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2011年10月の記事は以下のとおりです。

映画「ミッション:8ミニッツ」感想

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映画「ミッション:8ミニッツ」観に行ってきました。
シカゴユニオン駅行の列車で発生した爆破テロ事件の犯人を、犠牲者が死亡する8分前の意識に潜り込んで探し出すSFサスペンス。

ストーリーは、主人公コルター・スティーヴンスがシカゴユニオン駅行きの列車の中で目覚めるところから始まります。
向かいの席には女性が座っており、自分に対して親しげに話しかけてきます。
しかしスティーヴンスは、自分のことを「ショーン」と呼ぶその女性に全く見覚えがなく、それどころか自分が何故ここにいるのかすらも理解できないのでした。
当人が主張するところによれば、彼はアメリカ軍人としてアフガンに派遣され任務に従事していたはずだったとのこと。
あまりにも意味不明な反応と、自分が置かれている状況が全く理解できず混乱しまくるスティーヴンスを尻目に、通りすがりの通行人は手に持ったコーヒーをこぼしてスティーヴンスの靴にぶっかけ、車掌は切符の確認を行い、そして列車は終点ひとつ手前のグレンブルック駅に到着します。
停車したグレンブルック駅でひとしきり乗降する客達の様子が映し出された後、列車は終点であるシカゴユニオン駅へ向け発車。
その中で混乱極まったスティーヴンスは、列車のトイレに駆け込み鏡を覗き込むのですが、そこに映し出されていたのは何と自分ではなく、これまた見知らぬ男の顔だったのです。
さらに所持していた身分証明書を見ると、そこには自分ではなく「ショーン・フェントレス」「教師」という文字が。
茫然自失状態でトイレから出てきたスティーヴンスを、先ほど向かいの席に座っていた女性が心配して話しかけてきます。
スティーヴンスは女性と口論状態になってしまうのですが、その最中、乗車している列車が対向してきた貨物列車とすれ違います。
その瞬間、全く突然に爆風がスティーヴンスと女性、さらには列車全体に襲い掛かり、火に包まれた列車は貨物列車をも巻き込み、さらには高架橋から脱線し落下してしまうのでした。

しかし大爆発に巻き込まれた次の瞬間、スティーヴンスは暗いコックピットの中で目を覚まします。
立て続けに発生するおかしな事象にスティーヴンスは混乱するばかりですが、コックピットの中にあるスクリーンに女性が表示されます。
彼女は空軍大尉コリーン・グッドウィンと名乗り、列車の状況を確認してきますが、混乱しているスティーヴンスにマトモな返答ができるわけもありません。
仕方なくグッドウィンは状況を説明するのですが、それによれば彼は「包囲された城」と呼ばれる実験施設で、シカゴで午前7時48分に起こった列車爆破テロ事件の犯人を捜す任務が与えられているとのこと。
「包囲された城」では、特殊なソースコードプログラムを駆使して事件の犠牲者となった人間の記憶から8分前の世界を仮想再現し、そこにスティーヴンスを送り込んで事件の犯人を捜させようとしていたのでした。
彼が選ばれたのは、スティーヴンスはシステムを動かしているソースコードと相性が良かったからだとのこと。
何とか自分がやらなければならないことを理解した主人公ですが、しかし自分が何故ここにいるのかについては全く謎のまま。
そして当然のごとく犯人など見つけられていない主人公は、再び「包囲された城」によって爆破事件8分前に飛ばされてしまうのでした。
目覚めた直後に自分に話しかけてくる女性。
コーヒーをこぼして自分の靴にかけてくる通りすがりの通行人。
そして切符を確認してくる車掌。
先ほどと全く同じ光景が繰り返される中、今度は先ほどとは全く別の行動に打って出るスティーヴンス。
8分しかない上に手がかりもないために何度も「爆破に巻き込まれ再ダイブ」を繰り返しながら、スティーヴンスは少しずつ事件の核心に迫っていくのですが……。

映画「ミッション:8ミニッツ」では、事件8分前に飛ばされる描写が何度も繰り返されながらも、「これはタイムトラベルではない」とされています。
主人公が飛ばされるのは、あくまでも「事件の犠牲者(おそらくは「本物の」ショーン・フェントレス)の頭の中に残されていた生涯最後の8分間の記憶だか意識だかを元に構築された仮想空間」であり、現実の世界とは繋がりのない世界であるとの説明が、システム製作者のラトリッジ博士によって行われています。
つまり、「(主人公が)飛ばされた仮想空間」でどんな歴史改変的な行動を起こしたとしても、【飛ばし元の世界】で過去に起こった結果を変えることはできないのです。
実際、物語中盤で主人公は、向かいの席に座っていた女性クリスティーナ・ウォーレンを列車爆発の前にグレンブルック駅で降ろし難を逃れさせるのですが、戻ってきた世界における「クリスティーナ・ウォーレンの死」という過去の結果は不動のままでした。
ただし、主人公が飛ばされるまでの仮想世界の過去は【飛ばし元の世界の過去】と全く同じなので、そこで得られた情報を元に【飛ばし元の世界】で行動すれば【飛ばし元の世界】の未来を変えることが可能なのです。
列車爆破事件を起こした犯人は、列車爆破に続くテロ事件を画策していたため、そこで犯人が分かればテロ事件を未然に防ぎ、【飛ばし元の世界】の犯人を捕まえることもできるという按配です。
ラトリッジ博士も「未来を救えるプログラム」と豪語していましたが、まさにその通りのシステムと言えますね。

