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カテゴリー「2012年」の検索結果は以下のとおりです。

映画「レ・ミゼラブル」感想

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映画「レ・ミゼラブル」観に行ってきました。
世界各国の舞台で長年ミュージカル公演が行われてきた、ヴィクトル・ユーゴー原作の同名小説の実写映画化作品。
なお、今作が2012年における私の最後の新作映画観賞となります。

今作の舞台はフランスで、最初に登場する年代は1815年となります。
当時、ワーテルローの戦いでナポレオン・ボナパルトが敗北し、フランスでは王政が復活していました。
そんな世相の中、今作の主人公ジャン・バルジャンは、パンを1つ盗んだことが発端となり、実に19年もの長きにわたって続いていた囚人生活に終止符を打とうとしていました。
パンを盗んだ罪に対する罰自体は5年程度だったのですが、ジャン・バルジャンは何度も脱獄を繰り返したためにそこまでの懲役期間になったのだとか。
彼は名前ではなく「24601号」という記号で呼ばれ、奴隷労働に従事させられていたのですが、生涯にわたり1ヶ月に一度指定の警察署?に出頭することを条件に仮釈放が認められます。
しかし、長きにわたる牢獄生活のために行き場を失い、生活の糧もなく困り果てたジャン・バルジャンは、とある教会の門を叩きます。
そこで一宿一飯にありつけたジャン・バルジャンは、夜中にこっそり起き出し、教会内にあった銀の食器をあらかた盗み出し逃走してしまいます。
後日、当然のごとく憲兵に捕縛されてしまい、教会に連行されてきたジャン・バルジャンでしたが、この期に及んで彼は「これらの物品は教会からもらったものだ」などと誰の目にも嘘八百な言い訳を披露し始めます。
ところがそれを聞いた教会の司教は、何と「彼の言っていることは事実である」と肯定してジャン・バルジャンを解放させ、さらに2つの銀の燭台をもジャン・バルジャンに差し出してすらみせたのです。
この司教の態度に心を打たれたジャン・バルジャンは、仮釈放の許可証を破り捨て、改心して新たな人生をやり直すことを神に誓うのでした。

それから8年後の1823年。
ジャン・バルジャンは「マドレーヌ」と名を変え、とある街で事業を起こして成功を収め、さらには市長に任命される程の善良かつ人望のある人物として慕われるようになっていました。
しかしこの年、彼が運営している工場で雇われていたファンティーヌという女性工員が、他の女性工員と諍いを起こしてしまい、ジャン・バルジャンの部下だった工場長からクビを言い渡されるという事件が発生します。
ファンティーヌは8歳になるひとり娘のコゼットをテナルディエという一家に預け、多額の養育費を支払い続けていました。
ところがテナルディエ一家はファンティーヌに対して不当なまでに高い養育費を要求していたため、彼女は多額の借金を抱える身となっていました。
そこへ追い打ちをかけるようにして工員としての働き口を失ってしまった彼女は、とうとう売春婦としてカネを稼ぎ、身体を壊してしまうことになるのでした。
同じ頃、ジャン・バルジャンは自分の行方を追っていたジャベール警部から、自分とは全くの別人がジャン・バルジャンとして逮捕されたことを告げられます。
自分が名乗り出て別人を助けるか否か迷っていたジャン・バルジャンは、ふとしたきっかけから客と諍いを起こしていたファンティーヌのことを知ることになります。
ここでジャン・バルジャンは、自分の人生を左右する決断を迫られることになるのですが……。

映画「レ・ミゼラブル」では、1815年~1833年までのジャン・バルジャンの生涯が描かれています。
作中で描かれる大きなターニングポイントは、1815年・1823年・1832年の実質3年になるのですが。
今作はミュージカルの影響を色濃く受けているためか、作中で複数の歌が登場人物によって歌われるのはもちろんのこと、普通のセリフに至るまで歌のリズムに合わせるような口調でしゃべられていたりします。
私が観賞したのは字幕版なのですが、字幕版でさえ何らかのリズムに合わせて台詞が語られているのが一目で分かるほどのミュージカルぶりでした(苦笑)。
元々「レ・ミゼラブル」はミュージカル舞台として親しまれてきた経緯があるために、映画もファンを取り込むことを目的に、舞台と同じミュージカル調な展開にすることを優先したのでしょう。
さすがに戦闘シーンなどについてはミュージカル調ではありませんでしたが(苦笑)。
ただ、わざわざミュージカル調な展開にしたことで、物語全体が無駄に冗長なものになってしまっている感はどうにも否めなかったですね。
今作は上映時間158分にも及んでいるのですが、そのうちの40分ほどがミュージカルな展開に費やされていたのではないかと。
要所要所のみに歌や踊りのミュージカルを挿入するのであればともかく、今作はほぼ全編、それも登場人物達の会話まで含めて95%以上がミュージカル調だったのですし。
今回の「レ・ミゼラブル」はミュージカル舞台ではなく映画なのですから、畑違いの分野でわざわざミュージカル調な展開を持ち込まなくても良かったのではないかとは思わなくもなかったのですけどね。

個人的に少し疑問だったのは、1823年に市長の地位にあったはずのジャン・バルジャンが、ジャベール警部の追跡に対して何の圧力もかけていない点ですね。
仮にも市長の座にあったジャン・バルジャンなのですから、警察に圧力をかけて自分への追跡を止めさせることくらい普通に出来たのではないかと思えてならなかったのですが。
ある種のカタブツなジャベール警部自身に直接の賄賂や圧力などは通じなかったにしても、彼の上の人間は必ずしもそうとは限らないのですし、警察内部にジャベール警部を敵視する人間がいたとしても何ら不思議なことではないでしょう。
作中で示されているような性格では、むしろ敵を作らない方がおかしいのではないかとすら思われるくらいなのですし。
その手の人間に圧力なり賄賂攻勢なり誘導工作なりを展開することで、ジャベール警部を異動させたり失脚させたりすれば、自分に対する追跡を止めさせることも普通に出来たのではないのかと。

また、ジャン・バルジャンと誤認されて逮捕された男を救いたかったからといって、別に「自分こそがジャン・バルジャンである」などと名乗り出る必要もこれまたなかったはずでしょう。
近代裁判の論理で言えば、その男がジャン・バルジャンであるという証明を否定することさえできれば、「疑わしきは罰せず&被告人の利益に」という推定無罪の原則で彼の無罪は充分に証明されるわけです。
その男がジャン・バルジャンではないことを誰よりも知悉しているジャン・バルジャンにしてみれば、彼の嫌疑を再調査・精査させるだけでも相当程度の効果が見込めるのは確実なのですが。
元々全くの別人をジャン・バルジャンと誤認している時点で、捜査自体が相当なまでに荒くかつ穴だらけなシロモノであろうことが容易に推察されるのですし。
場合によっては、警察が手柄を立てるだけのために全く無実の人間の冤罪をでっち上げた、などという事態も考えられるわけで。
そういった観点から警察を攻めていけば、ジャン・バルジャンは自分の正体をバラすことなく冤罪をかけられた人物の無罪を勝ち取るという、「一挙両得」な成果を上げることも充分に可能だったのではないかと。
もしそれでも冤罪にかけられた人物が有罪になった場合は、市長の名で減刑嘆願を出したり保釈金等の金銭的な援助を自ら行って冤罪者を助けるということも、当時のジャン・バルジャンの立場であれば可能だったでしょう。
ジャン・バルジャンはジャベール警部に対して「俺は逃げはしないから猶予をくれ」的なことを口ではのたまっていても、実際には逃げる気満々だったわけなのですから、手段を問わず自己保身に邁進しても別に不思議なことではなかったのではないかと思えてならないのですけどねぇ。
その手の政治的権力や経済的支援などをもっと活用した保身術を駆使すれば、自分も他人もより幸福になることもできたかもしれないのに。

ミュージカル舞台版の「レ・ミゼラブル」が好きな方には、それなりにオススメできる作品と言えるでしょう。
ただ、そのミュージカル要素の挿入による冗長な展開は、「レ・ミゼラブル」の話を全く知らない一見さんには少々厳しいものがあるかもしれません。

映画「エアポート2012」感想(DVD観賞)

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映画「エアポート2012」をレンタルDVDで観賞しました。
2012年にアメリカで製作された映画で、日本では劇場未公開の作品となります。
タイトルの末尾に「2012」とあるところを見ると、一応シリーズもの作品ではあるようなのですが、にもかかわらず劇場公開されない辺り、日本ではマイナーもいいところの映画であることが一目瞭然ですね(苦笑)。
ちなみに「エアポート」と銘打たれているタイトル名ではありますが、空港は何の関係もありません(爆)。

