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投稿ログ440 (No.8229 - No.8243)

board4 - No.8229

サイト更新のお知らせ2009.07.31

投稿者:冒険風ライダー(管理人)
2009年07月30日(木) 15時13分

 サイトの更新を行いました。
 更新内容は以下の通りです。

田中芳樹を撃つ!
・ 田中芳樹を撃つ!ザ・ベストおよび考察シリーズの更新

奇説珍説博物館 ~山本弘トンデモ資料展2008年度版~
・ コンテンツ「伊藤剛氏の番組降板問題 と学会バッヂの恐怖」に関連リンクを追加、

奇説珍説博物館 ~山本弘トンデモ資料展2009年度版~
・ コンテンツ「月面着陸論争2009 山本弘よ永遠に」に過去ログG/H/Iを追加
・ 新規コンテンツ「ストーカー山本弘のストーキング批判」を追加
・ 新規コンテンツ「自称SF作家の『と学会会長』的予防線」を追加

親記事No.8227スレッドの返信投稿
board4 - No.8230

Re:薬師寺シリーズ考察8-2

投稿者:S.K
2009年07月31日(金) 14時12分

>  そして第二の問題は、そもそも母親に屈していたアーテミシア・ロートリッジを高みから説教できるほどに、薬師寺涼子は自立心溢れた強い人間なのか、という点です。

>  前述のように、薬師寺涼子とアーテミシア・ロートリッジとでは自分を取り巻く人間関係および生活環境の過酷さがまるで違いますし、作中記述を読む限りでは、自分を守るだけで精一杯な状態にあったと言わざるをえないアーテミシア・ロートリッジに対して「自我を守るのに、たぶん温室が必要な女性だったのだ」などという泉田準一郎の評価は的外れもいいところでしかないのですが、それ以上に明後日の方向を向いているのが薬師寺涼子に対する評価です。
>  泉田準一郎の薬師寺涼子に対する評価が事実であるのならば、何故薬師寺涼子は、「自分より強大な敵」である姉の薬師寺絹子および父親である薬師寺弘毅に対して「正面から戦うのが不利なら、どんな汚ない策を使っても、自分と自分にとってたいせつなものを守りぬく」「ダイヤより固い」決意とやらを行使しようとしないのでしょうか?

 まあ「戦って負けて都度見逃されてている、あるいは勝負に
なってない」可能性はあるかと。
 薬師寺絹子はお涼を「可愛い妹」と真面目に思っている可能性は
高いですし、薬師寺弘毅氏にした所で「お涼の悪罵に値する」と
いう事は「常識的判断として酸いも甘いも噛み分けた大人物」で
ある確率は低くないでしょう。
 であれば「身内のやんちゃに目くじら立てず要所だけ締める」という事態が頻発しているという想定にそう無理はないのでは。
 それに何を言うにも、父姉ともにお涼に「敵認定」されて息災、
というのは讃えるべき作中事実ですし。

>このような状況でなお薬師寺涼子の「強さ」を絶賛し、アーテミシア・ロートリッジを「自我を守るのに、たぶん温室が必要な女性だったのだ」などという、それこそ薬師寺シリーズに登場する怪物およびオカルトの存在以上に「非科学的」な評価を下している泉田準一郎は、薬師寺涼子を無条件かつ盲目的に崇め奉っているという点において、自分で批判しているキリスト教の狂信者達とどこが違うというのでしょうか。

どこと言われれば「『逆玉』という要素が絡む分、遥かに泉田
クンの方が不純」という点でしょうね。
 宗教的狂信者は少なくとも神の寛大と絶対が万民に及ぼされ
より多くの幸福が現世に顕現する事を信じていますから。

>  しかも薬師寺涼子は、薬師寺シリーズ2巻「東京ナイトメア」および3巻「巴里・妖都変」で、互いに手を組む同盟の締結を申し出てきた敵からの誘いを「あたしに対等のパートナーなんて必要ないの」などという論法でもって拒否する言動を披露しています。

 これもまあ、両者とも薬師寺涼子のニーズを満たす条件を提示
できてない訳ですから拒否も無理はないのでは。

> 銀英伝のヒルダやフレデリカ
> マヴァール年代記のアデルハイド
> アルスラーン戦記のファランギース

 むしろ彼女達が持っているのは「時代の新旧にとらわれない
美徳」であって、無理に「近代的」「活劇」を意識するから
お涼があのザマなのではないでしょうか。

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board4 - No.8231

Re8230:薬師寺涼子の「強さ」とは

投稿者:冒険風ライダー(管理人)
2009年07月31日(金) 16時42分

<まあ「戦って負けて都度見逃されてている、あるいは勝負に
なってない」可能性はあるかと。
 薬師寺絹子はお涼を「可愛い妹」と真面目に思っている可能性は
高いですし、薬師寺弘毅氏にした所で「お涼の悪罵に値する」と
いう事は「常識的判断として酸いも甘いも噛み分けた大人物」で
ある確率は低くないでしょう。
 であれば「身内のやんちゃに目くじら立てず要所だけ締める」という事態が頻発しているという想定にそう無理はないのでは。
 それに何を言うにも、父姉ともにお涼に「敵認定」されて息災、
というのは讃えるべき作中事実ですし。>

 そんな理由では「薬師寺涼子がアーテミシアよりも強い」ということには全くなりようがありませんね。S.Kさんが挙げられている理由だと、互いの生死と誇りをかけているはずの戦いの中で「薬師寺涼子は姉と父親から【常に】情けをかけられている」ということになってしまいますし、私が主張する「寛大で慈悲深い姉と父親からJACESの力を【乞食のように恵んでもらっている】」JACES依存症の構図は崩れるどころか、より一層強化されてしまう、ということにもなりかねないのですから。
 そして一方、薬師寺涼子が「あいつはあたしと違う」と声を大にして罵り倒しているアーテミシア・ロートリッジの場合、100パーセント確実に「母親に負けたらその時点でお終い」なのでしてね。それと同じ立場に薬師寺涼子が置かれている、という前提でもって「薬師寺涼子がアーテミシアよりも強い」と論じるのでなければ、薬師寺涼子の主張には全く意味がないのですが。
 また、薬師寺涼子が口を極めて罵っている相手は別に姉と父親に限定されるものではなく、これまで登場した各巻のラスボス含む敵の大多数に対しても同レベルの罵倒を繰り広げまくっていましたよね? 彼らに対して薬師寺涼子がどういうスタンスで臨み、如何なる所業と評価を叩きつけてきたのかについて考えてみれば、「お涼の悪罵に値する」という事実のみをもって「常識的判断として酸いも甘いも噛み分けた大人物」と評価するのは不可能ですし、姉と父親に対してもこれまでの敵と同様の制裁を加えて破滅させるべき、という結論にならなければおかしいでしょう。
 すくなくとも薬師寺涼子側に、姉と父親に対して手加減をしなければならない「感情的な理由」はどこにも存在しないのですし。

<これもまあ、両者とも薬師寺涼子のニーズを満たす条件を提示
できてない訳ですから拒否も無理はないのでは。>

 いや、2巻で薬師寺涼子の精神的奴隷たる泉田準一郎が「主人の代弁」という形ではっきりと明言しているんですよ。
「薬師寺涼子という女には、対等なパートナーなんか必要ないんです。彼女に必要なのは忠実な子分だけです」(2巻「東京ナイトメア」P176)って。
 そして3巻「巴里・妖都変」P177~P178でもこれと同様の主張が繰り返されています。
 この辺り、薬師寺涼子は創竜伝における竜堂兄弟のキチガイ連中と同じで、「対等なパートナー」「対等の同盟関係」といった概念そのものを完全に否定していて、しかもそれを「強さ」だと勘違いしているのです。そんな薬師寺涼子相手に「薬師寺涼子のニーズを満たす条件を提示」したところで無益だと思いますけどね。

<むしろ彼女達が持っているのは「時代の新旧にとらわれない
美徳」であって、無理に「近代的」「活劇」を意識するから
お涼があのザマなのではないでしょうか。>

 田中芳樹が「よよと泣き伏すヒロイン」だの「わりと受動的」な女性だのを「前近代的」と定義し「ぼくには書けない」と明言していること自体はまあ、田中芳樹の作家としての個人的なスタンスといったものなのでしょうが、それに対するアンチテーゼが何故薬師寺涼子的なシロモノにならなければならないのかが理解に苦しむところなんですよね。アレは「近代的かつ自立心に満ちた女性像」どころか、「時代の新旧にとらわれない」上に「男女の性別をも問わない」ただの低能キチガイ以外の何物でもないのですし(爆)。
 S.Kさんが仰る「時代の新旧にとらわれない美徳」を延長した女性像を描いていった方が、田中芳樹が本当に描きたかったであろう「近代的かつ自立心に満ちた女性像」というものを本当の意味で表現することができたでしょうに。

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board4 - No.8232

Re:幾許の補足

投稿者:S.K
2009年07月31日(金) 20時10分

>  そんな理由では「薬師寺涼子がアーテミシアよりも強い」ということには全くなりようがありませんね。

 これについては「お涼も父姉に喧嘩を売った事くらいはあるの
ではないか」以上の意味はありませんので、アーテミシアとは
取り立てて関係のない話ではあります。
 あと
>S.Kさんが挙げられている理由だと、互いの生死と誇りをかけているはずの戦いの中で「薬師寺涼子は姉と父親から【常に】情けをかけられている」ということになってしまいますし、

どころか客観的には「戦ってると理解されてない」「(お涼の)
遊びにつきあっている」構図になっているんではないか思います。 ただまあお涼の主観は主観として傍目と違う展開もあるのでは?
という事で「薬師寺涼子が父や姉と戦わない」と言ってしまうのも
少し違う気がします。

私が主張する「寛大で慈悲深い姉と父親からJACESの力を【乞食のように恵んでもらっている】」JACES依存症の構図は崩れるどころか、より一層強化されてしまう、ということにもなりかねないのですから。

 なりかねないというより「なお笑える」と言いたかったんですが
いささか拙文で誤解を招いたようなのでその点お詫びいたします。

>  また、薬師寺涼子が口を極めて罵っている相手は別に姉と父親に限定されるものではなく、これまで登場した各巻のラスボス含む敵の大多数に対しても同レベルの罵倒を繰り広げまくっていましたよね? 彼らに対して薬師寺涼子がどういうスタンスで臨み、如何なる所業と評価を叩きつけてきたのかについて考えてみれば、「お涼の悪罵に値する」という事実のみをもって「常識的判断として酸いも甘いも噛み分けた大人物」と評価するのは不可能ですし、姉と父親に対してもこれまでの敵と同様の制裁を加えて破滅させるべき、という結論にならなければおかしいでしょう。

