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匿名アカウント削除問題がもたらすFacebookの暗雲

2月8日昼頃から、Facebookで偽名やニックネームを使用しているアカウントが多数削除される問題が世界中で発生しています。

http://megalodon.jp/2011-0212-1827-46/rocketnews24.com/?p=72687

アカウントの実名登録について、Facebookの規約では以下のように明記されています↓

> 4.登録とアカウントのセキュリティ
> Facebookでは、
ユーザーの皆様に実名および実在の情報を提供していただいています。これを維持するには、ユーザーの協力が必要です。ユーザーは、登録とアカウントのセキュリティの維持に関連して、以下の点を守ることを弊社に確約するものとします。
> 1.Facebookで
虚偽の個人情報を提供したり、許可を得ることなく自分以外の人のアカウントを作成することはできません。
(以下略)

今回の問題は、この実名登録ルールを徹底させるためにFacebook側が強権発動に打って出たものと思われます。
しかし、これはFacebookの今後の対日戦略に大きな陰を落とすことになるのではないでしょうか?

Facebookが日本で敬遠されてきた理由のひとつに、この実名登録ルールがあります。
ネット上で実名を登録し全世界に公開するのは、安全性やプライバシーの問題から避けたい、という考える人が日本では少なくありません。
同じSNSであるmixiなども、かつては実名推奨主義を採用していましたが、mixiで書かれた日記の内容が外部に晒され炎上騒動に発展したり、実名を元に人物特定されたりするなどしてその危険性が伝わり、今ではmixiでも実名を公開する人は少数派になっています。
実名公開には危険が付き纏うという風潮が強い日本で、Facebookの実名登録ルールがなかなか受け容れられないのも当然といえば当然と言えます。

ただ、私はどちらかと言えばこのルールの弊害は比較的軽視していた方だったりします。
mixiが実名推奨主義から変質していった過程を鑑みれば、Facebookもまた匿名を認める方向に行くのではないかと考えていたからです。
加えて、日本のみならずアメリカをはじめとする外国でさえも、Facebookのプライバシー公開方針は大きな問題としてクローズアップされつつあります。
だから私は、Facebookで匿名のアカウント登録を行っても、公認とまではいかなくても黙認される方向に行くのではないかと結構楽観視していたんですよね。

しかし、今回の問題は「実名登録ルールを徹底させるために徹底した取り締まりを行い、違反者には容赦なくペナルティを課す」というスタンスをFacebook運営側が事実上表明したことになります。
匿名で登録したらいつアカウントを消されるか分からない、ということになれば、ユーザー側は常に不安を抱えた状態でFacebookを使わなければならないわけで、これがFacebookユーザーに与える影響は小さからざるものがあるでしょう。
特に日本のように実名公開が敬遠される文化を持つ国ではなおのことです。
せっかく映画「ソーシャル・ネットワーク」の公開などで、遅まきながらようやく日本でもFacebookが拡大を見せ始めたばかりだというのに、わざわざそれに冷水を浴びせてどうするというのでしょうか?

本当にFacebookは日本でシェアを拡大する気があるのか、それすらも疑問に思えてくる事件ですね。

2月11日は建国記念の日&旧「紀元節」

2月11日は「建国をしのび、国を愛する心を養う」国民の祝日である建国記念の日。
この日は元々「紀元節」という日本書紀による神武天皇即位を記念する日でしたが、戦後、GHQの占領政策により廃止されました。
しかし、1951年から「紀元節」復活の動きが見られるようになり、1957年以降、9回の祝日化の議案提出・廃案を経て、1966年に建国記念の日として再び祝日化されることが決定、翌1967年から正式に国民の祝日となっています。

ことある毎に日本を貶める行為に腐心している朝日新聞や日教組、中韓朝に迎合して国を売ることばかり考えている民主党政権、そして何よりも我らが田中芳樹御大にとって、建国記念の日ほど全否定したいと考えるであろう記念日もないでしょうね。
「【日本の】建国をしのび、国を愛する心を養う」などという概念は、連中にとっては「軍靴の足音」という名の幻聴が聞こえるレベルで唾棄すべきシロモノでしかないのですし。
もちろん、連中が否定しているのはあくまでも【日本限定の】愛国心でしかないのであって、対象が中国・韓国・北朝鮮であれば、連中は対象国ですらビックリするレベルのウルトラナショナリズム的礼賛論を披露してくれるであろうことは疑いようがないのですが(苦笑)。
現に「北朝鮮は地上の楽園」だの「中国にはハエがいない」だの「毛主席は思想的には世界の半分を釣りあげましたね」だのといった失笑もののヨタ話を、連中は大真面目に主張していたわけですからねぇ。

自国に対する愛国心を持つことは本来何ら恥ずべきことではなく、日本以外の国ではごくごく当たり前のことです。
「建国をしのび、国を愛する心を養う」ことで、日本も決して捨てたものではないということを、たまには振り返ってみるのも良いのではないでしょうか。

FacebookとgoogleがTwitterに買収交渉を打診

アメリカのウォール・ストリート・ジャーナルの報道によると、Facebookとgoogleの幹部がTwitterに対し買収話を打診しているそうです。
現在のところ、買収交渉は特に進展を見せていないようなのですが、Twitterの推定評価額は80億~100億ドルに達するとのこと。

http://megalodon.jp/2011-0210-1339-44/www.itmedia.co.jp/news/articles/1102/10/news037.html

