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2013年06月の記事は以下のとおりです。

映画「エンド・オブ・ホワイトハウス」感想

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映画「エンド・オブ・ホワイトハウス」観に行ってきました。
タイトルが示す通り、アメリカのホワイトハウスを舞台に繰り広げられるアクション映画。作中では無差別銃撃などで人が血を撒き散らしながら大量に死んでいく描写が存在するため、PG-12指定されています。

今作の主人公マイク・バニングは、アメリカ大統領ベンジャミン・アッシャーおよびその一家を警護するシークレット・サービスの一員。
大統領のスパーリングの相手になったり、大統領の息子コナー・アッシャーと親しく会話していたりと、彼は護衛対象たる大統領一家からも大きな信頼を寄せられていました。
しかし、クリスマスが近いある年の12月、大統領専用の別荘地キャンプ・デービットから選挙資金調達の用事で外出する大統領一家を警護する任に当たっていたマイク・バニングは、そこで不測の事態に直面することになります。
雪が舞う林道を走っている最中、大統領の専用車を先導する警護のクルマに大枝が落下。
パニックに陥った先導車は、ちょうど橋がかかった川に差し掛かったこともあり、大統領専用車を巻き込む形で橋からダイブして川に転落してしまいます。
それに巻き込まれた大統領専用車もまた、橋の淵にかろうじて引っかかった状態で今にも川へ転落しようとしていました。
大統領を救出すべく急ぎ駆けつけたマイク・バニングは、一刻を争う事態ということもあり、妻を助けようとする大統領の身柄の確保を優先して大統領を車から引っ張り出します。
ところがその直後、橋に引っ掛かることで辛うじて保たれていたクルマのバランスが崩れ、大統領専用車はファーストレディを乗せたまま、川へと転落してしまったのでした。
当然のごとくファーストレディは死亡。
大統領と息子は大いに嘆き悲しみ、マイク・バニングもまた、任務を果たせなかったことに自責の念に駆られることになってしまうのでした。

それから約18ヶ月後の7月5日。
ファーストレディを救出できなかった責任を問われたマイク・バニングは、シークレット・サービスの任務から外され、閑職も同然の財務省の国庫課に異動となっていました。
件の事件以来、彼は妻との関係すらも上手く行かなくなってしまい、あの時のショックから未だ完全には立ち直れずにいるのでした。
この日、アメリカ大統領は、北朝鮮との緊張状態が続く韓国の大統領と、ホワイトハウスで会談を行う予定となっていました。
シークレット・サービスによる厳重な警戒体制が敷かれる中、韓国側の護衛と共にホワイトハウスに現地入りする韓国の大統領。
しかしそんな中、一機のC-130輸送機がワシントンD.C.の飛行禁止区域へと侵入。
当然、2機の戦闘機がスクランブル発進して輸送機に警告を与えるのですが、C-130は警告を無視したばかりか突如発砲を開始。
その場で戦闘機を撃墜した上、ワシントンD.C.の市街地に向けて無差別の銃撃を開始し一般人を虐殺し始めます。
危機を察知したアメリカ大統領およびその周囲は、韓国の大統領と共に、ホワイトハウスの地下にある危機管理センターへと避難することになります。
しかし、時を同じくしてホワイトハウス近辺で大規模な襲撃が開始され……。

映画「エンド・オブ・ホワイトハウス」は、久々に「古き良き正統派」なハリウッドアクション映画とでもいうべき内容ですね。
主人公が単身敵に挑む設定といい、主人公以外の味方が無為無力どころかむしろ足を引っ張ってすらいる点といい、どことなく「ダイ・ハード」シリーズや「沈黙」シリーズのノリに近いものがあります。
主人公は最初から最後まで孤立無援の状態を維持し続けていますし、数十人規模の少数精鋭集団をたったひとりのアクションで制圧していく光景は、ハリウッド映画では見慣れたものではあるにせよ、それ故に安定的な面白さを観客に提供してくれています。
主人公は物語冒頭の事件をトラウマ的に引き摺っているため、キャラクター的には少々暗い性格になってしまってはいるのですが、終盤では「事件を解決した英雄」として名誉が回復し、ハッピーエンドで終わるところもポイントですね。
良くも悪くも、往時のハリウッドアクション映画のあり方を踏襲した作品と言えるのではないかと。