航空管制のミスが頻発したことから、アメリカでは人為的なミスを回避するための衛星ネットワークシステムが開発されていました。
その名はACATシステム。
軍用機で既に運用されているその衛星システムは、やがてスペースシャトルで2機目が打ち上げられ、民間機にも導入され、空の旅をこれまでよりもはるかに安全なものにするはずでした。
ところが、民間機での運用が開始されたその日のうちに、早くもACATはトラブルを引き起こしてしまいます。
宇宙空間で電気的なショート?を繰り返し、やがて衝撃波と共に衛星は破損。
破損によって発生した衛星の欠片が、次々と地球の引力に引き寄せられていきます。
それらの欠片群はアメリカ各地に落下、まずは地上での被害を拡大させていくのでした。

それより少し前、ACATが導入されたアメリカ東部クリーブランドの航空管制センターでは、かねてよりACATの導入に反対していたボブが、ACATと通信が取れなくなったことから懸念を抱き、中央の空域管理センターに対し、現在空を飛んでいる全ての航空機の着陸許可を求めていました。
しかし空域管理センターからは、「ただ今調査中、こちらで対処する」という官僚答弁的な返答をするのみで、ボブの意見を全く取り合おうとしません。
それどころか空域管制センターは、大統領一家を乗せた大統領専用機エアフォースワンを離陸させろとボブに命じてきたのでした。
当然ボブは「リスクが大きすぎる」と反対するのですが、その意見はまたも却下され、やむなくボブはエアフォースワンの着陸許可を出さざるをえなくなってしまいます。
デトロイトへと向かう予定のエアフォースワンの航路上には、同じくデトロイト行きの民間航空機アメリカーナブルー23便が飛行していました。
ボブはエアフォースワンとアメリカーナブルー23便と連絡を取ろうとするのですが、両者共に交信不能の状態。
事態の重大性を理解していたボブは、通常ならばまず考えられない非常手段を用いて両者との交信を試みようと画策を始めるのでした。
地上でそんな事態が発生しているとも知らず、つかの間の空の平和な旅を楽しむエアフォースワンとアメリカーナブルー23便の搭乗者達。
しかしそんな中、破損を続けつつもかろうじて稼働していたACATが、ついに破滅的な段階を迎えてしまい、システムが完全に狂ってしまうのでした。
狂ったACATは、エアフォースワンとアメリカーナブルー23便をコントロール不能にしてしまい、事態は悪化の一途を辿ることになります。
クリーブランド航空管制センターのボブ、エアフォースワンとアメリカーナブルー23便のパイロット達は、最悪の事態を回避すべく、それぞれの立場で動き回ることになるのですが……。

映画「エアポート2012」は、航空機で次から次に発生していく非常事態の数々と、それにパニックを引き起こしながらも対応していく人々の姿が描かれています。
パニックに襲われている当事者達は必死になって最悪の事態を回避しようとしているのですが、物語中盤は全く無為無力か、却って事態を悪化させているのが実情だったりします。
個人的に笑ってしまったのは、狂ったACATシステムによってエアフォースワンからミサイルを撃ち込まれたアメリカーナブルー23便の乗客達が、落雷の影響で機体に突っ込みながらも爆発しなかったミサイルを機外へ出すシーンですね。
機体から落下していった不発のミサイルが、地上のガソリンスタンドを直撃して爆発炎上した直後、ただただ目先の危機を回避した乗客達が安堵する姿が映し出される様は滑稽もいいところでした。
そりゃ彼らが立たされている状況的では、とにかく自分達が助かるためにもそうするしかなかったのでしょうが、地上では彼らの行為によって大変なことになってしまっているわけで(苦笑)。
また、飛行中の航空機に空中給油の要領で接続し大統領を救出する「サムフォックス作戦」の実行時には、大統領夫妻が揃いも揃って感情的かつヒステリックな対応に終始しているのはさすがにどうなのかと。
「サムフォックス作戦」は大統領を最優先で救出する作戦のはずなのに、それを自身の強権発動で強引に捻じ曲げ妻を先に機外へ出すよう指示する大統領とか、ただひたすら娘の安否ばかり心配して夫に食ってかかるファーストレディとか、自分達の立場や状況が本当に理解できているのかすら疑問視せざるをえない対応ばかりやらかす始末でしたし。
結果的にはその態度によって、元々失敗率が高かった「サムフォックス作戦」の失敗による犠牲を回避することができたとはいえ、それはあくまでも結果論でしかないわけで。
仮にも一国の、それも他国にまで多大なまでの影響力を及ぼす最高権力者として振る舞わなければならないアメリカの大統領一家がそれではちょっと……。
個人としては自己を犠牲にして他人を思いやる優れた人格と言えるのかもしれませんが、一国の最高権力者としては鼎の軽重を問われても文句は言えないでしょうに。
まあ、もしあの大統領が、実は「サムフォックス作戦」の成功率の低さを鑑みて、まずは自分の妻をある種の実験台として送り込んだ上でその成否を確かめるつもりだったというのであれば、その冷徹な判断ぶりは逆に賞賛に値するかもしれないのですが。
ただ、作中の描写を見る限りでは、件の大統領にそんな意図は全くなかったとしか言いようがなかったのですけどね。

ただこれ、全体的に見れば、航空機の中で生じた被害・犠牲者よりも、衛星破片の落下物によるそれの方が、数においても質においてもはるかに深刻な規模になっていると言わざるをえないでしょう。
アメリカーナブルー23便が地上の建造物等に与えた損害も、決して無視できるものではないのですし。
物理的なダメージだけでなく、ビルが立ち並ぶ街中を超低空飛行で飛んでいく様は、それを目撃したアメリカ国民の間で「911の再来」的な心理的恐怖まで与えていたのではないのかと(-_-;;)。
ラストはハッピーエンド的な結末で終わっていますが、事件後の後始末はさぞかし大変なものがあるでしょうねぇ、アレでは。
まずさし当たっては、欠陥だらけなACATシステムを導入した人間が責を問われ、場合によっては社会的に吊るし上げられることになるのでしょうけど。

航空機を扱ったパニック・ムービーや、緊迫感溢れるストーリー展開が観たいという方には、普通にオススメできる出来の作品ではあります。
ツッコミどころは色々とありそうなB級映画ではあるのですが(苦笑)。

映画「ホビット 思いがけない冒険(3D版)」感想

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映画「ホビット 思いがけない冒険」観に行ってきました。
映画「ロード・オブ・ザ・リング」3部作の時代から遡ること60年前を舞台とする、ピーター・ジャクソン監督製作によるファンタジー・アクション大作。
今作は3D版メインの上映であり、2D版はほとんど上映されていなかったため、やむなく3D版での観賞となりました(T_T)。
まあ3Dの出来自体はそれなりのものはあると言えるレベルではあったのですが、3Dのために無駄金を使いたくない私としてはあまり慰めにならないというか(-_-;;)。
現行の料金体系では、3D映画はただそれだけで高くなるという理不尽な問題が常に付きまとうことになるのですし、いい加減何らかの改善が必要なのではないかと思えてならないのですけどね。

今作は、映画「ロード・オブ・ザ・リング」の1作目が開始される直前の時間軸で、年老いたビルボ・バギンズが「ロード・オブ・ザ・リング」の主人公であるフロド・バギンズをあしらいつつ、過去を回想するという形で語られることになります。
今作の冒険が行われることになったそもそものきっかけは、中つ国の東に位置する「はなれ山(エレボール)」に存在し繁栄を極めていたドワーフの王国が、ある日突然ドラゴン・スマウグの襲撃に遭い壊滅的な被害を被り滅亡したことにありました。
生き残りのドワーフ一族は、スマウグの襲撃時にドワーフ王国の王子の立場にあったトーリン・オーケンシールドによってかろうじてまとめられ、その日暮らしの生計を立てつつ、「はなれ山」に居座るスマウグを討ち取り国を再興すべく準備を進めていたのでした。
トーリンの古くからの友人であった灰色の魔法使い・ガンダルフもまた、トーリンの旅に同行することになるのですが、その際ガンダルフは、ホビット庄に住むホビットのビルボ・バギンズを推挙し、トーリンと12名のドワーフ達と共に旅に同行させることを提言します。
当初は「招かれざる客」同然に強引に自分の家に押し入ってきた上、家に備蓄されていた食糧を食い漁ってしまったドワーフ達とガンダルフに対してまるで好意的でなく、旅の同行にも難色を示していたビルボ・バギンズ。
またドワーフ側も、ロクな体力も戦闘力もないホビットを自分達の仲間として迎えることに積極的ではなく、むしろ反対の声すら上がる始末。
当の本人も周囲もそろって懸念と反対の声を上げる中、ガンダルフただひとりがビルボ・バギンズの有用性を強引に主張するという構図になっていました。
翌日、目を覚ましたビルボ・バギンズは、アレだけどんちゃん騒ぎを繰り出しまくっていたドワーフ達とガンダルフが既に出払ってしまったことを知ります。
彼らが出払った後の家には、仲間になる際の契約書だけが残されていました。
その契約書を握りしめたビルボ・バギンズは、昨日までの消極的な態度はどこへやら、ドワーフ達の後を追い、彼らの旅の参加を表明するのでした。
かくして、ビルボ・バギンズの長い長い旅が始まることとなるのですが……。

