-
- board4 - No.565
初めまして
- 投稿者:えたな
- 2001年08月12日(日) 20時00分
教科書問題を検索していて、たまたまこのサイトを見つけま
した。田中芳樹さんの本は、銀英伝・外伝全巻、創竜伝11巻
以外の既刊全巻、及び「夏の魔術」シリーズ既刊全巻を所持
してます。
ほぼ、10年くらい前からの読者で、これからも未完作品で所
持しているシリーズの続編は買い続けると思います。
と、いっても田中作品全肯定派ではないつもりですが。
このサイトを見て、漠然と感じていた不満が、精密に解説さ
れていてとても勉強になりました。とても良いサイトだと思
います。管理人さんの本論を読ませていただいて、全体的な趣旨には
ほぼ同感できるのですが、一点のみ、ちょっと気になりまし
たので、のこのこ出てきました。本論5の教育理論に関するもので、
>要は彼はこういいたいのであろう。
>「文部省は子供の個性を圧殺して、画一化することを企んでいる。という部分ですが、文部省が画一化することを企んでいるかどうか
はともかく、文部(科学)省が教育に関する権利を独占していること
によって、日本の教育が画一的であるのは間違いの無い事実だと思い
ます。
また、その教育の「画一的過ぎる」ことが、現在生じているさまざま
な教育問題の主要な原因になっていると、私は思っています。
この掲示板の趣旨から外れた教育論にになってしまうので、これく
らいにしますが、浅学な私の教育論はおくとしても、>(前略)人間が多様であるように教育も多様であるはずだ。のび
>のび教育とかスパルタ教育とかいろいろなやりかたがある。花を
>育てるにしても、寒い地方で春に咲く花と、熱帯雨林に咲く花と
>を、同じ栽培法で育てるわけにはいかない。というのは、素晴らしい考え方だと思いますし、論旨にも誤りは無い
と思います。また、後半部分の「ぴるる」という表現が、本当に子供の教育にと
ってのぞましいかどうかという問題ですが、それも人によって考え
方は色々だと思います。子供の内はキチンとした定型表現を覚える
べき、と考える人も当然いるでしょうが、そんなことは無いと考え
る人もいるはずです。一番の問題は、文部科学省が決定することに
よって選択の余地がなくなることだと思います。
そもそも、教科書検定が本当に必要なのか、という議論もあるわけで、
イギリス人の教師に「何故、日本は自由に好きな教科書を使うことが
できないのか」と質問されたこともありました。イギリスのように
検定を無くして、国民が自由に教科書を選べるようにする、という選
択肢が「悪」ということは無いと思います。
ので、この部分に関する田中芳樹氏の文部省批判の叙述は、それほど
荒唐無稽なものではないと思うのです。無論、小説の中に教育評論を入れることについての是非についてや、
引用しているのに出典を書かないのはパクリだという批判については、
は同感です。ですから、その部分についてのみ、批判が展開されていた
なら、私も気にならなかったのですが。ただ、この評論に関しては、内容が良い(私の理想の教育論に近い)
だけに、他のトンデモ評論と「その内容までも」が同列に扱われている
のが残念です。
これに関しては、評論の中身についてはまともだと思うのですが、
どうでしょうか。ひょっとして、細かい教育論になってこの掲示
板の趣旨から外れていたらすみません。お手数ですがご削除くださ
い。
- 親記事No.565スレッドの返信投稿
- board4 - No.566
Re:初めまして
- 投稿者:本ページ管理人
- 2001年08月13日(月) 03時04分
こんにちは。はじめまして。
> という部分ですが、文部省が画一化することを企んでいるかどうか
> はともかく、文部(科学)省が教育に関する権利を独占していること
> によって、日本の教育が画一的であるのは間違いの無い事実だと思い
> ます。
> また、その教育の「画一的過ぎる」ことが、現在生じているさまざま
