エントリー

映画「Black & White/ブラック&ホワイト」感想

ファイル 610-1.jpg

映画「Black & White/ブラック&ホワイト」観に行ってきました。
仲の良いCIAエージェントの2人が、ひとりの女性を巡ってスパイ能力とハイテク兵器の限りを駆使して恋の争いを演じるアクションコメディ作品。

物語はまず、今作の主人公となるCIAエージェントの2人、FDR(フランクリン・デラノ・ルーズベルト)・フォスターとタック・ヘンソンの仕事ぶりが披露されていきます。
2人は、カール・ハインリッヒという国際指名手配が大量破壊兵器を入手するのを阻止すると共に、彼を隠密裏に捕獲または殺害するという任務に従事していました。
大量破壊兵器の取引が行われる予定となっている香港の高層ビルに先回りして潜入し、その最上階で開催されていたパーティーの会場で女性を口説きつつ様子を伺う2人。
やがて予定通り、部下兼護衛および弟を引き連れてハインリッヒはやってくるのですが、ハインリッヒは取引相手を射殺しその場から逃走を図ります。
ここでFDRとタックは、ハインリッヒを逃がしてはならじと衆人環視の中でハインリッヒ一派に発砲を開始。
結果、ハインリッヒの部下と弟を殺すことには成功するものの、肝心のハインリッヒにはビルから飛び降りられパラシュートで逃げられてしまい、結局任務は失敗に終わってしまいます。
彼らの上司に当たる黒人女性CIA長官のコリンズは、任務に失敗したばかりか衆人環視で目立つアクションに走りマスコミの注目の的となった事実に激怒し、2人に対し謹慎処分を下すこととなります。

CIAエージェントとしての仕事が一時的にできなくなってしまった2人は、しかし良い機会だからとプライベートな生活を満喫することに。
タックは職業柄、CIAエージェントとしての自分の正体を隠し「旅行代理店の会社員」と身分を偽っているのですが、それが祟って子供も作ったはずの奥さんと離婚する羽目になった経歴を持っています。
今回の謹慎処分で時間を得た彼は、良い機会だからと、日本の柔道?を学んでいる子供の様子を観に行っていました。
しかし、父親の目の前で、相手の子供にボコボコにやられてしまうタックの息子。
タックが息子に話しかけても、息子は父親に隔意あり気な反応しか返すことがなく、そこへ息子を迎えに来た元奥さんと鉢合わせることに。
タックの元奥さんは、「これから別の男性とデートなの」とタックに言うと、息子を連れてその場から去ってしまうのでした。
自分の居場所がないことを思い知らされたタックは、FDRと相談した末、新しい恋に生きるべく、たまたまTVで宣伝されていた出会い系サイトに自分の名前を登録するのでした。

そのタックの出会い系サイトの登録に反応したのは、キッチン用の調理器具や電化製品などを取り扱う会社の重役を担っているローレン・スコット。
正確には、ローレンの女友達であるトリッシュが、ローレンに無断でローレンの名前を出会い系サイトに登録していたのがたまたまヒットしてしまい、最初はトリッシュに激怒したローレンが、タックを見て「この人カッコいい」とあっさりやる気になっただけなのですが(苦笑)。
ローレンは、かつて何もかも捨ててまで付き合っていた元カレに振られた挙句、新しい彼女まで紹介されてしまったことにショックを受け、その傷を癒している最中でした。
そこへ来てのタックの登場は、ローレンにとってもまさに「渡りに船」だったのでしょう。
彼女はすぐさまタックとデートすることを決意するに至ります。

一方、めでたくローレンと会うことになったタックは、親友のよしみでそのことをFDRに報告。
FDRはタックを支援するためにデートの様子を見張っていようかと提案しますが、さすがに「プライベートの侵害だから」とタックの方が拒否します。
その代わり、デートの現場に程近い場所でひそかに待機しておくことFDRは考えつきます。
しかし、このFDRの余計な気の回しがその後の騒動の元凶になるとは、この時一体誰が考えたでしょうか(笑)。
タックとローレンの初めてとなる出会いデート(喫茶店での会話だけ)そのものは特にトラブルもなく、むしろ互いに好感触を得るというベストな形で終了します。
しかし、タックと分かれたローレンがレンタルビデオショップに立ち寄った際、たまたまそこで張っていたFDRにナンパされてしまうのです。
ローレンは「軽薄なナンパ男」としてしかFDRを評価せず、すげなくあしらってその場を去ってしまうのですが、逆に興味を惹かれたFDRは、彼女の個人情報を調べて職場にまで押し寄せることに。
あまりにもしつこいFDRにキレかかるローレンでしたが、間の悪いことにそこへ新彼女を連れたローレンの元カレと鉢合わせしてしまいます。
変に見栄を張ろうとした彼女は、何とその場でFDRと濃厚なキスを交わしてしまい、元カレに「自分の新しい彼氏」としてFDRを紹介してしまうのでした。
そして、それがきっかけとなって、ローレンとFDRの関係も一転して良好なものとなっていきます。
しかし、互いに親友の間柄名上に共に同じ女性と仲良くなっているタックとFDRが、意中の相手がカブっている事実に気づくのにさしたる時間がかかるわけもありません。
2人はたちまちのうちに自分こそが相手を獲得すべく、CIA所属の諜報員やハイテク兵器を駆使した全面戦争に突入してしまうのでした。

映画「Black & White/ブラック&ホワイト」は、どちらかと言えばアクションよりも、下ネタ満載の会話と掛け合い漫才によるコメディタッチな部分に重点を置いている映画であると言えます。
ローレンとトリッシュの会話では、「FDRは手が小さい」「タックは英国人だから」などという、セックス的な問題を表すらしい陰語が登場しますし、トリッシュは「2人と寝て男性器の大きさや快楽の度合いを比較しろ」などとローレンを煽り立てる始末。
ローレンはローレンで、トリッシュの恋愛相談モドキな言動をいちいち真に受けて実行していたりしますし(苦笑)。
ちなみに、「手が小さい」の意味は作中でも説明されていて、「男性器(ペニス)が小さい」ということを婉曲に表現した陰語なのだとか。
一方で「英国人だから」については具体的な説明がなかったのですが、少し調べてみたらこんな記事が引っかかりました↓

イギリス人は遅漏、セックス耐久時間調査で明らかに。最短は6秒
http://digimaga.net/2009/10/british-men-have-more-stamina-in-bed
>  オランダ、ホラント州の研究者たちの調査によると、イギリス人男性はほかの国の男性と比べてセックスの耐久時間が長いことが分かりました。
>
>  この調査は5ヶ国、500人の男性に対して行われたもので、イギリス人男性は平均して10分間保てることが分かり、これが第1位。第2位はアメリカ人男性で、コチラは8分。三番手にはオランダ人男性の6分30秒が続きます。
>
>  そして4番手はスペイン人男性の4分54秒。最後はトルコ人男性で4分24秒とこれが最短でした。なお、調査に協力したユトレヒト大学では最短で6秒という結果の男性もいました。残念ながらこの男性の国籍は分かっていません。最長は52分間頑張れたそうです。
>
>  スポークスマンは、イギリスの大衆紙ザ・サンに対して「研究ではイギリス人男性が最も長いことが分かりました。コンドームの有無やサイズの大小による違いはありませんが、アルコールを飲んだ男性は通常よりも長く頑張れる傾向にあるようです」と語っています。
>
>  性医学ジャーナルで発表されたこの研究は、早漏のことを調べていました。早漏は、医学的には1分以上持続できない状態のことと定義されています。
およそ40%のイギリス人男性が早漏に苦しんでいるそうですが、この結果を見るにほかの国の男性はもっと苦しんでいることでしょう。ぜひ日本人男性も調査して欲しいところです。

この場合における「英国人」が指している意味合いというのは、FDRの件との整合性を考えると大体こんなところに落ち着くのではないかと。
念願叶って(?)FDRとセックスした際も、ローレンはわざわざトリッシュに感想を報告したりしていますし、それを受けたトリッシュはさらに煽り立てるしで、この辺りは本当に女性ならでは赤裸々かつ生々しい会話のオンパレードでしたね。
こんな少年少女の教育に悪影響を与えそうな会話が延々と繰り広げられている今作が、よくもまあPG-12指定にすらされなかったよなぁと、笑いと同時に奇妙なところで感心すらしてしまったほどです(苦笑)。

そして、それ以上に笑えたのは、FDRとタックに率いられたCIA下っ端諜報員達の活躍ですね。
たとえば作中では、絵画が趣味のひとつであるローレンを相手に、FDRが絵画のウンチク話を始めるシーンがあるのですが、そのウンチク内容はFDRの下っ端諜報員達が読み上げている文章を、FDRが通信機を介して聞き取ってしゃべると言う形で進行していました。
ところがそこで、タックに属する諜報員達が通信を乗っ取ってしまい、絵画についてデタラメな話を並べ立て始めてしまいます。
その内容がまたぶっ飛んでいて、「筆を使わず手で直接絵を描く」とか「手が塞がっている時はペニスで絵を描く」とか、ほとんど笑いを取りに行っているとしか思えないことをFDRにしゃべらせようとするんですね。
ローレンとFDRがセックス行為に及んでいる際には、その光景を興味津々で眺めていた上に(これは仕事だからですが)その全容をしっかりDVDに収めていたみたいですし。
FDRとタックは、下っ端諜報員達にローレン獲得のための作戦に従事させる際、動機と目的については「最高機密」を盾に口を濁しているのですが、下っ端諜報員達は早々に2人の対立構図に気づいていたみたいですからねぇ。
作中における下っ端諜報員達の描写を見ても、何もかも分かっていた上での確信犯で楽しんでいた感がありありでしたし。
FDRとタックの「当事者達は至って真剣なお笑い喜劇」以上に、彼らのコメディチックな活動にも笑えるものがありましたね。

