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投稿ログ364 (No.6310 - No.6322)

親記事No.6268スレッドの返信投稿
board4 - No.6310

Re:試験方法自体によってなぜ生徒の興味が阻害されるの?+re6305巧妙なすり替え!?

投稿者:黒崎
2005年03月02日(水) 18時55分

 もちろん意識的にすりかえてやろうと思ったわけではありませんし、すりかわったとも思っておりませんでした。
 ですが聞きたいことに答えられていなかったのは申し訳なかったです。

 試験方法とその目的、授業方針は極めて関連の深いものです。授業でやってることと試験で問うことが全く別物なわけはないんですから。
 その教師が何を学ばせたいか、志向しているか、それが試験の内容を決めるのではないですか。
 一流大学への受験対策が目的であれば、パンツァーさんをはじめとする方たちが支持していらっしゃるところの、資料持ち込み不可・予告なし、で厳しく巡回し、本番さながらのやり方がふさわしいでしょう。
 ですが、私は、学校教育においては、その分野の面白さを伝えることを第一にすべきだと考えるので、授業内容を学生の意欲を生かし、参加を促すようなものにし、その結果定期試験で問うのはその内容の確認や整理にしたほうが望ましく、よって、ノートの持込を認める論述問題になる、ということです。

> 話がどんどん脱線しているのですが、
> 上のような問題は、試験方法と密接な関係があるのですか?

 試験の方法によって、授業の内容・方向性が変わってくる、と思うからです。
 従来のような試験や、受験対策を重視した「プレ模試」のような試験にするのであれば、生徒に参加させるようなディベートや、教科書に載っている事項に肉付けするようなエピソードや雑学を盛り込むことのできる余地が大幅に減ります。
 もちろんまったくできないわけではないでしょうが、息抜き代わりに少し、という程度になるはずです。
 受験対策を意図するのであれば、普段から問題演習に力をいればなければなりません、しかも一クラス50人の志望が同じ大学ということはないので、幅広く傾向と対策をカバーしなければならない、余分なことをやる余裕はなくなりますよね。
 つめこみを意図する場合も、教科書の内容をくまなく網羅しようとすれば、世界史には十分な時間が与えられていないので、やはり余計なことをしている余裕はありません。実際、予備校の講師に聞いた話ですが、特に近現代が普通の高校の指導では甘くなることが、指摘されておりました。

 それに対し、始のようなやり方であれば、授業内容にアドリブを効かせる余裕が多く取れる、と私は考えたのです。
 テーマを与えて学生に調べさせ、発表してもらうようにしたり、討論をさせてみたり、といったように、です。

 普通の宿題、が成績に関係ないんですか?
 私はてっきり普通の宿題やレポートも含めて、成績を出すのだと思っておりました。
 そして「公然たるカンニング」と仰いますが、私には今もって、「人のノートを写し、それを読みながら論述する」、あるいは「人のノートを二度写す」行為と、「人のノートを見て、その要点を暗記する」行為との間に、狡さの格差を感じられません。

 学生の地理の知識の欠如を「ゆとり教育」の責任に一元化してらっしゃるように見受けますが、「ゆとり教育」は暗記をさせなくなったわけではありませんよ?
 「ゆとり教育」は、教える内容の量を削減しただけです。授業時間数を減らしただけです。そしてそのしわ寄せを一番食ったのが理科・社会科です。大幅な時間減を強いられ、時間が減ったほどには教えるべきとされる内容が減っておらず、かえって詰め込みの度合いは悪化したとさえ言えます。
 小学校においては低学年で理科と社会科が「生活科」に統合されるなどし、教師は学習の支援者であるとした方針が比較的実施されたようですが、中学においては高校受験が控えているために徹底しませんでした。
 一度も憶えたことがない、暗記させられたことがない、というのは間違った認識であると思われます。

 学生の学力低下に少子化も大きく影響しているというのは、同意できます。
 また、子どもも昔とは違い、授業を成立させにくくしているという話をよく耳にしますね。それは社会の変化、家庭の変化に強く関わると思いますが、ここでは置きます。

 三国志の例えはよくなかったかもしれませんが、意図するところも伝わらなかったでしょうか?
 学位論文を書け、などと要求しているのではないのです。
 歴史学者を名乗る人でさえ、高校教科書の丸暗記などしていないでしょうに。

 もちろん、下手の横好きはありますし、教師が学生の興味の全責任を負うなどとは一度も申しておりません。
 ただ、大きな役割を果たす、と考えています。

親記事No.6268スレッドの返信投稿
board4 - No.6313

Re:「記述式、自筆ノート持ち込み可」の有利点は一体なんですか?

