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投稿ログ56 (No.1096 - No.1103)

board1 - No.1096

レス1

投稿者:本ページ管理人
1999年04月14日(水) 17時18分

 とりあえず、サブマシンを日常的にネットに繋げられるようにしました。仮復旧です。

>「超能力持った美少年4人が悪役国家権力に立ち向かうファンタジー小説で大学生が読むようなもんじゃないだろう。」とおおよそ判断したからです。期待は裏切ってませんでした。(笑)

 でも、新刊が発売される度に大学生協の売り上げランキング一位を取るんですよねぇ。

>ファンに対して「批判を甘んじて受け入れるべし。」というのは違うと思います。

 こういう批判サイトをやっていると、このようなことを言いたくなる誘惑は最上に甘美なものとして、常につきまといます。
 ですが、これを言ってしまうとすべて終わりなんですよね。批判にも議論にもならなくなってしまうわけですよ。一方的断定に基づく思考停止なんですから。
 私も、それなりに優れた批判をしながら「こんな低レベルのもので喜んでいる人たちって、高レベルのものに触れたことがないんでしょうね。もっと視野を広げた方がいいですよ」などと書いてしまったばっかりに、みんなパーになってしまった批判本とか批判サイトをいくつか知っています。この一言で、多大な影響力に対する負け犬の遠吠えになってしまうのですね。
 正直言って、私は創竜伝を日本小説史上に残せる駄作だと思っているし、その駄作がベストセラーになる状況に忸怩たる感情を持っています。だからこそ、「批判を甘んじて受け入れるべし。」とは絶対に言いたくありません。
 緒言にも書いたように、読んだ人の意識の中に楔として打ち込めればそれでいいのです。その楔に対する反応にまで口を出すとしたら、それはきっと思い上がりですから。

>あれを読んで「おお、そうか。権力に立ち向かわなければ!」と思う人はなかなかいない

 とは私も思いますけど、なんか日本ってやな国だなー、警察とか自衛隊ってやな集団だなーという、理屈抜きのイメージ(ちゃんとした理屈があればそれなりの見解だとは思うのだが)を持ったりとかしてないでしょうか。理屈抜きの愛読だと、理屈抜きなだけにこういうのがちょっと気にかかるところですね。
 ただ、こういう影響って言うのは、所詮「はしか」みたいなものなのかなって思うときもあります。

>それは、フィクションへの批判にノンフィクションを持ち込むのはどうだろうかということです。

 これに関しては、水野さんとのやりとりでバグダッシュさんも納得していただいたようなので割愛します。フィクションとノンフィクションを混同しているのは田中氏の方だというのが、私の論の骨子です。

>しかしながら、その影響力に関しては、いささか疑問を感じずにはおれませんでした

 先程satokoさんへのレスでも触れましたが、この影響力に関しては目に見えないですし、小林よしのり氏のように露骨なアクションもしていないので、正直なところ未知数です。
 私個人では影響が「ある」と感じていますけど、これは意見が分かれて当然でしょうね。

>、あのような表現は、ある意味悪意を感じました。表現の自由と言われてしまえばそれまでなのですが、多くの人の目に触れる場ですから、もう少し別の表現はなかったのでしょうか。

 この件に関しては弁解するつもりはありません。過去ログでも触れましたが、あれは書き直して誤魔化したりせず、あえて批判を甘んじて受けることこそが文責を取ることだと思っていますので、書き直さずにそのまま掲示しています。

>選ぶ権利は読者側にあります。もちろん、作者の執筆姿勢はその人の良心論的なことになりますが、結果発売された本をベストセラーにするのは、購入者です。その作者がおもしろくない、納得いかないと思えば、以後買わなければいいように思うのですが。

 田中氏の理論では「バカな政治家を選ぶのは愚かな人間達でいつかしっぺ返しを喰らう」とのことですが、もしもこの理論が正しいのなら、ご自分に当てはめても文句は言えないでしょうね。

>私は批判意見に否定的なわけでは決してありません。むしろ肯定的であると思います。ですから、これからもいろいろな意見が極めて紳士的な形で、討論されていくことを期待します

