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講談社の社長交代&田中芳樹の記憶力

講談社の社長が24年ぶりに交代するのだそうです。
現社長の野間佐和子氏が会長に就任し、息子で副社長の野間省伸氏が社長に昇格するとのこと。

http://megalodon.jp/2011-0223-1615-39/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110223-00000292-yom-soci

講談社は田中芳樹の小説が最も多く刊行されている出版社です。
田中芳樹作品の再販本は講談社文庫から数多く刊行されていますし、現行のアルスラーン戦記の出版元となっている光文社も、講談社がその発行株式のほとんどを所持している事実上の子会社だったりします。
今回の社長人事で講談社の経営方針がどのように変化していくのか、またそれが田中芳樹の執筆活動にどのような影響を与えるのか、注目されます。
現在の田中作品の中で講談社刊行の主力作品といえば、創竜伝と薬師寺シリーズになるのですが、前者はすでに7年以上、後者も3年以上は最新刊発行から間が空いてしまっていますからねぇ(苦笑)。
この機会にということで、講談社が遅筆作家の不良在庫整理などをやってくれると、田中芳樹にとってもなかなか良い刺激になるのではないかと思うのですが(爆)。

ちなみに社長氏は、田中芳樹の遅筆な作品執筆についてこんなことを述べていたりします↓

http://twitter.com/adachi_hiro/status/39689833072824320
<とある出版社の方が「3ヶ月あいだを空けて続巻を出しても、読者さんが前の巻の話を覚えていてくれないので困る」と言ってました。内心、(それは出版社が似たような本を出しすぎているのも原因じゃないの?)と思ったけど黙ってました。いずれにせよ、作家さんには大変な時代のようです。>

http://twitter.com/adachi_hiro/status/39695966084939776
よく本人が内容を覚えていると思う。 RT @aki_0117: 田中先生は続き出るまで年単位ですから解りますがねぇ…(笑) RT @adachi_hiro: とある出版社の方が「3ヶ月あいだを空けて続巻を出しても、読者さんが前の巻の話を覚えていてくれないので困る」と言ってました。>

……いや、あの惨状で「本人が内容を覚えている」というのであれば、むしろ逆に相当ヤバいのではないかと思うのですが(爆)。
アルスラーン戦記でも、アルスラーンの誕生日が9月29日→9月21日になっていたり、ギスカールの記憶力がおかしくなったりしていますし、創竜伝に至っては、ソ連が突然崩壊したり、極貧国で滅亡寸前の中国がこれまた何の説明もなくイキナリ経済大国にのし上がったりと、作中の社会情勢そのものが著しく激変しているのですから。
設定を忘れているのでさえ作家&作品としては大問題なこれらの設定矛盾が、ましてや「覚えている上で確信犯的にやっている」となると、作家としてのやる気や資質そのものまでもが問われかねないのではないかと。

2月22日は竹島の日

2月22日は竹島の日。
1905年のこの日、1月28日に行われた閣議決定を受ける形で、当時の島根県知事が竹島の所属所管を明らかにする告示を行い、竹島を島根県に編入しました。
2005年、竹島編入100周年を記念して島根県議会が「竹島の日を定める条例」を制定し、以降、2月22日が記念日となっています。

現在、竹島は韓国の侵略に晒されています。
その発端は1952年、当時韓国の大統領だった李承晩が、サンフランシスコ条約締結前の1月18日に突然「李承晩ライン」なるものを宣言したことにあります。
「李承晩ライン」とは、海洋資源の保護を目的に、韓国付近の公海での漁業を韓国籍以外の漁船で行うことを禁止する宣言です。
この「李承晩ライン」では、竹島を一方的に韓国の領土として組み入れており、ここから竹島を巡る領土問題が発生することになります。
さらに韓国はそれだけでは飽き足らず、翌年には「李承晩ライン」内に入ってきた日本漁船を徹底拿捕するようになり、結果、多くの日本漁船と日本人が韓国に抑留されることになりました。
しかも日本政府が抑留者を返還するよう求めると、韓国政府は日本国内における常習的犯罪者あるいは重大犯罪者として収監されていた在日韓国・朝鮮人472人の釈放と在留特別許可を要求する始末。
北朝鮮の拉致事件も酷いものがありますが、韓国もそれに負けず劣らずの外道ぶりを披露していたわけですね。
こんな国が、日本に対して「正しい歴史認識」だの「過去の侵略行為の謝罪と賠償」だのを求めてくるというのは笑止な限りでしかないのですが。

