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映画「バトルシップ」感想

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映画「バトルシップ」観に行ってきました。
アメリカのハワイおよびその周辺海域を舞台に、地球外から総計5隻の宇宙船でやって来た侵略者達との戦いを描いた、ユニバーサル映画100周年記念作品。
通常、アメリカ映画は本家アメリカでの公開より数ヶ月遅れて日本では劇場公開されることが多いのですが、今作は逆にアメリカよりも1ヶ月早い日本公開となっています。
やはり今作では、内容自体が日米の共同軍事作戦をベースにしていることと、日本人俳優である浅野忠信が「マイティ・ソー」に次ぐ2作目のハリウッド映画出演ということで、興行収益が見込めると判断したアメリカ側がリップサービスをしてくれたという「大人の事情」でも背景にあるのでしょうけどね。
「マイティ・ソー」ではあまり目立たない脇役だった浅野忠信も、今作では準主役的なポジションにありますし。

物語の始まりは、地球外生命体が地球へやってくる2012年から遡ること7年前の2005年。
この年、アメリカでは、太陽系外にあるという地球型惑星と交信を試みる計画「ビーコン・プロジェクト」が立ち上げられ、衆人環視の中、ハワイのオアフ島に設置されたNASAの送信施設より目標の地球型惑星に向けて通信が発射されていました。
「ビーコン・プロジェクト」がTVニュースで流される中、とある酒場?では、一組の兄弟が今後のことについて何やら会話を交わしていました。
アメリカ海軍で現役エリート軍人として出世しつつある兄のストーン・ホッパーに対して、無職のトラブルメーカーで周囲からは鼻つまみ者扱いされている弟のアレックス・ホッパー。
2人の会話は、カウンター席に座ったひとりの女性を、今作の主人公であるアレックス・ホッパーが目に留めたところで中断します。
その女性サマンサ・シェーンに一目惚れしたアレックスは、早速サマンサに声をかけるのですが、最初は当然のごとく無視されます。
しかし、サマンサが店のマスターにチキン・ブリトーを注文したところ、売り切れで出せないという返答が返ってきたことにアレックスは食いつきます。
彼は「5分待ってくれればチキン・ブリトーを持ってくる」とサマンサに告げ、店を出て行くのでした。
彼はすぐさま近くのコンビニにまで足を運ぶのですが、そのコンビニは24時間営業ではないらしく、一足遅く営業時間を終えてシャッターを下したところでした。
「シャッターを開けてくれ」という懇願を無視されたアレックスは、何と裏口と天井裏?から店内に侵入してチキン・ブリトーを奪取。
しかし店内から脱出しようと入ってきた天井裏に戻ろうとして何度も失敗した挙句、店内をメチャクチャに破壊してしまい、警察当局に追われることに。
それでも警官に捕まる直前、アレックスは「何事か」と外に出ていたサマンサにチキン・ブリトーを渡すことに成功。
このことがきっかけとなり、サマンサとアレックスは付き合い始めるようになります。
しかし、一連のバカ騒ぎにアレックスの兄であるストーンは激怒、その精神を叩き直すべく、アレックスに対し問答無用で海軍に入ることを命令するのでした。

それから7年がたった2012年。
アメリカのハワイ・オアフ島では、記念艦となっている戦艦ミズーリの艦上で、リムパック(環太平洋合同軍事演習)を始めるにあたっての式典が行われていました。
演習が始まる前に、リムパック参加国の軍人同士によるサッカー杯が行われ、決勝はアメリカと日本で争われていました。
試合終盤、日本が1点のリードを守り続けている中、日本側の選手がボールではなくアレックスの顔面を蹴ってしまったことから、アメリカチームにペナルティキックのチャンスが舞い込んできます。
顔面を蹴られたことから脳震盪を起こした疑いがもたれたアレックスは、選手の交代を周囲から勧められますが、アレックスはこれを拒否して自分がシュートすることに固執します。
しかし、アレックスのシュートは高らかに舞い上がってゴールを飛び越え、この瞬間に日本の優勝が確定してしまいます。
試合の敗北にショックを受けるアレックスは、さらにその後、日本の海上自衛隊に所属している護衛艦「みょうこう」の艦長ユウジ・ナガタ一等海佐(アメリカでは大佐に相当)と殴り合い?の喧嘩沙汰を起こしてしまいます。
そのことが軍の上層部で問題になった結果、アレックスはリムパックが終了して帰港するのと同時に軍をクビにされることが決定してしまうのでした。

さすがに意気消沈し、無気力になってしまったアレックスでしたが、その頃、世界ではとんでもないことが発生していました。
何と、宇宙から正体不明の謎の飛行物体が5つ、編隊を組んで地球に接近してきたのです。
5つの飛行物体の中のひとつは、地球を周回している衛星に激突して空中分解して一部が中国の香港に落下、ビルが倒壊したりして大惨事となってしまいます。
そして残り4つは、今まさにリムパックが行われているハワイ沖に着水。
そのため、すぐ近くにいるリムパックの艦隊に謎の飛行物体を探索するよう、アメリカ本国から指示が来ることになります。
この指示を受け、飛行物体が着水した海域に3隻の艦艇が向かうことになりました。
そしてこれが、世界の命運を賭けることとなる戦いの始まりとなるのです。

映画「バトルシップ」では、実在する軍艦が作中で活躍しています。

リムパックの際の総旗艦となった空母ロナルド・レーガン
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飛行物体の調査に向かった3隻の中の1隻、USSサンプソン
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同じく3隻の中の1隻で、日本の海上自衛隊所属の護衛艦みょうこう
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そして主人公アレックス・ホッパーが搭乗している、USSジョン・ポール・ジョーンズ(以下「JPJ」)
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さらに序盤に記念艦として登場した戦艦ミズーリ
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当然、これ以外にも演習に参加していた軍艦はあるわけですが、実際には敵の宇宙船がハワイ沖を中心とした半径90㎞の海域に電磁バリアを張ってしまったために外部からの進入が一切不可能となったことから、たまたま飛行物体の調査でその海域内にいた3隻だけで宇宙船の相手をすることになってしまいます。
しかも3隻のうち、USSサンプソンと護衛艦みょうこうは敵の攻撃で早々に完全破壊されてしまったので、物語が終盤に近づく頃までは主人公が搭乗するJPJ「だけ」で敵の宇宙船と戦っていくこととなるのです。
世界各国の軍艦を集めたリムパックが舞台となっているのに、実質的にメインの戦いを繰り広げるのは駆逐艦1隻と敵宇宙船4隻だけという、何ともこじんまりとした展開なわけですね。
大規模な艦隊同士による大決戦的なものを考えていると、少々拍子抜けすることになるかもしれません。

ただ、規模はこじんまりとしたものであっても、それは戦闘シーンの迫力や手に汗握る演出を何ら軽減するものではありません。
序盤で披露される敵宇宙船の圧倒的な強さ。
レーダーの類を全て無効にされた状態で、完全破壊された護衛艦みょうこうから救助され指揮権を譲られたナガタの指揮の下、津波ブイを使った敵の追跡・捕捉・攻撃を行い孤軍奮闘するJPJ。
そして敵の宇宙船を3船まで破壊するも敵に逆襲され潰されてしまったJPJに代わり、一際巨大で電磁バリアを張っている元凶でも最後の敵宇宙船に戦いを挑む戦艦ミズーリ。
今作のタイトルでもある「バトルシップ」は、「戦う船」という比喩的な概念を意味するだけでなく、文字通りの「戦艦」、つまりミズーリのことをも指しているものでもあったわけですね。
この名前の繋げ方はなかなかに上手い落としどころなのではないかと思いました。
まあ、長年記念艦であった戦艦ミズーリに、すぐさま戦闘行動を可能にするだけの燃料や弾薬が満載されているなど本来ありえることではなく、その非現実性にツッコミどころの大穴があったのは少々苦しいところではあるのですが。
記念艦として停泊させておくだけのミズーリに常時燃料を入れておかなければならない理由がありませんし、使わない弾薬をミズーリにそのまま搭載したままにしておくなど、火薬管理の面から言っても危険極まりないのですから。
戦艦ミズーリを操れる老練の退役軍人達がアレだけいたのは、合同軍事演習の際の式典に列席するためという名目があったので、それで何とか説明も可能なのでしょうけど。
ただし、動かす過程が非現実的ではあっても、ああいう展開自体は結構燃えるものがありますし、戦艦ミズーリの活躍も演出もJPJのそれに決して劣るものではなかったので、映画としては大成功の部類に入るエピソードなのでしょうね。