投稿者:黒崎
2005年03月02日(水) 19時58分

私が悪いと仰るんですか(笑)
不本意な言われようですが、まぁ、大事なことじゃありませんね

 それぞれの試験方法で、望ましくない学生について比較されてるわけですが、
 まず、自筆ノートの持込が認められない場合、書き写しではなくコピーになりますので、2と4では書き写す際の思考はなくなりますね。
 また、論述に求められる思考と、選択や単語を解答する思考は同じものでしょうか?

 4では自分流のーとの作成者が現れていますが、どうして他の学習法では現れないのですか?
 高校生というのは、誰も見ていなければ全員がカンニングするんでしょうか?

 やや単純化しすぎているように、なおかつ4に有利に設定されているように思われますね。

 私の判断で言えば、3>1>4≧2、となります。
 竜堂始のやり方は1であり、一般的な試験方法としてイメージされるのは4ですよね。
 理由は1における「すばらしいノートを2度写す」が4の「暗記作業+選択問題での思考(弱)」より勉強になると思うからです。

1極一部・・・素晴らしいノート作成と論述の思考
 一部・・・ノート作成と論述思考
 一部・・・素晴らしいノートの筆写と論述思考(弱)
 半ば・・・素晴らしいノートの筆写×2

4極一部・・・素晴らしいノートの作成、試験のための暗記、選択の思考
 半ば・・・ノートの作成、試験のための暗記、選択の思考
 一部・・・試験のための暗記、選択の思考
 極々一部・・・試験のための暗記(弱)、カンニング

 そして、悪い事例についての比較ですから、4の場合、暗記といっても成績優秀者のそれと、下位のそれとはまったく質が違いますよね?
 下位に行けばいくほど、教師が重要だと述べていることすら十分には暗記できていない状態になります。
 意欲も関心もないのですから、赤点さえ免れればいいわけです。バランスのために教師は平均点を60点程度に想定するでしょう、そうすると目標は30点越え、4~50点でいいことになります。
 他の教科も平行して試験が行われますから、どうしても比重は低くなりますから、時間をかけてじっくり暗記、なんてことにはなりえません。記号選びの運も多少影響するでしょうね、5~6点は変わりうるんじゃないでしょうか?
 結果として、試験が終わった瞬間にほとんど忘れてしまう程度の暗記で、なおかつ教師が平均に設定したラインに届かない、という状態の学生が半ばに達することになります。

 これに対して、1の方式の場合、教師が抑えたいと思ってることを、優秀な生徒がまとめた文章を、2度筆写するわけです。
 「書く」という作業の重要性は、受験戦争(古いか?笑)を乗り越えてきたみなさんならご理解いただけると思うのですが。

 1の場合だけ最悪の状態を想定し、4の場合はみんなが熱心に取り組む・・・という想定は不公平ですよね。

 そして逆に、望ましい成果を出せる生徒について見ますと、
 1の場合、3ほどの高いレベルではないにせよ、教師としてはまずもって満足すべき(主観だと怒られそうですが)勉強になります。知識が増え、その関連付けもできますよね。教科書を読んだだけでは身につかない幅のある知識です。また、調べていて出会った「余分な情報」に興味を抱き、余暇に発展させる・・・というようなことも起こりえます。付け加えさせていただけば、歴史を好きな生徒にとって、面白いと思えることだと思います。

 4の場合、後の受験につながる有意義な準備、知識の蓄積になるでしょう。

 以上から、私は1が4よりも優れていると考えるわけです。

親記事No.6268スレッドの返信投稿
board4 - No.6314

Re:どのように都合の良い生徒を対象とした議論なのでしょうか?

投稿者:黒崎
2005年03月02日(水) 20時15分

はじめまして
レスありがとうございます
清涼剤のようにすら思えます(笑)

とてもいい先生と出会うことが出来たんですね^^
教師と生徒、に関わらず、人間の関係は「相性」や「波長」といった理屈で説明できない(しにくい?)ことが大きな役割を持ちますよね。
方法論や理念のよしあしよりも、よほど大きな影響力がある、と言えるかもしれません。

私も、授業ごとに書き込まれた「自作」のノートと、書き写されたノートは違うものだと思いますし、仰られるように、真面目にノートを取ったから、いいノートを作れるから、点数も高くなる、というものではありませんね。

 意欲を持たせることに成功しても、点数があがると直接結びつけるのは、確かに無理があります。
 私がいいたいのは、歴史や地理などが暗記教科として嫌われている→しかしこれらにも面白さや、教養として大切な部分がある→意欲を持たせるためには面白さを伝えたい→授業で面白さを扱うには、教科書に載っていないことや、受験に必要ないことに多く時間を使う必要がある→竜堂始が用いたような、丸暗記を必要としない、ノートの持込を認めた論述のほうが、その方針に合っている。
 と、いうことなんですが、、、上手く説明できてるかどうか?