竹島は日本固有の領土であり、韓国などに領有権を主張される謂われはありません。
その事実を、この日を機会に再確認してみるのも良いのではないでしょうか。

中東から飛び火してきた中国の政情不安

中東の政変が飛び火する形で、中国の国内情勢が再び不安定な状態になりつつあります。
中国当局は、民主化を求める大規模な暴動やデモに対する警戒を強めているとのこと。

http://megalodon.jp/2011-0221-1313-37/sankei.jp.msn.com/world/news/110220/chn11022020490009-n1.htm

中国では、当局の摘発を逃れる目的から暴動やデモが反日的色彩を帯びる傾向があります。
つい最近も、中国政府に対する不満のガス抜きとして、尖閣問題と日本に対する攻撃を錦の御旗に「反日デモ」という名の暴動が起こっています。
「反日」を掲げれば「愛国無罪」の論理で当局も摘発しにくくなる、という構造を利用しているわけです。
今回は果たして同じことが起こるのでしょうか?

国を問わず「民主化運動」というのは、我らが田中芳樹が一番喜びそうなネタではあるのですが、相手が中国となるとさてどうなることやら。
一応過去の創竜伝では、天安門事件の際における中国政府の対応を「人民を戦車で轢き殺したり強制収容所に閉じ込めたりするような国に存続する価値はない」などと評価している事例があるにはあるのですが、その評価は13巻で見事に覆されてしまいましたからねぇ(苦笑)。
中東の民主化は素直に絶賛しそうですが、中国については複雑な心情でもありそうで(爆)。

あと、中東の反政府デモではFacebookなどを使ったネットの力が大きな役割を果たしているのですが、ネットに無知かつ無関心な田中芳樹が果たしてこの事実をマトモに理解することができるのでしょうか?
ネットに全く言及することなく現代の物語を書くというのは至難の業も良いところですし、仮に言及したとしても、田中芳樹の知識では恐ろしく見当外れかつトンデモな話が出てきたりしかねないのではないかと思えてならないのですが(笑)。
「らいとすたっふ」の社長氏も、「これから現代物小説を書くのであればネットの知識は必要不可欠」とか何とか言ってもう少し強気にネットを勧めるべきだと思うのですけどね。

映画「ヒアアフター」感想

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映画「ヒアアフター」観に行ってきました。
クリント・イーストウッドが監督を、スティーブン・スピルバーグが製作総指揮をそれぞれ担っている、マット・デイモン主演作品です。

映画「ヒアアフター」では、人の死と死後の世界をテーマに、それぞれ3人の人物にスポットを当てたストーリーが展開されます。

1.インドネシアで彼氏と旅行中、大津波に巻き込まれて臨死体験をし、死後の世界のヴィジョンを垣間見たフランス人女性のマリー・ルノ
2.幼少時の臨死体験がきっかけで、他人を霊視することできる能力に覚醒したアメリカ人男性のジョージ(マット・デイモン演じる主人公)
3.ドラッグ中毒の母親を抱えながらも一緒に生活していた双子の兄ジェイソンを、突然の交通事故で亡くしてしまったイギリス人少年のマーカス

この3人はそれぞれ全く面識がなく、3つのストーリーは何の関連性も絡みもない状態からスタートすることになります。
ストーリーの核となる3人の登場人物は、それぞれ生活面で問題を抱え込んでいます。
フランスのテレビ局でアナウンサーとして出世し、恋人もいながら、大津波に襲われて以後は長い休養が続き、結果アナウンサーとして干された上に恋人にも浮気され別れる羽目になったマリー・ルノ。
かつては他人を霊視する能力を使ったビジネスで荒稼ぎをしていたものの、能力に振り回されて疲れきって引退してしまい、通常の生活を送れずに苦しむ中、霊視ビジネスの旨味が忘れられない兄から何度も復帰を促されるジョージ。
依存していた兄を失い、ドラッグ中毒の母親から引き離されて里親に引き取られるも、兄のことが忘れられず、「死者との会話」を夢見て里親のカネを持ち出し自称霊能力者に会うための旅に出てしまうマーカス。
個人的には、せっかく料理教室で知り合った女性と良い雰囲気になっていたにもかかわらず、兄からの電話で能力のことが知られてしまい、彼女の実の父と母のことをズバリ言い当ててドン引きされ、そのまま別れる羽目になってしまったジョージが哀れでならなかったですね。
ジョージもあの場で「適当なウソをついてその場を誤魔化す」的な選択肢を取れなかったのだろうか、とは思わずにはいられませんでしたが。

