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投稿ログ24 (No.413 - No.432)

親記事No.341スレッドの返信投稿
board4 - No.413

Re:皆さんはじめまして

投稿者:
2001年07月12日(木) 07時20分

恵です☆
佐々木さんのお考え、概ね理解と同感ができるのですけど、あと少しだけ意見を言わせてくださいね。

> 最後に
> > 「重箱の隅をつついている」
>
> 自覚しております。ていうか、目的です。
> まあ、田中氏の小説は日本が出てこなければ基本的に面白いので(笑)
> こんな考えも成り立つ余地が有るんだと、受け止めてください。
>

わたし個人としては、受け止めることができます。前回、感想としてはとても興味深いです、と書かせていただきましたしね。
ただ、こちらのサイトの趣旨が「田中氏を論理的に批判することで、現役ファンに楔を打ち込む」である以上、あまり

「重箱の隅をつついている」ことを

「自覚しております。ていうか、目的です」

と、公言されたりするのはいかがなものでしょうか?
佐々木さん個人の楽しみ方としてはまったく問題ないと思うんですけど、こちらに参加されている多くの方々に誤解が及ぶ可能性も考えられますので、もう少し発言にデリケートな配慮をされたほうがよいのではないでしょうか?(タナウツ掲示板は重箱の隅をつつくとこなのか、って第三者に誤解されたらややこしいことになるような気がするんです)
少なくとも、わたしは(たぶん他の常連さんも)田中作品の「重箱の隅をつつく」目的でこちらに参加しているわけではありませんので、その点をご理解いただきたいと思います。

親記事No.367スレッドの返信投稿
board4 - No.414

言い過ぎです。

投稿者:見学者
2001年07月12日(木) 08時59分

> ドイツに上級大将があったのは陸軍と空軍と武装親衛隊で、海軍では元帥と大佐の間には4つしか階級がなかった模様。(拙者の知っている限り)
> また、曹長・軍曹・伍長は(日本語では)陸軍に特有の階級呼称で、海軍では上等兵曹・一等兵曹・二等兵曹がこれに相当します。
> 帝国軍や同盟軍(宇宙軍)は海軍を模したもの(提督という単語が出る)なのに、陸軍の階級呼称を用いるのは田中芳樹は海軍の階級呼称を知らんらしい。

 それは、銀英伝が、海軍である宇宙軍がほとんどをしめており、空軍
という独立部署がなく(あえていうなら、惑星内の大気圏内戦闘部隊)、また、陸軍がシェーンコップのような陸戦隊のようなものしかないからでしょう。
 わざわざ、軍組織により異なる階級制度は煩雑過ぎるからではないでしょうか。もちろん証拠はないですがね。

親記事No.388スレッドの返信投稿
board4 - No.415

Re:証拠?

投稿者:見学者
2001年07月12日(木) 09時22分

 少し気になったので失礼ですが横レスを入れさせてください。
>
> ☆「小説家なんだから小説に持論いれたって良いと思う。エッセイストじゃないし」
>
> ↑これは反対じゃないですか?
> エッセイに持論が入るのは至極当然ですし、小説に持論が入るのは不自然です。なぜなら、近代小説の暗黙のルールでは、「作者が小説の中にみだりに干渉してはいけない(By 坪内逍遥)」があるからです。また、あえて作品の質の向上のために持論を入れるなら、それなりにその必然性と説得力が必要になりますけど、たとえば創竜伝では持論(社会評論)などまったく必要がないばかりか、作品設定が破壊されるという悪影響が確認されています。(ベストの議論や冒険風ライダーさんの「私の創竜伝考察」は読まれたでしょうか?まだなら、トップページから行けますのでぜひど~ぞ☆)

 田中作品批判でこのサイトにおいて多用される「小説のルール破り」ですが奇妙な論法だとおもいます。ピカソの作品を絵のルール破りと批判する人はいません。創竜伝とピカソは同列にできませんといわれそうですが。
 つまり、作品における批評が的をえていないことを批判することと、小説に批評をいれることそのものを批判することは異なることです。文章として小説家が発表する以上それは、どんな言語、形体、文法であろうが許容されるべきです。小説家にとっての本質は、自己の表現を発表することで、それは必ずしも読者の理解を必要としないのです。それを理解できないとか間違っていると批判するのは当然ですが、そんな表現形態を間違っているということはできません。できるのは、それを買わない自由だけです。

