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銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察11

エーリッヒ・ヴァレンシュタインは、「本編」の初期の頃から一貫して「弁護士になりたい」という夢を語っています。
何でも、尊敬する(今世の)父親の職業が弁護士だったので、一緒に仕事をしたいというのが元々の理由だったとのこと。
その父親が変死しても「弁護士になりたい」という志望そのものは全く変わらなかったようで、「亡命編」でも同盟で弁護士資格を得るための勉強を行い、弁護士として生計を立てる計画を構想していたりします。
じゃあ何故同盟軍に入ってしまったんだ、とは以前の考察でも述べたことですが、実のところ、そもそもヴァレンシュタインは弁護士としての適性そのものが全く垣間見られない惨状を呈していたりするんですよね。
あの対人コミュニケーション能力の致命的な欠如ぶりと「何が何でも自分は正しく他人が悪い」という自己中心的な思考法は、弁護士のみならず「人付き合い」を重視する全ての職種で諸々の軋轢を引き起こすに充分過ぎるものがあります。
法廷の場でも、自制心そっちのけで依頼主や訴訟相手を罵倒しまくって審議を止めてしまったり、素行不良から法廷侮辱罪に何度も問われたりで、民事・刑事を問わず、裁判自体をマトモにこなすことすら困難を極めるであろうことは最初から目に見えています。
そして何よりも、今回取り上げることとなる38話の軍法会議の様相を見てみると、弁護士のみならず司法に携る者として最も大事なものがヴァレンシュタインには完全に抜け落ちてしまっており、性格面のみならず能力的にもこの手の職種に向いていないことが一目瞭然なのです。
作中で少しも言及すらされていない罪状の数々を前に、三百代言の詭弁にさえなっていない支離滅裂な内容の答弁でもって裁判に勝てるなんて、私に言わせればまさに「神(作者)の奇跡」以外の何物でもないのですが。
それでは、いよいよ第6次イゼルローン要塞攻防戦の締めを飾ることになる、自由惑星同盟軍規定第214条絡みの軍法会議の実態についての検証考察を行っていきたいと思います。
なお、「亡命編」のストーリーおよび過去の考察については以下のリンク先を参照↓

亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
http://ncode.syosetu.com/n5722ba/
銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察
その1  その2  その3  その4  その5  その6  その7  その8  その9  その10

第6次イゼルローン要塞攻防戦における214条の発動に伴い、ハイネセンに帰還後、その是非について審議を行うための軍法会議が開廷されることとなりました。
これまで検証してきたように、ヴァレンシュタインは214条発動の件以外でも軍法会議で裁かれるに値する軍規違反行為を引き起こしていますし、214条発動自体、法的な発動条件が整っていたとは到底言い難いものがあります。
ところが作中における軍法会議では、まるで最初からヴァレンシュタインの勝利が確定しているかのような楽勝ムードで話が進行していくんですよね↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/38/
> 「偽りを述べると偽証罪として罰せられます、何事も偽りなく陳述するように」
> 判士長であるシトレ元帥が低く太い声で忠告し、ヴァレンシュタイン大佐が頷きました。私の時もありましたが身体が引き締まった覚えがあります。
>
> 宣誓が終わると早速検察官が質問を始めました。眼鏡をかけた痩身の少佐です。ちょっと神経質そうで好きになれない感じです。大佐を見る目も当然ですが好意的ではありません。何処か爬虫類のような目で大佐を見ています。
>
> 無理もないと思います。これまで開かれた六回の審理では原告側はまるで良い所が有りません。
いずれも皆、ロボス元帥の解任は至当という証言をしているのです。特に “ローゼンリッターなど磨り潰しても構わん! 再突入させよ!” その言葉には皆が厳しい批判をしました。検察官が口籠ることもしばしばです。

この審議過程を見ただけでも、今回の裁判における当事者達全員が「政治の問題」と「法規範の問題」を混同して論じているのが一目瞭然ですね。
この軍法会議で争点となるのは、最前線における214条発動およびロボスの解任強行が「法的に」かつ「緊急避難措置として」妥当なものだったのか、というものであるべきでしょう。
作中で説明されている法の内容に関する説明を見ても、それは明らかです↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/29/
> 自由惑星同盟軍規定、第二百十四条……。細かな文言は忘れましたが戦闘中、或いはそれに準ずる非常事態(宇宙嵐、乱気流等の自然災害に巻き込まれた時を含む)において指揮官が精神的、肉体的な要因で指揮を執れない、或いは指揮を執るには不適格だと判断された場合(指揮官が指揮を執ることで味方に重大な損害を与えかねない場合だそうです)、その指揮下に有る部下が指揮官を解任する権利を有するといった内容の条文です。
(中略)
> 第二百十四条が適用された場合、後日その判断の是非を巡って軍法会議が開かれることになります。第二百十四条は緊急避難なのですからその判断の妥当性が軍法会議で問われるのです。軍の命令系統は上意下達、それを揺るがす様な事は避けなければなりません。そうでなければ第二百十四条は悪用されかねないのです。
(中略)
> この第二百十四条が適用されるのは主として陸戦隊が多いと聞いています。凄惨な白兵戦を展開している中で指揮官が錯乱し判断力を失う……。特に実戦経験の少ない新米指揮官に良く起こるそうです。

この立法趣旨から考えれば、あくまでも緊急避難の手段である214条は、その「緊急避難」の内容や是非こそが最も大事なのです。
ロボスがどれだけ無能だろうが失言をやらかそうが、その責任追及は戦闘終結後にいくらでも行える「先送りもやり直しも充分に可能なもの」でしかなく、それだけでは「緊急避難」の要件を満たすものではありえません。
上記引用にもあるように「司令官が発狂した」とか「司令官に明確な軍規違反行為があり、かつそれが味方を壊滅に追いやったり民間人に大被害が出たりする」とかいった事態でもなければ、「緊急避難」としての大義名分になどなりえないでしょう。
ロボスが無能で失言をやらかしたという「総司令官としての責任および政治的問題」と、最前線という場での解任強行についての是非という「法規範の問題」は、本来全く別に分けて論じるべき事案なのです。
また、数百万の艦隊を率いる総司令官という社会的地位と立場、および一会戦毎に最低でも数十万単位の人間が戦死する銀英伝世界の事情から考えると、数で言えば十万もいるかどうかというレベルの陸戦部隊がたとえ全滅したとしても、全体的なパーセンテージから見てそれが「【軍にとっての】重大な損害」であるとは言えません。
ただでさえ、軍における司令官という存在は、軍事的成果を上げるため、自軍の一部に犠牲を強いるような決断を余儀なくされることも珍しくない立場にあります。
それに対して「司令官として不適格」という烙印をいちいち押しまくっていたら、それこそ「一部の犠牲を忌避して全軍瓦解の事態を招く」という本末転倒な「【軍にとっての】重大な損害」を招くことにもなりかねないのです。

「【軍にとっての】重大な損害」というのであれば、むしろ214発動に伴う指揮系統の混乱の方がはるかにリスクが大きいのです。
最前線において指揮系統の混乱の隙を敵に突かれてしまえば、それこそ全軍瓦解の危機に直面することにもなりかねません。
そればかりか、214条発動で取って代わった臨時司令官を他の軍人達が承認せずに「非合法的な軍事クーデター」「反乱軍」と見做し、解任された上位者を担ぎ上げて再度叛旗が翻されるといった事態すらも構造的には起こりえるのです。
前回の考察でも引き合いに出していた映画「クリムゾン・タイド」でも、原子力潜水艦の艦長を解任した副長に不満と不安を抱いた艦長派の軍人達が、監禁状態にあった艦長を解放して担ぎ上げ、武器まで持ち出して副長のところに殴り込みをかけ、あわや一触即発の危機が現出した、という描写が展開されていました。
敵との戦闘が行われている最中、敵の眼前で味方同士が相撃つ事態なんて、それ自体が「【軍にとっての】重大な損害」、最悪は全軍壊滅という結末すらもたらしかねない超危機的状況なのですが。
ごく一部の部隊を救うために「軍事クーデター」紛いのことを引き起こして軍の秩序と指揮系統を混乱させ、全軍瓦解の危機を招くということが、果たして称賛されるべきことなのでしょうか?
すくなくとも、イゼルローン要塞に突入した陸戦部隊以外に所属する大多数の軍人達にとっては、それによって自分の生死が悪い方向へ作用することにもなりかねなかったわけで、むしろ214条発動に対する非難の声が沸き起こったとしてもおかしくないのではないかと思うのですけどね。
軍法会議の当事者達は、そういったリスクまで考えた上で214条発動の妥当性を論じているのでしょうか?
何よりも、214条発動の正しさを信じて疑わないヴァレンシュタインは、「陸戦部隊を救うために陸戦部隊以外の軍人全てを危機に陥れた」という構造的な問題を、果たして自覚できているのでしょうか?
「結果として犠牲が少なかったのだから……」などという言い訳は、こと裁判で有罪無罪の是非を論じる際には全く使えないどころか、むしろ「有罪の立証」にしかなりえないものでしかないのですけどねぇ。

さて、214条発動の妥当性を訴えるヴァレンシュタインの答弁ですが、これがまたありえないレベルで支離滅裂なタワゴトだったりするんですよね(苦笑)。
裁判の場におけるやり取りというよりは、トンチ小僧の一休さんと将軍様OR桔梗屋とのやり取りを髣髴とさせるシロモノでしかないですし↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/38/
> 「ヴァレンシュタイン大佐、貴方とヤン大佐、ワイドボーン大佐、そしてミハマ大尉は総司令部の作戦参謀として当初仕事が無かった、そうですね?」
> 「そうです」
>
> 「詰まらなかった、不満には思いませんでしたか?」
> 「いいえ、思いませんでした」
> 大佐の言葉に検察官が眉を寄せました。
不満に思っているという答えを期待していたのでしょう、その気持ちが二百十四条の行使に繋がったと持っていきたいのだと思います。
>
> 「おかしいですね、ヴァレンシュタイン大佐は極めて有能な参謀です。それが全く無視されている。不満に思わなかったというのは不自然じゃありませんか?」
> ヴァレンシュタイン大佐が微かに苦笑を浮かべました。
>
>
「仕事をせずに給料を貰うのは気が引けますが、人殺しをせずに給料を貰えると思えば悪い気持ちはしません。仕事が無い? 大歓迎です。小官には不満など有りません」
> その言葉に傍聴席から笑い声が起きました。検察官が渋い表情で傍聴席を睨みます。
>
> 「静粛に」
> シトレ元帥が傍聴席に向かって静かにするようにと注意しました。検察官が幾分満足げに頷きながら傍聴席から視線を外しました。そして表情を改めヴァレンシュタイン大佐を見ました。
>
> 「少し発言には注意してください、場合によっては法廷侮辱罪が適用されることもあります」
>
「小官は宣誓に従って真実を話しているだけです。侮辱するような意志は有りません」
> ヴァレンシュタイン大佐の答えに検察官がまた渋い表情をしました。咳払いをして質問を続けます。

ヴァレンシュタインって弁護士志望なのに、法廷侮辱罪がどういうものであるのかすらも理解できていないのですかね?
法廷侮辱罪における「侮辱」とは、裁判所の規則・命令などの違反・サボタージュ行為や裁判および裁判所そのものの権威を害する行為と定義されており、その中には審議を妨害すると判断される不穏当・不適切な言動なども含まれます。
現実世界の諸外国では、ズボンを下げてはく「腰パン」で裁判所に出廷した男が法廷侮辱罪に問われたり、法廷の場でチューイングガムを膨らませて破裂させた男が同じく法廷侮辱罪で禁固30日を言い渡されたりする事例があったりします。
法廷侮辱罪は、法廷の場における非礼・無礼な発言どころか、裁判の内容とは何の関係のないルックスや癖のような行動だけでも、その是非は別にして処罰の対象には充分なりえるわけです。
件のヴァレンシュタインの言動は、法廷の場における非礼・無礼な発言であることはむろんのこと、軍に対するある種の罵倒・誹謗にも該当します。
軍の職務を「人殺しの仕事」と断じ、怠けることを正当化する発言なんて、現代日本ですら非難の対象になるのは、かつての民主党政権における仙谷「健忘」長官の「暴力装置」発言の報道などを見ても一目瞭然です。
ましてや、日本以外の国における軍というのは、国民から一定の尊敬と敬意を払われるのが常なのですからなおのこと、軍に対する誹謗の類は下手すれば人非人的な扱いすら受けても文句が言えるものではないでしょう。
というか、法廷どころか一般的な社会活動やビジネスの場においてさえ、場の秩序を破壊しかねない非礼な言動をやらかせば、その態度を咎められるのは至極当然のことでしかないのですが。
この軍法会議におけるヴァレンシュタインの発言は、ヴァレンシュタイン的に真実を話していようがいまいが、その内容だけで法廷侮辱罪に問われるには充分過ぎるものがあります。
「真実を話しているだけ」「侮辱するような意志は有りません」とさえ言えばどんな非礼な暴言をやらかしても許される、というのであれば、法廷や裁判の内容に不満を持つ者は皆それを免罪符にして法廷を侮辱する諸々の行為をおっぱじめてしまうことにもなりかねないではありませんか。
ヴァレンシュタインは弁護士や法律に関する勉強どころか、「一般的な社会的常識を一から学習し直す」というレベルから人生そのものをやり直した方が良いのではないのでしょうか?

