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投稿ログ29 (No.534 - No.540)

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board2 - No.534

Re530/531/533:謀略論と信念否定論

投稿者:冒険風ライダー
2000年01月22日(土) 16時15分

<僕はラインハルトが「YES」と答えたときに「外」はともかく、「内」ではそれほど不満は起きないのではないかと考えます。ビッテンフェルトやワーレンなど、オーベルシュタイン以外の将は、ある程度の事情を知っているわけですから、「陛下は仕方なく『YES』といった」とすぐにわかるでしょう。兵士たちにしても、ラインハルトの名声が絶大である以上、「陛下はオーベルシュタインの尻拭いをさせられた」と自分たちに都合の良いようにとるのではないかと思います(人は信じたいものを信じるってヤツですね)。また、いったん宣告されたものをすぐに撤回して帝国の威信はどうなるか、という問題もあるでしょうし、オーベルシュタインがラインハルトに泥をかぶせないようにしても、ラインハルトの性格からして、自ら泥をかぶりに行くように思います。最終的な責任がラインハルトにある以上、彼がオーベルシュタインに責任を押しつけるとは考えられないので。>

 そうはなりませんよ。というのも、かつてラインハルトは、ユリアン達よりもはるかに強大な脅威であったはずのヤンに対してイゼルローン遠征を敢行してしまった前科がありますからね。いまさら「オーベルシュタインの草刈り」をラインハルト自身が敢行するとなれば、当然その当時に遠征した兵士と、戦没した兵士の遺族が次のように反発する事でしょうね。
「そのような卑劣な策を使うのであれば、どうしてあの時の遠征の前に使わなかったのだ。大量の戦死者を出してまで敢行したあの時の遠征の意味は一体何だったのだ。結局カイザーは自分自身の満足のためだけに我々を死地に追いやったのか」
実際、ラインハルトが病で倒れ、ヤンと話し合うという決定を下した時、相当な不満も起こっていますからね。イゼルローン遠征における潜在的な不満を利用すれば、ラインハルトを揺さぶる事は不可能ではありません。
 それに「帝国の威信」というのならば、そもそも帝国側からすれば取るに足りないレベルの民主共和勢力に対して「人質による無血開城を迫る」事の方が、よほど「帝国の威信に関わる」と思う人も多いでしょう。特にビッテンフェルト・ワーレンなどの武断派将軍は、彼らの性格やそれまでの行動から見ても絶対にそう思うでしょうし、その怒りから、オーベルシュタインに対して「お前があのような策を無断で実行するからカイザーが恥をかかれたではないか」と怒りを爆発させるかもしれません。すくなくとも帝国軍内部に亀裂を入れる事ができるのは確実です。さしあたっては、これだけでもこの謀略を展開する価値はあると思いますがね。
 まあ謀略というものには絶対の正解というものはありませんし、その時の事情でどう動くかは完全には予測できないでしょうが、しかしそれでも、

<僕自身の「草刈り」に対する案は、「昂然と胸を張って処刑される」でした。旧同盟の民衆の心にきっちりと「民主主義の芽を植え、今後(十年、百年先)に備える。ラインハルトの心象も良くなるでしょうから(オーベルシュタインはおそらく旧同盟を離れることになるでしょう)、隠れ共和主義者たちも活動しやすくなるだろう、と考えてのものでしたが、ちょっと信頼性に欠けますね。>

 のように、ただ手をつかねて処刑場に直行するよりもはるかにマシな選択です。ユリアン達のような弱小勢力が「殉教」したところで、せいぜい一部の「後世の歴史家」とやらから同情されるだけでしょう。「民主主義の旗手」としては、ヤンとアーレ・ハイネセンの二人がすでにいますからね。「殉教」したところで、ユリアン達は忘れ去られてしまうかもしれません。
 しかも「オーベルシュタインの草刈り」は「平和と統一という政治的結果」を手に入れてしまいますからね。案外、高く評価される事になるかもしれませんよ。
 一応この「策略」に関する話題はこれで終わりとしますが、よろしいでしょうか?

<「民主主義擁護」と「軍人は政治に関与すべきではない」が、かち合った場合、ヤンは「動くシャーウッドの森」の件では、前者を優先し、その前のトリューニヒトの停戦命令では、後者を優先しました。よって先の二つはいずれも「信念」であるとは言い難いと思います。
また、「謀略」を否定しながらも、彼は同盟のクーデターの時のラインハルトの謀略に賞賛を送っています。いかに、自分の「信念」を人に押し付けないといっても普通、賞賛は送らないのではないでしょうか。
彼の行動は全てにおいて矛盾をはらんでいるように思います。僕がヤンに「信念」は存在しないというのは、そういうわけです。一体どのような視点から見れば彼の人生は一貫性を持ちうるのでしょうか?>