実はFacebookもgoogleも、Twitterの買収に乗り出したこと自体はこれが初めてというわけではありません。
Facebookは2008年に初めてTwitterに対して買収交渉を持ちかけています。
しかし、この時は「Facebook側が自己評価したFacebook株式5億ドル分で支払いを行う」という方法で買収が提示されたため、それに不信感を抱いたTwitter側が買収を拒否。
以来、FacebookとTwitterの関係は険悪なものとなってしまい、その弊害は、両者の連携アプリに不具合があったにもかかわらず長期にわたって放置されるという形でユーザーにも降りかかってきた経緯があったりします↓

FacebookのTwitter買収交渉は中止か?
http://jp.techcrunch.com/archives/20081124acquisition-dance-between-facebook-and-twitter-over-for-now/
TwitterからFacebookに投稿する人気アプリが使用不能に―両社の対応にユーザー困惑
http://jp.techcrunch.com/archives/20090701twitters-popular-facebook-app-has-been-broken-or-exploited-for-days/

一方、googleも2009年4月にTwitterの買収交渉を開始。
この時はgoogle側から2億5000万ドルの買収金額が提示されましたが、Twitter側は「10億ドルでも売るつもりはない」と強気の姿勢を示し買収交渉は頓挫。
しかし、それでもgoogleはTwitterの買収にこだわり続け、翌2010年になると、今度は買収金額を10倍以上の25億~40億ドルにまで引き上げて交渉再開。
しかしこの買収話もTwitter側は断り、そして今回の買収話に至ったというわけです。

情報筋より:Twitterは10億ドルでも売るつもりはない
http://jp.techcrunch.com/archives/20090403twitter-wouldnt-sell-for-1-billion-says-source/
Googleが25~40億ドルでTwitterを買収交渉中という噂
http://www.yukawanet.com/archives/3106065.html

Twitterの買収については、今回名前が挙がった2社以外にも、MicrosoftやAppleをはじめとする大手数社が関心を示しているのだそうで、今後の展開次第では複数の企業による買収合戦に発展する可能性も考えられます。
特にgoogleは自社戦略のみならず、MicrosoftがTwitterを買収することを阻止するという観点からも買収交渉に積極的なのだそうで。
果たしてTwitter側は買収に応じるのか、そして応じた場合はどこの企業と買収契約を行うのか、そしてユーザーにとってどのような変化がもたらされるのか、注目ですね。

カンガンスの首相就任後初となる党首討論

民主党の菅直人ことカンガンスが、首相就任後初となる与野党の党首討論に臨みました。
やり取りの全文は以下の通り↓

(1)菅首相「国造りの理念を谷垣氏からも聞きたい」
http://megalodon.jp/2011-0209-2210-47/sankei.jp.msn.com/politics/news/110209/plc11020916330007-n1.htm
http://megalodon.jp/2011-0209-2211-14/sankei.jp.msn.com/politics/news/110209/plc11020916330007-n2.htm

(2)「案出せば与野党協議乗るか」首相、谷垣氏に迫る
http://megalodon.jp/2011-0209-2212-04/sankei.jp.msn.com/politics/news/110209/plc11020917130008-n1.htm
http://megalodon.jp/2011-0209-2212-38/sankei.jp.msn.com/politics/news/110209/plc11020917130008-n2.htm
http://megalodon.jp/2011-0209-2213-04/sankei.jp.msn.com/politics/news/110209/plc11020917130008-n3.htm
http://megalodon.jp/2011-0209-2213-58/sankei.jp.msn.com/politics/news/110209/plc11020917130008-n4.htm
http://megalodon.jp/2011-0209-2214-33/sankei.jp.msn.com/politics/news/110209/plc11020917130008-n5.htm

(3)「八百長相撲には乗れない」 谷垣氏が首相を牽制
http://megalodon.jp/2011-0209-2215-29/sankei.jp.msn.com/politics/news/110209/plc11020918460011-n1.htm
http://megalodon.jp/2011-0209-2215-51/sankei.jp.msn.com/politics/news/110209/plc11020918460011-n2.htm
http://megalodon.jp/2011-0209-2216-14/sankei.jp.msn.com/politics/news/110209/plc11020918460011-n3.htm

(4)「財政破壊のマニフェスト見直せ」 谷垣氏、さらに首相追及
http://megalodon.jp/2011-0209-2217-07/sankei.jp.msn.com/politics/news/110209/plc11020918540013-n1.htm
http://megalodon.jp/2011-0209-2217-39/sankei.jp.msn.com/politics/news/110209/plc11020918540013-n2.htm
http://megalodon.jp/2011-0209-2218-01/sankei.jp.msn.com/politics/news/110209/plc11020918540013-n3.htm
http://megalodon.jp/2011-0209-2218-21/sankei.jp.msn.com/politics/news/110209/plc11020918540013-n4.htm

