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映画「スノーホワイト」感想

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映画「スノーホワイト」観に行ってきました。
グリム童話の名作「白雪姫」をベースにしつつ、中世騎士道物語的な冒険ファンタジーとアクション要素を取り入れ大幅にアレンジされたアドベンチャー作品。
主人公のスノーホワイト(白雪姫)にクリステン・スチュワート、悪玉の女王役にシャーリーズ・セロンを迎え、その他の役にもそれなりに名の知れたハリウッド俳優を出演させています。
もっとも、個人的にはこれまでの観賞映画であまり見かけたことのない俳優さんばかりで、唯一記憶にあった俳優さんは映画「マイティ・ソー」で主演を担っていたクリス・ヘムズワースくらいしかいなかったのですが(^^;;)。
予告編では、結構その辺りのことが強調されていたのですけどね。

物語は、当然のごとく今作の主人公である白雪姫ことスノーホワイトが生まれた王家の事情が語られていきます。
とある王家に生を受けたスノーホワイトを産んだ実母のエレノア王妃は、スノーホワイトが幼い頃に国を襲った厳冬に耐えられず死去。
王妃が亡くなったことで悲嘆に暮れるマグナス王ですが、それから間もなく、王は領土内に異形の軍隊がどこからともなく出現したとの報を受け、それを討伐すべく兵を率いて出陣します。
異形の軍隊は、剣で斬りつけると何故かガラス細工のごとく砕け散る不可解な兵士達で構成されていましたが、戦いそのものはマグナス王が率いる王国軍の勝利に終わります。
しかし、その戦場で異形の軍隊の囚われの身?となっていたひとりの女性をマグナス王が助けたことが、その後の王国の運命を激変させてしまうことになります。
その女性ラヴェンナの美しさに一目惚れしたマグナス王は、王妃が亡くなっていたこともあって再婚を決意、程なく2人は盛大な結婚式を挙げ結ばれることになります。
ところがその夜、マグナス王と共に初夜におよんだラヴェンナは、魔術で王の自由を束縛した後、隠し持っていて短剣でマグナス王を殺害してしまったのです。
そして、外に待機していた軍隊を城内に招きいれ、城と城下町を完全に制圧してしまいます。
この事態に、マグナス王の側近のひとりだったハモンド公爵は、スノーホワイトの許婚で息子でもあるウィリアムと共に、王の忘れ形見であるスノーホワイトを連れ城から脱出しようとしますが、スノーホワイトは乗っていた馬の騎手を討たれてために逃げ遅れてしまい、ラヴェンナの弟フィンに捕らえられてしまうのでした。
以後、スノーホワイトは城にある塔の監獄に幽閉され、そこで何年も過ごすこととなります。

それから7年後。
軍隊の力を背景に女王として即位したラヴェンナの美貌と魔力を保持するための代償から、王国は大地が不毛の地と化し、また若い女性が定期的に捕らえられ生気を吸い尽くされていくなど、衰退と荒廃の一途を辿っていました。
今や王国の民は、女王ラヴェンナの暴政によってその日暮らしにすら困窮を極めるありさまであり、女王に対する怨嗟の声は高まるばかりになっていました。
そんなある日、女王ラヴェンナはいつもの日課になっているらしい鏡に対する問いかけを行っていました。
「鏡よ鏡、この世で一番美しいのは誰?」
すると鏡はこう答えます。
「もちろん、女王様でございます」
ここまではいつものやり取りだったのですが、しかしその日の鏡は、そこから女王が全く予想だにしない言葉を続け始めたのです。
「しかし、それも今日まで。スノーホワイトが女王様よりも美しくなる上、その純粋な心は女王様をいずれ破滅へと追いやります。ただ、彼女は同時に女王様の救いにもなります。スノーホワイトの心臓を食べれば、女王様は永遠の美貌と若さを手に入れ、不死身となることでしょう」
と。
ラヴェンナはただちにスノーホワイトの心臓を食べるべく、弟のフィンを呼び出し、スノーホワイトをここに呼んでくるよう命じます。
ところがフィンは、ラヴェンナの下へ連れて行く前にスノーホワイトをレイプしようとした挙句、スノーホワイトの逆襲を食らって脱獄を許してしまうという失態を演じてしまいます。
さらにスノーホワイトは城内にある下水道から海に出、城からの脱出にも成功。
激怒したラヴェンナによってすぐさま追跡部隊が編成され、スノーホワイトの追撃が開始されました。
しかしスノーホワイトは、「入ったら生きて出られない」とまで言われ恐れられている「闇の森」へと入っていってしまい、それ以上の追跡が不可能となってしまいます。
ラヴェンナはスノーホワイトを捕まえるため、「闇の森」に入って生きながらえた経験を持つ猟師のエリックを探し出し、彼に「闇の森」の案内をするよう命令します。
最初は拒絶していたエリックでしたが、「死んだ妻を生き返らせてやる」というラヴェンナの報酬内容に心を動かされ、彼は追跡部隊と共に「闇の森」へと入っていくのでした。
そしてやがて、エリックと追跡部隊はスノーホワイトを見つけ出すことに成功するのですが……。

映画「スノーホワイト」では、上記のストーリー紹介にも出ている「世界で一番美しいのは誰?」という問いに回答する鏡の他、白雪姫を昏倒させてしまう毒リンゴや7人の小人などといった、原作「白雪姫」に登場する要素が少なからず登場しています。
作中に登場する小人は実は当初8人なのですが、1人がスノーホワイト目掛けて放たれた矢から身を呈してスノーホワイトを守って死ぬことで7人になるわけですね。
残りの7人はそのまま物語終盤の攻城戦でも活躍し、そのまま生き残ることになります。
原作では「物語の要」になっているであろう毒リンゴのエピソードは、弟のフィンが率いていた追跡部隊が壊滅し、スノーホワイトの一行が「闇の森」から出てきた後、城から魔法転移してきたラヴェンナが、許婚のウィリアムに化けてスノーホワイトに毒リンゴを食べさせるという形で展開しています。
スノーホワイトの元にラヴェンナ自ら魔法転移が出来るのならば最初からそうしておけば良かったのに、とは最初思わなくもなかったのですが、ただ「闇の森」の中ではラヴェンナの魔力も無力化すると作中で明言されていた上、魔力の発動自体にもかなりの消耗を強いられるらしいので(城に再転移した後のラヴェンナは著しく衰弱していた上、魔力を回復するために何人もの人間の生気を吸い出していました)、最初は魔力の出し惜しみをしていたのでしょうね。
それが、弟のフィンが死んだことにショックを受け、仇討ちも兼ねて半ば感情的に出張ってきた、といったところになるでしょうか。
そもそも、スノーホワイトが「闇の森」の中で死んでしまい、遺体すら回収不能になってしまう可能性も最初は濃厚だったわけですし。
また、ラヴェンナひとりしか転移できないのでは、スノーホワイトを奇襲しようにもかなりの制約と限界もあったでしょう。

一方で、スノーホワイトにラヴェンナが食べさせたあの毒リンゴには、実は致死性の毒的なものは最初から含まれていなかったのではないか、という疑問がありますね。
そもそもラヴェンナにしてみれば、スノーホワイトを生きたまま捕縛し心臓を取り出さなければ、自身の目的を達成することができないわけですから、原作と違ってあの場でスノーホワイトをわざわざ毒殺しなければならない理由自体がありません。
現にスノーホワイトが毒リンゴを食べて動けなくなった後、ラヴェンナはスノーホワイトの心臓を取り出そうとしていたわけですし。
あの毒リンゴの毒というのは、実は「死」ではなく「麻痺」「仮死状態」をもたらすものであり、スノーホワイトが生き返ったのも単にその毒の効果が切れたからであって、原作のごとき「王子様のキス」によるものではなかったのではないか?
作中における「王子様のキス」自体、許婚のウィリアムと猟師のエリック2人がそれぞれ別に行っていましたし、作中で構築されていた「スノーホワイトを巡る一種の【三角関係】」的なものがその後のストーリーでも全く解消されていないことを鑑みても、どうにもそんな感想を抱かざるをえなかったところです。
物語のラストはスノーホワイトの女王即位で幕を閉じていて、ウィリアムとエリックのどちらと結ばれたのかについても全く描かれていませんでしたし、その辺りの「恋物語」については消化不良の感は否めなかったかな、と。

ただ、映画制作者達の話によれば、今作は実は3部作の1作目という位置付けで製作されているとのことで、スノーホワイトを巡る三角関係も今後出してくる予定の続編で解消するつもりなのかもしれませんね。
まあ、映画の原題「Snow White & the Huntsman(白雪姫と狩人)」や「エリックのキスの直後にスノーホワイトが毒リンゴの呪いから目覚めた」という展開などから考えれば、今作におけるスノーホワイトの恋人はエリックで確定してしまうのですが(苦笑)。
個人的には「許婚」で「幼馴染」かつ「身分的にも釣り合いが取れている」という王道路線を地で行くウィリアムの方が、死んだ妻のことを未だ愛している上に放浪者のエリックよりもスノーホワイトの恋人役にふさわしいのではないかと思わなくもないのですが。
スノーホワイトの心がどちらを向いているのかも作中ではほとんど描かれていなかったので、今後のウィリアムの逆転に期待したいところではあります。
エリックがスノーホワイトの恋人役に確定してしまうと、続編のウィリアムは間違いなく悪役かピエロなやられ役かの二者択一を迫られることになるでしょうし(爆)。
人気が出なかったとか予算の都合とかいった「大人の事情」でも介在しない限りは、続編製作は確実に行われることになるでしょうから、この「三角関係」がどのような結末に至るのかは注目ですね。

原作の「白雪姫」と異なり、今作はキスシーンはあるものの、恋愛的な要素はほとんど介在しておりません。
「ロード・オブ・ザ・リング」のような冒険ファンタジーや中世時代の軍隊同士の戦いが好きな方にオススメの作品ですね。

銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察13

やることなすこと傍若無人かつ「自分が他人からどう見られているか」という自己客観視の視点的なものが完全に欠落しているエーリッヒ・ヴァレンシュタインに、作者氏は一体どのようなものを投影しているのか?
「本編」を読んでいてヴァレンシュタインの性格破綻ぶりに反感を抱き始めた頃からこれはずっと疑問となっていて、この疑問を解消すべく、私は様々な推論を考えていたりします。
過去のヴァレンシュタイン考察本論やコメント欄でしばしばネタとして出してきた、「アクセス増と小説に対する評価高を目的とした確信犯的な釣り&炎上マーケティング説」などもそのひとつです。
ただ、釣り&炎上マーケティングというのは、あくまでも「一発勝負」「一時的な集客」のネタとして使うからこそ大きな成果が見込めるのであって、こうまで長々と同じネタを延々と続けていては却って逆効果でしかありません。
作者氏がそんな程度のことも理解できないとはさすがに思えないので、これも今となってはあくまで「作者や作品の意図に反して笑いのネタになってしまっているヴァレンシュタインの惨状」を嘲笑う意味合いで使っているだけですね。

