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投稿ログ35 (No.644 - No.659)

親記事No.627スレッドの返信投稿
board2 - No.644

チョウフクちょっと質問です

投稿者:しおみ
2000年02月21日(月) 11時55分

手元に現物がないので、ちょっと質問を。

>  おそらく本人のミスではないでしょうか?
> 「おい、みんな来てくれ。不信心者が正体をあらわした。みんなで調伏するぞ」
>  チョウフクとかいう怪しげな単語の意味は…(後略)
> (五巻P44)
>
>  ルビだけでなくしっかりと本文でもこう書いてますから。

「おい、みんな来てくれ。不信心者が正体をあらわした。みんなで調伏するぞ」
は誰の台詞ですか? もしかして、竜堂兄弟の敵対者の台詞ではありませんか?

正しい「調伏(チョウブク)」の意味・読みも知らないエセ宗教者を揶揄する
表現として、地の文の「チョウフクとかいう怪しげな単語の意味は…」が続いて
いるのではないかと感じたんですが、いかがでしょうか(特に「怪しげな単語」
に注目)。
そういう意図の表現ならば、当然、田中芳樹は正しい読みを知っていることに
なるんですが。

親記事No.426スレッドの返信投稿
board2 - No.645

Re: 632.3 創竜伝「二つの戦略」

投稿者:速水右近
2000年02月21日(月) 21時19分

 このところ、毎日書き込んでるなぁ。
 二つも大きい仕事が終わって、テンションが上がっているからだろうけど……。

 さて小生の考える『創竜伝』の読者層ですが、主力は「一〇代後半から、二〇代前半の女性(シュミは読書でーす)」ですな。続いて同世代の男性、あとは少々上の女性層でしょう。少なくとも、四〇~五〇代の男性は、ぜーったいに読みませんぜ(笑)。
 きっと、『銀英伝』の美少年キャラから、田中芳樹ファンになった人たちでしょうね。無論、それが悪いとは誰も言えませんが。

 で、推測ですが、彼女たちを確実にゲットする作品はないかと編集者と相談して、学生時代に書いた作品のプロットを話した。美少年キャラ四人だと、読者それぞれの好みに合わせることもできる(ジャ●ーズや、●ニャンコ、今なら●ー娘などで使っている手)し。
「じゃあ、それで行きましょう」とスタートしたのはいいけど、「販売戦略」はあっても、肝心の「執筆戦略」はない。
 最初は、若い世代が持つ「社会への不満」を発散させるように書いていたが、徐々に作品に求心力がなくなってしまった。また四兄弟の力が圧倒的で、作品のバランスが保てなくなった。
 それで、自分の政治不信や、敵を後から強くするといった、後付けの手を打ったんでしょう。「エスカレーション」は、クリエーターが使うには、あまりいい手ではありませんからね。
 それで、何故売れているかですけど、ストーリーなんか、読者たちは読んでいないんじゃないですかね。ただ、お好みのキャラが活躍すればそれでいい、と(これは戦闘シーンが少ないと怒り出す、架空戦記のファンとも共通しているでしょう)。

 あくまで個人的な意見ですが、小説に多少の矛盾点があっても、構いませんよ、地球が壊れるわけでもなし。
 ただそれは、「小説内部による矛盾」なら我慢できますが、『創竜伝』や『ほにゃららの艦隊』のように、「外部的な要素=『売れてるから延ばしちまえ』と延長させたはいいが、そのため作品が破綻した」)がミエミエというのは、ちょっとね。
 あと、フォローは上手くやって欲しいですよ。『ラバウル烈風空戦録』(どうも打ち切りらしい)みたいに。

追記 最近アイドルを束ねて売っているのは、「立ち上げ料」の高騰(億単位のカネが動く)らしいですね(その煽りを食って悲惨なのは、事務所に力がないB、C級のアイドル。最近では、会場を借りる金もないから、カラオケボックスでファンの集いをやっているとか)。
 だから一人で売るより、数人纏めて売ったほうが確実にファンを獲得できる。また一人が不祥事を起こしても、「脱退」とか「卒業」で誤魔化せますから、リスク回避もできるし。
 それより個人的にイヤなのは、最近は彼女(彼)らより、プロデューサーのほうが目立っていることですな。なにか、彼らの「手駒」として使われているようで。
 閑話休題。
 まぁ私は一人っ子のようなものなんですが、同性の兄弟四人って、『創竜伝』のように性格がはっきり出るものなんでしょうかね?
 四人がどんな活躍をしようが興味はないけど、むしろ年少期にどんな幼児教育を受けたかが知りたいものですよ。私も相当屈折してますが、あれだけ揃ってねじ曲がるってのは、容易ではありませんから。
 それこそ『創竜伝外伝 ドキュメント竜堂家の子育て 亡き父が語る「私はこうやって竜たちを育てた!」』が出れば、買ってもいいんだけどなぁ。おまけに「講談社α文庫」か「講談社学術文庫」で出りゃ、大笑い間違いなしだけど。

親記事No.611スレッドの返信投稿
board2 - No.646

そうですね

投稿者:本ページ管理人
2000年02月21日(月) 22時07分

>  まぁインタビューに答えるのは本人の自覚が問題ですが、なにかあると軽々しくコメントを取りに行ったり、そのくせ(売れっ子になればなるほど)チェックの甘いマスコミ側にも責任があるんでしょうけど。
>  この辺の問題は、筒井康隆氏の書籍にも触れられていたはずです。
>  ともかく獏氏の場合、「作家」という自分だけではなく、関係した編集者などの罪まで被って謝罪した部分もあるので、よしとすべきではありませんか?

