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シー・シェパードの親玉ポール・ワトソンが逮捕

環境保護と称してテロ行為を働きまくるシー・シェパードの親玉ポール・ワトソンがドイツで逮捕されました。
容疑はコスタリカ船舶の航行妨害で、それ以外にも殺人未遂容疑でも逮捕状が執行される可能性があるのだそうで↓

http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2877767/8941162
> 【5月14日 AFP】(一部更新)南極海での日本の調査捕鯨に対する過激な妨害活動で知られる反捕鯨団体「シー・シェパード(Sea Shepherd Conservation Society、SSCS)」は14日、創設者のポール・ワトソン(Paul Watson)代表(61、カナダ国籍)が独フランクフルト(Frankfurt)で13日に逮捕されたと発表した。身柄はコスタリカに引き渡される見通し。
>
>  コスタリカからの報道として豪メディアが伝えたところによると、
ワトソン代表には同事件での殺人未遂容疑でも逮捕状が執行される可能性がある。
>
>  シー・シェパード側の説明によるとワトソン代表の逮捕容疑は、2002年に中米グアテマラ沖でフカヒレ目的の違法なサメ漁を暴くドキュメンタリー映画「シャークウォーター/神秘なる海の世界(Sharkwater)」の撮影中、コスタリカ船舶の航行を妨害したというもの。シー・シェパード側は、グアテマラ領海内で違法サメ漁を行うコスタリカ船を発見し、グアテマラ当局の要請に基づき同船に併航しながら漁を中止して帰港するよう指示していたところ、突然グアテマラの小型砲艦が介入してきたため、これを逃れようとコスタリカに向かったと主張している。
>
>  コスタリカ漁船側はシー・シェパード側が自分たちを殺そうとしたと訴えているという。(c)AFP

身の程知らずのテロ団体には強硬なスタンスが一番効果的ということでしょうね。
というか、むしろ弱腰な態度に終始するからこそ、こういうテロ団体は「ここでは何をやっても安全だ」と増長して更なる過激行為に及ぶという構図があるのですし。
その意味では、911テロ事件以降、「テロ組織との妥協はない」的な強硬姿勢を示すアメリカの基本スタンスにも一定の理があると言えます。
当のシー・シェパード自身、ロシアのような「発見次第殲滅」を基本方針としているような国には、たとえ捕鯨を行っていても手を出さないのですし。
世界の取り締まり方針が厳しいというよりも日本が温和すぎるのですが、いいかげん日本もシー・シェパードのようなテロ団体を問答無用で駆逐するような体制を構築しないと、いつまで経っても舐められ続けるのではないですかねぇ。

mixiが身売りを検討している?

日本の大手SNSサイトのmixiが身売りを検討していると報じられました。
GREEやモバゲータウンに押されていることに加え、Facebookの台頭で業績が悪化したことから、株式の売却を他企業に打診しているのだとか↓

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20120514/232015/?bv_ru
>   日本のSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)業界を牽引してきたミクシィが身売りを検討していることが明らかになった。社長の笠原健治氏が保有する約55%の株式について、売却に向けた交渉への参加を複数の企業に打診し始めた。近く行われる入札にはグリーやDeNA(ディー・エヌ・エー)といった競合他社などが参加する見通しだ。
>
>  ある金融筋は「今春、ミクシィから競合他社に株式売却の話が持ち込まれた」と証言する。笠原社長の意を受けた証券会社が株式の売却を持ちかけたといい、「第一段階では笠原社長の保有株式の一部を譲渡して資本提携し、その後、将来的に全株式を放出する案が示された」と続ける。
>
>  
ミクシィが身売りを検討するのは、今回が初めてではない。過去に一度、ヤフーとの間で資本提携が実現まであと一歩のところまで進んだことがある。両社の交渉は2011年2月末にプレスリリースを配信する直前まで進んだが、最終局面で条件が折り合わず結局、白紙に戻ってしまったという経緯がある。
>
>  ミクシィがSNSを開始したのは2004年2月。当初は同時期にサービスを開始したグリーに比べて圧倒的に多くの会員を獲得し、日本のSNS業界を牽引してきた。しかしその後、携帯電話に主軸を置き、ソーシャルゲームを事業の中心に据えたグリーとDeNAが急成長。一方、
リーマンショックの影響やスマートフォンの台頭で、収益の大半をパソコンや携帯電話の広告に依存してきたミクシィの業績は低迷を続けた。
>
>  2011年11月には方針転換を決意し、従来から提供していたSNS上のアプリのうち、ゲームのみを集約した「ミクシィゲーム」を新設。他社に比べて出遅れていたソーシャルゲーム分野のテコ入れによって、広告モデルから課金収入モデルへのシフトを加速させている。
>
>  だが、グリーやDeNAに比べると業績の差は歴然としている。ミクシィの2012年3月期の売上高は前年同期比横ばいの133億3400万円。営業利益は同34.9%減の21億9400万円に落ち込み、純利益は7億4900万円と同45.8%減少した。

ただし、当のmixi側は上記の報道内容を否定する公式発表を行っています↓

http://mixi.co.jp/press/2012/0515/10848/
> 本日、一部報道機関において、「ミクシィ、身売りを検討」という報道がありましたが、報じられている事実はございません。

身売り問題でどちらが正しい事実を述べているかは今後を見ていかないと分かりませんが、ただ、身売り報道が事実でないとしても、今のままではmixiの未来はあまり明るいものではないのではないでしょうか?
個人情報の公開におおらかだったアメリカですら「Facebook離れ」が台頭している状況なのに、日本国内限定でしか通用しないmixiが衰退しないわけがありません。
使い勝手も年々改善するどころか、画面が重くなるなどむしろ悪くなっていく一方ですし。
身売り問題が信憑性のある情報として囁かれるという事実自体が、mixiの衰退ぶりを如実に表わしていると言えるのではないかと。
GREEやモバゲーもゲーム課金問題で非難が集中していますが、それでもまだ需要がある分だけmixiよりはマシなのですし。

ひとつ気になるのは、mixiが身売りなり廃業なりするとなった場合、現行のSNSサイトは一体どうなるのか、ということですね。
実態がスカスカになっているとは言え、登録数上は未だ1000万以上ものユーザーがいるわけですし、まさかそれをサイトごと消去するなどということはありえないでしょうが、かといって今のシステムをそのまま存続させ続けるというのはもっと考えられないことですからねぇ。
「mixi」という看板名自体も変わって全く新しいサービスとして生まれ変わる可能性もなくはないですし。
今や「栄枯盛衰の生き字引」と化した感すらあるmixiが今後どうなっていくのか、注視していく必要がありそうです。

