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2012年06月の記事は以下のとおりです。

映画「ラム・ダイアリー」感想

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映画「ラム・ダイアリー」観に行ってきました。
故ハンター・S・トンプソンによる同名の自伝小説を原作とし、親友のジョニー・デップが故人のために企画・製作・主演の全てを担った伝記ドラマ。
作中ではセックス描写があることから、映画館ではR-15指定されています。

舞台は1960年。
アメリカ・ニューヨークの喧騒に疲れ果てた今作の主人公ポール・ケンプは、カリブ海に浮かぶ南アメリカ・プエルトリコの新聞社サンフアン・スターで記事を書くために移住してきたジャーナリスト。
神経過敏気味の社長兼編集長のロッターマンとの面談で履歴に偽りがあることを指摘されるものの、とりあえずは採用が決定します。
ポールは、ロッターマンからボブ・サーラという社員を紹介され、彼から仕事について色々教えてもらうよう指示されると共に、新聞の紙面を埋める占い記事執筆の仕事を任されることになります。
ボブ・サーラはサンフアン・スター社の将来に悲観的で、ポールと共に飲んでいる酒場?で、あの会社は間もなく潰れるだろうという不吉な予言を開陳したりするのでした。
そんなある日、ロッターマンから暫定的にあてがわれていたホテルのプールでポールが泳ごうとしたところ、ホテルの従業員に制止されてしまいます。
何事かとポールが問い質したところ、ホテルのプールでは、最近プエルトリコに進出してきたらしいユニオンカーバイドという会社が貸し切りでパーティをしているとのこと。
プールで泳ぐ当てが外れてしまったポールは、仕方なく足漕ぎボートを出してひとり寂しく夜の海辺に出て行きます。
そこでポールは、夜の海を素っ裸で泳ぐひとりの金髪の女性と運命の出会い?を果たすことになります。
その時は、名前を教えてくれというポールの要求を拒否して女性はその場を後にしています。
さらにその後、今度はマイアミに出張して市長?のインタビューを取って来いと指示され、プエルトリコの空港へと向かうことに。
しかし、空港で飛行機便を待っている間、ポールは非専属の不動産業者サンダーソンと出会い、飛行機便がキャンセルされてしまったことを告げられます。
その告知通りに搭乗予定の飛行機便がキャンセルになったことを確認すると、ポールはサンダーソンと一緒にサンダーソンが所有する海辺の別荘?へと向かうことに。
そこで彼は、ホテルの海辺で出会い、サンダーソンの婚約者となっている女性シュノーと再会することになるのでした。
サンダーソンはポールに対し、現在は演習地として使われているアメリカ軍の賃貸契約が間もなく切れる島の開発計画で新聞記事を使い協力するよう依頼してきます。
ポールはその後のゴタゴタもあって、なし崩し的にサンダーソンの協力者となりつつ、シュノーとの交流を重ねていくことになるのですが……。

映画「ラム・ダイアリー」は、どうにも全体的にあまりパッとしないイメージが拭えないですね。
主人公ポールがラム酒を手放せないアルコール中毒の新聞記者、というのはまだしも、物語中盤まではその場その場の雰囲気に何となく流されているだけの意志薄弱な様相を呈しています。
そして物語も終盤に差し掛かり始めたところでようやく自立行動し始めたかと思えば、今度はその努力が全て空回って何ら成功に結びつくことすらなく、最後はサンダーソンの船を盗んでアメリカに戻るだけという、あまりにも盛り上がりに欠ける展開が延々と続いていたりするんですよね。
ヒロインであるシュノーはシュノーで、サンダーソンとセックスを繰り広げたかと思えば、ポールを誘惑したり、地元のクラブで筋肉隆々の男達と一緒にストリップダンスを踊ったりと、あまりにも浮気性な実態を晒しまくっています。
挙句、当然のごとくサンダーソンに捨てられ、ポールの元に転がり込んできて一緒になったかと思えば、ポールを置いてひとりだけプエルトリコを出国してアメリカに向かってしまい、しかもその後作中では全く登場することなくモノローグだけで結末が語られるという始末。
主人公はやることなすこと全部グダグダかつ結果すらも出せず、ヒロインは主人公と一緒になって互いに支え合うでもなく自己中心的に活動していただけと、まるで良いところが見出せないのですが。
ストーリー的にも、延々と谷間が続いているだけで全く山場がない状態ですし。
ポールが作中で明確に出したといえる成果が、サンダーソンの船一隻奪っただけというのは正直どうなのかと。
今作で企画・製作・主演を担っているジョニー・デップは、ヒロイン役のアンバー・ハードと熱愛関係にあると報じられているようですが↓

http://megalodon.jp/2012-0630-2109-04/news.mynavi.jp/news/2012/06/30/007/
> アンバー・ハードが、長年のパートナーと破局したことが報じられている。
>
>
アンバーは、ジョニー・デップと急接近していることが理由で、アーティストで写真家のガールフレンド、ターシャ ・ヴァン・ リーと数カ月前に別れたという。ある関係者はイン・タッチ・ウィークリー誌に「もう2人は付き合っていません」と明かしている。
>
> バイセクシャルのアンバーは、2008年からターシャと交際しており、先日ロサンゼルスで開催されたゲイ・レズビアンの団体「GLAAD」の25周年記念パーティーに2人で出席していた。先の関係者によれば、2人は破局後も友人同士であり、ターシャはハリウッドのバー・マーモントで再度の独身生活をエンジョイしているという。先の関係者もこう続けている。「(ターシャは)何人かの綺麗な女性たちと笑っておしゃべりを楽しんでいましたね」
>
> 一方のジョニーは、14年越しのパートナーであるヴァネッサ・パラディとの破局を先日公表したばかりだが、半年前から別れたのではないかという噂はあった。その間
ジョニーは、2013年公開予定の最新作『ザ・ローン・レンジャー』を撮影しており、アンバーに馬をプレゼントし、一緒に乗馬を楽しんだと報道されていた。
>
> ジョニーとアンバーが共演した新作『ラム・ダイアリー』は6月30日(土)から日本公開予定だ。

こういう話を見ると、ジョニー・デップ個人が好き勝手にすることを目的にこの映画は作られたのではないか、という勘ぐりすらどうにも抱かざるをえないところですね。
いや、それならそれでまだ映画としての出来が良いのであれば文句のつけようもないのですが、如何せんあのストーリー仕立てでそれは無理というもので……(-_-;;)。

この映画は、根っからのジョニー・デップのファンな方々か、1960年代当時のアメリカやプエルトリコの雰囲気を堪能したいという人以外には、全くオススメのしようがありませんね。
すくなくとも、ハリウッドスタンダードなストーリーを期待して観に行ったら、痛い目に遭うこと間違いなしです。

東日本大震災の復興費の約4割が年度内に執行されず

東日本大震災の復興費として当てられた予算15兆円のうち、約4割近くに上る5兆8728億円が執行されていなかったことが判明しました。
政府が被災地との調整に手間取り復興事業が進まなかったのが原因とのことですが……↓

http://megalodon.jp/2012-0629-0038-31/sankei.jp.msn.com/economy/news/120628/fnc12062823280020-n1.htm
>   政府が平成23年度予算で計上した東日本大震災の復興費約15兆円のうち、約4割が23年度内に使われなかったことが28日、分かった。第1次~第3次補正予算の復興費の執行状況を復興庁が集計した。
>
>  
政府が被災地との調整に手間取り、復興事業が想定通りに進まなかったためで、これほどの規模の予算が執行されなかったのは極めて異例だ。29日にも発表する。
>
>  復興費14兆9243億円のうち、年度内に執行されたのは全体の60・6%の9兆514億円にとどまった。
40%近い、5兆8728億円が使われなかった計算だ。
>
>  震災直後は被害状況の把握が難しく、予算が多めに計上された面もあるが、政府は使い残した予算について、24年度に繰り越したり、予定していた事業に充てない「不用額」として処理する方針だ。
>
>  この結果、24年度に繰り越されるのは4兆7694億円に上る。集落の集団移転など幅広い事業に使えるお金として、国が被災地の自治体に配分する「震災復興交付金」は3次補正予算で1兆5612億円を計上していたが、1兆3101億円を繰り越す。
>
>  また、災害廃棄物や放射性物質の仮置き場がなかなか見つからないことなどから、災害廃棄物処理事業費の3941億円、除染事業費の1681億円についても、それぞれ同様に処理する。
>
>  一方、不用額は、道路や港湾の復旧に充てる災害復旧事業費など1兆1034億円に上る見通し。政府は全額を24年度に新しく設けた復興特別会計に繰り入れる方向で調整する。

消費税の増税についてアレだけ毎日毎日侃々諤々と喚きまくっていたのに、それよりもはるかに重要度の高い震災復興ではマトモな予算執行すらできないって……。
民主党政権は、震災復興のための最終的な予算案となる第3次補正予算を成立させるのにすら、3月11日の震災から実に8ヶ月以上もの時間をかける始末でしたし。
復興というのは時間が何よりも大事であるはずなのですけどねぇ。
予算不足をがなり立てる前に予算をきちんと執行する方が先でしょうに。
本当に政権担当能力のない政党ですね、民主党は。
こんな阿呆な政党が自壊して分裂の危機にあるなどと報じられても、欠片たりとも同情する気など起こりませんね。
むしろ、早く消滅して欲しいくらいですらあるのですが。

それにしても、こんな阿呆政党を間違いなく支持していたであろう田中芳樹の今現在の心境って、果たしてどんなものなのでしょうかねぇ(苦笑)。
この間刊行された薬師寺シリーズ9巻「魔境の女王陛下」で、震災や原発事故についていつものごとくタワゴトを並べまくっていた社会評論があったにもかかわらず、民主党については全く言及すらされないという摩訶不思議な珍現象を開陳していたところから考えても、下手に民主党を擁護するのはマズいという程度の判断はあったみたいですし。
こんな惨状で、

http://twitter.com/adachi_hiro/status/68805786008162305
<田中さんは、単におちょくる相手は弱いモノより、政府とか国家とか、強いモノにしたほうが面白いだろ、っていうだけだからなあ。>

などと述べたところで、一体誰がそんなものを信じるというのでしょうかね>田中芳樹&社長氏。
2009年8月の衆議院総選挙後の民主党は、疑問の余地なく政権与党や政府を担っている「強いモノ」であるはずなのですが(笑)。
これがせめて、自民党だろうが民主党だろうが同じように取り上げ批判する、というのであれば、まだしも一貫性くらいは認められたのですけどねぇ(-_-;;)。

大阪府泉佐野市で「飼い犬税」の導入検討?