公式サイトに掲載されているプロダクションノートによれば、作中におけるホワイトハウス襲撃は「実際にそんなことが可能なのか?」というシミュレーションを重ねた末に考え出されたものなのだそうです。
特に感心したのは、ホワイトハウス襲撃日を7月5日に設定した理由で、この日はアメリカ独立記念日の翌日で、前日の記念式典等で出たゴミを処理するための大型トラックが多数出動するので、それをテロリスト達が利用できるからというもの。
これらの大型トラックは、作中ではホワイトハウスに繋がる道路の封鎖や、警察や軍からの攻撃に対する防塞として大いに機能していました。
物語の設定や必然性としてどころか、リアルなテロ計画としても充分に通用しそうな設定で、「実際にこういった襲撃は可能なのではないか?」という思いを観客に抱かせるのに十分なものがありました。
そして、そのホワイトハウス襲撃でも、ホワイトハウスの地下深くにある危機管理センターの制圧はさすがに難しいのではと考えていたら、そちらは韓国大統領の側近達によって内部からあっけなく占領されてしまっていました。
自国の大統領周辺に北朝鮮に繋がる工作員を、しかも何の疑いを抱くことすらもなく置いているとは、作中の韓国ってどれだけ北朝鮮に甘いんだよとつくづく考えずにはいられませんでしたが(^^;;)。
ただ実際、韓国は特に金大中政権の太陽政策以降、北朝鮮に対し無用なまでに寛大なスタンスを取るようになってしまっていて、結果として北朝鮮の工作が社会的に浸透しまくっているという事情も実はあったりしますからねぇ。
日本ではありえない話なのですが、韓国では「親北朝鮮派」と呼ばれる勢力が少なからぬ力を持っていたりするそうですし。
こんなのを同盟国として抱え込んでいなければならないとは、いくら自業自得であるとは言え、アメリカも不幸な国ではありますね(T_T)。
作中のアメリカは間違いなく、「あの国のあの法則」の呪いにでも巻き込まれていた以外の何物でもありませんでしたし(苦笑)。

作中のようなホワイトハウス襲撃を見て個人的に連想したのは、やはり何と言っても同じように日本の国家中枢を一時的にせよ少人数で奇襲的に制圧してしまった話を描いた映画「SP 革命篇」ですね。
今作のそれに比べれば、あの奇襲は構成人数においても武装においても雲泥の差があるのですが、外国はいざ知らず、日本ではあの程度の奇襲であっても相当なリアリティを伴うものでありえてしまうんですよね。
日本ではあの手の国家中枢への攻撃・占拠などが実施された有事に関して想定したマニュアルや体制などは無きに等しいですし、そういったものを作ろうとすると、そのこと自体が「軍国主義」「右傾化」などの謂れなき非難を受けたりするお国柄です。
「SP 革命篇」で見られるような「拳銃を持った数人程度の武装集団」レベルでいともあっさりと制圧されてしまう光景がリアリティを持ってしまうような日本で、今作のごとき襲撃が行われたりでもしようものならば、襲撃者達はホワイトハウス制圧にかかった最初の13分間で、国家中枢どころか日本という国の機能すらも完全に停止させることが出来てしまうでしょう。
日本では内閣総理大臣が病気などで政務を遂行できなくなった際の明確な取り決めが、何と21世紀に入る直前まで存在せず、ほとんど慣習的に運用されていたくらいだったのですから。
第84代内閣総理大臣だった小渕恵三の緊急入院問題から、多少は改善されて事前の代行指名を最大5名まで行えるようになりはしたものの、法律で18位まで大統領継承順位が定められているアメリカに比べれば未だ不十分なレベルとも言われています。
内閣総理大臣と一緒に、事前に指名された5名全てが捕縛されてしまったら一巻の終わりなわけですし。
また実際問題として、作中で描写されていたような「大統領・副大統領が捕縛されてしまったので、下院議長が大統領代行として指揮を執る」的な権限移譲自体が、日本では果たしてスムーズに行い得るものなのか、という疑問も尽きないですからねぇ。
武器使用の制約が少なく、世界最強の軍隊を持つアメリカですら不意を突かれれば弱いのに、それ以上に制約も大きい日本で作中のホワイトハウス襲撃と同規模の攻撃が起ころうものならば、一挙に国家存亡の危機にまで直結するのではないか、という懸念は以前から消えることがないのですが……。

