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投稿ログ29 (No.637 - No.645)

親記事No.19スレッドの返信投稿
board3 - No.637

蛇足

投稿者:Merkatz
2001年02月17日(土) 16時12分

そういえば、帝国側の要人がテレビカメラの前で演説・・・というシチュエーションは、原作・アニメ共々無かったような気が。
帝国はどうやって臣民に政府の意思を伝えていたんでしょうか?
ラジオかな(笑)。

ところで、サビーネ嬢のお姿はアニメで拝見できます。
OVA銀英伝外伝「決闘者」
台詞も一言ですがありますよ。
なかなかかわいいお嬢さんです(笑)。

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board3 - No.638

Re: 蛇足

投稿者:モトラ
2001年02月17日(土) 16時48分

> そういえば、帝国側の要人がテレビカメラの前で演説・・・というシチュエーションは、原作・アニメ共々無かったような気が。
> 帝国はどうやって臣民に政府の意思を伝えていたんでしょうか?
> ラジオかな(笑)。

アニメでは、第1期LDの5巻あたりでしょうか。イゼルローンでの捕虜交換時に、ラインハルトの演説が映像付きで流されていたように記憶しております。

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board3 - No.639

Re: 蛇足

投稿者:フィル
2001年02月17日(土) 16時58分

かつて一度投稿させていただいた者です。
忘れた頃に顔を出しますのでよろしくお願いいたします。

> そういえば、帝国側の要人がテレビカメラの前で演説・・・というシチュエーションは、原作・アニメ共々無かったような気が。

ビデオメッセージや艦どうしの連絡はありましたけど、テレビは……
そもそも帝国でテレビ画面が登場したこともないような。
同盟ではトリューニヒトと、銀河帝国正統政府のレムシャイド
国務尚書の演説がありましたね。
ジェシカの演説もありましたっけ?

> ところで、サビーネ嬢のお姿はアニメで拝見できます。
> OVA銀英伝外伝「決闘者」
> 台詞も一言ですがありますよ。
> なかなかかわいいお嬢さんです(笑)。

アニメ本編でも証明写真スナップ(笑)で登場しています。台詞なし。

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board3 - No.640

Re^2: 蛇足

投稿者:モトラ
2001年02月18日(日) 01時29分

> > 帝国はどうやって臣民に政府の意思を伝えていたんでしょうか?
> > ラジオかな(笑)。
>
> アニメでは、第1期LDの5巻あたりでしょうか。イゼルローンでの捕虜交換時に、ラインハルトの演説が映像付きで流されていたように記憶しております。

…申し訳ありません、説明不用のとんでもない勘違いなレスでした。
あー恥ずかしい(///)

”帝国の人民がメディアに触れる描写”は、たしかに劇中に登場しませんね。ラジオどころか、官製新聞…いやいや御触書(んな

メディアと言えば、仮に「銀英伝」の刊行が現在だったとすれば、帝国・同盟・フェザーンを繋ぐ、インターネットに類するコンピュータネットワークが存設定され、また異なる展開があったかもしれません。ネットを利用した謀略、情報操作、地下活動etc…

board3 - No.641

私の創竜伝考察35-1

投稿者:冒険風ライダー
2001年02月18日(日) 04時52分

 前回の「私の創竜伝考察34」で、連載当初に予定していた「創竜伝最大の破綻」までを含む批評がとりあえず終了してから早半年近くが経過しましたが、新世紀を迎えたことですし、そろそろ創竜伝12巻に対する本格的な論評でも始めることにしましょうかね。せっかく新刊を買ったというのに、田中芳樹にくれてやった印税(別名「ケナシ代」)の元手をいつまでも回収しないのでは、わざわざ叩き潰されるために創竜伝を出版してくれた田中芳樹御大に対して申し訳が立たないというものです(笑)。
 冗談はさておき、時間的余裕をもって徹底的に創竜伝12巻を検証したかったこともあって、今まで創竜伝12巻に対する本格的な言及は避けていたのですが、事前にある程度予測できていたとはいえ、いざ読んでみるとあまりの出来の悪さに私は思わず唖然とせざるをえませんでしたね。私にとって創竜伝12巻は、田中芳樹の病状が一層悪化していることを再確認させてくれるものでしかありませんでしたな(-_-;;)。
 今回の創竜伝12巻は創竜伝9巻からの続きで、舞台は中国・北宋の時代、そして竜堂兄弟と鳥羽茉理の前世である竜王一族と太真王夫人が主人公ということもあってか、また例の「異常礼賛」ないし「犯罪正当化論」にしかなっていない愚劣な中国礼賛を展開している始末。こんな「とうちゃん」のバカな主張を無理矢理展開させられている哀れなキャラクター達には、いつもの事ながら心の底から同情の念を禁じえませんね(T_T)。まああのバカで愚劣で狂信的な低能連中を叩き潰すことに私は何のためらいも覚えませんけど(笑)。
 さて、前置きはこのくらいにして、創竜伝12巻の論評に入ることにしましょうか。

創竜伝12「竜王風雲録」
2000年8月17日 初版発行

 と、いつもならばここから「創竜伝の社会評論引用→アンチ論評」という流れになるのですが、今回の創竜伝12巻ではその前にやるべきことがあります。それは「創竜伝12巻と今までの創竜伝ストーリーとの整合性」を検証することです。
 前述のように、創竜伝12巻の舞台は中国・北宋時代であり、そのストーリーの主人公は竜堂兄弟や鳥羽茉理の前世である竜王および太真王夫人です。そして彼らは一種のタイムトラベルによってその時代に流れてきたという設定になっています。
 そしてこれが非常に重要な事なのですが、実はこの中国・北宋時代は、創竜伝のストーリー中において一度ならず「伏線」として登場しているのです。その伏線として書かれている文章がこれらの記述です↓

創竜伝8巻 P122上段
<「漢鐘離どの、なかなか熱心ではありませんか」
 横あいからべつの神仙が声をかけた。
「西王母さまもくだらん会議をなさるものだ。と、ぶつくさいっておられたわりには」
「おもしろければそれでええさ」
「などとおっしゃって、一〇〇〇年前に宋と遼との大戦を引きおこしたのは、どなたでしたかな」
「あれは、おぬし、農耕民族と騎馬民族との不可避の対決で、文明史上のできごとじゃよ。わしの口出しなど、ささいなことさ」>

