4代目掲示板過去ログ

WEBRANKING テキストサイト部門 サイトランキング 文学・小説・童話部門 mixiチェック

このエントリーをはてなブックマークに追加

投稿ログ424 (No.8003 - No.8010)

親記事No.7904スレッドの返信投稿
board4 - No.8003

Re8001/8002:薬師寺シリーズ諸々レス

投稿者:冒険風ライダー
2008年04月20日(日) 11時55分

>ダボさん
<ホラーにおいて怪物を謎のまま引っ張るというのはそんなに特殊なことなんですかね?
「妖怪が直裁的に暴れている描写」が無ければホラー小説として認められないというのも随分と偏った意見だと思いますが?>

<一見オカルトに見えて実は合理的のミステリーもあれば、合理的世界と思わせて実はというホラーもあるでしょう。
そもそもこれはホラーアクション小説であり、むしろ「これは【当初は】ミステリー系推理小説だった」と断定するには至らないのでは?というのが私の主張なので、別に断定できなくてもそういう考え方も出来る程度で問題ありません。
ミステリーの要素といってもせいぜい涼子達が警察として関係者に話を聞いた程度で、「怪しい発光現象を調査に来た科学特捜隊(ウルトラ警備隊の方が相応しいか)」程度のものでしかないと思いますが。>

 「ホラー小説として認められない」ではなく「ミステリー系推理小説の要素を否定しなければならない理由がない」ですね、私の主張は。
 他の作家はいざ知らず、こと田中芳樹が執筆するホラー系作品の場合、怪奇的事件の発生と同時またはその直前に妖怪や怪物も一緒に出してくる傾向があるんですよね。前にも比較対象として出した「夏の魔術」や「夢幻都市」は間違いなくそうですし、薬師寺シリーズ自体、2巻以降はこの傾向に忠実に沿っています。しかし「魔天楼」はそうではない。今までの田中作品の傾向とは明らかに異なる流れが発生しているから、「これは今までとは違うジャンルの小説ではないか?」と考えるのはそれほどに不自然なことでしょうか?
 また、「魔天楼」の講談社ノベルズ版では裏表紙に「警察ホラー」という紹介があったようですが、私が持っている講談社文庫版にはそういう「ジャンルを特定できる紹介文」がないんですよね。「世にも奇怪な事件」という文言はあるのですけど、これってミステリー系推理小説でも普通に使われそうなシロモノですし。この辺りも、私とダボさんで第一印象に違いが生じた理由かもしれません。
 いずれにしても、この辺りは「物語序盤の描写から受ける【第一印象】」の話ですし、そんなものは人間の数だけ解釈があるものであって、絶対の正解があるものでもないでしょう。そして、「【当初は】ミステリー系推理小説を志向していたのではないか?」の問題については、これだけでなく作中のオカルト否定描写や田中芳樹のインタビュー記事も併用して論拠にしているのですから、それが万人に受け入れられるかどうかはともかく、一定の推論としてはそれなりに成立しているものではあるのではありませんか?

<結局ファン(信者)にしてみれば、「勝手に読み違えておいて、何を見当はずれの批判しているの」で終わりにされるのではと思うのですよ。
ミステリー小説で『「犯罪の不可能性」や「妖怪の存在や怪異事件である可能性」を全て合理的に説明』したことに対して、「【当初は】ホラー小説を志向していたのに突然ミステリー小説に変わった」と批判するのと同じこと・・・とは言いませんが、「誰もミステリー系推理小説などと言ってないのにそれの出来が悪いと言われてもそんなことは知らん」で済まされるのではという懸念の方が強いです。>

<「ミステリー系推理小説としての薬師寺シリーズ」と言ったところで「見当外れ」と聞く耳を持たない可能性があるので、「ホラーアクションとして見た薬師寺シリーズを全く評価していない」のなら「ホラーアクションの観点から見た薬師寺シリーズは」「ダメダメである」だけで十分。と、いうのが私の主張です。>

 そんなことを言い出したら、ホラーアクションとして見た上での評価でさえ、ファンから「見当ハズレ」と見做される可能性は多分に存在しますよ。現に今、「(薬師寺シリーズは)キャラ萌えする人だけが読む物です」「まともに批判しても読者には絶対に届かないですね」などと主張する人がタナウツ掲示板にもお目見えしているわけですし(笑)。
 創竜伝でも、「評論が目当てではなく、作中のキャラクターが好きだから」という理由で読んでいる人が多いのではないかということが過去に議論されていましたが、では過去にタナウツで論じられた社会評論向けの検証論は、キャラクター目当てで創竜伝を読んでいる彼ら彼女らにとっては「見当ハズレ」なものだから全て無意味なものだった、ということになるのでしょうか? 彼ら彼女らとは目的や志向が異なるにせよ、それなりに惹きつけるものはあると、私は今でも確信していますがね。
 ここで問題になっている「ミステリー系推理小説の観点から見た検証論」にしても、私は「何故そのような視点から見るに至ったのか」についての経緯からそれなりの説明と論拠の提示は行っていますし、「ひとつの新しい視点から見た論」として他人を惹きつけるだけのものになっていると考えています。そして、私の論を読んだ人達がそれをどのように受け入れ、解釈するのかについては私が強制できることではありませんし、その結果、大多数の人から無視されて捨てられるものであるのならば、それは私の論がその程度のものでしかなかった、ということです。
 私の論をファンがどのように受け入れるか、ということについては、私が強制できることでもなければ、私の判断で左右できることでもないですね。