エンターテイメント作品としては、観客のツボを良く押さえた手堅い作りになっているのではないかと思います。

映画「G.I.ジョー バック2リベンジ(3D版)」感想

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映画「G.I.ジョー バック2リベンジ」観に行ってきました。
1980年代に放映されていたアメリカの同名人気アニメを実写化した、2009年公開のアクション映画「G.I.ジョー」の続編作品。
今作は3D対応のために、本来ならば2012年夏の予定だった劇場公開を1年近くも延期するという、およそ本末転倒な行為をやらかしています。
私に言わせれば、3D化などは映画料金を無駄に高くするための誰得な所業の産物でしかありえないのですが、今回は2D版の公開時間の都合が合わなかったこともあり、泣く泣く3D版で観賞する羽目となってしまいました(T_T)。
何でも、今作が公開延期をしてまで3D化にこだわったのは、序盤の展開に大きな要因があるらしいのですが……。
せっかく大御所のブルース・ウィリスも出演しているのですから、3D化なんて傍迷惑な所業などやらずにさっさと劇場公開しても良かったのではないかと、つくづく思えてならなかったのですけどねぇ(-_-;;)。

前作のラストで、アメリカ大統領そっくりの顔になって本物の大統領と入れ替わっていたザルタン。
彼は、前作で自分達の組織を壊滅状態に追い込んだG.I.ジョー達を殲滅すべく蠢動し始めます。
その頃、核保有国のパキスタンで大統領が何者かに暗殺されるというニュースが世界を駆け巡ります。
パキスタンの政情混乱に伴う核の拡散を憂えるアメリカの国防会議?の席上で、アメリカ大統領を演じるザルタンは、自身の権限を駆使してG.I.ジョーに核の奪取を行わせる作戦を行わせるよう指示するのでした。
元々高い戦闘能力と何世代も先行した感のある超兵器で武装しているG.I.ジョーの面々は、さしたる大きな犠牲を出すこともなく任務を達成することに成功します。
しかし、ザルタンが仕掛けた死の罠は、帰還のための輸送機を待ちながら、任務を達成した満足感と望郷の念で油断していたG.I.ジョー達に襲い掛かったのでした。
味方を装い、突如奇襲的に航空機による攻撃を仕掛けてきた敵により、G.I.ジョーは壊滅状態に。
しかもこの攻撃の際、現地のG.I.ジョーを束ねる司令官だった前作の主人公デュークもまた、身を呈して部下を逃がしたのが災いし、帰らぬ人となってしまうのでした。
ザルタンによる殲滅攻撃で生き残ったG.I.ジョーの面々はわずかに3人。
彼らは、自分達に攻撃を命じたのが大統領であることを察知し、復讐と報復の戦いに身を投じていくことになります。

一方、これまた前作のラストで捕縛され、冷凍睡眠状態?で特殊な牢獄に入れられていたコブラコマンダーが、同じく前作のラストで死んだと思われていたストームシャドーと、コブラコマンダーの部下であるファイアーフライの手引きで脱獄に成功します。
彼らは、天敵であるG.I.ジョーを壊滅させたザルタンと共に、世界を牛耳る計画へと邁進していくことになるのですが……。