 ええ、私もひとつの身近な例として取り上げたのであって、執拗に責めるつもりはありません。この人の場合は、作家としての敗北宣言であっても、謝罪をしたことに関しては潔かったですしね。
 これはこれとして、心機一転いままで以上に小説家として邁進してもらいたいものです。
 これで筆を折るようなことがあってはいけないと思います。

親記事No.627スレッドの返信投稿
board2 - No.647

愚問かもしれないですがどうするべきか?

投稿者:本ページ管理人
2000年02月21日(月) 22時17分

> うちの学校の図書館の前に貼ってある、日本図書館協会みたいなところで発行している図書館新聞に、読書奨励みたいな内容があって、本が数冊紹介されてあったんですけど、そこに創竜伝、紹介されてました。紹介って言うか、表紙の写真だけだったんですけど。文庫版ので。ああいうので紹介されたら、みんな読んじゃうよなぁ……。
> 私が創竜伝読んだきっかけは、学研のマ○コーチについてくる雑誌での紹介だったし。書かれた紹介って、影響力、高いですよね……。CLAMPの絵も、天野氏の絵も。ファンはそれだけで買う。

 そうそう、そうなんですよ。私がこのページを立ち上げようというきっかけのひとつになったのがこの現状でして。
 青少年向けに売れているからか(思想性よりも商売の論理で動いているのがまた厄介)、よく出てくるんですよ。

 こういうところから、何とかしなくてはならないような気もしますが、さて、こういうのに対してどういうアクションをとるべきなのでしょうか。
 書評だったら反論のしようもありますが、紹介というのはねぇ…

親記事No.627スレッドの返信投稿
board2 - No.648

それはちょっと無理がありますね

投稿者:本ページ管理人
2000年02月21日(月) 22時27分

> 「おい、みんな来てくれ。不信心者が正体をあらわした。みんなで調伏するぞ」
> は誰の台詞ですか? もしかして、竜堂兄弟の敵対者の台詞ではありませんか?

これは、そうです。

> 正しい「調伏(チョウブク)」の意味・読みも知らないエセ宗教者を揶揄する
> 表現として、地の文の「チョウフクとかいう怪しげな単語の意味は…」が続いて
> いるのではないかと感じたんですが、いかがでしょうか(特に「怪しげな単語」
> に注目)。
> そういう意図の表現ならば、当然、田中芳樹は正しい読みを知っていることに
> なるんですが。

 しかし、そうであれば、かならず「その漢字の読みは間違っている!」といった、田中芳樹お得意のこけおどし説法が始まらなければなりません。でないと、読者にはそれが適切な用法か不適切な用法かどうかもわからないでしょう?
 現にこの巻の201ページで、字(あざな)と名前を同時に呼んだ教主に対してかましてますからね。

親記事No.426スレッドの返信投稿
board2 - No.649

ほんと、誰が買うんだろう?

投稿者:Merkatz
2000年02月22日(火) 00時48分

あー、ちなみにですね、私の街の紀伊国屋では先週の売り上げ(文庫部門)は3位でした。
ほんとびっくりですね。
「これだから作家稼業は辞められない♪」←田中芳樹の心の声(笑)

board2 - No.651

お邪魔致します。

投稿者:ますみ
2000年02月22日(火) 12時19分

 初めまして。過去ログを読んでる間にちょっと発言したくなって来ました(笑)

過去ログを一括でダウンロードして、今やっと1300まで読み終わりました。5日かかりましたけど(笑)
それで1つ質問があるのですが、この過去ログ、現在にたどり着くまであとどれくらいあるのでしょう?
 もしかして、現在の600番台って2600…? てーことは、今まで読んだ分まるごとこれから先に残ってるのか…はぁ~(笑)

でも最初から読むことで、ここで発言されている方の「言いたいこと」がきちんと汲み取れるし、ここで今までにどういう話が、どのような時期に話し合われてきたのかということ、また、平行して話されていることなど、ここでの状況が手に取るようにわかります。
とりあえず今半分(なのかしら)来ましたけど、読んでて損はしてないな~って、つくづく思う今日この頃。

あ、くだらない話で長々とすみません(笑)
そのうち発言しに来ると思いますので、どうぞよろしく!

親記事No.651スレッドの返信投稿
board2 - No.652

お疲れさまです

投稿者:本ページ管理人
2000年02月22日(火) 20時31分

 はじめまして。
 このサイトを訪れていただいている方はちゃんと過去ログに目を通している方が多く、感心させていただいてます。

 さて、新掲示板になってからの過去ログですが、容量と手間の問題があるため、もしかしたらアップすることはないかも知れません。
 もし、インターネットのケーブル接続環境が実現したら(そろそろですよね)、サーバを立ち上げて公開するかも知れませんが、現状ではそのようであることをご了承下さい。

 なお、皆さんが保存しておられる過去ログをネット上において無報酬にて公開することは(常識の範囲内で)自由とします。
 出来ればで結構ですけど、私にもご一報いただければ嬉しいですね(笑)

親記事No.606スレッドの返信投稿
board2 - No.653

Re: zenshoさんの投稿は誰宛?

