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投稿ログ14 (No.279 - No.291)

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board2 - No.279

Re: ヤマザキのクリームパン(3)

投稿者:heinkel
1999年11月12日(金) 14時31分

 過去ログをみて、さらに発見。これは旧掲示板No.358のくますけさんの投稿です。

>あと、最近の田中氏の中国史についての本はほとんど読んでないんですが、ざっと見たところの感想です。
はっきり言って、「ページの余白多すぎ」、「文章が単純」です。
ページの上下の余白が広いし、行間も広い。中谷彰宏の本じゃあるまいし。あれって、実際の所、普通の単行本の三分の二程度の原稿しか書いてないでしょ?
文章については「誰々は言った。そして何々した」っていう単文が多かったように思います。また、風景の描写も以前より少ない。率直に言うと「薄っぺらい」文章に成り果ててました。
志茂田かげき(字を忘れました、すいません)みたいに文章を書かずにテープに声を吹き込んで本にしてるんじゃないかって位の薄っぺらさです。

 いや~、お見事!そのとおりでした(笑)

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board2 - No.280

Re277:お久しぶりです

投稿者:heinkel
1999年11月13日(土) 15時23分

冒険風ライダーさんは書きました
>  ただ私に理解できないのは、「国家に対する認識」における、田中芳樹の中国と日本に対する見方が全く違うという事ですね。中国礼賛をする時の田中芳樹の姿勢は、どう見ても常日頃自分が批判しているはずの「右翼の軍国主義者」そのものですから(笑)。
>  これは「中国に対するひいき目」というだけでは説明できないように思えるのですが。

 最近古本屋で「紅塵」(文庫)を手に入れました(「買ってはいけない」と「文芸春秋」を読んだ後でヤマザキパンを買ってみたくなる心理)。例えばこんな記述、

 <岳飛の名誉を、そうたやすく回復するわけにはまいりませぬ。彼の者は、一貫して、金国との和平に反対でございました。今彼の者の名誉を回復すれば、金国はどう思うでございましょうか。本朝が和平策を捨て去るのではないか、と疑念をいだき、出兵してまいるやもしれませぬぞ。そうなったらいかがなさいますか」
 そういわれて、高宗は不快げに眉を寄せた。何かというと「金国がどう思うか」という論法で、高宗に反対するのが、亡き泰檜のやりくちであった。

 金国をアジア、泰檜を朝日などに替えると、産経あたりが書いてそうな文書です。
 この辺「中国に対するひいき目」というだけでは説明しにくいかもしれませんね。

 思うのですが、それは中国が「外国」でしかも「過去」の出来事だからじゃないでしょうか。当人との距離があればあるほど「後世の歴史家」としての客観的な記述が出来る。ただ当人の趣味で中国に対しては大甘になりがちですが、これが「銀河連邦」などの架空の世界ならばまさにそうです。
 逆に現代物で、しかも日本を対象にしてしまうと田中氏自身が「当事者」になってしまい、「思想形成期」にインプットされた諸々の情念が蘇り、「後世の歴史家」としての客観評価ができなくなってしまうのかもしれません。

 もう一つ言えば、田中氏のなかでは中国はまだ、発展途上国の「弱者」に分類されているのかもしれません。それゆえ、中国自身が「牛種のやり口」でアジアに覇を唱えようとしている現在では、創竜伝の評論がかなり場違いなものになってしまっている、これはもう前に引用した新聞記事と同種の「悲しみ」を感じてしまいます。

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board2 - No.281

Re280:客観的評価とは

投稿者:冒険風ライダー
1999年11月14日(日) 15時05分

<思うのですが、それは中国が「外国」でしかも「過去」の出来事だからじゃないでしょうか。当人との距離があればあるほど「後世の歴史家」としての客観的な記述が出来る。ただ当人の趣味で中国に対しては大甘になりがちですが、これが「銀河連邦」などの架空の世界ならばまさにそうです。>

 昨今の歴史認識問題や秦檜評価論を見るたびにいつも思うのですが、「後世の歴史家」とやらはそんなに「客観的評価」ができるものなのでしょうか。むしろ時間がたてばたつほど、却って冷静な評価ができなくなっているようにも見えるのですがね。
 まあ政治的な要因も絡んではいるのでしょうが。

< 逆に現代物で、しかも日本を対象にしてしまうと田中氏自身が「当事者」になってしまい、「思想形成期」にインプットされた諸々の情念が蘇り、「後世の歴史家」としての客観評価ができなくなってしまうのかもしれません。>