今回の「G.I.ジョー バック2リベンジ」は、良くも悪くも意表を突く展開が目白押しですね。
前作の主人公デュークが今作も主人公思いきや、序盤で早々に部下をかばって死んでしまいますし、G.I.ジョーの初代司令官兼「最強の助っ人」として「あの」ブルース・ウィリスが登場したりするのですから。
ただ前者については、物語の展開的にもエンターテイメントの観点から見ても、明らかに失敗だったと言わざるをえないところですね。
この手の物語では、観客は主人公に感情移入して楽しむのが常なのに、その主人公が早々に死んでしまったわけですから、出鼻を挫かれること甚だしいわけで。
前作でアレだけ奮闘したのは一体何だったんだ、ということにもなってしまい、結果的には前作の価値すらも著しく損ねることにもなりかねない、極めて愚かな所業にしかなっていないですね。
物語のラストで殉死させその死を美化する、といった展開にするならまだしも、序盤でああまであっさりと死なせてしまっては、その後の展開に多大な支障を来しかねないことくらい、製作の段階で分かりそうなものなのですが。
実際、この展開は、映画製作者達が映画の完成直後に行ったテスト試写会でも散々な評価だったらしく、それが今作が3D編集に走った原因のひとつにもなっているとのこと。
3Dでより良い映像を見せる、というのではなく「ストーリーの失敗」を理由に3Dに走るなんて、観客からしたら傍迷惑も甚だしい行為でしかありえないのですけどね。
まあ、既に完成した映画を1から作成し直す時間的・経済的な余裕なんて無かったがための苦肉の策ではあったのでしょうが。

その一方で、かつてG.I.ジョーを束ねていた初代司令官として登場したブルース・ウィリスは、さすが大御所だけのことはあり、他の登場人物を圧倒する存在感を醸し出していました。
活躍は抑え目だったものの、要所要所の登場シーンでツボを押さえている感がありました。
ただ、映画の前宣伝でも盛んに喧伝されていた「最強の助っ人(ブルース・ウィリス) VS 最強の刺客(イ・ビョンホン)」の直接対決は、作中では全く見られず終いでしたが。
イ・ビョンホンが扮するストームシャドーは、序盤はコブラの手先としてコブラコマンダーの脱獄の手引きなどをしてはいたものの、初代ジョーと対面する頃には自身の過去の真相を知ってコブラを裏切っていましたし。
あの宣伝は一体何だったのか、とすら思えるほどに「ウソ・大袈裟・紛らわしい」の誇大広告もいいところでしたね。
あの宣伝を信じて、ブルース・ウィリスとイ・ビョンホンの直接対決を待ちわびていた観客も少なくなかったのではないかと思えてならないところだったのですが。

あと、前作の終盤で顔が銀色になり、コブラコマンダーから命名を受けたデストロは、今作ではコブラコマンダーの脱獄の際に早々に見捨てられた挙句、それ以降は最後まで全く登場すらしないという、そこらの三下にも劣る扱いもいいところでした。
前作では大企業の黒幕的な存在感があったのですが……。
ラストを見る限り、今作はまだ続編がありそうな状況ではあるのですが、今後の続編で彼の再登場は果たしてあるのでしょうか?

手堅いアクション映画ではありますので、その手のジャンルが好きな方は観に行く価値があるのではないでしょうか?

映画「リアル ~完全なる首長竜の日~」感想

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映画「リアル ~完全なる首長竜の日~」観に行ってきました。
乾緑郎の小説「完全なる首長竜の日」を原作とする、実写版「るろうに剣心」の佐藤健および「ひみつのアッコちゃん」の綾瀬はるか主演のSFミステリー作品です。