投稿者:匿名希望
2000年02月22日(火) 22時25分

どうもお間抜けな話ですが

間ね。 heinkel 12/24

へのレスらしいです。 左上の表示方法を元発言一覧表示にして見てください。

親記事No.627スレッドの返信投稿
board2 - No.654

Re: それはちょっと無理がありますね

投稿者:小村損三郎
2000年02月23日(水) 13時48分

う~ん、これはしおみさんの解釈が正しいと思いますね。

>  しかし、そうであれば、かならず「その漢字の読みは間違っている!」といった、田中芳樹お得意のこけおどし説法が始まらなければなりません。でないと、読者にはそれが適切な用法か不適切な用法かどうかもわからないでしょう?
>  現にこの巻の201ページで、字(あざな)と名前を同時に呼んだ教主に対してかましてますからね。

ここで「お得意のこけおどし説法」をかましたのは、中国人の字については「知らない人は知らない」からでしょう。
これに対して「調伏」の正しい読み方などは多少本(特に伝奇物とか)が好きなら中学生でも知っていることですから、それを前提にこういう手法で揶揄したのではないでしょうか。

そもそも田中芳樹ともあろう者が「調伏」の正しい読み方を知らない、などということは100%有り得ません。

「朋有り遠方より来る。亦楽しからずや」
を“日本の諺”と堂々と言ってのけた荒巻某氏じゃないんですから(笑)。

親記事No.611スレッドの返信投稿
board2 - No.656

Re: 646 続報ですが

投稿者:速水右近
2000年02月23日(水) 23時19分

 謝罪広告の続報です……。業界内でも、かなり錯綜しているようですね。『格通』編集部にも数人知り合いがいるのですが、聞くとなると私の立場まで今後危なくなるので(笑)、ライバル誌のライターに聞いてみました。
 しかし以下の書き込みにはかなりの推測も含まれており、あくまで「話半分」としてお考え下さい。

1 文の内容が、あまりにも稚拙。いくら謝罪とは言えど、「作家」の書いたものとは思えない。
2 どうやら、同誌の前編集長氏(元になるかもしれない)にも責任があるらしい。
3 市原氏の立腹した原稿は、アルティメット戦以降の記事。
4 謝罪広告が二月に載るということは、逆算すると一二月ぐらいに何かあったのではないか?

ということです。
 アルティメット戦の敗戦についての獏氏の原稿を読んで市原氏が激怒し、その後マスコミ=主として同誌の取材には、一切応じなかったそうです。そのことについて前編集長氏が、「メディア人としては書いてはならないこと」を書いてしまい(これは市原氏ではなくとも怒りますよ)、完全にキレたとか。
 ライター氏が教えてくれたのはここまでです。あとは私の憶測ですが、同誌=姉妹誌の週刊プロレスの編集部に、数年前お家騒動があった(名物編集長が、編集方針を巡ってメジャー団体から取材拒否。その後退社)のは御存知でしょうか? 言葉は悪いのですが、現在その“膿”を出していても、不思議ではありません。
 ですから、遅くとも一二月ぐらいまでに市原氏の取材を同誌が行った際に、「以前の記事について謝罪したら応じる」かなにかのやりとりがあったのではないでしょうか?

 個人的にはまだ知っている情報もあるのですが、憶測ということもあってかなりの割愛と、モザイクをかけました。そのあたりは、御了承下さい。
 まぁ獏氏も謝罪した以上、シューティングの興行にも足を運びづらいでしょうね。私が最後に挨拶したのは、昨年の大阪(佐藤ルミナの復帰戦)でしたが……。
 ともかく、獏氏は自腹を切って足を運んでいる(試合が終わったら、たしかすぐ帰京と言ってました)分だけに偉いですよ。満足な取材すらせず好き勝手なことを書く連中が、どれだけ多いことか。
 小説に限らず、クリエィティブな仕事って(特にプロの場合)は、手で書く以上に、足で書く部分が多いのですけどね。

親記事No.611スレッドの返信投稿
board2 - No.657

夢枕獏擁護

投稿者:新Q太郎
2000年02月24日(木) 04時25分

>アルティメット戦の敗戦についての獏氏の原稿を読んで市原氏が激怒し、その後マスコミ=主として同誌の取材には、一切応じなかったそうです。そのことについて前編集長氏が、「メディア人としては書いてはならないこと」を書いてしまい(これは市原氏ではなくとも怒りますよ)、完全にキレたとか。
>  ライター氏が教えてくれたのはここまでです

>  ともかく、獏氏は自腹を切って足を運んでいる(試合が終わったら、たしかすぐ帰京と言ってました)分だけに偉いですよ。満足な取材すらせず好き勝手なことを書く連中が、どれだけ多いことか。

-------------------
HANボードだろうと日本茶だろうと格闘技ネタを書く私ですから(笑)、今回の件は興味もいいたいことも山ほどあるのですが最初はごく簡単に。

たぶん今回の謝罪は(具体的証拠はないが)ノンフィクションとして分類されるべき「群狼の旗」(講談社アウトロー文庫、謝罪文で触れられている空手家の、ある大会への挑戦を描いているか)やその他が、直接の原因になっていると思うのです。
だから、「小説か?評論か?」でいえば評論だったわけで、その点は普通のノンフィクション作家や新聞記事に問題があったときに訂正するのと同じ文脈で捉えていいと思います。いわゆる「餓狼伝」内で格闘家が勝ったり負けたりするのを謝罪したのではないでしょう。

で、問題なのは私から見て、「群狼の旗」は彼の作品(あまり読んでいないが)中5本の指に入る傑作、沢木耕太郎「一瞬の夏」に匹敵するドキュメンタリーだということです。
獏氏は何しろ人が良いので、文も充分空手家、またその敵に対して尊敬と愛情を持っているものでした(沢木のほうが辛辣だってりする)。

----------------------------
さらに多少整理してみます。

【夢枕獏の格闘技観は間違いだらけ】
これはそうでしょうね。今「KOK」という大会でサンボ(ロシアの格闘技)が強いのですが、某所では「これで餓狼伝の設定、また変わるんだろうな」などとからかわれていましたし(笑)。

これは、田中氏が中国史や軍事で間違いを書いた場合、ここでツッコミ倒されるのと同様の意味があるでしょう。

しかし、『俺ならよけちゃうよ~』といった、「実際に格闘技をやってないのに」という点はどうか。

私自身も柔道「ラッキー初段」(偶然昇段試験の相手が自分以下なので取れた、実力以上の段のこと。ペーパー黒帯ともいう)だけだから、ほんとは言う資格あるわけないんだけど、「高田はPRIDEに出る価値なし!」とか「佐竹は準備不足」とか「優勝はヘンゾに違いない」とかワイワイ言って楽しんでいるのですね。