(5完)公明・山口氏、「首相には、決意もリーダーシップも全くない」
http://megalodon.jp/2011-0209-2219-18/sankei.jp.msn.com/politics/news/110209/plc11020918550014-n1.htm
http://megalodon.jp/2011-0209-2219-40/sankei.jp.msn.com/politics/news/110209/plc11020918550014-n2.htm
http://megalodon.jp/2011-0209-2220-07/sankei.jp.msn.com/politics/news/110209/plc11020918550014-n3.htm
http://megalodon.jp/2011-0209-2220-34/sankei.jp.msn.com/politics/news/110209/plc11020918550014-n4.htm
http://megalodon.jp/2011-0209-2220-58/sankei.jp.msn.com/politics/news/110209/plc11020918550014-n5.htm
http://megalodon.jp/2011-0209-2221-19/sankei.jp.msn.com/politics/news/110209/plc11020918550014-n6.htm

マニフェストの破棄や問題点を武器に首相の資質を問い、解散総選挙を迫ってくる野党に対し、言い訳と官僚答弁に終始する与党民主党。
しかし、かつて野党時代に民主党が自民党政権に対して行ってきた嫌がらせの数々を鑑みれば、今日の惨状も自業自得としか言いようがないですね。
何しろ民主党は、首相の漢字読み間違いを理由に国会の場で漢字テストを敢行したり、マスコミのどうでも良い「失言」報道に便乗する形で閣僚のクビを飛ばすよう強要し、それをやったらやったで「任命責任」だの「責任能力がない」だのとコジツケて審議を拒否したり要求を追加したりしていたのですから。
当時の自民党政権に比べれば、今の民主党が置かれている環境は何と生温いシロモノかとすら言いたくなるくらいなのですが、それでも民主党は自らの失態を責任転嫁するばかりですし。
しかも今回の党首討論にしてからが、民主党側が必死に逃げ回り続けてようやく実現にこぎつけたという曰くつきのシロモノだったりしますし↓

http://www.jiji.com/jc/v?p=ve_pol_tousyu20110204j-02-w380&rel=y&g=tha

政権に居座り続けるほどに日本の政治も経済も混迷するばかりなわけですし、一刻も早く解散総選挙を行って存在もろとも消滅してもらいたいところなのですけどね、民主党には。

映画「ザ・タウン」感想

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映画「ザ・タウン」観に行ってきました。
年間300件以上もの銀行強盗事件が発生するマサチューセッツ州ボストンのチャールズタウン(略称「タウン」)を舞台に繰り広げられるクライム・アクションドラマ。
作中では暴力が振るわれたり銃撃で頭を貫かれたりする描写やセックスシーンがあるためか、この作品はPG-12指定されています。

映画「ザ・タウン」の主人公で俳優ベン・アフレックが演じるダグは、人を殺さず、人質も取らないことを信条とする銀行強盗団のリーダー格。
物語冒頭、ダグが率いる4人組がとある銀行を襲撃します。
万全な下準備の下、襲撃手順も完璧にこなし、見事金庫の中の現金をせしめる強盗団達。
しかし、いざ現場から引き揚げようとしたその時、ダグの幼馴染ジェムの不手際により、女性支店長のクレアを人質に取ったことで、彼らの運命の歯車が狂い始めます。
殺しを良しとしないダグの判断により人質を無傷で解放した後、取り上げた免許証から、彼女が同じ街に住んでいる人間であることが判明。
短気なジェムが女の始末を主張しますが、ダグはそれを抑え、自らの目で問題があるか否かを確認すべく、彼女に接近することを決意します。
しかし彼女を追跡する中、コインランドリーでクレアがダグに話しかけることをきっかけに、2人は意気投合することになります。
その後もクレアと会い続け、互いに身の上話を交わしたり、ついにはセックスをしたりする仲にまで至ってしまうダグ。
その過程でダグは、自分の仕事である銀行強盗という行為に疑問を抱くようになり、犯罪稼業から足を洗うことを考えるようになります。
しかし、ジェムをはじめとするダグの銀行強盗仲間や、強盗稼業の元締め的存在である花屋のファーギーは、自分達が警察に売られる懸念もあって、ダグが仲間から抜けることを承諾しません。
犯罪稼業から抜け出そうにも抜け出せないまま、ダグはさらに犯罪行為を重ねていくことになるのですが……。

映画「ザ・タウン」では、銀行強盗・輸送車襲撃・野球スタジアムの収益金強奪と総計3回の犯罪が行われます。
ダグが率いる銀行強盗団は、犯行の際は入念に下調べを行ったり、髑髏やシスターに扮したマスクを着用して顔を隠したり、漂白剤を使ってDNAの痕跡をも消してしまったりと、FBIをも唸らせるほどに手際の良いプロ集団として描かれています。
2つの銀行と6台の現金輸送車を襲撃したという犯罪歴がありながら捕まっていないという点からも、彼らの実力が伺えます。
ただそれでも、ほとんど時間を置くことなく次々と襲撃が実施されていくのには、「いくら何でも急ぎ過ぎ&危な過ぎないか?」とさすがに思わずにはいられませんでしたね。
冒頭の銀行強盗だけでもかなりの金額を稼ぐことに成功しているでしょうに、数年くらい時間を置いてほとぼりを醒ます、的な選択肢は取れなかったのでしょうか?
性急過ぎる襲撃依頼のために、2回目以降は準備不足な状態で襲撃が実施されていたようでしたし、警察側の待ち伏せまで受けてしまう始末でしたからねぇ。