それぞれ独立していた3つのストーリーを1つに収束することになったきっかけは、マリー・ルノが自身の臨死体験と独自調査から執筆した1冊の本にあります。
その本の名前は、映画のタイトルにもなっている「ヒアアフター(来世)」。
元々「ミッテラン大統領のことについて書け」と言われていたにもかかわらず全く違う本を書いてしまったマリー・ルノは、上司から変人扱いを受けてしまうのですが、その本の内容に興味を持った出版社がマリー・ルノに打診。
結果、めでたく「ヒアアフター(来世)」は出版されることになり、それを記念して、マリー・ルノはイギリスのロンドンで開催されるブックフェアで講演&サイン会を行って欲しいと依頼されます。
そこに、元からイギリス在住だったマーカス、傷心旅行?でイギリスに来ていたジョージが足を運び、かくして3人は1つの場所に集うことになるわけです。

映画「ヒアアフター」は、ハリウッド映画にありがちな派手なアクションシーン的なものは微塵もなく、ただひたすら登場人物達の心の内面を描くことに徹しています。
また、実際にあった事件も作中で絡めており、冒頭で出てくるインドネシアの大津波の他に、ロンドンの地下鉄爆破テロ事件も登場します。
3人の登場人物達が抱える問題点が前面に出てくるため、序盤から終盤近くまで作品の雰囲気はとにかく暗いのですが、それでも最後はハッピーエンド的な結末がきちんと用意されています。
あれで結末まで悲惨な内容だったら「勘弁してくれ」と言いたくなるところではあったので、ラストシーンではついホッとしたものでした。
この辺りはやはり、製作総指揮を担ったスピルバーグの意向によるものなのでしょうか?

作品のテーマがかなり重く、ストーリーも単純な構成ではないだけに、映画「ヒアアフター」は今作と同じくスピルバーグが製作した映画「A.I.」ばりに哲学的な作品と言えます。
その点では映画「A.I.」と同じように、この作品もまたアメリカ人ではなく日本人向けと言えるのかもしれませんね。

シー・シェパードを増長させる日本の及び腰なスタンス

南極海における日本の調査捕鯨が、アメリカの反捕鯨団体「シー・シェパード(SS)」の妨害活動により中止されることになりました。
この決定について農林水産省は、「乗組員の生命の安全を守る」という理由を挙げています。

http://megalodon.jp/2011-0218-1252-06/sankei.jp.msn.com/economy/news/110218/biz11021810580010-n1.htm

しかし、日本側の調査捕鯨中止を受け、当のシー・シェパード側はここぞとばかりに勝利宣言を行っている始末↓

http://megalodon.jp/2011-0218-1957-18/sankei.jp.msn.com/world/news/110218/asi11021812480002-n1.htm

これで味をしめたシー・シェパードが妨害活動を緩めるとは到底考えられず、さらに執拗で過激な行為を日本に対して行ってくる可能性は極めて高いと言わざるをえません。
第一、調査捕鯨を中止したところでシー・シェパードが活動できなくなるわけではありません。
シー・シェパードは日本国内でも活動しており、特に和歌山県太地町ではシー・シェパードの工作員が常駐し、現地のイルカ漁に対して悪質な嫌がらせ攻撃を積極的に行い続けているのです。
日本側の弱気な対応では、シー・シェパードをさらに増長させ、場合によっては犯罪・テロ同然の行為によってより多くの日本人の生命と財産が危機に晒されることにもなりかねません。
実際、シー・シェパードはアメリカをはじめとする各国でテロ組織としての指定を受けて監視下に置かれているという事実もあるのですから。
日本でも警視庁公安部がシー・シェパードを監視しているらしいとの噂が囁かれていますが、それとは別に、明確な妨害活動に対して「撃沈」をも含めた断固たる措置というのは取れないものなのでしょうかねぇ。
日本が断固たる措置を取らないからこそ、シー・シェパードに舐められているのだと思えてならないのですが。

コミック版「大奥」検証考察6 【「生類憐みの令」をも凌駕する綱吉の暴政】

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コミック版「大奥」検証考察6回目。
今回の検証テーマは 【「生類憐みの令」をも凌駕する綱吉の暴政】となります。
過去の「大奥」に関する記事はこちら↓