映画「バトルシップ」では、エンドロール後にも続編を匂わせるようなエピソード映像が披露されています。
序盤で5隻の宇宙船のひとつが空中分解した際の脱出艇?がスコットランドに墜落しており、地元住民が興味本位でそのドアをこじ開けてしまい、中から宇宙人の手が出てきたところで終了、というものです。
今作は「ユニバーサル映画100周年記念作品」ということで作品内で話は完結しているだろうと考えていたので、まさかそんな映像があるとは思ってもみなかったのですが。
これってやはり「人気が出るなら続編を作ろう」みたいな意図でもあって入れている映像なのでしょうねぇ。
ただそれにしても、今作もエンドロールの途中で退席してしまい、結果としてその後の映像を見逃していた人が意外に多かったので、「やはり映画は最後まで観ないといけないなぁ」と改めて痛感せざるを得なかった次第です。
かくいう私も、以前はエンドロールの途中で席を立ってスクリーンから去っていた人間でしたし、実は今作でも「続きはないだろう」という考えから少しばかりそういう誘惑に駆られていたりしたのですが(^^;;)。
こういうのって、いいかげん何らかの対策を行う必要があるのではないかとは思わずにいられませんね。
映画料金を払いながら、エンドロール後の特典映像を見逃すのって結構な損失だと思いますし、しかし一方では「エンドロールなんて観る必要などない」と考える人が厳然として存在するわけで。
しかしだからと言って、「エンドロール後に特典映像が……」というアナウンスを事前に流すというのもサプライズな演出効果が薄れしまうという問題がありますし、微妙に難しい対処を迫られる課題ではあるのでしょうけどね。

ハリウッド映画が持つ迫力ある映像や演出、および単純明快な分かりやすいストーリー展開がお好みの方には、文句なしにオススメできる一品です。

映画「ジョン・カーター(3D版)」感想

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映画「ジョン・カーター(3D版)」観に行ってきました。
ジョージ・ルーカス監督の「スターウォーズ」シリーズや、ジェームズ・キャメロン監督の「アバター」の原点になったとされる、エドガー・ライス・バローズの小説「火星」シリーズの最初の作品「火星のプリンセス」を映画化したファンタジー・アドベンチャー大作。
ウォルト・ディズニー生誕110周年を記念して製作された映画でもあります。
今作は3D版しか上映されていなかったので、しかたなく3D版での観賞となりましたが、例によって例のごとく「あるのかないのか注意して見ないと分からない申し訳程度の3D映像」が披露されていただけでした(T_T)。
わざわざ観客から余分にカネを取っておきながらそういう映像ばかり見せつけるから、3D映画は多くの観客から愛想を尽かされてしまうことになるのですけどねぇ(-_-;;)。

物語は、地球とは異なる惑星バルスームで、とある飛行船が襲撃されているシーンから始まります。
飛行船の持ち主は、惑星バルスームの国のひとつであるゾダンガ王国の皇帝サブ・サン。
襲撃に際して勇猛果敢に戦う彼でしたが、突如圧倒的な力によって配下の兵達が襲撃者もろとも壊滅。
呆然とするサブ・サンの前に、その圧倒的な力を見せつけたサーン族の教皇マタイ・シャンが、どこからかワープでもしてきたかのごとくその姿を現します。
マタイ・シャンはサブ・サンに対し、自分達が駆使した驚異的な力を誇る破壊兵器を提供し、サブ・サンに惑星バルスームの支配者となるよう促すのでした。

ところは変わって、1881年のアメリカ・ニューヨークでは、ジョン・カーターという名の大富豪が亡くなったとの報が駆け巡っていました。
ジョン・カーターは「死」の直前、自身の甥で原作小説の原作者と同名(本人?)でもあるエドガー・ライス・バローズを呼び出し、全財産を譲り渡すよう弁護士に依頼していました。
呼び出されたエドガー・ライス・バローズは、弁護士からジョン・カーターから「エドガー・ライス・バローズ以外の人間には誰にも読ませないように」と指示されて預かったという日記を提示されます。
その日記を読み始めたエドガー・ライス・バローズの前に、ジョン・カーターが体験したとされる想像を絶する冒険譚が開陳されていくことになります。

その発端となる最初のエピソードは、ジョン・カーターが死んだとされる今現在から13年前に遡ります。
今作の主人公であるジョン・カーターは、アメリカのヴァージニア州出身でかつては戦争で勇名を誇った元兵士でしたが、今ではただひとり孤独に生き、黄金の洞穴を探しているらしい一匹狼。
酒場兼質屋?で問題を起こした彼は、現地の騎兵隊にその名声を見込まれてスカウトされるのですが、ジョン・カーターは暴力を行使して拒絶し、彼は牢獄に繋がれることになります。
しかし、ジョン・カーターは自力で見張りを倒し、騎兵隊の隊長パウエルの馬を奪いその場を逃走。
騎兵隊はただちにジョン・カーターの追撃を開始しますが、追撃の最中、ジョン・カーターがアパッチ族と接触。
ジョン・カーターとアパッチ族との間で話し合いが行われましたが、交渉の最中に騎兵隊の1人がアパッチ族に向けて銃を発砲。
この事態に怒り狂ったアパッチ族と騎兵隊の間で戦闘が始まってしまい、パウエルはアパッチ族が撃ち放った銃弾で脇腹を負傷。
混戦に紛れてそのまま逃げても良さそうなものだったのですが、ジョン・カーターは何故か負傷したパウエルを見捨てることなく彼を抱え一緒に逃走を開始します。
逃走した2人は、追跡してきたアパッチ族から逃れるため、逃走途上で発見した洞穴へ身を隠すことになります。
何とかアパッチ族をやり過ごした2人でしたが、洞穴の奥から人の気配がしたため、ジョン・カーターが調べてみることに。
そこで待ち受けていたのは、法衣のようなものを纏ったひとりのスキンヘッド男でした。
スキンヘッド男は後ろから不意打ちを仕掛けてきました、ジョン・カーターは運良く難を逃れスキンヘッド男を返り討ちにします。
銃弾を受けて倒れたスキンヘッド男は、右手に光るメダルのようなものを持って何かを唱えていました。
ジョン・カーターがそれを奪い取ると、彼は光に包まれ、次に気づいた時には見たこともない砂漠のど真ん中に倒れこんでいたのでした。
体を起こして歩いてみた途端、ジョン・カーターの身体は自分の意図に反して大きく浮き上がってしまいました。
戸惑いを覚えつつ試しにジャンプしてみると、本来考えられないほどに大きく飛翔できてしまうではありませんか。
しばらく調子に乗ってジャンプを繰り返しつつ、ジョン・カーターは砂漠の只中にあるひとつの山に辿り着きます。
そこでは奇妙な卵から、これまで見たこともなかった生物が飛び出してくる光景が展開されていました。
驚いたジョン・カーターがしかしその余韻に浸っている暇もなく、彼にまるで狙いを定めるかのごとく、これまた見たこともない生物の集団が突如砂漠の向こうから急速に接近してきて……。

映画「ジョン・カーター(3D版)」は、ジェームズ・キャメロン監督製作の映画「アバター」の原点になったというだけあって、話の構成も「アバター」とよく似ていますね。
「アバター」に登場した異種族ナヴィと似て体格が大きな「サーク族」という種族が登場しますし、そのサーク族の支配権を獲得してラスボスに挑む構成が全く同じだったりします。
主人公が軍人出身で、かつ異世界の先でヒロインと出会い彼女のために戦う構図も同じですし。
まあ、元々は「アバター」の方が今作の原作小説をヒントに作られたとのことですから、構成が似ているのもある意味当然なのかもしれないのですが。
一方「スターウォーズ」は、作中に登場していた「光で動く飛行船」と「銃と剣が戦闘の中で入り混じった世界観」辺りをモチーフにしていたのではないかと。
ストーリー展開が「アバター」そっくりで、使用している小道具が「スターウォーズ」とカブるとなれば、作品独自のオリジナリティという点ではややパッとしない部分がありますね。
製作費だけで2億5000万ドルもかけているだけあって、迫力あるSFX映像や演出はさすがに良く出来ていますし、決して見劣りするわけではありません。
ただ今作は、そこまで製作費をかけたのが災いしたのか、超大作の割には興行収益がイマイチ伸びていないことから、最終的には2億ドルもの赤字を抱え込む可能性すら囁かれているのだそうで↓

http://megalodon.jp/2012-0414-2102-14/jp.reuters.com/article/entertainmentNews/idJPTYE82L02D20120322
> [ロサンゼルス 20日 ロイター] ウォルト・ディズニー生誕110周年記念の超大作「ジョン・カーター」が、映画史上最も興行赤字の大きい作品になる可能性が出てきた。
>
米ウォルト・ディズニー(DIS.N: 株価, 企業情報, レポート)は19日、同作品が約2億ドル(約166億円)の赤字になるとの見通しを示したが、それが現実になれば、ギネスブックに「最も興行赤字の大きい映画」として登録されている1995年の「カットスロート・アイランド」を超える赤字作となる。ウィキペディアによると、「カットスロート・アイランド」の赤字額は1億4700万ドル。
>
> 過去の不発作品としては、エディ・マーフィ主演の「プルート・ナッシュ」や、ペネロペ・クルスとマシュー・マコノヒーが出演した「サハラ 死の砂漠を脱出せよ」、ロバート・ゼメキス監督の「少年マイロの火星冒険記」などがあるが、ウィキペディアの情報を基にすると、いずれも赤字額は1億4000万ドルを超えている。
>
> ただ、ハリウッド映画の赤字額については、不明瞭な部分が多いのも事実。映画情報サイトIMDbの編集長キース・シマントン氏は「ハリウッドはあまり数字をオープンにしないので、これらの作品の本当の予算を知ることはできない」と述べた。
>
> 複数の業界筋は、「ジョン・カーター」には制作費と販促費で3億5000万ドル以上がつぎ込まれていると指摘。調査会社ハリウッド・ドット・コムのポール・ダーガラベディアン氏は、
同作品が収支を合わせるには、世界興行収入6億ドル以上が必要だとしている。