創竜伝9巻 P157上段~下段
<藍采和と同じく、男たちを見おろして曹国舅はうなった。
「まったく、見ただけで腹がたつ。このような輩をはびこらせておかねばならんとは」
「と申して、人界に悪がはびこるたびに仙界や天界がそれを整理していたのでは、人界はいっこうに自省も自律もせぬことになりましょう。人界の悪は、あくまでも人界の自覚ある者たちの手で打ちはらわれるべきでござるよ」
「と西王母さまは仰せある。そのとおりとは思うのだが……」
「今回は何しろ牛種が直接、手を下している。西王母さまもついに禁を解かれた。それでよいではござらんか」
 藍采和の声にうなずきつつ、やはり曹国舅には言い分があるようだった。
「しかし、それがしが八仙の一員となる直前に、おぬしらは華々しく人界を騒がせたではないか」
「ああ、あれはちょうど一〇〇〇年ばかり前、宋と遼との大戦でござったよ。万里の長城の一帯で、宋の太宗皇帝趙匡義が大軍をおこし、遼軍と激突したのだ。両国の存亡を賭けた、あれはいや、一世紀に一度の大戦でござったな」
「おぬしら七仙はそのとき両派に分かれて介入した」
「まったく奇妙な仕儀であったが、そうなってしまった。あれ以来一〇〇〇年、長かったのか短かったのか……」
 おだやかに苦笑して、藍采和は曹国舅をうながした。>

創竜伝9巻 P223下段~P224上段
<このとき太宗皇帝は、異民族に奪われた北方の領土を回復するため、天下統一の余勢を駆って、大軍を北上させたのだった。奪われた領土は「燕雲十六州」の名で呼ばれる。
「宋と遼との大戦には、崑崙の八仙が介入しているんだったな。二可がそういってたっけ。だけどどのあたりで激突するのかな」>

 この3つのエピソードを100%信用すると、その「宋と遼との大戦」が舞台のひとつとなっている創竜伝12巻では、曹国舅を除く七仙による人界・歴史介入が行われていることになります。ちなみにこの話の中で出てくる八仙のひとり・曹国舅は、元々この北宋時代の人間で、当時の宋王朝の宮廷闘争に愛想を尽かして八仙のひとりになったという設定のキャラクターです。
 そして創竜伝9巻において、東海青竜王が赤城王との戦いの最中に「時空のはざま」から落下し、西海白竜王と太真王夫人がそれを追って辿りついた時代は、まさに仙界七仙の人界・歴史介入が行われるこの時期だったのです。時期も舞台背景も全く同一であり、かつ七仙も竜王も同じ「天界の一員」である以上、この両者は創竜伝12巻において必然的に遭遇する運命にあったはずです。
 問題はここからです。創竜伝8巻および9巻において、これほどまでに「宋と遼との大戦に対する七仙の人界・歴史介入」が「伏線」として強調されている以上、当然創竜伝12巻には上記で挙げたエピソードが挿入されていなければなりません。ところがいくら創竜伝12巻を読み返してみても、このエピソードが挿入されている個所がどこにも存在しないのです。いや、それどころか、当時北宋出身の人間であった曹国舅を除く七仙の誰ひとりとして、創竜伝12巻の主要舞台である中国・北宋時代には全く登場しておりません。
 これは一体どういうことなのでしょうか? 「仙界の連中」が得意気になって自慢していた「宋と遼との大戦に対する七仙の人界・歴史介入」は、この「私の創竜伝考察シリーズ」で何度も指摘している、天界および仙界を律する掟である「仙界および天界の人界・歴史干渉行為禁止」のルールに明らかに違反するものですが、あれほどまでに「仙界の連中が得意になって自慢していた」事実が存在する以上、創竜伝全体におけるストーリーの整合性を保つには、何が何でも「宋と遼との大戦に対する七仙の人界・歴史介入」のエピソードは創竜伝12巻に挿入されていなければならないのです。そうしないと、創竜伝8巻や9巻で「仙界の連中」が救いようのないほどに得意がって自慢していた「自らの違反行為であるところの仙界七仙の人界・歴史介入話」との整合性がつかなくなってしまいます。
 ところが前述のように、いくら創竜伝12巻を読んでも、この「仙界七仙の人界・歴史介入話」のエピソードが全く挿入されていないばかりか、そもそも七仙がこの中国・北宋時代に登場すること自体、全くなかったことにされてしまっているのです。ということは、創竜伝8巻および9巻で、自分達の堂々たる違反行為を自慢気に語り合っていた(笑)「仙界の連中」は、一体何の事について話し合っていたというのでしょうか? まさか連中は「白昼夢」でも見ていた挙句、現実と夢の世界の区別がつかなくなってしまっていたのではないですかね(笑)。まあ仙界の神仙というものは数百~数千年ほども生きているようですし、自らが犯した違法行為を「自慢気に」語り合うなどというバカ連中揃いですから、重度の「老人性痴呆症」を患っていたとしても私は別に驚きはしませんが(笑)。
 まあそんな風に創竜伝12巻を読みつつ、マヌケな創竜伝のキャラクター連中を嘲笑っていきながら、
「真相は多分『とうちゃん』が今までのストーリー内容をすっかり忘れてしまっていたんだろうな。まああの愚劣な遅筆ぶりといいかげんなストーリー構成力ではそれもしかたがないか。創竜伝のような破綻小説に『ストーリーの整合性』なんて求めるのは無理というものだし」
などとせいぜい好意的(とはとても言えないが)な解釈で乗りきろうかと考えてもいましたが、創竜伝恒例の巻末座談会の冒頭を見てその気も完全に失せてしまいました(--#)。

創竜伝12巻座談会 P233
<余 今回はチャイニーズ・ファンタジーだったね。
続  内容的には9巻のラストからのつづきということになりますね。
終  もっと八仙が出てくるのかと思ったけど、そうでもなかったな。
始  ここで八仙を出すと、一〇〇〇枚書いても足りなくなるからな。割愛したそうだ。>

