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投稿ログ65 (No.1195 - No.1208)

board1 - No.1195

主にたまきちさんと仕立て屋さんへ

投稿者:俺様ランチ
1999年05月07日(金) 01時00分

 たまきちさんへ

>全部とは言いませんし、なるほどと思う意見もあるのですが、ときどき強引に田中芳樹氏を弁護しようとしているように感じる部分があります。私が今まで田中作品を読まなかったのは、私の周囲にいた田中ファンの押し付けがましさというか、無理やりに田中氏を神格化しているかのような言動に嫌気がさしたためです。やりすぎると、かえって田中氏の作品の魅力を半減させてしまうと思います。「そういう欠点はあるかもしれないけど、それ以上にこんな素晴らしいところがある」というような論調のほうが、私のような田中作品の初心者には効果があるように思います。もし勝手な言い分に気を悪くされたのなら謝罪します。ごめんなさい。ほとんど一人で大勢に立ち向かっているようで、その態度は尊敬しています。

 「悪いところもあるけどいいところもある、の論法を使ったらどうか?」ってのは、私が批判メインの人に言ってやろうと思ってた事なんですよ。まさか自分がそれ言われるとは。
 「弁護に無理がある」との指摘ですが、多数を相手にするためにトーンを高くしたりしてたのは事実です。「無理な批判」があるなら「無理な弁護」もいいかな、と思ってやってたのですが、これからはもう少し控えます。

 思うんですが、批判をメインに書き込まれる方もある程度「でも田中芳樹のこういうところは許せる」ってのを書かれたらどうですか?ここの人達は「田中芳樹全否定」ではない方も多いようですが、書き込みを見る限りでは「田中芳樹が憎くて憎くてしょうがない」風に受け取れます。冒険風ライダーさんだって、創竜伝の一字一句全てが批判の対象ってはずは無いのでしょうし、少しはフォローでも入れてやったら
いいんじゃないでしょうか。

 仕立て屋さんへ。
 電子百科事典ですか。そういう使い方有りましたか。確かに紙のと違って調べるのとか便利そうですね。面白そうなのでその内買ってみます。そういえば百科事典なんて生まれてから1度くらいしか使ったこと無いし。

 それと、以前おっしゃっていた「最近の田中節は少女趣味」という部分に結構同感できます。特に現代物のキャラ造型。なんか「キャラ受けで女ファン獲得」の露骨さがSNKの格闘ゲームと同じくらい見え見えでイヤになります。創竜伝の終と余の、あまりにも嘘臭いさわやかさとイノセントさが特に。5巻と11巻なんて作者自身が同人誌作ってるようなもんだし。

 ところで、誰も誉めないので誉めますが、「奔流」はすごく面白かったですよ。「風よ万里を翔けよ」「紅塵」も面白かったですが、それと同じくらいに。

board1 - No.1196

紅塵ネタ

投稿者:俺様ランチ
1999年05月07日(金) 02時25分

冒険風ライダーさんへ
>「無実の罪を着せて拷問で殺すよりも、私兵を率いてクーデターを起こして政敵皆殺し、の方がカッコイイ」という論理で岳飛を賞賛するのは、文官蔑視でずいぶん不公平ですし、それこそ「右翼の軍国主義者」呼ばわりされても仕方がないでしょう。「私兵を率いてクーデターを起こして政敵皆殺し」が素晴らしいというのならば、日本の5・15事件や2・26事件を絶賛しなければならないし、文化大革命も賞賛されるべきものになってしまいます。前にも言いましたが、政治闘争に善悪などないし、ましてや軍人と文官の区別などないのです。

 この「文官蔑視」「私兵を率いてクーデターの方がカッコイイ」ですが、歴史小説や英雄譚のネタとしての話です。
 「平和な時代に文官が活躍する話」より「血みどろの悲惨な時代に大量殺人者である名将や英雄が活躍する話」の方を「お話として面白い」と思うのは自然なことだと思います。たとえ頭では戦争より平和の方がよっぽど素晴らしいとわかってはいても。
 別に私が5・15事件を起こした将校にロマンを感じているわけではないですよ。

 それと「紅塵」のp199~200の秦檜に関する記述がお気に召さないようですが、これってそんなに秦檜を不当に貶めてるとは思えないんですが。p200の

>一方で、秦檜を弁護してつぎのような主張をすることも可能である。
 「秦檜の政策によって、南宋は平和と繁栄を手にいれることができた。(略)」
 ただし、この論法は、秦檜自身でさえ公言したことがない。詭弁にも限界があるということであろう。