 こちらからも、反論やファンの立場からの意見をお待ちしています。

board1 - No.1097

レス2

投稿者:本ページ管理人
1999年04月14日(水) 17時49分

>実社会に出たことの無い人がなりやすい陥穽ですけど。

>私はサラリーマン。田中先生に
>「誰かに束縛されていないと安心できない哀れな者達」
>などと書かれている、サラリーマンなんです。
>

 昔、吉本隆明と埴谷雄高が行っていた論争を思い出しました。
 吉本がコム・デ・ギャルソンのン十万の服を着てシャンデリアの下がっているような書斎で執筆している様子が、「現代思想をリードする吉本隆明のファッション」というアンアンのグラビアで紹介されたことに対して、埴谷がかみついたんですね。
「このような「ぶったくり商品」を、現代思想をリードする吉本隆明がCMしてくれたことに我が国の資本主義は後光が差す思いだろう。我が国の資本主義は朝鮮戦争とベトナム戦争の血の上に火事場泥棒のボロ儲けを重ねたあげく、その金で技術と設備を整えて、つぎにはこのような「ぶったくり商品」の「進出」によって「収奪」を積み上げる高度成長なるものを遂げたのだ」(大意)
 以上の論理で、タイの貧しい青年が日本を悪魔と呼んだことに思いを致すのですが、このプロレタリア文学の大家で日本共産主義思想の重鎮の論理はどこかのベストセラー作家の論理によく似てますね(笑)
 これに対する吉本の反論は明快なものでした。
「埴谷雄高さん。貴方はご自分が、他人の私的住宅や着ている衣服に注いでいる「卑しい」その視線が、未来の理想社会を作ったり、民衆を解放したり、抑圧や強制収容所のない自由な社会を実現することと、少しでも関係あるとお考えですか?」
 と述べ、この「卑しさ」を最大限に利用する政策こそがファシズム・スターリニズムであると指摘し、大体貧しいタイの青年云々言っているあんたはハードカバーの豪華本で小説売ってぶったくってるじゃないかと喝破します。

 この吉本理論は田中理論に対してもいまだ有効ですね。プロレタリア文学は、いまだ死に絶えていないようです。

 吉本隆明は谷沢永一に論争で負けてますけど、左翼に対してはかなり強いです。

board1 - No.1098

レス3

投稿者:本ページ管理人
1999年04月14日(水) 18時06分

Merkatzさん

 戦車の話、興味深かったです。
 以前の「クーラーで腹部装甲が薄いのは非実戦的で自衛隊は金儲けばっかりで実戦なんか考えていない」議論のときに言いたかったのですけど、腹部装甲が薄くて地雷踏んで大破するのが非実戦的なら、上面装甲が薄くて機関砲程度でダメージを受けるのも非実戦的なはずで、だったら「戦車は非実戦的な兵器である!」というトンデモ気味な結論が出てこないとおかしいんですよね。

>もしかして、創竜伝の作家は、田中芳樹の名を騙る偽者なのではないか、と一度考えてしまったほどです。

 ゴーストライター説は今でもふと疑ってしまいますね。じゃなかったらスナッチャーか寄生獣だと思いたい(^_^;)屈折したファン心理として。

>あっ間違った、これは竜創伝や歩くRUN戦記で有名な「中先生」(論文4参照)のことです・・・と書いときゃすべてOK

 あっ、そうそう。中先生は「ほしのくも賞」というSFの賞を受賞しているんですよ(笑)。不満なのかなぁ…?

board1 - No.1099

レス4

投稿者:本ページ管理人
1999年04月14日(水) 18時37分

>はむぞうさん

>中学や高校時代は「銀英伝」や「アルスラーン戦記」や「マヴァール年代記」をそれこそ読み漁っておりました。好きな作家をきかれれば、迷うことなく「田中芳樹先生!」と答えていました。しかし創竜伝を読んでからは変わりました。最初は田中先生の作品だからと読んでいましたが、だんだんと読むことが苦痛になりました。

 私も同じような経歴です。ただ、疑問を抱きつつも創竜伝に盲従していた時期があるだけ、私の方が重症だったかも知れません(^_^;)

>もしこれが登場人物のひとりの個性として書かれているだけなら「こんな考え方の人もいるのだな」と受け止められるかもしれません。地の文にまで書いているとなると、もし削除すると話が進まないというのであれば、自分の意見で洗脳したいがために書いているのかと勘繰りたくなります。

 果たして小説なのかと疑いたくなりますよね。

>たしか長男以外は学生です。とくに下二人はまだまだ物事を判断する力を身につけるための勉強過程にあると思います

 次男の続が叔父に「兄さんはそこらの年寄りよりもずっと深い人生経験を積んでいる」というような趣旨の発言をしていたと思うのですが、この兄弟には相当にあきれましたね。「歳を重ねても何も学ばない人生経験の浅い老人もいる」という類の記述がありましたが、単に自分の理解できない経験を無視するという傲慢と狭量じゃねえのかなどとも思いました。