<「冤罪問題」については7990で同意しております。
涼子が、
<「青銅のライオン像までコンピューターに制御されていたわけじゃないでしょ。まさか、ロボットだったとも思えないしね」>
(ノベルズ版P46)
と言っている様にこれでは公判を維持出来ないでしょう。冤罪をでっち上げまでして何も解決出来ず、かえってダメージを広げています。
これでは厳密さ以前の問題でしょう。
例えばどういった処理をするか明らかにせず、涼子に「面倒な後始末はお由紀にでも任せるわ」とでも言わせて有耶無耶しても(作品の出来としてはともかく)ホラーなら許容範囲だと思いますが。>

 ここでの「同意」って、後処理の愚劣さについての同意であって、「オカルト否定」についての同意ではないですよね。もちろん私は、冤罪でっち上げの件についても大いに問題にしてはおりますが、今回あの描写を挙げたのは、冤罪をでっち上げる際に「【(怪物を対象にした)オカルト否定】を口実にしている」ことについての是非を問うためなのですから、後処理のことで同意されても回答になっていないのですが。
 それと、私が主張している「オカルトについて厳密な区別が必要」というのは、「オカルトを扱っている作品でオカルト否定を行っている」からこそ出てくる理論なのであって、最初からそんなことをしなければ、それこそ「単純な怪物退治」の話でことは終わっていたはずなのですけどね。単純であるはずの話をわざわざ複雑にかき回し、しかも作品の存在意義すらも否定しかねないものにしてしまっているのが件のオカルト否定なわけで、それを肯定するのであれば、そのようなデメリットを全て解消できるだけの確たる理論を提示しなければならないでしょう。だからこそ私は「【オカルトを扱っている作品でオカルト否定を行うのであれば】オカルトについて厳密な区別が必要」と何度も繰り返し述べているわけです。
 そして、他ならぬダボさん自身、No.7995で、ホラーアクション小説にオカルト否定があることは「作品の出来に対する大きな減点材料」であると認めていますよね? 一方でそう言っていながら、他方では薬師寺涼子のオカルト否定言動を「ホラーアクションではオカルトについて厳密な区別は必要ない」などと主張するから、それこそ単純な話がややこしくなってしまうのです。
 これ以上の話の混乱を避けるためにも、薬師寺シリーズにおけるオカルト否定に対するダボさん自身の立ち位置を一度明確なものにしてはもらえないでしょうか?

>つっくんさん
<冒険風ライダーさんてのは、田中センセが書いてあることはなんでも額面どおりに信じるんですか。それともそのフリをして田中センセを叩いているだけですか。
でもここまでけなしているのは額面どおり認識しているわけですから、カリンがユリアンに言った「民主主義って素敵ね」「だって伍長が中尉さんに命令できるんだもの、専制政治だったらこうはいかないわ」と言う台詞に対しては当然「田中は民主主義がわからないばか者だ。民主国家であれ上官に対し命令するなど軍令違反であり、そんなことも知らない田中は小説を書く資格がない」ってことになりますよね。じゃあ、「ろくでん」さんと一緒じゃないですか。逆にこれは男女の恋愛の機微だと言うならダブルスタンダードになりませんか。>

 全くなりませんね、当然のことながら。
 「作中キャラクターの主張はあくまでも作中キャラクターの主張とした上で、その内容についての批判を行い」というのは、そのキャラクターの主張が「どのような経緯から、どのような状況下で、どのようなスタンスから発言されたものか」についての検証も当然含んでいますし、「それが作品中でどのくらいの重要性を持っているか」についても考慮されます。ですので、作中キャラクターの主張を額面通りに受け止めるか否かは、その前後の描写や経緯によってケースバイケースで判断されることになります。
 現実世界の会話でも、相手がどのような状況下でどのような意図をもって発言しているかを自分なりに解釈した上で、それに応じた反応を返すものでしょう。それと同じことですよ。

<とにかく、涼子シリーズに皆が言及しないのは、愚作以外にも主役キャラが清清しいほど自己中心で首尾一貫しているからです。>

 論じる価値もないから無視している、そもそも買ってもいないから言及のしようもない、という可能性も少しは考えた方が良いのではないかと思いますが(笑)。
 他ならぬ私自身、今回の考察を始めるまでは、薬師寺シリーズは1度通読したら即本棚にしまってそれっきり、という状態でしたからね~。これでもファンとしては忍耐強くよく読んでいる方だろうな~、とひそかに自画自賛していたこともありましたし(苦笑)。

