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2011年01月の記事は以下のとおりです。

「人民解放軍野戦軍司令官」こと小沢一郎が強制起訴

民主党の「人民解放軍野戦軍司令官」こと小沢一郎が、検察審査会の議決に基づき強制起訴されました。

http://megalodon.jp/2011-0131-1454-45/sankei.jp.msn.com/affairs/news/110131/crm11013114460015-n1.htm

しかし小沢一郎は、この事態に直面しても議員辞職や離党などはしないと表明している模様。

http://megalodon.jp/2011-0131-2039-19/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110131-00000908-yom-pol

かつての自民党政権当時における民主党は、政治的にはどうでも良い挙げ足取り的な失言や「顔に絆創膏を貼った」といった程度のことで、金切り声を上げて大臣辞任を要求していた前科があります。
にもかかわらず、いざ自分達のこととなるとこの開き直りというのは、恥知らずも良いところなのではないかと。
まあ、小沢一郎に限らず「あの」民主党に一般人並の羞恥心を求めるのは無理な話なのかもしれないのですが。
民主党の「他人に厳しく自分に甘い」ダブルスタンダードな「と学会」的スタンスは、太陽が東から昇るのと同じくらいに普遍的な常識にまでなってしまっていますからねぇ(T_T)。

個人的には小沢一郎については、よく言われる「政治とカネ」の問題よりも、自身を「人民解放軍野戦軍司令官」と称したり、選挙対策のために外国人参政権導入を提唱したりするスタンスの方がはるかに大問題であると考えています。
自身が最高権力者になるためならば他国と手を組み、政治的・経済的どころか軍事的な侵略の手引きすらしかねない、そんな危うさが小沢一郎にはあるのです。
中国礼賛論者の田中芳樹辺りだったら諸手を挙げて同意&絶賛でもするところなのでしょうが、大多数の日本国民にとって、このような人物が日本の政治の中枢にいるというのは極めて危険なことでしかありません。
政治的に見ても、小沢一郎が民主党からいなくなれば、民主党は内紛の挙句に空中分解という結末に至る可能性も出てきますし、過去の民主党の他罰的な言動の数々との整合性を鑑みても、問答無用で政治的にも社会的にも抹殺されてもらいたいところなのですけどね。

映画「GANTZ」感想

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映画「GANTZ」観に行ってきました。
集英社の青年漫画雑誌「週刊ヤングジャンプ」で連載中の同名作品実写映画2部作前編。
映画「大奥」で主役を演じた二宮和也と、映画「デスノート」シリーズでL役を担当した松山ケンイチが共演するということで大いに喧伝された作品です。
作中では「肉体や血が飛び散る」的スプラッタな描写が満載のため、この作品はPG-12指定されています。

二宮和也が演じる主人公のひとり・玄野計は、地下鉄の駅ホームで、松山ケンイチが扮するもうひとりの主人公・加藤勝の姿を見かけます。
玄野計と加藤勝は小学生時代の幼馴染で、前者は就職内定がもらえない大学生、後者は弟を守るために父親を殺して少年院に入っていたという設定です。
加藤勝は、駅ホームで線路に転げ落ちた酔っ払いを助けようと線路に飛び込み、酔っ払いをホームに退避させますが、ちょうどその時快速電車が迫ってきます。
玄野計は加藤勝を助けようと手を差し伸べるのですが、逆に線路内に引っ張られてしまい、結果、2人共々電車に轢かれることになってしまいます。
しかし次の瞬間、光に巻き込まれた2人は、東京タワーが見えるとあるマンションの一室に出現することになります。
部屋から外に出ることはできず、また部屋の中には数人の人間と黒い球体がひとつ。
呆然とする2人の前で、黒い球体が放つ青い光によって裸の女性が構築されていき、周囲の人間が「お前達もこうして出てきたんだ」と教えてくれます。
その直後、黒い球体から60年代を想起させるような音程の音楽が流れ、音楽が終了すると、黒い球体に文字が浮かび上がり、ねぎ星人という名の存在と戦うよう命じられます。
それと共に黒い球体が開き、黒い球体からこれまた黒ずくめな武器とスーツが出現。
戸惑いながらも武器やスーツを手にする中、突然部屋の外にワープさせられる部屋の人間達。
ここから、主人公と星人達との戦いが始まることになります。