今作の主人公である藤田浩市と和敦美は、小学校時代の幼馴染で、現在は恋人同士の関係にあります。
同棲生活をしていて結婚まで視野に入れた付き合いをしていたであろう2人の関係は、しかしある日突然、和敦美の自殺未遂によって突然断ち切られてしまいます。
和敦美は自殺未遂から1年もの時間が経過してもなお意識が戻らず、また自殺した理由自体も全く不明。
何とか和敦美を目覚めさせたい藤田浩市は、和敦美が入院している病院の医師から「センシング」と呼ばれる先端医療機器の使用を提言されます。
「センシング」とは、昏睡状態となった患者の脳に他者が直接アクセスし、互いの意思疎通を可能にする最先端の医療機器技術のことを指します。
「センシング」の使用に際しては、患者と患者にアクセスする人間との相性も問われるようなのですが、幸いにして藤田浩市と和敦美の相性は良好だったのだとか。
今回の「センシング」の目的は、和敦美が自殺した理由と原因を明らかにすると共にその問題を解消し、和敦美が目覚める方向へと誘導すること。
そして藤田浩市は「センシング」を使い、和敦美との第1回目のコンタクトを図ることとなるのでした。

「センシング」で患者とアクセスできる時間は最大でも数時間程度。
その記念すべき最初の「センシング」で、藤田浩市は無事に和敦美の意識の中にダイブすることに成功します。
そこで彼が見たのは、住み慣れた2人の住居で一心不乱にマンガを描き続ける和敦美の姿でした。
意識の中における彼女は、自身が連載しているマンガの執筆に行き詰っているようでした。
藤田浩市は早速、和敦美に自殺未遂を図った理由について問い質すのですが、彼女は完全に自分の世界に浸りきっていて、藤田浩市の質問に回答を与えようとしません。
そして、自分が抱え込んでいるスランプを抜け出すために、幼い頃に描いた「首長竜の絵」を見つけてきて欲しいと藤田浩市に依頼するのでした。
「首長竜の絵」を見れば、和敦美の意識が戻るかもしれない。
そう考えた藤田浩市は、現実世界と「センシング」の双方で「首長竜の絵」の探索に乗り出すことになります。
しかし、「首長竜の絵」を探す過程で、藤田浩市の周囲では次々と不可解な事象が発生し始めるのです。
謎の怪現象に翻弄されつつ、藤田浩市は事の真相に迫ろうとするのですが……。

映画「リアル ~完全なる首長竜の日~」で重要なツールとして登場する「センシング」という先端医療技術は、ある種の人々にとってはまさに夢のような存在と言えますね。
何しろ、意識不明の重体にある人間の脳に直接アクセスし、様々な情報を引き出すことができるときているのですから。
意識不明の状態にある親族を長年にわたって看病・介護し続けているような家族などにとっては、喉から手が出るほどに欲しい技術ではあるでしょう。
それだけでなく、患者が暴力・殺人未遂事件等の当事者であった場合は犯罪捜査にも役立ちますし、また本人確認が必要不可欠な遺言などにも力を発揮するであろうことは確実です。
意識不明の患者だけでなく、精神病を抱え込んでいる患者相手にも「センシング」はかなりの威力を発揮しそうです。
作中の描写を見る限り、無意識の深層意識なども投影されているようなので、患者の心理状態や過去の事象を探ったりするのにはうってつけのツールと言えますし。
一方で今後の課題としては、患者および患者とアクセスする人間との間で相性が良いことが相当程度の割合で求められることにあるでしょうか。
作中でも、「センシング」が成功したというだけで周囲の医師達一同がわざわざ一斉に拍手していたりするくらいですから、アクセス者は誰でも良いというわけではなく、また成功率もあまり高くないであろうことが伺えますし。
まあ患者側からすると、全く知りもしない人間がズカズカと自分の意識の中に入ってくるというのは、プライバシーその他の問題に抵触する等の様々な問題や弊害を引き起こしかねない事態ではあるのでしょうけど。

プラスマイナスいずれにせよ、色々な事態や利益・問題が生じ得る画期的な技術ではありえるでしょうね、「センシング」という存在は。
他人の意識や夢の中にダイブして情報を引き出したり植え付けたりする、というコンセプト自体は、過去の事例でも2010年公開映画「インセプション」がありましたが、技術的にはこちらの方が現実味があるのではないかと。
「インセプション」の方は、どちらかと言えば「職人芸」的な側面の方が強調されていましたし、その使用用途も「犯罪行為を遂行するためのツール」でしかなく、汎用性が高いとは正直言い難いものがありましたから。
あちらはあちらで、今作のような使い方ができないわけではないと思うのですけどね。

