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投稿ログ31 (No.559 - No.573)

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board2 - No.559

Re: 554 ファンか? 読者か?

投稿者:速水右近
2000年02月01日(火) 14時07分

すいません。折角「ドリフ」と振っておいたくせに、オチを忘れてました(わざわざ送る私も、律儀というか阿呆だなぁ)。

編集長役のいかりや長介「駄目だ、こりゃ」
(SE)♪ぱらぱらばら~

タイトルは『もしもこんなノベルズ編集部があったら』。
田中芳樹役は、志村けんでしょうね(御髪のあたりが……)。

>  愛蔵版創竜伝とかあったら笑えるのだろうなぁ。休日一日本屋に張り付いてどんな輩が買うのか観察してもいい!(笑)

さすが管理人。ナイスなツッコミですねぇ。講談社に、出すようみんなで嘆願書でも出しましょうか?
しかし「ノベルズ界のスーパースター」といっても、結局自分たちで「ハードでは売れない」ということを認めているようなものでしょう。やぶ蛇ですよね。
個人的には、『銀英伝』を書ける作家なら、ハードカバーで、もっと一般受けする作品を出すべき。いや、出すのが作家としての責任だと思っていましたが。しかし田中は作家として新境地を開くより、ノベルズの居心地の良さに魅力を感じたのでしょうか。
となると、『創竜伝』執筆開始の段階で、田中芳樹という作家は燃え尽きていた=「死に体」だったのかも知れませんね。

追伸 『東京ナイトメア』をいくつかの書店で調べましたが、全部初版でした。やっぱり、特定ファンだけしか買っていないのでしょう。

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board2 - No.560

Re: 涼子

投稿者:NNG
2000年02月01日(火) 14時34分

発行元の方は光文社への「出向」と書いてあったので、基本は
これからも講談社から出るのでしょう。

ところで邪推なんですけど、もしかしたら田中芳樹は創竜伝よりも
薬師寺涼子のほうを今では気に入っているのではないでしょうか?
染血の夢や富士山の噴火やらで大好きな社会批判がやり難くなった
のに対し、薬師寺涼子の世界はまだ現実世界が舞台になっています
から。

内容のほうで追加です。アシスタントの女の子(メイド)が増えて、
GS美神度がアップしていました。

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board2 - No.561

Re: スクウェア

投稿者:NNG
2000年02月01日(火) 14時45分

heinkelさんは書きました
>  例えて言うならば、一部おたくをねらって制作されたギャルゲーのくだらなさではなくて、大いに売れて、ついに新作で不評を買ってしまったファイナルファンタジーのろくでもなさ、といったところでしょうか。

ファイナルファンタジーという優良作品を作ったスクウェアが
趣味で作ったクソゲー(あるいはサガシリーズといった完成度の
低いゲーム)がよりふさわしいのでは?
作者=田中芳樹=スクウェアという図式です。

個人的にサガシリーズは好きなのですが、完成度の面でこのように
書きます。

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board2 - No.562

Re557:銀英伝のテーマとは

投稿者:冒険風ライダー
2000年02月01日(火) 17時32分

<あくまで仮の話ですが、ラインハルトがヤンを意識しすぎたがため、自分の戦略の本質を見失っていく……という展開をしていたなら、彼の「戦略の天才がどう転落していったか」を読者に読ませることになりませんか。結果としてそれが、「政治に感情を持ち込むとロクでもない結果」になり、ラインハルトも実は彼の軽蔑していた門閥と本質的には変わらなかったという、アイロニーを秘めていると思えるのですよ。またこちらのほうこそ、田中芳樹が本来書きたかった話=テーマに合致するとは考えられませんか。
 つまり「ラインハルトのミス」自体が問題ではなく、彼のミスをうまく作品に使えなかった「田中芳樹のミス」こそ責められるべきでしょう。言葉を換えれば「軍事戦略上のミス」ではなくて、「小説構成上のミス="小説という戦略"のミス」ではないでしょうか?>

 田中芳樹が本当にそこまで考えて銀英伝を書いていたというのならば、ラインハルトの感情的な行動原理も非常に面白い問題提起になったと思うのですが、オーベルシュタインの謀略論が本来は肯定ではなく否定対象として問題提起されていたように、田中芳樹もラインハルトについてそこまでは考えていなかったのではないでしょうか?
 第一、田中芳樹が本当にそのような面白い問題提起を自発的かつ確信犯的にできるような作家だったら、創竜伝のような低レベルな作品は恥ずかしくて書けないでしょう。何しろ、ヤンやラインハルトに象徴されるような「感情に基づく行動原理」が、そっくりそのまま竜堂兄弟に受け継がれているのですから(しかもそのことが完全に肯定的に描かれています)。

 また銀英伝において、ラインハルトは常に「理想的な専制君主」ないし「その偉大な才能のゆえの民主主義に対する脅威」として描かれています。また銀英伝のテーマも「最悪の民主主義と最善の専制政治の比較」という線でほぼ統一されています。したがってテーマの問題提起から言ってもラインハルトには「理想的君主」でいてもらわなければならず、また銀英伝において一貫して展開されている「ルドルフ批判」の観点から見ても、
「実はラインハルトは、自らのプライドのために無意味な戦争を行って兵士や国力を無為に浪費するという一点において、ルドルフや門閥貴族と何ら変わるところがなかった」
などという事実が発覚すると、せっかくのテーマが破壊されてしまうのです。田中芳樹もそれは避けたかったのではないでしょうか。

