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イタリアの原発反対国民投票と原発廃止の試算

イタリアで原発の再開を問う国民投票が行われ、投票率57%の反対93%でイタリア政府の原発再開計画が否決されました↓

http://ow.ly/5gYmW

原発反対派がここぞとばかりに「日本も原発廃止のバスに乗り遅れるな!」と気炎を上げそうな記事ですね。
しかしヨーロッパ諸国では、国家間で不足分の電力の融通が自由に行えるという特殊な事情があります。
特に原発大国フランスは各国に多くの電力を融通しており、イタリアもその恩恵を多々受けているのです↓

http://ow.ly/5gYnj

イタリアで反対されたのは「自国内に原発を誘致し自国内で発電する」ことについてのみであり、フランスの原発からの電力融通は現行通りそのまま継続されるわけです。
結局イタリアの「脱原発」というのは、本来自国が背負うべきリスクと負担をフランスに押し付け、恩恵だけを得ようという極めてエゴイスティックなシロモノなのです。
こういうのって「偽善の脱原発」でしかないのではないでしょうか?

また、経済産業省所管の日本エネルギー経済研究所が、全ての原発が停止して火力発電で代替する場合、1ヶ月あたりの標準家庭の電気料金が1000円値上がりするとの試算結果を発表しました。
石炭・天然ガス・石油の調達コストが3.5兆円分も新たに発生するためで、さらに夏場では、発電能力が最大消費電力を7.8%下回り、全国規模の電力不足に陥る可能性があるとのこと↓

http://megalodon.jp/2011-0614-0957-20/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110613-00000156-jij-bus_all

「標準家庭で1ヶ月1000円の電気料金値上げ」ということは、企業や工場・公共機関などではさらに大きな経費負担になることは自明の理です。
それらは標準家庭の数万~10万軒以上もの電力を使っている事例も珍しくないのですから。
製品の製造費も当然上がるわけですし、列車などの公共交通機関の経費なども上昇せざるをえなくなります。
電気料金が上がるということは、電気を使う製品や消費財全ての経費もまた上がるということをも意味するわけで、これでは全体的な物価上昇は避けられないでしょう。
ただでさえ冷え込んでいる経済に、さらに追い討ちをかけるような事態は論外もいいところなのですが、今の感情的な原発忌避の「空気」ではそれも是認されてしまいそうな雰囲気です。
どうせ料金値上げにすぐ耐え切れなくなり、今度は「電力を安定供給しろ!」「電力料金を値上げするな!」と叫び出すことなど最初から目に見えているのですが。

映画「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」感想

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映画「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」観に行ってきました。
アメリカのマーベル・コミックのアメコミ「X-MEN」シリーズのスピンオフ作品。
歴史上の事件であるキューバ危機を舞台に「X-MEN」に登場するプロフェッサーXとマグニートーの若き日の活躍を描いた物語となります。
ただ私の場合、過去の「X-MEN」シリーズの映画版は、同じくスピンオフ作品で2009年公開の「ウルヴァリン:X-MEN ZERO」しか観たことがなく、本編3部作は全く観ていなかったりします(^^;;)。

全ての始まりは1944年まで遡ります。
ユダヤ人で後のマグニートーとなるエリック・レーンシャーは、ナチス・ドイツのホロコーストに巻き込まれ、母親から引き離されてしまいます。
その際、周囲の兵士達の制止を引き摺って強大な力を行使したエリックを、当時ナチス党に所属しシュミットと名乗っていたセバスチャン・ショウが目をつけます。
セバスチャン・ショウはエリックの目の前で母親を殺すことでその力を引き出させることに成功し、その代償としてエリックから多大なまでの憎しみを買います。
エリックはその後、ナチス狩りに精を出しつつ、セバスチャン・ショウの行方を追うことになります。
一方、後のプロフェッサーXとなるチャールズ・エグゼビアは、同じ1944年に食糧を盗むため自分の家に侵入してきたミスティークと出会います。
チャールズは自身の異能である読心能力でミスティークの正体を見破ると共に彼女を受け入れ、以後ミスティークはチャールズの義妹として成長していくことになります。
ミスティークは最初チャールズのことが好きだったようで、チャールズと恋人関係になるモイラ・マクタガートに嫉妬心を露にしていたりします。
ちなみにミスティークは多情な女性なのか、作中ではチャールズ→ハンク→エリックと、とっかえひっかえ的に男に惹かれていた感がありましたね(苦笑)。

