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カテゴリー「映画観賞関連」の検索結果は以下のとおりです。

2013年映画観賞総括

2013年も、残すところあと僅かとなりました。
まあ個人的には、諸般の都合であまりブログを含めたタナウツ関連に集中できなかった年ではあったのですが(^^;;)。
2014年はまた以前のペースを取り戻していきたいと考えております。

ところで、映画関連の記事も6月で止まってしまった形になっているのですが、映画観賞自体はその後も問題なく続けていて、今年の映画館での映画観賞本数は85本に達していたりします。
前年の97本に比べると12本のマイナスとなっており、残念ながら年間新作映画観賞本数の4年連続最多記録更新とはならなかったですね(T_T)。
まあそれでも、2012年に次ぐ映画観賞本数ではあるのですが。
2013年の新作映画観賞作品は以下の通りとなっております(左の連番は新作映画の観賞順)↓

 1.ドラゴンゲート 空飛ぶ剣と幻の秘宝(3D版)
 2.96時間/リベンジ
 3.LOOPER/ルーパー
 4.テッド
 5.東京家族
 6.ストロベリーナイト
 7.ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日
 8.アウトロー
 9.ムーンライズ・キングダム
10.ゴーストライダー2
11.恋する歯車
12.脳男
13.王になった男
14.ダイ・ハード/ラスト・デイ
15.レッド・ライト
16.ゼロ・ダーク・サーティ
17.遺体 明日への十日間
18.草原の椅子
19.フライト
20.オズ はじまりの戦い
21.プラチナデータ
22.ひまわりと子犬の7日間
23.クラウド アトラス
24.ジャックと天空の巨人(3D版)
25.だいじょうぶ3組
26.相棒シリーズ X DAY
27.ジャンゴ 繋がれざる者
28.世界にひとつのプレイブック
29.ライジング・ドラゴン
30.リンカーン
31.舟を編む
32.アイアンマン3
33.藁の楯/わらのたて
34.ラストスタンド
35.図書館戦争
36.L.A.ギャングストーリー
37.探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点
38.オブリビオン
39.リアル ~完全なる首長竜の日~
40.G.I.ジョー バック2リベンジ(3D版)
41.エンド・オブ・ホワイトハウス
42.華麗なるギャツビー
43.奇跡のリンゴ
44.アフター・アース
45.ワイルド・スピード EURO MISSION
46.風立ちぬ
47.終戦のエンペラー
48.ローン・レンジャー
49.パシフィック・リム
50.ワールド・ウォー Z(3D版)
51.ホワイトハウス・ダウン
52.少年H
53.スター・トレック/イントゥ・ダークネス
54.ガッチャマン
55.マン・オブ・スティール
56.タイムスクープハンター 安土城 最後の1日
57.サイド・エフェクト
58.キャプテンハーロック(3D版)
59.ウルヴァリン:SAMURAI
60.許されざる者
61.エリジウム
62.そして父になる
63.おしん
64.ダイアナ
65.ゴースト・エージェント/R.I.P.D.
66.人類資金
67.グランド・イリュージョン
68.スティーブ・ジョブズ
69.パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々:魔の海
70.2ガンズ
71.清須会議
72.マラヴィータ
73.悪の法則
74.くじけないで
75.REDリターンズ
76.キャプテン・フィリップス
77.かぐや姫の物語
78.47RONIN
79.利休にたずねよ
80.ルパン三世 VS 名探偵コナン THE MOVIE
81.ゼロ・グラビティ(3D版)
82.武士の献立
83.永遠の0(ゼロ)
84.ウォーキング with ダイナソー
85.ハンガー・ゲーム2

観賞映画の内訳は、洋画50本・邦画32本・その他(中国・韓国映画)3本。
昨年と比較すると、邦画の減り方が特に大きな感がありますが、これは今年の邦画でアニメ関係と恋愛物が多く公開されたことによって、それ以外の映画の上映リソースを多大に食ってしまったことが大きかったと言えるでしょう。
実際、今年の邦画の興行収益ランキングを見ても、上位10位の実に半分以上がアニメ映画というありさまですし↓

http://www.cinematoday.jp/page/A0003969?g_clk=topcover
2013年度邦画興収ベスト10
 1.風立ちぬ
 2.ONE PIECE FILM Z ワンピース フィルム ゼット
 3.映画ドラえもん のび太のひみつ道具博物館
 4.名探偵コナン 絶海の探偵
 5.真夏の方程式
 6.映画 謎解きはディナーのあとで
 7.劇場版ポケットモンスター ベストウイッシュ 神速のゲノセクト ミュウツー覚醒
 8.そして父になる
 9.ドラゴンボールZ 神と神
10.清須会議

私の行きつけの映画館だけで見ても、アニメ映画は事前のネットでの予約状況・現地のスクリーンへの入場者数共に、他の映画と比較して客足が目に見えて違っていたりしますからねぇ。
昔と比べて「アニメを見ることに抵抗を感じない大人」および「大人向けのアニメ映画」が増えていることが大きくはあるのでしょうけど。
また映画館側にとっても、低年齢層向けのアニメ映画はPG-12やR指定の映画と違って老若男女問わず幅広い客層をターゲットに出来る上、家族連れで観賞するケースが多く客寄せの効率が良いという大きなメリットがあります。
映画館も客商売である以上、儲けが多く客を引き寄せられる映画を優先的に上映せざるをえないわけですから、今後も当面は客寄せと収益向上に寄与しえるアニメ映画を優先的に多く上映することになるのではないでしょうか。
いち映画ファンとしては少々寂しい限りではあるのですが、これも時代の流れというものなのでしょうかねぇ。

アニメ映画が隆盛を極めた感のある2013年でしたが、来るべき2014年もまた、アニメ映画も含めた良質な映画と数多く巡り合いたいものですね。

映画「エンド・オブ・ホワイトハウス」感想

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映画「エンド・オブ・ホワイトハウス」観に行ってきました。
タイトルが示す通り、アメリカのホワイトハウスを舞台に繰り広げられるアクション映画。作中では無差別銃撃などで人が血を撒き散らしながら大量に死んでいく描写が存在するため、PG-12指定されています。

今作の主人公マイク・バニングは、アメリカ大統領ベンジャミン・アッシャーおよびその一家を警護するシークレット・サービスの一員。
大統領のスパーリングの相手になったり、大統領の息子コナー・アッシャーと親しく会話していたりと、彼は護衛対象たる大統領一家からも大きな信頼を寄せられていました。
しかし、クリスマスが近いある年の12月、大統領専用の別荘地キャンプ・デービットから選挙資金調達の用事で外出する大統領一家を警護する任に当たっていたマイク・バニングは、そこで不測の事態に直面することになります。
雪が舞う林道を走っている最中、大統領の専用車を先導する警護のクルマに大枝が落下。
パニックに陥った先導車は、ちょうど橋がかかった川に差し掛かったこともあり、大統領専用車を巻き込む形で橋からダイブして川に転落してしまいます。
それに巻き込まれた大統領専用車もまた、橋の淵にかろうじて引っかかった状態で今にも川へ転落しようとしていました。
大統領を救出すべく急ぎ駆けつけたマイク・バニングは、一刻を争う事態ということもあり、妻を助けようとする大統領の身柄の確保を優先して大統領を車から引っ張り出します。
ところがその直後、橋に引っ掛かることで辛うじて保たれていたクルマのバランスが崩れ、大統領専用車はファーストレディを乗せたまま、川へと転落してしまったのでした。
当然のごとくファーストレディは死亡。
大統領と息子は大いに嘆き悲しみ、マイク・バニングもまた、任務を果たせなかったことに自責の念に駆られることになってしまうのでした。