また、主人公であるコルター・スティーヴンスは、犯人探索と並行して自分の父親と何とか連絡を取ろうとし、さらに「包囲された城」がどこの所属なのかを突き止めようとします。
ところがその結果判明したのは、自分が列車爆破事件の2ヶ月前にアフガンで戦死していて、父親がその遺族としてTV出演するという驚愕の事実だったのです。
「飛ばし元の世界」に戻ったスティーヴンスがグッドウィンを問い詰めると、彼の本当の肉体は既に脳死状態で生命維持装置に繋がれており、ただ精神だけが「包囲された城」に投影されているだけの存在になっているとのこと。
物語終盤で彼の肉体が映し出されるのですが、下半身がなく上半身だけコードに繋がれて不気味に動いている状態でした。
もう生き返れる余地もないと知った時のスティーヴンスの絶望ぶりは如何ばかりだったことでしょうか。
さらにシステムの製作者たるラトリッジ博士も、成功すれば自分の功績になるわけですから、ここぞとばかりに何度もスティーヴンスを8分前の世界へのダイブを強制する始末です。
死後までこき使われ続けるスティーヴンスの苦痛と屈辱は想像を絶するものがあったでしょうね。
ついにスティーヴンスは「ミッションを成功したら俺の生命維持装置を切ってくれ」と主張するところまで心理的に追い詰められてしまいます。
結局彼は犯人を突き止めることに成功し、名前と犯人のクルマの車種とナンバーを入手することに成功するのですが、アレまでに一体何回ダイブしていたのやら。
挙句にラトリッジ博士は、実験の成功を受けてスティーヴンスとの約束を反故にし、記憶を消去することでシステムの再利用に活用しようとする始末ですし、あの博士もなかなかの外道っぷりを発揮していますね(苦笑)。

映画「ミッション:8ミニッツ」は、その世界観を理解するのに多少頭を使う必要が出てくる作品と言えます。
序盤でラトリッジ博士がシステムについて行っていた説明を一部引っくり返した感のあるラストも、結構考えさせられるものがありましたし。
SFやサスペンス系の作品が好きという方には文句なしにオススメの映画と言えるのではないかと。

映画「インディペンデンス・ディ」の続編製作企画

1996年公開映画「インディペンデンス・ディ」の続編を、アメリカの映画会社である20世紀フォックスが企画しているとのことです。

http://megalodon.jp/2011-1030-1131-45/www.cinematoday.jp/page/N0036552
>  1996年に公開され、世界中で大ヒットを記録したウィル・スミス主演の映画『インデペンデンス・デイ』のシリーズ第2作・第3作の製作を米20世紀フォックスが企画していることが明らかになった。だが、ウィルが出演するかどうかは未定であり、最悪の場合、ウィル抜きで製作が進むことも考えられるという。
>
>  映画『インデペンデンス・デイ』は、宇宙からの侵略者との戦いを圧倒的なビジュアルで描いたSFパニック・ムービー。映画『ユニバーサル・ソルジャー』『スターゲイト』などで着実にキャリアを積み重ねてきていたローランド・エメリッヒ監督が、『バッドボーイズ』のウィル・スミスを主演に迎えて制作した作品だ。この映画の後、エメリッヒ監督は『GODZILLA ゴジラ』『パトリオット』などの大作・話題作を立て続けに手掛け、ウィルも『メン・イン・ブラック』『ALI アリ』といった代表作に恵まれるなど、二人をハリウッドを代表する監督・俳優に押し上げるきっかけとなった作品ともいえる。
>
>  エンターテインメント情報サイトVultureによると、米20世紀フォックスは、そんな本作のシリーズ化を企画。
すでに3部作構成になることは決定しており、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズのような、第2作と第3作がつながりを持ったストーリーになるとのこと。だが一方で、エメリッヒ監督とウィルの参加は今のところ未定。これは金銭面などの交渉が難航しているためで、早く製作に取り掛かりたい同社は、最悪の場合、ウィル抜きで製作を開始することも視野に入れているという。
>
>  だが、近年ウィルが出演している映画は軒並みヒットを記録しており、その経済効果はスタジオもよく知るところ。それに何より、第1作で主演を務めたウィルが続編に出演しないとなれば落胆するファンも多いはず。シリーズが成功するかどうかは、ウィルにかかっているといっても過言ではなさそうだ。(編集部・福田麗)

映画「インディペンデンス・ディ」と言えば、作中の大統領演説でアメリカを持ち上げる発言が披露されていたことから「アメリカ万歳映画」の代表格として有名な作品です。
のみならず、ハリウッド映画というジャンルそのものまでもが「アメリカ万歳ばかり」などという見当ハズレな揶揄をされるきっかけになった作品でもあったりします。
我らが田中芳樹御大も、この映画をネタにハリウッド映画やアメリカ人を嘲笑していると公言したりしていますし↓

イギリス病のすすめ・文庫版 P185~P186
<田中:
 政権交代があることを当然と思ってるところと、現実にないところではね、意識が全然違う。
ぼくは映画の「インディペンデンス・デイ」に見られるようなアメリカ人のセンスをなにかと言うと笑い話のネタにしてるけども……。(笑)
土屋:
 うん、ぼくもそうだから。(笑)
田中:
 でもまあ、アメリカ人の政治感覚というのもひところけっこうバランスが取れてるって言われてたんだ。共和党の大統領に二期八年やらせたら次は民主党に八年、というのがずーっと続いて……それが崩れたのが、あのレーガン、ブッシュと続いたころからでね。とりあえず二期八年、ここらへんが政治のバイタリティを維持する限界だ、というような知恵がやっぱりあるんだと思うんですよ。>