> な教育問題の主要な原因になっていると、私は思っています。文部省が画一的だと言うことですが、これは確かにその通りなのです。
但し、田中芳樹が意図しているのとはまったく違った意味で、ですが。
田中芳樹はゆとり教育やら子どもの創造性やらを、今もっとも声高に言い立てているのが、文部省(作品に合わせてあえて旧称を使います)であるという事実にほおかむりしています。
田中芳樹が妄想するのとは違って、「多様性」や「創造性」を「画一的」に押し付けられるポルポト的矛盾が、画一的教育の本質でしょう。
この点、文部省も日教組も現代思想の大枠を守ろうとしている時点ではまったく一致しています。
繰り返しますが、教育の画一性はその通りです。しかし、それを文部省がウヨッキーな軍国主義思想を画一的に押し付けていると解釈していることが決定的にダメなのです。> 一番の問題は、文部科学省が決定することに
> よって選択の余地がなくなることだと思います。
> そもそも、教科書検定が本当に必要なのか、という議論もあるわけで、
> イギリス人の教師に「何故、日本は自由に好きな教科書を使うことが
> できないのか」と質問されたこともありました。イギリスのように
> 検定を無くして、国民が自由に教科書を選べるようにする、という選
> 択肢が「悪」ということは無いと思います。
> ので、この部分に関する田中芳樹氏の文部省批判の叙述は、それほど
> 荒唐無稽なものではないと思うのです。教科書検定については、検定によってダメージをもっとも受けているのが、いわゆる「つくる会の教科書」である現在の事実が、田中芳樹(竜堂司)の評論が彼の頭の中の妄想日本の中でしか通用しないことを物語っていますね。
ちなみに、私個人は教科書検定廃止に賛成です。> >(前略)人間が多様であるように教育も多様であるはずだ。のび
> >のび教育とかスパルタ教育とかいろいろなやりかたがある。花を
> >育てるにしても、寒い地方で春に咲く花と、熱帯雨林に咲く花と
> >を、同じ栽培法で育てるわけにはいかない。
> い。これは別に問題ないとは思うんですが、共和学園の教育自体がは寒い地方の花をむりやり暖かい地方(ほのぼの教育)の育て方で育てようと固執しているように思えてなりません。
一回でも、寒冷地の栽培法(スパルタ教育)が肯定されたことがあったでしょうか。
- 親記事No.561スレッドの返信投稿
- board4 - No.567
Re:ヤン・ウェンリー
- 投稿者:クロイツェル
- 2001年08月13日(月) 06時05分
> はじめまして。藤澤と申します。リンクを巡り巡ってお邪魔させて頂いております。どうぞ宜しくお願い致します。
初めまして。これからよろしくお願いします。
> 歴史家志望であったヤンは、やはり後世の歴史家の目を常に意識していたように思います。シビリアンコントロール下での軍人の権限を逸脱する事を潔癖なまでに嫌った背景に、勿論彼の政治信条があった事は間違いありませんが、歴史上の悪名を恐れたという部分も大きいのではないでしょうか。
> しかしそういう人物には、やはり「自らが悪名を被ってでも、人民と民主主義を防衛する覚悟」や「歴史の転換期に、舞台に上がるにふさわしい才能を持って生まれた英雄の気概」は望むべくもないでしょう。そこが魅力でもあるのですが。私は、ヤンの行動の背景にあるものは、彼の責任を負う立場になることへの恐怖があるのではないか、と思います。これは、ヤンが無責任だと言っている訳ではありません。むしろ、責任の重さを知るがゆえにそういう態度に出ているのでしょう(本当に無責任な人は、責任ある立場につくことを躊躇したりしません)。