 どうでしょうか。

親記事No.341スレッドの返信投稿
board4 - No.416

Re:皆さんはじめまして

投稿者:佐々木公彦
2001年07月12日(木) 12時27分

恵さんこんばんわ
エーかなり眠い状況で書いたので言葉が足りなかったようです。
重箱の角と言ったのは、ラインハルトが打った手はほとんど有効なものが無かったのに、相手のミスによって勝利者になっていった点についてです。
はっきり言って銀英伝の根本です。
ただ終わった話について後から批判することを重箱の角だと思っています。
最初の二つに書いた内容の中でアスターテ会戦とクーデターの時のヤンの行動は重箱の角と言うには大きすぎます。
どちらも並じゃない馬鹿でもやらないようなミスです。
とりあえずこんなところです。

親記事No.388スレッドの返信投稿
board4 - No.417

ルール破りについて☆

投稿者:
2001年07月12日(木) 13時20分

恵です☆
今回は、見学者さんへのお返事です。

>  少し気になったので失礼ですが横レスを入れさせてください。
> >
> > ☆「小説家なんだから小説に持論いれたって良いと思う。エッセイストじゃないし」
> >
> > ↑これは反対じゃないですか?
> > エッセイに持論が入るのは至極当然ですし、小説に持論が入るのは不自然です。なぜなら、近代小説の暗黙のルールでは、「作者が小説の中にみだりに干渉してはいけない(By 坪内逍遥)」があるからです。また、あえて作品の質の向上のために持論を入れるなら、それなりにその必然性と説得力が必要になりますけど、たとえば創竜伝では持論(社会評論)などまったく必要がないばかりか、作品設定が破壊されるという悪影響が確認されています。(ベストの議論や冒険風ライダーさんの「私の創竜伝考察」は読まれたでしょうか?まだなら、トップページから行けますのでぜひど~ぞ☆)
>
>  田中作品批判でこのサイトにおいて多用される「小説のルール破り」ですが奇妙な論法だとおもいます。ピカソの作品を絵のルール破りと批判する人はいません。創竜伝とピカソは同列にできませんといわれそうですが。
>  つまり、作品における批評が的をえていないことを批判することと、小説に批評をいれることそのものを批判することは異なることです。文章として小説家が発表する以上それは、どんな言語、形体、文法であろうが許容されるべきです。小説家にとっての本質は、自己の表現を発表することで、それは必ずしも読者の理解を必要としないのです。それを理解できないとか間違っていると批判するのは当然ですが、そんな表現形態を間違っているということはできません。できるのは、それを買わない自由だけです。
>
>  どうでしょうか。

では、お答えします。
わたしは、
「小説に持論が入るのは不自然です」
と書きましたけど、「絶対にいけないこと」とは主張していません(ですから、あえて“暗黙のルール”と表現したんです)。そして、それは明治の作家・坪内逍遥の言葉を根拠とさせてもらっています。ザ・ベスト収録「小説としてのエンターテイメント性9」での議論のときに手元の資料から抜粋・引用した文章を、もう一度引用させてもらいますと、

平凡社「世界大百科事典」より抜粋

~「日本における小説の成立」~
(前略)
(抜粋者、恵からの注:坪内逍遥の小説観の提示した、)「ノベル」としての小説は、「人情」と「世態風俗」(社会)を模写する文学ジャンルであり、作者は「傍観者」の立場を持して、みだりに作品に介入してはならないというのである。こうした小説観がイギリスのビクトリア時代の小説を基準にしていることはいうまでもないが、逍遥は戯作を改良して「文壇上の最大美術」である小説=ノベルとして自立させるために、中国的な「小説」概念を支えていた倫理的効用性や、明治10年代の政治小説が鼓吹した政治的啓蒙性を切りすてる方向をえらんだ。
(後略)

↑けっこう長く解説してあったのを省略させていただきましたので、興味を持たれたなら原書をあたってみてください☆(^o^)

ということですね。
逆に見学者さんにお伺いしますけど、あなたの

「文章として小説家が発表する以上それは、どんな言語、形体、文法であろうが許容されるべきです。小説家にとっての本質は、自己の表現を発表することで、それは必ずしも読者の理解を必要としないのです」