六月さんの仰ることはもっともです、折衷し、そのバランスを模索することが大切かもしれませんね。

 いい先生との出会いは、とても刺激に、そして支えになりますね、うらやましく思います^^

親記事No.6268スレッドの返信投稿
board4 - No.6315

Re:Re6300はぁ・・・

投稿者:黒崎
2005年03月02日(水) 22時26分

 もうあなたの相手はうんざりなんですがね
 現実が大好きなのはもう十分伝わってますし
 話の通じない人だということもわかりました
 自分の文章がおかしいと言われれば、お前の理解力がないからだと開き直ることもね
 せめて、「誤解を招いたかもしれないが、それはこういう意図だった。」という説明にならないんですかね。
 人を散々あしざまに言っておいて、お前の言い方が悪い、はやめてくださいね(苦笑)
 ご自分の主観なり価値観なり正義なりにしがみついていらっしゃって結構ですよ
 違う意見を言われれば、それを叩き潰さなければ、ご自分の意義を確かめられないんですか?

 あなたの不必要に攻撃的な論調に応じてしまった自分の愚かしさが反省材料ですね、勉強になりましたよ。

 私はあなたとけんかしたかったわけじゃないし、論破してやろうとしたわけでもない。
 あなたが現実に立脚して、竜堂始の教育方針を批判なさったのを読んで、現実はそうだけども、教育の本来の目的を考えると、歴史嫌いを増やしてばかりだった従来のやり方より、竜堂始のやり方のほうが、歴史を好きになる生徒を増やす可能性が高くて、望ましいあり方なんじゃないかな。と、述べたに過ぎません。

 順位の公表など全ての学校でやるわけではありませんよ
 最高点と平均点くらいのものです

 あなたはどれだけ現場をご存知なんです?
 えらそうに言うからには教壇に立ってらっしゃるんでしょうね。

 私は事実や現実を無視しているのではありませんよ
 それは問題が大きいから、変えた方がいいと思っている。と述べたのです。

 試験をクリアするための、直前の暗記、それがいかに残らないかはあなたも知っているはずです。
 そしてそれが試験以外にはたいして役に立たないことも。

 現実への対応を至上の課題とし、試験に合格しさえすればいいんだから、そのための訓練さえすればいい。
 そんなことしか考えられないなら、あなたと話をしても何の意義もありません。

 現実は神聖不可侵ででもあるかのようですね、あなたにとっては。
 現実に対応するだけで、問題意識も持たず、理想も持たず、、、それでふんぞり返ってるのだからたいしたものですよ。

 あなたは現実を崇拝しておられるようですが、私はその現実は歪んでいてよろしくない、できれば変えていく方がいいと思っているわけで、話がかみあうわけがない。

 私から見ればあなたの言い分の方がよほどばかげていて、評するなら無知蒙昧というところですよ。

 いいですか?試験直前に他人の作ったノートをコピーしたプリントから、試験に出そうなを暗記し、もちろんこんな暗記は試験が終われば殆ど忘れてしまうものですよ、それで赤点を免れてよしとする程度のものよりも、よくまとめられたノートを2度書き写す方がよほど勉強になる、と言っているのです。
 自筆ノートの持込を認めているのですから、それはもう不正ではない、記憶力なんか試したいと思ってないんですから、そんなルールは必要ない。ルールを守らない不公正な競争だなどと何度あなたがわめいたところで、そんな言い分はまったくもって筋違いなんですよ。定期試験では認められていたんだから、センター試験でもノートを持ち込んでいいはずだ、なんて誰も言わないんですから。いちいち言うまでもないほどに自明なことなんですがね。
 暗記のテストで40点取るよりも、まとめられた文章を筆写するほうがよほどためになるんですよ。

 確かに、私立の進学校などは、あなたの言うような営業努力もあって、受験対策、そのための技術を叩き込むことに注力しているでしょう。しかしそんな学校ばかりではない、スポーツに力を入れている学校もあるし、商業や工業のようにスキルを身に付けさせることを重視する学校もある、そして最も多いのは普通の公立校で、進学する生徒もいるだろうし、専門学校に進むもの、就職するもの、さまざま生徒がともに学んでいる場ですね。
 進学指導だけが至高の目的で、他のものはくだらない理想論だと一蹴なさりますか?
 作中の共和学院はどんな学校でしたっけ?
 少なくとも創設者が求めていた姿は、あなたのいうような現実への対応を旨とするものではなかったはずです。
 その精神からみれば、始のようなやり方は望ましいもの、完璧ではないにせよ、だったはずです。