 行動と思想が矛盾しているからといって、「信念ではない」と決めつけられるものではないでしょう。私はむしろ、ヤンが相反する複数の「信念」を持っているがために、行動が矛盾していると考えます。
 ヤンの「信念」で一番問題なのは、ヤンの持つ複数の「信念」における優先順位がまるで決まっていない事です。本来ならば、ヤンの最終的な政治目的である「民主主義擁護」こそが一番に優先されなければならないにもかかわらず、他の「信念」がそれを妨害しているのです。
 そもそも「民主主義擁護」が「ヤンの最終目的」であるのに対して、「軍人が政治に関与すべきではない」とか「謀略否定論」などは「行動規範」にあたります。そうである以上、双方がぶつかり合った場合は、「政治責任は結果が全て」という観点から見ても、当然ながら「民主主義擁護」こそが優先されなければなりません。しかしヤンの「信念」にはそのような明確な優先順位がなく、その場その場で別の「信念」が自己主張を始めるため、ヤンの行動原理があちこちで矛盾と破綻をきたしてしまうのです。
 これから考えると、ヤンは「政治責任は結果が全て」という考え方が受容できず、本来ならば全く重要ではない「政治過程」を重要視しすぎることが、ヤンの欠陥として挙げられるでしょう。マキャベリズム的発想をヤンは著しく嫌っていますからね。謀略否定論もまた、その弊害のひとつだと考えられます。
 だからこそ、とにもかくにも自らの目的のために謀略を振るう事ができるラインハルトを「自分にはできない」という意味でヤンは賞賛しているのですよ。そうでなくともヤンはラインハルトに対しては評価眼が甘すぎますからね。批判の余地はたくさんあったと思うのですが。

>yossさん

>銀英伝1巻 246ページ
<この部分からは、ヤンが戦争はするけど、謀略(この場合は、厳密には謀略ではないかもしれないが)を用いないのは、一軍人である自分の処理範囲外だと考えていたから、ということが分かります。なので、ヤンが戦争以上に謀略を否定していると考えるのは、少々的外れのように思いました。>

 戦争と同レベルで謀略を否定しているのならば、ヤンは「必要悪」と認識した上で謀略を使用できたはずです。そうなっていないからこそ、私は「ヤンが戦争以上に謀略を否定している」と考えるのですが。
 それに本当にヤンが政治・謀略で力を振るおうと思うのならば、実はいくらでも方法はあるのですけどね。政治家と懇意になり、その政治家を裏から操るとか、自分が政界に転出するとか。あるいは自分の意のままに動く謀略・諜報機関などを合法的に設立させるなり、既存の組織を乗っ取るなりして、それを介して謀略を展開するとか。銀英伝でもブルース・アッシュビー提督の故事(対帝国諜報機関の事です)があるでしょう。
 そこまでいかなくとも、せめて同盟のお偉方に対して、それとなく自らの謀略案や戦略分析を提示するとか、その程度の事ぐらいはやっても良かったと思うのですけどね。実際、帝国領侵攻作戦の際にフォークがそれと似たような事をやっていますし。あまり誉められた事ではないでしょうが、できない事ではないのですよ。むしろ、ヤンとラインハルトの彼我の戦略的格差を少しでも埋めるためにも、謀略の存在意義を認めた上で積極的に謀略を展開できる環境を整えるべきだったのです。
 にもかかわらず、ヤンが謀略の意義を考慮した形跡すら全くないのですからね。これでも私の考えは的外れなのですか?

<「ヤンが否定しているのは、あくまで『確固たる不動の信念』だけであり、たぶん『信念』という単語の意味を、すこし狭く取りすぎていて、しかもそれを曲解している。あとラインハルトに肯定的で、トリューニヒトに否定的なのは、単に好き嫌いの問題(笑)」>

 ヤンの「信念否定論」にそのような留保条件はありません。yossさん自身が認めているように、ヤンは「信念」という言葉や概念それ自体を全否定していますし、「不動の信念」と対比して転向主義者を弁護しているような個所すらあります(銀英伝2巻 P178)。
 それから、後半の部分は全く反論になっていませんね。私が問題にしているのは「トリューニヒトとラインハルトに対するヤンの人物評価と信念否定論とが相互矛盾している」という命題であって、「人物評価の動機」など全く関係ないのです。第一、「単に好き嫌いの問題」であれば「信念否定論」との矛盾に目をつぶっても良いのですか?