福井県おおい町議会が大飯原発再稼働への同意を決議

関西電力大飯原発の再稼働問題で、福井県おおい町議会が再稼働に同意する決議を下しました↓

http://www.asahi.com/national/update/0514/OSK201205140063.html
>  福井県おおい町議会は14日の全員協議会で、関西電力大飯原発3、4号機の再稼働に同意することを議長と病欠者を除く11対1の賛成多数で決めた。午後に時岡忍町長に伝える。
>
>  町議会は、東京電力福島第一原発事故を受けた安全対策、町民説明会などで出た住民の意見などを検証していた。
>
>  時岡町長は町議会の意向や福井県原子力安全専門委員会の結論などを見極め、週末にも西川一誠知事に同意の意思を伝える。

これで、原発再稼働の大きなハードルと言われていた「地元の同意」が得られたことになります。
ヒステリックな反原発の「空気」で、夏や冬に向けて電力不足や電気料金値上げの不安が現実化する中、ここで再稼働に向けての一歩が進められたのは朗報と言えます。
代替えエネルギーの確立もなしに脱原発や節電を推進するなど、戦前の「欲しがりません勝つまでは」「贅沢は敵だ」の世界でしかないのですし。
あとは、去年の浜岡原発やストレステスト等で見られたような「第二のカンガンス」が出ないことを祈るのみですが、さてどうなりますかねぇ。
去年の九州電力における玄海原発再稼働問題の際も、せっかく再稼働に必要な地元の同意が一旦は得られたにもかかわらず、カンガンスの余計な人気取りパフォーマンスが原因で水泡に帰したのですし。
アレの二の舞は勘弁してもらいたいところではあるのですけど……。

映画「キラー・エリート」感想

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映画「キラー・エリート」観に行ってきました。
元SAS(Special Air Service、イギリス陸軍特殊部隊)のラヌルフ・ファインズの実話を元にした冒険小説「The Fether Men」を原作とするアクション・サスペンス作品。
「トランスポーター」シリーズのジェイソン・ステイサムやロバート・デ・ニーロなど、豪華俳優が多数出演しています。
今作は熊本では熊本シネプレックス1箇所だけでしか上映されておらず、そこまで足を運んでの観賞となりました。
作中では水着を脱がされてスッポンポンになる女性やセックスを匂わせる描写・流血シーンなどがあるため、PG-12指定されています。

最初の舞台は1980年のメキシコ。
今作の主人公で傭兵兼暗殺者稼業を営むダニー・ブライスは、長年の相棒であるハンターと共に、要人を暗殺する機会を伺っていました。
彼らが考えた作戦は、2台のリムジンが通るルートを割り出して待ち伏せ、奇襲を仕掛けて一挙にことを成し遂げるというものでした。
果たして作戦は見事に成功し、2台のリムジンのうち1台は爆破され、残り1台もダニーに道を塞がれた挙句銃撃を浴びせられていきます。
護衛と運転手はダニーの手によって片付けられ、リムジンの中にいたターゲットも車の中で銃弾を浴び殺されてしまいます。
ところが、その要人が乗っていたリムジンには、たまたま10歳の少年も一緒に乗り合わせており、ダニーはその少年を見て凍りついてしまいます。
プロの暗殺者としては、目撃者となるであろうその10歳の少年も当然撃ち殺すべきだったのですが、ダニーは銃の引き金を引くことがどうしてもできずにいました。
時間にして1分もなかったでしょうが、ダニーはその隙を突かれて現地の警官に撃たれ負傷してしまい、仲間の援護を受けつつその場を後にすることとなります。
少年を前に冷徹になれない自分に限界を感じ、また少年を殺すことを要求される暗殺稼業に嫌気も差したダニーは、暗殺現場から離脱していく車の中で、今の仕事から足を洗うことを決意するのでした。

それから1年後。
オーストラリアの農場で静かに暮らしていたダニーの元に、1年前の暗殺でコンビを組んでいた相棒ハンターのポラロイド写真が届けられます。
彼はオマーン族の元族長で現在は亡命生活を強いられているシーク・ハルムから仕事の依頼を受けていたものの、途中で任務を放棄して囚われの身になってしまったとのこと。
ポラロイド写真の送り主で、ハンターに仕事を斡旋したエージェントの案内で、ダニーはシーク・ハルムと対面し、ハンターを釈放することと引き換えに、ハンターが途中放棄した仕事を遂行するよう命じられます。
その仕事の内容は、シーク・ハルムの3人の息子を殺したSASの隊員達を、殺害を自白する様子をビデオテープに録画した上で事故死に見せかけ殺してしまうこと。
しかも、シーク・ハルムは既に死病を患い余命半年と宣告されており、それまでに決着をつけなければならないとのこと。
成功報酬は600万ドルとのことでしたが、世界最強の特殊部隊とすら言われているSASを相手にするのはあまりにも無謀極まりない仕事と言えました。
ちなみにハンターは、成功報酬に目が眩んで依頼内容も聞かずに仕事を請け負っていたとのこと。
仕事の達成が困難極まりないと判断したダニーは、まずはハンターとの面会を求めた後、彼と共に脱走する道を選びますが、シーク・ハルムの四男であるバクハイトによってその意図を頓挫させられてしまいます。
イヤでも仕事を引き受けざるをえなくなったダニーは、成功報酬600万ドルを山分けすることを条件にしてかつての仕事仲間達を集め、シーク・ハルムの息子達を殺したSAS隊員の割り出しと殺害方法について検討することとなるのですが……。

映画「キラー・エリート」は、とにかく最初から最後までひたすら暗殺の話をメインに進行していきます。
冒頭のシーンからそうでしたし、SASのメンバーを事故死に見せかけて殺していく過程も暗殺で、さらにはラストでもやっぱり暗殺が発生しています。
3人の息子を殺したとされるSASメンバーは、だいたい以下のような手順で殺されていきます。

1人目:ハリス
ハリスの自宅にある風呂のタイルと同じ素材のハンマーを用意し、風呂で足を滑らせ転んだショックで首の骨を折るか後頭部を強打したかのように見せかけて殺害。

2人目:クレッグ
事前に低体温の薬を飲ませ、SASの雪山での訓練中に遭難したかのように見せかけて殺害。

3人目:マッケラン
タンクローリーを遠隔操作できるよう細工し、外出していたマッケランの車の前で暴走させ正面衝突事故を演出して殺害。

こういう手法をよく考えつくよなぁ、と感心しながら見ていましたが、当然SAS側もただ指をくわえて事態を傍観していたわけではありません。
ダニー達の仕事は、比較的初期の情報収集が行われていた段階で、映画の原作小説の名でもある「フェザーメン」という名の組織にある程度の情報がもたらされていました。
「フェザーメン」とは、退役した元SAS隊員を中心に構成される、現SAS隊員を過去に関わった組織や人間の報復やテロなどから守ることを目的に作られた秘密結社です。
この「フェザーメン」を構成するメンバーのひとりであるスパイク・ローガンが、ダニー達の仕事の前に立ちはだかることになります。
「現」ではなく「元」ではあってもSAS隊員としての技能を持っていることは間違いないわけで、だからこそ「世界最強の特殊部隊 VS 世界最高の暗殺者」という映画のキャッチフレーズが生きてくるわけですね。
作中で繰り広げられるアクションシーンは、さすがハリウッド映画のアクションスターであるジェイソン・ステイサムならではのものがありました。