<こんなことが言えるのであれば、私だって「あなたの意見は、学校の授業において、また試験において、1点を争うようなことはすべきでない、という立場から言えばもっともですが、それは間違っていると考える視点から見れば、肯えるものではないのです」とかいえてしまうわけなのですけど

そうですよ?私があなたの意見を理解はしても同意はしないのと同様、あなたはあなたの視点から、それは肯えない、でいいではないですか。一つの価値観に合意しなければならない必要はないんで、あなたが穏やかな論調を通してくだされば、もう少しましな話になったと思いますがね。たとえ、あなたにとって、私の意見が顧慮に値しなくても、ですよ。

<「あなた個人の主観的価値観」を披露されたりしたところで、そんなものには何ら普遍的かつ客観的な説得力が付加されることはありえないのですよ。
<あなたにとっては自明の理であることでも、あなたの価値を共有できない他人にとって、この現象は到底理解できないことなのですから。

 そっくりお返ししますよ
 競争意識を煽ることの害、点数でしか評価しないことの害、さまざまな問題が表れているのに、現実に拘泥し、その枠内で高い「社会的評価」を得ることこそが正しいのだ、、、どうぞそのお城の中で気取ってらしてくださいませ。

 私がいつ「人が変わったように」ドーピングを糾弾しましたか?学内の試験において人のノートを写すこととは性質が違う、決まりを破ったという点だけを見れば、入試でのカンニングと同じ枠組みにする理屈は理解できる、そう申し上げたに過ぎませんね。
 いまやドーピングは個人の問題ではありませんので、入試でのカンニングと同一視するのも、私としては採らざるところですがね。
 かなり性質の違うものを一面だけ見て同列に扱うあなたの神経を疑いますがね。

<客観的かつ公正な基準で評価
 あなたの信奉なさる現実は「努力」を客観的かつ公正に評価してなどおりませんよ。「結果」を公正に評価しているだけです。
 そして努力はイコール結果ではありませんね。
 結果だけで判断することは、ばれさえしなければルールを破ってもいいということになりかねないんですよ。だから不正が根絶できないでしょうが。
 あなたの大嫌いなルール違反の摘発は、教師や監督官の手腕や判断力によっているわけですね。冤罪で涙を呑む生徒がでないことを切に願いますよ。

 ドーピングの規定は、競技の公平さを保つこと以上に、選手を守ることが目的です。そのために体調が悪くても市販の薬を飲めないなどという問題点も聞きますがね。ま、余談ですが。

 私がしてることがアジテーションなら、あなたの役回りは体制擁護の御用文化人ですね(笑)
 あなたにとって、現実とそのための対応が何より大事で、理想を語るようなものは馬鹿にしか見えないことはよくわかりました。私から見ればあなたなど「ヒト」でしかありませんがね。
 もう苦痛をこらえてお返事なんてなさらなくて結構ですよ?
 あなたの傲慢で頑迷な言い分を読むのは私にとっても苦痛なのでね。

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board4 - No.6316

Re:試験方法自体によってなぜ生徒の興味が阻害されるの?+re6305巧妙なすり替え!?

投稿者:関八流
2005年03月03日(木) 01時16分

実際問題として、教育の現場で竜堂始式の教育法が採用されたことがあったでしょうか。
私立公立、進学校非進学校の区別なく、創竜伝中の学歴社会であった当時はもちろん、学歴社会ではなくなりつつある現在ですら、私の知る限りではありません。この掲示板でも物議を醸しているゆとり教育中にも試みられたという話は聞きません。
日本だけのことではなく、世界の多くの国々が同じような状況にあります。
百万言を費やすよりも、現場の現実が全てを明瞭に示しているのではないでしょうか。

親記事No.6268スレッドの返信投稿
board4 - No.6317

Re:試験方法自体によってなぜ生徒の興味が阻害されるの?+re6305巧妙なすり替え!?

投稿者:黒崎
2005年03月03日(木) 03時50分

> 実際問題として、教育の現場で竜堂始式の教育法が採用されたことがあったでしょうか。
 論述式の問題をそれまでより多めにしたり、教科書の持込を認めたりとかならば聞いたことがありますが、始のやり方を実際にやっているというのは聞いたことがありませんね。