 どっちみち善悪問わず薬師寺涼子は「好みの忠犬」以外に賞賛も
温情もかけないでしょう。
 しかも
>  すくなくとも薬師寺涼子側に、姉と父親に対して手加減をしなければならない「感情的な理由」はどこにも存在しないのですし。

にも関らず「気に食わない父と姉」はラスボス達の様に破滅もせず
お涼の悪罵ボギャブラリーを増やし続けているのですから、やはり
一味違う人物像を想像してしまう訳です。
 少なくとも姉の薬師寺絹子相手にはお涼信者の泉田警部補にさえ
「空転して自滅しているだけではないのだろうか?」と思われて
いる節もありますし。

>
>
> <これもまあ、両者とも薬師寺涼子のニーズを満たす条件を提示
> できてない訳ですから拒否も無理はないのでは。>

>
>  いや、2巻で薬師寺涼子の精神的奴隷たる泉田準一郎が「主人の代弁」という形ではっきりと明言しているんですよ。
> 「薬師寺涼子という女には、対等なパートナーなんか必要ないんです。彼女に必要なのは忠実な子分だけです」(2巻「東京ナイトメア」P176)って。
>  そして3巻「巴里・妖都変」P177~P178でもこれと同様の主張が繰り返されています。
>  この辺り、薬師寺涼子は創竜伝における竜堂兄弟のキチガイ連中と同じで、「対等なパートナー」「対等の同盟関係」といった概念そのものを完全に否定していて、しかもそれを「強さ」だと勘違いしているのです。そんな薬師寺涼子相手に「薬師寺涼子のニーズを満たす条件を提示」したところで無益だと思いますけどね。
>
 これも説明不足で申し訳なかったですが「そんなものはない」
という事態込みで 「薬師寺涼子のニーズを満たす条件」を
同盟希望者は差し出せない、だから当然拒否される、という話
です。
 竜堂兄弟の話でいけば、イギリスで「平和はいいよ、暴力は
よくない」と切り出した四人姉妹側の老人は余の説得については
いい線いったではないですか、「だから事を荒立てるお兄ちゃん達
を疑おうね」と攻めどころを間違うまでは。

>
> <むしろ彼女達が持っているのは「時代の新旧にとらわれない
> 美徳」であって、無理に「近代的」「活劇」を意識するから
> お涼があのザマなのではないでしょうか。>

>
>  田中芳樹が「よよと泣き伏すヒロイン」だの「わりと受動的」な女性だのを「前近代的」と定義し「ぼくには書けない」と明言していること自体はまあ、田中芳樹の作家としての個人的なスタンスといったものなのでしょうが、それに対するアンチテーゼが何故薬師寺涼子的なシロモノにならなければならないのかが理解に苦しむところなんですよね。アレは「近代的かつ自立心に満ちた女性像」どころか、「時代の新旧にとらわれない」上に「男女の性別をも問わない」ただの低能キチガイ以外の何物でもないのですし(爆)。

 田中センセイ定義の「前近代的」は「平凡」と置き換えても
通用するので、キチガイであるというだけで「非凡」というのは
一つの観点かもしれません。

>  S.Kさんが仰る「時代の新旧にとらわれない美徳」を延長した女性像を描いていった方が、田中芳樹が本当に描きたかったであろう「近代的かつ自立心に満ちた女性像」というものを本当の意味で表現することができたでしょうに。

 いやあ、「創竜伝」を娯楽小説として書いている田中センセイの
書きたい「近代的かつ自立心に満ちた女性像」がキチガイであった
として、別に不思議はないと思います。
 思えばヤンのかつての想い人が「私憤と公憤の境界が曖昧で、
声は大きいが展望はない」ジェシカ・エドワーズだったという
「前科」もありますし(苦笑)。

親記事No.8227スレッドの返信投稿
board4 - No.8233

Re8232:薬師寺涼子的「強さ」の基準

投稿者:冒険風ライダー(管理人)
2009年08月01日(土) 09時56分

<これについては「お涼も父姉に喧嘩を売った事くらいはあるの
ではないか」以上の意味はありませんので、アーテミシアとは
取り立てて関係のない話ではあります。>

<どころか客観的には「戦ってると理解されてない」「(お涼の)
遊びにつきあっている」構図になっているんではないか思います。 ただまあお涼の主観は主観として傍目と違う展開もあるのでは?
という事で「薬師寺涼子が父や姉と戦わない」と言ってしまうのも
少し違う気がします。>

 あそこで論じられていた薬師寺涼子のアーテミシア罵倒や泉田準一郎の薬師寺涼子礼賛というのは、どちらも「アーテミシアとの比較」を元に論じられていますので、「お涼も父姉に喧嘩を売った事くらいはあるのではないか」「薬師寺涼子が父や姉と戦わない」ということを論じるにしても、やはり「アーテミシアとの比較」を元にしなければ意味がないでしょう。
 S.Kさんが仰っている「父姉に喧嘩を売った」程度のことであれば、アーテミシアだって同レベルのことはやっていますよ。作中でも、件の焼身自殺の実行前に、母親の命令を無視してクルマを(運転手を使うことなく)自分で運転して泉田準一郎相手に人身事故を起こしたり、母親の意に背いた恋人を作ったりしていることが明示されていたのですし、「身内に隔意と反発を抱いている」という点では薬師寺涼子もアーテミシアも同じなのですから。
 そして、薬師寺涼子や泉田準一郎は、以下のような基準でもってアーテミシアを「弱い」と評価しているわけでしてね↓

<「だからアーテミシアには同情に値しない! 目的は勝つこと。勝つために戦う。戦力をたくわえ、時機を待ち、戦略を立て、戦術を練る。泣くヒマがあったら、計略をめぐらせろ。自己憐憫にひたる時間があるなら、敵の弱点をさぐれ。母親や主治医におぞまじい秘密があるなら、それをネタに脅迫して、自分の自由と尊厳を守るぐらいでなくてどうする!?」>
<自分より強大な敵に対して怯むことはなく、尊厳を踏みにじろうとする敵に屈することもないだろう。正面から戦うのが不利なら、どんな汚ない策を使っても、自分と自分にとってたいせつなものを守りぬく。その決意はダイヤより固いのだ。>

 当の本人達がこのような基準を提示している以上、これをベースに薬師寺涼子の「強さ」について論じるべきでしょう。この基準から逸脱した「お涼の主観」を持ち出したところで、「(自分達自身が提示している基準から見て)薬師寺涼子が姉と父親から逃げ回っている」という「客観的な作中事実」が覆ることがないことくらいは、いくら「あの」薬師寺涼子や泉田準一郎の低能なオツムでも、身をもって理解する程度のことはできるでしょうし。

<にも関らず「気に食わない父と姉」はラスボス達の様に破滅もせず
お涼の悪罵ボギャブラリーを増やし続けているのですから、やはり
一味違う人物像を想像してしまう訳です。
 少なくとも姉の薬師寺絹子相手にはお涼信者の泉田警部補にさえ
「空転して自滅しているだけではないのだろうか?」と思われて
いる節もありますし。>

 薬師寺シリーズが陥っている今の惨状では、姉と父親に今後どのような人物像を付加したところで、薬師寺涼子絡みの矛盾は避けようがないんですよね。すでに「姉と父親に反発しているにもかかわらず、正面対決を避けている薬師寺涼子」という設定は不動なので、姉と父親に人間的な魅力や強大な権力といったものを付加すればするほど、私が主張する「弱い者には居丈高に振舞う一方、強者には逆らえない薬師寺涼子は卑小な存在」を地で行くことになってしまいますし、逆に薬師寺シリーズに登場する敵と同レベルな卑小なキャラクターにすると、今度は「この程度の人間に逆らうことすらできない薬師寺涼子はどれだけ卑屈な人間なんだ」ということになってやっぱり逆効果。
 薬師寺シリーズの元ネタであるスレイヤーズや極楽大作戦の場合は、その手の「主人公の弱さ」もギャグや主人公の努力目標としてある程度許容される余地があるのですが、薬師寺シリーズの場合、何といっても創竜伝と同様に大量挿入されている社会評論の存在と「敵を倒すことでしか立証できない主人公の強さ」という構造的な問題があるために、その手の「弱さ」の存在自体が一種のダブルスタンダードとして全否定されてしまうようになっているんですよね。そういう状況にある薬師寺涼子に「姉と父親に弱い」という設定を付加したのは、作品として明らかに失敗であると言わざるをえません。
 薬師寺シリーズのコンセプトでは、薬師寺涼子に「弱点など一切存在しない完璧超人」以外の選択肢など残されてはいないのですが。

<これも説明不足で申し訳なかったですが「そんなものはない」
という事態込みで 「薬師寺涼子のニーズを満たす条件」を
同盟希望者は差し出せない、だから当然拒否される、という話
です。
 竜堂兄弟の話でいけば、イギリスで「平和はいいよ、暴力は
よくない」と切り出した四人姉妹側の老人は余の説得については
いい線いったではないですか、「だから事を荒立てるお兄ちゃん達
を疑おうね」と攻めどころを間違うまでは。>

 あれって一般的な外交交渉ではなくて、催眠的な説得術で無防備な竜堂余を篭絡しようとしていたのですから、「対等なパートナー」云々の話とは一概に比較はできないのでは? まああの老人が言っていること自体は至極真っ当なものでしたけど(笑)。
 それにしても、あれだけ作品中で「他人の悪口を言う権利」に象徴される民主主義を称揚しているにもかかわらず、一方で自分達に対する批判は存在自体すら許容しないという竜堂兄弟や薬師寺涼子の山○弘的ダブルスタンダードなあり方にはつくづくウンザリせずにいられませんね。まあこれについては、「とうちゃん」であるところの作者や「らいとすたっふ」からしてそういう体質を持っていることがすでに判明しているわけですから、ある意味首尾一貫してはいるのかもしれませんが(爆)。

<いやあ、「創竜伝」を娯楽小説として書いている田中センセイの
書きたい「近代的かつ自立心に満ちた女性像」がキチガイであった
として、別に不思議はないと思います。
 思えばヤンのかつての想い人が「私憤と公憤の境界が曖昧で、
声は大きいが展望はない」ジェシカ・エドワーズだったという
「前科」もありますし(苦笑)。>