今作は、過去作で言えば、映画「Mr.&Mrs.スミス」「ナイト&デイ」「キス&キル」などに相当する「コメディ重視のアクション作品」であろうと観賞前から当然のように考えていたので、その結果も案の定といったところでしたね。
全部、タイトル名に「&」がついている点も共通していますし(笑)。
逆に、恋愛やアクションメインで見ようとすると、今作は少々厳しいものがあるのではないかと。
その点では、映画「ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬」の路線に近い作品であるとも言えるのかもしれません。
全体的な評価としては、コメディ作品が好きな人にオススメ、といったところになるでしょうか。

映画「タイタンの逆襲」感想

ファイル 609-1.jpg

映画「タイタンの逆襲」観に行ってきました。
前作「タイタンの戦い」の続編で、ギリシャ神話の主神ゼウス・ポセイドン・ハデス3兄弟の父親で残虐な神クロノスとの戦いを描いた作品。
今作は2D版と3D版で同時上映されていますが、私が観たのは2D版となります。
前作の続編であるため、作中では前作を観ていないと分からない部分も少なからず出てきますが、基本的にアクション重視&単純なストーリー構成なので、前作を観ていなくてもそれなりには楽しむことができます。

前作「タイタンの戦い」で海の大怪獣クラーケンが倒されてから10年。
前作から引き続き主人公として活躍する、人間と神の間に生まれた半神半人(デミゴッド)であるペルセウスは、妻となったイオには先立たれたものの、彼女との間に生まれたひとり息子であるヘレイオスと共に、人間としての生活を営む日々を送っていました。
そんな彼の元にある日、彼の父親であるゼウスがやってきます。
何でも、前作の一件より人間が神々に祈りを捧げなくなってしまったことから、神々の力が著しく衰えてしまい、その結果、かつて冥界の奥に封印したゼウスの父親にしてタイタン族の巨神クロノスが覚醒しつつあるとのこと。
ゼウスは、クロノスが完全に復活すれば地上は地獄と化し、神々も人間も全て滅び去ってしまうため、それを阻止すべく手を貸して欲しいとペルセウスに依頼します。
しかし、ゼウスとは前作の一件で怨恨があるのに加え、息子を溺愛するペルセウスは「息子の傍を離れたくない」とこれを拒否。
しかたなくゼウスは、海神ポセイドンと、自身のもうひとりの息子である軍神アレスと共に、冥界の主であるハデスに協力を依頼すべく、地底へと向かうのでした。
ところが、既にハデスはゼウスに対する恨みからクロノスと手を組んでしまっており、そればかりかアレスまでもがゼウスを裏切りクロノスに加担する始末。
ただでさえ力が弱っていた上に奇襲的に裏切られたゼウスがこれに対抗する術はなく、ポセイドンは重傷を負わされ、ゼウスはあえなく虜囚の身となってしまうのでした。

一方、地上では、巨神クロノスが復活し始めた影響で、キメラがペルセウスのいる村を襲うという事件が発生。
息子を避難させつつ、何とかキメラを殺すことに成功したペルセウスは、そこで生命からがら地底から逃げてきたポセイドンから、地底で何が起こったのかを知らされることになります。
そしてポセイドンは、前作では王女として登場し、今では王位を継いで女王になっているらしいアンドロメダの下にいるという、ペルセウスと同じ半神半人であるポセイドンの息子と共に「堕ちた神」を探すよう告げ、自分の武器を授けた後に石化し崩れ落ちてしまうのでした。
彼は父親であるゼウスを助けるため、および人類、特に息子の破滅を回避するため、村の人達にヘレイオスのことを任せ、アンドロメダの元へと旅立つこととなるのですが……。

映画「タイタンの逆襲」は、上映時間が98分と前作106分より短めなためもあってか、ストーリー展開がとにかく早いですね。
序盤からすぐさま魔物との戦闘が始まりますし、アクションシーンも含めて目まぐるしく場面が変わります。
特に迷宮のシーンでは、迷宮自体が随時稼動し続けることも相まって、どこからどこへ移動しているのかも把握し難いものがあって、観客の視点では「気がついたら目的地に到達していた」というのが実態に近かったですし。

前作との違いで言えば、前作では煌びやかかつ力強さのあった神々の陣容が、今作では力の衰えを象徴するものなのか、全体的に弱々しい感じになっていた点が挙げられるでしょうか。
特に、聖闘士星矢の黄金聖衣を想起させる鎧を身に纏っていた前作のゼウスは、今作では終盤以外は鎧すらつけておらず、村の一般人よりはマシという程度の服装と風貌でしかありませんでしたし。
ポセイドンも序盤であっさり死んでしまいましたし、人間相手に圧倒的な強さを見せつけていたアレス以外はどうにもパッとしない感がありました。
こんなことになるのなら、前作で人間と対立なんかしなければ良かったのに、とついつい考えてしまいましたね(T_T)。

あと、今作のラスボスであるクロノスは、溶岩を纏った山よりも大きい巨大な巨人として描かれています。
しかし、一応はゼウス・ポセイドン・ハデスよりも格上の神であるにもかかわらず、作中ではただその巨大な図体にものを言わせて周囲に破壊を撒き散らすだけで、その点では前作のラスボスだったクラーケンと何ら変わるところがないんですよね。
戦場が海上&港町から荒地に変わっただけで、やっていることは全く同じでしたし。
一応は神、それも最上位に位置するであろう神なのですから、ただ溶岩を撒き散らすだけでなく、ゼウス達と同じような魔法攻撃や、神としての知性や威厳などを持ち合わせても良さそうなものなのですが。
台詞もあるにはあるのですが、その全てが「相手の名前をどことなく恨みがましく呼びかけるだけ」というシロモノでしかありませんでしたし。
作中の描写だけでは、単に図体と力がデカいだけのモンスターでしかなく、あれから何故ゼウス・ポセイドン・ハデスなどの神々が生まれたのかすらも理解に苦しむものがあります。
単なる魔物やクラーケンなどと一線を画する格別の存在であることを示すには、図体の大きさとは別の何がが、クロノスには必要だったのではないでしょうか?

ストーリー自体も単純明快ですし、あくまでも「アクションシーンを楽しむための作品」といったところでしょうか。
前作と同様に「可もなく不可もなく」な出来で、剣と魔法のファンタジー系なアクションが観たいという方であれば、とりあえず観ても損はない映画ですね。

銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察7

今の自分が置かれている現状を招いた責任のほとんど全てが自分自身にあるにもかかわらず、そこから目を逸らして他人を罵り倒し続けるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン。
まるでそうしないと生きていられないかのごとく、自分の責任を認めることを何が何でも拒絶するヴァレンシュタインは、必死の形相で格好のスケープゴートを探し始めるのですが、それがまたさらにトンデモ発言を引き出しまくるという悪循環を呈しているんですよね。
素直に自分の非を認めた方が本人もスッキリするでしょうし周囲&読者の人物評価も上がるのに、何故そこまでして「自分は正しく他人が悪い」というスタンスに固執するのか、普通に見れば理解に苦しむものがあります。
まあそれができる人間であれば「キチガイ狂人」と呼ばれることもなく、そもそも私が一連の考察を作ること自体がなかったわけなのですが、一体どのようにすればこんな人物が出来上がるのか、非常に興味をそそられるところです。
「作者氏が意図的に仕込んだ釣りネタ&炎上マーケティング戦略」といった類の作外の「大人の事情」的な要素を除外して物語内の設定に原因を求めるならば、ヴァレンシュタインの(今世だけでなく前世も含めた)家族や育てられた環境に致命的な問題があったということになるのでしょうが、それでもここまで酷いものになるのかなぁ、と。
あるいはもっと単純に、過去に何らかの理由で頭でも強打したショックから、脳の理性や感情を司る機能が回復不能なまでにおかしくなった、という事情も考えられなくはないかもしれませんが……。
今回より、「亡命編」における第6次イゼルローン要塞攻防戦で繰り広げられたヴァレンシュタインのキチガイ言動について検証していきたいと思います。
なお、「亡命編」のストーリーおよび過去の考察については以下のリンク先を参照↓

亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
http://ncode.syosetu.com/n5722ba/
銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-570.html(その1)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-571.html(その2)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-577.html(その3)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-585.html(その4)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-592.html(その5)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-604.html(その6)