最初のねぎ星人が殺され、ミッションクリアを達成した後に、黒い球体が「GANTZ」と呼ばれていることが判明します。
作中に登場する星人達は、ねぎ星人・田中星人・おこりんぼう星人の3種類。
ただし、最後のおこりんぼう星人の際には、ターゲットのおこりんぼう星人以外にも千手観音と巨大大仏がおり、これも倒さないとミッションクリアになりませんでした。
幼稚園児レベルのネーミングセンスとは裏腹に、星人達は超絶的な戦闘力と残虐性を秘めており、GANTZの召喚メンバー達を次々と虐殺していきます。
GANTZの召喚メンバー達は老若男女問わず選出の対象にされており、老婆と子供の組み合わせまで召喚されている上、それでも作中では容赦なく虐殺されていたりします。
その一方で、ミッションクリアまでにとりあえず生存さえしていれば、どんなに重傷を負っていても、ミッションクリア後に完治状態で最初の部屋に戻ってくることができます。
ミッションクリアになると、GANTZがメンバー達を採点していくことになるのですが、その採点基準は「直接星人を殺したメンバーに点数が与えられる」のみ。
採点の際、0点の人には何故か「びびりすぎ」だの「存在感なさすぎ」「いたの?」だのといった、人を小馬鹿にしているような一言評価がくっついていたりします。
ネタとしか思えない評価が出される度に、スクリーン内では笑い声があちこちから漏れていましたね。

星人を倒して100点になると、そのメンバーは「GANTZから解放される」か「好きな人間を生き返らせる」かの2択を選ぶことができます。
原作では他にも「強力な武器が得られる」という選択肢があったようなのですが、映画版では削除されているようですね。

作中に登場する武器は、トリガーを押して光が発射されてから数秒後に内側から破裂させるショットガンもどきな銃(小型と大型の2種類)がメインに使用されていますが、他に獲物をグルグル巻きにして捕獲する銃と伸縮自在のソードが登場します。
一方、個々人の名前が書かれているアタッシュケースに収納されているスーツは、身体能力と防御能力を飛躍的に上昇させてスーパーマンのごとき人間になれる夢のようなスーツで、作中でもこのスーツを身に纏い、高台からジャンプして有頂天になる玄野計の姿が描かれています。
黒一色で洗練されたデザインといい、その驚異的な性能といい、この間観賞した映画「グリーン・ホーネット」に登場した発明品の数々が霞んでしまうほどに、いかにも未来感溢れる道具と言えますね。
玄野計の有頂天な描写も、ああいうスーツがあったら確かにああなるだろうなぁ、というものでしたし。

作品的な雰囲気としては、以前に観賞したことのある映画「トロン:レガシー」に近いものがありましたね。
アレも未来兵器的な武器が登場しますし、何よりも夜の舞台をバックに黒ずくめなスーツを着用して活動していましたから(苦笑)。
アクション系の描写も、本場ハリウッドには及ばないにしても、日本映画としては十分頑張っている部類に入るのではないかと。

映画「GANTZ」は2部作構成とのことで、後編となる次回作品は2011年4月23日に公開予定とのこと。
エンドロール後に後編の予告がありますので、映画を観賞される際には最後まで席を離れないことをオススメしておきます。

HTML文法チェックに便利な「Another HTML-lint」

サイトやブログでWebページを作成する際、HTML言語は意外に重要なポジションを占めています。
HTML文法を正しく記述していくことによって、サーチエンジンの検索結果で最新ページが上位反映されるようになったり、PCサイトのページが携帯からもある程度閲覧できたりするようになるのです。

HTMLの文法チェックについては、設置から10年以上もの歴史を持つ「Another HTML-lint」というソフトウェアが特に有名ですね。
これは、指定されたHTML構文を100点からの減点方式で採点するというものなのですが、かなり有名なサイトでも100点満点は難しく、マイナス点も決して珍しくありません。
Web上で使用できるサービスのひとつはこちら↓

http://htmllint.itc.keio.ac.jp/htmllint/htmllint.html

10年以上も前の古いソフトウェアだから今は全く使えないのではないか、という疑問に駆られる人もいるかもしれませんが、なかなかどうして、この文法チェックツールは今でも結構使えるものだったりするんですよね。
携帯からの閲覧では外部スタイルシートファイルなどが無効化されているケースが未だ多く、10年前のHTML文法が有効だったりすることも多いため、PC&携帯両対応のサイト&ブログを製作する、という用途に「Another HTML-lint」はもってこいのツールだったりします。

「Another HTML-lint」におけるHTML文法の合格ラインはだいたい30~60点前後といったところでしょうか。
PCからの閲覧だとマイナス300点ほどでも見た目の問題はないようなのですが、携帯からの閲覧の場合、マイナスになった時点で支障を来たすケースも少なくありません。