<ここからは、少し推測が強いのですが、ようするに、ヤンが大胆な行動にでなかったのは、結局、上のような考え方から来る一種の消極的な姿勢、つまりは自分の行動に対する自信の不足、さらには、1でも述べたような、自分の信念による行動によって民間人の犠牲を増加させることを忌避し躊躇する心情によるように思われます。なんかちょっと弱いような気もしますが、いかがでしょうか。>

 その理屈からいくと、銀英伝5巻のバーミリオン会戦の時や、7巻の「大親征」の際に、なぜヤンはラインハルトに対して降伏しなかったのでしょうか? ヤンが民主主義擁護などという「不動の信念」など発揮する事がなければ、それこそ「勝算ゼロの無益な戦いで軍人も民間人も犠牲になる事はなかった」し「戦争が終わって平和と統一が訪れた」と思うのですけどね。これについてはどう説明しますか?

<あと、ヤンは好き嫌いが激しいという性質を持っており、そのなかの一つに「めんどうなことはきらい」というのがあるように思います。なので、謀略を積極的にしなかったのは、実は、単に「謀略をするのがめんどうだからやだ」、もしくは「謀略は嫌い」という理由だけかもしれないとも、私は思っています。要するに、純粋に嫌いなだけだったと(笑)。>

 ヤンの「めんどうなことはきらい」だの「謀略は嫌い」だので、一体どれほどの味方が無為無用に殺されていった事でしょうね。好き嫌いで政治をやられては、国民や一般兵士はたまったものではありません。ヤンがその気になれば、多くの人間が死なずにすんだことでしょうに。
 自らの政治目標を達成しようと思うのならば、もう少し感情的に動く事を控えるべきだったと思うのですがね。

board2 - No.535

無駄話

投稿者:織田
2000年01月22日(土) 17時22分

田中氏が日本の三国志フィーバー(主に演義方面)に対してよく思ってないのは分かるが、
「劉備、諸葛亮一辺倒の三国志観を、俺の小説で引っ繰り返してやる」
という気概をもって、「蒼天航路」ばりの新しい三国志を書こうとしなかったのは、残念でもありそれが氏の限界かとも思う。実際書くかどうかは別問題として。
中国物に対する氏の姿勢は紹介者のレベルであり、創作者のものではない。加えて「摩天楼」が同人のりのパクリもので「創竜伝」が便所の落書きなら、もう良質の小説を期待するのは無理なのだろうか。
・・・あっ、「アルスラーン」忘れてた。九巻読んだのいつだったかなぁ。

いや、「蒼天航路」読んでてふと思ったこと書いただけですけど、まあ聞き流してください。

それでは。

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board2 - No.536

Re: Re530/531/533:謀略論と信念否定論

投稿者:yoss
2000年01月23日(日) 13時52分

>冒険風ライダーさま

<戦争と同レベルで謀略を否定しているのならば、ヤンは「必要悪」と認識した上で謀略を使用できたはずです。そうなっていないからこそ、私は「ヤンが戦争以上に謀略を否定している」と考えるのですが。>

 ようするに、「ヤンは戦争も謀略も否定しているが、戦争はしているのに対し、謀略はほとんど一切用いていない」というのが、銀英伝中における史実(?)です。確かに、そこから「故に、ヤンは戦争以上に謀略を否定している」という推測を導き出すのはごく自然ですが、どんなにその確率が高いにせよ、結局、推測は推測でしかないと、私は思います。
 その上、その推測が、ヤンの思想と行動の関係における矛盾として出てくる以上、ヤンの「戦争以上に謀略を否定している」という前提を見直してみてはどうか、と、私は言いたいだけです。
 それとも、銀英伝の本文中に、ヤンが戦争以上に謀略を否定していると考えている、もしくは述べている部分があって、それを私が知らないだけなのでしょうか。もし、そうだとしたら、こんなこと書いてるのは恥ずかしいので、是非教えて欲しいと思います。(どうも、4巻の例の部分はちょっと違うように思うので)

<それに本当にヤンが政治・謀略で力を振るおうと思うのならば、実はいくらでも方法はあるのですけどね。政治家と懇意になり、その政治家を裏から操るとか、自分が政界に転出するとか。あるいは自分の意のままに動く謀略・諜報機関などを合法的に設立させるなり、既存の組織を乗っ取るなりして、それを介して謀略を展開するとか。銀英伝でもブルース・アッシュビー提督の故事(対帝国諜報機関の事です)があるでしょう。
 そこまでいかなくとも、せめて同盟のお偉方に対して、それとなく自らの謀略案や戦略分析を提示するとか、その程度の事ぐらいはやっても良かったと思うのですけどね。実際、帝国領侵攻作戦の際にフォークがそれと似たような事をやっていますし。あまり誉められた事ではないでしょうが、できない事ではないのですよ。むしろ、ヤンとラインハルトの彼我の戦略的格差を少しでも埋めるためにも、謀略の存在意義を認めた上で積極的に謀略を展開できる環境を整えるべきだったのです。>