<ちなみにお涼が弱者保護なんてことは本心では言ってません。要は相手を怒らせるようにまぜっかえしているわけだから、なんでもいいのです。何度も言うように「自分自身に関しないことについては、涼子はよく正論を吐くのである」からです。>
<「オカルトに依存しながらオカルトを否定する滑稽な図式」として摩天楼の冒頭のレストランで呪いとか風水を信じてないとか出してましたが、デートの最中(泉田はともかく、お涼の主観ではそうでしょう)に、支配人が下らない話をしだしたら、さっさと打ち切って、デートの相手との甘い会話に戻りたいじゃないですか。もっとも旧日本軍の呪いは「信じているの」とは聞いたが別に否定していないですがね。>
<お涼は何度も言うように自分が楽しめればそれでいいので、「法を捻じ曲げ、無実の人間を牢獄に放り込む。これこそ権力者で無ければ出来ない楽しみじゃなくって?」とほざいている人間に良識を求めても無駄でしょ。大体真実にもあまり興味ないし(金儲けには凄く興味がありますがね)>

 本心であろうが何であろうが、自分の足元を顧みることなく、自分に跳ね返ってくるような悪口や批判などを展開している人間が、客観的に見ていかに醜悪なものであるか、ということを、私は田中芳樹や竜堂兄弟の阿呆共から徹底的に学んでおりましてね。たとえ売り言葉に買い言葉な状況であっても、というよりもむしろそのような状況「だからこそ」、そのような自分の弱点を敵の眼前で曝け出すようなキャラクターは救いようのない低能でしかありません。
 悪口や批判というのはただひたすら相手に叩きつけさえすれば良いというものではありません。その行動で他者からの共感を得るためには、その中身の正当性こそが問われなければならないのです。

<これは違いますね。「怪物の存在は絶対に認められない」と言ったのはお由紀です。お涼はこう言ってます。P177「今夜の事件について、公式発表の内容を良く考えていてください。合理的な説明でつじつまを合わせていただきたいんです」
じゃあなんでこんなことを言うのか。要は自分が大暴れした後に責任を負いたくないから、こう言ってるんですね。
同じページに「涼子が席を譲るのは、譲った相手に責任を押し付ける場合にかぎるのだ。要するに涼子は派手なアクションを引き受ける代わりに、地道な捜査や尋問は由紀子に押し付けることにしたわけだ」と書いてあるとおりで、説明責任を果たしたくないから、上司に「合理的な説明」を押し付けたわけです。その裏には(どうせバカな警察官僚は怪物の仕業なんて言えないでしょ)と官僚組織をバカにしきった態度があるからです。>

 薬師寺涼子が要請した「合理的な説明」には、「薬師寺涼子の責任回避」だけでなく「怪物の存在を公にしない」という条項も含まれているに決まっているでしょう。怪物の存在は、すくなくとも現段階で「合理的」には説明できないものですし、警察にしてみれば、怪物の存在を公にした上で全ての責任を押しつけてしまう方が、官僚組織の自己保身という観点から見てさえ有益だったのですから。あくまでも「薬師寺涼子の責任回避【だけ】」がしたいのであれば、その際に薬師寺涼子の名前を出さなければ良いだけの話です。
 「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」という支離滅裂な対応は、どちらも薬師寺涼子の意思であり警察への指示でもあるのです。

親記事No.7910スレッドの返信投稿
board4 - No.8005

Re:マヴァール年代記

投稿者:碧野
2008年04月22日(火) 12時25分

>  どうせ逃げる程無責任にもなれないくせにぐずるのは無駄
> 極まりないと思いませんか?

確かにそうですね。中途半端というか。

>  シミオンの場合、まず趣味の規模を狭めて少しは真面目に
> 働くつもりでないと黒羊公国そのものが取り潰されたかも
> しれません。

ツルナゴーラ戦でもいいとこなかったですね、彼。
やっぱりゲルトルートに惚れてしまったのが破滅の始まりですか。
あれが無かったらイムレも死なないしリドワーンも出奔しなかっただろうし、ずいぶん話が変わってたでしょうか。

>  カルマーンには忠実で有能な、領主の務まる部下も多い
> ですし、ヴェンツェルに「これあげるからおとなしく友達
> でいてね」というエサとしても有用ですし。

国公位といえば、ドラゴシュを国公にしたときって本来カルマーンには権限なかったような……
ドラゴシュ戦後にヴェンツェルが一人で(一応委任状があるといっても、本人からはもらってませんよね……みんな死んじゃったし)カルマーンを推戴してるし。まあ、法律通りにすれば永遠に皇帝は決まらないので、仕方ないですが。

親記事No.7904スレッドの返信投稿
board4 - No.8006

Re:再度整理

投稿者:ダボ
2008年04月22日(火) 17時06分

ちょっと混乱してきましたので「現状」での私の考えを整理してまとめたいと思います。
分かり難い点・間違いがありましたらご指摘下さい。

「薬師寺シリーズ」を「ホラー」とするのも少々違和感がありますが、「怪物が登場する物語」という意味で便宜上使います。(実際には「怪物も登場するラブコメ」ぐらいでしょうか)

基本的に問題となるのは涼子により「妖怪が犯人であると断定されるところまで」でしょう。

A)「魔天楼」は「【当初は】ミステリー系推理小説を志向していたのではないか?」

この場合の【当初】は、「着想」「構想」「執筆」段階ということでよろしいかと思います。
問題となるのは「執筆」段階で、「着想」「構想」の段階については特に否定することも無いですし問題は無いと思います。
「執筆」段階についても【当初は】どこに志向していようとも最終的に物語がどのように完成したかが問題となりますので、下記のB・Cに移りたいと思います。