私が運営しているタナウツや奇説珍説博物館の場合、すくなくともサイトトップなどの主要ページは最低90点以上が取れるようにしていますし、その他のページについても常に文法チェックをかけるよう心掛けています。
ただ、奇説珍説博物館には単体で1MB以上もの容量を誇る桁外れにデカいHTMLページがあったりするため、高得点の獲得は難しいところのですが(-_-)。

誰からも閲覧されやすいサイト&ブログの作り方は「HTML言語の正しい文法」をマスターすることから始まる、と言っても過言ではないのではないでしょうか。

2011年1月時点の田中芳樹執筆状況その他

久々に、「らいとすたっふ」社長氏のツイートチェックを少し。

http://twitter.com/adachi_hiro/status/29486672114622464
<そりゃないよ。田中さん自身は版元のコトなど気にしてないし。いや、だからこそ私がいろいろと考えなきゃならんのだが。RT @kp_pu239: もしかして、書かない理由を版元がつぶれたせいにしてません? RT @adachi_hiro: ホント、困ってます。版元、潰れるし。>

本当に「版元のコトなど気にしてない」のならば、去年ついに田中芳樹直筆作品が1冊も出なかった事実も、「晩秋に完成予定」と言っておきながら今年になっても「髑髏城の花嫁」が未完成状態などといった体たらくもないはずでしょう。
「髑髏城の花嫁」の【刊行】が理論社経営破綻で一時的にできなくなったにしても、作品の【執筆】については何の支障もなく続けられるのですから。
「髑髏城の花嫁」を完成させた上で薬師寺シリーズの新刊執筆に着手し、刊行は後者が先、というパターンだってできないわけではないでしょうに。
一昨年はともかく、去年は体調不良というわけでもなかったのに「1年間で小説を1冊も刊行しない」などという「民主党政権ばりの公約違反」は、田中芳樹と「らいとすたっふ」双方の責任が問われるべき大失態ではないのですか?

http://twitter.com/adachi_hiro/status/29487931190149120
<いま書いているのが『髑髏城の花嫁』で。次が「お涼」ですね。RT @aoi6407: @adachi_hiro 確か次はお涼さまですよね?ライトスタッフのホームページがない頃は毎月本屋を覗いていました…新刊新刊と…便利な世の中です。家にいながら、新刊でるかわかっちゃう世の中

今の政治情勢で薬師寺シリーズの新作って出せるのですかね?
現行の最新刊8巻時点では、安倍内閣モドキの政権与党が居座っている状態なのですが、これを1~2ヶ月以内に引っくり返して民主党政権モデルにすり替えたりするのでしょうか(苦笑)。
この辺りを現実にあわせようとすれば、またしても創竜伝の二の轍を踏むことになりかねないのではないかと思うのですが。

http://twitter.com/adachi_hiro/status/29489172167262209
<田中さんは「サザエさん方式」と呼んでおります。RT @aoi6407: @adachi_hiro お涼さま、不老不死だよね。年を取らないし、罵倒されればされるほど、燃えるよ(笑)おみくじに向かって言い返す勇気はないですが…

薬師寺シリーズ1巻~8巻における作中の時間経過は10月半ば~翌年9月上旬までの10ヶ月半ほどなのですから、作中で薬師寺涼子が年を取らないパターンは充分にありえる話なのですが。
第一、「サザエさん方式」ならば、基本的な設定以外は各話間に全く関連性がなく、時系列も何もない自己完結ストーリーで構成されることになるはずでしょう。
しかし、薬師寺シリーズの作中には昔の巻のエピソードについて回想&言及される描写が複数ある上、時間経過も明確に書かれています。
薬師寺シリーズで展開されている手法は「怪奇事件そのものは1巻で完結しているが、各巻のストーリーには明確な時間経過およびそれに伴う相互関連性が存在する」というものであり、こういうやり方を「サザエさん方式」とは言わないのです。
というか、何故田中芳樹は「薬師寺涼子が永遠に年を取らない」ということにそれほどまでにこだわるのでしょうか?
次の巻辺りで薬師寺涼子に1歳年を取らせるか、あるいは作中時間1ヶ月半の間にシリーズそのものを完結させるかしないと、作中の整合性が取れなくなると思うのですけど。

http://twitter.com/adachi_hiro/status/29669345965645824
<田中さんのお姉さんが私のブログの読者で、私が書いた内容を田中さんに電話してる。 RT @aoi6407: @adachi_hiro ブログやツイッタ~みてらっしゃらないんだ。しかし、パソコン使えて今もう一度手直ししたものを書くとしたら、銀河英雄伝説全く違った伝説が生まれただろうか

