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映画「BRAVE HEARTS/ブレイブハーツ 海猿」感想

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映画「BRAVE HEARTS/ブレイブハーツ 海猿」観に行ってきました。
海難事故の救助に奮闘する海上保安官達の姿を描く、同名漫画原作の人気シリーズ劇場版第4弾。
劇場版の「海猿」シリーズは、前作「THE LAST MESSAGE/ザ・ラストメッセージ 海猿」および前々作「LIMIT OF LOVE/リミット・オブ・ラブ 海猿」において「シリーズ完結編」を謳い文句にした宣伝が盛んに行われていましたが、その謳い文句を2度も裏切った形で劇場公開された今作では、さすがに同じキャッチフレーズを使う気にはなれなかったみたいですね(苦笑)。
製作側としては、今作の観客動員数と興行収益が成功レベルに到達すれば、また続編を作る気満々なのでしょうし、その判断自体は正しいと思うのですが、どことなく「大人の世界&事情」が垣間見られる光景ではあります(^_^;;)。
前作も前々作もそうでしたが、今作も映画単体だけで楽しめる仕様となっており、これまでの「海猿」シリーズを知らない方でも問題なく観賞することができます。

今作が現実世界で前作から2年後に劇場公開されているのに合わせたものなのか、作中時間においても前作の「レガリア」の事故より2年の時間が経過している今作の舞台。
「海猿」シリーズの主人公である仙崎大輔は、前作まで所属していた海上保安庁の第十管区から「第三管区海上保安本部羽田特殊救難基地」こと特殊救難隊、通称「特救隊」に自ら志願し配属されていました。
「特救隊」は、全国各地で発生する非常に特殊で危険な救助活動を行うことを目的とする、海難救助のスペシャリスト達で構成されている部隊を指します。
「特救隊」の誕生は、1974年11月に東京湾で発生した、LPG・石油混載タンカーの「第十雄洋丸」とリベリア船籍の貨物船「パシフィック・アレス」が衝突・爆発炎上して総計30名以上の乗組員が犠牲となった「第十雄洋丸事件」を発端としており、当初は5名で発足、現在は1隊につき6名で構成される、第一から第六までの6隊36名で構成されています。
形式上は海上保安庁の第三管区に所属していますが、出動地域に制限はなく、海上保安庁の各管区からの出動要請に基づいて全国各地で救助活動を行う部隊とされています。
第十管区の機動救難隊で隊長になる話も持ち上がっていた仙崎大輔は、しかしその話を断り、後輩の吉岡哲也と共に「特救隊」の第二隊へと異動してきたのでした。

作中で最初に展開される「特救隊」第二隊の任務は、台風が接近している中で発生した大阪湾で事故を起こし沈没しつつあるコンテナ船での救難活動。
暴風雨が吹き荒れる中、既に大きく斜めに傾斜し積載されたコンテナ群が今にも海に転げ落ちそうになっている船の救出作業は、当然のことながら至難を極めるものがありました。
それでも「特救隊」第二隊の面々は、ヘリを巧みに船に接近させ、船上にいた2人を救助することに成功します。
しかし2人をヘリまで引き上げた直後、仙崎大輔は未だ船上にいた人がいるのを発見。
既に船はいつ沈没してもおかしくない危険な状況になっていたのですが、周囲が止めるのも聞かずに仙崎大輔は船上の人を救助にかかります。
しかし彼は、傾いた船に叩きつけられる荒波に飲み込まれ、さらにその上からはコンテナが落下しまくり、救助は全く不可能な状態に。
結果、その船員1名が犠牲になるという形で、作中の「特救隊」第二隊の任務は終了となってしまうのでした。
現場となった大阪湾から、「特救隊」への出動要請が行われた第五管区の本部へ帰還後、第二隊の副隊長である嶋一彦から「判断が甘い」「特救隊に必要なのはスキルと技術だ」と責められることになります。
同時に前々作および前作の救難活動で、最終的に仙崎大輔自身が同僚達から救助された件について触れられ、「それによって結果的に仲間を危険に晒した」「助かったのは運が良かっただけだ」とまで言われてしまいます。
しかし仙崎大輔は、「海難救助の際には諦めない心が必要だ」と反論し、結局両者はこの場では物別れに終わってしまうのでした。
仙崎大輔は、前作でバディとして海難救助を共にし、今では第五管区に異動になった服部拓也と一時の邂逅を果たしつつ、第三管区へと戻ることになります。

前作から2年の歳月は、仙崎大輔の私生活にも一定の変化を与えていました。
妻である仙崎環菜は長男の仙崎大洋に続く2人目の子供を身篭っており、後輩の吉岡哲也には付き合ってそれなりの月日が経つCA(キャビンアテンダント)の恋人が出来ていました。
仙崎夫妻は、吉岡哲也と恋人の矢部美香の関係を応援しており、吉岡哲也は既に結婚の決意まで固め告白する気満々ですらいるのですが、矢部美香は何故か結婚に乗り気ではありません。
実際、吉岡哲也は矢部美香に何度も「結婚してくれ」と迫っており、その都度矢部美香は何度もはぐらかし、遂には明確に拒否の意思を示し別れまで告げる始末。
表向きには仕事や収入を口実に挙げていた矢部美香には、それとは別の結婚したくない本当の理由があるようではあったのですが……。
そんな折、矢部美香がCAとして登場していた、シドニー発羽田空港行きのG-WING206便にエンジントラブルが発生。
マスコミの生中継で日本中が注目し、吉岡哲也が矢部美香の安否に気を揉む中、G-WING206便の乗客乗員346名の救助作戦が開始されることになるのですが……。

映画「BRAVE HEARTS/ブレイブハーツ 海猿」では、予告編でも公開されている「ジャンボジェットの海上着水」に至るまでのストーリーがかなり長いですね。
むしろ、そちらの方がメインなのではないかと思えるほど、ジャンボジェットを巡る動向に多くの時間が割かれている感すらあります。
最初は他の飛行機の着陸を禁止した上で羽田空港の滑走路に着陸させようとしたのですが、飛行機の胴体右側の降着装置が故障して車輪が出てこなかったことで、この作戦は失敗に終わってしまいます。
そして今度は、下川嵓の提案で海上着水が提案されるも、懸案が多すぎて一旦はボツになってしまい、かといって代案も浮かばす皆が頭を抱えているところで、仙崎大輔が海上着水の修正案を提示し、それによって作戦決行になった、という過程が延々と描かれています。
まあ実際問題、「ジャンボジェットの海上着水」というのは「着水から沈没まで20分程度しかない」と作中でも言われているように実は最悪の手段もいいところなのですし、可能な限り安全確実な救出手段を行いたいと考えるのも、救助する側としては至極当然のことではあるのですが。
作中の救助活動の際にも、中央部で2つに割れてしまったジャンボジェットは、コックピットを含む前部は「機体が一旦コックピットを頭にして垂直に立った直後に水没」という映画「タイタニック」を髣髴とさせるようなパターンで、後部は乗員乗客の大部分が退去したのを見計らったように割れた部分から水が流入する形で、それぞれ短時間のうちに水深60mの海の底に沈んでいきましたし。
一歩間違えれば大勢の犠牲者が出ることは確実の救出劇であり、確かに危険と言われるだけのことはありました。

物語中盤のハイライトは、官民問わず全て一丸となって救助活動に邁進する光景ですね。
一連の救助作戦は当初、警察・消防・海上保安庁・空港関係者などの組織や国家機構だけで主導されていたのですが、海上着水が決定されると民間の漁船や病院などにも協力要請がもたらされ、彼らも救助活動に協力していくことになります。
海上に即席で設置された誘導灯をパイロットが見出してから、海上着水した飛行機に向けて多くの船が動き出す光景は、まさに圧巻かつ感動的なものでした。
この辺りは、東日本大震災における日本の団結力の強さを再現しているかのようにも見えましたね。
製作側も意図してこういう描写を作ってはいたのでしょうけど。

作品全体で見ると、今作では前作「THE LAST MESSAGE/ザ・ラストメッセージ 海猿」でほとんど活躍の場がなかった吉岡哲也が、その鬱憤を晴らすかのごとく、下手すれば仙崎大輔をも凌ぐ勢いで見せ場がありましたね。
特に物語終盤付近では、ほとんど彼の独壇場的な感すらありましたし。
そして、これまでの劇場版「海猿」シリーズでも顕著に出ていた「生きるか死ぬかの手に汗握るギリギリの状況を描く上手さ」は今作でも健在です。
特に今作は、序盤の大阪湾の救助活動で船員のひとりが救助に失敗して死んでいることもあり、「ひょっとすると……」という考えは前作よりも強いものがありましたし。
あの「どうせ助かるのだろうけど、でももしや……」という感触を観客に抱かせる演出の巧みさはなかなかのものがあります。
これを「御都合主義ないしはファン向けのリップサービス」と見るか「安心して楽しめる」と解釈するかは、意見の分かれるところではあるでしょうけど。