ヴァンフリート星域会戦後の自爆発言で、本人が全く自覚することすらなく発生していたヴァレンシュタイン最大の危機は、「神(作者)の介入」によるものなのか、それに関わった登場人物全てが原作ですらありえないレベルの桁外れな無能低能&お人好しぶりを如何なく発揮したがために、誰ひとりとしてその存在に気づくことさえもなくひっそりと終息してしまいました。
自分が致命的な失態を犯したことも、類稀な幸運で命拾いしたこともこれまた当然のごとく知ることがないまま、能天気なヴァレンシュタインは「会戦を勝利に導いた英雄」として称賛され、二階級段階昇進を果たすこととなります。
もちろん、超重度の万年被害妄想狂患者である狂人ヴァレンシュタインがその結果に感謝も満足もするはずなどなく、不平不満を並べ立てるのは当然のお約束なのですが、そのヴァレンシュタインと同様に不満を抱いたのが、ヴァンフリート星域会戦でロクに活躍することができず嘲笑の的となった宇宙艦隊司令長官ラザール・ロボスです。
引き続き第6次イゼルローン要塞攻防戦を指揮することとなったロボスは、その腹いせとばかりにヴァレンシュタインとその一派を自分から引き離し隔離することとなります。
それに対するヴァレンシュタインの反応がこれ↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/20/
> 頭を切り替えよう、参謀は百人は居るのだが俺が居る部屋には三人しか居ない。俺とサアヤとヤンだ。部屋が狭いわけではない、少なくともあと五十人くらいは入りそうな部屋なのだが三人……。滅入るよな。
>
> 想像はつくだろう。ロボス元帥に追っ払われたわけだ。彼はヴァンフリートで俺達に赤っ恥をかかされたと思っている。バグダッシュは相変わらず世渡り上手なんだな、上手い事ロボスの機嫌を取ったらしい、あの横着者め。グリーンヒル参謀長は俺達のことをとりなそうとしてくれたようだが無駄だった。
>
>
心の狭い男だ、ドジを踏んだのは自分だろう。それなのに他人に当たるとは……。宇宙艦隊司令長官がそれで務まるのかよ。笑って許すぐらいの器量は欲しいもんだ。
>
>
まあ、俺も他人の事は言えない。今回はヤンにかなり当り散らした。まあ分かっているんだ、ヤンは反対されると強く押し切れないタイプだって事は。でもな、あそこまで俺を警戒しておいて、それで約束したのに一時間遅れた。おまけに結果は最悪、そのくせ周囲は大勝利だと浮かれている。何処が嬉しいんだ? ぶち切れたくもなる。
>
> しかしね、
まあちょっとやりすぎたのは事実だ、反省もしている。おまけにロボスに疎まれて俺と同室なった。ヤンにしてみれば踏んだり蹴ったりだろう。悪いと思っている。

「心の狭い男だ、ドジを踏んだのは自分だろう。それなのに他人に当たるとは……」って、発言した瞬間にブーメランとなって自分自身に跳ね返っているという自覚はないのですかねぇ、ヴァレンシュタインは(笑)。
これまで検証してきたように、ヴァンフリート星域会戦でラインハルトを取り逃した最大の原因は、他ならぬヴァレンシュタイン自身がラインハルトに関する情報提供と補殺目的の提示を怠ったことにあるのですし、1時間遅れた件に関しても、ヴァレンシュタインが救援のための無線通信を乱発したことに問題がある可能性が少なくないわけでしょう。
それにヤンは、なすべきことをやらなかったヴァレンシュタインと違って、すくなくともビュコックに対して補給基地へ向かうように進言すること自体はきちんと行っていたわけですし、それに反対されるのも、ビュコックがその発言を採用するか否かを決定するのも、基本的にヤンの一作戦参謀としての権限ではどうにもならない話です。
そして、そんな場合に強気に出れないヤンの性格も、当時のヤンとビュコックの関係も知悉していながらヤンを配置するよう手配したのも、これまたヴァレンシュタイン本人なのですから、当然その責任もまたヴァレンシュタインに帰するものでしかありません。
この3つの問題がない状態でそれでも同盟軍がしくじったというという想定であれば、ヴァレンシュタインの罵倒にもある程度の正当性が見出せるのでしょうが、現実は全くそうではないのです。
責任論の観点から言えば、ヴァンフリート星域会戦の失敗の責任は、どう少なく見積もっても95%以上、実際のところは限りなく100%近い数値でヴァレンシュタインに帰するものなのですから、その事実を無視してアレだけヤンを責めたのは、ロボスがヴァレンシュタインを遠ざける理由よりもはるかに不当もいいところです。
ヴァレンシュタインが本当に反省すべきなのは「ヤンを責めすぎた」ことではなく、「不当な理由と言いがかりでヤンを責めた」ことそれ自体にあるのです。
「ヤンを責めすぎた」では、「ヤンを責めた」こと自体は正しいことだったと断定しているも同然ですし、それでは結局「本当の原因と問題から目を背けている」以外の何物でもなく、本当の反省とは到底言えたものではないでしょうに。
「ドジを踏んだのは自分だろう。それなのに他人に当たるとは……」とは、むしろ逆にヤンこそがヴァレンシュタインに対して発言すべき台詞であるとしか評しようがないのですが。

そして私がさらにウンザリせずにいられないのは、自分の責任についてここまで無自覚な上に甘過ぎるスタンスを取っているヴァレンシュタインが、他人の過ちを糾弾する際には自分の時と比較にならないほど厳格極まりない態度を示していることです。
「亡命編」ではなく「本編」の話になるのですが、ヴァレンシュタインがラインハルトに愛想を尽かして敵対することを決意した際、こんなことをのたまっていたりするんですよね↓

http://ncode.syosetu.com/n4887n/66/
> 2だが、一番いいのはこれだ。門閥貴族たちを潰せる可能性は一番高い。しかし問題は俺とラインハルトの関係が修復可能とは思えないことだ。向こうは俺にかなり不満を持っているようだし、今回の件で負い目も持っている。いずれその負い目が憎悪に変わらないという保障はどこにも無い。
>
> こっちもいい加減愛想が尽きた。
欠点があるのは判っている、人間的に未熟なのもだ。しかし結局のところ原作で得た知識でしかなかった。実際にその未熟さのせいで殺されかけた俺の身にもなって欲しい。おまけに謝罪一つ無い、いや謝罪は無くても大丈夫かの一言ぐらい有ってもいいだろう。
>
> この状態でラインハルトの部下になっても碌な事にはならんだろう。いずれ衝突するのは確実だ。門閥貴族が没落すれば退役してもいいが、そこまで持つだろうか。その前にキルヒアイスのように死なないと誰が言えるだろう?

さて、「亡命編」におけるヴァレンシュタインは、たとえその内実がピント外れ過ぎる反省ではあったにせよ、ヤンに対して「悪かった」とは思っていたわけですよね?
ならば、そのヤンに対して全く謝罪しようともせず、もちろん「大丈夫か」の一言をかけようとすらも考えないヴァレンシュタインは、「本編」における【人間的に未熟な】ラインハルトと一体何が違うというのでしょうか?
しかも実際には、ヤンに対するヴァレンシュタインの罵倒責めは冤罪レベルで不当もいいところだったのですから、本来ヴァレンシュタインは、ヤンに対して謝罪どころか土下座までして許しを請うたり慰謝料を支払ったりしても良いくらいなのです。
ヴァレンシュタインの「未熟」などという言葉では到底収まることのない、幼稚園児以下のワガママと狂人的な電波思考に基づいて、八つ当たりと責任転嫁のターゲットにされたヤンこそ、いい面の皮でしかないでしょう。
自分と他人でここまであからさまに違うダブルスタンダードな態度を、しかもそれを整合するための具体的な理由すらも全く提示することがないからこそ、ヴァレンシュタインは人格的にも全く信用ならないのですが。
原作におけるヤンやラインハルト&キルヒアイスも、すくなくとも狂人ヴァレンシュタインなどよりは、自分に対してそれなりに厳しい態度を取っていたと思うのですけどねぇ(-_-;;)。
ヴァレンシュタインが同じく罵りまくっているロボスやフォークなどは、まさに「自分には甘いくせに他人にはとてつもなく厳しい性格」な人間であるが故に周囲&読者から白眼視されているのですし、一般的に見てさえもそんな性格の人間なんて、「人間的な未熟さを露呈している」どころか「傍迷惑なキチガイ狂人」以外の何物でもないでしょうに。
この期に及んでも、とことんまでに自分自身のことを自己客観視できない人間なのですね、ヴァレンシュタインは。

ところで、これまでの考察でも何度か書いているのですが、私は以前から「ヴァレンシュタインは何故『自身が転生者である事実』を徹底的にひた隠しにするのか?」という疑問をずっと抱き続けています。
あまりにも秘密主義に徹しすぎるので、「実はこいつは元々人間不信的な精神的障害か疾患でも抱え込んでいて、自分以外の他者を誰ひとりとして信じることができない体質なのではないか?」とすら考えたくらいでしたし。
これまでは「本編」も含めてヴァレンシュタインが転生の問題を秘密にする件について語る描写が全くなかったため、その理由については推測の域を出ることがなかったのですが、「亡命編」の22話でついにヴァレンシュタインが自身の転生問題について語っている場面が登場しました。
で、その部分が以下のようなモノローグとして表現されているのですが…↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/22/
> ラインハルトが皇帝になれるか、宇宙を統一できるかだが、難しいんだよな。此処での足踏みは大きい。それに次の戦いでミュッケンベルガーがコケるとさらに帝国は混乱するだろう。頭が痛いよ……。俺、何やってるんだろう……。
>
> おまけにヤンもサアヤも何かにつけて俺を胡散臭そうな眼で見る。何でそんな事を知っている? お前は何者だ? 口には出さないけどな、分かるんだよ……。
しょうがないだろう、転生者なんだから……。
>
>
せっかく教えてやっても感謝される事なんて無い。縁起の悪い事を言うやつは歓迎されない。そのうちカサンドラのようになるかもしれない。疎まれて殺されるか……。ヴァンフリートで死んでれば良かったか……。そうなればラインハルトが皇帝になって宇宙を統一した。その方がましだったな……。人類にとっても俺にとっても。
>
>
いっそ転生者だと言ってみるか……。そんな事言ったって誰も信じないよな。八方塞だ……。俺、何やってんだろう……。段々馬鹿らしくなって来た。具合悪いって言って早退するか?