今作は前回観賞した映画「オブリビオン」と同じく、物語前半と後半で主人公の立場が大きく変わることになります。
物語前半の展開全てが、実は事故で入院していた藤田浩市が外界から得た情報を元に構築した妄想の世界だった、というのは何とも凄まじく強引な展開ではありましたが(苦笑)。
ただ、その妄想世界に登場する自分以外の人物達は、外面だけで中身のないフィロソフィカル・ゾンビではなく、どう見ても普通の人間のごとき外見で意思も感情もあったわけなのですが、アレを藤田浩市は一体どうやって現出させていたのでしょうか?
作中前半の描写を見る限り、意識の世界では、人間は本人以外だとフィロソフィカル・ゾンビしかいないみたいな演出だったのですが……。
もっとも、後半判明する逆転の事実から考えると、実は「フィロソフィカル・ゾンビ」という概念自体が藤田浩市の頭の中で作り出された妄想の産物だった、という可能性も否定できないのですが。
マンガ家として自身が執筆していた猟奇作品辺りに出てきても不思議ではなさそうな設定ではありますからねぇ、アレは。
他の患者の「センシング」で同様の存在が出現している、というのであればまだしも、作中では藤田浩市以外の「センシング」実施例がないわけですし、作品世界における「フィロソフィカル・ゾンビ」の実在性については作中の描写や設定だけでは判断できないですね。

あと、物語終盤で藤田浩市と和敦美は、首長竜を相手に逃走劇を披露することになるのですが、ただ逃げるだけでなく「戦う」という選択肢はなかったのですかね?
物語前半では、和敦美(の妄想体?)がどこからともなく拳銃を持ち出してフィロソフィカル・ゾンビを撃ち殺しているシーンがあったのですから、それと同じように重火器の類を作り出したり、自分達に超人的な力を付与したりして、正面から首長竜を打ち倒すことも不可能ではなかったのではないかと。
和敦美(の妄想体?)が主張していたがごとく、所詮は「何でもあり」の意識の世界でしかないのですからねぇ。
まあ、藤田浩市にとっての首長竜は「幼少時のトラウマ」が形になったものでしたし、戦うこと自体が最初から不可能だった、ということなのかもしれませんが、あの時点では和敦美も隣にいたのですし、対抗できないこともなかったように思えてならなかったのですけどねぇ。
首長竜の形をしたトラウマに対し、藤田浩市は結局最後まで反撃どころか逃げることすらもできず、ひたすら無為無力を露呈していただけでしかなかったですし。
この辺りは、自力だけでの更生が極めて難しい精神医学の限界を表現した者でもあったりするのでしょうかねぇ。

SFミステリーと言っても、SF映画にありがちな派手な演出は全くありませんし、どちらかと言えばミステリー的な面白さを追求した映画であると言えるでしょうか。

映画「オブリビオン」感想

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映画「オブリビオン」観に行ってきました。
「ミッション:インポッシブル」シリーズ「アウトロー」のトム・クルーズが主演のSFアクション大作。
先月の2013年5月は何故か公開映画が異様に少なく、実に3週間ぶりに映画館にやってきたにもかかわらず、公開映画のラインナップが3週間前とあまり変わっていなかったことに少々愕然とせざるをえなかったですね(苦笑)。
TOHOシネマズが6月から高校生1000円サービスを始めたことと、何か関係でもあったりでもしたのでしょうかねぇ……。