B)「妖怪が犯人であると断定されるところまで」はミステリー系推理小説である。(冒険風ライダーさん)

大きな根拠となるのは、
   1.作者インタビュー等に基づくAの「ミステリー系推理小説を志向」
   2.「妖怪が犯人であると断定されるところまで」までの構成
   3.涼子による「幽霊や占い(=オカルト)の否定」
といったところでしょうか。
基本的に私は冒険風ライダーさんがそのような説をとることについては了解しております。
問題となるのは下記のC・Dですのでそちらに移ります。

C)「妖怪が犯人であると断定されるところまで」も含めてホラー小説である。(ダボ=私)

根拠としては、
   1.例え「執筆」段階の途中まで「ミステリー系推理小説を志向」していたとしても、完成した物語では最初の方から怪物についての伏線が貼られている。
   2.初めから怪物が登場するパターンもあれば謎として引っ張るパターンもあり、怪物が初めから登場しないからといってホラーであることが否定されるものではない。
   3.「幽霊や占いの否定」については、公にはオカルトの存在が認められていない世界での罵倒のセリフでありホラーの世界観を完全に壊す程ではない。
といった感じです。

また「夏の魔術」や「夢幻都市」といった他の作品や他の「薬師寺シリーズ」との比較についても、「新しいパターンに挑戦したが失敗したので元に戻した」という可能性もあり、あくまで「魔天楼」がどうだったのかということが一番重要でしょう。

ただ、
>  いずれにしても、この辺りは「物語序盤の描写から受ける【第一印象】」の話ですし、そんなものは人間の数だけ解釈があるものであって、絶対の正解があるものでもないでしょう。

とありますように、私のような説も考えられる(有り得る)ということでよろしければDに移りたいと思います。

D)Bの『「妖怪が犯人であると断定されるところまで」はミステリー系推理小説である。』という説に基づく批判の是非。

私の感じた違和感は、
「例え前半がミステリーの出来損ないであったとしても、後半を見れば全体としてのジャンルはホラーということになるのではないか」
「ならばミステリーであると納得しなければ見当外れで終ってしまう批判より、最初からホラーとして批判した方が効果的ではないか」
ということになります。

ただこれについても、Cの説も有り得ると認めていただけるなら引っ込めたいと思います。

> <「冤罪問題」については7990で同意しております。
> 涼子が、
> <「青銅のライオン像までコンピューターに制御されていたわけじゃないでしょ。まさか、ロボットだったとも思えないしね」>(ノベルズ版P46)

> と言っている様にこれでは公判を維持出来ないでしょう。冤罪をでっち上げまでして何も解決出来ず、かえってダメージを広げています。
> これでは厳密さ以前の問題でしょう。
> 例えばどういった処理をするか明らかにせず、涼子に「面倒な後始末はお由紀にでも任せるわ」とでも言わせて有耶無耶しても(作品の出来としてはともかく)ホラーなら許容範囲だと思いますが。>
>
>  ここでの「同意」って、後処理の愚劣さについての同意であって、「オカルト否定」についての同意ではないですよね。もちろん私は、冤罪でっち上げの件についても大いに問題にしてはおりますが、今回あの描写を挙げたのは、冤罪をでっち上げる際に「【(怪物を対象にした)オカルト否定】を口実にしている」ことについての是非を問うためなのですから、後処理のことで同意されても回答になっていないのですが。

え~と、よく分からないのですが。。。

ここでの「オカルト否定」というのは「作品世界においてオカルトは存在しない」という意味ですよね。
ですから冒険風ライダーさんは「幽霊や占いを否定」するセリフがあることで「作品世界においてオカルトは存在しない(=ミステリー)」とした訳です。

一方の私は(作品世界の)世間一般では幽霊や占いは否定されている(信じられていない)ことにつけ込んだ罵倒であるとも考えられ、それについて説明が無くともただちに「作品世界で」オカルトが存在しないことになるとは一概に言えない。(ただしミステリーならその辺りもしっかり説明しないとアンフェアになるかもしれない。)となります。

で、「冤罪問題」は「怪物(=オカルト)の隠蔽」という問題なのではないですか?
今回怪物の存在により「作品世界においてオカルトは存在」することは確定しました。それを「理由不明」で隠蔽する為に冤罪まででっち上げることが問題なのであり、認めようと認めまいと存在する以上、「怪物の存在は絶対に認められない」や「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」などと「オカルト否定」はニュアンスが違うと思うのですが。

>  そして、他ならぬダボさん自身、No.7995で、ホラーアクション小説にオカルト否定があることは「作品の出来に対する大きな減点材料」であると認めていますよね? 一方でそう言っていながら、他方では薬師寺涼子のオカルト否定言動を「ホラーアクションではオカルトについて厳密な区別は必要ない」などと主張するから、それこそ単純な話がややこしくなってしまうのです。
>  これ以上の話の混乱を避けるためにも、薬師寺シリーズにおけるオカルト否定に対するダボさん自身の立ち位置を一度明確なものにしてはもらえないでしょうか?