プロフェッサーXとなるチャールズと、マグニートーことエリックの2人が出会ったのは1962年。
そのきっかけは、エリックが目の仇にしているセバスチャン・ショウの陰謀にありました。
彼は当時の米ソ冷戦を煽って第三次世界大戦を勃発させ、両者が共倒れした世界で自分が全人類の支配者になることを目的に、当時の米ソの政軍関係者を裏から操っていたのでした。
セバスチャン・ショウはまず、ラスベガスでアメリカの軍関係者と接触し、彼を通じて対ソ核ミサイルをトルコに配備させ、ソ連を刺激することに成功します。
しかしその際、CIAエージェントであるモイラ・マクタガートが偶然一部始終を目撃。
テレポートや身体をダイヤモンドに変異させるミュータント能力に驚いたモイラ・マクタガートは、エリックに協力を求めることになります。
一方、首尾良く計画の第一段階が上手く行ったセバスチャン・ショウは、滞在していたクルーザーで仇として狙っていたエリックからの襲撃を受けます。
エリックはクルーザーをズタズタに破壊したものの、肝心のセバスチャン・ショウには仲間のミュータント共々クルーザーに格納されていた潜水艦で逃げられてしまいます。
この時、生命の危険も顧みず海に潜っていく潜水艦を追わんとするエリックと、テレパス能力を駆使してセバスチャン・ショウの居場所を突き止め近くでマークしていたチャールズが、ここで初めて邂逅するのです。
最初は隔意ありげに接していたエリックもやがてチャールズと打ち解け合い、2人は無二の親友関係になっていきます。
そして、セバスチャン・ショウとそのミュータント仲間の力に対抗するため、2人は世界各地に散らばっているミュータント達を集め始めます。
その際、前作である「ウルヴァリン:X-MEN ZERO」の主人公であるローガンに2人が声をかけ、「おととい来い」と返されてあっさりと去っていくサービスシーンが挿入されています。
この辺りはシリーズ物ならではのお約束と言ったところでしょうか。

一方、セバスチャン・ショウの画策はさらに進み、ソ連の高官を操ってついにキューバに核ミサイルに配備させる決断を下させることに成功。
これが歴史上の事件でもあるキューバ危機に繋がり、そしてこのキューバ危機を舞台にチャールズ・エリックとセバスチャン・ショウがそれぞれ率いるミュータント同士の戦いが繰り広げられることになるわけです。

映画「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」は、CGを駆使したSFXな描写もさることながら、キャラクター毎の人間ドラマなエピソードにも力が入っていますね。
プロフェッサーXが何故いつも車椅子に乗っているのか?
マグニートーが何故いつもヘルメットを被っているのか?
その他、「X-MEN」シリーズに纏わる様々な謎や設定が今作で分かるようになっています。
また、ミュータントであるが故にそれぞれの登場人物達が抱え込んでいる葛藤や決断なども上手く描写されており、ある意味SFXな描写以上に見所のひとつですね。
ただ、物語終盤で自分達の主人をエリックに殺されたセバスチャン・ショウの旧部下達が、いともあっさりとエリックに乗り換えたのには少々疑問を覚えずにはいられませんでした。
比較的新参で飛行能力を持つエンジェルはともかく、テレポート能力を駆使する赤悪魔風のアザゼルと、竜巻を繰り出すリップタイドは「いかにも忠臣」的なスタンスだったというのに。
母親を殺されたエリックのごとく主人の仇を討とうとは考えなかったのでしょうか、彼らは。
もっとも、彼らがセバスチャン・ショウにどれくらい忠誠を誓っていたのかについては議論の余地もあるでしょうし、彼らにしてみれば「自分達の目的が達成できるのであれば上司は誰でも良い」的な心境だったのかもしれませんが。
セバスチャン・ショウもエリックも、「母親殺し」というただ1点において対立していただけで、ミュータントと人間に対する認識と目的はどちらも同じでしたからねぇ。

あと同じく終盤、あそこまで対立が決定的になったのですから、どうしてエリックは自分にとって将来的な脅威となるであろうチャールズを、下半身不随状態になったのに乗じてチャッチャと殺しておかなかったのかと、物語の整合性を損ないかねない疑問も覚えてしまったものでした。
あの状態だったら赤子の手を捻るよりも簡単だったはずなのですけどね、後のプロフェッサーXことチャールズの殺害は。
もちろん、本当にそんなことをしてしまったら、その後の「X-MEN」シリーズのストーリーは全部消えて無くなってしまうのですから、シリーズ作品的には当然のごとく不可能な話だったでしょう。
しかし作品論的に見れば、マグニートーことエリックにとって、プロフェッサーXことチャールズとの今後の対立はあの時点で充分に予測できるものだったはずですし、作中でも無辜の米ソ兵士達を無差別虐殺する決断を躊躇なく下していたはずのエリックが、変なところで甘いなぁとは思わずにいられませんでしたね。
ここで虫の息だったチャールズを殺しておかなかったばかりに、エリックは後々余計な苦労をする羽目になったと思うのですが。

映画「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」の製作会社である20世紀フォックス社は、今作を「新三部作の1作目」として位置づけているのだそうで、シリーズ構想自体が中止に追い込まれなければ続編があと2つは製作されることになります。
ストーリー的にも演出的にもまずまずの出来な今作を見る限り、続編も充分に期待できそうではありますね。