映画「オブリビオン」の舞台は、2077年の地球。
この世界の地球は、60年前の2017年に「スカブ」という名のエイリアン達による侵略を受け、月を破壊された世界的規模の災害の発生と「スカブ」の攻撃によって荒廃してしまっています。
核攻撃まで交えて何とか「スカブ」との戦いに勝利した人類達の多くは、土星の衛星のひとつ「タイタン」に居住地を作り移住。
残りもまた、地球の衛星軌道上?に浮遊している「テット」と呼ばれる宇宙ステーションで地球を監視する任務に当たっており、地球は人類がほとんど住むことのない星と化していたのです。
ただ、そんな地球にもひとつの例外がありました。
それは、地上からはるか数千メートルに拠点を構え、海上に浮かぶ巨大な採水プラントを警備・監視する「ドローン」と呼ばれる無人偵察兼攻撃機を管理する2人組の存在でした。
オペレーターの女性ヴィクトリアと、今作の主人公で現場パトロール兼修理屋のジャック・ハーバー。
2人は地球での任務に従事するに際し、生き残りの「スカブ」達に囚われても情報を与えないようにするため、任務に従事する前までの記憶を完全に消去されています。
地球での任務終了を2週間後に控えた2人は、一方はその日を待ちわび、他方は地球を離れたくないと考えながら、2人以外は誰もいない世界での任務をこなしていたのでした。

そんなある日、採水プラントを警護・巡回しているドローンのうち、2つほどが消息を絶つ事件が発生します。
テットからの報告とヴィクトリアのサポートに基づいてジャック・ハーバーが急行した最初の現場は、60年前にベースボールだかフットボールだかの試合が行われていたらしいスタジアム跡地。
そこに不時着していたドローンの動力部?を交換し、まずは1台目のドローンを再起動させることに成功するジャック・ハーバー。
そして、消息を絶ったもうひとつのドローンを探し求め、今度は地下深くに埋もれている図書館の跡地らしきところにジャック・ハーバーは潜り込みます。
しかし、そこで示されていたドローンの反応は、ドローンを修復する者を誘き出すための罠であり、まんまと引っかかったジャック・ハーバーは「スカブ」達の奇襲を受けることになってしまいます。
思わぬ事態に必死で応戦するジャック・ハーバーは、ドローンの突然の来援もあり、何とか危機を脱することに成功するのですが……。

映画「オブリビオン」では、物語の前半と後半で主人公が置かれる立場と環境が180度変化します。
実はドローンを管理しているジャック・ハーバーとヴィクトリアは、元々「スカブ」の地球侵攻があった2017年に、侵略者の母艦的存在だった「テット」の調査に赴いていたのです。
その際、彼らは「テット」でおそらくは囚われの身となってしまい、自身のクローンを大量に作られ、侵略の尖兵とされてしまっていたのでした。
当然、地球でドローンの管理に当たっているジャック・ハーバーおよびヴィクトリアもまた、そのクローンの一員だったというわけです。
そして一方、彼らが「スカブ」と呼んでいる存在こそ、「テット」の侵攻によって壊滅的な被害を被った人類の生き残りだったのです。
作中のドローンは、「スカブ」どころか地球に不時着してきた宇宙船に搭乗していた冷凍状態の人間にすら平気で攻撃を仕掛けていましたが、その不可解な謎もそれで説明できるわけですね。
また物語後半では、主人公とは全く別の区画で主人公と同じくドローンの管理を行っているもうひとりのジャック・ハーバーと、そのサポートに当たっているヴィクトリアが登場していたりします。
終盤近くではドローンとの熱いバトルも繰り広げられていますし、SF的なツールを総動員して展開されるストーリーはなかなか見応えがありますね。
主人公が自分の正体と立場に気づいた瞬間に、ああまで世界が変わってしまうという事実をあそこまで表現できるというのは、ある意味凄いことなのではないかと。