それから約18ヶ月後の7月5日。
ファーストレディを救出できなかった責任を問われたマイク・バニングは、シークレット・サービスの任務から外され、閑職も同然の財務省の国庫課に異動となっていました。
件の事件以来、彼は妻との関係すらも上手く行かなくなってしまい、あの時のショックから未だ完全には立ち直れずにいるのでした。
この日、アメリカ大統領は、北朝鮮との緊張状態が続く韓国の大統領と、ホワイトハウスで会談を行う予定となっていました。
シークレット・サービスによる厳重な警戒体制が敷かれる中、韓国側の護衛と共にホワイトハウスに現地入りする韓国の大統領。
しかしそんな中、一機のC-130輸送機がワシントンD.C.の飛行禁止区域へと侵入。
当然、2機の戦闘機がスクランブル発進して輸送機に警告を与えるのですが、C-130は警告を無視したばかりか突如発砲を開始。
その場で戦闘機を撃墜した上、ワシントンD.C.の市街地に向けて無差別の銃撃を開始し一般人を虐殺し始めます。
危機を察知したアメリカ大統領およびその周囲は、韓国の大統領と共に、ホワイトハウスの地下にある危機管理センターへと避難することになります。
しかし、時を同じくしてホワイトハウス近辺で大規模な襲撃が開始され……。

映画「エンド・オブ・ホワイトハウス」は、久々に「古き良き正統派」なハリウッドアクション映画とでもいうべき内容ですね。
主人公が単身敵に挑む設定といい、主人公以外の味方が無為無力どころかむしろ足を引っ張ってすらいる点といい、どことなく「ダイ・ハード」シリーズや「沈黙」シリーズのノリに近いものがあります。
主人公は最初から最後まで孤立無援の状態を維持し続けていますし、数十人規模の少数精鋭集団をたったひとりのアクションで制圧していく光景は、ハリウッド映画では見慣れたものではあるにせよ、それ故に安定的な面白さを観客に提供してくれています。
主人公は物語冒頭の事件をトラウマ的に引き摺っているため、キャラクター的には少々暗い性格になってしまってはいるのですが、終盤では「事件を解決した英雄」として名誉が回復し、ハッピーエンドで終わるところもポイントですね。
良くも悪くも、往時のハリウッドアクション映画のあり方を踏襲した作品と言えるのではないかと。

公式サイトに掲載されているプロダクションノートによれば、作中におけるホワイトハウス襲撃は「実際にそんなことが可能なのか?」というシミュレーションを重ねた末に考え出されたものなのだそうです。
特に感心したのは、ホワイトハウス襲撃日を7月5日に設定した理由で、この日はアメリカ独立記念日の翌日で、前日の記念式典等で出たゴミを処理するための大型トラックが多数出動するので、それをテロリスト達が利用できるからというもの。
これらの大型トラックは、作中ではホワイトハウスに繋がる道路の封鎖や、警察や軍からの攻撃に対する防塞として大いに機能していました。
物語の設定や必然性としてどころか、リアルなテロ計画としても充分に通用しそうな設定で、「実際にこういった襲撃は可能なのではないか?」という思いを観客に抱かせるのに十分なものがありました。
そして、そのホワイトハウス襲撃でも、ホワイトハウスの地下深くにある危機管理センターの制圧はさすがに難しいのではと考えていたら、そちらは韓国大統領の側近達によって内部からあっけなく占領されてしまっていました。
自国の大統領周辺に北朝鮮に繋がる工作員を、しかも何の疑いを抱くことすらもなく置いているとは、作中の韓国ってどれだけ北朝鮮に甘いんだよとつくづく考えずにはいられませんでしたが(^^;;)。
ただ実際、韓国は特に金大中政権の太陽政策以降、北朝鮮に対し無用なまでに寛大なスタンスを取るようになってしまっていて、結果として北朝鮮の工作が社会的に浸透しまくっているという事情も実はあったりしますからねぇ。
日本ではありえない話なのですが、韓国では「親北朝鮮派」と呼ばれる勢力が少なからぬ力を持っていたりするそうですし。
こんなのを同盟国として抱え込んでいなければならないとは、いくら自業自得であるとは言え、アメリカも不幸な国ではありますね(T_T)。
作中のアメリカは間違いなく、「あの国のあの法則」の呪いにでも巻き込まれていた以外の何物でもありませんでしたし(苦笑)。

作中のようなホワイトハウス襲撃を見て個人的に連想したのは、やはり何と言っても同じように日本の国家中枢を一時的にせよ少人数で奇襲的に制圧してしまった話を描いた映画「SP 革命篇」ですね。
今作のそれに比べれば、あの奇襲は構成人数においても武装においても雲泥の差があるのですが、外国はいざ知らず、日本ではあの程度の奇襲であっても相当なリアリティを伴うものでありえてしまうんですよね。
日本ではあの手の国家中枢への攻撃・占拠などが実施された有事に関して想定したマニュアルや体制などは無きに等しいですし、そういったものを作ろうとすると、そのこと自体が「軍国主義」「右傾化」などの謂れなき非難を受けたりするお国柄です。
「SP 革命篇」で見られるような「拳銃を持った数人程度の武装集団」レベルでいともあっさりと制圧されてしまう光景がリアリティを持ってしまうような日本で、今作のごとき襲撃が行われたりでもしようものならば、襲撃者達はホワイトハウス制圧にかかった最初の13分間で、国家中枢どころか日本という国の機能すらも完全に停止させることが出来てしまうでしょう。
日本では内閣総理大臣が病気などで政務を遂行できなくなった際の明確な取り決めが、何と21世紀に入る直前まで存在せず、ほとんど慣習的に運用されていたくらいだったのですから。
第84代内閣総理大臣だった小渕恵三の緊急入院問題から、多少は改善されて事前の代行指名を最大5名まで行えるようになりはしたものの、法律で18位まで大統領継承順位が定められているアメリカに比べれば未だ不十分なレベルとも言われています。
内閣総理大臣と一緒に、事前に指名された5名全てが捕縛されてしまったら一巻の終わりなわけですし。
また実際問題として、作中で描写されていたような「大統領・副大統領が捕縛されてしまったので、下院議長が大統領代行として指揮を執る」的な権限移譲自体が、日本では果たしてスムーズに行い得るものなのか、という疑問も尽きないですからねぇ。
武器使用の制約が少なく、世界最強の軍隊を持つアメリカですら不意を突かれれば弱いのに、それ以上に制約も大きい日本で作中のホワイトハウス襲撃と同規模の攻撃が起ころうものならば、一挙に国家存亡の危機にまで直結するのではないか、という懸念は以前から消えることがないのですが……。