その「釣り&炎上マーケティング説」以外の要素で以前に考えたことのある推論としては、「老人の視点から、自分の理想と願望を全て叶えてくれる【孫】を描いている」というものがあります。
この推論から導き出される作者氏は、最低でも「初老」と呼ばれる年齢に到達している人間で、老人が邪険にされ若者が英雄として称揚される銀英伝を嫌い、「最近の若い者は…」という負の情念をベースに、原作とは逆に老人を持ち上げ原作主人公キャラクター達を無能低能の水準まで貶めることを目的に「エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝」を執筆し始めた、ということになっていたりします(^^;;)。
そして一方で、ラインハルトよりも(取消開始)若い(取消終了)(修正開始)2歳程度年長の(修正終了)人間という設定のヴァレンシュタインは、その老齢な自分が考える「自分の理想や願望を全て実行してくれる孫」を投影する形で描かれているというわけです。
ヴァレンシュタインがあれほどまでの傍若無人に振る舞うのは、若者を格下に見ていて常に「最近の若い者は…」という情念が発露されているため。
そのヴァレンシュタインに周囲、特に老人キャラクターが寛大なのは、ヴァレンシュタインを「自分の孫」的な視点で見ていて「何をやっても愛い奴よ」と甘やかす様を表現しているため。
そして、リヒテンラーデ候や帝国軍三長官などといった老人達が原作とは一転して有能なキャラクター扱いとなっているのは、自分と同年代以上の「老人」であるから、というのが理由になるわけですね。
こういう視点で見てみると、ヴァレンシュタインが作中でああまで「神(作者)の奇跡」によって守られ、依怙贔屓されている構図の実態というものも見えてくるのではないかと、半分は面白おかしく考えてもみたわけなのですが……。
もっとも、これは所詮、作者氏の年齢が分からないからこそできる空想の産物に基づいた推論でしかなく、作者氏の実年齢が想定よりも若いと分かれば、一発で瓦解する程度のシロモノでしかないのですけどね。

ただ、「エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝」を見てみると、全体的に「老人に対する幻想ないしは願望」のようなものがあるのではないかとは、正直感じずにいられないところなんですよね。
「エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝」に登場する「原作から設定を改変された老人達」は、皆若者(というか主人公)に理解がある上にその時その時の状況に応じて迅速かつ的確な判断を下し、さらにはそれまでの政治思想や基本方針をあっさり転換できるほどの柔軟性まで持ち合わせていたりします。
しかし実際の老人は、慣習的に続いてきたことをこなすのは得意であっても、全く新しい未知の事態になると古い考え方に固執し、周囲がどれだけ進言しても頑固なまでに受け入れない「思考の硬直性」を発揮することの方がはるかに多いのです。
特に政治思想については、老齢になればなるほど、如何に現状の政治情勢が変化してさえ、その転換は絶望的とすら言っても良いほどの不可能事になっていくことがほとんどです。
銀英伝の原作者である田中芳樹などはまさにその典型例で、学生時代に培ったであろう、今となっては時代錯誤かつカビの生えた政治思想を未だに堅持し続け、すっかり「老害」と化している始末だったりするのですからねぇ(苦笑)。
その要因としては、脳の老化、長年堅持し続けてきた思想や慣習に対する信仰や依存、個人のプライドや矜持の問題、さらにはそれこそ「最近の若い者は…」に象徴される自分より下の世代を格下に見て蔑視する性格など、様々なものが考えられますが、一般的な傾向として見ても、老人の思考発想法が若者のそれと比べて一種の硬直性を多分に含んでいることは誰しも否定できないでしょう。
そして何より、その田中芳樹が執筆した原作「銀英伝」に登場する老人達もまた、比較的優遇されているビュコックやメルカッツなどの「老練」な登場人物達も含めて軒並みそのように描かれているわけです。
にもかかわらず「エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝」では、まるでその現実に挑戦状でも叩きつけるかのごとく老人に入れ込みまくった描写が展開されているのですから、これはもう「作者氏の老人に対する幻想なり願望なりが作中に反映されている」としか判断のしようがありますまい。
「原作で主人公達の引き立て役にしかなっていない無能キャラクターの描き方に疑問を抱いたから、あえて反対の描写を展開している」などという大義名分は、ロボスやフォークが原作通りだったり、キルヒアイスがありえないレベルで無能化していたり、さらには「法律に全く無知な惨状を露呈しているヴァレンシュタインごときに一方的に論破される検察官」なるものが登場したりしている時点で到底信用などできるものではないのですから。
で、そのような「老人に対する幻想や願望」を最も抱きそうなのは当の老人自身なのではないか(常に上位者として君臨し「最近の若い者は…」と若年世代を見下す傾向のある老人相手に、当の若年世代が好評価的な幻想や願望を抱くとは考えにくい)、という結論の下、冒頭のような推論を作ってみたのですが、実際はどんなものなのでしょうかねぇ。

さて今回は、同盟の主要人物およびヴァレンシュタインによる4者会談、および第7次イゼルローン要塞攻防戦開始直前の話について検証していきたいと思います。
なお、「亡命編」のストーリーおよび過去の考察については以下のリンク先を参照↓

亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
http://ncode.syosetu.com/n5722ba/
銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察
その1  その2  その3  その4  その5  その6  その7  その8  その9  その10  その11  その12

シトレ・トリューニヒト・レベロとの3者と、政治や軍の今後の行動方針について聞かれることになったヴァレンシュタイン。
サンドイッチを頬張りつつ、ひとしきり得意気になってイゼルローン要塞攻略の愚を説きまくったヴァレンシュタインは、3者が自分を呼んだ意図を図りつつ、自分が取るべき選択肢を模索していくことになるのですが……↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/44/
> しかし扇動政治家トリューニヒトが和平を考えるか、冗談なら笑えないし、真実ならもっと笑えない。原作ではどうだったのかな、トリューニヒトとレベロは連携していたのか……、トリューニヒトの後はレベロが最高評議会議長になった。他に人が居なかったと言うのも有るだろうが、あえてレベロが貧乏くじを引いたのはトリューニヒトに後事を託されたとも考えられる。いかん、ツナサンドが止まらん。
>
> さて、どうする。連中が俺に和平の件を話すと言う事は俺の帝国人としての知識を利用したいという事が有るだろう。そして和平の実現に力を貸せ、仲間になれという事だ。どうする、受けるか、拒絶か……。レベロ、シトレ、トリューニヒト、信用できるのか、信用してよいのか、
一つ間違えば帝国と内通という疑いをかけられるだろう。特に俺は亡命者だ、危険と言える。

…………はあ?
今更何を言っているのでしょうかね、ヴァレンシュタインは(笑)。
「一つ間違えば」も何も、フェザーンでスパイ活動もどきな行為をやらかし、「伝説の17話」の自爆発言で既に同盟に対する裏切りの意思を表明しているヴァレンシュタインは、【本来ならば】とっくの昔に「帝国と内通という疑い」をかけられて然るべき状態になっているはずではありませんか。
イゼルローンで敵前交渉を独断で行った行為も、「敵との内通や情報漏洩を行っている」と他者、特にヴァレンシュタインに敵対的な人間から見做される可能性は充分にあったのですし。
帝国からの亡命者、それも当初は「スパイ容疑」までかけられるというオマケまで付いていた自分の微妙な立場と危険性についてヴァレンシュタインが本当に自覚していたのであれば、そういった言動が如何に自分の評価や安全を悪い方向へ追いやるかという自己保身的な発想くらい、ない方が逆に不自然というものでしょう。
アレほどまでに他人の目を気にせず衝動の赴くままに傍若無人な言動に奔走してきた過去の経緯を全て無視して、今更取ってつけたように「特に俺は亡命者だ、危険と言える」などと考えても、既に手遅れな上に何のフォローにもなっていないのですけど。
むしろ、ヴァレンシュタインに「亡命者は一般人と比べて不利な立場にある」という常識が備わっているという事実の方に驚愕せざるをえなかったくらいでしたし(苦笑)。
まさかヴァレンシュタインは、あれら一連の言動全てが、何ら後ろ暗いところも他人に恨まれることもない公明正大かつ危険性など全くないシロモノだった、とでも考えていたりするのでしょうか?
こういうのを見ると、現時点でさえ史上最低レベルを極めているヴァレンシュタインの対人コミュニケーション能力は、今後も全く改善の見込みがないばかりか、更なる悪化の可能性すら見出しえると判断せざるをえませんね。
原作知識など比べ物にならないヴァレンシュタイン最大最強の守護神である「神(作者)の祝福」というものには、ここまで人を堕落させる禁忌の魔力なり呪いなりの副作用でも備わっていたりするのでしょうかねぇ……。

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/44/
> 「君は先程同盟を帝国に認めさせる、対等の国家関係を築く事は可能だと言っていたね」
> 「そんな事は言っていませんよ、レベロ委員長。可能性は有ります、少ないですけどねと言ったんです」
>
> シトレとトリューニヒトが笑い声を上げた。レベロの顔が歪み、俺をきつい目で睨んだ。睨んでも無駄だよ、レベロ。自分の都合の良いように取るんじゃない。お前ら政治家の悪い癖だ。どうして政治家って奴は皆そうなのかね。
頭が悪いのか、耳が悪いのか、多分根性が悪いんだろう。
>
> いや、それよりどうするかだ。
和平そのものは悪くない、いや大歓迎だ。これ以上戦争を続ければ何処かでラインハルトとぶつかる。それは避けたい、とても勝てるとは思えないのだ、結果は戦死だろう。戦って勝てないのなら戦わないようにするのも一つの手だ。三十六計、逃げるに如かずと言う言葉も有る。そういう意味では和平と言うのは十分魅力的だ。
>
> 「その可能性とは」
> どうする、乗るか? 乗るのなら真面目に答える必要が有る……。この連中を信じるのか? 信じられるのか? ……かけてみるか? 血塗れとか虐殺者とか言われながらこのまま当てもなく戦い続けるよりは良い……、最後は間違いなく戦死だろう。
>
>
同盟が滅べば俺には居場所は無いだろう。生きるために和平にかけるか……。宇宙は分裂したままだな、生きるために宇宙の統一を阻む。一殺多生ならぬ他殺一生か、外道の極みだな、だがそれでも和平にかけてみるか……。

