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2011年07月の記事は以下のとおりです。

自称SF作家の上から目線かつ挙げ足取り的な作品論

賞を取ろうが何をしようが、自称SF作家はやはり何も変わらないんだなぁ、という頼もしい事実を教えてくれる一品↓

http://hirorin.otaden.jp/e198999.html

>  あと、主人公が精巧なロボットを見て「これは凄い」と感心したりするのも変。2世紀経ったらそんなものは当たり前だろう。
>  しかも、この時代になってもまだ本は紙でできていて、主人公が尊敬する作家に見せてもらう原稿も、紙にプリントアウトしたものなのである。ないない、それはない。「30世紀にちゃぶ台」並みにありえない。

ほんの20~30年前の未来予想でも「21世紀は宇宙進出が当たり前になっている」「自分で考えて動くロボットが当たり前に普及している」とかいった予測がありましたし、パソコンが普及した際には「紙の消費は減るだろう」などと言われていたものでしたが、現実は全くそうなっておりません。
特に紙の消費量なんて、パソコンの普及で逆に増えたくらいですからね。
データは消失や情報漏洩のリスクが少なくありませんし、再生に特別な機器も必要となりますが、紙にはそのような問題がありません。
保存性や閲覧性の観点から「データよりも紙のほうが信用できる」とする主張は、ITの世界にすら存在するのですが。
データにも紙にもそれぞれ一長一短があり、その時その時の状況によって使い分けるべきものなのであって、二者択一のごとくどちらかによって淘汰されるような性格のものではないのです。
未来予測どころか、紙の長所や「紙が何故重要視されるのか」すら理解できていないのは一体どちらなのやら。

それに山本弘は「神は沈黙せず」で色々な未来を描いているんですよね。
2010年代に北朝鮮は崩壊して統一コリアになるとか、経済恐慌から日本で新円とAVPなる通貨ができるとか。
何かひとつでも当たっていたものがあるというのでしょうか(苦笑)。

>  つーか、この設定だけくれ! 僕に書かせろ!
>  頭からすべて書き直して、面白い作品にしてやるから!
>
>  ……とまあ、いろいろ書いてきたけど、僕はべつにこの作品に腹は立たない。シオドア・スタージョンが言うように、どんなジャンルでも90%はクズなのだ。ハズレに当たるたびに、いちいち腹立ててなんかいられない。

「リアル鬼ごっこ」の際にも同じことを述べていましたよねぇ。
当時の自称SF作家は、いちいち腹を立てて罵りまくっていましたけど(苦笑)。
で、それと同時期に世に出した神沈では、源泉徴収すら全く理解しないままに日本の経済問題を語るというトンデモなことをやらかしていたわけですが(爆)。

> > こんなのが許せられる時代って・・・・
>
>  うん、確かに「許される」という言葉もまともに書けない奴がいる時代って悲しいよね(笑)。

> >この程度のやつと筒井康孝を比べるなよ
>
>  筒井康隆氏を引き合いに出すなら、名前ぐらいちゃんと書け。失礼だ。

キーボードの打ち間違いや変換ミスによる誤字脱字の範疇でしかないことにここまで目くじらを立てる自称SF作家って…。
山本弘ってただの1度でもそういうミスをしたことがないのでしょうか?
それに、そういうことにいちいちツッコミが入れられるのならば、「追悼」を「追討」と誤字して平然と故人をダシにした文章を書く某盗作評論家なんていくらでも叩き潰せるのではないかと思えてならないのですが(苦笑)。

> >何がどうすごいかすげえ気になるけど長すぎて読む気分になれない・・・
>
>  ギャグだよな!? ギャグだと言ってくれ!

「文章が長すぎる」というただそれだけの理由で、掲示板やブログの投稿を平然と削除するキチガイ会長が言って良いセリフではないと思うのですけどね、それって(笑)。
それともこれ、やっぱりギャグで言っていたりするのでしょうか(爆)。

> >他人の作ったものを踏み台にするような作品はちょっと
>
>  パロディとかオマージュとか全否定!?
>  いや、参った。あきれた。
>  頭の悪いラノベを笑っているつもりかもしれないが、実はそのラノベの設定や作者の意図を理解する読解力さえない(難解な文学作品ならともかく、ラノベだよ?)。
>  作者の文章を笑っているつもりかもしれないが、実は自分もまともな日本語が書けない。

映画をマトモに観賞する能力すらなしに見当ハズレな作品論を披露した挙句、
「何も考えずに、テンプレート通りの物語を書く奴は、創作者として失格」
「他人が考えたシーン、しかも使い古されたシーンをコピーするのは、自分では何も考えてないってことだから」
などとのたまっていた己の過去の言動に対する自己批判ですか?
それに読解力とやらについても、他人の投稿をマトモに読めないばかりか正確な引用すらできずに逆ギレかつ明後日な反論しかできていなかった大将軍様が、他人を得意気に罵れる立場にはないでしょうに。
まあ、そうやって他人を罵るところにこそキチガイ会長としての真骨頂にして存在意義があるわけですし、最近大人しい傾向が続いていたので、星雲賞授賞をバネに、今後とも他人を罵る記事を出し続けてもらいたいものなのですけどね(爆)。

映画「トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン」感想

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映画「トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン」観に行ってきました。
スティーブン・スピルバーグ製作総指揮、マイケル・ベイ監督のタッグで描く、シャイア・ラブーフ主演のSFアクション超大作「トランスフォーマー」シリーズ最終章。
この作品は3D版も公開されていますが、私が観てきたのは2D&日本語吹替版になります。
なお、私は「トランスフォーマー」シリーズの前作・前々作共に映画館で観賞済みです。