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board2 - No.563

うむ、これは…

投稿者:本ページ管理人
2000年02月01日(火) 18時31分

>  また銀英伝において、ラインハルトは常に「理想的な専制君主」ないし「その偉大な才能のゆえの民主主義に対する脅威」として描かれています。また銀英伝のテーマも「最悪の民主主義と最善の専制政治の比較」という線でほぼ統一されています。したがってテーマの問題提起から言ってもラインハルトには「理想的君主」でいてもらわなければならず、また銀英伝において一貫して展開されている「ルドルフ批判」の観点から見ても、
> 「実はラインハルトは、自らのプライドのために無意味な戦争を行って兵士や国力を無為に浪費するという一点において、ルドルフや門閥貴族と何ら変わるところがなかった」
> などという事実が発覚すると、せっかくのテーマが破壊されてしまうのです。田中芳樹もそれは避けたかったのではないでしょうか。

 これはその通りでしょうね。
 ただ、読み手の作品に対する評価は、たびたび作者のテーマの思惑から独り立ちするんですよね。
 極端に言えば、中高の国語教育で絶対作者が思っていないようなことが正解になっていることとか(笑)
 そのように考えて、私は銀英伝はずいぶんな幸運の上に書かれた物語だと思います。

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board2 - No.565

Re557:合理的な非合理、非合理的な合理

投稿者:速水右近
2000年02月02日(水) 19時05分

いつもお世話になっています。

さて、小生の書き足らなさもあったのですが、小説において「軍事的に合理的な行為」が「常に正しいとは限らない」ということです。それこそラインハルトが、いつもいつも正しい戦略ばっかりやっていたら、味も素っ気もないでしょう。
 作家は、いわゆる軍事専門家とは違います。同時に、両者が戦略にアプローチする部分も、似て非なるものがあります。
 専門家は、「絶対に間違いが許されない」ですが、作家は間違えても許されるはずです。なぜなら作家は「『間違えた戦略』という非合理的な要素を、いかに合理的に書くか』を書かねばならないのですから。つまり作家にとって、どうして「正しい戦略が必要なのか」といえば、「正しい戦略を知らなければ、間違えることが出来ない」のです。無論、冒険風ライダー氏ほどの方なら、この程度の説明など不用でしょうが……。(☆)
 となると、『銀英伝』において、「戦略の天才」であるはずのラインハルトがいかに感情的になり、戦略を間違えなければならない必然があるかという「(無茶苦茶なまでに)非合理的なことに対する合理的な説明」を、作品のなかに入れていなければならないはずです。ですが、私ごときが読んでも、そんなものはまったく見つけられませんでした。私は、ラインハルトのミス以上に、田中芳樹の描写の足らなさ(他の部分には力を入れているのに……)のほうが、腹を立てたのですが。
 ですから、作品を最小限しか弄らずに、「合理的に非合理さ」を説明するなら、「戦略の天才ラインハルト 転落の軌跡」(ビジネス書にありそうなタイトルだ)こそ、一番素直な代案だと思い書いたのですが(★)。

>  田中芳樹が本当にそこまで考えて銀英伝を書いていたというのならば、ラインハルトの感情的な行動原理も非常に面白い問題提起になったと思うのですが、(一部略)
 田中芳樹もラインハルトについてそこまでは考えていなかったのではないでしょうか?
>  第一、田中芳樹が本当にそのような面白い問題提起を自発的かつ確信犯的にできるような作家だったら創竜伝のような低レベルな作品は恥ずかしくて書けないでしょう。

 すべておっしゃる通りです(笑)。
 ですがこうなると、やはり問題は「ラインハルトのミス」ではなく、「田中芳樹の作家としての技量」が問題になっているということではありませんか?

>  また銀英伝において、ラインハルトは常に「理想的な専制君主」ないし「その偉大な才能のゆえの民主主義に対する脅威」として描かれています。また銀英伝のテーマも「最悪の民主主義と最善の専制政治の比較」という線でほぼ統一されています。したがってテーマの問題提起から言ってもラインハルトには「理想的君主」でいてもらわなければならず、また銀英伝において一貫して展開されている「ルドルフ批判」の観点から見ても、
> 「実はラインハルトは、自らのプライドのために無意味な戦争を行って兵士や国力を無為に浪費するという一点において、ルドルフや門閥貴族と何ら変わるところがなかった」
> などという事実が発覚すると、せっかくのテーマが破壊されてしまうのです。田中芳樹もそれは避けたかったのではないでしょうか。

 これは私の書き方が悪かったのでしょう。私の書きたかったニュアンスは「田中芳樹という作家が目指しているテーマ」であり、「『銀英伝』という作品自体のテーマ」という意味ではなかったつもりです。
 誤解をさせるような書き方で、申し訳ない。

 しかしそうなると、『銀英伝』は、確固としたストーリーの上で書かれたものでしょうか?
 書いていて、こういう疑問が頭をよぎりました。
 少なくとも『創竜伝』や『○○の艦隊』のように、後付けのストーリー(延長に延長を重ねるうちに、作品が破綻した)のではないと思うのですが……。それこそ冒険風ライダー氏や、管理人氏はいかがお考えでしょう?

☆ まだいるのかどうかわかりませんが、自称「軍事専門家」の書いた架空戦記ほど、救いようのないものはないですね。知識は正しくても、小説としては中途半端で、奥行きが全然なくて面白くない。
 知識の質や量の問題ではなく、小説家の知識と専門家の知識の差というものがわかっていない。そんな連中、それに「小説」を書かせる編集者、出てこい!