映画「ホビット 思いがけない冒険」は、「ロード・オブ・ザ・リング」3部作の前日譚ということもあり、同シリーズでラスボスだったり死んでいったりした懐かしい顔ぶれが作中に登場しています。
「ロード・オブ・ザ・リング」2作目でラスボスとして振る舞っていたサルマンも、今作ではまだ悪に染まっていないものの頭が固く融通が利かない人物として登場していたりしますし、同じく2作目から登場し「愛しいしと」という口癖が有名なゴラムも登場しています。
ただ、個人的に一番驚きなのは、「ロード・オブ・ザ・リング」から60年前の世界が舞台のはずなのに、今作ではその「ロード・オブ・ザ・リング」の時よりもむしろ老け込んだ感すらあるガンダルフですね。
普通、時系列が過去となる前日譚を扱った話で同じ登場人物が出てくる場合、その登場人物は「未来」の作品よりも若々しい姿で登場するものではないのでしょうか?
現に作中のビルボ・バギンズは、冒頭で年を取っている容貌と60年前の若々しい姿の差が誰の目にも分かるように描写されていたのですし。
作中の描写を素直に信じると、ガンダルフは60年の歳月を経て逆に若返っていることになってしまうわけで、「一体どういう年の取り方をしているんだ?」とは疑問に思わずにはいられなかったですね(苦笑)。
今作や「ロード・オブ・ザ・リング」の設定によれば、ガンダルフは人間ではなく「イスカリ」と呼ばれる魔法使いとのことで、この世界における魔法使いというのは「職種」ではなく「種族」として位置づけられる特殊な存在のようです。
その寿命は人間よりもはるかに長く老化もゆっくり進行するもののようで、道理で60年もの歳月の差がある割には容姿がほとんど変化していなかったわけですね。
ただ、エルフみたいに桁外れな長命で死や老いとは無縁そうな種族であっても、「若返り」まではさすがに無理なわけですし、この辺りは作中時間ではなく「現実世界の時間の流れ」というものを感じずにはいられないですね。
何しろ、ガンダルフが映画で初登場した「ロード・オブ・ザ・リング」1作目の公開から、2012年の時点で既に10年以上もの歳月が経過してしまっているのですし、配役の人も一貫して同じ人が担っているのですから。
前日譚なのに、時系列的には後であるはずの作品よりも登場人物が年を取って見える、というのは現実の時間が流れている以上は避けられない問題なのでしょうが、作中におけるビルボ・バギンズの事例のごとき「配役の変更」とか「容貌のCG加工」で何とか凌ぐ方法はなかったのかなぁ、と。

映画「ホビット 思いがけない冒険」は、「ロード・オブ・ザ・リング」と同じく3部作構成の中の1作品であり、残り2作は2013年~2014年にかけて公開される予定となっています。
次回作の2作目は「ホビット スマウグの荒らし場」、完結となる3作目が「ホビット ゆきて帰りし物語」というタイトルに、それぞれなるのだそうで。
3部作の導入部となる今作では、ビルボ・バギンズが冒険に参加してから、様々な襲撃やアクシデントを経て、はるか遠方にボンヤリと見えている「はなれ山」を一望するまでのストーリーが描かれています。
本質的に戦いに向いておらず、中盤頃までは仲間の足を引っ張っていた感のあるビルボ・バギンズでしたが、終盤ではオークに追い詰められ首を刎ねられようとしていたトーリンの絶体絶命の危機を助けるという大金星を挙げ、トーリンをはじめとするドワーフ達にその実力を認められるようになります。
その点では、終始指輪の誘惑にしばしば魅了された挙句、最後には一時的にせよ誘惑に屈してしまった「ロード・オブ・ザ・リング」のフロド・バギンズよりもはるかに主人公らしいキャラクターではありますね(苦笑)。
「ロード・オブ・ザ・リング」では、フロド・バギンズよりもその従者だったサムの方が、人格面で言っても活躍度から見てもはるかに主人公の風格があったくらいでしたし(爆)。
「ロード・オブ・ザ・リング」と言えば、今作でビルボ・バギンズが拾うことになった指輪が、「ホビット」3部作の中でどのような役割を果たすことになるのかも要注目ですね。
あの指輪、「世界を支配する力がある」とか御大層なことを言われている割には、作中における実際の描写では「身体が透明になれる」程度くらいしか「持ち主の役に立つ能力」というものがなく、それ以外は敵の標的になるとか死霊に追われるとかいったマイナスの効用しかなく、「何故こんなシロモノに誰もが魅了されるのか?」とつくづく疑問に思えてならないところですし。
「ホビット」3部作で指輪の所持が問題化することはないと思われるのですが、指輪は果たしてどんな活躍をすることになるのやら。

「ロード・オブ・ザ・リング」のファンであれば充分に楽しめる映画ではあります。
ただ前日譚とは言え、「ロード・オブ・ザ・リング」の登場人物も少なからず登場していることなどを鑑みると、ある程度「ロード・オブ・ザ・リング」の予習をしてから今作に臨んだ方が「より」楽しめるかもしれませんね。

映画「ハングリー・ラビット」感想(DVD観賞)

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映画「ハングリー・ラビット」をレンタルDVDで観賞しました。
日本では2012年6月に劇場公開されたアメリカ映画で、ニコラス・ケイジ主演のサスペンス・アクション作品です。
例によって例のごとく、熊本では一度として見かけたことすらない作品ですね(T_T)。
ニコラス・ケイジ主演作品は、熊本では軒並み避けられている傾向が多々ありますし(-_-;;)。
この映画の地域間格差、いい加減どうにかならないものなのかと。

物語の舞台はアメリカ・ルイジアナ州ニューオリンズ。
冒頭では、何者かがビデオカメラで録画撮影をしている中、撮影されている男が「空腹の兎が飛ぶ(ハングリー・ラビット・ジャンプ)」という謎の言葉の意味について尋ねられています。
男はとにかく怯えている様子で、一刻も早くその場を離れたがっていました。
男がしゃべった内容については物語後半で判明するのですが、それはさておき、話が終わったらしい男は周囲を警戒しながら、立体駐車場の屋上に停めていた自分の車に向かっていました。
そして男が車を発進させその場を離れようとしていたその時、突如大型のランドクルーザー?に側面からぶつけられます。
男は恐怖に震えながら逃げようとするのですが叶わず、車ごと屋上のフェンスに追い込まれ、ランドクルーザーに追突される形で屋上から死のダイブを強要されることになってしまいます。
男の車は下の車を巻き込む形で落下・大破させられ、当然のごとく男の生命もそこで尽きることとなるのでした。

舞台は変わり、カーニバル?のような祭りが繰り広げられているニューオリンズのラフィット・ホテルのバーで、今作の主人公であるウィル・ジェラードとその妻ローラ・ジェラードは、結婚記念日を祝い乾杯をしていました。
祭りで踊り明かしたり、親友に出会いのきっかけを話したりして、ローラと共に楽しんでいだウィルは、その日の夜、ローラにルビーのネックレスをプレゼントし、ローラを喜ばせます。
ウィルは地元の高校の教師、ローラは交響楽団の演奏家の職にあり、子供はいないながらも夫婦円満かつ幸せな生活を営んでいたのでした。
しかしそんな生活は、ある日ローラが銃を持った暴漢に襲われ乱暴を受けた上、ルビーのネックレスを奪われてしまったことから一変します。
妻が襲われたという知らせを聞いてすぐさま病院に駆けつけたウィルが見たものは、暴行を受け顔が腫れあがり、病室で寝かされている妻ローラの姿でした。
妻が襲われたことに当然のごとく深い悲しみと苛立ちを覚えるウィル。
しかし、そんなウィルの前に、ひとりの見知らぬ男が話しかけてきます。
サイモンと名乗るその男は、妻を襲った犯人のことを詳細に知っているようでした。
そして、犯人が捕まってもDNA鑑定や裁判で時間がかかる上、11ヶ月の服役程度で簡単に出所できてしまうということも。
その上でサイモンはウィルに対し、「自分達の組織で犯人を代わりに始末しよう」と提案してくるのでした。
金はいらないが、後日手伝ってもらうことがある、という条件を提示して。
最初は胡散臭く思い、サイモンの一度は断るウィルでしたが、直後に妻のことが脳裏に浮かんだウィルは考え直してサイモンを呼び止めます。
サイモンは謎めいた行動を取るようウィルに指示を出し、ウィルはその指示の通りの行動を行います。
果たして後日、ローラを襲った犯人は、別の男によって自宅を襲撃され、自殺を装って殺されてしまうのでした。
犯人を殺した男は、事を済ませると携帯で葬儀社に電話し、こう言うのでした。
「空腹の兎が飛ぶ(ハングリー・ラビット・ジャンプ)」と。