は、何を根拠におっしゃっているのでしょうか?
見学者さんの主張の内容がおかしい、と言っているのではありません。ランゼルさんとの議論のとき、明確な小説のルール規定を知る必然性を感じ、それを自分なりに調べた結果、わたしは坪内逍遥の言葉を知ったんです。以降、わたしはこれを拠り所として議論させてもらっていますけど、あなたの主張されるこの定義には明確な根拠があるのでしょうか?これは嫌味という意味ではなく、以前から純粋に知りたいと思っていたことなので、ぜひぜひその根拠を教えてくださいませ☆
それとですね、過去にこちらの管理人さんが本当に主張されたことと、わたしが強調したいことは、

「小説に社会評論を入れるな」

ではなく、

「小説にルール破りの社会評論を入れて作品が面白くなるならともかく、それによって様々な矛盾(冒険風ライダーさんの「私の創竜伝考察」をご参照ください☆)が生じ、かえって面白さを損なっているから問題がある」

なんです。
田中氏がルール破りと批判されるのは、見学者さんが例に挙げたピカソのルール破りとは違い、ルール破りの上に「ルールの破り方」が悪かったせいで作品に深刻な矛盾があるためです(小説か評論かわからないあの手法と、社会評論そのものの間違いですね)。ピカソの鮮烈な(横紙破り的な)表現方法はその斬新さがかえって際だち、圧倒的な評価につながりましたけど、創竜伝の社会評論は突き詰めていくと、逆に田中氏の評価を落とすだけの要素です。(このあたりは、『私なりの創竜伝魅力考察』や冒険風ライダーさんの『私の創竜伝考察』などをご参照ください。創竜伝の魅力やその売れる理由が、社会評論ではないことを多くの方と議論できたと思っていますから)
そういう意味で、見学者さんのおっしゃる、

「つまり、作品における批評が的をえていないことを批判することと、小説に批評をいれることそのものを批判することは異なることです」

は、すでに管理人さんご自身が明言されているんです。(ベストや過去ログをちゃんとご覧になりましたか?本編の「小説か?評論か?」関係ですでに議論されています)
最後に、勝手を承知で、その中の管理人さんの言葉をお借りして、あなたの主張にお答えしたいと思います。

> できるのは、それを買わない自由だけです。

> 田中氏の理論では「バカな政治家を選ぶのは愚かな人間達でいつかしっぺ返しを喰らう」とのことですが、もしもこの理論が正しいのなら、ご自分に当てはめても文句は言えないでしょうね。

p.s.
管理人さん、お言葉を勝手に引用させていただいたことをご報告いたします。もしも、わたしのの引用がご自分の意図と違うというような誤用でしたら、訂正いたしますので、遠慮なく申してくださいませ。

ではでは☆

親記事No.388スレッドの返信投稿
board4 - No.418

この問題については

投稿者:本ページ管理人
2001年07月12日(木) 14時29分

> >  田中作品批判でこのサイトにおいて多用される「小説のルール破り」ですが奇妙な論法だとおもいます。ピカソの作品を絵のルール破りと批判する人はいません。創竜伝とピカソは同列にできませんといわれそうですが。
> >  つまり、作品における批評が的をえていないことを批判することと、小説に批評をいれることそのものを批判することは異なることです。文章として小説家が発表する以上それは、どんな言語、形体、文法であろうが許容されるべきです。小説家にとっての本質は、自己の表現を発表することで、それは必ずしも読者の理解を必要としないのです。それを理解できないとか間違っていると批判するのは当然ですが、そんな表現形態を間違っているということはできません。できるのは、それを買わない自由だけです。

この問題については、私がここで好んで使う芸術家提督のあの言葉に尽きると思います。
「絵の具に砂糖を入れたからと言って甘い絵にはならない」

いや、絵の具に砂糖を入れて本当に甘さを表現できれば、それは鮮烈で偉大な横紙破りだと思いますけれどねぇ。

board4 - No.419

とりあえず足跡

投稿者:遊馬
2001年07月12日(木) 17時58分

こんにちは、始めまして。
僕も田中さんの小説は好きでした。
中・高とはまって読みました。
中学生の頃はその文に込められた思想とかは全く考えず(てか理解できなかった)ストーリーのみを楽しんで読んでました。
でも高校生も終わりの頃になるとやっぱり『この作者の考えには偏りがあるかな?』などと薄々感じたものです。
管理人さんはそこをこのHPの題材として取り上げてるんですよね。
正直大学に入ってからは文字離れしてしまい
このページを読むのは非常に困難でした。
てかほとんど読んでないし、管理人さんの主張も理解してない(笑
僕が理解するにはもう少し読み込まないと駄目みたいですね。
ただ4のやつ『小説だったら許される?』でしたっけ。
確かにおもしろかったんですが、あれはどうかと・・・
何かこのHPの品位を落としているような気がしました。
結構時間をかけて読んだんで、とりあえず足跡だけ付けてみました。
今度また(読み込みに)挑戦してみますね。
それでは~♪