過去のハリウッド映画では、アメリカでは不振であっても日本の興行収益だけで製作費を楽々回収した事例もありますから、今作が本当に史上最高額の赤字を抱えるのか否かは今後にかかっているのですが、状況的には結構厳しいものがありますね。
「ジョン・カーター」は今作も含めて3部作構成とのことなのですが、1作目時点で多額の赤字を抱えてしまうとなると、続編が本当に製作されるのか、はなはだ心許ない限りとしか評しようがないですし。
作中ではまだ第9光線や遺跡の機能、サーン族についてなど、まだ未解明の謎が少なからず残っているのですから、個人的には続編を作ってもらいたいところではあるのですけど……。

作中で意外に「なごむ」存在だったのは、物語後半で実は火星であることが判明した惑星バルスームの犬(キャロット)であるウーラですね。
このウーラ、外見上は「巨大なカエル」みたいな容貌をしているのに超高速で素早く動き回り、主人公達の危機の際には大きな助けにもなってくれる頼もしい動物です。
惑星バルスームでは「ジャスーム」と呼ばれている地球上の犬のごとく、「飼い主」に懐き甘えてすらくる愛嬌のある一面も見せていたりします。
一見不気味な外見なのに、物語が進むにつれて可愛らしくすら思えてくるのですから、何とも不思議なキャラクターです。
日本で言うところの「ゆるキャラ」的なものを意図して作ったのでしょうかね、これって。

ところで少し疑問だったのは、物語終盤、何故マタイ・シャンは自身の目論見を打ち砕いたジョン・カーターを、わざわざ地球に送り返すだけに留めてしまったのか、という点ですね。
あれだけの変装能力を持ち不意打ち同然に接近できるのであれば、地球に送り返すよりもジョン・カーターをその場で殺害してしまった方が、今後のことも考えると後腐れがなくて良かったのではないかと思えてならなかったのですが。
何しろジョン・カーターは、マタイ・シャンとサーン族のことを知る(あの世界では)数少ない人間のひとりだったわけですし、下手に生かしておけば今後の自分達にとって邪魔になるであろうことも最初から目に見えています。
地球に送り返して以降も、ジョン・カーターにはマタイ・シャンの手の者と思われる監視がついていたみたいですし、そんな手間暇などをかけるくらいなら最初から殺しておいた方が面倒もなくて良かったでしょうに。
あの変装能力や、序盤で見せつけていたテレポート能力があれば、たとえあの場でジョン・カーターを殺したとしても悠々と姿をくらますことだって簡単にできたでしょうし。
マタイ・シャンには何かジョン・カーターを殺せない理由でもあったのでしょうか?
地球にいた手下のひとりは、序盤で普通にジョン・カーターを殺そうとして返り討ちに遭っていましたから、そんな理由があるようにはとても思えなかったのですが……。
今後続編が製作されることがあれば、この辺の謎についても解答が与えられるかもしれないのですけどねぇ。

映画の内容だけを見れば普通に良作ではないかと思うのですが、それで赤字の危機に直面せざるをえないとは何とも不幸な作品ですね。
個人的には、もう少し評価が高くても良いのではないかと思えてならないのですが。

舞台版オリジナル外伝「銀河英雄伝説 撃墜王篇」の公演決定

銀英伝舞台版公式サイトで、同盟側の新たな外伝となる「銀河英雄伝説 撃墜王篇」の舞台公演が決定したとの情報が発表されました。
公式サイトおよび関連記事はこちら↓

銀英伝舞台版公式サイト
http://www.gineiden.jp/
銀河英雄伝説 撃墜王篇
http://www.gineiden.jp/gekitsui/
銀英伝舞台版公式ブログ【「銀河英雄伝説 撃墜王篇」上演決定!!】
http://ameblo.jp/gineiden-stage/entry-11222723364.html

舞台公演は2012年8月3日~12日、場所は「天王洲 銀河劇場」とのこと。
公式サイトのストーリー紹介を見る限りでは、外伝2巻のエピソードがベースになるみたいですね。
帝国側の「双璧編」「オーベルシュタイン編」と同じく、オリビエ・ポプランやイワン・コーネフが主人公の外伝など原作にはないのですから、当然オリジナルストーリーにならざるをえないでしょうが、さてこちらは一体どんな出来になるのやら。

そういえば以前に銀英伝舞台版第二章の製作発表記者会見が行われた際、第二章本編の他に2本の舞台が公演される予定があると発表されていました。
となると、今回の発表の他にあと1本外伝があることになるのですが、それは一体誰が主人公になるのでしょうかね?
シェーンコップかアッテンボロー辺りが最有力候補になりそうではあるのですが……。

実は教員免許を持っていた田中芳樹

https://twitter.com/adachi_hiro/status/190412214094675968
<@masumi_asano 少なくとも田中さんは小説家になれて良かったと思う。本人、教員免許は持っているんですけどね。あと、一応、大学の学部のときに在京FMラジオ局の最終面接までは行っているし。自分で辞退してるけど。>

FMラジオ局の面接の件は以前にもネタに上がっていましたが、教員免許を持っているという話は初耳ですね。
学歴にも「学習院大学文学部・国文学科卒業」とありますから、確かに持っていても不思議ではないのですけど。
だからかつて、教育問題についてこんなことをのたまっていたわけですか↓

週刊現代1987年9月26日号
<ほとんどが想像の世界の産物です。エンターテイメントで行くというのが僕の基本姿勢ですから。面白く仕立てるために、政治家や官僚を登場させたんです。もっとも、学校のこと、教育の問題に関しては、ちょっとニュアンスが違うんですが…。
(中略)
僕は就職という経験がないためか、いまだに学生気分が抜けず、学校の問題となると敏感になる部分があるんです。そのせいで、
歪んだ権力構造としての現在の日本の学校教育の姿は、これは粉砕しなければならない対象だと思うんです。やたらと校則を作り、履いた靴下の端は三つ折りにとか、下着の色は白と決めてあるからと、教師たちが女生徒のスカートを脱がせてパンティーの色を確かめるというようなことが現実にある。これは怒りをぶつける相手だと思うんです。それで、その辺はそれなりに書きこんであるわけです。>

創竜伝以来の「小説中に現実の社会評論を織り交ぜる行為」はエンターテイメントとして全く成り立ってもいないどころか、むしろ逆に作中の設定やストーリーを破壊してすらいるのですが(苦笑)、そんなタワゴトをのたまっていた田中芳樹でさえ、教育問題についてはマジだったと【自分から】認めていたわけです。
何故教育問題だけ? という疑問が以前からあったのですが、ようやく解答が得られたという感がありますね。
小説中に「現実への怒り」なんてシロモノを、しかもストーリーの本筋やメインテーマとは全く関係ない形でぶつけることに一体何の意義があるというのか、当の本人に一度聞いてみたいところではあるのですが(爆)。

それにしても、教員免許を持っているということは、田中芳樹は「教育実習」という形で短期間であるにせよ実地で教鞭を執っていた可能性があるわけですが、そうだとしたら一体どんな授業をしていたのか少しばかり興味がありますね。
創竜伝の社会評論に忠実に沿った、日教組が喜びそうな内容のカリキュラムでも披露していたのでしょうかねぇ、やっぱり(笑)。

あと、本日から銀英伝舞台版第二章「自由惑星同盟編」の東京公演が始まりますね(4月22日まで)。
第一章の時よりも話題性があるみたいですし、今回も客入りはそれなりにありそうではありますが。
熊本在住という地理的な問題もあって、私は今回も観に行くことはできないのですが、一体どんな出来なのやら。

映画館で映画を安く観賞する方法

映画を映画館で観賞するに際し、誰もが一度は「映画料金が高い」と考えたことがあるのではないでしょうか?
通常、映画料金は1人1作品観賞につき1800円、3D版映画ではさらに追加で300円~400円の別途料金が徴収されます。
1993年からずっと固定され続けているこの料金は、物価の値下がりが続いているこの御時世からすると如何にも高いイメージがあります。
しかし、実は映画料金は、色々なサービスを利用することで「定価」よりもずっと安く観賞することが可能なのです。
生粋の映画ファンな方々にとっては何を今更な話になるでしょうが、今回はそんな映画料金に纏わる割引サービスについて少し。

映画館には、映画を観賞するための様々な料金割引サービスがあります。
テレビの台頭などで映画館から離れていった客を再び引き寄せることを目的に、映画館は1990年頃から様々な料金割引サービスを立案・実行していきました。
全国共通で行われているその手の料金割引サービスの有名どころとしては、以下のようなものが挙げられます。

全ての人に映画料金割引が一律で適用されるサービス
・ 毎月1日のファーストディ(映画の日、1800円 → 1000円)
・ 毎日20時以降から始まる映画を1200円で観賞できるレイトショー