映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
コミック版「大奥」検証考察2 【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】
コミック版「大奥」検証考察3 【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】
コミック版「大奥」検証考察4 【支離滅裂な慣習が満載の男性版「大奥」】
コミック版「大奥」検証考察5 【歴史考証すら蹂躙する一夫多妻制否定論】

徳川3代将軍家光の時代に(作品的にも歴史考証的にも全くもって支離滅裂かつ非論理的ながらも)導入されることになった「大奥」世界における武家の女子相続システム。
本来は変則的かつ緊急避難的に導入されたはずのそのシステムを絶対的なものにしてしまう事件が、徳川5代将軍綱吉の時代に発生します。
その事件の名は、「忠臣蔵」で有名な元禄赤穂事件。
何故この事件が武家の女子相続に関係するかというと、その理由は、事件の発端となった松之大廊下の刀傷事件を引き起こした浅野内匠頭、および吉良邸に討ち入った大石内蔵助をはじめとする赤穂浪士47士中の42人が「史実同様に」男性であったことにあります。
赤穂浪士の吉良邸討ち入り、および町民はおろか幕閣の中にすら赤穂浪士達を擁護する意見があることに激怒した徳川5代将軍綱吉は、感情の赴くままに以下のような発言を行うことになります↓

「これより先、武家において男子を跡目とする旨の届出は全てこれを認めてはならぬ!!
浅野長矩の刀傷然り、赤穂浪士の討ち入り然り…。遠き戦国の血なまぐさい気風を男と共に政から消し去ってしまえ!!」
(コミック版「大奥」5巻P195)

この発言が、「大奥」世界の日本における武家の女子相続を決定的なものとし、以後、女子相続が慣習として確立することになってしまうわけです。
……しかし、よくもまあこんな愚劣な発言が「大奥」世界で素直に受け入れられたものだなぁ、と私はむしろそちらの方が疑問に思えてならなかったのですけどね。

件の綱吉の発言には重大な問題がいくつも存在します。
その第一は、そもそも件の発言自体が「討ち入りを行った赤穂浪士達に対する幕府の評定(処分)」の一部として行われていることです。
実際に徒党を組んで他家を襲撃した赤穂浪士達に何らかの処分が下ること自体は、当の赤穂浪士達自身も覚悟していたことでしょうし、家族や旧赤穂藩に所属していた武士達にまで類が及ぶ可能性さえもあるいは承知の上だったかもしれません。
ところが綱吉の発言は、武士階級における全ての男子の存在自体を一方的に断罪している上、吉良邸討ち入りに全く関わっていない武家の相続に対してまで口を出す形になってしまっています。
赤穂浪士達を重罪人として磔獄門にでもすべきだ、と主張している人間でさえ、全く身に覚えのない吉良邸討ち入りの件を口実に、何より大事な自家の相続に余計な口を出されてしまうとなれば、何が何でも赤穂浪士達の処罰に反対する側に回らざるをえないでしょう。
しかも綱吉の時代では、まだ江戸城に参台している武家の男子も少なからず存在していますし、彼らは将軍と顔を合わせる度に「遠き戦国の血なまぐさい気風の象徴」として罵られる可能性まで存在するのですからなおのことです(4巻で綱吉が越後高田藩の継承問題の再裁定を行っている場に参台している武士達は女性と男性が混在している)。
事件とは全く関係のない他人にまで不安を覚えさせ、下手をすれば反感・敵意まで抱かせてしまうような評定を行うなど、論外も良いところではありませんか。

そして件の綱吉の発言があくまでも評定の一部である以上、赤穂浪士達に対する幕府の評定そのものがあまりにも不当なものであると評価されざるをえなくなります。
赤穂浪士達に切腹を命じた綱吉の評定でさえ、作中における町民達からの評判は散々なものでした。
それに加えての綱吉の発言は「赤穂浪士達に対する鬱憤を赤の他人にまで叩きつけている」「男に何か恨みでもあるのか」などといった悪評を追加してしまうことにもなりかねません。
さらに作中における発言当時の綱吉は、ただでさえ「生類憐みの令」をはじめとする失政の数々で評判が地に落ちている有様です。
そんな綱吉の、しかも出発点からして武士・町民問わず多大な反発と敵視が発生するであろう発言に、慣習として万人に受け入れられる余地があるとは到底思えないのですが。