勝利を確信して思い上がっているのか、実は桁外れに危機的な状況に今の自分が置かれている事実に全く気づけていないのか、ヴァレンシュタインの法廷それ自体を侮辱するかのごとき言動はとどまるところを知りません↓

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> 「不謹慎ではありませんか? 作戦参謀でありながら仕事をしないのが楽しいなどとは。その職務を果たしているとは思えませんが?」
> 少し粘つくような口調です。ようやく突破口を見つけた、そう思っているのかもしれません。
>
>
「小官が仕事をすると嫌がる人が居るのです。小官は他人に嫌がられるような事はしたくありません。特に相手が総司令官であればなおさらです。小官が仕事をしないことで総司令官が精神の安定を保てるというなら喜んで仕事をしません。それも職務でしょう」
> そう言うと大佐は僅かに肩をすくめるしぐさを見せました。その姿にまた傍聴席から笑い声が起きました。

これなんて、ヴァレンシュタインのロボスやフォークに対する罵倒や非難や諫言などの一切合財全てが「嫌がらせ」の一環として行われていた、と自分から告白しているも同然のシロモノでしかありませんね(爆)。
ロボスに対するヴァレンシュタインの上官侮辱罪が、軍の秩序や最善を尽くす目的から出たものではなく単なる個人的感情に基づいたものでしかないことを、ヴァレンシュタインは自ら積極的に裏付けてしまっているわけで、これはまた悲惨過ぎる自爆発言以外の何物でもないでしょう。
裁判を舐めきって次から次に墓穴を掘りまくっているはずのヴァレンシュタインに対して、しかし検察官は何故か一層悲痛な面持ちで質問を繰り返すありさまです↓

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> 「十月に行われた将官会議についてお聞きします。会議が始まる前にグリーンヒル大将から事前に相談が有りましたか?」
> 「いいえ、有りません」
> その言葉に検察官の目が僅かに細まりました。
>
> 「嘘はいけませんね、大佐。グリーンヒル大将が大佐に、忌憚ない意見を述べるように、そう言っているはずです」
> 「そうですが、それは相談などではありません。小官が普段ロボス元帥に遠慮して自分の意見を言わないのを心配しての注意です。いや、注意でもありませんね、意見を述べろなどごく当たり前の事ですから」
>
> 検察官がまた表情を顰めました。
検察官も気の毒です、聞くところによると彼はこの軍法会議で検察官になるのを嫌がったそうです。どうみても勝ち目がないと思ったのでしょう。ですが他になり手が無く、仕方なく引き受けたと聞いています。

もし私が件の検察官の立場にいたら「表情を顰め」るどころか、むしろ「勝利を確信した得意満面な笑み」すら浮かべるところですけどねぇ(苦笑)。
何しろこの時点でさえも、ヴァレンシュタインの法廷侮辱罪と上官侮辱罪は既に確定しているも同然であるばかりか、それらが情状酌量の余地すらも皆無なものであることを、当のヴァレンシュタイン自身が自ら積極的に裏付けていっているのですから(爆)。
そして、特に上官侮辱罪の有罪が確定すれば、214条発動の件もそれと関連付けることで、ヴァレンシュタインの正当性、および判事を中心とするヴァレンシュタインに対する心証の双方に大きなダメージを与えることも可能となります。
状況証拠的に見ても、個人的感情から上官侮辱罪をやらかして平然としているような人間が全く同じ動機から214条発動を行わないわけがない、と第三者から判断されても何ら不思議なことではないばかりか、むしろそれが当然の帰結ですらあるのですから。
検察側から見れば、「どうみても勝ち目がない」どころか「(検察側の)負ける要素が全く見出せない」というのが正しい評価なのですけどね、この軍法会議は。

全体的な流れから見れば枝葉末節な部分ばかり論じつつ、しかもそこでさえ、ひたすら墓穴を掘るばかりのヴァレンシュタイン。
既に取り返しのつかない失点を稼ぎまくっているヴァレンシュタインは、しかしその事実を少しも認識すらすることなく、今度は25話でフォークを卒倒させロボスを侮辱した件についての正当性を述べることとなります↓

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> 「大佐はどのように受け取りましたか?」
> 「その通りに受け取りました。将官会議は作戦会議なのです、疑義が有ればそれを正すのは当然の事です。そうでなければ不必要に犠牲が出ます」
> 検察官がヴァレンシュタイン大佐の言葉に一つ頷きました。
>
> 「ヴァレンシュタイン大佐、大佐は将官会議でフォーク中佐を故意に侮辱し、会議を終了させたと言われています。今の答えとは違うようですが」
> 低い声で検察官が問いかけます。勝負所と思ったのかもしれません。
>
> 傍聴席がざわめきました。この遠征で大佐が行った行動のうち唯一非難が出るのがこの将官会議での振る舞いです。私はその席に居ませんでしたが色々と話は聞いています。確かに少し酷いですし怖いと思いました。
>
> 大佐は傍聴席のざわめきに全く無関心でした。検察官が低い声を出したのにも気付いていないようです。穏やかな表情をしています。
>
「確かに小官はフォーク中佐を故意に侮辱しました。しかし将官会議を侮辱したわけではありません。フォーク中佐とロボス元帥は将官会議そのものを侮辱しました」
>
> 「発言には注意してください! 名誉棄損で訴えることになりますぞ!」
> 検察官がヴァレンシュタイン大佐を強い声で叱責しました。ですが大佐は先程までとは違い薄らと笑みを浮かべて検察官を見ています。思わず身震いしました、大佐がこの笑みを浮かべるときは危険です。
>
> 「将官会議では作戦の不備を指摘しそれを修正することで作戦成功の可能性を高めます。あの作戦案には不備が有りました、その事は既に七月に指摘してあります。にもかかわらずフォーク中佐は何の修正もしていなかった。小官がそれを指摘してもはぐらかすだけでまともな答えは返ってこなかった」
> 「……」
>
> 「フォーク中佐は作戦案をより完成度の高いものにすることを望んでいたのではありません。彼は作戦案をそのまま実施することを望んでいたのです。そしてロボス元帥はそれを認め擁護した……」
> 「……」
>
>
「彼らは将官会議を開いたという事実だけが欲しかったのです。そんな会議に何の意味が有ります? 彼らは将官会議を侮辱した、だから小官はフォーク中佐を挑発し侮辱することで会議を滅茶苦茶にした。こんな将官会議など何の意味もないと周囲に認めさせたのです。それが名誉棄損になるなら、どうぞとしか言いようが有りません。訴えていただいて結構です」
>
> 検察官が渋い表情で沈黙しています。名誉棄損という言葉にヴァレンシュタイン大佐が怯むのを期待したのかもしれません。甘いです、大佐はそんなやわな人じゃありません。外見で判断すると痛い目を見ます。外見は砂糖菓子でも内面は劇薬です。

一般的な裁判ではあるまいし、何故ここで出てくる罪名が「名誉毀損」なのでしょうか?
ここで本来出すべき罪名は上官侮辱罪でしょうに。
ロボスに214条を発動しても、ロボスが第6次イゼルローン要塞攻防戦におけるヴァレンシュタインの上官であるという事実は全く消えることなどないのですし、軍法会議で勝訴しても、それが適用されるのはあくまでも214発動についてのみであり、上官侮辱罪までもが免罪されるわけではないのですが。
民法で定められた名誉毀損や刑法における名誉毀損罪があくまでも「個人」に対するものであるのに対して、軍法における上官侮辱罪は「軍」に対して犯す犯罪行為であるとされており、その意味合いも刑罰も名誉毀損とは全く異なります。
軍に対する犯罪行為を犯した、という時点で、軍法会議におけるヴァレンシュタインの有罪は確定したも同然となってしまうのですけどねぇ(苦笑)。
この軍法会議の場でまたもやロボスに対する罵倒を蒸し返していることも、「上官侮辱罪の現行犯」として普通に不利に働くのですし。
しかも前述したように、上官侮辱罪が確定してしまったら、それが214条発動の件とも関連付けられるのは確実なのですから、なおのことヴァレンシュタインは進退窮まることになってしまうのですが。
そして、ロボスやフォークが将官会議を侮辱していたという事実が正しいとしても、その行為自体は何ら軍法に抵触するものではないのに対して、ヴァレンシュタインの上官侮辱罪は完全無欠な軍規違反行為です。
すくなくとも法的に見れば、裁かれるべきは上官侮辱罪を犯したヴァレンシュタインただひとりなのであり、ロボスやフォークの行為は何ら問題となるものではないのです。
ロボスやフォークの行為が「政治的・軍事的」に問題があるからといって、自身の「法的な」違反行為が免罪されるとでも思っているのでしょうか?
それこそ、法律を何よりも重視すべき弁護士が一番陥ってはならない陥穽でもあるはずなのですけどねぇ(笑)。

読者の視点的には自滅と奈落への道をひたすら爆走しているようにしか見えないのに、当のヴァレンシュタインは逆に勝利を確信すらしており、むしろここが勝負どころとばかりに、214条発動の正当性を訴え始めます。
しかし、その弁論内容がまた何とも笑えるシロモノでして↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/38/
> 「フォーク中佐は健康を損ねて入院していますが……」
> 「フォーク中佐個人にとっては不幸かもしれませんが、軍にとってはプラスだと思います」
> 大佐の言葉に傍聴席がざわめきました。酷いことを言っているというより、正直すぎると感じているのだと思います。
>
> 「検察官はフォーク中佐の病名を知っていますか?」
> 「転換性ヒステリーによる神経性盲目です……」
> 「我儘一杯に育った幼児に時としてみられる症状なのだそうです。治療法は彼に逆らわないこと……。
彼が作戦を立案すると誰もその不備を指摘できない。作戦が失敗しても自分の非は認めない。そして作戦を成功させるために将兵を必要以上に死地に追いやるでしょう」
>
> 法廷が静まりました。隣にいるシェーンコップ大佐も表情を改めています。
>
「フォーク中佐に作戦参謀など無理です。彼に彼以外の人間の命を委ねるのは危険すぎます」
> 「……」
>
>
「そしてその事はロボス元帥にも言えるでしょう。自分の野心のために不適切な作戦を実施し、将兵を無駄に戦死させた。そしてその現実を認められずさらに犠牲を増やすところだった……」
> 「ヴァレンシュタイン大佐!」
> 検察官が大佐を止めようとしました、しかし大佐は右手を検察官の方にだし押さえました。
>
> 「もう少し話させてください、検察官」
> 「……」
>
「ロボス元帥に軍を率いる資格など有りません。それを認めればロボス元帥はこれからも自分の野心のために犠牲者を増やし続けるでしょう。第二百十四条を進言したことは間違っていなかったと思っています」
>
>
この発言が全てを決めたと思います。検察官はこれ以後も質問をしましたが明らかに精彩を欠いていました。おそらく敗北を覚悟したのでしょう。

……あの~、犯罪者の自己正当化よろしくヴァレンシュタインがしゃべり倒した一連の発言の一体どこに、「(軍法会議の帰趨を決するだけの)全てを決めたと思います」と評価できるものがあるというのでしょうか?
ヴァレンシュタインが長々と主張していたのは「ロボスやフォークの軍人としての無能低能&無責任」だけでしかなく、それだけで「214条発動を正当化しえるだけの緊急避難性を有する」とは到底判断しえるものではないのですが。
何度も言っていますが、ロボスやフォークが無能低能&無責任というだけであれば、戦闘が終わってハイネセンに帰還してから改めてその責を問うという方針でも、何ら問題が生じることはありえません。
ロボスが総司令官であることを鑑みれば、最前線の陸戦部隊が仮に壊滅したとしても、全軍の規模からすればその損害も微々たるものでしかない以上、緊急避難としての要素を満たすものとは到底なりえず、これまた戦後に責任を追及すればそれで足りることです。
そもそも、当のヴァレンシュタイン自身、第6次イゼルローン要塞攻防戦時におけるロボスが、遠征軍全てを壊滅状態に追い込むほどの状態にあるとまではさすがに断じえておらず、最悪でもせいぜい陸戦部隊の壊滅に止まるという想定が関の山だったはずでしょう↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/26/
> 問題は撤退作戦だ。イゼルローン要塞から陸戦隊をどうやって撤収させるか……。いっそ無視するという手もある。犠牲を出させ、その責をロボスに問う……。イゼルローン要塞に陸戦隊を送り込んだことを功績とせず見殺しにしたことを責める……。
>
> 今日の会議でその危険性を俺が指摘した。にもかかわらずロボスはそれを軽視、いたずらに犠牲を大きくした……。
ローゼンリッターを見殺しにするか……、だがそうなればいずれ行われるはずの第七次イゼルローン要塞攻略戦は出来なくなるだろう。当然だがあの無謀な帝国領侵攻作戦もなくなる……。トータルで見れば人的損害は軽微といえる……。

ヴァレンシュタイン御用達の原作知識とやらから考えても、アムリッツァの時はともかく、第6次イゼルローン要塞攻防戦当時のロボスにそれ以上のことなどできるはずがないであろうことは、さすがのヴァレンシュタインといえども認めざるをえなかったわけでしょう。
そして、214条の立法趣旨から言えば、ロボスが総司令官の職にあることで遠征軍それ自体が壊滅レベルの危機に直面する、もしくはロボスに重度の精神錯乱ないしは重大な軍規違反行為が認められ総司令官としての任務遂行それ自体に多大な支障をもたらす、といった事態でもない限り、「214条発動を正当化しえるだけの緊急避難性を有する」とは雀の涙ほども断じられるものではありません。
ましてや、214条の発動それ自体が全軍に混乱をもたらしかねない極めて危険な要素があることを考えればなおのこと、その危機的状況をすらも上回る、それも「一刻を争う」「やり直しも先送りも全くできず、その場での決断を余儀なくされる」レベルの超緊急避難性を、ヴァレンシュタインが軍法会議で主張しなければならないのは自明の理というものです。
この「214条発動を正当化しえるだけの緊急避難性」について、軍法会議におけるヴァレンシュタインは実質的に何も主張していないも同然なのです。
自らの正当性について何も主張していないのに、それが何故「(軍法会議の帰趨を決するだけの)全てを決めたと思います」という話になってしまうのでしょうか?