……何ですか、この支離滅裂な論理は?
「本編」でも「亡命編」でも、持ち前の原作知識とやらを盛大に振る舞い、周囲から称賛と恐怖混じりの注目を浴びると共に多大な恩恵まで享受していたのは、一体どこの誰だったというのでしょうか?
ヴァレンシュタインと彼が持つ原作知識のために、「本編」および「亡命編」のラインハルト&キルヒアイスは本来被るはずもない災厄と破滅の運命を押しつけられたというのに、何とまあ被害者意識に満ちた発想であることか。
そこまで転生者としての自分の立場と原作知識が疎ましかったのであれば、そもそも原作知識など封印して何の才幹も披露することなく、また原作に関わる政治や軍事に関与することもなく、ごく普通の一般庶民としての人生を送っていれば良かったでしょうに。
ヴァレンシュタインが原作知識を駆使して原作の歴史を変えたのは、他の誰でもない自分のためでしょう。
誰に強制されたわけでもなく自分の意思で、原作知識を当然の権利であるかのごとく使い倒して(客観的に見れば)非常に恵まれた地位と立場にあるにもかかわらず、その原作知識に対してすら感謝するどころか不満さえ抱くヴァレンシュタイン。
こんな愚劣な思考で動いているのであれば、ヴァレンシュタインが同盟に亡命した際に謝意ではなく不平満々な態度を示していたのも納得ですね。
原作知識という「絶対的な世界の理」を持つ自分が他者と比べてどれだけ恵まれているのか、ヴァレンシュタインはもう少し思いを致し、その境遇に感謝すべきなのではないのかとすら思えてならないのですが。

そしてさらに問題なのは、一方では原作の歴史を変えるレベルで原作知識を使うことに躊躇がないくせに、他方では「転生者であるという事実」をありとあらゆる人間から隠すという、ヴァレンシュタインの非常に中途半端なスタンスにあります。
「本編」でも「亡命編」でも、ヴァレンシュタインは原作知識に基づいた的確な予測と判断で周囲を驚愕させ、その見識を称賛される一方、なまじ才幹があるラインハルトやキルヒアイス、ヤンなどから恐怖と警戒の目で見られるという問題を抱え込んでいました。
その恐怖の根源は、ヴァレンシュタインの神がかった(ように見える)手腕や才覚がどこから来るものであるのか理解できず、得体のしれない存在を見る目でヴァレンシュタインを評価せざるをえなかったことに尽きます。
「こいつは不気味だ」「何を考えているのか分からない」と見做される人間に恐怖と警戒心を抱くのは、動物の本能的に見ても至極当然のことなのですから。
しかし、もしヴァレンシュタインが自身の秘密を明かし、その原作知識を売り込みにかかっていれば、彼らの恐怖と警戒心を解消させると共に強固な信頼関係を獲得することも充分に可能だったのです。
もちろん、最初は当然のごとく「お前は何を言っているんだ?」という目で見られるかもしれませんが、原作知識を持つヴァレンシュタインがその存在を立証するのは極めて容易なことです。
実際、作中でもヴァレンシュタインの「預言」や「奇跡」は実地で何度も立証されているわけですしね。
そして一方、転生および原作知識の秘密は、何も全ての人間に共有させる必要もありません。
ヴァレンシュタインが自分の人生を託すべきごく限られた人間、「本編」ではラインハルト&キルヒアイス、「亡命編」ではシトレとヤン辺りにのみ、「信頼の証」「自分達だけの秘密」として教えれば良いのです。
原作知識から考えても、彼らならばヴァレンシュタインの秘密を「非科学的だ!」の一言で頭ごなしにイキナリ否定することはないでしょうし、立場的にも才覚の面で見ても、すくなくともヴァレンシュタイン単独の場合よりもはるかに有効に原作知識を活用することが可能だったでしょう。
何よりも、そういった有益な知識を供給してくれるヴァレンシュタインに、大きな利用価値を確実に見出してくれるはずですし、上手くいけばヴァレンシュタインが永遠に持つことのないであろう「恩義」というものも感じてくれたかもしれないのです。
何でもかんでも被害妄想を抱き、「恩は踏み倒すもの」「恩には仇で報いるべき」という信念でも持っているとしか思えないヴァレンシュタインには到底理解できない概念なのでしょうが、すくなくとも銀英伝世界ではヴァレンシュタインと違って「恩には感謝する」人間の方が数的には多いものでしてね(爆)。
自身の秘密をヴァレンシュタインが「限られた他者」に打ち明けるだけで、これだけの恩恵をヴァレンシュタインは得ることができたのです。

一方、そういった選択肢を取らなかったことで、ヴァレンシュタインがどれほどまでの不利益を被ってきたのかは、「本編」および「亡命編」の惨状を見れば一目瞭然でしょう。
「本編」でヴァレンシュタインがラインハルト&キルヒアイスと決別してしまったのも、「亡命編」でヴァレンシュタインが周囲、特にヤンから警戒されるようになったのも、突き詰めれば全てヴァレンシュタインの秘密主義が最大の元凶です。
そしてさらに「亡命編」では、ラインハルトの情報を同盟軍首脳部に事前に提供しなかったがために、ヴァレンシュタインが悔いても悔やみきれない「ヴァンフリート星域会戦におけるラインハルト取り逃がし」という結果を招くことになったわけでしょう。
これにしても、ヴァレンシュタインが自身の秘密とラインハルトによってもたらされる未来図を提示して殲滅を促していれば、目的が達成できた公算はかなり高いものになったはずなのですが。
「縁起の悪い事を言うやつは歓迎されない」「そんな事言ったって誰も信じない」というのは、転生という事実を目の当たりにしながら「科学教」という名の新興宗教の教義に呪縛されているヴァレンシュタインの、それこそ非合理的かつ「非科学的な」思い込みに過ぎないのです。
そもそも「非科学的」というのであれば、先のヴァンフリート星域会戦におけるヴァレンシュタインの自爆発言の数々に、作中の登場人物の誰ひとりとして何の疑問も疑念も抱かず、その重要性に気づきすらもしなかったことこそが、奇妙奇天烈な超怪奇現象以外の何物でもないのですし(笑)。
あの時点では誰も知りえない原作知識の話をあれだけ披露しても裏付けひとつ必要なく素直に信じてもらえるのであれば、「ヴァレンシュタインが転生者である」という突拍子もない秘密の告白だってすぐさま信じてもらえるでしょうよ(爆)。
正直、作中の描写から考えてもあまりにも無理のあり過ぎる論理としか評しようがなく、「転生の秘密を隠さなければならない理由」としては全く成り立っていないですね、ヴァレンシュタインの説明は。

それにしても、「転生」などという超常現象を目の当たりにしてさえ、「科学」の論理に束縛されて「非常識な【常識的判断】」をしてしまうというヴァレンシュタインの滑稽極まりない光景は、同じ田中作品である創竜伝や薬師寺シリーズで幾度も繰り返された「オカルトを否定しながらオカルトに依存する」あの構図をついつい想起してしまうものがありますね。
「科学」というのは事実を否定する学問などではないのですし、いくら科学的に説明不能な超常現象であっても、それが目の前に事実として現れた時、道を譲るべきは「科学」の方なのであって、「事実」を「科学」に合わせるなど本末転倒もはなはだしいのですが。
科学で本当に重要なのは「結論」そのものではなく「結論までに至る検証過程」なのであって、その過程を経て得られた「結論」だけを取り出し、ある種の権威として盲目的に信奉し他者を攻撃する武器として振り回すがごとき行為は、中世ヨーロッパの魔女狩りと同じシロモノでしかなく、むしろ科学を貶めるものですらあるでしょうに。
田中芳樹もそうなのでしょうが、ヴァレンシュタインもまた、その手の「科学の宗教的教義」の信奉者であると言えるのではないかと
「転生」などという一見不可解な現象を、証明の過程を経て他者を納得・信用させる、実はこれも立派な「科学」の手法なのですけどね。
まあ、科学の手法というのは相当なまでの根気と忍耐を必要とするものですから「それと全く無縁な人生を歩んできた狂人ヴァレンシュタインに果たして実践できるものなのか?」と問われると、私としては無条件で否定的な回答を返さざるをえないところではあるのですが(苦笑)。