おそらくヤンは、自分自身の決断が多くの人の運命を左右するという状況その物にストレスを感じるタイプだと思います。自分の指示のせいで他人が人生を誤ったりしたらどうしよう、と言う恐れですね。彼の出世欲のなさや「早く引退したい」というぼやきは、詰まる所そういう状況から抜け出したいと言う無意識の欲求から来たものではないでしょうか。そんな彼に、大軍を指揮する将器があったのは、まったくもって不幸なことだとしか言い様がありません。> ところで、既出のネタなら申し訳ないのですが、バーミリオン会戦において、ヤンが会戦の目的を達成しつつ、自らの政治信条に忠実な選択肢は、「敢えて停戦命令を無視してブリュンヒルトを撃墜、その後、命令違反の罪に服す」というものだと思うのですが、如何でしょうか。
前期の考察が正しいとしたら、ヤンはこういう行動には決して出れないでしょう。基本的にヤンはやらなければいけない事・やった方がいい事はきちんとこなしますが、やった結果が吉と出るか凶と出るか判らないことには、吉と出る可能性の方が高くてもやるのを躊躇する傾向があると思います。布石はしっかり打っておくくせになにかと後手に回る事が多いのは、彼のそんな性格ゆえでしょう。外伝1巻において作戦案を無理に通そうとしなかった事や、本編2巻でクーデターを察知しながらも上に強く働きかけず、結局それがおきるまで止められなかった事などが傍証になると思います。そんな彼に、「歴史を動かす銃弾を撃つ」ことができるでしょうか?事実、彼にはできませんでした。その動機のほとんどは彼自身の政治信条だったのでしょうが、彼がそんな道を選んだ背景には、ラインハルトが失われる事による影響への恐怖、そしてその後の彼自身に伸しかかるであろう大きな権力への恐怖があったのではないでしょうか。
言い方は悪いですが、上からの指示でやっている分には、ヤンに責任があるわけではないのでラインハルトを討つ事ができるでしょう。しかし、自分の意思でそれができるとは思えません。これがビュコック提督ならば、おそらくラインハルトを討ち果たす事ができたでしょう。結局ヤンには、指導者よりもむしろ参謀の役の方が相応しかったのではないでしょうか。
と、いう訳で、私にとっての理想は、「ビュコック総司令官・ヤン参謀総長」なのです。
- 親記事No.564スレッドの返信投稿
- board4 - No.568
Re:はじめましてm(_ _)m
- 投稿者:倉本
- 2001年08月13日(月) 06時48分
> せっかくですので、どうでもいいこと。
> 知識のない私が、唯一不思議に思ってたこと。
> (一応の得意分野だったので)
>
> 創竜伝の6巻で、ヘリコに乗った敵役が、音楽を聴く
> シーンがありましたよね。
> あの時聴かれてたのは『カルミナ・ブラーナ』でしたが、
> ファーストよ、いくらありがちだからっても、
> 『ワルキューレ』にしといた方がよかったと思うが。
>
> 何故かというと、『運命の女神』の楽章は3分もない短いもの。
> その後にやはり『運命』を主題にした曲が1曲続きますが、
> その後は『恋の歌』(シリアス)とか
> 『酒場の歌』(コミカル)とかが続いているからです。
>
> 音楽を聴こうというくらいだから、このシーンから
> 竜堂兄弟のところに到着するまでに、それなりに時間があると
> 思われるのですが……もし、到着時にちょうど
> 『昔は湖に住んでたのに~きれいな白鳥だったのに~
> みじめーみじめー今じゃ焼かれて黒こげさ~』
> (これは私の意訳ですが、こんな感じの詞です)という
> 歌にでも差し掛かってたら、格好が付かないような……。
>
> 1曲リピートしてればいいんだから、どうでもいいだろ、と
> 言われそうなカキコでした。らふーるらふーる。前に買ったCDの中に『カルミナ・ブラーナ、運命の女神』の楽章が入ってました。
創竜伝に出てきたのはこの曲かなるほどあの場面に合った曲だなと思いながら聞いていたらあっという間に終わってしまった記憶があります。
見てみると時間が2分47秒と書いてあってこんな短い曲だったのかと驚きました。
確かにあの短さは問題ですね。
別のCDで聞いた『ワルキューレ』は結構長かったので確かにこっちの方がいいかも知れませんね。
田中芳樹はこの曲について知らなかったんでしょうか。
- 親記事No.565スレッドの返信投稿