あと、ダグとクレアの間で交わされた身の上話のひとつが、物語終盤で重要な伏線として活用されることになります。
これは映画を観賞してのお楽しみということで。

それと、この映画で花屋のファーギー役を演じていたピート・ポスルスウェイトが、2011年1月2日にお亡くなりになったのだそうです。
最近では映画「タイタンの戦い」および「インセプション」にも出演していたとのこと。
謹んでご冥福をお祈り致します。

映画「ウォール・ストリート」感想

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映画「ウォール・ストリート」観に行ってきました。
1987年公開映画「ウォール街」の続編作品。
新エネルギーを開発するベンチャー企業を支援しようと奮闘するシャイア・ラブーフ演じる若き証券マンのジェイコブ・ムーアと、8年の服役ですっかり過去の人となった、前作でも活躍したマイケル・ダグラス扮するゴードン・ゲッコーの2人が織り成すマネーゲームを描いた人間ドラマです。

物語は2001年、インサイダー取引の罪で収監されていたゴードン・ゲッコーが、8年の服役を終えて出所するところから始まります。
ほとんど無一文状態で出所したゴードン・ゲッコーは、自分と同じように出所しながら、迎えに来た家族?と一緒に帰っていく黒人を尻目に見ながら刑務所を後にします。
その後ゴードン・ゲッコーは、金融関係の本を書いて一定のファンを獲得するまでの著名人となっていきます。
舞台は変わってその7年後の2008年。
ニューヨークで投資銀行ケラー・ゼイペル社に勤めていたジェイコブ・ムーアは、次世代クリーン・エネルギーの開発支援に情熱を傾ける若き証券マン。
また私生活面でも、ゴードン・ゲッコーの娘であるウィニー・ゲッコーと結婚を前提とした付き合いをしており、順風満帆な人生を送っていました。
ところが、勤め先のケラー・ゼイペル社が急激な株価の大暴落に見舞われ破綻。
さらには、自身が恩師として慕っていた経営者のルー・ゼイペルが地下鉄で飛び降り自殺するにまで至り、失意のどん底に突き落とされてしまいます。
そんな中ジェイコブ・ムーアは、とある大学で開催されたゴードン・ゲッコーの講演会に出席。
講演会終了後、ジェイコブ・ムーアはゴードン・ゲッコーに「娘さんと結婚します」と告げ、彼に「取引」を持ちかけます。
その内容は、ゴードン・ゲッコーと娘との仲を取り持つ代わりに、ケラー・ゼイペル社を1株3ドルという破格の安値で買い叩き、恩師を自殺に追いやった黒幕であるブレトン・ジェームスに対する復讐のサポートをしてもらうこと。
「取引」を成立させたジェイコブ・ムーアは、「風説の流布」を駆使した株価操作で、ブレトンの会社に打撃を与える作戦に打って出ることになります。

映画「ウォール・ストリート」は、前半が金融や株がらみのマネーゲーム、後半が人間ドラマを中心にした物語構成となっています。
前半はやたらと金融関係の用語が飛び交っており、金融絡みの駆け引きなども展開され、また2008年10月に世界を震撼させたリーマン・ショックのネタも出てきます。
それに対し、後半から終盤にかけては金融や株などといった要素が薄くなり、どちらかと言えば「情に訴える」展開ばかりになってきます。
ジェイコブ・ムーアが最終的に復讐を達成する手段も、結局金融絡みの罠というよりは「スキャンダル報道による信用の失墜」に近いものがありましたし、ジェイコブ・ムーアがゴードン・ゲッコーと対立した際に持ち出された取引材料は、金融絡みのネタではなく「孫の存在」だったりします。
最初から最後まで金融用語だらけのマネーゲームが展開されるとばかり考えていただけに、後半の展開は少々意表を突かれた感がありますね。
ラストシーンも、「金融界に君臨した男も、家族の情を無視することはできませんでした」的な展開でしたし。

私は前作映画「ウォール街」を観ることなく今作を観に行ったのですが、前作映画からの繋がりを示す描写もいくつかあるそうで。
余裕があるなら、予め「ウォール街」を観てから今作は観た方が良いかもしれませんね。

第3回くまもとラーメン祭に行ってきました

2011年2月5日~6日にかけてグランメッセ熊本で開催された「第3回くまもとラーメン祭」に行ってきました。
熊本の老舗ラーメン店が一同に会する、熊本ラーメンの食べ歩きにはもってこいのイベントです。
今回は熊本県外からも計5店が参加していたとのこと。
公式サイトはこちら↓

http://www.kumamoto-ramen.jp/

何気に私は、過去2回開催された「くまもとラーメン祭」にも顔を出していたりします。
熊本ラーメンというと、普段は味千ラーメン以外のラーメンは食べる機会に恵まれないもので、「くまもとラーメン祭」は味千以外の熊本ラーメンを味わえる数少ないチャンスだったりするんですよね。
チェーン展開している味千ラーメンはともかく、老舗ラーメン店は普段あまり行くことのない地域に、しかもクルマを飛ばさないとお目にかかれない場所にあったりしますし。

私がグランメッセ熊本に行ったのは正午前後だったのですが、その時は周辺の道路が混雑していて大盛況状態。
昼時だからということで来場者が集中していた時間帯だったようで、それから1時間後には混雑はすっかりなくなっていました。
1時間くらい時間をズラして来ればよかったなぁ、とつくづく思いましたね。

