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2010年07月の記事は以下のとおりです。

銀英伝舞台版にアニメ版銀英伝の声優・堀川りょうが特別出演

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銀英伝舞台版公式サイトで、アニメ版銀英伝ラインハルトの声優だった堀川りょうが特別出演するとの情報が発表されました。

銀英伝舞台版公式サイトのキャストページ
http://www.gineiden.jp/teikoku/cast.html
堀川りょうの紹介ページ
http://www.sala-e.com/include/526.html
堀川りょうの公式ブログ
http://ameblo.jp/ryo-horikawa/

いや~、一連のキャスティング発表の中で、初めて「私が名前を知っていた人」が出てきましたねぇ(^^)。
まあアニメ版銀英伝は私も通り一遍観てはいたわけですし、声優についてはある程度の知識があったのも幸いしたのですが。
堀川りょうは、元々「堀川亮」という名前でアニメ・ゲームのキャラクターや映画・特撮の吹き替えなどの声優業を中心に活動していた人で、今の名前は2001年4月3日に改名したもの。
現在のところ、銀英伝舞台版で具体的に何の役になるのかは不明となっています。
舞台歴もそれなりにこなしているとのことですが、これまでの活動内容を考えると、やはり声「だけ」を担当することになるのでしょうか?

またキャスティング一覧ページにも多少変動があり、オフレッサー枠が消滅、代わりにヒルダ枠が出現しています。
これまで掲載し続けていたオフレッサー枠を何ら理由の説明もなしに突然消さないで欲しいのですが、この辺り、本当に銀英伝舞台版公式サイトは宣伝戦略のやり方が拙劣と言わざるをえないところですね。
それに銀英伝2巻以前だと、ヒルダの出番はほとんどないはずなのですけど、一体どのような形で登場することになるのでしょうか。

それと、サイトオープン時やこの前の件など、たびたび事前予告発表で失態を演じ続けているにもかかわらず、性懲りもなくまたもやあの公式サイトは、8月2日予定で「いよいよ、女性キャスト発表!!」などという予告を出してしまったようです。

http://megalodon.jp/2010-0730-2104-48/gineiden.jp/

ここまで学習能力がないと、逆に「失態を演じ続けることによってギャラリー達に好奇の目を向けさせる」という宣伝効果でも意図しているのではないかとすら勘ぐりたくなってきますね(苦笑)。
果たして8月2日はどういう結末を迎えるのか?
2度あることは3度あるのか、3度目の正直になるのか、ちょっとした見物になるのではないでしょうか(笑)。
まあ、また余計な証拠隠滅に走られても大丈夫なように、今回もしっかり魚拓は取っておきますが(爆)。

銀英伝舞台版の舞踊監督・森田守恒の公式コメント掲載

銀英伝舞台版公式サイトで、舞踊監督を担当する森田守恒なる人物の公式コメントが掲載されました。

http://www.gineiden.jp/teikoku/special/Creation-morita.html

銀英伝の世界観をダンスで表現するとのことで、以前から言われていたことではあるものの、ミュージカルの方向で舞台が作られることになるのはこれで確実になったと見て良いのではないでしょうか。
一体ダンスでどうやって銀英伝の世界観を「表現」するというのか、理解に苦しむところはあるのですが。
音楽はアニメ版銀英伝がクラシック系の曲を多用していますからそれを流用すれば良いにしても、ダンスなんて一体どういった場面に挿入するというのでしょうか?
素人考えでは、白兵戦や艦隊戦、それに式典などの場面でダンスが振舞われる、ということになるのではないかと思うのですが、そもそも、あの銀英伝にそんなものを入れられましてもねぇ…。

自称SF作家の「サーラの冒険」シリーズ書評 後編

前回に引き続き「サーラの冒険」シリーズについて。
今回は4巻から10年近くも放置されていた5巻と6巻および外伝についての感想と全体総括です。

さすがに10年以上も放置されていただけあって、過去4巻とは文体や特徴が変わっていますね。
特に大きく変わったと思うのは、作品におけるメインシナリオ部分を構成する後半部分に入るまでがとにかく長く、かつ退屈に感じられるようになったこと。
プロローグから一気にメインシナリオまで行けば良いのに、あちこち寄り道しまくっているような描写がとにかく多いんですよね。
作中キャラクターの設定を掘り下げて色々と詰め込んでいるようなのですが、本筋と全く関係ないエピソードも少なくなく、「いつになったら本筋の話が始まるんだ」とイライラさせられます。