- board4 - No.569
Re:初めまして
- 投稿者:えたな
- 2001年08月13日(月) 09時15分
どうも、初めまして。お忙しいところ、私の些細なこだわりに、丁寧にお答え
下さいまして、ありがとうございます。> 文部省が画一的だと言うことですが、これは確かにその通りなのです。
> 但し、田中芳樹が意図しているのとはまったく違った意味で、ですが。つまり、日教組的極左ゲリラ集団?としての画一性が文部省の本質的問題で
あるのに、軍国主義的ファシスト集団としての画一性という架空の画一性を
でっち上げているところに問題があるわけですね。> 田中芳樹はゆとり教育やら子どもの創造性やらを、今もっとも声高に言い立てているのが、文部省(作品に合わせてあえて旧称を使います)であるという事実にほおかむりしています。
> 田中芳樹が妄想するのとは違って、「多様性」や「創造性」を「画一的」に押し付けられるポルポト的矛盾が、画一的教育の本質でしょう。すみません、田中芳樹さんの妄想までは読み切れていませんでした。
今の文部省の問題は、おっしゃる通り、ゆとりの押し付け、創造性の
押し付け、全ての生徒に対する、ありとあらゆる公平平等な押し付け。
補助金と許認可権を人質に、すべての学校に文部省印の平等金太郎飴的
教育方法を押し付け、他の教育方法を完全に排除している点にあります。
この体制から多様性など、間違っても生じる筈がありません。
この体制下で生じるものは、画一性と怠慢(退廃でもよし)だけです。
規制緩和と地方分権、どこの分野も似たような改革が必要ですが、
教育分野における改革は特に大急ぎでやらないと、怖いことになると
でしょうね。余談でした。> この点、文部省も日教組も現代思想の大枠を守ろうとしている時点ではまったく一致しています。
> 繰り返しますが、教育の画一性はその通りです。しかし、それを文部省がウヨッキーな軍国主義思想を画一的に押し付けていると解釈していることが決定的にダメなのです。この文を読んだ後、創竜伝6巻18ページの引用部分の前後を読んで、やっと本論5で
何が問題点なのか、やっと理解できました。遅すぎ。
私の認識では、今の文部省が左よりという意識はあまり無かったもので。(右よりと
も思ってませんでした。ただのOOと思ってました)
ゆとりと創造性重視も、左的思想からというより、一般の声に形式上迎合
したからかと思ってました。> 教科書検定については、検定によってダメージをもっとも受けているのが、いわゆる「つくる会の教科書」である現在の事実が、田中芳樹(竜堂司)の評論が彼の頭の中の妄想日本の中でしか通用しないことを物語っていますね。
> ちなみに、私個人は教科書検定廃止に賛成です。まあ、でも、結局検定通ったわけですから、田中芳樹氏は、文部省=「軍国主義的ファシストの集団」
とする考えを強固にしたのでは?
文部省の陰謀で、採択に反対する選定委員がクビになったとか書いてくれそうな気がします。
ここの常連さんなら、創竜伝13巻で今回の教科書問題がどのように描写されるか、面白
くて、精緻なシュミレーションが可能でしょうね。> これは別に問題ないとは思うんですが、共和学園の教育自体がは寒い地方の花をむりやり暖かい地方(ほのぼの教育)の育て方で育てようと固執しているように思えてなりません。
> 一回でも、寒冷地の栽培法(スパルタ教育)が肯定されたことがあったでしょうか。これは、共和学園内でほのぼのとスパルタの二種類の教育方法があっても良いという
意味ではないと、私は解釈しています。
ほのぼの教育をする学校もあれば、スパルタ教育をする学校もあって良い、という意味
なのではないでしょうか。大事なのは、自分にとってどちらの教育が向いているか、
「選択できる」ということだと思います。勿論、竜堂司はスパルタ教育否定派であり、自分の学園でスパルタ教育
を施すことなど認めないでしょうし、ほのぼの教育が理想であり、それに
固執しておられるはずです。