関西電力の節電15%要請と電力問題

関西電力が、真夏の電力ピークの需要を抑えるため、管内の企業や一般家庭に昨年夏の15%程度の節電を要請すると正式発表しました。
他の電力会社に対する電力融通も中止する方針とのこと。

http://megalodon.jp/2011-0610-1740-07/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110610-00000044-mai-soci

以前から何度も述べていることではあるのですけど、原発の代替案が未だない現状で、しかも全国的な停電の危機を招いてまで、原発を止める必要なんてあるのでしょうか?
原発停止による電力不足や計画停電がどれほどまでの大混乱と経済的な停滞をもたらすのかは、震災直後から関東地方で行われた計画停電の事例が示しているでしょうに。
アレはまだ「発電所の多くが震災で壊れすぐには稼動できなかったから」という事情もあったのですが、今度の問題、特に西日本についてはそれすらもないわけです。

既に起こってしまった福島第1以外における原発事故の想定は、所詮「将来起こるかもしれない危機」でしかなく、未だ可能性のレベルで論じるべきシロモノでしかありません。
それに対し、原発停止による電力不足および計画停電は「今後発生するのが確実な危機」であり、かつすぐにも対策を必要とする「目の前に差し迫った問題」なのです。
危機対処の優先順位は後者の方が上のはずでしょうに、どうして前者の問題を後者のそれより最優先課題にしなければならないのでしょうか?

菅直人ことカンガンスの何の役にも立たないばかりか有害極まりない原発停止パフォーマンスのせいで、今や「原発停止にあらずんば人にあらず」的な【空気】が日本全土に充満しています。
しかし、実際に「自分の生活が脅かされてまで原発を止めて良い」という覚悟を本当に持っている人間なんて圧倒的少数派でしかないでしょう。
いざ本当に原発を止めて電力不足・計画停電という事態が招来した時、それまで原発反対・全面停止賛成を叫んでいた人達は、掌を返すかのごとく「電力を何とかしろ」「電力料金値上げ反対」と呼号するのは目に見えています。
そして、そういう事態を招いた自分達の責任には頬被りを決め込むのもお約束というものです。
原発廃止が決して簡単なものではないからこそ、長期的に取り組んでいかなければならないのに、原発の即時停止を絶叫する人達の何と短絡的かつ感情的なことか…。
今回の原発問題では、長期的視野に基づいた利害や打算よりも【その場の空気】を優先する日本の風土の、もっとも悪い一面が出ているとすら言えるのではないでしょうか。

原発の災害対策を強化しつつ、当面の間は現行の原発を使い続ける。
そして原発の代替エネルギーの開発と商用実用化を推進していき、それが達成された段階で初めて原発の廃止を実現する。
それ以外に「国民の生活を守りつつ原発を全廃する」現実的な方法なんてないと思うのですけどね。

不起立界のジャンヌ・ダルク?

入学式や卒業式における君が代斉唱の際、一切起立しない教師達の理論的支柱であり「不起立界のジャンヌ・ダルク」なる異名を持つ元女性教師がいるのだそうです。

http://megalodon.jp/2011-0609-2010-57/news.livedoor.com/article/detail/5620651/

君が代斉唱の際の不起立で、しばしば都教委から減給や停職の処分を受けていたのだそうですが、今年無事に定年退職することになったのだそうで。
そもそも「不起立界」なる業界がこの世に存在すること自体驚きなのですが、こんな変なことに生きがいを見出してしまう不良教師の存在は、ヤン・ウェンリーもビックリでしょうね。
ヤンでさえ、別に起立義務があるわけではなかったトリューニヒト演説の万歳唱和を無視していただけなのに、この手の教師達は「起立義務の命令」に真っ向から背いているのですから。
ああいう不良教師を見ていると、あの程度のことで異端視されていたヤン・ウェンリーの何と小さなことかとつくづく考えてしまいますね(苦笑)。

もちろん世界標準から言えば、こんな不良教師が存在しえるのは日本くらいなものなのですが。
愛国心というものを教育現場で普通に教えている外国であれば、こんな教師は処分どころか下手すれば逮捕すらされてしまう可能性が高いのですから。
たとえ言論・思想の自由が認められている国であっても、自国の国旗・国歌に敬意を払うのは当然であり、それを教育現場で子供達に叩き込むのもまた当然のことであるとされています。
そんな常識を、法で強制しなければ全く顧みることのない教師が続出するなどという事象は、世界中探しても日本にしかない珍事でしょう。
もっとも、当の日の丸・君が代反対論者でさえ、何故自分達が日の丸・君が代に反対しているのか? 反対した後に何がしたいのか? について答えられる人はほとんどいないのではないかと思えてならないのですけどね(爆)。

映画「マイ・バック・ページ」感想

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映画「マイ・バック・ページ」観に行ってきました。
学生紛争の末期となる1969年から1972年の日本を舞台に、雑誌記者と自称革命家との出会いから破滅までを描く、妻夫木聡と松山ケンイチ主演の作品です。

