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投稿ログ33 (No.596 - No.614)

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board2 - No.596

形態では計れない

投稿者:匿名希望
2000年02月09日(水) 12時04分

>あのぅ、それって、ただ出版社サイドの都合だけではありませんか?
>いちばん肝心な、読者の立場はどうなるのでしょう。

 いいえ。”資本主義社会で実際に出版できる”のは、適正な価格でノベルズ(内容)を手に入れたい特定多数読者(買い手)や才能的に発展途上の作家さん(売り手)等の立場を内包していればこそです。

>出版社が採算をとるためにつまらないものを読まされては、たまったものではありませんぜ。

 特定多数の読者達にとってはたいしてお金も出さずに気軽に読めるので別にかまわないでしょう。それ以外の人はそもそも買わないんですし。強いて言うと、表紙につられたとかで、まちがえて買った人ぐらいしか被害者は出ないのでは?

>『創竜伝』や『ほにゃららの艦隊』という作品自体出たって私自身構いません。また、それを読む読者の自由も認めましょう。
 しかしノベルズという形態が現在のようになってしまった以上、二作のように作者が甘えた作りの作品を産み出した、ということもまた事実です。どこかで悪循環を絶つなら、まずノベルズという形態素のものの見直しくらいしか手を思い付きませんでしたが?

 甘えの構造には同感です。ただ、ほっておいて良いのではないんでしょうか。そのうち腐っていくんじゃないかと。まぁ、あらたに生じてくる分野(特定多数読者群)もあるのでしょうけど。

>それこそ作品の評価は、形態では計れないはずです。

全くその通りだと思います。

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board2 - No.597

げ、涼子って

投稿者:平成の一軍人
2000年02月09日(水) 12時31分

NNGさんは書きました
> 内容のほうで追加です。アシスタントの女の子(メイド)が増えて、
> GS美神度がアップしていました。
 美神のパクリだったのか。
 美人でやり手だけど、わがままなヒロイン+こき使われる男とい
うパターンからしてそうじゃないかと思っていたが(なお、私は読
んでいません)。芳樹も出尽くしているね。

 私は友人から「お前って、横島そっくり」と言われています。
 しかし、私は堂々とセクハラはしません。また、ああいうタカビ
ー女にはもう懲りています。横島と違って、美神タイプの女と結婚
できるまで、耐えられる自信はありません。

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board2 - No.598

Re: 形態では計れない

投稿者:速水右近
2000年02月09日(水) 18時19分

匿名希望さんは書きました
> >あのぅ、それって、ただ出版社サイドの都合だけではありませんか?
> >いちばん肝心な、読者の立場はどうなるのでしょう。
>
>  いいえ。”資本主義社会で実際に出版できる”のは、適正な価格でノベルズ(内容)を手に入れたい特定多数読者(買い手)や才能的に発展途上の作家さん(売り手)等の立場を内包していればこそです。
>
> >それこそ作品の評価は、形態では計れないはずです。
>
> 全くその通りだと思います。
>
 以前も書きましたが、もともとノベルズが出された理由とは発展途上の作家にチャンスを与えたり、それほど需要はないけど良質なアンソロジーを提供するために出されたものでした。ですが現在、その流れを汲んでいるのはどれだけあるでしょうか。それこそ講談社と光文社のミステリーものぐらいではありませんか?
 他社=後期参入のノベルズは、ノベルズができた目的からは明らかにずれています。それこそ管理人氏が書かれたような、「田中芳樹=ノベルズ界のスーパースター」って言葉は、矛盾しまくってますね。あのクラスになれば、わざわざノベルズ(というジャンル)に固執する必要もないでしょうに。
「若手にチャンスを与える」ためのジャンルが、いつしか利益優先のために“売れっ子作家”を投入する。これは矛盾ですよね。しかも“売れっ子”やベテランを投入したところで、全体のレベルが上がっているとはお世辞にも言えない。
 それなら、現状を一度リセットするためにも、ノベルズをなくすぐらいの荒療治をやってもいいのではありませんか? 少なくとも、読者はさほど困りませんし……。

 また『創竜伝』や『ほにゃららの艦隊』にしたところで、作者に自信があれば、最初っからハードカバーで出せばいいのです。そして本当にファンだと言える読者は、買えばいいでしょう。自分たちだけで、勝手に内輪の楽しみをやっていればいいではありませんか。
 そちらのほうが、はるかに健全な特定読者の楽しみ方だと思いますよ。○○クラブの適性価格がいくらだろうが、価格が下がろうが、一般人は行かないんですから(笑)。