映画「ハングリー・ラビット」は、先が読めないサスペンス調な展開が良いですね。
個人的にはニコラス・ケイジが主演ということから、単純明快なアクションメインの作品とばかり考えていたのですが(苦笑)、これは良い意味で予想を裏切られました。
「空腹の兎が飛ぶ(ハングリー・ラビット・ジャンプ)」の意味とはどういうものなのか、サイモンの組織の実態とはどのようなものなのかなど、謎を追っていく展開が面白かったですし、ラストのオチもなかなかに底知れぬ恐ろしさを感じさせてくれるものではありました。
ああいう組織って、実態が分からないからこそ恐怖感が煽られるのであって、どれだけ巨大だろうが実態が把握できてしまえば大したことはなくなってしまうわけですが、ようやくサイモンの組織の実態が分かったかと思ったらあのラストだったわけなのですからねぇ。
この展開はかなり上手いと言えるものだったのではないかと。
また、「法に頼らない正義の組織」が暴走すると如何に恐ろしいものになるのか、というテーマも今作では内包されていて、サイモンはまさにその担い手と言えるものでした。
序盤でウィル相手に「法の無力さ」を披露していたサイモンは、主観的にはまさに「正義」を実現するつもりで、次第に組織の主旨とは異なる暴走を開始していったのでしょう。
作中のサイモンは、あくまでも「組織の邪魔になる人間」を消していっただけであって、私利私欲のために人を殺していたわけではないようでしたし。
もっとも、サイモンより上の組織の人間達も、組織の自己防衛にはそれなりの手練手管を駆使してはいるようなのですが。
警察やマスコミの上層部にまで食い込めてしまう辺り、組織の全貌ってどれくらいの規模&秘密を抱え込んでいるのでしょうかねぇ。

今作でニコラス・ケイジが演じる主人公ウィル・ジェラードは、一介の高校教師ということもあってか、それほど派手なアクションを演じて敵を爽快感溢れる倒し方で圧倒するわけではありません。
また敵との駆け引きも、観客が不安にならざるをえないような直截的かつ危なっかしい要素が多分に含まれるような稚拙なやり取りに終始していたりします。
サイモンの言いなりになることに反発を感じて半ば条件反射的に逆らったかと思えば、その後の制裁や急展開について予想外と言わんばかりな反応を示していたり、妻に組織のことを秘密にして却って猜疑心を買ってしまったりと、良くも悪くも「凡人」な言動ばかりが披露されています。
アクション映画であればまず間違いなく失格条項となるであろうこれらの描写は、しかし緊迫感溢れるサスペンスがメインである今作では却って作品の世界観に上手くマッチしていると言えるものではあります。
凡人を相手にしているからこそ、サイモンのような組織は成り立つわけですし。
その意味で今作は、アクションヒーローのような「非現実なフィクション作品」ではなく、「誰の上にも起こりえる一般人の思考・言動を元にした【現実的な】フィクション映画」と言えるのかもしれません。

ミステリー的な謎解きやサスペンスな展開が好みな方にはオススメの作品ですね。

映画「レッド・サイクロン」感想(DVD観賞)

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映画「レッド・サイクロン」をレンタルDVDで観賞しました。
2011年にカナダで製作されたSFディザスターパニック映画。
やっぱりこれも、日本での劇場公開なしにDVDのみで日本上陸を果たした作品とのこと。

物語は、ガソリンスタンド?の車庫で何やら車の整備をしている父親と、自転車に乗ってきた息子とのやり取りから始まります。
息子の方はどこかに行かなければならない用事があるらしく、父親に外出の許可を得ようと働きかけるのですが、当の父親の方は全く意に介することなく、息子に自分の仕事の手伝いをさせようとしていました。
そこへ突然、ガソリンスタンドが大きな揺れに見舞われます。
何事かと思って2人が車庫の外に出ると、突如落雷がガソリンスタンドの看板をなぎ倒します。
あまりにも突発的の出来事に呆然とする息子と、「大丈夫か!」と駆け寄る父親でしたが、その2人の周囲では明らかに異常な放電現象が発生していました。
クルマを真っぷたつに切り裂く雷、ガソリンスタンドを駆け巡る静電気?などで、その場を逃げようとしていた2人は動きを封じられてしまいます。
そして空では赤い雲が竜巻状なものに変化し、地面に転がっていた2人を巻き込んでしまうのでした。

場面はかわって、今度はエンストしたオンボロなクルマの修理に当たっている母子のシーンが映し出されます。
息子のウィルは、自分が通っているハートフィールド高校で行われる「遅刻の罰登校」へ向かう途中で、罰登校に遅刻することを気にしていました。
息子の将来を案じて大学進学を熱心に勧める母親アンドレアとウィルの仲はお世辞にも良いものとは言えず、2人は学校の前で離れることになります。
ウィルの罰登校の担当教師はウィルの父親ジェイソンで、ウィル以外には、ウィルの恋人?メーガン、バスケ部の選手ローソン、報道記者志望のスーザン、そして冒頭のガソリンスタンドのシーンで出てきたルークの4人が罰登校を受講する予定でした。
一方、罰登校による補習が行われている最中、アンドレアはジェイソンに対し、ウィルに大学の願書提出について話を勧めさせるよう携帯で電話をかけます。
しかし2人が会話をしている途中、突然携帯が不調をきたして連絡が取れなくなってしまいます。
さらに街中では街灯が突然破裂するなど、明らかな異変が既に始まっていました。
一方、ウィルとメーガンはローソンと口論になり、仲介したジェイソンによって校舎の外で荷卸しをするよう言い渡されてしまうのでした。
そして、2人が意味あり気な会話を交わしながら作業を続けていたところ、冒頭のガソリンスタンドと全く同じ揺れが2人を襲います。
異常を感じた2人が外に出てみると、そこでは……。

映画「レッド・サイクロン」は、元来地球上にはなく木星にあるという破壊粒子・エクスポゾンによって構成された雲ないし竜巻が、地上のありとあらゆる個体物質を気体に変えていきつつ拡大を続けるという設定です。
周囲を破壊しながら自然増殖・拡大を続ける脅威と言い、(カナダの映画なのに)アメリカの片田舎が舞台な点と言い、どことなく映画「グランド・クロス シード・オブ・ディストラクション」とも共通する部分が多々ありますね。
被害については、ワシントンDCやニューヨークなどのアメリカ東海岸が軒並み壊滅したこちらの方がはるかに規模がデカいのですが、具体的な映像が出てくるわけではなくただニュースの一節として流れるだけですから、作中における演出という点では両者共にあまり変わりがないですね(^_^;;)。
世界的な危機を扱っている割には舞台が小さい上に登場人物も少なめなので、こじんまりとしている感はどうにも否めないところではあるのですが。
ウィルが実は超天才的な才能を持っていて、それがレッド・サイクロンを自壊させることになるというストーリーは、ハリウッド映画をもしのぐ御都合主義的要素が多大にあるとはいえ、一般受けしやすいものではあるでしょうね。
逆に、いっぱしの科学者だったであろう男女2人の登場人物が、如何にも思わせぶりに登場していながら、男性は飛行機不時着の際にあっさり死亡、もう片方の女性もガソリンスタンドでの凡ミスの類で爆死してしまい、ロクな活躍の場すらもなかったというのは、正直どうかと思わなくもなかったのですけど。
登場シーンから見て、当初はウィルと手を組んでサポート役として後半に活躍するとばかり考えていただけに、あの末路は悪い意味で予想を裏切るものではありました。
作中における2人の役割って、単なる伝言係でしかなかったですからねぇ、アレでは。

それと、ウィルの超がつくだけの天才的な才能を全く見抜くことができず、上から目線で小言ばかり繰り出していた両親2人は、どんな事情があるにせよ、あまりにも息子のことを見て無さ過ぎですね。
本来、子供の才能を認め伸ばすように努めるのが親の役割であるはずなのに、息子の彼女の父親の発言でようやく息子の才能に気付かされるって……。
ウィルの両親は、作中の描写を鑑みても、普段から息子を見下している感がありありでしたし、最も身近なはずの自分の息子を、ある意味この世で一番信用していなかったのではないですかねぇ。
また当の息子ウィルもまた、両親のそんな態度が鼻についたから自分の才能をひた隠しにしていたのではないかと。
ああいう親の場合、自分の子供に意外な才能があることに仮に気づいたとしても、そのことを正当に評価するどころか、むしろ自分の意に沿わないことをしているとして、却って子供を虐待したりする事例も少なくなかったりしますからねぇ。
あのレッド・サイクロンの事件がなかったら、2人はいつまで経っても息子の才能に気付くことなく、息子を無能と嘆きながら生涯を終えてしまっていたのではないでしょうか?
作中のあの親子は最終的に和解してめでたしめでたしな結末ではありましたが、親が選べないというのは子供にとって論外な話だよなぁ、とつくづく考えずにはいられなかったですね。