映画「インディペンデンス・ディ」が「アメリカ人のセンス」を代表する映画だなんて、当のアメリカ人が聞いても驚くのではないでしょうかねぇ(苦笑)。
映画を製作したローランド・エメリッヒ監督のセンス、というならばまだ妥当かもしれませんが。
以前にも書いたことがありますが、ハリウッド作品は「アメリカ万歳映画」よりも「アメリカの政府や社会を風刺したり批判したりする映画」の方が数的にはむしろ多いくらいなのですけどね。

まあもちろん、映画「インディペンデンス・ディ」に限定すれば、ハリウッド映画そのものの評価にまで影響を及ぼしたほどの「アメリカ万歳映画」であろうことは、私も認めざるをえないところです。
その続編となれば、やはり大統領がアメリカを持ち上げまくって民衆が歓声の雄叫びを上げる「アメリカ万歳映画」の性格をも受け継ぐことになるのでしょうか?
「インディペンデンス・ディ」は、話のスケールがとにかく大きく、迫力ある演出は良く出来ていた作品だっただけに、その部分は是非受け継いで欲しいところではあるのですけどね。

映画「三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船(3D版)」感想

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映画「三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船(3D版)」観に行ってきました。
アレクサンドル・デュマ原作小説「三銃士」をベースにしつつ、飛行船をはじめとする妙に近代的な兵器が多数登場するなど、全く新しいオリジナルストーリーが繰り広げられる冒険活劇作品。
2D版/3D版同時公開の今作ですが、2D版は残念ながら都合により時間が合わず、結局3D版で観賞する羽目と相成りました(T_T)。
個人的に「三銃士」と言えば、かつてNHKで放映されていた「アニメ三銃士」の印象が強いですね。
アレ以外で観る「三銃士」というのは、実は今作が初めてだったりしますし(^^;;)。

物語最初の舞台はイタリアのヴェネチア。
夜のヴェネチアの街で、三銃士の名で知られるアトス・ポルトス・アラミスが、それぞれの個性に応じた方法でとある鍵を入手するところから始まります。
三銃士のリーダー格であるアトスには恋人らしき女性ミレディ・ド・ウィンターが同伴しており、三銃士の任務に協力しています。
三銃士達とミレディは、とある建物で入手した3つの鍵を使い、床に隠されていた地下へと続く秘密の階段を開きます。
そして、通路に仕込まれていた罠をかいぐぐった一行は、通路の奥の部屋を漁りまくった末、ある図面を発見して歓声を上げます。
それはダ・ヴィンチが設計したという飛行船の設計図で、一行はこれの奪取を目的に、フランスからはるばるヴェネチアまでやってきていたのでした。
侵入者の存在に気づいた追っ手からも何とか逃れた一行は4人で祝杯を挙げるのですが、ここでミレディが三銃士達を裏切ります。
ミレディは、三銃士達のグラスに麻痺?毒を仕込み、彼らを行動不能状態にしてしまったのです。
それに乗じてどこからともなく姿を現したのは、ミレディと取引をして裏切らせたイギリスのバッキンガム公爵。
彼はミレディの毒にやられた三銃士達を嘲笑しながらも生命までは奪わず、アトスの手から飛行船の設計図を奪い去っていくのでした。

それから1年後。
ガスコーニュの片田舎から、ひとりの青年がフランスの王都パリへとやってきました。
彼の名はダルタニアン。
元銃士だったという父親に倣い、自らも銃士になる夢を抱いてパリへと上京してきたのです。
しかし、パリについて早々、彼はいきなりトラブルに巻き込まれます。
通りかかった酒場で馬を世話していた際、たまたまその場に居合わせていたリシュリュー枢機卿の腹心であるロシュフォールとその取り巻き達が、ダルタニアンと馬を馬鹿にし始めたのです。
これに激怒したダルタニアンはロシュフォールに決闘を挑むのですが、ロシュフォールは隠し持っていた短銃でダルタニアンを撃ち、あっさりダウンさせてしまいます。
ここぞとばかりにダルタニアンにトドメを刺そうとしたロシュフォールでしたが、そこへ馬車が通りかかり、ロシュフォールを制止します。
馬車に乗っていたのは、1年前にヴェネチアで三銃士達を裏切った「あの」ミレディ。
ロシュフォール達は剣を収め、ミレディと共にその場を去っていくのでした。
その屈辱が忘れられないダルタニアンでしたが、その後パリの街を歩いていた際に早くもロシュフォールの姿を目撃します。
すぐさま先日の雪辱を晴らさんと追跡を開始するダルタニアンでしたが、その直後にたまたまその場に居合わせていた三銃士のリーダー・アトスとぶつかってしまいます。
2人は口論の末、とある広場で12時に決闘をすることでとりあえず話をつけ一旦別れます。
しかし再びロシュフォールを追いかけ始めたダルタニアンは、その後も引き続きポルトスとアラミスともイザコザを起こす羽目になり、同じ広場にそれぞれ1時と2時に決闘を行うと宣言することになります。
そして約束の12時、決闘をするために広場に集まったダルタニアンと三銃士達は、しかしそこでロシュフォールの部下が率いる衛兵部隊40人に包囲されてしまい……。