というか、一連のやり取りを見ていると、ヴァレンシュタインはただ単に「ロボスやフォークに対する自分の印象や評価」を述べているだけでしかなかったりするんですよね。
原作知識があるとは言え、個人的な印象や評価が最悪だから軍法を悪用した緊急避難措置を行っても許される、と言わんばかりなわけです。
これって原作「銀英伝」における救国軍事会議クーデターや、戦前の日本で5・15事件や2・26事件を引き起こした青年将校達の論理と、根底の部分は全く同じであるとしか言いようがありませんね。
当のヴァレンシュタイン自身が常に抱いている「自分は絶対に正しく他人が悪い」という独善的な発想からして、「我々は理想や大儀があるから絶対に腐敗などしない!」などとほざいていた救国軍事会議クーデターの面々に通じるものがあるのですし(笑)。
そう考えると、他に担ぎ上げる人物がいなかったとは言え、グリーンヒル大将を押し立てて214条を発動させるというヴァレンシュタインのやり方それ自体が、形を変えた救国軍事会議クーデターそのものであるとも言えるわけで、何とも皮肉な限りではありますね(苦笑)。
ひょっとするとヴァレンシュタインは、原作における救国軍事会議クーデターが実は正しいものであると信じていて、彼らの主張に共感したりしていたのでしょうか?
まあ、文字通りの「自制心がなく常に暴走する青年将校」という点で共通項があるわけですから、好悪いずれにせよ感情的な反応を示さない方がむしろ不思議な話ではあるのかもしれませんが(爆)。
これでヴァレンシュタインが、原作における救国軍事会議クーデターの構成メンバーを罵倒しまくっていたりしていたら、なかなかに面白い同族嫌悪・近親憎悪な構図であると言わざるをえないところですね(笑)。

ここまで主張に穴がありまくり過ぎる上に、214条の正当性について何も述べていないに等しいヴァレンシュタインに対して、しかし何故軍法会議は無罪判決なんて下してしまうのでしょうかねぇ。
214条発動の件とは別に総司令官としての責任が問われる立場にあるロボスはともかく、ヴァレンシュタインが無罪というのはどう考えてもありえない話なのですが↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/38/
> 軍法会議が全ての審理を終え判決が出たのはそれから十日後の事でした。グリーンヒル参謀長とヴァレンシュタイン大佐は無罪、そしてロボス元帥には厳しい判決が待っていました。
>
> 「指揮官はいかなる意味でも将兵を己個人の野心のために危険にさらす事は許されない。今回の件は指揮官の能力以前の問題である。そこには情状酌量の余地は無い」

「亡命編」38話時点において、ヴァレンシュタインが犯した軍規および法律に対する違反行為というのは、実にこれだけのものがあったりするんですよね↓

1.フェザーンにおける帝国軍人との極秘接触スパイ容疑、国家機密漏洩罪)
2.ヴァンフリート星域会戦後の自爆発言スパイ容疑、必要な情報を軍上層部に対し隠匿し報告しなかった罪、国家反逆罪
3.ロボスに対する罵倒上官侮辱罪
4.214条発動(敵前抗命罪、党与抗命罪)【審議中】
5.イゼルローン要塞における敵前交渉上層部への確認を行わない独断専行、スパイ容疑、国家機密漏洩罪、国家反逆罪)
6.軍法会議における一連の言動法廷侮辱罪、上官侮辱罪

赤文字部分は事実関係から見ても無罪とは言えない嫌疑、またはヴァレンシュタイン自身が認めている罪。

作中におけるヴァレンシュタインが実際にどんな行動を取っていたかはともかく、同盟側としては状況から考えてこれだけの行為から想定される罪を嫌疑し起訴することが、理論的には充分に可能なわけです。
そして「1」「2」「3」「6」、および「5」の独断専行については、当の本人が自ら積極的に事実関係を認めてしまっているのですから、それで無罪になるということはありえません。
これだけの「前科」があるのであれば、「4」の214条発動についても、その「前科」の存在だけでまず動機が関連付けられることになってしまいますし、特に「2」で同盟に対する裏切りの意思を表明しているのは致命傷とならざるをえないでしょう。
元々「2」単独でも、ヴァレンシュタインを処刑台に送り込むには充分過ぎる威力を誇っていますし(苦笑)。
しかも最高判事であるシトレは、このヴァレンシュタインが犯した1~6の罪状を全て知り尽くしているはずなのですから、「法の公正」という観点から見てもなおのこと、ヴァレンシュタインに対して手心を加えたりなどしてはならないはずなのですが。
これで無罪になるというのは、もはやこの軍法会議それ自体が、実は軍法に基づかない「魔女裁判」「人民裁判」的な違法かつ茶番&八百長なシロモノであるとすら評さざるをえないところなのですが。
そこまでしてヴァレンシュタインに加担などしなければならない理由が、同盟軍の一体どこに存在するというのでしょうか?

また、ここでヴァレンシュタインの214条発動行為を合法として認めてしまうと、それが「判例」として成立してしまい、以後、この軍法会議の審議と判決を錦の御旗にした214条の発動が乱発される事態をも引き起こしかねません。
何しろ、個人的な評価に基づいて「あいつは無能低能&無責任である」と断じさえすれば、それが214条発動の法的根拠たりえると言っているも同然なわけなのですからね(爆)。
今後の同盟で、上官との人間関係が最悪で常に自分の意見を却下されている部下が、私怨的な理由から上官に対する214条発動を行使することなどないと、一体誰が保証してくれるというのでしょうか?
裁判における「判例」というものは、判決が下った1案件だけでなく、今後発生しえるであろう同様のケースにも適用されるものとなりえるのですから。
何よりも、同盟軍においてこの「判例」が真っ先に適用されそうな人間は、他ならぬヴァレンシュタイン自身だったりするのですし(爆)。
極端なことを言えば、フォークのような部下がヴァレンシュタインのごとき上位者に対して「あいつは無能低能&無責任である」として214条を発動したとしても、それが他者から支持されるか否かは別として法的・判例的には妥当であると見做される、などという滑稽な事態すらも将来的には招きかねないのです。
ヴァレンシュタインも一応弁護士志望だったのであれば、そして何よりも「自分が生き残る」ということを最優先目標としているのであれば、他ならぬ自分自身が作り上げてしまった「判例」が自分に跳ね返ってくる危険性を、否が応にも見据えていなければならなかったはずなのですけどねぇ。

この軍法会議におけるヴァレンシュタインの最大の問題は、「結果さえ出せれば軍規違反は正当化される」という致命的な勘違いに基づいて弁論を繰り広げていることにあります。
結果さえ出せれば過程は問われない、というのは政治に対する考え方なのであって、裁判の場ではむしろ全く逆に「過程が全て」「法律が全て」という発想で臨まなければなりません。
裁判の場において「結果を出したのだから良いじゃないか」と主張する行為は、その時点で法律違反や有罪を自分から認めているも同然であり、「戦わずして敗北している」のと何も変わるところがないのです。
裁判の場における「政治的結果」というのは、自分の罪を認めた上での情状酌量を求めるためのものでしかありえないのですから。
最初から有罪・敗訴を前提として答弁を繰り広げるなんて、弁護士の法廷戦略としては最低最悪の手法以外の何物でもありません。
その最低最悪の手法について何の疑問も嫌悪も抱くことなく、むしろ得意気になって振り回したりしているからこそ、ヴァレンシュタインに弁護士としての適性は全くないと私は評さざるをえないわけです。
今回の軍法会議でも、ヴァレンシュタインは「法的な問題」について結局何も主張していないも同然の惨状を呈していたのですし。
弁護士としてのヴァレンシュタインは、現実世界で言えば、殺人容疑の被告に対し「ドラえもんが助けてくれると思った」などと主張する行為を許したトンデモ人権屋弁護士と同レベルな存在であると言えるのではないでしょうか?

あと、今回の軍法会議における描写は、ヴァレンシュタインの弁論術とロボスに対する圧倒的優勢ぶりを際立たせることを目的に、「神(作者)」がヴァレンシュタインにとって都合の悪い罪の数々を意図的に触れさせないようにしているのがありありと見受けられますね。
軍法的には、フォークへの侮辱よりもロボスへのそれの方がはるかに重大事項であるにもかかわらず、そちらの方はおざなりな言及しかされていませんし。
他にも、前回の考察で言及した敵前交渉の決定・実行における独断専行やスパイ容疑などの件についても、法的どころか政治的な観点から見てさえも多大な問題を抱えこんでいながら、そちらに至っては一言半句たりとも言及すらされていない始末です。
まあ下手にそれらの罪を検察官が指摘してしまおうものならば、その時点で軍法会議におけるヴァレンシュタインの有罪が確定してしまうのでやりたくてもやれなかった、というのが実情ではあるのでしょうが、おかげさまでストーリー展開としてはあまりにも不自然極まりないシロモノとなってしまっています。
検察官が創竜伝や薬師寺シリーズの三流悪役ばりに無能過ぎて、およそ現実的にはありえない存在に堕していますし、前述のように裁判自体も恐ろしく茶番&八百長的な印象が拭えないところです。
作者的には、この一連の描写でヴァレンシュタインの正当性と強さを読者に見せつけたかったところなのでしょうが、最大限好意的に見ても「釣り」の類にしかなっていないですね。
主人公の有能性と人格的魅力(爆)をこんな形でしか描けない、というのは、作品および作者としての限界を示すものでもあると言えるのではないでしょうか?

次回より、第6次イゼルローン要塞攻防戦終結以降の話の検証へ移ります。

山口県光市母子殺害事件の弁護団が再審請求

山口県光市母子殺害事件で死刑が確定した大月孝行死刑囚の弁護団が、2012年の秋に再審を請求する方針であることを明らかにしました。

http://megalodon.jp/2012-0527-1647-55/www.shimotsuke.co.jp/news/domestic/main/news/20120526/792339
>  少年時の山口県光市母子殺害事件で殺人や強姦致死罪などに問われ、3月に死刑が確定した大月孝行死刑囚(31)の弁護団は26日、確定した広島高裁の差し戻し審判決に重大な誤りがあるとして秋にも同高裁に再審請求することを明らかにした。
>
>  主任弁護人の安田好弘弁護士は「10月ごろには再審請求する方向だ」と述べた。
>
>  犯行当時18歳1カ月だった大月死刑囚は、一審山口地裁、二審広島高裁で無期懲役とされたが、最高裁は「年齢は死刑回避の決定的事情とまではいえない」と破棄した。差し戻し審判決で高裁は死刑を言い渡し、最高裁も上告を棄却した。

既に最高裁まで経ている裁判で、しかも法廷という場において「ドラえもんに助けてもらおうと思ったから」などというタワゴトを堂々とのたまった死刑囚に、これ以上審議すべき一体どんな新事実があるというのでしょうか?
無罪判決に持っていけるだけの新事実があるというのであれば、それは今までの裁判で主張すべきことだったはずなのですが。
ドラえもん云々や反省皆無の手紙などが実は検察による圧力やでっち上げの産物だった、というわけでもないでしょうし。
こんな状況下での再審請求というのは、単なる死刑回避のための時間稼ぎ戦法にしか見えないのですけどねぇ。
死刑囚のエゴなのか弁護団の法廷戦術なのかは分かりませんが、いずれにしても傍迷惑な話ではあります。

映画「MIB3/メン・イン・ブラック3」感想

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映画「MIB3/メン・イン・ブラック3」観に行ってきました。
ウィル・スミスとトミー・リー・ジョーンズのコンビが主演を担うSFアクションコメディシリーズ第3弾。
1作目が1997年、2作目が2002年公開ですから、ずいぶんとまあ息の長いシリーズですね(^^;;)。
人気シリーズということもあり、私も1作目・2作目共に観賞済みです(^^)。
なお、今作はシリーズ初となる3D公開映画でもありますが、私が観賞したのは2D版となります。