「海猿」シリーズのファンの方々はもちろんのこと、人間ドラマや映画ならではの迫力ある演出を楽しみたい方などにも、今作は間違いなく楽しめる作品ではないかと思います。

銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察16

2012年7月7日に、死生観と転生をテーマとして扱った映画「スープ ~生まれ変わりの物語~」という作品を観賞する機会があったのですが、エーリッヒ・ヴァレンシュタインという転生者を考察の題材として取り上げてきた私としては、映画自体の感想とは別に、個人的に色々と考えさせられるものがありました。
この映画では、突然の落雷事故で死んでしまった主人公が、あの世で「前世の記憶を保ったまま転生する方法」を探すべく奮闘するのですが、主人公以外の作中の登場人物達は「転生」について否定的な見解ばかり示しているんですよね。
作中に登場する「記憶を保ったまま3回も転生した」という人物は、3回の転生の末に「自分の親しい人間がいなくなっていく中で転生を続けても虚しいだけ」という結論を出しており、次は記憶を消して転生するとの決意を表明していますし、主人公と行動を共にしていた女性上司も、DVな父親に虐待された不幸な人生の記憶を全て消した上で生まれ変わる意思を示しています。
また、念願叶って前世の記憶を保ったまま新たな人間へと転生した主人公は、前世の娘にとにかく再会したい一心であちこち尋ね回ることで、今世の両親に余計な心配をかけていますし、息子に不安を抱いた母親が「あなたは何をしているの?」と話しかけてきた際も、「親に対する息子の反応」とは思えないどこか他人行儀な態度に終始していました。
いくら「自分は新しい人間として転生したのだ」と自覚していても、前世の記憶がある限り、前世のしがらみや人間関係と完全に無縁でいることはできない。
そんな「前世の記憶を持って生まれ変わる」ことの問題ないしは後遺症的なものが上手く表現されていて、結構頷くところが多かったです。
地味な予告編や映画紹介に反して、映画単独として見てもなかなかに面白い作品なので、機会があれば是非観賞されることをオススメします。

さて今回、この映画をあえて引き合いに出したのは、この映画と同じく「前世の記憶を保ったまま生まれ変わった転生者」であるはずのヴァレンシュタインこと佐伯隆二が、前世のしがらみや人間関係と全く無縁であるかのごとく振る舞っていることに、改めて違和感を覚えざるをえなかったからです。
彼は転生直後においてさえ、前世の両親や恋人や親しい友人などといった人達に会いたいと考えていた形跡すらも全く示していません。
前世の恋人に至っては、会いたいと考えたり心配したりといった思いを抱くどころか、「俺を毒殺したのではあるまいな」などと猜疑すらする始末でしたし。
ヴァレンシュタインの場合、転生してからの3年間は「自分が銀英伝世界に転生したという事実」すら完全には把握できる状況になく、それどころか(赤子だったために)身体の自由さえ満足に効かない植物人間同然の状態にあり、さらにはその時点ではどこの馬の骨ともしれなかった赤の他人な人間に周囲を囲まれての生活を余儀なくされていたというのに、よくまあ前世および前世の人間関係について哀愁や郷愁の念を僅かたりとも抱くことすらなかったよなぁ、と。

また転生の事実を知った後は後で、今度はあまりにも割り切りが良すぎる感が否めないところです。
ヴァレンシュタインは今世の新しい両親をいともあっさりと受け入れているのですが、前世の記憶を持つヴァレンシュタインこと佐伯隆二にとって、今世の両親を「自分の親」として受け入れるのは、本来相応の違和感や困惑が伴うものなのではないのでしょうか?
佐伯隆二にとっての「本当の生みの親」はあくまでも「前世の親」であり、それ以外の人間にその立ち位置を代行することなどできないのですから。
転生という要素を抜きにして考えても、これって子供の視点から見て相当に違和感を伴わざるをえない事象なのではないかと思うのですけどね。
たとえば、今まで一緒にいた「育ての両親」と普通の関係を築いていたところに、突然「本当の両親」なる2人組の存在が出現し、DNA鑑定結果等の証拠でもってそれが本当であることが立証されたとします。
その場合、子供はその結果に基づいて素直に「育ての両親」の元を離れ、「本当の両親」と一緒になることを何ら躊躇することなく選択することができるものなのでしょうか?
実際には、「育ての両親」に対する感謝や愛情の念もあれば、「本当の両親」への不安や違和感があってもおかしくはないところですし、下手すれば不信感や嫌悪感、最悪は憎悪や殺意の類すら発生しても不思議なことではないのではないかと。
転生後の両親の場合は、すくなくとも当人達には何の落ち度もないわけですから、問題はあくまでも「転生者の心情」のみに限定されることにはなるのでしょうが、それでも「本当の生みの親」に対する何らかの感情や思いなどはどうやっても残らざるをえないわけで。
「本当の生みの親」と良好な関係を構築していれば、「新しい両親」を受け入れることに「この人達は自分の親ではない」という違和感や拒絶感、さらには「自分は前世の親を裏切っているのではないか?」的な後ろめたさを覚えてしまうものでしょう。
また逆に「本当の生みの親」がDVを駆使して威張り散らすしか能のないロクデナシの類だったとしても、今度は「あんな奴らに比べれば今の親は……」と比較する形で、やっぱり無視はできないだろうと思えてならないところですし。
前世の恋人や友人関係にしても、転生のせいでもう二度と会うことができないと分かっていても、ふとした拍子に昔を思い出し懐かしむ程度のことくらい、普通にあってもおかしくない光景なのではないのかと。

ヴァレンシュタインに纏わるこの「転生者でありながら前世に対する執着心が著しく欠如している」問題は、身も蓋もないことを言えば「転生が抱える構造的な問題について、作者の認識が著しく甘くかつ何も考えていなかったから発生した」という結論しか出しようはないでしょう。
ただ、「本編」で見られたヴァレンシュタインの原作考察のようなスタンスで考えれば、この問題は案外、ヴァレンシュタインのキチガイ狂人&被害妄想狂患者な性格設定のルーツを解明する糸口のひとつになりえるのではないかと、そう考える次第です。
ヴァレンシュタインこと佐伯隆二は、前世の人生について「ごく普通の一般人だったと思う」などとのたまっていますが、これまでのヴァレンシュタインのキチガイ言動の前歴を見る限り、彼が主張する「普通」とやらが、一般的にイメージされるそれと同一である保証などどこにもありはしません。
ひょっとすると、前世の佐伯隆二はヤクザか指定暴力団組長の息子か何かで、親の威光と暴力を背景に弱い者イジメばかりやらかしていた人生を「普通」などと思い込んでいるのかもしれないのですし(苦笑)。
ヴァレンシュタインは原作の記述の矛盾点や穴について、原作者である田中芳樹からして「そんなことは考えたこともないよ」と言い出しそうな考察の数々を繰り広げているのですから、作中で全く言及されていない佐伯隆二の前世人生について色々推察されても、文句が言える立場には全くないと思うのですけどね。

それでは、今回は第7次イゼルローン要塞攻防戦終結以降のヴァレンシュタインの言動についての考察を行っていきたいと思います。
なお、「亡命編」のストーリーおよび過去の考察については以下のリンク先を参照↓

亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
http://ncode.syosetu.com/n5722ba/
銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察
その1  その2  その3  その4  その5  その6  その7  その8  その9  その10  その11  その12  その13  その14  その15

第7次イゼルローン要塞攻防戦のラストを飾ったヴァレンシュタインの「毒発言」とやらでショックでも受けたのか、帝国ではフリードリヒ四世が急逝してしまいました。
原作よりも早い死の上、ヴァレンシュタインの「毒発言」が行われた直後ということもあり、巷では「ヴァレンシュタインがフリードリヒ四世を呪い殺した」との噂が広まるに至りました。
で、それを受けて同盟軍首脳陣達の密談で出てきた会話の一部がこれ↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/61/
> 「さて、ヴァレンシュタイン准将、以前君が言っていた不確定要因、フリードリヒ四世が死んだ。世間では君が呪い殺したと言っているようだが、この後君は帝国はどうなると見ている?」
>
>
嬉しそうに聞こえたのは俺の耳がおかしい所為かな、トリューニヒト君? 君の笑顔を見るとおかしいのは君の根性のように思えるんだがね、このロクデナシが! 何が呪い殺しただ、俺は右手に水晶、左手に骸骨を持った未開部族の呪術師か? お前を呪い殺してやりたくなってきたぞ、トリューニヒト。俺は腹立ちまぎれにミートソースのピザを一口食べて、水を飲んだ。少し塩辛い感じがする。釣られたのか、他の四人も思い思いにピザを手に取った。

「前世の記憶と原作知識を保持したまま銀英伝世界に転生した」などという、呪いと同レベルかそれ以上の「非科学的な超常現象」をその身に具現させている人にそんなことを言われましても(苦笑)。
転生という現象が作中世界において実際に存在するのであれば、呪いだって存在しても何ら不思議なことではないだろう、とは寸毫たりとも考えることができないのですかねぇ。
科学的に説明不能なオカルト的要素に溢れた超自然現象という点では、どちらも全く同じカテゴリーに分類されるわけなのですし。
そもそも、あの世界には「神(作者)の祝福」「神(作者)の奇跡」などという、転生・原作知識・呪いが束になっても敵わない「全知全能の超常現象」さえも実在するのですからね。
ヴァレンシュタインが「伝説の17話」「軍法会議の38話」に象徴されるトンデモ言動の数々をいくら繰り返しても何のお咎めもなく済んでいるのも、また原作キャラクター能力が自由自在に改変されていく原作レイプな珍現象も、全てこの「神(作者)の祝福」「神(作者)の奇跡」の恩恵によるものなのですし。
呪殺が非科学的だというのであれば、転生や原作知識や「神(作者)の祝福」「神(作者)の奇跡」があの世界に実在している理由を、ヴァレンシュタインには是非とも「科学的に」説明してもらいたいものです。
もちろん、「作者の御都合主義」などという身も蓋もない理由以外の理論に基づいて、ですが(爆)。

それにしても、「オカルトに依存しながらオカルトを否定する」などという愚かしい構図にそれと気づかず固執するのは、創竜伝や薬師寺シリーズを書き殴っている田中芳樹くらいなものだろうと思っていたのですが、同じようなことを考える人って意外に多いのでしょうかねぇ(-_-;;)。
普通に考えれば、超常現象を論じる際に「転生物なのだから転生だけは【無条件に】特別」なんて論理が、マトモに通用なんてするはずもないというのに。