 田中芳樹が理想とする「近代的かつ自立心に満ちた女性像」の条件を満たす女性キャラクターというのは、実は花井夫人や小早川奈津子だったりするのでしょうか(>_<)。

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board4 - No.8234

Re:薬師寺シリーズ考察8-1

投稿者:稲妻
2009年08月02日(日) 14時06分

お久しぶりです。以前に何回か書き込みした稲妻です。宜しくお願いします。

>大統領は就任するとき、聖書を手に置き、神に対して宣誓する。無神論者や仏教徒が大統領になることは絶対にありえない

上記の部分は私はアメリカが民主的な近代国家であるからだと思います。
権威と権力を分けるからやってることですよね。冒険風ライダーが言われている通り、聖書(キリスト教)を権威にするのは文化的にも歴史的にも積み重ねがあるから当然のことだと。
そういう点では銀英でアレー・ハイネセンの像が立っていたのは妥当なことだと思います(ラインハルトに壊されましたね)。

しかし、田中氏の民主主義に対する考えはどうなっているんでしょうか?アメリカ罵倒するなら民主主義も罵倒するんじゃないかと。
あと、田中氏はイスラム教はどう思っているのでしょうか?確実に民主主義が生まれない思想だと思いますが。

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board4 - No.8235

Re8234:民主主義あれこれ

投稿者:冒険風ライダー(管理人)
2009年08月02日(日) 15時30分

<権威と権力を分けるからやってることですよね。冒険風ライダーが言われている通り、聖書(キリスト教)を権威にするのは文化的にも歴史的にも積み重ねがあるから当然のことだと。
そういう点では銀英でアレー・ハイネセンの像が立っていたのは妥当なことだと思います(ラインハルトに壊されましたね)。>

 田中芳樹の権威と権力に対する考え方は、銀英伝のミッターマイヤーが主張している↓
「実力あっての権威だ。権威あっての実力ではない」(銀英伝2巻 P234)
が代弁しているのではないでしょうか。権威は権力や軍事力に箔をつける程度の小道具に過ぎない、としか認識していないわけです。
 田中芳樹が礼賛する偉大なる中国サマの歴史では、権威はまさにそういう使われ方しかされていなかったのですから、田中芳樹もそういう考えに染まってしまうのはむべなるかな(苦笑)。

<しかし、田中氏の民主主義に対する考えはどうなっているんでしょうか?アメリカ罵倒するなら民主主義も罵倒するんじゃないかと。
あと、田中氏はイスラム教はどう思っているのでしょうか?確実に民主主義が生まれない思想だと思いますが。>

 田中芳樹は、アメリカと同じくらいの民主主義国家にして先進国のイギリスについては「世界を支配したのは当然であった」とまで言い切っていますからね~(-_-;;)。そして、そこで挙げられている理由(王室に対する悪口を自由に言える、大英博物館は入館料が無料など)について調べてみると、実は全てアメリカにも当てはまってしまうという始末(爆)。このアメリカとイギリスに対する露骨なまでのダブルスタンダードが何故発生しているのか、何度理由をあれこれ推察しても納得の行く解答が得られないところなんですよね。
 イスラム教については、「十字軍以来のキリスト教の被害者」というところで完全に理解が止まってしまっているのではないですかね? アルスラーン戦記1巻のあとがきでは、キリスト教側のリチャード獅子心王とイスラム教側のサラディンを現代的価値観でもって比較した挙句、「この両者が好敵手だなどというのは、すくなくともサラディンにとっては失礼な話でしょう」などと評価していますし、湾岸戦争やイラク戦争の際には、あれだけブッシュ親子を罵りまくっておきながら、イラクのフセインについては全く言及していませんでしたし。

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board4 - No.8236

七都市物語世界では

投稿者:しせい
2009年08月04日(火) 11時04分

> > あと、軍の高官に女性がいないというのは、単にそもそも前線に出る率が低いということがあるかもしれません?
> > 作品中でも「女性兵は後方での勤務が主」というような記述があったような気がします。
> > あの世界は昇進の条件がなによりも「武勲をたてる」ということなんで、
> > 戦場にいる機会がすくないと当然ながら出世に響くでしょう。
>
> 「女性は後方勤務」なんて、けっこうすごい女性差別が残っている世界ですよね。
> フェミニストたちは騒がないのでしょうか?(笑)
> 私の好きなスタートレックに、女性士官や提督がばんばん出てくるのとは大違いですね。
>

七都市物語世界では

『七都市物語』シェアードワールズにこんな記述がありました。
新書版

オーシャンゴースト
p177
女性は不足している人口を増やすための要であるため、どこの都市の軍であっても、前線勤務には就けない。だがレイラは、三人の娘を産んだため、人口増に十分な貢献をしたと見なされ、

要するに七都市物語世界では、
1 女性は不足している人口を増やすための要であるため、前線勤務には就けない。
2 三人の娘(子供)を産むと、人口増に十分な貢献をしたと見なされる(前線勤務に就けることもある)。
ということです。

この設定を銀英伝世界には適用できるでしょうか、無理でしょうか?
誰か教えてください。

親記事No.1512スレッドの返信投稿
board4 - No.8237

Re:無意味です

投稿者:S.K
2009年08月05日(水) 11時22分

>
> 七都市物語世界では
>
> 『七都市物語』シェアードワールズにこんな記述がありました。
> 新書版
>
> オーシャンゴースト
> p177
> 女性は不足している人口を増やすための要であるため、どこの都市の軍であっても、前線勤務には就けない。だがレイラは、三人の娘を産んだため、人口増に十分な貢献をしたと見なされ、
>
> 要するに七都市物語世界では、
> 1 女性は不足している人口を増やすための要であるため、前線勤務には就けない。
> 2 三人の娘(子供)を産むと、人口増に十分な貢献をしたと見なされる(前線勤務に就けることもある)。
> ということです。
>
> この設定を銀英伝世界には適用できるでしょうか、無理でしょうか?
> 誰か教えてください。

 七都市物語には七都市物語の、銀河英雄伝説には銀河英雄伝説の
社会設定がありますので単純に比較しても無意味でしょう。
 まあ「ダリューンとドラゴシュとオフレッサーの中で最強は?」
レベルの話でよければ、「帝国では基本的に男権社会で、寵姫、
門閥貴族の夫人・令嬢が権勢を振るう事があっても、ヒルダの様に
自覚的に才能を発揮し認められるのは『非ルドルフ的』をもって
是とするローエングラム王朝以降、同盟は男女同権が基本で、
既にフレデリカ・グリーンヒルという同盟最強艦隊の女性幕僚も
存在すれば、女性閣僚・女性政治家も当たり前に存在する。そこ
に制約は理念的にはない」という事になります。

親記事No.7626スレッドの返信投稿
board4 - No.8238

Re:ヨブ・トリューニヒト の野望

投稿者:しせい
2009年08月12日(水) 11時05分

>  ヨブ・トリュー二ヒトの野望の弊害になりそうな人物を最期にあげておきます。
> 1 オーベルシュタイン もしも、ローエンタールに殺されなければ彼との戦いが鍵になりそうです。トリュー二ヒトもかなりの
> 謀略家ですから、かなりの接戦になりそうですが。
> 2 ルビスキー 一時的な仲間ですが同時に最大の敵の一人です。ウルヴァシー事件で逮捕されるか否かが焦点です、
> 3 ド・ヴィリエ トリュー二ヒトが銀河帝国の首相になるためにには関係深い彼も、抹殺しなければなりません。ただ、ローエンタール反乱で殺されなくても、トリュー二ヒトは帝国の高級
> 官僚なので、立場的には有利ですが。
> 4 ユリアン あまり脅威ではありませんが、不確定要素では
> あります。計算高い人物程、不確定要素には弱いものです。
>

5 ボリス・コーネフ を追加すべきです。
理由は、
銀英伝考察4 ~歴史を闇から揺るがした「無名の」謀略家~ を参照してください。

親記事No.7626スレッドの返信投稿
board4 - No.8239

Re:ヨブ・トリューニヒト の野望

投稿者:S.K
2009年08月15日(土) 01時48分

> 5 ボリス・コーネフ を追加すべきです。
> 理由は、
> 銀英伝考察4 ~歴史を闇から揺るがした「無名の」謀略家~ を参照してください。
>
 孫引きは否定しませんから、自分なりに咀嚼した観点を付与しませんか?
 当時書けなかったんですが「ラグプール刑務所暴動事件」については、
私は「とにかく情勢が混迷すれば自分の天下」的に脳腫瘍で暴走したルビンスキーの
可能性も低くないと思っていますよ、何を言うにも資金があるだけボリス・コーネフより
事を起こすにあたって有利ですし。
 ついでに幽斎さんが候補者に推挙したユリアンの逆でボリス・コーネフは相応に
計算高いので、トリューニヒトの去就如何で「折り合う」という選択肢がありおますよ。

board4 - No.8240

サイト更新のお知らせ2009.08.20

投稿者:冒険風ライダー(管理人)
2009年08月19日(水) 15時53分

 サイトの更新を行いました。
 更新内容は以下の通りです。

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board4 - No.8241

Re:薬師寺シリーズ考察8-1

投稿者:しせい
2009年09月01日(火) 10時55分

>これまで使っていた度量衡を変えるというのは決して容易なことではありません。まず、ソフトウェア的にはこれまでの旧単位に関する知識は全て「なかったこと」にした上で、新しく新単位についての勉強をしなければなりませんし、ハードウェア的なものについて見ても、旧単位で計る測定機器などを全て破棄した上で新単位の測定機器を新たに調達しなければならないのです。プログラムに組み込まれたものなどであっても、旧単位から新単位への移行にかかる時間と手間と費用は膨大なものになりますし、あらゆる面で多大な負担を強いられるとなれば、新単位への移行に躊躇するのは人間の心理として当然とは言わないまでも理解できることではあるでしょう。