★ こうしておけば、ロイエルタール(でしたっけ?)が最後のほうで謀反を企てた理由も、もっとはっきりすると思われます。「昔のラインハルトには勝てないが、いまのラインハルトなら勝てる」と。

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board2 - No.566

Re565:「主観的な合理」という名の「客観的な非合理」

投稿者:冒険風ライダー
2000年02月03日(木) 16時22分

<『銀英伝』において、「戦略の天才」であるはずのラインハルトがいかに感情的になり、戦略を間違えなければならない必然があるかという「(無茶苦茶なまでに)非合理的なことに対する合理的な説明」を、作品のなかに入れていなければならないはずです。ですが、私ごときが読んでも、そんなものはまったく見つけられませんでした。私は、ラインハルトのミス以上に、田中芳樹の描写の足らなさ(他の部分には力を入れているのに……)のほうが、腹を立てたのですが。>

 ラインハルトがあそこまで「転落」していったのには、銀英伝の中でも一応2つばかり理由が語られてはいるのですけどね。ひとつはキルヒアイスの死であり、もうひとつはラインハルトの性格です。
 キルヒアイスはラインハルトにとって心の支えであったばかりでなく、ほとんど唯一気を許す事ができた相談相手でもありました。そのキルヒアイスが死んだ事によってラインハルトは深刻な精神的・心理的ショックを受けてしまいます。そのショックを忘れるために不必要に戦争を求めたというのがまずひとつ。
 そして何よりも、ラインハルトの性格それ自体が元々戦争を好む傾向があったことが挙げられます。それに加えて、ラインハルトを取り巻いていた環境も、ラインハルトに戦争状態こそが自然であるという認識を埋めこんでいったのでしょう。そのため銀英伝5巻以降の戦争終結後の平和状態にラインハルトは絶える事ができず、それから逃れようと相当な無理をしてまで戦争を求めた事が、ラインハルトが異常なまでに戦争において感情的になり、戦略や政治的選択を間違え続ける事になった理由なのです。何しろ銀英伝本編自体に「ラインハルトは戦争を必要としていた」というような描写があちこちにありましたから、同意はしませんが理解は十分にできるものです。
 これははっきり言ってラインハルト以外の人間、特に戦争に駆り出されるであろう兵士達にとっては到底納得できない理由ではあるのですが、自分が主観的に正しいと思い込んで行動している事が、客観的に見ると全く説明できない異常な行動に見えるということは、別に小説の世界に限らず現実世界でもよくあることです。
 ラインハルトの戦争に対する葛藤というのは、すくなくとも私が挙げたヤンの3つの思想的矛盾よりは明確に描写されているのですから、「ラインハルトの転落」という「(客観的に見て)非合理的な行動の(ラインハルトの主観的に)合理的な理由」は充分に説明できるのではないでしょうか。

<やはり問題は「ラインハルトのミス」ではなく、「田中芳樹の作家としての技量」が問題になっているということではありませんか?>

 これは「テーマを訴えたいという欲求」と「小説のストーリー進行上の要求」とのバランスがうまくとれていないからなのではないでしょうか? 私がヤンの思想的矛盾のひとつとして挙げた「シビリアン・コントロールの矛盾」にそれが良く表れています。
 あそこでヤンが同盟の無条件停戦命令を受諾する事は「シビリアン・コントロールの重要性」というテーマを訴えるためには必要不可欠なものです。しかしストーリー上、ヤンが戦うための戦力をある程度温存しておく必要があり、またヤンの感情的な理由もあって、結局のところ停戦命令に逆らってメルカッツ提督にある程度の戦力を持たせて逃がしてしまいます。テーマとストーリーの要求が全く正反対であるために中途半端な描写になってしまっているのです。
 ラインハルトにも同じことが言えまして、「民主主義と専制政治の対決」というテーマ上、ラインハルトに積極的に戦ってもらう必要があったにもかかわらず、今まで検証してきた通り、ストーリー上では、戦略的にラインハルトが戦わなければならない必然性が全くありません。この矛盾を回避するために、能動的に行動できるラインハルトの側に無理矢理戦争理由を見出させる必要があり、そのためにラインハルトの異常なまでの戦争に対する執着をあえて演出する必要があったのではないでしょうか。
 もっとも、このような矛盾に直面した最大の原因といえば、やはり、

<後付けのストーリー(延長に延長を重ねるうちに、作品が破綻した)>

 という理由が大きいのではないかと思いますね。
 創竜伝と同じく銀英伝も、最初は1巻のみで完結の予定だったのを全10巻に延長したと聞きます。この弊害がアムリッツァとキルヒアイスの「早すぎる死」となって出てきていますから、これに散々田中芳樹も悩まされたのではないでしょうか?

<こうしておけば、ロイエルタール(でしたっけ?)が最後のほうで謀反を企てた理由も、もっとはっきりすると思われます。「昔のラインハルトには勝てないが、いまのラインハルトなら勝てる」と。>

 ロイエンタールの反乱はロイエンタール自らが能動的に起こしたものではなく、地球教徒のお粗末な陰謀とグリルパルツァーの造反によって、いわば受動的に引き起こされたものですから、元々ロイエンタールの側に「反乱の合理的な理由」などなかったのではないでしょうか。
 あえてロイエンタールの側に「反乱の理由」を説明させるとすれば、「ロイエンタール自身の誇りと生存意義のため」といったところなのではないですかね。

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board2 - No.567

Re: Re566:「批判する側」の戦略

投稿者:速水右近
2000年02月03日(木) 18時53分

冒険風ライダーさんは書きました。

>  ラインハルトの戦争に対する葛藤というのは(中略)、「ラインハルトの転落」という「(客観的に見て)非合理的な行動の(ラインハルトの主観的に)合理的な理由」は充分に説明できるのではないでしょうか。
>
> <やはり問題は「ラインハルトのミス」ではなく、「田中芳樹の作家としての技量」が問題になっているということではありませんか?>
>
>  これは「テーマを訴えたいという欲求」と「小説のストーリー進行上の要求」とのバランスがうまくとれていないからなのではないでしょうか? 私がヤンの思想的矛盾のひとつとして挙げた「シビリアン・コントロールの矛盾」にそれが良く表れています。