特定層限定で1800円 → 1000円
・ 特定曜日の観賞で女性のみ1000円となるレディースディ
60歳以上の人は毎日1000円で映画を観賞できるシニア割引
どちらか一方が50歳以上の夫婦が2人揃って映画を観賞すると2人で2000円(つまり1人1000円)になる夫婦50割引
障害者が対象のハンディキャップ割引(障害者手帳の提示が必須)

この他、以前は高校生3人で映画を観に行けば1人1000円で観賞できる高校生友情プライスというサービスも全国規模で行われていたのですが、利用率が低く2008年に全国的なものは廃止され、現在は一部の地域限定のサービスとなっています。
シニア割引や夫婦50割引などは、年を取って映画が割引になることが良いのか否か、かなり微妙なところではあるのですが、この高齢化社会では割の良いサービスとなるのでしょうか。
今の高齢者は人口が多いですからねぇ(-_-;;)。

映画館独自の料金割引サービスもあります。
TOHOシネマズには、毎月14日(とうフォー)にファーストディと同じく一律1000円での映画観賞が可能となるTOHOシネマズデイがあります。
本来は2007年9月~2008年8月までの1年間限定のサービスだったのですが、期間が延々と延長され、もはや常態のサービスと化している感がありますね。
また同じくワーナー・マイカル・シネマズでも、毎月20日の観賞で1000円となるサービスディがあります。
ファーストディと併せ、一番安く観賞できるこの日を見逃す手はないでしょう。
もちろん、土日祝日などの休日と上手く重ならないとなかなか活用できないサービスではあるのですが、使える時には積極的に使っていきたいものです。

また、各映画館で会員登録を行い、会員サービスの特典を受けるという手も使えます。
会員登録して交付されるカードを使えば、カードをカウンターで提示したりネットでチケットを購入したりした際に会員割引が適用されることがあります。
TOHOシネマズでは、毎週火曜日がシネマイレージディとなっており、この日のみ会員カードであるシネマイレージカードを提示することで、通常より500円割引で映画を観賞することができます。
一方、ワーナー・マイカル・シネマズはイオンカードを、角川シネプレックスではシネプレックスカードを提示すれば、全ての日で200円~300円の料金割引を受けることができます。
さらに、会員カードを使って6本の映画を観賞すると、1本分の映画料金が無料になる特典もあります。
カード自体の割引よりも、最後の「6本観賞で1本無料」こそが一番使えるサービスですね。

さらにTOHOシネマズでは、通常の「6本観賞で1本無料」の映画観賞ポイントとは別に「マイル」と呼ばれるものが存在します。
マイルは観賞映画の上映時間1分につき1マイルで換算され、このマイルを貯めることで様々な特典を得ることができるのです。
300マイルと1000マイルでも特典があるのですが、一番の目玉商品は、6000マイル(一部映画館では9000マイル)貯めるともらえる1ヶ月フリーパスポートです。
この1ヶ月フリーパスポートは、申請から1ヶ月間は何回映画を観賞しても映画料金が全て無料になる(ただし3D料金は別)という優れもので、これが欲しいためにTOHOシネマズで集中的に映画を観賞する人もいるほどです。
ただし、当然のことながらこれを獲得するのは容易なことではありません。
映画観賞で得られたマイルは、得られた年の翌年12月31日にはゼロリセットされるため、2年以内に最低でも50本以上もの映画を観賞する必要があります。
年間10本程度のペースではまず獲得できないので、相当な映画ファン向けのサービスであると言えるでしょう。

あまり面倒なことをせず手軽に映画割引サービスを受けたいというのであれば、映画前売券を購入するという手もあります。
映画前売券は、通常の映画料金1800円よりも500円安い1300円で購入することが可能で、映画館だけでなくコンビニやネットでも購入することができます。
また、映画前売券は全国共通で利用できるものも売られているため、特定の映画館と懇意にする必要がありません。
さらに映画前売券は、ファーストディやレイトショーなどのように日時を気にすることなく、いつでも使用することが可能です。
そのため、いつでも確実に安く映画を観賞したいという場合には大変便利なサービスです。
ただ一方では、一度購入するとキャンセルが効かないため、たとえば映画観賞日がちょうどファーストディだったりしても1300円で映画を観賞しなければなりませんし、何らかの事情から映画を観に行けなくなったという場合は1300円をドブに捨てるも同然となるので、その辺については注意が必要です。
また、映画館やコンビニなどで売られている映画前売券は、全ての映画について用意されているわけではなく、場合によっては映画前売券が全く売られていない映画も存在します。
その点ではネット販売が優れているのですが、しかしこちらはこちらで送料がかかるという問題が無視できません。
その点では匙加減が難しいサービスであると言えるかもしれません。

また、コンビニやネットで売られている前売券などでは、ネットで座席を予約する仕様にはなっていないため、事前に座席を取るのが難しくなるという問題もあります。
そういう事態に対応するため、最近ではネット購入にも対応したムビチケカードという形態のカード型前売券も出てきています。
ネットの座席予約画面で、ムビチケカードに書かれている暗証番号を入力すると座席の予約とチケット購入ができるという前売券で、前売券とネット予約の利点を融合したようなサービスとなっています。
ただムビチケカードは、映画にもよるのですが通常の映画前売券と比べて100円~200円ほど購入価格が高いケースがあったりします。
ムビチケカードを買ったは良いが、スクリーンの座席状況がスカスカで買う意味が全くなかった、では無駄もいいところです。
映画毎の購入価格と混雑予測も含めて買った方が良いカードではあるでしょうね。

映画を安く観賞する際の奇策としては、試写会に手当たり次第に応募してみるという手も有効です。
試写会に当選し、かつ時間が上手く合いさえすれば、3D料金も含め映画料金を全く支払う必要なく、しかも全国劇場公開予定日よりも前に映画を観賞できます。
もっとも、試写会に当選するという条件自体が結構な関門だったりしますし、試写会は大抵の場合は平日の夕方から上映されるのが常なので、色々と誓約も多いのですが。
私個人の感覚では、試写会に当選する確率はだいたい20%~30%の間といったところになるでしょうか。

映画館での映画観賞がレンタルDVDでのそれよりも優れている利点としては、大迫力の映像が楽しめることと、レンタルDVDよりも先に作品が観賞できることが挙げられます。
何かと問題視される高い映画料金ですが、これまで紹介してきたような安く観賞できるサービスを駆使して、映画館で映画を観賞してみるのはいかがでしょうか?

原発再稼動問題における「お前が原発に行け」論の破綻

原発11基を抱える関西電力が、大飯原発3、4号機の再稼働が認められた場合でも、今年の夏に節電要請を行う方針であることを明らかにしました。

http://www.asahi.com/kansai/sumai/news/OSK201204100073.html
>  関西電力は10日、今夏も管内で節電を要請する方針を明らかにした。現在停止中の大飯原発の3、4号機が再稼働した場合でも、今夏の電力不足は避けられないとの考えからだ。関電は昨夏も前年比で15%の、今冬も同10%以上の節電をそれぞれ要請していた。
>
>  同日、大阪府市の「エネルギー戦略会議」に出席した関電の岩根茂樹副社長は記者団に対し、「基本的にいまの段階の(電力)需給で見れば、節電要請をしないケースはほとんどない」と指摘。
「仮に(大飯3、4号機が)稼働してもそういうことになる」と述べた。(溝呂木佐季)

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/environment/555680/
>  藤村修官房長官は10日の閣議後の記者会見で、関西電力大飯原発が再稼働せず、電力が不足する場合、「節電をお願いすることになるが、非常に厳しい状況ではないか」と述べ、計画的な節電を要請するとの見通しを示した。
>
>  
関電の岩根茂樹副社長も同日、今夏の電力需給について「今の段階で見れば節電要請をしないケースはほとんどない」と述べ、節電要請に踏み切る可能性を示唆した。大阪府市統合本部のエネルギー戦略会議に出席後、記者団に答えた。
>
>  政府は9日、
原発が再稼働せずに2010年並みの猛暑となった場合に関電管内で今夏、19.6%の電力不足となるとの電力需給見通しを示した。官房長官は「大変な数字」とした上で「供給が本当にもうないのか、節電でまだできるのではないかということを詰めなくてはいけない」と指摘した。

元々、かろうじて原発が稼働していた去年よりも、管内の原発が全て停止した今年の方がむしろ状況は悪化しているのですから、節電要請もある意味当然の帰結でしかないでしょう。
こんなことは、原発が次々と停止を余儀なくされてきた去年の段階から既に予測されていたことでしかないのですが、そのような事態に電力会社を追い込んだ反原発という名の宗教団体は、この期に及んでも「原発再稼働反対! 電力も足りているのだから節電にも反対!」と絶叫しまくるのでしょうね。
原発なき電力供給が電力会社にとって如何に大きな負担となるのか、それが回り回って結局国民の負担になることを、相変わらず理解する気配も全くありませんし、そればかりか、目先の原発停止にすら満足せず「全原発の廃炉に向けてひたすら邁進しなければならない」などという、戦前の一億総玉砕レベルの精神論的スローガンすら堂々と掲げる始末なのですから。
よほどの原発アレルギーなのか、それとも何もかも承知の上で「日本の経済的衰退」を待望して確信犯で述べているのか、いずれにしても傍迷惑な話でしかないのですが。