ただ、スパルタ教育を行う他の学校がもしあっても、その学校の教育方針
を否定することは無い、という意味なのではないでしょうか。
その根拠としては、創竜伝6巻17ページからの竜堂司のセリフなどが
挙げられると思います。以下引用します。「はやりすたりで教育事業をおこなっているわけではない。他の学校も
同じようにしろといっているわけでもない。うちにはうちの教育方針が
あって、それに賛成してくれる人が通ってきてくれる。それを変えよう
とは思わんよ」今、現実の世界で、「共和学園」や「スパルタ学園」などを作ろうとしても
おそらく文部省が学校として認可してくれないし、補助金も下りないでしょう。
まぁ、スパルタやほのぼのの程度次第では可能かもしれませんが。少なくとも、全部の教師が竜堂始のようであるような「共和学園」や
答えを間違えたら竹刀でケツをどつかれ、不真面目な態度を取ろうものなら
全身を乱打されるような「スパルタ学園」(中学時代に通っていた塾がこう
でした)は許可されないでしょうね。色々な学校があって、もし入った学校が自分に合わなくても、いくらでも
別の選択肢があり、どこかに自分に合った学校がある、というのはとても
素敵な教育環境だと思うのです。ですから、本論5で、管理人さんが引用された部分「だけ」を素直に
読むとですね、次の二点に要約されていると思ったのです。・文部省は画一的教育を押し付ける悪の存在である。
・多種多様な教育のあり方が理想である。良いこといってるのに、なんで批判されるのかな、と思ったわけです。
右向き画一教育か、左向き教育画一教育かというのは、引用部分だけ
では分かり難かった(私にとっては)です。強く要望するわけではありませんが、私のような社会問題音痴の田中
芳樹カブレの読者にも、問題点が良く分かるよう、何か付記されては
いかがでしょうか。まぁ、こんな馬鹿は私くらいかもしれませんが。長文にお付きあいさせてしまってすみませんでした。
- 親記事No.7スレッドの返信投稿
- board4 - No.571
反銀英伝 大逆転! リップシュタット戦役(76)
- 投稿者:不沈戦艦
- 2001年08月15日(水) 16時14分
「あ、ね、う、え・・・・・・・・・・・」
ラインハルトは顔面蒼白となり、切れ切れに呟いたあと絶句していた。両手を固く握りしめた上で細かく全身を震わせており、蒼氷色の瞳は、今までとは全くレヴェルが違う、激光を放ち続けている。そのまま、刻々と時間は過ぎて行った。
「侯爵閣下」
相当の時間が経ってから、オーベルシュタインが沈黙を破った。
「侯爵閣下、小官の情報網でも、グリューネワルト伯爵夫人のご逝去は確認されております。また、伯爵夫人の救出の為に帝都に潜入しているロイエンタール提督ですが、一切の連絡がなくなってから、十日ほど経ちました。おそらく、敵に潜入を察知され、逮捕拘禁されてしまったものと考えられます。そう言えば、その十日前に、オーディンの一角にて夜明け直前、短時間の騒乱があった、という報告もありましたので、それがタンネンベルク侯爵による、ロイエンタール提督らの制圧作戦だったのやも知れませぬな」
しゃあしゃあと「アンネローゼは間違いなく死んだ」とラインハルトに告げるオーベルシュタインである。ドレクスラーの暗殺部隊からの暗号文による成功報告を受けていたので、オーベルシュタインはその件については誰よりもよく、詳細を知っている。しかし、そのことはおくびにも出さず、平然としたものである。
「・・・・・・・・・・・・」
無言で、オーベルシュタインの報告を聞き流すラインハルトである。虚ろな目で、オーベルシュタインの言っていることを、理解しているかどうか分からないような様子だ。しかし、そう時間を掛けず、決断を下した。
「全艦隊に命令。キルヒアイスとミッターマイヤーにもだ。これより、麾下全艦隊は反転し、オーディンに急行。タンネンベルク軍を撃滅する」
「閣下!」
非難がましい目でラインハルトの方を見る、オーベルシュタインである。