これは実際に血のにじむ稽古をしている人に不愉快であることは想像できます。
しかし格闘技がある意味、野球やサッカーと同じエンターテインメントとして成熟しつつある以上、やむを得ないというか認めてほしいというところもあります。
新橋の焼き鳥屋で、長島采配や清原の守備を侃侃諤諤やっているサラリーマンや、カズや城にブーイングを飛ばすファンに「お前ら145km打てるか?」『リフフティング20回やってみろ』といっても仕方ないのと同様に。

獏氏のようなファンが、現実の選手に対し現実以上の期待をするのは、滑稽であると同時にファンとしての「特権」でもある。やる側見る側のパラドクスともいうべきもの。

彼自身も、このようなことを言っています。

「男である以上、世界最強に皆なりたかった。しかし、誰もが、兄弟ゲンカや親父や番長、県大会で敗れ、挫折した。
どんな芸術家も、大企業の社長も、政治家も、その点では誰も夢かなわなかった人々なのである。そして、彼らはこう考える。

確かに、俺は最強になれなかった。
では、誰が、一番強いのか。」

獏氏は自分のような格闘技経験なき作家が、どうして格闘技に惹かれるのかをこう表現し、”だからこそ”格闘技を論じるのだ、自分の小説世界で闘う男たちを描くのだ,と言っています。

これは、過不足ないというか充分真摯な態度だと思います。

(BOSSのCMは、ある程度戯画化というか、本当なら別に背負わされるべき義務がない、無責任な放言や批評が”構造的に許される”筈の『観客』が、いきなり『当事者』になるという「理不尽な災難」であるからこそ笑える訳ですから。)

>  まぁ獏氏も謝罪した以上、シューティングの興行にも足を運びづらいでしょうね。私が最後に挨拶したのは、昨年の大阪(佐藤ルミナの復帰戦)でしたが……。

PS
獏氏は格闘技について絶筆、沈黙するのではないか?という憶測も一部でとんだようですが、某トークショーに出演。「世間をお騒がせした獏です」といいつつも「船木が足関節で勝ったら俺、賞を出すよ!」と盛り上がっていたようです。
一安心というかなんだか(笑)

board2 - No.658

私の創竜伝考察27

投稿者:冒険風ライダー
2000年02月24日(木) 11時46分

 ここ最近の用事からようやく解放され、「私の創竜伝考察シリーズ」を再開させるめどが整いましので、いよいよ連載を再開したいと思います。しかし今年に入ってからの創竜伝批判って、今回が初めてなんだよな~。
 今回より創竜伝9巻に入り、いよいよ終わりも近づいてきたという所ですが、この9巻の社会評論の特徴はとにかく歴史に関する話が異常に多いという事ですね。当時から疑問に思ったばかりではなく、今となっては完全に破綻した評論ばかりですので、論評する事自体は楽なのですが、数が半端じゃないんですよね~(T_T)。
 それでは、久しぶりの創竜伝批判、始めましょうか。

創竜伝9「妖世紀のドラゴン」
1994年11月25日 初版発行

P41下段~P42上段
<「だいたいが日本人は恐慌が好きなんだからねえ。いつかの米不足のときだってそうだったじゃないか。国産米以外の食糧はありあまっているのに、いまにも餓死しそうに騒ぎまくって、あげくに外国産の米を捨ててしまうんだからねえ。罰あたりもほどほどにしてほしいよ」
 何といっても首相は第二次大戦中から直後にかけての食糧不足の時代を知っている。米どころかイモもなく、おとなも子供も痩せこけ、栄養失調のため目が見えなくなったり髪がぬけたりし、飢えをみたすために雑草まで煮て食べ、腹痛で苦しんだものだ。高級料亭で河豚や伊勢エビを食べちらかしながらも、ふと子供のころの空腹が生々しい記憶となってよみがえり、首相はそらおそろしくなることがある。こんな繁栄と飽食とが永遠につづくわけがないのだ。首相の精神にひそむもっとも迷信的な部分が、くりかえしささやいていた。「これは天罰である」と。>

 これは創竜伝9巻にて富士山が大噴火し、東京が壊滅的なダメージを受けた時の日本国首相の感想ですが、彼によると、富士山の大噴火は日本がかつての「食糧不足の時代」から「繁栄と飽食」ができるまでの経済的発展をなしとげた事による「天罰」なのだそうです。この論理でいくと、1995年1月17日の阪神大震災の被災者たちも当然のことながら「日本の繁栄と飽食」による正当な「天罰」を受けたという事になりますね。全くこれほどまでに経済発展を憎む発想も珍しいものですな。日本国首相も作者に余計な社会評論を語らさせられて気の毒なものです(T_T)。
 そもそも日本が「食糧不足の時代」から「繁栄と飽食」ができるまでの奇跡的な経済発展は、他の誰でもない日本人自身の手によってを成し遂げられてきたものではないですか。自由貿易体制下で平和裏に経済的発展を成し遂げる事のどこが悪いというのでしょうか。日本は別に他国に質の悪い製品を押し売りしていった訳ではなく、世界最高水準の技術力と工業力でもって製品を開発し、正当な商業行為を行ってきたからこそ、これだけの経済的繁栄が成し遂げられたのです。したがって、これは他国に誇るべきことでこそあれ、決して引け目を感じなければならないものではありません。
 それにどのような形であれ、経済が発展している事は良い事なのです。経済力が国家の基盤を成しているというのは政治・経済の初歩の初歩です。経済力が充実していればその国の国民全体が潤い、国内政治的にも内政・治安が安定し、国際的にも自国の発言力を強化する事ができるのです。経済力のない国なんて、それこそ日本の「食糧不足の時代」のように悲惨なものですよ。だからこそ世界の全ての国々は政治の基盤である経済力を発展させようと必死になるのであって、過去の「食糧不足の時代」を顧みて「現在の経済的繁栄が罪悪である」などというレベルでまで「過去を懐かしむ事ができる」というのはとても幸福な証ではありませんか。経済的に苦しんでいる国にそんな事をする余裕などありませんからね~。
 しかも「経済的繁栄を憎む」という発想は極めて危険なものです。ナチス・ドイツや共産主義、それに戦前の日本の「国家社会主義」は、その全てが「経済的繁栄を憎む」という発想から出発しているのです。そしてそれがどういう末路をたどったかは今更言うまでもないでしょう。現代日本でも「経済的繁栄を憎む」発想からバブル経済を自ら潰してしまったことで長期の不況を呼んでしまった事は記憶に新しいでしょう。「経済的繁栄を憎む」という発想は、他人の成功を妬む嫉妬心と、政治の基盤が経済から成り立っているという基本が全く理解できていない事から出てくる考え方なのです。
 さらにいえば、経済的衰退は必然的に起こるものではなく、経済政策の失敗や税制システムの欠陥によって起きるものなのであって、別に「天罰」でも何でもありません。ましてや、経済発展と全く無関係な天変地異を「繁栄と飽食による天罰である」などと勝手に決めつけるのはやめていただきたいものですね。古代の中国じゃあるまいし(笑)。