次回も引き続き、第6次イゼルローン要塞攻防戦におけるヴァレンシュタインの言動について検証を続ける予定です。

日本社会に蔓延る「空気」の問題と対処法

よく日本社会では、口頭や文書などで命令されたりしていないにもかかわらず、自分の意思に反して半ば雰囲気的に非合理的な愚行への従属を余儀なくされてしまう事例が多々あります。
日本でこれまで生活したことのある人であれば、誰もが一度は「和を乱すな」「空気を読め」と言ったOR言われたことがあるのではないでしょうか?
しかし、この「空気」という概念は、自由な議論を問答無用で封殺し、責任回避の温床にもなっているという点で、社会に害悪しかもたらさないシロモノにしかなっていないんですよね。

「空気」の問題は何も最近になって突然発生したものではなく、戦前の時代には既に存在が確認されていました。
戦前の日本は、朝日新聞をはじめとする大手マスコミが煽りたてた「鬼畜米英」「進め一億火の玉」的な「空気」が世論を支配していましたし、映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実-」でもその様相がはっきりと描かれています。
戦前の軍国主義についてよく言われる「軍部が暴走して戦争への道を突き進んだ」というのも、実は世論という名の「空気」がそれを支持していたからこそ実現しえたものだったわけです。
また「戦艦大和の沖縄特攻作戦」などは、実行すれば確実に失敗することがあらゆる資料やデータなどから明らかだったにもかかわらず、「当時の空気ではああするしかなかった」として実施せざるをえなかったと、当時の軍関係者が証言していたという話があったりします。
「空気」などに従っても何も良いことはない、それどころか身の破滅に陥る危険性すらあることは、戦前・戦時中における愚劣な政策・作戦の数々が「空気」の名の下に問答無用で実施され、無用な損害と犠牲を出してきたことを振り返っても一目瞭然でしょう。
「空気」の危険性は、既に戦前の昔から警告されていたわけです。

比較的最近における悪しき「空気」の実例としては、2009年8月の衆議院総選挙、およびその前の自民党バッシングが筆頭的なものとして挙げられるでしょう。
当時の日本では、たかだか政治家がカップラーメンの値段や漢字の読みを間違えた程度のことで、汚職事件にも匹敵する一大スキャンダルであるかのごとく騒ぎ立てられ、政治面での実績など何も顧みられることなく「自民はダメだ! 民主党に政権交代を!」などと呼号される始末でした。
挙句、民主党が政権を取ったらどうなるかについて、いくつもの実例を元に当時から警告も行われていたにもかかわらず、「民主党に投票するのは当然のこと」という「空気」がそれらを全て押し潰して政権交代を実現させてしまいました。
その結果が今日の惨状であることは今更言うまでもありますまい。

また、2011年3月11日に発生した東日本大震災では、「震災自粛」と「反原発」という名の「空気」が醸成されました。
「被災者に配慮する」という大義名分の下、震災被害とは全く関係のない地域で異常なまでに蔓延した震災自粛という「空気」は、そのために倒産する企業まで出るほど猖獗を極め、悪戯に日本経済を痛めつけ却って震災復興を遅らせてしまうありさまでした。
今から考えると、あのバカ騒ぎは一体何だったのかとすら言いたくもなってしまいますね。
そして震災直後に発生した福島第一原発事故に端を発した「反原発」という「空気」は、原発再稼働問題をこれまた悪戯に拗らせ、今なお日本社会に電力供給面での不安と抱え込ませると共に経済への悪影響を与え続けるに至っています。

戦前の軍国主義・民主党による政権交代・震災自粛・反原発…。
その存在によってこれだけの愚行が何度も執拗に展開されるのに、未だに日本社会では肯定的に扱われている「空気」。
このような珍現象が発生するのは一体何故なのでしょうか?

「空気」の弊害は誰もが感じているところでしょうが、一方で、誰もが利益や恩恵を受けないような社会システムが存続などするわけがありません。
となると、実は「空気」にも万人に受け入れられるだけの利益や恩恵が存在する、ということになります。
それは普通であれば、金銭や社会的インフラ・領土・有形財産などの「誰もが目に見える形での分かりやすいものになるはずですが、「空気」の場合は全然違うんですよね。
「空気」があることで得られる利益を突き詰めていくと、その最たるものは「責任の所在が曖昧になる」「責任回避・免罪が受けられる」という点に行き着いてしまうんですよね。
記憶や記録として残る口頭や文書で他人に命令しているわけではないため、言質を取られる心配が一切ない。
あとで「何故あんな愚行をやらかしたんだ」と問われても「あの当時の空気ではああするしかなかった、俺が悪いんじゃない」と自己の責任を回避できる。
結果、誰ひとりとして責任を取ることなく全員が免責されるか、「みんなが平等に悪い」「みんなで責任を取ろう」などという結論に終始することになる。
これが「空気」によって得られる利益と恩恵なのです。
理論的に言えば、「空気」を煽りたてた人間と、それを無条件に信じ込んで迎合した人間は、当然のごとく相応の責任を問われる必要があるはずなのですが、日本ではそれすらもロクに行われることがありませんからねぇ。
つまり「空気」というのは、その扇動者と大衆迎合主義者にとって大変に都合の良い概念である、というわけです。
戦前の軍国主義的な「空気」を煽り、かつて自社がやらかしたサンゴ捏造報道事件のシンボルである「KY」という言葉に「空気を読め」などという新たな造語を付与してのけた朝日新聞社などは、まさにその典型例でしょう(笑)。
戦前の報道に関する朝日の弁明も、まんま「あの当時の空気では…」の論理を地で行くシロモノでしかないですし。
「空気」の存在を誰よりも欲しているのは、昔から「空気」の煽り手だった大手マスコミなのではないかと。
そんな連中のために存続されている「空気」という社会概念は、一刻も早くこの世から消し去った方が良いのではないかと思えてならないのですけどねぇ。

では、そんな「空気」を打破するには一体どのような方法を取れば良いのか?
最初に行うべきは、やはり何と言っても客観的かつ実証性に満ちたデータを元に、「空気」を論破できるだけの強力な理論を作り上げること。
これが最初にできないと、そもそも「空気」のどこが問題であるのかを明示することもできないのですから、ある意味当然の方策でしょう。
また、そういった理論を自前で用意すること自体が「自分で考えて行動する」ことの証明にもなります。
しかし、ただ理論を用意するだけでは「空気」の流れに抗うことはできません。
相手は数を頼みに問答無用で迫ってくるのが常なのですから、ただ正論を振りかざすだけでは、これまでの事例が明らかなように数で押し潰されるだけでしかありません。
そこで、その正論を公の場で大々的に宣伝する場と、理論の正しさを他者に評価してもらう場が必要となります。
前者は後者も兼ねている場合がありますが、後者は前者だけでなく「議論をする場」なども含みます。
ここで重要なのは、宣伝や議論の際には常に第三者の目を意識し、彼らに「『空気』よりもこちらの方に理がある」と評価してもらうことです。
特に議論の場合は、議論相手をいくら追いつめても論点そらしや開き直り、さらには諸々の圧力(暴力行為や脅迫、個人情報の流布など)などで逃げられる可能性が大ですから、むしろそのような無様な姿を第三者の目に晒させる方がはるかに効果的です。
尊敬・崇拝する相手がどんな愚行をやらかしても敬意の念を抱き続ける、などという「信者」的な人間なんてそうそういるものでもないですし、たまにいたとしても笑いのネタにしかならないのですから。

ただ実際には、そこまでやってもなお「空気」を覆せないことの方が圧倒的に多かったりします。
先に紹介した4つの事例でも、結局非合理的な「空気」が合理的な正論を押し潰している現実が存在するわけですから。
「空気」側もなかなかに狡猾なもので、自分にとって脅威となるであろう理論には「絶対悪」のレッテルを貼って人格的に貶めたり、全体から見ればどうでも良い部分をことさら論って挙げ足取りに走ったり、最初から「あんな奴は相手にしない」と上から目線で無視を決め込んだり、さらには有形無形の政治的・経済的圧力をかけて社会的どころか非合法的かつ物理的に相手を葬ってしまったりすることすらも珍しくなかったりします。
たとえ相手に理があると考えても、そこから「空気」に逆らうためには、自分の選択の正しさを信じ、かつ周囲の圧力に抗しえるだけの強い精神が必要となります。
それは大多数の一般人にはなかなか難しいことですし、ましてや、そのことで人的・物的な被害まで発生しかねないとなればなおのことでしょう。