作中のダニーの言動を見ていると、彼は殺しを遂行するに際しても、一定の美学なり矜持なりを律儀に守っている感が多々ありましたね。
冒頭の少年を見て殺害を躊躇したこともそうですし、また1人目のハリスを暗殺するに際しては、「ハリスの愛人は既婚者なのだから2人共殺して旦那に罪を着せよう」という仲間の意見を「関係のない人間を巻き込むな」と却下しています。
そんな美学や矜持を持つダニーにとって、暗殺者という稼業は技術的にはともかく、心情的には必ずしも向いたものではなかったでしょうね。
暗殺稼業において殺しを躊躇するなど論外もいいところでしょうし、利用できるものは何でも利用しなければ逆に自分達の方がやられかねないのですから。
ダニーが暗殺者としての自分に限界を感じたのも、その点では当然のことだったといえるのではないでしょうか。

暗殺話がメインということもあり、全体的に話がやや暗い感がありますが、ジェイソン・ステイサムのアクションシーンが観たいという方にはオススメの映画と言えるでしょう。

映画「幸せの教室」感想

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映画「幸せの教室」観に行ってきました。
トム・ハンクスが監督・脚本・主演を務め、ジュリア・ロバーツと共演している、アメリカのコメディドラマ作品。

トム・ハンクスが演じる今作の主人公ラリー・クラウンは、かつて軍艦でコックの仕事をしていた元軍人で離婚歴があり、コックを辞めてからはUマートというスーパーマーケットで働く40代半ば~50代前半?頃の中年男性。
そんな彼が、ある日突然上層部から呼び出され、会社のリストラの一環としてクビを言い渡されてしまうところから物語は始まります。
ラリーがクビにされるに至った決定的な理由は、彼の学歴が大卒ではなく、出世が見込めないからというもの。
彼は過去に何度も会社から表彰されている優秀な社員だったにもかかわらずです。
しかし事情はどうであれ、Uマートを叩き出され失業してしまったラリーは、当然再就職のためにあちこちの会社や事業所などを渡り歩くのですが、この不況時に年齢・学歴の事情もあり、再就職は難航します。
さらに収入がなくなったために住宅ローンの支払いも滞ってしまい、住宅差し押さえの危機にまで直面してしまうありさま。
そこで、まずは自宅にあるいらない物を売り払ってしまうべく、庭先に物を並べ始めるのですが、ご近所でジャンク屋を営んでいる黒人のラマーに「俺の商売の邪魔をするな!」と勘違いされ怒鳴りこまれてしまいます。
ラマーに対してラリーが事情を説明すると、ラマーは2年制のイーストバレー短期大学(コミュニティ・カレッジ)の冊子を見せ、そこで学歴を身につけることをラリーに勧めます。
リストラの直接的な原因が学歴であったこともあり、ラリーは就職活動を継続しつつ、イーストバレー短期大学に足を運ぶことを決意するのでした。

最終学歴が大卒ではないラリーにとって、大学は全く未知の場所。
そこでラリーは、大学の入り口近くにいた教職の人?に、どんなカリキュラムを受ければ良いか訪ねるのですが、そこで提示されたのは「スピーチ217」というもの。
ラリーはその「スピーチ217」と経済学をメインに受講することを決め、まずは「スピーチ217」の講義が行われている教室を探し始めるのでした。
その「スピーチ217」の講義を行っているのは、ニートな夫と不仲な関係にあり、自身の仕事にも全くやる気が見出せないでいる女性メルセデス・テイノー。
彼女は、自分の講義を受講する人間が10人に達していないと「採算が取れないから」という理由で講義を平然とキャンセルしてしまう女性だったりします。
アレって学則とかではなくて、彼女がサボりの口実として勝手に決めたマイルールの類でしかないようにしか見えないのが何とも言えないところですね(苦笑)。
その日も、自分が受け持つ教室には9人しかおらず、これ幸いにと講義中止を宣言しその場から去ろうとするメルセデス。
しかしそこに、「スピーチ217」が行われる教室を探していたラリーが入ってきて、メルセデスはやむなく講義を遂行せざるをえなくなってしまうのでした。
ラリーが年齢も立場も異なる学友達と新しい生活を営んでいく中、メルセデスの生活環境もその影響を受けることとなるのですが……。

映画「幸せの教室」を観賞していてまず驚いたのは、アメリカにも学歴差別が存在するという事実ですね。
科挙を行ってきた歴史を持つ中国や韓国の学歴差別が熾烈を極めるというエピソードは私もしばしば耳にしていましたが、アメリカもそうであるという話はほとんど聞かないものでしたし。
学歴差別自体は日本にもありますが、日本ではそれに対する批判が行われる際に「アメリカの自由主義的な教育制度」がしばしば引き合いに出されていたことが少なからずあったため、てっきりアメリカには学歴差別なんてないものとばかり思っていたのですが。
気になって調べてみたら、何とアメリカの方こそが日本以上の学歴至上主義的な社会であるのだそうで、何故こんな国の教育制度が日本の学歴差別批判の題材として使われていたのか、はなはだ理解に苦しむものがあります。
そうでなくてもアメリカには、映画「ヘルプ ~心がつなぐストーリー~」の時代に比べれば幾分マシになったとはいえ、今なお人種差別の類が跳梁跋扈している現実もあるというのに。
ただ、よくよく考えてみれば、日本の教育水準を低下させた元凶と言われている「ゆとり教育」なども元々はアメリカからの直輸入だったわけなのですから、アメリカの教育システムに重大な欠陥があること自体は何ら不思議な話ではなかったのですが。
今ではアメリカの方こそが、かつての日本の「詰め込み教育」を積極的に導入していたりもするのだそうで、こと教育分野に関してアメリカの制度を礼賛するのは危険極まりないことなのではないのかと、今作を観ていて改めて考えざるをえなかったですね。
作中でメルセデスがサボりの口実として使っていた「受講者が10人に達しない場合は講義中止」のルールも、「それだと採算が取れないから」などという、受講者を置き去りにした理由付けがなされていましたし。
教育現場に採算効率的な市場原理を持ち込んで良いのかとか、そもそも学費は年単位の一括払いではないのかとか、色々とツッコミどころが多いのですが。
アメリカの学費は日本に比べて安いなどとよく言われますが、なるほど、そのカラクリと代償はこんなところにあったのかと、その点でも納得してしまったものでした。
安ければ安いほど良い、というあり方も考えものではありますね、特に教育については。