ずいぶんまだるっこしい確認手法を取っているみたいですね、田中芳樹は(苦笑)。
環境整備のためのカネがないわけではあるまいし、ネットを見るだけなら大した技能も必要ないでしょうに、そこまでして「ネットの情報を【自分で】閲覧する」ことを拒否しなければならない理由って一体何なのやら。
中高年からネットを始める人も決して珍しくありませんし、他ならぬ自分より年長の姉でさえネット環境を持っているというのに。
薬師寺シリーズの作中でさえ「新聞紙から情報を収集する」などという、今となってはあまりに古臭過ぎる上に非効率的かつ信用もない手法が取られている描写が最新刊にすら存在するくらいですからねぇ(苦笑)。
他ならぬ田中芳樹自身、過去に大手マスメディアの報道スタンスや記者クラブを批判したことがあるわけですし、それらの批判との整合性から考えても「ネットを活用する」という選択肢は必要不可欠なのではないかとすら思うのですが。

Facebookの世界総ユーザー数6億人突破と今後の対日戦略

世界最大のSNSであるFacebookの総ユーザー数が6億人を突破し、日本国内限定のアクティブユーザー数も200万人の大台に到達しました。

http://blogs.itmedia.co.jp/saito/2011/01/facebook6200-1d.html

ここ1ヶ月ほど180万人前後で停滞していたアクティブユーザー数が突然200万人を突破したのは、やはり映画「ソーシャル・ネットワーク」の宣伝効果が少なからず貢献しているのでしょうか?
Facebookは2012年に株式上場するとの噂も囁かれていますし、まさに「飛ぶ鳥を落とす」勢いといったところですね↓

http://megalodon.jp/2011-0125-2032-57/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110122-00000273-yom-bus_all

ただ現時点では、Facebookの隆盛はあくまでも「日本を除いて」という注釈がついてしまうのが何とも言えないところですね。
同じく日本に進出していながら、世界第2位のアクティブユーザー数と投稿数を誇るTwitterとは、対日戦略のやる気と成果が雲泥の差です。
日本3大SNSであるmixi、GREE、モバゲータウンの牙城を崩すためには、Facebookにしかない「売り」と「使いやすさ」が必要になると思うのですが、今のFacebookにそんなものはありませんし。
Facebookが日本で広まらない要因としてよく挙げられる「実名登録」については、言われているほどに徹底しているルールではありませんし、かつてのmixiも実名推奨主義を取っていながら今の形に落ち着いたわけですから、それほど大した障害にはならないでしょうが、私が以前論じていた「言語の壁」の問題はそういうわけにはいきませんからねぇ。
今回の一時的なプチブームに乗じて、どこまで対日本人向けのアプリやサービスを充実させられるのか?
それが、Facebookの今後の対日戦略の成否を左右することになるのではないでしょうか。

映画「デュー・デート ~出産まであと5日!史上最悪のアメリカ横断~」感想

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映画「デュー・デート ~出産まであと5日!史上最悪のアメリカ横断~」(以下「デュー・デート」)観に行ってきました。
妻の出産を5日後に控えた「誰よりもキレやすい男」と、ハリウッドに向かう俳優志望の「呼吸するだけでトラブルを呼ぶ男」のコンビが、アトランタからロサンゼルスまで3200キロを横断するコメディ作品。
作中では「車中でオナニー」などという身も蓋もない18禁な描写があったり、麻薬を吸引するシーンがあったりするため、この映画は当然のごとくR-15指定されています。

アトランタで建築家としての仕事を終え、妊娠中の妻が待つ自宅のロサンゼルスに飛行機で帰る予定の日の朝、主人公であるピーター・ハイマンはある夢を見ます。
その夢の内容は、妻の出産に際して自分は全く動くことができず、何故か自分の隣にいた毛むくじゃらのクマが臍の緒を噛み切るというもの。
いかにも意味ありげに語られるこの夢は当然のごとく物語終盤の伏線となるのですが、それはさておき、飛行機で帰るために空港へと向かったピーター・ハイマンは、フレンチブルドックを連れてハリウッドへ向かう途中だったイーサンに、乗車していた車のドアを吹き飛ばされてしまいます。
この鮮烈な出会いがピーター・ハイマンにとっては不幸の始まりで、搭乗した飛行機でもたまたま席が前後で隣り合った2人は、イーサンが何の脈絡もなくテロの話を始めてしまったために、空港関係者から2人共々テロリスト扱いされ、搭乗拒否リストにまで載せられてしまいます。
しかもこの過程でピーター・ハイマンは身分証も財布も失ってしまい、移動手段を失って途方にくれることに。
そこへ、自分を今の苦境に追いやった元凶であるイーサンが、ピーター・ハイマンの前にレンタカーに乗って現れ、一緒に大陸横断をしようと持ちかけてきます。
「お前のせいで俺は…!」と怒りを抱きつつも、他に方法もなかったピーター・ハイマンは、怒りを抑えてしぶしぶながらも助手席に乗り込み、かくして3200㎞の珍道中が始まるわけです。

