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投稿ログ14 (No.252 - No.256)

親記事No.202スレッドの返信投稿
board4 - No.252

Re:少しだけ言いたい

投稿者:古代蓮
2001年06月16日(土) 05時36分

> 私がマスコミに求めているのは不偏不党さです。ちなみにわが国ではその不偏不党がマスコミの原則らしいです。んなわけない、というのはどことは言いませんが、特にある特定の新聞やテレビ局を見ればわかると思います(ただ、うちは反自民ですと明確に発言していないだけ。それをもって不偏不党だとするなら茶番ですけど)。

報道の不偏不党はありえない。
それは報道が「流す情報」を選択しているからだ。
すべてのことを報道できない以上は、そこに偏りがうまれる。
不偏不党は物理的に不可能なのだ。

本題に関係にないことだが、気になったので。
では、失礼した。

親記事No.202スレッドの返信投稿
board4 - No.253

レスまとめ…モラル・責任・ルールの出典などなど☆

投稿者:
2001年06月16日(土) 10時49分

恵です☆
まだまだ頑張って議論をしていきたい…とは思いますけど、言いたいことがなかなか相手にうまく伝わらないので、しみじみと自分の言語能力の限界を痛感しています(^_^;;)。だらだらと議論を続けるのもあまり本意ではないので、なるべく要点を絞って発言していきたいと思いますね。(と、言いつつ、今回も長かったりするんですよねぇf(^_^;;)> こんばんわ、ランゼルです。私の方も、出来る限り頑張りたいです。

> > > 私は勧善懲悪物として見ているので、
> > >
> > > >「小説の一部」ということで創竜伝の中では何を言っても、どんな描写をしてもOKになってしまうじゃありませんか。
> > >
> > > なんですよ。それが小説(特に勧善懲悪物)ではないのですか?それとも、小説という書式では書いてはいけないことが明確に規定されているのでしょうか?
> >
> > これについては、管理人さんが答えると思っていましたので、今まで故意に言及しませんでした。ですが、避けて通れない話題なのでわたしなりの意見を言いますね。
> > 「小説という書式では書いてはいけないことが明確に規定されている」
> > ということは、基本的にはないと思います。ただ、だからといって何を書いてもいいとは思いません。
> > まず、「表現上、不適切な言葉(描写)」というものがあります。これは人権や倫理を侵すような表現のことで(差別や性描写など)、「絶対に書いてはいけない」ということではありませんけど、作家のモラルが問われる部分です。人権擁護団体の抗議や差別対象を自分の言葉によって傷つけ、そこからくる良心の呵責さえも「どうでもいい、気にならない」と思っているなら、発禁覚悟で堂々と表現できるでしょうね。
> > そして、みんなが指摘していることですけど、創竜伝は社会評論があることで面白いわけではありません。むしろ、多くの人が読み飛ばしている「不要」な部分ですから、ない方がいいと言ってるんです。どうしても評論を書きたいなら、田中氏は小説ではなく評論本を執筆すればいいのですから。(ちなみに、創竜伝の魅力については、ベスト収録の「わたしの創竜伝の魅力考察」をご覧になってみてください。創竜伝のどこが面白いのか、なぜ売れるのか?を皆さんとなかなかうまく議論できたと思っています)
>
> お答えありがとうございます。恵さんはルールと呼べるほどの規定はご存じないようですね。
> すると、規定がないと言うことは、基本的には作家には小説の中身の取捨選択の自由があり、それを必要、不要と読者が判断するのは我が儘な行為と言うことでしょうか?

規定があるかないかは、わたしには断言できませんけど…ただ、人(作家)はそこまで傲慢になれるのでしょうか?人を差別的に貶める文章を書いておいて、「あれは勧善懲悪物(フィクション)だから」・「書いてはいけない明確なルールはない」で素知らぬ顔ができるという神経は、ちょっとわたしには信じられないです。個人的な意見(想像)ですけど、いくらなんでも、まさか田中氏本人がそこまで自己正当化しているとは思えません。(裏切られた云々の話は後述させていただきます)作中人物の台詞ですけど、「明確に禁止されていないことは何をやってもいい、という最近の風潮は嘆かわしいわ(大意)」と薬師寺涼子が言っていたと思います。もちろん、相馬邦夫のときと同じく単純に「=作者の台詞」とは思っていませんけど、田中氏個人の考えがまったく反映されていない、とも思えません。内容自体はどちらも立派な正論だと思いますから。
ランゼルさん、当たり前のことですけど、人間は一人一人が人権や守られるべき尊厳というものを持っています。「表現上、不適切な言葉」…つまり、人を根拠なく貶め、他者の尊厳を侵す文章を書いた本人が「明確なルールはないから問題ない」と言うのでは、作家である前に一人の「人間」としてあまりにもモラルが欠如していると言わねばなりません。あなたの意見を聞いていると、「法に触れなければ何をやっても構わない」という、まるで法の網を潜る犯罪者のような、なんだか得体の知れない非情さを感じてしまいます。(モラルの話も、後述させていただきますね)

> 例えば創竜伝は田中芳樹氏のモラルではフィクション小説です。そしてその見解と合わないからと言って、社会評論だと非難するのは筋違いって事ですか?