そういえば、ルドルフ大帝も自分の身長・体重を基準とした新度量衡を制定しようとして、経費の凄まじさに断念しましたね。

board4 - No.8242

薬師寺シリーズ考察9-1

投稿者:冒険風ライダー(管理人)
2009年09月20日(日) 15時05分

 薬師寺シリーズ8巻「水妖日にご用心」は、安倍晋三氏が第90代内閣総理大臣の職にあった2007年5月より執筆が始められています。
 疑問の余地なくその影響なのですが、8巻「水妖日にご用心」には、田中芳樹の思想的傾向から見れば完全に相容れなかったであろう、当時の安部内閣および外務大臣だった麻生太郎氏に対する誹謗中傷が満載されています。記者クラブ問題等を論って「政府べったりのマスコミには政府批判ができない」的な論調を創竜伝の頃から展開している田中芳樹が、どう見ても自民党罵倒&民主党贔屓のダブルスタンダードかつ揚げ足取り的ネガティブキャンペーンに終始しているマスコミの超低レベルな政府批判報道の内容を全く疑うことなく妄信して吹聴しているのには、いつものことながら笑うしかありませんでしたね。
 しかも、安部内閣を誹謗中傷する目的で書かれた8巻「水妖日にご用心」が実際に出版されたのは、すでに第一の攻撃対象たる安倍晋三氏は総理大臣を辞任しており、第二のターゲットである麻生太郎氏も外務大臣ではなくなっていた2007年12月ときているわけです。田中芳樹にしてみれば、せっかく安部内閣を攻撃しまくってストレス発散祭りでも盛大に執り行ないたかったところだったでしょうに、現実の流れが速すぎて執筆のスピード&内容が全く追いつかず、発刊した時点で作品がイキナリ現実と合致しない時代遅れなシロモノと化してしまっていたのは、傍目に見ても実に哀れな限りでした(T_T)。もちろん、これは作品内に時事問題の社会評論を無為無用であるにもかかわらず挿入しようとする田中芳樹の自業自得以外の何物でもないのですけど。
 第一、この年の田中芳樹および「らいとすたっふ」は、自分達で公約していたはずの創竜伝14巻の刊行を突然何の公式発表もなく無期限延期にしたり、自分で批判していたはずのパチンコに銀英伝を売り飛ばしたり、挙句の果てにはそれに対する問い合わせ投稿を問答無用で言論封殺したりと、自分達自身、読者および出版社に対して到底顔向けできない愚行&蛮行を色々とやらかしていたというのに、どのツラ下げて政治家批判ができるというのでしょうか。アレらの所業が、創竜伝や薬師寺シリーズで嘲笑われている作中の政治家達のそれとどう違うというのか、田中芳樹&「らいとすたっふ」による言論封殺の被害者たる私としては是非一度問い質してみたいところですね。
 それでは、薬師寺シリーズ8巻「水妖日にご用心」の考察を始めることと致しましょう。

薬師寺涼子の怪奇事件簿8巻「水妖日にご用心」
2007年12月20日 初版発行

薬師寺シリーズ8巻「水妖日にご用心」 祥伝社ノベルズ版P9下段~P10下段
<「すごいことになってるねえ。マスコミも暇なんだなあ」
「事情をご存じですか」
「うん、何でも、急に外務大臣が来庁することになったらしくてね」
「外務大臣って、つぎの首相候補ですか」
「アニメファンで、マンガしか読んでない人ですよね!?」
 私と貝塚さとみが口にしたのは、どちらも事実である。
 現在の首相は、就任してそれほど長くはないのだが、疑惑まみれの大臣が自殺したり、防衛省や年金庁が空前の不祥事をおこしたり、独裁者気どりの幼稚な言動が批判をあびたりして、早くも退陣に追いこまれそうな雲行き。そこで最有力の後継者候補とされるのが、外務大臣なのである。
「すくなくとも現在の首相よりはマシ」
 というのが、おおかたの評価だが、この人は政治家としての評価以外に、マンガやアニメの熱烈な愛好家として知られていた。移動する車内でもマンガを読みふけっている。そのこと自体は別に悪いことではない。マンガに偏見を持つより、むしろいいことだとは思うが、問題もある。貝塚さとみがいったように、「マンガしか読んでない人」という印象があることで、世界各国の外交官たちの間では「ミスター・ジャパニーズ・コミック」として有名らしい。
 いまや外務大臣はベストセラー作家でもある。三ヶ月ほど前、新書で著作を二冊、同時刊行して、これがあわせて五十万部も売れてしまい、大評判になったのだ。その著作のタイトルは、
『人生に必要なことはすべてマンガで学んだ』
『とんでもない国ニッポン』
 というのであった。
「とんでもない国」というのは、著者によれば、「美しいだけでなく、ビックリするほどすばらしい国」という意味なんだそうである。>

 ……自分で言っていておかしいとは思わなかったのでしょうかね、泉田準一郎(=田中芳樹)は。五十万部も売れる「ベストセラー作家(?)」という時点で、件の外務大臣は「文字だけの本の閲読」よりもはるかに難易度の高い「文字だけの本の執筆作業」をこなしていることになるわけで、そこから「マンガしか読んでない人」などという評価が一体どうやったら成立するのか、むしろこちらが聞きたいくらいなのですけど(苦笑)。
 さて、前置きでも述べたように、ここで「マンガしか読んでない外務大臣」などという田中芳樹のストレス解消ネタとして誹謗中傷を叩きつけられているのは、安部内閣当時の外務大臣であり、第92代内閣総理大臣も勤めた実績を持つローゼン閣下こと麻生太郎氏です。一昔前の天然記念物レベルな遺物に過ぎない田中芳樹の反日反米&中国礼賛至上主義的な思想傾向から考えて、「美しい国日本」をスローガンに掲げた安倍晋三氏や麻生太郎氏に対して「とてつもなく」非好意的な評価を下しているであろうことは、太陽が東から昇るくらいに当然のことだったのであって、それ自体は何ら不思議なことではありません。
 しかし、これまた今更言うまでもなく、その作家個人のストレス解消ネタに過ぎない誹謗中傷の数々を、仮にもプロの「ベストセラー作家」が、公刊されている己の著書に、しかも作中に登場させなければならない理由も必然性もないにもかかわらずダラダラと開陳されては、読者側としてもたまったものではないんですよね。第一、その主張内容を読んでみても、田中芳樹が麻生太郎氏の著書をマトモに読んですらいないことは一目瞭然なのですし。
 何故そんなことが断言できるのかというと、実は田中芳樹が8巻「水妖日にご用心」で書き殴っているレベルの麻生太郎氏のマンガ好き批判は、当の麻生太郎氏自身が刊行している「とてつもない日本」ですでに言及されている状態にあるんですよね。

とてつもない日本 新潮新書版P53
<総裁選に絡んで、いやそれ以外のときでも、私については「マンガ通」「マンガオタク」といった切り口での報道が目に付いた。通がオタクかは知らないけれども、マンガ好きなのは事実であるし、隠してもいないから問題はない。ネット上の百科事典でも、『ゴルゴ13』のファンだ、『風の大地』の愛読者だ、と書かれている。
 以前ほどではないにしても、今でも「マンガなんて子供の読むものだ」と思われている方もいらっしゃるだろう。そうでなくても、「政治家が夢中になるものかね」と思われているかもしれない。
 いい歳したオッチャンが、老眼鏡をかけてまで電車の中でコミックを貪り読んでいるサマは、まことに嘆かわしい限り、テレビの影響による活字離れに加え、一層の活字離れが顕在化してきている、と眉間に皺寄せておられる方も多いと思う。「麻生はマンガばかり読んでいる」といった報道にもどこか、マンガへの蔑視があるのかもしれない。>

 にもかかわらず、上記の著書をネタにしている田中芳樹は、まさに麻生太郎氏自身が言及している<「麻生はマンガばかり読んでいる」といった報道>の文脈をただなぞっているだけの知識と前提に基いた言及しかできていないのです。
 しかも、「麻生はマンガばかり読んでいる」の劣化バージョンであるところの「マンガしか読んでない人」云々についても、これまた「とてつもない日本」の中に立派な反証があります。

とてつもない日本 新潮新書版P104
<リリー・フランキーさんの書いた『東京タワー』という小説が売れた。映画やテレビドラマにもなっているのでご存知の方も多いと思う。実はこの小説の舞台になっている福岡の旧産炭地・筑豊が、私の選挙区である。
 ずいぶん前には、五木寛之さんの『青春の門』がベストセラーになった。かつては日本の近代化、経済発展を支えた石炭産業の街である。>

とてつもない日本 新潮新書版P116
<NHK大河ドラマ『徳川慶喜』をご記憶だろうか。司馬遼太郎の『最後の将軍』でも有名だが、慶喜公は安政から慶応にかけてものすごい改革を成し遂げた人である。>

 他ならぬ自分自身がネタにしているはずの著書の中にこのような記述があることを知っていれば、麻生太郎氏に対して「マンガしか読んでない人」などという見当ハズレな罵倒を投げつける行為など、恥ずかしくてとてもできたものではないでしょう。ちなみに「とてつもない日本」の初版発行は2007年6月。それから半年後に著書を出して後出しジャンケンな社会評論を展開しているというのに、田中芳樹はその後出しジャンケンすら無様に失敗してしまっているわけです(笑)。
 第一、麻生太郎氏は、田中芳樹的にはマンガ愛好家云々とは比べ物にならないレベルで絶対に看過しえないであろうこんなことまで堂々と述べているのですけどね↓

とてつもない日本 新潮新書版P12
<日本ではよく「カローシ(過労死)」を例に挙げて、日本人は働き過ぎだ、日本人の働き方は間違っているという人がいる。だがそれはあまりに自虐的で、自らを卑下し過ぎではないだろうか。「ノーキ」を守る勤勉さは、私たちが思っている以上に、素晴らしい美徳なのである。>

とてつもない日本 新潮新書版P13~P14
<バブル崩壊以降、日本はもっとグローバル・スタンダードを導入すべし、などという議論が幅をきかせたけれども、私に言わせれば、むしろ「日本流」がグローバル・スタンダードになっている現実もあるのだ。トヨタ、ソニー、カラオケ、マンガ、ニンテンドー、Jポップ……。「ノーキ」や「カイゼン」が、世界の経済にどれだけ貢献しているか、インスタント・ラーメンやカップ麺が、どれだけの人を救ったか。
 日本は、マスコミが言うほどには、決して悪くない。いや、それどころか、まだまだ大いなる潜在力を秘めているのである。>

