-
- board1 - No.1543
ココさんへ、根気ようって、ちかれるねぇ
- 投稿者:仕立て屋
- 1999年07月14日(水) 13時16分
毎度、仕立て屋です。
-----------------------------------------------------------
>「創竜伝」ごときという言いまわしに、憎しみのパトスが蠢いていますな。まあ、オレも人のこと言えた義理ではないんだけどね。ここらへんは、ハッキリとあんたと意見が噛み合わないところなんだけどな~。まず、あんたの警世書、批判書の定義がよくわからん。命を狙われる危険を犯して書かなければ、警世書でも批判書でもないの? そりゃ、悪く書かれた方は「フィクションだから」と逃げられたらたまらんだろう。でも、それで定義しちゃったら、批判書と警世書を書くやつはみんな命を狙われなければならないじゃん(笑)。それとも、あんたは「創竜伝」が原因で田中が右翼に刺し殺されでもしたら「創竜伝」を警世書、批判書と認めるのか? おいおいおい、それってもはや文学のジャンルわけじゃないよ。「こいつの本は殺されたから批判書。こいつまだ生きてるからダメ」ってか? ヒエ~!
-----------------------------------------------------------ワオーッ、こんなレトリックありでっか?ボルテッカァ!
憎しみのパトスが蠢いてかぁ、ん~、スマートォゥー、ってこれいただきぃ?先ず、誤解を避けるために、簡単に定義付けしてみようかと存じます。
「警世書、批判書の定義」と仰られても、読んで字の如しとしか申し上げようがございません。そこで、「警世書、批判書の定義」をここでは二つに分けてみましょう。一つは(A)ノンフィクションとして自らの思想や批判精神でもって諸種の命題に関して論ずるもの。これは、読者の側がその内容を是とする、もしくは、それまでの考えを再考するようになる、ならば、書き手の意図は達成されるであろうし、否とする側にも、それに対して反論、批判する機会が与えられ、且つ、書き手もそれに対して答える義務が生ずるものだと、規定いたします。次に、(B)あくまで表現形式はフィクションの形で。しかし、そこには、わたしの投稿1536で述べたように、(1)「作者の主張が、普遍的に且つ必然的に構築され、登場人物なり、設定でもって、作品世界の中で統一的に反映されているのならば、それはそれで小説として評価されうる」且つ、(2)「小説として面白ければ万人受し、尚のこと良し」とします。
-----------------------------------------------------------
>まず、あんたの警世書、批判書の定義がよくわからん。命を狙われる危険を犯して書かなければ、警世書でも批判書でもないの?
(中略)
>それとも、あんたは「創竜伝」が原因で田中が右翼に刺し殺されでもしたら「創竜伝」を警世書、批判書と認めるのか? おいおいおい、それってもはや文学のジャンルわけじゃないよ。「こいつの本は殺されたから批判書。こいつまだ生きてるからダメ」ってか? ヒエ~!
-----------------------------------------------------------意図されてなのかどうか不明ですが、ここには明らかな”すり替え”が存在します。まず、ココさんの「夢物語」に対するココさん自身の書評 <この「夢物語」、批判書にしては抽象的すぎる代物なんだよね。俺は大学の授業のテキストで読んだんだけど、一読して「えらい弱腰な幕政批判書だな」と思った。なにせ、架空の世界を舞台にしたファンタジーで、しかも最後は「じつは夢だった」という夢落ちなんだから。田中の「フィクションだから」どころではない。夢落ちで全部「おじゃん」なのだから。ストーリーも破綻しまくっている。はっきり言って、小説としてはあまりいただけない。それでも、幕末の言論弾圧下でこれを書いた根性は見とめるが…。> を考えて見ます。わたしは、先に述べたように「夢物語」を読んだことがございませんので、わたしの書評を申し上げることはかないませんが、ここはココさんの仰ることをそのまま使用したいと存じます。ところで、夢落ちってのは、まるで、ドラえもんに関するあの有名な都市伝説を連想しますねってこりゃ、話がずれましたね。