物語の発端は1961年。
この年、月面の裏側(ダークサイド・ムーン)に、1隻の宇宙船が墜落します。
月面を観測していた地球は直ちにこの事実をキャッチし、調査の必要性が極秘裏に検討されるのですが、人類が初の月面着陸を実現するまでにはそれから8年もの歳月がかかることになります。
そして1969年7月20日、アポロ11号による人類初の月面着陸が達成され、アメリカ国民が歓呼の声に沸き返る中、アポロ11号の乗員達は、地上側が意図的に公開通信を途絶させた中で、宇宙船が墜落したとされるダークサイド・ムーンへと向かいます。
そこではっきりと未知の宇宙船を目撃することになった乗員達。
このことは政府の中でもトップシークレット扱いとなり、公には全く公開されないまま月日は流れます。

そして現代。
「トランスフォーマー」全シリーズ通じて主人公であるサム・ウィトウィッキー(シャイア・ラブーフ)は、大学を卒業したものの就職が決まらず無色のプータロー状態。
前作までのヒロインとは別れており、これまでの対ディセプティコン戦絡みの活躍により、ワシントンでオバマ大統領から勲章をもらった際に知り合ったカーリー・スペンサーと同棲していたりします。
トランスフォーマー絡みの戦いで彼の活躍は一応知れ渡っているはずなのですが、それが就職活動に何らプラスになっていない辺りの描写は、昨今のアメリカ(だけではないですが)の経済不況を表してでもいたのでしょうか(苦笑)。
サムが面接に行った会社の中には「お前はオバマ大統領から勲章をもらったようだが、俺は共和党支持だ」などという理由で採用を断ったところもありましたし。
はかばかしい成果が上がらない就職活動でしたが、アキュレッタ・システムズ社のブルース・ブラゾスという面接官相手に面接したところ、あからさまに好意を抱かれていないやり取りが展開されたにもかかわらず、サムは何故かメール係として社員採用されることになります。
採用に喜ぶサムでしたが、カーリーにそのことを報告しに言った際、それがカーリーが勤めている会社の社長であるディラン・グールドの推薦によるものだったことが判明。
成金趣味を見せつける上にカーリーとも仲良さ気な様子を見せつけるディランに、サムは反発を抱くのですが……。

一方その頃、前作の戦いでその存在が公のものとなったオプティマス・プライム率いるオートボット、およびウィリアム・レノックスを指揮官とする対ディセプティコン特殊部隊であるNESTは、チェルノブイリでの捜索活動中、冒頭の宇宙船に搭載されていたエンジンを発見します。
そのことから冒頭の宇宙船のことについて初めて知ることになったオプティマス・プライムは、早速宇宙船の回収に乗り出します。
ダークサイド・ムーンで放置されている宇宙船の格納庫には、オートボットの前リーダーでオプティマス・プライムの師匠的な存在でもあるセンチネル・プライムが眠りについていました。
センチネル・プライムは、惑星サイバトロンにおけるオートボットとディセプティコンとの戦い末期、ある重要な装置を持ち出して惑星サイバトロンからの脱出を図るものの、撃墜されて月面に不時着していたのでした。
センチネル・プライムが持ち出したのは、あらゆる物体を瞬時に転送してくることを可能にするテレポート装置で、かつセンチネル・プライム以外には扱うことができません。
オプティマス・プライムによって復活したセンチネル・プライムとテレポート装置を守るべく、オートボット達は奮闘するのですが、そのセンチネル・プライム自身が突如暴走を開始。
アメリカ軍によって押収されていたテレポート装置を奪取し、ディセプティコンと合流してオートボットの地球外退去を迫ります。
実はセンチネル・プライムは、敵であるはずのディセプティコンと密かに手を組み、テレポート装置を使い惑星サイバトロンそのものを呼び寄せた上で、地球の「資源」を利用して復興すべく画策していたのでした。
センチネル・プライムとディセプティコンの脅迫にあっさり屈したアメリカ政府の意向により、地球外退去を余儀なくされるオートボット達。
そしてオートボット達が乗った宇宙船を撃墜し、脅威がなくなったと確信したセンチネル・プライムとディセプティコンは、アメリカのイリノイ州シカゴを占拠し、野望実現のためにテレポート装置を動かし始めるのでした。
かくして、高層ビルが立ち並ぶシカゴを舞台に、人類と地球外金属生命体との戦いが繰り広げられることになるわけです。

映画「トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン」は、上映時間が実に157分もあります。
普通の映画の標準的な上映時間がだいたい104~110分の間であることを考えると、映画としてはかなり長時間上映される部類に入る作品であると言えるでしょう。
そこまで長い時間があるにもかかわらず、特に物語前半に色々と詰め込みすぎて展開がとにかく早く、話についていくのに結構苦労したんですよね。
作品のメインイベントはシカゴの最終決戦ですから、できるだけ早くそこに持っていきたかったのでしょうが、もうちょっとスロー展開できなかったのかなぁと。

またこれまでの「トランスフォーマー」シリーズでは、基本的にはオートボットとディセプティコンの金属生命体同士の戦いがメインだったのですが、今作ではそれ以上に主人公含めた人間達の活躍にスポットが当てられています。
ディセプティコンの圧倒的な戦力にほとんど無力同然に翻弄されながらも、最初は囚われの身となっていたカーリーを助けるため、その後はテレポート装置を破壊するため、シカゴに乗り込む主人公サムとその仲間達。
最初はただただディセプティコン側の圧倒的な戦力に翻弄されていたものの、終盤では前作でも前々作でも五体満足で逃走していたディセプティコンNo.2のスタースクリームを仕留めたり、ディセプティコン側に奇襲を仕掛けたりするなど、なかなかの健闘ぶりを見せています。
「トランスフォーマー」シリーズはあくまでの人間達の物語である、ということを見せたかったのでしょうか。