また、6巻では敵の本拠地を襲撃するにあたり作戦会議が開かれるのですが、ここで敵の全容を長い説明とページを割いて全て説明し尽くしています。
ストーリー的には、確かに作戦会議や敵に関する説明は当然行われるべきものでしょう。
しかし小説を読む読者の視点から見たら、そんなある意味退屈な話は、実際に敵に遭遇した際に「こんな説明が会議の際に行われていた」的な描写のひとつも入れれば事足りることでしかありません。
そもそも未登場かつ未知の敵について一気に説明されてしまうと、読者的には「敵の正体を知っていく過程を追う」楽しみを大きく殺がれてしまいますし、また敵の戦闘シーンが発生する毎に「この敵はどんな奴だったっけ?」と前のページをいちいち確認しなければならないなどの余計な手間も発生してしまいます。
「戦慄のミレニアム」と同じ図式で、「そんなのを【読者に】説明するのは後でも良いから早く話を進めてくれ」とウンザリさせられました。

あと、3巻の「少女レイプ」ネタにも言えることなのですけど、全体的にエロネタが多いですね。
特に主人公のサーラとヒロインのデルは、物語終了時点でさえ14歳前後であるにもかかわらず、「他所の男(女)と寝た」的な会話を互いに堂々と交わしているくらいですし。
主義主張は年相応に青臭くて世間知らずな潔癖症的な正義感に満ちているのに、エロに関してはそこらの大人よりも抵抗感がないというのはかなりアンバランスなような…。

「戦慄のミレニアム」と「サーラの冒険」を読んでみて何となく見えてきた自称SF作家の問題点は、「起承転結」の「起」と「承」が上手く書けていない、ということですね。
「転」と「結」については出来が悪いわけではなく、それなりに内容も考えられていて「読者を納得させる」構図になっているのですが、そこに至るまでの「起」と「承」が無意味に長い上に本筋からの脱線も多く、しかもウンチクだけで全ての設定を無理矢理に説明しようとするスタンスが目立つために「読者が入口で閉口し立ち往生する」シロモノになってしまっているんですよね。
これから考えると、山本弘の小説は「作者&作品のことを全く知らない新規読者に作品を手に取らせ読ませ作品世界に惹きこむ」ことをロクに考慮していないシロモノであると言えます。
何でも良いからまずはとにかく読者の関心を惹かなければ、小説の内容がどれだけ良くても「そもそも読んでもらえない」というのにねぇ。

しかし、では山本弘が以上のような問題点を是正できるのか、と問われれば、それは到底無理な話であると断定せざるをえないんですよね(笑)。
周知のように山本弘は、アルマゲ論争でも散々主張していたように「読者による脳内補完」というものを全否定するというスタンスを頑ななまでに堅持しています。
となると、山本弘が執筆する作品の設定は、「読者による脳内補完」など一切出てくる余地がないように、作者自身が何から何まで一切合財全てキッチリ書き綴らなければならず、それがあの長々としたウンチク&脱線エピソードの大量生産という弊害を生み出しているのです。
簡単に言えば、山本弘は「評論を書く手法で小説を執筆している」わけですね。
他人の著書を嘲笑う「と学会会長」を本職とする山本弘にとって、その執筆スタンスを否定することは、「と学会会長」としての地位および活動をも全否定する一種の自殺行為に他なりません。
すくなくとも山本弘的には、たかだか片手間な副業に過ぎない自称SF作家業ごときのために本職を犠牲にしてまでやるべきことではないことでしょう(爆)。

それにしても、山本弘は「サーラの冒険」4巻と5巻の空白期間となる10年もの間、一体どこで何をしていたというのでしょうか?
田中芳樹ばりに遅筆な作品執筆スタイルを気取ったところで、作品が売れるわけでもないでしょうに(苦笑)。
やはり、自称SF作家業よりも「と学会会長」の方がカネになる、という「志の低い」理由でも根底にあるのでしょうかね?