P106下段~P107上段
<「楊家将演義」は中国の有名な歴史小説で、日本ではなぜか全く知られていないが、「楊家の女将軍たち」として欧米でも知られている。宋の時代の中国は北方騎馬民族の侵入に悩まされたが、楊という武人の一族が彼らと勇敢に戦い、武勲をあげ、天下に名をとどろかせた。その一族は幾人かの有能な女性の将軍にひきいられ、とくに穆桂英という女性は、隋末唐初の花木蘭、南宋の梁紅玉、明の秦良玉らと並ぶ中国史上最大のヒロインである。「楊家将演義」は民族の興亡と戦乱を描いておもしろいだけではない。男尊女卑の世界と思われている中国史の中で、じつは才能と実力のある女性が大活躍していた、という事を知る上でも貴重な作品である。中国では劇にもなり映画化もされているが、日本では翻訳すらされていない。日本における中国文学の紹介は、ごく一部の作品にかたよっているのだ。>

「日本における中国文学の紹介は、ごく一部の作品にかたよっているのだ」
 それがどうかしたのですか? 日本で中国文学が紹介されようがされまいが別に一般の日本人の知った事ではないでしょう。田中芳樹の中国シンパとしての感情が満足されないというだけの話ですな(笑)。第一、自分の中国作品がまともに売れない事についての愚痴を言われてもねえ~(-_-;)。
 「日本における中国文学の紹介は、ごく一部の作品にかたよっている」最大の理由は、それが一般ウケしないものであるからです。一般ウケしない理由は「文化の違い」「感受性の違い」でだいたいの説明はつくでしょう。小説を売りこむのも一種の商業活動である以上、出版社が利益にならない翻訳や出版などするはずがないでしょうに。
 もし本当に「自分はこの作品が面白いから世に広めるべきだ」と思うのならば、小説のストーリーの中で無為無用な愚痴をこぼす前に、まずは自分が気にいった中国文学が受け入れられるような下地を自ら積極的に作っていくべきでしょう。さし当たっては、中国の歴史の簡単な概要を、誰にでも分かりやすいように説明する事から始めなければなりません。一番いい方法は、田中芳樹が中国の歴史参考書でも編纂することですね。そしてそれに基づいて小説を書けば良いのです。もちろん小説の中に一方的な思い入れや感情的な評論などが入ってはいけません(笑)。すくなくとも、創竜伝や今までの中国小説のような中国礼賛と感情的評論などでは、却って中国嫌いを増やすだけだと思うのですがね。
 上記引用の「楊家将演義」についての記述の中にも中国礼賛の一端がうかがえますね。
「男尊女卑の世界と思われている中国史の中で、じつは才能と実力のある女性が大活躍していた」
というのは一体何なのでしょうか? これだけ見るとまるで中国という国が昔から男女平等という考え方が発達していたスバラシイ国であるかのように見えますが、実際はもちろんそうではありません(笑)。「纏足」の慣習ひとつをとっても、とても「男女平等」を主張できるような国ではないですね。
 過去の中国で「才能と実力のある女性が大活躍していた」というのであれば、むしろ中国の男尊女卑の風土を直視した上で、それでも彼女たちが「凄まじい男尊女卑の風土の中で男勝りの活躍をした」という事実をこそ、称えるべきなのではないのですかね? いくら中国を礼賛したいからといって、中国の負の側面を隠蔽してどうしようというのでしょうか。それこそ田中芳樹が「間違いだらけの社会評論」で批判しているナチス・ドイツと同じ所業であると思うのですけどね。

P122上段~下段
<名越たちの商売は、先進国民の富とエゴイズムによってささえられている。たとえば、目の角膜を移植すれば失明せずにすむ場合がある、ということは広く知られているが、最近、日本人に対しておこなわれた新聞社のアンケートによると、「自分の角膜を他人に移植するのはいやだ」という人が六八パーセント、一方、「自分が失明したら角膜移植手術を受けたい」が六七パーセントであったという。三人にひとりが、「他人に角膜をやるのはいやだが自分はもらいたい」と考えているわけで、おいおいそれはないだろう、といいたくなるような結果だが、完全な心臓死の後に手術をすることになっている角膜でさえこうである。これでは需要と供給のバランスがとれるはずはなく、そのエゴイズムにつけこんで名越たちは利益をあげてきたのだ。>