エンターテイメント作品としては、観客のツボを良く押さえた手堅い作りになっているのではないかと思います。

映画「G.I.ジョー バック2リベンジ(3D版)」感想

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映画「G.I.ジョー バック2リベンジ」観に行ってきました。
1980年代に放映されていたアメリカの同名人気アニメを実写化した、2009年公開のアクション映画「G.I.ジョー」の続編作品。
今作は3D対応のために、本来ならば2012年夏の予定だった劇場公開を1年近くも延期するという、およそ本末転倒な行為をやらかしています。
私に言わせれば、3D化などは映画料金を無駄に高くするための誰得な所業の産物でしかありえないのですが、今回は2D版の公開時間の都合が合わなかったこともあり、泣く泣く3D版で観賞する羽目となってしまいました(T_T)。
何でも、今作が公開延期をしてまで3D化にこだわったのは、序盤の展開に大きな要因があるらしいのですが……。
せっかく大御所のブルース・ウィリスも出演しているのですから、3D化なんて傍迷惑な所業などやらずにさっさと劇場公開しても良かったのではないかと、つくづく思えてならなかったのですけどねぇ(-_-;;)。

前作のラストで、アメリカ大統領そっくりの顔になって本物の大統領と入れ替わっていたザルタン。
彼は、前作で自分達の組織を壊滅状態に追い込んだG.I.ジョー達を殲滅すべく蠢動し始めます。
その頃、核保有国のパキスタンで大統領が何者かに暗殺されるというニュースが世界を駆け巡ります。
パキスタンの政情混乱に伴う核の拡散を憂えるアメリカの国防会議?の席上で、アメリカ大統領を演じるザルタンは、自身の権限を駆使してG.I.ジョーに核の奪取を行わせる作戦を行わせるよう指示するのでした。
元々高い戦闘能力と何世代も先行した感のある超兵器で武装しているG.I.ジョーの面々は、さしたる大きな犠牲を出すこともなく任務を達成することに成功します。
しかし、ザルタンが仕掛けた死の罠は、帰還のための輸送機を待ちながら、任務を達成した満足感と望郷の念で油断していたG.I.ジョー達に襲い掛かったのでした。
味方を装い、突如奇襲的に航空機による攻撃を仕掛けてきた敵により、G.I.ジョーは壊滅状態に。
しかもこの攻撃の際、現地のG.I.ジョーを束ねる司令官だった前作の主人公デュークもまた、身を呈して部下を逃がしたのが災いし、帰らぬ人となってしまうのでした。
ザルタンによる殲滅攻撃で生き残ったG.I.ジョーの面々はわずかに3人。
彼らは、自分達に攻撃を命じたのが大統領であることを察知し、復讐と報復の戦いに身を投じていくことになります。

一方、これまた前作のラストで捕縛され、冷凍睡眠状態?で特殊な牢獄に入れられていたコブラコマンダーが、同じく前作のラストで死んだと思われていたストームシャドーと、コブラコマンダーの部下であるファイアーフライの手引きで脱獄に成功します。
彼らは、天敵であるG.I.ジョーを壊滅させたザルタンと共に、世界を牛耳る計画へと邁進していくことになるのですが……。

今回の「G.I.ジョー バック2リベンジ」は、良くも悪くも意表を突く展開が目白押しですね。
前作の主人公デュークが今作も主人公思いきや、序盤で早々に部下をかばって死んでしまいますし、G.I.ジョーの初代司令官兼「最強の助っ人」として「あの」ブルース・ウィリスが登場したりするのですから。
ただ前者については、物語の展開的にもエンターテイメントの観点から見ても、明らかに失敗だったと言わざるをえないところですね。
この手の物語では、観客は主人公に感情移入して楽しむのが常なのに、その主人公が早々に死んでしまったわけですから、出鼻を挫かれること甚だしいわけで。
前作でアレだけ奮闘したのは一体何だったんだ、ということにもなってしまい、結果的には前作の価値すらも著しく損ねることにもなりかねない、極めて愚かな所業にしかなっていないですね。
物語のラストで殉死させその死を美化する、といった展開にするならまだしも、序盤でああまであっさりと死なせてしまっては、その後の展開に多大な支障を来しかねないことくらい、製作の段階で分かりそうなものなのですが。
実際、この展開は、映画製作者達が映画の完成直後に行ったテスト試写会でも散々な評価だったらしく、それが今作が3D編集に走った原因のひとつにもなっているとのこと。
3Dでより良い映像を見せる、というのではなく「ストーリーの失敗」を理由に3Dに走るなんて、観客からしたら傍迷惑も甚だしい行為でしかありえないのですけどね。
まあ、既に完成した映画を1から作成し直す時間的・経済的な余裕なんて無かったがための苦肉の策ではあったのでしょうが。

その一方で、かつてG.I.ジョーを束ねていた初代司令官として登場したブルース・ウィリスは、さすが大御所だけのことはあり、他の登場人物を圧倒する存在感を醸し出していました。
活躍は抑え目だったものの、要所要所の登場シーンでツボを押さえている感がありました。
ただ、映画の前宣伝でも盛んに喧伝されていた「最強の助っ人(ブルース・ウィリス) VS 最強の刺客(イ・ビョンホン)」の直接対決は、作中では全く見られず終いでしたが。
イ・ビョンホンが扮するストームシャドーは、序盤はコブラの手先としてコブラコマンダーの脱獄の手引きなどをしてはいたものの、初代ジョーと対面する頃には自身の過去の真相を知ってコブラを裏切っていましたし。
あの宣伝は一体何だったのか、とすら思えるほどに「ウソ・大袈裟・紛らわしい」の誇大広告もいいところでしたね。
あの宣伝を信じて、ブルース・ウィリスとイ・ビョンホンの直接対決を待ちわびていた観客も少なくなかったのではないかと思えてならないところだったのですが。

あと、前作の終盤で顔が銀色になり、コブラコマンダーから命名を受けたデストロは、今作ではコブラコマンダーの脱獄の際に早々に見捨てられた挙句、それ以降は最後まで全く登場すらしないという、そこらの三下にも劣る扱いもいいところでした。
前作では大企業の黒幕的な存在感があったのですが……。
ラストを見る限り、今作はまだ続編がありそうな状況ではあるのですが、今後の続編で彼の再登場は果たしてあるのでしょうか?

手堅いアクション映画ではありますので、その手のジャンルが好きな方は観に行く価値があるのではないでしょうか?

映画「リアル ~完全なる首長竜の日~」感想

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映画「リアル ~完全なる首長竜の日~」観に行ってきました。
乾緑郎の小説「完全なる首長竜の日」を原作とする、実写版「るろうに剣心」の佐藤健および「ひみつのアッコちゃん」の綾瀬はるか主演のSFミステリー作品です。

今作の主人公である藤田浩市と和敦美は、小学校時代の幼馴染で、現在は恋人同士の関係にあります。
同棲生活をしていて結婚まで視野に入れた付き合いをしていたであろう2人の関係は、しかしある日突然、和敦美の自殺未遂によって突然断ち切られてしまいます。
和敦美は自殺未遂から1年もの時間が経過してもなお意識が戻らず、また自殺した理由自体も全く不明。
何とか和敦美を目覚めさせたい藤田浩市は、和敦美が入院している病院の医師から「センシング」と呼ばれる先端医療機器の使用を提言されます。
「センシング」とは、昏睡状態となった患者の脳に他者が直接アクセスし、互いの意思疎通を可能にする最先端の医療機器技術のことを指します。
「センシング」の使用に際しては、患者と患者にアクセスする人間との相性も問われるようなのですが、幸いにして藤田浩市と和敦美の相性は良好だったのだとか。
今回の「センシング」の目的は、和敦美が自殺した理由と原因を明らかにすると共にその問題を解消し、和敦美が目覚める方向へと誘導すること。
そして藤田浩市は「センシング」を使い、和敦美との第1回目のコンタクトを図ることとなるのでした。