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/63/
> 七月五日、今回の戦いの論功行賞、そしてそれに伴う人事異動が発表された。ビュコック、ボロディン両大将が元帥に昇進した。当初、二人を昇進させるとシトレと同じ階級になる、後々シトレが遣り辛いのではないかという事で勲章だけで済まそうと言う話が国防委員会で有ったらしい。
>
> だがシトレはそれを一笑に付した。“ビュコック、ボロディンは階級を利用して総司令官の権威を危うくするような人間ではない、心配はいらない”その言葉でビュコック、ボロディン両大将の元帥昇進が決まった。
>
> 上手いもんだ、二人を昇進させて恩を売るとともにちゃんと枷を付けた。これであの二人がシトレに逆らうことは無いだろう。おまけに自分の評価も急上昇だ。同盟市民のシトレに対する評価は“将の将たる器”、だそうだ。狸めが良くやるよ!
>
> ウランフ、カールセン、モートン、クブルスリーの四人も大将に昇進した。もっともクブルスリーにとっては素直には喜べない昇進だろう。他の三人が功績を立てたのに対してクブルスリー率いる第一艦隊は明らかに動きが鈍かった。当然働きも良くない。周囲の昇進のおこぼれに預かったようなものだ。
>
>
俺、ヤン、ワイドボーンも昇進した、皆二階級昇進だ。そして宇宙艦隊司令部参謀から艦隊司令官へと異動になった。ヤンとワイドボーンは良い、でも俺も艦隊司令官に転出? 亡命者に艦隊を任せるなんて何考えてるんだか……、さっぱり分からん。原作ではメルカッツだって客将だ、ヤンの代理で艦隊は指揮したが司令官では無かった。

「亡命者に艦隊を任せる」という人事以前に「そもそも何故自分は今生きていられるのだろう?」ということからして疑問視すべきなのではないですかね、ヴァレンシュタインは(笑)。
何度も述べていますが、「伝説の17話」「軍法会議の38話」の件で処刑台への直行を免れただけでも、「神(作者)の奇跡」と呼ばれるに充分な超常現象と言えるものなのですから。
そもそもヴァレンシュタインの異常な昇進自体、原作における亡命者の一般的な扱いを完全に無視して行われたものでもあるのですし。
そして「原作の設定を無視」と言えば、二階級昇進をここまで大盤振る舞いするという行為自体も、完全無欠の原作無視でしかありませんね。
原作における同盟軍の二階級昇進は、あくまでも戦没者に対する特別措置という意味合いを持つものであり、だからこそエル・ファシル脱出後のヤンや、ヴァンフリート星域会戦におけるヴァレンシュタインは、時間差をおいて昇進するという措置が取られていたというのに。

第一、第7次イゼルローン要塞攻防戦におけるヤンとワイドボーンは、ほとんどこれといった目立つ活躍など何もしておらず、ヴァレンシュタインが戦闘詳報で功績をでっち上げただけでしかないのですが。
いくらシトレやトリューニヒトら政軍上層部と共謀しているとはいえ、よくまあそんな事実歪曲行為が許されるなぁ、とはつくづく思わざるをえないところです。
こんなことを許していたら、ロクな功績を上げていない人間が戦闘詳報を弄ることで絶賛され昇進するという前例と禍根を自ら作り出してしまうことにもなりかねないでしょうに。
第6次イゼルローン要塞攻防戦における214条発動の件でも垣間見られたことですが、どうにも「亡命編」は、順法精神や判例の影響などといった法の問題について軽く考えすぎているのではないかという感が拭えないところですね。

さらに、原作知識から「将来の有望性」についての情報が得られるヤンはまだしも、何故ヴァレンシュタインがワイドボーンにそこまで肩入れするのかも理解不能です。
原作におけるワイドボーンはロクでもない扱いでしたし、実のところ「亡命編」の作中でさえも、彼は「ヴァレンシュタインの茶坊主」的な役どころを担っているだけで、第7次イゼルローン要塞攻防戦終結時点では、これといった軍事的な実績を示しているとは到底言えたものではありません。
まさか「自分に忠実な茶坊主だから」などという理由だけでワイドボーンを持ち上げているわけではないでしょうが、それにしても「亡命編」におけるワイドボーンの扱いとヴァレンシュタインの高評価ぶりは、原作と比較してもあまりにも説明不足で必然性に乏しいと評さざるをえないところです。
ただでさえ原作設定を改竄して原作キャラクターの能力を好き勝手にコントロールしているのですから、その理由くらいきちんと明示しないと「原作破壊」としての効果しか持ちえないでしょうに。

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/63/
> サアヤの処遇はちょっと迷った。副官にするか、それとも後方参謀にするか……。情報参謀、作戦参謀でも良かった。彼女は元々情報部だし、戦術シミュレーションも下手じゃないからな。だが結局は副官にした。気心も知れているし、他の奴を新たに副官に任命しても下手に怖がられては仕事にならない。最近俺を怖がる人間が増えて困っている。敵はともかく味方まで怖がるってどういう事だ? 俺は化け物か? 母さんが泣いてるよ、私の可愛いエーリッヒがって。

「俺は化け物か?」って、今さら何を言っているのでしょうかね、ヴァレンシュタインは(爆)。
「原作知識を持つ転生者」というだけでも、周囲にとってはその得体の知れなさだけで充分に「化け物」そのものですし、これまでの暴言妄言の数々とそれを支える「神(作者)の祝福」もまた、他者から「化け物」として恐れられるに充分過ぎる要素です。
何しろ、どれだけ目上の人間を罵り軍の威信や信用を踏みにじっても、罰せられるどころか内々に咎められることすらないと来ているのですから。
ましてや、そんな人間を自分の上司として迎えさせられる羽目になる部下にしてみれば、ヴァレンシュタインはブラック企業のパワハラ上司並に恐怖そのものの存在です。
いつ自分がヴァレンシュタインの罵倒と攻撃の餌食になるのか気が気ではない、そう考える人が多いのは至極当然というものでしょう。
しかも、上層部にヴァレンシュタインの不当な支配ぶりを訴えても、ヴァレンシュタインと上層部の関係から考えれば、訴え自体を握り潰された挙句に報復を食らうのも最初から目に見えているのですし。
ヴァレンシュタインが他者から恐れられる理由は、もちろん周囲に対する容赦のなさというのも理由のひとつではあるでしょうが、それ以上に「いくら好き勝手に振る舞われても『神(作者)の祝福』の妨害で止めることができない」というのが何よりも大きいのです。
まあそれ以前に、ヴァレンシュタインを守護する「神(作者)の祝福」の存在は、ヴァレンシュタインの人物評価的には本来マイナスに作用しかねないのではないかと思えてならないのですけどね。
自分は上司に対してすら平気で食ってかかり、しかもそれで咎められることが全くないにもかかわらず、部下がヴァレンシュタインに同じことをしようとすれば徹底的に攻撃し貶める。
「神(作者)の祝福」を駆使してそんなダブルスタンダードを派手に披露しまくるヴァレンシュタインが、部下の目から見てどのように映るのかは【本来ならば】火を見るよりも明らかなはずでしょう。

もちろん、作中におけるヴァレンシュタインがそのように見られていない理由もまた、「神(作者)の祝福」の効果によるものなのですが。
原作知識など比較にならないヴァレンシュタインの「神(作者)の祝福」の恩恵ぶりは、ヴァレンシュタインの独善性とダブルスタンダードを際立たせ、ヴァレンシュタイン自身と作品の評価を下げる効果しかもたらしていないのではないかと思えてならないのですけどね。

また、いくら「気心も知れているし、他の奴を新たに副官に任命しても下手に怖がられては仕事にならない」からと言って、ヴァレンシュタインがこの期に及んでなおミハマ・サアヤを重用するというのも理解に苦しむものがありますね。
そもそもヴァレンシュタインは、48話でバグダッシュから「ミハマ・サアヤを疑わないでほしい」と懇願された際、「手駒は多い方が良い、本人は切れたと思っても実際には切れていなかった、なんてことはいくらでもある。彼女が協力したくないと思っても協力させる方法もいくらでもあるだろう」という懸念を抱いていたのではありませんでしたっけ?
本人の意思にかかわらず自分を裏切る懸念がある以上、「気心も知れている」というのはヴァレンシュタインにとって何の安全保障にもならないはずなのですが。
これも以前から何度も述べていることですが、ミハマ・サアヤの立ち位置は「ヴァレンシュタインをいつでも恫喝&暗殺することを容易にする」という点において、ヴァレンシュタインの生命と安全を脅かす最大の脅威のひとつに充分なりえるのです。
ミハマ・サアヤにその気がなくても、その立ち位置を利用しようとする人間なんていくらでも存在しえるでしょう。
帝国・同盟を問わず、ヴァレンシュタインは他者から憎悪と殺意を抱かれるに充分な「実績」を大量に積み重ねているのですから(苦笑)。
ヴァレンシュタインが本当に「自分が生き残る」ことに拘るのであれば、テロや暗殺に対する警戒なんて本来最優先事項で考えなければならないことですし、その手の害意に利用されそうな要素は真っ先に排除して然るべきではないのかと。
その脅威の筆頭的存在とすら言えるミハマ・サアヤを、ヤンやラインハルトなどといった原作キャラクターに対してすら「ヤクザのいいがかり」的な不信と殺意を平然と抱くほどのヴァレンシュタインが、何故ここまで無警戒に信用などできるのか、その思考パターンは謎もいいところなのではないでしょうかね。