物語は、月面に作られた宇宙人専用の刑務所から、ひとりのエイリアンが脱獄するところから始まります。
そのエイリアン・ボリスは、MIBシリーズの主役のひとりであるエージェントKにかつて左腕を奪われ捕縛されてしまった過去がありました。
またボリスは、地球侵略の尖兵的な役割をも担っていたのですが、エージェントKが設置したシステムによって永遠に侵略ができなくなってしまっていました。
そのためボリスは、自分が捕らえられた過去へと戻ってエージェントKを殺害することで、復讐と地球侵略を同時に達成することを考えつくのでした。
ちなみにボリスは、「アニマル・ボリス」と呼ばれることをやたらと毛嫌いする傾向を作中で露わにしていたりします。

一方、シリーズでお馴染みのエージェントJおよびエージェントKのコンビは、1作目と2作目で登場していたものの今作ではいつのまにか死んでいたらしいエージェントZの葬儀に参列していました。
とても追悼の言葉とは思えない死者に対する弔辞?を(一応その死を悲しんではいたようですが)淡々とのたまったエージェントKは、エージェントJを引き連れ中国料理店?のガサ入れを行います。
食材に宇宙生物を使っていたらしいその店を取り締まる中、2人は店内でエイリアン達の襲撃を受けることになります。
エイリアン達を撃退し、騒ぎを聞きつけ集まった周辺住民達にニューラライザーを「ピカッ」とかざして記憶を消去&上書きするという、シリーズお馴染みの光景が展開される中、エージェントKは中国料理店の屋上で月面から脱獄したボリスと対面することとなります。
2人の対決は、途中で割って入ったエージェントJによって、ボリスはエージェントKを殺害できず、エージェント達はボリスの捕縛に失敗するという痛み分けの結果に。
エージェントKの行動に不審を抱いたエージェントJはエージェントKを問い詰めるのですが、エージェントKは機密を盾に情報を教えようとしません。
しかたなくエージェントJは、MIB本部で情報を検索し、屋上で会ったボリスに関する情報を入手するのでした。
さらに情報を得ようとするエージェントJでしたが、やはりそこでも「機密」を理由に途中で情報が入手できなくなってしまい、さらにエージェントOからこれ以上踏み込むことなく帰宅するよう告げられます。
その夜、携帯ゲームに熱中していたエージェントJは、エージェントKから不可解な電話を受けることとなります。
そのことが気になったエージェントJは、エージェントKがひとりで住んでいるビルの「5K」という部屋を訪ねるのですが、何とそこにはエージェントKとは何の関係もない家族がいつのまにか住み着いていたのでした。
MIB本部に行けば何か分かると考えたエージェントJは、MIB本部でエージェントKを探しますが、そこでエージェントOから衝撃的な事実を聞かされることとなります。
何と、エージェントKは40年前にボリスを追跡中に死んだことになっており、さらにはボリスもその時捕縛されることなく逃げおおせていることになっていたのでした。
さらには、エージェントKが本来設置するはずだったシステムが設置されなかったことにより、地球はボリスと同じ異星人であるボグダイト星人達の侵略を受ける事態に発展してしまったのです。
エージェントJの言動を分析したエージェントOから、タイムトラベルによる歴史改変が行われたことを知ったエージェントJは、エージェントKが殺された1969年7月16日の1日前にタイムスリップし、改変させられた歴史を修正するべく奔走することとなるのですが……。

「MIB/メン・イン・ブラック」シリーズでお馴染みとなっている要素は、今作でも全て登場しています。
やたらと饒舌でマシンガントークを繰り出しまくるエージェントJと、逆に寡黙かつ無愛想で淡々と受け流しまくるエージェントKの掛け合い漫才は健在ですし、ニューラライザーに代表される超ハイテク機器やエイリアン達のユニークな造形も相変わらずだったりします。
また今作は1969年が物語中盤以降で舞台になるのですが、いかにも「発展途上」と言わんばかりの巨大なニューラライザーや携帯電話などが登場していたりします。
この辺りはまさに時代の流れを感じさせるものではありましたね。
また1969年7月16日は、奇しくもアポロ11号がNASAのケネディ宇宙センターから発射された当日でもあり、そのアポロ11号が発射される直前のロケット発射場を舞台に、エイリアン・ボリスとの最終決戦が行われることになります。
個人的には、ちょうど近作かつ同じ月面へ向かうロケット発射の描写があり、かつアポロ11号の搭乗者だったバズ・オルドリンが友情出演していた映画「宇宙兄弟」をついつい思い出していましたね。
まあ、今作と「宇宙兄弟」でロケット発射描写がカブったのは単なる偶然ではあったのでしょうけど。
そして、そのアポロ11号発射基地の警備責任者が、何とエージェントJの父親だったという設定は正直かなり驚きではありましたね。
彼が実はエージェントJの父親だったというオチはラストで判明するのですが、彼の死と、幼き日のエージェントJがエージェントKに父親の所在を尋ねるエピソードは、エージェントKのあの性格の起源としてはなかなかに上手い話の持っていき方でした。
いつものお笑いアクションコメディにこの人間ドラマの挿入は、かなり良い意味でも意外感があるのではないでしょうか?

ただ少し疑問だったのは、ボリスとの最終決戦でエージェントJが行ったようなタイムトラベルの手法が使えるのであれば、あそこで死んだエージェントJの父親も救うことができたのではないか、という点ですね。
エージェントJは、ロケット発射台で未来からやってきたボリスと渡り合った際、ボリスの攻撃パターンを記憶した上でボリス共々ロケット発射台から飛び降りを敢行し、ボリスが自分を攻撃する直前にタイムスリップを行いボリスの攻撃を凌ぐという荒業を披露していました。
しかし、あのような荒業が可能ということは、1969年と現代の往復以外でもタイムスリップが可能であるということを意味します。
となるとエージェントJは、父親が死ぬ直前まで再度タイムスリップを行い、死ぬはずだった父親を助けることも充分に可能だったわけです。
何なら、1969年から一旦現代に戻った直後に再度ビルから飛び降り、1969年のあの場所にまた戻ることだってできたでしょうし。
歴史の改変が実は可能であることは、他ならぬエージェントJ自身が追跡していたボリスが実地で証明してもいたわけですしね。
そもそも、本来の史実では月面の牢獄に閉じ込められる予定だったはずの(1969年当時の)ボリスが、父親が殺害された直後にあの場でエージェントKに殺害されていて、それだけでも完全に歴史が変わってしまっていましたし。
作中で登場していた「未来の可能性を観る能力」を持つグリフィンは、その死がまるで避けられない運命であるかのごとき発言を行っていましたが、タイムトラベラーによって歴史が変えられる現実が作中で明示されている中で、それはあまりに説得力がなかったのではないかと。
この辺りは、タイムトラベルをエンターテイメント作品で扱うことの難しさを示すものでもありますね。
タイムトラベルは、その万能性故に何でもできることで「色々な見せ方ができる」という利点があるのと同時に、「こういう使い方もできるのに何故そうしないの?」というツッコミどころも多々生まれるという欠点をも併せ持っているのですから。

「MIB」シリーズのファンという方ならば、まず観に行って損はしない映画ではないかと。

薬師寺シリーズ9巻「魔境の女王陛下」刊行記念トークライブ情報

薬師寺シリーズ9巻「魔境の女王陛下」の発売を記念して、作者の田中芳樹とイラストレーターである垣野内成美女史のトークライブが、2012年6月5日19時よりUstreamで生放送配信されるとのことです。
さらに、講談社の公式Twitterアカウント「https://twitter.com/kodansha_novels」にて、トークライブ時に両者に対して行う質問や意見も募集するのだそうで↓

http://a-hiro.cocolog-nifty.com/diary/2012/05/ustream-de9c.html
>  6月7日、田中さんの新刊『薬師寺涼子の怪奇事件簿 魔境の女王陛下』が発売されるわけですが、その発売を記念して、6月5日(火)19時より、田中さんと垣野内成美さんのトークライブが開催されます。
>  このトークライブは、講談社の社屋で行われるそうですが、なんと
今回はUstreamを使って生放送してしまうとのこと。なんというか、時代はどんどん進んでいるのですねぇ。

http://www.bookclub.kodansha.co.jp/kodansha-novels/1205/news5/
> 質問募集中!
>
>
田中芳樹氏、垣野内成美氏への質問は
>
Twitterの @kodansha_novels までリプライ(返信)されるか、
>
makyo-oryo@kodansha.co.jpまでお送りください。
> 質問の受付は6月5日(火)0時までです。

数日前にも似たようなことを社長氏は述べていましたが、結局またニコファーレの二番煎じをやるわけですね。
銀英伝ならばともかく、薬師寺シリーズごときで質問にバリエーションが出てくるとも思えないのですが。
それ以前に、都合の悪い意見はこれまでの傾向を鑑みても当然のことながら検閲して取り除きにかかるでしょうし、何だか当たり障りのない意見しか出てこない感が多々あるのが何とも言えないところで(-_-;;)。
Ustreamならば私も観賞できますし、話のネタにでも観てみましょうかね。

Webブラウザ「Google Chrome」が利用シェアトップに

Google社が提供するWebブラウザのGoogle Chromeが、Internet Explorerの利用シェアを抜き去り、世界市場で初めてトップの座を獲得しました↓

http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2877767/8941162
>  アイルランドのアクセス解析サービス会社「StatCounter」が2012年5月22日までに発表した5月14日~20日の週の世界ブラウザ市場調査によると、米GoogleのWebブラウザ「Chrome」が米Microsoftの「Internet Explorer(ie)」を抜いて世界市場で初めて利用シェアトップになった。
>
>  1位となったchromeのシェアは33%、僅差で2位となったieは32%だった。3位以下は米Mozillaの「Firefox」(25%)、米Appleの「Safari」(7%)、ノルウェーOpera Softwaveの「Opera」(2%)と続いた。

世界の利用ブラウザは、Google Chrome、Internet Explorer(IE)、Mozilla Firefoxの3つで9割を占めていることになりますね。
IEだけで9割以上に達していたかつてのブラウザ事情から見れば、この分立状態は隔世の感があります。
まあIEの場合、IE9以降がWindowsXPではインストールできないという事情がかなり足を引っ張っているのでしょうけど。
未だ大きなシェアを擁するWindowsXPを無視すれば、そうなるのも当然の帰結ではあるのですが、「XP潰し」に奔走するMicrosoft社的には、そんなものは大した問題ではなかったということなのでしょうか?

個人的には、やはり長年使っていて使い勝手が良く、かつキャッシュファイルの場所が一目瞭然で分かるIEが良いですね。
Google ChromeやFirefoxは、どこにキャッシュファイルが格納されるのかが分かりにくい上に取り出しも容易ではなく、その点でやや難点があって全面移行を躊躇せざるをえないですし。
ブラウザそのものは、Webページの開発絡みで必要なこともあり、閲覧テスト用として3ブラウザ全てインストールしてはいるのですけどね。
タナウツのWebページ作成でも、3ブラウザ全てで閲覧テストを行い、ブラウザ毎の動作やレイアウトを何度も確認していましたし。
以前はIE環境だけでテストをしていたことを考えれば、このブラウザの群雄割拠状態は開発という観点から見ると非常に面倒な話だったりします。
まあ、最初からある程度の環境やレイアウトが整備されているレンタルブログなどでは、あまり関係のない話ではあるのですが。

頂点に上り詰めたGoogle Chromeに対する、IEやFirefoxの逆転は果たしてあるのでしょうかねぇ。

薬師寺シリーズ9巻「魔境の女王陛下」の発売日が判明

薬師寺シリーズ9巻「魔境の女王陛下」の正式発売日が、2012年6月7日であることが判明しました。

http://a-hiro.cocolog-nifty.com/diary/2012/05/post-98c6.html
>  昨日、講談社の編集さんが来社され、『薬師寺涼子の怪奇事件簿』新刊の原稿について、田中さんに最終の確認作業をしておりました。垣野内さんから素敵なイラストも届き、6月7日の発売に向けて、着々と準備が進んでいるようです。
>  今回の新刊発売に際して、講談社さんはいくつかのイベントを考えていらっしゃるようす。
>  
ゲストをお招きして田中さんと対談をしていただき、それをネットで中継する。なんていう面白い企画も提案書に書いてありました。実現すれば面白いですね。そういうときは、事前に皆さんに質問を寄せていただき、田中さんに答えてもらうなんてのも面白いかも知れません。

まあ熊本の場合、書籍は正式の発売日から3~4日ズレて入荷するのが常態なので、発売日当日に入手するのは難しいのですが(T_T)。
前巻「水妖日にご用心」から実に4年半近くもの時間をかけて、ようやく新刊のお出ましということになるのですが、何とまあずいぶんと長い「ストレス解消」であったことか(苦笑)。
それに見合う内容であればまだ救いもあるのですが、アルスラーン戦記やタイタニアなどであればともかく、創竜伝や薬師寺シリーズではねぇ……。
新刊の発売に伴い、タナウツ本家の考察シリーズも久々に再稼動の時を迎えることとなりますが、一体どんなことになるのやら。