暇潰しの余興としてDVDでレンタル観賞する分には、まあまあの出来とは言えるのではないかと。

映画「パニック・スカイ フライト411 絶対絶命」感想(DVD観賞)

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映画「パニック・スカイ フライト411 絶対絶命」をレンタルDVDで観賞しました。
2012年に製作されたアメリカ映画で、パニックアクション的な要素を交えつつも、宗教的な色彩の強い作品です。
これも「グランド・クロス シード・オブ・ディストラクション」と同じく、日本での劇場公開なしにDVDのみで日本上陸を果たした映画のようです。
こういう海外映画って、意外に多そうですね。

「竜は海辺に立ち、獣を呼び出す。あらゆる人類を支配する権限を得た獣は、聖なる者をも征服した」 ― 黙示録13章

今作の物語は黙示録13章を読み上げるところから始まった直後、タイのバンコクにあるコンテナ集積所?にあるコンテナのひとつで、周囲を銃で武装した護衛に囲まれる中、とある手術が行われようとしているシーンに場面が移ります。
コンテナを警護している護衛のひとりであるチャド・ターナーは、雇い主に不満そうながらもしぶしぶと警護の任についています。
ところがそんな中、突如コンテナを謎の武将集団が奇襲を仕掛けます。
チャドは善戦するものの、護衛の多くは撃ち倒され、コンテナの手術室にも銃弾が浴びせられてしまいます。
チャドは襲撃者を打ち倒しつつ、警護対象たるコンテナに近づき、その安否を確かめようとします。
少なからぬ銃弾が撃ち込まれたコンテナには、チャドの上司?も手術対象の人間も既に死んでおり、かろうじて生きていたのは瀕死の重傷を追ったひとりの医者だけでした。
チャドが医者に駆け寄ると、その医者は「お前だけが頼りだ」とチャドの腕に何かを打ち込み、そのまま息絶えてしまいます。
そして、何かを打ち込まれたチャドもまた、注射?の打ち込まれた後遺症によるものなのか、そのまま意識を失ってしまうのでした。

次にチャドが目を覚ますと、彼はチャドの様子を観察していた人物と共に、とある一室に寝かされていました。
同じ一室にいた人物は、自分のことをアヴァンティ社のクーパーと名乗り、チャドの腕の中に「チップ」と呼ばれる物が埋め込まれた結果、チャドが会社にとっての重要人物になったことを彼に告げます。
そしてクーパーは、ドイツのベルリンで開かれるG20の会議の場へ行くようチャドに指示を出すのでした。
二日後にバンコク国際空港からベルリンへと飛び立つ飛行機に乗り、かつ旅行者に紛れ込む形で。
またもやキナ臭い任務な感がありありだったものの、チャドに選択の余地もなく、彼はその指示に従うことになります。

一方、アヴァンティ社のライバル企業?とおぼしきターク産業のグローバル本社では、企業のトップと思しき人物とプロの仕事人?の2人が何やら密談を繰り広げていました。
ターク産業のトップの人物は、アヴァンティ社が開発したチップを欲しがっており、大金を積んで買うと申し出ながら断られたことから、プロの仕事人にチップを奪うよう依頼するのでした。
そしてプロの仕事人は、バンコク発ベルリン行の飛行機に搭乗するチャドを捕縛すべく、同じ飛行機に搭乗し蠢動することになるのですが……。

映画「パニック・スカイ フライト411 絶対絶命」は単独では全く完結しておらず、まるまる1本使ってプロローグ的なストーリーを展開しているような感がある作品ですね。
今作では、チャド・ターナーに埋め込まれた「チップ」と呼ばれる存在が、物語の重要なカギを握っているのですが、実のところ、この「チップ」なるものが具体的にどんな力を持っているのかについては、物語のラストに至るまで謎に包まれたままです。
作中における「チップ」の具体的な能力の発動例としては、物語中盤で飛行機の乗客の半分近い数が突然着用していた服を残して忽然と消えてしまったという事例があるにはあるのですが、これにしても「何故、どのような理由でそんな現象が発生したのか?」については全く何も言及されていません。
作中における「チップ」は、リーマンショック後の混沌とした世界を変えられる救世主的な役割を担えるだけの力を持つとされているのですが、作中で披露された「突然人が服を残したまま消える」というだけでは、それがどんな形で救世主的なツールたりえるのか不明もいいところです。
結局、「チップ」の謎は最後まで明かされることなく、ラストは主人公がヒロインと共に低空飛行に入った飛行機からパラシュートで脱出するという結末を迎えただけでしかありませんでしたし。
ハイジャックをやらかしたプロの仕事人も結局死ぬことなく終わっていましたし、作品単独としてはあらゆる点で不完全燃焼が否めないのではないかと。
かといって続編に期待しようにも、続編ができるほどの人気を博しているとは到底思えない出来なことは、日本で劇場公開されることがなかったというその一事だけを見ても一目瞭然なのですしねぇ。
この辺り、アメリカ映画にもピンキリ色々とあるのだなぁ、という当たり前の事実をつくづく感じさせてくれる作品ではありますね。

あと、いくらリーマンショック等の経済危機で世界が混乱をきたしているとはいえ、救世主的な力でもってその状況を改善するというのは正直無理があるのではないかと思わなくはもなかったですね。
黒幕であるターク産業のトップが画策していたのは、作中の描写を見る限りでは「ひとりのリーダーによる超強力な中央集権体制の確立でもって世界を統合しよう」という話のようです。
しかし、通貨を統合しようとしたEUの悲惨なまでの政治的妥協や危機的状況を鑑みるだけでも、それが非現実な行為でしかないことは素人目にも明らかなのではないかと。
超常的かつ絶対的な力や奇跡を行使しさえすれば成し遂げられる、というものではないのですからねぇ、その手の政治的統合というものは。
各国がそれぞれ抱え込んでいるナショナリズムの問題や伝統・慣習・文化・言語の違いなど、単純な力業だけで押し通せない問題はいくらでもあるのですし。
宗教や文化で多くの共通項が存在するはずのヨーロッパの経済的統合ですら失敗するのですから、ましてやひとりの強大なリーダーによる政治的統合など、まだ当面は夢物語もいいところでしかないでしょう。
また仮にそんなものが実現しえたとして、それが大多数の人間および人類社会にとっての利益になるという保証もありはしません。
0.1%の人間だけが利益を享受し、残り全てが圧政と弾圧で苦しめられるなどという未来だって起こりえるのですから。
経済的・政治的な格差が拡大するようなものであれば、一時的に状況が改善されたとしても、長期的には動乱の種を植え付けることにもなりかねないのではないかと。
ヨーロッパやアメリカ、それに中国などで貧富の格差が拡大したことが大きな社会問題となっているように。
ターク産業のトップが、そこまで考えた上で救世主を志向しているとはとても見えないのが何ともねぇ(-_-;;)。

今作は続編ありきが前提のストーリーのため、作品単独では正直評価のしようがないですね。
続編が出た後でまとめて観賞する方が、あらゆる意味でスッキリしそうな映画ではあります。

映画「グランド・クロス シード・オブ・ディストラクション」感想(DVD観賞)

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映画「グランド・クロス シード・オブ・ディストラクション」をレンタルDVDで観賞しました。
2011年にカナダで製作されたパニックSF作品。
日本での劇場公開はなく、DVDのみでの日本上陸となるみたいですね。
Wikipediaやシネマトゥデイの映画検索にも引っかからないですし。

物語冒頭では、「アラムート計画」と称する研究を行っている男達が、植物を相手に空気浄化の実験をしている様子が映し出されています。
ビデオカメラで撮影されている男がタバコの煙を植物に吹きかけた瞬間、その植物は煙を吸い込み浄化してしまいました。
直後の測定で、植物の周囲にはタバコ特有の一酸化炭素や二酸化窒素などの有害物質が全く検出されなくなっていたことが判明。
「素晴らしい植物だ!」と絶賛する男の下で、不気味なまでの速度で根を生やす植物が映し出された直後、舞台は全く別の場所へと移ります。