通常の艦隊よりも艦艇数が多く配備されながらも本質的には寄せ集めの集団でしかない第一特設艦隊なる艦隊の司令官に就任したヴァレンシュタインは、その「化け物」の本質に怯えられながら、ヤンとワイドボーンと共に艦隊訓練に従事することになります。
「私は身体が弱いからいつ倒れるか分からない」と言いながら、作中の描写を見ても日常生活や軍の指揮に支障をきたしているようには全く見えないヴァレンシュタインの指揮の下、寄せ集め集団としての欠点を露呈しながらも少しずつまとまっていく第一特設艦隊の面々でしたが……↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/69/
> 宇宙艦隊司令部から連絡が入ってきた。艦橋に居る人間は殆どが迷惑そうな顔をしている。無理もないだろう、第一特設艦隊は第一、第三艦隊に見つからないように行動しているのだ。そんなときに長距離通信などどう見ても有難い事ではない。
>
> おそらく宇宙艦隊司令部の参謀が通常業務の連絡でも入れてきたと思っているのだろう。内心では俺達は忙しいんだ、暇人の相手などしていられるかと毒づいているに違いない。まあ、俺自身は三割ぐらいはシトレからの連絡かなと思っている。その場合は帝国で何か起きたか、イゼルローン方面でラインハルトが攻めてきたかだろう。
>
> 現実には作戦行動中に上級司令部からの通信が有る事は珍しい事じゃない、頻繁とは言わないがしばしばある事だ。
上級司令部が下級司令部の都合を考えることなど無いだろう。訓練の一環だと思えば良いのだが第一特設艦隊は既に二回も第一艦隊の奇襲を受けている。これがきっかけで三度目の奇襲になったらと皆考えているのだ。
>
> 訓練なんだからともう少し割り切れれば良いんだが、艦隊の錬度が余りに低いのでそこまで余裕が持てないでいる。それでも少しずつだが良くはなってきているし、成果が上がっているのも確かだ。余裕が出るのはもう少し時間がかかるだろう。
>
> 平然としているのは俺とサアヤ、嬉しそうにしているのはシェーンコップだ。こいつの性格の悪さは原作で良く分かっている。可愛げなんてものは欠片も持っていない男だ。何でこいつが俺みたいな真面目人間に近づくのかさっぱり分からん。
>
> スクリーンに人が映った、シトレだ。宇宙艦隊司令長官自らの連絡か、どうやら何か起きたらしい。席を立ち敬礼すると皆がそれに続いた。
> 『訓練中に済まない、さぞかし迷惑だったろう。少し長くなるかもしれん、座ってくれ』
>
> 低い声には幾分笑いの成分が含まれている。参謀長達の考えなど御見通し、そんなところだろう。皆バツが悪そうな表情をしているが遠慮しなくていいんだ、迷惑なのは事実なんだからな。皆の代わりに俺が言ってやろう。
>
>
「お気になさらないでください、訓練の一環だと思えば良い事です。下級司令部の都合を上級司令部が気にする事など滅多に有りませんから」
> 座りながら答えるとシトレがクスクス笑い出した。
>
> 『相変わらずだな、君は。私はもう慣れたから良いが、君の幕僚達は皆困っているようだ』
>
「皆の気持ちを代弁しただけです。感謝されると思いますよ」
> シトレが耐えきれないといったように大きな声で笑い出した。
チュン参謀長は天を仰いでいる。なんでそんな事をする、俺は皆の気持ちを上に伝えたんだぞ。握りつぶした方が良いのかね、その方が問題だと思うんだが。

この場合、ヴァレンシュタインは「自分の発言の責任を部下に擦りつけた」ということにもなりかねないのですが、それで良いのですかね?
「俺はそんなこと微塵も考えていないが、部下がそう考えているようだから代弁してやった。だから俺には責任などないし、部下からは感謝されて然るべき」
と言っているも同然なのですから。
それにしても、本当に上司相手には好き勝手な反抗や妄言暴言の類を繰り広げていながら、部下相手には問答無用の服従を要求する存在なのですね、ヴァレンシュタインは。
せめて上司部下の相手共にどちらか一方に統一してくれれば、まだ一貫性くらいは評価できたはずなのに、自分と他人でこんなダブルスタンダードを堂々と披露して部下に示しなんてつくのかと。
「ヴァレンシュタインに対してだけ何故そんな態度が許されるんだ? 俺達には絶対服従を強制していながら!」と誰もが不満を抱かざるをえないでしょうに。
それ以前に、特定の人間だけ特別扱いが許される、という状況は、軍の秩序の維持や活動などにも多大なまでの悪影響を与えかねないのですが。
他ならぬヴァレンシュタイン自身、原作でも「亡命編」でも、ロボスやフォークという「生きた実例」をその目でまざまざと直視させられていたはずなのに、どうしてそれと全く同じ行為を繰り返して恥じることすらないのでしょうかねぇ(-_-;;)。

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/69/
> 「皇帝になったのは軽蔑するフリードリヒ四世の血を引く唯一の男子、そしてその皇帝を支えるのが全ての元凶であるリヒテンラーデ侯……。クロプシュトック侯がテロに走ってもおかしくは無いでしょう」
> 『……』
>
> 「ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯も頭が痛いでしょう。彼らにとってエルウィン・ヨーゼフ二世、リヒテンラーデ侯の死は予想外の事だったはずです。これから帝国がどう動くか、要注意ですね」
>
> 『君はブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が改革を進める可能性は有ると思うかね』
> “要注意ですね”の言葉にようやくシトレは反応を見せた。
頼むよ、しっかりしてくれ。俺は以前よりはあんたを高く評価しているんだからな。食えないところが良い、上に立つのはそのくらいじゃないと駄目だ。

ヴァレンシュタインの脳内評価的には、シトレってむしろ昔の方がはるかに「食えない人間」だったのではありませんでしたっけ?
何しろ、ヴァレンシュタインに様々な援助を与えていたことを棚に上げ、ヴァレンシュタインを見殺しにして邪魔者を排除しようとしているとか、ヴァレンシュタインの死を政治的に利用して自分の立場を固めようとしているとか、ロクでもない被害妄想を繰り広げてシトレを罵倒しまくっていたのですから(爆)。
当時のシトレは、ヴァレンシュタインの脳内的には間違いなく「悪賢い&狡賢い&油断がならない=食えない人間」ということになっていたはずなのですが、それにしてはえらく評価が低かったよなぁ、と(笑)。
かくのごとく、ヴァレンシュタインは他者の人物評価に「自分の利害」というものを大量に含有させるものだから、全く同じことをやっていてもその時その時で評価が全くの正反対になる、ということがザラにあったりするんですよね。
人物に限らず、何かを評価する際には、自分の主観とか利害とかいった要素は可能な限り排除し、可能な限り客観的な視点に基づいて観察するように努めないと、評価自体が本来あるべきところから著しくズレるという事態をも引き起こしかねないのですが。
その評価対象が自分の利害にどう関わるのか、敵になるのか味方になるのか、利益になるのか害悪になるのかといった判断は、正しい「評価」を下した後で【評価とは別に】行うべきものでしょう。
「評価」と「利害」をゴッチャにしていれば、そりゃ「こいつらはバカだから俺に害を与えるんだろう」とか「常に正しい俺に異を唱える奴はいつも間違っている」的な被害妄想&自己中心主義なタワゴトもバンバン出てこようというものです。
まあ、精神年齢が5歳児以下にしか見えない「心は永遠の保育園児」な狂人ヴァレンシュタインに、「評価」と「利害」の区別を求めるのも酷な要求ではあろうとは思うのですが(笑)。

さて2012年7月14日現在、一連のヴァレンシュタイン考察は、今回の記事でとりあえず「亡命編」の最新話までほぼ追いつくことになりました。
「銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察」と名付けている一連の記事は、「亡命編」の物語が完結か中断するまで続けていく予定なのですが、最新話まで追いついたとなると、話が進まないと考察も先に進めなかったりするんですよね(T_T)。
そんなわけで、今後のヴァレンシュタイン考察は、今後の「亡命編」のストーリー進行および話の内容を見て記事をアップする形式になります。
いずれ話数がたまってくれば再開の時を迎えることになるでしょうが、当面は「一区切りがついた」ということで、一旦筆を置きたいと思います。

「銀河英雄伝説@TAKARAZUKA」の製作発表記者会見

ファイル 688-1.jpg

2012年7月12日に、銀河英雄伝説@TAKARAZUKAの製作発表記者会見が行われたそうですね。
銀英伝の登場人物に扮した女優さん達が多数登場し、役柄に応じた衣装で舞台を彩っている写真が公開されています↓

宝塚歌劇宙組『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』制作発表 その1
http://enterminal.jp/2012/07/gineiden1/

記事冒頭に掲載している写真を見ても分かるように、記者会見の場には田中芳樹もはせ参じています(真ん中にいる禿げた初老のオッサンが田中芳樹)。
社長氏曰く、田中芳樹はこんな感想を抱いていたようで↓

http://twitter.com/adachi_hiro/status/223393574996279297
<今日は、田中さんと「銀河英雄伝説」@TAKARAZUKA の制作発表会に行って来ました。なんともきらびやかな世界に圧倒されました。田中さんは「長生きはするもんだなぁ」って言ってました。>

衣装などは確かにきらびやかで、かつ以前の舞台版よりも気合が入っているのが素人目にもよく分かるのですが、個人的には以前の舞台版の方が違和感もなく受け入れやすいですし好みではありますね。
女性が男性役をこなす「オール女優体制」なんて、映画ではまずお目にかかることがないですし、個人的な第一印象も「ケバい」という言葉が先に来たくらいで(-_-;;)。
以前の舞台版は普通に観賞もできるのですが、こちらは完全なる「別世界」的な感がどうにも拭えないですね、やっぱり。