>  もっとも、このような矛盾に直面した最大の原因といえば、やはり、
>
> <後付けのストーリー(延長に延長を重ねるうちに、作品が破綻した)>
>
>  という理由が大きいのではないかと思いますね。
>  創竜伝と同じく銀英伝も、最初は1巻のみで完結の予定だったのを全10巻に延長したと聞きます。この弊害がアムリッツァとキルヒアイスの「早すぎる死」となって出てきていますから、これに散々田中芳樹も悩まされたのではないでしょうか?
>
正直な話、『銀英伝』は不要だから、全部実家に送り返して現在手元にないのですが……。
なるほど、冒険風ライダー氏は、小生の読み足らなかった部分について、すべて明確に説明されています(さすがですねぇ)。
 だからこそあえて苦言を申し上げた次第なのですが、実は小生も、以前ある作家の同人誌に、「この人は戦略を知らない」と批判文を書いたことがあります。直接名前は書きませんが、『ほにゃららの艦隊』で大ブレークされ、いまは誰にも見向きをされなくなった、北海道在住の方です(☆)。
 その際、当の御仁とファンの反応が素晴らしかった。当事者は「私は戦略など知らない。だからどうした」的な居直りをし、またファンたちもそれを鵜呑みにして逆に私を批判してきたのですから。
 同様に、田中芳樹(やファン)にしたところで、冒険風ライダー氏が「どれだけ戦略が間違えている」と懇切丁寧に説明しようが、彼らは聞く耳など持たないでしょう。それこそ彼らは、「『主観的な合理性』という名の客観的な非合理」な対応をやってくるはずです。それこそ「批判している人間の自己満足」だというような。
 嫌な言い方ですが、彼らを納得させるには「肥溜めのなかで泥レス」をやるぐらいにレベルを落とした戦いをやるか、あるいはもっと間接的で、一見効力がないようでもじわじわ締め付ける手を打つかの二通りが考えられます。一番意味がないのは、氏のやられているような一般常識的なことを並べた戦略だと愚考します。彼らはそれを、すべて悪意に解釈してしまいますから……。
 ですから、大上段を振りかぶったような「ラインハルトのミス」から攻めるより、「そのミスをうまく小説上で反映できなかった田中芳樹のミス」という方向性で批判されたほうが、彼らは「ぐうの音」(死語ですか)も出ないと思うのですがね?
 それこそ私がやられたような、「私は戦略なんか知らない」と居直られることもないでしょうし……。「ラインハルトのミス」から批判すると、トカゲの尻尾的に逃げられる可能性もあると思いますよ。彼らにとって、「ラインハルトのミス」はその程度の価値しかない問題なのですから。
 つまり「戦略を批判する」ことは、「批判する側の戦略」も問われていることと同じだと思いますよ。また批判自体が適切であるが故に、氏の批判方法では意味をなさないと、一文入れた次第です。

 また氏がおっしゃられたように、「テーマを訴えたいという欲求」と「小説ストーリー上の要求」の矛盾は、『銀英伝』に限らずどの小説でもあることでしょう。
 しかしラインハルトという魅力的で、かつ屈折した稀代の名キャラクターを創造しているのに、『銀英伝』はそれが反映されているとは言い難いのも事実です(★)。
 もっと彼のキャラクターを活かした、内面を引き出せるストーリーがあったか、あるいは「何の魅力の欠片もないただの戦略の天才」でとどめておくかの、作者には二つの選択肢があったように思います。個人的には『銀英伝』のストーリーが大幅に変わってでも、前者のほうを読みたいですが……。
 やはり最終的に帰結するのは、田中芳樹の技量というか、作家としてのセンスの問題でしょう。「どちらを捨てて、どちらを優先するか」というのも、ひとつの「戦略」なのですから(※)。作家が小説のなかの戦略を間違えたとしても許されたとしても、こちらを間違えていたらシャレでは済みません。
 こちらから攻めたほうが、遠回りですが、確実ではありませんか?

☆ 昨年、冒険風ライダー氏と「田中芳樹と●巻●雄の対談があったら面白い」ということで少々盛り上がりましたけど……。
 その時は書きませんでしたが、田中芳樹より荒●義●のほうが、数倍エグイ人物です。直接書簡でやりあっただけに、そう断言できますね(笑)。あ、何も私が自慢することではないですか。
 結果的に読者を離れたのは、それ以外の事件が原因です。その件に関しては、冗談抜きで訴訟を考えたほどです(弁護士にも相談したところ、「勝ち目がない」というので泣く泣く諦め、その後数ヶ月間はノイローゼにされました)。
 細かいことは、いろいろ問題があるので書けません。ひとつだけ書くとすると、「デビュー作を潰された」ということでしょうか(皮肉なことに、そのほうがいまの私にはプラスになったのですけども)。
 ラインハルトには負けますが、私も結構、屈折しているんですよ(笑)。

★ 最近私の周りで流行っている言い回しですが……。
「キミは死んで○年目に、『知ってるつもり』で放送される」
 ラインハルトも、やっぱりそうですよ(笑)。
 嫌味な司会が「何が彼をそこまでかき立てたのでしょうか?」と言うと、何の必然性もないゲストのタレントが「うーん。やっぱり親の愛に餓えてたんでしょうねー」って答えたりして(ハマり過ぎてて、全然笑えないな)。

※ これは●巻氏が書いてたのですが、「小説は一種の戦略であり、作家も一種の戦略家である」。人間的には嫌いですが、この言葉は評価したいですね。

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board2 - No.568

ノベルズなんかいらない!