この映画は、1971年8月21日の夜に実際に起こった「朝霞自衛官殺害事件」を元に作られています。
「朝霞自衛官殺害事件」とは、東京と埼玉にまたがる陸上自衛隊朝霞駐屯地で、当時歩哨任務についていた一場哲雄陸士長が「赤衛軍」と名乗る新左翼グループに殺害された事件のことを指します。
犯行現場には「赤衛軍」の名称が入った赤ヘルメットやビラが散乱しており、また殺害された一場哲雄陸士長が左腕に付けていた「警衛」の腕章が無くなっていました。
「赤衛軍」はこの事件まで全く問題を起こしたことがなく、組織犯罪を担当する公安にとってもノーマークかつ正体不明な存在でした。
ところが、1971年10月5日発売の週刊誌・朝日ジャーナルに「謎の超過激派赤衛軍幹部と単独会見」という記事が掲載され、そこに一般に公開していなかった「警衛」の腕章についての記述があったことから、警察はこの取材源について徹底的な捜査を進めます。
結果、日本大学と駒澤大学の学生3人が捜査線上に浮上、同年11月16日と25日に相次いで逮捕されます。
またこの事件では、当時朝日ジャーナルの記者だった川本三郎が、犯人から「警衛」の腕章を受け取り燃やしていたことや、週刊プレイボーイの記者が犯人達に逃走資金を渡していたことなども判明し、両名は「犯人蔵匿及び証拠隠滅の罪」で逮捕されています。
この時逮捕され、懲役10ヶ月・執行猶予2年の有罪判決を受けた川本三郎が「朝霞自衛官殺害事件」についての自己の体験を綴った回想録が、この映画の原作となる「マイ・バック・ページ」です。
今作の主人公で妻夫木聡扮する沢田雅巳のモデルが、原作者である川本三郎自身ということになるわけですね。

一方、「赤衛軍」ならぬ「赤邦軍」のリーダー格となるのが、松山ケンイチ演じる梅山(本名は片桐優)。
梅山は、思想活動サークルで学生紛争の目的について問われた際、問いかけた相手に「お前は敵だろ!」と逆ギレした挙句、自分の意見に従えないものは出て行けなどとのたまう、ディベートの論者としてはどこかの山○弘を想起させる、何ともお粗末な人物です。
さらには虚言癖まであり、犯行が発覚して逮捕された後における警察の事情聴取では、すくなくとも自衛官殺害を指示していたわけではない京大全共闘議長の前園勇を首謀者に仕立て上げるウソの供述を始める始末。
アジトでは、仲間達が隣の部屋で待機している中、防音性の欠片もない一室で女性隊員を垂らし込んでズッコンバッコンよろしくやっているシーンまでありましたし、その癖その女性にカネの調達を要求したりするなど、人間としてもあまり好感が抱けるような人物ではなかったですね。
物語の最後では、半ば功名欲から事件を起こすに至ったことを告白していましたし。
ただ一方では、主人公である沢田雅巳を上手く利用したり、自分達を利用しようとした反戦自衛官・清原(本名は荒川昭二)を逆に追い込んだりするなど、したたかで微妙にカリスマ性のある人物でもあったりします。
カリスマ性のあるエゴイスト、というのが人物像になるでしょうか。

映画「マイ・バック・ページ」では、「朝霞自衛官殺害事件」以外にも実際に起こった事件が取り上げられています。
物語序盤では、東大安田講堂事件の最中、日比谷の全国全共闘連合結成大会に出席・演説しようとしていた東大全共闘議長・唐谷義朗が、彼の取材をしていた主人公の面前で逮捕される事件が発生していますが、この唐谷義朗のモデルは、当時やはり東大全共闘議長を務めていた山本義隆という人物です。
事件の経緯も、逮捕された大会の会場が日比谷というのも全く同じですし。
また、作中で主人公が憧れの職場として配属を希望していた東都ジャーナルは、1971年に雑誌の回収騒動が起こっているのですが、これも同じく1971年3月19日号の朝日ジャーナルで発生した雑誌回収事件がモデルだったりします。
この回収事件は、雑誌の表紙が女性のヌードだったことと、同雑誌に掲載されていたマンガ「櫻画報」の最終回となるこの号で、朝日新聞の社章が日の出のように水平線から昇る絵に「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」という文が添えられ、さらに「朝日は赤くなければ朝日ではないのだ」などとキャプションがつけられたことが朝日新聞本社で問題となり、同誌の回収が決定されたというもの。
事件後、朝日ジャーナルでは編集長が更迭された他、61名の人事異動がなされ、雑誌自体も2週間にわたって休刊となります。
作中では「アサヒ」の部分が別の表現に置き換えられていましたが、やはり同じように問題となり、現実の回収事件と同じように大規模な人事異動が行われ、そこへ元から配属を希望していた主人公も配属される、という形になります。
しかしまあ、当時から朝日新聞で既に行われていた中国・北朝鮮礼賛報道、後年に次々とやらかしていくことになる教科書・南京・サンゴ捏造虚報事件、さらには近年における「ジャーナリスト宣言」や自民党に対するバッシング、さらには対民主党向けの「報道しない自由」の行使などに見られる愚劣な偏向報道の数々を鑑みるに、この当時の朝日ジャーナルは全くもって正しいことを述べていたように思えてならないのですけどね(苦笑)。
作中の朝日ならぬ東都新聞本社の社会部記者が主人公に対して放った台詞も凄まじいまでに傲慢なシロモノでしたし、「ああ、朝日はやはり当時からずっと朝日だったのだなぁ」と思わず頷いてしまいましたね(爆)。
朝日新聞のスタンスは今現在も昔とほとんど変わっていないばかりか、むしろ悪化すらしている始末ですし。