銀英伝2次小説「銀河英雄伝説 異伝、フロル・リシャール」の移転騒動

現在閉鎖騒動が持ち上がっている「にじファン」で、銀英伝二次小説のひとつが「勇み足」をやらかしてしまったようですね。
「銀河英雄伝説 異伝、フロル・リシャール」という二次小説が、「小説家になろう」運営に「らいとすたっふルール2004」を掲げて移転許可申請のメールを送ったところ、メールの返答が来なかったために独断で「小説家になろう」への移転を強行してしまったようで↓

http://megalodon.jp/2012-0711-2232-23/mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/132925/blogkey/496787/
7月5日 最初の問い合わせメール送信
> 送信日時:7月5日(木)
> 件名:にじファン小説から小説家になろうへの移管
> にじファンにおいて、「銀河英雄伝説 異伝、フロル・リシャール」を書いている碧海かせなと申します。
> 銀河英雄伝説においては著者の田中芳樹が所属するらいとすたっふが、「らいとすたっふルール2004」(URL:http://www.wrightstaff.co.jp/free.php?fId=3)として、二次創作を認めています。
> よって
銀河英雄伝説の二次創作については、上記ルールに従っていることを明示している作品において、一律に移管を許可していただけると幸いです。
> 宜しくお願いします。
>
> 碧海かせな

7月10日
> 先日、フロル・リシャールを<小説家になろう>に移行しました。当然、にじファンの閉鎖に伴ったものです。すると、今日運営から「二次創作をなろうに上げんな!」とメールが来ました。5日に問い合わせたメールにはまだ返信もないのに。

7月11日 運営側からのメール
> 先日、小説家になろうにて通常検索を行った際に碧海 かせな様の二次創作作品が結果として表示されてしまうことを確認いたしました。
>
> ▼対象作品
> Nコード:N2211R
> タイトル:銀河英雄伝説 異伝、フロル・リシャール
>
> 運営対応と致しまして当該小説に対し、原作名設定を行わせていただきました。
> それにより小説の掲載は小説家になろうではなく、二次創作専用サイト「にじファン」へ移行となりますので、予めご了承下さい。
>
>
小説家になろうでは運営側が権利者様より掲載許可を得た作品を原作とした二次創作のみ投稿を受け付けております。
>
> 掲載受付開始を行いました作品以外を原作とした二次創作小説の原作名設定の解除はご遠慮いただきますようお願い申し上げます。
>
> 掲載受付を行っております作品は以下のページにて告知を行っておりますのでご確認を頂きますようお願い申し上げます。

正直、運営側の返答がないままに「小説家になろう」への移転を強行してしまった作者氏の行動も全く問題がないわけではないのですが、今の現状では、運営側が掲げているような掲載許可の確認方法は実行不能に近いものがあると言わざるをえないですね。
そもそも、「小説家になろう」の運営が本当にきちんと問い合わせを行っているのか否かすらも、外部からは分からないのですし。
問い合わせを行っているフリをして放置状態にしている、という可能性も、半月弱の猶予期間だけで突然閉鎖を宣言してしまった前科を鑑みれば、充分ありえそうな話に見えてしまいますしねぇ(-_-;;)。
運営側にしてみれば、著作権者から訴訟を起こされるリスクを勘案せざるをえないからこその「自らの確認」ではあるのでしょうけど、下手すれば何千何百もあるであろうエンターテイメント作品の二次創作許可について確認を「自分達だけで」取るというのは、あまりにも現実性がないと言わざるをえません。
しかも、「小説家になろう」自体は企業が運営しているのですから、正面切って問われれば著作権者側も拒否せざるをえない一面もあったりするのですし。
元々二次創作自体、著作権の観点から言えばグレーゾーンな部分も少なくないわけですから。
運営側の掲載許可確認の方針は、どうにも「寝た子を起こす」「パンドラの箱を開ける」的なものにしか見えないのが何とも言えないところで(-_-;;)。
一方では突然「にじファン」の閉鎖を宣言しておきながら、他方では「小説家になろう」で中途半端に二次小説受け入れの表明などを行っている辺り、運営側の方針自体が準備不足かつ一貫性を欠いているように思えてならないですね。
いっそ、「全ての二次小説は全面的に禁止します、著作権者の許可があってもダメ!」というスタンスを明確にしていた方が、変な希望を抱いて「小説家になろう」への移転を進める投稿者もいなくなり、結果的には余計な混乱を招かずに済んだのではないかと思うのですが。

「らいとすたっふルール2004」の存在があることもあり、銀英伝をはじめとする田中作品は「小説家になろう」で二次小説の掲載が許可される作品の有力候補のひとつと目されていたのですが、こんな惨状では、2012年7月20日の「にじファン」閉鎖までに掲載許可が下りる可能性は相当なまでに低いと言わざるをえないですね。
既存の二次創作の文章自体は年内一杯まで「作者のみ閲覧可能」という形で残ると言っても、二次小説の投稿者達にしてみれば、読者に見せることができない二次小説投稿サイトに「保管庫」として以外の意味などないわけで。
かといって、移転先の有力候補とされている他の二次小説投稿サイト、特に「Arcadia」や「シルフェニア」などでは、大量の「にじファン」難民の流入で大混乱を来たしているという話ですし。
やはり、あまりにも突然な閉鎖宣言と短すぎる猶予期間が大きく祟っている、としか評しようがないのではないかと。
「にじファン」が閉鎖されれば、現時点では様子見をしている人達も動かざるをえなくなりますから、ますます混乱が加速するのは必至でしょうし、この一連の騒動、収束するまでにはかなりの時間を要することになりそうですね。

「国民の生活が第一」の「国民」ってどこの国の民?

民主党を離脱した中国人民解放軍野戦軍司令官の小沢一郎が、正式に新党を旗揚げしました。
党名は「国民の生活が第一」。

http://megalodon.jp/2012-0706-2023-07/mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/101342/blogkey/491459/
> 消費税率引き上げ法案に反対して民主党を離れた小沢一郎氏は、新党の「結党議員大会」で、党名を「国民の生活が第一」とすることを発表したうえで、「消費税増税法案を撤回させるべく行動していく」と強調しました。
>
> 新党の「結党議員大会」は、午後6時から、国会近くの憲政記念館で開かれました。
> 新党には、消費税率引き上げ法案に反対し、民主党を離れた小沢一郎氏など、衆参両院の国会議員49人が参加する意向で、11日の大会には、このうち47人が出席しました。
> 大会の冒頭、小沢氏を代表に選任することが拍手で決まりました。
> そして小沢氏は、
新党の党名を「国民の生活が第一」とすることを発表しました。
> このあと小沢氏は党名について、「『国民の生活が第一』は、3年前に『当時の民主党』が歴史的な政権交代を成し遂げた際に、候補者、党員誰もが訴えた理念であり、スローガンだ。私も、ビール箱の上に立って訴えたものだ」と述べました。
> そのうえで小沢氏は、消費税率引き上げ法案などを巡る民主・自民・公明の3党合意について、
「与野党3大政党の合意は、国民から政策の選択肢を奪うことであり、今の民主党は、もはや政権交代当時の民主党ではなくなってしまった。この異常事態にあって、政権交代の原点に立ち返った政策を実現するため、新党を立ち上げた。消費税増税法案を撤回させるべく行動していく」と強調しました。
> そして小沢氏は、新党が掲げる政策について、消費税率引き上げ法案の撤回、東日本大震災の被災地をはじめとする地方の復興、地域主権を確立するための行財政改革、原発に代わる新たなエネルギーの開発に努める「脱原発の方向性」などを掲げていく考えを示しました。
> また「自由な議論を交わすなかで、政策の実現に向けて活動していく」と述べ、国会での法案などの採決で、党所属議員の賛否を拘束する、党議拘束をかけない考えも示しました。
> 大会では、代表代行に、山岡賢次・前国家公安委員長、幹事長に、東祥三・前内閣府副大臣が就任するなどとした役員人事が発表されました。
> また新党の綱領について、
「政権交代で負託された民意に鑑み、『国民の生活が第一』の原則を貫き、日本の政治などの仕組みを一新する」とした上で、「国民が『自立と共生』の理念のもと、国民、地域、国家の主権を確立する」などとすることが承認されました。

この「国民」が、日本ではなく中国その他外国のそれを指すであろうことは一目瞭然ですね(苦笑)。
民主党を主導して政権交代を実現させた親玉のひとりが、この期に及んで「国民の生活が第一」などとほざいても笑止な限りでしかないのですが。
かつて「30日ルール」を踏みにじって習近平の天皇陛下への謁見をゴリ押しするほどに中国への傾倒ぶりと野戦軍司令官ぶりを露にしておきながら、どのツラ下げて「国民の生活が第一」などというスローガンを掲げられるのやら。
いっそ、「中国国民の生活が第一」「中国人民解放軍の動向が第一」という政党名にでもしていた方が、小沢一郎的には却って正直でよろしいのではないのでしょうかねぇ(苦笑)。

中国人民解放軍の尖兵として外患誘致活動に勤しむ小沢一郎閣下の明日は如何に!?