親記事No.367スレッドの返信投稿
board4 - No.420

Re:言い過ぎです。

投稿者:S.Inoue
2001年07月13日(金) 03時16分

>  わざわざ、軍組織により異なる階級制度は煩雑過ぎるからではないでしょうか。

素直に海軍の階級呼称を用いればいいのに。

親記事No.388スレッドの返信投稿
board4 - No.421

Re:この問題については

投稿者:見学者
2001年07月13日(金) 11時26分

> > >  田中作品批判でこのサイトにおいて多用される「小説のルール破り」ですが奇妙な論法だとおもいます。ピカソの作品を絵のルール破りと批判する人はいません。創竜伝とピカソは同列にできませんといわれそうですが。
> > >  つまり、作品における批評が的をえていないことを批判することと、小説に批評をいれることそのものを批判することは異なることです。文章として小説家が発表する以上それは、どんな言語、形体、文法であろうが許容されるべきです。小説家にとっての本質は、自己の表現を発表することで、それは必ずしも読者の理解を必要としないのです。それを理解できないとか間違っていると批判するのは当然ですが、そんな表現形態を間違っているということはできません。できるのは、それを買わない自由だけです。
>
> この問題については、私がここで好んで使う芸術家提督のあの言葉に尽きると思います。
> 「絵の具に砂糖を入れたからと言って甘い絵にはならない」
>
> いや、絵の具に砂糖を入れて本当に甘さを表現できれば、それは鮮烈で偉大な横紙破りだと思いますけれどねぇ。
>

 まことに申し訳ありませんが、上の表現だけでは管理人さんの考え方がわかりかねます。もうすこし詳しく書いてください。アホなもんで。

親記事No.388スレッドの返信投稿
board4 - No.422

Re:ルール破りについて☆

投稿者:見学者
2001年07月13日(金) 11時48分

 どうも返事します。

> では、お答えします。
> わたしは、
> 「小説に持論が入るのは不自然です」
> と書きましたけど、「絶対にいけないこと」とは主張していません(ですから、あえて“暗黙のルール”と表現したんです)。そして、それは明治の作家・坪内逍遥の言葉を根拠とさせてもらっています。ザ・ベスト収録「小説としてのエンターテイメント性9」での議論のときに手元の資料から抜粋・引用した文章を、もう一度引用させてもらいますと、
>
> 平凡社「世界大百科事典」より抜粋
>
> ~「日本における小説の成立」~
> (前略)
> (抜粋者、恵からの注:坪内逍遥の小説観の提示した、)「ノベル」としての小説は、「人情」と「世態風俗」(社会)を模写する文学ジャンルであり、作者は「傍観者」の立場を持して、みだりに作品に介入してはならないというのである。こうした小説観がイギリスのビクトリア時代の小説を基準にしていることはいうまでもないが、逍遥は戯作を改良して「文壇上の最大美術」である小説=ノベルとして自立させるために、中国的な「小説」概念を支えていた倫理的効用性や、明治10年代の政治小説が鼓吹した政治的啓蒙性を切りすてる方向をえらんだ。
> (後略)
>
> ↑けっこう長く解説してあったのを省略させていただきましたので、興味を持たれたなら原書をあたってみてください☆(^o^)
>
 上記のものは、坪内氏の小説に対する一見解であり、必ずしもただしいかどうかはしりませんが、恵さんが上記を根拠に、それに外れてる田中氏の創竜伝を批判されるのは分かります。