「閣下、現在、このまま進めば三日と経たずに、ガイエスブルグからの敵との交戦に入ることが可能です。これらを各個撃破した後、ガイエスブルグを占領して、持久戦に持ち込むのが今後の我が軍の基本戦略のはず。司令官個人の感情で、大方針を勝手に変更するものではありませぬ」
しかし、ラインハルトはオーベルシュタインの言うことを、全く受け付けない。
「余計な差し出口を挟むな、オーベルシュタイン。絶対に、絶対に許さぬ。タンネンベルクにリッテンハイム、奴らだけは、奴らだけは私自身の手で、八つ裂きにしてくれる!!」
感情を爆発させ、咆吼するが如く、タンネンベルク侯とリッテンハイム公への復讐を宣言するラインハルトである。
「閣下、そのような個人的感情は・・・・」
「オーベルシュタイン。司令官は卿なのか、それとも私なのか?!どちらだ!!」
ラインハルトはオーベルシュタインの発言を遮り、耐え難い憤りを露わにする。オーベルシュタインは、平然と答えた。
「もちろん、閣下でございます。しかし・・・」
「では、その司令官たる私が決めたことだ。これ以上、余計な事を言うな!!」
「ですが・・・・」
「黙れと言っている。私の命令に、更なる反抗を続ける気なら、卿を拘禁して軍法会議にかけることにするが、それでも良いのか?」
ラインハルトにそこまで言われてしまっては、黙らざるを得なくなるオーベルシュタインである。正直、ここまでは読み通りに事態が動いた、と内心考えていたオーベルシュタインだが、ラインハルトのこの意固地な反応は、オーベルシュタインにとっては予想外であった。他人の感情など一顧だにしないオーベルシュタインとしては、人間が感情的になった時の思考様式など、所詮は理解の範囲外であった、ということであろう。「理」を示せばラインハルトがその通りに動くはずと踏んでいたことは、オーベルシュタインのオーベルシュタインらしい失敗と言えよう。
ラインハルトの命令により、直属艦隊は反転を行い、オーディンへの道を目指した。さほど間を置かずに、キルヒアイス艦隊、ミッターマイヤー艦隊も反転し、同じくオーディンへ向かうことになる。「グリューネワルト伯爵夫人逝去」のニュースを受け取った時のキルヒアイスの反応は、ラインハルトに比べ、遙かに激烈なものであった。ラインハルトより長時間、放心状態であったのだが、司令官の反応がないことを不審に思った幕僚が話しかけたところで、突如意味不明の叫びをあげ、どこかに向けて走り出そうとし、慌てた周囲がキルヒアイスを取り押さえ、鎮静剤を注射するまで、獣が咆吼するような唸りをあげながら、暴れ続ける有様だったのである。
鎮静剤による眠りから目を覚まし、さすがに落ち着きを取り戻したキルヒアイスであるが、ラインハルトからの命令により艦隊を反転させたあと、普段の穏やかなキルヒアイスの性格からは想像も付かないような殺気に満ちた目で、「バルバロッサ」の艦橋で指揮を執り続けている。
「ラインハルトさま、申し訳ありませんが、タンネンベルク侯爵の息の根は、わたくしが止めさせていただきます。こればかりは、いくらラインハルトさまでも、絶対に譲れません」
「バルバロッサ」の指揮官シートで一人呟くキルヒアイスの目には、怒りと哀しみ、それを極限以上に詰め込んだものが宿り、ある種の狂気を生み出していた。慕い続けていた隣家の年上の女性が死を強制されたことが、キルヒアイスの精神に加えた衝撃は、計り知れない。正常でいられる限界を、完全に超えていたのだ。
「よもやとは思うが、奴の仕業ではあるまいな?」