ならば、そういった事情を勘案した上で、より安全確実に「空気」に逆らうにはどうすれば良いのか?
それは、「当時の『空気』の実態およびそれに基づく発言を全て記録し公開すること」これに尽きます。
当時の「空気」の中で、誰がどんな発言をし、どんな行動に出ていたのか、その事実を全て記録し尽くすのです。
そうすれば「空気」が変わり、そいつが変節をしようとした時、その記録を突きつけて責任を問うことが可能となります。
独自の正論も持たず、「空気」だけを担保に好き勝手やっているような人間は、「空気」が変わった途端にそれまでの主張を簡単に翻してしまいます。
しかし、過去の記録があればそういうことも簡単には行えなくなりますし、周囲も「お前はかつて正反対なことを述べていたじゃないか」と警戒するようになります。
もちろん、記録を突きつけられた人間も、その際にはまさに「あの当時の空気では…」などという言い訳をここぞとばかりに披露することになるでしょうが、それは「俺は空気に流されるだけの風見鶏な人間でしかない」と自ら告白するようなものですし、節操のない変節漢として信用も大きく失ってしまうことにならざるをえないでしょう。
しかも、記録する行為自体は何ら「空気」に逆らうものではありませんから、誰でも何らリスクを抱え込むことなく行うことができるわけです。
「空気」で動いている人間も、まさか「俺の言動を記録するな!」などと主張することはできないでしょうし、そんなことをしたら自分の言動に正当性がないことを自ら自白するようなものです。
また、その場の「空気」に基づいた言動が「記録」によって後から裁かれる、ということになれば、安易に「空気」によって動くことについても一定の抑止力として機能しえます。
一見迂遠な手法ではありますが、急がば回れの格言のごとく、「空気」に対抗する一番の道は結局これなのではないか、と考える次第です。

自分の意に沿わないばかりか、自身や社会にとっても害悪しかもたらさない「空気」に従わなければならない理由など、世界の果てまで探してもあろうはずがありません。
他者、特に大手マスコミが煽りたてる「空気」に対抗する術を、国民ひとりひとりが持つべき時にいいかげん来ているのではないでしょうか?

尖閣諸島と同列に扱われる日本のAV女優

本来ならば国際問題ものの事件なのでしょうけど、何故か微妙に笑いを誘うネタ↓

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1708254.html
> サッカーAFCチャンピオンズリーグ2012のグループリーグ第4節の試合が行われ、広州恒大は柏レイソルと対戦し、3-1で勝利した。
>
> その際、地元広州サポーターは「钓鱼岛是我们的,苍井空是大家的」
(尖閣諸島は我々中国のもの、蒼井そらはみんなのもの)という横断幕を掲げた。

国家間で行われるオリンピック・ワールドカップや国際親善試合の類で、領土問題などの政治絡みのネタを披露したりすることは、国際的に禁止されている行為です。
そんなことをすれば、関係国のサポーター達の暴動を招くだけでなく、国家間の関係にまで悪影響を及ぼし、最悪戦争勃発にまで至りかねないからです。
過去の歴史を紐解いても、サッカーワールドカップの出場権獲得試合での遺恨が開戦の発端となり、南アメリカのエルサルバドルとホンジュラスによって争われたサッカー戦争(1969年)という事例もあるのですし。
日韓共催となった2002年のサッカーワールドカップでも、韓国サポーター達が相手国をバカにする横断幕を掲げたりして問題になっていますし、国際親善の場であるからこそ求められる節度というものがあるわけですね。

そのルールを破っている中国のサポーター達の行動は充分に問題となる話なのですが、笑えるのはその横断幕の主張の中身。
ここ数年何かと話題になっており、つい最近も石原慎太郎東京都知事が「都で購入する」と発言して物議を醸した尖閣諸島のことが出てくるのは、ルール違反は別にしても中国人の発想パターン的に理解はできるとして、何故そこで「蒼井そら」なる人物が出てこなければならないのでしょうか?
「蒼井そら」は、日本ではマニアの間くらいでしか知名度がないのに中国では爆発的な人気を誇っているとTVやネットでも時々話題になる、日本のAV女優のひとりでしかないのですけど。
いくら人気があるとは言え、中国では日本のAV女優ひとりが尖閣諸島と等価値であると見做されていたりするのでしょうかねぇ(苦笑)。
まあ尖閣諸島のみならず「蒼井そら」にしても、違法ダウンロード&海賊版横行が当たり前の中国で、日本のAVビデオの類が合法的に購入されていったなんて到底ありえない話ですし、そんなもので「みんなのもの」などとほざく中国の大衆も、なかなかに面の皮が厚いと評さざるをえないところではあるのですが。

それにしても、何故中国ってあんなにも日本のAV女優に入れ込みまくるのでしょうかね?
「蒼井そら」のみならず、日本のAV自体も中国自作のそれより評価が高いみたいですし。
中国では「夫にとって最大の敵は自分の妻」が当たり前の社会と言われていますし、その辺りの事情が何か影響でもしているのでしょうかねぇ……。

民主党がTwitterやブログ等の自粛を党員に要請

民主党が党に所属する国会議員に対し、ブログやTwitterなどを使い政策の審議経過や個人的な情報の発信をしないよう自粛を求める通知を出していたことが判明しました。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120419/stt12041901010001-n1.htm
>  民主党が党所属国会議員に、ツイッターやブログを使って政策の審議経過や個人的な情報の発信をしないよう“自粛”を求める通知を出していたことが18日、分かった。同党では選挙活動でブログを多用する傾向が強く、党内からはさっそく「言論統制にあたる」との反発が出ている。
>
> 通知は三井辨雄、桜井充両政調会長代理名で17日付で出され、
「個人的見解が内閣、与党の見解のように誤解され、野党の攻撃材料になる恐れもあることに十分に留意ください」と記している。
>
> 岐阜県下呂市長選で特定候補への支援を前田武志国土交通相に依頼した山田良司衆院議員が、ブログで前田氏と面会したことをあからさまに「告白」し、問責決議案の提出につながったことなどが念頭にあったとみられる。

今更の話ではあるのでしょうが、民主党ももう末期症状を呈しているとしか言いようがありませんね。
既に民主党のバカっぷりが津々浦々まで知れ渡っている中で、議員達の発言を封じることに一体何の意味があるのかと。
政権交代前に「開かれた政治」をスローガンに謳っていたのは一体何だったのかと、これまた今更問うても空しい限りなのでしょうけど。

今回のニュースは、
「自由民主党から『自由』を取ったのが民主党」
「民主党の『民主』とは民主主義ではなく、共産党の民主集中制のことを指す」
という揶揄をまさに地で行くものであると言えます。
現時点でも、民主党には個人単位でマスコミの報道に口出ししまくる連中が少なからずいるわけですし、そのうち「党ぐるみ」「行政府を挙げて」反民主党的な言動に対する徹底的な弾圧を、民主党は画策するようになるのではないでしょうかねぇ。

ところで、
「権力者の悪口が公然と言える国は世界を支配するのが当然である」
という持論をかつて創竜伝の作中で展開していた田中芳樹が、この民主党の対応についてどのように考えているのか、是非とも知りたいものですね。
田中芳樹も2009年8月の衆議院選挙では当然のごとく民主党に入れたのでしょうし、有権者のひとりとして責任は免れないのではないかと思うのですが(苦笑)。

銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察6

作者氏の意図的にはメインヒロインとして登場させたであろう「亡命編」オリジナルキャラクターであるミハマ・サアヤ。
しかしあちらのサイトの感想欄では、上司たるバグダッシュ共々非難轟々な惨状を呈するありさまで、「亡命編」における鼻つまみ者的な扱いを受けています。
ところがそのような状態にあるにもかかわらず、非難が頻出するのにあたかも比例するかのように、ミハマ・サアヤの描写は次々と展開され続け、設定もどんどん詳細になっていくという奇怪な状況が続いています。
ミハマ・サアヤに対する作者氏の力の入れようと感想欄のギャップを見た時、私は最初「ミハマ・サアヤというキャラクターは【釣り】【炎上マーケティング】を意図して作られた存在なのではないか?」とすら考えたくらいなんですよね。
わざと読者の反感を煽るような造詣のキャラクターをことさら作り出し、それによってヴァレンシュタインへの同情票を集め読者を惹きつけることを目的とした【釣り具の餌】、それこそミハマ・サアヤが作者氏によって与えられた真の役割なのではないか、と。
もしミハマ・サアヤが本当にそんな意図で作られたキャラクターなのであれば、まさに作者氏の目論見は充分過ぎるほどに達成されたと言えるのでしょうが、ただそれにしてもミハマ・サアヤ絡みの作中描写には奇妙なものが多すぎるとは言わざるをえないところです。
そんなわけで今回の考察では、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン本人ではなく、彼の動向について多大なまでに関わっている、「亡命編」のオリジナルキャラクターであるミハマ・サアヤとバグダッシュのコンビについて論じていきたいと思います。
ミハマ・サアヤの評判が著しく悪化したのもヴァンフリート星域会戦以降でしたし、ちょうど次の会戦までを繋ぐ幕間ということで(^^;;)。
なお、「亡命編」のストーリーおよび過去の考察については以下のリンク先を参照↓

亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
http://ncode.syosetu.com/n5722ba/
銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-570.html(その1)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-571.html(その2)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-577.html(その3)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-585.html(その4)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-592.html(その5)