映画「三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船」では、映画「バイオハザード」シリーズで主人公を演じたミラ・ジョヴォヴィッチが悪女ミレディ役で登場します。
物語の序盤から中盤にかけて、彼女は主人公ダルタニアン&三銃士達を遥かに凌駕する活躍で存在感をアピールしていました。
また、その活躍の仕方やアクション系の描写も、他ならぬ「バイオハザード」でミラ・ジョヴォヴィッチ自身が演じた主人公アリスを彷彿とさせるものがありました。
序盤の隠し通路の罠をかいくぐるシーンや、王妃の首飾りを奪う辺りの描写などは、まさに「バイオハザード」そのものでしたし。
映画の宣伝でも「バイオハザードの監督が手掛けた……」というのが謳い文句になっていましたし、狙ってやった側面もあったのでしょうけどね。

今作における見所は、やはり何と言ってもミラ・ジョヴォヴィッチのミレディと、クリストフ・ヴァルツが演じたリシュリュー枢機卿でしょうね。
様々な権謀術数を巡らすこの2人は「悪役」としての貫禄がたっぷりにじみ出ていて、他の登場人物と比べて存在感が際立っていました。
逆に主人公のダルタニアンとバッキンガム公爵は、それぞれ主人公と悪役という重要な役柄を担っているにもかかわらず、活躍度も出番も今ひとつだった印象が多々あります。
2人共、作中の言動からはナンパ師的かつ軽薄なイメージが前面に出すぎていて「良家のお坊ちゃん」的なイメージがどうにも否めないんですよね。
コンスタンス相手に正真正銘の3流ナンパ師ぶりを披露しているダルタニアンはともかく、バッキンガム公爵はリシュリュー枢機卿やミレディと互角に渡り合っている人物であるはずなのに、それでも「軽い」印象が常に付き纏うというか……。
この2人、今作では一種の「顔見せ興行」程度の役回りしか担っていなかったのではないかと思えてなりませんね。
ラストの描写を見ても、予算と人気が許す限りにおいて続編が製作されるであろうことは確実ですし、彼ら2人は続編における活躍と成長でその真価を発揮することになるのでしょうか。

あと、物語後半における重要アイテムとなる「王妃の首飾り」ですが、アレってわざわざバッキンガム公爵やミレディ、それにリシュリュー枢機卿の部下達があそこまで必死に守らなければならないシロモノだったのでしょうか?
ルイ13世に不倫疑惑をかけられた王妃や、コンスタンスを介した王妃の依頼でそれを取り戻さんとするダルタニアン&三銃士達には、確かに「王妃の首飾り」を奪還しなければならない理由もあるでしょう。
しかし、それを迎撃する側にしてみれば、最悪でも「王妃の首飾り」が王妃側の手に渡りさえしなければ、それで自分達の勝利条件を充分に達成することができるわけです。
となれば迎撃側としては、「王妃の首飾り」をどこか誰の目にも届かず探索すらも不可能な場所、たとえば大西洋のど真ん中にでも捨ててしまった方が、どんなに厳重な警戒態勢を布くよりもはるかに安全確実だったのではないかと。
あるいは、「王妃の首飾り」を跡形も無く徹底的に破壊・粉砕してしまっても良いでしょう。
そうすれば王妃側は、その時点で「王妃の首飾り」の奪還自体を不可能にされてしまい、陰謀は誰にも止められなくなるのですから。
迎撃側にとって「王妃の首飾り」自体の存在価値は全くと言って良いほどないわけですから、そういう選択肢を取ることも十分に可能だったはずなのですけどね。
何故わざわざ「奪回してくれ」と言わんばかりに余計なリスクを抱えようとするのか、正直理解に苦しむものがあったのですが……。

ラストでバッキンガム公爵が率いていた海と空の大艦隊を見る限り、続編ではイギリスとフランスの全面戦争にでもなりそうな雰囲気でしたが、続編が出るとしたらどんなストーリーが展開されるのか、気になるところではありますね。

地方の道路事情を無視した警察庁の自転車規制強化方針

幅3m未満の歩道における自転車の通行を事実上禁止し、車道を走らせる方針を固めた警察庁。
自転車利用者のマナーの悪さに対する抜本的な対策、ということらしいのですが……↓

http://megalodon.jp/2011-1027-2346-52/mainichi.jp/select/wadai/news/20111026ddm001040017000c.html
>  自転車の交通ルール違反が後を絶たず、事故も多発していることから、警察庁は25日、自転車の原則車道走行を促すことを柱とする自転車交通総合対策をまとめ、全国の警察本部に通達した。自転車通行が可能な歩道を減らし、自転車レーンの整備を進めることにより、自転車と歩行者の分離を図り、悪質で危険な運転の取り締まりも強化する。歩道走行を事実上容認してきた従来の姿勢を転換した。
>
>  「自転車通行可」の標識がある歩道は全体の46%を占める。このうち
幅3メートル未満の歩道について警察庁は、自転車の走行を原則禁止する方向で検討するよう指示。ただし、幼児やお年寄りは除外し、車の交通量が多く車道走行が危険な場合なども例外と位置付ける。どの歩道を見直しの対象とするかは交通事情に応じて各警察本部が判断する。
>
>  また、自転車が通行しやすい環境を整備するため、縁石などで車道と区切られた自転車道や、自転車専用通行帯(自転車レーン)を増やすことも総合対策に盛り込んだ。
>
>  街頭での取り締まり強化も指示した。速度を上げて走る自転車は車道を走行するよう指導し、やむを得ず歩道を走る場合は徐行するよう注意する。注意に従わなかったり、ブレーキをつけないピスト(競技用自転車)など悪質な違反には交通切符(赤切符)を切って摘発する。
>
>  統計によると、昨年の自転車関連事故は15万1626件で交通事故全体の2割を占め、死傷者の3分の2にルール違反があった。
自転車利用者のマナーの悪さに対する批判も絶えず警察庁は抜本的な対策を検討していた。担当者は「今回の総合対策で自転車は『車両』であることを徹底し、ルール順守の意識を浸透させたい」と話している。【鮎川耕史】

東京などの大都会はともかく、自転車を走るスペースが車道にない上、歩道に誰ひとり歩いてない道路も少なくない地方で、こんな法規制を強化しても無意味どころか有害ですらあります。
ハイスピードで走行するクルマやトラックのすぐ真横を自転車で走行するなど、自殺行為以外の何物でもないのですが。
何故こんな現実と著しく遊離した方針を警察庁は打ち出したのでしょうか?