>「ホラーアクションではオカルトについて厳密な区別は必要ない」などと主張するから

どちらかと言えば「ミステリーぐらいでしかそこまでの厳密さは求めない」ですね。
なので7986で「【ミステリー小説】であることを前提に見ているのでおかしいと感じられるかもしれませんが」と言っている訳です。

ミステリーというのは精緻さが求められるものです。矛盾する記述があったり手掛かりに不足があればミステリーとして成立しない、そうした論理的なジャンルがミステリーな訳です。
しかし通常の(他のジャンルの)物語にはそこまでの厳密さは要求されません。許容される範囲がずっと広いのです。ですので「幽霊や占いを否定したセリフ」にしても「怪物までは否定していない」とか「単に罵倒する為に言ったもの」とかいった理由が思い付ける程度であれば、程度問題はあっても許容は可能だろう。となる訳です。
ただそうは言っても物語の出来(完成度)の点から見ればそのような許容ギリギリなもの(=大きな減点材料)など無い方が良いでしょう。

親記事No.7904スレッドの返信投稿
board4 - No.8007

Re8006:「オカルト否定」の意味

投稿者:冒険風ライダー
2008年04月23日(水) 13時42分

> C)「妖怪が犯人であると断定されるところまで」も含めてホラー小説である。(ダボ=私)
>
> 根拠としては、
>    1.例え「執筆」段階の途中まで「ミステリー系推理小説を志向」していたとしても、完成した物語では最初の方から怪物についての伏線が貼られている。
>    2.初めから怪物が登場するパターンもあれば謎として引っ張るパターンもあり、怪物が初めから登場しないからといってホラーであることが否定されるものではない。
>    3.「幽霊や占いの否定」については、公にはオカルトの存在が認められていない世界での罵倒のセリフでありホラーの世界観を完全に壊す程ではない。
> といった感じです。
>
> また「夏の魔術」や「夢幻都市」といった他の作品や他の「薬師寺シリーズ」との比較についても、「新しいパターンに挑戦したが失敗したので元に戻した」という可能性もあり、あくまで「魔天楼」がどうだったのかということが一番重要でしょう。
>
> ただ、
> >  いずれにしても、この辺りは「物語序盤の描写から受ける【第一印象】」の話ですし、そんなものは人間の数だけ解釈があるものであって、絶対の正解があるものでもないでしょう。
>
> とありますように、私のような説も考えられる(有り得る)ということでよろしければDに移りたいと思います。

 私もダボさんの説もひとつの意見として有り得る、として良いと考えます。もうこの問題は双方共に自分の論拠を言い尽くしていて、後は一連の議論を閲読するROMひとりひとりの判断に委ねるべき段階にあると思いますし。
 ただひとつ、異論があるとすれば、やはり「オカルト否定」についてですね。

<ここでの「オカルト否定」というのは「作品世界においてオカルトは存在しない」という意味ですよね。
ですから冒険風ライダーさんは「幽霊や占いを否定」するセリフがあることで「作品世界においてオカルトは存在しない(=ミステリー)」とした訳です。>

<で、「冤罪問題」は「怪物(=オカルト)の隠蔽」という問題なのではないですか?
今回怪物の存在により「作品世界においてオカルトは存在」することは確定しました。それを「理由不明」で隠蔽する為に冤罪まででっち上げることが問題なのであり、認めようと認めまいと存在する以上、「怪物の存在は絶対に認められない」や「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」などと「オカルト否定」はニュアンスが違うと思うのですが。>

 ミステリー系推理小説の観点から薬師寺シリーズを論じた際における「オカルト否定」は、まさに「作品世界においてオカルトは存在しない(=ミステリー)」という意味でしたし、実はその観点から例の電波かつ突発的な妖怪犯人説を批判してもいたのですけど、ホラーアクションとしての視点から論じて以降は意味合いが変わっているんですよね。ホラーアクションの場合は「オカルトに何らかの形で関わっている者がオカルト否定を【唱える行為】自体が作品の世界観を崩壊させる」ということになるわけでして。
 オカルトに何らかの形で関わっている者がオカルト否定を唱える、という行為は、まず構造的に「自分が関わっているオカルトの存在自体を否定する」「自分がオカルトと関わっている全ての行為を否定する」ということになってしまいますし、「じゃあお前が関わっているそれは一体何なんだよ」というツッコミがすぐさま飛んでくることになります。これが「作品の世界観を崩壊させる」ということに繋がるわけです。
 そして、作品世界においてオカルトが存在することは確定しているにもかかわらず、その状況下でなお「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」などと主張する行為は、「魔天楼」序盤にある風水や呪いに対するものとは比べ物にならないほどに病的な「オカルト否定」となるわけです。この場合の「認められない」という行為は「存在そのものを全否定する」と完全に同義ですし。
 「魔天楼」の作中でもっともオカルト(=妖怪・怪物)と関わっているはずの薬師寺涼子がわざわざ「オカルト(=妖怪・怪物)を認めてはいけない(=存在自体を全否定すべきである)」などを主張する行為も論拠も意味不明かつ支離滅裂なものであるならば、そんなものを理由に冤罪行為をやらかしているのもこれまた意味不明な上に悪質極まりないものであるわけで、私はその両方を問題にしているのでしてね。ですので、今回の考察で私が一番問題にしている「オカルト否定」は、実は序盤の描写ではなくここだったりするわけです。
 薬師寺シリーズ考察本編でも、