>
> ということですね。
> 逆に見学者さんにお伺いしますけど、あなたの
>
> 「文章として小説家が発表する以上それは、どんな言語、形体、文法であろうが許容されるべきです。小説家にとっての本質は、自己の表現を発表することで、それは必ずしも読者の理解を必要としないのです」
>
> は、何を根拠におっしゃっているのでしょうか?
> 見学者さんの主張の内容がおかしい、と言っているのではありません。ランゼルさんとの議論のとき、明確な小説のルール規定を知る必然性を感じ、それを自分なりに調べた結果、わたしは坪内逍遥の言葉を知ったんです。以降、わたしはこれを拠り所として議論させてもらっていますけど、あなたの主張されるこの定義には明確な根拠があるのでしょうか?これは嫌味という意味ではなく、以前から純粋に知りたいと思っていたことなので、ぜひぜひその根拠を教えてくださいませ☆

 根拠というのが、あなたにおける坪内氏のようなものがあるかといわれるとありません。探せばあるかもしれませんが、探す気はないです。
 私なりの理論として、小説家は芸術家でであり、表現者です。文という道具を用いた。まあ、挿絵とかを織り交ぜられている現在の文章が、必ずしも文単独で存在しているわけでもないのですが。絵が多くなれば漫画になります。
 どうも感覚的な話ですいませんが、その文書と言う芸術に、文を使う以外の暗黙にせよルールなるものを持ち出すのは不自然だと思いませんか。
 おわかりにならないならまた書きますが。

> それとですね、過去にこちらの管理人さんが本当に主張されたことと、わたしが強調したいことは、
>
> 「小説に社会評論を入れるな」
>
> ではなく、
>
> 「小説にルール破りの社会評論を入れて作品が面白くなるならともかく、それによって様々な矛盾(冒険風ライダーさんの「私の創竜伝考察」をご参照ください☆)が生じ、かえって面白さを損なっているから問題がある」
>
> なんです。
> 田中氏がルール破りと批判されるのは、見学者さんが例に挙げたピカソのルール破りとは違い、ルール破りの上に「ルールの破り方」が悪かったせいで作品に深刻な矛盾があるためです(小説か評論かわからないあの手法と、社会評論そのものの間違いですね)。ピカソの鮮烈な(横紙破り的な)表現方法はその斬新さがかえって際だち、圧倒的な評価につながりましたけど、創竜伝の社会評論は突き詰めていくと、逆に田中氏の評価を落とすだけの要素です。(このあたりは、『私なりの創竜伝魅力考察』や冒険風ライダーさんの『私の創竜伝考察』などをご参照ください。創竜伝の魅力やその売れる理由が、社会評論ではないことを多くの方と議論できたと思っていますから)

 ちなみに私は田中氏の社会評論なんて間違いだらけだと思っています。だから、恵さんさんたちの主張は

「小説にルール破りの社会評論を入れて作品が面白くなるならともかく、それによって様々な矛盾(冒険風ライダーさんの「私の創竜伝考察」をご参照ください☆)が生じ、かえって面白さを損なっているから問題がある」

 ではなく

「小説に社会評論を入れて作品が面白くなるならともかく、それによって様々な矛盾(冒険風ライダーさんの「私の創竜伝考察」をご参照ください☆)が生じ、かえって面白さを損なっているから問題がある」

で十分ではないかと言いたいのです。「ルール破り」うんぬんはいらないとおもうのですが。

> 最後に、勝手を承知で、その中の管理人さんの言葉をお借りして、あなたの主張にお答えしたいと思います。
>
>
> > できるのは、それを買わない自由だけです。
>
> > 田中氏の理論では「バカな政治家を選ぶのは愚かな人間達でいつかしっぺ返しを喰らう」とのことですが、もしもこの理論が正しいのなら、ご自分に当てはめても文句は言えないでしょうね。
>
>
 いまいちあなたの言いたいことがこれだけではわかりません。文書の一部、「それを買わない自由」だけ取り上げられてこんなこといわれても困ります。私はその前提として、小説の表現形態そのものに文句をつける(つまりルール違反だと言うこと)はできないといったはずですが。分かりずらかったでしょうか。

> p.s.
> 管理人さん、お言葉を勝手に引用させていただいたことをご報告いたします。もしも、わたしのの引用がご自分の意図と違うというような誤用でしたら、訂正いたしますので、遠慮なく申してくださいませ。
>
> ではでは☆
>
 どうも、いまいち私の言いたいことが伝わらなかったようです。

親記事No.419スレッドの返信投稿
board4 - No.423

Re:とりあえず足跡

投稿者:モトラ
2001年07月13日(金) 12時26分

何度もこの件については議論されていますので、ザ・ベストや過去ログをご参照くださいませ。なお、言ってしまえばこれは品がなくて当然なんです。だって、田中芳樹が「創竜伝」でやっている手法そのものなのですから。