そんな反原発原理主義者が、原発再稼働を主張・容認する人達に対して、まるで何かのテンプレートであるかのごとく何度も使い回される主張があります。
それは「そんなに原発を動かしたいのであれば、言い出しっぺのお前が原発のすぐ近くに住んでみろ」というもの。
タナウツではもはやお馴染みの「お前が戦争に行け」論の原発バージョンといったところですね。
というか、当の田中芳樹御大からして、まさにそういう主張を開陳していた過去がありますし↓

創竜伝4巻 P38下段~P39上段
<一九八九年、日本の科学技術庁は、「原子力発電反対運動に対抗するための宣伝工作費用」として、10億円という巨額の予算を獲得した。これは前年度予算の五倍である。つまり、「原子力発電は安全である」ということを新聞、雑誌、TVで宣伝するわけで、協力してくれる文化人には多額の報酬が支払われる。一部の文化人にとって、原発賛成はいい商売になるのだ。
 なお、電力会社によっては、女子社員を原子炉近くの管理区域まで行かせて、原子力発電の安全性をPRすることがある。こういうのを、昔からの日本語で「猿芝居」という。上役の命令にさからえない弱い立場の社員に、そんなことをさせるのは卑劣というものだ。
電力会社の社員が、原子力発電所の敷地内に社宅を建てて、家族といっしょにそこに住みついたら、「原子力発電所は危険だ」などという者は、ひとりもいなくなるだろう。何億円も宣伝費をかけるよりも、よほど説得力があるというものである。できないのは不思議だ。彼らは「日本の原子力発電所は絶対に安全だ」と主張しているのだから、そのていどのことができないはずはない。もっと辛辣に、「東京の都心部に原発をたてたらどうだ、絶対安全なのなら」と主張する人もいるのだから。>

しかし、この論理の元祖たる「お前が戦争に行け」論からして破綻が明らかなのに、その改変バージョンでしかない「お前が原発に行け」論が成り立つわけもありません。
そもそも、原発再稼働を掲げる人達だって、別に「原発は100%安全だ!」と述べているわけではなく、安全対策について万全を期すよう主張する人がほとんどでしょう。
その上で「原発を再稼働しないと経済に悪影響がある」と言っているのですから、それに対して反論するのであれば、「原発がなくても【経済的に】やっていける」というものでなくては本来ならないはずです。
よって、この時点で「お前が原発に行け」論は単なる論点そらしにしかなっておらず、何ら反論になっていないのです。
そしてもうひとつ問題なのは、反原発が結局のところ国民に負担をかけることを強要するスローガンになっていることです。
原発再稼働の本質は経済問題、ひいては国民生活に直結する事案でもあるのに、それを無視して反原発を押しつける行為は、結果として「国民に不自由を強要する」ということにならざるをえないのですから。
そうなると、実は原発再稼働側の人間こそが「そんなに原発再稼働に反対するのならば、自分達から率先して電気を使った生活を捨ててくれ」「原発が停止した分の経済的損失を全額補填してくれ」という主張を、逆に反原発派に対して主張できてしまうわけです。
もちろん、そう主張されれば反原発派の人達はこう反論せざるをえないでしょう。
「主張の正しさと行動には何の相関関係もない」
「電力会社を批判する際には、電力会社の電気を使ってはいけないとでも言うのか!?」
と。
もちろん、その反論は全くもって正しいのですが、しかしそれならば、反原発派が展開している「お前が原発に行け」論もまた同じ論理で反論できるものでしかないんですよね。
戦争や原発に限らず、ちょっと視点と角度を変えてしまえば何にでも適用できてしまう「お前が○○に行け」論は、結局あまり意味がない論理でしかないということです。

しかし、この手の論理を主張する人達は、その矛盾に全く気づかないのか「自分達だけは特別」とでも考えているのでしょうかねぇ。
田中芳樹御大なんて、銀英伝の頃から既に30年近くも同じ論理を使い回し続けているのですし。
自分達自身に「お前が○○に行け」論が跳ね返されてきた時、彼らは一体どのような反応を見せることになるのでしょうか?

Microsoft社が催促するWindowsXPとOffice2003のアップグレード

Microsoft社がWindowsXPをアップグレードするようユーザーに促し始めました。
WindowsXPのセキュリティアップデートの期限が2014年4月8日までとなっており、残り2年を切ったので早くWindowsXPを捨てて、ということのようで↓

http://jp.techcrunch.com/archives/20120409two-more-years-microsoft-reminds-windows-xp-users-that-its-about-time-to-upgrade/
> Windows XPがリリースされたのは2001年だが、今だに現役だ。セキュリティー関連のアップデートは2014年4月8日まで続く。それまであと2年残っているとはいえ、Microsoftは今日(米国時間4/9)、XPユーザーに対してそろそろWindowsをアップデートとするよう促した。
>
> MicrosoftはXPの小売を2008年に停止している。XP同様、
Office 2003のサポートも2014年4月30日までだ。そこでMicrosoftはOffice 2003についても8年半新しいOffice 2010に乗り換えるようアピールしている。
>
> だが、依然として何百万台ものXPマシンが稼働中だ。StatCounterの統計によれば、全パソコンの3分の1以上が XPを利用しており、世界でWindows 7のシェアがXPを上回ったのはやっと昨年の10月になってからだった。
XPユーザーの多くは新興国にいるが、先進国でもXPを使う個人や企業はまだ多い。アメリカでさえ、22%がXPだ。
>
> MicrosoftのStella Chernyakは「Windows XPとOffice 2003はその当時としては非常に優れたソフトウェアでしたが、テクノロジーは大きく進歩しています。…企業にとっても個人にとっても現代の進歩したテクノロジーを活用すべく開発された新しいソフトウェアを利用することが利益になります」と呼びかけている。

しかしこの不況の最中にOSやソフトを変更するのは、企業や個人にとってかなりの負担とならざるをえないでしょうね。
特に企業なんて、規模が大きくなればなるほどパソコンの数も半端なものではなくなってきますし、その全てのOSとソフトを変更するとなれば、相当な手間と費用をかけざるをえないことが一目瞭然なのですから。
古いパソコンならばハードのスペックの問題もありますから、いっそパソコンごと買い換えた方が、下手にアップグレードを行うよりも却って面倒がなくなるくらいですし、しかしそうなると更なる費用がかかるというわけで。
企業・個人を問わず、WindowsXPユーザーはあと2年のうちに難しい選択を迫られることになりそうです。

それにしてもMicrosoft社にとって、今なお続くWindowsXPの跳梁跋扈は「呪い」の類でしかないのでしょうね。
発売当時は最新だったにしても、今となっては旧式OSでしかないWindowsXPのために自社のリソースを割かなければならず、その分最新OSの開発やサポートに支障を来たすことになるのですから。
まあ、全てはWindows Vistaの仕様設計を間違えたことで拡散戦略が完全に頓挫したことがそもそもの元凶なのですから、ある意味自業自得ではあるのですが。
それだけに、ようやく軌道に乗ってくれたWindows 7には期待するところが大なのでしょうけど、Microsoft社としても、早くWindowsXPの「呪い」が終わってくれることを祈らざるをえないところなのでしょうね。

ところでMicrosoft社は、WindowsXPだけでなくOffice2003についても最新バージョンへの刷新を推奨しています。
しかしMicrosoft Officeは「複数バージョンの併用」が可能な上、2007以前と以降ではファイルの拡張子も異なっているため、併用した方がむしろ便利だったりするんですよね。
Microsoft Officeシリーズは、新規にインストールする予定のバージョンよりも古いバージョンのソフトが元々入っている場合、そのままの状態で新バージョンを追加でインストールを行うことができます。
たとえば、Office2003が入っている状態でOffice2010をインストールする場合、別にOffice2003をアンインストールせずともそのままOffice2010がインストールでき、かつOffice2003とOffice 2010の両方を一緒に使うことができるわけです。
当然、WordやExcelなどのソフトも旧バージョンと新バージョンの両方が使用可能です。
ただし、Microsoft Outlookだけは併用ができず、どちらか1つのバージョンを選択するしかないのですが。
ここで注意しなければならないのは、新バージョンのOfficeがインストールされている状態のパソコンに旧バージョンのソフトを入れることはできないということ。
あくまでも、旧バージョンがまず入っている状態で新バージョンをインストールする場合のみ、併用が可能というわけです。
それでもあえて新バージョンがインストール済みのパソコンに旧バージョンを入れたいという場合は、一旦新バージョンのOfficeをアンインストールした上で旧バージョンをインストールし、その後で最新バージョンを再インストールする、という手間が必要となります。

旧バージョン(特に2000)のOfficeソフトは、1つのインストールソフトで無制限のパソコンにインストールを行うことができますし、何よりも既存のソフトとの互換性の問題が全くないのですから、サポートがなくなった今でも結構重宝するシロモノだったりするんですよね。
Microsoft社の意向に反して、Microsoft Officeの旧バージョンは今後も使われ続けることになるのではないかと思えてならないのですけどね。