財政難に喘ぐ大阪府泉佐野市が、飼い犬に税をかける「飼い犬税」の導入を検討しているのだそうです。
犬のフンの放置に対する罰金を定めた環境美化条例に実効性がない、というのが理由とのことですが……↓

http://megalodon.jp/2012-0628-1932-47/www.j-cast.com/2012/06/28137441.html?p=all
>  消費増税などで税金に関心が高まっているが、大阪府の泉佐野市が家庭で飼われている犬に税金を課す「飼い犬税」を検討していることが分かった。同市では、これまで犬のふんの放置しないよう啓発してきたが、効果が見られなかったといい、早くて2年後の導入を検討しているという。
>
>  2012年6月27日、千代松大耕市長が市議会で明らかにしたもの。NHKの取材に「関西国際空港の直近の街なので世界各国の人々が訪れる。きれいな美しい街作りをこれからも続けていく」と話した。
>
>  市では現在、約5400匹の飼い犬が登録されている。1月から環境美化条例で、犬のふんを放置した違反者から1000円を徴収することになっていたが、実際に徴収された事例はなかった。道路や公園に放置されるケースがあり、2011年度は市民から32件(犬28件、猫4件)のふん被害が市に寄せられたという。
>
>  そのため、今後も改善されなければ早ければ2年後に「飼い犬税」を導入するのだという。市の環境衛生課の担当者は
>
>
「犬のふん被害が、泉佐野市が特別ひどいとか、増えているということではないが、決め手がない。環境美化条例はお金を徴収するのが目的ではなく、まずは啓発になればと思ったが、半年経っても効果が見られなかった」
> と話す。
>
>  狂犬病ワクチン接種の際、同時に飼い主から徴収することを検討。集めた税金は清掃員や見回り人員の強化費用に充てる。税額については今後人件費などから算出すると見られる。「犬税」は法定外税に当たり、自治体が独自に条例を定め、総務相が認めれば導入できる。
>
>  市には「飼い犬税」検討が報じられてから、市民から多数の意見が寄せられた。「犬猫のふんや鳴き声に困っているのでもっと厳しくして欲しい」というもののほか、「自分はきちんと犬のふんを拾っているのに何で税金がかかるのか」と賛否両論あったという。
>
>  飼い犬への課税というと少し奇妙な感じだが、1955年には2686の自治体で「犬税」が設けられていた。その後、徴収コストなどが理由で相次いで廃止。1982年3月末に長野県旧四賀村(現松本市)が廃止したのが最後となった。
>
>  松本市によると当時の犬税の資料は残っておらず、事情が分かる職員もいないということだった。しかし過去の新聞記事によると、1978年度に導入。1匹当たり、年300円徴税していたが、野犬と飼い犬の区別がつかないため、正直に申告した人とそうでない人とで不公平が生じるという意見が出て、4年で廃止となったという。
>
>  今回の飼い犬税についてネットでは「東京もやってほしい」「大型犬は高課税にするのかな?」「室内犬を飼ってる人は関係無いし、ちゃんとふんの始末してる人まで白い目で見られるだろ」といった声が出ていた。
>
>  泉佐野市の担当者は「室内犬をどう区分けするのかというのも当然出てくるが、まだ議論していない。税額等も含め、今後細かいところを話し合っていく」と話していた。
>
>  泉佐野市は人口約10万人。関西国際空港に合わせて大型開発プロジェクト「りんくうタウン」などにも取り組んできたが、当初計画と通りには進まず、
財政状況は極めて苦しい。今年3月には、市の名を企業名や商品名にできる「命名権」売却を公表し、話題になった。今回の「飼い犬税」の検討も、苦しい財政事情を反映しているようだ。

記事にもあるように、大阪府泉佐野市は、かつて財政難を理由に市名の命名権売却を謳ってニュースになったことがある、曰くつきの市だったりします。
あの時の前科を鑑みても、今回の「飼い犬税」導入も市の財政難が主な原因であるとしか思えないところですね。
人口73万の熊本市でさえ、犬のフンの被害について深刻に取り上げられることなんてほとんどないのに、人口10万人程度の市町村でそこまで問題になるものなのかと。
かつて民主党も、なりふり構わぬ増税政策の中に「ペット税」の導入なるものを入れていたことがありましたが、今回の件はそれの縮小再生産版なのではないでしょうか?
ペット愛好家達を振り回すのもいいかげんにして欲しいところなのですけどね。

TOHOシネマズが導入した映画チケット自動発券機の課題

2012年の4月頃から、全国各地のTOHOシネマズ系列のシネコンにて導入された、チケットカウンターの自動発券機。
既存のインターネットチケット販売「vit」と並ぶ、TOHOシネマズが繰り出した販売戦略の一翼を担うシステムです。
導入からそれなりの時間が経過していますが、今回はこの自動発券機の問題点について少し。

TOHOシネマズで導入された自動発券機は、映画館の戦略的には、発券窓口の人件費を削減すると共に、ともすれば閉じられがちな窓口を常時オープンさせ続けることで、客のチケット購入需要に常時対応可能にすることを目的にしたものと思われます。
客が列を作って並んでいるのに受付可能な窓口が1つしか開いていない、という事態も結構ありましたし、理屈の上で言えば、企業的にも観客的にも利益が出るものとなるはずです。
しかし、実際にチケットカウンターに並んでみると、自動発券機の設置数が増えたことで以前よりも多くの客が捌けるようになっているにもかかわらず、以前よりも却って流れが悪くなっているような感がどうにも否めないんですよね。

自動発券機でチケットを購入する客の様子を見てみると、自動発券機の前で戸惑っていたり、考えこんでいたりする光景がしばしば目につきます。
TOHOシネマズの自動発券機は、操作方法自体がコンビニのATM以上に煩雑で、初心者の場合は操作方法が分からず立ち往生してしまうことも珍しくなかったりします。
TOHOシネマズ側も、一応はそういう事態を想定してスタッフを常駐させているのですが、教えられながらのたどたどしい操作では、当然のごとく自動発券機の滞留時間も通常より長くなります。
そうなると、たったひとりの客が止まることで後ろがつかえてしまい、結果的に渋滞を招いて回転率が悪化してしまうなどという、観客的にも企業的にも望ましくない事態が発生することになってしまうわけです。
かくいう私自身、あの自動発券機は何度か操作したことがあるのですが、この手の操作に慣れている人間から見ても、操作の手順がかなり多い感は否めなかったところですからねぇ。
しかも、これがさらに家族などで複数分のチケット発券をひとりでやっていたりすると、さらに厄介なことになりかねないわけで。
家族全員がそれぞれシネマイレージカードを所持していたりする場合、作業を一括で行うことができないのですから。
それやこれやで、ひとりないしは一組の集団が自動発券機の前でモタモタしながら作業に没頭することによる渋滞が、人間のスタッフがやっていればありえない落とし穴として立ちはだかることになるわけです。

この手の自動発券機の操作方法に纏わる問題については、まだ導入して間もないことから「客側が慣れていない」という事情も当然あるでしょう。
何度も繰り返し操作していけば、やがて慣れていって操作時間も短縮されるのは間違いないのですから。
しかし、ただでさえ映画館の観客には「数ヶ月~1年に1度程度」の一見さんが少なくなく、あまり自動発券機に触れることのない彼らがこの手の自動発券機の操作に慣れるのはかなり難しいものがあります。
特に人気映画ともなれば、彼らの割合は飛躍的に増えることになるわけですから、慣れない操作による人の流れの停滞と渋滞の発生は無視できない問題になりそうです。
また、レディースディやシニア割引を見ても分かるように、映画館は女性層やシニア層を観客のメインターゲットに据えているところがあるのですが、それらの層はこの手の操作を特に苦手としている人達が少なくない層でもあります。
常連客であればそれでも慣れるのは難しくはないでしょうが、これが一見さんだったりすると一体どうなるのか……。
映画館の主要客層が交通渋滞の原因になる、というのは映画館側にとっても皮肉もいいところなのではないでしょうかねぇ。