夢落ちにした長英の意図は不明ですが、幕末の言論弾圧下では、夢落ちにしようと幕府に睨まれると考えるのが自然ですから、おそらく、庶民受けするようにそのような形式を採ったものと想像いたします。ココさんの書評から、「夢物語」を上記(B)における(1)の資格ありと判断します。(B)の(2)に関しては”現在”の基準から申しますと、?ってとこでしょうか。いくら、夢落ちの形式を採っていようが、上記(A)のような作者の意図が前面に押し出されたもので、且つ、(B)の(1)を満たすのならば、その内容の正否を除いても、(A)における読み手の反論、批判の対象たりうる可能性を有します。しかしながら、当時、現在の基準から見れば、表現者の自由など保障されていないのですから、その時代の悲しいかな、”結果的”に幕府によって、反論の再反論を許されることもなく死を選ばされたわけです。このような事態は現在の基準と比べようがありませんから、現在の基準に照らし合わせて、長英の死を批判対象からの反論、批判の結果とわたしはみなし判断したわけです。したがって、何も 「 ”幕末の言論弾圧下” の状況を ”現在に当てはめ” て、表現者に死が伴わなければ、その作品を批判書とは認めない」、などと申し上げてるのでは決してございません。その為にわたしは投稿1536において、幕末当時の表現に関する一般的な認識について言及しているわけです。ここには、わたしの投稿1536に対して、そのみなし判断を、幕末の言論弾圧下の状況に現在の問題を適用させて「死を伴わない作品は批判書と呼べないのか、云々」と反論してみせるという論理のすり替えが見受けられます。また、歴史におけるその時々の作品に対する評価は現在の基準からその完成度自体に関するものもそれはそれでアリでありましょうが、それとは別個に、その時代時代におけるインパクトと申しましょうか、その作品の存在価値をも加味する必要があるものと存じます。そういう意味で、あの弾圧下でココさんが書評した、かような作品「夢物語」を世に出した長英は評価されるべきであり、「創竜伝」をして「小説に託した警世、批判書は別に田中が先鞭ではない」などとほぼ同位に序列せしめるココさんの情報比較適用の判断に問題ありとわたしは申し上げたのです。
以上の理由から上記ココさんのご発言にはすり替えのレトリックがあるものと判断いたします。よって、ココさんは「夢物語」を引き合いに出した事に関するわたしの投稿1536の問いに再度答える必要があるものと存じ上げます。
しっかし、ヒエ~?、ヒエ~~~~ッてあんたぁ、こっちゃがヒエーーーッ言いたなるぅゆうねん。-----------------------------------------------------------
>>小説の初歩の初歩として、作品の中に作者の言葉が入ってはいけないというものがある。作者の主張は、キャラクターに語らせるとか、テーマとして伏流にして流すとか、そういうテクニックこそが小説であり、物語だからである。最初にこれ見てから疑問に思ってるんだけど、この定義、いったい誰が決めたんかな? 神様? ゲーテ? 夏目漱石? それとも石井? あんたらは、これを金科玉条のように崇め奉っているけど、だったら原典出してくんさいよ。前にも書いたけど、どっから孫引きしてきたの?
-----------------------------------------------------------さあ? わたしにもわかりません。あっと、これは誰が言い出したのか、と言う点ですけどね。ところで、ココさんは、管理人さんの”作家が作中で己の主張を盛り込む場合のお約束”に関してそれを全面否定するものですか? それとも、一面の真理を認めるものですか? わたしは、その原典がどうであろうとも、そこに一面の真理を感じます。なぜなら、主張がキャラクターの言葉の中や作品のテーマに伏せて必然的且つ統一的に盛り込まれる以外に表現しうるとすれば、行間の突に隔絶された心理模写や状況描写、作中の場面場面での思想のモロ出しなどを行わないかぎり難しいでしょうし、そんな場合、小説という表現形式においては上記(B)の(1)の点で問題が生じます。故に、管理人さんの小説で主張する場合に関する言及には一面の真理を覚えます。
また、ココさんは、上記管理人さんのご発言に関して、その原典を示せ、と仰っていますが、仮に原典があろうとも、では、その原典の原典はどこなの?云々の同道巡りになりかねません。そんなことより大切なのは、そこに一面の真理を認められるか、否か、ということではないでしょうか。それとも、原典があれば、精神的安泰でも得られるのでしょうか。-----------------------------------------------------------
>>ココさんの論法から申しますと、評論家という職業は、卑しい職業ということになりますね。われわれ読者は、お金を出してその作者の作品を購入しているのですから、その作品に対して批判するくらいの権利はあるものと存じますが、どうですか。批判精神のないところに進歩もないかと存じますが、いかがでしょうか。うふふ(気持ちワリィ…)、おいおい、どうしてここの掲示板って職業差別的な言辞に走るかな。ひょっとして、職業差別好き? オレって批評の原稿の仕事もやってんだけどな(何の批評かはヒ・ミ・ツ)~。