 これはそのとおりでしょう。
 田中芳樹の現代物や中国物が架空世界小説系ほどに面白くないのは、やはり田中芳樹自身が「現代日本」や「中国の歴史」を客観視できていないからでしょうね。創竜伝の社会評論をいくら読んでも、とても日本や中国を「客観的に評価している」ようには見えませんし、不必要な感情移入が入りこみすぎているように思います。

<田中氏のなかでは中国はまだ、発展途上国の「弱者」に分類されているのかもしれません。それゆえ、中国自身が「牛種のやり口」でアジアに覇を唱えようとしている現在では、創竜伝の評論がかなり場違いなものになってしまっている、これはもう前に引用した新聞記事と同種の「悲しみ」を感じてしまいます。>

 中国が「発展途上国」というのは経済的に見れば全くその通りなんですけど(笑)、「弱者」というのは完全に違いますね。拒否権を発動できる国連常任理事国5ヶ国のひとつで、しかも「年間2桁の軍事予算拡張」をおこない、国内での民族弾圧を自己正当化している国が「弱者」なわけがありません。
 この国がなぜ「牛種」の支配領域に入っていないのか疑問なんですけど(笑)。

board2 - No.282

噂:「夏の魔術」シリーズを8巻まで??

投稿者:真奈美
1999年11月14日(日) 15時10分

 また聞きなのでアドレスも不明ですが、
 4巻目は春の付く題名、5巻目からはヒロイン立花来夢(らいむ)が大人に成ってからのお話だそうです。
 あの「創竜伝」ですら1冊/年にも満たないのに……たぶん恒例の大風呂敷ですね。

 この件はYahoo!掲示板 SF・ファンタジー・ホラー>作家
 ttp://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=yahoo.f4.12.835147&topicid=210m00&msgid=80gq1o$is7$1@m00.yahoo.co.jp&type=date&first=1
 からです。
 ネット上の情報らしいです。

親記事No.239スレッドの返信投稿
board2 - No.284

友人(書店勤務)からの・・・

投稿者:90210
1999年11月16日(火) 11時31分

有名な話なのかどうかも知らないのですが、友人からタイタニアの版権が徳間から角川に移ったと聞きました。多分銀英伝も移ったようだ(確実な話ではない)とのこと。タイタニアは1~3巻まで角川版で出る予定が何度も出ては消えているそうです。

版権とかの仕組みはさっぱりなんですが、角川でもなんでもいいけん、タイタニアの4巻は出ないのかな~。個人的には銀英伝は未収録の短編以外はもう出なくてもいいけど、タイタニアの続きはでないとイヤだし。

角川に版権が移ったら新刊がでるとゆーのなら
いいのですけど。
確実な情報があったら教えてください。

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board2 - No.285

Re: どういたまして。

投稿者:90210
1999年11月16日(火) 11時55分

感想をお聞かせいただきありがとうございました。

>もっとヒネたものを想像していましたが、結構まっとうですね。
最初の私の書きこみ方に問題があったのでは・・・反省反省。

>>本を、他人を侮辱するための道具としか思っていない奴ら
>  創竜伝を書く際に、かつての自分の言葉を今一度思い出してもらいたいものです。

「反発を予想して、あらかじめ自分だけは傷つくまいとするそのやりくちが卑怯だと思わんか!うすぎたないとは思わんのかッ!」という
所に、私は反応しちゃいました。

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board2 - No.286

Re: Re280:客観的評価とは

投稿者:小村損三郎
1999年11月16日(火) 15時23分

>また田中芳樹は学習院大学の修士論文で、幸田露伴の「運命」をテーマにしていたそうですから、中国史や中国文学に関心を持ったのはこれよりも前の事と思われます。

元々小学校の頃に子供向けの『三国志物語』を読んで中国物にハマり(←何だかんだ言ってやっぱりきっかけは三国志だった)、
「野村愛正という人が戦前に訳したやつなんですが、天下の名訳だったらしいですね。後に山本七平さんか誰かが『あれは名訳であった』とか言ってました。」
「それから、三国志と名のつくものには何でも手を出しまして。本屋で『三国志』という字が目に入って条件反射的に手に取ったら『柔道三国志』だったりとか(笑)。」(以上、田中芳樹・談)
そういった中国文学と大陸への憧れの素地があった所へ、図書委員をつとめていたという高校生か大学生の頃にホンカツの『中国の旅』でも読んで妙な化学変化を起こしたんじゃないでしょうか(笑)。