冠婚葬祭に関する全国的な傾向について

読売新聞の冠婚葬祭に関する全国世論調査で、法要・葬式・七五三・結婚式・披露宴など、ほとんど全ての冠婚葬祭で「簡素に行う方が良い」と答える人が9割近くにも達しているのだそうです↓

http://www.yomiuri.co.jp/feature/20080116-907457/news/20120406-OYT1T01326.htm
>  読売新聞社は2月から3月中旬にかけて冠婚葬祭に関する全国世論調査(郵送方式)を実施した。
>
>  冠婚葬祭を簡素に行う方がよいか、盛大に行う方がよいかを個別に聞くと、
「簡素に」との答えは「法要」96%、「葬式」92%、「七五三」86%、「結婚式・披露宴」84%で、いずれも90%前後に達した。
>
>  これらについて、
慣習やしきたりにこだわらなくてよいと思う人の割合は、「結婚式・披露宴」78%、「法要」59%、「葬式」58%、「七五三」54%とすべて半数を超えた。冠婚葬祭をめぐる国民の意識は多様化している。
>
>  自分の葬式を仏教式で行う場合、戒名(法名)が「必要ない」と答えた人は56%で、「必要だ」43%を上回った。年代別でみると、「必要ない」は40歳代で最多の63%となるなど、20~60歳代の各年代で多数だったが、70歳以上だけは「必要だ」54%が「必要ない」44%より多い。

冠婚葬祭の簡素化は、以前にも述べたように「そんなことにカネを使うのがもったいない」「派手にするとコストが高くなる」と考える人が多くなったことと、「人付き合いの煩わしさ」を避けようとする心理も少なからず働いているのが大きく影響しているのでしょうね。
ただでさえこの不況な御時世の中、1回で終わる冠婚葬祭に多大なカネをかけることに「もったいない」「無駄」と考える人が多いのはまず確実でしょう。
そこに加えて、冠婚葬祭を自分で執り行なうともなれば、まず人を集める手間がかかるし、堅苦しい儀式で時間を取られるし、出席者に対していちいち面倒な挨拶か儀礼を強いられるしと、とにかく時間も労力も多大に消費させられるわけです。
近所付き合いが普通に存在した村社会が当たり前だった一昔前ならばいざ知らず、人付き合いが少なくなった昨今の情勢では、冠婚葬祭はむしろ時間もカネも労力も無駄に浪費させられるだけの煩わしいイベント以外の何物でもなくなっています。
人を祝ったり、人の死を悼んだりする行為そのものに偽りはないでしょうが、そのためにわざわざカネを払ってクドクドした儀式を執り行なう必要まではない、というわけです。
まあ現代においても、営業職などでは人付き合いが重要な要素を占めるわけですし、「コネクションを作っておく」という点では冠婚葬祭も決してバカにできるものではないのですが。
ただ、欧米などの冠婚葬祭だと、宗教的な要素が大きなウェイトを占めていますからまだ忌避感情も少ないのでしょうが、日本の場合はひたすら人付き合いがメインですからねぇ。
全体的に見れば人付き合いそのものの必要性がやはり減っているであろう現代では、当然冠婚葬祭の社会的意義もまた減少せざるをえないわけで、その点では意識変化も必然なのではないかとは考えざるをえないところです。

今の調子で進んでいくと、冠婚葬祭もそのうち、役所で必要な事務手続きを行うだけで特に大きな祭典や儀式も行うことなく終了するのが一般的、という時代がやってくるのかもしれませんね。
実際、「結婚はするが結婚式は挙げない」「身内が死んでも葬儀は行わず直葬だけ行う」という手法は一部で既に行われているわけですし。
企業や公的機関、社会的地位のある人や有名人などが主催する冠婚葬祭の場合は、ビジネスの問題もありますからまず無くなることはないでしょうが、一般人の、それも個人的・プライベート的なものになると、ことさら冠婚葬祭を行わなければならない理由自体がないですからねぇ。
経済が上向き一般人の所得水準が向上すればもう少し違ってもくるのでしょうが、今の情勢が続くと、冠婚葬祭はどんどん簡素化が進んだ挙句、最後には「省略」されるにまで至るのではないでしょうか。

銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察5

「亡命編」におけるヴァンフリート星域会戦についての最後の考察は、いよいよそのグランドフィナーレを極彩色かつ悪趣味な形で派手に飾り立てることとなる、エーリッヒ・ヴァレンシュタインが吐き散らしまくっていた愚劣極まりない罵倒内容について検証していきたいと思います。
これまでの考察で検証してきたような自身の問題に全く気づけない、もしくは知っていながらその事実を直視することなく、「全て他人が悪い」という自己正当化と責任転嫁ばかりに終始する、能力的にも人格的にも「多大」などという程度の言葉ではとても表現できないほどに問題がありまくるヴァレンシュタインは、もう理屈もへったくれもない論理でもって周囲の人間全てを罵倒しまくった挙句、ついにはそれこそ自身の立場どころか生命すらも危うくしかねない致命的な発言までも繰り出してしまうことになります。
こんなキチガイをわざわざ重用しなければならないとは、それほどまでに「亡命編」における同盟という国家は低能かつ善良すぎるお人好し集団なのかと、思わず嘆かずにはいられませんでしたね(苦笑)。
さて、前置きはこのくらいにして、検証を始めていくことに致しましょう。
なお、「亡命編」のストーリーおよび過去の考察については以下のリンク先を参照↓

亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
http://ncode.syosetu.com/n5722ba/
銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-570.html(その1)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-571.html(その2)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-577.html(その3)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-585.html(その4)

「自己正当化&責任転嫁」という自身の欲望を満たすべく、ヴァレンシュタインが最初に選んだ口撃のターゲットはヤンでした。
ヴァレンシュタインはヤンに対し、ビュコック艦隊の来援が「自分の予想より一時間遅かった」などという理由でもってヤンを詰問し始めたのです。
前回の考察でも検証したように、このヴァレンシュタインの言い分自体に全く正当性がないのですが、そのことに気づかずよほどのハイテンションにでもなっているのか、ヴァレンシュタインは更なる不可解な言いがかりを披露し始めます↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/17/
> ヴァレンシュタインが薄く笑った。
> 「なるほど、ではヤン中佐の独断ですか……」
> 「馬鹿な事を言うな! ヴァレンシュタイン少佐! 一体何が気に入らないんだ。戦争は勝ったんだ、一時間の遅延など目くじらを立てるほどのことでもないだろう」
>
> 俺の叱責にもヴァレンシュタインは笑みを消さなかった。
> 「勝ったと喜べる気分じゃないんですよ、バグダッシュ少佐。
エル・ファシルでも一度有りましたね、中佐。あの時も中佐は味方を見殺しにした
> 今度はエル・ファシルか、何故そんなに絡む? 一体何が気に入らないんだ……。
>
> 「何を言っている、あれは
リンチ少将達がヤン中佐に民間人を押し付けて逃げたんだ。見殺しにされたのはヤン中佐のほうだろう」
> 俺はヤン中佐を弁護しながら横目で中佐を見た。中佐の身体が微かに震えている。怒り? それとも恐怖?
>
> 「バグダッシュ少佐、
ヤン中佐は知っていましたよ、リンチ少将が自分達を置き去りにして逃げることをね。その上で彼らを利用したんです。リンチ少将のした事とヤン中佐のした事にどれだけの違いがあるんです。五十歩百歩でしょう

こんな阿呆な形での活用しかされないなんて、私はヴァレンシュタインが持っているとされる「原作知識」とやらに心から同情せざるをえないですね(T_T)。
エル・ファシル脱出時におけるリンチは、本来自分が率先して守らなければならない民間人とヤンを見捨てたばかりか、自身の任務も放擲して逃走を行ったわけですよね。
そういうことをやらかした上司を、見捨てられた側のヤンが守ってやらなければならない理由や法的根拠が一体どこにあるというのでしょうか?
しかも民間人脱出のための準備に忙殺されていたであろうヤンは、リンチに直接諫言を行える場にもいなかったわけですし。
リンチはリンチで、まさか民間人とヤンを見捨てることを当のヤンに懇切丁寧に教えてやるわけもないのですから、この件に関してヤンは全くのノータッチということになります。
となればヤンは、リンチが見捨てた民間人および自分の生命を助けるために奔走せざるをえなかったでしょうし、そのためにいちいち手段など問うてはいられなかったでしょう。
しかも、リンチがヤンに与えた最後の命令は「民間人脱出計画の立案と実行」なのですから、実はヤンはリンチの命令にすらも全く背いていないことになります。
自身の任務を放棄し敵前逃亡したリンチと、上司の命令を最後まで忠実に守って実行したヤン。
両者の行動には、誰が見ても明々白々でしかない絶対的かつ圧倒的な格差があるとしか思えないのですけどねぇ。