トリューニヒトやレベロも、トンチ小僧の一休さんのごときお子様レベルなひっかけ問答に終始する「頭・耳・根性はもちろんのこと、現状認識能力も精神状態も最悪の水準を極め過ぎている、フォークばりに幼児レベルの衝動的発作ばかり引き起こす超低能バカな被害妄想狂患者のヴァレンシュタイン」ごときに文句を言われたくはないでしょうねぇ(苦笑)。
第一、原作知識を用いてさえ拙劣としか言いようのない甘過ぎる予測や、常識で考えれば間違いなく極刑ものの言動を、「神(作者)の奇跡」の乱発による超展開で強引に乗り切ってきたのは一体どこの誰なのかと。
そして、そんな狂人ヴァレンシュタインが「同盟が滅べば俺には居場所は無いだろう」などとほざくに至っては、「どのツラ下げてお前が…」としか言いようがないですね。
何しろ、この期に及んでさえ、「伝説の17話」における自爆発言が「公の場」で未だに撤回されていないままの状態にあるのですから。
同盟を裏切る意思表示をすらした過去を持ち、しかもその発言について何ら謝罪も訂正もしていないヴァレンシュタインが「同盟を自分の居場所にする」って、一体何の冗談なのでしょうか?
同盟に対して明らかに害意を抱いている上にその意思表示までしているヴァレンシュタインを、当の同盟が保護しなければならない理由など、宇宙の果てまで探してもあるはずがないでしょうに。
しかもヴァレンシュタインは、シトレに対してすら敵愾心を抱いている上に、そのことを少しも隠してすらいませんし。
ヴァレンシュタインと対談している3者も、その辺りの事情は当然のごとく熟知しているはずでしょうに、ヴァレンシュタインのどこら辺に「信用できる」という要素を見出したのかは全くの謎であると言わざるをえません。
「神(作者)の奇跡」の産物によるものとはいえ、これまでの実績?から能力面??を高く評価したという事情はあるにせよ、「国家への忠誠心」「同志としての信頼性」については「あの」ヤンをすらもはるかに下回る、いやそれどころかゼロを通り越してマイナスにすらなっているのがヴァレンシュタインの実態だというのに。
この手の謀議を持ちかける際に重要となるのは、機密保持の観点から言っても「能力」ではなく「忠誠心」や「信頼性」の方なのではないかと思うのですけどねぇ(-_-;;)。

それとヴァレンシュタインは、帝国と同盟が和平を結べば自分の身が安泰になると素朴に信じ込んでいるようですが、それはいくら何でも少々どころではなく楽観的に考えすぎなのではないですかね?
同盟が帝国との和平を結ぶための交渉材料のひとつとして、「ヴァレンシュタインの死」という選択肢を検討しないという保証はどこにもないのですから。
帝国にとってのヴァレンシュタインは、疑問の余地なく「裏切り者」かつ「虐殺者」であり、彼の亡命の経緯がどうであろうが、事実関係から言っても政治的に見てもその「公式見解」が揺らぐことはありえません。
その帝国にとって「ヴァレンシュタインの死」は喉から手が出るほど欲しい事象たりえますから、政治的にも軍事的にも極めて美味しい取引材料となります。
一方、同盟側の場合、確かに帝国との戦争が続いている現状で、「神(作者)の祝福」によって常に大勝利をもたらしてくれるヴァレンシュタインの存在は、確かにその点にのみ限定すれば「使い勝手の良い道具」ではありえるかもしれません。
しかし、「帝国との和平」という段になれば、当然戦争をする必要自体がなくなるわけですから、ヴァレンシュタインの「神(作者)の祝福」もまた必要性が薄まってしまうのです。
そうなれば同盟としても、別にヴァレンシュタインに依存しなければならない理由もなくなり、「ヴァレンシュタインの死」を帝国との取引材料として利用する「余裕」も出てくるわけです。
ただでさえヴァレンシュタインは亡命者な上、「伝説の17話」に象徴されるがごとく同盟に対する裏切りの意思表示まで行っており、お世辞にも従順とは到底言い難い性格破綻な惨状を呈しているのですから、本来ならば能力の有無以前の問題で排除されて然るべき存在ですらあるのです。
そこにもってきての「帝国との和平」となれば、同盟にとってもまさに渡りに船で「ヴァレンシュタインの死」を和平での取引材料に使うことを視野に入れることになるでしょうね。
原作「銀英伝」でも、ダゴン星域会戦で勝利したリン・パオとユースフ・トパロウルが不遇な人生を送っていたり、ブルース・アッシュビーが政界進出を警戒された上に不可解な死を遂げたり、バーラトの和約後にヤンが謀殺されかけたりといった「狡兎死して走狗煮らる」的な作中事実が複数事例明示されているではありませんか。
それと全く同じことがヴァレンシュタインの身に起こることなどないと、一体どうして断言することができるというのでしょうか?

これから考えると、ヴァレンシュタインが同盟軍を強化すべく優秀な人材を積極的に登用させようとしている行為も、ヴァレンシュタインの生命の安全保障という観点から言えば非常に危険な行為であると言わざるをえないところです。
ヴァレンシュタインが同盟軍を強化すればするほど、「ヴァレンシュタインがいなくても同盟軍は精強を誇っていられる」ということになり、その分同盟がヴァレンシュタインを犠牲の羊にする可能性が高くなってしまうのですから。
特にヤンが原作同様に「奇跡のヤン」的な功績と声望を確立しようものならば、ヤンがヴァレンシュタインに取って代わることでヴァレンシュタインの必要性と存在価値が大きく減退してしまい、「ヴァレンシュタイン不用論」が台頭する可能性は飛躍的に高くなります。
ヤンにその気がなくても、その周囲および同盟の政軍上層部がそう考える可能性は充分に考えられるのです。
「自分が生き残ること」に執着するヴァレンシュタインの立場的に、同盟軍の強化や帝国との和平が自身の身を却って危険にするという構造的な問題は、決して無視できるものではないはずなのですが……。

まあ、ヴァレンシュタインが「自分が生き残ること」について考える時、その脅威として見ているのって実はラインハルトひとりしかいなかったりするんですよね。
単純に考えても、同盟によって危険視され粛清・暗殺されたり軍法会議で裁かれ処刑されたりする可能性の他、帝国やフェザーン・地球教の刺客によって暗殺される可能性、さらには「亡命者としての立場」に対する偏見を抱く者や功績を妬まれた同僚や部下などによって陥れられたりする可能性など、「生き残る際に立ちはだかる障害」には様々な要素が色々と想定されるべきはずなのですが。
第6次イゼルローン要塞攻防戦で敵前交渉に臨んだ際に敵の一兵士から撃たれた際も、それで自分が死ぬとは全く考えていなかったみたいですし。
いやそれどころか、誰も何も画策してなどいなかったのに、病気や食中毒など全く偶発的な事件から突然死に至る、という事態すら実際には起こりえるわけなのですから、本当に「自分が生き残ること」に拘るのであれば、ラインハルトひとりのみを対象とするのではなく、というよりもそれ以上に「味方からの猜疑や脅威についての対策」を真剣に考えないとマズいのではないかと思うのですが。
7話におけるフェザーンでの一件では、よりによってミハマ・サアヤとバグダッシュにしてやられてしまったことを、まさか忘れてしまっているわけではないでしょうに。
「俺様を殺せる人間はラインハルト以外にいるはずがない」「同盟は自分の身を常に無条件で守ってくれる」などという何の根拠も保証もない思い込みを、ヴァレンシュタインはいいかげん捨て去るべきなのではないかと思えてならないのですけどね。

ところで、ヴァレンシュタインの自身の身辺に対する警戒心のなさっぷりを象徴しているのが、今やすっかりヴァレンシュタインの腰巾着と化した感すらあるミハマ・サアヤの存在そのものですね。
ミハマ・サアヤの立ち位置がヴァレンシュタインにとってどれほど脅威となりえるのかについては考察3や考察6でも色々と述べてきたわけですが、ヴァレンシュタインはミハマ・サアヤを警戒するそぶりすら全く見せておりません。
ではヴァレンシュタインがミハマ・サアヤに打算レベルでも信頼しているのかというと、そういうことも全くなかったりするんですよね。
48話で、ミハマ・サアヤの今後の処遇についてバグダッシュから話を持ちかけられた際も、まさにそんな対応を返しているわけで↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/48/
> 俺が自分の席に戻ろうとするとバグダッシュが相談したい事があると言ってきた。余り周囲には聞かれたくない話らしい、ということで宇宙艦隊司令部内に有るサロンに行くことにした。アイアースに有ったサロンも広かったが、こっちはさらに広い。周囲に人のいない場所を探すのは難しくなかった。
>
> バグダッシュが周囲をはばかるように声を低めてきた。
> 「ミハマ少佐の事なのですが……」
> 「……」
> サアヤの事? なんだ、またなんか訳の分からない報告書でも書いたか、俺は知らんぞ。
>
> 「彼女はこれまで情報部に所属していました。宇宙艦隊司令部の作戦参謀ではありましたが、あくまで所属は情報部という扱いだったのです」
> 「……」
> まあそうだろうな、身分を隠して情報を入手する。まさにスパイ活動だ。その任務は多分、俺の監視かな。
>
> 「しかし本人は納得がいかなかったのでしょう。情報部の仕事は自分には合わない、人を疑うのはもうやめたいと何度か異動願いが出ていたのです。ワイドボーン准将に閣下を疑うなと言われたことも堪えたようです」
> 「……」
>
> ワイドボーンか、まあ何が有ったかは想像がつく。それに例のフェザーンでの盗聴の件も有った。若い女性には厳しかっただろう。味方だと思っていた人間に裏切られたのだから……。
>
> 「彼女は今回正式に宇宙艦隊司令部の作戦参謀になります。情報部は以後彼女とは何の関わりも有りません」
> 「……」
>
> 本当かね、
手駒は多い方が良い、本人は切れたと思っても実際には切れていなかった、なんてことはいくらでもある。彼女が協力したくないと思っても協力させる方法もいくらでもあるだろう。
>
> 「それを私に言う理由は?」
> 「彼女を司令部要員として育てていただきたいのです」
> 「……」
>
> なるほど、そう来たか。
関係は切りました、そう言ってこちらの内懐に食い込ませようという事か。しかしちょっと拙劣じゃないのか、見え見えだろう、バグダッシュ。思わず苦笑が漏れた。
>
> 「お疑いはごもっともです。しかしこれには何の裏も有りません。信じてください」
> はい、分かりました、そんな答えが出せると思うのか? 俺の苦笑は酷くなる一方だ。
>
> 「彼女をキャゼルヌ准将の所に送ることも考えました。彼女からはそういう希望も出ていたんです。しかしそれでは閣下の周りに閣下の事を良く知る人間が居なくなってしまう……」
> 今度は俺のためか……。
>
> 「こんな事を言うのは何ですが、閣下は孤独だ。我々がそう仕向けたと言われれば言葉も有りません。だから……」
> 「だから彼女を傍にと?」
>
> 「そうです、他の人間では閣下を怖がるでしょう。彼女ならそれは無いと思います」
> 「……」
>
不愉快な現実だな、俺はそんなに怖いかね。まあ怖がらせたことは有るかもしれないが……。
>
> 「ミハマ少佐は階級の割に司令部要員としての経験を積んでいません。本人もその事を気にしています。自分が此処に居る事に不安を感じている。彼女を後方支援参謀として作戦参謀として育ててはいただけませんか?」
>
> 「育ててどうします?」
> 「いずれ閣下を理解し、支える士官が誕生する事になります。これからの帝国との戦いにおいて、ミューゼル少将との戦いにおいて、必要ではありませんか」
> 「……」