>田中作品をすべて買い漁り、作中の言葉や表現をあたかも聖典の一節であるかのように唱える人もいました。

 私もこういう人を何人か知っています。だから、「田中芳樹の批評には影響力がない」という意見もそれなりにもっともだと思う反面、「やはり影響力はある」とも思います。

>世間に失望して「異世界こそが本来の世界であり、戻るのだ」

 ここは私も相当に嘘臭いと思いました。そんな簡単に現実世界のしがらみは捨てられるものではないと思います。彼らは十何年育ててくれた育ての親やそれまで築いてきた友人より、出会って少ししか経っていない古代世界の人間の方を信用するのでしょうか。はむぞうさんは現実逃避だとおっしゃられていますが、私も、友人を作れないタイプの人間が持ちがちな妄想・現実逃避であるような感じがしました。

>俺様ランチさん

>管理人さんの本文にも「田中芳樹の批判という行為自体は田中芳樹を超えるものではないという事を承知している」というような趣旨の書き込みがあったと思います。これを読んだ時、この人はすごいな、と思ったからこそファンとしては「悔しいけど納得させられる」と思う部分が多いわけです。

 ありがとうございます。
 というのは、前にゴーマニズム宣言の批判本を書いていた人がサイン会を行っていたのですが、批判本でサイン会を行える神経が見苦しく感じられ、ああはなるまいと誓いました。別に批判自体は恥ずべき行いではありませんし、胸を張って宣伝できますが、ファンに対する行動であるサイン会は何か違うだろ、本を買ったのはあんたのファンではなく、小林よしのりのある種ファンだろうが。と思ったのです。
 ちょっと余談でした。

board1 - No.1100

アッテンBONOさんへRES

投稿者:Merkatz
1999年04月14日(水) 22時50分

なんかまた誤解与えちゃったようで・・・。
私は熱烈な銀英伝ファンなんですけど、これに関してはアッテンBONOさんや俺様ランチさんと同じく設定に対するツッコミは無意味だと思ってます。スペースオペラにそんなことするのはヤボというもんです。

ですが「創竜伝」は現代ものです。実在するものが出て来ます。ならばきちんと調べて正確な描写を心がけるのが、物書きとしての努めではないかと思うのです。
例えば「アドルフ・ヒトラー」を「アドルフ・ヒムラー」と書き間違えていたら、「おいおい、そのくらい間違えるなよ」と言いたくなりますよね。
だって「ルドルフ・ゴールデンバウム」の設定は作者が作ったものでも、「アドルフ・ヒトラー」は歴史上の人物なんですから。だから間違えれば多くの人に「おいおい」とツッこまれてしまいます。
で、私が指摘したのは事実を間違って書いてますよってことなのです。それだけならまだしも、そこから小説の描写がおかしなことになっているからさあ大変だと。

「田中芳樹は軍事オンチ?」と言った理由は、私は銀英伝を読んだとき「ああ、この人は相当の軍事マニアに違いない」と思った。戦略や戦術なんて素人は書かないから。で、ここのサイトの影響で創竜伝読みはじめたときもその思い込みだけは残っていた。
でも3巻で妙な描写を見て「あれれ」と思った。軍事マニアのくせに何故にこんなミスするかなあと。すでに戦車の空調の件で、皆さんが指摘なさっていたことを考え合わせて、「これはひょっとして・・・」と思ったんですね。
そこで「田中芳樹は軍事オンチ?」と。でもまだ決め付けたわけじゃありません。あくまで疑問形です。
私としては「創竜伝」を読み進めて、またこのような事が出てくるかどうか、確認したいと思っています。

ですから銀英伝の設定や描写を指して「やはり田中氏は軍事オンチだ」と言ってるわけじゃないんです。それに仮に彼が軍事オンチだとしても、それによって銀英伝の面白さがいささかも失われるものではありません。
あくまでも私が指摘したかったのは「創竜伝」における
1.事実が間違ってますよ
2.それによって描写が変になってるところがありますよ
3.物書きとして事実を調べるということは基本ではありませんか
ということなのです。

別に田中芳樹が軍事オンチであろうとなかろうと、面白い小説を書くならばどっちでも構わないんですけどね。
軍事オンチが批判の対象ではなく、物書きとしての態度が問題なんですよね。私はそれを軍事関係の描写から見て取ったよという話なわけです。

board1 - No.1101

melkatzさんへのお返事

投稿者:アッテンBONO
1999年04月15日(木) 03時26分

melkatzさんこんにちは。

>なんかまた誤解与えちゃったようで・・・。
>軍事オンチが批判の対象ではなく、物書きとしての態度が問題なんですよね。私はそれを軍事関係の描写から見て取ったよという話なわけです。