> 日本だけのことではなく、世界の多くの国々が同じような状況にあります。
 海外、たとえばアメリカの高校の歴史の試験問題を見たことはないのですが、そうなのですか?日本の例えば進学校と同じやり方ですか?
> 百万言を費やすよりも、現場の現実が全てを明瞭に示しているのではないでしょうか。
 実際に、現場で、このやり方を一般的なものにできるか?できないでしょうね。
「現場の現実」にあっていないですし、実用的かと言われればそれも困難です。
 しかし、だからといって、彼のやり方や理念が間違っているのか、ということとは違うでしょう。
 本来、教育というものが、目指すものは、今のような受験のための訓練ではなく、歴史であれば、その魅力、面白さを伝えることにあると思うんですよね。もちろん理想論であることは承知していますよ。
 端的に言って、彼のやり方のほうが、世界史の勉強が面白くなりそうだな、と面白いと思ってもらえるチャンスが増えそうだなと、そういうことなんですが。

親記事No.6268スレッドの返信投稿
board4 - No.6318

Re:Re6268:「自筆ノート持ち込み可」の問題点

投稿者:黒崎
2005年03月03日(木) 04時37分

 アメリカの位置が分からない生徒が5割にいく、というのは極論のような気がいたします。
 また、全ての生徒がイランとイラクの区別がつく必要はない、というのも、もっともなことだ、と思いなおしました。
 自分が地理好きだったので、評価が偏ったと思います。
 知りたいと思ったときに地図を見ればいい、それだけのことでした。

>  高校の授業に求めたのは志望校に合格できるだけの学力を最小限の労力で身につけさせてくれることです。
>  おかげで、塾や予備校に通っていた人たちより充実した高校時代を過ごせました。
>  彼らが塾や予備校で受験勉強をしている時間に、部活や、読書ができました。
>  ホント、進学校に進んでおいてよかったです。

 なるほど、よかったですね^^
 他の人と比べる必要はないかとは思いますけど。
 あなたのように明確な目標を持って進学校に進んだのに、中で始のような授業をされては、確かに困りますね。
 その点は納得いたしました。
 進学のための指導を謳う進学校において、そのための授業を行い、そのための考査を行うというのは、まぁ当然ですよね。

<「受験の役にはたたないけど人生には大切なこと」を学校の”授業”で教えてもらおうと考えるほど甘ったれた人間じゃなかったので

 もちろん、そういうことは自分で学ぶもの、というのは正論かと思いますが、教育の場がそれを放棄してしまうのはどうなんでしょうか?そのために果たす役割も、大きいと思うのですが。
 多感な時期に、一日の3分の1を過ごす場所でもありますし。
 何か常軌を逸した事件がおこったりした時、その責任を学校の教育に求める風潮を感じませんか?
 また話がそれると怒られますね(笑)

 あなたの仰ることはもっともだと思える部分も多いのですが、定期試験で厳密に点数競争をさせるべきだ、というようなことは、やはり納得できません。
 理想論であることは承知しておりますが、その教科、その分野、部活動も含めて、色んなことを経験し、その魅力に触れることが、教育の場で行うのに望ましいことだ、と思うからです。
 そのためには、年号や名詞の丸暗記をもとめるのでなく、ノートを写していいから、なるべく自分で調べてノートをつくり、自分なりにまとめて書いてくれ、という方が、いいやり方だ、と思えてなりません。

 技術だけというのは確かに言葉が足りませんでしたね

 余分な科目、と呼んだのは、その学生が、受験に必要としない、受験しない、などの状況にあり、消極的な理由で世界史を選択した場合、というつもりでした。
「楽に」と述べたのは、確かにふさわしくない表現でした。
 私自身が筆写は大きな労力を要する、と述べているのに、これではいけませんね。

 ゆとり教育のせい、というよりは、それにともなう教育内容・時間削減のやり方がよくなかったのかな、と思っておりますが、地理学会の調査から、基礎学力の低下が問題であり、その改善のために・・・という主旨ではなく、国名や国の位置がわからないのは、従来の教育が、地理嫌いを徒に増やしてしまったせいではないか、ということがいいたかったのです。
 日本の基礎学力の水準は依然として高い水準にあるという点に異論はありません。1位から転落したのは、それまでランクに参加していなかった国が入ってきたからだ、という論文もありましたね。

親記事No.6268スレッドの返信投稿
board4 - No.6320

ご自身の問題提起の内容を把握してます?

投稿者:パンツァー
2005年03月03日(木) 13時59分

>  また、論述に求められる思考と、選択や単語を解答する思考は同じものでしょうか?
>  理由は1における「すばらしいノートを2度写す」が4の「暗記作業+選択問題での思考(弱)」より勉強になると思うからです。
>
> 1極一部・・・素晴らしいノート作成と論述の思考
>  一部・・・ノート作成と論述思考
>  一部・・・素晴らしいノートの筆写と論述思考(弱)
>  半ば・・・素晴らしいノートの筆写×2
>
> 4極一部・・・素晴らしいノートの作成、試験のための暗記、選択の思考
>  半ば・・・ノートの作成、試験のための暗記、選択の思考
>  一部・・・試験のための暗記、選択の思考
>  極々一部・・・試験のための暗記(弱)、カンニング

どうして、
1が論述式で、4が選択式、に限定されてしまうのですか?
(選択式って、ここでは、多肢択一選択や、年号の解答など短答式を総称した意味ですよね。)
都合の良い状況設定を行っていませんか?