また作中では、主人公ラリー・クラウンが「自動車よりも燃費が良いから」と購入したスクーターが大活躍しています。
通学はもちろんのこと、スクーター絡みの縁で交友関係も出来ていましたし、バス亭?でひとり佇んでいたメルセデスをラリーが家まで送っていった際もスクーターが使われていました。
日本だとスクーター(50㏄以下の原動機付自転車こと原付バイク)の2人乗りは道交法で原則禁止とされているのですが、アメリカだとOKなのですね。
作中で交通取締を行っている警官達の目の前を2人乗りスクーターが堂々と通っていても、何ら咎められることすらありませんでしたし。
また、スクーターがまるで暴走族のごとく集団で、しかも真っ昼間に堂々と走行している光景も、日本ではまず見られないものですね。
スクーターに限らず、自転車やオートバイも含めた二輪車全体が、マスコミによる「走行者のマナーがなっていない」「事故が増えている」的なバッシングを次々に浴びせられまくって冷遇の一途を辿っていますし。
作中でも描写されていたように燃費は良いのですし小回りも効くのですから、もう少し普及しても良さそうな気はするのですけどね。

これら教育システムの実態やスクーター絡みの件などは、日本ではまず見られないものばかりで、その点では良くも悪くも「現在のアメリカ社会の実態」や「他国とのカルチャーショック」を表現しているものではありますね、今作は。
製作者であるトム・ハンクスも、そんなものを描写するつもりは全くなかったのでしょうけど。

ただ一方で、ラリーが作中で置かれていた境遇や「教育を受ける中高年者」という図式については、逆に日本でも充分にありえるストーリーではあります。
「リストラでクビ」なんて話は日本では10年以上も昔から盛んに言われていてもはや珍しくもない風景ですし、ハローワークなどでは資格を得るための諸々の訓練などが紹介されていたりもするわけですからね。
大学入学なども、ことさら一流大学を選ぶのでなければ比較的簡単に入学することも出来るようになっていますし、短大や専門学校などであればさらに容易です。
失業の憂き目に遭ってラリーのような選択をした人も少なからずいたでしょうし、そこから再起できた人も決してゼロではないのではないかと。
失業をきっかけに新しい世界に踏み出し、新しい知識と友人に恵まれたラリーは、確かに充実した学習をすることができたと言えるのではないでしょうか。
……まあ、あの年齢で「人生の伴侶」まで再び得られた、というのはさすがに稀ではないかとは思うのですが(苦笑)。

アクションシーンなどは皆無で、そればかりか「悪役」的な登場人物も出てこないので、すくなくとも不快になることはない作品ですね。
恋愛描写が全体的に淡白な感がありますし、時間の経過具合がイマイチ分かりにくい部分もあるのですが、人間ドラマ作品として観る分には「可もなく不可もなく」といったところなのではないかと思います。

銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察9

「亡命編」のストーリーを読んでいると、せっかく設定したはずの「亡命」というコンセプトがまるで生かされていないような感が多々ありますね。
原作「銀英伝」におけるメルカッツやシェーンコップの同盟内での立場や境遇を見れば分かるように、亡命者というのはそもそも基本的に何もしていなくても他者から差別や偏見の目で見られ冷遇されるものですし、下手に才覚を発揮すればするほど、むしろ「あいつは何か企んでいるのではないか?」などといった猜疑心を向けられ、痛くもない腹を悪戯に探られることすら珍しくありません。
ところが「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタインの場合、そのようなハンディキャップがまるで機能しておらず、軍の階級は一般的な士官学校卒業者以上の昇進速度を誇り、権限に至ってはその階級にすら見合わないほどに強大だったりします。
何しろ、少佐の階級で基地全体の軍事力増強や総指揮を事実上担っていたり、大佐や准将の階級で全軍の指針や作戦を決定・実行させたりしているのですから。
特に亡命初期はロクな後ろ盾もなく監視の目すら向けられていたくらいなのに、アレだけ好き勝手な言動を披露して処分どころか大多数の周囲から警戒すらされないというのは不自然もいいところなのではないか、とどうにも思えてならないのですけど。
特にヴァンフリートの自爆発言や前回検証した上官侮辱罪の件などは、別に亡命者でなくても軍人であれば即刻逮捕拘禁に値する事案なのですし、それについてすら大多数の周囲から反発さえもなく逆に同情されるばかり、というのはさすがにどうなのかと。
原作のヤンですら、自分が同盟の上層部と違う考え方を持っているために疎まれていましたし、当の本人にもその自覚くらいはあったというのに。
「亡命者」としてのヴァレンシュタインの立場と境遇を、ヴァレンシュタイン自身も含めた作中の登場人物達全員が完全に忘れ去っているとしか思えないところですね。
それでは引き続き、第6次イゼルローン要塞攻防戦におけるヴァレンシュタインの言動について検証していきたいと思います。
なお、「亡命編」のストーリーおよび過去の考察については以下のリンク先を参照↓

亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
http://ncode.syosetu.com/n5722ba/
銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-570.html(その1)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-571.html(その2)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-577.html(その3)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-585.html(その4)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-592.html(その5)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-604.html(その6)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-608.html(その7)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-614.html(その8)

作戦会議という公の場で上官侮辱罪という軍法違反行為を公然とやらかしたヴァレンシュタインですが、当然のごとく行われた神(作者)の介入により、周囲どころか当のロボスですらその事実に全く気づくことなく、ヴァレンシュタインは自身でも全く気づくことなく第二の危機を回避することに成功してしまいました。
とはいえ、そこは万年被害妄想狂患者であるヴァレンシュタインですから、幸運などという概念にすら当てはまらない神(作者)の奇跡に感謝どころか疑問を抱きすらするはずもなく、ここぞとばかりにロボスとフォークを罵り倒しにかかります↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/26/
> 今思い出しても酷い会議だった、うんざりだ。フォークの馬鹿は原作通りだ。他人をけなすことでしか自分の存在をアピールできない。ロボスは自分の出世に夢中で周囲が見えていない。あの二人が遠征軍を動かす? 冗談としか思えんな。
>
> フォークは軍人としては終わりだな。恐らく病気療養で予備役だ。当分は出てこられない。出てきても作戦参謀になることはないだろう。その方が本人にも周囲の人間にも良い。あの男に作戦立案を任せるのは危険すぎる。
>
> 問題はロボスだな……。
今回の会議で考えを改めればよいが果たしてどうなるか……。頭を冷やして冷静になれば出来るはずだ。だが出世にのみ囚われると視野が狭くなる……。
>
>
難しい事じゃないんだ、下の人間を上手く使う、そう思うだけで良い。そう思えればグリーンヒル参謀長とも上手くいくはずなんだが、シトレとロボスの立ち位置があまりにも違いすぎる事がそれを阻んでいる。
>
>
シトレが強すぎるんだ、ロボスはどうしても自分の力で勝ちたいと思ってしまうのだろう。だから素直にグリーンヒルの協力を得られない。そうなるとあの作戦案をそのまま実施する可能性が出てくる……。