親記事No.388スレッドの返信投稿
board4 - No.424

「絵」と「文章」は違います☆

投稿者:
2001年07月13日(金) 14時49分

こんばんわ、恵です☆
今回も、見学者さんへのお返事です。

>  根拠というのが、あなたにおける坪内氏のようなものがあるかといわれるとありません。探せばあるかもしれませんが、探す気はないです。
>  私なりの理論として、小説家は芸術家でであり、表現者です。文という道具を用いた。まあ、挿絵とかを織り交ぜられている現在の文章が、必ずしも文単独で存在しているわけでもないのですが。絵が多くなれば漫画になります。
>  どうも感覚的な話ですいませんが、その文書と言う芸術に、文を使う以外の暗黙にせよルールなるものを持ち出すのは不自然だと思いませんか。

見学者さん、わたしにはそう思えません。
文を使う以外のルールとおっしゃいますけど、

「小説に作者の声が入ってはならない」

というのは、間違いなく「文を使った」ルールです。それ以外に解釈のしようがありませんし、あなたの主張を肯定すると、たとえば「表現上、不適切な描写(文章)」という概念も、「文を使う以外の暗黙にせよルールなるものを持ち出すのは不自然だと思う」からOK、ということになりかねません。
あなたの「表現者・芸術家は何を表現してもいい」というご意見は、ものすごく傲慢な考えだと思います。ランゼルさんの議論のときにも感じましたけど、そういう主張は、たとえばわたしがよく例に挙げる、創竜伝の職業差別的表現も全面的に肯定するものであり、人間としての良識(モラル)の存在を否定するものです。だから、実質的禁忌ではないにせよ、線引き(ルール)が必要になってくるわけで、過去の先人たちが長い歴史の中で(たとえば坪内逍遥の定義ような)少しずつ培ってきたのだと思います。また、「絵」よりも「言葉」のほうがはるかに強い攻撃性と暴力性を秘めており、どう考えても文章のほうがより「直接的な表現」です。(他人の悪口は言葉にすると簡単ですけど、絵では簡単には伝えにくいものですし、直接的ではないからこそ「絵」は解釈も自由になるんです)
なんだか、見学者さんは「絵(ヴィジュアル)的表現」に明確な規制が感じられないことから、「文章も同じ『表現』には違いないから同じだろう」とお考えのように感じます。ルールの存在は、上記のように「文章」が「直接的な表現」だからこそ必要なものだとわたしは思います。「絵」と「文章」ではその表現性が著しく違うものですから、もっと切り離して論じていただきたく思います。

>  おわかりにならないならまた書きますが。

ぜひ、お願いします。特に「表現」という行為を画一的にとらえておられる理由もお伺いしたいです。(上記の理由で、わたしは絵と文章は表現としての性質が違うと思っていますから)

> > 最後に、勝手を承知で、その中の管理人さんの言葉をお借りして、あなたの主張にお答えしたいと思います。
> >
> >
> > > できるのは、それを買わない自由だけです。
> >
> > > 田中氏の理論では「バカな政治家を選ぶのは愚かな人間達でいつかしっぺ返しを喰らう」とのことですが、もしもこの理論が正しいのなら、ご自分に当てはめても文句は言えないでしょうね。
> >
> >
>  いまいちあなたの言いたいことがこれだけではわかりません。文書の一部、「それを買わない自由」だけ取り上げられてこんなこといわれても困ります。私はその前提として、小説の表現形態そのものに文句をつける(つまりルール違反だと言うこと)はできないといったはずですが。分かりずらかったでしょうか。

ごめんなさい、わかりずらい引用で誤解を招いたようです。結局、ここもルール違反のお話ですから、上の議論と一緒にして意見するべきでした。適切な引用ではなかったことをお詫びするとともに、訂正させていただきます。
ただ、ここの見学者さんの発言について、あと一つだけご質問をさせてください。

「それを理解できないとか間違っていると批判するのは当然です」

と、

「そんな表現形態を間違っているということはできません」

の両者は、同じ「批判」には違いないのに、どうして区別され、一方は否定されてしまうんですか?たとえ「全面否定」的な批判であっても、正当な根拠や説得力があるなら、それも批評・評論として許容されるべきだと思うんですけど。