「センシング」で患者とアクセスできる時間は最大でも数時間程度。
その記念すべき最初の「センシング」で、藤田浩市は無事に和敦美の意識の中にダイブすることに成功します。
そこで彼が見たのは、住み慣れた2人の住居で一心不乱にマンガを描き続ける和敦美の姿でした。
意識の中における彼女は、自身が連載しているマンガの執筆に行き詰っているようでした。
藤田浩市は早速、和敦美に自殺未遂を図った理由について問い質すのですが、彼女は完全に自分の世界に浸りきっていて、藤田浩市の質問に回答を与えようとしません。
そして、自分が抱え込んでいるスランプを抜け出すために、幼い頃に描いた「首長竜の絵」を見つけてきて欲しいと藤田浩市に依頼するのでした。
「首長竜の絵」を見れば、和敦美の意識が戻るかもしれない。
そう考えた藤田浩市は、現実世界と「センシング」の双方で「首長竜の絵」の探索に乗り出すことになります。
しかし、「首長竜の絵」を探す過程で、藤田浩市の周囲では次々と不可解な事象が発生し始めるのです。
謎の怪現象に翻弄されつつ、藤田浩市は事の真相に迫ろうとするのですが……。

映画「リアル ~完全なる首長竜の日~」で重要なツールとして登場する「センシング」という先端医療技術は、ある種の人々にとってはまさに夢のような存在と言えますね。
何しろ、意識不明の重体にある人間の脳に直接アクセスし、様々な情報を引き出すことができるときているのですから。
意識不明の状態にある親族を長年にわたって看病・介護し続けているような家族などにとっては、喉から手が出るほどに欲しい技術ではあるでしょう。
それだけでなく、患者が暴力・殺人未遂事件等の当事者であった場合は犯罪捜査にも役立ちますし、また本人確認が必要不可欠な遺言などにも力を発揮するであろうことは確実です。
意識不明の患者だけでなく、精神病を抱え込んでいる患者相手にも「センシング」はかなりの威力を発揮しそうです。
作中の描写を見る限り、無意識の深層意識なども投影されているようなので、患者の心理状態や過去の事象を探ったりするのにはうってつけのツールと言えますし。
一方で今後の課題としては、患者および患者とアクセスする人間との間で相性が良いことが相当程度の割合で求められることにあるでしょうか。
作中でも、「センシング」が成功したというだけで周囲の医師達一同がわざわざ一斉に拍手していたりするくらいですから、アクセス者は誰でも良いというわけではなく、また成功率もあまり高くないであろうことが伺えますし。
まあ患者側からすると、全く知りもしない人間がズカズカと自分の意識の中に入ってくるというのは、プライバシーその他の問題に抵触する等の様々な問題や弊害を引き起こしかねない事態ではあるのでしょうけど。

プラスマイナスいずれにせよ、色々な事態や利益・問題が生じ得る画期的な技術ではありえるでしょうね、「センシング」という存在は。
他人の意識や夢の中にダイブして情報を引き出したり植え付けたりする、というコンセプト自体は、過去の事例でも2010年公開映画「インセプション」がありましたが、技術的にはこちらの方が現実味があるのではないかと。
「インセプション」の方は、どちらかと言えば「職人芸」的な側面の方が強調されていましたし、その使用用途も「犯罪行為を遂行するためのツール」でしかなく、汎用性が高いとは正直言い難いものがありましたから。
あちらはあちらで、今作のような使い方ができないわけではないと思うのですけどね。

今作は前回観賞した映画「オブリビオン」と同じく、物語前半と後半で主人公の立場が大きく変わることになります。
物語前半の展開全てが、実は事故で入院していた藤田浩市が外界から得た情報を元に構築した妄想の世界だった、というのは何とも凄まじく強引な展開ではありましたが(苦笑)。
ただ、その妄想世界に登場する自分以外の人物達は、外面だけで中身のないフィロソフィカル・ゾンビではなく、どう見ても普通の人間のごとき外見で意思も感情もあったわけなのですが、アレを藤田浩市は一体どうやって現出させていたのでしょうか?
作中前半の描写を見る限り、意識の世界では、人間は本人以外だとフィロソフィカル・ゾンビしかいないみたいな演出だったのですが……。
もっとも、後半判明する逆転の事実から考えると、実は「フィロソフィカル・ゾンビ」という概念自体が藤田浩市の頭の中で作り出された妄想の産物だった、という可能性も否定できないのですが。
マンガ家として自身が執筆していた猟奇作品辺りに出てきても不思議ではなさそうな設定ではありますからねぇ、アレは。
他の患者の「センシング」で同様の存在が出現している、というのであればまだしも、作中では藤田浩市以外の「センシング」実施例がないわけですし、作品世界における「フィロソフィカル・ゾンビ」の実在性については作中の描写や設定だけでは判断できないですね。

あと、物語終盤で藤田浩市と和敦美は、首長竜を相手に逃走劇を披露することになるのですが、ただ逃げるだけでなく「戦う」という選択肢はなかったのですかね?
物語前半では、和敦美(の妄想体?)がどこからともなく拳銃を持ち出してフィロソフィカル・ゾンビを撃ち殺しているシーンがあったのですから、それと同じように重火器の類を作り出したり、自分達に超人的な力を付与したりして、正面から首長竜を打ち倒すことも不可能ではなかったのではないかと。
和敦美(の妄想体?)が主張していたがごとく、所詮は「何でもあり」の意識の世界でしかないのですからねぇ。
まあ、藤田浩市にとっての首長竜は「幼少時のトラウマ」が形になったものでしたし、戦うこと自体が最初から不可能だった、ということなのかもしれませんが、あの時点では和敦美も隣にいたのですし、対抗できないこともなかったように思えてならなかったのですけどねぇ。
首長竜の形をしたトラウマに対し、藤田浩市は結局最後まで反撃どころか逃げることすらもできず、ひたすら無為無力を露呈していただけでしかなかったですし。
この辺りは、自力だけでの更生が極めて難しい精神医学の限界を表現した者でもあったりするのでしょうかねぇ。

SFミステリーと言っても、SF映画にありがちな派手な演出は全くありませんし、どちらかと言えばミステリー的な面白さを追求した映画であると言えるでしょうか。

映画「オブリビオン」感想

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映画「オブリビオン」観に行ってきました。
「ミッション:インポッシブル」シリーズ「アウトロー」のトム・クルーズが主演のSFアクション大作。
先月の2013年5月は何故か公開映画が異様に少なく、実に3週間ぶりに映画館にやってきたにもかかわらず、公開映画のラインナップが3週間前とあまり変わっていなかったことに少々愕然とせざるをえなかったですね(苦笑)。
TOHOシネマズが6月から高校生1000円サービスを始めたことと、何か関係でもあったりでもしたのでしょうかねぇ……。