 これを読んだ時には「へー、秦檜も自分のやった事に無理があるってのはわかってたんじゃん」って感心したもんですが。
 それと、「中国武将列伝」での秦檜に関する記述には一応「有能ではあった」と書いてあるので、その辺までが田中芳樹が秦檜に好意的になれる限界だったんじゃないですか。金国が最も恐れていた岳飛を南宋の側で取り除いてしまうという一種の「利敵行為」を行っているとしても「だから秦檜は無能だった」とは一回も言ってないですし。確かに結果として田中芳樹は「岳飛好きで秦檜嫌い」ですがこの2冊を読んだ感じだと「秦檜に対して好意的になろうとしてはみたけど、やっぱコイツはイヤな奴だ」って結論に至る過程は読みとれたので、一方的な断罪という感想にはならなかったです。
 って書いてくると、秦檜は「政治闘争に善悪は無い」云々以前に「岳飛排除という一種の利敵行為」の是非も問われなきゃならないと思います。金をビビらせる事のできる岳飛ありの和平と、岳飛無しの和平では内容も違って来たでしょうし、そうすると岳飛の存在を和平に活かせなかった秦檜の能力に対する評価の限界も見えてくると思います。

 ・・・なんですが、ここは秦檜に対する歴史的評価をする場ではなくて、田中芳樹の著作内容に責められるべき間違いがあるかどうか、を検討する場なので話を元に戻しますと、秦檜に対する田中芳樹歴史観的な評価は非難に値するほど酷なものではないと思います。まして「歴史小説」という「物語」を作る作家のスタンスとしては、民衆に愛された主人公としての岳飛と、売国奴と罵られる事になる秦檜への評価が正反対になるのは非難されるべき事ではないと思います。

 つーか、こんなんは所詮好みの問題。どんな作家にだってある好き嫌いの範囲内。「田中芳樹を撃つ」参加者の議論の為の叩き台としては面白かったですが、こんなんいちいち本気で責めてたらキリないでしょ。その内誰かが秦檜主人公の小説書いてくれるまで待つしかないでしょ。「戦車のスペック」みたいに正解があるのに間違った記述をするのは論外ですが、「個々人の歴史的好み」にケチをつけるのはどうかな、と。「田中芳樹だって宮城谷昌光の史記好きとか他人の好みに文句つけてるじゃん」って論法は、この掲示板でみなさんが戒めている「暴を以て暴に易う」ですし。

board1 - No.1197

秦檜と日本の謝罪外交

投稿者:冒険風ライダー
1999年05月07日(金) 09時18分

 う~ん、ちょっと言いたい事からずれてきていますね。私の言い方がまずかったようです。人に自分の考えを伝えるのは難しいものですね。
 それでは、なぜ私が秦檜を弁護するような考えを持ったのかということから説明しましょう。

 私も「紅塵」を始めて読んだ頃は、田中芳樹を尊敬していましたし、その内容に疑問を持った事もありませんでした。秦檜のことも「悪い奴だな」と何となく思っていたものです。
 それが覆ったのは、1995年の謝罪外交の時です。田中芳樹は、非謝罪派をののしることで自分が謝罪派であり、謝罪外交を支持していることを示したのです(創竜伝9・10)。私はこの時始めて疑問に思ったのですよ。「なぜあれほど秦檜を非難した田中芳樹が、どう考えても屈辱的としか思えない謝罪外交を礼賛するのか」って。実のところ、これこそが私の左翼的思想脱却のきっかけになったのです。それで創竜伝や銀英伝を見なおしたら、どうもおかしな主張が多すぎるし、主張が矛盾している所がたくさんある事に気づいたのですから。
 それで、私はこの理由を散々考えてみました。そして得た結論は、「中国に対する過剰な思い入れが、こんな二重基準的な違いをもたらしたのではないか」だったのです。井沢元彦氏の「逆説の日本史6」や、岡田英弘氏の「妻も敵なり」(クレスト社)などで秦檜弁護をやっていたので、「秦檜も完全に悪い奴ではないんだな」と考え直し、一方で謝罪外交に対する怒りはつのるばかりでしたから。この二つの違いは「国益を真剣に考えているのかどうか」という事が分かり、金と和平を結んで宋を滅亡の危機から救い、宋の経済的繁栄をもたらしたという点では、秦檜もまた愛国者だったわけです。そう考えると、秦檜に対するレッテル評価があまりにもおかしいではないかと思い、今回の批判となったわけです。
 この「紅塵」における中国評価と「創竜伝」におけるめちゃくちゃな社会評論の原因が、ひょっとして同一線上にあるのではないか。私はそう考えて今回の「紅塵」批判に踏み切ったのです。まあ私のように深読みする人もあまりいないでしょうし、書き方もまずかったので、田中芳樹の「個々人の歴史的好み」を非難しているように見えたのは仕方がありませんね。このあたりは私のほうに非があったようです。
 それと巷にあふれている、岳飛と秦檜に対する評価が田中芳樹的なシロモノしかなかったので、あえて田中芳樹を「岳飛礼賛・秦檜否定」の第一人者に仕立て上げて、その一元的な評価をたたくというスタンスを取りました。正直言って、秦檜に対する評価が否定的なものしかないために気色悪かったんですよ。この一元的な評価方法が、昨今の歴史認識問題とも関係があると思いましたので。
 「中国武将列伝」における田中芳樹の秦檜評価は、「宋の国益と存続」という観点が抜けていると思いました。私は秦檜をオーベルシュタインのような人間だと考えたんです。「嫌われる正論家」という点では両者は共通しているでしょ? 秦檜評価を銀英伝のオーベルシュタインに当てはめると、オーベルシュタインもまた「売国奴」扱いになってしまいます。オーベルシュタインをあれほどうまく描いた田中芳樹が、秦檜を変な道徳論で罵倒するなよな、という私の個人的感情も入っていたんですよね、あの批評は。私は思想的にはオーベルシュタインが大好きなんですよ。あの冷酷な考え方が。