ルールについては、あなたのおっしゃる通り、わたしは「はっきりとはわからない」という立場です。従って、今の段階ではこのたとえ方で質問されても、わたしには明快な答えを提示できないです(このご質問は「ルールがない」という前提でされているようなので)。この件だけに関しては、管理人さんに振られた方がよろしいのでは?
※ランゼルさんが一番最初に管理人さんに対して質問された出典の件なんですけど、わたしなりに文献をあたってみました。レスの最後に抜粋して引用しますので、よかったら参考にしてみてください。

> 小説としてのポイントは、作家が守るべきモラル(慣習とか?)と、管理人さんの挙げられていた明確なルールの存在。恵さんの指摘した表現上の注意。出版者の意向、後は他にルールがあるかですね。
> 焦点はやはり、ルールの存在ですね。
> 他のポイントは主観的にクリアできてしまう物なので。

前半部のランゼルさんの認識には、ほぼ同感です。ただ、わたしは「主観的にクリアできるから問題ない」とは思っていません。田中氏の場合、作家として、または人間としてのモラル(良識・倫理観)や責任をもっと論じてもよいのでは?と思います。(モラル・責任部分は、後述の意見にレスしていただけると幸いです)

> > あと、素朴な疑問ですけど、あの社会評論をランゼルさんは面白いと思ってらっしゃるのでしょうか?作品全体を面白くするための手法としてなら、私も肯くことができるのですけど、あの評論が作品世界の設定を滅茶苦茶にし、しかも評論内容の根拠はない・偏向している、とくればどう考えても不要な存在にしか見えません。わたしには、ランゼルさんは「勧善懲悪物(小説・フィクション)」という万能の免罪符を振りかざして、事実から目を反らしてらっしゃるように見えるんですけど。
>
> まず、人物の発言や述解に関しては、そう言うキャラクターなんだで終わりです。
> それ以外の部分の評論っぽい部分は(キャラクターの述解も含めて)面白いかを考えるなら、私は面白いとは思っていません。ただし、小説、創竜伝には必要な部分なので、そのように読んでいます。
> あれは故意に、架空の世界の日本等の主人公の敵を貶めることによって、相対的に主人公の正当性を読者に認知させるという手法だと思っています。

評論で批判している「日本(社会)等」が敵、ですか?竜堂兄弟が直接的に対立したのは船津老人や四姉妹という権力組織であって、いくらなんでも日本社会そのものではないと思われます(国民の大多数が船津老人を支持している、という状況ならともかく)。純粋に架空の権力者(船津老人や四姉妹)の批判をしているなら、わたしも作品世界だけの評論として納得できます。でも、日本社会全体が具体的にどういう風に主人公と敵対したのでしょうか?(そういえば、マレーシア首相も竜堂兄弟と直接敵対していないのに批判の対象なんですね)ランゼルさんがそう読みとれた部分を、具体的にご指摘いただけませんか?

> 私にとって見れば、物語冒頭に「核戦争を~国が起こした」とか、中盤の大魔王登場シーンで「大魔王は腕が六本で~」という記述と同じです。
> 悪いことをしたから悪者ではなく、悪者だから悪いことをする、そして、悪い奴なんだと言うことを読者に繰り返し説明して、主人公の正当性に力を貸す。
> そう言う主人公の敵に満ちた世界が私の読んだ創竜伝の世界です。
> そして、そう言う形で創竜伝が世に送り出された以上、それは作者の田中芳樹氏が全て必要だと判断したからです。従って評論っぽい部分を削っては、それは既に創竜伝ではありません。別の小説です。
>
> >わたしには、ランゼルさんは「勧善懲悪物(小説・フィクション)」という万能の免罪符を振りかざして、事実から目を反らしてらっしゃるように見えるんですけど。
>
> と言われても。免罪符でなくて、私は最初からそう言う小説だとしてみているのです。私にとってはそれが事実なので、事実から目を逸らしていると言われても困ります。
> それは私が「恵さんが創竜伝はそう言う小説であるという事実から目を逸らして、社会評論が不必要だと唱えている」と言っても困るのと同じ事だと思います。
> どちらかというと、ここは事実ではなく真実という言葉を使った方が良いかも知れませんが。

なるほど、では「真実」という言葉に訂正させていただきます。
でも、わたしはお互い「あなたこそ、その~という意見は~でしょう?」という言葉をキャッチボールのように投げ返すような議論は望んでいません。社会評論が不必要であるというわたしの主張の根拠もすでにご説明しました。後はどちらが正しいか・間違っているかではなく、お互いの読みとり方・受けとり方の違いだと思います。