 で、自分の作品をマトモに公刊するどころか「執筆は予定通り遅れています」などという今やシャレにも何にもなっていないタワゴトを常日頃から吹聴しつつ、自分の作品に無意味な社会評論をぶち込んだり、ストーリーの根幹に致命的な欠陥を植えつけたりするといった醜態を晒し続け、品質改善に努めようとすらしない田中芳樹としては、自分の経験を元に「ノーキやカイゼンなど必要ない! 世界的に見て下等で陋劣な変態民族たる日本人はイギリス病を見習うべきだ!」的な主張でも開陳するべきなのではありませんかね? すくなくとも麻生太郎氏のマンガ愛好ぶりを論うよりは、こちらの方がはるかに重要なことなのではないかと思うのですが(笑)。
 しかも、麻生太郎氏を「ベストセラー作家」などと定義する主張からしてすでに誤りだったりします。普通に「作家」といえば一般的には「小説家」を意味する言葉ですし、広義的に見ても「映像作家」「放送作家」「陶芸作家」などといった用例のように「芸術・創作作品の制作者」を定義するものでしかありません。麻生太郎氏が執筆している著書は小説でもなければ芸術・創作作品でもなく「評論本」なのですから、「作家」ではなく「評論家」ないしは「筆者」とでも呼ぶべきでしょう。これって仮にもプロの作家である上に、性善説の語解釈や「諸葛亮孔明」などの名前の呼び方に対する誤用にアレほどうるさく御託を並べていた田中芳樹御大がやって良い間違いではないと思うのですがね(苦笑)。
 さらに言えば、田中芳樹が論っている麻生太郎氏の刊行著書2冊のうち、「とんでもない国ニッポン」については「とてつもない日本」が元ネタであることが一目瞭然なのに対して、「人生に必要なことはすべてマンガで学んだ」というタイトルが一体どこから来たのか、という問題もあります。麻生太郎氏は確かに「とてつもない日本」とほぼ同時期に著書をもう1冊刊行してはいるのですが、その著書のタイトル名は「自由と繁栄の弧」というのであって、これのどこをどうもじったところで「人生に必要なことはすべてマンガで学んだ」などというタイトルにはなりようがないわけです。
 こんないかにも頭の悪いタイトルをどうやって田中芳樹が捏造したのか、私は不思議に思えてしかたがなく、元ネタはどこかとあちこち探していたら、私にとっては大爆笑もののネタにぶち当たりましてね。何と、あの某「と学会」の自称SF作家なキチガイ会長の著書「宇宙はくりまんじゅうで滅びるか?」の中にある第5章のタイトル名が「人生で大切なことはすべてSFで学んだ」というものでして(爆)。

山本弘公式サイト「宇宙はくりまんじゅうで滅びるか?」の紹介ページ
ttp://homepage3.nifty.com/hirorin/kurimanju.htm

 もし田中芳樹がここからネタを取っていたのだとすれば、田中芳樹は麻生太郎氏と山本弘の双方に対し非常に残酷な措置を取ったと言わざるをえません。田中芳樹は山本弘に対しても麻生太郎氏と同様に悪し様な評価を下していることになりますし、一方で麻生太郎氏は山本弘と同等のキチガイであると田中芳樹的視点では評価されていることになるわけです。いくら麻生太郎氏が憎いにしても、何の証拠もなく「あの」山本弘と同レベルであるかのごとく見做す言動はさすがに名誉毀損行為に該当するでしょうし、そもそも創竜伝8巻文庫版で山本弘とニコニコ対談をやらかしているはずの田中芳樹が、山本弘を麻生太郎氏と同レベルの存在と評価していること自体、私としては大変驚きを禁じえないのですが(笑)。
 まあ、山本弘が元ネタ云々については「ある種の仮定に基いた推論のひとつに過ぎない」として片付けるにしても、麻生太郎氏の著書の捏造タイトルについては、麻生太郎氏に対する「マンガしか読んでない人」云々の悪意に満ちた捏造評価と同時に、マンガ自体に対する悪意をも感じずにはいられないですね。いくら田中芳樹が「そのこと自体は別に悪いことではない」的なフォローをしていようが、件の社会評論自体、麻生太郎氏の評価をネガティブなものにするために、マンガを「マイナスイメージ的な道具」として演出・利用している側面があるのは厳然たる事実であるわけなのですし。

 ところで、麻生太郎氏ばりに「ベストセラー作家でマンガ愛好家」である人物といえば、やはり何と言ってもこの御方を外すことはできないでしょう。己が出版している著書の裏表紙でこんな紹介がされている人物です↓

銀英伝3巻 徳間ノベルズ版裏表紙
<近代文学を専攻する田中芳樹の蔵書は、数千冊を超える。そのうち、マンガが約千冊あるというのが他の研究者と違うところだ。気分転換に読むために購入しはじめたのだが、ついにこの冊数にまでなってしまった。今は八年間の大学院生活にピリオドを打ち、休む間もなく、第四巻目の執筆にとりかかっている。>

 しかもこの御方、一般人以上にやたらとマンガを愛好していることを隠す気もないらしく、「書物の森でつまずいて……」には、マンガについて熱く語っているエッセイおよびインタビュー記事が総計6つも収録されています。さらにその中では何と「マンガを読んでいなかったら小説を書く方向には進んでなかった」とまで主張されている始末↓

書物の森でつまずいて…… P199
マンガの落とし子たちインタビュー 「コミックトム」1988年11月号収録
<やっぱりぼくとしては、話の面白さとか場面の印象とかいうものをインプリンティングされちゃいましたね。マンガを見て、表現というものの面白さを味わなかったら、小説書くっていうのにも進んでなかったと思う。活字の方に行ったのも、マンガ読んで、本を読む、表現されたものを受けとるみたいな訓練をしたからだと思います。>

 で、どう見てもマンガ以外の場所から取り入れた知識が少なからず盛り込まれている「とてつもない日本」の著者である麻生太郎氏が「マンガしか読んでない人」などと評価されなければならないのであれば、マンガについてここまで「異常なこだわり」を持つこの御方もまたやはり「マンガしか読んでない人」と評されて然るべきなのではないでしょうか(苦笑)。オマケにこの御方、近刊のシリーズ作品でも「GS美神 極楽大作戦」というマンガから設定やネタをごっそりパクって作中に反映させているときていますからね~(笑)。全く、プロの小説家ともなればオリジナリティというものは大事でしょうに、他人のマンガからネタをパクるしか能がなかったとでも言うのでしょうか(爆)。
 ……と、麻生太郎氏のマンガ通ぶりを罵倒する際に、その罵倒が他ならぬマンガ愛好家でもある自分自身にもギロチンブーメランとして跳ね返ってくる可能性について、田中芳樹は少しでも考えてみたことはなかったのですかね? マンガ愛好家という点では田中芳樹と麻生太郎氏は同好の士といっても良いくらいですし、変にマンガを論って攻撃したところで、相手はそれを隠すどころかむしろ大々的に宣伝すらしているくらいなのですから何のダメージにもならないことは最初から分かりきっているでしょうに。
 麻生太郎氏を批判するならするでもっと効果的な方法は色々とあったでしょうに、麻生太郎氏の著書に直接当たることなく、TVの偏向ワイドショー番組でやっているレベルの、品性の欠片もない揚げ足取りバッシング報道に終始している程度の低い麻生太郎氏への批判論を何も考えずに無理矢理なぞろうとするから、こんな醜態を晒すことになるのですけどね。第一、こんなことをしていたら、自分が過去にマンガ愛好家であることを告白したり、マンガについて熱く語ったりしているエッセイやインタビュー記事などについても、その信憑性が問われることになりかねないのですが。

薬師寺シリーズ8巻「水妖日にご用心」 祥伝社ノベルズ版P19上段
<「たしかメヴァト王国というと、ずいぶん時代遅れの専制政治がおこなわれているんですよね」
「そうよ。サウジアラビアやブルネイとおなじよ」
 石油大国として知られるサウジアラビアは、国名そのものが「サウド王家のアラビア」という意味で、国全体が王家の所有物なのだ。だから憲法も議会も選挙もなく、国民に政治的権利などない。首相も王族の中から国王が任命する。ブルネイも同様。これほど非民主的な国はないはずだが、アメリカから戦争をしかけられることもなく、日本から経済制裁を加えられることもない。>

 こういう文章を読んでいると、現在の田中芳樹の硬直した思考および堕落ぶりがつくづく実感されてなりませんね。「憲法も議会も選挙もなく、国民に政治的権利などない」専制政治を「ずいぶん時代遅れ」「非民主的な国」の一言で片付けられるのであれば、民主主義と専制政治の利点と弊害を可能な限り公平に提示するよう努め、両者の戦いを「アメリカ的価値観に基づいた絶対善と絶対悪の戦い」として描くことを戒めていた銀英伝は一体何だったのかと問わずにはいられないのですが(T_T)。
 他ならぬ田中芳樹自身、銀英伝については以下のような文章を書いていたはずなのですけどね~↓

銀河英雄伝説読本 P50~51(月刊アウト 1988年2月号)
<田中:僕が修士論文で書きましたのは、幸田露伴の「運命」という作品でして、中国の明王朝で、皇帝の位をめぐって、叔父と甥が内乱を起こすという話なんですね。そういった歴史的事実と、作家のとらえ方の落差みたいなものを研究したわけです。そこで、当然幸田露伴の作品をずいぶん読んだんです。幸田露伴は、そういった歴史小説とか伝記みたいのをずいぶん書いていて……印象に残ったのは、露伴は、どちらか一方を悪と決めつけるということがないんだということだったんですね。ひとりの人間を主人公にしたら、むしろその敵対するライバルのことも、実にきちんと書いているわけです。ライバルの方から見ると、長所もあるし言い分もあるしという形で……。そういった意味で視点の相対化みたいなものを、そこで少しだけ勉強したような気がするんです。非常に我田引水ですけれど(笑)。>

銀河英雄伝説読本 P150(アサヒ芸能 1988年2月4日)
<主人公であるラインハルトのキャラクターは、意図的に完璧なものにしました。絶対的な専制君主で、能力的にすぐれ、顔もいい。民主主義の欠陥を映し出す鏡にしたかった。それと、主人公を引き立てるために、登場人物の悪口やきめつけは書かないようにしました。それは読者が決めるものですから。>