 上のような行動をヤンがしなかったのは、考えがそこまで至らなかったわけではなく、これは間違いなく「感情的に嫌いだった」からでしょう。(銀英伝8巻P144下段)
 もちろん、冒険風ライダーさんのおっしゃっているように、ヤンの公人としての無責任さ、やる気の無さはいくらでも非難されるべきでしょうが、少なくとも矛盾はきたしてないだろう、と私には思われます。(ただ、「諜報機関の合法的設立」というのは少しだけ考えさせられます。)
 あと、ヤンは謀略の存在意義について全てを否定しているわけではないと思いますよ。(銀英伝7巻P194上段)

<ヤンの「信念否定論」にそのような留保条件はありません。yossさん自身が認めているように、ヤンは「信念」という言葉や概念それ自体を全否定していますし、「不動の信念」と対比して転向主義者を弁護しているような個所すらあります(銀英伝2巻 P178)。
 それから、後半の部分は全く反論になっていませんね。私が問題にしているのは「トリューニヒトとラインハルトに対するヤンの人物評価と信念否定論とが相互矛盾している」という命題であって、「人物評価の動機」など全く関係ないのです。第一、「単に好き嫌いの問題」であれば「信念否定論」との矛盾に目をつぶっても良いのですか?>

 うーん(笑)、ヤンの「信念」という言葉の全否定を弁護するのは、確かに苦しいと思ってましたし、後半部分は、あくまで印象であって反論ではないので、読み流して欲しかったんですけどねえ(なら書くな!というつっこみは禁止)
 とりあえずヤンの「信念」という単語の解釈の矛盾と、人物評価に対する矛盾に関しては言うことはないです。ヤンがそれに気づいていたかどうかはともかくとして。
 大体、ヤンの人物評価は信念否定論とは合致しない部分が多いんですよ。アーレ・ハイネセンなんかも、どっちかと言えば信念の人ですし。

<その理屈からいくと、銀英伝5巻のバーミリオン会戦の時や、7巻の「大親征」の際に、なぜヤンはラインハルトに対して降伏しなかったのでしょうか? ヤンが民主主義擁護などという「不動の信念」など発揮する事がなければ、それこそ「勝算ゼロの無益な戦いで軍人も民間人も犠牲になる事はなかった」し「戦争が終わって平和と統一が訪れた」と思うのですけどね。これについてはどう説明しますか?>

 これは「多くの犠牲を出してでも民主主義の素を残しておいたほうが、今、犠牲を出さないで、専制者の圧政によるより多くの後世の犠牲を招くよりも『まし』だと考えたから」ではないでしょうか。
 もちろん、勝算が少ないことや、失敗すれば、現在においても、未来の圧政者の下においても犠牲が出ることは、ヤンは承知していたと思います。それでも、ヤンが戦うことを選んだというのは、犠牲が出るということと、成功の可能性がごく少ないという事実をかすめさせるくらい、専制者の圧政を忌避、否定すべきだとヤンが考えていたからではないかと、私は考えます。(なぜ、そこまで暴君の出現を恐れたのかは分かりません。ひょっとして信念?)
 なんで、仮に信念と呼ぶべきものをヤンが持っていたと考えるなら、それは「民主主義の擁護」ではなく「専制の否定」のほうがよっぽどいいと思いますね。まあ、どっちにしても私はヤンが民主主義を選んだ理由は、専制と秤にかけた結果だけだったと思ってますけど。
 ちなみに、ヤンが自分のこの考え方に対して絶対の自信を持っていたという形跡も、もちろん見られません。(銀英伝7巻P196下段~197上段)
 あと、無益とは言っても、バーミリオンでも「大親征」でも、類まれなる幸運に恵まれたとはいえ、目的達成の一歩手前までいってる以上、勝算ゼロとまで言うのはどうかと思いますが。政治は結果がすべてなんでしょうから。(んっ、結果がすべてなら失敗か(笑))

<ヤンの「めんどうなことはきらい」だの「謀略は嫌い」だので、一体どれほどの味方が無為無用に殺されていった事でしょうね。好き嫌いで政治をやられては、国民や一般兵士はたまったものではありません。ヤンがその気になれば、多くの人間が死なずにすんだことでしょうに。
 自らの政治目標を達成しようと思うのならば、もう少し感情的に動く事を控えるべきだったと思うのですがね。 >

 ええ、まったくおっしゃる通りです。ヤン・ウェンリーさんもそう言ってます(笑)(銀英伝7巻P195下段~196上段)