今回私が選んだラーメンは黒亭ラーメン。
黒亭は熊本駅の近くに1店舗しかない老舗のラーメン屋。
さすが熊本ラーメンの中では知名度が高い部類に入るラーメンだけあって、味はなかなか満足できるものでしたね。
お土産でも黒亭ラーメンを購入し、引き上げてきました。

ただ、「くまもとラーメン祭」で振舞われるラーメンは、1杯当たりの値段が一律700円と結構高め。
量自体は普通のラーメンよりも少ないので、一層割高感があったりします。
料金自体にはイベント開催のための費用も含まれているのでしょうが、あの料金設定はもう少し安くした方が良いのではないかと、1回目参加の頃からずっと考えていたりするのですけどね。

映画「白夜行」感想

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映画「白夜行」観に行ってきました。
東野圭吾原作のサスペンス小説映画版。
質屋の殺人事件から始まる、被害者の息子、容疑者の娘、そして18年もの歳月をかけ真相に迫る刑事の視点で綴られる心理描写ミステリー作品です。
ちなみに私は、原作未読のまま映画を観に行っています。

物語最初の舞台は1980年(昭和55年)、廃ビルで質屋の店主だった桐原洋介が、廃ビルで遊んでいた子供達に発見されることから始まります。
事件発覚後、まずは被害者の妻である桐原弥生子と、質屋の従業員である松浦勇が警察に事情聴取されます。
その際、両者の事情聴取に当たっていた刑事・笹垣潤三は、質屋の2階にいた被害者の息子である桐原亮司からの話を聞くことになります。
この時のアリバイ証言である「テレビを見ていた」に関する裏づけとして行われた「クイズダービーではらたいらが竹下景子に敗れた」という説明は、当時の時代を象徴していて何とも懐かしい気分にさせられましたね(苦笑)。
その後の警察の調査で、被害者は西本文代という女性の家に足繁く通っていたことが判明。
彼女とその愛人である寺崎忠夫が容疑者として浮上したため、笹垣潤三は相棒の古賀久志と共に西本文代の自宅を訪問します。
その際に留守だった西本文代に代わって応対したのが、西本文代の娘で当時小学生だった西本雪穂。
被疑者である西本文代を待つ間、ハードカバー本?の「風と共に去りぬ」を黙々と読んでいる西本雪穂に、笹垣潤三は強い印象を抱くことになります。
やがて帰宅した西本文代に、笹垣潤三は事情聴取を行っていくのですが、彼女には事件当時「公園でブランコをこいでいた」というアリバイが出てきます。
決定的な証拠も出ないまま捜査が難航する中、西本文代はガス中毒で、寺崎忠夫は交通事故でそれぞれ死亡してしまいます。
有力な容疑者が死亡してしまったことに加え、警察上層部のひとりの出世問題が切迫していたという事情が重なったことも相まって、結局事件はそのまま被疑者死亡ということで表面的には決着することになります。
しかし、笹垣潤三はこの決着に納得がいかず、自らの出世を棒に振ってまで独自に調査を進めていき、事件の被害者の息子である桐原亮司と、容疑者の娘である西本雪穂も、それぞれの人生を歩んでいくことに……。
という形で、以後、1985年(昭和60年)、1988年(昭和63年)、1989年(平成元年)にそれぞれエピソードが語られていき、最終的には1998年(平成10年)で事件の真相が明らかになります。

映画「白夜行」では、作中における年を表す描写として、その時代を象徴するキーワードが出てくるのが面白かったですね。
1980年は前述のクイズダービーの話、1985年は本田美奈子のコンサート、1989年は社交ダンス関連の話が出てくることで、それぞれの年が表現されています。
まあ、この3つの中で私がピンと来たのはクイズダービーだけで、社交ダンスは1996年公開映画「Shall we ダンス?」からの連想で少し時代がズレていましたし、本田美奈子に至っては存在すら知らなかったというのが実態だったりするのですが(^^;;)。

作中のストーリーは、最初から最後までとにかく「暗い」の一言に尽きますね。
殺人、冷たい家族関係、学校内でのイジメ、報われない愛、レイプ・性的虐待と、暗い話が目白押しに続きますし。
ところどころに「明るさ」を感じさせてくれるエピソードもあるにはあるのですが、それもほとんどは後半で不幸のどん底に突き落とすための伏線だったりします。
さすが元々がミステリー小説なこともあってか、物語終盤で全ての真相が明らかになる描写の運び方は上手いものがありましたが、最終的な結末も「何故そこでそんな選択を…!?」と言わんばかりのバッドエンドな終わり方をしていますし。
映画の宣伝ポスターで謳われている「二番目に殺したのは、心」というキャッチコピーに良くも悪くも偽りはなし、ですね。

ハリウッド映画にありがちな「爽快感を伴うハッピーエンド」的なものは全く期待できませんので、そういう作品を観たいという方にはあまりオススメできない作品ですね。
あくまでもミステリー好きのための映画、といったところでしょうか。