でも、批評に名を借りた罵詈雑言と言うものがあることを、あんたも含めたここの青蝿さんたちは知らないようだね。ワイドショーのサッチー叩き(真実も含まれているが)や、石井の「田中とヒトラー、どこちゃうねん説」なんかその典型じゃん。
-----------------------------------------------------------「うふふ(気持ちワリィ…)」
ハハハ、やっぱりぃ?これは別の掲示板で誰かが使っているのを見て、わたしも「気持ちワリィ」って思ったんですよ。で、一度、使ってみようってことでやってみたんですが、やっぱり、そう思いますよね、クックックゥ。
それから、「職業差別的発言に走るかな」って??? ココさんのご発言 <中国の成言で「英雄の死体にたかる青蝿は、自分では何も功績を立てていないし何もできないくせに、死体になった英雄を足蹴にして得意になっている」ということだ。まるで自分が英雄になったように錯覚してな。田中が英雄かどうかまでオレは知らんが、あんたらにとって田中は手の届かない男で、さぞタカリがいのある骸なんだろうよ。> すなわち、「なんの功績もない素人風情が自ら作品を生み出すこともなく、ただただ、他人さまの作品、ペンで生計立ててるプロの作品に寄りかかっていい気になってる様を糾弾すべし」 が、”概念的”に、「自ら作品を創作するでもなく他人様が苦労して創り出した作品に寄りかかって飯の種にしている自称批評家、評論家に対して苦々しい限りである」とするのと”同根”であるということにココさんは気付かないのでしょうか? ということです。別にわたし自信が批評家、評論家の方々を職業差別しているわけではありません。ココさんの論法を適用すると、評論家、批評家なる職業も卑しいってことになるのでは?と申し上げてるのですよ。もし、そんな適用はおかしいって仰るのでしたら、語るに落ちる、ということでしょうね。ココさんも批評の仕事を請け負うことがあるのですから。ご自分だけは上記ココさんの論法からは除外されるということになります。だとするなら、我々とココさんの間では、上記論法適用面での選択性が存在していることになりますね。ならば、その分岐はどこに求められるのでしょうか。我々の場合もココさんの場合でも批評の目的の点では変わりません。この二つの立場の違いは、とどのつまり、素人であるか、プロであるのかの違いしかありません。どのように言葉を飾ろうとも、結局はそこに行き着くということでしょうか。-----------------------------------------------------------
>批評に名を借りた罵詈雑言と言うものがあることを、あんたも含めたここの青蝿さんたちは知らないようだね。ワイドショーのサッチー叩き(真実も含まれているが)や、石井の「田中とヒトラー、どこちゃうねん説」なんかその典型じゃん。
-----------------------------------------------------------批評に名を借りた罵詈雑言ってココさんはどのような定義で言ってはるんでしょうか。わたしの方は、対象に何の根拠も持ち合わせず、事実でないことで非難する、ということだと考えます。サッチー叩きに関しては、何が真実か我々視聴者に開示されていないのですから、判断しかねます。田中とヒトラーの件は、どうでしょうか。ちょっと難しいとこですね。ココさんが仰るように、実行した者とそうでない者を同列にあつかうのはアンフェアだということもまた道理であります。仮に、管理人さんが仰るように田中氏が精神性の面でヒトラーと同質なものを持っていて、且つ、同様な立場に立たされたとしても、やるかもしれませんし、やらないかもしれません。そんなことは、誰にも分からないでしょう。思っていてもやるかやらないかではその差は大きいです。人の心の中なんて他人からは覗けないし、行動にあらわれてはじめて他人に知覚可能なのですから。そういう意味で、作中にかいま見られる心中の思想が、ヒトラーと同根だからといって、その一面でもって非難するのは、どうかなぁ,とは存じます。
----------------------------------------------------
>>それから、ご大層に中国の成言「英雄の骸にたかる青蝿」を引き合いに出されていますが、ぜんぜんありがたみがありませんね。こういう借言にも、ココさんの言う「英雄の骸にたかる青蝿」は適用されないのでしょうかギャハハ、ひょっとしてあんた「英雄の骸」? 大きく出たもんだ。蝿はどれだけ自分を大きく見せようと蝿だよ。別にありがたがってもらう必要はないよ。あんたたちの姿を鏡で見せてやろうと思ってやったまでさ。どう? 見えた?