親記事No.419スレッドの返信投稿
board4 - No.426

Re:とりあえず足跡

投稿者:遊馬
2001年07月13日(金) 16時30分

モトラさん、どーもでした。
そうですよね、時代遅れの発言すみませんでした(笑
じゃあ今日は新しい10番について・・・

これは
1、田中芳樹は作中でヒトラーの批判をしてる。
2、しかし竜堂兄弟の行動はヒトラーと同じ。

・・・ってことですよね?
じゃあ今回はこれについて思ったことを言ってみます。
ヒトラーと竜堂兄弟の違いは権力を持っていないということだと思うんです。彼らはその力をもってして国家をどうこうっていう思想は持っていないんですよね?
>竜堂兄弟の「懲らしめ」の延長線上
と論の中で書いてあるとおり、彼らはその一歩先に踏み出していない。
そこがヒトラーと大きく違うところなのでは?
特に田中芳樹の作中ですと悪役は絶対悪として描かれていますから、竜堂兄弟の立場であれば誰だって彼らのような行動を取るのではないでしょうか。

board4 - No.427

お初にお目にかかります。

投稿者:ぬりかべ
2001年07月13日(金) 20時50分

とりあえず、過去ログ全部読みました。
で、思った事。
田中氏ファンの反論意見の大半は
『創竜伝は勧善懲悪モノの完全たるフィクション』
が前提にあるようなのですが、
その意見を田中氏本人が聞いたらどんな感想を持つのでしょうね?
(しかも、ストーリーなんぞどうでもいいって方までいらっしゃるようで)
ま、田中氏がどういったスタンスであの本を書かれているのかは
御本人しか分からないので知る由もないのですが・・・

board4 - No.429

『4』が最高!

投稿者:モーニング狼
2001年07月14日(土) 02時38分

面白かったです。
今まで回った田中サイト中で最高!
ココどう考えてもファンサイトにしか見えませんよ。
あれほど的確かつ明快な考察を読んだ事がありません!
田中氏に冒険風ライダーさんのような方に会えた事を感謝します!

真のファンとは作者の悪いところを指摘してくれる人です。
おめでとう!中先生! (爆笑)
『大物』じゃなきゃこんな好いサイト開いてもらえなかったですよ!

親記事No.388スレッドの返信投稿
board4 - No.431

Re:「絵」と「文章」はそんなに違うのだろうか

投稿者:見学者
2001年07月14日(土) 08時54分

 どうも、続きです。

> >  根拠というのが、あなたにおける坪内氏のようなものがあるかといわれるとありません。探せばあるかもしれませんが、探す気はないです。
> >  私なりの理論として、小説家は芸術家でであり、表現者です。文という道具を用いた。まあ、挿絵とかを織り交ぜられている現在の文章が、必ずしも文単独で存在しているわけでもないのですが。絵が多くなれば漫画になります。
> >  どうも感覚的な話ですいませんが、その文書と言う芸術に、文を使う以外の暗黙にせよルールなるものを持ち出すのは不自然だと思いませんか。
>
> 見学者さん、わたしにはそう思えません。
> 文を使う以外のルールとおっしゃいますけど、
>
> 「小説に作者の声が入ってはならない」
>
> というのは、間違いなく「文を使った」ルールです。それ以外に解釈のしようがありませんし、あなたの主張を肯定すると、たとえば「表現上、不適切な描写(文章)」という概念も、「文を使う以外の暗黙にせよルールなるものを持ち出すのは不自然だと思う」からOK、ということになりかねません。
> あなたの「表現者・芸術家は何を表現してもいい」というご意見は、ものすごく傲慢な考えだと思います。ランゼルさんの議論のときにも感じましたけど、そういう主張は、たとえばわたしがよく例に挙げる、創竜伝の職業差別的表現も全面的に肯定するものであり、人間としての良識(モラル)の存在を否定するものです。だから、実質的禁忌ではないにせよ、線引き(ルール)が必要になってくるわけで、過去の先人たちが長い歴史の中で(たとえば坪内逍遥の定義ような)少しずつ培ってきたのだと思います。また、「絵」よりも「言葉」のほうがはるかに強い攻撃性と暴力性を秘めており、どう考えても文章のほうがより「直接的な表現」です。(他人の悪口は言葉にすると簡単ですけど、絵では簡単には伝えにくいものですし、直接的ではないからこそ「絵」は解釈も自由になるんです)
> なんだか、見学者さんは「絵(ヴィジュアル)的表現」に明確な規制が感じられないことから、「文章も同じ『表現』には違いないから同じだろう」とお考えのように感じます。ルールの存在は、上記のように「文章」が「直接的な表現」だからこそ必要なものだとわたしは思います。「絵」と「文章」ではその表現性が著しく違うものですから、もっと切り離して論じていただきたく思います。
>
 「何を表現してもいい」、確かに傲慢です。しかし、これにも、近代民主主義国家である日本である以上一定の歯止めがかかっています。あとえば、あなたのおっしゃる差別表現やポルノ等ですね。これに対する規制と、その規制により表現できない人々によろ相克は、たとえば、西洋映画の裸のシーンの規制問題とかでよくあることです。私は、猥褻と芸術の境界が明確に定義できない以上、当局によるある程度の規制を認容する立場にあります。差別表現も、それにより傷つく人が存在する以上、ある程度過剰かなと思っても致し方ない場合があります。たとえば、今回の教科書問題のように。
 しかし、そのような規制があるからなおさら、それと関係のないところでの表現の規制には、自主的なものであれ、他者によるものであれ慎重であるべきだと私はおもいます。
 田中氏の作品における社会評論が間違っている、差別的だ、小説の中で話での評論は卑怯だと批判することは当然ですし、私もそうお思います。
 ですが、何度も書きますが、小説の中に本編と関係ないと思われる社会評論をいれるのは不自然だと批判できてもルール違反だとはいえないのです。小説に、何を書くかは,公序良俗の範囲の中で、作家は自由であるべきです。現実そううまくはいえませんが。