あと、今作ではディセプティコンのリーダー格であるはずのメガトロンがかなり哀れな位置付けでしたね。
前作でも前々作でも最強の風格を見せつけていたのに、今作では前作で受けた傷がほとんど癒えておらず、終盤まで戦闘面ではほとんど戦力外同然で出番なし。
ラスボスの座もセンチネル・プライムに奪われていた上に、部下達も軒並みそちらの指揮下に入っていたかのような感までありました。
挙句の果てにはカーリーの安っぽい挑発にあっさり乗ってしまい、オプティマス・プライムとセンチネル・プライムの師弟対決の場面に介入して、結果的には宿敵であるはずのオプティマス・プライムを助ける形になってしまった上、仕切り直しでオプティマス・プライムとの決着をつける戦いが始まったかと思えば、手負いのオプティマス・プライムに一瞬でやられてしまう始末。
あと15~30秒くらい介入が遅かったら漁夫の利を得ることもできたでしょうに、そのほんのちょっとの差でメガトロン的にはまさに最悪の介入となってしまっていました。
悪役としても凋落の感が否めませんでしたねぇ、アレは。

スティーブン・スピルバーグにマイケル・ベイという有名どころ2人が製作に当たっているだけあって、アクションシーンやSFX的な描写はさすが良く出来ています。
ハリウッドのそれ系な映画が好きという方には文句なしにイチ押しの作品ですね。

オーベルシュタイン編に崎本大海がキルヒアイス役で友情出演

銀英伝舞台版公式サイトが更新されました。
オーベルシュタイン編の舞台に、第一章・銀河帝国編の舞台でキルヒアイス役を演じた崎本大海が、同じ役で友情出演するとのこと。

銀英伝舞台版公式サイト
http://www.gineiden.jp/
オーベルシュタイン編のキャスト&スタッフ
http://www.gineiden.jp/cast.html

しかし原作におけるキルヒアイスは、晩年の1年半程度しかオーベルシュタインと面識がなかったはずなのですが…。
初めて出会ったのがアスターテ星域会戦直後におけるラインハルトへの元帥杖授与式(宇宙歴796年・帝国歴487年の3月19日)で、キルヒアイスの命日が翌年の9月9日なのですから。
さらに同じ陣営に属して行動を共にするとなると、第7次イゼルローン要塞攻防戦直後(同年6月頃?)まで待たなければなりません。
当然、それ以前は互いに面識すらもなかったわけですし、どんな形で登場させることになるのか、気になるところです。
まあ「友情出演」と銘打っているわけですし、冒頭かどこかのワンシーン辺りに少しだけ登場するだけなのでしょうけどね。

ノルウェーの連続テロ事件とヨーロッパの移民問題

ノルウェーの首都オスロと、南部のウトヤ島で発生した連続テロ事件。
ヨーロッパ諸国では、国の文化に溶け込まない移民の存在が深刻な社会問題となっており、犯人と目されるアンネシュ・ブレイビクはそれに不満を抱いて今回の事件を起こしたと言われています。

http://megalodon.jp/2011-0724-0840-49/mainichi.jp/select/world/europe/news/20110724k0000m030131000c.html

日本でも、少子化問題と労働者不足の観点から移民受入の議論が活発化しています。
しかし、移民受入の先駆者であるはずのヨーロッパ諸国では、多文化主義に基づいた移民受入で多大な社会問題が頻発しており、国の政策としては「失敗」だったと政府首脳ですら認めざるをえなくなっています。
移民受入について実績のあるイギリスでさえ、移民の制限を公約に掲げるほどにまでなっているのです。
一時はイスラム過激派による犯行説も囁かれていた今回のテロ事件は、移民問題に苦しむヨーロッパの暗部を象徴する事件とも言えるのではないでしょうか?

ところで、この事件のことを知った時、私は創竜伝のこの記述を連想せずにはいられませんでしたね↓

創竜伝9巻 P201上段~下段
<バルーフ・ゴールドシュタインというユダヤ人がいた。ニューヨークに生まれ、イスラエルに移住した。彼は医師だったが、イスラム教徒の治療を拒否していた。一九九四年二月、彼は多額の生命保険に加入した上で、イスラム教の礼拝堂にはいっていった。そこでは多くのイスラム教徒たちが頭を床につけて神に祈っていた。むろん丸腰である。ゴールドシュタインは自動小銃を取り出し、祈っている人々の背中に銃弾をあびせた。四〇人以上の人々が殺された。「ヘブロンの虐殺」である。
 銃弾がつきたところで、ゴールドシュタインは激怒したイスラム教徒に包囲され、乱打をあびて死んだ。
彼は「死を恐れず、生命がけで」、神に祈っている人々を一方的に虐殺したのである。これは「何でも生命がけでやればえらい」という通俗道徳を信じる人々にとっては、なかなか厳しい返答であろう。やることの意味を考えずに生命を軽んじるような者は、異なる価値観を持つ者に利用されるのが落ちである。>

今回の事件の犯人も、上記のゴールドシュタインと似たり寄ったりな犯行を行っているわけですし、「信念ある1人の人間は(自らの)利益しか考えない10万人分もの力に値する」などという、いかにも田中芳樹が毛嫌いしそうな発言も披露したりしていますからねぇ。
今頃田中芳樹も、現在執筆中らしい薬師寺シリーズの新刊にこの事例を書き加えているところだったりするのでしょうか(苦笑)。

映画「ロック ~わんこの島~」感想

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映画「ロック ~わんこの島~」観に行ってきました。
2000年に発生した三宅島大噴火の災害で、生まれ育った島を離れざるをえなかった小学生の主人公およびその家族と、飼い犬であるゴールデンレトリバーのロックの物語です。
なお、今作で私の2011年映画観賞本数は、記録的な大豊作となった去年1年間の映画観賞総本数である35本のラインに到達しました。
8月~10月にかけても観賞予定の映画が目白押しですし、今年の最終的な映画観賞総本数は60本近くまで行きそうな状況ですね(^^)。