TOHOシネマズのみならず、映画館の自動発券機の導入自体は「時代の流れ」と言える部分もあるのですが、それが問題も違和感もなく自然に受け入れられるようになるには、まだまだ少なからぬ時間が必要になりそうですね。

アメリカのアニメーション映画における3D映像の敬遠傾向

アメリカのアニメーション映画で3D版の観賞割合が減少の一途を辿っているとのことです。
ディズニー/ピクサー社の製作による映画「メリダとおそろしの森」では、3D観賞の割合が34%に留まっているそうで↓

http://www.cinematoday.jp/page/N0043266
> [シネマトゥデイ映画ニュース] 映画『メリダとおそろしの森』が全米ナンバー1ヒットを記録している中、同作の観客は3Dを重視しないというデータが出ている。Varietyによると、北米における同作のオープニング興行収入のうち、3D観賞はわずか34パーセントにとどまっている。
>
>  ディズニー / ピクサーにとって初の3D公開作品は、2009年の映画『カールじいさんの空飛ぶ家』。同作の北米オープニング興収は約6,811万ドル(約54億4,880万円・Box Office Mojo調べ)であり、内53パーセントが3D観賞によるものだ。ピークを迎えたのは翌年の『トイ・ストーリー3』で、3D観賞による興収は60パーセントにまで跳ね上がった。だが、同年に公開されたドリームワークスの映画『ヒックとドラゴン』の同数値は64パーセントであり、3Dブームに応じて多少の増減はあるものの、他社作品に比べると3D観賞の占める割合は低くなっていることがわかる。
>
>  Varietyによると、ピクサーの3D映像スーパーバイザーを務めるボブ・ホワイトホールは、映画『カールじいさんの空飛ぶ家』が公開される前後に3Dブームに言及。
同社は3Dのような新技術ではなく、あくまでもストーリーを重視しているため、3D公開には慎重に構えていることを明かしている。
>
>  そうした会社としての姿勢がピクサーブランドを揺るぎないものにしていることは間違いない。だが
見方を変えれば、同社が3D公開で他社に遅れを取っているということにもなる。今後同社は『ファインディング・ニモ』をはじめとする過去作を3Dで再公開していく予定であり、3D公開がアニメーション作品における一つの可能性であることは重々承知しているようだ。
>
>  
北米ではピクサー作品だけでなく、アニメーション作品全般で3D鑑賞者の割合が減少しており、ただ3Dというだけで観客を惹(ひ)き付けることができた時代が終わったことを感じさせる。映画業界における3D公開の今後を占う上でも注目しておきたい話題だ。(編集部・福田麗)

さすがのアメリカでも、3D映像の人気に陰りが見えてきた、ということになるのでしょうかね?
ただ、一方では「アメリカでは映画ファンの70パーセント以上が2Dよりも3D映画を好む」という調査結果が出たという発表が行われていたこともあり、この辺りのチグハグさは何とも微妙なところではあるのですが。
まああの調査結果も、よく見てみると「これって逆にあまり受け入れられていないという逆の証明になっているんじゃ?」とも言えてしまうシロモノではあったのですけど。
邦画作品でも3D映像は激減(というよりも、映画「貞子(3D版)」以降は3D公開予定の邦画自体を全く見かけなくなった)していますし、個人的には、映画料金ボッタクリの元凶でしかない3D映像は、是非ともこのまま消えていってもらいたいところです。
復活するにしても、裸眼で3D映像を安価で再現可能な技術と施設を確立し、かつボッタクリ以外の何物でもない上に3D嫌いを増やす元凶にすらなっている料金徴収システムを抜本的に改善してからの話ですね。

映画「LOVE まさお君が行く!」感想

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映画「LOVE まさお君が行く!」観に行ってきました。
テレビ東京系列で2010年3月まで放映されていた番組「ペット大集合!ポチたま」に出演していたラブラドール・レトリバー犬の「まさお君」と、番組開始当時は売れないお笑い芸人だった松本秀樹に纏わる実話を元にした映画作品。
作中の松本秀樹役は香取慎吾が演じているのですが、松本秀樹本人も友情出演的な扱いながら登場していたりします。
また、「ペット大集合!ポチたま」と同じくテレビ東京系列の番組「ちゃたろうの旅」に出演しているエアデール・テリア犬「ちゃたろう」と篠山輝信も、同じくチョイ役ながら出演しています。
この辺りは、同一テレビ局ならではのシャレが効いたサプライズ企画と言えるところでしょうね。

東京タウンテレビ(TTV)では、新番組企画として浮上した「犬と人間が全国各地を旅する番組」の進行役を探していました。
製作費を極力抑えるという番組ディレクター・河原茂雄の意向により、犬は動物プロダクション「WAN NYAN」で貸し出しを行っている犬の中で最も安い価格がつけられていたラブラドール・レトリバーの「まさお君」が、人間はとある芸能事務所で仕事もなくクダを巻いていた売れない芸人・松本秀樹が抜擢されます。
この1匹とひとりの珍妙なコンビが、今作における実質的な主人公となります。
漫才コンビとしてデビューしたのは良いものの、芸人として大成できず、漫才コンビ解消の危機にまで直面していた松本秀樹は、番組進行役の抜擢を受けて当初は当然のごとく大喜びします。
しかし、肝心の相方が犬で、しかも犬が主役の番組であることを知らされたことで、松本秀樹は一転して不満を抱くことになります。
松本秀樹的には、自分の1日当たりのギャラが「まさお君」の貸し出し料金より低いことも不満の種であったようですが(苦笑)。
番組収録自体も最初はボロボロで、ボールを投げて犬がそれを追いかける定番のシーンで「まさお君」が寝そべっていたり、商店街の取材で果物屋?に商品を陳列している置き台に「まさお君」が突っ込んで果物類をバラバラに転がしてしまったりと、ひたすらトラブル続き。
しかもそれでいて番組の評判は全く芳しいものなどではなく、寄せられてくるFAXなどの手紙は苦情やクレームのような反応ばかりという惨状を呈する始末。
しかし、「まさお君」と松本秀樹が互いにじゃれあっているように見える光景を見て、スタッフ達は一縷の希望をそこに見出すのでした。

一方、松本秀樹は私生活面でも問題を抱え込んでいました。
「まさお君が行く!」の番組に出演している最中に、黒人だったらしい漫才コンビの相方がアメリカに帰国してしまい、漫才コンビが正式な解消を余儀なくされてしまいます。
しかも追い討ちをかけるように、長年同棲してきた須永里美には「実家でホテルの稼業を継ぐから」との理由で別れを告げられてしまいます。
松本秀樹は、芸人として大成する夢と伴侶の双方を一挙に失ってしまったも同然の事態に陥ってしまうのでした。
そんなある日、海岸で行われた「まさお君が行く!」番組収録の際、松本秀樹は崖下に落ちていったフリスビーを取ろうとして崖から落っこちてしまいます。
番組スタッフ達が慌てて現場へ向かおうとする中、誰よりも早く反応して松本秀樹の下へと駆けつけたのは、常日頃はなかなか言うことを聞かずに寝そべっている「まさお君」だったのです。
これがきっかけとなり、松本秀樹は「まさお君」に親愛と友情に近い感情を抱くようになり、コンビとして上手く機能するようになっていきます。
それに伴い、番組に寄せられる反応も、苦情やクレーマーじみたものから少しずつ好意的なものが混ざるようになっていき、番組開始から1年後には全国ネットでの放映が決定するにまで至りました。
そして、松本秀樹と「まさお君」の関係は、誰もが羨む理想のものとなっていくのですが……。

映画「LOVE まさお君が行く!」に登場する「まさお君」は、悪性リンパ腫により2006年12月9日に7歳で死去しています。
今作では、「まさお君が行く!」の番組スタートから「まさお君」が亡くなり次代の旅犬が「まさお君」の後継になるまでのエピソードが綴られており、作中ではギャグ要素も少なからず盛り込まれていたものの、基本的には感動物のストーリーとして描かれているわけです。
ただ正直、この映画でそれをやるのは、結果として少々間が悪かったのではないかと評さざるをえないところなんですよね。
現実世界で「まさお君」が亡くなった後にその後を継いで「ペット大集合!ポチたま」の顔となったのは、「まさお君」の末っ子の息子の「だいすけ君」で、彼もまた「まさお君」並の人気を博したのですが、その「だいすけ君」もまた、2011年11月29日に胃捻転による緊急手術後に容態が急変して死去してしまっています。
ところが、エンドロール後に出てくる映像では、須永里美がアパートの扉に「だいすけ君と旅をしています」という貼り紙を貼るシーンが映し出されているのです。
映画の収録時点では「だいすけ君」は生きていたでしょうから、このシーンも妥当なものではあったのでしょうが、映画が公開される時点では、「だいすけ君」が死んでいることは既に周知の事実であったはずでしょう。
「だいすけ君」の死の際にも、作中の「まさお君」の死の際と同様に多くの人達が献花のためにテレビ局を訪れ、その様子が特別番組としてテレビでも大々的に放映されていたのですから。
にもかかわらず、この映像をわざわざそのままにしておく、というのは正直理解に苦しまざるをえないところなのですが。
ちなみに、現在の旅犬は「まさお君」の母犬が産んだ「まさはる君」が3代目を襲名し、2012年6月6日にBSジャパンの番組「まさはる君が行く!ポチたまペットの旅」にてデビューを果たしています。
「だいすけ君」も亡くなってしまった今となっては、あのエンドロール後の映像は完全に削除するか、でなければラストの映像を差し替えて「まさお君とだいすけ君に哀悼の意を表します。現在はまさはる君と旅をしています」的なものにでも改めた方が良かったのではないかと思えてならないのですけどね。
それとも、実はこの後に今度は「だいすけ君」をモデルにした「LOVE だいすけ君が行く!」的な続編でも企画されていて、それにバトンタッチをする意味合いで、あの映像をあえてそのまま残していたりするのでしょうか?
続編構想が明確なものになっていない現状であの映像は、ファンにとってもかなりのミスマッチ感が否めないのではないかと。