>金国をアジア、泰檜を朝日などに替えると、産経あたりが書いてそうな文書です。

↑たしかに(笑)。

>  田中芳樹の現代物や中国物が架空世界小説系ほどに面白くないのは、やはり田中芳樹自身が「現代日本」や「中国の歴史」を客観視できていないからでしょうね。創竜伝の社会評論をいくら読んでも、とても日本や中国を「客観的に評価している」ようには見えませんし、不必要な感情移入が入りこみすぎているように思います。
>
>
> <田中氏のなかでは中国はまだ、発展途上国の「弱者」に分類されているのかもしれません。それゆえ、中国自身が「牛種のやり口」でアジアに覇を唱えようとしている現在では、創竜伝の評論がかなり場違いなものになってしまっている、これはもう前に引用した新聞記事と同種の「悲しみ」を感じてしまいます。>
>
>  中国が「発展途上国」というのは経済的に見れば全くその通りなんですけど(笑)、「弱者」というのは完全に違いますね。拒否権を発動できる国連常任理事国5ヶ国のひとつで、しかも「年間2桁の軍事予算拡張」をおこない、国内での民族弾圧を自己正当化している国が「弱者」なわけがありません。
>  この国がなぜ「牛種」の支配領域に入っていないのか疑問なんですけど(笑)。

えー、参考までに『海嘯』と『中国帝王図』から宋と元に関する記述を引用してみましょう。

“兵力においても陣形においても、最初から元軍が圧倒的に優勢であった。しかも宋軍は水の手を絶たれて将兵の衰弱はいちじるしく、元軍には回回砲という強力な新兵器がある。にもかかわらず、夜明けから夕刻まで戦ってなお、凱歌をあげることができないのだ。
「時間の問題だ。わが軍が必ず勝つ」
完勝の自信は揺るがないが、張珪は疑問をいだかずにいられない。
「しかし何がああまで彼らを戦わせるのだ。武器をすてて投降すれば生命は助かる。水だっていやになるほど飲めるものを。」
張珪は文天祥を見やった。文天祥は張珪と並んで船楼上に立ち、冷霧と寒風のなか、石像のごとく微動だにせず、水上陣の炎上を見すえていた。だが張珪の視線を受けて、顔を動かし、口を開いた。
「公端どのにはおわかりになるまい。」
誇った口調ではなく、沈痛のひびきがこもっている。水上陣から火と煙が噴きあがったとき、文天祥は、宋軍の敗亡を覚悟したのであった。もはや勝機なし。
「公端どのはこれまで常に勝ってこられた。ご自身も、そして元軍全体も。ゆえに当然、戦いは勝つためにおこなうものと思っておいでだ。」
文天祥の言葉は張珪を当惑させた。資質のすぐれた若者であるが、人生の辛酸をなめてはおらず、亡国の悲哀は想像の外にある。
「文丞相、お言葉を返すようですが、戦いは勝つためにおこなうものではございませんか。勝つのが目的でなければ、何のために戦うのです。私にはわかりませぬ。」
一気に言いおえて張珪は口をつぐみ、相手の返答を待った。
「さよう・・・何のために戦うのでしょうな」
文天祥はつぶやく。彼は張世傑や陸秀夫と最後まで連帯できなかった。だが彼らの心情の、すべてとはいわぬまでも一部を共有することはできたように思う。”

“必死の捜索にもかかわらず、帝ヘイおよび陸秀夫の遺体は発見されない。張世傑に至っては、阻止しようとする張弘世をかるくあしらって戦場を離脱したことが確認されている。張弘範は厳命を下した。
「あの男は生きていれば、かならず再起する。どこまでも逃げるだろう。どこまでも追え。死が確認されるまで怠るな。」
すこし考えてから、命令を追加した。
「投降してきたタク国秀と劉俊にそれをやらせよ」
このあたりは張弘範も冷徹であった。最後の局面に至って投降してきたような者には、それにふさわしい任務を与える。必死になって、つい先刻までの味方を狩り立て、元軍の信用を得ようとするであろう。せいぜい努力するがよい、と、張弘範は思った。命を受けた降将二名は元軍の旗幟のもと、ただちに追跡を開始した。”

“・・・無限にくりかえされるかと見える対外軍事行動の数々。フビライ汗は、「しょせん自分たちは軍事力以外に誇るべきものは何もない」と思い込んでいたのであろうか。これによって失われた人的資源と財力の膨大さを思えば、元は元によって亡びたといわざるを得ない。軍事力の優越によってのみ、諸国の民を支配していた元は、その優越が失われたとき、すべての占領地から追い出されることになる。フビライ汗によって建設された大都をも防衛することができず、本来の故郷であった北方の草原へと追われ、以後、大モンゴル帝国が復活することはない。諸国の民もまた、そのようなことを望みはしない。”