 何ですか、この開き直りの文章は!? 創竜伝8巻および9巻で出していた「宋と遼との大戦に対する七仙の人界・歴史介入」という「ストーリー構成上における重大な伏線話」は、その存在を知っていながら、また七仙の連中を出す予定もありながら、たかだか作者個人の執筆事情によって勝手に消滅させたというのですか? それってあまりにも自分の作品に対して無責任な態度なのではないですかね、田中センセイ?
 他でもない作家である田中芳樹自身が「ストーリー構成上における重大な伏線話」として例の話を出してきた以上、たとえどんなに内容が破綻していたとしても、当然その伏線話は何らかの形で創竜伝のストーリー中に組み込み、話の辻褄を合わせなければなりません。そのためには、たとえ書かなければならない文章量が1000枚あろうが2000枚を超えていようが、きちんと書いて世に出すことこそが「作家としての義務」ではありませんか。たかだか「書くべき文章量が多いから」などという作家個人の執筆事情程度の言い訳が、ストーリーを破壊して良い正当な理由になどなるわけがないでしょう。
 しかもその自分勝手な執筆態度を、よりにもよって自分の作品中のあとがき的な座談会で堂々と公言するとはどういうことですか? これは作家としての職業倫理を自ら踏みにじり、自分の作品を自分で貶めたも同然ではありませんか。田中芳樹には自分の職業に対する誇りも、自分の作品とそれを慕ってくれているファンに対するに対する責任意識もなくなってしまったというのでしょうか? こんな愚劣で読者を舐めきった執筆態度で小説を書かれてはたまったものではありませんね。そんなことをされるくらいならば、いっそ小説の打ち切りを一方的に宣言し、作品を未完の状態で終わらせる方が、まだ自分の作品とファンに対する責任が取れようというものです。
 創竜伝の主要キャラクター連中に救いようもないほどの責任意識の欠如が見られるということは、過去に私が何度も指摘してきた通りですが、今回、自分の職業と作品とファンに対する責任意識が完全に欠如していることを、他でもない「とうちゃん」自身が自白してくれたわけです。これでは創竜伝のストーリーが破綻しない方が却っておかしいというものですね。

 と、こんな風に小説を書いている作家の執筆態度からイキナリ疑問符をつけざるをえないような創竜伝12巻ですから、それを構成しているストーリー&社会評論がいいかげんなシロモノでないわけがありません。というか、上記の信じられないほどのストーリー破綻ですら、まだ創竜伝12巻を構成するストーリー破綻のひとつに過ぎないのですからね。これほどまでにひどい出来の小説は、意図的に書いたとしても却ってなかなかできるものではないとさえ思うのですけど(笑)。
 では、今度こそ創竜伝12巻本編のストーリー&社会評論の論評に移る事にしましょうか。

P100下段~P101上段
<「夜も明けないうちから灯火をともして、こんなに明るいなんて、この時代、贅沢だよなあ」
「あたりまえだ、後世のように国民総生産でいうと、宋は全世界の五十パーセントをしめていたんだからな」
「世界の半分!?」
 白竜王は目を丸くした。
 船が岸に着き、人々が上陸をはじめる。夜も明けぬうちから入城してくるくらいだから、のんびりした人はいない。せかせかとした足どりでの上陸だ。竜王たちも上陸して、石を敷かれた舗道に立った。
「そうかあ、富みさかえているわけだ。世界の半分か。でも、軍隊は弱かったんだろ。『宋朝弱兵』っていったよな、たしか」
 青竜王は苦笑をうかべた。
「軍隊というものは、世界の涯までも攻めていく必要はない。それこそ瀆武といって武の本質を汚すものだ。国境を守りぬくだけの力があれば充分。だが、たしかに世界最強とはいえないな」
 軍事的に見ると、宋の時代は、漢や唐とくらべて、あまりはでではない。領土もせまかった。せまいといっても日本の十倍くらいはあるのだが、しばしば外敵に国境を侵されている。つい先ごろも高梁河で遼軍に大敗したばかりで、皇帝はまだ開封へ帰還していない。>

 軍隊は国境を守り抜くだけの力があれば充分? いつものことながらまたまたトンデモない軍事無知を露呈していますな。こんな考え方では、中国・南北宋王朝がアレほどまでに近隣の異民族国家(遼・西夏・金・元)に圧倒され、屈辱外交を展開しなければならなかった理由を理解することなどできるわけもないでしょうに。
 そもそも軍事力について考えるのであれば、ただ軍隊だけをピックアップするだけではダメで、周辺国家との軍事格差や政治・外交政策などの問題とも絡め、その上でどれだけの軍事力が適正であるかを見極めなければなりません。弱肉強食の論理が支配する国際外交の世界では、軍事力をちらつかせる威嚇や脅しなど日常茶飯事ですし、それを跳ね返すためにもやはり軍事力を必要とします。
 そんな世界で、たかだか「国境を守り抜く」程度の軍事力しか持たない国は一体どうなるか? 相手側の攻撃に対して常に受動的にしか対処できず、またこちら側から相手に攻撃をかけることができないのですから、軍事的優位と外交の主導権を常に相手側に委ねてしまうことになります。このことは国家間で条約を結ぶ時に特に重大な結果をもたらすのです。
 国家間における条約や約束事は、個人ないし企業間で行われる契約とは決定的に異なる点がひとつあります。個人ないし企業間の契約で、もし契約者が何らかの違反を犯した場合、強大な権力と強制力を持つ国家が、第3者的な立場から法治主義に基づき、違反者を何らかの形で罰することによって秩序を維持していくことができますが、国家間の条約の場合、そのような強制力を持つだけの超越的な組織が存在しません。そのため、2国間以上の間で結ばれた条約を相手国に守らせるためには、相手国が条約を破ったら自力で相手に報復・懲罰を加えることができるだけの「自前の強制力」を必要とするのです。
 では国家間における条約を相手国に守らせるための「自前の強制力」というのは何なのか? それは「他国に攻めこみ、他国の軍隊・拠点などを制圧することができるだけの侵攻作戦が可能な、強大な力を持つ軍事力」であり、またそれに基づいた「政治的・軍事的な威嚇・抑止力」なのです。それが備わって初めて、外交の世界において相手国と「対等、もしくはそれ以上の条約」を結ぶことができるのです。逆に言うと、それが全く持てない国家は常に従属的・属国的な条約しか結ぶことができません。
 他でもない、創竜伝12巻の舞台となっている中国・宋王朝の歴史がこのことを雄弁に証明していますね。北宋が遼と結んだ和平条約「澶淵の盟」(西暦1004年)、同じく北宋と西夏間で締結された「慶暦の和約」(1044年)、南宋と金が結んだ「紹興の和議」(1142年)、その全てが宋に対して一方的に不利な条約となっていますが、これは当時の宋王朝が「国境を守り抜く」程度の軍事力しか持つことができず、他国からの軍事的圧力を撥ね退け、逆撃に転じることが政治的・軍事的に全く不可能だったことと密接に関係しています。そして相手国に逆撃をかけることができるだけの軍事力を持てない国は、常に政治の場において従属的な立場に甘んじるしかないわけです。そしてこれは政治面だけでなく、純粋に国防の面から見ても有害無益な結果をもたらすことになります。
 国家が政治的独立を保ち、外国と対等ないしはそれ以上の外交を行いたいと思うのであれば、何が何でも自国の軍隊を、すくなくとも他国に侵攻することができるぐらいのレベルにまで強大化させ、相手国の政治的圧力や軍事的な威嚇・侵攻作戦を撥ね退けるだけの意思と実力を持たなければダメなわけです。国家の専守防衛論など、政治・外交の観点から見れば空想的な妄論にすぎません。
 「瀆武」とか言ったわけの分からない理論を振りまわす暇があるのならば、もう少し中国・宋王朝が置かれていた立場を、現実的な視点から考えてみたらどうなのでしょうか? そうすればこんなマヌケな主張などできるわけがないのですけどね~、青海東竜王陛下。