>
> >  おわかりにならないならまた書きますが。
>
> ぜひ、お願いします。特に「表現」という行為を画一的にとらえておられる理由もお伺いしたいです。(上記の理由で、わたしは絵と文章は表現としての性質が違うと思っていますから)
>
 確かに絵と文章は違います。文の方がより直接的ではあります。しかし、上にかいたように私の意見の中では、その違いは問題にならないことをお分かりいただきたいということです。漫画だって、規制はされています。

>
> > > 最後に、勝手を承知で、その中の管理人さんの言葉をお借りして、あなたの主張にお答えしたいと思います。
> > >
> > >
> > > > できるのは、それを買わない自由だけです。
> > >
> > > > 田中氏の理論では「バカな政治家を選ぶのは愚かな人間達でいつかしっぺ返しを喰らう」とのことですが、もしもこの理論が正しいのなら、ご自分に当てはめても文句は言えないでしょうね。
> > >
> > >
> >  いまいちあなたの言いたいことがこれだけではわかりません。文書の一部、「それを買わない自由」だけ取り上げられてこんなこといわれても困ります。私はその前提として、小説の表現形態そのものに文句をつける(つまりルール違反だと言うこと)はできないといったはずですが。分かりずらかったでしょうか。
>
>
> ごめんなさい、わかりずらい引用で誤解を招いたようです。結局、ここもルール違反のお話ですから、上の議論と一緒にして意見するべきでした。適切な引用ではなかったことをお詫びするとともに、訂正させていただきます。
> ただ、ここの見学者さんの発言について、あと一つだけご質問をさせてください。
>
> 「それを理解できないとか間違っていると批判するのは当然です」
>
> と、
>
> 「そんな表現形態を間違っているということはできません」
>
> の両者は、同じ「批判」には違いないのに、どうして区別され、一方は否定されてしまうんですか?たとえ「全面否定」的な批判であっても、正当な根拠や説得力があるなら、それも批評・評論として許容されるべきだと思うんですけど。

 確かに上の表現は分かり図らいですね。
「そんな表現形態を間違っているということはできません」
 というのは正確でないので,
「そんな表現形態を取るのは不適切でないかということはできても、ルールを擬制してそんな表現形態を間違っているということはできません」

 おわかりいただけるでしょうか。また書きます。

親記事No.388スレッドの返信投稿
board4 - No.432

つけたし

投稿者:見学者
2001年07月14日(土) 09時06分

 さっきのを読み直すと、恵さんはルール違反という言葉を不自然だと同じ位の意味で使っているのではないかと思いました。
 私は、法律関係の人なので、ルール違反という言葉に過剰に反応する癖があります。その程度のすれ違いなら議論しても意味がないかもしれないと思いました。その場合は、お手間を取らせてすいません。

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