綱吉の発言を現代の事件でたとえると、尖閣諸島沖での中国漁船衝突問題で、海上保安庁の一職員である一色正春がビデオを流出させた件を口実に、当時の民主党政権が「事件の再発を防止するため、海上保安庁そのものを廃止し、その全職員に対し罪を問う」と宣言するようなものです。
尖閣ビデオを流出させた一色正春を民主党首脳部が逮捕・起訴しようとするのに対してさえ、国民からの反発が凄まじかったことを考えれば、ましてや海上保安庁そのものを悪と断罪して廃止するとまで明言しようものなら、当時の民主党政権の支持率はこの時点で一桁台にまでガタ落ちし、さらには大規模な倒閣運動すらも発生しかねなかったでしょう。
しかし、コミック版「大奥」における綱吉は、それと同じ類の発言を、しかも武士階級全体をターゲットにやらかしているわけです。
いかに綱吉の発言が酷いシロモノであるのか、これだけでもお分かり頂けるのではないでしょうか。

第二の問題点は、武家の男子相続の禁止が、徳川3代将軍家光(女性)の遺訓に明らかに反していることです。
太平の世が長く続いた江戸時代ではとにかく事なかれ主義が横行しており、「祖法(昔からの決まりごと)を変えるべからず」という考え方が支配的でした。
そして、春日局の死後、自分が女性であることを正式に公開した家光(女性)は、武家の女子相続について「あくまでもこれは“仮”の措置である」と重臣一同の前で公言しています。
それに真っ向から刃向かっている綱吉の発言は、自分の母親である家光(女性)に対する裏切り行為とすら解釈されかねず、この観点から保守的な武士達からの反感を買うことにもなりかねません。
なまじ徳川家に忠誠を誓っている人間であればあるほど、祖法を蹂躙する発言をやらかしている綱吉には反感を抱かざるをえないところでしょう。
実際、後の徳川6代将軍家宣に仕えた新井白石はまさにそういう考え方の持ち主でしたし、綱吉の死後、家宣はその新井白石の進言を受け、件の綱吉の発言を「生類憐みの令」と共に廃止しています。
第一の理由と併せ、身内を含む武士階級の人間全てを敵に回しかねないという点で、男子相続の禁止令は愚行としか評しようがないのです。

ただ、かくのごとく愚劣な法令であったとしても、それが長い年月の間運用されていれば、江戸時代における「祖法を変えるべからず」の慣習も相まって民衆の間に定着する、ということはあったかもしれません。
徳川5代将軍綱吉の時代における悪政の象徴としてしばしば取り上げられ、20年以上もの間君臨し続けた「生類憐みの令」も近年では見直し評価が行われており、「綱吉の時代にまだ残っていた戦国時代の荒々しい風潮を一掃した」「殺生を禁ずることで治安が改善した」などといった肯定論もあります。
「生類憐みの令」は、長く続けられることによって初めてその効果を民衆の中に浸透させることができる法律だったのであり、だからこそ綱吉もその死の間際に「生類憐みの令だけは世に残してくれ」と遺言した可能性だって考えられるのではないでしょうか。
これから考えれば、妄言の類としか評しようのない綱吉の発言も、「長い年月をかければ」慣習化する可能性も充分にありえたわけですね。

ところがここでも(綱吉にとっては)不幸なことに、綱吉の男子相続を禁止する発言は、それが慣習として根付く時間すら満足に与えられていないのです。
それは綱吉の発言がいつ行われたのかを見ればすぐに分かることです。
元禄赤穂事件における赤穂浪士47士による吉良邸討ち入りが行われたのは、元禄15年12月14日(1703年1月30日)。
それに対し、「生類憐みの令」が廃止されるきっかけとなった綱吉の死去が宝永6年1月10日(1709年2月19日)。
件の綱吉の発言は「生類憐みの令」と一緒に廃止されていますので、武家における男子相続の禁止はわずか6年弱しか続いていなかったことになります。
貞享4年(1687年)から始まったとされる「生類憐みの令」と比較しても3分の1以下の期間しかありません。
ただでさえ綱吉の発言は評価ボロボロで多大な反発やサボタージュを招きかねないようなシロモノだというのに、たったの6年弱でどうやって慣習として定着するというのでしょうか?