 おいおいそれはないだろう、田中芳樹よ(笑)。臓器移植手術の問題は国によって国民の世論や対応も全く違いますし、その国それぞれの法制問題と倫理観の問題、それに臓器売買などの医療犯罪の問題なども絡み合って問題が複雑化しているため、「臓器提供をすればそれで良い」で簡単に片づけられるものではありません。よくもまあここまで問題を単純化できますね。
 患者が臓器移植手術で助かりたいと考えるのは当たり前です。自殺願望者か宗教的な価値観を持った人でもない限り「絶対に臓器移植手術は受けない」などと言いきれる人はまずいないでしょう。家族だって「生かしてやりたい」と思うでしょうよ。そもそも患者が助かる有効な手段のひとつとして臓器移植手術があるのですから、自分が助かる手段としてそれを利用しようとする事は当然の事です。
 ではなぜ移植の際の臓器提供例が少ないのか? これは提供側の臓器提供に関する知識の不足と、マスメディアによるいいかげんな扇情報道と過剰報道が行われている事に原因があるのです。知識の不足が臓器提供に対する偏見と誤解を生んでいるために臓器提供をためらわせているという事情があり、しかもそれをマスメディアが感情的な報道で煽っているという図式があるのです。しかも1999年3月の臓器移植手術に関する報道に見られるように、プライバシー侵害を含む過剰なまでの情報公開によって人権が侵害されるということもあるでしょう。これでは臓器提供にためらいを覚えるのは当たり前です。そういった事情を完全に無視して「臓器提供をしないのはエゴイズムの発露である」と決めつけられる神経は大したものですね。そこまで言うのならば言いだしっぺの自分自身こそが積極的に臓器を提供すればよかろうに(爆)。
 そもそも上記の新聞社のアンケート調査当時(1994年以前)、日本ではまだ臓器移植法が施行されていません。臓器移植法の施行は1997年で、それまでは脳死判定移植に関する法律は全くなかったため(心臓停止による臓器提供に関する法律は1979年成立)、この状況下で下手に脳死による移植手術を行うと、手術をおこなった医師が殺人罪に問われてしまう可能性すらあったのです。1968年の日本最初の心臓移植である和田移植の際にもこのことが問題になりました。そのため日本ではつい最近まで「心臓死による臓器提供『しかできなかった』」のです。それが何で「完全な心臓死の後に手術をすることになっている角膜『でさえ』こうである」などという論調になるのでしょうか。無理矢理に「先進国民のエゴイズム」とやらを断罪しようとするからこんな変な主張が出てくるのです。
 さらに臓器移植関連の問題について言えば、近い将来にクローン技術を使用した臓器移植手術が技術的に可能になると言われていますが、田中芳樹に言わせればこれは当然積極的に支持すべき話なのでしょうね。実はこれも科学技術と倫理観の間で結構もめている問題なのですが、これが話題になったときに、どうか自らの「臓器提供拒否=エゴイズム」発言を、何の反省も釈明もなしに無言で撤回することのないようにお願いしたいものですね。それが自らの言動の責任というものです。

P134上段~下段
<シンガポールから来た張氏は席を立つとき、日本人一同に向かって言い放った――自分は幼いころ目の前で父と祖父を日本軍に殺された。日本刀で斬首された父の顔を覚えている間、とうてい日本人とは協力できない、と。日本人一同は反論できず、沈黙して見送るしかなかった。
「シンガポールの華僑虐殺がこんなところで祟るとはなあ」
 蜃海が肩を落とすと、虹川が頭を振って応じた。
「おれたちはろくに学校で教わらなかったが、被害者の方は忘れちゃくれんよなあ」>