そこまで分かっているのならば、ヴァレンシュタインはミハマ・サアヤを「潜在的な脅威」として徹底的に排除するべきなのではないのですかね?
ミハマ・サアヤが近くにいるというだけで、ヴァレンシュタインは常に彼女が持つ「潜在的な脅威」に晒され続けることになるのですから。
フェザーンの一件では、ミハマ・サアヤ本人ですら知らない間に仕込まれていた盗聴器にヴァレンシュタインはしてやられたわけですが、もしこれが遠隔操作可能な超小型高性能爆弾とかだったりしたら、ヴァレンシュタインはミハマ・サアヤ共々確実にあの世行きだったでしょう。
すくなくとも当面の間は戦場でしか会うことがないであろうラインハルトの脅威にアレだけビクビクしているにもかかわらず、四六時中一緒にいて常にヴァレンシュタインを狙える立ち位置にいるミハマ・サアヤに全く脅威を感じない、というのは支離滅裂もいいところなのですが。
まさに、「本人は切れたと思っても実際には切れていなかった」「彼女が協力したくないと思っても協力させる方法もいくらでもある」わけですから、ミハマ・サアヤのヴァレンシュタインに対する好意や性格などは全く何の緩和要素にもならないわけで。
むしろ、そのお人良しで甘すぎる性格を、フェザーンでの一件のごとく自分に悪意を抱く他者に利用されてしまう危険性が、ヴァレンシュタインに常に付き纏うことになってしまうのですし。
常日頃から発散している、自分に恩恵を与えてくれるシトレに対してすら感謝どころか憎悪さえ抱いてしまうほどの被害妄想狂ぶりから考えても、常に自分をターゲットに据えているかのごときミハマ・サアヤの「潜在的な脅威」を、ヴァレンシュタインは常に警戒して然るべきではないのでしょうかねぇ。

次回からは第7次イゼルローン要塞攻防戦へと移ります。

宝塚舞台版銀英伝のビジュアル公開

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銀英伝の宝塚舞台版「銀河英雄伝説@TAKARAZUKA」のビジュアルが公開されました。ラインハルトとヒルダの衣装姿が披露されています。
また、キャストなども既に発表されているみたいですね。

銀河英雄伝説@TAKARAZUKAの舞台案内
http://kageki.hankyu.co.jp/revue/289/index.shtml
キャスト一覧
http://kageki.hankyu.co.jp/revue/289/cast.html
出演者(宙組)
http://kageki.hankyu.co.jp/revue/289/perform.html

配役を見る限りでは、帝国側を舞台にしたストーリーになるのが確実なようで。
しかし当たり前と言えば当たり前なのでしょうが、出演キャストは皆女性ばかりですね(苦笑)。
オーベルシュタインまで女性が配役されていますし。
こうなると、女性的なイメージから最もほど遠いオフレッサーを一体誰が担うことになるのか、そもそも舞台に登場自体するのかも気になるところですが(^^;;)。
地理的な問題から私は観にいけないのですが、果たしてどんなストーリーになるのか、一種の「怖いもの見たさ」的に気になるところではありますねぇ。

中国人民解放軍野戦軍司令官・小沢一郎閣下の震災逃亡劇

中国人民解放軍野戦軍司令官としてその辣腕を振るう小沢一郎が、奥さんに三下り半を突きつけられていたことが判明しました。
奥さんは複数の支援者に「離婚しました」という内容を綴った手紙を送っており、その中では震災の際に地元を見捨てて逃げようとしたことなど、小沢一郎の問題が綴られているとのこと↓

http://shukan.bunshun.jp/articles/-/1442
>  民主党の小沢一郎元代表(70)の和子夫人(67)が、昨年11月に地元・岩手県の複数の支援者に、「離婚しました」という内容を綴った手紙を送っていたことがわかった。
>
>  便箋11枚にも及ぶ長い手紙の中で、和子夫人は、昨年3月の東日本大震災後の小沢元代表の言動について触れ、
「このような未曾有の大災害にあって本来、政治家が真っ先に立ち上がらなければならない筈ですが、実は小沢は放射能が怖くて秘書と一緒に逃げだしました。岩手で長年お世話になった方々が一番苦しい時に見捨てて逃げだした小沢を見て、岩手や日本の為になる人間ではないとわかり離婚いたしました」と書いている。
>
>  
手紙では、小沢元代表の愛人や隠し子の存在についても触れている。8年前に隠し子の存在がわかったとき、小沢元代表は和子夫人に謝るどころか、「いつでも離婚してやる」と言い放ち、和子夫人は一時は自殺まで考えたとも記している。
>
>  そして、このように綴っている。
>
> 「それでも離婚しなかったのは、小沢が政治家としていざという時には、郷里と日本の為に役立つかもしれないのに、私が水を差すようなことをしていいのかという思いがあり、私自身が我慢すればと、ずっと耐えてきました。
>
>  ところが3月11日、大震災の後、小沢の行動を見て岩手、国の為になるどころか害になることがはっきりわかりました」
>
>
「国民の生命を守る筈の国会議員が国民を見捨てて放射能怖さに逃げるというのです。何十年もお世話になっている地元を見捨てて逃げるというのです」
>
>  こうした大震災後の小沢元代表の言動がきっかけとなり、和子夫人は昨年7月に家を出て別居を始めたという。その後も現在まで別居は続いているが、小沢事務所は「離婚の事実はない」としている。
>
>  和子夫人はこうも綴っている。
>
>
「かつてない国難の中で放射能が怖いと逃げたあげく、お世話になった方々のご不幸を悼む気も、郷土の復興を手助けする気もなく自分の保身の為に国政を動かそうとするこんな男を国政に送る手伝いをしてきたことを深く恥じています」
>
>  現在、消費税増税法案の採決をめぐって、小沢元代表は造反をちらつかせて野田政権を揺さぶっているが、和子夫人の手紙はそうした政治情勢にも大きな影響を与えそうだ。

奥さんにここまで言われる政治家というのも、今時そうそういるものではないのではないですかねぇ(苦笑)。
亭主関白な夫の存在自体も、昔に比べればかなり減ってきているのですし。
ただ、ここまで奥さんが小沢一郎に愛想を尽かしているというのであれば、いっそのこと小沢一郎がやらかした汚職の動かぬ証拠とかも一緒に出せば、相当に痛烈な打撃を与えられるのではないかと思うのですが(爆)。
まあ、奥さんにそこまで毛嫌いされていることは小沢一郎側も当然把握しているでしょうから、奥さん相手にも相応の対策は施しているでしょうけど。
奥さんに恥をかかされた形となった小沢一郎ですが、果たしてどんな反撃を繰り出してくるのでしょうか?
さすがに、「自殺」「事故死」「突然死」に見せかけて暗殺する、などという強硬手段は難しいものがあるでしょうけど……。

映画「アントキノイノチ」感想(DVD観賞)

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映画「アントキノイノチ」をレンタルDVDで観賞しました。
2011年11月に劇場公開された邦画作品で、歌手として有名なさだまさし原作の同名小説を実写映画化した、岡田将生・榮倉奈々主演の人間ドラマ。
あの銀英伝舞台版第一章でラインハルトを演じた松坂桃李も、主人公の高校時代に重要な役として登場しています。
2012年6月9日および10日は、当初観賞を予定していた映画が既に試写会で視聴済みの「幸せへのキセキ」1作品しかなかったため、久々に映画を観賞しない週末を迎える羽目になってしまいました(T_T)。
そんなわけで、久々に手持ち無沙汰となってしまった私は、せっかくの機会だからということで、去年観賞し損なっていた映画をいくつかレンタルDVDで観賞することにしたわけです。
まあ、今年の私の映画観賞総本数は、過去最高を記録した2011年の65本をすら上回るのが既に確実な情勢となっていますし、たまにはこういう週があっても良いのでしょうけどね。

映画「アントキノイノチ」の冒頭は、裸で屋根に上っているひとりの青年の姿が映し出されるところから始まります。
高校の制服をズタズタに切り裂き、「僕は二度、親友を殺した」という意味深なモノローグが語られたかと思えば、舞台はそれから3年後にあっさり移ることになります。
その当時、この青年こと主人公の永島杏平に一体何があったのかは、その後の物語の進行と共に語られていくことになります。
3年後に舞台が移り、永島杏平は父親の勧めで遺品整理業を営む「クーパーズ」という職場を紹介され、そこで働くことになります。
遺品整理業とは、不慮の事故や突然死などで亡くなった人の部屋を片付け、貴重品や遺品などを保管する仕事のことを指します。
永島杏平が「クーパーズ」に入社して最初の仕事は、死後1ヶ月も経過して遺体が発見された孤独死の老人の部屋を片付けるというものでした。
孤独死から1ヶ月にわたって遺体が放置されていたこともあり、遺体があったと思しきベッドは遺体から流れ出た大量の体液で汚れており、また部屋の至るところに遺体を貪っていたであろう蛆虫の死骸が散乱しているような状態でした。
最初は誰もが怖気づき、最悪はその場で辞めていくと「クーパーズ」の先輩社員である佐相(さそう)は永島杏平に話しかけるのですが、しかし永島杏平は特に何も語ることなく淡々と仕事に従事していきます。
永島杏平の様子に感心した佐相は、比較的年齢の近い久保田ゆきという先輩社員から仕事を教わるよう、永島杏平に指示を出します。
初めての仕事で右も左も分からない永島杏平に、久保田ゆき淡々と、しかし丁寧に仕事のやり方を教えていくのでした。
しかし、過去の精神的外傷が原因なのか、話しかけられてもロクに返事すらも返すことが無い永島杏平。
そのことを心配した佐相は、久保田ゆきに金を渡して永島杏平と「飲みニケーション」をするよう伝えます。
そして久保田ゆきと「飲みニケーション」をすることになった永島杏平は、それがきっかけとなって久保田ゆきと気軽に話し合える仲になっていくのでした
久保田ゆきのことが気になりつつ、遺品整理業を続けていく過程で、永島杏平は自身と久保田ゆきのそれぞれの過去と向き合っていくことになるのですが……。