ミハマ・サアヤという人物は、その序盤の言動を見るだけでも「超弩級の天然が入っている」以外の何物でもない様相を披露しています。
そもそもの出会いからして、ミハマ・サアヤは「原作知識が使えない」はずのヴァレンシュタインにいいようにあしらわれている始末ですからね。
ヴァレンシュタインの監視を始めてからわずか4日で自身の素性がバレたのみならず、バグダッシュが上司であることまでもが筒抜けになっていましたし。
まあこれだけならば、そもそも士官学校を卒業して間もない新人でしかなかった人間に「監視」などという高度な任務を、しかも単独で与えたバグダッシュにこそ一番の責任があると評するところですが、ミハマ・サアヤの暴走はむしろここから始まります。
アルレスハイム星域会戦では、ヴァレンシュタインの言うがままに、作中では「パンドラ文書」などというご大層な名前で呼ばれていたらしいヴァレンシュタインの監視報告書を書き綴ってしまうミハマ・サアヤ。
フェザーンでも、これまたヴァレンシュタインの言うがままにヴァレンシュタインと帝国側の人間との情報交換に加担した上、その詳細を「彼らの想いを汚したくない」「情報部員としては間違っていても人としては正しい姿なのだ」などという個人的な感情から上層部に報告しなかったミハマ・サアヤ。
そしてヴァンフリート星域4=2の補給基地に赴任するよう命じられ、ヴァレンシュタインが(自分の問題を他者に責任転嫁しながら)豹変した際には、「昔のヴァレンシュタインに戻って欲しい」などという感傷に浸りまくるミハマ・サアヤ。
挙句の果てには、フェザーンでの前科を忘れて自分に盗聴器を仕込んだバグダッシュ相手に「自分を信じないなんて酷い」などとなじり、ついには自身の監視対象であるはずのヴァレンシュタインを相手に「私は信じたい」「私を信じて下さい」などとのたまってみせるミハマ・サアヤ。
原作知識の援護が全く受けられない状況下のヴァレンシュタイン相手にここまでの失態を晒してしまうミハマ・サアヤは、すくなくとも「監視者」としては相当なまでの無能者であるとしか評しようがなく、またこんな人間に「監視」などという任務をあてがった「亡命編」のバグダッシュもまた、多大なまでに任命&監督責任が問われなければならないところです。

では、ミハマ・サアヤが乱発しまくった一連の問題だらけな言動は、一体どこから出てきているのか?
それは「プロ意識の完全なる欠如」の一言に尽きます。
そもそも、彼女の「監視者」としての仕事の様子を見ていると、実は監視対象に対して公私混同レベルの感情移入をしているのが一目瞭然だったりするんですよね。
フェザーンでヴァレンシュタインの個人的事情に感動?するあまり、報告書を上げる義務を放棄した一件などはまさにその典型でしたし。
監視対象の事情がどうだろうと、それと自分の仕事内容はきちんと区別した上でほうれんそう(報告・連絡・相談)を遂行することこそが、プロの職業軍人として本来全うすべき基本的な義務というものでしょう。
ましてや、ミハマ・サアヤがヴァレンシュタインに入れ込む動機自体が、監視任務や同盟の動向とは何の関係もない、単なる自己感情を満足させるだけのシロモノでしかないのですからなおのこと。
第一、ヴァレンシュタインがミハマ・サアヤを油断させるための演技の一環として、そういったアピールをしていないという保証が一体どこにあるというのでしょうか?
自分の無害ぶりをアピールし、監視者に「こいつは安全だ」と錯覚させ、自分に対する疑惑を解除させた上で油断を誘いつつ、裏で諸々の工作を展開したり、「決行」の日に備えて準備を進めたりする。
「スパイ容疑」をかけられている相手が本当にスパイなのであれば、むしろそういう「したたかさ」を披露しそうなものですし、監視する側も予めそういう想定をしておく必要が確実にあるはずなのですけどね。
監視されている身であることを充分に承知していながら「私は同盟に仇なすことを画策しています」などという自ら墓穴を掘る自爆発言をやらかして平然としているような奇跡的な低能バカは、それこそヴァレンシュタインくらいなものなのですから(爆)。
監視者としてのミハマ・サアヤの仕事は、そういった可能性をも勘案した上で、ヴァレンシュタインの言動の一切合財全てを疑いながら素性を明らかにし、その全容を余すところなく上層部に報告していく、というものでなければならないはずでしょう。
監視対象の境遇を「理解」するところまではまだ仕事の範疇ですが、そこから同情したり親愛の感情を抱いたり、ましてや上への報告の義務を怠ったりするのは論外です。
仕事に私的感情を持ち込み、公私を混同する点から言っても、ミハマ・サアヤは能力以前の問題でプロの職業軍人として失格であると評さざるをえないのです。
軍人に限らずプロ意識というものは、ただその職に就きさえすれば自動的に備わるなどというシロモノでは決してないのですけどね。

また、元来「監視対象と監視者」という関係でしかないヴァレンシュタインとミハマ・サアヤとの間には、相互信頼関係を構築できる余地自体が【本来ならば】全くないはずなのです。
考察3でも述べましたが、「自分が生き残る」ことが何よりも優先されるヴァレンシュタインにとって、自分の言動を監視しいつでも自分を暗殺できる立ち位置にいるミハマ・サアヤは、原作知識が活用できないことも相まって、本来ラインハルト以上に厄介な脅威かつ警戒すべき存在です。
さらにヴァレンシュタインは、「帝国への逆亡命計画」などという他者に公言できない後ろ暗い秘密を、すくなくとも17話までは(周囲にバレていないと思い込んで)ひとりで抱え込んでいたわけですから、なおのこと監視の目を忌避せざるをえない境遇にあったはずでしょう。
そしてミハマ・サアヤはミハマ・サアヤで、実は暗殺どころか、自分の胸先三寸次第でいつでもヴァレンシュタインを合法的に処刑台へ送ることができるという絶対的な強みがあるのです。
何しろ、もっともらしい証拠と発言を元に「ヴァレンシュタインは帝国のスパイです」という報告書をでっち上げるだけで、ヴァレンシュタインをスパイ容疑で逮捕拘束させ軍法会議にかけることが可能となるのですから。
別に虚偽でなくても、フェザーンでの一件と、ヴァンフリート星域会戦後における自爆発言などは、事実をそのままありのままに書いただけでも【本来ならば】ヴァレンシュタインを処刑台に追いやることが充分に可能な威力を誇っていましたし。
彼女はその立場を利用することで、ヴァレンシュタインに対等の関係どころか自分への服従・隷属を要求することすらも立場上行うことが可能だったのですし、逆にヴァレンシュタインがそれを拒むことはほぼ不可能なのです。
下手に反抗すれば、それを「スパイ容疑の動かぬ証拠」として利用される危険があるのですし、仮にミハマ・サアヤを何らかの形で排除できたとしても、後任の監視者がミハマ・サアヤと全く同じ立場と強みを引き継ぐことになるだけで、ヴァレンシュタインにとって事態は何も改善などされないのですから。
こんな2人の関係で、相互信頼など築ける方が逆にどうかしているでしょう。
表面にこやかに左手で握手を交わしつつ、右手に隠し持った武器を相手に突き込む隙を互いに窺い合う、というのが2人の本当のあるべき姿なのです。
にもかかわらず、ヴァレンシュタインはミハマ・サアヤについて外面だけ見た評価しか行わず安心しきってしまい、「実はそれは自分を騙すための擬態であるかもしれない」という可能性についてすらも全く考慮していませんし、ミハマ・サアヤもヴァレンシュタインに対して「私は信じたい」「私を信じて欲しい」などとのたまう始末。
自分達の置かれている立場に思いを致すことすらなく、小中学生のトモダチ付き合いレベルの関係を何の疑問もなく構築している2人を見ていると、「人間ってここまで『人を疑わない善良なお人良し』になれるのだなぁ」という感慨を抱かずにはいられないのですけどね(苦笑)。
正直、2人共おかしな宗教の勧誘や詐欺商法の類に簡単に引っ掛かりそうな「カモ」にしか見えないのですが(笑)。

ただ、ヴァレンシュタインとミハマ・サアヤは、立場的なものを除いて個人的な性格という面だけで見れば、非常に「お似合い」な男女の組み合わせではあるでしょうね。
ミハマ・サアヤがヴァレンシュタインにあそこまで入れ込むのは、突き詰めれば「自分のため」でしかなく、その点についてはヴァレンシュタインと全く同じなのです。
ヴァレンシュタインがヴァンフリート4=2の補給基地赴任を命じられて発狂した際も、ミハマ・サアヤが考えたのは「ヴァレンシュタインが作った美味しいスイーツをまた食べたい」「今のままでは居心地が悪いから昔に戻ってほしい」というものでしたし、フェザーンでの命令違反や「私を信じて」云々の発言も、任務とは全く無関係の私的感情からです。
ミハマ・サアヤがヴァレンシュタインのことを気にかけるのは、何もヴァレンシュタインのことを想ってのことなどではなく、単なるその場その場の自己都合か、または「こんなに愛しのヴァレンシュタインのことを心から心配し彼に尽くしている(つもりの)私ってス・テ・キ」みたいな自己陶酔の類でしかないわけです。
何でも「自分は正しく他人が悪い」で押し通す自己正当化と他罰主義のモンスタークレーマーであるヴァレンシュタインと、仕事中に公私混同ばかりやらかして自己に都合の良い選択肢を都度優先するミハマ・サアヤ。
形は少し異なりますが、どちらも「自己中心的」「自分のことしか見ていない&考えていない」という点では完全無欠の同類としか言いようがなく、だからこそ2人は「お似合い」であるというわけです。
もちろん、世の中には「同族嫌悪」「近親憎悪」という概念がありますし、自分しか見ていない者同士では相互コミュニケーション自体が全く成り立たないのですから、「お似合い」だからといって気が合うはずも仲良くなれるわけもないのですが。
ただ、「似た者同士でもでもどちらがよりマシなのか?」と問われれば、どう見てもミハマ・サアヤの方に軍配が上がってしまうのですけどね。
ミハマ・サアヤはすくなくとも被害妄想狂ではありませんし、まだ自分の言動を振り返ることができるだけの自省心くらいはかろうじて持ち合わせているわけですが、狂人ヴァレンシュタインにそんなものは全く期待できないのですから(爆)。

次回の考察から再びヴァレンシュタインの言動についての検証に戻ります。

薬師寺シリーズ9巻、ようやく脱稿!