 私の考えはこんなところですね。岳飛と秦檜の記述が不満な点を除けば、「紅塵」は面白い小説だと私も思います。だから私は紅塵を「駄作」と貶めるつもりはありません。私はあくまでも「田中芳樹の歴史評価の一元的な視点」を指摘しているのであって、決して「個々人の歴史的好み」を否定しているのではありません。その辺はご理解いただきたく思います。

<思うんですが、批判をメインに書き込まれる方もある程度「でも田中芳樹のこういうところは許せる」ってのを書かれたらどうですか?ここの人達は「田中芳樹全否定」ではない方も多いようですが、書き込みを見る限りでは「田中芳樹が憎くて憎くてしょうがない」風に受け取れます。冒険風ライダーさんだって、創竜伝の一字一句全てが批判の対象ってはずは無いのでしょうし、少しはフォローでも入れてやったらいいんじゃないでしょうか。>

 確かに創竜伝にも評価すべき正論はあるにはあるのですが(4巻のチャーチワード批判、5巻の「想像力があれば人をいたぶれない」など)、それを竜堂兄弟や田中芳樹が全く実践していないために説得力がないのです。特に5巻の「想像力うんぬん」は創竜伝の中でも正論だと思うのですが、やはり竜堂兄弟にきちんと有言実行してもらわないと……(-_-)。「竜堂兄弟を、真似してはならないモデルにすべし」とでもいうのならば絶賛するのですけどね。これらを肯定評価しても、最終的には「こんな正論を主張しているくせに、この先ではこんな評論を……」なんて批判になってしまうと思ったので、あえて取り上げませんでした。このあたりは自分の未熟さを感じています。
 創竜伝は、田中芳樹が銀英伝やアルスラーン戦記で否定してきた思想や考え方の集大成であると私は考えていますので、「私の創竜伝考察シリーズ」が批判に傾いてしまっているのは確かです。しかも6巻以降はストーリーもおかしくなっているのでツッコむところが多いし……。どうも私のシリーズの弾劾論調が、このサイトを「アングラ右翼サイト」とみなされてしまう原因のひとつになっているような気もしますから、私も少し反省しなければなりませんね。
 まあ批判ばかりでも面白くないので、銀英伝やアルスラーン戦記・マヴァール年代記などを評価してはいたのですけどね。ストーリー批評は田中芳樹とは別の視点がありますから、そこから「反創竜伝」でも作れたら良いなと考えています。

board1 - No.1198

アル戦ネタについて

投稿者:冒険風ライダー
1999年05月07日(金) 09時19分

<ところで、実際には騎兵10万が展開できるだけの広さってどれくらいなんでしょう?イメージが全然わかないのでピンときません。>

 私もあまりピンと来ませんけどね(^^;)。はむぞうさんが以前「騎兵八万五千が並ぶだけで、トラック14000台分の広さをとる」って言ってましたけど、アトロパテネの場合、敵味方合わせて59万1千人もの人間と、14万3千頭もの馬がいますからね。少なくとも東京都よりもでかいのでは?