映画「アントキノイノチ」は、主人公・ヒロイン共に凄惨な過去を持ち、精神的な外傷を抱え込んでいるような状態にあります。
永島杏平は、高校時代にイジメに遭っていた親友・山木信夫の自殺に直面した上、イジメの元凶であった同級生の松井新太郎を二度にわたって殺そうとした過去に苦しめられ続けていました。
一方、久保田ゆきは、高校時代にレイプされた上に妊娠してしまい、レイプ犯からも親からも罵られた挙句に流産してしまったことから、重度の男性恐怖症と絶望感を抱え込むようになっていました。
序盤の2人は、遺品整理業に何かの意義を見出していたというよりも、とにかく何でも良いから作業に没頭することで、過去のトラウマから逃避したかっただけなのではないかと思える一面を覗かせていました。
ただ何となく生きていただけ、そんな感じが漂いまくっていたんですよね。
しかし、遺品整理業の仕事を進めていく中、故人の遺族に遺品を渡したことで感謝されたことから、まずは永島杏平に転機が訪れます。
これ以降、彼は明らかに遺品整理の仕事に積極的になっていきましたし、そればかりか遺族にわざわざお節介をかけるほどに精神的な回復が見られたのですから。
あの時初めて彼は、自身の生きる意義を見出すことができたのではないでしょうか。

むしろ物語中盤以降は、序盤はまだ普通に見えていた久保田ゆきの落ち込みぶりが半端ではなかったですね。
男性恐怖症を克服するために永島杏平とセックスに及ぼうとして果たせなかったり、死んだ子供の部屋の遺品整理をしている最中に過去のトラウマが蘇り「クーパーズ」を辞めてしまったり。
作中の描写を見る限り、久保田ゆきは自身がレイプされたことよりも、胎児が流産してしまったことの方を気にしていたようで、また、そのことでトラウマを抱え込んでいるにもかかわらず、そのことが忘れられずに苦しんでいる感じでした。
これに対し、永島杏平は「それでも君は生きている」「その胎児の生命が君の負担を背負って亡くなったからこそ、今の君がここにいる」という主張で励ますのです。
これが、映画のテーマにもなっている「あの時の命」の意味であり、それを早口で何度も言った際のなまりが、そのまま映画のタイトルにもなっているわけですね。
ただ、その際に何故か「アントニオ猪木」のネタが出てきたのは、ご愛嬌なのかギャグなのか判断に苦しむところがあるのですが(苦笑)。

しかし、これで主人公とヒロインが意気投合して結ばれる明るい未来が待っているのかと思いきや、物語は全く意外な方向へと向かいます。
「クーパーズ」を辞めた後に介護施設で働いていた久保田ゆきが、介護老人を見舞いに来たらしい子供を庇い、猛スピードで突っ込んできたトラックに跳ねられそのまま死んでしまうのです。
何の伏線もなく唐突だった上、久保田ゆきが永島杏平の説得で立ち直っていく過程が描かれていただけに、あまりにも意外過ぎる展開に驚かずにはいられませんでしたね。
庇われた子供は全くの無傷だったので、てっきり久保田ゆきも重症ながら生きているのでないかと最初は考えていたのですが、永島杏平と佐相の2人が「クーパーズ」の仕事として久保田ゆきの遺品整理を始めたことで、否応なく死の事実が明示されていましたし。
作者ないし映画製作者側の意図としては、生命のリレーによって人は生きている、という「アントキノイノチ」の摂理を、不条理な現実と共に観客に突きつける意図があったのでしょう。
ただ、「アントキノイノチ」の論理は既に久保田ゆきの過去話によって示されていたのですから、その上さらに追加でヒロインを死なせてしまう必要はすくなくともストーリー的な必然性の面ではなかったのではないか、とは思えてならなかったですね。
お腹の中の子が死んだことで久保田ゆきがここにいる、という「アントキノイノチ」の論理をまた再現したいのであれば、むしろ永島杏平と久保田ゆきを結婚させ、2人の間に子供を生ませるという結末に持っていくという形にしても「その子供は2人の親の存在があったからこの世に誕生しえた」という論法で充分に達成可能なわけですし。
全くの意外性と不条理な現実を突きつける、という点では効果のある演出だったと思うのですが、作品的には「ハッピーエンドになり損ねた」という点でややマイナスな部分が否めない、といったところでしょうか。

生命の絆的なテーマを盛り込んだ人間ドラマ作品を観たい、という方にオススメの作品となるでしょうか。

野田佳彦こと野駄目カンタービレのダメダメな末期政局

野田佳彦こと野駄目カンタービレを取り巻く現状が凄惨を極めていますね。
まずは大飯原発の再稼動発言が、様々な形で物議を醸しています。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120608/k10015706911000.html
> 野田総理大臣は記者会見し、関西電力大飯原子力発電所について、「国民の生活を守るために大飯発電所を再起動すべきというのが私の判断だ」と述べたうえで、速やかな運転再開に向けて福井県やおおい町の理解を求めました。
>
> 関西電力大飯原子力発電所を巡って、福井県の西川知事は、先に細野原発事故担当大臣に対し、「総理大臣が国民に直接訴えることが国民の安心につながる」と述べ、野田総理大臣が運転再開の必要性を直接、国民に訴えるよう求めました。
> これを受けて野田総理大臣は8日夜、記者会見しました。
> この中で野田総理大臣は、「夏場の電力需要のピークが近づき、結論を出さなければいけない時期が迫りつつある。国民生活を守ることが、国論を二分している問題に対してよって立つ、唯一絶対の判断の基軸であり、国として果たさなければならない最大の責務と信じている」と述べました。
> そして、野田総理大臣は、「次代を担う子どもたちのためにも、福島のような事故は決して起こさない。福島を襲った地震や津波が起こっても、事故を防止できる対策や体制は整っており、これまでの知見を最大限生かして、もし万が一、すべての電源が失われるような事態になっても炉心損傷に至らないことが確認されている」と述べ、安全性を強調しました。
> 一方で、野田総理大臣は、
「原子力発電を今、止めてしまっては、また、止めたままでは、日本の社会は立ち行かない。関西での15%の需給ギャップは、去年の東日本大震災でも経験し、厳しいハードルだ。突発的な停電が起きれば、命の危険にさらされたり、仕事が成り立たなくなる人、また、働く場がなくなる人も出てくる」と述べ、運転再開の必要性を訴えました。
> そして野田総理大臣は、
「電力需給だけの問題ではない。化石燃料の依存を増やし価格が高騰すれば、ギリギリの経営を行っている小売店や中小企業や家庭にも影響する。空洞化を加速し、雇用の場が失われる。夏場限定の再稼働では国民の生活は守れない」と述べました。
> そのうえで野田総理大臣は、「関西を支えてきたのが福井県であり、おおい町だ。40年以上にわたり原子力発電に向き合い、電力消費地に電力供給を続けてきたことに敬意と感謝の念を新たにしなければならない」と述べました。
> そして野田総理大臣は、「国民の生活を守るために大飯発電所を再起動すべきというのが私の判断だ。そのうえで立地自治体の理解を改めてお願いしたい。理解いただいたところで再起動のプロセスを進めたい」と述べ、速やかな運転再開に向けて、福井県とおおい町に理解を求めました。
> 野田総理大臣の記者会見などを受けて、西川知事は、来週にも運転再開について判断するものとみられます。

この原発再稼動発言については、カンタービレ唯一の功績と言えるのではないでしょうかね。
原発再稼動は、本来ならば去年の九州電力玄海原発でとっくに目処がついていたはずでした。
それを、史上最低の日本国総理としての名をほしいままにした菅直人ことカンガンスが、目先の人気取りパフォーマンスなどという視野の狭い動機から全てを御破算にしてしまったことから、あたかも戦前の「欲しがりません勝つまでは」のごときヒステリックな反原発の「空気」が醸成されてしまったことこそが大問題だったわけで。
当ブログでも何度も述べているように、脱原発の問題はただ単に「電力が足りさえすればそれで良い」という話ではなく、電力コストや電気料金・エネルギー安全保障などといった様々な観点から考えなくてはならないのですし、また代替エネルギーの確立なしですぐさま実行できるものでもありません。
カンタービレ的には「財界から何度も催促を受けた」「とりあえず消費税増税が全て」というのが本音だったのでしょうが、それでも確実に予測されるであろう感情的な反発を承知の上で原発再稼動を明言したこと自体は評価しても良いでしょう。
問題はカンガンスと同じように、人気取り目的から前言を翻して反原発路線に突っ走ったりする可能性も否定できない点ですが……。

しかし、原発再稼動は評価できるにしても、この不景気に消費税を増税することに固執することと、中国大使館一等書記官のスパイ疑惑に見られるがごとく「外国のスパイ」を積極的に招致しているとしか思えない惨状は論外としか言いようがありませんね。
特に前者の問題については、消費税増税法案不成立の際には衆議院を解散するという発言まで行う始末ですし↓

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012061100459
>  野田佳彦首相は11日午後の衆院社会保障と税の一体改革特別委員会で、今国会で消費増税関連法案が成立しなかった場合に衆院を解散するかどうかを問われ、「国民のために決断しなければいけない時期は迫っている。そして私は政治生命を懸けている。もうそれ以上は言わなくても分かっていただける」と述べ、解散に踏み切る可能性を示唆した。
>  自民党の額賀福志郎氏が、2005年に郵政民営化関連法案が参院で否決された後、当時の小泉純一郎首相が解散した例を挙げ、「この(消費増税)法案ができなかったら、国民に信を問う覚悟を持つべきだ」とただしたのに対し、答えた。 
>  また首相は、
民主党が09年衆院選マニフェスト(政権公約)に消費増税を明記していなかったことに関し、「国民にきちんと説明せず、今日に至ったことはおわびしないといけない」と陳謝。その上で「国民のためにやらなければいけない改革だとしっかり訴え、理解をいただけるように努めていきたい」と述べた。
>  一方、最低保障年金を含む民主党の年金抜本改革案について、首相は「党内の長い議論の到達点だ」と述べ、自民党などが求める撤回に慎重な考えを強調。「中長期的に考えているものは、修正協議の延長線上ではなく、識見を持った有識者会議のやり方がある」と語り、同党が提案した「社会保障制度改革国民会議」での協議に前向きな姿勢を示した。
>  同会議に関しては「有識者だけでなく、政治家も入らなければいけないという議論もある」と指摘した。自民党の阿部俊子、額賀両氏への答弁。(2012/06/11-19:17)

ちなみに、カンタービレが2009年衆議院選挙の際に述べていた演説がこれ↓

http://www.news-postseven.com/archives/20120123_82215.html
「マニフェスト、イギリスで始まりました。ルールがあるんです。書いてあることは命懸けで実行する。書いてないことはやらないんです。それがルールです。
書いてないことを平気でやる。これっておかしいと思いませんか。書いてあったことは4年間、なにもやらないで、書いてないことは平気でやる。それはマニフェストを語る資格がないというふうに、ぜひみなさん思っていただきたいと思います。その一丁目一番地、税金の無駄遣いは許さないということです。天下りを許さない、渡りは許さない。それを、徹底していきたいと思います。
消費税1%分は、2兆5000億円です。12兆6000億円ということは、消費税5%ということです。消費税5%分のみなさんの税金に、天下り法人がぶら下がってるんです。シロアリがたかってるんです。それなのに、シロアリ退治しないで、今度は消費税引き上げるんですか? 消費税の税収が20兆円になるなら、またシロアリがたかるかもしれません。鳩山さんが4年間消費税を引き上げないといったのは、そこなんです。
シロアリを退治して、天下り法人をなくして、天下りをなくす。そこから始めなければ、消費税を引き上げる話はおかしいんです。徹底して税金の無駄遣いをなくしていく。それが民主党の考え方であります」