作品最初の舞台は1999年?~2000年当時の三宅島。
東京から船で6時間半かかるこの島の「6区」で、民宿「たいよう」を営んでいる野山一家を軸にストーリーは進行していきます。
その野山一家の長男で今作の主人公である野山芯は、ヤンキーのような風体なのにウソがつけない熱血漢の父親・松男と、「かかあ天下」という概念を具現化したような母親・貴子の下で育った小学生。
ある日、父方の祖母である房子の家で飼われていたメス犬の老犬・ハナに、1匹の犬が生まれます。
母親犬が老齢で無理な出産だったことと、出産直後は反応がなかったことから最初は死産ではないかと思われていたのですが、野山芯が仔犬の目が開いているのを発見し、喜びに湧く野山一家。
仔犬は「ロック」と名付けられ、以後、当時小学生だった野山芯が面倒を見ていくことになります。

しばしば部屋を荒らしたり母親相手に粗相をしたりして教育指導的に2度にわたり捨てられるという経験を受けながらも、野山芯と共に健やかに育っていくロック。
ところが2000年8月、突如三宅島の大噴火が発生し、島民全てが島か避難せざるをえない事態に発展します。
それに先立ち、三宅島の子供達を東京の全寮制の学校に受け入れるという方針が決定。
野山芯は当時まだ小学2年生でしかなかったにもかかわらず、ロックどころか家族とまで一時的にせよ引き離れることを余儀なくされます。
そして、東京へ移動する日に当たる2000年8月29日の朝、駄々をこねつつも両親の説得(というより母親の一喝)で東京へ向かうための車に乗り込んだ野山芯は、異変を察知して追いかけてくるロックに見送られながら三宅島から離れることになるのでした。
しかし島の状況はそれからさらに悪化し、わずか4日後の9月2日は全島民が三宅島からの離島を余儀なくされることになります。
当然、ロックも一緒に家族と一緒に三宅島から離島することになっていたのですが、ここで大きなミスが発生します。
大型犬を収納するカゴに入れられることを嫌がったロックが、あろうことかカゴから脱走し、行方をくらましてしまったのです。
ロックの生存が絶望視される状況の中で父親からそのことを告げられた野山芯は、それでも「ロックは生きている」と信じて待ち続けるのですが……。

映画「ロック ~わんこの島~」は、フジテレビ系列で放送されている朝の情報番組「めざましテレビ」の人気コーナー「きょうのわんこ」で話題となった実話を元に製作された作品です。
その紹介内容はネット上でも公開されています↓

http://www.fujitv.co.jp/meza/wanko/wsp0706.html

こちらのロックはゴールデンレトリバーではなく雑種だったようですね。
ただ、今作の元ネタとなった実在のロックは、映画クランクインの3ヶ月前に、14年11ヶ月という高齢のため亡くなったとのこと↓

http://www.cinematoday.jp/page/N0034029

実在のロックもまた、三宅島の噴火で数奇な人生を歩んでいたようですね。

映画「ロック ~わんこの島~」では、飼い犬であるロック絡みの話もさることながら、大規模災害で被災した家族が如何にして避難生活を乗り越えるかというテーマについても描かれています。
自分達の生活を維持していくため下働きに出る両親。
同じ避難民達の相談窓口担当になる祖母。
離島者達を励ます意図で開催された祭り。
野山芯の父親が母親に向かって述べていた「俺達に出来ることはひとつ、落ち込まないこと」「落ち込んだら、負けるぞ」という言葉。
そして、奇跡的にロックと再会することができたものの、避難生活を余儀なくされているが故に避難先の仮住まいでは飼うことができず、収容されていた三宅島噴火災害動物救護センターの生活でストレスが溜まり衰弱していくロックを見て、「ロックを手放す」という自身にとってもつらい決断を下す野山芯。
いずれも、三宅島からの離島で生活基盤を破壊され、いつ終わるとも知れない避難生活を余儀なくされた避難民ならではの日常風景と言えるものでしょう。
時勢柄、東日本大震災や福島第1原発の被害に遭い、まさに「いつ終わるとも知れない避難生活」を続けている被災者の人々の境遇とも重なります。
それ故に作中で描写されている避難生活は、今の日本人にとって感情移入しやすいものになっているのではないでしょうか?

あと、物語後半でロックを引き取っていった新しい里親さん達が、2005年2月に三宅島の避難命令が解除された際、どういう心境でロックを手放したのかも気になるところではありましたね。
ロックは野山芯の決断で新しい里親に引き取られていったのですが、その際、野山芯の父親が、新しい里親の人に「三宅島の避難命令が解除されたら、再びロックを自分達に返して欲しい」と土下座までして頼み込んでいました。
しかしその後1年以上経っても避難命令が解除されなかったため、「もう返すようなことにはならないだろう」と判断した新しい里親の人達は、「ロック」という名前も改名してすっかり「自分達の犬」として可愛がっており、ロックもまた新しい里親の人達に懐いていたのです。
それを避難命令が解除され、自分達のところにロックを返すよう改めて求められた新しい里親の人達は、さぞかしロックのことについて悩まざるをえなかったことでしょうね。
確かに土下座までして頼み込まれた約束を承知してしまった以上、理論的には返すのが筋ではあるのですが、彼らとてロックを引き取っていた間にロックに対する愛着も湧いてきたでしょうし、こちらも相当なまでの葛藤があったであろうことは想像に難くありません。
両者を仲裁していた女性の獣医の真希佐代子も、ロックを返してもらうよう押しかけてきた野山芯の父親相手に何度も思いとどまるように忠告すらしていたくらいでしたし。
野山一家と再会したロックは、野山芯のことをちゃんと覚えていて、嬉しそうに吠えながら野山芯に向かって駆け出してきましたが、ロックにとって果たしてどちらの飼い主が本当に大事だったのか、微妙なところではあります。
ロックの視点から見れば、「野山芯および野山一家は自分を捨てた」と解釈しても不思議ではないところですからね。
というか、両者の再会でロックが吠え出した時、笑みを浮かべる野山一家の面々を見て「アレは野山一家を拒絶している吠え声かもしれないじゃないか、その判断はまだ早過ぎる」とすら、私はついつい考えてしまったくらいだったのですが(^_^;;)。

