エントリー

googleが実施した「Panda(パンダ)アップデート」の打撃

ファイル 700-1.jpg

1週間前、googleの公式ブログにて、こんな発表が行われました↓

http://news.mynavi.jp/news/2012/07/19/034/
> Googleは7月18日の公式ブログで、Google検索のアルゴリズム変更に関する記事を公開した。今回の変更により、ユーザーに有益な情報を掲載する高品質なWebサイトが適切に評価されるようになるという。
>
>
同社は2011年に英語をはじめとする言語を対象として「Pandaアップデート」と呼ばれるアルゴリズム変更を実施している。この際には日本語における実施はされなかったのが、今回、日本語と韓国語においてPandaアップデートが行われた。
>
> Pandaアップデートは検索結果に表示されるWebサイトの掲載順位に関するもので、他サイトからのコピーで構成されるような、ユーザーにとってあまり価値のないWebサイトの掲載順位を下げ、独自の研究や報告、分析など、ユーザーにとって有益な情報を提供しているWebサイトの検索順位を適切に評価する狙いがある。
アルゴリズム変更の影響は日本語、韓国語ともに約4%の検索結果に影響する見込み。

この記事で挙げられている「Panda(パンダ)アップデート」が言うところの「ユーザーにとってあまり価値のないWebサイト」というのは、コピペパクリだけで構成されたようなサイトやブログ以外にも、アフィリエイトブログや広告が多く貼られているサイト、コンテンツの中身が薄いサイトなどが該当するとのことです。
「Pandaアップデート」は、サイトやブログのページの内容を判断して順位をつける検索アルゴリズムである、ということになるでしょうか。
……で、これの何が問題なのかというと、今回googleが行ったこの「Pandaアップデート」によって、タナウツのアクセス数がユニークユーザー数・ページビュー数共に半分以下にまで低下してしまったんですよね(T_T)。
「Pandaアップデート」が実施された2012年7月18日より以前のタナウツは、ユニークユーザー数が平均2000人前後、ページビューのそれが3500前後のアクセス数を記録していました。
ところが7月18日以降になると、ユニークユーザーは800~900人前後、ページビュー数も2000以下にまで激減。
7月15日と16日なんて、ユニークユーザー3000人台、ペービジュー4600以上にまで達していたのですから、それから考えれば実に6~7割以上ものアクセス減です。
わずか1日で、しかもサーチエンジンの検索絡みで、これほどまでのアクセス減に見舞われたのは今回が初めてです。
今年(2012年)に入ってからは好調にアクセス数を伸ばしていただけに、突然のアクセス激減はさすがにショックでしたね。

しかし、今回の「Pandaアップデート」で、何故タナウツが順位低下のターゲットにされなければならないのか、私としては心当たりが全くないのが辛いところではあるんですよね(T_T)。
タナウツには、サイト内のどこにもアフィリエイトのような宣伝・広告の類は全く設置されていませんし、サイト内で総計2000ページ以上もあるコンテンツの中身が薄いなんてこともありえないでしょう。
もちろん、2chまとめサイトのごとく、余所からのコピペで成り立っているサイトというわけでもないのですし。
サイトおよび各種コンテンツの独自性も、他に2つとはないと言って良いものを誇っていますし、サイトの歴史もゆうに10年以上、tanautsu.netドメインに移転してから数えても既に3年以上経過しています。
本来タナウツは「Pandaアップデート」のターゲットにされるようなサイトではなく、すくなくともサイトの内容的な観点から見た原因は全く見出しようがない、というのが実情だったりするわけです。
「Pandaアップデート」に引っかかる要素や原因が分からないから、対策の打ちようがない。
しかし、タナウツが「Pandaアップデート」のターゲットにされたという結果は厳然と存在し、かつ今後状況が自動的に改善される保証もない。
この2重の問題が、タナウツの管理人たる私としてはジレンマを覚えずにいられないところなのでしてね(T_T)。