投稿者:速水右近
2000年02月03日(木) 19時22分

 仕事先で話していて、昔見たニュースの一シーンを思い出したので書いておきます。

 たしか新幹線開業何周年かで、どれだけ便利になったか、という主旨のインタビューをやってました。大半の人は「便利になった」と笑顔で語ってましたが、ある年輩の男性だけは、「なくてもよかった」と真顔で言っていました。理由は、「便利になったぶんだけ、それほど親しくないような知人の結婚式や意味のない打ち合わせなど、つまらない用件でも東京に行く用事が増えたから」でしたが……。

「便利」ということが、「豊かになった」ということと等式ではないことをはじめて知り、子供ながらに驚いたものです。
 さて、たしかにノベルズという出版形態は(小説好きにとっては特に)便利です。しかしメリットと言えば価格が安く、点数が増えたというぐらいで、他にそれほどないでしょう。「安くて出版点数が多い」から、「読者が得をした=面白い小説が増えた」ことにはなりません。
 いや、低価格になれば、つまらないものまで二冊三冊と買ってしまうことだってありかねません。反対にハードカバーだと、買うほうも高価になる分、選択するという行為が必要になります。買い手にも、いままで以上に自己責任が付きまとうはずです。
 そうなれば作家のほうも自然と、「選択に耐えられるだけの作品」を供給しなければならないでしょう。書き手もまた、現在以上の責任を負うことになるのですから、田中芳樹も『創竜伝』なんて駄作は、まかり間違っても書けないでしょう。
 となると、何のためにノベルズという中途半端な存在があるのか、やはり疑問です。あるとすれば、読者と無関係な部分(あけすけに書けば、小説編集者の新刊ノルマ)ではないでしょうか。
 読者が「面白い小説を読みたい」という権利を守るために、私はこういう意見を声を大にして言いたいものです。

「(少なくとも現在の)ノベルズなんかいらない!」

board2 - No.569

発禁のカクゴ

投稿者:本ページ管理人
2000年02月03日(木) 19時48分

 某掲示板で「悪魔の詩」を翻訳して喉をかっ切られて殺された五十嵐筑波大助教授の話を書いていたのですが、そうしたら無性に田中御大のことを思い出しました。

「世の中には信じられない偽善者どもがいてさ、大量殺人犯の心情を理解してやらねばならない、なんていうのよね。そいつらが自分の正しさを確信しているなら、アウシュビッツで殺されたユダヤ人の遺族にお説教してやればいい。『お前たちはアドルフ・ヒトラーの心情を理解してやるべきだ』ってね。できたとしたら、えらいものだけど」
(東京ナイトメアP143)

 この「被害者の前で言って見ろ」論法は創竜伝にもあり、それを新Q太郎さんに徹底的に撃破されているので、ここでは触れません。
 しかしねぇ、こういう論法を使うなら私も言ってみたいよ。

「お前は五十嵐助教授の遺族の前でも『創竜伝は発禁本』っていえるのか? いえたとしたら、えらいものだけど」
 別に五十嵐助教授でなく、田中芳樹がシンパシーを感じるであろう、小林多喜二(左翼文学家で、作品で警察を悪し様に書き、憲兵にリンチ殺人された)の墓の前でもいい。

 やっぱ現在のアンタは最低の人格だわ、田中芳樹。

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board2 - No.570

ついでに

投稿者:本ページ管理人
2000年02月03日(木) 19時58分

> 「世の中には信じられない偽善者どもがいてさ、大量殺人犯の心情を理解してやらねばならない、なんていうのよね。そいつらが自分の正しさを確信しているなら、アウシュビッツで殺されたユダヤ人の遺族にお説教してやればいい。『お前たちはアドルフ・ヒトラーの心情を理解してやるべきだ』ってね。できたとしたら、えらいものだけど」
> (東京ナイトメアP143)

 私はここであげつらわれている人権主義者とは対極の思想を持っている人間ですが(故にこの薬師寺涼子のあげつらいには少しだけ共感する)、『お前たちはアドルフ・ヒトラーの心情を理解してやるべきだ』と言うべきだと思いますよ。被害者というだけで思考停止せず、ヒトラーの心情や思想を咀嚼し、そのうえで情を含有した理として否定するべきだと思うので。
 結局、被害者という「ご神体」を出されると思考停止してしまうのは、人権主義者も田中芳樹も同じで、外部から見れば「カトリックもプロテスタントも同じキリスト教じゃん」的に変わりがないですね。

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board2 - No.571

駄レス

投稿者:本ページ管理人
2000年02月03日(木) 20時03分

> ★ 最近私の周りで流行っている言い回しですが……。
> 「キミは死んで○年目に、『知ってるつもり』で放送される」
>  ラインハルトも、やっぱりそうですよ(笑)。

 ヤンの場合だと、どうも「栄光なき天才たち」というイメージが私の中にあります(^^;)

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board2 - No.572

帝国軍の将帥は本当に解らなかったのか?