そもそも「自転車事故が増えた」とはいっても、その大部分は「【歩道における】歩行者との接触事故」ではありません。
自転車事故の75%は「自転車と自動車による【車道での】接触事故」であり、さらに22%はこれまた「自転車と自動車による【横断歩道での】接触事故」なのです。

http://www.itarda.or.jp/itardainfomation/info47.pdf
<当然のことながら、全体の75%は車道上で発生しています。その次に多いのは横断歩道上の22%です。>

歩道から自転車を締め出したところで、車道での事故が激増するだけでしかないことは、この自転車事故の内訳を見ても一目瞭然です。
東日本大震災の影響で自転車通行者が急増したと言っても、自転車と自動車の接触事故を凌駕するほどの勢いなんてないに決まっているでしょうに。
地方では自転車で歩道を走っていても、歩行者に出会うことすら珍しいくらいなのですよ?
全体で僅か3%前後しかない歩行者との事故を避けるために、その25倍以上もの(自動車を相手にした)リスクを、自転車通行者は背負わなければならないとでもいうのでしょうか?

また各自治体の道路行政を見ると、元々は自転車・自動二輪車専用の路線があったにもかかわらず、自動車の交通の便を良くするためにわざわざそれを潰して二車線の自動車道路にした事例も多々あったりします。
福岡市中心地から筑紫野市までを繋ぐ福岡県道31号福岡筑紫野線なんてまさにその典型例で、一部にかなり狭い二車線道があるのはその名残だったりするんですよね。
もちろん、自動車の渋滞問題を解消するという観点から言えば、その道路拡張には大いに理と利があったわけですが、その副作用で自転車や自動二輪車はかなり通りにくい道路になってしまっています。
自動車側の都合から自転車が安全に走れる環境を自ら潰しておきながら、その危険性を顧みることなく車道を走れというのは暴論もいいところでしょう。

今回の方針決定で警察庁は「自転車は『車両』であることを徹底し、ルール順守の意識を浸透させたい」などと主張しています。
しかし、そもそも現状の道路事情では「自転車は『車両』」とする道交法自体が現実離れしているとしか評しようがないんですよね。
現実と法律が合致していないのであれば、法律を現実に合わせて改正すべきはずなのですが、警察がやろうとしているのはその逆の「法に合わせて現実を変える」ですらなく、ただひたすら「現実を無視して法をゴリ押しする」行為でしかありません。
ただ自転車通行者を締めつけるだけの法規制を強化徹底することよりも、法そのものの改正や自転車交通環境の改善整備、自転車マナー教育の充実など、優先してやるべきこと&やれることはたくさんあるように思えてならないのですけどね。

盗作疑惑で提訴された映画「エクスペンダブルズ」

映画「エクスペンダブルズ」に盗作疑惑が発生しました。
脚本家のマーカス・ウェブ氏が、自身で執筆した「ザ・コブラ・ケーパー」と「エクスペンダブルズ」の内容が著しく酷似していることから、「エクスペンダブルズ」の製作会社および製作関係者をマンハッタン連邦地裁に提訴したのだそうで↓

http://megalodon.jp/2011-1027-1751-46/woman.infoseek.co.jp/news/celebrity/story.html?q=hollywood_27Oct2011_20713
> シルヴェスター・スタローンが監督を務めた映画『エクスペンダブルズ』(10)を巡り、ある脚本家がシルヴェスターを訴えていることが明らかになった。
> 同作は、シルヴェスター扮するバーニー・ロスが率いる傭兵部隊「エクスペンダブルズ」が、ある小国の独裁者であるガルザ将軍の軍事政権を壊滅させる依頼を受ける内容になっている。
> その同作に対し、脚本家のマーカス・ウェブ氏が、すでに2006年に米国著作権局に登録されている、独裁者ガルザ将軍を打ち負かすために雇われた傭兵一団を描いた自身の短編映画の脚本の盗作であるとして訴えている。
> 今週、マンハッタン連邦地裁に提訴したウェブ氏は、
『エクスペンダブルズ』の脚本は自身の執筆した『ザ・コブラ・ケーパー』に著しく似ており、全く同じ部分もあることを申し立てているという。
> ウェブ氏は損害賠償と、シルヴェスターと脚本を共同執筆したデイヴ・カラーハン氏、製作会社のミレニアム・フィルムズ(ニュー・イメージ)社、そしてライオンズゲート社に対し、今後の権利侵害を禁止する裁判所命令を求めている。
> この裁判によって、来年8月17日に全米公開が予定されている続編の『エクスペンダブルズ2』(原題)にも何らかの影響が出る可能性もある。この続編にはアーノルド・シュワルツェネッガーやブルース・ウィリス、ジョン・トラボルタらが出演するといわれている。
ウェブ氏の主張が裁判で認められると、今後この豪華な出演陣が見られなくなるかもしれない。【大芝 エリナ】