ところで講談社の提案とやらですが、田中芳樹の対談のネット中継って、去年配信されたニコファーレ生放送で既に先例があるんですよね。
読者からの質問を寄せてもらうという企画にしてもこれまたニコファーレで行われていますし、同じことをやっても二番煎じにしかならないでしょう。
第一、質問を募集したって「○○の続きはマダ~?」的なものが大多数を占めるでしょうし、そもそも「らいとすたっふ」による検閲があることも確実なのですから。
本当に読者の生の声が聞きたいのであれば、それこそニコファーレのような生放送に拘るべきでしょうし、「らいとすたっふ」的にそれは難しいものがあるでしょうね。
薬師寺シリーズ絡みの企画としては、販売記念のサイン会がやはり妥当なところなのではないかなぁ、と個人的には思えてならないのですが。

映画「ファミリー・ツリー」感想

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映画「ファミリー・ツリー」観に行ってきました。
ハワイ諸島を舞台に繰り広げられる、ジョージ・クルーニー主演の人間ドラマ作品。
今作で主演を演じていたジョージ・クルーニーは、第84回アカデミー賞で主演男優賞にノミネートされており(ただし受賞はならず)、今作自体も同賞で脚色賞をこちらは受賞しています。

物語の冒頭は、ハワイのオアフ島沖の海を疾走するモーターボートに楽しそうに乗っているひとりの女性が映し出されます。
この女性がその直後に事故に巻き込まれ、意識が戻らず容態も悪化していく植物状態と化してしまったことが、今作における物語の始まりとなります。
その女性エリザベス・キング、およびエリザベスの夫にして今作の主人公であるマット・キングとの間には、2人の娘がいました。
ひとりは17歳で現在はハワイ島にある全寮制の高校で離れて生活している長女のアレクサンドラ・キング(作中では「アレックス」と呼ばれている)。
もうひとりは地元の小学校に通っている10歳の次女スコッティ・キング。
ところがスコッティは、母親が事故を起こしたショックから外で問題を起こすようになってしまい、スコッティの友人の母親から苦情の電話がかかってきて対応に追われる始末。
マットは、それまで仕事一筋で家族をほとんど顧みてこなかった典型的な仕事人間であり、家の問題は全て妻であるエリザベスが見ていました。
そのため、エリザベスが事故で動かなくなって以降は、それまで妻が見ていた子供の面倒を自分が担わなくてはならなくなってしまい、何をすれば良いのか分からず途方に暮れる日々を過ごす羽目に。
さらにマットには、家庭の事情とは別にもうひとつの問題を抱え込んでいました。
先祖代々受け継いでいたカウアイ島のキプ・ランチにある広大な土地の信託期限があと7年で切れてしまうことから、土地の売却を迫られていたのでした。
妻のありがたみを今更のように理解したマットは、妻の容態が回復し退院したら、土地を売り払った金で妻と娘に裕福な生活をさせてやろうと、前向きな決意を新たにするのでした。
ところが、その決意に反して、エリザベスの容態は日を追う毎にむしろ悪化していくばかり。
ついには、「可能な限りの手は尽くしましたが、奥さんに回復の見込みはありません」とまで医者から告げられてしまい、本人が事前に表明していた意向により「尊厳死」の道を選択するよう言われるのでした。

かすかな希望すらも粉砕されてしまい、いよいよ絶望的な事態を否応なく直視せざるをえなくなったマットは、長女のアレックスを連れ戻すべくハワイ島へと向かいます。
自分ひとりでは次女の面倒を見きれないという事情もありましたし、何よりも家族の一員として母親の容態に関する情報を共有する必要があったためです。
寮から抜け出してボーイフレンドのシドと夜遊びをしていた中でマットとスコッティに対面する羽目となったアレックスは、当然のごとくバツが悪い上に不満タラタラ。
しかし、自宅のプールでエリザベスの容態について知らされたアレックスは激しく動揺せざるをえませんでした。
ただその動揺は、単に母親の死に直面したから、というだけではなかったのです。
動揺を続けるアレックスをマットが問い詰めると、何とアレックスはエリザベスが浮気をしていたという事実をマットに対して告白したのです。
あまりにも想像の斜め上を行っていた事態に驚愕したマットは、すぐさま自宅を飛び出して親友夫妻の自宅へと文字通り走っていき、エリザベスの浮気について問い質すのでした。
さらにマットは、浮気について問い詰めた親友夫妻から、妻が自分と離婚する気であったことまで知る羽目となってしまいます。
親友夫妻の夫から、「ブライアン・スピアー」という妻の浮気相手の名前を知ることができたマットは、妻とブライアン・スピアーに怒り狂いながらも、死期が近いエリザベスの最期を看取らせるために、ブライアン・スピアーの居場所を探し始めるのでした。

映画「ファミリー・ツリー」では、家族を顧みることなく仕事一筋に集中しすぎた男の悲哀が描かれています。
妻であるエリザベスの不倫や遊び、それに子供の問題が発生していた原因を突き詰めると、結局全てがそこに行き着いてしまうわけで。
仕事人間であるマットにしてみれば、別に家族のことをないがしろにしていたわけではなく、むしろ「【家族のために】汗水流して働いていた」というのが偽らざる心情ではあったのでしょう。
しかし、それは結果として家族、特に妻との間が疎遠になることに繋がってしまい、それが結果的に妻の不倫や子供との意思疎通不足という事態に直結してしまったわけです。
こういうのってアメリカ以上に日本の方が大量に転がっていそうな話ではあるのですが、仕事人間側から見れば自分の努力が全く報われていないわけで、たまったものではなかったでしょうね。
もちろん、仕事人間の夫が家族を顧みないからといって、それは妻の浮気という背徳行為の責任を何ら軽減も免罪もするものではありえないのですが。

しかも、エリザベスの浮気相手であるブライアン・スピアーは、物語後半で判明するのですが妻と2人の子供がいる既婚者だったりするのですからねぇ。
マット達がブライアン・スピアーの所在を見つけ出した際は幸福な家庭だったはずのスピアー家が、夫の不倫発覚後にボロボロになってしまい、その怒りと恨みをブライアン・スピアーの奥さんが動かないエリザベスに激昂しながら叩きつける様は、観客として観ている側としても充分に共感できるものがありました。
夫の不倫に直面する羽目になった奥さんと子供達は100%の被害者であり何も悪くなどないのですから。
アレを見ていたら、キング一家には申し訳ないですが「ちょうど良いタイミングで奥さんが死ぬことになって良かったじゃないか」とすら思えてしまったほどです(-_-;;)。
もっとも、エリザベスの不倫の相方であるブライアン・スピアーにとっては、エリザベスの死は災厄以外の何物でもなかったでしょうけどね。
奥さんの分も含めて、自分とマットの家族双方に賠償等の問題が確実に降りかかってくることになるのですし、自分の境遇や心情を共有できる相手さえもいなくなってしまったわけなのですから。
まあ、これは自業自得として諦めてもらうしかないのですけど。

崩壊寸前の家族問題や不倫問題、それに土地売却の問題など、作品的にはなかなかに重いテーマが目白押しですが、全体的にのんびりとしたハワイアンな音楽や雰囲気がそれを和らげている感じですね。
ハワイ諸島の各所が映し出されていく中、のんびりと観光しながらストーリーが進んでいくような感すらありましたし。
ストーリー自体はお世辞にも明るいとは言い難いものがありますから、製作側としてはそういった「雰囲気作り」で暗さを払拭していく意図があったのでしょう。
実際、これで音楽や雰囲気までセカセカしていたら、それこそ何の面白みもない鬱々とした展開にしかならなかったでしょうし。
また、物語後半のブライアン・スピアー探しの際、何故か一緒になって付いてきた長女アレックスのボーイフレンドであるシドの存在も良い緩衝材となっていました。
最初の方では不謹慎発言を連発しまくって周囲から顰蹙を買っていたシドは、しかし物語が進むにつれてアレックスのみならずマットの良き理解者へと変わっていきました。
彼自身、つい最近に父親を事故で亡くしたという経緯もあったとのことで、キング家に共感もしやすかったのでしょう。
最初は「何故こんなのにアレックスは惚れたんだよ」と考えていたくらいでしたが、なるほど、これならば惚れる理由も理解はできるなと。
こういった「小道具」の使い方はかなり上手い部類に入るのではなかったかと。

ジョージ・クルーニーのファンな方々と族系の人間ドラマ好みな方にはイチオシの作品であると言えそうです。

映画「ダーク・シャドウ」感想

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映画「ダーク・シャドウ」観に行ってきました。
ジョニー・デップとティム・バートン監督が8度目のタッグを組んだ、一風変わったヴァンパイアホラー作品。
作中では下ネタな会話と血を吸うことによる流血シーン、さらには何とも微妙なセックス描写(?)が展開されていることもあってか、この映画はPG-12指定されています。

1760年に新天地を求めてイギリスのリバプールからアメリカへと渡ったコリンズ家。
当時はまだイギリスの植民地だったアメリカのメイン州で水産業を立ち上げ、たちまちのうちに財を成し地方の名士としての地位と立場を確立します。
コリンズ一家は自らの権勢の象徴として、自分達が住んでいる町に、家名を冠した「コリンズポート」という名を与え、さらに「コリンウッド」と呼ばれる巨大な屋敷を建造します。
今作の主人公でもあるバーナバス・コリンズは、そのコリンズ家のひとり息子で一家の跡取りでもあり、両親にも恵まれ町一番の大富豪として幸せな日々を送っていました。
ところが、彼がアンジェリーク・ブシャールという名の女性と一時的に付き合ってしまったことから、彼の不幸が始まってしまいます。
バーナバスはアンジェリークをフッてしまい、ジョゼット・デュプレという別の女性と恋仲になるのですが、どうしてもバーナバスのことが諦められないアンジェリークは、いかがわしい黒魔術に手を染め、バーナバスのみならずコリンズ一家を不幸に陥れることを決意します。
まずはバーナバスの両親達の頭上に建物に飾られている彫像を落下させて殺害。
さらには、バーナバスの恋人になっていたジョゼットに催眠術?のようなものをかけ、自殺の名所のような岬に導き身を投げさせて殺してしまうのでした。
ジョゼットの死に間に合わなかったバーナバスは、自身も後を追うように岬からフリーフォールして自殺しようとします。
果たしてバーナバスは崖下の地面に叩きつけられるのですが、何とバーナバスは全く無傷で起き上がってしまいます。
そしてバーナバスは、自分の身体がヴァンパイアのそれに変えられてしまったことに気づいて愕然とするのでした。
まんまとバーナバスを不幸のどん底に突き落とすことに成功したアンジェリークは、トドメとばかりに「あいつはヴァンパイアだ」と民衆を扇動し、バーナバスを生きたまま棺の中に閉じ込めてしまい、鎖をかけて地面の中に埋めてしまうのでした。

時は流れて1972年。
コリンズポートの町へと向かう列車の中に、冒頭で岬に身を投げて死んだジョゼットと瓜ふたつの女性が乗車していました。
彼女は、今ではすっかり没落してしまったコリンズ家で家庭教師の職に就くため、コリンズポートへと向かっていたのでした。
彼女は面接の練習の際、列車の中にあったウィンタースポーツ?のポスターを見て、自分のことを「ヴィクトリア・ウィンターズ」と名乗ります。
その直前に「マギー……」と言いかけていたことから、別に本名があることがどことなく伺えるのですが……。
ヒッチハイクを経て何とかコリンウッド邸に辿り着いたヴィクトリアは、当代のコリンズ一族の家長であるエリザベス・コリンズ・ストッダードと面接を行い、とりあえず住み込みで家庭教師をすることを許可されます。
さらにヴィクトリアは家の者達を紹介されるのですが、どいつもこいつも退嬰的だったり奇矯な人格をしていたりとロクなものではありませんでした。
そしてその夜、ヴィクトリアは冒頭で死んだはずのジョゼットの幽霊と出会い、「彼が戻ってくる」という謎のメッセージと、彼女が後ろ向きに落下していくイメージ像を見せられることとなります。

同時刻、森の中で工事を行っていたらしい一団が、工事の最中に鎖に縛り付けられた棺を発見します。
工事の一団は、作業の邪魔になることから棺を地中から掘り出し、棺の鎖を外してその蓋を開けてしまいます。
すると、たちまちのうちに中から現れた存在によって次々と殺されていく工事現場の作業員達。
その場にいた作業員11人全員の血を吸い尽くしたのが、冒頭で棺に閉じ込められていたバーナバス・コリンズその人だったのです。
長きにわたる眠りから目覚めたバーナバスは、その足でかつての自分の住居であるコリンウッド邸へと向かうこととなるのですが……。