物語序盤を見ただけでも分かるように、映画「デュー・デート」は、マトモなビジネスマンである主人公が奇矯な男の言動に振り回される、というスタイルでストーリーが進行していきます。
主人公を常に不幸のどん底に追いやるイーサンは、フレンチブルドックのサニーと父親の遺灰が入ったコーヒー缶を常に持ち歩く小太りで髭もじゃな中年男で、その風貌からして不潔さとセンスの無さが滲み出ています。
その言動は好感度ゼロの風貌以上に最悪で、自分の年齢を23歳と自称したり、麻薬をキメていたり、主人公も同乗しているはずのクルマの中で「就寝前のオナニー」にふけっていたりと、間違ってもお近づきにはなりたくないキャラクターとして描かれています。
こんな男と一緒に3200㎞の旅に出るわけですから、当然その道中が何事もなく進むわけがありません。
麻薬を買うためにわざわざ寄り道したり、そのために貴重な資金を200ドルも浪費して旅費が欠乏してしまったり、挙句の果てには居眠り運転でクルマごと橋から転落してピーター・ハイマンに骨折の重傷を負わせたりと、イーサンはとにかくトラブルメーカーとして大活躍しています。
物語後半でも、道を間違えて何故かメキシコ国境に入ってしまったり、国境の検問所で分捕ったクルマにあった拳銃をピーター・ハイマンに向けて発砲してまたも怪我を負わせたりと、イーサンはとにかく疫病神としか言いようがないほどにトラブルを持ち込んできます。

ただそれでも、大陸横断を進めていく過程で次第に両者の間には友情のような感情が芽生えていく、というのはこの手の作品のお約束というものですね。
メキシコ国境でのゴタゴタ後に立ち寄ったグランドキャニオンで、2人の友情は頂点に達します。
……そこでのイーサンの衝撃的なトンデモ告白によって、2人の仲は再びギクシャクしたものに戻ってしまうのですが(苦笑)。

「アイアンマン」シリーズで主役を演じ、今作でも主役に抜擢されたピーター・ハイマン役のロバート・ダウニー・Jrと、イーサン役のザック・ガリフィアナキスは、見た目だけでも対比が分かりやすい組み合わせでしたね。
男っ気溢れるコメディ映画を観たいという方にはオススメの作品かもしれません。

映画「グリーン・ホーネット(3D版)」感想

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映画「グリーン・ホーネット(3D版)」観に行ってきました。
1936年~1952年にかけてアメリカで放送されたラジオ番組を原作とする同名作品の現代版実写映画。

物語は主人公であるブリット・リードと、その父親で新聞社デイリーセンチネル社の社長であるジェームズ・リードの20年前の会話から始まります。
ここでは「家庭内暴君」として振る舞う父親に対し、主人公が反発する様が描かれています。
そのせいで性格が捻じ曲がったブリット・リードは、20年後も父親に呆れられるほどの自堕落な生活を送っていたのですが、その父親が突然ハチに刺されて急死し、急遽父親の後を継いでデイリーセンチネル社の社長に就任することになります。
急なことだった上に父親に対する反発もあってか、ブリット・リードは会社運営について全くやる気がありません。
社長就任後のある日、朝に飲んだコーヒーに不満を持ったブリット・リードは「今日のコーヒーをいれたのは誰だ!」と家の中で怒鳴りまくります。
それに対し、家の中にいたメイドが「今までのは昨日あなたが解雇した運転手兼整備士のカトーが入れていた」と証言。
その発言を聞いてブリット・リードが早速カトーを呼び戻し、「整備士のお前が何故美味いコーヒーを入れているんだ?」と問い詰めます。
するとカトーは、キッチンにあった隠し戸棚から高性能なコーヒーメイトを披露し、あっさりとブリット・リードお気に入りのコーヒーを再現してのけます。
発明家としてのカトーの才能に感心し、さらに父親に対する評価が自分と同じだったことも相まって意気投合したブリット・リードは、カトーを相棒に「悪人として正義の活動をする」ことを思いつきます。
ここから、「緑のススメバチ」ことグリーン・ホーネットの活躍が始まるわけです。