こちらこそすいません、あの文はmelkatzさんや他の特定の方に対する書き込みのつもりではなかったのですが、
私の書き方がちょっとマズかったですね。すぐ下のmelkatzさんのタイトルにある「軍事オンチ」という言葉を
そのまま拝借してしまっていますし、melkatzさんへのレスと取られても仕方ありませんね。失礼しました。
私としても、問題なのはまさしく「物書きとしての態度」だと思っていますので、比較対象として銀英伝を取り上げました。

board1 - No.1102

私の創竜伝考察13

投稿者:冒険風ライダー
1999年04月15日(木) 04時48分

 最近新学期が始まり、かなり忙しくなってきました。そのため、前は「私の創竜伝考察シリーズ」を、ほとんど一日おきに投稿していましたが、さすがにペースダウンしてきましたね。時間をかける分、整然とした批判ができればよいのですが、遅筆の田中芳樹の二の舞にはなりたくないものです(^^;)。
 さて、批評の続きを展開しますか。

P90下段
<つぎにあらわれたのは、蛙のような顔に卑しい笑いを浮かべた初老の評論家で、いろいろと名雲にお世辞を並べたあげく、つぎのようにしめくくった。
「名雲家は日本のメディチ家でございますからな。ますますのご発展を祈らせていただきますよ」
 メディチ家はイタリアの歴史的な大富豪の一族で、その財力と政治権力と教養とを最大限に生かして、多くの芸術家を保護し、ルネサンスの華麗な文化をきずきあげた。名雲家がそのメディチ家と同様だというのは、寒気のするおべっかだ。だが、世の中には、富や権力を持った人間に対しておべっかを使うことを恥ずかしいと思わない人がいくらでもいる。そして、そういう人は、富や権力を持たない人間に対しては冷酷なものだ。>

 メディチ家をそこまで手放しで賞賛するあんたのほうこそ「富や権力を持った人間に対しておべっかを使うことを恥ずかしいと思わない人」でしょうが。どうも田中芳樹は、メディチ家が聖人君子のような徳によって財産を得、偉大な慈善家として芸術や文化を保護したのだと考えているように見えますね。「そんなわけないでしょう」という考えは、メディチ家についてあまり知らない私でさえ、すぐに思い浮かびますよ。
 それにどうも日本の財産家は、田中芳樹から見れば存在それ自体が極悪非道のごとく写っているかのようですね。あえて言いますが、日本の財産家を賞賛してどこが悪いのでしょうか? 御用文化人とやらが企業経営者や金持ちを賞賛するという光景を一度でいいから私は見てみたいものなのですけど。「金持ちは全て悪い」という考えならば、メディチ家も悪の権化のように批判してくださいよ。変な2重基準を使うことなく。

P92下段
<さて、中国にはこういう警句がある。「李白は酒飲みだが、酒飲みがみんな李白とはかぎらない」この警句は、いくらでも応用がきくので、たとえば「英雄は色を好むが、色を好むものが全て英雄とはかぎらない」「有能な政治家はしばしば腐敗しているが、腐敗した政治家がみな有能とはかぎらない」とかいうぐあいに使える。それはともかく、終も余も李白ではなくて、「水滸伝」の武松か「三キョウ五義」の艾虎であったらしい。アルコールが体内を駆けめぐるにつれて気分が浮きたち、しかも好戦的になってきた。>

 ここに書いてある人物達を、まるで知ってて当然みたいな書き方を田中芳樹はしていますが、これらの人物を知らない私にはどんな比喩的表現をしているのかさっぱり分かりません。こんな中国通にしか分からないような人物を取り上げるのならば、最低注釈ぐらい入れていても良さそうなものなのですが、どうやら田中芳樹も講談社の編集者も、その辺の配慮など全く考えていないようですね。田中さん、創竜伝を読んでいる大半の読者は少なくともあなたよりは賢明ですが、同時にあなたほど中国知識に詳しくはないという事を念頭において小説を書いてくださいよ。

P95上段
<権威や権力を異常に愛するタイプの人物は、儀式やパーティーが予定どおりに運ばないと、ヒステリーをおこすのである。ごく手近な例でいうと、運動会の予行演習のとき足なみがそろわなかったという理由で小学生をなぐりつける体育教師がそれだ。>

 すいません田中さん、それ、たとえが間違っていませんか? 「小学生をなぐりつける体育教師」が「権威や権力を異常に愛するタイプの人物」って、一体どうやってそんな決めつけができるのです? 体育教師は権力をふるっているのではなく、生徒を教育しているのですよ。全然たとえが違うではありませんか。体育教師は権力者ではないのですよ。体罰を否定したい気持ちは分かりますが、全国の体育教師に対して有害な偏見を読者に持たせるような記述はやめてください。