“民族の誇りをかけた抵抗も、ついに力尽きるときが来た。西暦一二七九年二月、崖山(香港の西方百キロの海岸)に宋軍最後の船団は追いつめられ、周囲は数十万をかぞえる元の水軍に包囲された。二月六日、元軍の総攻撃がはじまる。
(中略)
闘将張世傑はなお屈せず、元軍の重囲を突破して脱出した。生命ある限り元軍と戦い続けるつもりであり、それを知る元軍は必死に彼を追跡した。結局張世傑は大暴風雨に巻き込まれ、乗船ごと海に沈んだ。
「舟覆世傑逐溺宋滅(舟覆えり、世傑遂に溺る。宋滅びたり)」
と史書は記す。わずか八文字のうちに無限の悲愁がこめられており、漢字の表現力におどろかされる。
捕虜となった文天祥は、獄中にあること四年、フビライ汗の臣従の誘いを拒絶しつづけ、ついに処刑された。フビライ汗は結局、三傑の一人として、手にいれることができなかった。そして崖山の名は漢民族の記憶に深くきざみこまれ、やがて元の滅亡の日を迎えるのである。”

・・・・・・。

ところで、当時の日本は平氏政権の頃から南宋贔屓で、鎌倉幕府の執権北条時宗は元寇撃退の後モンゴル人と高麗人の捕虜は処刑しましたが、南宋人の捕虜には衣食を与えて送還したそうです。で、田中氏はこの時宗の措置をえらく賞賛してるんですよ(^^;)。
無理矢理従軍させられたのは高麗の人も同じだと思うけどなー(^^;;)。
やっぱりとことん朝鮮には冷たいんだな、この人(^^;;;)。

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board2 - No.287

Re: 噂:「夏の魔術」シリーズを8巻まで??

投稿者:小村損三郎
1999年11月16日(火) 15時34分

真奈美さんは書きました
>  また聞きなのでアドレスも不明ですが、
>  4巻目は春の付く題名、5巻目からはヒロイン立花来夢(らいむ)が大人に成ってからのお話だそうです。
>  あの「創竜伝」ですら1冊/年にも満たないのに……たぶん恒例の大風呂敷ですね。
>

私このシリーズは読んだことないので何とも言えませんが、どう考えても全8巻書き上げるより田中芳樹の老衰死の方が先でしょう(^^;)。
そもそも銀英伝文庫版を最後に徳間とは切れたっぽいし。

『中国帝王図』文庫版のあとがきに
“その「百帝図」に深い興味を示し、これを日本でもやれないだろうか、という提案をしたのが、編集者のOさんだった。Oさんは現在はフリーだが、当時はT書店に勤務していた。当時というのは五、六年前のことだが、正確な期日は思い出せない。最近とみに記憶力が衰えている上、仕事については忘れたフリをしているうち、ほんとに忘れてしまう。こまったものである。
とにかくOさんは中国物に対して熱意があり、アンソロジーを編むことにも熱心な人だったから、最初からかなりはっきりとした構想があった。”

という一文があります。初期の中国物が全部徳間から出ていたのはこの“Oさん”の尽力が大きかったと思われますが、この人の退社と同時に『岳飛伝』もペンディングになったのでしょうか。

『紺碧の艦隊』の移籍の時の荒巻氏も
「信頼していた担当者が異動(後退社)してしまって…。」
みたいなことを言ってましたし、どうも一連のリストラの影響で作家陣との間に何か軋轢でも生じたんでは、なんて邪推もできてしまう。
児童書関連も「アニメージュ」以外全部切ったそうですし、『レッドサンブラッククロス』まで移籍してしまったし、一体どういうことなんでしょうか。
徳間のリストラの実態について情報お持ちの方がいらしたら是非お聞きしたいっす。

>  この件はYahoo!掲示板 SF・ファンタジー・ホラー>作家
>  ttp://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=yahoo.f4.12.835147&topicid=210m00&msgid=80gq1o$is7$1@m00.yahoo.co.jp&type=date&first=1
>  からです。
>  ネット上の情報らしいです。

そういえばYAHOO掲示板ではアルスラーン10巻が11月13日に出る、いや25日だ、いや年末だ、と不確かな情報が飛び交ってましたね。
原稿は上がっているが原稿料でモメているとか、例の挿絵の件で…、等々。
まあ、正直言ってもうどうでもいいんですけど(^^;)。
前の話ほとんど忘れちゃったし(爆)。