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board3 - No.643

私の創竜伝考察35-2

投稿者:冒険風ライダー
2001年02月18日(日) 04時53分

 さて、創竜伝12巻では、竜王と太真王夫人がそろって、後に宋の宰相となる太子大保・趙普の邸宅に押しかける場面があります。下はその時の趙普と青竜王との会話です。

P118上段~P120上段
<「おぬしに質したいことがある」
「何を聞きたい? わたしはいそがしいのだ。さっさとすませてくれ」
「おぬしは若いころ、いや、つい最近まで、役人として無実の人間を何百人も救っているな」
「当然のことをしたまでだ」
「そのおぬしが、人に罪を着せて、宰相の地位を回復する。すこし将来のことだがな。斉王・趙廷美に不軌のくわだてあり、と報告し、彼を失脚させるのだ。なぜそのようなことをしたのか」
「斉王には罪がある」
「どんな罪が!?」
 声を強める青竜王を、ひややかな硬質の眼光で趙普は見すえた。
「法律上の罪ではない。道義上の罪でもない。政治上の罪だ」
 昏神香によって趙普の心の甲は剥ぎとられている。ゆえに青竜王の質問に対して逃げも隠れもせずただ答えているのだが、それでもなお冷静で剛毅な態度はくずれない。虚勢ではありえないのだから、趙普がおよそ心にやましいものをかかえていないことは明白であった。
「斉王は皇帝の弟で帝位継承権を持つが、もともと不軌をはかるような男ではない。それをあえて告発したのは邪神の教唆によるのか」
「邪神ごときの教唆は必要ない。斉王は天下のため害となる。本人にその気がなくとも、存在自体が危険なのだ。彼を擁して帝位につけようとする野心家どももあらわれよう。斉王をそのまま放任しておけば天下の安寧がそこなわれる」
「それが政治上の罪か」
 苦い声で青竜王がつぶやくと、趙普は、あいかわらず冷たく静かに応じた。
「もし斉王に、聖上に対して不満があり、覇気と英気をおさえることがかなわぬとあれば、決然と起って戦うべきであろう」
 趙普の声は高くも大きくもなかったが、大相国寺の鐘を近くで聞いたかのごとく、青竜王の胸にとどろいた。
「闘わないがゆえに、斉王は、たくらんでもいない不軌の罪を着せられて死に追いやられねばならないのか」
「無実の罪を着せられても闘わないような者は、みずからの存在を否定したもおなじ」
 趙普の声にはごくわずかの乱れもない。
「自分の地位が闘って守るに値すると思わぬ者は、どのような目にあってもしかたない。みずから闘わずして、他の誰が闘ってくれるか。みずから守らずして、他の誰が守ってくれるか。人の人として尊ばれる所以は何ぞ。みずから闘い、みずから守り、みずから尊ぶ。その矜持なくして人は人たりえぬ。まして斉王は太祖陛下(趙匡胤)と聖上のおん弟君。天下に志があって当然ではないか」
 断言して、趙普は青竜王を正視する。白竜王と太真王夫人は、声も出せずにこの光景を見守った。天神たる青竜王が、ただの人間に圧倒されかかっている。
 青竜王が相手におとらず静かに問う。
「おぬしは庶民に対しても、おなじことを求めるのか」
「庶民にはみずから闘う術がない。ゆえに彼らを守ることも士大夫のつとめである。つまり天下に乱をおこさず、おこさせず、泰平を維持すること。ゆえに敵対する諸国はこれを攻めて降し、不軌をおこす者、加担する者、利用される者は、未然にこれを討ち亡ぼす」
 趙普の両目に、蒼い冷たい炎が音もなく燃えあがった。
「わが生涯の前半は太祖皇帝陛下にささげまいらせ、宋を建国して天下を併有した。わが生涯の後半は聖上にささげまいらせ、世に平和と繁栄をもたらさん」>

 「昏神香」という薬で趙普を無防備状態にした上で問い質すという、実に卑怯なやり方で一方的な「尋問(笑)」を行っている青竜王ですが、それにも怯むことなく剛毅に応対している趙普なる人物は、創竜伝に出てくる登場キャラクターの中ではなかなかの傑物であると言わざるをえないですね(歴史上の実在の人物ではありますけど)。まあ今までがあまりにもアレ過ぎたのですが(笑)。
 今までの創竜伝における、あまりにも愚劣かつ無責任な妄想主義にいいかげんウンザリしていた私としては、久々に面白い話を聞いた気分………だったのですけど、その後に続く青海東竜王の感想を見てまたウンザリする羽目になってしまいました(-_-;;)。頼むからもう少しマトモに聞けるだけの感想ぐらい出してくださいよ。青海東竜王陛下(T_T)。