「Pandaアップデート」でタナウツのアクセス数が激減した最大の理由は、ブログ内にある映画感想記事の検索順位が大きく下落したことにあります。
ここ最近のタナウツネット雑記ブログにおける映画感想記事は、サーチエンジンで軒並み検索3位以上での表示という高水準を維持していたのですが、7月18日以降、これが一挙にランクダウン。
特に「アメイジング・スパイダーマン」および「BRAVE HEARTS/ブレイブハーツ 海猿」の感想記事は、人気がある映画で検索3位圏内表示という理想的な状況にあり、集客力もかなりのものがあったため、検索順位の下落でその集客力のほとんどが消し飛んでしまったのは大きな痛手でした。
完全に消えたわけではないのがせめてもの救いではありましたが、その後観賞した映画の感想記事も、検索上位が満足に取れなくなっている状態に陥っています。
映画感想記事の集客力を頼りにしてタナウツのアクセス数を増やしてきた私にとって、この事実は結構重いものがありますね(T_T)。

一方で「Pandaアップデート」は、これまで不動であり続けた「田中芳樹」検索の順位にも微妙な変化を与えています。
2012年7月24日現在、google本家で「田中芳樹」検索を行うと、タナウツは検索4位で表示されます。
これまでの「田中芳樹」検索では、タナウツは常に3位表示されていたわけですから、これだけ見ればこんなところにも「Pandaアップデート」の悪影響が出ていることになります。
ところが、全く同じ検索をスマートフォン版のYahoo!Japanで行うと、こちらは逆にらいとすたっふ公式サイトをも上回る検索2位で表示されているんですよね。
そもそも、日本におけるgoogleとYahoo!Japanは、検索関係で提携を結んでいてデータを共有しているので、この両者で検索結果が違うというのは本来ありえないことであるはずなのですが……。
両者の間で検索順位があまりにも異なり過ぎていて、どちらが正しい検索結果なのか理解不能な状態です。
ここ数日、検索順位は不安定な状態が続いていますし、今の状態では正直いつまた検索結果が大きく変更されるやら不安もいいところ。
「Pandaアップデート」の弊害共々、この状況はいいかげん何とかならないものなのかと(-_-;;)。

日本で実施された「Pandaアップデート」はまだ不完全なアルゴリズムなのだそうで、まだしばらくは試行錯誤的な更新で、検索順位が不安定な状態が続くとのことです。
できれば今後の更新で、どう見ても「誤爆」されたとしか思えないタナウツの状況を是非とも改善してもらいたいところですね。

映画「スターシップ・トゥルーパーズ インベイジョン」感想

ファイル 699-1.jpg

映画「スターシップ・トゥルーパーズ インベイジョン」観に行ってきました。
1997年に実写映画化(日本では1998年公開)された「スターシップ・トゥルーパーズ」のシリーズ誕生15周年を記念して製作されたCGアニメーション。
今作は一応洋画に分類されるのですが、監督は何故か日本人の荒牧伸志が担当しています。
「スターシップ・トゥルーパーズ」自体はアメリカよりも日本の方が大ヒットしているので、それにあやかりでもしたのでしょうかねぇ。
ちなみに、実写映画版「スターシップ・トゥルーパーズ」はこれまで3作公開されているのですが、私が観賞したことのある作品は1作目だけですね。
というか、「スターシップ・トゥルーパーズ」の2作目と3作目って、製作費といい知名度といい、1作目の足元にも及ばないほどにマイナー過ぎるのですが(^^;;)。