作中に登場するグリーン・ホーネットの自動車「ブラック・ビューティ」は、その外見といい性能といい、とにかく「昔のアメリカ」的なセンスが滲み出ていますね。
車の型からして、思わず「古っ」とツッコミをいれたくなるようなシロモノでしたし、室内で音楽を鳴らす際には何故か昔懐かしいレコードプレーヤーが出てきたりします。
また「ブラック・ビューティ」はまるで戦争でもするために作られたような自動車で、ゴルフクラブで力一杯殴っても銃で撃ってもボディには傷ひとつつかない上、当然のように重武装が施されています。
セオリーに忠実すぎるくらいに忠実に作られたアメリカンなクルマ、というのが感想ですね。

あと、映画「グリーン・ホーネット」では、ラスボスであるベンジャミン・チュドノフスキーも良い味出していましたね。
敵味方問わず、躊躇無く人を殺せる極悪非道な悪役として描かれているはずなのですが、自分の外見がよほど気になるのか、「俺は怖く見えないのか」的な発言を何度も繰り返しています。
挙句の果てには、グリーン・ホーネットへの対抗心からか、自らの衣装を赤一色で固め「ブラッドノフスキー」と称し、敵を追い詰める際の長々とした前口上まで作り出し、部下にすら「これほどバカな提案は初めてです」とまで言われてしまう始末(その部下は直後に殺されてしまいましたが)。
しかもバカ正直なことに、チュドノフスキー改め「ブラッドノフスキー」は、グリーン・ホーネットを追い詰める際にもわざわざ前口上を最初から御丁寧にしゃべろうとして、グリーン・ホーネット側にその隙を突かれて反撃されてしまうという失態を2回も演じていたりします。
あの惨状を見ていて「格好つけるよりも前に目の前の敵をさっさと殺せよ」「そんなに威圧感のない外見にコンプレックスを抱いているのか」と考えずにはいられませんでしたね。

ストーリーといい設定といい、良くも悪くも典型的と言えるアメコミチックな作品ですね。
アメコミが好きという方には是非ご観賞を。

コミック版「大奥」検証考察4 【支離滅裂な慣習が満載の男性版「大奥」】

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4回目となるコミック版「大奥」検証考察。
今回の検証テーマは 【支離滅裂な慣習が満載の男性版「大奥」】
なお、過去の「大奥」に関する記事はこちら↓

映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
コミック版「大奥」検証考察2 【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】
コミック版「大奥」検証考察3 【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】

コミック版「大奥」における大奥に関する描写を見てみると、史実のそれと比較して「何故こんな非効率的なやり方で運用されているの?」と首を傾げたくなる慣習が多数存在していることが分かります。
「女将軍と最初に性交するものは死ななければならない」などという、史実の大奥には存在しないはずのトンデモな規則を定めた「ご内証の方」の慣習などはまさにその典型例です。
映画版を観た時からずっと疑問視していたこの慣習、コミック版「大奥」の2巻~4巻までの家光(女性)時代に如何なる理由から出来たのかについて描かれているのですが、その起源は何と、家光(女性)が男にレイプされたことに端を発するほとんど八つ当たり&逆恨み的な癇癪から生まれたシロモノでしかなかったんですよね。
私はてっきり、権力闘争で政敵を口実つけて抹殺するためにその場で適当にでっち上げた発言なり法令なりがいつの間にか慣習化したものとばかり思っていたのですが、それ以上に何とも低次元かつ非合理的な話です。
ついでに、コミック版「大奥」1巻で「ご内証の方」の慣習について水野に説明している大奥総取締の藤波は「この規則は春日局が決めたことだ」などと述べていますが、実際にこの慣習が正式に定められたのは春日局の死後、2代目の大奥総取締となったお万の方の時代です。
藤波にしてみれば、とにかく「ご内証の方」という慣習が持つ問題を何とかして処理することの方が最優先課題で、「いつ定められたのか?」という歴史考証など些細なことでしかなかったのかもしれませんが、何ともマヌケな話ではあります(笑)。