P110上段
<市町村議会から都道府県議会、そして国会に至るまで、権力と野次を売りものにしてする品性下劣な政治屋や、利権の汚泥にまみれた悪徳政治業者は、いくらでもいる。そして、そういう政治家を支持し、汚れた金銭のおこぼれにあずかることを喜び、自分自身の人格と権利を嘲笑する有権者も、数おおくいる。そういった連中の後始末を、竜堂兄弟がしてやる義務は、どこにもなかった。>

 「そういった連中の後始末」とやらを、竜堂兄弟に頼まなければならない義務もこちらにはありませんよ。自分で好き勝手に善悪を決める竜堂兄弟などに。
 それにしてもここまで政治家や有権者を貶める事もないでしょうに……。あまりにも下劣な主張は反論の元気さえ吹っ飛んでしまう、と以前読んだ本で谷沢永一氏が言っていましたが、その気持ち、私もよく分かりますよ。自分の考えと違う人間をここまで貶められる記述は、とても銀英伝やアルスラーン戦記を書いた作家とは思えません。創竜伝の社会評論は「相手の立場に立って考える」という視点が完全に抜け落ちていますね。

P123下段
<教育の理想は金銭で購えるものではないが、学校の設備をととのえたり、人材によい待遇を与えたりするには、どうしても資金が必要である。文部省から補助金を受ければ、その分は干渉も受けやすくなってしまう。独立した資金源があるにこしたことはないのだ。>

 田中芳樹は、何か私立学校に思い入れでもあるのでしょうか? 「私立学校は文部省の言いなりにならない聖域である」という幻想でも抱いているかのような記述が、創竜伝だけでなく他の作品でもよくみかけます。現実には、文部省の学習指導要領を一番忠実に守っているのが私立学校なんですけどね~(^_^)。むしろ公立学校の方が、公然と文部省に逆らっている例も多いですからね。田中芳樹が理想とすべきは公立学校だと思いますよ。

P126下段~P127上段
<「いじめ」という行為の構造は複雑なものではなく、きわめて単純である。誰かをいじめる人間は、かならず他の誰かから抑圧を受けているのだ。第二次大戦中の日本陸軍のように、あるいは企業社会のように、上から下へと抑圧が連鎖している。
(中略)
 タマネギの皮を剥く行為に似ている。同じような抑圧の状況がくりかえして再現され、あげくのはてに核心は空洞なのだ。文部省は教育委員会をしめつけ、教育委員会は校長をしめつけ、校長は教師をしめつけ、教師は生徒をしめつけ、生徒のなかで強い生徒が弱い生徒をいたぶり、弱い生徒は学校で飼育されているウサギを惨殺する。誰もがみんな抑圧され、自分は被害者だと思いこんでいる。連続幼女殺人事件の犯人とされる人物も、社会心理学からいえば疎外と抑圧の被害者なのだそうだ。>

 あの~、ここもたとえが間違っているような気がするのですが……。「第二次大戦中の日本陸軍のように、あるいは企業社会のように、上から下へと抑圧が連鎖している。」って、要するに階層社会それ自体を否定しているのですね? 権力=抑圧とでも考えているのでしょうか。「みんなが全て平等に」なんてできるわけないじゃありませんか。そんなことをしたら日本の社会は崩壊しますよ。社会の秩序維持や命令系統の統一のために下からトップまでの序列があるという事が、この人には分かっているのでしょうかね。
 「誰もがみんな抑圧され、自分は被害者だと思いこんでいる」これは左翼の皆さんがよく陥る被害妄想ですね。だから連中は自分が強者である事が自覚できないのです。そして田中芳樹もまた、同じような妄想にかられて日本否定をしているのですからお笑いですね。
第一、上記の「抑圧の過程」には、「教育組合が文部省に反抗し、教育委員会と校長を脅す」という肝心なものが抜けています。文部省が全ての元凶のように言うのはやめましょうね。

P127上段~下段
<もともと日本は個人の責任というものが厳格に追及されることのない社会であるようだ。第二次大戦の指導者から、いじめの主謀者に至るまで、みんなが決めたことに自分はしたがっただけで自分に責任はないと主張する。その結果、「みんなが平等に悪かった、みんなで反省しよう」といいだす者が出てきて、責任の所在は不明になり、まともな反省もおこなわれず、事態もさして変わらず、誰も罰せられずに終わってしまう。五〇〇人以上の生命が失われた航空機事故でも、ついに誰ひとり刑事責任を問われずに終わってしまうのだ。>