ペットを扱った作品としての方向性は、過去に観賞した映画「わさお」に近いですね。
最初から悲劇的な結末が明示されている映画「星守る犬」は「泣くのが分かりきっているから観ない」と犬好きな人間から敬遠される傾向が多々ありましたが、その点この映画はある意味「安心して観れる作品」です。

3D版映画に纏わる料金と演出の問題点

2009年公開映画「アバター」以降すっかり定着した感のある、3D対応の映画と、それを観賞するための3Dメガネ。
私が映画館で観賞している作品でも、だいたい7~8本に1本程度の割合で3D対応映画が出てきます。
3D映画の利点としては、「画面から飛び出す立体感が体験できる」といった類のキャッチフレーズがよく謳われています。
しかし、実際に何度も3D映画を観賞した人間としては、
「通常の映画とほとんど大差のない映像にしか見えないものにわざわざ追加料金を払ってまで観る価値はない」
というのが感想だったりするんですよね。

3D映画を観ようとすると、通常の映画料金とは別に3D料金が300~400円ほどかかります。
映画館にある各種割引サービスでも、3D料金については対象外で割引が全く適用されず、1ヶ月フリーパスポートすら無効で別途料金を支払わなくてはなりません。
最近では3Dメガネを持参すれば料金100円割引というサービスも出てきましたが、以前は300円だった3D料金を100円値上げした上での措置なのですから、「どこまでアゴキな商売やっているんだ」とついついツッコミを入れたくなりましたね。
単純に「カネが余計にかかる」というだけでも3D映画には軽視できない問題があります。

それでも「3Dならではの迫力や魅力」があるのであればまだ良いのですが、3D映画の中には「何故この映画が3D対応になっているの?」と首を傾げたくなるような作品も少なくありません。
立体的に演出されているのが分かるのは字幕だけ、などといった事例も多々ありましたし、よしんば、「これぞ3Dの演出!」という描写があるにしても、映画全体を通じてたった1~2箇所程度の描写だけしかない、という事例もあったりします。
演出的にも、「通常の映画とどこがどう違うのか?」というところからすでに疑問を感じざるをえない作品がほとんどであると言っても過言ではありません。
観客的な視点から見ると、3D映画の利点ってほとんどないのではないでしょうか?

最近では、映画館で3Dと2Dが同時公開されている作品については、時間の都合等でやむをえない場合を除き、無条件で2D版を選択するようになってしまっています。
余計なカネがかかる上に特別な魅力もなく、さらにメガネをかけなければならない手間が増えるだけとなれば、3D映画を敬遠するようになるのは当然のことです。
観客のニーズと合致していない現行の3D版映画が製作される理由って、観客から余分にカネを搾取できる映画館と映画制作者の利権でも絡んでいるのではないかとしか思えないところなのですけどね。
本当に立体的かつ迫力のある3D映画を製作するとか、現行の料金体系を見直すとか、3D映画の現状は何らかの改善を行うべき時期にいいかげん来ているのではないでしょうか。

スポーツナショナリズムが全面肯定される不思議な光景

世界女子サッカーW杯ドイツ大会決勝で日本のなでしこジャパンが見事優勝を飾り、日本中が沸きに沸いています。

http://megalodon.jp/2011-0718-0800-15/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110718-00000010-mai-socc

しかしまあ、こういう日本応援系のスポーツ記事を見る度に考えてしまうのですが、日教組や朝日新聞、その他サヨクな皆様方は、こういう時こそ「危険なナショナリズム」「軍靴の足音が聞こえる」などといった警鐘を積極的に鳴らしまくるべきではないのでしょうか?
常日頃から小中高で行われる卒業式や入学式の度に常に日の丸・君が代を敵視し、愛国心教育を「危険なナショナリズム」として排除し続けてきた日教組や朝日新聞その他サヨクな方々が、スポーツナショナリズムが如何に危険なシロモノであるのかについて、まさか知らないはずはないと思うのですけどねぇ(苦笑)。
各国のサッカーチームのサポーター達が暴動を繰り広げる様は有名ですし、サッカーの試合の遺恨が直接のきっかけとなってエルサルバドルとホンジュラスとの間で勃発したサッカー戦争という事例もあります。
危険度は卒業式や入学式の比ではないのですけどね、スポーツナショナリズムは。

また、事業仕分けでスポーツ振興費を削減し、「2位じゃダメなんですか?」などという【名言】を吐いた蓮舫やそれを後押しした民主党などは、当然なでしこジャパンについても同じことを述べ、更なるスポーツ振興費の仕分け作業に精を出すことを誓わなければならないでしょう。
蓮舫的には「1位を取るような実力や技術は不要」ということになるはずですし、現行のスポーツ振興費でも1位が取れるということは、そこに少なからぬ「無駄」があるということにならざるをえないのですから。
危険なナショナリズムの台頭を抑止し、無駄を削減する。
自分達の正当性を主張するのに、なでしこジャパン優勝で日本が沸いているこの時期ほど千載一遇の好機はないではありませんか(爆)。
常日頃から勇ましい主張を展開しておいでの民主党およびサヨクな方々には、是非この機会に八面六臂のご活躍を期待したいところなのですけどねぇ(笑)。

まあもちろん、実際は国民の顔色を伺うしか能のない蓮舫や民主党のお歴々に、そんな毅然とした一貫性のある対応を求めるなど無意味というものではあるのですが↓

http://twitter.com/renho_sha/status/92723047978647553
http://megalodon.jp/2011-0718-2313-43/media.yucasee.jp/posts/index/8302?la=0003