次の舞台は、アメリカ・ネバダ州ラブロックにあるケンブル鉱山。
そこでは一組の男女2人が、有害ゴミの不法投棄を行っている人間の様子をビデオカメラに収めるべく、忍耐強く監視を続けていました。
やがて2人の前に、不審な白いバンが現れます。
不法投棄が行われる様子が行われるのかと緊張し、ビデオカメラを取り出して撮影を始める2人でしたが、バンから降りた男は手ぶらで歩いており、不法投棄を行う様子など全くありません。
代わりに男は、周囲を警戒しつつ、スーツ姿を来た男と対面するのでした。
スーツ姿の男はアタッシュケースから大金を見せつけ、バンの男と何か取引をしようとしているようでした。
それに対し、バンの男はおもむろにナイフを取り出して自分の手を切った後、同じく取り出した葉っぱを手に当てます。
手に当てた葉っぱを男が剥がすと、そこには最初に手を切った際にできたはずの傷はどこにもなくなっていました。
バンの男は大金と引き換えに何かの種子をスーツ姿の男に渡す手筈となっているようで、バンの男は車から種子を持って来ようとします。
しかし、スーツ姿の男にはもうひとり、遠距離から狙撃中で監視しているスナイパーがついていました。
そのスナイパーの男が2人の男女の姿に気づいた時、事態は急激に動き出します。
スーツ姿の男は、バンの男が罠にはめたのではないかと早合点し、スナイパーの男はバンの男を銃で狙撃。
負傷したバンの男は、ちょうどバンから取り出そうとしていた種子を地面に落としてしまい、種子を保管していた容器が割れてしまいます。
そして、種子が地面に落ちてしばらく経った時、それは突然起こりました。
何と、地面から突如巨大な植物の根が生えてきて鉱山を覆いつくしてしまったのです。
スーツ姿の男も、急激に成長する根に巻き込まれる形であっさりとフェードアウト。
遠距離だったために無事だった2人の男女は、クルマに乗ってその場から逃走。
しかし巨大な植物の根は、その後も凄まじい勢いで成長を続け、やがてネバダ州を覆い尽くさんとするのでした……。

映画「グランド・クロス シード・オブ・ディストラクション」は、上映時間が91分と短いこともありとにかく展開が速いです。
今作で脅威として描かれる巨大植物は早々に出現しますし、その成長速度も早ければ、人間達がその脅威を認識するのも何の問題もなく達成されます。
目の前ではにわかに現実とは思えない光景が次から次に繰り広げられていくにもかかわらず。
まあ、たとえどんなに非常識かつ理解不能な光景であっても、それが危険であることは誰の目にも一目瞭然だったわけなのですから、「こんなことが科学的&常識的にありえるはずがない!」などと手をこまねいて現実を否定していたら、生命がいくつあっても足りないのですが。
ただ、作中の巨大植物は、図体の大きさと破壊力という点では申し分なかったものの、対人間についてはどのような脅威になるのかがやや不透明な感が多々ありますね。
植物が人間に直接襲い掛かって殺すシーンというのは作中になく、作中の人間達の死は、植物が作った亀裂に落っこちたり、人が乗った車がいいように弄ばれるという形で、間接的に明示されるに留まっていましたし。
この映画、人の死を直截的に描かないということにこだわりを持ってでもいたのでしょうか?
その割には、ヘリが撃墜された際にパイロットが撃たれて死ぬ様はモロに描いていたりするのですが……。

個人的に疑問だったのは、植物の研究を行っていたマッドサイエンティストの老科学者が、ただ単に「研究を邪魔されたくない」という理由だけで侵入者を抹殺しろと命じたことですね。
自分の研究結果を独占して利益を得るという意図でもあるのならば抹殺命令も納得がいくのですが、単に「研究を邪魔されたくない」って、それが他者を殺さなければならない理由になるのかと。
そのためにわざわざプロの傭兵?を4人も雇っているのも理解に苦しみますし。
ただ「邪魔をされるのを防ぐ」というだけであれば、銃を突きつけて脅して追い払うという形を取った方が、持ち場を離れなくて良い分安全確実なのではないのでしょうか?
プロの傭兵4人も、わざわざ無駄に走らされた挙句に結局は侵入者の侵入と研究妨害を許してしまっているのですし。
殺すことにこだわったがために、却って本来の目的からしても本末転倒な結果をわざわざ自分から招いていたとしか思えないのですけどね、あの老科学者は。
まあ彼にとっての研究とは何物にも代えがたい至宝の存在であったことは、物語終盤に「植物の増殖を止める」ことで合意が成立していたにもかかわらず、植物の根を見て「素晴らしい研究素材だ」とあっさり前言を翻して裏切ったシーンを見ても明らかなのですが。

全体的にイマイチ盛り上がりが欠けていて、いかにもB級映画的なテイストで製作された雰囲気が多大なまでに漂う作品ですね。
作りから考えても低予算な映画なのでしょうし、仕方ない部分もあるのでしょうけど。

映画「007 スカイフォール」感想

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映画「007 スカイフォール」観に行ってきました。
「007」のコードネームを持つイギリスMI6の老練なスパイのジェームズ・ボンドの活躍を描いた、人気スパイアクションシリーズ第23作目。
映画「カウボーイ&エイリアン」「ドラゴン・タトゥーの女」等で主演を担っているダニエル・クレイグが、6代目ジェームズ・ボンドを演じています。

今作で登場する舞台は、トルコのイスタンブール・中国の上海・そしてイギリス(ロンドンとスコットランド)となります。
物語冒頭は、トルコのイスタンブールでMI6の工作員が何者かによって殺害され、テロ組織に潜伏している全NATO諸国に属する工作員達のリストが入っているハードディスクが奪われたところから始まります。
これまでのシリーズと同様に今作でも当然のごとく主人公であるジェームズ・ボンドは、今回の仕事でコンビを組んでいたイヴ・マネーペニーと共に犯人の追跡を開始。
かくして映画始まって早々に、イスタンブールの街中を舞台としたカーチェイス等の追跡劇が展開されます。
しかし、成り行きで乗った列車の屋根の上でジェームズ・ボンドが犯人と格闘している最中、MI6の責任者であるMの命令で狙撃してきたイヴの銃弾で、ジェームズ・ボンドは列車が渡っていた橋の上から断崖の下にあった川へと落下してしまいます。
しかも、犯人は当然のごとく逃がしてしまうという最悪の結果に。
その後、ジェームズ・ボンドの身柄は捜索にもかかわらず見つかることなく、MI6の公式記録上では「ジェームズ・ボンド殉死」と記されることになるのでした。

それからしばらく経ち、MI6はハードディスクが奪われた責任を追及されており、組織の改編とMの交代が議会で議論されていました。
そんな中、Mが議会からMI6の本部へ帰ろうとする途上で、MI6のサーバがハッキングを受けた上、MI6の本部も爆破されてしまうという事件が発生します。
犯行に及んだのは言うまでもなく、冒頭でハードディスクを奪った一味です。
MI6のサーバがハッキングされたことで、ハードディスクの中身も解読されてしまい、犯人グループは1週間毎にリストの中から5人を選んで名前をサイト上で公表すると宣言します。
一方、橋から落ちたもののやはり無事だったジェームズ・ボンドは、南国のリゾートっぽい場所でバカンスを楽しんでいました。
しかし、MI6の本部が爆破されたというニュースを聞きつけるにおよび、彼はMI6の復帰を決意。
Mの自宅で忽然と姿を現し、Mに対して自身の復帰を高らかに宣言するのでした。
Mは復帰するためには再テストを受ける必要があると言い、本部が爆破されたことで別の場所に移されたMI6の新たな本拠地へジェームズ・ボンドを案内することになります。
そこでジェームズ・ボンドは再テストを受け、自身に浴びせられた銃弾を元にハードディスク強奪犯を割り出し、その強奪犯が現れるとされる中国の上海へと赴くことになるのですが……。

映画「007」シリーズは、1962年に映画版第1作目が公開されて以降、「スカイフォール」で23作目を数えるという、相当なまでの長期にわたるシリーズとなっています。
しかし、いくらこれまで総計6人がジェームズ・ボンド役を代替わりしてこなしてきたとはいえ、他ならぬ作中のジェームズ・ボンド自身がかなりの高齢な設定となってしまっています。
作中でも、「あなた方のやり方は古い」的な批判をジェームズ・ボンドやMI6は散々受けてきたわけですし。
このままの設定で行くと、作中のジェームズ・ボンドはどんどん年を重ねていくことになりますし、それでもシリーズを継続させた場合、下手すると齢100歳を超えたジェームズ・ボンドが現役で活躍を続けるなどという滑稽な事態にもなりかねないでしょう。
そうなると、ジェームズ・ボンドの存在そのものが「不死」という秘密を抱えることになってしまいますから、それを狙って世界各国の諜報機関やマフィア系組織がジェームズ・ボンドの身柄を手に入れるべく蠢動を始める、などというオカルティックな展開にも発展しかねないのではないかと(苦笑)。
生年月日をずらせばこの問題は解消できるかもしれませんが、ただそれをやると、老齢のジェームズ・ボンドが今度は若返ったり、ハッカー的なジェームズ・ボンドが誕生したりと、これまでのストーリーとの整合性がない変な方向へ行ってしまう可能性もなきにしもあらず。
下手をすれば、それが「007」シリーズのイメージを破壊することにもなりかねないわけですし、シリーズ継続もだんだんと難しいものになっていっているのではないですかねぇ。