しかも、綱吉の発言は「赤穂浪士達に切腹を命じて以降」の男子相続届出を認めないとするものであって、それ以前に認められている男子相続者については当然何の拘束力も発生しません。
たった6年弱では、「赤穂浪士達に切腹を命じる以前に認められていた男子相続者」がそのまま生き残る可能性も少なくないのですから、なおのこと女子相続が慣習として定着する可能性は低くなると言わざるをえないでしょう。
さらに、その時期の綱吉は(江戸時代当時としては)すでに老齢でいつ死ぬかも分からないような状態にあったのですし、綱吉の後継者と目された家宣は「生類憐みの令」にも綱吉の発言にも否定的だったのですから、「犬公方(綱吉の蔑称)が死ぬまで数年程度待てば良い、家宣様が将軍になれば元に戻るから」と考える人間も少なくなかったのではないでしょうか。
綱吉の男子相続禁止令が慣習として根付くには、前提となる条件が根本的に不足しているようにしか思えないのですけど。

前回の検証考察で取り上げた一夫多妻制否定論といい、今回の綱吉の発言といい、「大奥」世界で男女逆転を発生させるための世界設定がここまでズタボロな惨状で、一体どうやって作中のような「大奥」世界が成り立っているのか、私としてはいよいよ深刻な疑問を抱かざるをえないところですね。
男女逆転の過程を描いていると豪語するからには、当然社会システムの変遷およびそれに伴う問題点などについても少しは説得力のある理論や解決方法を提示しているのではないかと期待してもいたのですが……。

さて、次回の検証考察では、「大奥」世界における男性の立場やあり方について考えてみたいと思います。

無意味な対中ODAをなお続けようとする外務省

中国の国内総生産(GDP)が日本を抜いて世界第2位になっているにもかかわらず、日本の外務省は対中国向けの政府開発援助(ODA)を継続したいとの方針を表明しているのだそうです。

http://megalodon.jp/2011-0215-1449-26/www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2011021502000035.html

しかもこの期に及んでさえ、対中ODAを増額すべきだという意見さえもあるのだとか↓

http://megalodon.jp/2011-0216-1416-55/sankei.jp.msn.com/politics/news/110112/plc11011220490118-n1.htm

外務省はODAを継続すべき理由として「中国の環境対策や両国の交流が進めば日本の国益にかなう」などと主張しています。
しかし、そもそも中国は日本から経済援助を受けているという事実を大部分の国民の目から隠蔽しているばかりか、その事実を知る少数の人間でさえも、ODAを「戦争賠償金だ」と豪語して恥じることもないような国です。
そして、これまで30年以上にわたって日本が対中ODAを続けているにもかかわらず、中国の日本に対する外交スタンスは年を追う毎に却って硬化していくばかりです。
その極めつけが、2010年9月に尖閣諸島沖で発生した中国漁船衝突事件だったわけでしょう。
そういう事情を鑑みてなお対中ODAの継続のみならず増額まで提唱するというのは、外務省関係者や政府高官が中国に弱みでも握られているのか、あるいはキックバック利権の旨味が忘れられないとかいった類の要因くらいしか考えられないのですが。

ODAが実は善隣外交の道具として何の役にも立たないという事実は、日本のみならずアメリカも少なからず経験しています。
アメリカは1980年代前半頃、アメリカが経済支援をしている国の多くが、国連でアメリカを非難する決議に賛成票を投じたり、アメリカの意向に基づいた決議に反対したりしているという事実に直面しています。
たとえば、1980年代当時エジプトは、アメリカから年間20億ドルのODAを供与されながら、国連では平均で4回中3回はアメリカの意向と反対の投票をしていました。
ODAへの依存度が高かったばかりかアメリカとの同盟国でさえあったはずのトルコやギリシャでも、国連総会ではアメリカに反対する投票が全体の6~7割を占めるという始末でした。
ODA善隣外交のあまりに逆効果的な惨状に驚愕したアメリカは、1984年から国連における各国の投票状況とアメリカから支出されたODA額を並べて発表する方針を固め、各国に対する圧力をかけるようになります。
アメリカの事例を見れば分かるように、ただODAを無条件に出すというだけでは善隣外交など期待すらもできようはずがありません。
ましてや、自国よりもGDPが高い国にODAを出すなど問題外でしかないのです。

常日頃から「仕分け」という名の大衆パフォーマンスと必要経費の削減に血道を上げ、さらにはそれでも飽き足らずに増税までほざくようになった民主党は、こういう「正真正銘の無駄ガネ」をこそ本当に仕分けしなければならないのではないですかね?
まあ民主党にとっての「日中友好」ならぬ「中日主従関係」は、たとえ日本国民からの支持率を削減してでも尊重しなければならないスローガンなのですから無理な相談ではあるのでしょうけど。