薬師寺シリーズの新刊がいつの間にか脱稿していたみたいですね。
脱稿日は2012年4月16日なのだそうで↓

https://twitter.com/adachi_hiro/status/191717520061890560
<今日の田中さん。執筆中だった「薬師寺涼子の怪奇事件簿」の新作、ようやく脱稿。いま、編集さんが取りに来て下さってます。>

http://a-hiro.cocolog-nifty.com/diary/2012/04/post-e654.html
>  田中さんと講談社の編集さんが事務所にいらっしゃいまして、新作『薬師寺涼子の怪奇事件簿』の原稿の受け渡しがありました。長らくお待たせしてしまったのですが、これで脱稿、完成となります。
>  あとは編集さんのお仕事になります。田中さんも、ちょっと一息入れた感じです。
>  もっとも、このあとすぐに新たな仕事に掛かって貰わないといけないのですけどね。

やっと田中芳樹のストレス解消行為が終わったわけですね。
去年の5月末頃?から執筆を続けていたらしいので、実に11ヶ月もの間、長々と続けていたことになるわけですね。
まあ、執筆開始から新刊刊行まで2年近くもかかった「髑髏城の花嫁」に比べればまだ短い方なのでしょうが。
新刊刊行は6月予定とのことだそうですが、こちらは意外に早いですね。
「髑髏城の花嫁」なんて、脱稿から4~5ヶ月もの時間をかけてようやくでしたから、てっきり今回もそれくらいかかるのではないかと予想していたのですが。

そして、これでようやく2009年からずっと言われ続けてきたタイタニア4巻の執筆が始まるわけですね。
……田中芳樹や社長氏が当初スケジュールを改竄したりしなければ(爆)。
薬師寺シリーズの完成などよりも、むしろそちらの方が実は嬉しい情報だったりするんですよね。

気がつけば薬師寺シリーズも、現時点で最新刊となる8巻が出てからもう4年以上が経過しているのですね。
タナウツ本家の考察シリーズもどうやら近いうちに再起動することになりそうですが、さて、肝心の中身は一体どれだけ笑えるシロモノに仕上がっているのですかねぇ(苦笑)。

高齢者のネット利用率が増大

高齢者のネット利用が増えているそうです。
電通総研のインターネット利用に関する調査によると、何らかの形でインターネットを利用している割合は60代で57%、70代で23.3%に達しているとのこと↓

http://megalodon.jp/2012-0416-2032-16/www.j-cast.com/2012/04/11128522.html
>  電通総研は2012年4月10日、60~79歳のいわゆる「シニア層」600人を対象に、インターネット利用に関する調査結果を発表した。
>
>  
全国のシニア層で、何らかの形でインターネットを利用している割合は、60代で57.0%となり、過去3回の調査に続いて今回もアップした。70代でも23.3%に達したという。特に100万人以上の大都市圏でシニア層のネット利用率が高い傾向にあり、60代で70.2%、70代でも26.3%といずれも全国平均を上回った。

今のこの情報化社会の中で若年層のネット利用はさして珍しくもないでしょうが、高齢者でこの利用率は意外もいいところですね。
高齢者のネット利用については「技術の習得が難しい」という問題が少なからず横たわっているはずなのですが、それでもなおネット利用率が着実に上がっている実態は驚きです。
まあ、個人でブログを開設するだけならば、さして難しい知識も技能も必要なくレンタルでも簡単に行えますし、ブラインドタッチ程度であれば比較的簡単に身につけられるものではあるのですが。
そのレベルであれば、技術を習得するというよりは「慣れ」の問題でもありますし。
現時点でもそこまでネット利用率が高くなっているのであれば、今後年月が経過して現在のネット層が高齢になるにつれて、さらに高齢者のネット利用率は上がることになるでしょうし、この流れはもはや覆すことはできないのではないかと。

ところで我らが田中芳樹御大も、今年で60歳、かつ高齢者でも特にネット利用者の多い大都市圏在住でもあるはずなのですが、それでネット利用を忌避するというのはどうにも理解に苦しむものがありますね。
社長氏などは以前、「キーボードに習熟するヒマがあるのならば、1文字でも多く原稿を書いて欲しいですし」などとのたまっていましたが、どうせ今の田中芳樹はロクに仕事してなどいないではありませんか(爆)。
他ならぬ社長氏自身、かつてこんなツイートを残しているわけですし↓

http://twitter.com/adachi_hiro/status/64824234060423168
<田中芳樹さんいわく、「作家というのは、人が休んでいるときにも仕事をしているのだ」。全国いやいや、あなたの場合、人が働いているときに休んでいるほうが多いでしょう。まあ、連休明けの9日が締切なので、今回の大型連休は真面目に執筆していると思いますが。そう信じますが。>

「2年に1冊の新刊刊行」などという今の田中芳樹の執筆ペースでは、パソコンを学ぶ時間を勘案してさえお釣りがくるくらいでしょう。
パソコンや携帯端末を使って文章を作っていけるようになれば、確かに一時的には時間がかかっても、手書きよりもはるかに少ない手間と時間で文章が書けるようになるのですから、結果的には今よりも作品を完成させることもできるようになるはずなのですが。
田中芳樹の姉もネットをやっているみたいですし、その弟ができないわけもないでしょうに。
ここまでネットや情報端末を積極的に拒絶する様を見ていると、田中芳樹にはその手のデジタル情報端末に手を出したくない理由なりトラウマなりが存在するのではないかと、ついつい思えてならないところなのですが。

宝塚歌劇で銀英伝の舞台公演決定

銀英伝が宝塚版舞台として公演されるとの情報が、宝塚歌劇公式サイトにて発表されました。
情報ソースはこちら↓

2012年 公演ラインアップ【宝塚大劇場、東京宝塚劇場】<8月~11月・宙組『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』>
http://kageki.hankyu.co.jp/news/detail/fb6b5d97082c3e93437db31dc0797b01.html

舞台の名前は「銀河英雄伝説@TAKARAZUKA」。
公演は、2012年8月31日~10月8日までが宝塚大劇場、同年10月19日~11月18日までが東京宝塚劇場で行われるとのことです。

しかし、銀英伝の登場人物ってほとんど男性ばかりなのに、一体どうやって配役を設定&キャラクターを演じるつもりなのでしょうか。
銀英伝の宝塚版舞台の話自体は以前にもあったそうですが、確か当時は「女性の登場人物が少ないから」という理由で企画自体がお流れになっていたと記憶しています。
ラインハルトやキルヒアイスなどの「若い美形キャラクター」はまだ何とかなるかもしれませんが、ビュコックやメルカッツなどのジジイ系やルビンスキーなどのオヤジ系キャラクターは、すくなくとも宝塚系の「若く美形な女性」ではそもそも演じようがないでしょう。
まさか、付け髭とか白髪&禿頭のヅラなどをかぶって、わざわざ「男性の中年&老人」を演じたりでもするのでしょうか?
それもひとりや2人などではなく、主要人物以外の全ての脇役で。
宝塚の舞台の方向性と銀英伝のそれって、根本的に合わないような気がしてならないのですけどね。

今回の宝塚の決定は十中八九、今行われている銀英伝舞台版の成功を見て、宝塚独自に行われたものなのでしょう。
本家の銀英伝舞台版公式サイト&ブログの方でも、すくなくとも現時点では宝塚の発表について完全無視を決め込んでいるようですし↓

http://www.gineiden.jp/
http://ameblo.jp/gineiden-stage

はっきり言って現時点では、「宝塚も何を血迷ったのかなぁ」という感想以外は抱きようがないですね。
本職だからなのでしょうけど、舞台の公演期間も1劇場で1ヶ月単位と、これまでの銀英伝舞台版と比較してもかなり長いですし。
役者は当然真剣に演じることになるのでしょうが、それ故にどんな「笑える喜劇」になるのかと、怖い物見たさで一度見てみたい気はしますねぇ(苦笑)。

ユーティリティ

2025年05月

- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

検索

エントリー検索フォーム
キーワード

ページ

  • ページが登録されていません。

新着画像

Feed