作中の描写として気になったのは、主人公が梅山へ協力したことについて警察から事情聴取を受けた際、「取材源について明かすわけにはいかない」を繰り返すばかりで、証拠隠滅を図った事実や逃走資金を供与した問題については全く何も言及していない点ですね。
特に後者の場合、「取材源の秘匿」云々は全く何の関係もないのですし、それが「犯罪」であることを自覚できなかったわけもないでしょうに。
まあ、自分の「犯罪」を率先して認めるわけにもいかないから「我が身可愛さ」に自白を拒んでいた、という面もあったのでしょうが、「取材源」云々以外の問題についてどのように考えていたのか、モノローグでも良いから語っている場面が欲しかったところです。

最初から最後まで陰々滅々な雰囲気に満ち満ちていましたし、明るい要素がどこにも見当たらない映画と言えます。
1970年代テイストは上手く再現できていたようで、年配の人には「懐かしい」と思わせるものがあったようなのですが、それ以降に生まれた人間としては「単なる歴史の1ページ」以外の感想など抱きようがありませんでしたし。
「当時の歴史を振り返る&検証する」という目的であればそれなりに楽しめるのかもしれませんが、エンターテイメントしての盛り上がりを期待すると痛い目を見ることになる作品でしょうね。

銀英伝外伝舞台版「オーベルシュタイン編」の公演が正式発表

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銀英伝舞台版公式サイトが更新されました。
6月公演予定の双璧編に続く舞台として、前回社長氏によってフライング発表されたオーベルシュタイン編の公演が正式に発表されています。
完全なオリジナルストーリーで、2011年11月3日~11日に公演予定とのこと。

銀英伝舞台版公式サイト
http://www.gineiden.jp/
オーベルシュタイン編公演予定発表
http://www.gineiden.jp/oberstein/

ミッターマイヤー&ロイエンタールについては、主役ではないにしても断片的に過去のエピソードが語られている記述が、原作の複数箇所(惑星カプチェランカの戦いや2人の出会いの話など)にあったのですが、オーベルシュタインにはそういうものすら全くないわけです。
ストーリー構成の予測など全く立てようがありませんし、一体どんな話になるのか大いに気になるところです。
双璧編にしてからが、今に至るまでストーリーの内容も主演以外の配役も全く公開されていないわけですし、オーベルシュタイン編もそうなる可能性がきわめて濃厚なのですけどね。

ただ、ここまで外伝で舞台話を引っ張られると、正伝の第二章になるはずの「自由惑星同盟編」やそれ以降の話を一体いつやるつもりなのかと、こちらについても疑問が出てきます。
観客からは見えない舞台裏でどんな「大人の事情」が繰り広げられているのやら。

ところで、「数日間の舞台公演期間中で18000人を動員した」というのは、舞台的には成功の部類に入るのでしょうか?
銀英伝舞台版第一章「銀河帝国編」では通算15回の公演を行っていて、青山劇場の収容人数が1200人ですから、15×1200=18000人と算出しているのでしょうけど。
映画だったら製作費用と興行収益でだいたいの成功の基準が分かるのですが、舞台についてはこれまでほとんど関わったことがないこともあり、その手の基準がイマイチ分からないんですよね。
まあ全国、場合によっては全世界公開の映画と、1劇場限定でしかも数日間15回公演しかない舞台では、単純な比較はできないでしょうけど。

カンガンスの「俺は辞めるつもりはない」発言

内閣不信任案否決後における菅直人ことカンガンスが周囲に漏らしていた「俺は辞めるつもりはない」という発言が悪い意味で話題を呼んでいます。

http://megalodon.jp/2011-0603-1855-29/www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00200720.html

とんち小僧の一休さんのごとき「言葉遊び」を、まさか政治の世界で垣間見ることになるとは思ってもいませんでしたが、わざわざあんな「勝利宣言」など出してカンガンスに何の利益があったというのでしょうか?
辞める時期を明確にした上での辞意表明であればまだ評価もされたでしょうに、アレではただの権力亡者以外の何物でもありませんし。
与野党問わず反発が強まり、風当たりがこれまで以上に悪くなったという点でも、カンガンスにとっては大いにマイナスでしょう。
日本国首相としても、「首相の言うことは信用できない」と国民のみならず外国からも見られるようになってしまったわけで、日本の国益の観点から言っても多大な損失とならざるをえません。
この期に及んでもカンガンスが首相でいることをなお支持する人が、今の日本にどれだけいるというのでしょうか?