自称SF作家の「サーラの冒険」シリーズ書評 前編

ずいぶん前に「いつか書きます」と宣言していながら長らく放置状態だったのですが、今更ながら、自称SF作家の駄本「サーラの冒険」シリーズの書評などを少し。

正直、これほどまでに読むのが億劫になる作品というのもそうはなかったですね(苦笑)。
ファンでもないのにウォッチ目的「だけ」のために作品を読むというのが、ああも苦痛でしかも時間の無駄に感じられるとは思いもしませんでしたよ(T_T)。
田中作品の場合は「アンチ」と同時に「ファン」という一面もありますし、長年読んでいるので耐性もパターンも習得済みなのですが、山本弘の小説は「何でこんな奴の駄本を読んでやらなければならないんだ?」的な自問を常に繰り返さざるをえませんでしたし。

「サーラの冒険」シリーズは4巻と5巻の間で10年近くも開きがありますし、その間に山本弘の立場や執筆スタイルも色々と変わってきていますので、感想も4巻までと5巻以降に分けて論じたいと思います。
今回は1巻~4巻までの感想です。

まず、文体的には結構読みやすい印象がありましたね。
シリーズ6巻&外伝1冊もあることもあって結構飛ばし読みをしていたのですが、そういう「捨て読み」的な用途には向いている文体です。
後年に見られるような「ストーリーの流れを阻害するウンチク」の大洪水も、この時期はまだそれほど目立つものではなく、あくまでも「補助的な位置付け」に留まっています。
良くも悪くも「手軽に読めるライトノベル」といった感じです。

その「ライトノベル」感をさらに補強しているのが「内容の薄さ」。
「サーラの冒険」は当初、一般的かつ等身大的な冒険者達の日常を描くスケールの小さな物語、というコンセプトで物語が執筆されていたことを山本弘自身が告白しています。
ところが実際の作中のストーリーは、同一の世界を舞台にしている「ロードス島戦記」辺りであれば1章分程度で終わる魔物退治イベント的な内容の話を、延々と引き伸ばして1冊の本にしているだけでしかないんですよね。
作中のストーリー展開が「ロードス島戦記」の魔物退治イベントとほとんど同じで、「ロードス島戦記」のスケールダウン版的な印象が拭えません。
しかも、山本弘が当初意図したコンセプト自体、3巻で撤回されてしまい、その後は「ロードス島戦記」にも見られたような「悪の黒幕を打倒するスケールの大きな物語」的な要素が後付で接ぎ木されています。
簡単に言えば、テンプレートに逆らおうとして失敗した挙句、テンプレート路線に戻ってしまっているわけで、他ならぬ山本弘自身が提唱していたアルマゲ理論から考えればまさに「頭が悪く志の低いバカ」としか評しようがありませんね(爆)。
ストーリーのコンセプトがその場凌ぎの行き当たりばったりで一貫性もない。これでは当然、内容も薄くならざるをえないところです。

あと、作品および作中キャラクターの主義主張全般で、程度が低すぎて逆にありえないレベルの幼稚さと世間知らずぶりが露呈しているのも大きなマイナスですね。
主人公サーラの主義主張があまりにも幼稚で世間知らずで妙に説教臭いのは、年齢設定や出身などから考えてまあ仕方ないことかと諦めるにしても、3巻で登場する「西部諸国で最高の盗賊」とやらの思考発想までもがそれと同レベル、というのは正直いかがなものかと。
何しろ、「西部諸国で最高の盗賊」ことバルティスなる人物は、「奴らは人間が思いつく中で最もおぞまじく、卑劣なこと」として「少女レイプ」を挙げていたりします。
平和な時代ならいざ知らず、万年戦国時代で治安も悪い中世ヨーロッパ的な世界で、しかも他ならぬ自分自身、盗賊ギルドでヤクザのシマ争いのようなことをしていながら、争いの過程で発生する略奪・暴行・虐殺の中に多かれ少なかれ含まれるであろう、ある意味「作中世界はもちろん、現実世界でさえもありふれた犯罪」に対する認識がそれって……。
あまりにも平和ボケ過ぎて、さすがに笑ってしまいましたね。