今作では、「007」シリーズの特色でもあった「秘密兵器」と「ボンドガール」の占める割合がかなり低いものとなっていますね。
作中に登場した「秘密兵器」と言えば、指紋認証でジェームズ・ボンド以外の人間には使用できず、かつ自身の居場所を伝える送信機能を持つ銃だけ。
それでも活躍していたと言えば言えるのですが、奇抜な「秘密兵器」が活躍していたこれまでのシリーズ作品と比較すると、いかにも「地味」なイメージが拭えないところです。
ベレニス・マーロウが扮した「ボンドガール」のセヴリンに至っては、物語中盤でようやく登場してジェームズ・ボンドとバスルームセックスにしけこんだかと思いきや、さしたる活躍もないままに敵方のラウル・シルヴァに撃ち殺されるという末路を辿るというだけの出番しかありませんでした。
今までの「ボンドガール」って、ジェームズ・ボンドと一緒に最後まで行動を共にし、場合によっては一緒にアクションを演じたりして活躍するパターンも少なくなかったと思うのですけどねぇ。
むしろ、ラウル・シルヴァやジェームズ・ボンドと深い関わりのあるMの方が作中での露出度ははるかに高く、「彼女こそが今作における真のボンドガールなのでは?」とすら考えたくらいでしたし。
作品全体の雰囲気やテーマでも「過去と向き合う」的な要素が強い作品ですし、その点では既存のシリーズ作品とはやや異なる赴きがあるかもしれません。

あと、今作のラスボスであるラウル・シルヴァは、やっていることが世界的なレベルで大掛かりな割には、その動機や目的があまりにも小さすぎるという感が否めないですね。
MI6本部を爆破したり、イギリス議会に殴り込みをかけるなどといった大胆な犯行を重ねていたその真の理由が「かつて自分を見捨てたMに対する復讐」でしかないって……。
最初にそれが明示された物語中盤頃は、「それは真の目的を隠すためのダミーなのではないか?」と考えていたのですが、結局彼は最後まで「Mへの復讐」に固執し続けていましたし。
ラストなんて、当の本人の精神面以外には何ら物理的な利益をもたらすことがなかったであろう「ジェームズ・ボンドの実家であるスカイフォールへの襲撃」まで実行するありさまでした。
ラウル・シルヴァが単に「Mの死」を望むのであれば、より少ない犠牲で確実に実現しえる手段など他にいくらでも存在しえたはずなのに、一番犠牲が大きく不確実な手段の選択肢をわざわざ選んでいるとしか思えなかったですからねぇ、アレは。
ラウル・シルヴァにしてみれば、そこまでの犠牲を払ってでもMを自分の手で直接殺害することを望んでいた、ということになるのでしょうけど。
しかも、結果的にスカイフォールの戦いでMが流れ弾?に当たって死んでしまったことを鑑みると、ラウル・シルヴァは(自分が一番望んだ形ではなかったにせよ)結果的に自らの復讐を見事に成就したことになってしまいます。
その点でジェームズ・ボンドは、ラウル・シルヴァを殺すことには成功したものの、Mを守り彼の復讐を妨げるという目的を達成できていないわけで、爽快感が売りのスパイアクション映画的には何ともすっきりしない結末と言わざるをえないところです。
「ダイ・ハード」や「ダイ・ハード3」のように「復讐や政治的テロに見せかけて実は……」的なワンクッションでもあった方が、ここでは却って良かったのではないかと思えてならないのですけどね。

作中で繰り広げられるアクションシーンについては、さすが「007」シリーズというだけのことはあり、それなりに見応えはあるものとなっています。
冒頭からいきなりカーチェイスが始まることもあって退屈はしないですし。
これまでのシリーズのファンがアクション映画が好みの方にはオススメの作品ですね。

映画「人生の特等席」感想

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映画「人生の特等席」観に行ってきました。
アメリカ大リーグの卵となる選手をスカウトする仕事を長年にわたって続けてきたプロでありながら「失明の兆候」を発症するという致命的な問題を抱えている老齢の男と、彼の娘で弁護士としての出世を夢見るキャリアウーマンの家族としての軌跡を描いた、クリント・イーストウッド主演作品。

物語の冒頭では、クリント・イーストウッドが演じる今作の主人公であるガス・ロベルが、老齢のためもあってか視力が衰え、排尿すらも不自由な体を晒すシーンが展開されます。
彼はアメリカ大リーグで活躍する名だたるプロの選手を次々とスカウトしてきた「その筋のプロ」なのですが、近年は老齢のためか新規の選手をまるで発掘できずにいました。
彼が所属するアトランタ・ブレーブスでも、パソコンを駆使して選手の見極めを行っているフィリップ・サンダーソンを中心に、ガスの手腕を疑問視する声が上がっている始末。
さらに彼は、妻には先立たれ、唯一の肉親である娘のミッキー・ロベルとは不仲もいいところで、せっかく一緒に外食をした際にもたちまちのうちに喧嘩別れするような関係にありました。
そんな中、アトランタ・ブレーブスでは、ノースカロライナ州の高校の野球チームで主力を担っているボー・ジェントリーという選手に注目していました。
アトランタ・ブレーブスは、ボー・ジェントリーの実力を確認し、彼がスカウトに値する選手であるかを見極めるべく、ガスにノースカロライナ州へ向かうよう指示。
出発の直前、ガスは亡き妻の墓参りへと向かい、娘が弁護士の資格を持妻でに至ったことを誇らしげに報告すると共に、娘との関係が上手くいっていないことを自虐混じりにことぼくのでした。

一方、ガスの長年の友人で同じアトランタ・ブレーブスの同僚でもあるピート・クラインは、ガスの娘のミッキーに対し、最近のガスの様子がおかしいことを報告すると共に、ガスと一緒にノースカロライナの試合会場を回って欲しいと頼み込むのでした。
当初、弁護士であるミッキーは、ちょうど自身の出世がかかっている重要な仕事の真っただ中にあったこともあり、取りつく島もなくこれを断ります。
しかし、ガスのことを診療していた医者にガスの容態を聞き、視力に異常があり早急な検査と手術が必要な体であるという情報を強引に聞きつけ、さらには出世の競争相手であるトッドに家族のことで嫌味を言われたこともあって、彼女は強引に数日間の休みを取得して父親の後を追うことになります。
かくして、ノースカロライナ州で再会し、ボー・ジェントリーのチームの試合を観覧して回ることになるガスとミッキーの2人。
ノースカロライナ州での旅は、2人の関係にどんな影響を与えることになるのでしょうか?

映画「人生の特等席」は、前半と後半で流れが大きく変わるストーリー構成ですね。
物語前半では、クリント・イーストウッドが演じるガス・ロベルの老衰ぶりと頑固親父ぶりがとにかく前面に出ていて、あまり未来に希望を感じさせない暗い展開が続きます。
逆に物語後半、特にガスがボー・ジェントリーの実力を見極めた辺りからは、明らかにロベル親子の風向きが変わったかのような雰囲気すらありました。
アレがガスの実力の本領発揮であることと、娘のミッキーが父親を見直す端緒となったのですから当然のことではあるのですが。
ただ、前半の暗い展開と流が結構長い時間続くことから、人によっては前半で評価を落とすリスクも否めないところではありますね。
前半の主人公は、色々な悩みや葛藤なども描かれてはいるにせよ、まるで良いところがないですし。

個人的に少々驚いたのは、前半で明らかに父親に隔意を抱いている様子を隠そうともしていなかったミッキーが、実はかなりの野球通であったことですね。
彼女は、物語中盤頃に出会うこととなるジョニー・フラナガンと、大リーグ絡みのトリビア話で相当なまでに盛り上がっていたのですから。
元来父親が嫌いだったはずのミッキーが、ああまで野球のことに詳しく、かつ楽しげに語っていたりするというのは少々意外な話ではあったのですが。
彼女、弁護士ではなく父親と同じスカウトの道を歩いていた方が、自分の趣味を生かせる天職でもあったでしょうし本人のためにも良かったのではなかったのかと。
実際、物語終盤では、全く無名のリゴ・サンチェスを見出すという、父親以上とすら言えるレベルのスカウトまでやってのけていたりするのですし。
弁護士としてもそれなりに有能ではあったようですし、そちらはそちらで彼女にとってはやりがいのある仕事ではあったのでしょうけど。
一方のジョニー・フラナガンも、かつてはガスに見出されて野球選手として活躍していたという経緯もあってか、大リーグ野球に関するこだわりはこちらも相当なものが感じられましたね。
大リーグ野球についてロクに知識もない私としては、次々と繰り出されるトリビアネタに、ただただ「凄いなぁ」と見ているしかなかったのですが(苦笑)。
この一種の「野球オタク」ぶりは、ジャンルは違えど映画「僕達急行 A列車で行こう」に登場する「鉄ちゃん」達にも通じるものがありますね。
ああいう「趣味の一致」で意気投合し親しくなっていくのは自然な流れではありますし、あの2人は友人にせよ恋人にせよ、なかなかに良好な人間関係を構築できそうな感じでした。
ああいう出会いと人間関係って、傍から見ていても羨ましいと感じられるものがありますねぇ。