 私などは小・中・高校の間、一貫してこのテの「日本人による残虐行為」をいやというほど教えられてきたものなのですが、彼ら「日本人一同」は余程右に偏った学校で歴史教育を受けていたのでしょうな(笑)。第一、蜃海と虹川が在学していた学校って、竜堂兄弟の母校でもあるはずの「共和学院」ではありませんか(創竜伝2巻 P140)。あの「リベラル」を謳い、文部省の干渉をはねのけている私立学校という設定であるはずの「共和学院」が、そこら辺の国公立学校よりもはるかにひどい「右傾化教育」をしているとはとんでもない話ですな(笑)。田中芳樹は自分が作った小説中のキャラクター設定すら忘れてしまったのでしょうか(笑)。話をいいかげんに作っているからこういう矛盾が発生するのですよ。
 それにしても相変わらず「被害者の感情」という「錦の御旗」を前面に出して異論を封殺しようとしていますね。いつもの事ながら醜悪なテですな。「被害者の感情」などを前面に出されれば、たいていの人間は思考停止せざるをえませんからね~。私が感情論が嫌いな理由のひとつがこれです。まあ今回の「シンガポールの華僑虐殺」の場合は相手の勝手な被害者意識にすぎないことだと分かっているので、ふがいない「日本人一同」に変わって反論しておきましょうか(笑)。
 そもそも何故にシンガポールをはじめとする東南アジアの華僑が日本軍の攻撃対象となったのか? まず、マレー半島をはじめとする東南アジア一帯の華僑が、現地の植民地支配階級であった事がひとつ。今でも東南アジア一帯の華僑は現地の主要なマスコミと経済を掌握していますし、東南アジア各国も華僑を警戒の目で見ていて、ことに田中芳樹が日本批判のためにやたらと持ち上げていたインドネシアは華僑に対する措置が最も厳しい国です。何しろインドネシア独立運動の攻撃対象のひとつは華僑の経済搾取だったくらいなのですから。
 そしてこちらの方が重要なのですが、現地の植民地支配階級である華僑は、日本軍が進駐するとハーグ陸戦協定で禁止されているはずの便衣隊を使ったゲリラ戦法を展開したために、ゲリラと一般人との区別がつかなくなってしまったのです。一般人が巻き込まれる事になるこのような状況を防ぐために、国際法上、便衣隊には捕虜になる資格もなく、その場で殺しても良い事になっているのです。もちろん、日本軍が行ったゲリラ掃討戦の過程に巻き込まれた本当の民間人もいたでしょうが、そもそも華僑が便衣隊などを使用しなければ民間人が戦争に巻き込まれる事自体がなかったのですから、「シンガポールの華僑虐殺」なるシロモノの責任の大半は、実は便衣隊戦法を行った華僑側の方にあるのですし、そもそも「虐殺」などと定義できるものではないのです。
 さらに、この「シンガポールの華僑虐殺」には後日談があります。戦後、イギリス軍がシンガポールに再びやってきた時、当時の全マレー半島における裁判の最高責任者となった日下判事がイギリスによって裁かれる事になりました。もちろん容疑は華僑側が言うところの「シンガポールの華僑虐殺」で、日本軍と戦った華僑に対する処刑命令を彼が出した事についての裁判です。
 ところが日下判事はこの裁判で無罪となりました。その理由はもちろん、日下判事の処刑命令が国際法上における合法的な命令であったからです。このことからも「シンガポールの華僑虐殺」などというシロモノが虚構の上に立っているかことがお分かりいただけるでしょう。「シンガポールから来た張氏」とやらの父と祖父とが殺されたのは、自分達華僑がゲリラ戦を行った当然の報いであると諦めてもらうしかないですね。ましてやその怒りを「日本人一同」に向けるなどお門違いもいいところです。
 ところで「仙界の矛盾」を書いていた時から思うのですけど、何で竜堂兄弟一派って相手の感情的な主張に対して全く反論しようとしないのですかね? 「仙界の人間蔑視論」の時だって、相手に反論して説得なり交渉決裂なりに持っていかなければストーリーが前に進まないにもかかわらず反論どころか同調すらしていますし。彼らの自己主張が全く無い事が、創竜伝のストーリー破綻の理由のひとつになっていると思うのですけどね~。
 まああのような「信念」の全くない「感情屋」などに、そのようなシロモノを求めるのは無理なのかもしれませんが(笑)。

P134下段~P135上段
<……九世紀、唐代の中国に仇士良という人物がいた。悪名高い宦官で、皇帝をあやつって権力をほしいままにし、自分に反対する重臣たちに無実の罪を着せて殺し、賄賂をむさぼって巨富をたくわえた。晩年に至ってついに失脚し、財産を没収されたのだが、この宦官が引退するとき、後輩の宦官たちにつぎのような「教訓」を残している。
「吾々宦官の権力は、皇帝をあやつることによって得られる。そのためには皇帝を愚かで無知な状態にしておかなければならん。皇帝を愚かにしておくには、本を読ませてはいけない。とくに、けっして歴史を教えてはいかんぞ。過去の歴史を知り、現状に疑問をいだくようになったとき、皇帝は宦官のいうなりにならなくなるのだ」
 人間を愚かな状態においておくためには、歴史を教えてはいけない。一〇〇〇年以上も往古の宦官の教訓は、現在も生きている。第2次大戦の前後に日本軍が犯した様々な蛮行――南京大虐殺、シンガポールの華僑虐殺、重慶への無差別爆撃、従軍慰安婦強制連行、中国人労働者の強制重労働、沖縄住民のマラリア汚染地連行――などの事実を、文部省が歴史の教科書から抹殺しようとしたのは、仇士良の教訓を実行しようとしたのである。こうして、若い人々に歴史を教えず、無知な状態に置きつづけた結果、サイパン島やシンガポールでどんなことがあったか知らない若い観光客が現地の人々の反感を買うことになる。虐殺を記念する碑の前でVサインをつくって笑いながら記念写真を撮ったりするわけだ。>

 唐代の中国の仇士良とやらも、田中芳樹にロクでもない引用をされるとは、いくら悪党であるとはいえ気の毒なものですね(T_T)。故人も墓の下で泣いていることでしょうな(笑)。だいたい仇士良という宦官が日本の自虐史観のような歴史教育を想定してこんな事を言ったわけではないことぐらい、すぐに分かりそうなものなのですけどね。中華思想を信棒している中国でそんな教育が行われるわけがないですし、仮に教えられたとしても「罪悪」としてではなく「栄光と繁栄の歴史」として定義される事でしょうよ。中国における残虐行為なんて、日本とは比較にならないほどに数も多ければ虐殺数も半端ではないのですから。
 仇士良が主張したかった事はむしろ逆で、歴代皇帝の偉業とか、偉大なる帝国の歴史などといった「栄光の歴史」を皇帝に教えるなという意味でしょう。そのような歴史を教えられる事によって自分に自信を持った皇帝が今の現状をふりかえり、宦官の支配体制に疑問を抱いてしまう事を仇士良は恐れたのでしょう。中国歴代王朝における歴史の定義と中華思想を考えてみれば、仇士良の言っていることは、田中芳樹の言っていることとは反対に日本の「右傾化教育」の否定であり、田中芳樹がやたらと強調したがる「日本の残虐行為を教える事」の肯定なのです。それは前の社会評論で取り上げた「シンガポールの華僑虐殺」に見られるような昨今の歴史教育問題で、歴史的背景も全く理解せずに「過去の日本が多くの残虐行為を行った」と思いこみ、それなりの償いをするのが当然であると考える人が多いのを見ても一目瞭然ではありませんか。むしろ田中芳樹が主張している「歴史教育で日本の残虐行為を教える事」の方が「仇士良の教訓」を忠実に守っている事になるのです。
 それに仮に万が一、ここで取り上げられている「日本軍が犯した様々な蛮行」が全て事実であったとしても(そんな事はありえないが)、それらを思想形成期にある過程の小・中学生にひたすら教え込む事が将来にわたってどれほどの影響力を持つことになるのか、少しは考えた事があるのですかね? 私自身もこういう教育を受けてきたので、その悪影響については知り尽くしていますよ。自分に自信が持てなくなり、親や祖父たちを憎むようになってしまうのです。これが昨今の教育問題と密接に関わっている事はまず間違いないでしょう。
 「インディアンの大量虐殺」「黒人奴隷によるプランテーション」をはじめとする様々な残虐行為を行ってきたアメリカでも、小・中学校あたりの歴史授業では「栄光の歴史」しか教えられる事はなく、「残虐行為」などはもう少し成熟した大人になってから教えられるのが常識です。しかも日本以外の国では、学校の授業が始まる前に「その国の国旗と国家に対する忠誠の宣誓」を行うのが普通なのですけど、これなどは田中芳樹に言わせれば全否定の対象でしょう。日本のありもしない「右傾化教育」などを批判するよりも先に、諸外国の教育方針を弾劾する事から始めた方が良いんじゃないのですかね? 全く相手にされないと思いますけど。
 それから前にも言いましたけど、実際に教育現場で力を握っているのは文部省ではなく日教組をはじめとする教育組合で、彼らは公然と文部省の基本方針に反抗しています。彼らの暴走を食い止めるために文部省がいろいろ指導しているという事実を、どうか少しは直視していただきたいものなのですが。