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board2 - No.599

目の付け所はいい

投稿者:新Q太郎
2000年02月09日(水) 19時36分

《副題:椎名高志再論》

> > アシスタントの女の子(メイド)が増えて、
> > GS美神度がアップしていました。

>  美神のパクリだったのか。
>  美人でやり手だけど、わがままなヒロイン+こき使われる男とい
> うパターンからしてそうじゃないかと思っていたが

-----------------
前にも書きましたが、椎名高志の作品はGS美神も含め売れちゃーいるんでしょうが、どうも作品の評価があまり高くないような気もする。

しかし、サブタイトルや種々のシーンに古典映画や古典小説のパロディを使うところから察せられるように、椎名氏は古今東西の「お話」を貪欲に吸収し、自分のものにした上で骨組みのしっかりしたストーリーを作っている作家です(全盛期の田中氏と通じる)。

これも前に書いたのですが、そのストーリーの正統的面白さが、椎名氏自身が「極楽」で選択した「パロディこみのハチャメチャギャグ」という形式で覆われ、また制限されたために見えにくくなっているんですよね。

試みに、極楽大作戦から「美神のがめつさ、ヒキョーさ」と「横島のスケベ、臆病さ」という性格に起因するギャグを排除してみてください。簡単に骨太なSFサスペンスが出来ます。で、美神・横島コンビで、もう少し美神が横島にを思い遣りを見せ、横島が騎士道精神を見せたら(現実味がないなァ(笑))まあ簡単に少年少女が憬れる?ようなカップルが誕生すると。

そういう点で、他人の創作意欲を刺激するような一設定を椎名氏が生んだ、その凄さゆえに田中氏が、その前に膝を屈した、と。

そういうことで良いんじゃないすか?銀英伝やアルスラーンも色々な影響を世間に与えたようだし、「イタダキ・シルクロード」(by岡田斗司夫)は続くよ、ってことで。

【参考】
椎名インタビュー
ttp://www.so-net.ne.jp/SF-Online/no15_19980525/interview_Mizutama.html

岡田斗司夫『オタク学入門』から「パクリを探せ!」
ttp://www.netcity.or.jp/OTAKU/okada/library/books/otakugaku/No2.html

(紙版単行本では、図形化された「イタダキシルクロード」があります)

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board2 - No.601

「戦争の天才」であり続けねばならなかったのでしょう

投稿者:北村 賢志
2000年02月11日(金) 02時56分

不沈戦艦さんは書きました
>  上記の言葉は銀英伝5巻以降のラインハルトの行動全てにあてはま
>りますね。マル・アデッタ会戦やイゼルローン遠征などはバーミリオ
>ン会戦以上に全く必然性がありません。どちらもわざわざ戦う必要は
>ないのですし、戦うなら戦うでラインハルトが出てくる必要は全くあ
>りません。しかも敵側に戦場を指定させ、わざわざ敵に有利な環境下
>で戦っていますが、これなどは本来のラインハルトの「戦略デザイン」
>の観点から言えば愚劣の極みでしょう。