創竜伝世界における首相、いやそれ以下のレベルですらある一国の総理大臣というシロモノを、まさか現実の世界で目の当たりにするとは思ってもいませんでしたし、そんな現実は招来して欲しくもなかったのですがね。
そんな男の政権基盤が、よりによって自分が熱烈に支持しているであろう民主党政権だというのは、作者である田中芳樹にとっては何よりの皮肉だったでしょうけど(苦笑)。

カンガンス内閣の不信任案が民主党の反対多数で否決

自民・公明・たちあがれ日本の野党3党が共同提出した内閣不信任案は、2日午後の衆議院本会議で採決され、賛成152・反対293で否決されました。
民主党から造反者が大量に出るとの観測で注目されていましたが、実際には十数名が投票を棄権しただけだったようです↓

http://megalodon.jp/2011-0602-1745-32/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110602-00000573-san-pol

内閣不信任案が成立して衆議院解散となり、民主党が選挙で消滅することが何よりの東北および日本の再建に繋がるはずだったのですが、何とも残念な限りですね。
民主党の造反者が少なかった理由としては、菅直人ことカンガンスが「震災対応に一定のめどがついた段階で若い世代に責任を引き継いでいきたい」と自発的な退陣表明を行ったことで、小沢一郎が内閣不信任案に賛同しないよう自分の派閥に呼びかけたのが大きかったようです。

http://megalodon.jp/2011-0602-1609-48/sankei.jp.msn.com/politics/news/110602/stt11060212480010-n1.htm

しかし、今までのカンガンスの行状を見ていると、これもまた「口先だけの政治パフォーマンス」でしかないのではないかと思えてならないのですけどね。
それしかやってこなかったからこそ、今回の内閣不信任決議案提出にも繋がったわけなのですし。

それにしても、2年前の与野党逆転以来、アレほどまでの失政を積み重ね続けながら民主党政権の何と頑強なことか…。
かつての自民党政権時代は「カップラーメンの値段を間違えた」「漢字が読めない」「額に絆創膏を貼っていた」程度のことで大臣が辞任に追いやられたり、支持率が低下したりしたものなのですがねぇ(T_T)。
まあこれも、民主党が大好きな偏向マスコミの多大な支援と、何よりも民主党議員の厚顔無恥な体質の産物ではあるのでしょうけど。

正直、民主党にはもう政権与党どころか野党すらも担って欲しくはないですね。
政権与党としてのグダグダぶりはもちろんのこと、野党に戻れば戻ったで、これまでの行状を忘却し去って例のカップラーメンや漢字テストのごとき下らない揚げ足取りに突っ走るのは確実なのですから。
できれば社民党未満のレベルまで壊滅してもらいたいところではあるのですが。

民主党支持者であろう田中芳樹的には「ほっと一息」といったところなのでしょうが、大多数の国民にとっては傍迷惑もいいところの民主党の茶番劇、一体いつまで続くことになるのでしょうか?

銀英伝外伝舞台版についての話題2つ

どうやら6月公開予定の銀英伝外伝舞台版の稽古が本格的に始まったようですね↓

http://twitter.com/adachi_hiro/status/75141874536558592
<今日は舞台「銀河英雄伝説」外伝の顔合わせだった。アンサンブルのメンバーにも、前回の第1章に出演していただいた方が数名いらっしゃった。「またお世話になります。どうぞよろしく!」とご挨拶してきました。>

http://a-hiro.cocolog-nifty.com/diary/2011/05/post-44db.html
<6月22日の初日まで、もう1か月を切っていますが、素晴らしいスタッフ/キャストに恵まれ、私としては成功を確信しています。
 どうぞ怪我にだけは気をつけて、頑張って欲しいと思います。>

しかし、実はこの期に及んでも銀英伝舞台版公式サイトは全く更新されていなかったりします↓

銀英伝舞台版公式サイト
http://www.gineiden.jp/

前回の舞台の際には定期的に更新を繰り返して情報を小出しに提供していく宣伝戦略で集客性をアップしようという努力の形跡が垣間見られたのですが、今回はその宣伝戦略がかなり疎かになっている印象が否めませんね。
舞台公演1ヶ月前になってさえ、主人公2人以外のキャラクター配役もストーリー内容も全く不明のままですし。
前回と異なり、今回は完全なオリジナルストーリー&オリジナルキャラクターで構成されている可能性が濃厚ですから、あえて秘密主義に徹している面もあるのかもしれませんが、こうまで宣伝がないと逆に不安になってきますね。
まさか「原作レイプ」なストーリーを展開するわけではないのでしょうけど……。

あと、社長氏の非公式なPOPの公表によると、次の銀英伝舞台版として「オーベルシュタイン編」なるものが公演の予定なのだとか。
公演日程は2011年11月3日~11日で、場所は東京都渋谷区文化総合センター大和田さくらホールとのこと↓