そして、その民主党以上に中国を拝謁せんばかりに礼賛し、中国が犯す如何なる犯罪行為でさえも極右の国粋主義者のごとく正当化してのける我らが田中芳樹御大にしてみれば、日本が対中ODAを停止するなど「神への反逆行為」以外の何物でもないでしょう(笑)。
創竜伝の作中でも、内乱勃発寸前で滅亡予定の極貧国だった中国を、何の説明もなしに突然「日本をも凌ぐ経済大国」に格上げした前科があるのですから、田中芳樹の中国に対する狂おしい愛情は疑う余地もありません(爆)。
次回の薬師寺シリーズか、あるいは(今後永久に出ない可能性すらありますが)創竜伝14巻で、日本の「神をも恐れぬ所業」を徹底的に罵り倒す衝動に田中芳樹が駆られることなど一切ないと、一体誰が自信をもって断言できるというのでしょうか(苦笑)。

ほとんど進んでなかった「髑髏城の花嫁」の執筆

社長氏のツイートで、久々に「髑髏城の花嫁」の執筆状況が発表されました。

http://twitter.com/adachi_hiro/status/37137723781287936
<今日の田中さん。編集さんに『髑髏城の花嫁』の原稿を50枚ほど渡せたみたい。「50枚書くのに何ヶ月掛かっているんですか!」と言いたい気持ちをぐっと抑えて、「わぁ、頑張りましたねえ」と言う私。子どもは褒めて育てる主義なんだけど、私より16歳も年上の人を相手に、それはないよなあ。>

理論社が倒産した2010年10月から「現在執筆中」以外の具体的な執筆状況報告が途絶えていたので不思議に思っていたら、何とも凄まじい遅筆ぶりを披露していますねぇ(苦笑)。
10月から原稿50枚を執筆し続けていたと仮定しても、2日に1枚以下のペースでしか上がっていない計算になりますし。
もはや体調不良という言い訳も通用しないというのに、まだ体調不良「のつもり」ででもいるのでしょうかね、田中芳樹は。
こんな調子では、冗談抜きで本当に「今年(2010年ではなく2011年)の晩秋」に完成、などということにもなりかねないのではないでしょうか。
「らいとすたっふ」が発表する田中芳樹の執筆スケジュールって、下手な占い並に当てにならないシロモノとしか言いようがありませんね(-_-;;)。

映画「太平洋の奇跡-フォックスと呼ばれた男-」感想

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映画「太平洋の奇跡-フォックスと呼ばれた男-」観に行ってきました。
大東亜戦争(太平洋戦争)で激戦が繰り広げられたサイパン島のタッポーチョ山で徹底抗戦を続け、民間人を守り通した大場栄大尉(通称フォックス)率いる47人の日本兵達の物語。
元アメリカ海兵隊のドン・ジョーンズがまとめた長編実録小説『タッポーチョ「敵ながら天晴」大場隊の勇戦512日』を原作とするノンフィクション作品です。

大東亜戦争(太平洋戦争)の最中にある1944年、6月に行われたマリアナ沖会戦で勝利し、事実上戦争の勝敗を決したアメリカ軍は、当時日本領だったサイパン島南部に上陸。
アメリカ軍は圧倒的な装備と兵力で島の日本軍を圧倒、追い詰められた日本軍は7月7日にバンザイ突撃を敢行、少なからぬアメリカ兵を道連れにして全滅することになります。
しかし、今作の主人公である大場栄大尉は、この突撃に参加しながらもかろうじて生き残り、さらに日本軍から離れて戦う堀内今朝松一等兵をはじめとするヤクザ物の集団に出会います。
生き残りを図るために互いに共同戦線を張り、アメリカ軍の索敵から身を隠しつつ安全な場所を求めて歩き回った末、一向は水がある一軒の廃屋に辿り着きます。
ヤクザ物達が水を求めて狂喜するのを尻目に、廃屋の中を調べる大場大尉。
するとそこには、両親を殺されカゴの中で放置されていた赤子の姿が。
赤子を連れて行くことは困難であるとヤクザ物達から言われた大場大尉は、アメリカ軍に保護してもらうべく、赤い布切れの目印を廃屋の玄関先に垂らしてその場を後にします。
その後大場大尉一向は、サイパン島中部にあるタッポーチョ山へと向かい、仲間達を集めつつ、アメリカ軍への抵抗を続けていくことになります。