> > > 冒険風ライダーさんの意図って、そうなんですか?
> > > この考察シリーズって、本当に小説を現実社会に対する評論と捉えて、全文批判していたのですか。
> > >
> > > > この部分は、ランゼルさんが冒険風ライダーさんの言葉を、ご自分に都合良く解釈されているように思います。
> > >
> > > と言われても、私が読んだ文章の解釈の自由は、私に有るのでは?
> > > 少なくとも私にとって、貴重な時間を割いて、評価していない小説全文を対象に批判文を書くなど、
> > > まさにエンターテイナーのなせる技だと思いました。
> > > そこで、前文にも
> > >
> > > > 現実に立脚したバカ正直な批判ですので(相手はフィクション小説なのにね)
> > >
> > > と、そのように解釈できる文章があったので、エンターテインメントとして書かれていると思い、そのままフィクションに現実で突っ込む方式のエンターテインメントとして読みました。
> >
> > 言葉が少し足りませんでした。確かに、解釈は個人の自由です。でも、その解釈に基づく自分にとって都合のいい引用は避けるべきでしょう。わたしの想像の世界ですけど、冒険風ライダーさんの意図をあなたとは違うものだと感じましたし、もしそうなら引用先の相手にとって迷惑になるからです。この問題は、冒険風ライダーさんご自身に答えていただいてから結論を出しませんか?(と、いうわけで、お手数で申し訳ありませんけど、冒険風ライダーさん、解説をよろしくお願いしま~す(^o^)-☆)
>
> 都合の良い引用に感じられましたか?

結果的に、あなたの解釈は冒険風ライダーさん本人の意図とは違っていたでしょう?その違った解釈に基づいて引用を行えば、引用された相手(冒険風ライダーさん)にとっては、自分の言葉(文章)が自分の管理を離れて一人歩きしてしまう恐れがあるからです。特に、冒険風ライダーさんは雲上の作家さんたちとは違って、ここの掲示板を通じてコンタクトのとれる方なのですから、厳密には先に本人の意図を確認してから引用されても遅くはないでしょう。ランゼルさんご自身も、ご自分の発言を「ランゼルさんがこう言ってるから」とご自分の真意と違う形で勝手に引用されれば、納得いかない気持ちになるでしょう?それと同じことを言いたかったんです。

> >これなどはほんの一例で、ベスト収録の冒険風ライダーさんの「私の創竜伝考察シリーズ」を読んでいただければ、他にもとんでもない社会評論が宝の山のように眠っています(笑)
>
> と出されたので、私はそれを、
>
> >私は現実世界と創竜伝世界の区別をした上で、
> >敢えて(エンターテインメントとして)書かれていると思っています。
>
> と既に読んだことと、私はそう解釈したと言う個人的見解を返したに過ぎませんが。
> 別に「考察シリーズはエンターテインメントだから、恵さんの主張は間違っている」などとは書いていないと思いますが。

あなたの個人的見解自体に問題はないと思います。言いたかったのは、

> それとも、その後の水戸黄門の例を挙げた時の補強に使ったように読まれましたか?
> だとしたら、私の記述順序ミスです。あの部分を別の所に入れるべきでした(本筋と関係ないので)
>
> 従って言えても「都合の良い解釈」にして置いて下さいね。

と、上記のランゼルさん自身が認めておられることと、「都合の良い解釈」に基づいた引用は引用先に対する非礼にあたるのでは?ということです。

> > > 後、
> > >
> > > > 何度も言いますが、どうして「現実の」マハティール大統領の批判等が「創竜伝世界」の社会評論に必要なんですか。
>
> (中略)
>
> > > 従って、読者が取る行動予測(関係者がフィクションに抗議)と私の取る行動(賛同しない)が同じである以上、同列ではないでしょうか?それとも別次元ですか?
> >
> > これも同上で、「フィクションか評論か?」の議論が決着しないと答えは出ません。結局、お互いの主張の根っこはここにあるわけですから。
>
> 了解です。

ご了承、ありがとうございました。

> > > > 簡単です。それは、彼の評論が偏向した内容で対象を「斬りまくって」いるからです。(対象は「日本」そのものが多いです)
> > >
> > > > ~創竜伝2巻より引用~
> > > > 「破局は栄華のきわみに、突然おそいかかる。日本もそうならないといえるだろうか。世界中から富をかき集め、それを国際社会に還元しようとしない。有色人種の国でありながら、人種差別を制度化したファシズム国家南アフリカと深い関係をむすび、名誉白人といわれて喜んでいる。戦争放棄をうたった憲法を持ちながら、軍事予算は、アメリカとソビエトにつぐ世界第3位である。どういうわけか、「人種差別撤廃条約」にも「大量虐殺禁止条約」にも「生物化学兵器禁止条約」にも知らぬ顔である。バランス感覚を失して、大金をかかえたまま一輪車にまたがり、他の人々を突きたおして走りまわっている。いずれ必ず転倒するだろうし、そうなったとき、誰も助けてくれないだろう」
> > >
> > > > たとえば、この評論を読んで、内容が正しいかどうかはともかく、書いたご本人が「自分は正論を書いている」という意義を持ち、快感を覚えているのは想像に難くありません。
> > > > わたしはこの評論の内容には疑問を感じますが、「ここまで一方的に(社会を)斬ってれば気持ちいいだろうなぁ~」とは思います。
> > >
> > > え~と、お答えありがとうございます。ただ、これは例が悪いです。これって私にとっては竜堂始の述解部分なので、始の認識としては正しいことです。
> > > 確か私だけでなく恵さんも、作中人物なら良いのではありませんでした?
> >
> > ごめんなさい、ここはランゼルさんの方が正しいです。評論部分と思っていましたので、例にあげたのですけど、そうでないならあなたのおっしゃる通りです。ただ、これはわたしの例の挙げ方まずかっただけで、主張そのものを変えるつもりはありません。
>
> そんなあっさりと肯定しないで下さい。ここは評論部分とも解釈できますので、恵さんに原書に当たってもらいたいです。こういう記述を述解と取るか、唐突な評論と取るか。それによって、創竜伝中の評論と見なせる量が大きく変わります。
> 例えば、マレーシア首相の部分も、竜堂続の主張に、蜃海三郎が答えているだけと見なせるのでは?