それにしても、この手の犬やネコなどの動物(というかペット?)を扱う話では、必ずと言って良いほどに「動物の死とそれに直面する人間」というものが描かれますね。
去年観賞した映画「わさお」「星守る犬」「ロック ~わんこの島~」などでも、何らかの形で「犬の死」が描かれていましたし。
確かに現実問題として、人間よりも寿命が短い犬やネコは、人間側が不慮の事故等で早死にしない限りは人間よりも早く死ぬことが運命付けられているわけですから、そんな事態が起こること事態にはある種の必然性というものはあるでしょう。
犬猫好きが揃っている私の実家や親戚一家でも、飼い主に先立って様々な要因で他界していったペット達を少なからず看取ってきた歴史があるのですから。
しかし、映画作品でそういう要素を盛り込むのは、確かに涙なくしては語れない感動的な話にできるという側面もある一方で、爽快感を求める観客を遠ざけてしまうという諸刃の剣的な一面も多々あるのではないかと思うんですよね。
他ならぬ私自身、かつてはこの「動物の死」が必ず盛り込まれている構図がイヤだったことから、ペット物の映画作品を敬遠していたことがあるのですし、同じことを考える人は意外に少なくないのではないかなぁ、と。
「動物の死」を描くことなく動物を扱った作品を描くというのは決して不可能ではないと思うのですが、そういう作品がなかなか出ないのって一体何故なのでしょうかねぇ(-_-;;)。

ペット好きな人や番組および「まさお君」ら旅犬シリーズのファンの方々であれば、問題なく観賞できる作品だと思います。
実写版「こち亀」シリーズにおける香取慎吾のハイテンションなオーバーアクションぶりにドン引きしたという人でも、今作ならば問題なく観賞できそうな気がしなくもないのですが(^^;;)。

映画「アメイジング・スパイダーマン(3D版)」感想

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映画「アメイジング・スパイダーマン」観に行ってきました。
アメコミの人気コミックの同名作品をリブートしたアクション超大作。
「スパイダーマン」自体は以前にも3部作で実写映画化されており、当初は3作目以降の続編がさらに製作されることになっていました。
しかし、その予定が製作会社の意向によってキャンセルされた結果、一部同じようなエピソードを踏襲しつつも基本的には全く別の映画として生まれ変わっています。
今作は本来、日本では2012年6月30日に劇場公開される予定の映画ですが、今回は6月23日と24日で先行上映が行われており、それに便乗する形での観賞となりました。
ただ、先行上映では3D版しか上映されていなかったため、泣く泣く3D版を観賞する羽目となってしまったのですが(T_T)。
先行上映だと、映画前売券もポイント観賞も使えなかったりしますし。
6月30日は観賞予定の映画が今作を含めて3作あったため、元来1本しか観賞予定がなかった今週にその分を持ってきたかったので、選り好みができなかったのが辛いところではありました(-_-;;)。
まあ3D効果については、「全体的に低めな傾向にある平均点から見れば、若干は良く演出できている方なのでは?」というものではありましたけど。

原作および映画版の「スパイダーマン」と同様に、映画「アメイジング・スパイダーマン」でも主人公となっているピーター・パーカーは、少年時代に両親が失踪(後になって「飛行機事故で死んだ」というネット上の情報が出てくる描写あり)した際に伯父夫婦に預けられた過去を持つ青年。
伯父夫婦はピーターを実の息子のように可愛がって育ててくれていたのですが、ピーターにとって両親の件は一種のトラウマないしは心残りにもなっていたようで、今でもどことなく両親の影を追っているような日々を過ごしていました。
そんなある日、彼は自宅で、かつて両親が持っていたという古びたバッグを発見します。
バッグの中を調べてみると、そこには若き日の父親と、父親の横に立っているひとりの人物が写っている一枚の写真が出てきます。
伯父夫婦にその写真の人物について尋ねて見たところ、彼は父親の友人で現在は巨大企業オズコープ社で研究員として働いているカート・コナーズ博士であることが判明。
ピーターはオズコープ社で募集されていたオズコープ社内の研究所の見学?に別人を装って割り込み参加し、社内にある秘密の研究所を発見してそこへ忍び込みます。
そこで彼は、密かに培養されているらしい大量の蜘蛛が保存されている部屋に迷い込んでしまいます。
ピーターが蜘蛛の糸?らしきものに触れると、それに触発されたのか大量の蜘蛛がバタバタとピーターの周囲に落っこちてきます。
蜘蛛を叩き落とすピーターでしたが、その中の一匹が払い落とす手を逃れ、ピーターの首筋を刺してしまいます。
蜘蛛の毒?の影響なのか、帰り道の列車の中で半ばウトウトして眠り込んでしまうピーター。
すると、たまたまその場に居合わせていた周囲のチンピラ達が、ピーターの額に酒瓶?を置く悪戯を始めてしまいます。
しかし、その酒瓶の表面に浮かんでいた水滴が一滴がピーターの額に落ちた瞬間、ピーターは瞬時に覚醒。
その場で飛躍的にパワーアップした跳躍力や吸着性、超人的な腕力やスピーディな反射神経などを見せつけ、チンピラ達を叩きのめしてしまいます。
これが、ピーター・パーカーが「スパイダーマン」として目覚めた瞬間でした。

一方、カート・コナーズ博士は、社長から委託を受けているらしい研究が行き詰まっており、研究打ち切りの危機に直面していました。
そこへ、「スパイダーマン」としての蜘蛛の力に覚醒したピーターが、カート・コナーズ博士の自宅を訪ねてきます。
オズコープ社では偽っていた自身の本当の身分を明かしたピーターは、カート・コナーズ博士にひとつの数式を提示します。
それは、彼の父親が生前に研究していた成果のひとつでもあり、何よりもカート・コナーズ博士の研究を大きく前進させるものでもありました。
カート・コナーズ博士に請われたこともあり、研究に協力するピーターでしたが、家族に連絡も入れず帰りが遅くなったピーターに対し、伯父夫婦はピーターを詰問する勢いで問い質します。
1回目は何とか誤魔化したピーターでしたが、それが何度も繰り返されたことでとうとうキレてしまったピーターは、売り言葉に買い言葉で伯父のベン・パーカーに当り散らし、そのまま家を飛び出してしまいます。
責任を感じずにいられなかったベン・パーカーは、ピーターを探し出すべく、制止する妻を振り切ってその後を追うことになるのですが……。

映画「アメイジング・スパイダーマン」における序盤のストーリーは、以前に実写映画化された「スパイダーマン」と同じエピソードが組み込まれています。
特殊なクモに刺されて超人的な力を得たり、それで有頂天になっている中で育ての親である伯父のベン・パーカーを亡くしたりといった描写は、まんま映画「スパイダーマン」の1作目でも展開されたシロモノだったりします。
特に伯父のベン・パーカーについては、作中に登場した瞬間から「ああ、この人確かこの後死ぬはずだよね」と反射的に考えてしまったくらいで、その結果も案の定な感が多々ありました(苦笑)。
ただ、以前の映画における「ベン・パーカーの死」は、それまで超人的な力を得て慢心していたピーターが改心していく発端となったのですが、今作の場合、ピーターが暴走していくのはむしろここからだったりします。
伯父の復讐のために、警察の人相書きや特徴のある人物を探し出すべく、街中にいるチンピラ達に片っ端から喧嘩を売っていき、警察からマークされていく存在と化していったのですから。
今作では、このスパイダーマンと警察との対立がメインテーマのひとつにもなっていますね。
ピーターの恋人となるグウェン・ステイシーの父親でニューヨーク市警の指揮官的な役割を担うキャプテン・ステイシーが、「覆面男(スパイダーマン)に制圧されていくのはフダ付きの悪党だから何の問題もないのでは?」という部下の発言に対して反論する描写がありますし、またピーターとキャプテンが初対面で食事を共にした際にも2人はスパイダーマンを巡って口論にまでなっていましたから。
ただ、一見するとガチガチの法律&警察至上主義的な言動を披露していたキャプテンが、スパイダーマンの正体を知った後に主旨換えでもしたかのごとくあっさりとスパイダーマンの味方になってしまった辺り、意外に情で動く人間であったような気はしないでもないですね。
それまで本人が主張していた論理からすれば、スパイダーマンの正体が何であれ、彼はスパイダーマンことピーターと敵対を続けなければならなかったはずなのですから。