今作では、実写版映画「スターシップ・トゥルーパーズ」の1作目から、最低でも数年~10数年の時間が経過した世界が舞台となります。
物語は、小惑星上に建造された地球連邦軍の要塞フォート・ケイシーが、連星クレンダスの惑星に住む昆虫型生物アラクニド・バグスの集団に占領されてしまったことから始まります。
地球連邦軍はただちにフォート・ケイシーを奪還すべく、複数の艦艇を派遣。
しかし、先行して要塞内へと突入した機動歩兵隊の報告により、フォート・ケイシーは既にバグの大群がひしめき合い、奪還は困難な情勢であることが判明します。
そこで現地軍は方針を転換し、要塞内の生き残りを救出しつつ、小惑星ごと要塞を爆破してバグ達を殲滅する作戦を展開することになります。
そんな中、フォート・ケイシーにいた超能力戦略担当大臣カール・ジェンキンスが、その権限を濫用し、要塞奪還のために来援していた戦艦ジョン・A・ウォーデン(以下「JAW」)号を自らの指揮下に置き、一足先に戦場を離脱し重要な物資を輸送することを宣言します。
これに怒ったのは、JAW号の艦長でカール・ジェンキンスの旧友でもあるカルメン・イバネス。
しかし、大臣という要職にあるカール・ジェンキンスに対し、所詮は一戦艦の艦長にすぎないカルメン・イバネスの抗議はあっさり一蹴され、彼女は同じく来援していた機動歩兵隊用の強襲艦アレジア号への移乗を余儀なくされるのでした。
一方、要塞内で生き残りを探していた機動歩兵隊は、フォート・ケイシーの守備を担っていたK-12機動歩兵隊の生き残り達と合流。
巨大な図体と数に任せて攻め込んでくるバグ達に犠牲を強いられながらも、彼らは要塞爆破の任務を見事遂行し、アレジア号でフォート・ケイシーを後にするのでした。

生き残ったK-12機動歩兵隊では、隊長として部隊を率い、「ヒーロー」の愛称で呼ばれているヘンリー・ヴァロ大佐が、反逆罪を犯したとして逮捕され、地球への帰還の途についたアレジア号の一室に監禁されていました。
何でも彼は、超能力戦略担当大臣カール・ジェンキンスの命令に背いたということから反逆者と見做されたとのこと。
ただ、彼の部下であるK-12機動歩兵隊の隊員達は今でもヘンリーを敬愛しており、彼の命令違反には何らかの理由があることが推察されました。
ヘンリーの件が引っかかるものの、直近の戦闘が終結したことと、地球へ帰還すれば休暇が与えられることから、それぞれ艦内で思い思いにリラックスする兵士達。
しかしそこへ、地球連邦軍の司令部から緊急通信が舞い込んできます。
通信用のスクリーンに出てきたのは、地球連邦軍の将官で、カール・ジェンキンスとカルメン・イバネスの旧友でもあるジョニー・リコ。
彼は、先のフォート・ケイシーでの戦いの際、一足先に戦場を離脱したカール・ジェンキンスとJAW号が行方不明になったことを告げ、その捜索と調査をアレジア号の全乗員に命じます。
しかし、カール・ジェンキンスのために自分達の隊長が汚名を被せられることになってしまったK-12機動歩兵隊の面々は、当然のごとく調査に乗り気ではありません。
しかし、だからと言って軍人として命令に逆らうわけにもいかない彼らは、任務を遂行するための条件として、元隊長のヘンリー・ヴァロを指揮官として復隊させて欲しいと嘆願。
元々自身も機動歩兵隊出身であるジョニー・リコは、兵士達の気持ちを理解しその嘆願を承諾、どんなに活躍しても裁判で情状の材料になることはないという条件付でヘンリー・ヴァロを復隊させます。
そしてアレジア号は、消息を絶ったJAW号の捜索へと乗り出すことになるのですが……。