<全軍という記述だけから常備軍とはいえないのでは?>

 これはアンドラゴラス王の紹介の時に「パルスの全軍――十二万五千の騎兵と三十万の歩兵を指揮するにふさわしい男である」(アルスラーン戦記1 P13)から推測しました。さらにパルスの東方国境には8万の戦力が常に臨戦体制で待機しているし、西方国境にも6万が常駐していますから、私は常備軍ではないかと解釈しました。自由民の兵については私も武装農民ではないかと考えていましたけど、奴隷と馬が平時はどうなっているのか、またどうやって生活しているのかがわからなかったので。特にアルスラーン戦記の奴隷は無給ですから、国ないしは諸侯が面倒をみなければならないわけです。奴隷の使い潰しもあったでしょうね。負担がバカになりませんから。

board1 - No.1199

『紅塵』私的感想

投稿者:小村損三郎
1999年05月08日(土) 01時46分

決してつまらない、ということはないんですが・・・。
個人的には、過去と現在の視点を交互に描いていく手法が、逆に散漫さの方を強く感じさせ、どっちつかずになってしまったような印象がありますね。
もっと頁数があればまた違ったかもしれませんが。(どちらのお話もボリューム的にも内容的にも物足りない)

恐らく、岳飛や秦檜を直接描くのは(自分自身の中でも)時期尚早。しかし、あまりの三国志ブームに業を煮やしていた折でもあり、何とか布教の為の文書はものしたい、というせめぎあいの中で、苦肉の策として彼らの後の世代を「一応の」主人公としたのだと思われます。
事実、主人公・韓子温のキャラは全く立たず(というか、初めから「キャラを立てる」ことを放棄してる)、殆ど『ダグラム』のクリン・カシム状態(笑)。
大体、『紅塵』を読んでない人がここの書込みを見たら間違いなく岳飛が主人公の話だと思うでしょう。

あと、余談ですが井上祐美子の『女将軍伝』は主人公のキャラクター造形といい、過去と現在を交互に描写する手法といい、全てに渡ってこの『紅塵』のパクリにしか見えません。
主人公・秦良玉のキャラは『紅塵』に登場する韓世忠の妻・梁紅玉と全く見分けがつきませんし。(名前まで似てる。まあ、どちらも実在の人物ですから偶然ですが)
しかし、何も女性の作家が女性を描くのが苦手なことには定評のある(?)師匠の作品をパクらなくてもいいと思うんですけど。
(アレ?ひょっとしてこのネタ以前にも書いたかな)

board1 - No.1200

紅塵ネタ

投稿者:俺様ランチ
1999年05月08日(土) 16時14分

 小村損三郎さんへ。
 私の場合は、それに加えて「岳飛主人公で書こうと思って資料集めてたらたまたま采石磯のエピソードを知り、アレもコレも詰め込みたくなった」ってのもあるような気がします。
 確かに、岳飛と韓子温それぞれで中編2つでも良かったんじゃないか、って気もします。

 冒険風ライダーさんへ。
 謝罪外交と、オーベルシュタインが元になっての秦檜擁護、ってのはわかりました。ただ2つばかり、つっこみたいところを感じたので書いてみます。

 1、謝罪外交の是非を論ずると話がかなりズレるのでやめますが、当時の南宋と現代日本では状況がまったく違うと思います。南宋は「侵略された国」であってそもそも金に臣下の礼をとる必要が無いのですが、日本はあくまで「侵略(進出でもいいですが)した国」であって、謝罪したところで全くの筋違いではないと思います。
 ここで言いたいのは謝罪外交の正否ではなく、あくまで「南宋と現代日本の状況を同じとみる事に無理がないか」という事です。

 2、オーベルシュタインと秦檜は確かに両者とも「嫌われる正論家」であったかも知れませんが、「嫌味なまでに私利私欲がない(という設定)」のオーベルシュタインと、それなりの権門である秦檜では好かれる要素に違いがありすぎだと思います。
 「自ら死間になってもいい」とまで言ってのけるオーベルシュタインと、捕虜になった金から結構いい待遇で帰ってきた秦檜では、やっぱり自己犠牲の度合いがかなり違うと思います。
 「秦檜の評価がどれも一緒なのが気に入らない」との事ですが、歴史上「悪人」の評価で固まってる人は他にもいるでしょうし、変に野党精神を発揮しなくてもいいのでは?