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オーベルシュタインが主役のストーリーなんて、いよいよもって内容の予測などできないのですが、色々と引っ張りますねぇ>銀英伝舞台版。
個人的には外伝よりも正伝の第二章「自由惑星同盟編」の動向が気になるところなのですが。

映画「プリンセストヨトミ」感想

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映画「プリンセストヨトミ」観に行ってきました。
作家・万城目学による同名の長篇小説を原作とする、大阪国と会計検査院の間で繰り広げられる駆け引き、および家族の絆を描いた作品です。
TVドラマ&映画版「SP 警視庁警備部警護課第四係」シリーズで好演した堤真一が主人公だったことが、今作をチョイスした最大の理由となりました。

このことは誰も知らない。
2011年7月8日金曜日 午後4時のことである。
大阪が全停止した。

こんなキャッチフレーズから始まる物語冒頭。
各所にひょうたんが掲げられた状態で誰もいなくなった大阪の街を、ひとりの女性が驚愕の表情を浮かべながら歩いている光景が映し出されます。
かくのごとき衝撃的な事態にまで至ったそもそもの遠因は、7月8日から遡ること4日前の7月4日月曜日に、東京の会計検査院から3人の人物がやってきたことにあります。
今作の主人公にして「鬼の松平」の異名を取る会計検査院第六局副長・松平元(まつだいらはじめ)。
冒頭にあった無人の大阪の街を歩いていた会計検査院第六局所属の女性・ミラクル鳥居こと鳥居忠子。
そして、今回の大阪出張が会計検査院第六局としての初仕事になるらしい、日本人とフランス人のハーフの男性・旭ゲーンズブール。
会計検査院とは、国および国の出資する政府関係機関の決算・独立行政法人および国が補助金等の財政援助を与えている地方公共団体の会計などに関する検査を行い、会計検査院法第29条の規定に基づく決算検査報告を作成することを主要な任務としている組織です。
簡単に言えば、公的機関の決算や会計で無駄や不正が行われていないかをチェックするのを仕事とする組織ですね。
法律上は行政機関となるのですが、内閣に対し独立した地位を有していることが日本国憲法第90条第2項および会計検査院法第1条で定められており、国の公的な機関でありながら、立法・行政・司法の三権いずれからも独立しているという非常に特殊な組織でもあります。
会計検査院所属の3人は、大阪の各公的組織の決算・会計を調査するため、東京から大阪へやってきたわけですね。

大阪各所にある公的機関は、緊張の面持ちで会計検査院の面々を迎えます。
もちろんその理由は、陰で色々な不正や無駄などをやらかしているため、それがバレることに戦々恐々としていることにあるのですが。
しかし、最初の調査対象機関である大阪府庁では旭ゲーンズブールによって30万前後の不正支出が、次の空堀中学校ではミラクル鳥居の「怪我の功名」によって事務がらみの不正がそれぞれ暴かれていきます。
大阪府庁と空堀中学校のチェックを終えた会計検査院の一行は、次の調査対象である財団法人OJO(大阪城址整備機構)がある長浜ビルへと向かいます。
この時の調査は何事もなく終わるのですが、ミラクル鳥居の駄々こねで長浜ビルの正面に位置しているお好み焼き屋「太閤」で食事をすることになった際、松平元がOJOに携帯電話を忘れたことから、事態が意外な方向へと動き出します。
「鬼の松平」が携帯を忘れる、という描写は作品冒頭にもあるのですが、この辺りは何となくSPシリーズの「いつも手錠を忘れる」主人公のことを想起せずにはいられませんでしたね(苦笑)。

それはさておき、携帯を取りに再びOJOに行くと、さっきまで働いていた職員達の姿が全くありません。
OJOに電話をかけても目の前にある電話は全く鳴ることがなく、デスクの引き出しの中も空っぽの状態。
不審に思った松平元は、翌日再びOJOを訪ね、昨日の件についての説明を求めるのですが、OJOの経理担当である長宗我部はのらりくらりと質問をかわし、なかなかボロが出てきません。
大阪中の人間に片っ端から電話をかけまくり調査するという手段に打って出ても不正の証拠は何も出てくることがなく、松平元以外の2人は半ば諦めムード。
しかし、OJOの表向きの管理対象である大阪城について調べていった結果、大阪城の緊急脱出用の抜け穴がOJOに通じており、そこから職員が出入りしているのではないかという仮説を、松平元は導き出します。
そして、OJOの長浜ビルのロビーにあった、曰くありげな扉がその出入り口ではないかと踏んだ松平元は、OJOに乗り込み長宗我部に扉を開いて中を見せるよう要求するのですが、長宗我部は頑強にこれを拒否。
業を煮やした松平元がさらに強硬に要求しようとした時、突如後ろから「私がご案内致します」という声がかけられます。
松平元が振り返ると、そこにいたのは何とお好み焼き屋「太閤」の店主・真田幸一。
扉の中は長い廊下が続いており、その先にあったのは国会議事堂モドキな光景。
半ば呆然とする松平元に対し「ここは大阪国議事堂です」と説明をする真田幸一。
そして「大阪国?」と訝しがる松平元に対し、真田幸一は高らかに宣言するのです。
「私は、大阪国総理大臣・真田幸一です」と。