相も変わらず、自分にもそっくりそのまま当てはまるブーメラン発言でもってロボスとフォークを評している滑稽極まりないヴァレンシュタインですね(苦笑)。
「他人をけなすことでしか自分の存在をアピールできない」も「周囲が見えていない」も、これまでのヴァレンシュタインの言動そのものにはっきりと表れているでしょうに(爆)。
この2つの要素がヴァレンシュタインになかったならば、そもそもヴァレンシュタインが今日の状況を迎えることもなく、ラインハルトの台頭と共に帝国へ逆亡命するという当初の構想を問題なく達成することだってできたはずなのですから。
それに「頭を冷やして冷静になれば出来るはずだ」って、いくら相手がロボスだからとは言え自分にできないことを他人に要求して良いものではないでしょうに(爆)。
常に「自分は正しく他人が悪い」を地で行くヴァレンシュタインは、その欲求を満たすための思考ばかりやっていて、一度も「頭を冷やして冷静にな」った試しなどないではありませんか(笑)。
たまに反省のそぶりらしきものを見せたかと思えば、自分の責任を他の誰かに擦りつけて見当ハズレなタワゴトを吹聴することばかりに汲々とする始末ですし。
ロボスが自分の進言(という名の罵倒)を受け入れないのを「シトレが強すぎる」せいにしているところにも、それは窺えます。
あんな上官侮辱罪ものの罵倒をやらかした人間の言うことなど、マトモに聞きいれる方が逆におかしいでしょう。
普通に考えてみても、あんな罵倒をするような人間にはそれだけで感情的な反発が来るものですし、進言内容の是非を問わず、また軍に関わらず、ああいう罵倒行為は組織の秩序と士気に致命的な悪影響を与えかねないのですから。
仮にその意見に一定の理があり受け入れるに値するものであったにしても、それは「ヴァレンシュタインの進言を受け入れた」という形ではなく、別の人間が改めて進言して……という形にならざるをえないのですが。
というか、そもそもヴァレンシュタイン自身、部下から同じことをやられたら躊躇なくロボスと同じことをするか、それこそ上官侮辱罪を振り回して相手を叩き潰す対応を取るのが最初から目に見えているのですけどね(苦笑)。
にもかかわらず、その自身の性格から目を背けてさらに運命論のごとき支離滅裂な妄言を口にするに至ってはねぇ……↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/26/
> それにしても酷い遠征だ。敵を目前にして味方の意志が統一されていない。こんな遠征軍が存在するなんてありえん話だ。何でこんなことになったのか、さっぱりだ。ヴァンフリートで勝ったことが拙かったのかもしれない。あそこで負けていたほうが同盟軍のまとまりは良かった可能性がある……。やはり俺のせいなのかな……。まったくうんざりだな。ボヤキしか出てこない。

ではもしヴァンフリートで勝利していなかったとしたら、ヴァレンシュタインはロボスを罵倒していなかったとでも言うのでしょうか?
元々ヴァレンシュタインは、「フォークを重用していた」という原作知識からロボスに対する軽侮の念を隠そうともしていませんでしたし、そもそも同族嫌悪・近親憎悪の観点から言っても、自制心なきヴァレンシュタインはロボスを敵視せざるをえない境遇にあるはずなのですが。
ロボスがシトレに対抗意識を持っていたのは事実でしょうが、それとヴァレンシュタインの上官侮辱罪ものの罵倒は全く何の関係もない話です。
ロボスの置かれている立場や状況がどうだろうと、ヴァレンシュタインが自らの衝動の赴くままにロボスを罵倒し拒絶されるのは確実だった、と言わざるをえないのですが。
例によって例のごとく、反省のピントがズレまくっているとしか言いようのない話ですね。
もちろん、常に「自分が正しく他人が悪い」を通さなければならないヴァレンシュタインとしては、自身の罵倒に非があったなどと認めるわけにはいかないのでしょうけど。

ロボスの他者を拒絶する頑なな対応と、何よりもヴァレンシュタインがやらかした上官侮辱罪の効用により、総司令部は士気も低く不安と不穏な空気に包まれていました。
軍に限らず、自分の上に立つ者を公然と侮辱した者を何ら罰することなく放置すればそうなるのは当たり前です。
そんなことをすれば、その侮辱が実は正当なものであるということを、当の侮辱された人間が認めているも同然となり、上官の地位と権威、さらには軍の秩序自体が崩壊することにもなりかねないのですから。
ロボスは軍規から言っても自己一身の保身のためにもヴァレンシュタインを処断しなければならなかったのですが、もちろん神(作者)の介入のためにその手を使うことができません。
周囲もまた、「貴官の主張内容にも一理はあるが、貴官の行為は上官侮辱罪を立派に構成していて…」とヴァレンシュタインを責めるなど思いもよらず、ひたすらロボスにのみ非難の目を向けヴァレンシュタインには全面的な同情と共感を注ぐ始末。
自分が何を言っても処断されないと確信したヴァレンシュタインは、ここぞとばかりにさらにロボスの感情を刺激する行為に及ぶこととなります。
今度は一転して下手に出て、ロボスに要塞前面での戦闘を避けより有利な星系での決戦をするよう進言するのですが、ロボスはそれを当然のごとく拒否。
その理由をヴァレンシュタインが分析する場面があるのですが、それが正直言ってまた振るっているんですよね↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/27/
> 「でも、あの作戦案は本当に凄いです。私だけじゃありません。皆そう思っているはずです」
> 私は慰めを言ったつもりは有りません。本当にそう思ったんです。ですがヴァレンシュタイン大佐は私の言葉に苦笑しただけでした。
>
> 「何も考えつかなかったんです。もうどうにもならない、思い切って撤退を進言しようと……。そこまで考えて、もしかしたらと思いました……」
> 「……」
> 大佐が溜息を吐いて天井を見ました。
>
> 「あの作戦案を採用しても帝国との間に艦隊決戦が起きるという保証は有りません。そして勝てるという保証もない。あれはイゼルローン要塞攻略を先延ばしにしただけなんです。上手く行けば要塞攻略が出来る、その程度のものです」
> 「……」
>
>
「それでも作戦案としては壮大ですし、見栄えも良い。ロボス元帥としても勝算の少ない作戦案にかけるよりは受け入れやすいと思ったのですが、まさか自分が更迭されることをあそこまで恐れていたとは……」
> 大佐が疲れたような声を出して首を横に振りました。
>
> 「ヴァンフリートで勝ったのは失敗でした」
> 「大佐……」
>
「あそこで負けておけばロボス元帥もああまで思い込むことはなかった……」
> ヴァレンシュタイン大佐の声は呟くように小さくなりました。納得いきません、あそこで負ければ大勢の戦死者が出ていたはずです。