映画「オブリビオン」の舞台は、2077年の地球。
この世界の地球は、60年前の2017年に「スカブ」という名のエイリアン達による侵略を受け、月を破壊された世界的規模の災害の発生と「スカブ」の攻撃によって荒廃してしまっています。
核攻撃まで交えて何とか「スカブ」との戦いに勝利した人類達の多くは、土星の衛星のひとつ「タイタン」に居住地を作り移住。
残りもまた、地球の衛星軌道上?に浮遊している「テット」と呼ばれる宇宙ステーションで地球を監視する任務に当たっており、地球は人類がほとんど住むことのない星と化していたのです。
ただ、そんな地球にもひとつの例外がありました。
それは、地上からはるか数千メートルに拠点を構え、海上に浮かぶ巨大な採水プラントを警備・監視する「ドローン」と呼ばれる無人偵察兼攻撃機を管理する2人組の存在でした。
オペレーターの女性ヴィクトリアと、今作の主人公で現場パトロール兼修理屋のジャック・ハーバー。
2人は地球での任務に従事するに際し、生き残りの「スカブ」達に囚われても情報を与えないようにするため、任務に従事する前までの記憶を完全に消去されています。
地球での任務終了を2週間後に控えた2人は、一方はその日を待ちわび、他方は地球を離れたくないと考えながら、2人以外は誰もいない世界での任務をこなしていたのでした。

そんなある日、採水プラントを警護・巡回しているドローンのうち、2つほどが消息を絶つ事件が発生します。
テットからの報告とヴィクトリアのサポートに基づいてジャック・ハーバーが急行した最初の現場は、60年前にベースボールだかフットボールだかの試合が行われていたらしいスタジアム跡地。
そこに不時着していたドローンの動力部?を交換し、まずは1台目のドローンを再起動させることに成功するジャック・ハーバー。
そして、消息を絶ったもうひとつのドローンを探し求め、今度は地下深くに埋もれている図書館の跡地らしきところにジャック・ハーバーは潜り込みます。
しかし、そこで示されていたドローンの反応は、ドローンを修復する者を誘き出すための罠であり、まんまと引っかかったジャック・ハーバーは「スカブ」達の奇襲を受けることになってしまいます。
思わぬ事態に必死で応戦するジャック・ハーバーは、ドローンの突然の来援もあり、何とか危機を脱することに成功するのですが……。

映画「オブリビオン」では、物語の前半と後半で主人公が置かれる立場と環境が180度変化します。
実はドローンを管理しているジャック・ハーバーとヴィクトリアは、元々「スカブ」の地球侵攻があった2017年に、侵略者の母艦的存在だった「テット」の調査に赴いていたのです。
その際、彼らは「テット」でおそらくは囚われの身となってしまい、自身のクローンを大量に作られ、侵略の尖兵とされてしまっていたのでした。
当然、地球でドローンの管理に当たっているジャック・ハーバーおよびヴィクトリアもまた、そのクローンの一員だったというわけです。
そして一方、彼らが「スカブ」と呼んでいる存在こそ、「テット」の侵攻によって壊滅的な被害を被った人類の生き残りだったのです。
作中のドローンは、「スカブ」どころか地球に不時着してきた宇宙船に搭乗していた冷凍状態の人間にすら平気で攻撃を仕掛けていましたが、その不可解な謎もそれで説明できるわけですね。
また物語後半では、主人公とは全く別の区画で主人公と同じくドローンの管理を行っているもうひとりのジャック・ハーバーと、そのサポートに当たっているヴィクトリアが登場していたりします。
終盤近くではドローンとの熱いバトルも繰り広げられていますし、SF的なツールを総動員して展開されるストーリーはなかなか見応えがありますね。
主人公が自分の正体と立場に気づいた瞬間に、ああまで世界が変わってしまうという事実をあそこまで表現できるというのは、ある意味凄いことなのではないかと。

一方、今作のストーリーで違和感があったのは、オリジナルのジャック・ハーバーの妻だったジェリアが、クローンのジャック・ハーバー相手に何の疑問も抱くことなく接していることですね。
作中で再会したばかりの頃はクローンの話なんて知らなかったわけですから必然であったにしても、後の方では2人のジャック・ハーバーと格闘しているシーンを彼女は直接目撃しているわけですし、終盤では自分が頼りにしているジャック・ハーバーがオリジナルではなくクローン、つまり「自分が愛したジャック・ハーバー本人」ではなかったことを理解しえなかったはずがないのですが。
確かにオリジナルのクローンなのですから、記憶自体はオリジナルと全く同じものを持ち得て当然でしょうが、しかしそれでも厳密に言えばクローンはあくまでもクローンであり、オリジナル本人ではありえないわけで。
いくらオリジナルの容姿と記憶を持っていると言っても、ジェリアにとって、クローンのジャック・ハーバーはあくまでも「他人」でしかないはずなのですが、その辺りのことを作中のジェリアは全く自覚している様子がないんですよね。
それどころか、ラストではテットと共に自爆した主人公のジャック・ハーバーの忘れ形見である娘と生活していたジェリアが、物語中盤で主人公と格闘していたもうひとりのジャック・ハーバーと再会し、2人して笑顔で見つめ合うという描写があったりします。
彼って、60年後の世界でジェリアを助けた主人公こと「技師49」のジャック・ハーバーとさえも全く異なる別人でしかないはずですし、あの時点のジェリアがそれを知らないはずもないでしょうに、何故ああまでオリジナルのジャック・ハーバーと全く同じように接することができるのか、大いに疑問を覚えざるをえないところです。
ジェリアにとって、相手がジャック・ハーバーでさえあれば、それがクローンなのかオリジナルなのかは全く問題ではなかったりするのでしょうかねぇ(@_@)。
クローンをオリジナルと混合しても良いのか?とか、結構哲学的な命題も多分に含んでいそうなエピソードではありますね、ジェリアの対応は。