<目の前でオカルティックな事件が発生し、多大な死傷者や被害が発生しているというのに、科学的・合理的に説明できないからその存在自体が認められない、というのでは、それこそ宗教的な狂信者やオカルト信奉者とどこが違うというのでしょうか。>
<オカルトに依存しながらオカルトを全否定するという、「魔天楼」のみならず薬師寺シリーズ全体を蝕む病理を、この問題はこれ以上ないほど醜悪かつグロテスクに象徴していると言えるでしょう。>

と私は述べていますし、その辺は充分に汲み取って頂けるのではないかと思うのですが。

<しかし通常の(他のジャンルの)物語にはそこまでの厳密さは要求されません。許容される範囲がずっと広いのです。ですので「幽霊や占いを否定したセリフ」にしても「怪物までは否定していない」とか「単に罵倒する為に言ったもの」とかいった理由が思い付ける程度であれば、程度問題はあっても許容は可能だろう。となる訳です。
ただそうは言っても物語の出来(完成度)の点から見ればそのような許容ギリギリなもの(=大きな減点材料)など無い方が良いでしょう。>

 前にも言いましたが、「単に罵倒する為に言ったもの」という理由で薬師寺涼子のおバカな行動は容認できないですね。自分の足元をおろそかにし、即座に自分に跳ね返ってくる悪口や批判を繰り出している人間がいかに愚劣で無様かつ醜悪なものであるか、という命題の実例を、私は田中芳樹や竜堂兄弟も含めてイヤになるほど見てきたものですし。
 それにオカルト問題に限らず、薬師寺涼子の主張って「お前が言うな」だけで叩き返せるシロモノが多過ぎますからね~(苦笑)。私も一体何度「少しは自分の足元を顧みたらどうだ?」というツッコミを入れたことやら(>_<)。

親記事No.7910スレッドの返信投稿
board4 - No.8008

Re:マヴァール年代記

投稿者:S.K
2008年04月24日(木) 08時55分

> ツルナゴーラ戦でもいいとこなかったですね、彼。
> やっぱりゲルトルートに惚れてしまったのが破滅の始まりですか。
> あれが無かったらイムレも死なないしリドワーンも出奔しなかっただろうし、ずいぶん話が変わってたでしょうか。
>
まずはごめんなさい、シミオンとストゥルザを取り違えて
ました(汗)。
 しかしやっぱりシミオンが虎翼国公というのは苦しい
でしょうね、周囲の見る目も「国公未亡人の間男」に近い
ものがあったでしょうし。
 イムレ亡き後は大人しく逐電してどこかの田舎で山羊飼って
イモ作って美人の妻との愛に生きた方が幸せになれたんじゃ
ないかと。

> 国公位といえば、ドラゴシュを国公にしたときって本来カルマーンには権限なかったような……
> ドラゴシュ戦後にヴェンツェルが一人で(一応委任状があるといっても、本人からはもらってませんよね……みんな死んじゃったし)カルマーンを推戴してるし。まあ、法律通りにすれば永遠に皇帝は決まらないので、仕方ないですが。

 いや、ドラゴシュを国公にするのは「邪魔なドラゴシュの兄を
始末して首尾よくカルマーンがマヴァール国王になったら」の
約束ですから、任命時にはその権限はあるかと思います。
 ドラゴシュも「約束を果たせ」とカルマーンに請求してますし。

親記事No.7904スレッドの返信投稿
board4 - No.8009

Re:Re8006:「オカルト否定」の意味

投稿者:ダボ
2008年04月25日(金) 15時14分

>  ただひとつ、異論があるとすれば、やはり「オカルト否定」についてですね。

私と冒険風ライダーさんとでは「作品の世界観を崩壊させる」「認められない」辺りの解釈に違いがあるような気がするのですが。

>  ミステリー系推理小説の観点から薬師寺シリーズを論じた際における「オカルト否定」は、まさに「作品世界においてオカルトは存在しない(=ミステリー)」という意味でしたし、実はその観点から例の電波かつ突発的な妖怪犯人説を批判してもいたのですけど、ホラーアクションとしての視点から論じて以降は意味合いが変わっているんですよね。ホラーアクションの場合は「オカルトに何らかの形で関わっている者がオカルト否定を【唱える行為】自体が作品の世界観を崩壊させる」ということになるわけでして。
>  オカルトに何らかの形で関わっている者がオカルト否定を唱える、という行為は、まず構造的に「自分が関わっているオカルトの存在自体を否定する」「自分がオカルトと関わっている全ての行為を否定する」ということになってしまいますし、「じゃあお前が関わっているそれは一体何なんだよ」というツッコミがすぐさま飛んでくることになります。これが「作品の世界観を崩壊させる」ということに繋がるわけです。