P121上段~下段
<「伯卿さま、趙普という人物を、どうごらんになりました?」
 ひかえめに太真王夫人が問うと、青竜王は何度めかの溜息をついた。
「好きにはなれぬ。だが、あの冷徹、あの剛毅、あの自尊、とうていおれのおよぶところではないな。まさしく五百年にひとりの大宰相。天下を統一し、世界一の文化と経済をきずいただけのことはある」
 五十歩ほど、三人は無言で歩みつづけた。
「趙普のいったことは正しい、と、大可はそう思うのか?」
 白竜王の問いに、やはり溜息まじりの返答がかえってきた。
「人倫として正しいとは思わぬ。廷美にしろ徳昭にしろ、政治の犠牲となるほうは、たまったものではあるまい。趙普のいうことはあくまでも権力者の論理でしかない。だが、その論理が、私心のなさに裏づけされたとき、それに対抗するのは容易なことではないだろうな」
 夜空の星々に、青竜王は視線を送った。
「覚悟がちがう――そういうしかないような気がする。闘って身を守る覚悟がなければ、権力者の思いのままに処分されるだけだ。いまさらのように思い知った」
 白竜王と太真王夫人が、左右からそっと青竜王の横顔を見あげた。天界での青竜王は、玉帝と天宮からの圧迫をかわし、平和と一族を守るために腐心している。趙普と語りあって、自分の立場に苦いものを感じたようであった。>

 何かこれを読んだ時、私はかつて自分で書いた「銀英伝考察1」の論評を思い出さずにはいられませんでしたね。何の事はない、上記の青竜王の感想は、あの時私が全否定したはずの「謀略否定論」のさらなる劣化コピーでしかないではありませんか(笑)。何でそれほどまでに政治的謀略を否定したがるのか、私には全然理解できないのですけど。
 そもそも創竜伝のストーリー設定によると、青竜王をはじめとする竜王一族は天界の有力な一族であり、しかも天界随一の強大な軍事力を持っています。統治者にとってそんな勢力は、存在自体が充分に潜在的な脅威となりえるのであり、天界における竜王一族は、まさにその存在それ自体が、上記の趙普と竜王の会話で趙普が明言している「政治上の罪」を立派に構成しているのです。つまり趙普と竜王との会話で出ていた斉王・趙廷美と、天界における竜王一族とは、立場的にも境遇にもかなりの共通項が存在するわけです。そうであるならば「覚悟がちがう」だの「闘って身を守る覚悟がなければ、権力者の思いのままに処分されるだけだ」だのとわけの分からない感慨を持つより先に、まずは自分達の置かれた政治的立場について考えてみることの方が先決でしょうが(笑)。自分達がいかに天界で強大な勢力と軍事力を持っているのか、そしてそれが他の勢力からどれほどまでに警戒心を向けられるものであるのか、少しは考えてみても良かったのではないかと思うのですけど。
 それに以前の「銀英伝考察1」スレッドの時にも言いましたけど、「市井の一庶民」じゃあるまいし、政治や謀略を語る時に「人倫」だの「倫理観」だのを持ち出してどうするのですかね、このアホ連中は。この「考察シリーズ」において私は何度も主張しているのですけど、政治の世界はあくまでも「結果が全て」の世界です。そんな世界では「人倫として正しい」などという概念など全く意味がありません。むしろ青竜王が否定したがっている「権力者の論理」の方こそが重要なのであって、しかも青竜王自身「天界における有力者」で「強大な軍事力保持者」でもある以上、当然のことながら青竜王もまた、その「権力者の論理」でこそ動かなければならないはずです。権力者が妙な「人倫」など振りまわすとロクでもない結果が待っていることは以前にも指摘した通りですし、そもそも創竜伝の破綻だらけのストーリー自体がそのことを立派に証明しているではありませんか(笑)。
 さらに「政治は結果が全て」に関してもうひとつ付け加えると、「権力者の論理」に「私心のなさ」が加わろうが「権力者としての覚悟が違」おうが、たかだかそのような「政治家一個人の人徳」など、「政治的結果」の前では1ミクロンの価値すらありません。「政治的結果」がズタズタなものであれば、たとえ権力者が「公正無私な人物」で「自分達と覚悟が違っ」たとしても非難されるべきですし、逆に何らかの「政治的利益」をもたらすことができるのであれば「私利私欲にまみれた権力者」であっても賞賛されるべきなのです。「政治的功績」を「私利私欲にまみれた権力者」という一事だけで全否定するような、どこぞの某作家や某兄弟達には永遠に理解できないことでしょうがね(笑)。
 趙普の主張から「自己防衛の覚悟」という間違ったメッセージしか受け取れないようでは、竜王の権力意識や思考形態もたかが知れようというものです。まああの連中は「低能なる竜堂兄弟とその一派」の前世なのですから、思考回路自体がそもそもイカれてしまってもいるのでしょうけど(笑)。

P144上段~P145上段
<ここにうつってから、白竜王は何と勉強をはじめた。太真王夫人とふたりで、この時代の歴史について調べはじめたのである。いちおうの知識はあるが、あらためて資料などを読み、討論した。「千古の謎」といわれる歴史上の事件についてだ。宋の最初の皇帝・趙匡胤の急死について、歴史書はつぎのように記している。
「皇帝(趙匡胤)はその夜ただちに晋王(趙匡義)を呼びよせ、自分の死後のことを依頼した。側近の臣下たちには、皇帝と晋王との話の内容は聞こえなかった。ただ遠くから、燭影の下の光景が見えるだけだった。やがて皇帝は手にした斧で床を撃ち、大声で叫んだ。『こうするんだ!』と。そしてがっくりと息たえた」
 ずいぶんとあやしげな文章である。すくなくとも、白竜王にはそう思える。
「要するに、これって、趙匡胤と趙匡義の会話の内容は何もわからないってことだろ」
「そうよ。死後のことを頼まれた、なんて、生きのこった趙匡義がいってるだけのことだものね。死人に口なし。何があったかわかったものじゃない」
「で、趙匡義が即位したのは兄が死んだ翌日。これもあやしいよな」
「そうよね。先帝が崩御したら、その当日、新帝は柩の前で即位するしきたりだものね。空白の一日のあいだに何があったのか」
「それにさ、趙匡義は即位した年のうちに改元してる。十二月だというのにさ。開宝九年から太平興国元年にかえちまった」
 皇帝が死んだら、その年のうちには改元しない。年が明けて正月一日になってから、あたらしい年号をもちいるのが伝統である。それが先帝に対する礼節というもので、君主が死んだ年のうちにさっさと改元するなど、無知無学な野蛮人か、簒奪者か謀反人のやることだ。あえて趙匡義はそれをやってのけた。
「どうかんがえてもあやしいよな」
「あやしいわよね。あと一月待ってれば、年があらたまって自然に改元できるのに、何でことさら十二月にねえ」
 語りあいながら、太真王夫人と白竜王はちらちら窓辺の青竜王をながめやる。歴史と文学が大好きな青竜王を話に引きこんで、何とか元気を出してもらいたいのだ。>