トム・クルーズのファンであれば、まずは押さえておいて損はない作品ではないかと。

第66回カンヌ国際映画祭で「そして父になる」が審査員賞を受賞

第66回カンヌ国際映画祭で、日本から出品された映画「そして父になる」が審査員賞を獲得しました。
同賞を日本人が受賞するのは26年ぶりなのだとか↓

http://www.cinematoday.jp/page/N0053324
>  [シネマトゥデイ映画ニュース] 第66回カンヌ国際映画祭の授賞式が現地時間26日に行われ、福山雅治が主演した是枝裕和監督作『そして父になる』が審査員賞に輝いた。同賞を日本人が受賞するのは、1987年の三國連太郎監督『親鸞 白い道』以来26年ぶり。
>
>  授賞式の壇上に立った是枝監督は、「ここにまたくるチャンスを与えてくださった映画祭と審査員に感謝いたします」とコメント。「一足先に帰った福山さんはじめキャスト、ここに来られなかったスタッフの皆さんとこの賞を喜びたいと思います」と述べ、「今回の父と子の物語を作るきっかけとなった、僕を子どもとして生んでくれた父と母に、そして僕を父親にしてくれた妻と娘に感謝します。ありがとう」と締めくくると、大きな拍手に包まれた。
>
>  是枝監督は2001年に『DISTANCE/ディスタンス』が、同映画祭コンペティション部門に正式出品。2度目の出品となった2004年の『誰も知らない』では、柳楽優弥に史上最年少の男優賞獲得をもたらした。2009年には『空気人形』が、ある視点部門で上映。今回は9年ぶりのコンペ部門参加で、またも快挙を成し遂げた。
>
>  また最高賞のパルムドールは、フランス映画の『ブルー・イズ・ザ・ウォームスト・カラー(英題) / Blue is the Warmest Colour』が獲得。またオフィス北野製作の日中合作映画『ア・タッチ・オブ・シン(英題) / A TOUCH OF SIN』は脚本賞に輝き、脚本を兼任したジャ・ジャンクー監督が受賞した。
『そして父になる』と同じくコンペ部門に出品されていた三池崇史監督作『藁の楯 わらのたて』、短編コンペティション部門に出品されていた佐々木想監督作『隕石とインポテンツ』は惜しくも受賞を逃した。
>
>  本作は、ドラマ「ゴーイング マイ ホーム」や映画『奇跡』などを手掛けた是枝裕和監督の最新作。6歳になる息子が、出生時に取り違えられた他人の子だったと知った主人公の葛藤(かっとう)を描き、福山雅治が初の父親役を務めた。(編集部・森田真帆 / 入倉功一)
>
> 第66回カンヌ国際映画祭の受賞結果は以下の通り。
>
> 【パルムドール(最高賞)】
> 『ブルー・イズ・ザ・ウォームスト・カラー(原題) / Blue is the Warmest Colour』(フランス)アブデラティフ・ケシシュ監督
>
> 【グランプリ】
> 『インサイド・ルウェイン・デイヴィス(原題) / Inside Llewyn Davis』(アメリカ)ジョエル・コーエン監督・イーサン・コーエン監督
>
> 【監督賞】
> 『エリ(原題) / Heli』(メキシコ)アマト・エスカランテ監督
>
> 【男優賞】
> 『ネブラスカ(原題) / Nebraska』(アメリカ)ブルース・ダーン
>
> 【女優賞】
> 『ザ・パスト(英題) / The Past』(フランス)ベレニス・ベジョ
>
> 【脚本賞】
> 『ア・タッチ・オブ・シン(英題) / A TOUCH OF SIN』(中国、日本)ジャ・ジャンクー
>
> 【審査員賞】
> 『そして父になる』(日本)是枝裕和監督
>
> 【カメラドール(新人監督賞)】
> 監督週間
> 『イロイロ(原題) / ILO ILO』(シンガポール)アンソニー・チェン監督
>
> 【短編コンペティション】
> 『セイフ(原題) / SAFE』(韓国)ムン・ビョンゴン監督


ただまあ、カンヌの賞というのは、個人的にパルム・ドールを筆頭にあまり信用が置けたものではないのですけどね。
カンヌの最高賞たるパルム・ドールの受賞作品の中には、あの悪名高い超駄作「ツリー・オブ・ライフ」があります。
豪華な出演俳優と演技と演出を全て台無しにする支離滅裂な内容と作品構成の一体どこに賞に値する要素があったのか、と一体何度考えたか分かりません。
意味不明な前衛芸術として以外は全く評価のしようがないこの駄作は、映画の前宣伝でやたらと「パルム・ドール受賞作品」という謳い文句が披露されまくっていたこともあり、作品のみならずパルム・ドールという賞そのものに対する評価をも失墜させることになったわけですね。
パルム・ドールというのは映画の内容や面白さではなく、前衛芸術や支離滅裂ぶりを評価する賞なのか、と。
そのため個人的には、何かと芸術至上主義と揶揄しているアメリカのアカデミー賞よりもはるかに評価の低いシロモノだったりするんですよね、カンヌの賞というのは。
その点では、件の「そして父になる」が、パルム・ドールではなく審査員賞という「ほどほどの賞」に収まったのは、結果的には良いことだったと言えるかもしれません。
パルム・ドールなど受賞してしまったら、「どんな前衛芸術だよ」と却って評価を下げることにもなりかねなかったでしょうから。
一方で、映画「藁の楯/わらのたて」が賞を逃したというのは、カンヌ的にはある意味当然の流れであったかもしれません。
パルム・ドールを筆頭に前衛芸術をメインに評価するカンヌで、アクションもそれなりにあって意味も明瞭なあの作品は、あまり受け入れられるものではないでしょうから。
アカデミー賞もそうなのですが、この手の映画の賞の評価基準というのは、一般大衆のそれとは大きくかけ離れているのではないかと、つくづく思わずにいられないところですね。

映画「そして父になる」は、日本では2013年10月に公開予定なのだそうです。
私が観賞するか否かは、10月の映画公開状況次第といったところですね。

映画「探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点」感想

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映画「探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点」観に行ってきました。
作家・東直己の「ススキノ探偵シリーズ」を原作とする、北海道を舞台に繰り広げられるハードボイルド・ミステリーシリーズ第二弾。
今作は原作5巻の「探偵はひとりぼっち」がベースになっているのだとか。
前作「探偵はBARにいる」から引き続き出演しストーリーと関わってくる登場人物も少なからずいるので、今作を観賞する際には前作を事前に復習しておくことをオススメしておきます。
なお作中では、主人公が女性と延々とまぐわっているシーンが序盤に登場する等の描写があるため、前作同様に今作もPG-12指定されています。

前作に引き続き、作中で全く名前が公開されない「探偵」が主人公の今作の物語は、「探偵」の友人であるオカマのマサコちゃんが何者かに殺害されるところから始まります。
マサコちゃんはマジシャン?としてかなりの実力を持っており、その手の全国大会を扱ったテレビ番組で優勝してしまうほど。
しかし、その優勝から2日後、マサコちゃんは何者かに殺されて、ゴミ溜めの中に放置されているのが発見されたのでした。
当然のごとく、マサコちゃんの周囲は怒りに満ち溢れ、「探偵」もそれに同調するのですが、それから3ヶ月の歳月が経過しても、警察の捜査は一向に進展せず、容疑者の候補すら全く浮上してきません。
その3ヶ月の間、ただひたすら女遊びにシケこんでいたものの、最終的に女から捨てられてしまった「探偵」は、思い出したかのようにマサコちゃん殺人事件の捜査状況を把握して愕然とするのでした。
捜査が行き詰っているだけでなく、当初は犯人への復讐心で気炎を上げていた関係者達が、何故か奥歯に物が挟まったかのごとく曖昧に言葉を濁すありさま。
それもそのはずで、マサコちゃん殺人事件には、北海道でも大物とされる政治家の姿が見え隠れしていたのでした。
その政治家・橡脇孝一郎は、かつてマサコちゃんと同性愛的な関係にあることが、関係者の間では密かに知れ渡っていました。
現在は既に縁が切れているものの、マサコちゃんがテレビ出演したことで過去を蒸し返されることを恐れた橡脇孝一郎本人またはその関係者が、口封じを意図してマサコちゃんを殺害したのではないか?
そのような噂が関係者の間で広がったことから、周囲はマサコちゃん殺人事件について口を閉ざすようになってしまったのでした。
そんな周囲の様子に納得がいかない「探偵」は、独自に事件の捜査を進めていくことを決意するのですが、その時から彼には不審な人物達がまとわりつくようになります。
「マサコちゃんのファン」を名乗る謎の女性。
橡脇孝一郎絡みで、それぞれの思惑に基づいて蠢く3つの集団。
「探偵」は、これらの存在に対処しながら、事件の真相を解明していくことになるのですが……。

映画「探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点」は、いかにも闇の組織が蠢いていると言わんばかりのストーリー構成に反して、その事件の真相はおよそ笑えるレベルで卑小なシロモノでしかなかったですね。
作中でアレだけドタバタ劇をやっていたのは一体何だったのか、とすら思えるほどに。
政治家およびその周囲の人間達の動向だの、主人公と周囲の人間の怒りだのは、結局殺人事件とは全く何の関係もなかったわけですし。
結果から見れば、終盤近くまで政治家が犯人であることを前提に各種の言動を繰り広げていた、主人公を含めた全ての登場人物達が、実に滑稽に見えてならなかったですね。
犯罪捜査は予断と偏見をベースに行ってはいけない、という基本中の基本な考え方を、今作はまざまざと見せつけてくれています。
とはいえ、物語的に見ると、アレだけ大騒動を繰り広げた挙句があの真相では、あまりにも竜頭蛇尾に過ぎて悪い意味で拍子抜けもいいところです。
先の展開がなかなか読めないながらも、結果から見れば最初から最後まで一本筋が通ってはいた前作の方が、ミステリー作品としては出来が良いのではないかと。
アクションシーンやカーチェイスなどは、確かに前作よりもスケールアップしていた感はありましたけど。