ここは、わたしの個人的事情が関係していました。実は創竜伝、12巻しかわたしの手元にないのです(^_^;)。だから、あなたに前後の文脈と評論か述懐か?をご指摘いただいたとき、確認のしようがなかったので結論を急いでしまったのです。原書が手元にある、という状況でないとお答えできない問題ですので、確認できるまでお時間をいただけると幸いです(すぐには、ちょっと難しいですけど。最初からこう言えばよかったですね、ごめんなさい)。

> > > > また、
> > > > 「他人の批判(悪口)を言うと、すっとする」
> > > > というのは、程度の差はあっても、誰でも持っている感情だと思います。
> > > > もちろん、わたしも社会評論を書いたことがありませんが、突き詰めていくと田中氏の偏向した上に一方的な(つまり根拠が少ない)社会評論は「他人の批判(悪口)を言うと、すっとする」というレベルでしかないと思うんです。
> > >
> > > この辺りは、確かめる手段が私にはないので一点だけ。田中芳樹氏がそう言うレベルだったとして、他の人にも当てはまる心理なのでしょうか?例えば、恵さんはどうですか?実際に恵さんも一方的に田中芳樹氏を斬っていますが、気持ちいいとか、すっとするとかあるでしょうか?
> > >
> > > 批判者の心理は似ているのか、それとも、恵さんが田中芳樹氏をそのようなレベルだと評しているだけなのかが知りたいです。
> >
> > う~ん、そんなに大げさに考えることでしょうか?巷の居酒屋に行けば、サラリーマンの皆様が上司・同僚・会社の批判(悪口)を言っている姿は全国津々浦々、どこでも見かける光景ですよね(笑)?彼らは、お酒の席で嫌々そんな話題で盛り上がっているのでしょうか?気の置ける仲間たちと積極的に他人の悪口を言い合うことによって、自分の気持ちがすっとする(ストレス発散)できるからでしょう?(もちろん、わたし自身にもそういう気分のときはあります)このメンタリティは田中氏の評論に通じるものがあるのでは?というのがわたしの意見です。
> > また、「実際に恵さんも一方的に田中芳樹氏を斬っていますが、気持ちいいとか、すっとするとかあるでしょうか?」とのご質問ですけど、わたしは同じ斬るでも「田中氏の~という作品の~という文章・考えを~という理由で~と思う」という、それなりの根拠と言い方に気をつけて「批判」しているつもりです。どこがどう「一方的」なのですか? 田中氏が評論のときに守っていない批判時のモラルを守って発言しているつもりなので、同じだと言われるとあまりいい気持ちにはなれません。そして、わたしのスタンスとしては「少しでも田中作品の~という悪い部分が改善されたら」というファンの苦言として批判しているのです。「悪口を言ってすっとする」ときの心境とは違います。ほとんど根拠のない田中氏の言いたい放題の評論がそうなのでは?と言いたいんです。ここは誤解なさらないようにお願いしますね。
>
> お答えありがとうございます。
> なぜすっとするか知りたかったのかというと、恵さんが例に出した始の述解のように、恵さんが評論だとみなすのか、キャラクターの述解部分と見なすのかグレーゾーンが創竜伝には多数有るわけです。そして、キャラクターの述解部分であるなら、当然それは創作部分であるので、
>
> > サラリーマンの皆様が上司・同僚・会社の批判(悪口)を言っている姿は全国津々浦々、どこでも見かける光景ですよね(笑)?彼らは、お酒の席で嫌々そんな話題で盛り上がっているのでしょうか?気の置ける仲間たちと積極的に他人の悪口を言い合うことによって、自分の気持ちがすっとする(ストレス発散)できるからでしょう?
>
> と言う姿勢ではとても作れないと思うのです。それをこの姿勢で作れるとしたので、一方的だと思いました。

「と言う姿勢ではとても作れないと思うのです」
↑この発言の根拠は何でしょうか?
評論か創作かの問題を脇に置いておくにしても、あの根拠の少ない表面的・一面的な文章は下手をすると、たとえるなら取材さえろくに行っていない、タチの悪い写真週刊誌の中傷記事と大差がないようにわたしは感じます。あの文章が、どれほど文筆家として真摯な姿勢で検証・執筆されているのか、その根拠となるものは何ですか?ランゼルさんの主観以外の根拠を教えてください。