7巻以降のラインハルトの行動には皆さん批判的なようですが、確かに「ラインハルトの好み」で行動した面はあるにせよ、それでも有る程度の合理性はある行動と見ています。

その根拠を前に戦乱の時代におけるリーダーとなりうる、つまりカリスマ性を生む根拠について述べます。

1,個人的戦闘能力
呂布、いわゆる「悪の魔王」系キャラなど

2,戦術家として卓越している
項羽、豊臣秀吉、ナポレオンなど

3,戦略家・政治家として卓越している
曹操、徳川家康など

4,特に取り柄はないが求心力がある
劉邦、劉備、水滸伝の宋江など

 勿論、これらは厳密な区分けがあるわけではありません(例えば項羽は多分に「1」の要素もありますし、劉備や家康も戦術家としての能力は優れていました)。
 で、銀英伝に話を戻すとラインハルトは当初「2」でありかつ「3」、ヤンは自身が「3」で有るにもかかわらず現実には「2」となります。
(ヤンにとって身近な人間はともかく、反帝国の中心となった最大の理由は「戦術家としての名声」であったわけであり、また歴史として見れば「戦略家ヤン」の出番は事実上無いのでこう評価しました)
 そこでラインハルトの最大の権力基盤が軍部であり、その軍において彼の絶対的なカリスマを支えていたのは「常に前線に立って戦う戦争の天才」の姿(すなわち「2」)であり、それだからこそあれだけ急激に成り上がることが出来たと言えます。
 つまりラインハルトは権力を維持し続けるために「戦争の天才」であり続ける必要があった、少なくとも「そう評価する理由があった」のです。
 それを考えるとマル・アデッタのようにわざわざ相手の土俵にのった上で、圧倒的兵力をもって少数の敵を叩きのめすのは、有る程度の犠牲は避けられないにしても、「戦争の天才」の名声を高めますから、むしろラインハルトにとって政治的にプラスであり、それは帝国の基盤を盤石にすると言う面に関しては望ましいとの見方も出来ます。
 逆を言えば謀略で相手を取り除くのは、犠牲が出なくとも「戦争の天才」の姿を示すことが出来ませんから政治的な利点を損なうとも言えるのです。
 ラインハルトの覇業がひとまず完了する5巻までは、勝つために「救国軍事委員会」や「オフレッサーの裏切り」「皇帝亡命」よろしく謀略をもって敵を混乱させる必要がありました、また謀略を用いてもまだ「戦争の天才」を示せる相手がいましたが、それ以降は違います。
 つまり7巻以降は「勝つこと」はもう当たり前で、「いかなる形で勝つことが皇帝のカリスマを高めるか」を考えるようになったと見れば、(それが支持されるかどうかは別として)あの一見無茶に見えるイゼルローン遠征にもそれなりの合理性が見いだせます。
 確かにヒルダやミッターマイヤーらはこれについて批判的です。しかしそれは皮肉にも彼らがラインハルトに身近にいるため、つまりここでは上記のヤンのカリスマと正反対の現象が起きていたと見ることが出来ます。
 言うまでもなく、この場合「泳ぎ続けなければ死んでしまうマグロ」のように常に戦い続けねばならず、帝国が安定期に入ると実に拙いことになりかねません。
 その意味ではラインハルトは「実に理想的な時期に死んでくれた」と言う評価も出来ます。
 とまあひねくれた私は皆さんに異論を唱えるべく「7巻以降のラインハルトの武力行使」の合理的根拠を考えてみました。
 出来れば田中氏は帝国の一見強大なようで実はもろい一面の存在を作中何度も挙げておきながら、強引でも合理的理由を描けなかったのは確かに銀英伝の瑕疵ではあると思いますが、この点に関して殊更非難する気はありません。十分に面白かったと思っていますから。

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board2 - No.602

目の付け所はいい…が、しかし……

投稿者:本ページ管理人
2000年02月11日(金) 18時39分

> そういう点で、他人の創作意欲を刺激するような一設定を椎名氏が生んだ、その凄さゆえに田中氏が、その前に膝を屈した、と。
>
> そういうことで良いんじゃないすか?銀英伝やアルスラーンも色々な影響を世間に与えたようだし、「イタダキ・シルクロード」(by岡田斗司夫)は続くよ、ってことで。

 パクリ自体は良いと思います。
 しかし、新Q太郎さんが紹介されている岡田氏のサイトにある、「確かに盗作したが、俺の方が面白い」というA・デュマの言葉が、この問題の所在を端的に表しているように思います。
 ネタが明らかに判るようなパクリは、そのオリジナルのネタとの勝負になってしまうと思うのですよ。
 オリジナルよりも明らかに面白ければ、「上手く料理した」と評価してもらえる。しかし、同等・もしくはそれ以下のデキの場合、「タチの悪いパクリ」と言われても仕方がないと思います。
 「極楽」と「薬師寺」の場合、新Q太郎さんが指摘されているとおり、「極楽」というオリジナルは巨大ですが、それに比べ、「薬師寺」は設定もストーリーも劣悪な再生産でしかありません。
 「真似」というのは、オリジナルを凌駕するパナソニック製品になって初めて評価されるのであり、劣悪なパチモノは軽蔑の対象になるのも仕方がないと思います。
 それにしても、このパチモノが売り上げ一位になる状況はどのようなものかと思います。

 一応、薬師寺シリーズ読んでみましたが、ひどいものですねぇ。ストーリーの展開や敵の妖怪が出てくる背景などまるで無視。
 特に摩天楼はビルの支配人の伏線が全く無視されてジャンプの打ち切りマンガみたいな終わり方になっています。くだらない読み切り(中学生の文芸部だってもっとまともなものを書くのでは?)を載せる暇があったらちゃんと筋が通るストーリーに書き直せっての。
 あ~、買ったのが古本で良かった…