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board2 - No.288

Re286:自己主張と矛盾する中国評価

投稿者:冒険風ライダー
1999年11月17日(水) 16時16分

<元々小学校の頃に子供向けの『三国志物語』を読んで中国物にハマり(←何だかんだ言ってやっぱりきっかけは三国志だった)、
「野村愛正という人が戦前に訳したやつなんですが、天下の名訳だったらしいですね。後に山本七平さんか誰かが『あれは名訳であった』とか言ってました。」
「それから、三国志と名のつくものには何でも手を出しまして。本屋で『三国志』という字が目に入って条件反射的に手に取ったら『柔道三国志』だったりとか(笑)。」(以上、田中芳樹・談)
そういった中国文学と大陸への憧れの素地があった所へ、図書委員をつとめていたという高校生か大学生の頃にホンカツの『中国の旅』でも読んで妙な化学変化を起こしたんじゃないでしょうか(笑)。>

 田中芳樹が中国にかぶれたのは小学生の時でしたか。そりゃハマりますわな。
 ある国を崇拝し、自分の頭の中で描いたその国の「理想郷」を絶対のものと思いこみ、その空想と比較する事によって「現実世界」の日本を弾劾するということは、かつての進歩的文化人のお歴々がよくやっていましたが、田中芳樹の社会評論もその類なのでしょうかね。

<兵力においても陣形においても、最初から元軍が圧倒的に優勢であった。しかも宋軍は水の手を絶たれて将兵の衰弱はいちじるしく、元軍には回回砲という強力な新兵器がある。にもかかわらず、夜明けから夕刻まで戦ってなお、凱歌をあげることができないのだ。
「時間の問題だ。わが軍が必ず勝つ」
完勝の自信は揺るがないが、張珪は疑問をいだかずにいられない。
「しかし何がああまで彼らを戦わせるのだ。武器をすてて投降すれば生命は助かる。水だっていやになるほど飲めるものを。」
張珪は文天祥を見やった。文天祥は張珪と並んで船楼上に立ち、冷霧と寒風のなか、石像のごとく微動だにせず、水上陣の炎上を見すえていた。だが張珪の視線を受けて、顔を動かし、口を開いた。
「公端どのにはおわかりになるまい。」
誇った口調ではなく、沈痛のひびきがこもっている。水上陣から火と煙が噴きあがったとき、文天祥は、宋軍の敗亡を覚悟したのであった。もはや勝機なし。
「公端どのはこれまで常に勝ってこられた。ご自身も、そして元軍全体も。ゆえに当然、戦いは勝つためにおこなうものと思っておいでだ。」
文天祥の言葉は張珪を当惑させた。資質のすぐれた若者であるが、人生の辛酸をなめてはおらず、亡国の悲哀は想像の外にある。
「文丞相、お言葉を返すようですが、戦いは勝つためにおこなうものではございませんか。勝つのが目的でなければ、何のために戦うのです。私にはわかりませぬ。」
一気に言いおえて張珪は口をつぐみ、相手の返答を待った。
「さよう・・・何のために戦うのでしょうな」
文天祥はつぶやく。彼は張世傑や陸秀夫と最後まで連帯できなかった。だが彼らの心情の、すべてとはいわぬまでも一部を共有することはできたように思う。>

 何ゆえ宋軍は元軍に対して「無益な抵抗」を続けたのでしょうか。宋王朝がさっさと元に降伏していれば、勝算が全くなかった戦いで多くの人たちが犠牲になる事はなかったのに。「国家のため」「自民族の名誉のため」などという「権力者の美辞麗句」に陶酔して自ら進んで死んでいくとは、当時の宋軍は「だまされたいの、だましてぇ」という趣味の人の集まりだったのでしょうか。
 …………と常日頃日本やアメリカの「右翼の軍国主義」を批判しているはずの田中芳樹なら言いそうなんだけどな~(笑)。

<必死の捜索にもかかわらず、帝ヘイおよび陸秀夫の遺体は発見されない。張世傑に至っては、阻止しようとする張弘世をかるくあしらって戦場を離脱したことが確認されている。張弘範は厳命を下した。
「あの男は生きていれば、かならず再起する。どこまでも逃げるだろう。どこまでも追え。死が確認されるまで怠るな。」
すこし考えてから、命令を追加した。
「投降してきたタク国秀と劉俊にそれをやらせよ」
このあたりは張弘範も冷徹であった。最後の局面に至って投降してきたような者には、それにふさわしい任務を与える。必死になって、つい先刻までの味方を狩り立て、元軍の信用を得ようとするであろう。せいぜい努力するがよい、と、張弘範は思った。命を受けた降将二名は元軍の旗幟のもと、ただちに追跡を開始した。>