 別に、私はヤンが矛盾していないと言いたいわけではありません。私はただ、ヤンの行動というものは、基本的に『その場その場で、もしくはある一定の範囲の中だけを考慮に入れて考え、よりましと思われるものを選び、実行する』という行動規準に基づいており、さらに『よりましと思われるものを選ぶのに、少なからず自分の理想や感情が絡んでしまっている』ということが言いたかっただけなのです。
 そして、たぶんこの考え方を地でいっているために、思考、言動、行動に関する矛盾などが、表面的にそれこそ山のように出てきているのではないでしょうか。
 さらに、そういった自分の矛盾に、「自己相対化、自己客観化」が一番の趣味であるヤン・ウェンリー氏(笑)が気付いてなかったとは、私には考えにくいのです。
 だから少しひどい言い方かもしれませんが、私には、冒険風ライダーさんが、自分の矛盾に気付いてる人間に対して「本人は気付いてないだろうが、あいつは矛盾している」と評価しているように映ったのです。だから「それならヤンを弁護してやろう」と(笑)

 でも、やっぱやらないほうがよかったかもしれません。今はちょっと後悔しています。

 めんどくさかったら、返事は書かれないで結構です。それでは。

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board2 - No.537

Re: Re530/531/533:謀略論と信念否定論

投稿者:ふみさとけいた
2000年01月23日(日) 14時51分

抜粋でのレスですが、ご容赦下さい。

>謀略論
>  一応この「策略」に関する話題はこれで終わりとしますが、よろしいでしょうか?

 はい。わかりました。これ以上は僕も、無意味であろうと思います。

>信念否定論

 「信念がいくつもある」というところには気がつきませんでした。
 確かにその通りですね。納得しました。
 ところで、

  信念とは願望の強力なものにすぎず、何ら客観的な根拠を持つものではない。

 とありましたが、客観的根拠を持ったものは信念とは呼ばないのでしょうか?ヤンの「信念」はまさしく「信念」であろうと、納得していますが、ちょっと疑問に思ったので。

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board2 - No.538

Re529 : 結論・ヤンは不完全である(笑)

投稿者:Merkatz
2000年01月23日(日) 16時58分

総合的な戦略を考えた場合、おっしゃるとおりただ待つだけでは駄目です。
勝つためには軍事的だけでなく、政治的な状況も考慮せねばなりません。
あそこでヤンの何が問題だったかといえば、あまりにラインハルトのみを見ていたことです。
確かに「帝国政府と帝国軍」と考えれば、対応策はいくらでもあった。
しかし、ヤンはあくまでラインハルトに拘った。実はラインハルトがヤンに拘り続けていたのと同様に、ヤンもまたラインハルトに拘り続けていた。
そのため、一種「武将の一騎打ち」のごとき状況となった。その状況下における判断としては「一応」ヤンの理屈は通っていると思います。
ただ、一歩引いて冷静に考えると(冒険風ライダーさんのように)、実はもっと良い手がたくさんあった。それをヤンが実行していれば、様々な可能性が開けたのでしょうが。

しかし果たしてラインハルトが遠征反対の進言を容れるでしょうか?
いくらローエングラム朝が開明的な体制といっても、所詮は皇帝の意思が何者にも優る専制国家です。ラインハルトがあくまで戦いたいと言い張れば、それを止める手はありません(臣下がクーデターでも起こさない限り)。
ラインハルトは戦略家や政治家である前にまず「戦士」なのだと、たしかメックリンガーか誰かが評していたはずです。
戦士が戦いを忌避することなどあり得ません。ましてやライバルは自分に挑戦状を叩き付けているのですから。
そこまでヤンが読んでいたとしたら凄いんですけどね・・・。

>どうせエル・ファシル独立政府はヤンの個人的名声と手腕によってのみ成り立っていたのですし、誰からもそのように見られていたのですから、ヤンはただひたすら「民主主義擁護のための形式」のみを重要視して「実質的な権限」を「影で」振るっておけば良かったのです。実際問題としても、それ以外にヤンの陣営が勝利する方法はなかったでしょうに。

ヤンに言わせれば、それこそ民主主義の形骸化であり、ルドルフと同じ道を辿ることだとして否定するのではないでしょうか。
ヤンは建前を本気で信じ込む人です。ですから、表向きは取り繕って裏で・・・なんてのは絶対にしないでしょうね。

しかしこうしてみると、ヤンは絶対に歴史の表舞台に立てる人ではありませんね(笑)。
「マンシュタイン計画」のフォン・マンシュタイン元帥でさえ、様々な手を尽くして自身のプランを上申したというのにねえ(実は今「失われた勝利~マンシュタイン回想録」を読んでいる)。
優れた軍事家というのは、少なからず政治力も持っています。政治力のない者は、いかに優れていようともただの戦闘屋レベルの処遇を受けるだけです(意に沿わぬ役を押し付けられたりしてね)。
ヤン・ウェンリーという人物は、作中でも言われていましたがまさに、アーレ・ハイネセンのような巨大な政治力・カリスマを持った人の下で、参謀として働いてこそ真に活躍できた人なのでしょう。
「ラインハルト対ヤン」という構図は、実はヤンにとっては分不相応な役柄だったのかもしれません。