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board2 - No.603

Re: Re567:小説に対する責任論

投稿者:織田
2000年02月12日(土) 16時18分

>  いくら田中芳樹が作家として堕落したとしても、ここまで愚劣な対応をするほどまでに「人間として堕ちた」とは思いたくないところですが、仮に田中芳樹がこのような対応をしたとしても私は一向に構わないと思っていますよ。その愚劣な対応も田中芳樹批判のために使用させていただきますので(笑)。
>  むしろ作家批判という観点から言えば、作家側のこのような対応によって完全に作家側のメッキを剥ぐ事ができます。自らの作品に対して何の責任感も持たず、間違いを指摘されて居直るような作家を、それほど狂信的ではない普通のファンが見たら一体どう思うことでしょうね。第一このような対応は、作家自身が「自分の小説はどうしようもない駄作である」と明言しているようなものではありませんか。自分を支持しているファンに対してこれほど失礼な態度はないでしょう。
>  私だったら、そのやり取りの一部始終を全て記録した上でホームページ上で公開し、積極的にCMして回りますね。そして自分はあくまでもファンに対して冷静に対応し、ファンないし作家と自分との差を第3者に見せつけてやれば、まずそれほど熱狂的でもないファンが作家から離れはじめ、熱狂的なファン達も次第に自らの過ちに気づく事でしょう。あくまでも気づかないというのであれば放っておけば良いのです。ファンがどんどん減少していくために、彼らは自滅への道を歩まざるをえなくなりますので。そこまで都合良く進まないとしても、すくなくとも作家やファンの信頼性に大きな傷をつけることは充分に可能でしょう。
>  何しろ作家自身の行動なのですからね。これほどまでに作家を直接攻撃できる絶好の材料はめったにないでしょう。なまじ小説を通じて作家を批判するよりもはるかに確実かもしれません。速水さんが引用されたような事情は、むしろ私としては望むところですよ。田中芳樹やファンがそこまで堕ちるとは思いたくないところではありますが。

なぜそこまで作者本人を攻撃せねばならないのだ。作者を叩く事で信者の目を覚まさせ、著作の売上が減れば少しは作者も反省し正道に戻るだろうとでも考えているのだろうか。

そもそも田中信者とは、田中芳樹本人に会ってその人柄に心服した訳ではなく、その作品に感銘を受けて「このような素晴らしい小説を書ける人は尊敬すべき人格者に違いない」と思いこみ、以後の田中作品に対し無批判に崇拝する人種だと思う。その信者達が作家田中芳樹を甘やかし、また作者本人がその甘えに依存し作品の質の低下を招いているのが、現在の田中芳樹を取り巻く状況ではあるまいか。

ならば作者に対する過度の攻撃は無用。信者に対しては、経典といえる緒作品が内包する構造的矛盾、事実歪曲、作者自身の偏向した観念等を、事実を元に理性的に説けば良い。目が覚めぬまでも、「盲信」に僅かでも疑念の種を植えれば、いつか花開くときが来よう。

ちなみに上に引用した冒険風ライダー氏の作戦を行ったとすると、「確かに田中芳樹に非はあるだろうが、作者の人格を殊更あげつらう鬱陶しい行為」として、逆に田中芳樹に同情票が集まると思うが。

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board2 - No.604

Re601:ラインハルトの支持基盤

投稿者:冒険風ライダー
2000年02月12日(土) 16時55分

<ラインハルトの最大の権力基盤が軍部であり、その軍において彼の絶対的なカリスマを支えていたのは「常に前線に立って戦う戦争の天才」の姿(すなわち「2」)であり、それだからこそあれだけ急激に成り上がることが出来たと言えます。
 つまりラインハルトは権力を維持し続けるために「戦争の天才」であり続ける必要があった、少なくとも「そう評価する理由があった」のです。>

 これは「合理的根拠」というよりは、私がNo.566で主張した
<「主観的な合理」という名の「客観的な非合理」>
というものなのではないですかね? ラインハルトがこのように思いこんでいたというのならば納得しますが。
 確かにラインハルトの最大の権力基盤は軍部でしたが、しかしだからと言ってラインハルトがそれほどまでに軍部に対して気を使わなければならない立場にあったでしょうか? 帝国軍の将帥は、ラインハルトに対して常に「前線に出ない方が良い」とか「ヤンごときと直接戦う必要はない」といった諫言を行っていますし、戦争理由にそれなりの必然性があったはずのランテマリオ会戦やバーミリオン会戦の時でさえ、ラインハルトはそういった諫言を受けています。ラインハルトが本当に権力を維持しつづけるために「常に前線に立って戦う戦争の天才」でありつづける必要性があるのならば、何でこのような諫言が自らの権力基盤であるはずの「軍部」から出てくるのですか? 本来ラインハルトが最も気を使わなければならないはずの「軍部」からこのような慎重論が常に出てくること自体、ラインハルトの心配が全くの杞憂である事を充分に証明してくれているではないですか。
 そして仮にそれに従ってラインハルトが前線に出なかったとしても、それによってラインハルトが非難にさらされる事はまずなかったでしょうし、その方がむしろ部下達も安心して戦う事ができたでしょう。ラインハルトが戦死するという最悪の事態の可能性を減らす事ができるのですから。それをひたすら自らの個人的感情で一貫して退けてきたのはラインハルト自身です。
 それに万が一、自らが乱発した戦争で敗北した場合、それこそ自らが拠って立つ「戦争の天才」という権威が大きく失墜してしまう可能性が高く、最悪の場合は王朝の基盤を揺るがしかねないものにまで発展するかもしれません。ラインハルトに対する名声はわざわざ戦争を起こさずとも充分に安定しているというのに、わざわざそんな危険を犯す必要がどこにあるというのでしょうか。