それと、これは物語本編に関するものではないのですが、3巻のあとがきで、当時はまだ結婚していない交際相手(今の奥さんらしい)の女性の名前を堂々と公開するというのは、個人情報保護の観点から見てさすがにどうなのでしょうか?
山本弘は奥さんだけでなく、自分の娘についても実名をネット上で公開している上、娘さんの名前を冠した同人本を刊行しあまつさえそれをブログ上で紹介するという行為にまで及んでいます。
当事者から「無断で実名を公の媒体に掲載した」と一方的に糾弾されても文句は言えないのではないかと他人事ながら思わずにはいられないのですが、大丈夫なのですかね、これって。

次回は5巻以降の感想を書きます。

サーチエンジン最大手のYahoo!Japanとgoogleが事業提携

検索エンジン最大手のYahoo!Japanとgoogleの事業提携が本日公式に発表されました。

http://www.sem-r.com/news-2010/20100727153000.html

アメリカ本家のYahoo!は去年、googleに対抗するためにMicrosoft社と提携し、検索エンジンを全てbingに一本化すると大々的に発表した経緯があります。

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/economy/microsoft_bid_for_yahoo/
http://www.computerworld.jp/topics/ms_y/169569.html

それを知っていただけに今回のニュースは寝耳に水だったのですが、どうも日本のYahoo!(Yahoo!Japan)とアメリカ本家のYahoo!は資本関係に違いがあることから、アメリカ本家の方針に左右されることなく、独自の路線を選択することができたみたいですね。

この両者の提携で特に重要なのは、Yahoo!Japanとgoogleが提携することにより、両者の検索エンジンにおけるシェアが事実上統合されてしまうこと。
日本における検索エンジンのシェアは、Yahoo!Japanとgoogleの2つで実に9割以上にも達しており、両者が統合されると事実上の独占状態になってしまうわけです。
SEO的には、これまでYahoo!とgoogleそれぞれで別個に行っていた作業を一本化できるわけですから利便性という点では歓迎すべき話なのですが、一方で「google八分」と呼ばれる一種の検閲機能がこれまで以上に強化されてしまう懸念もあります。
また、Yahoo!の検索順位が高くgoogleのそれが低いというサイトやブログの場合、この統合によって受ける影響は決して小さなものではないでしょう。

幸いタナウツの場合は、Yahoo!Japan、google共に高い検索順位を長年維持していますので、マイナスの影響はあまり受けずに済みそうですが、今後サーチエンジンが一体どうなるのか、注視していく必要は確実にありそうですね。

コミックマーケット78の参加サークルチェック

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7月上旬に、コミックマーケット78の参加サークルチェックのために注文していたコミケ78のCD-ROMカタログが、本日無事自宅に届きました。
前回のコミケ77の時は冊子を入手していたのですけど、アレは大き過ぎて使いにくい上に持ち運ぶには重く、コミケ終了後は粗大ゴミと化す始末とまるで良いとこなしだったので、今回はCD-ROM版の注文にしたわけですね。
早速、8月のコミケ78、およびタナウツオフ会絡みで関連してくるであろうサークルをチェックしてみました。

まずは「唐沢俊一」で検索。
すると引っかかったのが、kensyouhan氏の運営サークル「西理研(東2ホール O-39a)」と、執筆者欄に「唐沢俊一」の名前が書かれている「NO&TENKI商会(東2ホール O-46a)」。
サークルカットの画像に、唐沢なをき的なタッチの唐沢俊一絵(?)が描かれているところから考えても、今回のコミケ78に唐沢俊一が参加することは確実と見て良いでしょう。
前回と同様、今回のコミケでもkensyouhan氏の検証本贈呈に立ち合わせてもらおうかなと考えているのですが、今回の検証本贈呈、一体どうなりますかねぇ。
まさか唐沢俊一も、またもや「コレハコレハ」と敵前逃亡を敢行したり、鉄砲豚玉ことドラゴン山崎その他「と学会」の下僕達を刺客として差し向けてきたりするような「二番煎じ」を演じるようなことはさすがにないだろうと思いたいところなのですが(爆)。
あと、確かに山本弘のサークル「心はいつも15才(東2ホール O-29b)」はkensyouhan氏のサークルにほど近い所にありますね。