投稿者:不沈戦艦
2000年02月04日(金) 16時52分

 こんにちは。しばらく置いてしまってごめんなさいね。

冒険風ライダーさんは書きました

>  これを主張したのはミッターマイヤーですが、実はこの主張、すくなくとも当時の帝国軍が持っていた「ヤンについての知識」からはじき出された考え方としてはそれほど「馬鹿げた予想」ではありません。
>  というのもこの当時、ヤンが「民主主義擁護」の観点から同盟を必死になって死守するであろうことを、帝国側は知らなかったのです。したがって、ミッターマイヤーを始めとする帝国軍の将帥たちは、たとえ同盟が降伏してもヤンが同盟政府から独立して帝国と戦いつづけると考えていたため、このような考え方が出てきたのではないでしょうか。
>  銀英伝本編にもそのことを裏付けている個所があります。
>
> 銀英伝5巻 P154上段~下段
> <このとき、帝国軍の領袖たちの目が、同盟の首都や政府よりヤン・ウェンリー艦隊に向けられていたのを、固定観念としてしりぞけることはできないであろう。同盟政府よりヤン・ウェンリーの武力こそが、彼らにとっては現実の脅威だった。政府なき軍隊が自立化したとき、征服者たちの権力と権威はたもてようがないのである。>
>
>  この考えからいけば、ヤンを無視して同盟政府を倒す事はむしろ愚策です。ヤンを同盟政府という呪縛から解き放つ事になってしまい、帝国にとってはかなり厄介な事態となるのですから。ヤンの今までの「奇跡」から「彼を完全に自由にさせてしまっては今まで以上に厄介になる」とラインハルトや帝国軍の将軍達が考えるのも無理はありません。何しろ「ヤンが同盟を見捨てられない」という事実を彼らは知らないのですから。

「ヤンが同盟政府を見捨てられない」って本当に帝国軍の将帥たちには解らんのでしょうかね?いや、だとすると何でヤンがイゼルローンを放棄したのかさっぱり解らなくなるような。「同盟政府などどうでもよい」とヤンが考えたのなら、イゼルローンに籠もっている方が得でしょう。それこそシェーンコップの言うように「イゼルローン共和国という考え方も悪くない」のですから。後で、実際イゼルローンのハードウェアに頼らなければならない事態を作ってしまっていますし。

 ラインハルト自身も、イゼルローンを放棄したヤンの考えを、「同盟が勝つ唯一の方法」の実現のために、ラインハルトを戦死させること、「わからぬか。戦場で私を倒す事だ」と断言しているのですから、5巻の時点でのヤンが同盟の存続を第一に考え、行動していると帝国軍の将帥が理解していなかった、とは奇妙な気がしますけど。そういう意味で、「ハイネセンに進撃すれば、ヤンは負け覚悟で出て来ざるを得なくなる」というのは、ヒルダが僅かに考えたくらいで、他の誰も気付いていないというのはおかしいと思います。そもそも、ラインハルトのいつもの戦争のデザインでは「相手をこちらの有利な条件に否応なく引きずり込む」ということばかりだったのに、ここで突然「ヤンの有利な条件に引きずり込まれて、それに疑問を感じない」というラインハルト自身もおかしいし、部下もそれが解らない凡将ばかりになってしまった、というのは何なのでしょうね。いや、この辺は「対等な条件での、バーミリオンの両雄対決」が書きたいばかりに無理な理屈付けているような気がしてしょうがないんですけよ。5巻のこのあたりは「ご都合主義だな」と思ったもので。荒巻義雄よりゃ遙かにマシですけどね。

 なにせ、いくら有効な戦略でも、「ヤンの策動を無視してハイネセンに直進した帝国軍に対し、同盟政府がパニックに陥ってヤン元帥にバーラト星系正面での迎撃を指令。『シビリアンコントロール』だからと泣く泣く出てきたヤン艦隊が大兵力の帝国軍に袋叩きにされて最後は降伏。ヤン艦隊の壊滅で同盟敗北決定」じゃ身も蓋もないですから。それにこれじゃ、楠木正成の湊川みたいですし。

 実は、同盟自体が堅固なら、それでも抗戦可能です。中国の国民党や共産党みたいに、政府が逃げ回ればいい訳で。それこそヤン艦隊と一緒にでも。広い同盟領内を引きずり回され、帝国への敵愾心に満ちた民衆
に有形無形の嫌がらせやテロを受け続けたら、ラインハルトと雖も敗退しそうな気がしますけどね。「南京が落ちたら重慶に逃げる」をやれば実は同盟はかなり戦えるのではないかと思います。味方の犠牲を無視すれば。もっとも、銀英伝の世界で「同盟領がどのくらい広いのか?」が今イチ明確ではないので、これで絶対に同盟の勝ちとまでは言えないでしょうが。

 銀英伝世界でこれが出来ないのは、同盟がそんなに堅固ではなくて、ハイネセンが陥落したら帝国に降伏してしまうような星系ばかりだから、ってことなんでしょうけど。だから同盟政府はハイネセンから退去できない訳で。同盟が堅固だったら中国式の便衣兵戦術を駆使した抵抗が可能なんですが。だからと言って、基本的に「きれい事」を大事にしているラインハルトが、同盟領で言うことを聞かない惑星に対して、ヴェスターラントの虐殺みたいな事はできんでしょうし。

>  バーミリオン会戦の時点でヤンの性格をある程度見破っていたのは、帝国軍の中ではヒルダただ一人しかいませんでした。しかもそのヒルダですら、絶対の自信があったわけではありません。したがって、あの時点でヤンをおびき出そうとしたラインハルトの意図は、限られた情報からはじき出された結果から考えてみれば、それほど間違ったことではなかったと思います。大兵力でまとまっているとヤンが出てこない可能性がありますから。
>  そしてバーミリオン会戦以降は、帝国側にもヤンの性格は完全に分かっているのですから、むしろ参謀や将軍達の方がラインハルトよりもまともな考えを打ち出すようになり、実際、ラインハルトに対して一度ならず諫言も行っています。したがって、
>
> <「ラインハルト以下の帝国軍の将帥たちも、ヤンしか見ていない」と言えると思いました。>
>
>  というのはバーミリオン会戦時はともかく、すくなくとも銀英伝7巻以降には当てはまらないのではないでしょうか。
>  もっとも、レンネンカンプに対しては立派に当てはまりますが(^^;)
>