映画「ダーク・シャドウ」の主人公バーナバス・コリンズは、当の本人も含めて「200年の時を経て目覚めた」と主張しているのですが、彼を捕縛させた魔女アンジェリークの発言によれば、実際に眠っていた期間は196年とのことなのだそうです。
バーナバスが目覚めた年は1972年で確定しているわけですから、バーナバスが魔女アンジェリークによって棺の中に閉じ込められたのは1776年ということになります。
1776年当時のアメリカと言えば、7月4日のアメリカ独立宣言に象徴されるようにイギリスを相手取った独立戦争の真っ只中にあり、当時のメイン州は独立した州ではなく、独立宣言に署名した13州のひとつマサチューセッツ州の飛び地という位置付けでした。
当時の情勢から考えると、コリンズ家のみならずメイン州全体が否応無くアメリカ独立戦争の渦中にある可能性が高かったはずで、そんな緊急事態の最中に、町の指導的立場にあったはずのバーナバスを魔女狩りで葬ったりしている余裕なんてありえなかったはずなのですけどねぇ(苦笑)。
またバーナバスは、1972年に目覚めた際、アメリカのことを当然のように「国」として認識しており、イギリスに対する帰属意識すらも全く見せておりません。
1776年当時のアメリカは、まだ他国によって承認された国ではなく、イギリスを支持する「王党派」という存在も少なくなかったにもかかわらずです。
コリンズ家はアメリカ独立を推進する「独立派」の立場にあったのかもしれませんが、それならばアメリカがイギリスから独立し大国となっていることに何らかの感慨くらいあっても良さそうなものですし、逆に「王党派」であってもそれはそれで嘆き悲しむ等の何らかの反応があって然るべきだったのではないのかと。
どちらにも属さない中立の立場というのは、どちらかに属する以上に至難を極める難しい選択を迫られることになるでしょうし。
こういうのって「歴史が浅い国」ならではの話ではあるのでしょうけど、「200年ぶりに蘇って時代の流れについていけていないバーナバス」という描写をしたかったのであれば、この「国」の問題は避けて通れなかったのではないかと思えてならないのですけどね。

作中の描写を見ていくと、今作は全体的にジョニー・デップが演じるバーナバス・コリンズと、魔女アンジェリーク・ブシャールの2人を主軸に据えている感が多々ありましたね。
ヴィクトリアなどは、作品の位置付け的には「バーナバスの恋人役」というメインヒロイン的なものを担っているはずなのですが、それにしては出番が少なく存在感も今ひとつだったりします。
序盤から思わせぶりに出てきた割には、バーナバスが棺から覚醒して以降はしばらくの間作中に登場すらしなかったくらいでしたし。
むしろ、当代の家長だったエリザベスの方が、バーナバスとの駆け引きなどもあって出番が多かったくらいですからねぇ。
ラストの対アンジェリーク戦でさえロクに活躍することもなく、冒頭の自殺と全く同じシチュエーションでようやく出てくるありさまでした。
正規のメインヒロインのはずなのに何この扱いは、と思わず嘆かざるをえなかったところですね。
彼女はラストでバーナバスによってヴァンパイアにされていましたが、これって次回作で活躍する伏線だったりするのでしょうか?

作中において本当にヒロイン的な存在感があったのは、ヴィクトリアではなくエリザベスとアンジェリークの方でしたね。
エリザベスは家長という立場もあったのでしょうが、バーナバスと対等にわたり合っていましたし、最終決戦でも映画「ターミネーター2」のサラ・コナーを髣髴とさせるようなショットガン乱射を繰り広げていました。
今作における「戦うヒロイン」的な役柄は、間違いなく彼女に冠されるべきものだったでしょう。
またアンジェリークの方は、全体を通じてとにかく出番が多い上にバーナバスに次ぐ存在感があり、ヤンデレ的なストーカー悪役ぶりを如何なく発揮しておりました。
特に物語中盤で展開されたバーナバスとの「お互いを壁に叩きつけ部屋を破壊しまくりながら繰り広げられるセックス描写?」は、笑いを取りに行っているのかエロスを表現しているのか何とも判断に苦しむものがあって、それ故逆に強い印象が残ったものでした(苦笑)。
アンジェリークはネタキャラとして見る分にはなかなかに楽しめる人物ではありますが、男性的に見て確かに間違っても恋人にしてはならないキャラクターですね。

個人的に少し疑問に思ったのは、対アンジェリーク戦の最終局面で、デヴィッド・コリンズの母親の幽霊が発した音響攻撃?によってアンジェリークが致命傷を被るという描写ですね。
正直、私はあれでアンジェリークが死ぬとは全く思っていなかったので、「あれ?これで終わり?」と疑問を持ってしまったものでした。
何しろ、その少し前には、アンジェリークがバーナバスによって1階から2階の床を突き破って天井に叩きつけられるという描写が展開されていて、しかもそれでさえアンジェリークは平気で立ち上がっていたのですから。
バーナバスと幽霊の攻撃によるダメージって、どちらも同じか、むしろバーナバスの方が大きかったようにすら見えるのですが。
音響攻撃でシャンデリアにぶつかった際、シャンデリアの突起物で身体を貫かれていた、というのであればまだ理解もできたのですが、そういう風にも全く見えなかったですし。
それまでのダメージが蓄積していてアレがトドメになったという可能性もありますが、それにしてもアレで死ぬというのは見た目的にちょっと納得がいかなかったですね。

ラストは明らかに続編を匂わせるような終わり方をしているのですが、果たして続編は製作されるのでしょうかねぇ。

映画「幸せへのキセキ」感想

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映画「幸せへのキセキ」観に行ってきました。
イギリスの新聞コラムニストであるベンジャミン・ミーの回顧録を元に製作された、マット・デイモン主演の人間ドラマ作品。
回顧録という性格上、名前も改変されることなく原作者がそのまま今作の主人公となっています。
今作は2012年6月8日に日本で劇場公開される予定の映画なのですが、今年5本目となる試写会上映に当選し、今回も劇場公開に先行する形での観賞となりました。

スズメバチ?の大群の只中に飛び込んだり、ハリケーンの中に突っ込む飛行機内でのリポートを敢行したりといった実績で、それなりに名が知られている新聞記者のベンジャミン・ミー。
彼は半年前に最愛の妻を亡くし、そのショックから未だに立ち直れずにいました。
会計士の職にある兄のダンカン・ミーからもしきりに再婚を勧められますが、ベンジャミンは「この街にいるとどうしても亡き妻のことを思い出してしまう」とあまり乗り気になれないでいました。
また、自分と同じく傷心を抱え込んでいる、妻との間に出来た子供である14歳の息子ディランと7歳の娘ロージーにも、どのように接していけば良いのか悩む日々が続いていました。
特にディランは、母親が亡くなって以降は心が荒むばかりで、父親に反抗的で学校でもたびたび問題を起こすようになるありさま。
そんなある日、ベンジャミンは自分の企画をボツにし、お情けレベルの仕事を与えて飼い殺しにしようとする会社の方針と反発し、上司に「会社を辞める」と宣言して会社を飛び出してしまいます。
さらにそれと合わせるかのように、息子ディランもまた、校則違反を重ね続けたことが災いして退学処分に。
生活基盤がボロボロになってしまったベンジャミンは、これを機会に新しい家を購入してそこへ引っ越し、新しい生活を始めることを決意するに至るのでした。

これが初仕事という新米不動産業者の案内の下、ベンジャミンとロージーの2人は候補となる家を物色しにかかるのですが、2人の希望と合致した家はなかなか見つかりません。
とうとう紹介される最後の物件となった家に2人は到着するのですが、そこは敷地面積が他の物件と比べても恐ろしくデカい家でした。
家の状況も決して悪いものではなく、2人はここを気に入りベンジャミンも家を購入する気になったのですが、新米不動産業者はそこで何故か難色を示します。
新米不動産業者にベンジャミンが説明を求めた時、突如獣の咆哮が辺りにこだまします。
そして新米不動産業者は、ここが実は動物園の一部であることをベンジャミンに話すのでした。
ローズムーア動物公園と呼ばれるその動物園は、かつてのオーナーが死んで以降は閉鎖を余儀なくされており、今では元オーナーの遺言と遺産でかろうじて維持されている状況にあるとのこと。
そして、閉鎖された動物園を維持・管理し続けることが、家を購入する際の必須条件であるとされていたのでした。
それまでの人生で動物の管理などとは全く無縁だったこともあり、ベンジャミンも最初は当然のごとく家を買うべきか否か逡巡します。
しかし、ロージーが楽しそうに動物と戯れている光景を見て、子供達のために家を購入することをベンジャミンは決断するのでした。
そして数日後、前の家を引き払って引っ越してきたベンジャミン・ミーの一家は、ローズムーア動物公園で動物達の飼育に当たっていた飼育員達と共に、動物園の再建に乗り出すこととなります。
ベンジャミンの一家を物色していたのは2月であり、役所による動物園の審査が行われるのは6月30日。
この6月30日に審査をパスすれば、7月7日に動物園をオープンさせることができるのです。
しかし動物園の再建には、当然のごとく多くの問題が立ちはだかっていたのでした……。

映画「幸せへのキセキ」の作中で2人の子供の父親役を演じているマット・デイモンは、実生活でも4人の子供の父親であるのだとか。
そのためなのか、作中では母親を亡くして子供達への対応に悪戦苦闘を余儀なくされつつ、それでも子供達の幸せを願う無器用な父親像を存分に演じていました。
物語中盤頃までは「息子への当たりと娘贔屓が酷すぎないか?」という部分もありましたが、そういう態度を取っている理由や葛藤なども父親ならではのものはありましたし。
マット・デイモンは、映画「ヒアアフター」以降、アクションシーンが少ない、もしくは皆無な映画にばかり出演していますが、本人的にはそちらの方が本望だったりするのでしょうかね?

まあ息子にしてみれば、「暗い目が死んだ母親に似ていることがイライラするから」などという理由で自分に当たられてはたまったものではないのですが、まあ父親がああいう感情を持つこと自体は(良くはないにしても)ありえることではあるのではないかと。
ただ、そこから端を発する息子と父親の対立が、スパーという老齢のベンガルドラを看取るシーンを介してとは言え、やや唐突に終わってしまった感は否めなかったところですね。
ただでさえあの息子は、物語序盤から父親に対して反発ばかり見せていたのですからなおのこと。
まあ、息子の父親に対する反発自体は、あの年齢相応の「思春期」「反抗期」という部分も多分にあったのでしょうけど、あの父親の告白はそれでも結構大きな精神的ダメージにもなったでしょうし、普通に考えたら親子関係はむしろ悪化すらしてしまうものではなかったのかと。
息子が父親に対し激発するところから、どのような心情と過程を経てあの和解のシーンへと至っていたのかについて、もう少し詳細に描写しても良かったのではないかと思うのですが。

今作は映画「幸せの教室」と同じく、これと言った悪役が全くいない映画と言えますね。
一応、飼育員達が動物園の審査を行うウォルター・フェリスという役人を酷評したり悪態をついたりする描写はあるのですが、彼にしても別に不正な手段でわざと失格にするような審査を行ったり動物園に嫌がらせをしたりするわけでもありません。
審査自体は至って公正なもので、むしろ動物園側の方が、動物園の各所で発生するアクシデントや不具合を急場凌ぎで取り繕うべく奔走している感すら否めなかったところですし。
この審査の流れは、2006年公開映画「県庁の星」の終盤で行われたスーパーマーケットの営業差し止め検査の行程に近いものがありましたね。
国は違えど、どこでもああいうことはするのだなぁ、と妙に感心してしまったところでした(^^;;)。

どことなくほんわかできる映画を観たい、という方にはオススメの作品ですね。

銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察10

「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察も、いつのまにやら10回目の節目を迎えることとなりました。
出てくる度に被害妄想狂ぶりを発揮しまくり、フォークやロボスばりの自己中心的な態度に終始する狂人ヴァレンシュタインの言動にあまりにもツッコミどころが多すぎ、その対処にひたすら追われているがために、10回目到達時点での話数消化はようやく30話に届いたかどうかという遅々とした状況にあります(T_T)。
当初の予定では、もうとっくに最新話まで追いついていたはずなのですが……(-_-;;)。
ここまでヴァレンシュタインの言動で問題が頻出し醜悪極まりないシロモノにまで堕しているのは、結局のところ「自分を特別扱いし過ぎる」という一点に尽きるでしょう。
ヴァレンシュタインが他者を批判する際、彼は「その批判が自分自身にも当てはまってしまうのではないか?」ということを全く考えすらもしないんですよね。
自分の足元を固めずに相手を罵り倒すことにばかり傾倒するものだから、相手に対する非難や罵倒がブーメランとなってそっくりそのまま自分自身に跳ね返ってきてしまい、あっという間にボロを出す羽目となってしまうわけです。
「亡命編」におけるロボスやフォークに対するヴァレンシュタインの批判内容なんてまさにその典型例ですし、攻撃に特化し過ぎて防御がおろそかになっている以外の何物でもありません。
自分が批判すらも許されない神聖不可侵にして絶対の存在だとでも考えていない限り、こんな愚行をやらかすはずもないのですけどねぇ。
本当に強い理論というのは、批判対象と同様に自分自身をも含めた他の事象にも適用しうるか、あるいは「場面毎に主張が変わる具体的な理由」を万人に明確に提示することを可能とする「一貫性のある論」なのであって、それができないダブスタ&ブーメラン理論などは愚の骨頂もはなはなだしいでしょうに。
他者を批判する前に自分の襟を正し、自分の言動が自分自身に適用されないよう配慮する、ということを行っていくだけでも、今のヴァレンシュタインの惨状はかなり改善されるのではないかと思えてならないのですがね。
まあ、そんなことは太陽が西から上るがごとく、最初から不可能な話ではあるのですが(爆)。
では今回も引き続き、第6次イゼルローン要塞攻防戦における狂人ヴァレンシュタインの狂態ぶりを見ていきましょう。
なお、「亡命編」のストーリーおよび過去の考察については以下のリンク先を参照↓

亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
http://ncode.syosetu.com/n5722ba/
銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-570.html(その1)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-571.html(その2)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-577.html(その3)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-585.html(その4)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-592.html(その5)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-604.html(その6)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-608.html(その7)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-614.html(その8)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-625.html(その9)

自分から上官侮辱罪をやらかして総司令部の雰囲気を悪戯に悪化させたにもかかわらず、そのことに対する反省もなしに全ての責任をロボスに擦りつけるヴァレンシュタインは、帝国軍から逆襲されて作戦が潰えた後も、勝算もないままに陸戦部隊の再突入を強硬に命じたロボスに対し、自由惑星同盟軍規定第214条という実力行使に出ることをグリーンヒル大将に発案します。
「亡命編」のオリジナル設定である自由惑星同盟軍規定第214条とは、部隊の指揮官が錯乱状態などに陥りマトモな戦闘指揮が行えなくなった際に、次席の人間がその指揮官を排除してその指揮権を引き継げることを可能とする法です。
これを読んで個人的に思い出したのは、1995年公開の映画「クリムゾン・タイド」ですね。
この映画では、通信機の損傷により外部との連絡が途絶した原子力潜水艦の中で、途中まで送られていた暗号文の解釈を巡り、ただちに(核?)ミサイルを発射して先制攻撃すべきという艦長と、まずは通信内容の確認を行うべきだとする主人公の副長が対立し、独断で攻撃を強行しようとする艦長に対し、副長が指揮権剥奪を宣告し拘束させるという場面があります。
このケースでは、艦長に対して「通信の確認を行わずに攻撃を行おうとした」「攻撃には副長の同意も必要なのにそれを無視しようとした」という軍規違反の口実が使えましたし、下手すれば無辜の市民が虐殺されたり第三次世界大戦が勃発したりしかねないような状況でもあり、誰もが時間に追われ決断を迫られる極限状態にもありました。
この映画のラストでも軍法会議が開かれ潜水艦内での問題が審議されたのですが、裁判の場でも「どちらが全面的に正しい&間違っているとは言えない」という流れと結論に終始していました。
もっとも最終的には、年配の艦長が副長に後事を託し引退することで主人公の正しさを認める、という形で終わっていましたが。
軍内でこのような対立が起こったり、あまつさえ下位の人間が上官から権限を剥奪したりするというのはそれ自体が大変な問題行為でもあり、だからこそ、214条のような規定は乱用されないようにすべきものでもあるわけです。

しかし今回の場合、そもそもロボスは同盟軍の軍規に違反したり自軍に多大な損害を与えたりする一体どんな行為を行っていたというのでしょうか?
確かにロボスは、自身のメンツにこだわって勝算も成功率も皆無としか言いようのない無謀な命令を繰り出してはいましたし、「ローゼンリッターなど磨り潰しても構わないから再突入させろ!」とまでのたまってはいました。
それは確かに味方の損害を増やす愚行であったことは間違いないのですが、しかし総司令官としてそのように命じること自体は何ら軍規に違反する行為ではありません。
また、仮にイゼルローン要塞に突入したローゼンリッターどころか陸戦部隊の多くが壊滅状態になったとしても、それで全軍が瓦解するわけではなく、すくなくとも艦隊決戦に比べれば、全体から見た損害も微々たるもので済みます。
極端なことを言えば、いざとなれば陸戦部隊を切り捨てて撤退しても、軍の維持という点では大きな問題は発生しようもなかったわけです。
もちろん、陸戦部隊を身捨てる立場となるロボスが、後日に総司令官として相応の責任が問われ糾弾されることになるのは確実でしょうが、それをもって軍規違反に問うたり精神錯乱の疑いをかけたりすることは不可能なのです。
むしろロボスの場合は、軍規通りに総司令官として振舞った結果がああだったわけで、その点でロボスに軍法違反の容疑で解任を迫るというのは無理筋もいいところでしょう。
ここでロボスがさらに狂気に走って同盟全軍にイゼルローン要塞への特攻を命じる、といったレベルにまで至れば、さすがに214条の発動にもある程度の正当性が出てくるかもしれませんが、あの状況では「最悪でも陸戦部隊の壊滅だけで事は収まる」可能性の方が高いのです。
原作の第6次イゼルローン要塞攻防戦におけるロボスの言動を見ても、その辺りを落としどころにする可能性は大なのですし、他ならぬヴァレンシュタイン自身もそう考えていたはずでしょうに。
むしろ、214条発動に伴う混乱の隙を突かれる危険性の方が問題と言えるものがあります。
指揮系統が混乱しているところに敵の攻撃を受ければ、それこそ全軍が瓦解する危機を自ら招きかねないのですから。
遠征軍全体から見れば最大でも数%程度しかいない陸戦部隊の危機を救うために、全軍を危機に晒す必要があの状況で果たしてあったのでしょうか?
これらのことから考えると、あの場面で214条発動の条件が整っていたとは到底言い難いものがあります。
ロボス個人が無能低能であることと、軍法に基づいた行動を取り軍の秩序を守ることは全く別のカテゴリーに属する話であり、それを一緒くたにして断罪すること自体に無理があり過ぎるのです。

かくのごとく問題だらけの214条発動を、例によって例のごとく自らの実力ではなく神(作者)の介入によって御都合主義的に切り抜けてしまったヴァレンシュタインは、ロボスを放逐した後に陸戦部隊救出のための指揮を取り、味方の撤退を見届けるべくイゼルローン要塞内の最前線に最後まで留まることを自ら志願します。
ロボスに代わって臨時の総司令官となったグリーンヒル大将は、「毒を食らわば皿まで」と言わんばかりにそれを承認し、かくしてヴァレンシュタインはイゼルローン要塞の最前線へと向かうこととなるのでした。
最前線に到着したヴァレンシュタインは、まずは最前線の指揮官が誰であるのかを捕虜に問い質し、オフレッサー・リューネブルク・ラインハルトの3者であるとの回答を得ます。
必要な情報を得たヴァレンシュタインでしたが、捕虜の中に自身の旧友であるギュンター・キスリングがいることを確認し驚愕。
何故彼が負傷した状態でここにいるのか熟考するヴァレンシュタインに不審を抱いた捕虜のひとりが、以下のような行動に出ることとなるのですが……↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/32/
> 「あんた、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン大佐か?」
> いつの間にか思考の海に沈んでいたらしい。気が付くと体格の良い男が俺が絡むような口調で問いかけてきていた。
>
> 「……そうです」
> 俺が答えるのと同時だった。そいつが吠えるような声を上げていきなり飛びかかってきた。でかいクマが飛びかかってきたような感じだ。
>
> しゃがみこんでそいつの足に荷電粒子銃の柄を思いっきり叩きつけた。悲鳴を上げて横倒しにそいつが倒れる。馬鹿が! 身体が華奢だから白兵戦技の成績は良くなかったが、嫌いじゃなかった。舐めるんじゃない。お前みたいに向う脛を払われて涙目になった奴は一人や二人じゃないんだ。
>
> 立ち上がって荷電粒子銃をそいつに突きつける。他の二名は既にローゼンリッターの見張りが荷電粒子銃を突きつけていた。
> 「ヴァレンシュタイン大佐! 大丈夫ですか!」
> 「大丈夫ですよ、リンツ少佐」
>
> 「貴様、一体どういうつもりだ! 死にたいのか!」
> リンツが体格の良い男、クマ男を怒鳴りつけた。
> 「う、うるせえー。ヴァンフリートの虐殺者、血塗れのヴァレンシュタイン!俺の義理の兄貴はヴァンフリート4=2でお前に殺された。姉は自殺したぜ、この裏切り者が!」
>
> クマ男の叫び声に部屋の人間が皆凍り付いた。
姉が自殺? こいつもシスコンかよ、うんざりだな。思い込みが激しくて感情の制御が出来ないガキはうんざりだ。どうせ義兄が生きている時は目障りだとでも思っていたんだろう。
>
> 「ヴァンフリートの虐殺者、血塗れのヴァレンシュタインですか……。痛くも痒くも有りませんね」
> 俺はわざと声に笑みを含ませてクマ男に話しかけた。周囲の人間がギョッとした表情で俺を見ている。クマ男は蒼白だ。
>
> 「き、貴様」
>
「軍人なんです、人を殺して何ぼの仕事なんです。最高の褒め言葉ですね。ですが私を恨むのは筋違いです。恨むのならヴァンフリート4=2の指揮官を恨みなさい。部下の命を無駄に磨り潰した馬鹿な指揮官を」
>
> その通り、戦場で勝敗を分けるのはどちらが良い手を打ったかじゃない。どちらがミスを多く犯したか、それを利用されたかだ。
敵の有能を恨むより味方の無能を恨め。今の俺を見ろ、ウシガエル・ロボスの尻拭いをしている。馬鹿馬鹿しいにもほどが有るだろう。
>
> 「裏切り者は事実だろう!」
> 笑い声が聞こえた、俺だった。馬鹿みたいに笑っている。笑いを収めて蒼白になっているクマ男に答えた。
>
「私が裏切ったんじゃありません、帝国が私を裏切ったんです。恥じる事など一つも有りません」

……ここまで「夜郎自大」という言葉の生きた見本みたいな人間は初めて見ましたよ、私は。
だいたい、ヴァンフリートで義兄が戦死し姉が自殺したことに憤ることが「シスコン」かつ「思い込みが激しくて感情の制御が出来ないガキ」って、一体どこをどうすればそんな論理が出てくるというのでしょうか?
「シスコン」であろうがなかろうが、家族を殺されて憤らない人なんて相当なまでの少数派ですし、その正当な怒りが「思い込みが激しくて感情の制御が出来ないガキ」とまで罵られなければならないシロモノなどであるわけないでしょうに。
こんな論理が成立するのであれば、今世の両親を殺され仇を討つことを決意したヴァレンシュタインは「ファザコン&マザコン」で「思い込みが激しくて感情の制御が出来ないガキ」ということになってしまうではありませんか(爆)。
もちろん、ヴァレンシュタインが「思い込みが激しくて感情の制御が出来ないガキ」であること自体は疑問の余地など全くない厳然たる事実ではあるのですが(笑)、しかしそれは別に今世の両親が非業の死を遂げたからでも、そのことにヴァレンシュタインが怒りを覚えたからでもありません。
自分自身のことを全く顧みることなく、後先考えずに目先の感情的な罵倒にばかり熱中してダブスタ&ブーメランな言動ばかり披露する行為の数々と、それらの言動を行うことに何ら矛盾や羞恥を自覚することすらもない厚顔無恥な思い上がりこそが、ヴァレンシュタインが「思い込みが激しくて感情の制御が出来ないガキ」と評される由縁なのですから。
さらに語るに落ちているのは、もし自分が襲撃者と同じ立場にあったら、襲撃者が自分に対して述べた罵倒と同じことを言うであろうことを、当のヴァレンシュタイン自身がはっきりと述べていることです↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/37/
> “ヴァンフリートの虐殺者”、“血塗れのヴァレンシュタイン” クマ男の声を思い出す。憎悪に溢れた声だった。ヴァンフリートで帝国人を三百万は殺しただろう、そう言われるのも無理は無い。俺がクマ男の立場でも同じ事を言うはずだ。

同じ立場であれば、同じことを言うだけでなく襲撃もするでしょう、ヴァレンシュタインの性格ならば(笑)。
何しろ、忍耐心とか我慢とかいった概念が全くない上に嗜虐性と他罰主義に満ち溢れた「キレた少年」「ブラック企業経営者」のごとき破綻だらけな性格をしているのですからね、ヴァレンシュタインは。
周囲も後先も考えずに暴走したことも一度や二度ではないですし、「本編」でヤンに謀略を仕掛けられた際の対応を見ても、「敵の有能を恨むより味方(自分)の無能を恨」むなどという、ある意味謙虚な行為などするはずがないのですし。
となるとヴァレンシュタインは、自身がまさに襲撃者と同じく「ファザコン&マザコン」で「思い込みが激しくて感情の制御が出来ないガキ」でしかないことを、他ならぬ自分自身で認めてしまっていることにもなるわけです(爆)。
他ならぬ自分自身が、自分がバカにしている襲撃者と完全に同類の人間であることを、わざわざ自分から告白する必要もないでしょうにねぇ(苦笑)。