実際に盗作なのかどうかについては、「ザ・コブラ・ケーパー」の脚本内容を見て作品同士を比較してみないと何とも言い難いところですね。
そもそも、映画「エクスペンダブルズ」って去年公開(アメリカでは8月、日本では10月)のはずなのに、何故公開から1年以上も経って今更訴えているのかという疑問もありますし。
まあ、著者が今まで「エクスペンダブルズ」に無関心だったのが、最近たまたま接する機会があって観賞したら盗作が発覚した、ということなのかもしれませんが。
「エクスペンダブルズ」は既に続編製作も決定し2012年8月の全米公開も発表されているのですが、この裁判の行方次第では続編の動向にも少なからぬ影響が出るのは必至です。
前作はそれなりに楽しめただけに、続編も劇場公開を果たして欲しいところではあるのですが……。

ただ、個人的には「盗作」というと、4年前から盗作評論家として勇名を轟かせている「と学会」の某P&Gテンテーのことを想起せずにはいられませんね(苦笑)。
まさかシルヴェスター・スタローンを始めとする製作関係者や製作会社がアレほどまでの失態を演じるとは思えないし、思いたくないところではあるのですが、盗作の真偽がどうあれ、何とか穏便かつ円満に解決して欲しいところではありますね。

銀英伝舞台版のキャストによるリレー動画最終配信と内容まとめ

銀英伝舞台版公式サイトで、「オーベルシュタイン編」宣伝用リレー動画のラストを飾る5回目の動画がアップされています。
最後の出演キャストは主人公でオーベルシュタイン役の貴水博之で、オーベルシュタインに対する思い入れや、テーマソングについてのこだわりについて語っています。

銀英伝舞台版公式サイト
http://www.gineiden.jp/
オーベルシュタイン編のキャスト&スタッフ
http://www.gineiden.jp/cast.html
出演キャストリレー動画第5回 貴水博之
http://www.gineiden.jp/oberstein/comment05.html

これまでのリレー動画の内容をまとめると、各キャストが演じるキャラクターは以下のようになっているようですね↓

貴水博之  = パウル・フォン・オーベルシュタイン
 今回の主人公
岸祐二   = シュテファン・ノイマン
 主人公の兄
増沢望   = オトマール・フォン・オーベルシュタイン
 主人公の父親、厳格な性格?
陰山泰   = ラーベナルト
 オーベルシュタイン家の執事、原作にも登場
船戸慎士  = ビットラン少将
 主人公の上司、何かの長官?
松村泰一郎 = シュテファン・ノイマン(少年期)
 さらに過去の時代のシュテファン・ノイマンを演じる配役あり

結局、主要キャストのひとりとして紹介されていた伊藤哲哉の役は不明のままですね。
彼だけ役が発表されないということは、何かストーリーに関わる重要なキーパーソンとしての役割を担うことにでもなるのでしょうか?
ストーリー自体、「オーベルシュタインの過去話」ということ以外は何も公表されていませんし、役を発表すること自体が一種のネタバレになってしまう問題でもあるのかもしれません。
原作ベースのためにストーリー内容が最初から分かりきっている正伝に対し、外伝は完全なオリジナルストーリーこそが最大の売りでしょうからね。
そういった「大人の事情」があったりするのかなぁ、と。

オーベルシュタイン編の舞台公演開始もいよいよ11月3日に迫り、舞台稽古も本格化しているようですが、果たして舞台の出来はどのようなものになるのでしょうか?

映画「カウボーイ&エイリアン」感想

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映画「カウボーイ&エイリアン」観に行ってきました。
1873年のアメリカ・アリゾナ州を舞台に繰り広げられる、カウボーイ・ならず者・インディアンの連合軍とエイリアン達との戦いを描いた、ダニエル・クレイグ&ハリソン・フォード主演の作品。

物語は、荒野のど真ん中でひとりの男が飛び起きるところから始まります。
男は記憶を失っており、右前腹には謎の傷、さらに左腕には何やら得体の知れない銀の腕輪が装着されており、男が何をやっても外すことができません。
そんな男の元へ、馬に乗った3人の男が近づいてきます。
アブソリューションの町に向かっているという3人の男達は、腕輪の男に対し非友好的な態度で接した上に銃を向けてきます。
しかし腕輪の男は彼らをあっさりと返り討ちにしてしまい、逆に彼らの身包みを剥いでカウボーイ的な身なりを整えた腕輪の男は、3人の男達が向かう予定だったアブソリューションの町へと向かうことになります。

町に入った腕輪の男は、町を牛耳っているカーネル・ウッドロー・ダラーバイドの息子であるパーシー・ダラーバイドと酒場のマスター・ドクとの諍いに巻き込まれます。
父親の権威を振り回して酒場の料金を踏み倒そうとした挙句、ドクへの見舞金と称して町の住民からカツアゲをしようとするパーシー。
この三下同然のカツアゲ行為は腕輪の男にも及ぶのですが、腕輪の男はパーシーに痛烈な一撃を与えてダウンさせます。
怒り狂ったパーシーは腕輪の男に銃を向け発砲するのですが、その際手元が狂ってしまい、銃弾は腕輪の男ではなく、たまたまその場に居合わせていた保安官補に命中。
保安官を撃ったという罪により、パーシーは保安官によってブタ箱に収監されてしまいます。
その後、腕輪の男は酒場に入り、ウィスキーを注文するのですが、そこに近づいてくる女がひとり。
エラと名乗った彼女は、腕輪の男が記憶喪失であることを最初から知っているかのような口ぶりを披露し、男について何か知っているかのような言動を披露します。
不審を抱いた腕輪の男ですが、そこへパーシーを収監した保安官達が酒場に入り、何やら物々しい雰囲気で腕輪の男に同行を求めてきます。
保安官によると、腕輪の男の正体は、駅馬車を襲撃して強盗・殺人等の容疑で指名手配されているジェイク・ロネガンという人物だとのこと。
捕まってたまるかとばかりに、腕輪の男改めジェイク・ロネガンは保安官達相手にまたもや大立ち回りを披露するのですが、エラに側頭部を強打され昏倒、めでたく彼もブタ箱に収監されてしまうのでした。