そしてさらに笑止なのは、リンチとヤンのやっていることが同じだと断罪する他ならぬヴァレンシュタイン自身がもしヤンと同じ立場に立たされた場合、確実にヤンと同じことをするであろうということです。
何故なら、リンチの敵前逃亡によって危機に晒されたのは民間人だけでなく、ヤン自身も同じだったからです。
ヤンが民間人脱出をやってのけたのは、もちろん民間人保護のためでもあったでしょうが、同時に自分自身を助けるためでもあったのです。
そしてヴァレンシュタイン自身もまた、自分の生命を守り生き残るために、原作の流れを変えてラインハルトを殺そうとすらしたわけでしょう。
エル・ファシルにおけるヤンの行為と同じなのは、リンチの敵前逃亡などではなく、ヴァンフリート星域会戦におけるヴァレンシュタイン自身の選択なのです。
それから考えれば、もしエル・ファシルの脱出におけるヤンの立場にヴァレンシュタインがあった場合、彼がヤンと全く同じ行動を取ってリンチを見捨てるであろうことは確実なわけです。
またヴァレンシュタインの性格から言っても、自分を見捨てて危機に晒すような上司に対して何の報復もしないとは到底考えられません。
リンチを見捨てるどころか、むしろ嬉々として帝国軍に捕まるような取り計らいをすらするでしょうね、ヴァレンシュタインならば(笑)。
実際、この先のストーリーでも、ロボスとフォークをその地位から叩き出すような行為をヴァレンシュタインは平気で行っているのですから。
もちろん、「自分が生き残ること」を至上命題とするヴァレンシュタインにとって、そういった行為は無条件に正しいとされる行為なのでしょう。
しかしそれならば、他ならぬ自分自身の行動原理と照らし合わせても妥当としか言いようのないヤンの行為について、何故ヴァレンシュタインがそこまで罵り倒すのか、およそ理解不能と言わざるをえないのですけど。
それって、普通に考えたら「自分だけを特別扱いするダブルスタンダード」としか評されないのではないですかね?

さて、ヴァレンシュタイン個人の被害妄想に立脚した私怨に満ちた罵倒に対し、しかしヤンはいっそ紳士的とすら評しても良いくらい律儀な弁明を行います。
ビュコックにヴァンフリート4=2への転進するよう進言はしたが、他の参謀に反対され意見を通せず、それ故に1時間はロスしたであろうと。
状況から言っても、ヴァレンシュタインが持つ原作知識から見ても充分に起こりえる話であり、何よりも前回の考察で述べたように当時の2人の関係とヤンの性格を読み間違えたヴァレンシュタインにこそ最大の問題と責任があったことを鑑みれば、すくなくともヤン「だけ」に全面的な非があると責めるのは酷というものでしょう。
しかし、その事実を突きつけられてもなお、ヴァレンシュタインは全く納得しようとしません。
それもそのはずで、そんなことを認めてしまったら、ヴァレンシュタインが最大の目的としている「自己正当化&責任転嫁」の欲望が達成できないことになってしまうではありませんか(苦笑)。
何が何でも「自分に問題がある」と認めるわけにはいかない、他人に責任をなすりつけ罵りまくりたい。
そんな風に懊悩するヴァレンシュタインの様子を根本的に勘違いしたバグダッシュから、話の流れとは全く関係のない「救いの手」が差し伸べられました。
バグダッシュは、ヴァレンシュタインを帝国に帰すわけにはいかないから前線勤務を命じたという事情をヴァレンシュタインに話したのですね。
ところが何を血迷ったのか、ヴァレンシュタインは自分以外の人間には全く理解できない理論を駆使して周囲の人間全てを罵倒し始めた挙句、ついには致命的な発言まで繰り出してしまったのです↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/17/
> 「よくもそんな愚劣な事を考えたものだ。自分達が何をしたのか、まるで分かっていない」
> 「少佐……」
> ヴァレンシュタインの口調が変わった。口調だけではない、表情も変わった。さっきまで有った冷笑は無い、有るのは侮蔑と憎悪だけだ。その変化に皆が息を呑んだ。
>
> 「私はヴァンフリート4=2へ行きたくなかった。行けばあの男と戦う事になる。だから行きたくなかった」
> 「あの男?」
> 恐る恐るといった感じのミハマ中尉の問いかけにヴァレンシュタインは黙って頷いた。
>
> 「
ラインハルト・フォン・ミューゼル准将、戦争の天才、覇王の才を持つ男……。門閥貴族を憎み、帝国を変える事が出来る男です。私の望みは彼と共に帝国を変える事だった
>

(中略)
>
>
「第五艦隊の来援が一時間遅れた……。あの一時間が有ればグリンメルスハウゼン艦隊を殲滅できた、逃げ場を失ったラインハルトを捕殺できたはずだった」
> ヴァレンシュタインは呻くように言って天を仰いだ。両手は強く握り締められている。
>
> 「最悪の結果ですよ、ラインハルト・フォン・ミューゼルは脱出しジークフリード・キルヒアイスは戦死した。ラインハルトは絶対私を許さない」
> ジークフリード・キルヒアイス? その名前に不審を感じたのは俺だけではなかった。他の二人も訝しそうな表情をしている。俺達の様子に気付いたのだろう、ヴァレンシュタインが冷笑を浮かべながら話し始めた。
>

(中略)
>
> 「
貴官らの愚劣さによって私は地獄に落とされた。唯一掴んだ蜘蛛の糸もそこに居るヤン中佐が断ち切った。貴官らは私の死刑執行命令書にサインをしたわけです。これがヴァンフリート星域の会戦の真実ですよ。ハイネセンに戻ったらシトレ本部長に伝えて下さい、ヴァレンシュタインを地獄に叩き落したと」
> 冷笑と諦観、相容れないはずの二つが入り混じった不思議な口調だった。

……よくもまあ、ここまで自爆同然の発言をやらかして平然としていられるものだなぁと、もう呆れるのを通り越していっそ絶賛すらしてやりたくなってしまいましたね。
実はここでヴァレンシュタインは、自身の未来どころか生命すらをも破滅に追いやりかねない致命的な発言を2つもやらかしているのです。
ひとつは、このタイミングでラインハルトの情報および自分の真の戦略目的を公言してしまったこと。
そもそもこの時点まで、ラインハルトに関する軍事的才能などについての詳細な情報は、同盟国内の誰ひとりとして知る機会すら全くありませんでした。
当然、その将来的な脅威や来るべき未来図などは、ヴァレンシュタイン以外に、ヴァンフリート星域会戦当時における「亡命編」の世界で知っている者などいるはずがありません。
そういった人物を捕殺することがヴァレンシュタインの真の戦略目的だったというのであれば、それは会戦前にヴァレンシュタイン自ら同盟軍首脳部に対し情報を提供し、その殲滅を最優先するように周知徹底させなければならないことだったはずです。
存在すら知らない人間の殲滅なんてできるわけもないのですから。
ところがヴァレンシュタインは、自分が当然やるべき責務を怠ったのですから、これでは失敗するのが当たり前で、むしろ成功などする方が逆に奇跡の類なのです。
そしてここが重要なのですが、ヴァレンシュタインがそのような公言を行ったことにより、ヴァレンシュタインが同盟軍に対して本来提供すべき情報を故意に隠蔽していたという事実を、当の同盟軍側が知ることとなってしまったのです。
一般企業でさえ、上層部にほうれんそう(報告・連絡・相談)を怠って不祥事を招いた人間は、相応の責任を問われる事態に充分なりえるのです。
ましてや、これが軍であればなおのこと、重罪に問われても文句は言えないはずです。
この時点でヴァレンシュタインは、情報を隠蔽され不確実な軍事行動を強いられた同盟軍から、何らかの罪に問われるであろうことが【本来ならば】確実だったわけです。

そして、より致命的なふたつめは、そのラインハルトに仕えることが自分の望みであると自分から公言してしまったこと。
本来考えるまでもないことなのですが、このヴァレンシュタインの発言は「自分が帝国のスパイである」と自分から公言しているも同然です。
ラインハルトの下につこうとするヴァレンシュタインが、ラインハルトに対して同盟について自分が得た経験と知識を提供しないわけがないのですから。
ヴァレンシュタインは「俺がブラウンシュヴァイク公などに仕えるわけがないだろう!」と怒り狂っていますが、同盟側にしてみれば、情報提供する相手がブラウンシュヴァイク公だろうがラインハルトだろうが「帝国に同盟の内部情報が持ち去られてしまう」という点では何も変わりません。
元々スパイ疑惑がかけられ監視されていたヴァレンシュタインは、これで晴れて「帝国のスパイ」としての地位を自ら確立することとなってしまうわけです。
こちらは同盟側にとっては「現時点ではまず真偽を確認するところから始めなければならない未確定なラインハルト関連情報」の隠蔽問題よりもはるかに切実な事件となりえますので、【本来ならば】ヴァレンシュタインは、この言質を元に逮捕拘禁されて軍法会議にかけられ、最悪銃殺刑に処されたとしても文句は言えないのです。
何しろ同盟側から見れば、誰からも強制されていないのに「自分はスパイになるのが望みである」と当の本人が堂々と公言しているも同然なわけなのですから。
ヴァンフリート星域会戦を戦勝に導いた功績など全部帳消しになるどころか、自身の立場や生命すらも危うくなりかねない失態を、ヴァレンシュタインは【本来ならば】演じていたことになるわけです。