この期に及んでも、自分の罵倒がロボスに決定的に拒絶されるようになった真の原因だとは思いもよらないヴァレンシュタインって……。
ああいうことをやらかした後で「自分の言っていることはロボスにも理があるのだから素直に受け入れてもらえるだろう」って、それはいくら何でも虫が良すぎるというものです。
自分があんな風に罵倒されたらどう対応するか、という観点から考えただけでも、自分の言動に多大な問題があることを「常人ならば」普通に理解できそうなものなのですが。
自分のことについてはアレほどまで被害妄想全開状態なのに、他人の話になると相手が聖人君子のごとき人格者であることを平然と要求するのですね、ヴァレンシュタインは。
「自分に甘く他人に厳しい」って、それは上に立つべき人間が絶対になってはいけない最低最悪の人格であり、それこそロボスやフォークと同レベルでしかないでしょうに。
まあだからこそヴァレンシュタインは、自分と同類であるロボスやフォークをあそこまで否定するのでしょうけど。

というよりここはむしろ、ああいう下手に出たこと自体が「拒絶されることを前提とした謀略」である、とでものたまっていた方が、ヴァレンシュタインの立場的にはまだ説得力があったのではないですかね?
例の上官侮辱罪の一件で、ヴァレンシュタインとロボスの関係は修復不可能なレベルまで完全に決裂しました。
ならば、ロボスを陥れる最善の方法としては、わざと理に叶った作戦案を懇切丁寧にロボスに提示し、それを「提案したのがヴァレンシュタインだから」と感情的に拒絶させるという策を使えば良いわけです。
そうすれば、作戦案が理に叶っていればいるほど、拒絶されることでロボスのイメージダウンと自分への同情票を同時に獲得することができ、さらに後日作戦が失敗した暁には「何故自分の策を採用しなかった」と居丈高にロボスを罵り倒すこともできたはずです。
相手が感情的であればあるほど、この手の策は極めて有効に作用します。
この描写を読んだ時、私はてっきり「ああ、これはロボスに対する確信犯的な嫌がらせだな」とすら考えてむしろ感心すらしたくらいなのですが、何故そこでわざわざ偽善者ぶらなければならないのか、実に理解に苦しむものがありましたね。
まあ、このような策は「自分が何を発言しても相手から罰せられたり権力や暴力で弾圧されたりすることがない」という前提が必要不可欠であり、ネット上の議論などであればともかく、軍内で通用するはずなど【本来ならば】全くありえないのですが。

次回からは、「亡命編」のオリジナル設定である自由惑星同盟軍規定第214条が提示されて以降の検証に移ります。

Twitterのアカウント情報5万5000件が流出

Twitterのアカウント情報が流出し、Webサイトに掲載されるという事件が発生しました。
流出件数は5万5000件にも上り、Twitter運営も調査に着手しているとのことです↓

http://www.gizmodo.jp/2012/05/twitter55000.html
> こわい! こわい!
>
>
ソースコード投稿サイトPASTEBINに、Twitterから流出したとみられるユーザー名&パスワード、メールアドレス&パスワードの一覧が載っちゃっています。掲載日は5月7日。すでにTwitterは状況を調査中、実際に被害にあったと思われるユーザーに対し、パスワード変えてね!との要請を行い、Help Centerでのアナウンスもしているそうです。
>
> 自分のアカウント情報が漏洩しちゃっているかどうか確かめたい方は、Airdemon.netにアクセス。その先にあるページをCtrl+Fで検索してみてくださいね。

Twitter運営側の公式発表によると、流出した5万5000件ものアカウント情報はスパムアカウントとして停止になっているものばかりで重複も多く、Twitterから流出したものではないとのこと↓

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1205/09/news103.html
>  5万件以上のTwitterアカウントのログイン情報が流出したと一部で報じられ、Twitterは調査を行っていることを明らかにした。同社によると、流出したのは「スパムアカウントだけで、一般のユーザーには影響がないと思われる」という。だが不安なユーザーに対してはパスワードを変更するよう呼びかけている。
>
>  一部報道によれば、5万5000件以上のアカウントのIDとパスワードがネット上に公開されたという。だが
Twitterの公式アカウントによると、流出したアカウント情報は2万件以上が重複しており、凍結済みのスパムアカウントや不正なログイン情報も含まれるとしている。

Twitterでは、以前からTwitterのツイートやDMなどに掲載されているURL先のサイトにアクセスしたことで情報が抜き取られるという問題が少なからずありましたから、そういったものの積み重ねで5万5000件ものアカウントが蓄積されていた、といったところになるのでしょうか?
SNSサイトでこの手の情報漏洩が起こると、下手すれば会社の存亡にも関わる信用問題にすら発展しかねませんから、Twitter運営側も頭が痛い話ではあるでしょうね。
何事もなく終わってくれればそれにこしたことはないのですが……。

アメリカで「Facebook離れ」が進行中

アメリカでFacebook離れが進んでいるとのことです。
2011年以降、アメリカ国内のFacebookユーザー数が減少に転じている他、コミュニケーションツールとしての利用も減ってきているのだそうで↓

http://megalodon.jp/2012-0509-1840-54/www.j-cast.com/2012/05/08131264.html?p=all
>  交流サイト最大手の米フェイスブック(FB)が、おひざ元の米国で成長にかげりが出始めたようだ。会員の活発なコミュニケーションが減っており、新規会員も頭打ちになっている。
>
>  
米国人はSNSやFB疲れを起こしているのではないか――。そんな見方をする識者も現れた。プライバシーが何もかもあらわになることに会員が抵抗感を示し出したという。さらに肝心のプライバシー情報も、FBの運営側の取り扱いについて米消費者団体専門誌が注意を促した。
>
>  世界中で会員数が9億人を突破し、5月中には新規株式公開(IPO)を控えるFBで、地域別の会員数が最も多いのは米国だが、既に成長のピークを超えたことを示すデータも出た。英国のオンライン市場調査会社、グローバルウェブインデックスが2011年11月にまとめたSNSに関する調査結果を見ると、米国は全体の人数では他地域を圧倒しているものの、
2011年に入ってユーザー数が減少に転じているのだ。
>
>  この調査は2009年以降6回実施されているが、ほかにも気になるデータがある。米国ではFB会員による利用状況が、初回の調査以降減退している点だ。例えばFB上でお祝いの電子カードのような「バーチャルギフト」を友人に贈ったり、共通の趣味や活動のグループに参加したりする割合は15%以上も減少。自分のページに近況をつづったり写真を公開したりする人も、それぞれ10%、5%ずつ少なくなっている。友人にメッセージを送る、新たな友人を積極的にFB上で探し出してコミュニケーションを楽しむユーザーも減った。
>
>  一方で、「FBに疲弊している米国人」も話題になっている。ダイヤモンド・オンライン2012年4月24日付の札幌市立大学、武邑光裕教授とエイベック研究所の武田隆氏による対談記事で、武田氏は、FBが今やゴシップにあふれていると指摘。武邑教授も「米国では40代の人たちの多くがFBから撤退している」と説明した。
FBは実名制がとられているため、個人的な「しがらみ」を持つ人はプライバシーがむき出しになることへの警戒感からやめてしまうようだ。
>
>  武邑教授らが指摘した米国人ユーザーの「FB疲れ」がどこまで深刻化しているのかは分からないが、会員数、活動の実態いずれもダウンしているところを見ると、「FB離れ」が進んでいると考えられなくもない。