一方、アメリカ軍ではバンザイ突撃後も日本軍の残党狩りが行われていました。
しかし、圧倒的優位の戦力差と勝勢に慢心しているためか、日本軍残党を舐めまくっているアメリカ軍。
日本に留学経験を持ち、日本語も堪能なハーマン・ルイス大尉が「彼らを侮ってはいけない」とたしなめるものの、大多数のアメリカ兵達は態度を改めようとしません。
そして案の定、大場大尉率いる部隊の山岳&ジャングルという地形を活かしたゲリラ戦により、少なからぬ死傷者を出してしまうアメリカ兵達。
一向に日本兵を捕まえられない現状に苛立ちを覚え始めたアメリカ軍は、何千人もの兵士を使った大規模な山狩りに打って出るのですが、それでもほとんど戦果は挙げられず犠牲は増えるばかり。
そんな中、徹底抗戦でアメリカ軍を翻弄する日本人指揮官を、アメリカ軍は畏敬の念を込めて「フォックス」と呼ぶようになります。
そしてハーマン・ルイス大尉は、サイパンのアメリカ軍収容所で保護している日本人の証言から、その「フォックス」が大場栄大尉であることを突き止めるのです。

映画「太平洋の奇跡-フォックスと呼ばれた男-」は、史実のサイパンの戦いで敗退していく日本軍がメインで描かれているため、ストーリーはお世辞にも明るいとは言えたものではないですね。
まあ、結末は「一兵残らず玉砕」ではなく、ちゃんと日本に帰還できる終わり方をしているので、その辺りは救いだったりするのですが。
サイパン島に駐留しているアメリカ軍は、民間人に対しても比較的寛大なスタンスで迎え入れていましたし、日本軍に対しても「フォックス」に好意的なハーマン・ルイス大尉が降伏交渉に臨んだりしています。
戦時中、最大の激戦地となったガダルカナル島では、日本軍は捕虜にされることすらなく徹底的に虐殺された事例が多々あったわけですし、それに比べればサイパン島はすくなくとも流血が少ないまとめ方ができたと言える方でしょう。
また、降伏交渉の際、大場大尉が「日本軍はアメリカ軍に降伏できないが、上官からの命令であればそれに従う」という形で事実上降伏を受け入れたシーンは結構印象に残りましたね。

日本軍を扱った戦争物としてはそこそこに良く出来ている方なのではないかと。

憲法違反&精神的に苦痛だから夫婦別姓を認めろ裁判

以前に取り上げたネタの続報になりますが、夫婦別姓を認めない民法の規定は憲法違反であり、立法の不作為で精神的苦痛を受けたとして国家賠償を求める提訴が、いよいよ2月14日に行われるのだそうです。

http://megalodon.jp/2011-0213-1510-18/www2.knb.ne.jp/news/20110211_27054.htm

この中で、富山市在住の75歳の女性が自分の経歴を公表した上で「こんな自由で民主主義の国なのに、なんで、個人の意思が通らないのか」などと述べています。
しかしこの女性、離婚すれば元の姓に戻ることを知っていて、なおかつそれを1度実践した過去まで持っているんですよね。
本当に「元の姓に戻りたい」「あたしの存在そのものです」とまで言い切るのであれば、何故「再度」離婚をして元の姓に戻ろうと考えないのでしょうか?
ペーパー離婚で形の上だけ離婚した上で、実質的には変わらない事実婚な家族生活を営めば何の問題もないはずでしょうに。
「自由で民主主義の国」だから何でもかんでも「個人の意思が通」ると考えているのならば、それは大きな間違いです。
個人のワガママで異論も多い制度を勝手に変えるなど、むしろ「自由で民主主義の国【だからこそ】」あって良いことではないのですが。
というかそれ以前に、そこまで自分の姓にこだわりを持つのであれば、そもそも結婚すらするべきではなかったと思うのですけどね。
夫や子供を愛していないどころか憎しみすら抱いているのではないかという疑念すら、この女性の発言からは感じずにはいられないのですが。

夫婦別姓推進論者として少なからぬ関心を抱いているであろう我らが田中芳樹御大も、これを聞いたらさすがに唖然とするのではありませんかね?
現行民法における「夫または妻どちらかの姓に合わせること」という条項を鑑みても、この女性が自分の姓を名乗らなかったのは自己責任の範疇でしかありませんし。
こんな個人のワガママレベルなタワゴトが、夫婦別姓推進側の代表的な理論というのですから、何とも笑えてくる話ではあるのですが……。

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