 それにしても、創竜伝8巻と9巻の間の2年間で余程フラストレーションでもたまったのか、8巻で一時減った社会評論がまた増えているのはどういうわけなのでしょうね。書いた数だけ墓穴を掘ることになるという事が、あの御仁には分からないのでしょうか。

親記事No.426スレッドの返信投稿
board2 - No.659

文章が好きならば。

投稿者:匿名希望
2000年02月24日(木) 13時19分

> どうも匿名希望さんは、わかっていて質問しているようでアレですね(笑)

いやそんなことはないですよ。(^^;) どちらかというと心の底では待っているのかもしれません。
「そんなことはない。”銀河英雄伝説”にはきちっとした意図を持って書かれた作品であり、歴史に残る一冊だ。」と言って私を論破してくれる方がこのBBSに表れてくれるのを…。
 本当に10代の頃は夢中で読んでましたから。それだけに管理人さんが失望したときの気持ちが少しは分かるかなぁと思ってます。

いや、個人的な話で恐縮です。そうそうついでに、以前田中氏の市場主義以外の隠れた意図を後日と書いておいてまだでしたね。

「わざと底の浅い反権力思想をたてて、ある程度ものの分かった人間を権力側に、よく考えない人間を反権力側に」

にという仮定だったんですけど(つまり、田中氏は権力に媚びて書いている。)

よく考えてみれば、ずっと読み続けるならともかく、ほとんどの読者は年齢を経るにつれ気付くか飽きるかするはずですから、この仮定はボツにしました。

>匿名希望さんには、読者層の想定があるようなので、「なぜ売れるのか」の分析もできませんか?人任せで何ですけど、わたしにゃあ、もうわかりません…。

わぁ、ご指名ですか。ありがとうございます。漢字ストレス解消小説(おぉ、新フレーズ♪)の売れる原因ですね。

そぉですねぇ。

「目的意識の喪失」「学歴信仰等既存価値の崩壊」「現代人の心にある空虚」「衣食住満ち足りた人々の求めるもの」「虚構の達成感による充足」「現実の非現実化」「出口なき日常」「昨今の異常事件多発との関連性」「ゲーム産業隆盛との相似性」

 このへんの単語を適当につなぎ合わせてどこぞのコラムのようにやってもいいのですがいまいち面白くありませんね。

 逆に漢字ストレス解消小説の読者として不的確な人々ってどんな人かあげてみましょう。

・小説を全く読まない人
最近見た活字はスポーツ新聞の芸能記事って人。

は、おいときましょう。とりあえずは読書が趣味な人々(シュミは読書でーすも含む)の中でってことで

・趣味の読書でストレスを解消する必要がない人
生きていることに全くストレスを覚えないのか、他の趣味で完全に発散できるのか、どちらかでしょう。ストレスがないように見えて案外悩んでいる人は多いということだけは最近分かってきたような気がします。

・いわゆる頭のすごくいい人
 そもそもその手の本には触ろうともしません。読書に使える時間は有限で、古今の名作は無数なのですから。もちろん、文庫でもハードカバーでも漢字ストレス解消小説や内容のない売れすじ小説を巧みにかぎ分け、それ以外の作品を読破していきます。こういう人と論争は出来ませんや。(T.T)

・趣味(読書)に一定の時間と能力を割くことが出来る人
 漢字ストレス解消小説は基本的にそれ(ストレス解消)自体が目的ですから、落ちついてゆっくり何度か読めば、おかしな点がざくざく出てきます。その辺に気付かせないのが技量とも言えますが、注意深く読まれては困る作品群であることは間違いありません。

主なとこで3つ。

で、まぁ上記3つの項目に一つでも当てはまる読者とそうでない読者はどちらが数が多いか?

後者。(私の独断)

∴漢字ストレス解消小説は売り上げで上位にランキングされる。

こんなもんでいいですか?

>片手間の、パクリの、漢字ストレス解消小説でベストセラー取れれば万々歳だね。

>「これだから作家稼業は辞められない♪」←田中芳樹の心の声(笑)

 うーん、でも自分の書いているものに自覚があれば(私は田中氏にはあるんじゃないかと勝手に推測してますけど)、悲しいと思いますけどねぇ。それと漢字ストレス解消小説を読者にそうと気付かせない技術はとても片手間で出来るものではないんではないかと。

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