続いて「安達屋」で検索。
すると、こちらも出てきましたねぇ、「らいとすたっふ」社長氏運営のサークル「安達屋」。
コミケ3日目の「東5ホール へ-15a」に出店する予定とのこと。
奇しくも今回は、kensyouhan氏のサークル参加と同じ日のようですね。
前回は1日違ったので、わざわざこのサークルのためだけに2日目のコミケに行くことになったのですが。

これまでのコミケでは、コミケの抽選が終わった直後辺りに、社長氏のブログでコミケの当選発表と参加表明の記事がアップされていたのですが、今回のコミケ78では、2010年7月26日現在、ブログでもTwitterでも全くその手の言及がないんですよね。
これまでの傾向から考えればあまりにもおかしな話だったので、正直「今回のコミケはひょっとして参加を見合わせるつもりなのではないか?」という懸念と不安もあったのですが、杞憂に終わって何よりですね。
全く、社長氏は一体何をもったいぶってコミケの当選発表&参加の公式発表を出し渋っていたのやら(苦笑)。

他にも「革萌同(東2ホール N-17a)」「PRIDE-0(東2ホール P-40b)」の所在を確認。
あと、今回はコミケそれ自体も楽しみたいところなので、試しに「田中芳樹」や「銀英伝」で検索をかけてみたのですけど、やはりというべきか、出てくるのはヤオイ系同人本関連のサークルばかりですね(T_T)。
できれば、政治や謀略をメインにした二次創作や作品検証などを扱っているサークルを見てみたかったのですが、田中芳樹絡みでこれって高望み過ぎなのでしょうかねぇ(-_-;;)。

映画「インセプション」感想

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映画「インセプション」観に行ってきました。
レオナルド・ディカプリオ主演のSFアクション作品。

この映画の冒頭はいきなりわけの分からないストーリー進行から始まります。
実は冒頭部分の話の繋がりは物語終盤付近で明らかとなるのですが、序盤はあえて観客に何も分からせないまま、次のシーンへと向かいます。
そこでいよいよ主人公コブが生業としている、人が見る夢(潜在意識)の奥深くに入り込んでアイディアを盗む、一種の産業スパイまがいの駆け引きと抗争が展開されます。
この場面が、映画の宣伝などでもよく使われていた部分なのですが、実はこの一連のシーン、映画全体から見たら5分の1程度もあるかどうかの長さしかないんですよね。
しかもそのミッションにしてからが、渡辺謙が扮する依頼主サイトーが主人公に課した試験のようなもので、試験に合格した後にやってくる次の依頼こそが本当の目的となるわけです。

サイトーの真の依頼内容。
それは、サイトーのライバル企業の御曹司ロバートに「自分で父親の会社を潰す」というアイディアを植えつけること。
この「植えつける」という行為が作中では「インセプション」と呼ばれており、これが映画のタイトルにもなっているわけです。
映画の宣伝を素直に信じて映画を観ると、ここで早くも「おや?」「おお!」となってしまうところですね。

依頼内容が「アイディアを盗む」よりもはるかに至難の業であることから、主人公は様々な特技を持つ仲間を集め始めるのですが、その過程で主人公の前にしばしば現れ、仕事を妨害する主人公の妻モルの問題が浮上します。
実は主人公の本当の妻はとある理由ですでに死んでおり、夢の中に出てくるモルは、妻の死に深刻な罪悪感を抱いた主人公が生み出した偽りの存在だったりします。
何故主人公が妻の死に対して罪悪感を抱いているのか?
これも物語終盤で明らかとなるのですが、これを見ていく過程も真相もなかなか面白かったですね。
ちなみに、主人公が妻と子供を愛し、かつ妻の死について葛藤と罪悪感を抱くというパターンは、「インセプション」と同じくレオナルド・ディカプリオが主演していた映画「シャッターアイランド」にも全く同じものが存在します。
その葛藤と罪悪感の内容と真相は当然ながら全く異なるのですが、この「妻と子供を巡る主人公の葛藤」って、最近のレオナルド・ディカプリオ作品があえて狙っているテーマなのでしょうか?