> > > > p.s.
> > > > 反論されるのを覚悟で、(アンチの)タナウツ掲示板(笑)に書き込まれたランゼルさんの勇気には敬意を表します(^_^)
> > >
> > > え~と、HPの感想を書くのに勇気が要るのでは、閉鎖的ですよ。
> >
> > 「ただの感想」ならそうでしょう。でも、あなたの場合、このサイトの根源を揺るがす発言を確信犯的行っているのですから、わたしたちに反論されるのはご承知だったはずです。おそらく、それを受け止める覚悟と勇気を持っておられたのでしょうから、その気概に敬意を表したつもりなんですけど。別に感想を書き込まれた行為自体を称賛したわけではありません。う~ん、わたしの方が誤解させる言い方だったかなぁ?f(^_^;)
>
> え~とですね、感想に「ただの」も「特別の」もあるのですか?私にはこのHPを読んでそう感じられただけで。オープンサイトである以上、誰でも書き込みはOKでしょう?
> もし、趣旨に添わない書き込みを即「反タナウツ」とするのなら、それは閉鎖的ではないでしょうか?
> 「正タナウツ」「反タナウツ」の他に、「非タナウツ」の存在を認めてくれると、一見さんも書き込みしやすくなるような。

そこまでは言っていません。そして、非タナウツの存在の許容は、管理人さんご自身がはっきりと認めておられます。荒らし以外の書き込みは、基本的にどんな内容でも削除しないと明言されておられますしね。ですから、あなたのおっしゃる通り、「オープンサイトである以上、誰でも書き込みはOK」です。わたしの正直な気持ちなんですけど、意見そのものが合わないとしても、わたし自身は自分と異なる意見のランゼルさんとの議論に意義や充実を感じているんですよf(^_^)。
ただ、今思うと、ランゼルさんのお立場をわたしが勝手に想像していた節がありますので、それはわたしの理解力不足と勇み足だったいうことで、この点はお詫びいたします(申し訳ありませんでした)。

> > > それと、フィクション、ノンフィクションに関わらず、田中芳樹氏が小説のルール違反をしているのなら、それは小説家として問題だと思います。
> >
> > 「ルール違反」ではないかもしれませんけど(ルールの定義については、わたしも断言はできませんので管理人さんの意見を待ちます)、「モラル違反」ではある思います。評論部分の職業差別発言などは、特にそう思います。田中氏は、「夢幻都市」で相馬邦夫に「自分の職業を侮辱されて黙っている奴はバカだ」と言わせたのは一体何のためだったのでしょう?あの言葉を言わせた作者と創竜伝の評論を書いた作者が同一の人物とは、ちょっとわたしには思えません。どうせ、「あれは相馬邦夫というキャラクターの発言だから問題ない」とあなたは言うのでしょうけど、わたしはそのように自分の作品表現に一貫性のない田中氏の小説家としての姿勢に疑問を抱かずにはいられません。「それでもフィクションだから」とおっしゃるなら、残念ながらわたしとあなたの意見はずっと平行線のまま、「見解の相違」の域を出ないと思います。
>
> モラルの問題は定義が難しそうです。フィクション小説って、結構色々なことが書いてあるので。

曖昧な部分もあって、確かに完全な定義は難しいかもしれませんけど、わたしたちは「倫理」という題目で差別問題などの基本的な「モラル」学習を受けたはずです。職業差別などは明確に「モラル違反」と定義できると、わたしは判断します。

> それと、見解の相違というより、田中芳樹氏に期待しすぎでは?小説と小説家は別物で、幾ら小説で格好良い事を言っても、本人がそうだとは限りません。恵さんも相馬邦夫=田中芳樹氏と思ってはいないと思います。
> 当然、発言内容も発言動機も、田中芳樹氏個人とは関係ないとは思いませんか?

そうでしょうか?
かなり極端なたとえ方ですけど、往年の「大五郎」(字、合ってるかな?)役をつとめた元子役の俳優さんが殺人事件の容疑者となったとき、マスコミは大々的に報道し、人々の多くは「まさかあの人が…」と感じたと思います。俳優業という華やかな職業についていた人に対して、「理想(もしくは幻想)を裏切られた」と感じた人も多かったはずです。著名人に対する一般的な人々(もちろん、わたしも含みます)の反応とは大衆であるが故に常にそういう傾向を持っており、著名人にとっては、「有名税」の一端ともとれなくはないでしょう。わたしは、田中氏に竜堂始や相馬邦夫になれと言っているのではありません。自分の書いた文章に少しでも「プロ作家」として責任を持っておられるなら、あまりにも一貫性のない(しかも差別)表現は慎むべきでは?と言いたいのです。

さらに言うと、

「発言内容も発言動機も、田中芳樹氏個人とは関係ない」

と、おっしゃるということは、「文責」という概念をあなたは最初から否定もしくは無視しているということですね?「ルール」の概念の他に、「責任」という概念もあるということをお忘れなく。そして、それすらまともに果たそうしない人を「無責任」と呼ぶのです。