 どうやら創竜伝では宋王朝の開祖・趙匡胤の死因が不明ということになっているらしく、その真相について白竜王と太真王夫人とが延々と議論しているみたいなのですけど、どうも私には連中のやっていることが「全くの無駄」かつ「時間の浪費」であるようにしか見えません。
 というのも、創竜伝では次のようなツッコミができるからなんですね↓

「そんな不確実な資料を元にだらだらと無駄な議論を展開している暇があるのならば、辰コウ(仙界のタイムマシン)でも使って直接趙匡胤の死の現場を見てくれば良いだろうに」

悲しいかな、創竜伝(特に8巻以降)は「タイムトラベル」を前提として成り立っている部分があるために、こういうツッコミが可能なのです(笑)。彼らの議論は「通常の歴史研究」としてはマトモなやり方なのですが、創竜伝世界では「非科学的行為」以外の何物でもありません。趙匡胤の死について正確に調べることができる手段が自分達の目の前にあるにもかかわらず、それを使用することなしに不確実な資料に当たっているわけなのですから。
 そもそも人界の文明水準をはるかに超越した技術力を持ち、時間移動をすら可能としているはずの仙界と天界の連中に、なぜたかだか「趙匡胤の死の真相」程度のことが分からないというのでしょうか? 創竜伝のストーリー設定によると、人界の政治動向は天界の政治などにも影響を与えるみたいですから、歴史の推移や皇帝の動向などは「人界の歴史では不明確な部分も含めて」完全に把握しておかなければならないはずですし、文明水準から言ってもその程度の史実を完全把握することなど容易なことであるはずです。
 ましてや、仙界と天界には例の絶対的な掟「人界・歴史干渉行為の禁止」があり、創竜伝12巻のタイムトラベルではそれに違反する危険性がかなりの率で存在する以上、人界の歴史は細かい部分も含めて完全に把握しておく必要があるのです(現実には連中は違反し放題ですが(笑))。本来の歴史を正確に知ってさえいれば、それが一種の抑止力となって歴史的事件に無用な首をツッコむことも抑えられますし、万が一自分達の行動で歴史の流れに悪影響を与えたとしても、ある程度は軌道修正をかけることもできるのですから。
 にもかかわらず、あの連中は「趙匡胤の死の真相」などという、連中の立場ならば本来「知ってて当たり前」であるはずの歴史的事件の真相について延々と議論しているわけです。タイムマシンを使えば一目瞭然で判明するであろう歴史の真相について、しかも歴史の真相を知るにはあまりにも不確実な資料に当たってまで、何で連中はこんな無駄な議論を延々と行っているのでしょうか?
 歴史的資料を元にして歴史的事実や真実を検証する歴史講座と、タイムトラベルを前提としている創竜伝のストーリー設定とは、本来全く相容れることなく相互矛盾を引き起こすものなのです。それを無視してこんな大真面目な歴史講座などを挿入したところで作品構成自体がおかしくなってしまうだけでしょうに。作品を構成する時、その程度のことぐらいきちんと考えて作品を書いたらどうなのですか、田中センセイ。

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board3 - No.645

私の創竜伝考察35-3

投稿者:冒険風ライダー
2001年02月18日(日) 04時55分

P153下段~P155上段
<太真王夫人が溜息をつき、かるく首をかしげる。
「そういえば中国にはこれだけたくさん、妖怪、霊獣、悪鬼、邪神の類がいて、人肉を食べる話はあるのに、吸血鬼の話って聞かないけど、なぜかしら」
「それは中国の精神文化の存在によるだろうね。道教、なかでもとくに仙人の存在が大きいと思う」
 青竜王は箸をおいて説明をつづけた。
「何も人の血を吸って他者の生命力を奪わなくとも、修行をつんで仙人になれば永遠の生を得られる。いったん仙人になったら、霞を食べていればいいんだしな」
 霞を食べる、というのは、空中の元素をエネルギーとして摂取する、ということだ。人肉どころか動物の肉を食べる必要もないわけである。ただ、酒を飲んだり、果物や菓子を食べたりするたのしみをすてることはない。
「それに西洋の吸血鬼は、たかが二、三百年生きただけで、人生は退屈だとか、永遠の生は苦しみだとかいいだす。吸血鬼はアンチ・キリストだといわれるけど、結局、人生の苦しさを強調するキリスト教の価値観を裏がえした存在なんだな」
 いっぽう仙人は、八百年、千年と生きつづけても退屈するということがない。まず、雲に乗って広い大陸を旅してまわる。峨眉山の霧、洞庭湖の月、廬山の朝日、長安の牡丹、銭塘江の波……いたるところに絶景がある。
「また百年したらおとずれるとしようか。どう変わっているかたのしみだ」
 何百年もたてば歴史はうつりかわり、王朝は興亡する。それにかかわる人々の運命も変転する。どの時代にもすぐれた芸術家や学者があらわれて、書物を著し、詩をつくり、絵を描き、楼閣を建て、音楽を奏でる。それらを鑑賞するだけでも飽きない。有名な仙人は、皇帝や王をからかったり、妖怪をやっつけたり、百年を経た古い美酒を飲んだりしてたのしむ。春は桃や牡丹の花を見、夏は滝のそばで涼しくすごし、秋は紅葉を見物し、冬は雪景色をめでる。退屈などと無縁に、永遠の生をたのしむのだ。
「羅公遠は唐の玄宗皇帝を月へつれていった仙人。いつどこで生まれたか誰も知らないが、容姿は十六、七歳の少年のようで、天下を旅して酒と音楽をたのしんでいた」
 などという話はいくらでもある。
「修行をつんで仙人になって、若いまま霞を食べながら千年も生きてるってさ。めでたいことだ」
 というような世界には、陰気で深刻な吸血鬼の出る幕はない。
「たった三百年生きたくらいで、人生の重さ苦しさに耐えきれない? しかも他人の生命をうばわなくては生きていけない? 何とまあ、つまらないやつだ」
 と笑われてしまうだろう。>