しかし、キャプテンがスパイダーマンと共闘してその危機を助けた上、今作のラスボスであるリザードとの戦いで瀕死の重傷を負ってしまい、今際の際にスパイダーマンことピーターに対して「娘を巻き込むな」と約束させるのは正直どうかとは思わなくもなかったですね。
彼はあの時点で、娘のグウェンとピーターが恋仲にあることを充分に察知できていたはずなのですが。
もちろん、父親としては娘の安否が何よりも大事であるという心情は理解できなくもないのですが、当の娘にとってそれは余計なお世話もいいところだったでしょうね。
実際、ピーターがグウェンに別れを告げた際、グウェンは「父さんに約束させられたのね」と恨みがましく発言していましたし。
アレで、グウェンの父親に対する感情は間違いなく悪化してしまったのではなかったかと。
ラストで父親との約束を反故にするかのごとき発言をピーターが行っていましたが、それでグウェンとの関係が今後どうなっていくのかは、続編のストーリーに委ねられるところですね。

ベン・パーカーを殺した人間が未だ見つかっていないことや、ピーターの両親の死に何らかの暗い秘密があることが明示されているのに今作では何も解明されていないことなどから、最初から続編ありきで作られている作品と言えますね。
事実、既に続編の製作は決定していて、アメリカでは2014年5月に公開が予定されているのだとか。
アクション映画としては充分な出来ではありますので、その手のスタンダードなハリウッド映画が好みの方にはオススメの作品です。

銀英伝宝塚舞台版の公式サイト開設

2012年8月31日から公演予定となっている銀英伝宝塚舞台版の公式サイトが開設されました。
また、東西のNTT2社が特別協賛していることも明らかになっています↓

宝塚歌劇 宙組公演『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』
http://kageki.hankyu.co.jp/ginga/

トップページに掲載されている画像を見て、「おねぇ系」という言葉が浮かんでしまったのは私だけなのでしょうか(^^;;)。
全体的に中性的過ぎて、女性が男装しているというよりも「オカマな容貌のキャストが男役を演じている」ように見えてしまうものでして(-_-;;)。
まあ、キャスト全員が女性で、かつ男装の割合が9割を確実に超えるであろうことを考えれば、ある意味当然のことなのかもしれませんが。
既に上演されている銀英伝舞台版でも、観客は女性の割合が多かったそうですが、宝塚版のそれはほとんど女性オンリーな形になりそうではありますね。
まあ、どの道私は地理的な問題から観に行けそうにもないのですが(T_T)。

銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察14

エーリッヒ・ヴァレンシュタインの思考パターンを見てみると、どうも彼は「暗殺」という要素を全く無視しているか、非常に軽視しているようなところが多々見受けられます。
これは「本編」の頃から一貫して変わることなく、かつ「他人に対する攻撃策」「自分に対する防衛策」の双方について当てはまります。
たとえば「本編」では、ラインハルトに愛想を尽かして敵視するようになったり、ヤンの戦略戦術や謀略に翻弄される事態に直面したりしてさえ、ヴァレンシュタインは彼らを戦略や政略で圧倒することは画策しても「暗殺」で排除しようとは欠片たりとも考えていません。
また逆に、クロプシュトック侯事件やキュンメル事件などといった「原作知識で事前に把握できる暗殺事件」を除けば、ヴァレンシュタインは他者が自分に対して画策する暗殺絡みの謀略について、事前には全く予測も対策もできておらず、奇跡的に助かった後に反撃に転じるというパターンが常態化していました。
「亡命編」の場合はさらに深刻で、ヴァレンシュタインはそもそも自身がカストロプ公からの刺客であるフロトー中佐に暗殺されかかったことがきっかけで同盟に亡命する羽目になったにもかかわらず、そのことにトラウマを覚えたり脅威を感じたりしている様子もなければ、それを教訓とした事前対策に取り組む気配すらもありません。
そして何よりも、アレほどまでにラインハルトを恐れ、彼の脅威から逃れるために数百万単位もの虐殺に手を染めることすら辞さないほどのヴァレンシュタインが、「工作員を派遣してラインハルトひとりを暗殺する」という、ある意味最も犠牲が少なくて済むであろう策謀に思い至りすらもしないのは不自然もいいところです。
フェザーン勢力や地球教が昔から暗殺をも含めた様々な蠢動を行っているという作中事実を、原作知識を有するヴァレンシュタインは当然のごとく把握しているはずなのですから、それに対する防衛策という観点だけで考えてさえも「暗殺」という要素を除外できるものではないと思うのですけどね。
しかも原作知識と「暗殺」を組み合わせれば、要人になる前で警備の薄い人間を人知れず殺すことも充分に可能となるのですからなおのこと。
「自分が生き残ること」を至上命題とするヴァレンシュタインにとって、「暗殺」という手段が持つ脅威と有効活用については、むしろいくらでも検討して然るべきものではなかったのかと。
まさか、この期に及んで「暗殺で歴史は動かない」などという、原作「銀英伝」でも言われていた綺麗事な理想論の類に拘泥しているわけではあるまいに。

ところで、今回から第7次イゼルローン要塞攻防戦の検証に入ることとなるのですが、この戦いは帝国パートをメインにストーリーが進行していくこともあり、ヴァレンシュタインの出番がかなり少ないですね。
第7次イゼルローン要塞攻防戦でヴァレンシュタインが出てくるのは、会戦の帰趨が決し始める終盤に差し掛かってからのことになりますし。
もっとも、そのような少ない出番であっても、出てくる際にはいつもの「神(作者)の奇跡」やキチガイ発言を忘れない辺りが、狂人ヴァレンシュタインの面目躍如と言えるところではあるのですが(笑)。
その面目躍如ぶりが今回の戦いでどのような形で発露されているのかは、これから披露していく考察にて語っていくことと致しましょう。
なお、「亡命編」のストーリーおよび過去の考察については以下のリンク先を参照↓

亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
http://ncode.syosetu.com/n5722ba/
銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察
その1  その2  その3  その4  その5  その6  その7  その8  その9  その10  その11  その12  その13

第7次イゼルローン要塞攻防戦は、動員兵力を実際よりも少なく発表し、既存の艦隊で基本的な応戦を行いつつ、隠蔽していた戦力で帝国軍の後方を襲撃し包囲網を構築することで殲滅を行う、という形で同盟軍が勝利を勝ち取っています↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/52/
> 今、同盟軍は五個艦隊で要塞を包囲している。第一、第五、第十、第十二、そしてシトレの直率部隊だ。しかし表向き動員したのは第五、第十、第十二艦隊と直率部隊となっている。第一艦隊はバーラト星系で海賊退治だ。そういう事にしてマスコミの目を誤魔化した。

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/55/
> 今回の戦いで一番苦労したのが動員兵力の秘匿だった。公表では五万五千隻、第五、第十、第十二の三個艦隊、そしてシトレ元帥の直率部隊、これが内訳だ。その他に密かに動員したのが第一、第四、第六の三個艦隊。第一艦隊は海賊組織の討伐という名目で艦隊を動かし、第四、第六の両艦隊は艦隊司令官が代わったことで訓練に出ている事になっている。

しかしこれって、「亡命編」における同盟で果たして実現可能なことなのでしょうか?
作者氏がどういう意図でそんな設定をでっち上げたのか不明なのですが、実は「亡命編」における自由惑星同盟って、情報管理があまりにもお粗末極まりない惨状を呈していたりするんですよね。
たとえば39話では、第6次イゼルローン要塞攻防戦における同盟軍総司令部で交わされた作戦会議やヴァレンシュタインの主張内容などが、帝国軍のオフレッサーにすら掌握されてしまっている様子が描かれています。
これは帝国軍の情報部がフェザーン経由で入手した情報とのことでしたが、同盟軍総司令部の作戦会議内容なんて軍事機密の最たるものであるはずなのに、それがこうも簡単に敵国に流出している時点で、同盟側のインテリジェンス(防諜・諜報)能力の低レベルぶりが知れようというものです。
また45話では、ヴァレンシュタインがシトレ・トリューニヒト・レベロの3者と秘密会議を行っていたことがマスコミに察知され、同盟のTVニュースで大々的に報じられていたりします。
こういう秘密会議というのは、内容はおろか「そういうことが行われていた」という事実自体が本来漏れてはならない機密事項でもあるはずなのですが……。
銀英伝3巻でヤンを査問会にかけた件が、外部はむろんのこと、同盟軍ナンバー2の座にあったビュコックですらフレデリカの話を聞くまで知ることができなかったことを考えると、「亡命編」における同盟のインテリジェンスの水準は原作と比較してさえも杜撰極まりないシロモノであると評さざるをえません。
ところが「亡命編」の第7次イゼルローン要塞攻防戦では、その杜撰なインテリジェンスぶりを露呈しているはずの同盟が、自国のマスコミはおろかフェザーンさえも欺いたというのですから驚きです↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/52/
> 遠征軍の動きを見る限り、こちらの動員兵力を知らなかったと見て良い。知っていればヴァンフリートにのこのこ出てはこなかっただろう。フェザーンも騙されたようだ。後々帝国とフェザーンの関係が難しくなりそうだがそれも今回の戦いの狙いの一つではある。