そして、「私が裏切ったんじゃありません、帝国が私を裏切ったんです。恥じる事など一つも有りません」に至っては、当の襲撃者もまさに空いた口が塞がらなかったでしょうね。
巨大な国家と自分ひとりが同等、いやそれどころか国家の方が自分よりも格下、などという発想は、万人の自由と平等を謳う民主主義国家ですらもありえないシロモノですし、ましてや専制君主国家であればなおのことです。
第一、「帝国が私を裏切った」というのは一体何のことを指しているのでしょうか?
まさか、帝国とヴァレンシュタインが何らかの相互契約を結んでいてそれを帝国が反故にした、という話ではないでしょうし、両親を殺し自分をも殺そうとしたということを指すのであれば、それはそのように命じたカストロプ公個人の犯罪であって、帝国そのものの罪などではないでしょうに。
貴族の犯罪がもみ消されるという社会問題にしても、「帝国が元からそういう政治形態である」という事実もヴァレンシュタインは当然知っているわけですし、その事実を知っていてなお帝国を信用する方がむしろ「愚か者の所業」以外の何物でもないのですが(苦笑)。
そして何よりも、ヴァレンシュタイン個人にそのような事情があったからと言って、それはヴァレンシュタインが赤の他人の家族に対して同じような目に遭わせることを正当化するものでも免罪するものでもありえません。
そのことに対して自覚的でその罪も生涯背負って生きていくとか、最小限の犠牲に抑えて大業を為すとかいうのであればまだしも、「自分は正当な報復の権利を行使しているだけであり全て他人が悪い。お前の家族が死んだことで俺を逆恨みするのは筋違いだし、むしろ邪魔な家族を殺してやったことに感謝しろ」では、むしろ他者からの賛同や共感を得られることの方が奇妙奇天烈な話でしかないですよ。
まさに「思い込みが激しくて感情の制御が出来ないガキ」の様相を呈している以外の何物でもないのですが、そうでなければヴァレンシュタインは、一体何を根拠に自分が帝国よりも偉大な存在であるとまで考えられるようになったのでしょうか?
すくなくとも原作知識と自身の才覚だけではここまで増長できるものではないですし、やはりありとあらゆる「奇跡(という名の御都合主義)」を発動できる「神(作者)の祝福」への依存症だったりするのでしょうかねぇ……。

この辺のやり取りは、原作「銀英伝」9巻におけるヴェスターラントの遺族によるラインハルト暗殺未遂事件でのやり取りをトレースしたものなのでしょうが、原作のそれと比較してもあまりにもヴァレンシュタインが幼稚かつ自分勝手に過ぎます。
そもそも、如何に敵の無能が原因でヴァレンシュタインが敵を殺しまくり大勝利を獲得しえたにしても、それはヴァレンシュタイン自身の「大量虐殺者としての罪」を何ら軽減も免罪もするものではないのですが。
しかも相手は敵の指揮官などではなく単なる一兵士でしかなく、立場的には「無能な味方」と「有能な敵」双方の被害者でもあるわけです。
「無能な味方」と共に「有能な敵」をも恨むのは、その立場から言えば当然のことであり、筋違いでも何でもありません。
そして、原作9巻でヴェスターラントの虐殺を糾弾されたラインハルトも、愚行を行った無能なるブラウンシュヴァイク公と同じかそれ以上の罪が自分にもあることを自覚していたからこそ、ロクに反論もできず自責の念に駆られることとなったわけでしょう。
被害者に対してすら被害妄想と他罰主義と責任転嫁にばかり汲々とする夜郎自大なヴァレンシュタインに比べれば、原作におけるラインハルトの自責の念やオーベルシュタインの「少数を殺すことで多数を生かす」という信念の方が、まだ自身の責任を直視し受け入れているだけマシというものです。
どうもヴァレンシュタインの自己正当化な言動を見ていると、軍人としてではない快楽的な大量殺人やレイプその他の重犯罪者の自分勝手な心情や言い訳を聞いているような気にすらなってくるのは私だけなのでしょうか?

負傷したキスリングを助け、また味方が安全に撤退するための時間を稼ぐべく、ヴァレンシュタインは帝国軍に敵前交渉を行うことを決断します。
周囲はその場で殺される危険性が高いことを理由に反対するのですが、ヴァレンシュタインは反対を押し切り敵前交渉を強行。
そのことについて、ヴァレンシュタインは以下のようなモノローグを語っているのですが……↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/37/
> キスリングを救うには直接ラインハルト達に頼むしかなかった。危険ではあったが勝算は有った。彼らが嫌うのは卑怯未練な振る舞いだ、そして称賛するのは勇気ある行動と信義……、敵であろうが味方であろうが変わらない。大体七割程度の確率で助かるだろうと考えていた。
>
> バグダッシュとサアヤがついて来たのは予想外だったが、それも良い方向に転んだ。ちょっとラインハルトを挑発しすぎたからな、あの二人のおかげで向こうは気を削がれたようだ。俺も唖然としたよ、笑いを堪えるのに必死だった。
撃たれたことも悪くなかった、前線で命を懸けて戦ったと皆が思うだろう。
>
>
ロボスだのフォークのために軍法会議で銃殺刑なんかにされてたまるか! 処罰を受けるのはカエルどもの方だ。ウシガエルは間違いなく退役だな、青ガエルは病気療養、予備役編入だ。病院から出てきても誰も相手にはしないだろう。その方が世の中のためだ。

まずここでおかしいのは、そもそもラインハルト達がヴァレンシュタインの態度に感服することと、自分が見逃してもらえる可能性が何故直結するのか、という点です。
確かに「原作におけるラインハルトの性格」に限定するならば、正々堂々とした振る舞いを「敵ながらあっぱれ」と称賛する可能性は高いでしょう。
また、銀英伝10巻ではユリアン達の敢闘にわざわざ温情を与えたくらいですから、ヴァレンシュタイン的にはラインハルトのそういった部分に期待したのかもしれません。
しかし「亡命編」におけるラインハルトは、ヴァレンシュタインによってキルヒアイスを戦死に追いやられ、ヴァレンシュタインに対する憎悪と復讐心に燃えている状態です。
しかも、ヴァレンシュタインを殺せば、仇を討つのみならず大功を挙げることができるのもこれまた分かりきっています。
ヴァレンシュタインの堂々たる態度に感銘を受けたからといって、何故わざわざ敵を逃がして仇討ちと大功を挙げる機会を自ら潰さなければならないのでしょうか?
「卿の勇気と態度には感嘆するが、それとこれとは別。キルヒアイスと俺のためにさっさと死ね」でブラスターが発射されて一巻の終わり、というのがはるかに現実的に想定されるマトモな反応というものでしょう。
元々ラインハルトのその手の称賛的な言動自体、自らの絶対的な立場を確立した上での「余裕」的な側面も大きいのですから、それが確立されていない状態でそんな態度はあまり望めないのではなかったのかと。

また、リューネブルクやオフレッサーの性格が「卑怯未練な振る舞いを嫌い、勇気ある行動と信義を称賛する」というものであるという事実を、当時のヴァレンシュタインが一体どうやって知り得たというのでしょうか?
「亡命編」におけるヴァレンシュタインは、第6次イゼルローン要塞攻防戦における敵前交渉まで、ラインハルトも含めた3者とは直接の面識が全くありませんでした。
ヴァンフリート星域会戦におけるヴァレンシュタインのリューネブルク・ラインハルト評も、結局のところは原作知識を用いた記号的なものでしかなかったのです。
ところが、その原作知識にあるリューネブルクとオフレッサーの評価というのは、「卑怯未練な振る舞いを嫌い、勇気ある行動と信義を称賛する」とは程遠いものがあります。
リューネブルクは「(事情はあったにせよ)同盟を裏切って平然としている卑怯者」ですし、オフレッサーは「石器時代の勇者」「ミンチメーカー」と評され、重傷を負って這い蹲る敵兵相手にトマホークを打ち下ろしたり、ラインハルト相手に侮辱的な言動を披露したりする残忍な人物として描かれています。
何よりも原作者である田中芳樹自身、そのような意図でもって両者を描いていたであろうことは、銀英伝のみならず他の作品におけるこの手の人物の傾向を見ても明らかです。
とても「卑怯未練な振る舞いを嫌い、勇気ある行動と信義を称賛する」というタイプの人間であるとは評しえるものではありえません。
ヴァレンシュタインの姿が見えた瞬間、無防備であろうが何だろうが「大功が立てられる」と獲物を見るような目で喜び勇んで騙し討ち&突撃を敢行し全員殺して首級を挙げる、というのが「原作知識から導き出される」彼らの正しい反応というものではないのでしょうか?
かくのごとき「スタンダードな」原作知識から全く異なる人物評を導き出したというのであれば、「本編」における考察と同じようにその思考過程を説明する必要があるでしょう。
「本編」におけるリューネブルクやオフレッサーの性格がそうだったから、などというのは全く何の言い訳にもなりはしません。
そんなことは、「亡命編」におけるヴァレンシュタインが全く知りえようはずもない情報なのですから。

ヴァレンシュタインが持っている原作知識とやらには、「亡命編」が全くタッチしていないはずの「本編」10話以降のストーリー情報や設定までもが含まれていたりするのでしょうか?

そしてそれ以上に異常なのは、戦闘の最中に敵に対して交渉を持ちかけるという策それ自体の是非が全く論じられていないことです。
当時のヴァレンシュタインは撤退戦の指揮を任されてはいましたが、彼の権限はあくまでも「撤退戦の指揮」に限定されるものであり、敵との交渉権まで委ねられていたわけではありません。
敵との交渉というのは、敵ではなく味方・部下・国民の感情を刺激するものですし、実際、交渉を通じて味方の内情や機密が筒抜けになってしまう懸念もあります。
軍事のみならず政治の問題にも直結しかねない敵前交渉を行う際には、いくらヴァレンシュタインに撤退戦の指揮権が委ねられているとはいえ、さすがに軍上層部の判断を仰ぐ必要が確実にあったはずです。
実際、この後の第7次イゼルローン要塞攻防戦では、ヴァレンシュタインが敵前交渉を行うに際してこんなやり取りが交わされています↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/57/
> シトレに視線を向けた、向こうも俺を見ている。そして軽く頷いた、俺もそれに頷き返す。
> 「オペレータ、敵艦隊に通信を。ミューゼル中将に私が話をしたいと言っていると伝えてください」
>
> 俺の言葉にオペレータが困ったような表情をしている。そしてチラっとシトレを見た。
確かに指揮官の許可なしに敵との通信などは出来んな、俺とシトレの間では話はついているんだが、こいつがそれを知るわけがない。
> 「准将の言う通りにしたまえ」
> 「はっ」

ところが第6次イゼルローン要塞攻防戦では、この手の上層部への確認や事前の根回しの類などが全く行われておらず、その場におけるヴァレンシュタインの独断のみで敵前交渉が決定・実行されてしまっているのです。
ましてや、ヴァレンシュタインは元々同盟市民ではなく帝国からの亡命者です。
ただでさえ、ローゼンリッター連隊長の過半数にも及ぶ裏切り行為を味わってきた歴史を持つ同盟軍にとって、亡命者の敵前交渉など、まさに自分達への裏切りを促進するものにしか映らないでしょう。
しかも、その目的のうちの半分(というよりもメイン)は、同盟軍とは全く何の関係もない「ヴァレンシュタイン個人の旧友であるキスリングを助けること」にあったのです。
事前に許可を得ることなく「敵の軍人を助けるために敵に交渉を申し込む」という行為が「利敵行為に当たる」として後々問題視される可能性は決して無視できるものではないでしょう。
そればかりか、ヴァレンシュタインがキスリングに同盟の軍事情報や機密の類を密かに渡している事態すらも構造的には起こりえるので、【本来ならば】同盟軍はその可能性についての調査・検証を確実に迫られることになります。
元々ヴァレンシュタインは、例の自爆発言で同盟を裏切る意思を堂々と表明していた前科もあるわけですし。
これから考えると、交渉内容の是非や成果以前に、まずこの「敵前交渉」それ自体が何らかの軍規違反、最悪はスパイ容疑や国家機密漏洩罪・国家反逆罪等の重罪に問われる可能性すらも【本来ならば】かなり高かったであろうと言わざるをえないのです。
これ単独だけでも軍法会議の開廷は【本来ならば】必至でしたし、ましてや214条や上官侮辱罪の件もあるのですから、それらとも連動してさらにヴァレンシュタインの立場や周囲の心証が悪くなるのも【本来ならば】確実だったでしょうね。
もちろん、作中で全くそうなっていないのは、いつものごとく神(作者)が「奇跡」という名の御都合主義を発動しまくっているからに他ならないのですが(爆)。

こんな惨状で、この後の214条絡みの軍法会議で勝利できるなどと確信できるヴァレンシュタインは、非常におめでたい頭をしているとしか評しようがないですね。
ひとつではなく3つもの軍規違反が重なっているのですから、普通にやれば必敗確実、ヴァレンシュタインのあの態度では「反省が見られない」「情状酌量の余地なし」で銃殺刑も充分にありえる話ですし。
ヴァレンシュタインが毎回毎回人知れずやらかしまくる失態や問題を、原作知識やヴァレンシュタイン自身の才覚ではなく「神(作者)の奇跡」を乱発しまくることで乗り切らせるという構図は、ヴァレンシュタインのみならず作品と作者の評価をも間違いなく下げているのではないかと思えてならないのですけどね。
そんなわけで、次回はいよいよ第6次イゼルローン要塞攻防戦の締めとなる、自由惑星同盟軍規定第214条絡みの軍法会議の実態について検証していきたいと思います。

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