物語終盤でミッキーがスカウトとしてその素質を見出していたリゴ・サンチェスは、一見すると唐突に出てきたような印象があるのですが、実は彼はその前に伏線としてチラリと登場してはいたんですよね。
ミッキーかガスがノースカロライナのモーテルでチェックインして部屋の鍵を受け取っていた際に、リゴ・サンチェスとその弟?の2人が野球だかキャッチボールだかをしに出かけようとしている描写があったのですから。
最初にリゴ・サンチェスが出てきた際には、「何故何の脈絡もなくいきなり出てくるの?」と一瞬訝しんだものの、すぐにあんなチラッとした描写が伏線だったと気づいて愕然とせざるをえませんでしたよ、私は。
この伏線の張り方は結構上手いものがあるのではないかと思いました。

これまで数々のアクション映画や人間ドラマ作品を提供してきたクリント・イーストウッドなだけあって、その「老練」な役者ぶりは確かなものがありますね。
彼のファンか、あるいは家族の絆をテーマとする作品が好きなのであれば必見の映画と言えそうです。

映画「ロックアウト」感想

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映画「ロックアウト」観に行ってきました。
映画「トランスポーター」シリーズや「アデル/ファラオと復活の秘薬」「コロンビアーナ」などの製作を手掛けたリュック・ベッソン監督による、近未来を舞台としたSF作品。
何でも、リュック・ベッソンが近未来を舞台としたSF映画を製作するのは、ブルース・ウィリス主演の1997年公開映画「フィフス・エレメント」以来15年ぶりのことなのだとか。

2079年の近未来アメリカ。
映画冒頭では、今作の主人公であるCIAエージェントのスノーが、殴られながらの尋問を受けている様子が映し出されています。
彼は、宇宙開発計画の重要機密を漏洩させた犯人を追っていた捜査官フランク・アームストロングを殺害した容疑で、NSA(国家安全保障局)の長官スコット・ラングラルからその罪と情報について厳しく尋問されていたのでした。
しかし、相手がNSA長官であるにもかかわらず、スノーは相手をバカにしきった不遜な態度で応対しており、尋問ははかばかしい成果が挙げられていませんでした。
このままでは埒が明かないと尋問役が交代し、スノーの諜報員仲間だったCIA調査官ハリー・ショウがスノーから情報を聞き出そうとします。
スノーは相変わらずな態度を披露して煙に巻いているかのように見せかけつつ、机の上で「MACE」という文字を描きます。
そのメースなる男は、一連の事件の真相が収められているアタッシュケースを持つ男であり、またそれは同時にスノーの無実を証明してくれる存在でもありました。
そのことを瞬時に察したハリーは、表面上は「これ以上話しても無駄だ」と席を立ちつつ、メースの行方を捜しに向かうのでした。

その頃、時のアメリカ大統領ワーノックの娘エミリーが、「MS-1」と呼ばれる刑務所を訪問していました。
「MS-1」は、地球外の宇宙空間上に存在する巨大な人工衛星で、「静止」と呼ばれるコールドスリープで囚人達を管理する上、ソーラーシステムで半永久的に稼働する設備と重火器を備えた、最新鋭の宇宙刑務所です。
その地理的条件と完璧な管理方法によって「脱獄成功率0%」を謳われる、完全無欠の刑務所であると言われていました。
現在は約500名(正確には497名)の囚人達がコールドスリープされており、将来的には50万人もの囚人達を収容する計画まであるのだとか。
しかし、「MS-1」で行われているコールドスリープが実は人体に少なからぬ悪影響を与えている可能性が人道活動団体によって指摘されており、エミリーはその真偽を確認すべく「MS-1」を訪れたのでした。
彼女は早速、囚人達に刑務所の実態を訪ねるべく、ハイデルという名の囚人とガラス越しでの面接を企図します。
ところが、エミリーの護衛のひとりが、本来武器の携帯を禁じられているはずの面会室に、ひそかに銃を隠し持って中に入っていたことが大きな仇となってしまいます。
ハイデルは護衛の一瞬の隙を突き、護衛の武器を奪取して発砲を開始。
そのまま刑務所の制御室へと向かい、その場にいた管理官を脅して全ての囚人達をコールドスリープから解き放たせてしまいます。
囚人達はその数と、何よりもハイデルの兄であるアレックスによって一部が統率されたことから、刑務所内を完全に制圧することに成功。
さらに刑務所内にいた職員やエミリーを人質として捕えてしまいます。
容易ならざる事態が発生し、しかも人質の中に大統領の娘がいることを知って驚愕・動揺せざるをえなかったアメリカ首脳部達。
しかしここで、先述のCIA捜査官ハリーが、元々「MS-1」へ囚人として送り込む予定だったスノーに、エミリー救出の任務を与えることを提案します。
上層部の面々はハリーの提案を即座に受け入れ、最初は拒絶していたスノーも「メースが捕えられてMS-1に送られた」とハリーに教えられたことから、しぶしぶながら依頼を承諾することに。
かくして、難攻不落の要塞と化した「MS-1」への潜入作戦が始められることになったのですが……。

映画「ロックアウト」は、「難攻不落」を謳われる要塞が実はいかに脆いシロモノでしかないのかを如実に示す作品であると言えますね。
「脱獄成功率0%」を謳われ、実際に限りなく不可能としか言いようのない設備と地理的条件を有していながら、しかし作中では一瞬の隙を突かれていともあっさりと囚人達に制圧されてしまっているのですから。
どんなに優れたシステムであっても、それを管理運用する人間に問題があれば簡単に潰されるばかりか逆に利用すらされてしまう、ということを極彩色に表現しています。
ちょっとしたアクシデントから崩れ去るのがあまりにも早かったですし。
もっとも、それは実のところ脱獄した囚人達にも言えることで、特にハイデルという「無能な働き者」が盛大に足を引っ張っていたが故に、彼らは半ば自滅したようなものだったのですが。
せっかくアレックスという、智謀も統率力にも優れた指揮官を見出すことができたというのに、ハイデルは彼が確保しようとしていたせっかくの優位を積極的に突き崩してばかりいる始末でしたからねぇ。
挙句の果てには、当のアレックス自身すらもハイデルに殺されてしまったのですし。
いくらハイデルがアレックスの実の弟だったからとはいえ、周囲の進言に従ってさっさと殺しておけば良かったのに、とは誰もが思わずにはいられなかったことでしょうね(T_T)。
駆け引きの要素もあったとはいえ、あれほどまでに思慮深く冷静さと残虐さを使い分けられるアレックスともあろう者が、たかだか「実の弟」というだけであそこまでハイデルにデカいツラをさせることを許すというのも、はなはだ理解に苦しむものがありましたねぇ。
まあ、あの弟も実は本来マトモな頭をしていたのが、コールドスリープの悪影響ですっかり狂ってしまっていたのかもしれないのですけど。

あと、主人公が救出するターゲットと目されていた大統領の娘エミリー・ワーノックも、最初は「大丈夫か?」と言いたくなるレベルで奇行が目立っていましたね。
1人乗りの脱出艇で悠々と刑務所を脱出することもできたはずなのに、「自分ひとりだけ助かることなんてできない、人質を全員助ける」などと笑えるレベルの綺麗事を主張して結局自ら残留していたり、にもかかわらず人質はハイデルによって皆殺しにされてしまっていたりと、序盤はとにかく「主人公の足を引っ張るための存在」でしかなかったのですから。
エミリーの真価は、脱獄犯達に囚われの身となり銃を突き付けられた状態から、大統領である自分の父親に向かって「刑務所を爆破して」と言い切ってみせた辺りから発揮され始めます。
ここからは逆に、今までのアマちゃんかつ足手纏いな部分がウソであるかのように主人公を助けるようになっていきます。
「MS-1」から脱出して以降なんて、逆に主人公は何もしていないに等しいのですし(苦笑)。
願わくば、その冷静な状況判断能力が序盤から発揮されていれば……とは考えずにいられませんでしたけど(^_^;;)。

全体的には、「MS-1」内におけるバトルよりも、主人公とCIAとNSAの間で繰り広げられる政治的駆け引きの方が見所はある作品ではありましたね。
アクション部分よりもミステリー的なストーリーにスポットを当てるべき映画と言えるのではないかと。

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