また、いくら自分の思想や政策と合致する政治家を守るためとはいえ、「自発的に」主人公達を暴力的に襲撃して平然としている集団も、なかなかにクるものがありましたね。
その目的が「脱原発推進」というのも笑えるところではあったのですが。
カネで雇われて手先になっていた、というのであればまだしも、彼らは自主的かつ無報酬で手先同然の行動に打って出ていたわけですからねぇ、彼らは。
巷の左翼&サヨク運動を皮肉る意図でもあったりしたのでしょうかね、アレは(苦笑)。
まあ実際には、彼らが自分達の正体や黒幕の存在を隠蔽したいがためにあえて虚言を弄していた、という可能性もなくはないのですが。
あの手の組織では、依頼主やスポンサーは最大の企業秘密のひとつでしょうし、傍から見てもウソっぱちな虚言であっても、それを守ろうとするのもこれまた当然の話ですし。
ただ、あそこまで状況証拠が歴然としている中で、そんなことをして意味があったのかは疑問もいいところなのですけど。

エピローグでは前作に引き続き、「探偵」の相棒である高田が所有するボロ車のビュートがド派手にエンストし、2人して立ち往生する様が描かれています。
前作でも「クルマ買い替えろ!」を激高していた「探偵」でしたが、何故高田はあのクルマを全く変えようとしないのでしょうか?
今時、アレより安くて燃費その他の面で性能の良いクルマなんて、中古車ショップにすらたくさんあるのではないのかと。
というか、むしろあのクルマを維持することの方が、メンテ費用その他で却って高くつくのではないかとすら思えてならないくらいですし(爆)。
ものぐさで怠け者気質な高田であれば、むしろメンテの手間がかからないクルマを選びそうなものなのですが、高田はあのクルマによほどの愛着でもあったりするのでしょうかね?

ミステリー物としてはイマイチな感がありますが、アクションとコメディを交えたハードボイルド物としてならば、それなりに見れるものはあるのではないでしょうか。

映画「L.A.ギャングストーリー」感想

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映画「L.A.ギャングストーリー」観に行ってきました。
かつて実在し、大都市を支配する大物ギャングとして悪名を轟かせたミッキー・コーエンと、ロス市警の警官達との壮絶な死闘を描いたクライム・アクション作品。
作中では暴力描写やセックスシーン等があるため、R-15指定されています。

物語の舞台は1949年のアメリカ・ロサンゼルス。
当時のロサンゼルスは、ニューヨーク生まれの元ボクサーで、現在は犯罪組織のボスとなっているミッキー・コーエンという男が裏で牛耳っていました。
彼は、ライバルのギャングを2台のクルマを使って引き裂き、死体をコヨーテに食わせるというほどの所業すら平然としてやってのけるほどの残忍な性格の持ち主。
また、彼の犯罪組織は警察の上層部や政治家達をも抱き込んでいるため、誰も手を出すことができずにいるのでした。
そんな中、ロス市警の巡査部長で今作の主人公でもあるジョン・オマラは、ある日、ミッキー・コーエンの部下がスカウトマン?を装って女性に声をかけ、ホテルに連れ込む光景を目撃します。
女性が連れ込まれた部屋では複数の男が待ち構えており、女性を集団レイプにかけるべく牙を研いでいたのでした。
そして女性がまさにベッドに投げ込まれて犯されようとするまさにその時、ジョン・オマラが部屋へ乱入し、男達を一方的に叩きのめします。
女性を助け出したジョン・オマラは、ボコボコにした男達を逮捕し署まで連行するのですが、直後に「令状なしの不当逮捕」という理由から、男達はあっさりと釈放されてしまうのでした。
しかし、相手がミッキー・コーエンの部下であることを承知の上で逮捕に踏み切ったジョン・オマラを、ロス市警本部長ビル・パーカーが目をつけます。
彼は、ミッキー・コーエンおよび彼の組織を壊滅に追いやるべく、ジョン・オマラをその責任者に抜擢し、人選や作戦の一切を任せるのでした。
突然思いもよらない任務を与えられたジョン・オマラは、現在妊娠中らしい愛妻のコニー・オマラに相談を持ちかけます。
彼女自身は夫が危険な任務に飛び込んでいくことに反対ではあったのですが、夫からの相談には積極的に応じ、ある意味夫以上に熱心に人選を考えていきます。
そして任務の遂行については、将来が約束されているが故にミッキー・コーエンの買収ターゲットにされているであろうエリート警官ではなく、出世が望めない「はぐれ者」を選出した方が良いとの助言を、コニー・オマラは夫に与えるのでした。
妻の助言に従ったジョン・オマラは、その流れに従い、数人の「はぐれ者」達に声をかけ、法律無視のギャング同然なチームを作り上げていくことになるのですが……。

映画「L.A.ギャングストーリー」は、現代では考えられないレベルでクルマの性能がチャチもいいところですね。
作中で繰り広げられていたカーチェイスは、現代もののそれと比べるとスピード感がイマイチ出ていませんでしたし、終盤ではエンジンスタートしたばかりのクルマに、主人公が歩いて追いつくなどという描写まであったりします。
1949年のアメリカが舞台の映画なのですから当然のことではあるでしょうが、当時のスタンダードなクルマの性能の実態というものがよく分かる描写ではありますね。
アレでも当時は「時代の最先端」をひた走っていたのではあるのかもしれませんが。
やたらと大がかりな割に感度&受信性が悪そうな盗聴器とか、全米ネットワークを構築するために大量の黒電話が用意されたりと、1949年らしさがあちこちに出ている映画です。
古き良きアメリカのノスタルジックな雰囲気を楽しみたい方は、これだけでもオススメの部類に入るのではないかと。