 むしろ「権力の維持」という観点から見ると、ラインハルトが本当に気を使わなければならなかったのは、彼を「解放者」として称えている「平民」や「一般兵士」の方でしょう。
 彼らがラインハルトを支持する最大の理由は、自分達を門閥貴族の圧政から解放し、さらに同盟との長期に渡る戦争に終止符を打ってくれた存在だからであって、「常に前線に立って戦う戦争の天才」というのは、「解放者ないしは戦争終結者」としての存在理由があるからこそ価値があるものなのです。したがってラインハルトが無益な戦争ばかりするようになれば、いかにラインハルトが「戦争の天才」だからといって、彼らがラインハルトを支持する事はありえません。現にイゼルローン遠征やロイエンタールの反乱によって、兵士達にも「いいかげんにしろ」という反感や延戦気分がつのっています(銀英伝10巻 P34)。
 そもそも銀英伝7巻以降のラインハルトの敵は「平民」にとって本当に敵対すべき存在だったでしょうか? ビュコックがマル・アデッタで自殺行為的な抗戦姿勢を示そうが、ヤンがイゼルローンに立てこもってラインハルトと戦おうが、ロイエンタールが反乱を起こそうが、そんなもの「平民」にとっては何の関係もないことですし、そこでラインハルトの「戦争の天才」ぶりが示されたところで、彼らは別に何とも思わないばかりか、むしろそんなものに巻き込まれることに対する不満の方が大きいでしょう。無益な戦争が勃発する事によって自分が死んでしまうかもしれないのに、それよりもラインハルトの「戦争の天才」が示される事の方が大事であるなどと考える人はまずいないでしょう。
 ラインハルトもやたらとこの手の「名声」を気にしているような事を口にしていますけど、どうもラインハルトの感情的行動原理の自己正当化のようにしか見えないんですよね~(-_-;;)。

<つまり7巻以降は「勝つこと」はもう当たり前で、「いかなる形で勝つことが皇帝のカリスマを高めるか」を考えるようになったと見れば、(それが支持されるかどうかは別として)あの一見無茶に見えるイゼルローン遠征にもそれなりの合理性が見いだせます。>

 確かに戦略的に圧倒的劣勢に立たされている敵に勝つのは当たり前の事です。しかしその際に味方の犠牲が甚大なものになってしまったとき、上層部に対して「あの程度の敵に何をしているんだ」という不満が高まってしまうのではないですか? これは「皇帝のカリスマを高める」という目的から言ってもマイナスだと思いますけど。

<この場合「泳ぎ続けなければ死んでしまうマグロ」のように常に戦い続けねばならず、帝国が安定期に入ると実に拙いことになりかねません。
 その意味ではラインハルトは「実に理想的な時期に死んでくれた」と言う評価も出来ます。>

 これについては全面的に賛成です。

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board2 - No.605

2号参上!!

投稿者:冒険風ライダー2号
2000年02月13日(日) 00時49分

 冒険風ライダーくんは負けそうだと黙殺、勝てそうだと反論するという実践派田中主義者。(無自覚らしいけど)
 全面肯定以外のレスは止めてあげましょう。可哀想だからね。

board2 - No.606

あほか

投稿者:zensho@rj8.so-net.ne.jp
2000年02月13日(日) 14時16分

あほですか。
 いろいろと批判はできると思います。確かに小説はエンターテイメントですけれども、だからといってその中に何のメッセージもないただの快楽小説としてしまうのはどうでしょうか。
 これに「批判」するのであれば、それなりの実証を提示してもらわないことには反論のしようがないので今回はくわしいことには論究しません。
 確かな実証ある上での反論を期待しています。