さらに菅直人ことカンガンスに至ってはこんなバカ騒ぎも↓

http://megalodon.jp/2011-0716-1427-58/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110716-00000086-yom-pol
http://megalodon.jp/2011-0718-2316-21/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110718-00000052-jij-pol

なでしこジャパンも、こんな奴らには応援されたくないだろうよ、と私としては言いたくもなるのですが(-_-;;)。
日教組や朝日新聞などが常日頃主張する「君が代・日の丸反対運動」の類にしたところで、結局のところは反権力などという立派なシロモノではなく、単に「権力という名の弱者に逆らっている」だけの弱い者イジメでしかないですからねぇ。
こういう熱狂的な「空気」をものともせず民衆に冷水を浴びせる「正論」を唱えるのが「社会の木鐸」の面目躍如というものではないのかと、まあ連中に述べても無駄な話ではあるのですがね(苦笑)。

ただこの点、我らが田中芳樹御大においては見事に首尾一貫して冷淡な視点を維持していたりします↓

薬師寺シリーズ6巻「夜光曲」 祥伝社ノベルズ版P40上段~下段
<一夜明けて。
 新宿御苑の怪事件も、人食いホタルの出現も、新聞のトップニュースにはならなかった。私が官舎のDKでトーストをくわえたままひろげた朝刊の一面トップは、つぎのようなおめでたい記事だった。
「やったぞニッポン大金星!
 王者ブラジルを撃破!
 列島興奮! 感動をありがとう!」
 前日、つまり東京で怪事件があいついだ日のことだが、名古屋でサッカーの「五大陸杯」とやらが開催され、日本代表チームがブラジル代表を二対一で破ったのだ。スポーツの世界では壮大なる快挙にちがいないが、スポーツ新聞ならともかく、一般紙でトップニュースにすることもないだろう、と思ってしまう。日本のメディアは、国営放送協会(KHK)をはじめとして、とっくに報道機関ではなくイベント広報機関になってしまっている、というイヤミな指摘は、真実かもしれない。>

正直、「これは危険なナショナリズムの兆候だ!」とか「軍国主義の再来だ!」とか「こんな記事に踊らされるのはイベント大好き日本人の発露!」とかいった類の電波を飛ばすところまでいかない辺りが少々「甘い」ところではあるのですが(他の社会評論ではちゃんとそういうことを述べているのに(苦笑))、それでもまた巷のマスコミやサヨクな方々と比べればまだ一貫性はある方なのではないかと。
まあ実際のところ、この手のスポーツ記事に田中芳樹は興味も関心もあまり抱いてなさそうですから、素で他人事としか考えていないのかもしれないですけどね。

映画「コクリコ坂から」感想

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映画「コクリコ坂から」観に行ってきました。
1963年の横浜の港町を舞台に繰り広げられる青春ドラマ系のスタジオジブリ作品。
この映画、当初観に行く予定はなかったのですが、映画公開がちょうど1ヶ月映画フリーパスポート有効期間中だったことから、急遽映画観賞リストに追加されました。
「SP 警視庁警備部警護課第四係」シリーズで主演を演じている岡田准一が声優をやっているという点も大きな観賞動機になりましたし(^^)。
私のスタジオジブリ作品の映画観賞は、1997年公開映画「もののけ姫」以来途絶えていたので、実に14年ぶりのこととなります。

今作の主人公・松崎海は、仕事でアメリカに渡っていた母親に代わり、下宿屋であるコクリコ荘を切り盛りする16歳の少女。
彼女は船乗りを生業とし航海途上で船が遭難し行方不明になった父親の帰還を夢見てか、毎朝海に向かって「安全な航行を祈る」という意味を持つ国際信号旗を掲げるのが日課になっていました。
しかしある日、松崎海が通っている高校で発行されている「週刊カルチェラタン」という学生新聞の記事の片隅でそのことがネタにされ、「これってあなたのことじゃないの?」と親友達と話題になります。
親友達以外の誰が自分の習慣のことを知り、ネタにしたのか?
松崎海はその記事と作成者のことが気にかかるようになるのでした。

そんな松崎海が通っている高校では、高校の文化部が部室として使っていた通称「カルチェラタン」と呼ばれる建物を取り壊し、新しいクラブハウスに建て替えるという話が持ち上がっていました。
文化部を中心に反対運動が起こるのですが、「週刊カルチェラタン」が行っているらしい全学生対象のアンケート調査では取り壊し容認が大勢を占めており、反対運動派にとって状況は圧倒的に不利。
そしてある日の昼食時、彼らは自分達のカルチェラタン取り壊し反対運動をアピールするためなのか、各校舎の窓から垂れ幕を流しつつ、校舎の屋根から学生食堂の脇にある貯水池に飛び込むという挙に出ることとなります。
その貯水池に飛び込んだのが、松崎海より1歳年上の男子生徒・風間俊。
貯水池から浮上してきた風間俊を松崎海は手を差し出して引き上げようとしますが、周囲のはやし立てる声に戸惑った松崎海は引き上げようとしていた手を離してしまいその場から逃げてしまいます。
これが2人の最初の出会いでした。

学生食堂での一騒動の後、松崎海より1歳年下の妹である松崎空が、現場で撮られた風間俊の飛び込み写真を30円で購入したと姉に見せつけてきます。
そして、「この人に会いに行きたいから一緒に付いてきて!」と姉に頼みごとをするのでした。
家事に忙しいこともあり、松崎海は最初妹からの頼みを断るのですが、何度もしつこく頼んでくる松崎空についに根負けしたのか、風間俊がいるカルチェラタンの建物へ一緒に向かうことになります。
カルチェラタンは老朽化が著しく進んでおり、壁は内外を問わずペンキが剥がれ落ちて汚れも目立ち、各部屋や廊下も物が乱雑に置かれている上に埃を被りまくっており、確かにこれでは取り壊し容認が大勢を占めるのも当然といった趣をしていました。
そんなカルチェラタンを歩きつつ、風間俊がいるらしい部屋に辿り着きます。
そこは考古学研究会と新聞部の2つが入っている部室。
風間俊は新聞部の部長であり、「週刊カルチェラタン」を執筆・発行していた張本人でもあったのでした。
そして、これがきっかけとなって、2人は次第に惹かれあっていくことになるのです。