 いつから田中芳樹は、「視点の相対化」をかなぐり捨てた「どちらか一方を悪と決めつける」行為を、作者であるはずの自分自身で積極的に行うようになってしまったのでしょうか? 創竜伝や薬師寺シリーズは、まさに「【主人公を引き立てるため】の【登場人物の悪口やきめつけ】」によって作品の質の低下および読者からの反発を招いているというのに(>_<)。
 第一、専制政治を民主主義と比較して「ずいぶん時代遅れ」「非民主的な国」と蔑むスタンスは、銀英伝1巻におけるヤンのイゼルローン攻略後、「帝国との間に有利な条件で講和条約を結ぶ絶好の機会」と主張したレベロの意見を「これは絶対君主制に対する正義の戦争だ」と頑なに退けた挙句、同盟を帝国領侵攻作戦&アムリッツァ会戦の大敗北に導いて国を傾けた5流以下の頑迷政治家連中と全く同じシロモノではありませんか。「あの」ヤンですら、さすがにそのような現実を全く顧みない民主主義原理主義じみた狂信性とは一切無縁だったはずなのですが(苦笑)。
 そもそも、民主主義というのは決して万能の政治形態ではありません。国民の大多数に国民意識が醸成されていない国で突然民主主義を導入したところで、少数民族や地方の部族が自分達の権利を主張した挙句、内戦が勃発したり、専制君主以上に強大な独裁者が出現して国政が混乱したり、最悪の場合は国が分裂してしまったりする事態もありえるのです。国王を殺して専制政治を廃止し、共和政に移行したフランスも、長期にわたって国内が混乱した挙句にナポレオンの独裁を許してしまいましたし、東南アジアや中東・アフリカでも、民主主義を導入しながら開発独裁体制に移行したり、部族間抗争や地方軍閥同士による対立から大規模な内戦が勃発し国土が荒廃してしまった国がざらにあります。
 民主主義が国の中できちんと機能するためには、その国の構成員たる国民の圧倒的大多数が何らかの共通意識を持ち、一丸となって国を支える体制が予め完備されている必要があります。その共通意識とは、たとえば民族であったり宗教であったり言語であったり、場合によっては「共通の敵に立ち向かう」というある種の政治的プロパガンダであったり、さらには田中芳樹が最も忌み嫌う「愛国心」や軍国ナショナリズムだったりと、国によって様々なあり方が存在しますが、そういった共通意識が国民に浸透していない国で民主主義を導入しても、それは国の崩壊を招く起爆剤にしかならないのです。
 サウジアラビアが領有するアラビア半島には、古来より無数の地方部族勢力が存在しており、地方間や宗教上の対立も多く、民主主義を円滑に運用するために必要となる「サウジアラビア人としての共通意識」の形成が充分に成し得ていない状態にあります。そのような専制君主国家で、「ずいぶん時代遅れ」「非民主的な国」だからという理由で下手に民主主義を導入すれば、全国に散在する地方部族勢力は自分達の利益のみを主張するようになり、互いに争い、やがては国を割ってでも独立しようとする事態すら起こりえます。そういう国における専制君主制や独裁制は、力による中央統制を行うことで国の分裂や内戦を抑制し、結果として国民の生活と安全を保証しているという一面もあるのです。
 民主主義や専制政治といった政治形態の違いを問わず、国というものはまず自国の維持と自国民の生活と安全を保証することが国民からも最優先に求められるものなのですし、とにもかくにもその維持に努めようとする国を支援し、国交関係を築くことが自国の国益になると判断したアメリカや日本その他の国々が、政治形態の違いを超えて交易を行ったり支援の手を差し伸べたりするのもこれまた当然のことです。だからこそ、サウジアラビアやブルネイは、田中芳樹的視点から見れば「ずいぶん時代遅れ」「非民主的な国」であっても、国際社会で一定の地位を確保することができるわけです。
 創竜伝のイギリス礼賛における「新聞が堂々と王室の悪口を書きたてている国は、世界を支配するのが当然である」というタワゴトもそうですが、田中芳樹は一体何が原因で銀英伝の頃には確実にあったはずの「民主主義を必ずしも絶対善視しない」的な視点を失った挙句、一種の狂信者じみた民主主義真理教的な考えを持つに至ったのでしょうか? 自分がこんなザマでは、かつて「イギリス病のすすめ」で取り上げられていた映画「インディペンデンス・デイ」に見られるようなアメリカ人のセンスとやらを笑うこともできないのではないかと思うのですけどね。

薬師寺シリーズ8巻「水妖日にご用心」 祥伝社ノベルズ版P26上段~下段
<何年前のことだったか、東南アジアのラオスで、亡命ラオス人とアメリカ人が組んでクーデターをおこそうとしたことがあった。大量の武器をそろえて、いざ作戦発動というところでアメリカ政府に一網打尽にされてしまったが、ラオスにかなり大規模な金鉱が発見されてオーストラリアの企業が開発に乗り出した直後のことだった。巨大な資源開発企業が私兵を動かしてクーデターをおこすのは、アフリカでも中東でも中南米でも東南アジアでも、歴史上めずらしいことではないのだ。
 犯罪をおこすこと自体が目的ではないが、利益のためには犯罪も辞さない。それが巨大企業の病理というものなのだろうか。>

 これってJACESに対する批判なのでしょうか? 確かにあの会社が「利益のためには犯罪も辞さない」「巨大企業の病理」というものに骨の髄まで蝕まれているのは誰の目にも明らかなわけですし(笑)。いや、実際には薬師寺涼子の意向のために「犯罪をおこすこと自体が目的」化している部分もありますから、JACESにおける「巨大企業の病理」とやらは他の巨大企業以上に「病膏肓に入る」状態にすらあると言わざるをえませんね(爆)。
 そもそも、このラオス人民民主共和国のクーデター話のどこに「巨大な資源開発企業」が絡んでいるというのでしょうか? ここで言及されているクーデター騒動というのは、2007年にアメリカで発覚したクーデター未遂計画のことを指しているのですが、このクーデターで主役となったのは、ラオス政府によって迫害を受けアメリカに亡命した旧ラオス王国の元将軍でモン族出身のバン・パオという人物で、彼は1960年~70年代のラオス内戦およびベトナム戦争時代、アメリカCIAの支援を受けてラオス国内のベトナム軍および共産勢力と戦った経歴を持っています。
 2007年当時77歳だったバン・パオは、現ラオス政府を打倒し新政権を樹立するためのクーデター計画「ポップコーン」を立案。その作戦計画では、2800万ドル(当時の円換算で約35億円)の資金を使い武器と傭兵を調達、計画発動から60日以内にラオス国内の主要な政府施設および交通機関・メディア等を掌握して暫定政権を樹立、90日以内に政府幹部をひとり残らず粛清してクーデターを完了する予定となっていました。そして、その際に武器の調達を仲介し、バン・パオと手を組んでいたのが、元アメリカ陸軍中佐のハリソン・ジャックという人物です。両者を含む総計10名の首謀者達は、アメリカの法律で定められている中立法違反の罪で連邦地裁に起訴されています。
 ラオスではベトナム戦争以降、アメリカに協力したモン族とラオスの共産党政府軍との間で争いが絶えず、30万人以上のモン族が国外に非難し、うち約14万5000人ほどがアメリカに亡命しています。この背景事情を見る限り、バン・パオによるラオスのクーデター未遂事件はベトナム戦争の後遺症およびラオス国内の民族問題がこじれた結果起こった事件と考えるべきものなのであって、そこに「巨大な資源開発企業」とやらは影も形も見当らないのですが。
 第一、上記引用文で明示されている「巨大な資源開発企業」とやらに該当する存在は、どう見てもラオスの金鉱の開発に乗り出していた「オーストラリアの企業」しかありません。前述した事実を踏まえた上でこの文章を素直に読むと、「オーストラリアの企業」が亡命ラオス人とアメリカ人達を裏から操ってクーデター未遂事件を起こさせていたとしか解釈のしようがないのですが、もちろんそんな事実はありませんし、そもそも、すでにラオス政府との商取引が成立している「オーストラリアの企業」が、わざわざこんな騒動を起こすことに一体どのような利があるというのでしょうか? 文脈がおかしい上に「たとえ話」としても成立していない支離滅裂な社会評論を提示されたところで、読者側は意味不明過ぎて理解に苦しむだけでしかないでしょうに。
 泉田準一郎や田中芳樹は、内容以前にそもそも社会評論をマトモに語ることさえできないのですかね? 今時中学生に文章執筆を依頼しても、これよりはマシな文章を書いてくれるのではないかと思えてならないのですけどね(苦笑)。

親記事No.8242スレッドの返信投稿
board4 - No.8243

薬師寺シリーズ考察9-2

投稿者:冒険風ライダー(管理人)
2009年09月20日(日) 15時06分

薬師寺シリーズ8巻「水妖日にご用心」 祥伝社ノベルズ版P35下段~P36上段
<「ザナドゥの善悪観って、すごく単純だからね。肉食恐竜は悪で、草食恐竜は善。映画でもそうでしょ?」
「見てません」
「えッ、『ダイナソー・パラダイス』を見てないの!? あたしは三回見たけど、ほんとにクダラなかったわよ。あんな映画。つくるのは費用のムダ、見るのは時間のムダだわ」
 そんなもの、三回も見るなよ。
「それにしてもさ、TオサムとかFフジオみたいに、自分で創造したわけじゃないでしょ。あっちはグリム童話、こちらはアンデルセン童話、そっちはペロー童話、どれもこれも古典の流用。キャラクターを絵にしただけで、原典の著作権そのものまで自分のモノみたいな顔してるなんて、ずいぶんあつかましいじゃないのさ」
 涼子がいうのは正しいと思うが、原典をきちんと読んでいる人なんて、どれだけいるのだろうか。日本人の半数以上は、白雲姫も半魚姫もシソデレラも、ザナドゥが創ったものだと思いこんでいるにちがいない。
 だいたいわが国の外務大臣にしてからが、インタビューで、「『こころ』ってマンガはよかったねー」なんていっている。夏目漱石の原作を読んでいないのだ。>

 ここで論われているザナドゥというのは、作中の説明によれば「東京湾の東岸、千葉県の西端部に、ザナドゥ・ランドという巨大テーマパークがある」とのことで、どう見ても元ネタは東京ディズニーランドしかありえないのですが、しかしさすがに「ザナドゥ・ランド」ことディズニーランドの側も、よりによって薬師寺涼子と泉田準一郎などに、創造性や著作権について云々されたくはないでしょう(苦笑)。ディズニーランドのキャラクターに創造性や著作権がないというのであれば、スレイヤーズと極楽大作戦の登場人物を超劣化複写技術で適当に組み上げただけの出来損ないな失敗作に過ぎない薬師寺涼子と泉田準一郎もまた、彼らと同類ということになるわけですし(爆)。
 しかも大変滑稽なことに、この薬師寺涼子の創造性云々の主張からして実は完全無欠のトレースでしかないという厳然たる事実が存在するんですよね。何しろ薬師寺涼子の主張は、過去の創竜伝の社会評論から何の加工もひねりもなくそのまま持ってきたものでしかないのですから↓

創竜伝2巻 P9下段~P10上段
<ほんとうは、始は、フェアリーランドに代表されるアメリカ人のセンスがそれほど好きではない。フェアリーランドをアメリカでつくった人は、有名なアニメーション製作者で、技術的にすぐれた作品を多く制作したが、その大部分は昔の童話や児童文学をアニメ化したものであり、自分で作品世界を創造したわけではない。ほんとうの生みの親は、グリム兄弟であったりアンデルセンであったりする。アニメという表現形態を生みだした点は偉大であるが、真の意味で創造的な内容のアニメはアメリカには生まれていない、と始は思っているのだった。>

 それにしても、わざわざ創竜伝の社会評論をそのまま持ってくるのであれば、薬師寺シリーズにおけるディズニーランドの名前も「ザナドゥ・ランド」ではなく「フェアリーランド」にすれば良かったものを、何故わざわざそこだけは変えるというみみっちいマネなんかしているのですかね? 薬師寺シリーズ4巻「クレオパトラの葬送」では、創竜伝と同じ「国民新聞」がきちんと登場しているというのに(苦笑)。
 さらに言えば、薬師寺涼子が「原典の著作権」について云々すること自体、笑止な限りでしかないのですけどね。つい18ページほど前の場面で、それこそ本当に著作権を蹂躙している中国の海賊版業者に「ザナドゥ・ランド」の株を売り渡してやるなどと騒いでいたのはどこのどなたでしたっけ?