----------------------------------------------------???意味不明です。何故、わたしが「英雄の骸」になるのでしょうか。
「あんたたちの姿を鏡で見せてやろうと思ってやったまで」をそれらしく飾るためにココさんにとって「英雄の骸」である「英雄の骸にたかる青蝿」という成言を引き合いに出されている様は、同様に、「英雄の骸にたかる青蝿」とは言えないのでしょうか、と申し上げているのです。使い方間違ってましたか? くだらないですけど。まあ、ココさんは、発言の根もとに先人の言葉が被されば、精神の安泰が得られるようですから。----------------------------------------------------
>それから、最後に、ココさんはフリーライターでしたね。きっと、ココさんのようにプロのライターからすると、ここで書き込みする素人連中が、苦労して生み出されたプロの作品に対して、イッチョ前に批評家を気取って批判している様というのは、非常に苦々しい限りなんでしょうね。特に、ご苦労されてるココさんのようなフリーの方には。そのへんのプロの方の苦々しさにはいや、オレ的には結構この掲示板評価してんだしね。みんなそれなりに研究して努力して書いている跡が見えるし、俺のおちょくりに冷静に対処(一部熱い人もいるが…)してるし。批評は大切よ。
でも、罵倒はいかんよ。罵倒は。俺が言うのもなんだけど(笑)。
それと、なんか必要以上にフリーライターを貶めたり、持ち上げたりしているようだけど、そんなにフリーライターって珍しいかな? 出版社クビになった編集者だってフリーライターなんだよ。あ、オレ! オレは違うよ。ちゃんと円満退職だったもん。
---------------------------------------------------------???よくわかりませんねぇ。別にわたしはフリーライターの方を上げたり下げたりしておりませんよ。ココさん御自信がフリーライターの苦労を吐露されているのを見て、そのまま使ってるだけです。また、批評は大切って、特に言及されるまでもありません。わたしも批評のないところに進歩はない、と申し上げたところです。罵詈雑言がいけないのは、これまた、仰るとおりです。ただ、どんなものに対して罵詈雑言という言葉を適用するかは問題ですが。ココさんの適用基準をお聞きしたいものです。
それでは。
あ~あ、なんだか、白けちゃったなぁ。くだらない言説の数で流れちゃったよってココさんのことじゃないよ~ん、、フーゥ。
-
- board1 - No.1544
追伸と創竜伝
- 投稿者:俺様ランチ
- 1999年07月14日(水) 13時36分
書き込みの付け足しです。
>SATOKOさんへ
「ココと管理人のやりとりは田中芳樹の話題からズレてる」っての、確かにその通りだと思います。
でも、「管理人が右寄りだから田中芳樹のこと嫌いなんじゃないの?」ってのは、このHPの第一印象が良くなかった人にとってはもうお約束って感じで(俺含む)。だから、初めて来た人がそこら辺から崩そうとするのは、いくら管理人さんが「過去ログ読んでくれればわかるはず」と言い続けても、やっぱり初めはその疑問が出るのはしょうがない、と言うか恒例行事でしょう。
ここまで書いて思ったんですが、管理人さんはその辺の立場表明じゃないけど、Topページに載せておくとかした方が楽チンなんじゃないでしょうか?ところで不沈戦艦さんのココへの書き込み読んで改めて思ったんですが。
>創竜伝の場合は無意味な政治評論(??と思わせるものも多い)を挿入する事によって、ストーリー自体が破綻しておるとしか思えん
このような意味のフレーズ、不沈戦艦さんに限らず皆さん創竜伝を批判する際によく使ってますよね。
揚げ足取りする気は無いんですが、これって具体的にはストーリーのどの辺が政治評論によって破綻させられてしまったんでしょう?
「政治評論が多すぎてつまんない」ってのはわかるんですが、「ストーリーを破綻させるから政治評論は邪魔」ってのはよくわかんないんですよ。ソ連が話の途中で無くなった事? アレは確かに矛盾した描写ではありますが「破綻」って程問題を生じさせてる訳じゃないし・・・。同じように「創竜伝はストーリー自体つまんないからダメ」って批判もなんの気無しに使われるでしょ。思ったんですが、さすがにこれはワガママじゃないでしょうか? 皆さんが私に「自分を基準にして物を考えるな」と言われますが、「ストーリーがつまんないから嫌い」ってのは理屈でもなんでもなくて単なる個々人の感情でしょ。
「8巻とかから仙界とか出てきて訳わかんないしつまんない」ってのは単なる好き嫌いの問題で、封神演義好きとかは面白いと思うかも知れない。「荒唐無稽」みたいなケナシ言葉も見かけますが、「伝奇アクション」って本来そういうモンなんだし。「主人公がすげー自分勝手な理屈ばっかりこねるから嫌い」とかはわかるんですが。