映画「スターシップ・トゥルーパーズ インベイジョン」に登場する、ジョニー・リコ、カール・ジェンキンス、カルメン・イバネスの3名は、実写版映画「スターシップ・トゥルーパーズ」の主要登場人物でもあります。
ジョニー・リコが機動歩兵隊所属の主人公、カルメン・イバネスが彼のガールフレンド、カール・ジェンキンスがジョニー・リコの親友という間柄です。
当時はまだ軍に入ったばかりの一兵士や下士官でしかなかったあの面々が、今作ではそれぞれ要職に就いているのですから、その辺りにも時間の経過を感じさせるものがあるわけで。
この辺りは、往年の「スターシップ・トゥルーパーズ」ファンに対するサービス的な一面も多々あるのではないかと。
ただ、今作における彼らは、物語終盤におけるジョニー・リコ以外はこれと言った見せ場がなく、むしろ要人として守られる立場に終始しているのが実情ではあるのですが。
今作で活躍するのは、アレジア号に乗船している機動歩兵隊とK-12の面々ですね。
一応、元々アレジア号に乗船していた機動歩兵隊の指揮官とヘンリー・ヴァロが指揮官ということにはなっていますが、ただ、こちらは誰が主人公なのか分かりにくい構図がありますね。
作中の描写は、全ての登場人物を均等に扱っているような感があって、特定の誰かに集中的なスポットを当てる、という形は取られていないんですよね。
その中ではかなり活躍した部類には入るであろうヘンリー・ヴァロも、序盤はあまり出番がないですし、そもそも彼はジョニー・リコが来援したタイミングでバグ達を巻き添えに自爆して死んでしまうのですから。
「主人公が不在」というか「皆が主人公」的なスタンスで描かれていますね、この映画は。

また「スターシップ・トゥルーパーズ」と言えば、男女の混合集団によるシャワーシーンがごく自然な形で描写されるという、男女平等のグロテスクさを具現化するかのような衝撃的な映像で一世を風靡した1作目に象徴されるがごとく、男女の性の奔放っぷりが特に印象に残るシリーズでもあります。
今作でもそれは健在で、むさくるしい男達の真っ只中に、わざわざ「襲ってください」と言わんばかりの、上半身にタオルをかけただけのトップレスな姿で登場する女性軍人が描かれていたりします。
他にも、一応はまだ任務中の最中に、黒いボディスーツ?を身に纏った女性と一室でシケこんだりするカップルの様子が描写されていたりもしますし。
1作目もそうでしたけど、あの世界における男女の性の問題って一体どうなっているのかと、改めて疑問に思わずに入られなかったですね(苦笑)。
ただ、同じく1作目の物語の合間合間にしばしば挿入されていた、地球連邦のプロパガンダCMやニュースの類は今作では全く確認することができず、その点では少々「惜しい」部分もあったと言えるでしょうか。
まあ、アレは「スターシップ・トゥルーパーズ」というよりは、1作目を製作したポール・バーホーベン監督の持ち味ではあったのでしょうけど。

あと、あの世界における地球連邦軍の対バグ装備は、まだまだ改善の余地が大いにあるのではないでしょうか?
航空援護や戦車などの援護もなしに、ただひたすら軽火器で銃剣突撃をやっていただけな感が多々あった1作目に比べれば、今作の機動歩兵隊はパワードスーツを身に纏いつつ、やたらとゴツい重火器でバグ達と応戦しており、その点では兵装面で大きな進化が見られました。
ただ、物語終盤にジョニー・リコが搭乗していた、映画「アバター」辺りにも出てきていたような巨大なパワードスーツを標準装備化していれば、対バグ戦はもっと楽に戦うことが可能なのではないでしょうか?
何しろ、ジョニー・リコが操縦する1体の巨大パワードスーツだけで、今作のラスボスである女王バグを除いたバグの集団は一方的な殺戮の的にされていたのですから。
今までの機動歩兵隊の苦戦は一体何だったのかとすら思えるほどの圧倒ぶりで、「そんな便利な兵器があるのならば、何故前線の機動歩兵隊に大量に配備してやらないんだ?」という疑問すら浮かんできたくらいだったのですが(^^;;)。
まあ、その手の巨大パワードスーツは高価なものである、という事情はありそうなのですが、あの世界における前線の兵士達の戦死・損耗率が半端じゃないであろうことを考えれば、巨大パワードスーツを必須で配備する方がむしろ安上がりなのではないかとすら思えてならならないのですけどね。
アレを前線に大量配備すれば、各戦線でバグ達を圧倒し完全勝利することも難しくはなさそうにも見えますし。

作中のCG映像は、実写のそれと比較しても遜色がないくらいに良く出来たものではあります。
往年の「スターシップ・トゥルーパーズ」ファンはもちろんのこと、戦争映画やアクション物としても充分に見れる作品に仕上がっているのではないかと。