山本弘がmixiの公開コミュニティの管理人に就任

今更な話になるのですが、今年の1月に「と学会」の某キチガイ会長が、事実上管理放棄されていたmixiコミュニティ「トンデモ・疑似・エセ科学(w)」の管理人を引き継いだのだそうです。
URLはこちら↓

mixiコミュニティ「トンデモ・疑似・エセ科学(w)」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=59237647&comm_id=5102

で、管理人に就任した山本弘大将軍様が最初にやったことが、自分が気に入らなかったコミュニティメンバーの追放処分。

管理人引継ぎのごあいさつ
http://www.tondemo.info/material01_2011_01_aa.html

管理人としての最初の仕事で早速ゴタゴタが発生する辺りは「さすが山本弘」と言わざるをえないところなのですが(苦笑)、この管理人就任挨拶のスレッドで開陳されている山本弘のコミュニティについての考え方というのがまた笑えるシロモノなんですよね。

2011年01月11日 10:51 43: 山本弘
>  私見ですが、僕が「コミュ管理人の義務」と考えるものを明らかにしておきます。
>
> 「参加者にとって快適な場を維持することをこころがける」
>
>  基本的にはこれだけです。
>  特にこのコミュの場合、カテゴリは「お笑い」ですから、楽しい場でなくてはいけないと思うのです。
>  もちろん、人によって意見の相違はありますから、時には議論が白熱することもあるでしょう。それはしかたのないことです。
>  しかし、
>
> ・明らかに間違っていると分かる説を強硬に主張し、他の人たちから批判されても撤回しない。
> ・同じ内容の発言を何度も何度も繰り返す。
> ・コミュのテーマと関係のない話題をえんえんと続ける。
> ・自分以外の参加者すべてを見下す態度を取る。
> ・差別発言を繰り返す。
> ・デマを広める。
> ・ルールを無視する。
> ・他の人からの重要な質問に答えようとしない。
> ・他の人から注意されても態度を改めない。
>
>  こういう人って、
本人以外の大多数の人にとっては不快ですよね?
>  こういう問題人物がいると、せっかくの楽しい場が楽しくなくなってしまう。だから排除することも必要になります。
>  その際、問題人物を擁護するごくごく少数の意見があったとしても、それは無視してかまわないはずです。
>  なぜなら、
参加者の多くが覚えている不快感を解消するのが、管理人としての急務なのですから。
>  管理人の決定に対して、ごくごく少数の人間が不快感を覚えたとしても、それは我慢してもらわねば困ります。なぜなら、あなたの意見を通すことによって、少数の人の不快感は解消されても、多くの人が不快になるからです。
>  管理人の決定が不満であれば、退会していただいてかまいません。誰も止めません。
>
>  そもそもこうしたコミュニティというのは、同好の士が集まって楽しむ場であろうと思います。
>  他の人とまったく相容れない意見の持ち主が混ざっていても、楽しむことはできないでしょう。たとえば阪神タイガースが嫌いな人が、タイガースのコミュに入っても楽しめないし、かえって不快な思いをするだけでしょう。そういう人がタイガースのコミュに入ること自体が間違いなんです。
>  
そういう人は不快な思いをしてまでとどまる必要はない。自分と同意見の人が集まる場に行けばいいのです。
>
>  僕も自分と趣味や意見が異なるコミュ、不快な思いをするコミュには入らないようにしています。
「人類は月に行ってない!?」コミュには入ってますが、あそこはすでに「行った」派の巣窟になっちゃってますし(笑)。
>  何も好んで不快な思いをすることはないだろ、と思うのですよね。

「参加者にとって快適な場を維持することをこころがける」の判断基準が、快・不快の感情論で行われる、と断言しているのが凄いところです。
確かに、どんなに参加者の自由を尊重する発言の場であっても、運営に支障を来たすレベルの荒らし投稿者や問題発言者に、管理人がペナルティを与えたり追放したりといった強権発動を行わなければならない局面は間違いなくあるでしょう。
しかし同時に、管理人にはそういう強大な権限と表裏一体の責任を背負わなければならないのですし、ことある毎に強権発動を乱発するような管理人は無能のそしりを免れません。
管理人としての権限を「不快だから」という理由で行使すると宣言している自称SF作家に、管理人としての責任意識を自覚している様子は全く見出すことができませんね。
なにしろ、かつてそういう運営を実地で本当に行った結果、発言者の質の低下と信者の離反を招いた挙句、自身でさえも窮屈になって閉鎖を宣言する羽目になった山本封殺板の前科があるというのに、その反省もなく同じことが堂々と断言できるときているのですから。
自分にとって不快な人間を排除することが、結果的には「快適な場を維持」にも多大な支障を及ぼしてしまうという可能性について、大将軍様は寸分たりとも考慮することができないのでしょうね。

それと、山本弘が言及している「人類は月に行ってない!?」コミュって、元々は「行ってない」派の人が作ったものですよね?
自分と全く合わないそのようなコミュニティにわざわざ直接乗り込んで「行った」派の巣窟にしてしまったというのは、「僕も自分と趣味や意見が異なるコミュ、不快な思いをするコミュには入らないようにしています」という山本弘の思想信条に反するのではないでしょうか。
自分の都合でこういうダブルスタンダードなことばかりやらかすから、山本弘の信用はすっかり地に堕ちてしまっているのですけどねぇ。