「架空歴史小説並の確立された世界観」を求めた結果が「伝奇アクションのなんでもアリの設定」によって裏切られたからと言って、それ自体を怒っちゃいかんと思うんですよ。「これは銀英伝とはそもそもジャンルが違うんだ」って事を念頭に置いておかないと、「伝奇アクションなら許されるご都合主義」まで目くじらを立てる事になってしまいますから、気をつけた方がいいのではないでしょうか。
-
- board1 - No.1545
諒解しました
- 投稿者:不沈戦艦
- 1999年07月14日(水) 15時40分
>俺様ランチ氏へ
表題の通りです。
それとですね、「田中芳樹を撃つ!を撃つ!」か、「石井由助を撃つ!」でも作ったらどうか、と書いた意味は、「緒言と同じところに載せろ」だの「ザ・ベストに入れろ」だの、ココ氏が勝手なことばかり言っているからですよ。普通の人はそこまで図々しくはないですわな。
「そこまで言うんだったら、他人の場所を借りるのではなく、自分のページを持つべきでしょう」
というだけの話です。そんなにおかしな事を言っている、という事はないと思います。
それと私は自分のホームページは持っていません。作り方もよく知りませんし。
-
- board1 - No.1546
それがどうしたって質問
- 投稿者:satoko
- 1999年07月14日(水) 16時17分
>管理人さん、Merkatzさん
あのHp楽しんでいただけてよかったです。「ファンサイトなんかにいけるか!」って言われたらどうしようかどきどきしてたんですが(^^)
できたら、管理人さんの銀英伝の思考実験について聞かせてもらえたらと思います。>けんじさんへ
ずいぶん前に読んだ雑誌に載ってたんですが、田中氏は「批判が出るのは仕方ないと思う・・・。それより同人誌なんかでのやおい小説の方が腹立たしい。」らしきことを(このとおりじゃないですけど)おっしゃっていたので、すくなくともここのHPを必要以上に腹立たしく思うってことはないと思います。返事については管理人さんからお答えがあると思うんですが、とりあえず。(知ってたらごめんなさい)今日たまたま、三国志の話になってそれと関連して銀英伝が好きだという話をしたら、「三国志のぱくりじゃん。それがいちいち目につくからよむのやめた。」って話を先輩(男性)から聞いたんですが、ファンサイトでは結構女の子は三国志すきだから銀英伝も好きって人多いのですが、男性から見るとそういう感じなのでしょうか。(私は銀英伝読んでから三国志読んだので論外(^^;)
まあ、それはいいんですが確かに銀英伝に限らず、田中作品には三国志でみかけた場面が多々出てきますよね。「長江落日武」の中にある「天山の天女」(うろ覚え違ったらすいません)のラストの戦いの部分なんて間違いなく関羽と黄忠が戦った時の空弓の話がモデルなんでしょうし・・・。著作権とか詳しくないので知ってるかたがいらしたらぜひこれらが著作権に関わるかを教えていただけたらと思います。あんなに中国大好きな田中氏がそれで訴えられたりしたらしゃれにならないだろ~な~(^^;(まあ、そんな事ないと思うけど)
-
- board1 - No.1547
蛇足的補足
- 投稿者:石井由助
- 1999年07月14日(水) 18時23分
> 批評に名を借りた罵詈雑言ってココさんはどのような定義で言ってはるんでしょうか。わたしの方は、対象に何の根拠も持ち合わせず、事実でないことで非難する、ということだと考えます。サッチー叩きに関しては、何が真実か我々視聴者に開示されていないのですから、判断しかねます。田中とヒトラーの件は、どうでしょうか。ちょっと難しいとこですね。ココさんが仰るように、実行した者とそうでない者を同列にあつかうのはアンフェアだということもまた道理であります。仮に、管理人さんが仰るように田中氏が精神性の面でヒトラーと同質なものを持っていて、且つ、同様な立場に立たされたとしても、やるかもしれませんし、やらないかもしれません。そんなことは、誰にも分からないでしょう。思っていてもやるかやらないかではその差は大きいです。人の心の中なんて他人からは覗けないし、行動にあらわれてはじめて他人に知覚可能なのですから。そういう意味で、作中にかいま見られる心中の思想が、ヒトラーと同根だからといって、その一面でもって非難するのは、どうかなぁ,とは存じます。
これに関しては仕立て屋さんがいうような『実行した者とそうでない者を同列にあつかうのはアンフェア』というのも認めてもイイですよ。わざわざタイトルに「あえて言う」なんて書いているとおり、ワザと挑発しとる部分がありますからね。ただ、田中氏はやっていなくても竜堂兄弟のやっていることやその行動原理がヒトラーと同根であるということを読みとってもらえれば、それでいいです。