 「第二次大戦の指導者」って、一切の責任を問われずに無罪放免されましたっけ? それに航空機事故で問われるのは会社の過失責任と賠償責任であって、誰かが飛行機を意図的に墜落させたのでない限り、個人の刑事責任は問われないと思いますが。第一、この「航空機事故」というのが一体何のことかも書かれていません。これでは一体何について話しているのかも読者には分かりませんよ。当時で「五〇〇人以上の生命が失われた航空機事故」といえば、日航機墜落事故と大韓航空機撃墜事故でしょうけど、一体どっちのことを言っているのでしょうか?
 また、いつものことですが「日本は個人の責任というものが厳格に追及されることのない社会であるようだ」と断定しておきながら、「なぜそうなったのか」については何も検証していませんね。井沢元彦氏がこの問題を非常に詳しく検証していますので、少しそれについて説明しましょう。
 日本という国の国民性は、もともと独裁者という存在を非常に嫌っています。日本の権力者の中で独裁的な権力を振るったものは、例外なく短命政権に終わるか非業の死を遂げています。で、いつごろからそうであるかというと、少なくとも聖徳太子の時代からなんです。17条憲法第一条に「和をもって尊しとなす」と書いてありますが、これは「みんなで話し合うのが一番」と言っているようなものです。第二条に「仏をうやまえ」そして第三条にやっと「天皇に従え」というようなことが書かれていますが、それら以上に第一条が重要なんです。この「第一条」の考え方が、今でも日本を支配しています。
 これに逆らうような独裁者、歴史上の人物だと織田信長や井伊直弼、大久保利通などは、特に悪政を働いたから殺されたのではなく、単に「独裁者だから許せない」という理由で殺されたようなものです。日本では、ひとりで責任をとる独裁者は危険だと判断されるので、責任を分散させて個人の責任を問われないようにしているのです。
 もちろん異論もあるでしょうけれど、「日本は個人の責任というものが厳格に追及されることのない社会であるようだ」と断定するのならば、「なぜ」というものをきちんと説明すべきではないのですか? 田中さん。

P130上段~下段
<もともと保守政界というものは、イデオロギーや政策と無縁の利権分配グループである。現在の社会制度下で、政治権力を最大限に活用してどれほど多くの利権をあさり、富をむさぼるか、それが職業であり、生きがいなのだ。
「政治には金がかかる。有権者が政治家にたかるからいかんのだ。政治家は費うだけで、手もとには一円も残りはしない」
 彼らはそう弁解する。信用する者もいるであろうが、結論部分はまっかな嘘である。自分の資産を費いはたした政治家はめったにいない。生活に困窮して生活保護を受けるようになった政治家など、ひとりもいない。その逆に、政治に費用がかかることを口実に政治資金をかき集め、豪壮な邸宅と別荘をかまえる政治家は無数にいるのだ。
 この国では、政治は、個人の利益を追求する事業として成立するのだ。だからこそ、よほどに見識のある一部の人を除いて、引退する保守党政治家は、息子や娘婿を後継者にする。政治家としての権力を世襲させるだけでなく、これまで築きあげてきた利権あさりの組織や人脈をも受けつがせるのだ。権力と利権を、個人の財産と思うからこそ、他人に渡したくないのである。>

 「保守政界というものは、イデオロギーや政策と無縁の利権分配グループである」って、よく日本をここまで牽引してきた「保守政界」をこき下ろせますね。じゃあ当時の社会党や共産党はどうなんです? 「必要以上にイデオロギーをがなりたてる、ソ連を始めとする共産主義陣営の忠実な下僕」だったのではないのですか? この連中に比べれば、少なくとも「保守政界」はベストとは言わずともベターな存在でしょう?あなたはいつからベストを望むようになったのです?
 それにあんたねえ、「自分の資産を費いはたした政治家」や「生活に困窮して生活保護を受けるようになった政治家」なんて、私に言わせれば政治家失格ですよ。自分の財産管理もできていないってことではないですか。それに「豪壮な邸宅と別荘をかまえる」ってのは、国民に政治家の権威を示したり、外交や政治家同士の話し合いの場として使用するといった、政治的な意味もあるのではないのですか? アルスラーン戦記8でも人心を安心させるために、ルシタニア軍によって破壊されたパルス王宮の復旧をやっているではないですか。第一、政治家が貧しかったら政治もできませんよ。金銭的な事情によって生活が不自由しているような政治家は、簡単に金の誘惑に乗ってしまうでしょうし、金銭を出してくれる人のいいなりになってしまう恐れもあります。金持ちであれば、そんな事を気にせずに余裕をもって政治に専念できるではないですか。
 政治にはやはり金がかかるものです。そして金をかけるべきものです。「金のかからないクリーンな政治」などというシロモノがどれほど恐ろしいものか、戦前の日本の軍部やかつての共産主義諸国、そして銀英伝の救国軍事会議のお歴々を見れば分かりそうなものだと思いますけどね。それに比べれば、金権政治はベストではないでしょうけどベターな選択だと思いますよ。
 最後に、日本の政治家に二世や三世議員がいるのは、何も「保守党政治家」だけの特殊現象ではありません。なぜ「野党政治家」の皆さんの姿勢は批判しないのでしょうか?