一概には言えないのではないでしょうか。
例えば『「オカルトに何らかの形で関わっている者が」自分の正体を隠す為に「オカルト否定を【唱える行為】」をする』なんてのはありがちな話ですし、ケースバイケースで見る必要はあるでしょう。

>  そして、作品世界においてオカルトが存在することは確定しているにもかかわらず、その状況下でなお「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」などと主張する行為は、「魔天楼」序盤にある風水や呪いに対するものとは比べ物にならないほどに病的な「オカルト否定」となるわけです。この場合の「認められない」という行為は「存在そのものを全否定する」と完全に同義ですし。

はたしてそうでしょうか?
『「存在そのものは肯定する」からこそ「その存在を隠蔽」するために「オカルト否定を【唱える行為】」をする』ということも考えられると思いますが。
「認められない」=「存在そのものを全否定する」というよりは「受け入れられない」の方が近いのではないでしょうか。

>  「魔天楼」の作中でもっともオカルト(=妖怪・怪物)と関わっているはずの薬師寺涼子がわざわざ「オカルト(=妖怪・怪物)を認めてはいけない(=存在自体を全否定すべきである)」などを主張する行為も論拠も意味不明かつ支離滅裂なものであるならば、そんなものを理由に冤罪行為をやらかしているのもこれまた意味不明な上に悪質極まりないものであるわけで、私はその両方を問題にしているのでしてね。ですので、今回の考察で私が一番問題にしている「オカルト否定」は、実は序盤の描写ではなくここだったりするわけです。
>  薬師寺シリーズ考察本編でも、
>
> <目の前でオカルティックな事件が発生し、多大な死傷者や被害が発生しているというのに、科学的・合理的に説明できないからその存在自体が認められない、というのでは、それこそ宗教的な狂信者やオカルト信奉者とどこが違うというのでしょうか。>
> <オカルトに依存しながらオカルトを全否定するという、「魔天楼」のみならず薬師寺シリーズ全体を蝕む病理を、この問題はこれ以上ないほど醜悪かつグロテスクに象徴していると言えるでしょう。>
>
> と私は述べていますし、その辺は充分に汲み取って頂けるのではないかと思うのですが。

今回、なぜ「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」のかという理由は無かったのですが、もし理由があり、それを由紀子や総監が(出来れば読者も)納得するなら、それがこの作品の世界観だと思うのですよ。
例えば仮にですが、「オカルトの存在を認めることは近代社会が生まれてからこれまで積み上げてきた知識体系を根本から覆すものであり、不安を煽り社会の混乱を招くものなので、今回の件の真相を公表しない。」とでも理由付けしたとしましょう。
これを否定するのは可能ですが、それはあくまで説得力の有無といった設定の問題であり、「世界観を崩壊」させたという問題では無いと思うのですが。

もちろん今回はその理由が書いていませんし、そもそも「冤罪行為」をさせなくても、あるいは後処理について有耶無耶にしても話を進めることは可能でしょう。ただそれも構造上の問題であって「世界観」の問題ではないと思います。

例えば「オカルトが存在する」にも関わらずそれが一般に認知されていないのは、他の国で起こった事件の場合も同じように隠蔽されていると考えられます。ならばそのように隠蔽することは作品の世界観に合致することでしょう。
あるいは今回の事件が近代に入って始めてのケースであり、今後このような事件が起きるか分からないなら、世間の常識とそれに基づく反応を考えて「事勿れ」で真相を公表しない、というのもいかにもありそうです。

少なくとも<科学的・合理的に説明できないからその存在自体が認められない>というより「(何らかの理由で)その存在自体を受け入れられない」の方がニュアンスとして近いのではと思います。

>  前にも言いましたが、「単に罵倒する為に言ったもの」という理由で薬師寺涼子のおバカな行動は容認できないですね。自分の足元をおろそかにし、即座に自分に跳ね返ってくる悪口や批判を繰り出している人間がいかに愚劣で無様かつ醜悪なものであるか、という命題の実例を、私は田中芳樹や竜堂兄弟も含めてイヤになるほど見てきたものですし。
>  それにオカルト問題に限らず、薬師寺涼子の主張って「お前が言うな」だけで叩き返せるシロモノが多過ぎますからね~(苦笑)。私も一体何度「少しは自分の足元を顧みたらどうだ?」というツッコミを入れたことやら(>_<)。

「幽霊や占いの否定」については、作中でも涼子が傍若無人で理不尽な性格であることは何度も言及されています。
ですので、『世間の一般人と同様に実際にオカルトが存在するということを知らない、話題変えようとして幽霊の話を持ち出した、風水学に造詣が深い上司を持つ』支配人に対していやみ(罵倒)の意味を込めて「幽霊や占いの否定」の話をしても、涼子の性格からすればやりかねないというのは十分考えられることですし、作品世界を破壊するというほどでもないと思うのですが。

親記事No.7904スレッドの返信投稿
board4 - No.8010

Re8009:オカルトを否定する理由の欠如

投稿者:冒険風ライダー
2008年04月26日(土) 02時22分

<一概には言えないのではないでしょうか。
例えば『「オカルトに何らかの形で関わっている者が」自分の正体を隠す為に「オカルト否定を【唱える行為】」をする』なんてのはありがちな話ですし、ケースバイケースで見る必要はあるでしょう。>