田中芳樹と竜堂兄弟のパーソナリティが、どの面が違ってどの面が共通しているか、その辺も考えてみるとおもしろいかも知れませんね。さて、単なる罵倒を越えてちょっとおもしろい展開になったので再び口を挟みましょうか。
仮に俺のパーソナリティがワセダのヒロスエヲタクと共通していて(わらぃ)、このヲタクちゃんが『石井のように田中を「人気作家」で「売れてるん」だから何言ってもかまわないんだろう? 俺は一介の学生だし、懲らしめてやってもそれは悪ではない』と思っていると定義しましょうか。だからどうしたの? 俺やらヒロスエヲタクやらが極めてうじゃじゃけた気持ちの悪いコンプレックスを持っていたとしても、それゆえに俺の論がそのうじゃじゃけた気持ちから発しているモノだとしても、動機が気持ち悪いってだけで俺の論(『田中芳樹は、小説にエッセイを持ちこんだフトドキな作家だ』(苦笑))に対する何の打撃にもなってないんだぜ。
しかし、田中芳樹とヒトラーの場合は俺とヒロスエヲタクの場合と違うだろうが。田中芳樹とヒトラーのパーソナリティが共通(とまで書くとちょっと違うのだが便宜上こう書いときましょうか)だとすると、創竜伝に出てくる社会評論部分の大部分は大打撃を受けるし、下手をすると「ヴラド計画」なんてものをぶちあげている分ストーリーにもダメージをきたすかも知れん。
というように、形パクってるのに俺に対してちっともダメージになっていないからこの前は芸になってないって相手にせんかったんだわ。
ちなみに石井由助が広末ストーカーと同じだと思うか否かは、みなさんがそれぞれ判断してください。私が自分で否定すると格好悪いと思うので(笑)。
-
- board1 - No.1548
なんかねぇ
- 投稿者:カエサル
- 1999年07月15日(木) 03時02分
はじめてかかしてもらいます。しかしねえ~、どこにでもいるんだよね、目新しいことしたらそれを受け入れるのが寛容とか、頭良いって勘違いしてる馬鹿は。
はっきりいって、俺様ランチさんと仕立て屋さんって本気で「ココさん」とやらが言ってることに共感してるわけ?仕立て屋さんに返したレスはふ~んとはおもったさ。でも、最初の二つはねえ~、あんなお粗末な文で良く共感できるもんだ。
はっきりいってね、特に俺様ランチさんあんた最初に怒った浮沈戦艦さんやSATOKOさんかなり意図があってああいうおこりかたしたの見えてないでしょ。
浮沈戦艦さんはうまいが、少なくともSATOKOさんは下手だね、感情隠すの。だってあんたへのレスはみりゃ、それがうまく行く前に壊されたってのまるわかりじゃん。まあ、それが狙いなのかもしんないけど。
で、結局ココをつけあがらしただけ。
それと第三者からはこれ以上言えないが、冒険封ライダーさんのほうが正しい。いいかげんにしろ。
とまあ、つらつらかいたんだがおいらは結構ココでやってるのを見てて評価してたんだけどくだらない奴が入ってきたのでたたいてみた。
ココさんよ。あんたの文でくっだらねえ部分は今度たたいてやるからまってなさい。
じゃあね~
-
- board1 - No.1549
おい、カエ猿ぅ、てめぇ、逆立ちのヒポポタマスか
- 投稿者:仕立て屋
- 1999年07月15日(木) 08時53分
小学生の読書感想文かぁ。
思っただけなら~無いのと一緒やでぇ。
文章解釈からもう一度、やり直すんやな。そんでも、気力をそぐのがウマイのは確かやで。こういうのって道化ってゆうんやろね、クックックゥ。
-
- board1 - No.1550
初めて書き込みさせてもらいます
- 投稿者:織田
- 1999年07月15日(木) 14時27分
はじめまして。織田といいます。
俺もここに書き込みする多くの人達の例に違わず、「銀英伝」で火をつけられた田中芳樹熱が、「創竜伝」で完全に鎮火させられました。「創竜伝」は図書館で借りて8巻か9巻まで読んだけど、もう挫折して久しいです。それにしても、最近アツイねえ、掲示板。ずっとROMってて思ったんだが、管理人さんのことを「左翼思想が気に食わないから」だとか、「小説内で社会批評するのが許せない」とかの理由で「創竜伝」を批判してると思っている人らは、ちょっとずれてるのではなかろうか。俺には、