P145下段~P146下段
<この日、始は、白楊学院で国語教師と衝突してしまったのである。同僚といっても、国語科主任で学校図書館も担当する中年の教師だった。つい最近まで市の教育委員会につとめていた人物だというが、この人が学校図書館の蔵書を検査して、中学生や高校生の教育に有害な本をこのさい追放しようとしたのである。主任はすでにブラックリストを作成しており、幾人かの作家の名をあげて、反社会的であるとか反体制的であるとか決めつけた。聞くうちに、始はつい口をはさんでしまったのだ。
「でしたら夏目漱石も禁書にしたらいかがですか」
「な、何をいうのかね、君は!?」
 国語科主任は目をむき、始の無知をたしなめるように手を上下に動かしてみせた。
「夏目漱石は日本人の誇りともいえる大文豪ではないか」
「そうですか。ところが彼は作品や日記のなかで、手きびしく明治政府を批判していますよ。明治天皇が病気になって、国民に自粛が押しつけられたとき、『官憲いたずらに民衆の生活に干渉するべからず』と書いています。ひょっとして、ご存じなかったんですか?」
「…………」
「それに、時の総理大臣が文士を集めて会合を開いた時も招待をことわっているし、文部省が文学博士号を授与しようとしたときにも、そんなものいらんと拒絶しています。どうです、国家にさからうけしからん奴だと思いませんか」
 国語科教師は顔を赤黒くして黙りこんでいたが、ひとつ頭を振ってわめいた。
「きみはたかが臨時講師じゃないか! えらそうな口をきくのはやめたまえ、そもそも何の権利も資格も君にはないんだからな」>

 あほらしい。いくらフィクションといっても現実離れしすぎてます。こんなことをしている私立学校は日本には存在しませんよ。反日主義で凝り固まっている公立学校ならばなおさらです。むしろ「こいつは体制的だ」「あれは社会的だ」などと決めつけて反日主義的な本で蔵書をかためるという、ここの記述と全く反対のことならば公立学校で日常茶飯事に行なわれているのでしょうけど。

P147下段~P148上段
<「この世界一の経済大国とやらでは、政策の九九パーセントに利権がからんでるんだ。交通安全のキャンペーンでさえ、保険金の多さに音をあげた損害保険会社の思惑がからんでいるというんだからな」
 そしてそういう実情を批判すると、たちまち御用文化人が動員されて、「日本の悪口をいう奴は愛国心がたりない」という。そういう権力維持のためのシステムが完成されているのだ。>

 ならば謝罪外交もオウムの破防法適用も少年法改正も、全て「利権がからんで」いると言いたいのですね(^^)。誰がどのように利権を得る事ができるのか説明してほしいものですが。まさか「これは残りの1パーセントなんだ」という言い訳はしないでしょうね。
 それに「権力維持のためのシステム」というのはずいぶん不良品ですね~(^_^)。ひょっとすると電源が入っていないんじゃありませんかね? 私はこのシステムが作動している光景を全く見たことがありません。どんなに見事なシステムでも、作動しなければ意味がありませんよ。それに、「日本の悪口をいう奴は愛国心がたりない」などと主張する「御用文化人」とやらがいたら、ぜひ一度この目で見てみたいですね。

 いつもの事ですが、投稿が長くなりすぎるのがこのシリーズの欠点ですね。今日はこの辺で終わりにしておきましょう。次こそ創竜伝5の批評を終わらせます。

board1 - No.1103

3人へのお返事

投稿者:冒険風ライダー
1999年04月15日(木) 05時05分

M野さん、私はそんな状況でも創竜伝は今出さないとまずいと思います。というのも今後左翼がかつての勢いを取り戻すとはとても思えないのですよ。時間が経てば経つほど、田中芳樹の社会評論の主張はますます不利なものになっていきます。しかも読者の不満も深刻ですからね。いくら田中芳樹を全面肯定している人でも、あの遅筆を崇拝している人はいないでしょうし、これ以上待たせると読者離れもおこるのではないでしょうか。私もあの遅筆がなかったら、いまでも田中芳樹を賞賛していたかもしれませんし(^^;)。
ところで座談会の批評の件ですが、「反論に対する態度」は6巻にありますのでそちらの批評のときに取り上げることにして、今までの座談会の批評は別のことについて指摘するという方針に変更いたしました。。そのうえ今回の批評は5巻の最後まで到達できなかったので、座談会の批評は次に持ち越しという事になってしまいました。期待を抱かせてしまって申し訳ありませんが、できるだけ急ぎますので、もうしばらくお待ちください。