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board2 - No.539

Re536/537/538:まとめレス

投稿者:冒険風ライダー
2000年01月24日(月) 11時50分

>yossさん
<ようするに、「ヤンは戦争も謀略も否定しているが、戦争はしているのに対し、謀略はほとんど一切用いていない」というのが、銀英伝中における史実(?)です。確かに、そこから「故に、ヤンは戦争以上に謀略を否定している」という推測を導き出すのはごく自然ですが、どんなにその確率が高いにせよ、結局、推測は推測でしかないと、私は思います。
 その上、その推測が、ヤンの思想と行動の関係における矛盾として出てくる以上、ヤンの「戦争以上に謀略を否定している」という前提を見直してみてはどうか、と、私は言いたいだけです。
 それとも、銀英伝の本文中に、ヤンが戦争以上に謀略を否定していると考えている、もしくは述べている部分があって、それを私が知らないだけなのでしょうか。もし、そうだとしたら、こんなこと書いてるのは恥ずかしいので、是非教えて欲しいと思います。(どうも、4巻の例の部分はちょっと違うように思うので)>

 違いません。4巻のあの言動と、銀英伝全編におけるヤンの行動自体が「戦争以上に謀略を否定している」ことを充分に証明しているではありませんか。
 あの部分でヤンはこのように評価されているのですよ。
「彼は謀略が成功すること自体に、意義を見出していなかったのである」
と。
 それに対して、ヤンは戦争に対していくら嫌悪していても、すくなくとも「成功(勝利)する事自体には、意義を見出している」のです。「民主主義擁護のために帝国と戦争する」という姿勢がそれを証明しているではないですか。もし謀略を戦争と同程度にしか否定していないのであれば、ヤンには謀略の才能がある上に謀略をめぐらす余地は充分にあったのですから、帝国との戦略的格差を埋めるためにも、積極的に謀略を展開しておかなければならなかったはずです。しかし現実には全くそうなっていないし、それどころか、ヤンは最初から謀略という選択肢を放棄しているようにしか見えないからこそ「ヤンは戦争以上に謀略を否定している」と考えるのですけどね。
 それでも納得ができないのであれば、これはどうですか?↓

銀英伝7巻 P194上段
<「陰謀やテロリズムでは、結局のところ歴史の流れを逆行させることはできない。だが、停滞させることはできる。地球教にせよ、アドリアン・ルビンスキーにせよ、そんなことをさせるわけにはいかない」>

 これってテロだけでなく、充分に陰謀(謀略)まで全否定していると思いますけど。
 これでも納得できないのであれば、「ヤンが謀略を戦争と同レベルにしか否定していないし、政治目的のために戦争と同じように謀略を展開している」という根拠を、そちら側こそ提示してください。一方的に「根拠、根拠」と言っているだけでは話が前に進みませんので。

<これは「多くの犠牲を出してでも民主主義の素を残しておいたほうが、今、犠牲を出さないで、専制者の圧政によるより多くの後世の犠牲を招くよりも『まし』だと考えたから」ではないでしょうか。
 もちろん、勝算が少ないことや、失敗すれば、現在においても、未来の圧政者の下においても犠牲が出ることは、ヤンは承知していたと思います。それでも、ヤンが戦うことを選んだというのは、犠牲が出るということと、成功の可能性がごく少ないという事実をかすめさせるくらい、専制者の圧政を忌避、否定すべきだとヤンが考えていたからではないかと、私は考えます。(なぜ、そこまで暴君の出現を恐れたのかは分かりません。ひょっとして信念?)>

 ここまで書いていて気づかなかったのですか? まさにこれこそが「ヤンが否定しているはずの信念そのものである」という事に。
 ヤンの「信念否定論」からすれば、この当時のヤンの「民主主義擁護」という姿勢は「願望の強力なものでしかなく、何ら客観的な根拠をもつものではない」し、ヤンが帝国に降伏・臣従を申し出れば平和と統一が達成されたにもかかわらず、あまりにも強い「信念」のために「視野はせまくなり、正確な判断や洞察が不可能に」なっているがために、ヤンは勝算ゼロの戦いに身を投じて戦争を長引かせ、多くの罪もない人々を死に追いやった、という事になります。
 第一、ヤンの考えている未来通りにことが進むとは限りません。将来ローエングラム王朝が、イギリスや日本のように戦争や革命なしで民主主義に移行するということもありえますし、逆に永遠に民主主義が成立しないということもありえるかもしれません。仮に遠い未来に民主主義運動が盛んになっても、その時に肝心の民主共和政府が機能不全に陥っていたり、すでに消滅していたりしたらどうするのです? 却って民主主義運動を盛り下げてしまうことになるかもしれませんよ。
 それに比べて、目の前の「平和と統一」はほぼ確実なものです。ヤンが帝国に降伏・臣従を申し出れば、すぐにでも「平和と統一」は訪れたことでしょう。それを蹴ってまで「民主主義擁護」の戦いに走ったヤンは、その場で「信念否定論」について考え直すべきだったのです。結局これは、ヤンが「現在の平和と統一」などよりもはるかに大事なものがあると考え、それに基づいて行動したということを、他ならぬヤン自身が認めたという事なのですから。
 だから、