従来の試験方法って、選択式に限られるのですか?
論述式だって、当然ありますよね。
大学の文科系の学部が課す試験問題は、論述式を採用しているところが多く、それに伴って、高校においても、論述試験に対応できるような教育(試験も含む)が行われていますよね。一体全体、何を根拠に、従来の試験方法に論述式がないかのようなことを主張するのですか?

No.6268で黒崎さんが立ち上げたテーマは、
より詳しく言えば、
「論述式」+「自筆ノート持ち込み可」+「問題の事前予告あり」
の三点セットである竜堂始の試験方式が、
従来の試験方法よりも優れている、っていうことでしたよね。

「論述式」と「選択式」の優劣を、問題提起しているわけでは、ないでしょう?

それとも、実は、
「自筆ノート持ち込み可」+「問題の事前予告あり」などはさして重要ではなく、
「論述式」と「選択式」の優劣を、問題提起しているのですか?
もしもそうだったら、No.6268の内容は、明らかに誤解を招く内容ですよ。
この場合は、No.6268の投稿自体を、撤回すべきですね。

従来の試験方法にも論述式がある以上、
上の三点セットである竜堂始の試験方式と比較すべきは、
従来における「論述式」の試験方法、になるのですよ。
もし、この比較を行わず、あくまで従来の試験方法を「選択式」に限定するのであれば、「論述式」と「選択式」の優劣を、問題提起しているのに過ぎません。

意図的にやっているのか無意識なのか知りませんけど、
論点をずらそうとするかに思える態度は、非常に不愉快ですね。

No.6303 「記述式、自筆ノート持ち込み可」の有利点は一体なんですか?
で、私が提起した問いに、以上のことを踏まえて、回答してください。

つまり、比較の対象は、以下の四つです。
1:「論述式」+「自筆ノート持ち込み可」+「問題の事前予告あり」
(竜堂始の試験方式)
2:「論述式」+「資料の持込不可」   +「問題の事前予告あり」
3:「論述式」+「自筆ノート持ち込み可」+「問題の事前予告なし」
4:「論述式」+「資料の持込不可」   +「問題の事前予告なし」

No.6313の黒崎さんの回答は、ぜんぜん的外れの回答ですよ。

*******

>  4では自分流のーとの作成者が現れていますが、どうして他の学習法では現れないのですか?
>  高校生というのは、誰も見ていなければ全員がカンニングするんでしょうか?

私が、
1・2の場合には、生徒が二つ(極一部の生徒、大半の生徒)に分類され、
3・4の場合には、三つ(極一部の生徒、別の一部の生徒、残りの大半の生徒)に分類されるとしたのは、
「問題の事前予告なし」がないため、
「すばらしい自筆ノート」は、必ずしも試験の解答に直結するものではない
ことを考慮したためです。
「すばらしい自筆ノート」が最善の回答であるという保証がない以上、効率を追求する生徒たちが、「すばらしい自筆ノート」に縛られる割合が減るだろう、と言っているのです。
別に、1・2で、もっと分類を増やしても良いですが、1・2と3・4とで、差のある基準でないのであれば、1・2で分類を増やせば、3・4でも同じように分類を増やす必要があるだけの話ですよ。相対的な格差は全然縮まりませんよ。問題が複雑になって、分かりにくくなるだけですね。
1で、もっと分類を増やしたいのであれば、2・3・4と区別がつくような基準を探し出してください。なにかしら説得力のある根拠に基づいて、分類を増やしてください。

>  やや単純化しすぎているように、なおかつ4に有利に設定されているように思われますね。

感覚で物を言うのではなく、
具体的に、どの部分が「4に有利に設定されている」のか、指摘してください。

>  結果として、試験が終わった瞬間にほとんど忘れてしまう程度の暗記で、なおかつ教師が平均に設定したラインに届かない、という状態の学生が半ばに達することになります。

しかし、1の場合は、「試験が終わった瞬間にほとんど忘れてしまう程度の暗記」すら、しないわけですよ。ただ、書き写すだけなんですから。それとも、2度筆写すれば、「試験が終わった瞬間にほとんど忘れてしまう程度の暗記」よりも深く、脳裏に刻み込まれるとでも言うのですか?
「試験が終わった瞬間にほとんど忘れてしまう程度の暗記」であっても、暗記である以上、一旦は覚えこんだわけですよね。2度筆写よりも、覚えるための努力を費やしていると思いますがね。