board1 - No.1201

RE.1197

投稿者:石井由助
1999年05月08日(土) 18時45分

>「私の創竜伝考察シリーズ」が批判に傾いてしまっているのは確かです。しかも6巻以降はストーリーもおかしくなっているのでツッコむところが多いし……。どうも私のシリーズの弾劾論調が、このサイトを「アングラ右翼サイト」とみなされてしまう原因のひとつになっているような気もしますから、私も少し反省しなければなりませんね。

「私の創竜伝考察シリーズ」自体は非常に意義のあるものだと思うのですが、ボリュームがありすぎるために、失礼ながら一つ一つの批評の質が散漫になっている面も否定できないと思います。

 別にタイムリミットがあるわけでもないですし、ここはひとつひとつ各個撃破で丁寧に片づけていったらどうでしょうか?

board1 - No.1202

久しぶりに見て

投稿者:satoko
1999年05月09日(日) 05時00分

おひさしぶりです。以前少し書かしていただいたsatokoです。久しぶりにここに来て、随分落ち着いた論調になっていたのに驚きと共に嬉しさを感じてます。

実は私もここであんまりに偏った思想、揚げ足取りではないか(武器がどうのこうのとか、左翼であるとか)と思われる書き方に辟易して少しの間こなかったのですが、俺様ランチさんや管理人さんの冷静な助言で本当に読みやすくなりました。これなら、他の田中ファンにも進める事ができると思います。

ですのでこの間かきたかった質問意見を遅くなりましたが書かしていただきます。

その1、なぜ批判するべきが田中芳樹氏なのか?
この間のレスで聞きたかったのは、「小説や漫画以上に影響を与えるものはない。」という主張の石井さんに「なぜ、田中芳樹氏や小林よしのり氏以上に影響力を与えない、与える力がない思想家に対して批判の目を抜けないのか。」という事です。私は田中氏、小林氏はあくまで大衆娯楽の創作者という認識を超す事はありません。(これで田中ファンの人に誤解されたので書いとくと、そのことと私が田中作品が面白いと感じているかはまったく別問題です。)にもかかわらず、というか娯楽ものには娯楽もののエンターテイメントがあり、思っている以上にオーバーに書く事は当然あると思いますし、それがわからないほど、現代の読者はばかではないと思うんです。ですから、それほどオーバーに田中氏を批判する必要はないのではないでしょうか。

その2批判、批評者たるに徹しすぎて文章を読み取れてないのではないだろうか。
これはこのHPにはじめてきた時に一番に感じたものです。「このHPの人は言葉はよく知ってるが、文を読むという事は知らないのではないだろうか。」これは率直な感想です。例を出してみると、メイン文の6の所に「非国民という醜悪な言葉を・・・、万葉集の時代にも・・・(以下省略)」の部分で「この時代の国に対する認識が・・・。」云々とかかれていましたが、あれは普通に読めばただの比喩である事が分かるはずです。「非国民」という「醜悪な言葉」に対して「万葉集」や「平家物語」という日本文学の中でも高尚とされている文学を「高尚な言葉」という比較の言葉として使っているに過ぎません。あそこを普通に読んで、あんなふうに感じる読者は多少なり歪んだとらえ方を、または率直に取りすぎていると感じます。批評者が「じゃあ、変わりに小説を書いてみろ。」などと下らぬ事を言われる事がありますがそんな必要はないです。が、比喩やその他のそこに込められた技術を見抜けぬ人が「自分は批判者ではなく、批評者だ。」といっても私には納得はできません。特に田中作品にはそういった技術が使われている事がおおく、それを最初から穴を見つけてやろうと思って読めばつくべきところは多くあります。ですが、そこを突けばつくほど、田中ファンは「何をくだらない事を。」と失笑してここでの批評から離れていくと思います。せっかくいい意見もあるのに。

その3田中氏と小林氏の比較などまったく意味のない事である。
「参考文献を出してる分、小林氏の方が田中氏より真摯で・・・。」らしき言葉を何度かみかけましたが、まったく無駄な事です。なぜなら、田中作品の中にある政治評はいうなら小説の中のエッセンスに過ぎません(それが行き過ぎとかはこれとは別問題である)「創竜伝」を例に取るならば、竜堂兄弟は国家権力に何度も危険な目にあわされているわけで、それに対していわゆる反発や嫌悪感を感じて当然なわけです。その雰囲気を更に醸し出す部分で使われているのです。ですから、フィクションで当然ですしその事を責められるものではありません。ひるがえって小林氏の「ゴー宣」などは読者に対する告発、問題定義を目的としているものです。これが参考文献を出すのは当然の事では?少し話がそれた気がしますが、田中氏と小林氏では、まったく使っている目的が違い、うまい表現はできませんが絵本と政治論文を比較して批判しているような感を否めません。