しかし、相思相愛になりつつあった2人に試練が襲い掛かります。
松崎海に家に招待され、そこで松崎海の父親の写真を見た風間俊は、次第に松崎海と距離を置くようになってしまいます。
その態度を不審に思い、雨が降るある日の放課後に風間俊を問い質した松崎海は、そこで衝撃的な事実を聞かされることになります。
「俺達は兄妹かもしれない」
2人の父親は共に澤村雄一郎という人物で、戸籍謄本でもそのように登録されているのでした。
松崎海にしてみれば、この話はショックもいいところだったでしょうね。
兄妹だから結ばれないという事実もさることながら、あれだけ昔から慕っていたはずの父親が実は「母親以外の他所の女と寝て子供を作った挙句捨てたろくでなし」だった可能性も否定できないわけですから。
この問題は写真に登場していた父親以外の人物が解決のカギを握っているのですが、さて2人の恋愛の結末は果たしてどうなるのでしょうか?

映画「コクリコ坂から」は、時代背景は異なるものの、同じスタジオジブリ作品で1995年公開の映画「耳をすませば」とかなり雰囲気が似ていますね。
カップル2人の出会い方も微妙に似ていますし、「原作が少女漫画」という点も両作品で共通しています。
「コクリコ坂から」ではそこに、「カルチェラタンの取り壊し反対運動」という1960年代の学生紛争を彷彿とさせる要素を大量に盛り込んでいるのが大きな特徴です。
ただ、物語中盤で松崎海と風間俊の仲がゴタゴタしていたこともあって、本来ストーリーの軸になるはずの恋愛話的な要素が薄れてしまい、どちらかと言えば反対運動話の方がメインで展開されているような感がありました。
カルチェラタン絡みの話はやたらと細かく描写されていますし。
上映時間が91分と映画としては比較的短い部類に入るわけですし、反対運動話よりも恋愛話の方にもう少し力を入れてもらいたかったところなのですけどね。

あと、タイトル名が「コクリコ坂から」となっているにもかかわらず、作中ではコクリコ坂という名前は一切出てきません。
坂自体は何度か出てきているので、その中のどれかがコクリコ坂ではないかとは思うのですが。

ただ、映画を製作した監督である宮崎吾朗は、前作「ゲド戦記」で散々なまでの酷評を受けていたようですが、映画「コクリコ坂から」に関する限りはそういうこともないのではないでしょうか?
個人的には、「耳をすませば」がスタジオジブリ作品の中では1・2を争うお気に入り作品だったこともあり、同様の傾向を持つ作品として充分に楽しむことができましたし。
すくなくとも、少女漫画的な恋愛話や、1960年代的な雰囲気が好きという方にはそれなりにオススメできる作品ではないかと。

映画「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2(3D版)」感想

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映画「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2」観に行ってきました。
「ハリー・ポッター」シリーズ最終章2部作後編。
ハリー・ポッター一行とラスボスであるヴォルデモードとの最終決戦が、「ハリー・ポッター」シリーズの原点であるホグワーツ魔法魔術学院を舞台に繰り広げられます。
この作品は3Dと2D版が同時公開されており、個人的には2D版を観たかったのですが、不幸にも2D版の上映スクリーンが満席だったため、泣く泣く3D版を観る羽目に(T_T)。
1ヶ月無料のフリーパスポートも、3D版の追加料金については適用されないんですよね~(-_-;;)。

今作も前作「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1」に引き続き、ラスボスであるヴォルデモードの死命を制する分霊箱の探索および破壊がメインとなります。
物語序盤では、ゴブリン達が運営する魔法界唯一の銀行グリンゴッツの金庫に保管されていたハッフルパフの金のカップが目標となります。
様々な罠や裏切りまで発生する中、何とか首尾良くカップを奪取することに成功したハリー・ポッター一行。
そして、次にハリー達が探す目標として選んだ分霊箱は、同じくホグワーツ魔法魔術学院内に隠匿されているレイブンクローの髪飾り。
そのホグワーツ魔法魔術学院は、前々作「ハリー・ポッターと謎のプリンス」で校長ダンブルドアを殺害したセブルス・スネイプが新校長として支配する恐怖政治が行われており、またハリー・ポッターも当然のごとく指名手配犯的な扱いを受けていました。
秘密の通路を辿ってホグワーツ魔法魔術学院に潜入したハリー・ポッターは、生徒・教師を一同に集めてハリー・ポッターの情報提供を強要するスネイプの前に現れ糾弾を開始。
セブルス・スネイプはハリーを倒そうとしますが、そこに立ちはだかったミネルバ・マクゴナガルが炎の魔法を連発してスネイプを圧倒、スネイプは校長の地位を追われ逃走する羽目になります。
そして、自分の弱点でもある分霊箱が次々と壊されていく事態にようやく気づいたヴォルデモードが、これ以上の分霊箱破壊を阻止すべく、大軍を率いてホグワーツ魔法魔術学院へ侵攻を開始するのです。
分霊箱が破壊されるまでの時間稼ぎを目的に、ホグワーツ魔法魔術学院側もマクゴナガルの指揮の下、防戦態勢を整えることになるのですが……。