フェザーンの諜報活動は、原作における同盟のインテリジェンス体制をすらも突破するほどの精度と優秀さを誇っています。
原作1巻でヤンとローゼンリッターによる無血占領が行われた第7次イゼルローン要塞攻防戦においても、第13艦隊の動向は「亡命編」と同じく「新艦隊最初の大規模演習」として擬態されていたにもかかわらず、フェザーンは第13艦隊の軍事目的および最終到達地点を正確に喝破していました。
その情報を察知したフェザーンが帝国に対し報告を行わなかったのは、半個艦隊でイゼルローンが落とせるはずがないという思い込みと、ヤンの軍事的手腕がどのようなものかを見たいというルビンスキーの意向によるものでしかなく、しかもそのルビンスキー自身、全く予想外の結果に驚愕するという事態に直面しています。
そして、次の同盟軍による帝国領侵攻作戦では、同盟最高評議会で議決された後で「3000万人以上もの動員計画がある」という事実をすぐさま察知し、帝国高等弁務官レムシャイト伯に報告を入れ、帝国軍に対して事前準備を促しています。
これだけの「相対的な優秀さ」を誇るフェザーンの諜報活動を、原作にすら劣る「亡命編」における同盟のインテリジェンスが欺くことに成功するというのは、ヨタ話にしても無理があり過ぎなのではないかと。
そして何よりも、その同盟の悲惨なインテリジェンスの実態を、ヴァレンシュタインは充分に把握できていたはずなのです↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/24/
> 何をどう宜しくするのか、グリーンヒル参謀長が何を期待しているのか想像はつくが、うんざりだ。あの駄法螺作戦の所為だな……。あれはラグナロック作戦のパクリなのだが、あれを同盟が実施できる可能性はまずない。不可能ではないのだが成功する見込みは限りなく低いだろう。理由は二つある。
>
> 一つは誰でも分かる、
作戦目的を秘匿出来るかだ。少しでもフェザーン、帝国に知られれば作戦は失敗する……。帝国ならともかく同盟では難しいだろう。

しかし、第7次イゼルローン要塞攻防戦の戦力隠蔽も、ヴァレンシュタインが「駄法螺作戦」と主張するフェザーン侵攻作戦と同程度には秘匿性が求められるはずなのですが。
「少しでもフェザーン、帝国に知られれば作戦は失敗する」という点では、どちらも全く同じなのですから。

他ならぬ自分自身が「あれを同盟が実施できる可能性はまずない」とまで述べていたレベルの隠蔽工作を、ヴァレンシュタインは一体どうやって実現させたというのでしょうか?
シトレ・トリューニヒト・レベロを交えた秘密の会談でも、ヴァレンシュタインは今後の戦略や司令長官の人事については言及していても、同盟におけるインテリジェンスの問題については全く何も主張してなどいませんでしたし。
「亡命編」における同盟の機密情報の漏洩ぶりな惨状を鑑みても、今回の作戦で見られるような情報統制を行うためには、下手すれば軍どころか国家体制そのものをも一変させるレベルの大規模な組織改革が必要不可欠であり、それは一朝一夕に行えるものなどではありえないでしょう。
同盟軍の各艦隊指令官達が使い物にならないとヴァレンシュタインは作中で嘆きまくっていましたが、現状の同盟で本当に一番使えないどころか有害ですらあるのはインテリジェンスの分野なのです。
ヴァレンシュタインが直接指揮しているわけでもなく放置状態にすらある同盟のインテリジェンスのどこをどうやって使えば、フェザーンすらも欺けるほどの情報操作&統制が可能になるというのですかね?
他ならぬヴァレンシュタイン自身、フェザーンの諜報能力については原作知識からも充分に熟知しえる立場にあったはずでしょうに。
あんなド素人でもありえなさそうな低レベル過ぎるインテリジェンスに勝利の命運を委ねるなど、普通に考えたら自殺行為もいいところなのではないかと思えてならないのですが。
それとも、これもまた「神(作者)の奇跡」の産物だったりするのでしょうかねぇ(笑)。

にわかには信じ難い論理でもって第7次イゼルローン要塞攻防戦の勝利の帰趨が決したことに、しかし当然のごとくヴァレンシュタインが満足などするはずもありません。
いつ如何なる時にも常に被害者意識を持つことを忘れない狂人ヴァレンシュタインは、被害妄想狂患者としての禁断症状を既に発症しつつあり、それは「神(作者)の祝福」から発せられる超高濃度の放射線のようなものを浴び続けているがために、原作よりも頭の水準を著しく劣化させられたヤンの発言によって爆発するに至ったのです↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/55/
> ヴァレンシュタイン准将が席に戻るとヤン准将が困惑したような表情で話しかけ始めた。
> 「駐留艦隊を無理に殲滅する必要は無いんじゃないかな、イゼルローン要塞は攻略しないんだろう? 余りやりすぎると帝国軍の恨みを不必要に買いかねない。適当な所で切り上げた方が……」
>
> ヤン准将は最後まで話すことは出来なかった。ヴァレンシュタイン准将が冷たい目でヤン准将を見据えている。
>
「不必要に恨みを買う? 百五十年も戦争をしているんです、恨みなら十二分に買っていますよ。この上どんな不必要な恨みを買うと言うんです?」
> 「……」
>
>
「遊びじゃありません、これは同盟と帝国の戦争なんです。もう少し当事者意識を持って欲しいですね。何故亡命者の私が必死になって戦い、同盟人の貴方が他人事な物言いをするのか、不愉快ですよ」
> 「……」
>
> ヤン准将は反論しなかった。口を閉じ無言でヴァレンシュタイン准将を見ている。その事がヴァレンシュタイン准将を苛立たせたのかもしれない。准将は冷笑を浮かべるとさらに言い募った。
>
>
「亡命者に行き場は無い、利用できるだけ利用すれば良い、その間は高みの見物ですか、良い御身分だ」

いくらヤンでも、よりによってヴァレンシュタインなどに「高みの見物ですか、良い御身分だ」などとは言われたくなかったでしょうねぇ(苦笑)。
何しろ、当のヴァレンシュタイン自身、裁判の場においてさえ「仕事をせずに給料を貰うのは気が引けますが、人殺しをせずに給料を貰えると思えば悪い気持ちはしません。仕事が無い? 大歓迎です。小官には不満など有りません」などとほざいて平然としていられる厚顔無恥な精神と頭の構造の持ち主なのですから(爆)。
そもそもこの発想自体、元々はヤンこそが本家本元なわけなのですから、ヤンはヴァレンシュタインに全く同じことを言い返して自らの正当性を主張しても良かったのではないかと。
それに対してヴァレンシュタインが下手に反論を返したり勤労の美徳など説いたりしようものならば、下手すれば38話の軍法会議で嘘八百を並べていたということになって偽証罪にすら問われかねないのですから(笑)。
まさか今更、「アレは自分自身についてのみ適用されるものであって、他人に関しては情け容赦なく勤労の美徳を説いていきます」などというダブルスタンダード丸出しな弁明をするわけにもいかないでしょうし。
目先の口喧嘩に勝つことしか眼中になく、後先考えることなくその場凌ぎの罵倒にばかり精を出すような奴は、こういう形で常に自分で自分の足を引っ張ることになるわけです。
自分を特別扱いせず、自分と他人で常に同じ論理を適用しても矛盾も問題も生じることのない理論を作るよう心掛けていくだけで、ヴァレンシュタインも今よりはかなりマシなシロモノになるのではないかと思うのですが……。
まあ、ヴァレンシュタインがそんなことを期待できるような手合いなどでないことは、最初から分かりきっている話でしかないのですけどね(苦笑)。

さて、禁断症状を発症したヴァレンシュタインが他人に当り散らすのは、ヤクが切れた麻薬中毒患者が暴れ回ることくらいに当然の話ではあるのですが、ここで愚かにもヴァレンシュタインの肩を持つバカがひとりしゃしゃり出てきました。
「茶坊主」という言葉と概念の生きた見本とすら言えるのではないですかね、こういうのって↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/55/
> 「そこまでだ、ヴァレンシュタイン、言い過ぎだぞ」
> ワイドボーン准将がヴァレンシュタイン准将を窘めた。ヴァレンシュタイン准将が納得していないと思ったのだろう、低い声でもう一度窘めた。
> 「そこまでにしておけ」
>
> ヴァレンシュタイン准将はワイドボーン准将を睨んでいたが“少し席を外します”と言うと艦橋を出て行った。その後を気遣わしげな表情でミハマ少佐が追う。二人の姿が見えなくなるとヤン准将はほっとした表情でワイドボーン准将に話しかけた。
>
> 「有難う、助かったよ」
> 「勘違いするなよ、俺は“言い過ぎだ”と言ったんだ。間違いだと言ったわけじゃない」
> 「……」
>
> 「奴はお前を高く評価している。それなのにお前はその評価に応えていない」
> ワイドボーン准将の口調は決してヤン准将に対して好意的なものではなかった。そしてヤン准将を見る目も厳しい。ヤン准将もそれを感じたのだろう、戸惑うような表情をしている。
>
> 「そうは言ってもね、私はどうも軍人には向いていない」
> 「軍を辞めるつもりか? そんな事が出来るのか? 無責任だぞ、ヤン」
> 「……」
> 准将の視線が更に厳しくなったように感じた。
>
>
「ラインハルト・フォン・ミューゼルは着実に帝国で力を付けつつある。彼の元に人も集まっている、厄介な存在になりつつあるんだ。どうしてそうなった? ヴァンフリートの一時間から目を逸らすつもりか?」
> 「……」
>
> ワイドボーン准将の言葉が続く中シトレ元帥は目を閉じていた。戦闘中に眠るなど有りえない、参謀達の口論を許す事も有りえない。眼をつぶり眠ったふりをすることでワイドボーン准将の言葉を黙認するという事だろうか……。
つまり元帥もワイドボーン准将と同じ事を思っている?
>
>
ヤン准将が顔面を蒼白にしている。ヴァンフリートの一時間、一体何のことだろう……。
>
「お前がヴァレンシュタインより先に軍を辞める事など許されない。それでも辞めたければミューゼルを殺してこい。それがせめてもの奴への礼儀だろう。俺達が奴を苦しめている事を忘れるな」