ここで挙げられているFacebookの問題点については、日本ではかなり以前から指摘されていたことであり、「何を今更」といったところではあります。
日本でも「mixi疲れ」「Twitter離れ」があるのですから、実名必須のFacebookにそれがないはずもなく、むしろ当然の流れですらあったのですが、それにしても日本に比べて症状が出てくるのが遅かったですね(苦笑)。
個人情報を晒すことを元来許容していたはずのアメリカ人達も、さすがにFacebookが持つリスクについて身を持って実感せざるをえなくなってきた、といったところなのでしょうけど。
アメリカにだって、日本でいうところの「炎上騒動」とか普通にあると思うのですが、あちらの人達ってそういう感覚には疎かったりするのでしょうか?

ただ、同じ「ユーザーの疲れ離れ」という現象を引き起こしてはいるものの、Facebookはmixiに比べればまだ有利な立場にありますね。
日本のmixiは日本語ユーザー限定な面が多々ありますから、市場が最初から日本限定でそれ以上拡大する余地がありません。
それに対し、使用言語が国際公用言語である英語をメインとするFacebookは、mixiと違って外国に進出できるというメリットを存分に活用することができます。
2012年5月時点で9億人にも達するFacebookのユーザー数も、その恩恵あってこそのものなのですし。
お膝元であるアメリカでの利用状況が衰退に転じた今、Facebookとしてはアメリカ国内よりも海外戦略に重点を置きたいところなのではないでしょうか?
インドや南アメリカ&アフリカ諸国など、人口に比して利用者数の少ない国はまだまだありますし。
Facebookとしては、言論統制ばかりやっている上にFacebookそのものを規制している中国などにも進出したいというのが本音ではあるのでしょうけど、それをやるとさすがに国際的な非難を免れないところですから、まあ当面の間は難しいでしょう。
ジャスミン革命などの「アラブの春」がTwitterやFacebookを媒介にして発生した経緯などを鑑みれば、Facebookと中国の双方が満足できる協定が成立する余地など皆無なのですから。

日本のSNSに比べればかなり遅いペースながらも、同じ現象が発生するに至ったFacebookの今後は一体どうなりますかねぇ。

映画「宇宙兄弟」感想

ファイル 622-1.jpg

映画「宇宙兄弟」観に行ってきました。
小山宙哉による週刊漫画雑誌「モーニング」で連載中の同名マンガを実写映画化した作品。

全ての発端となるのは2006年7月9日。
この日の夜、兄の六太(むった)と弟の日々人(ひびと)の南波兄弟は、録音機器を持ってカエルの生態の調査を行っていました。
カエルの鳴き声をナレーション混じりに録音している最中、2人は突如空を怪しげな機動を描いて飛ぶ謎の飛行物体を目撃します。
どう見ても地球上の飛行機やヘリなどではありえない機動で飛び回った謎の飛行物体は、ひとしきり南波兄弟の目の前で飛び回った後、空に浮かんでいた月に向かって消えていってしまいました。
半ば呆然とその様相を眺めていた2人でしたが、しばらくして弟である日々人が沈黙を破ります。
「俺、大人になったら宇宙飛行士になるんだ!」という言葉と共に。
さらに日々人は兄に対してもどうするのかと尋ね、兄がそれに答えようとしたところで舞台は暗転、時代は2025年へと移ることとなります。

UFOを目撃したあの日から19年後、南波兄弟はそれぞれ異なる道を歩んでいました。
弟の日々人は、あの日宣言した夢を見事に叶え、日本人初となる月面着陸者という栄誉と共にマスコミの注目を集める宇宙飛行士に。
そして、今作の主人公となる兄の六太は、自動車会社で車のデザイン設計を担う仕事に従事する日々を送っていました。
ところが六太は、マスコミで弟のことが話題に上がる中、その弟のことを腐しまくっていた会社の専務に激怒して頭突きをかましてしまい、その場でクビを言い渡されてしまうことに。
無職になってしまった六太は、再就職するべく何十件もの会社へ面接に挑むのですが、辞めた経緯と年齢の問題も相まってなかなか再就職が決まりません。
この辺りは、「2025年の日本も今と同じ不況の渦中にあるのか?」とついつい疑いたくなってしまうところですが、そんなある日、実家暮らしをしている六太の下に、自分が応募した覚えのない宇宙航空研究開発機構(JAXA)の書類選考を通過したとの知らせが届きます。
JAXAは弟である日々人の職場でもあることから、六太は当然のごとく弟の関与を疑います。
現在は月面着陸の宇宙航行のためにアメリカへ飛んでいる弟に電話してみると、やはり兄も自分と一緒に宇宙飛行士になって欲しいという弟の画策によるものでした。
日々人の進めに最初は渋る六太でしたが、日々人は「忘れたのかよ、あの約束」という言葉と共に、冒頭の2006年7月9日の録音テープを聞くよう兄に催促します。
家の中から録音テープを探し出して耳を傾けた六太が聞いたのは、他ならぬ自分自身が弟に対して宣言した「俺も宇宙飛行士になる」「2人で一緒に宇宙へ行こう!」という言葉だったのです。
今更ながらに昔のことを思い出した六太は、おりしも就職がなかなか決まらないことも手伝い、実に5年ぶりの募集となるらしいJAXAの採用試験を受けてみようと決意するのですが……。