> 夢幻都市と創竜伝では、作風が違いますが、そこに一貫性を求めていて裏切られたと感じるのか、こういう小説も書くのかと受容するかは、人それぞれだと思います。

ですから、前回わたしは「見解の相違(=受けとり方の違い)」だと申し上げたはずですけど?
最初に「見解の相違というより、」とわたしの意見を否定されたのはランゼルさんでしょう?それなのに、どうして結果的にわたしと同じことを言ってしめくくるのですか?この部分は蛇足だと思いますけど。

※p.s.
前述の、小説のルールを少し調べてみました。

平凡社「世界大百科事典」より抜粋

~「日本における小説の成立」~
(前略)
(抜粋者、恵からの注:坪内逍遥の小説観の提示した、)「ノベル」としての小説は、「人情」と「世態風俗」(社会)を模写する文学ジャンルであり、作者は「傍観者」の立場を持して、みだりに作品に介入してはならないというのである。こうした小説観がイギリスのビクトリア時代の小説を基準にしていることはいうまでもないが、逍遥は戯作を改良して「文壇上の最大美術」である小説=ノベルとして自立させるために、中国的な「小説」概念を支えていた倫理的効用性や、明治10年代の政治小説が鼓吹した政治的啓蒙性を切りすてる方向をえらんだ。
(後略)

↑けっこう長く解説してあったのを省略させていただきましたので、興味を持たれたなら原書をあたってみてください☆(^o^)

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board4 - No.254

ほんのちょっと修正を☆

投稿者:
2001年06月16日(土) 13時48分

> 恵です☆
> まだまだ頑張って議論をしていきたい…とは思いますけど、言いたいことがなかなか相手にうまく伝わらないので、しみじみと自分の言語能力の限界を痛感しています(^_^;;)。だらだらと議論を続けるのもあまり本意ではないので、なるべく要点を絞って発言していきたいと思いますね。(と、言いつつ、今回も長かったりするんですよねぇf(^_^;;)> こんばんわ、ランゼルです。私の方も、出来る限り頑張りたいです。

ご挨拶の最後に、前回のランゼルさんの書き込みが残ってしまっていました。
単純に削除し忘れただけですので、他意がないことをお知らせし、訂正とお詫びさせていただきます。
(書き込みの量が多かったとはいえ、今後は気をつけていきたいと思いま~す(^_^;)

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board4 - No.255

Re242:いろいろレス

投稿者:冒険風ライダー
2001年06月16日(土) 15時45分

<まずは、冒険風ライダーさんの考察シリーズで楽しませていただいた一読者として、お礼を言います。ありがとうございました。>

 いえいえ。こちらこそ、考察シリーズを閲読していただき、感謝しておりますよ。
 自分が書いた文章を他者に読んでいただき、楽しんでいただけるのは、作者として光栄なことですから。
 しかし、

<冒険風ライダーさんがそう言うお考えで書いたのは解りました。でも、私が冒険風ライダーさんの考察の前文を読んだ地点でそう解釈しなかったからと言って、別に問題ないですよね?>

 ↑これに関しては、はっきり言わせていただければ「大いに問題有り」ですね。私が書いた文章の一部だけを取り上げて捻じ曲がった解釈をされては困るのですよ。
 発言者の真意とは全く違った解釈をされることがどれほどまでに恐ろしいことであるかについては、森前総理の「神の国」発言や石原都知事の「三国人」発言をマスコミがどのように解釈し、報道したかを挙げれば分かるでしょう。彼らは彼らなりに問題意識を抱き、それを国民に問いかけたかったにもかかわらず、あの当時のマスコミ(特に朝日系列)は、彼らの発言の一部を自分達の都合が良いように意図的に抜き取り、あたかも彼らの発言が「差別主義者的」「右翼的」であるかのようなレッテル貼りの報道を行いました。おかげで彼らは自らの真意とは全く関係のないところでいちいち釈明を行わなければならなくなってしまい、肝心の問題提起をマトモに行うことすらできなくなったのです。
 彼らのケースではマスコミの意図的かつ確信犯的な報道が原因でしたが、そこまで悪意に満ちたものでなくても、ちょっとした解釈の違いや言葉のすれ違いが相手の誤解を招き、発言者が思いもよらない事態を招くことはよくあることです。だからこそ、何かの文章を論評する際には、引用は慎重に行い、相手の発言の意図をきちんと汲み取らなければならないのです。
 今回の件だって、ランゼルさんが最初の前文だけを取り上げて考察シリーズに対する妙な解釈など披露しなければ、わざわざ私が出向いて投稿する必要もなかったのですけどね。

<あの~、私の最初の感想を読んでいただけましたか?私は創竜伝を勧善懲悪物として楽しんでいると。
私がそう楽しんだからそう言う前提で話を進めているのが、問題でしょうか?>

