創竜伝批評」へのレスで「インターネットの普及を作品に織り込むのは執筆当時では無理」というような意味の事を述べられていたと思います。それと同じ事がソ連崩壊にも言えないでしょうか?

 ただし!元はと言えば田中芳樹が創竜伝を5年くらいで完結させていれば、ソ連崩壊による矛盾が生じる事も無かったので、遅筆とやる気の無さはいくら責めてもいいと思います。
 ただやっぱり、「2015年になってもネオトーキョーなんてできてないじゃん!」と「アキラ」につっこんだり(そもそもこの作品では1984年に第三次世界大戦が起きてる)、「2001年に宇宙の旅なんて実用化されてねえよ!」って怒るの同様、(近でも遠でも)未来に設定したフィクションに現実の時間が迫るに連れ、話にウソが出てくるのはしょうがないと思うんですがいかがでしょうか?

board1 - No.1237

あの時点でそこまで予想していたか疑問

投稿者:Merkatz
1999年05月11日(火) 21時46分

>でヤンの和平論なのですが、ヤンは近い将来帝国内部で内戦が勃発する可能性が高いと看破していたようです。少なくとも門閥貴族派と
>実務官僚・軍人派の対立により帝国の安定が損なわれることは予想していたようで、イゼルローンの確保により帝国の組織的な侵攻が
>未然に防げるということを想定していたのではないかと。古典的なパワーゲームですね。
>この場合、欧州大陸で争闘する列強をあしらい続けた英国のように同盟が帝国の内部対立に容喙し続ければ、同盟国内は平和となる
>でしょう。外交がよほど上手ければ、それこそ軍事介入すら行わずに帝国の混乱を持続・拡大することすら可能です。
>おそらくヤンの構想していた和平案はそのような『汚い』ものだったのではないか? と思われます。特に2巻でヤンがユリアンに
>語った戦略構想から考えれば。
>ただ、ヤンはラインハルトの行動を多少美化して考えていた節がありましたので、同盟との恒久的な並存など望んでいないラインハ
>ルトにその戦略を挫折させられていた可能性がありますが。(実際、『汚い』手段も躊躇なく行うラインハルトのために同盟は
>クーデターが発生しましたし)

ヤンが帝国の内乱を予期したのは、ラインハルトが実権を握ってからではないでしょうか。
後継者が定まっておらず、一方で門閥貴族とリヒテンラーデ派の確執がある。そういう状況になったとき、はじめて内乱の予見ができたのでは?
イゼルローン攻略当時は、まだ皇帝も健在でしたし、内乱の種となるものがありませんから。
そうするとやはりヤンの考えていた「平和」とは、現体制が続くことを前提とするものであり、ラインハルトが権力を握ることは計算外だったのでしょう。
だいたいあの時点までのヤンとラインハルトの面識は「前線の戦闘におけるもの」です。
つまり互いの戦術的手腕を見せ合って、こいつはすごいぞと思っていたわけで、戦略眼がどの程度かなんて知りようがなかったわけです。
イゼルローン攻略当時のヤンのラインハルトに対する評価は「優秀な前線指揮官」の域を出ることはなかったのではないでしょうか。

勢力均衡によって平和を得るという着想は良いと思いますが、自国の政府の行動は計算に入ってなかったのでしょうか。
アムリッツァのような事態は、政府の腐敗ぶりから十分予想できたのではと思いますが。

>さて、ヤンが望んだ「それほど長期でない平和」に関しては、確かにその通りでしょうね。冷戦状態でもいいから、ユリアンらが戦場に駆り出
>されない平和な時が欲しい、と言うことでしょう。ところが、仮にアムリッツァの愚行が行われず、皇帝が急死しなかったとした場合どう
>でしょうか?そこで同盟政府が和平提案をした場合は。私は先ず間違いなく、銀河帝国は和平案を受け入れないと思うんですよ。
>結局、今まで回廊の同盟側で行われていた戦いが、今度は帝国側で延々と繰り返されるだけじゃないかと思って。帝国軍は
>懲りずに何回もイゼルローン奪還作戦を実行し、同盟もそれにつき合っわざるを得ず、しかも強硬派を完全に押さえること
>もできないだろうから、ある程度帝国領への侵攻作戦を行わざるを得ない状況です。結局、攻守ところを換えるだけで、
>同じ事の繰り返しではないですかね?それでは、国力が劣る同盟のじり貧は必至でしょう。「銀河帝国が和平を受け入れる
>可能性はない」ということに、ヤンなら気づいてもいいと思うんですけど。「イゼルローンを獲れば、和平がなるかも
>知れない」という考えが、希望的観測でしかないということに。

ヤンとしてはイゼルローンさえあれば、穴熊のようにこもって戦えば、少数の戦力でも帝国軍を退けることができると考えていたのではないでしょうか。
ただしその場合、こちらからは絶対に手を出さないというのが絶対条件ですけど。
政府強硬派から侵攻作戦が提案されたりしたら、この作戦は成り立たなくなってしまいますね。
帝国が和平案を飲む飲まないはどちらでも構わないのでは?
イゼルローンさえあれば国防は出来ますから。それこそヤン自身がやったように。
どちらにしても同盟政府が帝国領侵攻をしないというのが、ヤンの平和構想の要だと思われますので、その点でヤンの自国政府に対する洞察は甘いといえるでしょうね。

board1 - No.1238

ヤン構想

投稿者:ゲオルグ
1999年05月12日(水) 00時00分

>ヤンが帝国の内乱を予期したのは、ラインハルトが実権を握ってからではないでしょうか。
>後継者が定まっておらず、一方で門閥貴族とリヒテンラーデ派の確執がある。そういう状況になったとき、はじめて内乱の予見ができたのでは?

 内乱の具体的内容が予測できたのは皇帝崩御後の官僚枢軸派の台頭後でしょう。しかし、歴史的な観点からすれば、この時点ですでに、銀河帝国の統治の箍が緩み、その内部での政治闘争が武力行使も辞さない過激なものになっていくこと自体は十分予測していたはずです。(ヤン自身がラインハルトという要素がなければ、帝国は有力貴族の群雄割拠状態に陥って崩壊していただろうと予測しています)

> そうするとやはりヤンの考えていた「平和」とは、現体制が続くことを前提とするものであり、ラインハルトが権力を握ることは計算外だったのでしょう。

 そうでしょうね。ただラインハルトの権力掌握はリップシュタット戦役後ですので、この時点ではそれほど重視すべきものじゃないでしょう。

>アムリッツァのような事態は、政府の腐敗ぶりから十分予想できたのではと思いますが。

 まさかあそこまでの規模で愚行を行うとは思わなかったんでしょうね。いくらなんでも軍を総動員して軍事的冒険に踏み切るとは思わなかったんでしょう。するとしてもせいぜいが三個艦隊程度の動員が常識的な限界でしょうから。

>どちらにしても同盟政府が帝国領侵攻をしないというのが、ヤンの平和構想の要だと思われますので、その点でヤンの自国政府に対する洞察は甘いといえるでしょうね。

 帝国領侵攻そのものはヤンも否定していません。ただタイミングが悪すぎるということでしょう。適時適度の介入(同盟の体力を過度に消耗しない程度の)により帝国の混乱を助長し、出来れば同盟の影響力を帝国内部で増大させることにより、戦略的優位を確立するという戦略を構想しているくらいですし。

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