「左翼思想だろうが社会批判しようがかまわんが、面白い小説を書けよ、田中芳樹」と言うのが基本的な管理人さんのスタンスだと思うんだが。まあ、もちろんこれだけじゃないだろうが。何せ「創竜伝」って、社会批判の部分が明らかに負の作用を及ぼしてるとしか、考えられんもん。「善玉が全て作者の代弁者」「特に必要の無い社会批評」「しかも批評の論拠が怪しい」など、物語を面白くなくする要素がてんこもりだ。管理人さんが憤るのも、当然でしょ。もう「創竜伝」を読んだのは何年も前の話になるけど、今でも鮮明に覚えているシーンの一つ。何巻かは忘れたけど、敵が「諸葛亮孔明」って言っただけで、始か誰かがまるで鬼の首でもとったかのように、「諸葛亮か諸葛孔明とは言うが、諸葛亮孔明とは言わない」と言い出すところ。この後、軍事的功績の少なかった孔明の実績について語り出す。これって芳樹さん、さぞかし「三国志」、特に「演義」ばかりを崇め奉る世間一般の人々に言いたかった事なんだろうねえ。確かに中国じゃ、お互いを呼び合う時に名と字を重ねて使う事はないけど、歴史上の人物を指し示す場合なら問題ないだろうに。
「創竜伝」を読むまでは田中芳樹に熱を上げてたが、こんなんの積み重ねで、今じゃ熱も冷めました。「銀英伝」は面白かったがなあ。それじゃあ管理人さん、HPの運営頑張ってください。
-
- board1 - No.1551
今回の件の雑感
- 投稿者:不沈戦艦
- 1999年07月15日(木) 15時19分
ココ氏の勘違いの最たるものは、「田中芳樹を撃つ!」の常連連中が、売れないライターや作家志望崩ればかり、と勝手に決めつけていることやろうな。莫迦言っているんじゃないよ。だいたいそういう人いるのかね?他人のことまでは詳しくは知らんが、少なくとも私は違うし、そんな願望もない。仕事が忙しくて何か書いて賞にでも応募する、などやっている暇はないし、そんな気もない。しかし何で、物書きを志したこともなく、当然やったこともなく、今後やろうとも思っていない人間が、「物書き」としての田中芳樹に嫉妬せねばならないのだろうか?「物書き」ってのは誰からも羨望の目で見られなければならない高貴なる職業なのだろうか?そこまで自意識過剰なんですかね。大して売れないようなライター風情でも。妙なことを主張する人間は面白いのぉ。もちろん、「珍獣」としての面白さだが。
例えば私は電気系の技術屋だけど、自分が世に出した製品が、仮にどこかの雑誌ででもケチョンケチョンに貶されたとして、「あいつらは、自分じゃそういう製品を作る能力がないから、妬んで言っているだけだ」などとは先ず思わないね。更に、「不沈戦艦様の作った製品を、作る能力のない青蠅のような連中が、妬んで貶しめているだけだ」などと言う輩がいたとしたら「馬鹿か貴様。下らない追従はやめんか」とはっきり言ってやる。「次はもっといい物を作って、高い評価を得るように頑張ろう」が普通だ。あるいは的外れな批判の場合、反論することはあるかも知れんが、「青蠅」呼ばわりして批判自体を罵倒し封じ込めよう、と考えることは先ずあり得ない。それに「全ての人間が技術屋を目指しているから、自分は誰からも羨望されており妬まれ足を引っ張ろうとする人間が多い」などど馬鹿なことを考える奴は、技術屋には先ずいないだろうと思う。ライターとは違ってね。いや、そんなことを考えるのはライターだけじゃないだろうか。じゃなかったらブンヤかテレビ屋、高級官僚くらいかな。これは偏見かも知れんがの。自分の仕事に誇りを持つことは大事だとは思うが、度が過ぎて増長までいくと滑稽じゃの。いつぞや失笑を買っていた田原俊彦の「俺はビッグだ」発言と似たようなものだろうか。そういうのは一般的に「身の程知らず」と言うと思う。
モノ作りの世界では「お客様は神様でございます」以外にはない。そもそも「批判を受け付けない精神」自体、田中芳樹がもっとも嫌っていた筈だがな。ココ氏は彼の作品から、その程度のことも読みとれないのだろうか。この読解力の無さで「ライター」と主張した自己紹介は本当かね?疑問に思えてくるの。
「こんな立派な製品に、グダグダケチをつける輩はクズだ」
こんな寝言を言ってどうするのだろうか。どうも、モノ書きの世界というのは、相当異常で世間知らずばかりがいるような気がする。ココ氏を見ていてそう思えてきたの。おっと、ココ氏は特殊例ではないと限らないか。偏見を持ってはいけないな。済まん済まん。売れてはいるのは認めるが、「あそこが悪い、ここが悪い」と言いたくなる点は実際にあるのが現在の田中芳樹の作品だ。私は、銀英伝に関してどうのこうの言うことはあるが、作品全体を「下らない」とか「価値がない」とか言ったことはない。どっちかと言うと、「反銀英伝論」などはファンサイトに近い議論かも知れない。でも創竜伝に関しては、そうは思わない、というだけだ。現に「あれは面白くない」と言う人はいるのだがの。売れている製品は無条件に最大限賞賛しなきゃいかんとでも言うのかね。批判は全く許さない、と。自意識が肥大した朝日新聞記者か何か(朝日新聞批判を行う連中は、朝日の入社試験に失敗して妬んでいる輩だ、というのが朝日新聞社内での「常識」だそうだから)みたいだのぉ。それでは、単に品性下劣でみっともないだけではないだろうか。
-
- board1 - No.1552
石井由助平師へ。相手にしないはずじゃなかったの?