ミッターマイヤーは、重大な疑惑を前にしていた。ミッターマイヤーとしては、アンネローゼが殺されてしまったことに心は痛むが、だからと言ってラインハルトやキルヒアイスのように、精神に変調を来すほどのことではない。事態を冷静に見つめることは、当然の如くできる。それでは、こうなってしまって、一体誰が一番得をするのか。タンネンベルク侯ということはあり得ない。何らかの策は練っていただろうが、こうやってローエングラム軍が全力でオーディンを目指すようになってしまったことは、侯爵にとっては計算外のはずだ。仮にタンネンベルク侯がアンネローゼを殺し、ローエングラム軍を自分の方に引き付けることを考えていたとしても、タイミングが早すぎるのだ。そんな不手際を、あの食えない男がやるはずもない。リッテンハイム公は、タンネンベルク侯と完全に同一歩調をとっているので、これも関与していることはない。もちろん、ローエングラム侯がそのような命令を下すはずがないし、信望を完全に失ったブラウンシュヴァイク公の工作、という可能性も低い。リッテンハイム公・タンネンベルク侯を苦境に陥れる効果はあるものの、公爵にそれだけの手際は期待できるわけがないからだ。今頃は、フェザーンにでも逃げようと、四苦八苦しているはずである。ブラウンシュヴァイク公は、自分のことだけで、手一杯であろう。それ以外では、フェザーンの工作だとしても、それも妙だ。フェザーンにとって、一体何の利益があるのか、という問題がある。タンネンベルク侯に付くつもりなら、そちらの陣営を苦境に陥れることはないし、ローエングラム侯に付くつもりなら、その姉を殺すなど最低最悪の策でしかない。復讐心を滾らせたローエングラム侯に、あとで必ず滅ぼされることになる。ブラウンシュヴァイク公に付く、などという選択は今となってはあるはずもないだろう。何の利益もないからだ。フェザーンにできることは、公爵の亡命を認めるくらいが関の山である。自由惑星同盟は、ラインハルトの目論見通り、クーデター騒ぎで国内の混乱が酷く、帝国に手を出してくる余裕はない。それに、グリューネワルト伯爵夫人を暗殺したところで、彼らには何の役もないだろう。
しかし、これで最大の利益を得たのが、ローエングラム軍であることをミッターマイヤーは察知している。ローエングラム侯にとって、手枷足枷のグリューネワルト伯爵夫人が殺されてしまったことにより、行動の自由が確保できたのだから。と、すると、味方の利益の為には、誰であろうと平然と犠牲にする、人間の感情を一切無視するような策を考え、しかも諜報や破壊工作など、情報活動の実行手段も持っている男、いやそれの専門家が、自分の陣営に、たった一人だけいるではないか。
考えれば考える程、ミッターマイヤーの疑惑は大きくなっていった。いや、確信に近いものになっていった、と言ってもいいだろう。間違いなく、グリューネワルト伯爵夫人暗殺事件の黒幕は、オーベルシュタインである、ということを。しかし、何の証拠もなく、同僚を誹謗するわけにもいかず、今それを指摘して、ローエングラム侯をオーベルシュタイン糾弾の方向に導いてしまうわけにもいかない。強大な敵を前にしての仲間割れなど、戦う前に敗北している、と言うしかない愚行だ。結局、ミッターマイヤーはかくの如きジレンマを抱え込み、苦悩することになってしまったのである。
「敵艦隊、反転した模様。こちらには向かって来ません」
メルカッツ提督は、自分の艦隊まで三日ほどの距離にまで接近していた敵が、反転したことを報告される。それを聞いて、事態が急転したことを悟った。
「難儀なことになったな」
もちろん、メルカッツも「グリューネワルト伯爵夫人逝去」のニュースは聞いている。それを知ったローエングラム侯が、オーディンのリッテンハイム公・タンネンベルク侯への復讐を果たすべく、艦隊をそちらに向かわせた事は明白だった。
「閣下・・・・」
「他の艦隊にも連絡を取るように。我らも、オーディンに急行せねばならぬようになったのでな」
メルカッツはシュナイダーに指示を伝えた。多少は時間がかかるが、連絡線がつながっているお陰で、各艦隊には超光速通信(FTL)による連絡が可能になっている。各集団の指揮を執っているファーレンハイト、シュヴェーリン、リュトヴィッツ、エーゼベックばかりか、移動中のシュヴァルツェンベルク、レープ、マッケンゼンにも指示を伝達した。全艦隊が一旦レンテンベルクを目指し、集結後オーディンに向かう、という寸法である。一見時間がかかりそうだが、各艦隊の連携を取らずに、兵力の逐次投入になってしまってはどうしようもない。下手をすると、敵に待ち受けられて、突出した味方を大兵力で袋叩きにされる、という危険性がないわけではないのだ。それを考えると、いくらオーディンに急行する必要があるにしても、限界はあるのである。