 そうですね。7巻以降はラインハルトだけが「予は戦いたい」とばかり言っている「戦争キチガイ」みたいで、他はマトモです。「陛下がお出ましにならなくても、我々が戦います」ってみんな言っていますから。その方が近代国家としては普通ですよ。君主が自分で前線に出る、だなんてナポレオン時代じゃあるまいし。あ、そのあたりがラインハルトのモデルでしたっけ?前に論争していて言われたような。

>  しかしそれとは別に、バーミリオン会戦時におけるラインハルトの作戦は、構想はともかく、実行過程においては破綻しているとしか言いようがありません。

 そうですね。どう考えても破綻していると思いますわ。

>  わざとラインハルトの戦力を手薄にしてヤンを誘い出す、という作戦自体は良いのですが、問題なのはその際に「同盟の補給基地攻撃」という名目で分散していった帝国軍の将軍達が、名目通り本当に同盟の補給基地を攻撃しに行ってしまった事です。兵力を分散するフリをヤンに見せておきさえすれば良かったはずなのに。
>  そもそも最初の作戦案では「ヤンを誘い出して時間稼ぎをし、帰ってきた帝国軍と挟み撃ちにして最終的に包囲殲滅する」という考えであったのですから、同盟の補給基地がどうであろうと、ラインハルトが攻撃された時点で引き返してこなければならなかったはずです。したがって、本当なら彼らはあまり遠くに行ってはいけないはずなのですが、ミッターマイヤーやロイエンタールでさえ、本当に同盟の補給基地を攻撃・占領している始末ですからね。そんな事をすればラインハルトの意図が完全破綻するであろうことは目に見えているというのに、彼らはラインハルトの意図が全く読めなかったのでしょうか?
>

 と、言うより「ヤン艦隊出現!ラインハルト艦隊と戦闘開始!」って連絡が貴下の艦隊司令官たちに行っていたんですかね?どうも銀英伝を読んでいても、そういう記述がないような気が。「ローエングラム公がヤンと戦い始めた!すぐ戻ってこい!」と反転命令がラインハルトから出てこなければ、艦隊司令官たちは「補給基地を攻撃・占領しろ」という最初の命令に従いますよ。これは「直ちに反転してこい!」とタイミング良く伝令を送らなかったラインハルトの問題ではないかと。ヒルダだけが勝手に真っ先に出ていって、ミッターマイヤー艦隊に到達しているのですから、これはラインハルトのミス、というか意固地でしょう。「部下の艦隊は来なくてもいい。自分だけで格好良くヤンに勝ってみせる!」という。だから、

「戦いを格好良く勝とうなどとは、例え彼我の兵力差が1対10の圧倒的に有利な場合でも、絶対にやってはいけないことだ」

 と言ってみせたんですわ。下のやつ(↓)ね。

> <「戦いを格好良く勝とうなどとは、例え彼我の兵力差が1対10の圧倒的に有利な場合でも、絶対にやってはいけないことだ」
>  という言葉を、バーミリオンのラインハルト・フォン・ローエングラム公爵に捧げたいと思います。>

>
>  上記の言葉は銀英伝5巻以降のラインハルトの行動全てにあてはまりますね。マル・アデッタ会戦やイゼルローン遠征などはバーミリオン会戦以上に全く必然性がありません。どちらもわざわざ戦う必要はないのですし、戦うなら戦うでラインハルトが出てくる必要は全くありません。しかも敵側に戦場を指定させ、わざわざ敵に有利な環境下で戦っていますが、これなどは本来のラインハルトの「戦略デザイン」の観点から言えば愚劣の極みでしょう。そこまでしてラインハルトは「自らの矜持」だの「軍事的ロマン主義」だのを満足させたかったのでしょうか?
>  しかもラインハルトの主観はどうであれ、傍目から見れば、ラインハルトは自分の戦略的格差をことさら誇示するために、不必要かつ犠牲を伴う「弱いものいじめ」を楽しんでいるようにしか見えません。何しろ戦略的格差から言ってもラインハルトが負けるはずがないのですからね。自分の絶対的な優越を自覚せずに相手に戦いを求めるという姿勢は、かつて彼が蔑視していたであろう門閥貴族と全く同じではありませんか。
>  はっきり言って銀英伝5巻以降のラインハルトは、「戦争の天才」とはとても呼べたものではありません。何しろ、その時点で一番犠牲を伴う選択肢ばかり選んでいるのですからね。これが政治家としても戦略家としても失格である事は言うまでもないでしょう。
>  ヤンもラインハルトも、結局お互いを感情的に意識しすぎて道を誤ったとしか思えませんね。政治に感情を持ち込むとロクでもない結果を導く好例です。

 うん、これは面白い視点でしたね。何だかラインハルト自身が、実は軽蔑していた筈の門閥貴族と何ら変わらなくなってしまった、というのは。勝ちたいと思った時に勝てる、わざわざ相手の有利な条件で戦って、流血を楽しんでいるとしか思えないラインハルト。これは確かに加虐趣味なだけでしょう。

 でもこれ、田中芳樹は意図的に「ラインハルトが、蔑視していた筈の門閥貴族と同様に精神を腐蝕させていく歴史の皮肉」を書いたのでしょうか?どうもそうは思えないんですよ。最後まで「ラインハルトは政戦両略の天才」と位置づけているだけのようで。「政戦両略の天才」と「不敗の名将だが民主主義に殉じた(不本意ながらやっている)軍人」を書きたかっただけで。田中芳樹は、ラインハルトの理念が腐敗していくのが、全然解っていないで書いているような気がするんですけど。