大体、ここでも、すべての生徒が歴史に興味を十分持っていると言う前提で話をしていませんか?
自分にとって、興味関心のある話題であれば、2度筆写しながらでも、深く考え込み、その内容が頭に刻み込まれることは、大いにあると思いますよ。
しかし、大半の生徒が「すばらしいノートを2度写す」方向に行ってしまうのは、写しさえすれば試験をクリアできるからであって、「すばらしいノート」を興味を持って読むため、だからではないのですよ。
こんなのは、単なる書き写し作業にしか、ならないのですよ。
書き写しを行う際に、突然、生徒たちが興味関心を抱くような前提で、話を進めないで頂きたいですね。

***********

いいかげん、自分が、どういう前提で、問題提起を始めてしまったか、ということにお気づきになったでしょうか、黒崎さん?

「論述式」+「自筆ノート持ち込み可」+「問題の事前予告あり」
の三点セットである竜堂始の試験方式が、
従来の試験方法よりも優れている、という問題提起をしてしまったんですよ、
黒崎さん、あなたは。
「論述式」と「選択式」の優劣の問題提起ではないのですよ。

No.6268の投稿自体を、撤回する気がないのであれば、
人をして納得せしめるような根拠を、きちんと探し出してくるのですね。

親記事No.6268スレッドの返信投稿
board4 - No.6321

カンニングの問題点を理解してないとは

投稿者:パンツァー
2005年03月03日(木) 14時35分

>  ですが、私は、学校教育においては、その分野の面白さを伝えることを第一にすべきだと考えるので、授業内容を学生の意欲を生かし、参加を促すようなものにし、その結果定期試験で問うのはその内容の確認や整理にしたほうが望ましく、よって、ノートの持込を認める論述問題になる、ということです。

だから、「人のノートを写す」生徒が、黒崎さん自身の予測でも、半数を超えるのであれば、「その内容の確認や整理」という目的も達成されないではありませんか。
この時点で、破綻していませんか、論理が。

>  それに対し、始のようなやり方であれば、授業内容にアドリブを効かせる余裕が多く取れる、と私は考えたのです。
>  テーマを与えて学生に調べさせ、発表してもらうようにしたり、討論をさせてみたり、といったように、です。

だから、授業でやるのは大いに結構なことだと思いますよ。

>  普通の宿題、が成績に関係ないんですか?
>  私はてっきり普通の宿題やレポートも含めて、成績を出すのだと思っておりました。
これは、場合によりけりですよね。
私が、「竜堂始の試験方式」的な宿題を与えたらどうか、と述べたのは、
試験ではなく、得点確保と言う生徒の利害が絡まない部分でなら、
「公然たるカンニング」が発生せず、問題が少ないのではないか、と「善意」に基づくものなのですよ。
なにが「善意」かといえば、「竜堂始の試験方式」的なアプローチが、問題なく作用する場合を、指摘してあげたから、です。

>  そして「公然たるカンニング」と仰いますが、私には今もって、「人のノートを写し、それを読みながら論述する」、あるいは「人のノートを二度写す」行為と、「人のノートを見て、その要点を暗記する」行為との間に、狡さの格差を感じられません。

あのねえ~!!
道義上の問題以前の話ですよ、これは!
「竜堂始」にしたって、一部の生徒の書いたノートを、他の大半の生徒が丸写しにすることを予期して、「自筆ノート持ち込み可」+「問題の事前予告あり」の試験方法を採用しているわけではないでしょう。
一応、生徒の善意を信じて、程度の差はあれ、自分で時間をかけてじっくり調べて解答を作成してくれる、その努力を評価したい、そういう観点からの発案でしょう。
「人のノートを写す」という行為自体が、「竜堂始」の意図から大きく外れてしまっていることに、気が付かないのですか?

上で、黒崎さん自身が、「竜堂始の試験方式」が、
「定期試験で問うのはその内容の確認や整理」に役立つ手法だ、としているのも、
「自分で時間をかけてじっくり調べて解答を作成してくれる」という観点からでしょう。この過程を経ないで、「人のノートを写す」という行為でスルーしてしまったら、意味がないことを、一応は意識しているからではないのですか?
自分で、自分の言っていることを、理解していますか?

繰り返しますけど、
「竜堂始の試験方式」の最大の欠点は、
「自分で時間をかけてじっくり調べて解答を作成してくれる」という目的が、
最大限裏切られてしまう、という点にあるのですよ。
さんざん、冒険風ライダーさんが指摘しているのに、全然分かってないのですか?
冒険風ライダーさんの口調は確かにきびしいものがありますが、人の主張の根幹をまったく理解していないのであれば、そういう応対を受けても止むを得ない部分があるかもしれませんね。

>  学生の地理の知識の欠如を「ゆとり教育」の責任に一元化してらっしゃるように見受けますが、「ゆとり教育」は暗記をさせなくなったわけではありませんよ?