 ↑これに関しても問題大有りです。
 ランゼルさんが個人的に「創竜伝=勧善懲悪物」「社会評論=フィクション」と考えるのは自由ですが、ランゼルさんはその「感想」を元にしてこのタナウツページや掲示板の方針に「娯楽小説と言う視点が抜け落ちているのでは?と思いました」などと異議を唱えたのでしょう? ならばその「感想」とは全く意見を異にするタナウツ掲示板常連と議論になるのは当然ですし、その際にはその自分が主張する「感想」なるものがいかに普遍的な正当性を持つものであるかを、論争相手や掲示板をROMしている人達に訴えていかなければならないはずです。
 ましてや、この掲示板においては「創竜伝=勧善懲悪物」という評価自体が成立しておりませんし、社会評論に対しても「フィクションではなく現実世界に対する評論で、しかもストーリーの流れとは全く関係なしに挿入されており、さらにそれによってストーリーが矛盾・破綻をきたしている」という考え方が主流なのです。そこにわざわざやってきて異論を唱えておきながら、いざ反論されたら「あれは私個人の感想でして」ではあまりにも御都合主義なのではありませんか? しかもランゼルさんに反論する人達は皆その「感想」自体に対して疑問を持っているのですから、その「感想」の正当性を主張することなしに「私がそう楽しんだからそう言う前提で話を進めて」はイケマセン。
 実際、一連の議論を拝読していると、ほとんどの議論相手がランゼルさんの「感想」に同意しないがために、互いの意見が平行線になっているパターンばかりが目立っているではありませんか。この事態を何とか前進させたいがために、今回あえて「創竜伝=勧善懲悪物」という主張の根拠をお聞きしたわけですよ。
 それで説明していただいた内容なのですが、

<それに、作中正義という物について私とは認識に差があるようですね。私にとっては別に主人公が正義を名乗る必要など有りません。と言うか、例えば、水戸黄門が正義を自称したことがありますか?無いと思います。
要は読者が、主人公の正当性を信じれば良いだけのことです。倒す相手よりも。>

<個人的感情を否定し、明確な主義主張がなければ物語の主人公は悪を倒してはいけない、と主張されているようにも思える冒険風ライダーさんには、相容れない見解であるとは思います。>

 確かにこの辺りは双方に認識の差があって、私は「勧善懲悪物は、作品のストーリーやキャラクターの自己主張がきちんと構築されていなければならない」と考えているんですよね。作品を客観的に論評する時に、主観的な見解である「読者の解釈」がどれほどの役に立つと言うのでしょうか?
 読者の解釈と言っても、その解釈基準は人によって千差万別なのですから、それをもって作品を「勧善懲悪である」と評価してしまうと、この世のあらゆる作品が「勧善懲悪物」になってしまうのではありませんか? ランゼルさんの仰る判定法では、極端な話、快楽的に幼児を何人も殺害している人物を主人公にした小説を読んだ人が「主人公の正当性を信じ」「殺される相手が悪である」と見たら「それは勧善懲悪小説である」ということになってしまうのですから(笑)。
 読者の解釈に絶対的なものなんてありませんよ。ランゼルさんと、私を含むタナウツ掲示板常連とが議論していること自体がそのことを証明しているのはないのですか? したがって、そのような千差万別の解釈法をもって、客観的に「創竜伝=勧善懲悪物」と評価するのは無理があります。だからこそ私は、誰でも理解できるように客観的かつ理論的に説明できる創竜伝のストーリーやキャラクター設定を検証することで「創竜伝は勧善懲悪物などではない」と主張するわけです。
 もちろん、個人的・主観的に見るだけであれば、個人個人それぞれの解釈で何の問題もないでしょうが、それで自分とは全く違った認識を持つ他人を説得できるかどうかはまた別の問題でしょう。

> 私の創竜伝考察33
> 創竜伝最大の破綻・中編
> 1. 四人姉妹を支えるアメリカ基盤産業の実態
<に対して、創竜伝世界では四人姉妹はアメリカを支える産業のほぼ全てを掌握しているという設定です。
現実のアメリカの経済は全く関係有りません。
以上です。
従って、架空世界の前提設定に、現実の世界の状況を持ち込む冒険風ライダーさんの考察は、私にとって賛同する物ではありません。>

 創竜伝がアルスラーン戦記やマヴァール年代記などのように「現代をモデルにした空想上の架空世界」を舞台にしているとでもというのならばそりゃ確かにそうでしょうが、創竜伝世界は「実在する現代世界」をほとんどそのまま持ってきた上で色々な手を加えているのですから、論評する際に現実の世界の状況を持ち込んだところで別に問題はないでしょう。そしてストーリー設定が現実世界と齟齬をきたしているのであれば、容赦なくツッコミを入れられて然るべきです。
 あれらがあくまで「空想上の世界」であるというのであれば、例えば現代世界からそのまま持ってきた九〇式戦車などは、創竜伝世界では140mmの主砲を持っていることになるわけですか(笑)。まあこんなのは些細なミスではありますけど(もっとも日本の軍事問題について作中で偉そうに語っている人間がこんな凡ミスをするのは「恥」だとしか言いようがないですが)、創竜伝のストーリーを支えている四人姉妹の設定でこんなミスをやってしまったら、ストーリー設定的に大問題になってしまうではありませんか。「創竜伝であれほど大仰に書かれている四人姉妹の経済基盤は実は全く大したことのないものでしかない」なんてミソがついてしまうのですから。
 まあこの辺りは、創竜伝を「完全なフィクション小説」として見ているランゼルさんとは意見が分かれるところではあるでしょうが。