- 投稿者:ココ
- 1999年07月15日(木) 16時36分
> 批評に名を借りた罵詈雑言ってココさんはどのような定義で言ってはるんでしょうか。わたしの方は、対象に何の根拠も持ち合わせず、事実でないことで非難する、ということだと考えます。サッチー叩きに関しては、何が真実か我々視聴者に開示されていないのですから、判断しかねます。田中とヒトラーの件は、どうでしょうか。ちょっと難しいとこですね。ココさんが仰るように、実行した者とそうでない者を同列にあつかうのはアンフェアだということもまた道理であります。仮に、管理人さんが仰るように田中氏が精神性の面でヒトラーと同質なものを持っていて、且つ、同様な立場に立たされたとしても、やるかもしれませんし、やらないかもしれません。そんなことは、誰にも分からないでしょう。思っていてもやるかやらないかではその差は大きいです。人の心の中なんて他人からは覗けないし、行動にあらわれてはじめて他人に知覚可能なのですから。そういう意味で、作中にかいま見られる心中の思想が、ヒトラーと同根だからといって、その一面でもって非難するのは、どうかなぁ,とは存じます。
まず、仕立て屋さんへ。あんがとう。 あんたのこのレスのお陰で石井尊師が這い出てきたからね。皮肉でも何でもなく、本当感謝してるぜ。こいつを引きずり出さない限りは、ここで書きこみしててもあんま面白みないしな。
>これに関しては仕立て屋さんがいうような『実行した者とそうでない者を同列にあつかうのはアンフェア』というのも認めてもイイですよ。
わははは! これを認めさせたただけでも、今までおちょくりまくってた甲斐があったってもんだ。やっぱりオレが思ってたとおり、あんたはインチキ野郎だよ。後半グダグダ言ってるのは、「負け惜しみ」が過ぎるような気もするけど、ま、いいだろう。
それにしても、ずいぶんと語気が荒んできたねぇ。まあ、あんたの似非(エセ)紳士ぶりが気に入らなかったオレとしては、今の化けの皮の剥がれっぷりは見ていてすっげー愉快だけどね。やっぱ人間、お互い腹を割って話し合わないとな~(笑)。>しかし、田中芳樹とヒトラーの場合は俺とヒロスエヲタクの場合と違うだろうが。田中芳樹とヒトラーのパーソナリティが共通(とまで書くとちょっと違うのだが便宜上こう書いときましょうか)だとすると、創竜伝に出てくる社会評論部分の大部分は大打撃を受けるし、下手をすると「ヴラド計画」なんてものをぶちあげている分ストーリーにもダメージをきたすかも知れん。
別にかまわんよ。オレはことさら田中の弁護士やろうとしてるわけじゃないしね(創竜伝も五巻以降読んでねえ)。あんたら青蝿ばえどものインチキぶりが証明されればそれで満足なのさ。
>というように、形パクってるのに俺に対してちっともダメージになっていないからこの前は芸になってないって相手にせんかったんだわ。
ってことは、これからも相手にしてくれるってことだな。良かった! 本当に無視されたらどうしようかと思ったよ。これからも、あんたがトップページにアップするたび、おちょくりエッセイ書くからね。楽しみに待っていてくれい!
あ、そうだ! ノコノコ出てきたついでに訊きたいんだけど、あんたが「虚言」もとい「諸言」でほざいている
>小説の初歩の初歩として、作品の中に作者の言葉が入ってはいけないというものがある。作者の主張は、キャラクターに語らせるとか、テーマとして伏流にして流すとか、そういうテクニックこそが小説であり、物語だからである。<
とか言うやつの原典教えてよ。これがわかんないお陰で、仕立て屋さんとの議論(おちょくり合い)が噛み合わなくってさ。困ってるんだよ~。
これ、どっから孫引きしてきたの? まさかジュニア向け文庫の「小説の作り方」(笑)とか「小説家入門」(笑)とかじゃないよね? それともあんたの創ったヨタ?
ねぇ、教えてよ~。「さあ? わたしにもわかりません。」とかバッくれてないでさ~。コレ最初に言ったやつがどのくらいバカなのか調べたいんだよ~。