 「最後の局面に至って投降してきた」という事がそんなに悪い事なのですか? 大義思想に従って宋王朝と運命を共にしろとでも? だいたい兵を率いる将軍というものは、自分だけでなく兵士に対しても責任を持たなければならないのですから、敗色の濃い戦いで降伏することは兵士を助けるためのひとつの手段でしょう。まあ中国では「降伏しても皆殺し」なんて事も結構ありましたけど(笑)。
 だいたい田中芳樹は、「国家に殉じる」という考え方それ自体を否定していたんじゃありませんでしたっけ? 創竜伝でも、
<「死者が出るから戦争は悪だ、という考えは幼稚で感傷的なものだ。生命より貴重な正義と国家の威信というものが、この世には存在するのだ」
そういうことを主張する人間が、最前線で戦死した例は、アメリカでもソビエトでも日本でも、けっしてなかった。>
(創竜伝4 P185)
などと言っているのにね~。「アメリカでもソビエトでも日本でもなかったが、中国(宋王朝)だけは例外である」というのならば、ぜひその根拠を教えて欲しいものなのですが。
 日本における「右翼の軍国主義者」を批判している自分自身が、中国物を書いている時に「右翼の軍国主義者」になってしまっているという矛盾に、田中芳樹は気がつかなかったのでしょうか。

<・・・無限にくりかえされるかと見える対外軍事行動の数々。フビライ汗は、「しょせん自分たちは軍事力以外に誇るべきものは何もない」と思い込んでいたのであろうか。これによって失われた人的資源と財力の膨大さを思えば、元は元によって亡びたといわざるを得ない。軍事力の優越によってのみ、諸国の民を支配していた元は、その優越が失われたとき、すべての占領地から追い出されることになる。フビライ汗によって建設された大都をも防衛することができず、本来の故郷であった北方の草原へと追われ、以後、大モンゴル帝国が復活することはない。諸国の民もまた、そのようなことを望みはしない。>

これを下のように文章改編してみました↓

<・・・無限にくりかえされるかと見える対外軍事威嚇行動と民族弾圧の数々。毛沢東は、「しょせん自分たちは軍事力以外に誇るべきものは何もない」と思い込んでいたのであろうか。文化大革命によって失われた人的資源と財力の膨大さを思えば、中国は中国によって亡びるであろうといわざるを得ない。軍事力の優越によってのみ、国内55民族の民を支配している漢民族は、その優越が失われたとき、すべての占領地から追い出されることになるに違いない。人民解放軍の侵略によって得られた領土をも維持することができず、国内の様々な矛盾によって国家自体が四分五裂の状態となり、以後、大中華帝国が復活することはないだろう。華僑を除く世界中の諸国の民もまた、中国が絶対的な影響力を持つことなど望みはしない。>

<民族の誇りをかけた抵抗も、ついに力尽きるときが来た。西暦一二七九年二月、崖山(香港の西方百キロの海岸)に宋軍最後の船団は追いつめられ、周囲は数十万をかぞえる元の水軍に包囲された。二月六日、元軍の総攻撃がはじまる。
(中略)
闘将張世傑はなお屈せず、元軍の重囲を突破して脱出した。生命ある限り元軍と戦い続けるつもりであり、それを知る元軍は必死に彼を追跡した。結局張世傑は大暴風雨に巻き込まれ、乗船ごと海に沈んだ。
「舟覆世傑逐溺宋滅(舟覆えり、世傑遂に溺る。宋滅びたり)」
と史書は記す。わずか八文字のうちに無限の悲愁がこめられており、漢字の表現力におどろかされる。
捕虜となった文天祥は、獄中にあること四年、フビライ汗の臣従の誘いを拒絶しつづけ、ついに処刑された。フビライ汗は結局、三傑の一人として、手にいれることができなかった。そして崖山の名は漢民族の記憶に深くきざみこまれ、やがて元の滅亡の日を迎えるのである。>