これを見ても、カンタービレの陳謝とやらが全くの嘘っぱちであることは一目瞭然なのですが(爆)。
増税というのは、投資が加熱しあらゆる物価が値上がりするバブルのような好景気の場合は、バブルを抑止するという観点からある程度有効な政策となりえます。
しかし、昨今の不況時に更なる増税をしたところで、消費を悪戯に冷え込ませ却って税の減収にすらも繋がりかねず、百害あって一利なしの害悪にしかならないのです。
それを無視して、あるいは承知の上での確信犯で増税を推進するカンタービレは、国民の生活を破壊することが目的であるとしか評しようがありません。
カンタービレが増税を推進する背景には、天下りの確保を望む財務省の意向があるとの説もまことしやかに囁かれていますが、その観点から見てもカンタービレの増税推進は論外もいいところでしょう。
「税金の無駄遣いは許さないということです。天下りを許さない、渡りは許さない」「シロアリを退治して、天下り法人をなくして、天下りをなくす。そこから始めなければ、消費税を引き上げる話はおかしい」のではないのですかね、カンタービレの論理から言えば(笑)。

そして、新たに浮上してきた中国大使館一等書記官のスパイ疑惑、およびそれに複数名の民主党議員が関与していたとされる事件については、存在それ自体が中国共産党の出先機関であるかのごとき様相を呈している民主党にとっては「何を今更」な話でしかないかもしれません。
自分達自身がスパイであるからこそスパイ防止法に反対してきた、という側面も、民主党に限らず左翼系政党は昔から持ち合わせていたのですし。
ただ、これが民主党およびカンタービレ政権にとってもアキレス腱になるであろうことは確実で、カンタービレは自陣営内の「無能な味方」によって足を掬われた形ですね(笑)。

原発再稼動の一点のみは評価できるものの、それ以外が全て駄目なカンタービレ政権。
まあ自業自得以外の何物でもありませんが、母体である民主党共々、カンタービレ政権には一刻も早く消えてもらいたいものです。

ところで、我らが田中芳樹御大は、2009年の政権交代以来、かつての自民党などとは比較にもならないほどに不祥事を重ねまくっている民主党の存在を完全無視する方針を決め込んだみたいですね。
最近出てきた薬師寺シリーズ9巻「魔境の女王陛下」では、ロシアのシベリアが舞台の話であるにもかかわらず、いつのごとく物語の本筋とは全く関係のないアメリカ批判と日本批判を盛り込みまくっているくせに、その中で民主党の責任について言及した箇所は全くのゼロ。
東日本大震災や福島第一原発のネタまで盛り込んでいるのですから、本来ならば民主党の責任問題にも当然追及されて然るべきはずなのですが。
かつての自民党政権であれば「マンガしか読まない外務大臣」のごとく、どうでも良い部分にまでいちいち悪口を並べ立てていたというのに。
自身が民主党を支持していたから、という事情も多分にあるのでしょうが、もう田中芳樹は、自分に都合の悪い要素はダブスタだろうが何だろうがとにかく無視を決め込むところまで堕ちている、としか評しようがありませんね。
その偏向ぶりは、小説家としても評論家としても問題外でしかないのですが、その辺りの自覚が全くないのですかね、田中芳樹は。

「くまモン」のTwitter公式アカウントへの不正ログイン事件

九州新幹線全線開業PRマスコットキャラクターとして生まれ、現在では熊本県全体の宣伝広報キャラクターとなっている「くまモン」のTwitter公式アカウントが、何者かに乗っ取られるという事件が発生しました。
既に新アカウントが開設済みで、問題となった旧アカウントは近く閉鎖される予定なのだとか。

http://www.j-cast.com/2012/06/11135129.html
>  熊本県PRマスコットキャラクター「くまモン」のツイッターアカウントが第三者に乗っ取られていたことがわかった。2012年6月8日、熊本県がくまモン公式サイトで発表した。
>
>  
これまでくまモンは「@55kumamon」のアカウントを使用してきたが、このアカウントが悪意の第三者にログインされていることが8日夜に発覚した。具体的にはフォローが勝手に外される、プロフィールが書き換えられるという被害があったという。
>
>  くまモンは新しいアカウント「@55_kumamon」をすでに作成済みで、これまでのアカウントのフォローを外し、新しいアカウントをフォローするように呼びかけている。


しかし、フォロワーを新たに集め直さなければならないだけでも「くまモン」には大きな打撃ですね。
私も10万人以上のフォロワーを集めるのは苦労しましたし(-_-;;)。
まあ、「くまモン」の知名度を鑑みれば、ある程度のリカバリーは容易ではあるのでしょうけど。
それにしても、Twitterでは「公式」とされるアカウントでさえ、容易に他者に乗っ取られるものなのですねぇ。
Twitterアカウントの管理には注意が必要であることを、改めて痛感させる事件ですね。

銀英伝外伝舞台「撃墜王編」の全配役発表と問題点

銀英伝舞台版公式サイトが更新され、出演キャストの全配役が発表されました。
公式サイトはこちら↓

銀英伝舞台版公式サイト
http://www.gineiden.jp/
銀河英雄伝説 撃墜王篇
http://www.gineiden.jp/gekitsui/
撃墜王篇の出演キャスト一覧
http://www.gineiden.jp/gekitsui/cast.html

ただこの配役、正直かなりの問題点を抱え込んでいると言わざるをえないところですね。
配役の内容は以下のようになっているのですが↓

中川晃教 =オリビエ・ポプラン
横尾 渉 =ジークフリート・キルヒアイス
二階堂高嗣=コールドウェル
中村誠治郎=イワン・コーネフ
大山真志 =サレ・アジズ・シェイクリ
仲原裕之 =ウォーレン・ヒューズ
岩永洋昭 =ワルター・フォン・シェーンコップ
三上 俊 =モランビル
長澤奈央 =ナオミ
桑代貴明 =ユリアン・ミンツ
川隅美慎 =ビクトル・フォン・クラフト
松村泰一郎=ライナー・ブルームハルト
海宝直人 =カスパー・リンツ
内藤大希 =ザムチェフスキー
ニコラス・エドワーズ=ラインハルト・フォン・ローエングラム
高山猛久 =アーサー・リンチ
川合敏之 =アドリアン・ルビンスキー
佐藤和久 =ヨッフェン・フォン・レムシャイド
深澤英之 =ラザール・ロボス
藤咲ともみ=ハンナ
内田羽衣 =ケイト
大澄賢也 =ムライ
天宮 良 =アレックス・キャゼルヌ

問題なのは赤文字部分の配役になるのですが、これらの配役を担うキャストは、正伝となるであろう第一章・第二章で配役を担っていた「中の人」とは明らかに異なっています。
問題となっている3者の第一章・第二章の配役とキャストは以下のようになっていました。

ジークフリート・キルヒアイス=崎本大海
ワルター・フォン・シェーンコップ=松井誠
ラインハルト・フォン・ローエングラム=松坂桃李

……何故今回、主要人物とすら言える登場人物のキャストが変わってしまっているのでしょうか?
同じ出演者が一人二役を演じたりするケースはともかく、同じ登場人物のキャストはシリーズ通じて同一にしておかないとマズいでしょう。
第一章・第二章の舞台を観た後に「撃墜王編」を観賞したら、顔ぶれが全く異なることから違和感バリバリになるのは必至なのですが。
今までの舞台でも、ジークフリート・キルヒアイス役の崎本大海がオーベルシュタイン編で友情出演するなどといったことを行い、キャストの一貫性を保っていたことを鑑みると、今回の措置はあまりにも不自然であると言わざるをえません。
特にシェーンコップなんて、直近の舞台である第二章の登場人物なのですからなおのこと、一貫性は保って然るべきでしょうに。
まあ、今回交代になってしまったキャスト達はそこそこの大物ではあるようなので(特に松坂桃李は最近の邦画でも名前を見かけるようになりましたし)、その辺りの「大人の事情」が影響してはいるのでしょうけど、こんな無理が生じるくらいならば、そもそも最初から大物を配置しなければ良かったのではないかと。
「客寄せパンダ」的な宣伝目的で大物を配置したことが、今回のような外伝では逆に仇となって返ってきているような感すらあります。
舞台に限らず、キャストの一貫性というのは極めて大事な要素なのではないかと思えてならないのですけどねぇ。

こんなことが今後も起こるとなると、今後発表されるであろう第三章の舞台などでも、「主要キャストが以前の舞台とは全くの別人になっている」という事態が想定されてしまうわけで、正直大丈夫なのかと考えずにいられないところなのですが。
それとも、舞台という場ではこういうことが日常的に行われていたりするのでしょうか?

育児休暇取得忌避に見られる「男女平等」の歪み

「妊娠した女性は、育児休業を取らずに退職して欲しい」と考えている企業が25%に昇るとする求人広告アイデムの調査結果が波紋を呼んでいます。
背景には、社員が育児休暇を取得すること疎んじる企業経営側と、交代要員もなく過重労働を強いられる社員側の利害があるとのことで、かなり根深い問題ではありますね↓

http://megalodon.jp/2012-0609-0349-31/www.j-cast.com/kaisha/2012/06/08135021.html?p=all
>   「妊娠した女性は、育児休業を取らずに退職して欲しい」と考えている企業が25%にのぼるとした調査結果に、波紋が広がっている。求人広告のアイデムが、正社員が6人以上いる1439社からインターネットを通じて回答を得たものだ。
>
>  
男性正社員の育休取得を「容認できない」とした企業も16%あった。急速に進む高齢化が社会不安を高めている中で、働きながら出産や子育てを行う女性や、それを支えようとする夫を疎んじる会社があるのが実態のようだ。
>
> ムカつく独身OL「育休取った同僚のせいで婚期遅れた」
>
>  ネットにはこの結果に対し、実際にはもっと多くの企業が育休取得を快く思っていないはずだ、という書き込みが見られる。
>
> 「『本音』を言ったのが25%のみ、という調査結果」
> 「むしろ正直な企業が25%しかないってことだろう」
>
>
育休取得を冷ややかに見ているのは、人の穴埋めに苦心する経営者や管理職だけではない。交代要員が配置されない場合、職場では仕事量が増えてフラストレーションが高まる。連続して子どもを産むと、産休、育休で何年も姿を見ないこともある。
>
>  ネットメディア「ガウ!マガジン」は、「『育児休暇を取らないで』が25%!子持ち同僚にムカつく事4選」という記事を掲載し、職場に残る独身OLの苛立ちを紹介している。
>
>  まっさきにあがっているのは、「婚期が遅れるのも“育児休暇”のせい」という声だ。同僚が自分より先に結婚・出産したために仕事が激増し、出会いが遠のいて婚期が遅れてしまったと嘆く31歳女性(保険会社勤務)の声を紹介している。
>
> 「のんきに子どもの写メールを送ってくるA子に腹が立ってしかたありません。復職後、仲良くやっていけるか心配です」
>  こういう人に限って、自分が出産するときには「目いっぱい休まなければ損」とばかり、育休を最大限に活用する気がするのだが…。