親記事No.547スレッドの返信投稿
board2 - No.573

Re567:小説に対する責任論

投稿者:冒険風ライダー
2000年02月04日(金) 18時00分

<実は小生も、以前ある作家の同人誌に、「この人は戦略を知らない」と批判文を書いたことがあります。直接名前は書きませんが、『ほにゃららの艦隊』で大ブレークされ、いまは誰にも見向きをされなくなった、北海道在住の方です(☆)。
 その際、当の御仁とファンの反応が素晴らしかった。当事者は「私は戦略など知らない。だからどうした」的な居直りをし、またファンたちもそれを鵜呑みにして逆に私を批判してきたのですから。
 同様に、田中芳樹(やファン)にしたところで、冒険風ライダー氏が「どれだけ戦略が間違えている」と懇切丁寧に説明しようが、彼らは聞く耳など持たないでしょう。それこそ彼らは、「『主観的な合理性』という名の客観的な非合理」な対応をやってくるはずです。それこそ「批判している人間の自己満足」だというような。>

 いくら田中芳樹が作家として堕落したとしても、ここまで愚劣な対応をするほどまでに「人間として堕ちた」とは思いたくないところですが、仮に田中芳樹がこのような対応をしたとしても私は一向に構わないと思っていますよ。その愚劣な対応も田中芳樹批判のために使用させていただきますので(笑)。
 むしろ作家批判という観点から言えば、作家側のこのような対応によって完全に作家側のメッキを剥ぐ事ができます。自らの作品に対して何の責任感も持たず、間違いを指摘されて居直るような作家を、それほど狂信的ではない普通のファンが見たら一体どう思うことでしょうね。第一このような対応は、作家自身が「自分の小説はどうしようもない駄作である」と明言しているようなものではありませんか。自分を支持しているファンに対してこれほど失礼な態度はないでしょう。
 私だったら、そのやり取りの一部始終を全て記録した上でホームページ上で公開し、積極的にCMして回りますね。そして自分はあくまでもファンに対して冷静に対応し、ファンないし作家と自分との差を第3者に見せつけてやれば、まずそれほど熱狂的でもないファンが作家から離れはじめ、熱狂的なファン達も次第に自らの過ちに気づく事でしょう。あくまでも気づかないというのであれば放っておけば良いのです。ファンがどんどん減少していくために、彼らは自滅への道を歩まざるをえなくなりますので。そこまで都合良く進まないとしても、すくなくとも作家やファンの信頼性に大きな傷をつけることは充分に可能でしょう。
 何しろ作家自身の行動なのですからね。これほどまでに作家を直接攻撃できる絶好の材料はめったにないでしょう。なまじ小説を通じて作家を批判するよりもはるかに確実かもしれません。速水さんが引用されたような事情は、むしろ私としては望むところですよ。田中芳樹やファンがそこまで堕ちるとは思いたくないところではありますが。

<大上段を振りかぶったような「ラインハルトのミス」から攻めるより、「そのミスをうまく小説上で反映できなかった田中芳樹のミス」という方向性で批判されたほうが、彼らは「ぐうの音」(死語ですか)も出ないと思うのですがね?
 それこそ私がやられたような、「私は戦略なんか知らない」と居直られることもないでしょうし……。「ラインハルトのミス」から批判すると、トカゲの尻尾的に逃げられる可能性もあると思いますよ。彼らにとって、「ラインハルトのミス」はその程度の価値しかない問題なのですから。
 つまり「戦略を批判する」ことは、「批判する側の戦略」も問われていることと同じだと思いますよ。また批判自体が適切であるが故に、氏の批判方法では意味をなさないと、一文入れた次第です。>

 その「ラインハルトのミス」がどのような理由で発生したのかが具体的に分からない限り、それこそ「私はそんな理由であの描写を書いたわけではない」と逃げられてしまうのがオチなのではないでしょうか? 「単純ミス」とか「純粋に軍事知識が足りなかった」という可能性だって考えられますからね。
 それにそこまで作家をやたら引き合いに出しても、一般のファンがついてこれないのではないですか? 「私はこの作品が好きだけど作家の事はどうでもよい」というファンだっていますからね。そういう人達に対して、作家をひたすら引き合いに出して作品批判をしても、あまり意味がないのではないでしょうか。
 私自身、田中芳樹の思想に対していろいろと考えるようになったのも、多くの田中芳樹作品を読みふけっていろいろ考え、疑問点に気づいたり矛盾を感じたりして以降の事ですからね。やはり作家である田中芳樹を批判するのならば、その作品の思想や内容を問うことこそが常道です。そしてその方がファンもついてこれるでしょう。何しろ、自分達がよく知っている作品の内容なのですからね。分かりやすさから言ってもこちらの方が確実ですし、ファンも少しは疑問を持って小説を読んでくれるでしょう。
 私もかつては熱狂的な田中芳樹ファンでしたからね。その経験が今の戦略につながっているのですよ。かなり有効な戦略だと思うのですがね。

 それと私自身も架空歴史系に限定してはいますが、ときどき田中芳樹作品の擁護や矛盾の解読をしています。作品の擁護とはこのようにやるものだという範を示しているつもりです。実はこの戦法も、狂信的なファンの愚劣な擁護論を封じるには結構有効な戦略であると考えているのですが。

<昨年、冒険風ライダー氏と「田中芳樹と●巻●雄の対談があったら面白い」ということで少々盛り上がりましたけど……。
 その時は書きませんでしたが、田中芳樹より荒●義●のほうが、数倍エグイ人物です。直接書簡でやりあっただけに、そう断言できますね(笑)。>

 だとしたらますます見てみたいですね(笑)。罵倒合戦に終始するか、逆に意気投合するか、はたまた心理的な駆け引きが行われるか、いずれにしても相当な見物であると思いますけど(笑)。

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