「舟覆世傑逐溺宋滅(舟覆えり、世傑遂に溺る。宋滅びたり)」
 田中芳樹ほどに中国に対する愛着がない私は、この「わずか八文字」の漢字からは、残念ながら「無限の悲愁」を感じる事などできませんね。ただ単に歴史的事実を伝えているだけでしょう。それに漢文が分からない一般人に対して「漢字の表現力におどろかされる」と言われてもねえ……。
 だいたい銀英伝などの田中芳樹作品の論調は「国家の興亡など大した事はない」だの「善政を行わない国家は滅んで当然である」というのが主流だったではありませんか。たかが宋王朝ひとつが滅んだくらいでそこまで悲しむ事もあるまいに。田中芳樹風に言えば「宋王朝自体、中国歴代王朝の灰燼のなかにきずきあげられたもので、灰から生まれたものが灰に環る」だけの事ではないですか。自分がかつて主張した「名言」はどこに行ったのでしょうか(笑)。
 それに宋王朝が滅亡したのが1279年、元が滅ぼされ明が建国されたのが1363年ですから、「やがて」というのはずいぶん長い年月ですな~(笑)。漢民族の民族主義と愛国主義の前には84年の年月も一瞬でしかない、というところでしょうか。

<ところで、当時の日本は平氏政権の頃から南宋贔屓で、鎌倉幕府の執権北条時宗は元寇撃退の後モンゴル人と高麗人の捕虜は処刑しましたが、南宋人の捕虜には衣食を与えて送還したそうです。で、田中氏はこの時宗の措置をえらく賞賛してるんですよ(^^;)。
無理矢理従軍させられたのは高麗の人も同じだと思うけどなー(^^;;)。
やっぱりとことん朝鮮には冷たいんだな、この人(^^;;;)。>

 中華思想に基づいて朝鮮を「中国の属国」としか見ていないんじゃないですか?(笑) 何しろ「朝鮮」という名前自体、高麗を滅ぼした李成桂が明王朝に頼んでつけてもらった名前なんですから。何でも「朝鮮」か「和寧」という名前のどちらかにするかを選択してもらったのだとか。
 それにしても本来の田中芳樹ならば「南宋人だけを差別してけしからん」とでも言いそうなんだけどな~。

 常日頃日本に対してあれほどまでに舌鋒鋭く「右翼の軍国主義」とやらを批判しておきながら、中国に対しては「右翼の軍国主義」そのものの価値観で物事を見るようでは、やはりダブルスタンダードのそしりは免れないでしょうな。田中芳樹は自分の評論が自分自身に返ってくるかもしれないと、少しでも考えた事があるのでしょうか。

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board2 - No.289

小説と評論

投稿者:本ページ管理人
1999年11月17日(水) 17時54分

>>このあたりは張弘範も冷徹であった。最後の局面に至って投降してきたような者には、それにふさわしい任務を与える。必死になって、つい先刻までの味方を狩り立て、元軍の信用を得ようとするであろう。せいぜい努力するがよい、と、張弘範は思った。命を受けた降将二名は元軍の旗幟のもと、ただちに追跡を開始した。>
(中略)
> 「最後の局面に至って投降してきた」という事がそんなに悪い事なのですか?
>日本における「右翼の軍国主義者」を批判している自分自身が、中国物を書いている時に「右翼の軍国主義者」になってしまっているという矛盾に、田中芳樹は気がつかなかったのでしょうか。

 ここは、あくまでも張弘範の考えであって、田中芳樹の思想とリンクさせるのはあまりに無茶でしょう。田中芳樹の小説の中の社会評論部分は評論として批判されてしかるべきですが、だからこそ小説部分は小説として読まなければならないと思います。

>それに漢文が分からない一般人に対して「漢字の表現力におどろかされる」と言われてもねえ……。

>それに宋王朝が滅亡したのが1279年、元が滅ぼされ明が建国されたのが1363年ですから、「やがて」というのはずいぶん長い年月ですな~(笑)。

 このあたりも同上の理由で、許容されるべきだと思います。「漢字の表現力におどろかされる」は、私も小説の表現として拙劣だと思いますが、しかし、それはその程度のことでしかないでしょう。
 誤解を招かないように言っておきますが、私は小説の思想性を読みとって、それを田中芳樹が散々評論部分で開陳している思想性との齟齬を叩く、という手法自体は良いと思うのです。しかし、その場合は小説は小説として思想性を読みとられるべきであり、評論に対する態度で小説を判断しては、単なるイチャモンにしかならないのではないでしょうか。
 言うなれば、小説の中に評論を入れる田中芳樹が外れているのと同様に、小説を評論として批判するのは外れていると思います。