そしてその日の夜、別の町で裁判を受けるためなのか、鎖に繋がれた状態で馬車に乗せられたパーシーとジェイク。
そこへ、町の支配者であるカーネル・ウッドロー・ダラーバイドが、息子を取り戻さんと手下を率いて押しよせ、息子の返還を保安官に要求します。
両者まさに一触即発の雰囲気となったまさにその時、突如空から謎の飛行物体が現れ、町全体に無差別攻撃を開始してきたのです。
突然奇襲された上、空を自由に飛びまわる飛行物体に、町の人達は全く対抗する術がありません。
謎の飛行物体に次々と捕獲されていく町の人達。
そんな中、混乱のドサクサに紛れ馬車から脱出したジェイクは、自分に迫り来る飛行物体に対し、銀の腕輪が装着された左手を掲げます。
すると、その銀の腕輪から強力な光と衝撃波が発せられ、それに命中した飛行物体は無様に墜落してしまうのでした。
残った町の住民の目が飛行物体に集中する中、その近くの家屋で上がる悲鳴。
その家屋からは見たこともない足跡がどこかへ続いており、その先に謎の飛行物体の根拠地があるのではないかと推察されました。
自身も息子パーシーを謎の飛行物体に拉致されてしまったカーネル・ウッドロー・ダラーバイドは、囚われた人々を救うべく、自らを長とする調査隊を結成するのですが……。

映画「カウボーイ&エイリアン」に登場するエイリアン達は、他作品に登場するエイリアン達と比較するとかなり弱い印象が否めませんね。
たとえば映画「世界侵略:ロサンゼルス決戦」に登場するエイリアンは、ちゃんと急所に当てないと重火器の集中砲火を浴びてもピンピンしていますし、映画「スカイライン-征服-」では自由に空を飛べる上に桁外れの生命力を持つエイリアンが登場します。
これに対し、今作に登場するエイリアン達は、身体的には人間より大きくかつ素早い&力もあるものの、19世紀レベルの片手拳銃や弓矢程度の武器で倒すことが可能だったりします。
物語後半では、10歳程度の少年が突き出したナイフで殺されてしまったエイリアンもいましたし。
エイリアン達が操縦しているらしい飛行物体については、さすがに主人公の銀の腕輪以外に対抗手段がないようなのですが、やはり全体的には「19世紀の人間社会」に対応する形でエイリアン達のレベルが下がっているとしか言いようがないですね。
まあそうしないと、作中のカウボーイやインディアン達がエイリアンに勝利どころかマトモに対抗すらできないのですから、作品構成的には当然の措置ではあるのですが。
他作品に登場するレベルのエイリアンが相手だったら、空を飛ぶ手段すらない19世紀レベルの人間社会では、既に戦う前から敗北しているようなものですからねぇ。

一方、主人公が持つ銀の腕輪の破壊力はとにかく凄まじく、またエイリアンのみならず対人間についても有効な武器として機能しています。
弾数制限がない上、人間もエイリアンも飛行物体もただの一撃でそれも百発百中で破壊できる上、特に人間相手の場合は「武器と判断されない」という強みもあります。
作中で主人公達がならず者達に包囲された際も、拳銃を押収し安心しきっていたならず者集団に対し多大な力を発揮していましたし。
ただ、そこまで強力な武器であれば当然エイリアン達も多用しているのではないかと考えていたのですが、物語終盤のエイリアンとの決戦でも、その手の武器をエイリアン達があまり使用していなかった印象がありますね。
確かに一部のエイリアン達は重火器を使っていましたが、カウボーイやインディアン達が戦いを挑んだエイリアン達の大半は素手で戦っていたりします。
エイリアン達が人間達を舐めきっていたことと、航空戦力に依存しきっていたのにそれを奇襲で封じられたこと、その手の武器が元々少数しかなかったらしいことがどうも原因ではあるようなのですが。
作中のエイリアン達はただ1隻の宇宙船しか持っていなかったようでしたし、エイリアン側も「国(に相当する勢力)を挙げて」というよりは「中小企業(に相当する組織)レベル」の集団だったのではないかと。
だからこそ、人間達にも反撃の余地があったのでしょう。

また、今作におけるエイリアン達が地球にやって来たのは「金(きん)」の獲得が目的だったのだとか。
彼らは金鉱脈を発見し採掘していたのみならず、何らかの貴金属を身につけている人間達からも金を収奪するために拉致していたようで。
記憶を失う前の主人公も、馬車を襲撃して金貨を手に入れたことが災いしてエイリアン達に拉致されていたという経歴が作中で披露されていますし、他にも拉致した人間から取り上げたらしい金属時計の類が、採掘されている金と一緒に多数転がっている描写があったりします。
この辺りは、「水の収奪」を目的としていた映画「世界侵略:ロサンゼルス決戦」登場のエイリアン達と傾向が似ていますね。
今年はエイリアン映画の当たり年ということもあり、私も複数のエイリアン映画を観に行っているのですけど、エイリアンにも色々な個性があるものなのですねぇ。
まあ当たり前ではあるのでしょうけど。