映画「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2」でひとつ疑問なのは、「死の秘宝」のひとつで前作「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1」のラストにおいてヴォルデモードがダンブルドアの墓から掘り出したニワトコの杖の所有権についてですね。
このニワトコの杖の所有権というのがなかなか面白いもので、所有者が変わると古い持ち主を捨てて新しい持ち主に忠誠を近い、新しい持ち主に所持されている場合にのみ最強の力を発揮するというものです。
作中では、この杖の忠誠心をヴォルデモードが獲得した場合、ハリー・ポッター達の敗北は確実であるとまで言われていました。
シリーズにおけるニワトコの杖の所有権は、前々作「ハリー・ポッターと謎のプリンス」の終盤近くまではダンブルドアが保持していたのですが、ダンブルドアは物語終盤でドラコ・マルフォイの不意打ちを受けた際に所有権を失い、ドラコ・マルフォイに所有権が移動します。
その直後にダンブルドアはセブルス・スネイプに殺害されたため、ヴォルデモードはスネイプを殺害してニワトコの杖の忠誠心を得ようとするのですが、スネイプは当然のことながら杖の所有権者ではなかったので目論見は失敗します。
その一方で、何も知らずニワトコの杖の所有権者になっていたドラコ・マルフォイは、前作「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1」でハリー・ポッターと戦った際に杖を奪われてしまい、その際にニワトコの杖の所有権をもハリーに渡してしまうのです。
さて、そんな状態でハリー・ポッターとヴォルデモードには、今作の物語後半、森の中で1対1で対峙する局面が発生します。
そんな事態が発生した理由は、ハリー・ポッターがヴォルデモードすらも知らないうちにヴォルデモードの分霊箱になってしまったという出生の秘密を知ったことにあるのですが、それはさておき、ここでハリー・ポッターを葬る絶好の好機と見たヴォルデモードは、ハリー・ポッターに呪文を叩きつけて倒してしまいます。
この時、たとえ一時的であるにせよ、ヴォルデモードはハリー・ポッターに勝利したことになるわけですから、この時点でニワトコの杖の所有権移動は発生しないのか、という疑問を私は抱かざるをえませんでした。
何しろ、ドラコ・マルフォイの場合は、直接相手を倒すのではなく武装解除させただけで所有権の移動が成立したわけなのですから。
ましてや「所有権者を倒した」となればハリー・ポッターからヴォルデモードへの所有権移動は当然起こりえるのではないのかと。

Twitterでの返答ツイートやwikipediaで調べてみた限りでは、ニワトコの杖の所有権は「計画された死」では移動することがなく、またあの場面におけるハリー・ポッターは実際には死んでいなかったとのことで、杖の所有権が移動する条件を満たさなかったというのが真相だったとか。
しかしそういった設定は、映画を観ていた限りでは全く説明らしいものがなく、ハリー・ポッターの復活も唐突に行われていた感が否めなかったというのが正直なところでしたね。
ヴォルデモードがドラコ・マルフォイの母親にハリー・ポッターの死を確認するよう命じ、母親は「死んでいます」と報告してもいましたし、対決の直前には「死の秘宝」のひとつである「蘇りの石」をハリー・ポッターが取り出す描写があったので、てっきりそれの効果で復活でもしたのかと最初は考えていたものでした。
せっかく原作をわざわざ二部作構成にしたのですから、この辺りはもう少し説明が欲しかったところではあります。
ただヴォルデモードについても、死の確認方法が甘すぎるとしか言いようがないところではあるのですけどね。
わざわざ他人に確認させないで、自身の魔法を使ってハリー・ポッターの身体を粉砕するとか両手両足ないしは首を切り落とすなどといった方法で、ハリー・ポッターの生死を実地で確認すれば良かったのに(苦笑)。
これなら万が一生きていたとしても戦闘能力を削ぐことができますし。

あと、ヴォルデモードを倒した後、ニワトコの杖を手に入れたハリー・ポッターは、ニワトコの杖をへし折って谷底に捨ててしまうのですが、そんな程度のことでニワトコの杖って無効化できるようなシロモノだったのでしょうか?
ニワトコの杖の処遇についてダンブルドアはかなり苦労していたようでしたし、そんなに簡単にケリがつけられるのならば最初からやっておけば良かったのに、としか言いようがなかったのですが。

しかしこの「ハリー・ポッター」シリーズって、小説でも映画でもやはり全作品通して観覧しないと人物関係や作品相互の関連性が非常に分かりにくいですね。
すくなくとも単独で楽しめる映画作品では全くありえません。
原作を通読するなり過去の映画作品のDVDを借りるなりして、全作品を観ることによって初めて全体像が分かる作品であると言えそうです。

Facebookの日本国内総ユーザー数が約385万人に到達

セレージャテクノロジー社が集計した、2011年7月14日時点におけるアジア各国のFacebook推定ユーザー数ランキングによると、日本のユーザー数は約385万人で世界第10位、国内最大手のSNS「mixi」の16%にまで上昇しているのだそうです↓

http://megalodon.jp/2011-0715-2003-15/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110715-00000005-sh_mar-sci

Facebookの日本人ユーザー数が200万人の大台を突破したのが今年の1月だったことを考えると、色々と問題があったFacebookもようやく日本に浸透してきた、といったところでしょうか。
Facebookの日本語版が公開されたのが2008年5月ですから、2年8ヶ月もかけて獲得した総ユーザー数近くの人数を、ここ半年ほどでFacebookは新たに獲得していることになります。
日本の場合はやはり、今年1月に公開された映画「ソーシャル・ネットワーク」の影響が少なくないでしょうね。
それまで日本では比較的マイナーな存在だったFacebookが、アレでかなり一般にアピールされましたし。
宣伝戦略という観点から言えばなかなか上手い手法ではありましたね。

ただ、SNSとしては相変わらず使い勝手が悪いのが何とも…。
定期的にツイートとフォローを繰り返せばよいだけのTwitterと異なり、Facebookはmixiに近い形態ということもあり、宣伝がそう単純に出来るものではないですからね。
広告が出せるというのがFacebookが持つ魅力のひとつではあるようなのですが、広告掲載は有料サービスですし。
Twitterのように、根気は必要だが無料でできるという宣伝のやり方って、Facebookにはないものなのですかねぇ(-_-;;)。

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