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board2 - No.290

Re: Re280:客観的評価とは

投稿者:西遊記
1999年11月19日(金) 11時16分

田中芳樹の中国ものはほとんど読んだこと無かったけど
> えー、参考までに『海嘯』と『中国帝王図』から宋と元に関する記述を引用してみましょう。
8< チョキン
> 「舟覆世傑逐溺宋滅(舟覆えり、世傑遂に溺る。宋滅びたり)」
> と史書は記す。わずか八文字のうちに無限の悲愁がこめられており、漢字の表現力におどろかされる。
> 捕虜となった文天祥は、獄中にあること四年、フビライ汗の臣従の誘いを拒絶しつづけ、ついに処刑された。フビライ汗は結局、三傑の一人として、手にいれることができなかった。そして崖山の名は漢民族の記憶に深くきざみこまれ、やがて元の滅亡の日を迎えるのである。”
客観的評価がどーのこーの言う前に、これって、、、ほとんど陳瞬臣の「小説十八史略」のパクリじゃねーか!
田中芳樹め、、、「小説を書かない小説家」だろーが「漢民族優越主義者」だろーが、そんなん個人の勝手だが

他人の作品をパクルとはクリエータの風上にも置けん!許さん!!(オレが許さんからそれがどーしたってゆーツッコミは禁止)

> ところで、当時の日本は平氏政権の頃から南宋贔屓で、鎌倉幕府の執権北条時宗は元寇撃退の後モンゴル人と高麗人の捕虜は処刑しましたが、南宋人の捕虜には衣食を与えて送還したそうです。
そもそも元寇っちゅーのは南宋の征伐にてこずったモンゴル軍が南宗と鎌倉幕府の同盟を破棄するように時宗に因縁つけてきて、当然のごとく時宗が断ると怒って(とゆーか政治的に国益があると判断したんでしょーけど)攻めてきたっちゅーこと
だから時宗が同盟国の南宋人を保護するのは当たり前!

> で、田中氏はこの時宗の措置をえらく賞賛してるんですよ(^^;)。
こーゆー政治的判断を賞賛するってなんなんだかな。田中芳樹は歴史的、政治的背景は知ってるはずなんだが、、、
もしかして田中芳樹って歴史オンチ?それとも確信犯なのか?

# 一般的にこーゆー場合、確信犯ってゆーのは過大評価であって、ただのトンデモってゆーのがオチだが(あっ、笑えネーから厳密にはトンデモじゃねーか)

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board2 - No.291

せめて海に散れ…

投稿者:heinkel
1999年11月19日(金) 16時54分

> この国がなぜ「牛種」の支配領域に入っていないのか疑問なんですけど(笑)。

 「牛種」の世界制覇はとっくに完成している(笑)
 いや笑い事じゃなくて、残虐な侵略行為は西洋人の専売特許じゃないってことですね。日本人も中国人も例外じゃなく。

> 『海嘯』と『中国帝王図』から宋と元に関する記述

 思った以上に壮絶ですね(笑)

> 「文丞相、お言葉を返すようですが、戦いは勝つためにおこなうものではございませんか。勝つのが目的でなければ、何のために戦うのです。私にはわかりませぬ。」
一気に言いおえて張珪は口をつぐみ、相手の返答を待った。
「さよう・・・何のために戦うのでしょうな」
文天祥はつぶやく。彼は張世傑や陸秀夫と最後まで連帯できなかった。だが彼らの心情の、すべてとはいわぬまでも一部を共有することはできたように思う。
> 民族の誇りをかけた抵抗も、ついに力尽きるときが来た。

 この辺を読んで、こんな言葉を思い出しました(^^;

「学鷲は一応インテリです。そう簡単に勝てるなどと思っていません。」
「しかし、負けたとしても、そのあとはどうなるのです…」
「おわかりでしょう。われわれの生命は講和の条件にも、その後の日本人の運命にもつながっていますよ」
「そう、民族の誇りに…」

 なにから引用したかは、あえて書きません(笑)

> 「舟覆世傑逐溺宋滅(舟覆えり、世傑遂に溺る。宋滅びたり)」

 なんというか、「連合艦隊」ですか。感じますよ「無限の悲愁」を(^^;;
 これは…大好きな中国ものなら「男の子の感覚」で書けると言うことでしょうか(笑)

> 田中芳樹が散々評論部分で開陳している思想性との齟齬を叩く

 この部分は「叩く」と言うよりは、大好きな中国ものなら「民族の誇りのために、負けるとわかっていても戦って死ぬ」という物語を書いてしまうのに、政治社会を語る場面では、反射的に否定してしまうという田中氏のありようについて興味を抱くところです。

 楽しめる歴史、英雄物語と、現代民主主義、平和主義との相克。この辺、田中氏ばかりを責めるのも酷かも。

 田中氏に限って、お気楽に分析するならば、政治社会ではホンカツでも、中国ものならこれまた好きなアニメの化学作用ってことでしょうか。いやアニメってアンチ戦後民主・平和主義なとこがあるので。

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