<ちなみに、ヤンが自分のこの考え方に対して絶対の自信を持っていたという形跡も、もちろん見られません。(銀英伝7巻P196下段~197上段)>

 この際「ヤンが自分のこの考え方に対して絶対の自信を持っていた」かどうかなど全く問題ではないのです。絶対の自信があろうがなかろうが、ヤンが自分自身の「信念」に基づいて戦ったことは間違いないのですから。私には、「信念否定論」を展開しているはずの自分自身が「信念」に基づいて戦っているという事実をヤンが直視できなかったために、ヤンは自分の考えに「絶対の自信」が持てなかったとしか思えないのですが。

<あと、無益とは言っても、バーミリオンでも「大親征」でも、類まれなる幸運に恵まれたとはいえ、目的達成の一歩手前までいってる以上、勝算ゼロとまで言うのはどうかと思いますが。政治は結果がすべてなんでしょうから。(んっ、結果がすべてなら失敗か(笑))>

 ここで私は「戦略予想」について言及しているのであって、「政治的結果」については一言も言及しておりません。あの時点での「戦略予想」ではヤンの側が政治的目的の面から言っても軍事的に見ても圧倒的に不利なのですから、結果から逆算して「勝てる」などと考えるのは間違っていますよ。
 もっとも、もしあの時にヤンが「皇帝不予による偶然の勝利」を全て予見した上で「これは勝てる」と考えたのであれば、私の考えは間違っているのでしょうけど。

>ふみさとけいたさん
<信念とは願望の強力なものにすぎず、何ら客観的な根拠を持つものではない。
 とありましたが、客観的根拠を持ったものは信念とは呼ばないのでしょうか?ヤンの「信念」はまさしく「信念」であろうと、納得していますが、ちょっと疑問に思ったので。>

 これはそもそもヤンの「信念」についての考え方それ自体が間違っているのですよ。
 ラインハルトを見れば分かるでしょう。彼が「ゴールデンバウム王朝の打倒」をかかげたのは10歳の頃でしたが、この時点における彼の「信念」はそれこそ「願望の強力なものにすぎず、何ら客観的な根拠を持つものではな」く、極端な事を言えば「10歳の少年の誇大妄想」であるにすぎなったのです。
 しかしラインハルトは、この「信念」によってその後の行動方針・最終目標を定め、それに向かってひたすら進む事で「ゴールデンバウム王朝を打倒できる客観的根拠」を手に入れ、自らの「信念」を成就させたのです。
 また、ヤンやイゼルローン勢力の御歴々だって、帝国に比べれば圧倒的に弱小であるにもかかわらず「民主主義擁護」という「信念」をかかげ、それに基づいてを必死になって戦ったからこそ、類まれな幸運による結果であるとはいえ「バーラト自治州」に民主主義が認められるに至ったのです。
 このように「信念」とはそもそも「客観的根拠に基づかない考え」などではなく、行動方針・最終目標を定めた上で、むしろ後から「客観的根拠」や「結果」をつけるものなのです。もちろんその「結果」がズタズタなものであれば、「信念の内容」に対する批判もアリだと思いますけど(例えばルドルフやヒトラーなど)、だからといって「信念」を持つ事それ自体は否定の対象にはならないと思うのですけどね~。

>Merkatzさん
<あそこでヤンの何が問題だったかといえば、あまりにラインハルトのみを見ていたことです。
確かに「帝国政府と帝国軍」と考えれば、対応策はいくらでもあった。
しかし、ヤンはあくまでラインハルトに拘った。実はラインハルトがヤンに拘り続けていたのと同様に、ヤンもまたラインハルトに拘り続けていた。>

 これが非常に不思議なところでして、ヤンは帝国軍の行動方針を読む時に、ラインハルトが他者の意見を受けいれる可能性を全く考慮していないんですね。純軍事的に考えれば、ラインハルトのが考えるであろう行動よりもはるかに有益な戦略がたくさんあるのですから、それを主張する部下の進言が受け入れられて実行される可能性を考えてもよいはずなのですが。
 まあ結果的にヤンの予想は当たっていましたけど、万が一外れたらどうするつもりだったんでしょうね?