どう考えてもヴァレンシュタインこそが100%責任を負うべき「伝説の17話」問題を、この期に及んで葵の印籠のごとく振りかざしてヤンを論難する低能バカが未だに存在するとは……。
そもそも、ヴァンフリート星域会戦の全体像って、この時点に至るも未だに全容が解明されてなどいないはずなんですよね。
原作にもこんな記述があるのですし↓

銀英伝外伝3巻 P26下段~P27上段
<三月二四日に入ると、戦場はますます混沌とした様相をしめしはじめた。帝国軍と同盟軍の各部隊が、それぞれに分断しあい、孤立させあって、無秩序に混在し、前線は錯綜して、相対的な位置関係を把握するのが、いちじるしく困難になったのである。完全な戦況解析がおこなわれるまで、二〇年を必要としたほどであった。

当然、ヴァンフリート星域会戦が終結してまだそこまで時間が経っていない55話時点で完全な戦況解析が達成されているわけもなく、「一時間の遅れ」なるものの【正確な実態】はヴァレンシュタインも含めて誰にも分からないものなのです。
「一時間の遅れ」などというシロモノは、原作知識というヴァレンシュタイン以外の何者も確認などできない、傍目から見れば「電波系」としか評しようのないことを根拠にしたヴァレンシュタインの勝手な思い込みに過ぎないのですが。
考察4でも述べたがごとく、ヴァレンシュタインがやらせた救援要請通信の乱発をミュッケンベルガーが早期に受信したことが、「一時間の遅れ」に繋がった主要な原因であるのかもしれないのですし。
それ以前に、そもそも当時のヤンとビュコックの関係を読み誤ってヤンをビュコック艦隊の作戦参謀に配置したのも、ヤンおよび同盟軍上層部にラインハルトの情報を教えなかったことも、全てヴァレンシュタインの責任に帰するべき失態ではありませんか。
そんな錯誤と責任転嫁に満ち溢れたタワゴトをほざくヴァレンシュタインも、そんなシロモノを無条件に受け入れてしまっている周囲の人間も、揃いも揃って頭がおかしいと言わざるをえないところでしょう。
そもそも、「伝説の17話」当時あの場にいなかったワイドボーンが、何故ヴァレンシュタインの自爆発言の内容を正確に知っているのでしょうか?
あの自爆発言は、それ単体でヴァレンシュタインを処刑台へ送り込めるだけの威力を誇っているのですから、シトレやトリューニヒトとの提携が実現した55話時点だと、最高機密扱いか記録破棄が行われていたとしても何ら不思議なものではないはずでしょう。
正式な報告書として挙げられた事案だからその情報は同盟軍の高級士官が全て共有しえるものとして扱われているのであれば、ロボス辺りが38話の軍法会議で普通に利用していても良さそうなものだったのですが。
いくら「神(作者)の奇跡」の産物であるとは言え、あの自爆発言の問題点を誰も理解することができないほどに同盟軍上層部が低能揃いというのは、何とも常識外れなトンデモ設定であると言わざるをえないところなのですけどねぇ(苦笑)。
まあ、ワイドボーンは原作からしてヤンにシミュレーションで無様に敗北した挙句、正攻法にこだわってラインハルトに戦死させられたコチコチの理論バカとして描かれていたわけですから、ワイドボーン個人のこの茶坊主っぷりについてだけ言えば、皮肉にも逆に原作の設定に忠実であるとすら言えるのでしょうけど(爆)。

自らの衝動の赴くままにヤンを罵倒し、お節介な茶坊主に制止させられたヴァレンシュタインは、さすがにヤバいとでも考えたらしい神(作者)が発した遠隔操作用の電波でも受信したのか、いつものヴァレンシュタインには全くもって似つかわしくない反省らしきことを考え始めます。
しかし、一見反省しているような体裁を整えていながら、実際には自己正当化の要素が随所にちりばめられているのが、ヴァレンシュタインらしいと言えばらしいところで↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/56/
> 別に好きで七百万人殺そうとしているわけじゃない。殺す必要が有るから殺すんだ。まあ最終的な目標が和平だというのはヤンは知らないからな、あんな事を言ったんだろう。人を殺すことで和平を求めるか……外道の極み、いやもっとも原始的な解決法と言うべきかな。ヤンじゃなくても顔を顰めるだろう。
>
> 分かってはいるんだ、ヤンがああいう奴だってのは……。ヤンは戦争が嫌いなんじゃない、戦争によって人が死ぬのが嫌いなんだ。だからあんな事を言い出した。でもな、
帝国と同盟じゃ動員兵力だって圧倒的に帝国の方が有利なんだ。そんな状況で敵兵を殺す機会を見逃す……。有り得んだろう、後で苦労するのは同盟だ、そのあたりをまるで考えていない。
>
> 結局他人事だ。つくづく参謀には向いていないよな。誰よりも能力が有るのにその能力を誰かのために積極的に使おうとしない。俺が居るのも良くないのかもしれない。ヤンにしてみれば自分がやらなくても俺がやってくれると思っているんだろう。
>
> 参謀はスタッフだ、スタッフは何人もいる。全てを自分がやる必要は無い。つまり非常勤参謀の誕生だ。ヤンは指揮官にしてトップに据えないと使い道が無い。お前の判断ミスで人が死んだ、そういう立場にならないと本気を出さない。良い悪いじゃない、そういう人間なんだ。どうにもならない。
>
>
あんな事は言いたくなかったんだけどな、俺の気持ちも知らないでと思ったらつい言ってしまった、落ち込むよ……。 “亡命者に行き場は無い、利用できるだけ利用すれば良い、その間は高みの見物ですか、良い御身分だ”
>
> そんな人間じゃない、ヤンはそんな卑しい心は持っていない、卑しいのはそんな事を言う俺の心だ。後で謝るか……、謝るべきだろうな、俺はヤンを汚い言葉で不当に貶めたんだ。ワイドボーンが止めてくれなかったら一体何を言っていたか……。

実のところ、56話の時点でこんなことを語っていること自体が、逆にヴァレンシュタインが全く反省などしていない証拠でもあったりします。
「伝説の17話」の後にもヴァレンシュタインは反省らしきことを語っているのですが、その時と全く同じ構図「ヤンの気質を充分に理解していながら、それでも衝動的に罵倒を投げつけずにいられない」がそっくりそのまま繰り返されているのですから。
ヤンに対する期待感からあえて厳しいことを厳しい口調で述べている、というわけでもないことは、モノローグどころか表面的な態度から見てさえも明らかなのですし。
そもそもヴァレンシュタインは、元々ラインハルトに対抗する必要性から言ってもヤンを必要としていると他ならぬ自分自身で明言しているのですから、そのヤンから好感を抱かれ味方になってもらえるような言動を常に心がけるべきではありませんか。
作中のような態度を披露していては、ヤンでなくても苦手意識を抱かざるをえませんし、それどころか憎悪・敵意すら抱かれても文句は言えないでしょう。
たとえ内心で軽蔑や侮蔑の念を抱いていたとしても、表面的にはおべんちゃらを並べたり相手に同調したりして相手の歓心や好意を獲得し、諫言するにしてもできるだけ相手の反感を買わないようなやり方に努める。
組織人として生き、組織内で味方を得るためには必要不可欠な処世術であるはずなのですけどね、これって。
それをロボスやフォークはむろんのこと、自分の頼もしい味方となりえるはずのヤンやシトレに対してすら全く行おうとせず、感情の赴くままに罵倒しまくる行為を延々と繰り返すヴァレンシュタインが、いくら口先だけで反省の念を述べようが、そんなものに到底信用などできるものではありません。
その後の言動や態度が改善されてこそ本当の反省の成果であると言えるのであって、口先や頭の中だけのその場凌ぎな反省であれば誰にだってできるのですから。
前者が全く伴わない後者のみの反省しかすることがないヴァレンシュタインは、そう遠くない未来にまた同じ轍を踏むことになるのが最初から目に見えているのですが。

「自分が卑しい人間だ」という反省も「自分はヤンやラインハルトに遠く及ばない人間だ」と同様に、口先だけで実体も信憑性も全く伴っていないシロモノであろうことは一目瞭然なのですし。