その4 田中作品少女趣味について(笑)
ここに来ていらっしゃる方はほとんど男性のようなので、おそらくコバルト文庫など読まれた事はないのでしょうが、これを読んだ後もう一度意見を聞いてみたいです(笑)コバルト文庫ではきゃら作りの神様といっていいだろう(笑)藤本ひとみがコバルトから離れた時、すばらしい女流作家である事を考えた場合、ケースバイケースが田中氏にも許容してあげてもいいんじゃないかなと。まあ、これは女性ファンの戯言とおもっていただいていいのですが(笑)

相変わらずまずいぶんで理解しにくい所も多々あると思いますが、おっしゃってくださいましたらもう一度書き込みますのでよろしくお願いします。

board1 - No.1203

何だかなぁ、トホホ

投稿者:仕立て屋
1999年05月09日(日) 07時52分

いままでの苦労はなんだったのか、、、、
 いろんな方々が論理的に論じてきたのは無意味だったのか、、やはり、万人に通ずる意見の出し方って難しいのだなぁ。

 卑怯な書き方をしたが、理由を説明するのもだるいので、荒らしと判断されましたら削除されたし。

board1 - No.1204

そんなの当然じゃないですか。

投稿者:satoko
1999年05月09日(日) 09時43分

仕立て屋さんへ
「万人に理解してもらうの意見を言うのは難しい・・・。」なんて当然です。私だって下に書いた意見で皆さんに納得してもらうつもりはないし。でもそこから、さらに相手を完全にとは言わなくとも、理解を示してもらえるよう努力するからこそ、進歩があるのでは?

「理由も書くのもたるい」とのことですが、おそらく私の意見を読んでのことでしょうが、もしこのまま、理由を書かずにこのままにしていれば少なくとも私はこれから先のあなたの意見に正当性を感じる事はできません。このページのほかの人に感じる(たとえそれが腹立たしいものだとしても)誠意を、あなたに見出す事はできなくなるでしょう。

他の人が積み上げてきた理論云々ほど、他の人に失礼な話はないと思います。他の方がここまで積み上げてきた理論をばかにしてるのはあなたのその投稿では?別に腹立たしく思ったりするのはかまわない事と思いますが、あきれ気味にこたえるというのは普通に考えて、礼儀知らずだといわれても仕方ない事はわかっていただけると思います。

雑文ですいませんでした。

board1 - No.1205

レス

投稿者:仕立て屋
1999年05月09日(日) 13時36分

 礼儀知らずととられたのでしたらかまいません、そのつもりで発言したのですから。
 まず、ここでの話題や批判の対象が田中氏中心になるのは当然であります。なぜなら、このホームページの趣旨を読んでいただければ、ご理解いただけると存じます。そこを踏まえた上で以下、わたしの意見を述べます。

 そもそも、作家に対する批判、批評というのは、その作品自体は当然としてその作品に対する作家の姿勢もまた対象となりましょう。
 なぜ、小林氏の姿勢が真摯であって田中氏がそう受け止められないのか。作家とは執筆をなりわいとしているのですからその作品のジャンルの如何にかかわらず、それらに対する反動をもすべて引受ける位の覚悟が必要です。小林氏が己の基本姿勢を明確にし、自らの作品に対するレスポンスを引受けようとしている一方で、田中氏の場合はフィクションを歌うかぎりそれらから免責されるのです(故意でなくとも)。
 たしかに物語のメインを飾るための要素としての政治批評もあるでしょう。しかしながら、そのとき気を付けるべきはそのエッセンスに不偏性がなければならないということです。でなければ万人受けは不可能であります。創竜伝においては明らかにある種の政治姿勢にたって政治批評がなされているのですから(ましてや実例を-出典の不明な-)、それと異なる政治的立場の人間から批判を受けるのは当然です。このような場合、その作品はフィクションを越えて政治評論の色を帯びてしまうのです。フィクションを歌う限りはそんな意見は封殺されてしまいます。ここに作家の作品に対する姿勢が現れるのではないでしょうか。あなたは、