企業の育児休暇に対する忌避傾向は、女性の社会進出を「安価な労働力が確保できる」と安易に賛同・推進してきたツケが回ってきた結果でもあります。
女性に出産の問題があり、女性の労働力を取り込むためには出産に纏わる様々な事象に配慮する必要があることなど、企業側も最初から分かっていたことのはずです。
にもかかわらず、「利益は享受したいがリスクは背負いたくない」と言わんばかりに育児休暇を忌避し、その挙句に社員にそれを押し付けるという構図は正直どうかと言わざるをえないところです。
そもそも、子育ての観点から見ると、現行の育児・介護休業法で定められている1年の育児休暇ですら実は不十分もいいところなのです。
「三つ子の魂百まで」という格言にもあるように、生まれてから3年以内の育児は、その子供の性格形成や成長、ひいてはその後の一生に重大な影響を与えます。
それを考えれば、出産から始まる育児休暇の期間は最低でも3年、できれば5年は必要と見るのが妥当なところでしょう。
もちろん、現行の育児休暇にすら難色を示す企業にそんな負担が耐えられるわけもないのですが。
人間の育児というのはそれほどまでに手間暇がかかるものである、という事実自体を知らない人というのはそうそういるものではないでしょう。
しかし一般社会では、その大変な子育ての実態をどうにも甘く見過ぎているような風潮が多々あるのではないかと思えてなりませんね。
だから安易に女性の社会進出が叫ばれたり、今回のような育児休暇に対する忌避感が露呈したりといったギャップが生まれたりもするわけなのですが。

社員による育児休暇の取得を忌避する傾向があるのは、性別で見ると意外にも女性の方が多いとのことです。
何でも、育児休暇で生じた穴を埋めるために過重労働を強いられる傾向があるからなのだそうです。
しかしこういう話を聞くと、「女性にとっての最大の敵は女性自身である」という言葉は案外真実を突いているのかもしれないとつくづく思えてきますね。
育児休暇によって他の社員の負担が増大するというのは、基本的には企業側の責任であるはずです。
育児休暇によって空いた人材の穴を埋める体制を整えず、現行の社員だけで回していくような負担を強いる企業こそが、本来最も責められるべき対象なのです。
にもかかわらず、その企業は全く責めることなく、同じ被害者であるはずの女性を目先の事象で責める辺りは、何とも短絡的と言わざるをえないところです。
そんなことをしたところで、物事の本質は何も解決しないのですし、それで本当にほくそ笑むのは、自身の責任追及を免れるばかりか正当化すらされる企業でしかないのですが。
あまつさえ、今の会社や社員の間では、女性の出産や育児休暇を非難する「空気」すらあるのだとか。
出産は本来めでたいことであるはずなのに、それを歓迎しないどころか白い目で見たり退職の圧力をかけたりするなど、社会として何か間違っているとしか思えないのですが。
子供ってそこまで害悪であり、社会にとって邪魔な存在だというのでしょうか?

現在叫ばれている女性の社会進出や男女平等という概念に、私がどうにも懐疑的・否定的にならざるをえないのは、結局のところその副作用が一番弱い立場にある子供を直撃するからです。
この手の問題はとかく「男女間の対立」や「女性の権利伸張」という観点のみで語られる傾向が多く、物言わぬ子供の問題は軽視・無視どころか、下手すれば「女性の敵」「社会のお荷物」であるかのごとき扱いすら受けることがあります。
特に育児の問題などは、性差から来る適性の違いをも無視して、女性が男性にその負担を無条件に押しつけようとする傾向すら垣間見られる始末ですからね。
そりゃ少子化だって改善どころかさらに悪化もしようというものです。
男女それぞれの適性と個性に合致し、かつ子供にも負担をかけることのない「本当の男女平等」のあり方というものを模索することはできないものなのでしょうかねぇ……。

銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察12

二次創作には「メアリー・スー」と呼ばれる用語があります。
「メアリー・スー」とは、原作の登場人物をはるかに凌ぐ実力と優秀さを兼ね備え、原作の主人公をもそっちのけにして万能的に活躍し、主人公も含めた原作キャラクターや読者から無条件に畏怖・礼賛されるオリジナルキャラクターの総称です。
この用語の由来は、「スタートレック」の二次創作に登場した女性のオリジナルキャラクター「メアリー・スー大尉」にあるのだとか。
欧米の二次創作では、「メアリー・スー」は物語の世界観を破壊しかねないという理由からその存在そのものが忌み嫌われ、敬遠される傾向にあるのだそうですが、日本では一次創作からして「メアリー・スー」のごとき万能系の主人公が登場し他を圧倒して活躍する作品も珍しくない(創竜伝や薬師寺シリーズもそうですし)ためか、意外と受け入れられているフシが多々ありますね。
そして、「本編」も「亡命編」も含めた「エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝」もまた、典型的過ぎるほどに「メアリー・スー」の系譜に属する二次創作であると言えるでしょう。
この「メアリー・スー」のオリジナルキャラクターが持つ特性を、ヴァレンシュタインは軒並み踏襲している始末ですからねぇ(苦笑)。
以下のページでは、自分が作成した二次創作の「メアリー・スー度」を診断することができるのですが、作者氏自身の性格や意向が絡む要素を抜きにして「作中に表れている主人公の傾向」のみに限定しても、かなりの項目にチェックが入ってしまいますし↓

Mary Sueテスト
http://iwatam-server.sakura.ne.jp/column/marysue/test.html

同じサイトの別ページでは、「メアリー・スー」が良くない&嫌われる理由について、以下のようなメッセージが込められているからだと書かれています↓

http://iwatam-server.sakura.ne.jp/column/marysue/index.html
<今の自分は酷い扱いを受けているけど、本当は秘めた能力を持っている。自分がこんな扱いを受けているのは、単に自分の能力を発揮する機会を与えられなかっただけだ。今みたいに周囲に悪い人しかいないのではなく、良き理解者がいればもっと活躍できるのに。

思わず笑ってしまったのですが、これってヴァレンシュタインが常日頃抱いている被害妄想そのものでもありますよね。
ヴァレンシュタインはまさに、「自分のことを理解できない他人が悪い」「自分の意図を忠実に実行できない他人が悪い」「自分の意に沿わない他人は無条件で悪だから何をしても良い」「だから常に自分は正しく他人が悪い」的なことばかり主張し、自分の責任や失態を免罪すると共に他者を罵倒しまくっているのですから。
しかし、作中におけるヴァレンシュタインの言動が正当化されるためには、どう考えても「良き理解者」どころか「全知全能の神」でも味方につけないと不可能なレベルであるようにしか見えないのが何とも言えないところで(T_T)。
ヴァレンシュタインが「メアリー・スー」を貫くなら貫くで、もう少し読者にその有能さを納得させられるだけの理論的説得力や物語的な必然性といったものが伴っていて欲しいものなのですけど。
また、「メアリー・スー」は作者の願望や理想が投影されたものでもあるそうなのですが、「エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝」の作者氏は、あんなシロモノになりたいとかアレが理想像であるとか本気で考えていたりするのですかねぇ……。
いくら希少価値があるからと言っても、狂人やキチガイに魅力を感じ憧れを抱くというのも考えものではあるのですが。

それでは、今回より第6次イゼルローン要塞攻防戦が終結して以降の話を検証していきたいと思います。
なお、「亡命編」のストーリーおよび過去の考察については以下のリンク先を参照↓

亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
http://ncode.syosetu.com/n5722ba/
銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察
その1  その2  その3  その4  その5  その6  その7  その8  その9  その10  その11

暴言と失態を重ねるたびに何故か周囲から絶賛され昇進していく、原作「銀英伝」のビッテンフェルトすらも凌ぐ文字通りの「奇跡の人」ヴァレンシュタイン。
38話の軍法会議で、本来ならばありえるはずもない無罪判決を「神(作者)の奇跡」によって勝ち取ってしまったヴァレンシュタインは、しかしそのことについて神(作者)に感謝もしなければ悔い改めることもなく、相変わらずの「我が身を省みぬ狂人」ぶりを披露してくれています。
特に、ミュッケンベルガーが辞任して空位になった帝国軍宇宙艦隊司令長官の後任に誰が就くのかについて聞かれた際にこんな回答を返したことなどは、軍における自分とロボスの関係自体をすっかり忘れてしまっているのではないかとすら危惧せざるをえないほどなのですが↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/40/
> 部屋が静まり返りました。准将のいう事は分かりますが私にはどうしても納得いかないことが有ります。
> 「准将、周囲の提督達はどうでしょう。素直に命令に従うんでしょうか?」
>
> 私の問いかけに何人かが頷きました。そうです、いきなり陸戦部隊の指揮官が司令長官になると言っても提督達は納得できないと思うのです。准将は私の質問に軽く頷きました。
>
>
「従わなければ首にすれば良い。そして若い指揮官を抜擢すれば良いんです」
> 「若い指揮官?」
> 「ええ、今帝国で本当に実力が有るのは大佐から少将クラスに集中しているんです。彼らを抜擢して新たな宇宙艦隊を編成すればいい」
> 「……」

じゃあ何故ロボスは、上官侮辱行為だの214条発動の進言だのを行ったヴァレンシュタインを処断することができなかったのでしょうかねぇ(笑)。
「従わなければ首にすれば良い」というのであれば、当然ロボスもヴァレンシュタインに対してそれが行えたはずなのに。
ヴァレンシュタインがロボスに対して行っていたことは誰の目にも明らかな軍規違反だったのであり、またヴァレンシュタインがロボスに露骨なまでの反抗の意思を示していたのもこれまた明白だったのですから。
その際にヴァレンシュタインが自己正当化の手段として掲げていた「司令官は無能低能&無責任だ」程度の言い訳ならば、オフレッサーが自分達の上官になることに不満を持つ軍人であれば誰だって言うでしょうよ。
上記引用にもある通り、「いきなり陸戦部隊の指揮官が司令長官になると言っても提督達は納得できないと思う」事態は当然発生しえるのですから。
つまりヴァレンシュタインは、「あの場における自分は上官たるロボスに排除されて当然の人間だった」と自分から告白しているも同然であるということになってしまうわけです(爆)。
せっかく「神(作者)の奇跡」で無罪判決を恵んでもらったというのに、その正当性を自分から破壊するような言動を披露しているようでは世話はないですね。
まあそれ以前に、あの当時のヴァレンシュタインの立場で「自分は何故ロボスから処断されなかったのだろう?」と少しも疑問に思わないのは論外もいいところなのですが(苦笑)。