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board2 - No.607

Re: オカルトGメン

投稿者:NNG
2000年02月13日(日) 14時53分

設定で1つ。
GS美神にはオカルトGメンっていう組織がありますよね。
これに相当する組織が薬師寺涼子に存在しないのが納得できません。
あれだけ怪物が出てきているならあってしかるべきだと
思うのですが。

親記事No.547スレッドの返信投稿
board2 - No.608

う~ん…老婆心ながら

投稿者:本ページ管理人
2000年02月13日(日) 16時08分

 このスレッド、なにやら変なモノまで出てきていますが、それはともかくとしても、この件に一言も触れないのはいささかマズいのではないでしょうか。
 作家の態度を問うているのであれば、批判する側もその態度を明らかにしなければ話になりません。
 少なくとも、このスレッドで議論になっているNo.573が「確信犯」であるか、それとも「筆が走りすぎたのか」くらいは明言されたほうが良いのでは?
 それによって、この掲示板を読んでいる方々が冒険風ライダーさんに対して取るべき評価と態度がはっきりすると思います。

親記事No.606スレッドの返信投稿
board2 - No.609

???

投稿者:本ページ管理人
2000年02月13日(日) 16時24分

> あほですか。

いきなりなんですか?

>  いろいろと批判はできると思います。確かに小説はエンターテイメントですけれども、だからといってその中に何のメッセージもないただの快楽小説としてしまうのはどうでしょうか。

 社会評論を入れれば高尚になるとでも?

>  これに「批判」するのであれば、それなりの実証を提示してもらわないことには反論のしようがないので今回はくわしいことには論究しません。
>  確かな実証ある上での反論を期待しています。

??

board2 - No.610

前略、管理人さま

投稿者:速水右近
2000年02月13日(日) 16時51分

 毎度、お世話になっております。
 好き勝手にお馬鹿なことを書いて、御免なさいね(多謝々々)。

 さて「ノベルズの存在意義」などを書いたあと、少々自分なりに考えてみたのですが……。現在の「ノベルズ」というジャンルが、いままでの小説とは明らかに別のものになってしまった、という考え方は出来ないでしょうか?
 従来の小説は、(いい意味で)読者を不安に陥れ、それから感動させるといった「作家の芸」が必要でしたが、「現在のノベルズ」はそうでは計れないものに変質しつつあるような気がします。
「キオスク文学」〈=キオスクで売っていて、誰でも三時間あれば読めるという意味)という言葉を聞きましたが、これらの読者の求めているものは「感動」ではなく、「安心」なのではないでしょうか。
 こう考えると、「ノベルズのなかに間違いがある」のは、「必要悪」というか、やむを得ないことなのかも知れませんね。また「ノベルズ」のミスをつつくのは、逆にこちらが相手を「小説」と見なしているとも言えるでしょう(もっとも、その程度の「ノベルズ」に「政治批評」を入れるのは、そもそも間違いなのですが)。

 たしかに『創竜伝』は、ひどい。『ほにゃららの艦隊』は無茶苦茶だ。西村●太郎は、旅行に行ったことがない!(☆)
 しかしそれもこれも、「ノベルズ」という特殊な環境のなかだからこそ許されたという表現も、可能なのではないでしょうか?

 指名回答のようですが、御意見を拝聴できれば有り難く思います。早々

☆ あたしゃ一冊読んで、電車の窓から投げ捨てましたから(『ミステリー列車が消えた』)。
 それに以前放送されたテレビの二時間ものでも、大爆笑しましたよ。
 早朝の米原で殺人を犯した犯人が、東京に戻ってアリバイを完成させるため、大雨のなか名神を120キロで二時間ぶっ飛ばし、大阪空港に行くんですから。大雨の名神をそんなスピードで飛ばすのが、どれだけ怖ろしいか(特に天王山トンネルのあたりは、事故が多発している)。しかもそんな雨だったら、飛行機が飛ばない可能性もある。
 それなら名古屋か岐阜まで走って、一番の新幹線を捕まえたほうが確実でしょうに。

board2 - No.611

このサイトで取り上げていることと近い事情のある事件

投稿者:本ページ管理人
2000年02月13日(日) 17時05分

 今号の格闘技通信で、作家の夢枕獏氏が1/2ページの詫び広告を出していました。
 文面には、私は格闘技がまったく理解できていないとかいてあり、特に元大道塾の市原氏に対し自分の文章で勝手な使い方をしてしまい申し訳なかった、と言うようなことが書いてありました。
 夢枕氏といえば、この掲示板で昔、新Q太郎さんが餓英伝という銀英伝パロディの元ネタ「餓狼伝」を書いた有名作家です。
 小説家(作家)として「現実の」格闘家に詫び文を書いているあたりが興味深いですね。