ストーリー的には、特に物語後半の展開があまりにも無理筋&ご都合主義過ぎるような感はありましたね。
物語前半でミッキー・コーガンの犯罪組織相手に好き勝手な襲撃を繰り広げていたジョン・オマラの一派は、しかしやがて「現場でカネが全く奪われていない」などの要素から次第に敵側に正体を喝破されていきます。
そしてついに正体が露見してしまったジョン・オマラ一派は、ミッキー・コーガンの手の者から逆襲されることになるのですが、しかしこれがまた笑えるレベルで手ぬるい措置もいいところなんですよね。
ミッキー・コーエンの一派は、ジョン・オマラがリーダーとなっているチームの構成員達を殺害しようとするのですが、その大半が失敗した挙句に相手に反撃の糸口まで与えてしまったことはまあ良いとしましょう。
しかし、ジョン・オマラの自宅を自動小銃で襲撃した際、ただ外から銃をぶっ放しただけで、中にいる人間を殺すどころか、所在の確認すらも行わなかったのは一体何なのでしょうか?
わざわざジョン・オマラの自宅をピンポイントで襲撃するくらいなのですから、あの家にジョン・オマラの家族がいることくらいは既に調べもついていたでしょう。
ならば、自宅に押し入ってジョン・オマラ本人もしくはその家族を殺さないと、彼らは目的を達成したことには全くならないはずでしょうに、外から銃撃を浴びせるだけで何もせず去っていくだけって……。
この期に及んで警告的な意味合いで襲撃する意味なんてまるでないでしょうし、報復が目的であれば当然ターゲットの死を確認する必要もあるでしょうに。
あそこで奥さんがバスルームで出産しているだけ、という顛末は普通にありえないシロモノでしかなかったですね。
またミッキー・コーガンとの最終決戦の際、当初ミッキー・コーガンは何重もの警備に囲まれた難攻不落のホテルで「この守りを突破できるものなら突破してみろ」と言わんばかりの態度を披露しました。
ところが、よりによってジョン・オマラ一派がホテルのギャング達と派手な銃撃戦を繰り広げている最中に、彼は自分からホテルの1階まで下りてきて逃走を図ろうとするんですよね。
せっかくの地の利を生かした必勝の体制でホテルでの籠城戦を選んだ自分の判断を台無しにするこの行動は、当然のごとくミッキー・コーガンにとって大いなる生命取りとなってしまいました。
スケジュールが差し迫っていたという事情もあったにせよ、何故よりによってあのタイミングでバカ正直な行動を、とはつくづく思わずにいられなかったですね。
あと数時間、ホテルの上層階で籠城を続けていれば、あるいはジョン・オマラ一派の方こそがホテルのギャング達によって制圧されていたかもしれないのに。
ひょっとしてミッキー・コーガンには自滅願望でもあったのではないか、とすら思えてしまうほどに、アレは自殺行為もいいところだったのではないのかと。

1949年が舞台ながら、どことなくアメリカ西部劇の無法な雰囲気を醸し出している作品ではありますね。
作中の警官達は、法律そっちのけで「どっちがギャングなんだ?」と言わんばかりの破壊活動に精を出しまくっていましたし。
良くも悪くも、アメリカンスタンダードな要素が色濃く出ている映画ではないかと思います。

「ダイ・ハード」シリーズ6作目の製作が早くも発表

2013年2月に日本で公開された映画「ダイ・ハード/ラスト・デイ」の続編が早くも発表されました。
現時点における仮の題名は「ダイ・ハーデスト」。
初の海外となるロシアが舞台だった前作に続き次回も海外が舞台で、場所は何と日本の東京とのこと↓

http://www.cinematoday.jp/page/N0052624
> [シネマトゥデイ映画ニュース] ブルース・ウィリス主演の人気アクション映画『ダイ・ハード』シリーズ第6作の仮タイトルが『ダイ・ハーデスト(原題) / Die Hardest』に決定し、日本が舞台になることがわかった。脚本家のベン・トレビルクックが明かした。
>
>  今年2月に約5年半ぶりのシリーズ第5作『ダイ・ハード/ラスト・デイ』が公開されたばかりの同シリーズだが、TotalFilm.comによると、すでに次回作の製作がスタート。脚本家に抜てきされたベンは執筆に取り掛かっており、
次回作ではニューヨークからストーリーが始まり、その後、東京が主な舞台になることが決定しているという。
>
>  そのほかの詳細はまだ不明だが、ベンは「シリーズや常連のキャラクターにはとても忠実なものになる。それでいて、リアリティーあふれるストーリーにする予定だよ」と構想を語っている。
>
>  シリーズ第1作『ダイ・ハード』からアメリカを主な舞台にしていた同シリーズだが、最新作『ダイ・ハード/ラスト・デイ』ではロシア・モスクワが舞台になっており、着実にスケールアップを遂げていることがうかがえる。(編集部・福田麗)

映画の「ダイ・ハード/ラスト・デイ」が【日米共に】2013年2月14日だったことを考えると、今回の続編発表はあまりにも早いと言わざるをえないのではないかと。
せっかく日本では、「It's a good day to die(死ぬには良い日だ)」をもじった「A Good Day to Die Hard」の原題を「ラスト・デイ」という、あたかも最終作と言わんばかりの邦題に変更して公開していたというのに、完全に裏目に出てしまっていますね(T_T)。
かくいう私自身、シリーズ5作目という長さに加えてのこのタイトルだったので、映画観賞前は「これが最終作では?」と考えていたクチでしたし。
まあ実物を観賞したら、タイトル倒れな結末もいいところだったので、続編は充分に出せるなとすぐさま考え直したものだったのですが。
既に製作が始まっていることから考えるに、次回作たる「ダイ・ハーデスト」の公開は2014年中には実現できるかもしれないですね。

ただ、日本で一体どうやってシリーズお馴染みのあのド派手なアクションシーンを撮影するのか、その辺は少々心許ない限りではあるのですけど。
日本では、映画「藁の楯/わらのたて」などのごとく、国内での映画撮影に多大なまでの制約があるのが常なのですし。
東京の背景を全てCGで固めるなり、等身大のセットを組み立てるなりして、あくまでもアメリカメインでの撮影、ということになるのでしょうかね?

TOHOシネマズで高校生の映画料金が1000円に改定

TOHOシネマズ系列の全国59の劇場で、6月から高校生の映画料金を現行の1500円から1000円に変更することが決定しました↓

http://news.mynavi.jp/c_cobs/news/pia/2013/04/toho1000.html
> TOHOシネマズ株式会社が、6月から運営する全国59の劇場で高校生の映画鑑賞料金を現在の1,500円から1,000円に変更することを発表した。従来、高校生の鑑賞料金は大学生と同一の1,500円だが、価格料金を改定することで高校生の金銭的負担を軽減し、さらに映画館を経験したことのない高校生に対して、より鑑賞しやすい環境を提供する。若者層の映画ファンを応援し、将来の映画ファン育成に貢献することが狙い、とのこと。
>
> 料金改訂の発表にあわせ、明日
27日(土)からTOHOシネマズが生み出した人気キャラクター“紙兎ロペ”が登場するサービス案内動画が全国のTOHOシネマズで上映される。“紙兎ロペ”は、劇場での予告編の合間に登場する短編アニメーションをきっかけとして映画ファンの間で人気が広まり、2012年には長編映画化もされた“映画館が生んだ”人気キャラクター。映画館での映像としては、昨年の映画化以来久しぶりの登場となる。

高校生優待のサービスとしては、かつて「高校生3人で映画料金1000円」という高校生友情プライスというものがありました。
しかし、レディースデイやレイトショーと比較して条件が厳しかったためかサービス利用者があまりおらず、結果、全国的なものは廃止され、現在では一部の映画館のみで運用されるという経緯を辿っています。
何故わざわざ「3人」などという難易度の高い設定にしてしまったのか、何とも理解に苦しむサービスでした。
高校生だと「映画はデートスポットのひとつ」というイメージがあるのですから、夫婦50割引と同じく「2人で2000円」にしていた方が、利用もしやすく使い勝手も良かったのではないかと思えてならなかったところなのですが。
それだけに今回、高校生1人だけで映画料金1000円になるというサービスの開始は、使い勝手も良さそうですし利用者の増大も見込めるのではないかと。
映画の興行収益も、邦画を中心に右肩上がりなわけですし、需要もそれなりにあるはずなのですから。
あとは、大々的なCMによる周知の徹底ですかね、当面の課題としては。

TOHOシネマズの新しい試みは、他のサービスと同じように定着することになるのでしょうか?

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