映画「宇宙兄弟」のストーリー展開は結構「地味」なところがありますね。
アクションシーンなどの派手かつ奇抜な描写は一切なく、唯一見栄えのする描写と言えば、月面に向けて発射されるシャトル?のシーンくらい。
物語の核自体が「『兄弟2人で一緒に宇宙飛行士になる』という夢の実現」と「六太のJAXA試験行程」で構成されているので、派手なシーンなどそもそも登場させようもないのですが。
ただ、人間ドラマとしての出来はまずまずのものでしたし、また作中では、実際にアポロ11号の乗組員でニール・アームストロング船長と共に最初に月に降り立ったバズ・オルドリンが「本人役」として友情出演していたりします。
彼は、月に向かう日々人を見送りに来ていたものの、日々人が飼っていたペットであるブルドック犬のアポを追いかけているうちに道に迷った六太に対し、発射するシャトルを一望できる見晴らしの良い場を提供すると共に、宇宙飛行士になるか否かで迷っている六太の背を押す重要な役割を果たしています。
バズ・オルドリンはあくまでも元宇宙飛行士であり俳優ではなかったはずですが、その演技は他の出演者と比べても決して劣るものではなかったですね。
そのバズ・オルドリンと六太が出会った旧施設をはじめとするNASA関連の建造物なども、実在の施設にまで直接赴き撮影したものなのだとか。
この辺りは、映画製作者達のこだわりが伝わってくるところですね。

物語後半になると、JAXAの二次選考を通過した6人が受けることとなる最終試験の描写がメインとなります。
この最終試験は、宇宙での実験場兼居住環境を模した閉鎖空間に、二次選考通過者全員を10日間押し込めた状態での適性を見るためのもの。
その間、様々な課題をこなしたり、その日の日誌を書かせたりして、ストレスの溜まり具合などを見ていくわけです。
驚いたのは、2チームに分かれて宇宙基地の模型作成を数日かけて行う課題を遂行していく途中で、アトランダムに選抜した人物に「グリーンカード」なるものを手渡し、自分のチームの模型を破壊するよう指示するミッションがあったこと。
「グリーンカード」を渡された人間がそのことを話すと即失格となるため、試験遂行中は「グリーンカード」およびその内容についてしゃべることができません。
「グリーンカード」を渡した人間には秘密を抱え込ませた状態に、それ以外の人達には6人の中で誰が悪いのか疑心暗鬼にする状態にそれぞれ陥れさせ、さらなる極限状態を現出させるわけです。
これは宇宙空間における事故などを想定して行うテストのようで、そういう状態でも冷静に判断したり場を収めるための能力を問うているわけです。
かかっているのは試験の成否なのですから、やられた方もやった方も確かに凄いストレスになるでしょうね。

ただ、これは今回だけのアクシデントだったのですが、月に行った日々人が月面で事故を起こし安否が不明になったからといって、最終試験の最中に試験官達が六太にそれを教えるという対応は正直どうかと思いました。
明らかに試験内容とは全く関係のないことでしたし、そもそもあの時点ではまだ安否が知れなかっただけで「日々人の死」まで確認されていたわけではなかったのですから、最終試験およびその後の最終面接が終わった後にそのことを伝えても決して遅くはなかったはずでしょう。
時期的に見ても最終試験のちょうど最終日で、しかも終わるまであと少しという段階だったのですからなおのこと。
仮に試験の一環としてアレを仕込んだとしても、「グリーンカード」の件と違って六太にだけ圧倒的なハンデが課せられることとなってしまうわけで、「試験の公正性」という観点から言っても問題があり過ぎるでしょう。
確かに物語的には、その逆境を乗り越えて主人公が魅せる、という盛り上がりがあるわけですが、試験官達の言動自体は、新人の採用を審査する試験官としては完全に失格であると言わざるをえません。
作中の描写を見る限りでは、試験官達も「試験の課題」とかではなく本当の善意から六太に凶報を伝えていたようなのですが(「この件で試験を途中で降りても合否には影響しない」とまで言っていたわけですし)、事件のことを伝えるにしてももう少し待てなかったのか、とツッコミを入れずにいられなかったところですね。

アクションやSFXを売りにしている映画ではありませんが、人間ドラマ作品としては比較的万人受けしやすい部類に入る、とは言えるのではないでしょうか。

日本国内の全原発が42年ぶりに全停止

日本で稼動していた最後の原発である北海道の泊原発3号機が定期検査に入り、実に42年ぶりとなる原発全停止が実現する運びとなりました。
ついに来るべきものが来てしまった、という感がありますね↓

http://megalodon.jp/2012-0506-1932-07/sankei.jp.msn.com/economy/news/120505/biz12050523280013-n1.htm
>  北海道電力は5日深夜、定期検査のため泊原発3号機(北海道泊村)の運転を停止した。国内の商業用原発50基でほかに稼働している原発はなく、昭和45年以来、42年ぶりに国内の稼働原発がゼロとなる異例の事態となった。原発稼働停止による電力不足を回避するめどはたっておらず、家庭や企業は一段の節電を求められる。
>
>  泊原発3号機の停止作業は午後5時から行われた。原子炉の出力は89万キロワットから、ほぼ1時間に30%の割合で低下。午後11時ごろには出力ゼロとなった。6日未明には原子炉が完全停止し、「冷温停止」状態に移行する。検査期間は71日間を予定しているが、再稼働にはストレステスト(耐性検査)や地元了解が必要なため、停止期間は「未定」としている。
>
>  政府の需給検証委員会によると、
原発を再稼働できないまま平成22年並みの猛暑となった場合、沖縄を除く日本全体で0・4%の電力不足になると試算。不足率は、北海道電管内で3・1%、原発依存度が高い関西電力管内では16・3%に達する見通しで、今夏の電力需給は極めて厳しい状況に陥る。
>
>  電気事業連合会の八木誠会長(関西電力社長)は5日、原発すべてが停止したことを受け、「日本は化石燃料に過度に依存しないエネルギー構成が大切。立地地域をはじめ広く社会の信頼回復に努め、できる限り早く(原発が)再稼働できるよう最大限の努力を続ける」とコメントした。

原発が停まっても安全性は何ひとつ改善されず、またエネルギー供給の問題をどうするかなど問題が山積しているのですが、原発アレルギーな人達にとってそんな問題は他人事でしかないのでしょうね。
「やっと原発が停まった、良かった良かった」で思考停止しているでしょうし(苦笑)。
原発を停めずに稼動させ続ければ事故の危険性を言い立てまくり、停止して停電しなければ「原発は要らない」、停電すれば「電力会社は何をしているんだ」……。
「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」ならぬ「反原発は気楽な運動ときたもんだ」と言いたくなるような状況ですね。
何をやっても自身の発言責任を顧みる必要がなく、自分こそが絶対正義という立場でもって、電力会社がどう動こうと電力会社を絶対悪のごとく好き勝手に攻め立てることができるのですから。
東日本大震災前まではほとんど「死に体」状態だったというのに今日の状況を迎えられて、反原発運動の面々は笑いが止まらないことでしょうね。
実際には、「安全性を確認した上で原発を再稼動して欲しい」という人は意外に多いのではないかと思えてならないのですけどねぇ(-_-;;)。

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