一般的に伝統や慣習の中で「悪習」とされるものは、それを作った当時は合理的で意味のある決まりだったものが、時代が進むにしたがって遅れた考え方になったり、現実と合わなくなって非合理的なものになったりするパターンがほとんどです。
ところがコミック版「大奥」における慣習は、それを作った瞬間からすでに現実と合わない非合理的な「悪習」になっているものが多く、「作った当時における合理性」というものすら全く見出すことができないのです。
たとえば、コミック版「大奥」によく出てくる慣習の中に「お褥すべり」という決まりがあります。
「お褥すべり」という言葉&慣習自体は史実の江戸時代にもあり、こちらは当然「30~35歳以上の【女性】は将軍と性交できない」という決まりです。
しかし、史実の江戸時代における「お褥すべり」は、高齢の女性と性交しても妊娠・出産について年齢的な限界がある、という意味合いが強い慣習ですし、医学が進んだ現代でさえ、40代以上の女性が妊娠&出産するのは身体的に難しく難産も多くなると言われています。
性交は男女問わず何歳になっても可能ですが、妊娠・出産には女性の身体的な問題があるわけですし、江戸時代における医学水準を鑑みれば、この慣習も江戸時代当時には一定の合理性が存在したわけです。

ところがコミック版「大奥」には、「35歳以上の【男性】は将軍と性交できない」という「【性交に関する】年齢制限」があり、その一方で、妊娠・出産を司っているはずの女性には「【性交に関する】年齢制限」が全く存在しません。
言うまでもないことですが、妊娠・出産を司っていない男性は、性交ができる限りにおいて、高齢になっても子作りを続けることが可能です。
「お褥すべり」の本来の対象はあくまでも妊娠・出産に関する年齢制限がメインなのであり、男女間の性交はその付属物に過ぎない、という観点から言えば、男性に「お褥すべり」なる慣習が存在するのは明らかにおかしな話です。
しかも、ただでさえ「大奥」世界では「赤面疱瘡」の蔓延によって男性人口が激減しており、史実の江戸時代以上に子作りが極めて重要な位置付けとなっているのです。
さらに、20歳以上の男性は、12~17歳を主な感染対象とする「赤面疱瘡」にかかりにくいという利点もあり、その点でも高齢の男性は「安全確実な子種の供給源」として大きな存在価値を有しています。
その貴重な「種馬」をわざわざスポイルするような「お褥すべり」の慣習は、非合理どころか「社会的な自殺行為」もいいところではありませんか。
何故このようなおかしな慣習が「大奥」世界で成立しえたのか、全くもって理解に苦しみます。

また、コミック版「大奥」における大奥の性交システム、および将軍(女性)と側室(男性)の性交の描写も、単に史実の江戸時代における大奥のそれを逆転させただけの「極めて非合理的」なシロモノです。
いくら側室たる男性が多数いたところで、妊娠・出産できる女将軍はただひとり、という時点ですでに一般的な後宮システムと比較して非合理もはなはだしいのですが、それに輪をかけてさらに非合理なのが「わざわざ父親が分かるような性交を行っている」点です。
コミック版「大奥」では、徳川5代将軍綱吉の父親である桂昌院や、7代将軍家継の父親・月光院が、その立場を利用して大奥内で権勢を誇っている様子が描かれています。
しかし、そもそもこのような体制を実現するためには、「父親が誰であるかが分かる」ような性交を行う必要があります。
現代の民法733条には、妊娠している子供の父親が誰であるかという問題を解消するために、離婚後6ヶ月間、女性は再婚することができないという規定があります。
この民法733条の規定を「大奥」に適用すると、「大奥」における女将軍は、ひとりの側室との最後の性交から6ヶ月間は、父親認定の観点から一切の性交ができないことになってしまいます。
「再婚」ではなく「性交」の観点から女性の身体的に最短の時間で考えるとしても、女性は性交してから妊娠するまで3週間~1ヶ月程かかるわけですし、発覚が遅れる事態があることも考えれば、それでも側室が代わる際には最後の性交から2ヶ月程度は性交禁止期間が置かれると考えるべきでしょう。
「大奥」世界において、女将軍から産まれた乳児の父親が誰であるのかを判定するためには、こういうプロセスが絶対的に必要なのです。

しかし、「暫定的な」女系中心社会である「大奥」世界において、わざわざ父親が誰であるかを判別・認定する意味などあるのでしょうか?
一般的な後宮システムにおいてさえ、君主の母親は「外戚」として強大な権勢を誇り、他の臣下との間で凄惨な権力闘争が勃発したり、国政をメチャクチャにしたりした事例が多々あります。
コミック版「大奥」においても、徳川5代将軍綱吉の父親である桂昌院が江戸城内で大きな権勢を誇り、娘である綱吉に「生類憐れみの令」をゴリ押ししたという作中事実が存在するのです。
男女逆転したところで「外戚」の問題は全く変わりようがありません。
しかも、コミック版「大奥」における女系中心社会はあくまでも「仮の措置」でしかなく、「本筋の」男系がいつでも取って代われる危険性をも有しているのですから、「外戚」の脅威は一般的な後宮システム以上ですらあるかもしれないのです。
徳川家にとっても国政にとっても脅威以外の何物でもない「外戚」を作らなければならない「合理的な」理由など、どこを探しても見つけようがないのではないでしょうか。