そして、この上っ面だけの反省の弁以上に笑止なのは、「別に好きで七百万人殺そうとしているわけじゃない。殺す必要が有るから殺すんだ」などと平然とほざくヴァレンシュタインのダブルスタンダードぶりにあります。
そんなことを言い出したら、「本編」でヴァレンシュタインが散々非難していたラインハルトの焦土作戦やヴェスターラントの虐殺黙認などについても、「勝利と巨大な犠牲を回避するための必要な最小限度の犠牲だった」の一言で終わってしまうではありませんか。
特にオーベルシュタインなどは、まさに原作の銀英伝の中でそう言っていたのですし。

全く同じことを自分がやるのはOKなのに他人がやるのはNGって、そういうダブルスタンダードな主張は「自分だけを特別扱いしている」という点で醜悪極まりないシロモノでしかないのですが。
それにヴァレンシュタインの思考基準では、戦争で親兄弟や親戚・知り合いなどが殺されても「有能な敵」を恨むべきではなく、そんなことをするような人間はシスコンやファザコン等のコンプレックス持ちかつ「思い込みが激しくて感情の制御が出来ないガキ」でしかないのでしょう?
そんな連中をいくら殺したところで、別に罪悪感に苛まれる必要なんてどこにもないではありませんか(笑)。
むしろ、そいつらのコンプレックスを断ち切ってやったことに感謝すらされて然るべき、というのがヴァレンシュタインの考えでもあるわけですし(爆)。
というか、ヴァレンシュタインが本当に虐殺と犠牲を回避したいのであれば、それこそ今回の考察の冒頭で私が述べたように「ラインハルトひとりを暗殺する」という手段を使っても良いはずなのですけどね。
すくなくとも、戦場で数百万単位の敵方の軍人を殺すよりは、数でも質でも犠牲ははるかに少なくて済むのですから。
それをせず、「不必要に」戦場での虐殺と犠牲を出すことにこだわるヴァレンシュタインは、すくなくとも自分の罪にある程度自覚的ではある原作のラインハルトやオーベルシュタインなど比べ物にならないレベルで、「大量虐殺者」としての心性と資質を救いようのないほどに兼ね備えている存在であるとすら言えるのではないですかねぇ。

ヴァレンシュタインに本当に反省する気などない事実や自己客観視の欠如ぶりは、以下の2つのやり取りの中でも充分過ぎるほどに窺い知ることができます↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/56/
> 「そうじゃありません、彼女が心配しているのはヤン准将の事です。准将がヤン准将を何時か排斥するのではないかと心配しているんです。怖がられていますよ、ヴァレンシュタイン准将。准将がそうやって自分を抑えてしまうから……」
>
> 馬鹿馬鹿しい話だ、何で俺がヤンを排斥する。ヤンの事が好きだからと言って俺を敵視するのは止めて欲しいよ。
対ラインハルトの切り札を自分で捨てる馬鹿が何処にいる。

鏡を見てみたらどうです?
「対ラインハルトの切り札を自分で捨てる馬鹿」が常に目の前に映し出されていますから(爆)。
それに、ここで問題なのは「自分がどう思っているか」ではなく「他人から自分がどのような目で見られているか」でしょうに。
「本編」でラインハルト&キルヒアイスを死に追いやり、「亡命編」でもヤンやシトレに対して被害妄想に満ちた憎悪を抱き、何よりもアレだけ好き勝手に振る舞って処罰されることすらもないヴァレンシュタインは、他人から「怖い」「この人から自分は憎まれている」と見られて当然なのですから。
自分の頭の中だけでどれだけ相手を絶賛していようが、それを態度や言葉に表わさなければ、相手が自分の考えを正しく理解したりするはずなどないでしょうに。
前世と今世を含めればそれなりの人生経験もあるでしょうに、そんな当たり前の常識すらも全く身についていないヴァレンシュタインは、まさに「思い込みが激しくて感情の制御が出来ないガキ」以外の何物でもないし、反省心も皆無であると言わざるをえないところなのですけどね。

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/56/
> 「そんな事はしませんよ、ミューゼル中将と互角に戦える人物が同盟にいるとすればヤン准将だけです。私はミューゼル中将にもヤン准将にも及びません。私はヤン准将の力を必要としているんです」
> 俺の言葉にサアヤは可笑しそうに笑った。
> 「准将だけです、そんな事を言うのは。他の人は准将ならミューゼル中将に勝てると思っています」
>
> 阿呆が、
俺は天才じゃない、原作知識を上手く利用しているだけだ。どいつもこいつも何も分かっていない、俺は独創性なんぞ欠片もない凡才だという事は誰よりも自分が一番良く分かっている。

「俺は天才じゃない」以外は全部過大&自画自賛もいいところですね、ヴァレンシュタインの自己評価は(笑)。
ヴァレンシュタインが本当に「原作知識を上手く利用している」のであれば、ヴァンフリート星域会戦でラインハルトを殺すこともできたでしょうし、それ以前にそもそもラインハルトと対決する事態すら避けることが可能だったはずでしょう。
むしろ、あまりにも原作知識の活用が稚拙過ぎて、読者としてはイライラさせられることもしばしばだったりするのですが。
そして何よりもヴァレンシュタインは、「独創性なんぞ欠片もない凡才」ではなく「思い込みが激しくて感情の制御が出来ないガキ同然の心性とメンタリティしか持ちえない、厚顔無恥かつ被害妄想狂患者の狂人」というのが正しい評価でしょうに(爆)。
ヴァレンシュタインほどに「自分というものが全く分かっていない人間」というのも、そうそういるものではないのですけどねぇ(苦笑)。
ただ、極めて悪い意味で思考回路と感情抑制機能がイカれている頭をしているがために、周囲からは逆に物珍しい珍獣的な希少価値を伴って見えることはあるわけですが。
それが他者から、ある種の「独創性」として評価されることも当然あるでしょうね。
もっとも、そんなシロモノを持つことなど、私であれば絶対に願い下げですけど(苦笑)。

ところでヴァレンシュタインは、56話の冒頭で「帝国と同盟じゃ動員兵力だって圧倒的に帝国の方が有利なんだ。そんな状況で敵兵を殺す機会を見逃す……。有り得んだろう、後で苦労するのは同盟だ、そのあたりをまるで考えていない」などとヤンの態度を非難しております。
では、その舌の根も乾かぬうちに、第7次イゼルローン要塞攻防戦の締めとしてヴァレンシュタインが取った選択肢は一体何だったのか?
次回の考察は、その部分も含めたヴァレンシュタインとラインハルトの会談内容をメインに語ってみたいと思います。

九州新幹線による旅客流動の増大効果

熊本県がまとめた2011年度の各種公共交通機関の旅客流動によると、関西地方の旅客流動が2010年度比54%増の140万人となっており、中でもJR利用者数は前年度の3倍に増大しているとのこと↓

http://megalodon.jp/2012-0622-1941-27/kumanichi.com/news/local/main/20120621006.shtml
>  県は21日、2011年度にJR(新幹線)や航空機、高速バスなどを利用して県内へ出入りした人数(旅客流動)をまとめた。関西地方との旅客流動は140万人で、前年度比54%の増加。特にJR利用数は10年度の28万5千人から82万2千人と3倍に増えており、新幹線効果が表れた。
>
>  九州新幹線鹿児島ルートの開業効果を把握するのが目的。JR利用数は各新幹線駅の乗降客数をもとに、開業後に2回実施したアンケート結果などから推計した。
>
>  一方、関西と鹿児島県の旅客流動は168万人で前年度比33%増加。内訳では航空機の利用が53%を占めており、JR利用数は熊本を下回る63万9千人にとどまった。
>
>  ただ、
中国地方との旅客流動を比較すると、熊本県の43万2千人(前年度比162%増)に対し、鹿児島県は終着駅効果などもあり56万4千人(同407%増)。福岡県との旅客流動でも、高速バスが定着している熊本は前年度比28%増(402万4千人)にとどまったのに対し、鹿児島県は50%増(270万1千人)だった。
>
>  また、熊本県内の新幹線4駅で利用目的調査も実施。「出張」32・7%、「帰省」17・1%、「観光」13・1%で、その他は買い物や通学通勤、冠婚葬祭など多岐に渡った。
>
>  県交通政策課は「関西方面は県の交流人口拡大を図る戦略が功を奏した。新幹線の終着駅として強みがある鹿児島県と比べても善戦した」と話している。(福井一基)

2011年3月12日に全線開業した九州新幹線の効果が如実に表れていると言える結果ですね。
九州新幹線が全線開業するまでの熊本駅は、鹿児島本線という交通路の中間点という絶好の条件に恵まれているにもかかわらず、九州ブービー賞などという不名誉な地位を享受する羽目になっていたのですから(T_T)。
新幹線も含めたJR利用者数はやはり増大傾向にはあるようで、まずは何よりですね。
ただ、やはり近距離、特に福岡県との旅客流動では高速バスに押されて伸び悩み気味ではあるようで。
まあ、熊本と福岡の場合、新幹線では距離が近すぎる上に高速バスの方が利便性も高いのですから、当然予測される結果ではありましたが。
南の鹿児島だと、高速を走っても2~3時間近くかかるわけですから、新幹線の方が利便性が高い面もあるのですけど。

熊本駅自体の利便性の悪さを鑑みると、熊本駅は長距離の地域との連携を強化して観光戦略を前面に打ち出していった方が理に叶っているのではないかと思えてならないですね。

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