2011年01月12日 11:16 70: 山本弘
> > アクセスブロックなど反論のできない状況下で他のmixi会員への批判や誹謗中傷は慎むべきではありませんか?
>
>  ZAP@疲労物質さんも書いておられますが、
相手がこの場で反論できるかどうかはこの問題とは無関係です。
>  たとえば、文芸評論家がある作家を著書の中でボロクソに批判したとします。その作家は
同じ本の中で反論することはできません。
>  だったら評論家は作家を批判してはいけないことになりますか?
>  なりませんよね。
作家は反論したければ、自分の本の中なり自分のブログなりでやればいいだけの話です。
>  mixiの場合も同じです。
反論したければ自分の日記なり別のコミュニティでなりやればいいだけの話です。その人の言論の自由は保証されています。

かつて私のサイトである「奇説珍説博物館」に対して閉鎖圧力をかけていたことを自白した前科のあるアンタが、よくもまあそこまで厚顔無恥にもほざけたものですね。

http://www.tondemo.info/material01_2009_05_ad.html

しかも私は、山本弘が参加している掲示板やコミュニティには直接投稿を行ったことが現在に至るまで一度たりともないのですが、何故かくのごとき「言論弾圧的な攻撃」に晒されなければならなかったのでしょうか(苦笑)。

それと、山本弘のたとえ話の論理は無茶苦茶もいいところです。
何故、作家が文芸評論家を批判する際に「同じ本の中で」反論しなければならないのでしょうか。
この場合、「反論を文芸評論家に直接見せつける」ことが重要なのですから、文芸評論家に文書を郵送なりメールなりで送りつけるとか、文芸評論家が直接運営&閲覧している公式の掲示板なりコミュニティなりで反論を投稿するとかいった手法の方が、挙げる例としてははるかに適切でしょうに。
こちらは管理者が言論封殺論者でもない限り、当事者のみならず誰でも充分に実行可能な話なのですし。
まあ、大将軍様がそれを言ってしまうと、かつて南京問題でグース氏が己の掲示板に直接乗り込んで反論してきた件をはじめとする「掲示板&コミュニティ上における山本弘に対する批判」を抹殺してきた過去の所業を全否定しなければならなくなってしまうわけですから、言いたくても言えなかったというのが実情だったのでしょうけどね(爆)。

http://www.tondemo.info/material01_2004_06_aa.html

ただまあ経緯はどうあれ、mixiの中でさえ非公開設定の日記やコミュニティに引き籠る傾向にあった山本弘が、公開の、それも何かとトラブルが想定しうるテーマのコミュニティの管理人になったというのは、ウォッチャーとしては大変喜ばしい限りです。
遠慮はいりませんから、これからもどんどんトラブルを引き起こして笑いのネタを提供して頂きますよう、「と学会」のキチガイ会長様にはお願い申し上げる次第です(笑)。

コミック版「大奥」検証考察5 【歴史考証すら蹂躙する一夫多妻制否定論】

ファイル 261-1.gifファイル 261-2.gif

コミック版「大奥」検証考察も、今回で5回目を迎えることになりました。
今回の検証テーマは 【歴史考証すら蹂躙する一夫多妻制否定論】です。
過去の「大奥」に関する記事はこちら↓

映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
コミック版「大奥」検証考察2 【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】
コミック版「大奥」検証考察3 【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】
コミック版「大奥」検証考察4 【支離滅裂な慣習が満載の男性版「大奥」】

コミック版「大奥」における男女人口の激減と男女比率1:4の話を初めて聞いた際、そこから「一夫多妻」「ハーレム」といったものを連想した人は多いのではないでしょうか。
かくいう私自身、映画版「大奥」の存在と内容を知った時から、

「何故そんな男女比率でありながら一夫多妻制が採用されなかったんだ?」
「男性人口に対して女性人口が圧倒的に多いのだから、ハーレムが普通に成立してもおかしくないのでは?」

とずっと疑問に思っていましたし、元来原作者よしながふみのファンでもなければ「大奥」の愛読者でもなかったはずの私が、映画版のみならずコミック版にまで手を出すに至ったのも、実はその疑問を解消することが最大の動機になっていたりします。
その私の疑問に対する回答らしき説明が行われている箇所が、コミック版「大奥」3巻にあります。

コミック版「大奥」3巻 P167
<いわゆる一夫多妻の「ハレム」化を進めて大名家の統合を進めれば、必然的に残った少数の大名家が所有する領地は広大なものとなり、徳川家の脅威となってしまう。
そして「家」を存続させる事が、士農工商どの身分においても最重要課題であるこの国特有の事情ゆえに、
世帯数が極端に減少する(つまり多くの「家」が潰れる)事を意味する一夫多妻化は進まなかったのである。>