この映画、CGメインで頭脳戦ばかり強調していたような宣伝に反して、ハリウッド映画のスタンダードである派手なアクションシーンも少なからず存在しますし、ミステリー的な謎の解明と手に汗握る緊張感も相まって、なかなか秀逸な出来に仕上がっています。
映画「タイタニック」以降、レオナルド・ディカプリオ作品は「泣かず飛ばず」「どうもパッとしない」的な印象が多々ありましたし、私が以前に観た「ワールド・オブ・ライズ」「シャッターアイランド」も今ひとつな出来というのが感想だったのですが、「インセプション」はそのネガティブなイメージと評価を見事に覆した作品と言えるのではないでしょうか。
映画「インセプション」は、洋画部門における今年度最優秀候補作品として数えられることになりそうですね。

「社会派くんがゆく!」の村崎百郎こと黒田一郎が死去

唐沢俊一と共に「社会派くんがゆく!」の連載を担当していた村崎百郎こと黒田一郎が、自著の読者によって刺殺されました。

【毎日jp】殺人:作家の村崎百郎さんを刺殺 32歳の男を容疑で逮捕
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100724k0000m040154000c.html#

当のご本人は鬼畜を自称していましたから、刺殺という死に方もある意味では本望なのかもしれないのですが、それでもまさか本当に殺されてしまうとはさすがに思ってもみなかったことでしょう。
心より、ご冥福をお祈り致します。

しかしこれで、「社会派くんがゆく!」の相方だったP&Gの大家は一体どう出てきますかねぇ。
何しろ、村崎百郎の死によって「社会派くんがゆく!」の連載も先行き不透明になってしまったわけです。
長いこと連載を続けていた割には人気も知名度も特になかったわけですし、今更代役なんて立てようがないでしょうから、今後「社会派くんがゆく!」が打ち切られる可能性は極めて高いと言わざるをえません。
唐沢俊一にとっては思いもよらない形での痛手でしょうね。
ただでさえ今年は、長年の資金源だったであろう「フィギュア王」の連載コラムが打ち切られてしまっているというのに(T_T)。

ただまあ、相方に逝かれてしまったはずの当のP&Gの大家サマは、相方の死を悲しむどころか、嬉々として追悼ならぬ「追討」をやらかしてくる可能性も否定できないんですよね(-_-;;)。
「社会派くんがゆく!」の行方も含め、唐沢俊一周辺の今後の動向が注目されます。

男女平等をグロテスクに表現した映画「スターシップ・トゥルーパーズ」

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1997年(日本では1998年)公開映画「スターシップ・トゥルーパーズ」。
「ロボコップ」「トータル・リコール」などの製作で知られるポール・バーホーベン監督が手がけたこの作品は、地球に侵略してきた昆虫型宇宙生物(アラクニド・バグズ)と戦う全体主義政権下の人類社会が皮肉たっぷりに描かれています。

この作品の大きな特徴のひとつとして、作中のあちこちで何度も展開されるニュース・CM等のTV番組の存在が挙げられます。
これは、作品世界内で起こった事件や出来事が作中世界のマスメディアでどのように報じられているかを表現するもので、作品内の世界観や未来世界のあり方をブラックユーモアも交えて解説する手法として、特に近未来世界が舞台となるポール・バーホーベン監督作品ではよく多用されています。
ところが、この作品のそれは全体主義的な軍事政権が人類社会を支配しているためか、やたらと過激でプロパガンダ的だったりするんですよね。
地球が襲撃されたことで国民の怒りを煽り、戦争に駆り立てていく報道などはまだ大人しい部類。
昆虫そのものに対する敵愾心を植えつけるためなのか、学生が学校の授業で砂カブトムシの解剖実習をするシーンが放映されたり、ラストでは勝利のプロパガンダとして、捕獲したアラクニド・バグズのボスキャラ的存在のバグにドリルを突っ込んで解剖するニュース報道が流されたりと、まあとにかくやりたい放題。