Windows8の一般販売が2012年10月末から開始

Microsoft社が、Windows8の一般向け発売を10月末から開始すると発表しました。
Windows8搭載PCの販売も10月末からスタートするとのこと。

http://ascii.jp/elem/000/000/708/708192/index.html
>   マイクロソフトは、カナダ・トロントで開催している同社のパートナー向けイベント「Worldwide Partner Conference」において、Windows 8の詳細を発表した。
>
>  その中で、Windows 8の製品版となるRTM(Release to Manufacturing)版のリリースを8月第1週にすると確認。また、同時期にSoftware Assuranceに加入しているエンタープライズ顧客への提供を開始するとともに、Windows 8向けのアプリストアである「Windows Store」でのアプリ販売も開始する。
>
>  そして、
一般向けの販売は10月末。Windows 8/Windows RT搭載PCについても同じく10月にスタートする。Windows 8は109の言語で、世界の231のマーケットで利用可能になるとのこと。
>
> 既存ユーザーへのアップグレードは39.99ドル
>  なお、7月2日の情報だが、
既存のWindows XP/Vista/7ユーザー向けに「Windows 8 Pro」へのアップグレードを、39.99ドルでダウンロード提供することについても公開している。
>
>  このアップグレード版Windows 8は「Windows.com」から購入できる。また、「Windows 8 Upgrade Assistant」というツールも用意されており、自分のPCがWindows 8に対応しているかを確認しながら、ダウンロードやインストールが可能。ダウンロードしたイメージは、ユーザー自らDVDに記録するほか、15ドルでバックアップDVDも発送されるとしている。
>
> ウィザード形式でWindows 8へのアップグレードが可能になる
>
>  このアップグレードの提供は2013年1月31日まで。国内での対応は不明だが、100の国と37の言語で提供されるとのことで、日本が含まれていることも当然期待したい。

Windows8の実力が全く未知数ということもあり、Windows7購入に動くなら今のうち、ということになるでしょうか。
既にWindowsXPに取って代わかれるだけの実績と安定性・信頼性を獲得しつつあるWindows7と異なり、2012年10月末発売予定のWindows8の実力は「稼動してみないと分からない」的な不安要素がまだ少なくないんですよね。
下手をすれば、Microsoft社の黒歴史商品と化した感すらあるWindows Vistaの二の舞を演じないとも限らないのですし。
Windows Vistaの全盛時代などは、わざわざOSをWindowsXPにダウングレードしてカネを取られるなどという、誰の得にもならない愚行が平然と横行していたくらいなのですからね。
またそんな不合理な辛酸を味あわされるのは勘弁願いたいところで(-_-;;)。

今Windows7のパソコンを購入すると、Windows8のアップグレードサービスが安く提供されるとのことなので、パソコンの買い替えは9月~10月頃がオススメかもしれませんね。
この時期に最新のパソコンを購入すれば、ひとまずは安定のWindows7を保持しつつ、Windows8の評価や動向を見ていつでもに鞍替えすることも可能になるわけですし。
逆にこの時期を逃がすと、今度は評価の如何に関わらずWindows8搭載のパソコンを半ば強制的かつ自動的に購入させられることになり、特にWindows8の評価が芳しくない場合は、それこそ往時のWindows Vista→WindowsXPダウングレードの愚行を再び演じさせられる羽目になってしまいます。
この手の最新システムには、互換性や安定性・信頼性など、性能面以外で常に問題が付きまとうものですからねぇ。
何の保証もなくWindows Vistaを慌てて導入し不具合の連発に悩まされるなどという、かつて巷で溢れかえった愚行の二の舞は可能な限り避けたいものです。

熊本県PRマスコットキャラクター「くまモン」について

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熊本では完全に「県を代表する顔」として定着した感がある、熊本県のPRマスコットキャラクター「くまモン」。
2011年度の「ゆるキャラグランプリ」で1位を獲得して以降は全国的な知名度も高まり、地域密着のアイドル的存在としてもメジャーな存在となりました。
今回はこの「くまモン」について少し。

元々この「くまモン」というのは、2011年3月12日の九州新幹線全線開業へ向けて、中国・関西地方の新幹線沿線地域に対する熊本県の宣伝広報を行う目的から作られたマスコットキャラクターでした。
名称の由来は「熊本の者」を熊本弁で言い換えた「熊本者(くまもともん。熊本弁では「者(もの)」を「もん」と表現する)」から。
「くまモン」の公式設定による誕生日は3月12日となっているのですが、これも九州新幹線全線開業に合わせたものです。
テレビでの露出や、各種団体とのタイアップ&広報活動などにより、熊本県のPRのみならず「くまモン」自体の知名度と人気も高まっていきました。
そして、九州新幹線全線開業を間近に控えた2011年3月7日、熊本県議会の一般質問で、蒲島郁夫熊本県知事は「新幹線の全線開業後も継続して熊本ブランドのPRに『くまモン』を利用していく」ことを表明。
これ以降、「くまモン」の活動は全国に広がり、熊本県の恒久的なPRマスコットキャラクターとしての地位を確立させていくことになるわけです。

熊本県内の土産物屋などに行くと、どこでも必ずと言って良いほどに「くまモン」関係の商品のグッズが置かれている光景を目にします。
「くまモン」は2010年12月24日より、熊本県の許可さえあれば日本国内なら誰でも自由に商品開発・グッズ販売などに利用することが可能となっています。
元々熊本県の全面バックアップの元に宣伝広報を行っていた「くまモン」はそれなりの人気があったこともあり、「くまモン」を自社商品に使用する企業は、熊本を地盤とする会社を中心に400社以上にも上ります。
マスコットキャラクターを使った商品が売れ、売上と知名度が上がることによって、マスコットキャラクター自体もお客の間に浸透していく、という良循環が上手く機能している感じですね。
もっとも、こんなシロモノが出てくるのは少々困り物ではあるのですが↓

http://megalodon.jp/2012-0709-1947-08/www.asahi.com/national/update/0608/SEB201206080015.html
>   熊本県のゆるキャラ「くまモン」にそっくりなデザインのキーホルダーが中国で出回っている。県の上海事務所の職員が街の雑貨店で見つけた。
>
>  
デザインは県に申請すれば無料で使えるが、国外企業は許可されていない。県が出す許可番号もない。体が白いものまで、売られている。
>
>  偽物が出回るのは人気者の証拠だが、県は「くまモンは県民の共有財産。複雑な気持ち」。くまモンは「ルールは守ってほしいモン!」とコメントした。

偽物「くまモン」のキーホルダー
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本当に見境のない国ではありますね、お隣の自称4000年の歴史持ちな人民共和国は(苦笑)。
いつものことながら、「さすがパクリ大国!」と嘲笑うしかないのが何とも言えないところで(-_-;;)。
まあ、こういうのが出てくること自体、「くまモン」がマスコットキャラクターとして成功しているという証ではあるのかもしれませんが。

「くまモン」人気は一体どこまで続くことになるのですかねぇ。

映画「崖っぷちの男」感想

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映画「崖っぷちの男」観に行ってきました。
「アバター」「タイタンの戦い」「タイタンの逆襲」に出演しハリウッドスターの仲間入りを果たしたサム・ワーシントン主演のアクション・サスペンス作品。

アメリカ・ニューヨークにあるルーズヴェルト・ホテル。
ある日、ウォーカーなる男がそのホテルの21階にある「眺めの良い一室」にチェックインの手続きを行いました。
部屋までの案内を行ったルームサービスを遠ざけ、朝食を済ませた男は、開閉式の窓枠を越え、わずか30㎝の縁に立ち、そこから飛び降りる素振りを見せます。
下の路上を歩いていた通行人が男の存在に気づき、ただちに警察に通報。
周囲はたちまちのうちに野次馬と警察がごった返すこととなり、ニューヨークの街は騒然となります。
何故男はこのような公開投身自殺みたいな騒動を引き起こしたのか?
その原因は、事件から遡ること1ヶ月前にありました……。

ホテルにチェックインする際に名乗った「ウォーカー」という名前は実は偽名で、今作の主人公である彼の正体は、ニック・キャシディという名のニューヨーク市警の元警察官。
彼は、デイヴィット・イングライダーという実業家兼ダイヤモンド王から、時価4000万ドルにも上るダイヤモンドを盗んだ罪で逮捕され、懲役25年の実刑判決を受けて投獄されていたのでした。
しかし彼は、自身の罪が全くの濡れ衣であり、自分の無実を晴らすことを決意します。
おりしも、彼の父親フランク・キャシディの寿命がもう長くないとの連絡が刑務所にもたらされ、ニックはかつての警官時代の相棒だったマイク・アッカーマンの好意によって、監視付きながら葬儀の出席を許可されます。
そしてニックは父親の葬儀の席上、突如弟ジョーイ・キャシディと殴り合いの喧嘩をやらかしたかと思うと、制止に入った警官のひとりから拳銃を奪い、自身にかけられた手錠を外させて車を奪い、その場から逃走を始めたのです。
警察側も慌てて追っ手を差し向けるのですが、ニックの方が一枚上手だったようで、ニックは列車を利用して追跡者の手から逃れ行方を晦まします。
そして彼は、プレハブ?のアジトらしき場所で荷物をまとめ、ルーズヴェルト・ホテルへと向かったのでした……。

ニックの自殺と、それに伴う通行人の犠牲者が出ることを避けるために、ニューヨーク市警が周囲の道路を封鎖する中、ニューヨーク市警の交渉人ジャック・ドハーティがニックの自殺を思い止まらせるべく交渉に当たります。
ところがニックはそれに対し、リディア・マーサーという名の女性交渉人としか話すつもりはない、30分以内に彼女を呼んでこなければここから飛び降りると明言します。
リディアは1ヶ月前、ニューヨークにあるブルックリン橋から投身自殺をしようとする警官との交渉に当たったものの、説得に失敗して警官の生命を救うことができなかったことに深い傷を負っていました。
しかし、今更選択の余地のないニューヨーク市警は、眠りこけていたリディアを電話で叩き起こし、ただちにルーズヴェルト・ホテルの現場へ急行し交渉の任に当たるよう指示することになります。
新たな交渉人としての任を受けたリディアは、ニックを相手に丁々発止の駆け引きじみた交渉を開始することになるのですが……。