薬師寺シリーズ8巻「水妖日にご用心」 祥伝社ノベルズ版P17上段~P18上段
<ドアが閉まって、大臣の姿が消えると、涼子は音を立てて舌打ちした。
「くだらない男だわ。近いうち泣かしてやる。それにしてもザナドゥ・ランドめ、ダンゼンゆるせない」
「何を怒ってるんです?」
「ザナドゥ・ランドのやつら、守秘義務を守らずに、あたしの名をバラしやがったのよ。あたしは顧客というだけでなく、株主でもあるのに」
「しかたありませんよ。政府から声をかけられたんじゃ」
「その政府に媚びへつらう態度が気に入らないっていってるの。でも、まあいい、資本主義社会で株主を裏切った企業がどうなるか、思い知らせてやる」
「報復ですか」
「お仕置きよ」
「で、何をやる気です?」
「あたしはザナドゥ・ランドの株を百万株ばかり持ってるんだけどね、これをまとめて中国の海賊版業者に売り渡してやるわ」
「そ、それはまずいのでは……」
「どうまずいの?」
「色々とですよ」
「色々とって、どんな色よ。赤? 青? 緑? ミッドナイト・レインボウ?」
 それこそ、どんな色だ、いったい。
「小学生みたいなこと、いわないでくださいよ。第一、海賊版業者と知って取引したりしたら、あなた自身、著作権法違反でつかまるでしょうに」
「うるさい、あたしはザナドゥ・ランドの株を売りとばして北京の絶景山遊園地を買いとる。海賊の女王として、世界に君臨してやるのだ」
「海賊の女王なら格好いいですが、海賊版の女王ではあんまり……」>

 海賊版のメッカとすら言われる中国や韓国の海賊版業者は、著作権や知的財産権といったものを完膚なきまでに蹂躙するばかりか、「俺達こそが正当な権利の所有者だ」などと逆ギレ裁判すら起こすほどにタチの悪い存在であるということを、こんな形で話題に出しているくらいなのですからまさか知らないわけではないでしょう。ディズニーランドの絵やアニメに関する著作権行使を「著作権の濫用&拡大解釈」であるかのごとく罵っておきながら、他方では本当に著作権を蹂躙する中国の海賊版業者について無批判な態度を決め込む薬師寺涼子などに「原典の著作権」を云々されては、それこそグリム兄弟もアンデルセンもペローも草葉の陰で泣こうというものです。
 もっとも、それ以前の問題として、そもそもその頭のてっぺんから足のつま先に至るまで完全無欠な「海賊版」である薬師寺涼子が「原典の著作権」を云々すること自体おかしな話なのですけどね(笑)。まあそれだからこそ中国の海賊版業者とは同じ海賊版同士ウマが合うのかもしれませんが(爆)、リナ・インバースと美神令子のパチモノごときが「原典の著作権」などと身の丈に合わない武器を振り回したいのであれば、必要最低限、自分がパチモノであるという厳然たる事実を、素直に直視した上できちんと公に認めるべきではありませんか。パチモノという事実から目を背けつつ、自分はオリジナルな存在であるといわんばかりに振る舞うのは、それこそ「原典の著作権」に対して大変失礼かつ傲岸不遜な所業ではないかと私は思えてならないのですが(苦笑)。
 そして一方、泉田準一郎が主張している内容については、どうやらザナドゥ・ランドの創設者も同じように主張していたようです↓

薬師寺シリーズ8巻「水妖日にご用心」 祥伝社ノベルズ版P38上段~P39上段
<「全世界に愛と夢と平和を!」
 というオダニエルの理念はりっぱなもので、誰ひとり文句のつけようがなかった。また、彼の提供する作品やショーは、たしかに質が高く、魅力的なものだった。国境をこえ、時代をこえて、彼の「お客」は増えていった。
「あいつはグリムやアンデルセンを好きかってに流用してるだけじゃないか」
 という非難に対して、オダニエルは傲然と応じた。
「グリム童話やアンデルセン童話を、全部きちんと読んでいるやつが、世界に何人いるというんだ。子どもたちは、私の映画やショーで、彼らの名を知ることになる。グリム兄弟やアンデルセンが生き返ったら、私に感謝してくれるだろうよ!」
 どうやらオダニエル自身は、グリム兄弟やアンデルセンに感謝するつもりはないようだ。あれだけグリム童話やアンデルセン童話の設定とキャラクターを流用して大金をかせいでいるのだから、グリム博物館やアンデルセン博物館ぐらい建ててもよさそうなものだが。>

 さて、創竜伝の頃から言われているこの「創造性がない」云々の主張ですが、田中芳樹は演劇・実写映画やマンガ・アニメ等の製作がどれだけ難しく、かつ「創造性」が要求されるものであるかが全く分かっていないのではないでしょうか?
 たとえば、ここで挙げられているグリム童話やアンデルセン童話には、確かにキャラクターの名前や性格設定といったものが存在するのですが、それらはあくまでも「文章」でのみ表現されているものでしかなく、「目に見える実像」が存在しているわけではありません。「文章」で書かれているに過ぎないキャラクターを「目に見える実像」に変換し、観客が楽しめるものにするためには、当然頭を使わなければいけないわけですし、演劇や実写映画であれば「俳優の選定や目利き」「監督能力」「俳優ひとりひとりの演技力」といった要素が、マンガやアニメであれば「想像力」「顔や体の造形や背景等に関する作画・表現能力」といった「創造性」が相当なレベルで要求されます。さらに場合によっては、原作の不備を補完したり、原作とは別の新しいテーマを訴えたりするために、オリジナルのストーリーや設定を後付で追加しなければならないことだってあるでしょう。
 そのため、同じ原作を元に製作された演劇や実写映画であっても、監督や俳優、およびスタッフの資質などによって全く異なる構成の作品が作られますし、マンガやアニメでも製作者の指揮や描写スタイル次第で千差万別の作画や描写が表現されます。製作者達の個性で出来も内容も左右される原作リメイク作品、それはまさに原作と同じか、場合によってはそれ以上の「創造性」が伴うものであると評価されるべきものなのです。
 他でもない田中芳樹自身、原作キング・コングのリメイク作品を自ら執筆している実績があるではありませんか。キング・コングのリメイク作品は田中小説版以外にも(その派生系も含め)様々な媒体で数多く製作されていますが、それらの作品にもその作品独自のオリジナリティや創造性といったものが存在するのですし、またそういったものがあるからこそ、原作と比較した上での内容や評価に違いが生まれるわけです。同時期に公開されたピーター・ジャクソン監督のリメイク映画版に比べれば、田中小説版のキング・コングはまごうことなき駄作でしたが、それも両者の個性や創造性の違いを認めた上で比較しあってこその評価なのでしてね(苦笑)。
 己の反米思想に基づいてディズニーランドを罵りたい気持ちは理解したくなくても理解させられていますが、あまりその主張を前面に出してしまうと、薬師寺シリーズや田中小説版キング・コングを執筆してしまった後では、創造性云々の批判がギロチンブーメランとなって自分の作品に跳ね返ってしまい、結局自分自身をも貶める醜態を演じてしまうことにもなりかねないのではありませんかね? まあ当の田中芳樹が「あれは小説家ではなくコピーライターとして仕事を請け負ったのであって、ストレス解消のために適当に書き殴っていただけだ」とでも公言するのであれば話は別でしょうけど(笑)。

薬師寺シリーズ8巻「水妖日にご用心」 祥伝社ノベルズ版P47下段~P48下段
<「さて、ここでひとつ、重大な発表をさせてくれんかね」
 殿下に寄りそうようにして、みずからマイクをにぎったのは外務大臣だった。
「えー、今年は国際連合安全保障理事会の非常任理事国が改選される。日本の悲願は、アメリカや中国と同格の常任理事国になることだが、まず目標となるのは、今年、非常任理事国に選ばれることだ。その目標が、メヴィト王国のご好意で、達成されることになった」
(中略)
 この件はすでにメヴィト王国から通告されており、日本政府は、みっともないほど狂喜したそうである。
「ふだん友達がいないと、ちょっと好意を示されただけで、はしゃいじゃうのよねえ」
 というのが、涼子の意地悪な意見である。
「で、いつのまに、安保理の常任理事国になるのが、日本の悲願になったの?」
「私に尋かないでください」
(中略)
「常任でも非常任でもいいけど、理事国になってどんないいことがあるのよ」
「政治家や外務省のお役人たちが、大国の代表ヅラできるんですよ」
「ナマイキよねー、アメリカの属国のくせにさ。アメリカと対等だっていうなら、大使館の借地料をきちんと取り立てたらどうなのよ。だいたい外務省なんて必要あるの? 廃止して、役人どもを老人介護の現場に振り向けりゃいいのよ」
「極論ですよ、それは」
「うるさい、あたしは極論の人なのだ!」
 自分でわかっているなら、私がとやかくいう余地はない。>

 相も変わらず、創竜伝の頃から十年一昔的に連綿と続いている「日本には対等の友達がいない」論の蒸し返しですか(笑)。他ならぬ自分自身が、創竜伝の作中キャラクターにこんなことを言わせていた過去の事実を、田中芳樹はもうすっかり忘れてしまっているようで↓

創竜伝13巻 P112上段
<「日本も日本だ。まともな議論には参加せず、裏でこそこそ工作する。経済援助をちらつかせて、ボスのいうことをきくよう強要する。当時の日本政府のやりかたは、とうてい誇りある人間のおこないではなかった」
「まあ私は日本には多少、同情しているのですよ。ボスに見放されたら、世界中に友達などひとりもいない。そう日本の政治家が公言していましたからな。ボスのいうことをきくしかないのです」
「そんなことを公言すること自体が、誇りある人間のおこないではないというのだよ」>