<しかし果たしてラインハルトが遠征反対の進言を容れるでしょうか?
いくらローエングラム朝が開明的な体制といっても、所詮は皇帝の意思が何者にも優る専制国家です。ラインハルトがあくまで戦いたいと言い張れば、それを止める手はありません(臣下がクーデターでも起こさない限り)。
ラインハルトは戦略家や政治家である前にまず「戦士」なのだと、たしかメックリンガーか誰かが評していたはずです。
戦士が戦いを忌避することなどあり得ません。ましてやライバルは自分に挑戦状を叩き付けているのですから。
そこまでヤンが読んでいたとしたら凄いんですけどね・・・。>

 本当はラインハルトも、イゼルローン遠征が自らの「軍事的ロマン主義」の欲求を満たす以外に何の利益も無い事は分かっているのです。だからもう少し反対勢力の力が強ければ何とかなったと思うのですけど、現実には、反対勢力はささやかなものでしたし、あまりラインハルトに反対の意思を強く主張しませんでしたからね~。ヤンはこのあたりの事情も政治的に利用すべきだったと思うのですが。
 それにしても、ヤンのこだわりに関するラインハルトの主張の支離滅裂な事。「もしヤン・ウェンリーに敗北することがなければ、予は不老不死でいられるのだろうか」だの「予はヤン・ウェンリーと自ら決着をつけたいのだ」だのと言った、彼が蔑視していたであろう門閥貴族並の低レベルな主張を平気で展開するありさまですからね。理論的に反論して諭す余地はいくらでもあったと思うのですが。

<ヤンに言わせれば、それこそ民主主義の形骸化であり、ルドルフと同じ道を辿ることだとして否定するのではないでしょうか。
ヤンは建前を本気で信じ込む人です。ですから、表向きは取り繕って裏で・・・なんてのは絶対にしないでしょうね。>

 確かにそうですね。そして、だからこそヤンは政治家としては失格なのですよ。いくら「建前」を本気で信じて実行したところで、「結果」がダメであれば全てが終わるという事が分からないのですからね。
 ましてや「シビリアン・コントロールを厳守する」などと言っておきながら、バーミリオン会戦の後にメルカッツ提督を逃がすのに至っては、その「建前」すら守っていないのですからね。全く、あの時の降伏の意味は一体何だったというのでしょうか。

親記事No.482スレッドの返信投稿
board2 - No.540

Re539:短レスですいません

投稿者:ふみさとけいた
2000年01月25日(火) 14時19分

冒険風ライダーさんは書きました
> >ふみさとけいたさん
> <信念とは願望の強力なものにすぎず、何ら客観的な根拠を持つものではない。
>  とありましたが、客観的根拠を持ったものは信念とは呼ばないのでしょうか?ヤンの「信念」はまさしく「信念」であろうと、納得していますが、ちょっと疑問に思ったので。>

>
>  これはそもそもヤンの「信念」についての考え方それ自体が間違っているのですよ。
>  ラインハルトを見れば分かるでしょう。彼が「ゴールデンバウム王朝の打倒」をかかげたのは10歳の頃でしたが、この時点における彼の「信念」はそれこそ「願望の強力なものにすぎず、何ら客観的な根拠を持つものではな」く、極端な事を言えば「10歳の少年の誇大妄想」であるにすぎなったのです。
>  しかしラインハルトは、この「信念」によってその後の行動方針・最終目標を定め、それに向かってひたすら進む事で「ゴールデンバウム王朝を打倒できる客観的根拠」を手に入れ、自らの「信念」を成就させたのです。
>  また、ヤンやイゼルローン勢力の御歴々だって、帝国に比べれば圧倒的に弱小であるにもかかわらず「民主主義擁護」という「信念」をかかげ、それに基づいてを必死になって戦ったからこそ、類まれな幸運による結果であるとはいえ「バーラト自治州」に民主主義が認められるに至ったのです。
>  このように「信念」とはそもそも「客観的根拠に基づかない考え」などではなく、行動方針・最終目標を定めた上で、むしろ後から「客観的根拠」や「結果」をつけるものなのです。もちろんその「結果」がズタズタなものであれば、「信念の内容」に対する批判もアリだと思いますけど(例えばルドルフやヒトラーなど)、だからといって「信念」を持つ事それ自体は否定の対象にはならないと思うのですけどね~。

なるほど。それはわかりました。では(質問ばかりですいません)「客観的根拠」から行動方針を定めた場合、それはなんと呼ばれるのでしょうか?たとえば、ヤンは民主主義制が専制君主制に勝っている点として、「責任の所在が民衆それ自体にある」というようなことを言っています。
この主張が実際正しいかどうかはおくとして、仮に正しかった場合、「民主主義擁護」は信念と呼べるのでしょうか

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