<はたしてそうでしょうか?
『「存在そのものは肯定する」からこそ「その存在を隠蔽」するために「オカルト否定を【唱える行為】」をする』ということも考えられると思いますが。
「認められない」=「存在そのものを全否定する」というよりは「受け入れられない」の方が近いのではないでしょうか。>

 薬師寺涼子は、自分の電波な妖怪犯人推理を警視総監や室町由紀子に自慢気に語り倒していましたし、泉田準一郎と二人きりの場面でも「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」などと堂々と主張していたわけですが、これらの行為のどこに「自分の正体を隠す」「オカルトを隠蔽する」などといった意図が存在するのですか? もちろん、薬師寺涼子は冗談やギャグを企図しているわけでもなく大真面目に語っているのですから、素でオカルトを(その存在が確認されているにもかかわらず)全否定する行為以外の何物でもないのですが。
 また、薬師寺シリーズの世界におけるオカルト事件は今回が初めてだったわけでもなければ、薬師寺涼子が自分のオカルト退治等の経歴を隠している形跡もありません。あのスレイヤーズのパクリな「ドラよけお涼」のネーミングの存在自体がそれを証明していますし、2巻の「東京ナイトメア」には、薬師寺涼子が所属している警視庁内の部署が、他の捜査官の間で「怪奇犯罪捜査チーム」として認識されているという記述が存在します(講談社ノベルズ版P32~P33)。今回の事件だけをことさら隠蔽することに、一体何の意味があるというのでしょうか?
 それに、この場合の「認められない」というスタンスを貫こうとすると、すくなくとも対外的には「存在そのものを全否定する」という態度を取らざるをえなくなるわけですし、オカルトの存在が確認されている上に大事件にまで発展しているのに「受け入れられない」も何もないでしょう。何度も言っていますが、そういう状況でさえ「認められない」という態度を取るというのであれば、そういう考えを持つに至った理由とメリットを「作中で」きちんと説明するべきです。それがないから意味不明かつ支離滅裂だと私は評価するわけですし。

<今回、なぜ「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」のかという理由は無かったのですが、もし理由があり、それを由紀子や総監が(出来れば読者も)納得するなら、それがこの作品の世界観だと思うのですよ。
例えば仮にですが、「オカルトの存在を認めることは近代社会が生まれてからこれまで積み上げてきた知識体系を根本から覆すものであり、不安を煽り社会の混乱を招くものなので、今回の件の真相を公表しない。」とでも理由付けしたとしましょう。
これを否定するのは可能ですが、それはあくまで説得力の有無といった設定の問題であり、「世界観を崩壊」させたという問題では無いと思うのですが。>

<少なくとも<科学的・合理的に説明できないからその存在自体が認められない>というより「(何らかの理由で)その存在自体を受け入れられない」の方がニュアンスとして近いのではと思います。>

 その「何らかの理由」なるものが作中で何も説明されていないからこそ、「怪物の存在は絶対に認められない」「警察と科学者がオカルトを認めちゃいけない」云々の言動は字面通りに解釈するしかない上に、意味不明かつ支離滅裂な自爆行為であるとしか見做しようがないのですけどね。
 ましてや、薬師寺涼子は作中でオカルト(=妖怪・怪物)と最も深く関わっていた人間です。にもかかわらず、作中世界では完全に破綻したことになる上、自己否定にもなりかねないオカルト否定をことさら「素」で語らなければならない理由が一体どこにあるというのでしょうか。もちろん、こちらについても作中には明確な説明など存在しません。
 これで世界観が維持できることの方が驚異以外の何物でもないのですが。

<「幽霊や占いの否定」については、作中でも涼子が傍若無人で理不尽な性格であることは何度も言及されています。
ですので、『世間の一般人と同様に実際にオカルトが存在するということを知らない、話題変えようとして幽霊の話を持ち出した、風水学に造詣が深い上司を持つ』支配人に対していやみ(罵倒)の意味を込めて「幽霊や占いの否定」の話をしても、涼子の性格からすればやりかねないというのは十分考えられることですし、作品世界を破壊するというほどでもないと思うのですが。>

 「傍若無人で理不尽な性格」でありさえすれば、自分で自分の足を撃つようなおバカな言動をやっても許されると? そういう「罵倒最優先で自分を顧みることができない惨状」も含めて、薬師寺涼子は救いようのない低能であると私は主張しているのですがね。「傍若無人で理不尽な性格」などというシロモノは、薬師寺涼子の言動を正当化できる理由にはなりえません。
 そして、薬師寺涼子がバカだということになれば、それは薬師寺シリーズという作品が定義する「薬師寺涼子は(傍若無人で理不尽な性格ではあるが)聡明な女性である」という設定の大黒柱が倒れることになり、ひいては作品世界にも大きなダメージが与えられることになるのです。私が再三問題にしている「オカルト否定」も、最終的にはここに行き着くわけで、充分に問題にする価値のあることだと思うのですけどね。

WEBRANKING テキストサイト部門 サイトランキング 文学・小説・童話部門 mixiチェック

このエントリーをはてなブックマークに追加