ではコミック版「大奥」における「大奥の正しくかつ効率的なあり方」とはどういうものなのか?
一夫多妻制の最大の利点が「ひとりの男性が複数の女性に種付けできる」ことにあるとすれば、一妻多夫制の存在意義は「ひとりの女性の卵子に複数の男性が精子を連射できる」ことにあります。
これから考えれば、一妻多夫制的なシステムになっている「大奥の正しくかつ効率的なあり方」というのは、「ひとりの女将軍に対して最低でも数人、場合によっては十数人以上の男性が群がり、18禁的な乱交ないしは輪姦同然のセックスで、妊娠が確認されるまでとにかく無制限に膣内射精を続けまくる」という形態にでもならざるをえないのではないでしょうか。
こういう形態であれば、性交相手を変える毎に少なからぬ性交禁止期間を置く必要がなくなり、その分女将軍は「子育て」に専念することができますし、また「外戚」の存在自体を完全に排除することもできます。
作中における大奥の性交システムは、世継ぎがマトモに生まれる方がむしろ僥倖とすら言えてしまうような構造的欠陥を抱え込んでいる以外の何物でもないでしょうね。

コミック版「大奥」における男女絡みの慣習は、史実の江戸時代に存在したそれを無条件に男女逆転して適用したものになっています。
しかし、慣習というのは元々「それが発生するための過程や一定の合理性・必然性」というものがあり、また男女の地位が逆転したからといって男女の身体的な特徴や違いまでもが変化するわけではありません。
それを無視してただ慣習を男女逆転に引っくり返したところで、江戸時代当時の人間ですら考えられないほどに支離滅裂で意味不明な「悪習ですらない何か」にしかなりえないのです。
「男女の違いに関する考察」という最も基本中の基本的な要素が、コミック版「大奥」には根本的に欠けているようにしか思えないのですけどね。

次回は「大奥」世界における大名統制について検証する予定です。

株式会社ハドソンがコナミの完全子会社に

ゲームメーカーのコナミ株式会社が、自社で54%の株を保有している株式会社ハドソンを完全子会社化すると発表しました。
完全子会社化は2011年4月に実施され、ジャスダック上場のハドソンは同年3月29日に上場廃止になります。

http://ow.ly/3HeSh

個人的にハドソンと言えば、ファミコン時代から長らくファンを続けてきたゲームメーカーですね。
シューティングゲームの黄金時代を築いた全国キャラバンや高橋名人、PCエンジン&天外魔境シリーズと、私がゲーム好きになるきっかけにもなったイベントやゲームを多く輩出していましたし。
最近はあまり景気の良い話を聞くことがなく、携帯ゲームアプリを開発の主軸に据えているらしいという情報を数年前に公式サイトで確認していた程度だったのですが、ゲームメーカーの老舗がまたひとつ消えていくことになるわけですね。
時代の流れとはいえ、寂しい限りではあります。

TOHOシネマズが映画料金の引き下げを発表

シネコン最大手のTOHOシネマズが、映画料金を現行の1800円から1500円に値下げすると発表しました。
今年の3月より栃木、長野、山梨、広島、長崎、鹿児島の6県6劇場で試験的に導入され、来年春より全国の劇場で適用される予定とのこと。

http://www.cinematoday.jp/page/N0029751

実は映画料金というのは、ここ数年で様々な割引サービスが登場し実質的な金額は下がっているのですが、基本料金そのものは1993年以降、全く改定が行われていませんでした。
シネコンの中でも最大手のひとつとして数えられるTOHOシネマズの今回の決定は、そのような映画料金のあり方に一石を投じるものになるのではないでしょうか。

ただ一方で、シニア割引は対象が現行の60歳から65歳に引き上げ、レイトショー割引が取り止めを検討されているなど、これまで恩恵を受けていた一部の映画料金は割高になる可能性があります。
レディースデーやファーストショーなど様々なサービスが入り乱れて複雑化している現行の割引料金を見直し、シンプルな料金体系にして集客を増やしたいという狙いがあるようなのですが、これがどのような結果を招くことになるのか、映画ファンとしては注視していきたいところです。

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