また、どう見ても重装甲で固められているとしか言いようのない見た目のバグ達に対し、ほとんど軽機関銃だけを武器に第二次世界大戦レベルの銃剣突撃を、しかも空(宇宙)からの支援もなしに敢行する、あまりにも非合理的な地球連邦軍の兵士達。
案の定、敵のバグ達に兵士達は次々と簡単にやられていくのですが、バグに兵士達が血祭りにされていくシーンはとにかく悲惨で残虐の一言。

作品製作側としては、あえてそういう手法を用いることで、全体主義、とくに「アメリカ帝国主義」に対する皮肉と風刺を意図していたとのこと。
そのためなのか「スターシップ・トゥルーパーズ」は、製作されたアメリカよりも日本の方が大ヒットしていたのだそうです。
実際、確信犯的に描かれたその手の報道描写や戦争描写のバカっぷりは、下手な反戦映画よりもはるかに「戦争の愚劣さ」というものを上手く痛烈に表現していますね。

ところで、この作品で地球を支配している政権下の社会では、完全な男女平等が実現されているという設定があります。
完全な能力主義が採用されており、女性であっても能力があれば高い地位に上れるし、そうでなければ男性でも最前線の平隊員。
実際、作中でも軍のトップは女性ですし、機動歩兵である男性主人公よりも、艦隊アカデミーに配属されたヒロインの方が軍内では地位が高かったりします。

しかし、この作品はそれでも男女平等を上手く表現できないと考えたのか、更なる「男女平等」を描写していきます。
男女の身体格差など無視して同一プログラムの軍事訓練が、しかも男女混合で行われる。
軍内の寝食も男女の区別は一切設けられず全て共同。
挙句の果てには複数の男女が「一緒かつ同室で」シャワーを浴びているシーンが、男女共に恥らう様子もなく当然のように描写される徹底ぶり。
特に男女同室のシャワーシーンは、作中で皮肉交じりに描かれている滑稽なプロパガンダ報道などよりも、「そこにある事実」と言わんばかりに否定も肯定もなく淡々と描写されているため、却って奇妙な迫真性が加わって衝撃的でしたね。

何でも監督であるポール・バーホーベンは、件のシャワーシーンを撮影するにあたり、裸になるのを嫌がる俳優達の前で自ら服を脱いでスッポンポンになり、俳優達に喝を入れたのだとか。
監督が何を意図していたかはともかく、「男女平等」という概念が抱える負の側面を最もグロテスクに表現するという点で、あのシャワーシーンは他に並ぶものがない秀逸な描写であると言えます。
私はあのシャワーシーンから、「男女平等」というものに対してこれ以上ないほどの気持ち悪さを覚えましたし、「ひょっとするこんな未来が本当に実現してしまうかもしれない」という奇妙なリアリティまで感じてしまったほどです。

何しろ日本には、「男女性差全否定」を掲げるジェンダーフリーなる過激で愚劣な思想を持つ勢力が、しかもよりによって小中高校の教育現場に実在し辣腕を振るっているわけですからね。
連中は男女混合名簿をはじめとする「男女性差全否定」を実施したり、また身体測定を男女混同で行ったり、体育の授業などの際に男女同室で着替えをやらせたりするなど、まさに「スターシップ・トゥルーパーズ」のシャワーシーンの実現が最終目的としか思えない教育指導を「実際に」行っています。
ジェンダーフリー教育がこのまま推進されれば、最終的には「スターシップ・トゥルーパーズ」におけるシャワーシーンが本当に日常生活の一部として現出する未来が実際にありえるわけです。
全く、あのシャワーシーンを「今後もありえない架空の絵空事」として一笑できるものならどんなに良かったか…。