自分の身に起こっている「神(作者)の奇跡」を「望外の幸運」として感謝するどころか至極当然のものとすら認識しているヴァレンシュタインの傾向は、同盟軍における宇宙艦隊司令長官の後任人事話の際にも垣間見ることができます。
ここでヴァレンシュタインの恰好の被害妄想サンドバッグにされてしまっているのは、同盟軍ナンバー1の統合作戦本部長シドニー・シトレ元帥です↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/41/
> 「なら、お前は誰が司令長官に相応しいと思うんだ」
> 「シトレ元帥です」
> 「な、お前何を言っているのか、分かっているのか?」
> ワイドボーンの声が上ずった。まあ驚くのも無理はないが……。
>
> 軍人トップの統合作戦本部長、シトレ元帥が将兵の信頼を取り戻すためナンバー・ツーの宇宙艦隊司令長官に降格する。本来ありえない人事だ。だがだからこそ良い、周囲もシトレが本気だと思うだろう。彼の“威”はおそらく同盟全軍を覆うはずだ。その前で反抗するような馬鹿な指揮官など現れるはずがない。オフレッサーにも十分に対抗できるだろう。
>
> 俺がその事を話すとワイドボーンは唸り声をあげて考え込んだ。
> 「これがベストの選択ですよ」
> 「それをシトレ元帥に伝えろと言うのか?」
> 「私は意見を求められたから答えただけです。どうするかは准将が決めれば良い。伝えるか、握りつぶすか……」
> 「……」
>
> 「これから自由惑星同盟軍は強大な敵を迎える事になる。保身が大切なら統合作戦本部長に留まれば良い。同盟が大切なら自ら火の粉を被るぐらいの覚悟を見せて欲しいですね」
>
> 蒼白になっているワイドボーンを見ながら思った。
シトレ、俺がお前を信用できない理由、それはお前が他人を利用しようとばかり考えることだ。他人を死地に追いやることばかり考えていないで、たまには自分で死地に立ってみろ。お前が宇宙艦隊司令長官になるなら少しは信頼しても良い……。

もうここまで来ると、ヴァレンシュタインは常に被害妄想を抱いていないと死んでしまう病気の類でも患っているのではないか、とすら思えてきてしまいますね(苦笑)。
シトレが第5次イゼルローン要塞攻防戦の際に宇宙艦隊司令長官の職にあったという作中事実を、まさかヴァレンシュタインが知らないわけはないでしょう。
別に原作知識とやらがなくても、「亡命編」の世界の人間であれば誰でも普通に理解できる「過去の作中事実」でしかないのですから。
「たまには自分で死地に立ってみろ」も何も、シトレはとっくの昔にヴァレンシュタインが所望する宇宙艦隊司令長官の職を経た上で現在の地位にあるわけなのですから、「お前が戦争に行け」論的な批判など最初から当てはまりようがないのですが。
そもそも軍に限らず、組織の長というのは「組織全体の方針を決める」「人を使っていく」ことをメインの仕事としているのであり、その観点から見ればシトレは自分の職務を忠実にこなしているだけでしかありません。
むしろ、その立場にある者が他者を使うことなく自分で全ての仕事を処理していくことの方が、人材を死蔵させ下の者の仕事を奪うという二重の意味で迷惑極まりない話なのであり、一般的な評価でも「本来やるべき仕事をしていない」と見做されて然るべき行為なのです。
人の上に立つ者には人の下で働く者とは別の責任と義務があるのであり、それは決して楽なものでも軽いものでもないということくらい、よほどのバカでもない限りは分かりそうなものなのですけどね。

それにヴァレンシュタインにとってのシトレは、「死地に追いやる」どころか、むしろ「一生の恩人」とすら言って良いほどの恩恵をヴァレンシュタインに与えているはずではありませんか。
7話におけるフェザーンで帝国軍人であるミュラーと秘密の会話を交わしていた件では、そのことを報告しなかったミハマ・サアヤ共々、法的にも政治的にも本来ならばスパイ容疑で処断されても文句は言えない局面でした。
しかしシトレは、それでもヴァレンシュタインを「殺すには惜しい有用な人材」であると考え、彼に本当の同盟人になってもらおうと意図してヴァンフリート4=2への赴任を命じたわけです。
しかも、ヴァレンシュタインの要望に100%応え、大規模な戦力を増強させるという便宜を図ってまで。
それでヴァレンシュタインがヴァンフリート星域会戦を勝利に導き、シトレの意図通りになったかと思いきや、今度は「伝説の17話」で極刑ものの自爆発言を繰り出してしまう始末。
シトレにしてみれば、せっかくヴァレンシュタインを登用し要望まで全部聞いてやったにもかかわらず、自分と同盟の双方に対する裏切りの意思まで表明され憎まれる羽目となったのですから、「あれだけのことをしてやったのに」「自分の方こそ裏切られた」と激怒しても良さそうなものだったのですけどね。
そしてさらに38話では、どう見ても214条発動の緊急避難性を何も証明できていないヴァレンシュタインに対し、わざわざ無罪判決を出してしまうという「贔屓の引き倒し」もはなはだしい茶番&八百長行為すらも堂々とやらかしてくれたシトレ。
これらの過去の経緯を鑑みれば、ヴァレンシュタインはシトレに対し「一生かかっても返せないほどの恩恵を与えてくれた恩人である」と絶賛すらして然るべきはずでしょう。
いくら「神(作者)の奇跡」という絶対的な力の恩恵だからとは言え、異様なまでに理解のあるシトレがヴァレンシュタインを贔屓していなければ、ヴァレンシュタインはとっくの昔に「亡命編」の世界からの退場を余儀なくされていたのは確実なのですから。
にもかかわらず、ヴァレンシュタインは「自分に対する最大の良き理解者」でさえあるはずのシトレにすら、一片の感謝の意も示さないどころか憎悪すらしているときているのですから、その想像を絶する被害妄想狂ぶりにはもう呆れるのを通り越して笑うしかありません。
自分がいかに原作知識や能力とは全く無関係なところから、それも常識ではありえないレベルで恩恵を享受している立場にあるのか、ヴァレンシュタインは一度死んでみないと理解できないのですかねぇ(笑)。

その後、ヴァレンシュタインはシトレに呼ばれ、トリューニヒトとレベロも交えた秘密の会合に参加することになります。
そこでヴァレンシュタインは、自身が初めて原作の流れに介入したアルレスハイム星域会戦以降における政治の舞台裏を知ることになります。
しかし、そこはやはりヴァレンシュタイン、他人を罵り自分を正当化するのは相変わらずのようで↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/43/
> 「彼には正直失望した。あの情報漏洩事件を個人的な野心のために利用しようとしたのだ。あの事件の危険性を全く分かっていなかった」
> トリューニヒトが首を振っている。ワインの不味さを嘆いている感じだな。シトレが顔を顰めた。つまりシトレにも関わりが有る……。
>
> ロボスはあの事件をシトレの追い落としのために利用しようとしたという事か。何をした? まさかとは思うが警察と通じたか? 俺が疑問に思っているとトリューニヒトが言葉を続けた。
>
> 「自分の野心を果たそうとするのは結構だが、せめて国家の利益を優先するぐらいの節度は持って欲しいよ。そうじゃないかね、准将」
> 節度なんて持ってんのか、お前が。持っているのは変節度だろう。
>
> しかし国家の利益という事は単純にトリューニヒトの所に駆け込んでこの件でシトレに責任を取らせ自分を統合作戦本部長にと言ったわけではないな。警察と裏で通じた……、一つ間違えば軍を叩きだされるだろう。となると捜査妨害、そんなところか……。
>
> 「節度がどうかは分かりませんが、国家の利益を図りつつ自分の野心も果たす。上に立とうとするならその程度の器量は欲しいですね」
> 「全くだ。その点君は違う。あの時私達を助けてくれたからね。国家の危機を放置しなかった。大したものだと思ったよ」
>
>
突き落としたのも俺だけどね。大笑いだったな、全員あの件で地獄を見ただろう。訳もなく人を疑うからだ、少しは反省しろ。まあ俺も痛い目を見たけどな。俺はもう一度笑みを浮かべてサンドイッチをつまんだ。今度はハムサンドだ。マスタードが結構効いてる。

「訳もなく人を疑う」も何も、当時のアンタは「帝国への逆亡命計画」などという、他者に露見したら重罪に問われること確実な後ろ暗い陰謀を普通に画策していたのではありませんでしたっけ?
しかもフェザーンでは、同盟側が抱いていたスパイ疑惑をわざわざ裏付けるような軽挙妄動に及んでいましたし、「伝説の17話」では同盟を裏切る意思表示までしていたのですから、同盟側のヴァレンシュタインに対する疑惑は全くもって正しいものだったと言わざるをえないところなのですが。
それを「少しは反省しろ」って、少しどころではなく本当に反省すべきなのは、目先の、それも逆恨みの類でしかない怒りに駆られて軽挙妄動した挙句、結果として自分の「帝国への逆亡命計画」を頓挫させてしまったヴァレンシュタイン自身でしょうに。
「あの時あんなバカな行動に走らなければ…」といった類の自省心を、ヴァレンシュタインは一片たりとも持ち合わせていないのか……とは今更問うまでもなかったですね(苦笑)。
上記引用のほんの少し前では、こんなことを平気で述べてもいたわけですし↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/42/
> 溜息が出る思いだった。発端はアルレスハイム星域の会戦だった。あそこでサイオキシン麻薬の件を俺が指摘した。その事がこの二人を結びつけロボスの失脚に繋がった。何のことは無い、俺が此処にいるのは必然だったのだ。にこやかに俺を見るトリューニヒトとシトレを見て思った、俺も同じ穴のムジナだと……。

ヴァレンシュタインの自業自得な軽挙妄動がなければ「帝国への逆亡命計画」の発動で帝国に帰れたかもしれず、シトレの異常なまでの「贔屓の引き倒し」がなければとっくの昔に処刑されていたことを鑑みれば、42~43話におけるヴァレンシュタインが置かれている状況は必然でも何でもありません。
狂人ヴァレンシュタインの狂気な言動と「神(作者)の奇跡」のコラボレーションによる超怪奇現象、それがこれまでのストーリーから導き出される正しい評価というものでしょう。
そして、そのような異常事態を作中の誰ひとりとして認識できないという事実こそが、この作品の醜悪な本質を表しているものであると言えるのかもしれません。

次回は引き続き、シトレ・トリューニヒト・レベロの3者と会合するヴァレンシュタインの主張を検証していきます。

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