 それと私が他に指摘したストーリー設定破綻についての話を意図的に取り上げていないようですけど、竜堂兄弟の桁外れに独善的な性格設定や、四人姉妹や牛種と対立する理由の欠如、それに「ストーリー設定における」法律違反の話などは「勧善懲悪」や「フィクション」として見るとどう評価されるのですか? アレは「勧善懲悪」や「フィクション」として見ても弁護のしようがないと私は考えるのですけど。
 例の「前文解釈」の件でもそうでしたけど、もう少し一部だけでなく全体を見て私の言わんとするところを理解していただきたいものですね。

親記事No.202スレッドの返信投稿
board4 - No.256

Re:フェアじゃない?

投稿者:古代蓮
2001年06月16日(土) 20時10分

> 私が問題としているのは、小説はそれを学問的な議論の対象とすることができないということです。極端な話、小説に対してまじめに反対意見を述べても、あれはフィクションですといわれればそれで終わりです。つまり、自分の思想を述べることに対して、それに対する反論を受けるだけの覚悟が無い、言い換えればはじめから反論を受けたときの逃げ道を作っている、その態度が問題なんです。反論の余地が無い方法で思想を広めるのは、俗な言い方をすれば「フェアじゃない」ですね。以前の投稿で何度も言っているような気がしますが・・・。

これは、田中芳樹氏が思想家か、それに近い者としての意見だな。

その「フェア」じゃない根拠をきかせてもらいたい。
逃げ道とか云々ではなく、「反論の余地がない方法で思想を広める」ことのどこがアンフェアかを。

思想を広めるさいのルールなどあったか?
自分たちの内で勝手にルールをつくりだしてないか?

もしも、仮に、田中芳樹氏が自分の思想を広めるために小説を書いてるとしたら、その頭の良さに感心どころか寒心するぞ。
若者に広く浸透し、それでいて反論の余地がないのだからな。

> 後ひとつ付け加えるなら、小説にとって、ストーリーと筆者の思想、どちらが大事ですか。両者がうまくかみ合えばいいですがそうでない時、果たしてそれは小説と呼ぶに値するでしょうか(貴方は田中芳樹作品においてかみ合っているとお思いなのでしょうが、そうでない人もいるということも理解してくださいね)。

ここからは、田中芳樹氏を小説家とした場合の意見だな。

あの批評の部分は、竜堂兄弟の基本的な思考の仕方をあらわしていると受け取れないだろうか?
つまり、竜堂兄弟の価値観をあらわすものだと。

大国のおごり→アメリカがどうたらこうたら
民族主義国の云々→日本はなんたらかんたら

と、難しい思想をわかりやすく例をだして説明している。
それに日本やアメリカが多いのは、たんに知名度が高いからだろう。

まあ、実際のところはどうだか知らないが。
こういう受け取り方もある、と。

それと、創竜伝はキャラの掛け合いを読んでいて、全体としてのストーリーの流れは気にして読んでいない。
こういう読み方だと、ストーリーが破綻しているらしいが、気にもとまらないし、批評の部分が邪魔だと感じることもない。むしろ批評の部分も含めて、キャラの掛け合いは成立しているように感じる。

つまりは読み方からして違うので、批評が邪魔かどうかは意見がかみ合うことはないだろう。

> 最も、田中芳樹が彼の思想を哲学書で書いたとして、それが純粋に研究の対象とするだけの価値があるかどうかは疑問ですし、従って売れるかどうかも疑問です。その意味で、売れることをもってよしとするなら、それはそれで小説として出すというのは一理ありますね。それは認めます。(逆に面白いもの見たさで売れるかもね。)

ここも田中芳樹氏を思想家か、それに近い者として書いているな。

田中芳樹氏は別段新しいことを言ってるわけではないので、あんまり売れないと予想したいところだが、知名度が高いので結構売れるのではないだろうか。
まあ、小説を出した方がもっと売れるだろうが。

田中芳樹氏を思想家として見たならたいしたことはない。
だが、思想を宣伝する者として見たら一流だ。

> もし、田中芳樹が彼自身の思想云々はおいといて、「右翼いじめしとけば売れる」というだけで、貴方やランゼルさんが言うようにそういう思想を道具として(装って)小説を書いているとすれば、そのノンポリぶりは逆に売れることに徹したプロ魂として賞賛してもいいですね、今までの批判は置いといて(笑)。いやマジな話。まあ、彼自身にしかわかりませんが。

ここからがまた小説家としての田中芳樹だな。

「そういうこともありえる」と考えているだけで「必ずその通りだ」とは考えていないことを断っておきたい。

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