映画「プリンセストヨトミ」で「大阪国」なるものが建国されるに至った起源は、1615年の大坂夏の陣まで遡ります。
この戦いによる当時の大坂城陥落の際、豊臣家の血筋は絶えたとされているのですが、実は豊臣秀頼の幼い息子だった国松が難を逃れ、その血筋は細々ながらも続いていたのでした。
豊臣家は当時の大坂の民から親しまれていたこと、またその後に莫大なカネをかけて大坂城を再建し威勢を誇った徳川家に対する反発も手伝って、国松および豊臣家の血筋を守り抜くことを目的に、大坂城の地下に寄り合い所が作られたのが「大阪国」の起源であるとされています。
その後、明治維新の際に資金不足に陥っていた当時の明治政府が、資金調達を目的に「大阪国」を正式に国として承認する条約を「大阪国」と締結します。
条約では「大阪国はその存在を外部に公表してはならない」とも定められており、またその条約締結の際の文書には、大久保利通や西郷隆盛などといった明治の元勲達の署名もはっきり記されていたりします。
つまり「大阪国」とは日本国という主権国家から承認を受けているれっきとした「国」であるわけですね。
財団法人OJOも、「国」として公に出来ない「大阪国」の隠れ蓑ないしは出先機関であり、また「大阪城址整備機構」なる略称自体も実は全くの偽りで、その読み方もローマ字読みで「オージョ」、つまり「王女=プリンセス」という、映画のタイトルにもなっている「大阪国」が守るべき対象そのものを指す名称だったのです。
まさかそんな読み方をするとは思わなかったので、この辺は結構良い意味で意表を突かれましたね(苦笑)。

ただ、この話だとある疑問が出てきます。
それは、いくら国家の三権から独立した存在だとはいえ、会計検査院に「大阪国」を好き勝手に処分する権限があるのか、という点です。
先にも述べたように、「大阪国」は明治時代に当時の日本政府から国家としての承認を受けている「外国」であり、その領域は日本国の主権が及ぶところではありません。
会計検査院の調査対象はあくまでも「国内限定」であり、「外国」が調査対象、ましてや「取り潰し」の権限まで行使することは本来ありえないのです。
作中で財団法人OJOが調査対象になっているのは、実は「大阪国」の人間で、会計検査院を利用して「大阪国」の存在を外部に知らしめようとしていた旭ゲーンズブールの画策であることが明らかになっているのですが、実際問題、会計検査院ができるのってここまでが限界なはずなんですよね。
「外国」である「大阪国」でどんな不正や会計が行われていようが、そこに「日本国」の会計検査院が口を出したら、それは「他国に対する内政干渉」になってしまうのですから。
唯一、会計検査院が干渉できるところがあるとすれば、それはすくなくとも表面的な法理論上では「日本国の財団法人」として登録されているOJOだけしかないのですが、作中の松平元は明らかに「大阪国」を攻撃の対象にしています。
真田幸一をはじめとする「大阪国」の面々と対峙していた松平元は、一官僚の立場をわきまえずに日本国代表としての「他国に対する宣戦布告」を無断でやっているも同然だったわけで、これってかなり大問題になるんじゃないのかなぁ、と思えてならないのですけどね。
一方の「大阪国」の面々も、自分達が「正規の条約に基づいて日本国から正式に国家承認されている国である」という事実の強みをもっと大々的に主張すべきだったのではないかと。
「国の重み」というのは、たかだか会計検査院程度の組織くらい黙らせられる力を持つものなのですけどね、小なりといえども。

あと、作中における「大阪国」の人間って、物凄く宗教的かつ国家総動員的な体質を持っていますね。
大多数の人間にとっては一度も見たことがないばかりか正体すらも不明な「プリンセストヨトミ(豊臣家の末裔)」のために、あそこまでの総動員が短時間のうちにかけられ、しかもそのことに誰も疑問を持たないときているのですから。
物語のラストで真田幸一が大衆に向かって笑顔を見せた時も、皆熱狂的に歓喜の雄叫びを上げていましたし(苦笑)。
見様によっては、「アメリカ万歳主義」などとしばしば見当違いな揶揄をされるハリウッド映画が裸足で逃げ出してしまうほどの「右翼的」かつ「愛国心礼賛」な作品ですよね、これって。
まあ、作品および作者的にはそういう意図を込めてはいないのでしょうけど。

作品設定的には色々とツッコミどころが満載ですし、派手なアクションシーンやラブロマンスの類も全くありませんが、主演である堤真一・綾瀬はるか・岡田将生の3人の演技で結構点を稼いでいる映画でもありますね。
俳優さん目当てで映画を観る、という人にはオススメの作品かもしれません。

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