映画「崖っぷちの男」は、上映時間102分の最初から最後まで緊迫したシーンが続きます。
作中で展開される主人公達の言動全てに伏線や意味が含まれており、また最初は何も分からない主人公達の目的や意図が、ストーリーが進むにしたがって少しずつ解明されていく過程の描写はなかなかの面白さです。
実はニックは、自身の冤罪を晴らすために、デイヴィット・イングライダーから盗んだとされるダイヤモンドを必要としていました。
デイヴィット・イングライダーは「ニックからダイヤモンドを盗まれた」と主張しており、そのダイヤが見つからないことから、ダイヤの時価総額である4000万ドルの保険金を保険会社から受け取っていたのです。
しかし、そのダイヤがデイヴィット・イングライダーの元から見つかったとなれば、デイヴィット・イングライダーの主張は覆され、ニックにかけられた冤罪を晴らすことができるのです。
そして、デイヴィット・イングライダーが所持すると思われるダイヤモンドは、ルーズヴェルト・ホテルのちょうど向かいに位置するビルの中にありました。
そのためニックは、一方では投身自殺を装い衆人環視の目をルーズヴェルト・ホテルに向けさせる一方、弟のジョーイ・キャシディと弟の恋人であるアンジーの2人をビルに潜入させ、ダイヤを奪いその所在を明示することで自らの潔白を証明しようとしていたのでした。
この中で一番負担の重い役割を担っていたのは、やはり何といってもニックだったでしょうね。
何しろニックは、一方ではリディアをはじめとする警察達への対応に追われる一方、他方ではジョーイとアンジーのダイヤ奪取のサポートまで行わなければならなかったのですから。
これほどまでの難行を見事にこなしてのけるニックは、一介の警察官にしておくには惜しい人材であると言えます。
すくなくとも、CIAの特殊工作員の類くらいなら充分にやっていけるだけの手腕は確実にあるでしょうね。

個人的にサプライズだったのは、一連のサスペンス劇が実はルーズヴェルト・ホテルにニックが入った時から文字通り始まっていたことがラストに判明することですね。
ニックがホテルの21階の部屋に案内されていた時のルームサービスが何とニックの仲間のひとりであることが物語後半に判明します。
しかもその人物は、序盤で葬儀まで行われていたはずのニックの父親フランク・キャシディであることがラストで明らかにされるのです。
ということは、ニックが脱獄を果たすきっかけとなったあの葬儀の場面からして、実は最初から仕組まれていたことになるわけです。
ニックの無実を晴らすためとは言え、どれだけ遠大な計画を立てていたというのでしょうかね、キャシディ一家は。

サスペンス物が好きな方はもちろんのこと、アクションもある程度は盛り込まれていますので、そちらの方面が好みという方にもオススメできる一品です。

映画「スープ ~生まれ変わりの物語~」感想

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映画「スープ ~生まれ変わりの物語~」観に行ってきました。
森田健のノンフィクション「生まれ変わりの村」をモチーフにし、転生や死生観を前面に押し出しつつ、父と娘の心温まる家族のあり方にスポットを当てた人間ドラマ作品。
今作は、熊本県では熊本市中央区大江にある熊本シネプレックス1箇所のみでの上映だったため、そこまで足を運んでの観賞となりました。

冒頭のシーンでは、ウェデイングドレスに身を包んだひとりの女性が立っている教会?の扉を、花束を抱えたひとりの学生らしき人物が開ける光景が映し出されます。
このシーンは物語終盤の流れと繋がることになるのですが、この時点ではさっさと次の舞台に移ることになります。
次の舞台では、娘のことを気にかける父親と、父親に対し無愛想かつ邪険に振る舞う娘とのすれ違いが描かれます。
何でも、父親こと今作の主人公である渋谷健一は、2年前に妻と離婚して以降、すっかり無気力になってしまい、娘こと渋谷美加との関係も悪化の一途を辿っているのだとか。
その無気力ぶりは仕事にも多大な悪影響を及ぼしており、ついに彼は唯一自分に任されていた仕事を、自分より若い女性社員の綾瀬由美に奪われるという事態に直面してしまいます。
仕事の引き継ぎ?の打ち合わせでも、綾瀬由美に頭ごなしに注意される渋谷健一は、その日ちょうど15歳の誕生日を迎えることになっていた娘のことがとにかく気がかり。
しかし、当の渋谷美加は誕生日当日、友人に唆されて店で万引きを働くという所業をやらかし、店から父親に連絡が行くという事態に直面していたのでした。
娘のために花屋で花束を購入していたところを呼び出された渋谷健一は、店の女主人に対してひたすら平謝りを繰り返し、何とか許しを貰うことに成功します。
しかし、渋谷美加はそのことに感謝するどころか、父親の態度に不満を抱き、昔の離婚話を蒸し返して父親を論難する始末。
娘の無反省よりも離婚話についカッとなってしまった渋谷健一は、無意識の行動だったのか、娘の頬をひっぱたいてしまいます。
渋谷健一は部屋に閉じこもってしまった娘と和解しようとアプローチを行うのですが、娘は全く取り合うことなく、また渋谷健一自身も明日は綾瀬由美との出張が控えていることもあり、出張から帰った後に和解するつもりでその場はあっさりと引き下がるのでした。
まさか、これが父と娘の最期の別れになるとも知らずに……。

翌日。
綾瀬由美と共に出張先の仕事場で仕事の引き継ぎを行った渋谷健一は、一段落した後で別の場所へと向かうべく、信号が青に変わるのを待っていました。
昨日娘を叩いたことのショックが尾を引いていた渋谷健一の愚痴に対し、「そりゃマズいでしょう」と娘の肩を持ちまくる綾瀬由美。
しかし、そんな2人の頭上で天候が突如急変。
そして、突如空を覆った雷雲から発せられた一閃の落雷が、信号待ちをしていた2人を直撃してしまうのでした。
それによって当然意識を失った渋谷健一は、しかし綾瀬由美の声によって目を覚まします。
そこで渋谷健一が見たものは、暗くなった無人の街中で雪が舞う光景でした。
何故かペンギンが街中を歩いていたりしますし(苦笑)。
街の様子に不審を抱いた2人は、劇場らしき建物の中に入り、自分達と同じようにわけが分からないまま集まっている集団を見つけ出します。
何が起こったのか分からない者同士で言い合いが発生するのを見計らったように現れた、赤い服を着た訳知り顔の女性。
彼女は皆を劇場へ導き、そこで説明役の男と鉢合わせます。
そこでその男は、集まっている皆が既に死んでいること、ここが実はあの世であること、そしていずれは転生(生まれ変わり)が行われることを解説するのでした。
しかし渋谷健一は、娘と再会したい一身で、あの世から脱出する方法を模索することを決意するのでした。
自分の死を素直に受け入れた綾瀬由美と半ばなりゆきで一緒に行動しつつ、彼は現世に戻るべく動き回ることになるのですが……。

映画「スープ ~生まれ変わりの物語~」における「あの世」は、一般的にイメージされる「あの世」とはかなり様相が異なっています。
今作の「あの世」はあくまでも「前世の死から来世に生まれ変わるまでの待機所」的なものとなっており、かつ地獄のような阿鼻叫喚の拷問や天国のごとき王道楽土があるわけでもなく、酒場やディスコや焼肉屋があったり、人々が娯楽に興じていたりと、現世と何も変わるところがありません。
現世と違うところがあるのは、世界のあり方ではなく人間の方で、容姿が死んだ当時の頃から不変であることと死なないことくらいなものでしょうか。
この世界から脱出し、生まれ変わるためには、決められた配給所で配給される「スープ」を飲む必要があります。
ただし、この「スープ」を飲んだ者は、現世に生まれ変わることと引き換えに前世の全ての記憶を失うことになります。
現世の人間が前世の記憶を持っていないのはこのためであるというわけです。
また、「スープ」を飲みさえすればただちに転生が行われるというわけでもないようで、「あの世」の人達の中には、「スープ」を飲んでから何年経っても転生が行われないというケースも存在していたりします。
作中の描写を見る限り、この転生の可否というのは「前世での未練」の有無が関わっているのではないかと考えられます。
後述する石田努の母親などは、息子との再会がきっかけとなって消滅していったみたいでしたし。
しかし、今作の主人公である渋谷健一は、あくまでも「父親としての記憶を持った状態で娘と再会する」ということにとにかく拘りました。
そのため、「スープを飲むことなく、かつ現世に記憶を残したまま転生する方法」を、渋谷健一は模索することになるわけです。

また今作では、主人公の取引先の社長として登場する石田努がかなりイイ味を出していますね。
演じる俳優が「遠山の金さん」の松方弘樹ならば、性格設定も言動も遊び人バージョンの「遠山の金さん」そのものでしたし(笑)。
やたらとあの世の遊び場に精通していて、女を連れてディスコで踊り明かしたり、プールで泳ぎ回ったりと、どう見ても「あの世の人生」を謳歌しているようにしか思えないところが何とも言えないところで(苦笑)。
しかし、そんな彼にも「あの世」に留まっている一応の目的はあって、それは8歳の幼い頃に死に別れた母親を探しているというものでした。
そして、渋谷健一と綾瀬由美を連れて立ち寄った焼肉屋で、石田努は死んだ母親と偶然にも再会することになります。
石田努は半年前に65歳で糖尿病によって「あの世」にやってきたとのことだったため、若い母親に年老いた息子が抱きついて「おかあちゃん」と泣き縋るという、何ともシュールな光景が現出することになるわけですが(^_^;;)。
そして再会後に「前世の未練」がなくなったからなのか消滅していった母親を見送った後、彼は(原因不明の現象でスープを飲まず記憶を残したまま)現世に転生することになるのですが、転生後の彼は何と「美崎瞳」という【女】として生を受けることになるんですよね。
同じく「三上直行」として転生した主人公との会話で、「女の身体って大変なことがよく分かった」とか「(初体験は済ませたのかという質問に対して)女の身体の方が気持ち良いからな」とかいった生々しい発言まで披露していましたし。
主人公が転生した後も「共通の事情を知るが故の良き相談役」的な役割を担っていましたし、彼は今作の物語における重要な潤滑油的存在となっていますね。
実際、石田努がいない場面では、見ているだけで暗くなりそうなエピソードが延々と続いていたりしますし。
松方弘樹のファンであれば必見の映画と言えますね。