 これまたどうしようもないほどに低レベルな比較文化論をかましてくれたものですね。いつもの愚劣極まる中国礼賛のために比較文化論を悪用しているのがミエミエですな(-_-;;)。こんな連中に何を言っても絶対に理解できないだろうとは思いますが、比較文化論という学問は、一面的な判定基準で文化の優劣を一方的に決めつけるために行うものなどではありません。互いに異なる文化同士を比較することによって、その違いをきちんと理解し、認め合うことにこそ意義があるのです。
 そもそもここで比較文化論の題材として挙げられている吸血鬼と仙人を比較したいのであれば、まずは両者の起源や伝承、民間信仰、それに不老不死の解釈などに至るまで調べ上げ、両者の相違点を明確にして論点をきちんと定めなければ話が前に進みません。それもせずに、ただ不老不死の一側面だけを、しかもいいかげんな論法で一方的にあげつらった挙句、吸血鬼を貶めてどうしようと言うのでしょうか。
 どうせあの低能連中は「吸血鬼は血を吸うことによって生きることができる」という伝承の意味すら考えたこともないのでしょうが、吸血鬼が血液を吸うという伝承は、吸血鬼の発生起源と密接な関係があるのです。それは「霞を食べれば生きていける」仙人とは文化風土が根本的に違うものです。
 西洋における吸血鬼の起源には色々な説があるのですが、そのひとつに「生前埋葬」と呼ばれるものがあります。「生前埋葬」とは、かつて医者と呼べるものが山奥の農村にいなかった時代、病気や事故で仮死状態に陥った者が、周りの人々にはそうと理解されずにそのまま土葬されてしまう埋葬のことを指します。誤って埋葬されてしまった人が仮死状態から目覚めた時、酸素不足と閉じこめられた恐怖から、墓の下でもがき苦しみながらうめき声を上げたり、その後墓を掘り返された結果、血潮にまみれた姿で発見されたりしたのが、吸血鬼伝説誕生の起源のひとつと言われているのです。
 また寒冷地では、同じ「生前埋葬」による仮死状態のままで死体が凍結してしまい、生前の姿を保っていただけで「アレが生前の姿を保っているのは生者の血を吸っているためで、吸血鬼である何よりの証拠である」と一方的に決めつけられた例もあります。
 これらの事例を見れば分かるように、西洋における吸血鬼の起源とは「死者に対する一種の恐怖」から始まっているのであり、道教思想から不老不死が憧憬の対象となった仙人とは、そもそもその起源自体が全く異なるのです。そしてその起源から言っても、吸血鬼の不老不死が歓迎されるようなシロモノであるはずがないのです。
 これほどまでにカテゴリーが異なる吸血鬼と仙人の「不老不死」の考え方を、一体どうやって同列に並べた挙句に絶対的な優劣を判定することができると言うのでしょうか? 私にはまるで理解できないのですけど。

 それとさらに言わせてもらうと、この社会評論の前置きとなっている太真王夫人のセリフ「中国では吸血鬼の話を聞かない」ですけど、実はここからすでに事実関係が間違っているんですよね(笑)。中国にも吸血鬼の話は存在しますし、それどころか、かつて日本でも大ブームを起こして広く知られたことがあるのです。まあ連中が「つんぼ」で中国版吸血鬼の話を聞かなかったとでも言うのであれば、連中がその話を知らないのも当然ではあるのですけど(笑)。
 1985年、香港で「霊幻道士」という映画が製作され、しばらくして日本でも公開されました。この「霊幻道士」という映画の特徴は「キョンシー」という中国版吸血鬼を売りにしていたことで、ホラーであるにもかかわらず、その珍しい格好や手を前に突き出してジャンプするユニークな歩き方などで多くの人を惹きつけ、当時ホラー映画ブームとなっていた日本で大人気となりました。そしてその2年後の1987年1月には、その「霊幻道士」のパクリであると言われている「幽幻道士」が、当時のTBS系列番組「月曜ロードショー」で放送され、これが小中学生の圧倒的人気を獲得、キョンシーブームは一気に爆発したのです。
 「幽玄道士」をリリースしたTBSは、その後「幽玄道士」を製作した台湾の映画会社に依頼して「幽玄道士」をシリーズ4作まで製作させ、さらには毎週放送される「来来!キョンシーズ」という番組まで制作させてキョンシーブームを支えていったのです。このキョンシーブームは1989年10月の「幽玄道士4」をもってシリーズが完結したことにより、その後急速に沈静化していきましたが、それでも一時期にせよ、この「中国版吸血鬼」であるキョンシーが日本で大人気となっていた事実に変わりはありません。
 もちろん、上記で紹介している映画や番組はあくまでも「フィクション」に基づいて作られたエンターテイメント作品ではあるのですが、これらの映画や番組で取り上げられている「中国版吸血鬼」ことキョンシー自体は、理性も感情も知性も持ち合わせず、人並みはずれた力を持ち、老若男女を問わず人に襲いかかり、大口をあけて血を吸う一種の吸血ゾンビとして、中国の民間習俗の中で実際に語り伝えられている妖怪なのです。作中では、キョンシーに噛みつかれた人がまたキョンシーとなり人から人へと伝染していくという、西洋の吸血鬼とよく似た設定もありましたが。
 竜王と太真王夫人が論じ合っていた、西洋の吸血鬼と中国の仙人とを題材にした愚かしい比較文化論は、「実は中国にも吸血鬼の話は存在していた」という一事をもって、完全にその話の前提自体が崩壊してしまうんですね(笑)。何しろ連中が持ち出している「道教思想」だの「仙人の不老不死についての考え方」だのといった話は、中国に吸血鬼の話が一切存在しないことによって初めて成立するものなのですから。
 あの低能連中が展開していた愚劣な比較文化論は、結局のところ、連中自身の検証能力の欠如と、中国知識の無知ぶりとを露呈するだけの結果に終わってしまったとしか評価のしようがないですね。無理矢理にでも中国を礼賛しようなどと愚かしいことを考えるから、自分達の無知ぶりを自ら暴露してしまうことになるのですよ。まあいつものことではありますけど(笑)。