「猛将の下に弱卒なし」などという諺がありますね。
自らの属する組織(例えば学校の学級や職場)の雰囲気、と言うものは、個々人に無視できない影響を発揮します。養鶏場の鶏は、周囲の鶏の餌をついばむ光景に影響を受けて自らも一生懸命になり、すべての鶏が競って餌を啄ばむという状況になります。人間でも同じことで、学級の雰囲気が学習に真剣であれば、その雰囲気による影響を受けて、一生懸命勉強したりするものです。職場でも同じで、皆がダラケテいる環境ではだらけるようになり、皆が真剣な環境では真剣になっていきます。
「ゆとり教育」は、学習で達成すべき目標を、「ゆとりの確保」という美名の下に、引き下げてしまったのです。「真剣な雰囲気」であればまだ少しは学習(暗記を含む)の努力をした生徒も、「のんびりやればいいや」という雰囲気が蔓延すれば、その流れに容易に流されて行きます。
「無理して覚えなくていいんだよ」みたいな雰囲気の中では、最底辺のレベルの低下は著しいものとなるのですよ。

現実から言っても、「ゆとり教育」を導入したわが国の教育水準は低下し、
逆に、アメリカのように「詰め込み教育」を導入した国の教育水準は向上しているのです。冒険風ライダーさんと同じことを申しますが、現実を前提に議論を進められては如何でしょうか?

>  もちろん、下手の横好きはありますし、教師が学生の興味の全責任を負うなどとは一度も申しておりません。
>  ただ、大きな役割を果たす、と考えています。

No.6304のパンツァーの記載
<試験方法とは基本的に関わりがないのではありませんか?
教師が、生徒が興味を抱くように、授業を配慮することの方がはるかに重要ではありませんか?>

この点の回答を頂きたいのですが、
教師が生徒の興味を引き出す点において、授業そのものと、試験方法そのものと、どちらが重要だと考えているのですか?
上にも述べたように、「竜堂始の試験方式」は、試験ではなく、点数に関わりのない「宿題」などに採用する分には、「自分で時間をかけてじっくり調べて解答を作成してくれる」という目的に沿って機能する公算が高いと考えられます。とすれば、試験方法に採用するより、授業そのもの(宿題等)に採用する方が、妥当ではありませんか?
生徒の興味を引き出す点において、「授業そのもの」と、「試験方法そのもの」、この択一だったら、どちらが有効である、と考えるですか、黒崎さんは。是非、回答していただきたい。

親記事No.6268スレッドの返信投稿
board4 - No.6322

No.6321の追記

投稿者:パンツァー
2005年03月03日(木) 14時52分

>  そして「公然たるカンニング」と仰いますが、私には今もって、「人のノートを写し、それを読みながら論述する」、あるいは「人のノートを二度写す」行為と、「人のノートを見て、その要点を暗記する」行為との間に、狡さの格差を感じられません。

「人のノートを二度写す」は「竜堂始の試験方式」において、発生する問題ですよね。これについては、6321に書きました。

一方、「人のノートを見て、その要点を暗記する」は、No.6303で私が指摘している従来の試験方法の2・3・4等ですかね。

これらの行為の格差がどこから発生するか、と言えば、
No.6303でも一応は説明していますが、
もっとはっきり言えば、
それは出題者(教師)の意図から、どれだけズレているか、
ということです。

1で、ノート丸写しをすれば、教師は、生徒が、機械的な作業として書き写したことを疑わざるを得ないでしょう。
2で、ノート丸写しをした場合は、1と同様ではあっても、生徒が「暗記する」という積極的作業を行ったことは、認めざるを得ないでしょう。(1の機械的丸写し+暗記)
3で、ノート丸写しをした場合は、1と同様ではあっても、生徒が「回答のために思考する」という積極的作業を行ったことは、認めざるを得ないでしょう。(1の機械的丸写し+思考)
4で、ノート丸写しをした場合は、1と同様ではあっても、生徒が「暗記する」という積極的作業と、「回答のために思考する」という積極的作業を行ったことは、認めざるを得ないでしょう。(1の機械的丸写し+暗記+思考)

1でのノート丸写しが、出題者(教師)の意図からもっともずれているのですよ。
逆に、1でのノート丸写しに意義があるのであれば、2・3・4の行為は、より一層意義がある、ということです。
意義の相対的格差は、決して縮まりません。

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