作中の話で少し疑問に思ったのは、「スープ」を飲んで転生後に記憶を無くした人間の性格がそのままである、という設定ですね。
渋谷健一は転生後に「スープ」を飲んで綾瀬由美の転生した存在「西村千秋」と出会うことになるのですが、彼は「綾瀬由美と性格や言動がよく似ている」という理由から、西村千秋が綾瀬由美の転生であると喝破しています。
しかし、性格と記憶というのは実は極めて密接した関係にあり、「記憶を元に性格が作られる」という要素が多分に含まれているので、記憶を無くした人間の性格が記憶を無くす前の人間と同じであることはまずありえません。
実際、記憶喪失前と後の人間の性格を比べるだけでも、かなり違うところが多々あったりするのですし。
「記憶が無くなる」というのは何も「知識や記録が無くなる」という表層的な事象だけを指すのではなく、それまでの人格・性格・思想、さらにはちょっとしたクセの類に至るまでの一切合財全てを無くすことをも意味しており、すなわちそれは「自分の存在そのものが消える」ことにも繋がるのです。
現実世界の記憶喪失などは、心因性な要因で発症していることが多く、まだ脳内にデータが残っている状態であることも少なくないので、何らかのきっかけで記憶が戻るケースも起こりえるわけですが、作中のような「スープを飲んでの転生」では当然そんなことが発生しえるわけもないのですし。
「スープ」を飲む前の綾瀬由美の言動を見ても、「記憶を無くす=知識や記録が無くなる」程度の認識しか垣間見られず、「自分の存在そのものが消える」とまでは全く考えてもいないところが少々気になるところではあるんですよね。
西村千秋の性格が綾瀬由美のそれと同じだというのであれば、それは西村千秋がこれまで歩んできた人生が綾瀬由美のそれと大同小異なものであったか、もしくは単なる偶然の産物によるものとしか解釈しようがないところなのですが。

一方、作中で「記憶を失う=自分の存在そのものが消える」という認識を正確に抱いているのは、「あの世」で渋谷健一に「記憶を持ったまま転生する裏技」を教えた近藤一ですね。
近藤一は「裏技」を駆使して3回も記憶を保ったまま転生しているのですが、彼は「親しい人間がいない世界に転生して一体何の意味があるんだ」と渋谷健一を止めようとするんですよね。
確かに、前世の記憶を持ったまま生まれ変わった場合、生まれ変わった際の両親を「世話になる&なった人」としてはともかく「実の親」として認めるのは非常に難しいものがありますし、それまでの親友に再会しても全くの赤の他人状態なわけですから、そんな辛酸を舐めてきた彼が転生を否定する心情も分からなくはありません。
いくら苦労して新しい人間関係を作っても、死および転生と同時に全てがリセットされ、しかもその記憶を持ったまま転生し続けるというのは、ある種の人間にとっては地獄よりも辛い人生なのかもしれません。
だからこそ彼は、次は「スープ」を飲んで記憶を消すことで自分の存在をも抹消し、全く新しい人生を生きることを決意したのでしょう。
前世の記憶や知識を保ったまま生まれ変わることができれば何でもできるじゃないか、とは誰もが考えるところですし、作中でもそういう考え方が披露されていたりもするのですが、この「転生の短所または問題点」をも上手く表現しているのが今作の特徴でもありますね。

如何にも地味な映画タイトルと予告編&映画紹介に反して、意外に面白く色々と考えさせられた作品でしたね。
若年層はともかく、中高年層以上には結構イチオシな映画であると言えそうです。

映画「ドライブ・アングリー」感想(DVD観賞)

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映画「ドライブ・アングリー」をレンタルDVDで観賞しました。
日本では2011年8月に劇場公開されたアメリカ映画で、ニコラス・ケイジおよび映画「ラム・ダイアリー」にも出演したアンバー・ハードの2人が主演を担うカーアクション物。
劇場公開当時は映画タイトルの後に「3D」の文字がつくほどに3Dメインの作品だったようですが、DVD観賞では何の意味もないですね(苦笑)。
作中にはセックスシーンや血が飛び散る残虐シーンがあることから、映画館ではR-15指定を受けていました。

物語の冒頭では、3人組の男が何者かの影に怯えながら車で逃げている様子が描かれています。
後ろを振り向いて追手がないことにようやく安堵した3人の前に、まるで嘲笑うかのように出現し道路をふさぐ1台の車。
道をふさがれた3人組の車は吹き飛ばされ、3人組は道をふさいだ車から降りてきた謎の男にとあるカルト教団の教祖ヨナ・キングの所在について尋問された後、情け容赦なく殺されてしまうのでした。
ここで舞台はとあるレストランの日常風景に変わります。
そのレストランでパート?のウェイトレスとして働いていたパイパーは、ニート状態で働きに出ない夫との関係に悩む、気性の激しい女性。
そして物語は、いつものように働いていたパイパーのレストランで冒頭の男が入店したことから動き始めます。
レストランにおける2人の会話は、男がパイパーの車について尋ねたこと以外では特にこれといった要素もなく、あくまでも客とウェイトレスとしての接触に終わります。
しかし、レストランのコック?がセクハラ行為を働いたことに腹を立て逆襲したパイパーは、コックの解雇をちらつかせた脅迫にブチ切れてしまい、その場で「今日限りで辞める」と宣言し店を出て行ってしまいます。
結果として、いつもよりも早く自宅に帰ることになったパイパーは、パイパーが留守であることをいいことに知らない女と不倫セックスに勤しむ夫の姿を目撃することになります。
当然ここでもブチ切れ、夫と不倫女に当たり散らすパイパーでしたが、夫は夫でパイパーの態度に逆ギレ。
ウザいパイパーを半殺しにすべく、物理的なドメスティックバイオレンスを振るいまくります。
そこに現れたのは、レストランでパイパーの車について尋ねてきた冒頭の男でした。
夫を逆に半殺しにした男と、職を失くし夫にも愛想を尽かしたパイパーは、パイパーの車でその場を後にするのでした。
男の名はジョン・ミルトンといい、自分の娘を殺し、娘が生んだ赤子を生贄に捧げんとするカルト教団に復讐をすべく行動しているのだとか。
パイパーは、ジョン・ミルトンに纏わる様々なトラブルに巻き込まれつつ、彼と共に共にカルト教団を追っていくことになるのですが……。

映画「ドライブ・アングリー」は、タイトルを見ても分かるようにカーアクションをメインに物語が展開されていきます。
冒頭のシーンからラストまで車が少なからず登場し、追撃戦や奇襲などで大活躍することになります。
カーアクションのための映画、と言っても過言ではないですね。
また、敵がカルト教団だからというわけではないのでしょうが、主人公も含めた作中の登場人物達にはオカルティックな現象がしばしば発生しています。
たとえば主人公ジョン・ミルトンは、カルト教団のアジトに押し入った際に銃で左目を至近距離で撃たれているにもかかわらず、死ぬことなく意識を取り戻して信者達に逆襲していますし、彼を追う監察官も、橋の上から車もろとも転落しているにもかかわらず、大破した車から平気な顔で出てきたりしています。
この謎については物語の終盤近くで出てくるのですが、実はジョン・ミルトンは既に故人で、死後の世界の地獄にある牢獄から脱獄してわざわざ現世にやってきているんですよね。
そしてFBIに化けている監察官の正体は、彼を地獄へ連れ戻しにきた番人ということになります。
既に死んでいるからこそ、いくら身体に傷を負っても死ぬことができないわけです。
何でもジョン・ミルトンは、地獄で自分の身が痛めつけられることよりも、自分の娘が拷問され殺されていく光景を見ることの方が我慢ならなかったのだとか。
またジョン・ミルトンは、脱獄する際に地獄から「神殺しの銃」を奪い取っており、これがカルト教団の教祖ヨナ・キングを滅ぼすのに必須のアイテムとなります。
本人の主張するところによれば、ヨナ・キングは悪魔と契約していて、生者では彼を殺すことができないのだそうで。
この辺りは、同じニコラス・ケイジ主演の映画「デビルクエスト」にも通じるところがありますね。

少し疑問だったのは、物語の序盤ではジョン・ミルトンを捕まえるために人を操ったり自ら追跡したりして行動を妨害ばかりしていた監察官が、後半になると逆に影ながら間接的に支援する協力者になっている点ですね。
橋の上で「神殺しの銃」を突き付けられてそれまでの考えが変わった、というところなのかもしれませんが、妨害者から協力者になっていく過程が描写されていないため、初めて観た時は「何故?」と戸惑わざるをえなかったところでして。
監察官自身、自分のことについて語るようなタイプの人物(?)ではありませんでしたし。
監察官にしてみれば、どんな手段を使ってでもジョン・ミルトンを捕縛できさえすればそれで良かったのでしょうが、ならば序盤における彼の行動は一体何だったのかと。
警察官達を操ってジョン・ミルトンを襲撃したところで、警察官達の武器ではジョン・ミルトンを殺せないことを、彼は最初から知っていたはずなのですが。
序盤の彼の行動は、結果的にジョン・ミルトンと何の関係もない人間を無駄に死に追いやっただけでしかなかったのではないのかと。

カーアクションと爽快感が得られるストーリーが好きな方には、イチオシの作品となるでしょうか。

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