 とまあ、ここまでは純粋に評論として見た時の話。実はあの愚劣な比較文化論は、評論としてだけでなく、ストーリー的に見た場合も確実に破綻しているのです。
 というのもあの比較文化論、下のような文章で締めているんですね↓

P155上段
<生きるためには他者を犠牲にせねばならず、だとすれば生きること自体が罪悪である――というキリスト教的な倫理観の重苦しさを、道教はかるがると超越してしまっている。だから、そのあたりががまんできない人々からは、道教は、はげしく攻撃されることにもなるのだ。「西欧の思想にくらべると堕落した不まじめな迷信にすぎない」といった日本人の学者すらいる。
「そうか、ドラキュラ伯爵も中国へきて仙人にあったら、単に『修行のたりないやつ』で終わっちゃうのか。最初から勝負にならないよな」
 食後の茶をすすりながら、白竜王は満足の溜息をついた。>

「生きるためには他者を犠牲にせねばならず、だとすれば生きること自体が罪悪である――というキリスト教的な倫理観の重苦しさを、道教はかるがると超越してしまっている」
ウソをつくな、ウソを(笑)。創竜伝における仙人どもは、連中が否定しているはずの「キリスト教的な倫理観の重苦しさ」の論法を使って、偉そうに人間様に説教を垂れていたではありませんか。仙界におけるバカ仙人のひとりがほざいていたこれは一体何だというのですかね、これは↓

創竜伝8巻 P160上段~下段
<「のう、竜王がた、これは恩を着せるつもりでいうんだが」
 ぬけぬけと漢鐘離が黒い髯をしごいた。
「仙界が人界に干渉して、五〇億の人間を破滅から救ったとする、それで人類は感謝して、われわれにお供えのひとつもくれるのかな」
「お供えがほしいんですか」
「小児病みたいな反問をするものではないぞ。わしがいうとるのは、人類に感謝の気持ちがあるかどうかということじゃ」
「感謝ぐらいすると思いますが」
「わざわざ教えるつもりもないが、仙界が干渉して、人類の反感を買うことはないかな」
「それはないでしょう。悪い干渉ならともかく」
 始の返答を、漢鐘離は聞きとがめてみせた。
「悪い干渉はされたくないけど、善い干渉はしてほしいと思ってるわけじゃの」
「そういうことになりますか」
「勝手な話ではないか。なぜ仙界がそこまで人界に奉仕してやらなきゃならないのかな。そこまでつけあがって一方的に要求する権利がある、と思いこんでいる人間とは一体何なのかな?」
「…………」
「だいたい自分たちがこれまで何百種類の動物を絶滅させてきたと思っとるのかな。それで自分たちは絶滅するのがいやというわけじゃ、ふん!、リョコウバトやニホンオオカミが絶滅したがっていたとでもいうのかね」
 始は反論のしようがなかった。>

 この仙界のバカ仙人のひとり・漢鐘離が偉そうにのたまっていた説教の最後のセリフ、どう見ても「生きるためには他者を犠牲にせねばならず、だとすれば生きること自体が罪悪である――というキリスト教的な倫理観の重苦しさ」の論法を完璧に再現しているではありませんか(笑)。これほどまでに人類を見下し、「キリスト教的な倫理観の重苦しさ」をもって人類を断罪する漢鐘離のことですから、当然のこと、自分達に対してもこの価値観を当てはめてもらわなければ困るのですけどね~。
 何しろ「仙界の連中」ときたら「天界有数の有力者にして特権階級」ですし、超テクノロジーに支えられた技術力を誇った挙句、自分達の利益のために、自分達の掟では絶対的に禁止されているはずの「人界・歴史干渉行為」を一度ならず行っているわけですからね。当然自分達の地位と権力を確立するために権力闘争を行ってもきたのでしょうし、その過程で他の天界の諸勢力や、人界にいるはずの人類の多くを犠牲にしてもきたのでしょうから、多少なりとも自分達の罪悪を自覚しても良いのではないでしょうかね? そうでないと、人類に愚かな説教を垂れていたバカ仙人の漢鐘離をはじめとする「仙界の連中」は、そろいもそろって「口先だけの卑怯者集団」とか「自らの犯罪行為を全く顧みることのない恥知らず集団」とかいったレッテルを貼られる事になってしまうのですけど(笑)。
 ここで「仙界の連中」は深刻な矛盾に直面することになります。自分達が人類に対して偉そうに垂れていた「キリスト教的な倫理観」に基づいた説教に一貫性と説得力を持たせようとすれば、仙人が堅持しているであろう道教思想と完全に矛盾することとなり、逆に道教思想の考え方を固持しようとすれば、連中は自らの発言や行動に全く責任を取ることができないウソつき・卑怯・恥知らずの集団であるということになってしまうのですからね。青竜王などに過大評価されて、さぞかし「仙界の連中」も迷惑していることでしょうな(笑)。
 自分達がかつて何を言っていたか、それを省みることも総括することもなしに、ストーリー設定に合わないデタラメな中国礼賛論など唱えれば、これほどまでの無様な醜態をさらすことになってしまうのですよ、青海東竜王陛下。アレほどまでの自己矛盾に陥っている「仙界の白痴仙人ども」の愚かしさに比べたら、まだドラキュラ伯爵の方が自らの原罪を自覚することができるだけマシなのではないですかね(笑)。

 さて、次の考察では創竜伝12巻の後半部分に密集している社会評論について取り上げたいと思います。

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