 まあ「ふだん友達がいないと、ちょっと好意を示されただけで、はしゃいじゃうのよねえ」などという「誇りある人間のおこないではない」世迷言を堂々と公言している薬師寺涼子が「誇りある人間」などでは断じてないということについては私も全面的に賛同しますね。何しろ薬師寺涼子は、JACESの権力と財力と暴力を使って他者を脅し、ギロチンブーメランなタワゴトを並べ立てるしか能のない頭のおかしなキチガイ女ですし、そのくせそれらの力が使えない姉と父親が相手となると、陰口を並べながら恥も外聞もなくコソコソと逃げ回っているだけときているのですから(爆)。全く、件の世迷言に限らず、薬師寺涼子がこれまで散々繰り出してきた言動の一体どこに「誇りある人間」と呼ばれる要素が存在するというのでしょうか(笑)。
 さらにそれ以前の問題として、そもそも日本に対して「友達がいない」などと嘲笑っている薬師寺涼子自身、「対等の友達」なる存在がいるとは到底考えられないのですけどね。薬師寺涼子の周囲には「(自分より上位な)上司、親類」「(自分より下位な)公的&私的な部下、下僕」「(自分と相容れない)敵」はいても「対等の友人」的な存在が登場した覚えなど私が知る限り一度もありませんし、過去には「あたしには対等なパートナーなんか必要ない」的なスタンスを泉田準一郎に代弁させている描写すら存在するのですが、「ふだん友達がいないと、ちょっと好意を示されただけで、はしゃいじゃうのよねえ」というのは、ひょっとして自分自身の「孤独な人生」について言及した発言なのでしょうか(爆)。まあ薬師寺涼子自身の身の上に関しては全くその通りなのかもしれませんが、一応外交上は「友好的な親日国」も少なからず存在する日本に対して、自分個人の経験など当てはめないで頂きたいものですね(苦笑)。
 また、国連についての知識の欠落もこれまた相変わらず深刻な限りですね。日本は世界第2位の国連分担金拠出国ですし、その分担金は金額においても分担比率においても3位のドイツをダブルスコアに近い数値で引き離しているほどに大きなものなのですから、分担金相応の地位や発言力を求めるのは、日本の国益に叶うだけでなく、国民の税金を無駄にしないという観点から見ても至極当然な行為というものではありませんか。それを「政治家や外務省のお役人たちが、大国の代表ヅラできるんですよ」などという低次元な見方でしか捉えることができない時点で、薬師寺涼子と泉田準一郎のお粗末な思考水準が知れようというものです。
 日本が国連の常任理事国入りするメリットは、何と言っても安全保障理事会に参加できる資格が「常時」得られるようになることで「常に」世界の安全保障に関する議題に関わることができるようになることがまずあります。現行では2年の任期と2期以上連続で担うことができないという制約がある非常任理事国に選挙で当選しないと安全保障理事会には参加することができず、日本の国連における発言の場は大きく制限されています。
 その安全保障理事会の参加資格が「常に」得られる立場になれば、日本の国際的な発言力および影響力が増すことと、世界の安全保障に関する情報収集が行いやすくなることは間違いありません。前者はもちろんのこと、外交を行う際に事前に情報があるのとないのとでは、外交の進め方も得られる成果も段違いなのですから、日本の国益の観点から言えば当然大きな利点となるでしょう。
 そして実はこれが一番重要なのですが、国連の時代錯誤的な腐朽システムの象徴にして日本の国家安全保障を脅かしかねない元凶でもある敵国条項の撤廃についても大きな影響力を振るうことができるようになります。敵国条項を撤廃するためには国連憲章の改正が必要で、国連憲章の改正には国連加盟国の3分の2以上の賛成が必要とされるのですが、その賛成を得る際にも、常任理事国という看板は役に立つというわけです。21世紀になっても未だに「第二次世界大戦の戦勝国クラブ」をやっている国連がどれほどまでに時代錯誤かつ内部腐朽をきたしているシロモノなのか、まさか理解できないわけではありますまい?
 日本の国益というものを永遠に理解することができない低能な脳味噌しか持ちえない薬師寺涼子と泉田準一郎は、すくなくともこの手の説明はきちんと行っている日本の外務省よりもはるかに不必要で無為無用、いやそれどころか、現職の警察官でありながら様々な犯罪行為を行っているという点ではとてつもないほどに有害な廃棄物ですらあるのですから、力の源泉たるJACES共々この世から消えてくれた方が、日本どころか世界のためにすらなるではありませんか(爆)。有害で廃棄物な劣化コピーの分際で人間様の政治に文句を言うなど、それこそナマイキな限りだと言わざるをえないのですが(笑)。

薬師寺シリーズ8巻「水妖日にご用心」 祥伝社ノベルズ版P57下段~P58上段
<「殿下、日本人は人を体格や体型で差別したりはしませんわ」
「マコトか?」
「ええ、日本人が人を差別するのは、血液型によってです」
「血液型じゃと?」
「ええ、日本人は血液型によって人を差別する、世界で唯一の国民なのですわ。ご存じありませんでした?」
 あまりにも場ちがいなことをいい出したお騒がせな人物は、もちろんというべきかどうか、私の上司だった。カドガ殿下と自称する人物に対し、おちょくってやるだけの価値を見出したらしい。
 もともと「人間の性格は血液型によって決まる」と珍妙な説を唱えたのは、日本人の奇矯な医学者だそうだが、昭和初期の日本陸軍がそれを真に受けて、兵士の血液型ごとに部隊を編成しようとした。A型の兵士だけで歩兵連隊をつくったり、B型の兵士だけ集めて砲兵大隊を編成したりしてみたのだが、みごとに失敗して、「こんな非科学的なもの、信用できるか」ということになった。
 日本陸軍は滅びたが、なぜか血液型信仰だけは残った。昭和初期の日本陸軍よりも、二十一世紀の日本人のほうが、どうやらずっと非科学的らしい。>

 どうやらずっと非科学的らしい、どうやらずっと非科学的らしい、どうやらずっと非科学的らしい…………。
 いいかげん、原理も不明で「非科学的」な特殊能力を駆使する怪物が跳梁跋扈する薬師寺シリーズの世界においては、万人を説得できる錦の御旗的な力を科学は失ってしまっている、という「今そこにある厳然たる作中事実」を直視したらどうなのですかね、この連中は。第一、「昭和初期の日本陸軍」が血液型性格分類を実験的に導入したことに一体どんな「非科学的」な問題があったというのでしょうか?
 戦前の旧日本陸軍が昭和初期に血液型を元にした部隊編成を行った最大の理由は、当時の日本で軍隊蔑視が蔓延していたために軍人志望者が少なく、軍隊は慢性的な人材不足に苦しんでいたことから、将兵ひとりひとりの「気質」および「能力」を正しく分析・把握し、軍隊の組織作りに生かす手段が必要とされていたという事情があります。今でこそ、血液型性格分類は「現時点では科学的根拠がまだ見つかっていない空論に過ぎない」という結論に至っていますが、当時はまだ一学説として提唱されたばかり。その学説が正しいかどうかもまだ分からない状態だったので、「少ない人材を効率よく配置しなければならない」「では試験的にやってみるか」ということで導入されたわけです。
 そして、実際に血液型による気質・性格・能力等の統計を行い、実験的に分類された部隊から調書を集め、全体的な傾向や分析方法についての研究が行われた結果、期待した成果は得られなかったとして、1931年に血液型性格分類による部隊編成は廃止されています。
 実はこの手順はまさに「科学的な研究の過程」そのものなんですよね。どんな学説も、実際に実験し結果が出るまでは「仮説」に過ぎませんし、その証明のために様々な実験が実際に繰り返されてデータが収集され、その結果として「現時点では科学的根拠がない」という最終的な判定が下されたのですから。旧日本軍による血液型性格分類の壮大な実験は、一般的に信頼されている科学的な説とは最終結果で明暗が別れているだけで、その動機および研究過程は極めて「科学的」なものだったのですし、また「現時点では科学的根拠がない」という結果が得られたことによって初めて、泉田準一郎のごとき「非科学的」というレッテル貼りな主張もできるようになったわけです。
 科学の世界では、それまで全く唱えられたことのなかった突拍子もない新説について真面目な研究や実験が行われること自体は何ら珍しいことではありません。元々科学的・技術的な研究や実験で「実際に役に立つ成功結果」が上げられるのは全体の1パーセントあるかどうかですし、残り99パーセントの失敗も「確定的結果を出した1データ」としては重要な知的財産になります。そして「失敗は成功の母」という格言が示すように、その失敗データ全てを含めた過去の知的財産の蓄積が、結果として「1パーセントの成功を生み出す糧」にもなっているのですから、たとえ研究・実験が「現時点では科学的根拠がない」という結論に終わったとしても、その結果を出した研究・実験そのものは大いに意義があるものでしょう。むしろ、既存の価値観にしがみついて問答無用で「非科学的」というレッテルを貼る行為こそが、本当の意味での「非科学的」な所業以外の何物でもないのです。
 実際、旧日本軍の「科学的」な実験に「非科学的」というレッテルを貼って嘲笑している泉田準一郎自身はと言えば、作中で登場する様々なオカルト理論や技術について「科学的」に分析を行ってその実態について知ろうとするどころか、「あれはこの世にあってはならないもので、だからこそ亡びたんだと思います」などと存在そのものを頭から全否定して封印することすら求める始末です。現実世界はいざ知らず、薬師寺シリーズの世界ではオカルト的な存在や現象が「実際に」確認&認知されているのですし、それらについて科学的な分析を行うことは、オカルトを駆使した犯罪に対する抑止力や対処能力を身につけることにも繋がり、大げさに言えば科学一辺倒な人類の発展およびそれに伴う弊害の改善にも大きく寄与する可能性すら見出しえるかもしれないというのに、その選択肢と可能性を現実無視かつ時代錯誤な固定観念から闇に葬り去ろうとしているわけです。これこそ「非科学的」な醜態を晒している以外の何だというのでしょうか。
 全く、昭和初期の日本陸軍や二十一世紀の日本人などよりもはるかに、泉田準一郎の存在そのものが「どうやらずっと非科学的らしい」と評さざるをえないところなのですけどね(爆)。

 前巻に引き続き、薬師寺シリーズ8巻「水妖日にご用心」も1巻2考察で進行致します。
 続きはまた次回。

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