では何故、【本来ならば】罪に問われるはずだったヴァレンシュタインが全くそうなることなく、順当に二階級段階昇進などをしているのか?
もちろん、「ヴァレンシュタインが密かに暗躍してそういう事態を未然に防いだ」などということは全くなく、単に同盟軍上層部がヴァレンシュタインの発言の意味すらも全く理解しえなかったほどの「常識外れのバカ」かつ「人を疑うことすら知らないレベルの重度のお人好し」だった、という以外の結論など出ようはずもありません。
何しろ、一連のヴァレンシュタインの言動は報告書として上げられシトレやキャゼルヌもきちんと検分している(19話)のに、それでもヴァレンシュタインに嫌疑をかけることすら全く思いもよらないのですから。
彼らは一体何のためにヴァレンシュタインを監視していたというのでしょうか?
別の意味で「国家」や「軍隊」の体を為していませんし、原作「銀英伝」の自由惑星同盟だって、いくら何でもここまで酷くはなかっただろうにと思えてならなかったのですけどね(爆)。
たかだかヴァレンシュタインごときのキチガイな言動を正当化する【だけ】のためなどに、ここまで同盟軍および原作主要登場人物達は徹底的に貶められなければならないのでしょうかねぇ(-_-;;)。

ヴァレンシュタインが同盟軍に入らなければ。
ヴァレンシュタインが同盟軍内で目立つような言動を披露などしなければ。
ヴァンフリート4=2の補給基地赴任を命じられた時点でヴァレンシュタインがラインハルトの情報を同盟軍に公表し殲滅を促していれば。
そして何よりも、原作知識を過信せずに正しく使いこなしていれば。
ヴァレンシュタインがラインハルトと「望まない直接対決」を強いられる羽目になり、ヴァンフリート星域会戦でラインハルトを取り逃がすまでに至ったのは、そのほとんどがヴァレンシュタイン自身の責任に帰する問題以外の何物でもありません。
これこそが、ヴァレンシュタインがひたすら目を背け続けた、ヴァンフリート星域会戦の【本当の】真実なのですよ(苦笑)。
屁理屈の類にすらも全くなっていない愚劣で非現実的な「迷推理」ばかり披露し空回りを続けてでも他人に八つ当たりしまくり、自己正当化と責任転嫁に汲々としてばかりいる、人並みの羞恥心すらもない思い上がりと厚顔無恥を地で行くヴァレンシュタインには、おそらく永遠に理解できないであろうことなのでしょうけどね。

さて、これで「亡命編」におけるヴァンフリート星域会戦についての考察はとりあえず終了ですが、「亡命編」のストーリーはこれ以降もまだまだ続きます。
当然、「亡命編」が完結するか中途放棄されるまで、ヴァレンシュタインの笑える珍道中も続くことになるわけですが、次回の考察では少し幕間的な話をしてみたいと思います。

映画「SPEC~天~」感想

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映画「SPEC~天~」観に行ってきました。
特殊能力を題材にした独特の世界観で人気を集めたTBS系列のテレビドラマ「SPEC(スペック) ~警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿」の続編作品です。

今作は、テレビドラマ版のラストからそのまま続くストーリーな上、テレビドラマ版の設定が分かっていないと意味不明なエピソード話がかなりの数出てきます。
冒頭からして、主人公である当麻紗綾(とうまさや)が左手を三角巾で吊るしているという特殊な光景が当たり前のように描かれていますし、主人公の性格設定や周囲の人間関係についても当然のごとく何の説明もありません。
また作中では、「津田助広(つだすけひろ)」と名乗る人物の本物が出現するというエピソードが出てくるのですが、これも初見の人間には一体何のことやら不明なシロモノです。
よって、テレビドラマ版について知らない方は、事前にテレビドラマ版の予習をしておくことが確実に求められる作品であると言えるでしょう。
間違っても、今作単独で楽しめる映画などではありえません。
かくいう私自身も、テレビドラマ版「SPEC」は全く視聴していなかったこともあり、あえて予備知識も入れることなく白紙の状態で今作を観賞してみたのですが、そもそも冒頭15分の時点で「今どんな状況で、何故そんな事態が発生しているのか?」からして全く分からなくなってくるという惨状を呈するありさまでした。
過去のシリーズも全部観ないと話そのものが全く理解できないという点では、映画「SP」シリーズ2部作に近いものがあります。
「海猿」シリーズ「麒麟の翼」などは、同じテレビドラマ版からの続きものであっても映画単独で充分に楽しめるストーリー構成だっただけに、今作でも同じように楽しめることを期待していたのですけどねぇ(-_-;;)。

映画の冒頭では、2014年11月3日の海辺?に佇むひとりの女性が手紙を読み始める描写が映し出された後、「ファティマの預言」なるものの説明が行われます。
「ファティマの預言」というのは、1917年にポルトガルのファティマに聖母マリアが突如出現して残したという3つの預言のことを指すそうです。
第一の預言は当時繰り広げられていた、当時は欧州大戦という名で呼ばれていた第一次世界大戦の終焉を、第二の預言は第二次世界大戦の勃発についてそれぞれ語られており、最後となる第三の預言はバチカン教皇庁によって厳重に管理されているとのこと。
第三の預言は「1981年に教皇が暗殺されることを示したものだった」と発表されましたが、過去の預言との文脈から言っても辻褄が合わないという疑問で説明は締めくくられていました。
この、いかにもおどろおどろしく出てきた預言の解説が終わり、海に浮かぶクルーザーが突如氷結する描写が繰り広げられた後、舞台は当麻紗綾と瀬文焚流(せぶみたける)が属する警視庁公安部公安第五課の未詳事件特別対策係、通称「未詳(ミショウ)」の一室で自分達の趣味にそれぞれ没頭している様子が描かれます。
瀬文焚流は机の上に○分の1ジオラマか何かを置いて桶狭間の戦い?を再現しようと躍起になっており、当麻紗綾は自身の好物らしい餃子の模型を作っている最中といったところ。
やがて2人は、互いの行為にブチキレて体を張った殴り合いを演じることになるのですが、そんな2人の元に、何故か警視庁のお偉方が2人やってきました。
「未詳」が担当しているSPEC(特殊能力)持つ人間「スペックホルダー(SPEC HOLDER)」について話があるとのことで、その場にいる人間が2人に注目します。
2人が話そうとしていたのは、「ファティマの預言」の話の後に出てきたクルーザーの氷結事件についてでした。
ところが説明を受けている最中に2人が突然狂い出し、外部のスペックホルダーのSPECに操られているかのごとき様相を呈し始めます。
ひとしきりその状態が続き、好き勝手にしゃべくり倒した後に2人は元の状態に戻るのですが、操られていた間のことは何も覚えていないありさま。
新たなスペックホルダー達の蠢動を感じざるをえなかった当麻紗綾と瀬文焚流の2人は、問題となったクルーザーの調査へと向かうのですが……。

映画「SPEC~天~」の宣伝では、「真実を疑え」「未来を掴め」「人気シリーズ完全映画化! 最強の敵。仲間の死。そして全ての謎に終止符が打たれる」などといったキャッチフレーズが使われています。
ところが実際に映画を観てみると、「SPEC」シリーズは全然終わっていないどころか、今後も続ける気満々であることがはっきりと明示されているんですよね。
特にエンドロール開始以降はその手のネタが次々と頻出するありさま。
作中最大の敵だった一十一(にのまえじゅういち)のクローンが実は1体ではなく複数あったことが明示され、4体のクローンが登場したかと思いきや、その場にいた白いタキシード?の謎の男が片手を振っただけであっさり消し飛んでしまったり、何故か国会議事堂が砂に埋もれて廃墟と化している未来?が明示されていたりと、「全ての謎に終止符が打たれる」どころが、逆に「新たな謎」が出てきてしまう始末。
トドメは、当麻紗綾と瀬文焚流が並んで立っている場面で、「この物語における起承転【けつ】の最後の文字は『結』ではなく『欠』」などと主張して、続編があることを問答無用に示唆してしまっていました。
冒頭に出てきた「ファティマ第三の預言」とやらも、結局作中では内容がある程度明らかになっただけで、結局預言が具現化していたような描写もなかったですし。
宣伝文句に偽りがあり過ぎますし、ただでさえ意味不明な展開が多すぎた中でこれではちょっとねぇ……。
観客を舐めまくっているとしか思えなかったですね、あのエンドロールは。

当麻紗綾と瀬文焚流が作中で繰り広げまくっていたドツキ漫才なギャグの連発はむしろ清涼剤的な効果もあったと思うのですが、肝心の話の内容がここまで分かりにくいというのは予想外もいいところでした。
「SPEC」と同じくテレビドラマ版視聴前提だった「SP」シリーズでさえ、すくなくとも作中で繰り広げられたミッション内容程度くらいは理解でき、かつ「テレビドラマ版も面白そうだからそちらも観賞してみようか」と関心を持たせてくれるだけの構成ではあったのですが……。
しょっちゅうテレビドラマ版とリンクしたエピソードが繰り広げられたことも、初見者である私にとっては分かりにくさに拍車をかけるシロモノでしかありませんでしたし。
テレビドラマ版からのファンであればそれでも問題なく楽しめるのかもしれませんが、そうでない人達については、すくなくとも予備知識なしにイキナリ今作を観賞することのないよう、これは強く忠告しておきます。

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