はむぞうさん、実は私も管理人さんと同じように創竜伝を影響をもろに受けて左翼的な考えばかりしていた時期があります。フィクション小説とはいえ、やはりその影響力は無視できないものです。私の場合、特に学校で偏向教育を受けなかったものですから、田中芳樹によって左傾化したといっても過言ではありません。
それに創竜伝作品は社会評論だけでなく、登場するキャラクターも、低俗に書かれている日本の政治家たち(こちらはまったく現実離れしているし)を除くと、敵味方問わず同じような反日的な主張をしているために、「反日は当然のことだ」というイメージを読者に植えつけようとしているようです。私も引っかかってしまったし(^^;)。
私もアルスラーン戦記やタイタニアなどの続編を期待して待っている点に偽りはありません。私にとっては、今でも田中芳樹は全否定の作家ではないんですよ。あまりの遅筆と最近の現代物の低レベルなストーリーは好きではないのですが、いまでも田中作品を手放さずに持っていますから(ただ、「クラン」という小説だけはあまりにも腹が立ったので手放してしまいましたが)。

俺様ランチさん、

<銀英伝の戦闘シーンを「パクリだらけ」と言う人がいますが、これもナンセンスだと思います>

↑とのことですが、それを指摘した彼らも、過去の投稿を読んだ限りでは、銀英伝が「パクリだらけ」だからといって、別に銀英伝の面白さを否定しているわけではないのですよ。「こういう見方もあるのだ」という考えからそう言ったのでしょうし、礼賛ばかりの評価に対するアンチテーゼでもあったかもしれません。銀英伝の設定がどこから来たものかという「元ネタ探し」のようなものだと思います。私はそう思って面白く読ませていただきました。少なくとも、まったくナンセンスではないと思います。

<ところで、このHPを発見してから1週間ほど見てますけど、このBBSで書き込んでる人の中には、田中芳樹を批判したいのか、自分の方が田中芳樹より頭がいいと証明したいのか、書き込む目的がよくわからない人がいるように感じることがあります。
(中略)
正直言って、「自分の中の田中芳樹嫌いゴコロを鼓舞するために」しているような書き込みが目立つように感じます。貶めようという意志があまりにも見え透いていると、同じノリを持ってない第三者はひいてしまいますよ。>

別にここで批判をしている人たちは田中芳樹を貶めようというわけではないのですよ。そうであればとっくに田中芳樹を見捨てていますから。少なくとも私が言いたいのは「銀英伝やアルスラーン戦記などであれほどの正論を主張している人が、何で創竜伝などの現代物で自分がかつて主張していた正論を否定するような社会評論やストーリーを展開するのか」ということですから。実際、創竜伝の社会評論やストーリー展開はあまりにもひどすぎます。私が一番問題だと思っていることは、社会評論を展開するときに、何ら実証的検証をやらないで日本=悪のイメージだけを読者に植えつけようとしている事です。社会評論に書いてある事は、日本だけの特殊現象ではないのかもしれないし、何か理由があるのかもしれないのに、それについて何も言わないのは作家としても批評家としても不誠実であり、怠慢なのではないでしょうか。ましてや、創竜伝の影響力はかなり大きいですよ。私も実体験をしたからよく分かるのですが。
だから私は、創竜伝の社会評論のおかしさや、田中芳樹が何もしていない「なぜ」という検証をしようと思って「私の創竜伝考察シリーズ」を始めたわけです。残念ながら私も完全な知識で批判をしているわけではないのでよくツッコミを受けるのですが、創竜伝の社会評論を批判するには、少なくとも「創竜伝を書いている田中芳樹」よりは知識が必要です。まあそこら辺が「自分の方が田中芳樹より頭がいいと証明したい」と受けとられる理由なのかもしれませんが。
ここに来ている方々は、「田中芳樹の、創竜伝を始めとする現代物の執筆態度とあまりの遅筆」が嫌いなのであって、別に田中芳樹のすべてが嫌いなわけではないと思います。その辺はご理解ください。

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