一方、今作のストーリーで違和感があったのは、オリジナルのジャック・ハーバーの妻だったジェリアが、クローンのジャック・ハーバー相手に何の疑問も抱くことなく接していることですね。
作中で再会したばかりの頃はクローンの話なんて知らなかったわけですから必然であったにしても、後の方では2人のジャック・ハーバーと格闘しているシーンを彼女は直接目撃しているわけですし、終盤では自分が頼りにしているジャック・ハーバーがオリジナルではなくクローン、つまり「自分が愛したジャック・ハーバー本人」ではなかったことを理解しえなかったはずがないのですが。
確かにオリジナルのクローンなのですから、記憶自体はオリジナルと全く同じものを持ち得て当然でしょうが、しかしそれでも厳密に言えばクローンはあくまでもクローンであり、オリジナル本人ではありえないわけで。
いくらオリジナルの容姿と記憶を持っていると言っても、ジェリアにとって、クローンのジャック・ハーバーはあくまでも「他人」でしかないはずなのですが、その辺りのことを作中のジェリアは全く自覚している様子がないんですよね。
それどころか、ラストではテットと共に自爆した主人公のジャック・ハーバーの忘れ形見である娘と生活していたジェリアが、物語中盤で主人公と格闘していたもうひとりのジャック・ハーバーと再会し、2人して笑顔で見つめ合うという描写があったりします。
彼って、60年後の世界でジェリアを助けた主人公こと「技師49」のジャック・ハーバーとさえも全く異なる別人でしかないはずですし、あの時点のジェリアがそれを知らないはずもないでしょうに、何故ああまでオリジナルのジャック・ハーバーと全く同じように接することができるのか、大いに疑問を覚えざるをえないところです。
ジェリアにとって、相手がジャック・ハーバーでさえあれば、それがクローンなのかオリジナルなのかは全く問題ではなかったりするのでしょうかねぇ(@_@)。
クローンをオリジナルと混合しても良いのか?とか、結構哲学的な命題も多分に含んでいそうなエピソードではありますね、ジェリアの対応は。

トム・クルーズのファンであれば、まずは押さえておいて損はない作品ではないかと。

タイタニア4巻の突然過ぎる脱稿宣言

何と、「あの」タイタニア4巻が脱稿したとの公式発表が、らいとすたっふ公式サイドによって行われました↓

https://twitter.com/adachi_hiro/status/341378408661524480
<さきほど田中さんが事務所て、原稿用紙の束を置いていきました。大変長らくお待たせしましたが、『タイタニア』第4巻、脱稿でございます!

https://twitter.com/wrightstaff/status/341387924308373508
<『タイタニア4』脱稿しました!>

2013年3月7日時点で未だ3章が終わったかどうかというラインをうろついていたタイタニア4巻が、何とまあ突然の脱稿を迎えたものですね。
その半月後の3月24日に「原稿50枚渡しました」という報告があったのを最後に、執筆状況についての情報は途絶えていたのですが、この間、田中芳樹に一体何があったというのでしょうかねぇ。
これまでのタイタニアシリーズは1巻につき8~9章で構成されているのが常だったので、「3章まで終わったところ」というのは、実のところ「半分にも到達していない」ということを意味していたはずだったのですが。
まさか、次回のタイタニア4巻は、4~5章構成だったりするとでもいうのでしょうか?
今までの鈍重な執筆速度(半年以上でやっと1章を書く等)は一体何だったのかとか、そんなに早い執筆速度を保てるのならばさっさと書けよとか、色々とツッコミどころは多々あるのですが、まあ一ファンとしては、とにもかくにも新刊を脱稿してくれたことに喜ぶべきなのでしょうね。
……シリーズ完結巻となるであろう次のタイタニア5巻は、もはや「作者が老衰死する前に書き上がれるか?」というレベルの状況になるのは間違いなさそうですが(苦笑)。
田中芳樹の次の執筆予定作品はアルスラーン戦記14巻、その次が薬師寺シリーズの新刊で、その他にも休眠状態のシリーズはまだまだあるのですから、タイタニア5巻の執筆なんて最低でも5年はとりかかれそうにもありませんし。

さてこうなると、あとはいよいよ出版社の編集作業に全てがかかっていると言っても良い状態となるわけですが、しかし最近はこれがまた異様なまでに仕事が遅かったりするんですよね(T_T)。
らいとすたっふ公式サイドの脱稿宣言から4ヶ月以上もかけてようやく出版、とかいった事例まであるのですし。
出版社側にもそれなりの「大人の事情」がありはするのでしょうが、編集作業で出版に時間がかかるというのはちょっとねぇ……。
ここはやはり、出版社側にも奮起してもらい、可能な限り早く新刊を世に出してもらいたいものです。

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