(以下続く)
- 親記事No.565スレッドの返信投稿
- board4 - No.572
Re:初めまして
- 投稿者:本ページ管理人
- 2001年08月16日(木) 02時39分
>つまり、日教組的極左ゲリラ集団?としての画一性が文部省の本質的問題で
>あるのに、軍国主義的ファシスト集団としての画一性という架空の画一性を
>でっち上げているところに問題があるわけですね。前半はちょっと違いますね。右か左かと言う問題ではありません。(現代思想の
枠内にいる限り)右も左もさして違わないということです。
だから、相手を貶すためには件のようなほおかむりをしなければいけないわけで、
その意味から、後半の架空の画一性についてはその通りです。>これは、共和学園内でほのぼのとスパルタの二種類の教育方法があっても良いという
>意味ではないと、私は解釈しています。
>ただ、スパルタ教育を行う他の学校がもしあっても、その学校の教育方針
>を否定することは無い、という意味なのではないでしょうか。よしんば、もしその通りだとしても、「学校と刑務所の区別が付いていない云々」とい
う類の表現が頻出する創竜伝だけに説得力があまり無いんですよね…
これも一種の、地の文評論の悪影響でしょうか。>強く要望するわけではありませんが、私のような社会問題音痴の田中
>芳樹カブレの読者にも、問題点が良く分かるよう、何か付記されては
>いかがでしょうか。まぁ、こんな馬鹿は私くらいかもしれませんが。いえいえ、ご意見ありがとうございます。
-
- board4 - No.573
それでも好き
- 投稿者:デアボリカ
- 2001年08月16日(木) 14時14分
銀英伝のアニメ見て田中芳樹が好きになった。でも小説は読んでない。
読んでいるのは怪奇事件簿、夏の魔術、アルスラーン、創竜伝(今9巻を読んでいる)のシリーズと短編を何冊かぐらいだと思うが、田中芳樹の本を読んで、政治や宗教を考え出す人がいるのかと思うと笑えました。
ホームページを隅から隅まで見たわけではないし書いてあることが高度なんであんまり理解できないので読んだところで思ったことを少しだけ。
創竜伝は確かに政治評論のような小説だなぁとは思うけど、単純に「現代の日本を舞台にして世界を裏で操る者と戦うお話」程度に考えればそんなに気にならないんじゃないかと思うけどね。
あくまで田中の視点で見て書いてるだけなんだからさ。
妙に現実に近いようにお話を進めてるから余計にそう思えるだけなんだと思う。
田中教はなんにでも興りえるものだし、そういうものに反発する人がいるのも当然だと思う。ちなみに私は梶島正樹教(梶島正樹知ってる?)
発禁の話は冗談程度にしか読んでなかった。
最後に怪奇事件簿のパクリの話、じつはこの話だけが書きたかったんだけど、あんた馬鹿~ぁ(パクリ)そんな事言ってたら世の中に出ている本はたいがいパクリになるんじゃないか。刑事物、探偵物、妖怪退治物、性別変換物、動物変化物。色々あるけどパクリのことを考えればどんな作品にもここはあの作品のパクリ、この話はあの作品のパクリなんてことがいくらでもいえるはずだよ。だからあんまりパクリの話だけはしないほうがいいんじゃないかと思う。ライオンキングよりはマシでしょ。たぶん。
どう思うかは勝手ですけどね。
思ったより長くなってしまった。どこか文法変じゃないかな?(小心者)
- 親記事No.573スレッドの返信投稿
- board4 - No.574
田中氏には関係無いけど、最近のパクリ
- 投稿者:NERO
- 2001年08月16日(木) 14時24分
ディズニーシーではまだこれに関するアトラクションは無いとのこと。
ttp://www.zero-city.com/nadia/nadia_vs_atlantis_jp.html