西部劇とエイリアン物が融合した作品ではありますが、どちらかと言えば西部劇的な要素や人間ドラマの方が出来は良いですね。
エイリアン系は、作品単独としてはともかく、やはり他の作品と比較すると地味かつ規模が小さな印象を受けますし。
西部劇系が好きな人には文句なくオススメ、といったところでしょうか。

10月22日は田中芳樹の誕生日(満59歳)

10月22日は田中芳樹の誕生日です。
本日で満59歳になります。
例によって例のごとく、当人にとっては心の底から忌々しい厄日なのでしょうけど(苦笑)。

しかしまぁ、田中芳樹は年齢と共に作品の質が劣化の一途を辿り、遅筆の惨状はさらに酷くなる一方なのですが、アルスラーン戦記・タイタニア他、既存のシリーズ作品が完結する日は果たして来るのでしょうか?
東京創元社の新刊情報によれば10月31日に刊行されるらしい「髑髏城の花嫁」が、実に2年ぶりの新刊と来ていますからねぇ(-_-;;)。
薬師寺シリーズのごとき「ストレス解消」目的のゴミ小説ですら、4年近くも停滞しきっているわけですし。
創竜伝なんてもう書く気もなければ「(作品世界と現実とのズレが酷すぎて)書くこともできない」状況でしょうし、いいかげん「書く気のない」「書けない」シリーズ作品は打ち切り宣言でもすべきなのではないですかねぇ。
一昨年から続巻について公言しているタイタニアのごとく「書く書く詐欺」なんてやられても、読者としては迷惑な限りでしかないのですが。

今更打ち切り宣言などやったところで、大多数の読者の反応も「ああ、やはりか」的なものにしかならないでしょうし、何を躊躇う必要があるのか理解に苦しむところではあるのですけどねぇ。

ソニーがPS4の開発に着手?

英国のゲーム業界紙Developによれば、ソニーがプレイステーション(PS)4向けのプロジェクトに取り組み始めたとのこと。

http://megalodon.jp/2011-1021-2300-18/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111021-00000003-isd-game

正直、ゲームソフトの開発費用の高騰と、PS3のハード性能を100%出し切っているとは言い難いゲームが多い現状では、新しいゲーム機を出してもあまり売上に繋がらないように思えてならないのですけどね。
PS3はそもそもPS2と比較してもソフトが少ないですし、ほとんど「PS/PS2との互換性&DVD機能でかろうじて維持できているハード」というイメージも否めません。
今ではゲーム機と比較すればはるかに低性能なはずのPCゲームや携帯ゲームの方が、「開発費が安価」ということもあって隆盛を極めている状況ですからねぇ。
この状況で次世代ゲーム機が劣勢を挽回するというのはかなり難しいのではないかと。

Nintendo Wiiの場合はその斬新なプレイ手法による「家族皆で楽しめる」「スポーツ感覚で楽しめる」等のゲームを多数輩出したことで、それまでゲームとは全く無縁だった新規ユーサーの取り込みに成功しましたが、PS4が成功するとしたらこれと同じくらいの開発思想の転換が必要でしょう。
ソニーがどういう構想でもって今のゲーム機を取り巻く現状を打破するつもりなのか、注目ですね。

「反日」を「青春」と言い換える映画「アジアの純真」

ファイル 448-1.jpg

2011年10月15日より「アジアの純真」なる映画が劇場公開されています。
何でも、北朝鮮による日本人拉致事件が公になった2002年の日本を舞台に、日本人のチンピラに姉を殺された在日朝鮮人の少女と日本人の高校生が、旧日本軍の毒ガスを武器に復讐の旅に出るというストーリーなのだそうで↓

シネマトゥデイの映画紹介
http://megalodon.jp/2011-1016-2011-58/www.cinematoday.jp/page/N0036153
「アジアの純真」公式サイト
http://www.dogsugar.co.jp/pureasia

目撃者がいる目の前で人を殺しておきながら目撃者の始末すらしないチンピラとか、立派な殺人事件なのに全く動かない警察とか、60年以上経過しても保存状態良好の毒ガスが無造作に置かれているとか、公式サイトの予告編やストーリー紹介を見ただけでも凄まじいレベルでツッコミどころ満載の映画としか言いようがないですね。
しかも、件の少年少女が復讐のターゲットに選んだのが、何と件のチンピラとは全く無関係の北朝鮮拉致被害者家族の会というのですから、とんだ八つ当たり&被害妄想もいいところです↓

http://www.cyzo.com/2011/10/post_8779.html

こんなのが「アジアの純真」だというのですから、もう笑うしかないと言うか……。

さらにこの映画、公式サイトの紹介動画を見る限りでは演出と描写にも多大な問題があって、何と最初から最後まで全てカラー無しの「白黒映画」なんですよね。
公式サイトでも「白黒の奇跡」などと絶賛しているようなのですが、今のこの時代に白黒映画って、それだけで観客の大多数は敬遠せざるをえないでしょうに。
この辺り、「臨場感ある描写を撮る」という目的から、上下左右ブレブレな酔っ払い映像を提供して大顰蹙を買った映画「クローバーフィールド/HAKAISHA」と同じ種類の腐臭を感じずにはいられませんね。
半世紀前に公開していればヒットしたかもしれませんが、今の御時世と映像技術でこれがブレイクするとはとてもとても……。

最初から「笑いのネタ」として割り切って観る分にはさぞかし愉快な映画なのかもしれませんが、貴重なカネと時間を浪費してまで観るべきものなのかどうか微妙ですね。
まあ、全国的に見ても大都市5箇所の映画館でしか上映されないのでは、私のような地方の人間が観賞する機会はまずないでしょうけど。

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