>参考文献を出してる分、小林氏の方が田中氏より真摯で・・・。」らしき言葉を何度かみかけましたが、ま
ったく無駄な事です。なぜなら、田中作品の中にある政治評はいうなら小説の中のエッセンスに過ぎません
(それが行き過ぎとかはこれとは別問題である)

"別問題"とおっしゃいましたが、それこそが重要なことであるのに(そして、それに対する意見が述べられてきたのです)、"無駄"のひと言で切って捨てておいでになります。わたしが、失礼なレスをしたのもそのためです。フィクションと断りを入れられた瞬間から(あなたの発言にもありますが)、わたしは口を閉じざるをえません。

 わたしが先の発言で"万人に通ずる意見を論じるのは難しい、云々"と述べましたのは、俺様ランチさんらが提言された昨今の特定の立場にのみ受けるような発言が幅をきかしているという言葉の趣旨を受けての発言であって、単に異論の持ち主を論破するのが難しいと言った訳ではありません。
 たしかに武器の記述など舞台設定の不備などをもって一方的に田中作品を切るのは、木を見て森を見ずかもしれないが(これは田中氏の作品に対する姿勢として別に批判の対象となりうるが)、あなたが問題としている部分においては決して不偏性のない内輪うけのみに終止した論とは言えないでしょう。相手の意見に反論する場合、相手の論旨を正確につかんだ上で(&このホームページの趣旨を踏まえた上で)、行っていただきたいと存じます。

 長々と失礼いたしました。

board1 - No.1206

仕立て屋さんへ

投稿者:satoko
1999年05月09日(日) 14時51分

なるほど理解できました。私の文がまずいために大きく誤解をさせてしまったようで、反論させていただきます。私があのなかで書いた。「行き過ぎであるとかと別問題である」という記述に関して、「無駄な事だ」と判断されたようですが、それは私の文の悪さもあるでしょうが、違います。行き過ぎである部分に関するここでの討論は、私はどちらかといわれれば田中信者と言ってもよい方だと思いますが、納得する所も多くすばらしいものだと思います。その点は私が知ってるほかの田中ファンの多くが認める所であり、私ももっと面白い討論などを期待しているくらいです。ですが、私があそこで書いたのは「田中氏の作品は小説である。その内容を批判するのはわかるとして、なぜ小林氏と比べる必要があるのか。」ただ一点のみであり、あそこで言う「別問題」とはその内容を切り離して考えてほしい、というものです。でなければ、「行き過ぎだから批判してるんだ。」で終わりですから。

ですが、一田中ファンとしてみてみればそれは納得しうる解答だとは思いません。私も「創竜伝」の中にある田中政治論的な部分はストーリーを混乱させる部分は多々あると思うし、そこを批判されても、まあ沿うかなと思いますが、批判の中にジャンルが違う人を比較に出して真摯であるかどうかという事を問うのは、田中ファンに楔を打ち込むという目的であるこのHPにあって、田中ファンがあきれる事のない記述ではないと少なくとも私は思う。

それでもなお、理解できないというなら私はあなたに対して何も言う事はできません。すくなくとも、私という田中ファンにはあなたが楔を打ち込む事はできなかった、そういう事になるだけの事ですから。

board1 - No.1207

ですから、論旨を汲んでください

投稿者:仕立て屋
1999年05月09日(日) 16時20分

 satokoさんへ

 わたくしは全然、誤解などしておりません。ゴー宣と創竜伝が別ジャンルだということも理解しております(satokoさんの文脈上の別問題の使い方は明らかにそう取れませんが、文章全体からそのように理解しております)。その上で申し上げているのです。作家は書きたいものをまず、明らかにすべきです。その際、おのずとどのような体裁を取ればよいかきまるものでしょう。ゴー宣はあなたのおっしゃるとおり問題提起なのですからあのような形になったのですし。そのときギャグ漫画が描きたいのなら”おぼっちゃまくん”のような形態をとるでしょう。つまり、どのような場合でも作品に取り組む際はその姿勢をはっきりさせるべきなのです。一方、創竜伝はどうでしょうか。ファンタジー活劇があれほどまでに(実世界でも問題になったような事柄を例に挙げて)政治偏重するのはいかがなものでしょうか。わたしも実は8巻まで創竜伝を購読していますし、1巻目はそれなりに楽しく読みました(途中で、中国神話に突然切り替わったときにあれっと思いましたが)。全体的にはファンタジーと取れますが、現実世界の事柄を主に挿入されていますし、なかには同じ日本人として腹立たしい内容のものも(繰り返し申し上げます。普遍性があれば、ファンタジーとしてキャラに感情移入できるのです。あのように現実世界とオーバーラップされるとどうも、、名作、銀英伝にも政治的発言はありますが、それらには普遍性があります)あります。そこで、思うのです。どっちかにしてくれよ、せっかく楽しく読んでたのに、という具合に。それでもこの作品はフィクションという枠をもちいています。田中氏はどちらかはっきりすべきです。反論しようにもフィクションである限り、対象が曖昧になってしまってしまうのです。この場合、作品の内容をある部分破錠させる要素としての政治批評としか批判できなくなります。このような意味で小林氏と田中氏を比べているのですよ。”作品に取り組む際の真摯さ”ですね。