 この餓狼伝については、昔某所でハンドル名義にて批判したことがあります。
 夢枕氏本人は格闘技の経験ナシ、上っ面だけの知識しかないので、クローズアップされる格闘技によって描写がコロコロ変わる(たとえば、最初馬乗り体勢は路上でやると下から刺される素人じみた方法論のように書かれていたのに、現実世界でグレイシーが注目されはじめると何時の間にか同じ馬乗りの体勢が、格闘技究極の体勢マウントポジションみたいな扱いに変わっている)ことなどを批判した覚えがあります(本当はいろいろあるのですが、マニアックな話になって脱線してしまうのでやめ)。
 それからさらに巻数が進み、作品世界が80年代なのにも関わらず、無理矢理現実のアルティメットぽさの表現のために(現在あるような形での)インターネットが登場するなどという、創竜伝的ウルトラC描写が見られるようになっているあたり、病状が一層悪化しているのが目に付くようになっていました。
 そこに、今回の謝罪騒動です。
 ちゃんと謝罪をする、というのは人間としては立派な態度でしょう。しかし、「評論家」ではなく「作家」として「現実の」人間に対して謝罪をしたということは、作家としての敗北宣言ではないでしょうか。

 ちなみに、私は作家としての評価はともかく、格闘技関係者としての氏はかなり低い評価をしています。
 自分では汗もかいたこともない、何もできない、そういう人間が「俺ならよけちゃうよ~」とほざくBOSSのCM的状況を作った元凶の一人だと思うからです。

親記事No.611スレッドの返信投稿
board2 - No.612

ちなみに

投稿者:本ページ管理人
2000年02月13日(日) 17時15分

 かつて、夢枕氏は「キマイラ」シリーズで「発勁」を格闘ゲームの飛び道具的技として描いていたことがありましたが、ある時、「事情通」の人間から「発勁はそんなものではない、良ければ俺
が教えてやる」と言われ、実際にその人間とあってみて、氏の発勁や中国拳法に対する考え方は一大転換を迎えます。その際に「信ずるに足りる情報を得て、私は発勁に対しての考え方を改めました。これからの私の作品では、発勁に対して、より現実にそった描写をしていこうと思っています。しかし、キマイラでは既に発勁はこういうものであるとの描写をしてしまっており、それを今から変えることは作品世界に大きな歪みを生じさせることになります。なので、キマイラにおける発勁はこれまで書いてきた事の延長線上に描写させていただくことをご理解下さい」
というような事を言っていました。
 田中氏に読ませてやりたい…といいたいところですが、肝心の本人がこの状態ではしょうもないですね。
 田中氏といい、夢枕氏といい、なぜ自分ではいた正論を自分で踏みにじるような行動を取るのでしょうねぇ…

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board2 - No.613

Re: 前略、管理人さま

投稿者:本ページ管理人
2000年02月13日(日) 17時36分

>  毎度、お世話になっております。
>  好き勝手にお馬鹿なことを書いて、御免なさいね(多謝々々)。

 どうも、こちらこそ話題を提供していただきお世話になっております。

> 「キオスク文学」〈=キオスクで売っていて、誰でも三時間あれば読めるという意味)という言葉を聞きましたが、これらの読者の求めているものは「感動」ではなく、「安心」なのではないでしょうか。
>  こう考えると、「ノベルズのなかに間違いがある」のは、「必要悪」というか、やむを得ないことなのかも知れませんね。また「ノベルズ」のミスをつつくのは、逆にこちらが相手を「小説」と見なしているとも言えるでしょう(もっとも、その程度の「ノベルズ」に「政治批評」を入れるのは、そもそも間違いなのですが)。

 「キオスク文学」=「ノベルス」「ライトノベル」という定義はなかなかいいところをついていると思うのですが、だから腐っててもしょうがないとは私は思いません。
 たとえば、立ち食いそばのそばは、そばの名店のそばとは似て非なるものでしょう。しかし、立ち食いそばが名店に絶対かなわないからといって、賞味期限の切れたものを出したり、あげの入っていないきつねうどんを出して許されるはずがありません。
 「キオスク文学」というジャンルの需要がある以上、そのジャンルの制限の中で、まともなものが出せるよう精一杯の努力をするのがプロというものではないでしょうか? 必要なのは仕事の中身であり、「小説かキオスク文学か」という入れ物ではないと考えます。