……初めてこの文章を読んだ時は思わず目眩がしてしまったものなのですが、こんな無茶苦茶なコジツケでよくもまあ一夫多妻制を拒否してのけたものですね。
まず、江戸時代における幕府の大名統制と一夫多妻制の問題は、全く無関係かつ何の関連性もありません。
大名家が婚姻を通じて「家の統合」を進めたいと本当に考えるのであれば、それは別に一夫多妻制でなく一夫一妻制下の婚姻であっても充分に進めることが可能です。
世界における政略結婚の歴史を見ても、カスティーリャ王国と王女とアラゴン王国の王子が政略結婚することで両国が統合され成立したスペイン王国、ヨーロッパに君臨したハプスブルク家の政略結婚などは、すくなくとも法的には一夫一妻原則に基づいた婚姻制度下で進められたものです。
大名家を統合するレベルの政略結婚が自由に行えるとなれば、一夫多妻制だろうが一夫一妻制だろうが関係なく推進されるに決まっているでしょう。
政略結婚に使うためのコマは、男女問わず子供をたくさん産んでしまえば済む話でしかありませんし、それこそ「お家のため」となれば自分の意思と関係なく「家が決めた相手」と結婚しなければならない、というのが近代以前の常識だったのですから。
一夫多妻制の導入が大名家の統合を推進するなど、すでにこの時点でトンデモ理論もいいところです。

そしてこれがさらに問題なのは、1615年に制定された「武家諸法度」の存在を完全に無視していることです。
「武家諸法度」には「国主・城主・一万石以上ナラビニ近習・物頭ハ、私ニ婚姻ヲ結ブベカラザル事」という法令があり、大名の結婚は幕府の許可が、その下で働いている武士達のそれは上司たる大名や藩の許可が必要不可欠でした。
日本の戦国時代も、主に同盟の締結を目的とした大名間の政略結婚が盛んに行われており、この経験から江戸幕府は、大名達が政略結婚によって互いに同盟を組んだりすることを阻止するために、大名をはじめとする武士の婚姻を厳しく規制していたわけです。
政略結婚による大名家の統合など「武家諸法度」で合法的に規制できる上に、それに逆らう大名家は改易などの厳罰でこれまた合法的に処分することができるのですから、一夫多妻制をことさらに警戒しなければならない理由はどこにもありません。
歴史考証にすら逆らっているという点においても、コミック版「大奥」における一夫多妻制否定論は論外なのです。

では、これらの問題を全て黙殺すると「家の統合」は可能になるのか?
実は、それでも政略結婚による「家の統合」は不可能なのです。
というのも江戸時代当時における武士階級は「夫婦別姓」が一般的なあり方で、夫に嫁ぐ女性は基本的には実家の姓で呼ばれていました。
現代では「夫婦別姓」というと男女平等を実現する制度であるかのごとく勘違いされていますが、元々「夫婦別姓」というのは、家を守ることを目的に妻を余所者扱いする男女差別的な思想に基づいて作られた慣習です。
前述のスペイン王国の政略結婚が顕著な実例となりますが、政略結婚で「家の統合」をするためには、すくなくとも形の上では妻も夫も対等な立場となる「同君連合」的なものにしなければなりません。
ところが、江戸時代における「夫婦別姓」下では、必然的に夫の家に妻の家が一方的に吸収合併されるという形にならざるをえないため、「同君連合」など成立のしようがないのです。
生まれてくる子供も全員父親の姓を名乗ることになるわけですからなおのことです。
一方の家が他方の家を武力なりカネの圧力なりで無理矢理併合し、その体裁を取り繕うために政略結婚を行う、という形であればあるいは可能かもしれませんが、戦国時代ならいざ知らず、幕府が睨みを効かせている江戸時代にそれをやるのは至難の技もいいところでしょう。
第一、一夫多妻だろうが一夫一妻だろうが、これでは結局「家を潰す」「世帯数が減少する」ことに変わりがありません。
江戸時代における大名統制の実態や武士階級のあり方についてあまり考えることなく、一夫多妻制と「家の存続」などという、本来全く関係のない事象を無理矢理繋げて論を展開したのがそもそも間違いの元なのです。

「赤面疱瘡」の大流行に伴い男性人口が激減した結果、女性が有力な働き手としてクローズアップされるようになったり、「一時的に」「後見人ないしは家長代行的な立場で」男性と同等の権力を行使したりする、という流れは確かにありえることでしょう。
しかし、単純に男子の世継を確保したいというのであれば、側室制度や多産奨励、それに養子縁組などといった様々な解決方法が他に色々と存在するにもかかわらず、それを無視して一挙に女系優先の社会システム移行へ突っ走るというのが何とも不思議でならないんですよね。
「あの」春日局でさえも、「いくらでも側女を抱えてお家を存続させれば良いではありませぬか!!(コミック版「大奥」3巻P165)」と明言しているわけですし、「5人にひとりしか男子が育たない」というのであれば、多産奨励で5人以上男子をこしらえれば良いだけの話ではないですか。
第一、史実の江戸時代でさえも、乳幼児の死亡率は男女問わず、また医学の未発達もあって5~7割以上にも達していたわけなのですから、あえて言えば、【たかだか】作中で描写されている「赤面疱瘡」の存在【程度】のことが、すくなくとも男系を差し置いて女系を優先しなければならない理由に【まで】はなりえないと思うのですけどねぇ。
男系から女系に社会システムが変革されるというのは、「あの」明治維新をもはるかに上回る凄まじいエネルギーを必要とする「革命」である、とすら言えるものなのですから。

さて、「大奥」世界における女系優先社会への変遷を語るにあたり、徳川3代将軍家光と並んでもうひとつ言及しなければならない時代があります。
次回の検証は、作中で「武家の女子存続を決定的にした」とされる徳川5代将軍綱吉について考えてみたいと思います。

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