>それでもなお、理解できないというなら私はあなたに対して何も言う事はできません。すくなくとも、私という田中ファンにはあなたが楔を打ち込む事はできなかった、そういう事になるだけの事ですから。

 こういう言い方はいかがなものでしょうか。これでは、価値観の相違で終わってしまいます。上記にあるとおり、あなたの論旨はつかんだ上で申し上げているのです。わたしもある意味、田中ファンですよ。もう少し、相手の論旨を汲んだ上でのレスを期待いたします。

>「理由も書くのもたるい」とのことですが、おそらく私の意見を読んでのことでしょうが、もしこのまま、理由を書かずにこのままにしていれば少なくとも私はこれから先のあなたの意見に正当性を感じる事はできません。
 (中略)
>他の人が積み上げてきた理論云々ほど、他の人に失礼な話はないと思います。他の方がここまで積み上げてきた理論をばかにしてるのはあなたのその投稿では?

 ひとつのことであなたがこれからなされるであろう発言を決め付けることはいたしませんし、そのような権限をわたしは持ちません。ただ、刺激を求める身として、僭越ながら、これからもあなたの、レス、ご意見、期待しております。

 ところで、あたなたの上記発言の中略以降、論理的にご説明いただけませんか?よくわからないもので、、、。

 これにて失礼。

board1 - No.1208

いち「銀英伝」ファンの感想 6

投稿者:Merkatz
1999年05月09日(日) 21時19分

あ、あ、あんまりだぁ。小早川奈津子!
私は名前から「美しい若い女性」を想像していたのに、あんなコメディホラーに出てくるようなキャラなんて・・・(勝手に想像する方が悪いって?そりゃごもっとも)。
「創竜伝」7巻は、こうして大ショックを受ける事からはじまった。

今まで私は創竜伝の社会批評に言及することは避けてきました。
冒険風ライダーさんをはじめ、皆さんが鋭いご指摘をなさっていらっしゃる。そこに私のような素人が口を挟むこともあるまいと思ったので。
ですが7巻は本当に頭に来ました。今までの中で一番酷いと感じた。ですから今回はひとつだけ言わせてもらいたい。

(以下の本文からの抜粋は適宜編集しております)
177ページ「中国はアヘン戦争以来、滅びる滅びると言われながら今日まで健在だ。政府なり国家なりが形としてなくなってしまっても、中国それ自体は立派に生き残るさ」
・・・あれだけ日本は滅びる、この世から消えてなくなると書きなぐっている人の、同じ文章とは思えません。
日本は政府の消滅=日本国土の消滅となっても、中国はそうならないという根拠は何なのですか?日本だって「政府がなくなっても日本それ自体は生き残る」といえるのではありませんか?
中国大好きというのはかまいませんが、だからといって自分の故国を貶めるその精神構造は歪んでいるとしか言いようがありません。
だいたいあなたの大嫌いな日本あってこそ、印税を稼ぐことが出来るのですから、無くなって一番困るのはあなた自身なのではありませんか。

7巻は中国礼賛で塗り固められていますね。「北朝鮮は地上の楽園」という記事や文革礼賛と同類というわけですか。道理で頭にきた筈だ。

一転して8巻はいつもの創竜伝に戻ってますね。時間が過去と現在を行き来するので、なんか分かりずらい構成になってます。「仙界」なるものが登場して、ますます荒唐無稽になってきた感があります。
これ、どうやって結末を出すつもりなんだろうか?

個人的には路線変更して「小早川奈津子対竜堂兄弟」でやってほしいなあ。だって面白いんだもん、小早川奈津子。
コメディホラーの乗りでなかなかいけてると思うけどなあ。現代コメディホラー「大怪獣小早川奈津子対竜人竜堂兄弟」。うーん、これじゃ誰も買わないか(^^)。

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