>  指名回答のようですが、御意見を拝聴できれば有り難く思います。早々

 実はNo.611で書いた事とも関係しているかもしれません。

親記事No.547スレッドの返信投稿
board2 - No.614

Re608:では解答しますか

投稿者:冒険風ライダー
2000年02月13日(日) 18時15分

<このスレッド、なにやら変なモノまで出てきていますが、それはともかくとしても、この件に一言も触れないのはいささかマズいのではないでしょうか。
 作家の態度を問うているのであれば、批判する側もその態度を明らかにしなければ話になりません。
 少なくとも、このスレッドで議論になっているNo.573が「確信犯」であるか、それとも「筆が走りすぎたのか」くらいは明言されたほうが良いのでは?>

 正直なところ、最近私は投稿に集中できない状態にあったし、それにあの一連のスレッドの文章の流れをよく読んでみればあんな誤解をするはずがないだろうと考えていたので、あえて無視していたのですが、管理人さんがそう仰るのならば解答しましょうか。

 まずあのスレッドの流れから説明しましょうか。
 あれはそもそも、不沈戦艦さんの投稿「バーミリオン会戦の謎」に対して私がストーリー設定に基づいてそれなりの解答を出したのに対して、速水さんが「そんな批判方法では作家に逃げられてしまうのがオチ」と言われた事がそもそもの発端なんですね。
 そして速水さんがある作家に対して行った批判に対するその作家の対応を例に出して「あなたの批判手法ではこんな対応を取られてしまうのですよ」と言われたので、私は「自分の作品に対する批判に対してそんな愚劣な対応を作家側が取るのであれば、私は相応の報復手段に出る」と言ってみたまでの事です。したがって、これはそもそも「もしこういう事が起こったら」という仮定の話なのですよ。だからこそ私はNo.573で「田中芳樹がそこまで堕ちたとは思いたくないところですが」と言ったのですけどね。その「仮定の話」に対してあそこまでヒステリックな対応を取られるとは思いませんでしたな。
 絶対に起きないであろう、もしくは起きてほしくない万が一の可能性に対しても万全の備えをしておく。私が言った事はこれだったのですけどね。

 そして私がなぜあのような返答を言ったかと言えば、No.573でも主張したとおり、速水さんが引用されたような作家の対応は、自分の作品と、自分を信頼してくれているファンに対してあまりにも失礼かつ無責任な態度ではないかと考えるからです。
 小説中に間違いや矛盾点が出てくるのは、所詮完璧ではない人間が書いた作品である以上、ある程度はやむをえない事と言えます。しかし速水さんが引用されているように、その間違いや矛盾点を他人に指摘された時に「それがどうした」などと言って開き直った挙句、批判に対して何ら理論的な反論をする事なしに人格攻撃をするという手法に出る事が、はたして自分の作品と、自分を信頼してくれているファンに対する誠実な態度と言えるのかどうか。
 もし作家が本当に自分の作品に誇りを持ち、ファンを大事にするような人間であるのならば、指摘された矛盾点や間違いに対してそれなりの反論なり釈明なりをするべきなのです。私のようにストーリー設定に基づいてつじつま合わせをしても良いし、矛盾が発生した事情(テーマ優先でそこまで考えが及ばなかったとか)を説明し、そしてその上で、自分の作品の価値や訴えたかったテーマなどを説明して理解を求める事こそが、自分が出した作品に対する作家としての責任であり、またファンに対する誠実な態度と言えるのではないですか?
 それができず、自分の作品を自分で貶めるような言動に出るような作家や、それに便乗して人格攻撃を行ってくるようなファンは当然批判されてしかるべきでしょう。そしてNo.573で、私はその批判方法の中でも一番強力かつ効果的であろうと考える批判手法を提示してみせたのですよ。自分でも相当にえげつない手法だとは思いますが、あれぐらいやらないと相手も自らの過ちに気づかないでしょう。何しろ、自分の作品に対してムチャクチャな自己正当化を行うような相手なのですからね。報復手段を選んでいる余裕などありません。

 もちろん私が今まで言った事は、あくまでも「ファンにとって最悪の事態の想定」であって、これが実際に行われるかどうかは、結局のところ作家である田中芳樹の反応次第なのですよ。私は田中芳樹が自分に対する批判に対してそこまで堕ちた対応をするとは思いませんし、思いたくありませんが、万が一にもやられたら徹底した対応をする、ということです。
 自分が作り上げた作品に対する責任の放棄、これは作家だけでなく全ての職種に対する最大級の批判要素たりえると思うのですがね。

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