かくのごとく、作中のあちこちに散りばめられたブラックユーモア&グロテスクな描写と、純粋な戦争アクションシーンの迫力を売りにして大ヒットした映画「スターシップ・トゥルーパーズ」。
この作品、一応続編も作られてはいるのですが、製作予算の規模が1に比べてあまりにも小さく、これといった話題にもなっていません。
1は色々と面白かっただけに、続編にも力を入れて欲しかったところです。

銀英伝舞台版のフリードリヒ四世役は「長谷川初範」を抜擢

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銀英伝舞台版におけるフリードリヒ四世役が公式サイトにて発表されました。
キャストは「長谷川初範」。

銀英伝舞台版公式サイトのキャストページ
http://www.gineiden.jp/teikoku/cast.html
長谷川初範の紹介ページ
http://www.kdash.jp/profile/kdash/hasegawa/index.php

プロフィールによれば、1955年6月21日生まれの55歳。
スポーツ歴があり、数々の映画やTVドラマにも出演しており、知名度はまずまずの模様。
ネット上に転がっていた画像などを見た限りでは、全体的に「ガタイが良い」「精悍」といった類の印象を受けるのですが、「奇妙に疲れきった印象を与える老人」という役柄はさて一体どのように演じることになるのでしょうか?

あと、配役の人は黒髪のようなのですが、アニメ版のフリードリヒ四世は白髪だったので、その辺りが一体どうなるのかも気になるところです。
まあ、アレが地毛ではなく「あえて黒く染めている」ものであれば、ヅラなどを用意する手間も省けるのでしょうけど(苦笑)。

さらに、銀英伝舞台版公式サイトのスペシャルインタビューコーナーでは、梶尾真治の公式コメントが掲載されています。

作家 梶尾真治インタビュー
http://www.gineiden.jp/teikoku/special/fan-s-kajio.html

ところで梶尾真治というのは、有限会社「らいとすたっふ」の出資者のひとりであり、「らいとすたっふ」も積極的に支援している立派な「らいとすたっふ関係者」だったりします。
スペシャルインタビューの主旨は「著名人の銀英伝ファンにその思いを語ってもらう」というものですが、「無関係の第三者的なファン」ならともかく、直接的な利害が絡む会社関係者に意見を聞いても「あからさまな身内贔屓」としか解釈されないでしょう。
会社関係者ならば、内心がどうであろうと表面的には礼賛&宣伝するのが当たり前なのですから。
仮に梶尾真治が公正無私に銀英伝舞台版について語っているつもりであっても、立場的な観点から見れば却って逆効果でしかないインタビューとしか評しようがないのではないでしょうか。

それと、銀英伝舞台版の公式ブログについてなのですが、あそこもようやくレイアウトの不具合を修正したようですね。

http://megalodon.jp/2010-0721-2122-52/gineiden.jp/gedblog/

あの公式ブログでは、サイト全体のレイアウトに合わせるためか、黒の背景色に白の背景画像を上重ねするという手法が使われています。
ところが、ブログ記事を下に辿っていくと、背景画像が途中で終わってしまっているために、下方にある記事の文字色が黒の背景色とカメレオンのごとく同化してしまい、マウスで文字色を反転させないと全く見えなくなってしまっていたんですよね。
仮にもカネを払って作成しているであろう公式サイトとしてはあるまじき失態ですし、一体いつ直すつもりなのかと半ばせせら笑いながら見ていたのですが、どうやらブログのトップページに掲載される記事数を2つまでに制限することで対応した模様。

まあ所詮は小手先の修正でしかなく、今度は大きな背景画像による不必要なまでに広大かつ下に長い空白地帯が画面下部に出現することになってしまい、レイアウト的にはやはりどうかと思わずにはいられないシロモノだったりします。
見た目のことをあまり考えていないのは相変わらずのようで(苦笑)。
サイトオープン時や前回のキャスティング発表における公約失敗の件もありますし、あそこもいいかげん、サイトの管理運用体制およびサイトレイアウトの全面的な見直しを一度行ってみた方が良いのではないかと、部外者として余計なお節介ながらも考えずにいられませんね。

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