映画「メリダとおそろしの森」感想

ファイル 698-1.jpg

映画「メリダとおそろしの森」観に行ってきました。
数々の3Dアニメーション映画を手掛けてきた、ディズニー&ピクサーのタッグによる冒険ファンタジー。
この映画は3Dメガネが必要なバージョンも公開されていますが、私が観賞したのは2Dの日本語吹替版となります。
なお、今作は映画「おおかみこどもの雨と雪」との2本立てで同日観賞しています。

今作では、物語本編が始まる前に、ディズニー&ピクサー映画のキャラクターを使ったと思しき前座的な短編映画が2作品上映されます。
何の予告もなく突然始まったこともあって、本編と全く関係のない内容の短編映画が上映され始めた際には、「まさか、本来『メリダとおそろしの森』が上映されているスクリーンとは全く別の場所に間違って入ってしまったのか?」と、一瞬ながらもついつい考えてしまったものでした(^^;;)。
もちろんそんなことはなく、2作品が上映し終わった後に物語本編はきちんと開始されたのですが。

今作の舞台は10世紀頃のスコットランド。
そのスコットランドにある王国の第一王女にして今作の主人公のメリダは、幼少時に誕生日を迎えた際、父親にして国王でもあるファーガス王から弓をプレゼントしてもらいました。
得意気に弓を射る父親の真似をして、メリダは生まれて初めて弓を射ることになるのですが、初めて放った矢は的に当たるどころか、明後日の方向へと飛んでおそろしの森の奥深くに入り込んでしまいます。
メリダは森の奥の木に突き刺さっていた矢を見つけて戻ってくるのですが、その際に「モルデュ」と呼ばれる巨大な熊に目をつけられてしまいます。
メリダの後を追い、メリダを仕留めんとする巨大熊モルデュ。
そのメリダの前に、父王であるファーガスが武器を持って立ちはだかり、モルデュに単身挑みかかるのでした。

それから数年後。
父王ファーガスと王妃エリノアとの間には、長女メリダに加えて、さらにヒューバート・ヘイミッシュ・ハリス3つ子の兄弟が誕生していました。
ファーガスは数年前のモルデュ襲来と撃退、および際に失った左足を自らが誇る武勇伝として自慢の種にしていました。
そして、元来自由奔放かつお転婆な性格のメリダは、母親である王妃エリノアの伝統至上主義かつ花嫁修業的な教育方針に反発する日々を送っていたのでした。
元々親子としての仲は決して悪くなかった2人ではあったのですが、年を追うにつれてその擦れ違いはどんどん深まるばかり。
そんな中、エリノアは王国の有力貴族であるディングウォール・マクガフィン・マッキントッシュ3家の子息の中から、メリダの婚約相手を選抜すべく画策します。
当然メリダはこれに反発。
婚約相手を選ぶ儀式をメチャクチャにしてしまい、そのまま馬に乗って城から脱走し、冒頭にも登場したおそろしの森の奥深くへと入り込んでしまうのでした。
母親の束縛からなんとしても逃れたいと考えるメリダは、気が付くとストーンサークルが林立する場に出てきていました。
そこで、突如メリダの前に現れ、まるでメリダをどこかへ導こうとするかのようにひとつの道筋を作り出していく鬼火。
鬼火の光跡を辿っていったメリダは、その終着点でひとりの怪しげな老婆と出合うことになるのですが……。

映画「メリダとおそろしの森」は、出自が王家であることを除けば、世界中どこにでもありそうな母親と子供の関係が描かれています。
子供のことを考えるが故に自分の主張を子供にゴリ押しする母親と、それに反発する子供という図式です。
作中でも問題になっているこの図式は、実際に親子間で自己修復ないし解消できた事例は限りなく少ないものだったりします。
これはどちらかと言えば、子供以上に親の問題の方が大きいんですよね。
子供に対する躾と自分のエゴイズムとの区別が全くつかず、自分の考えを無条件に押しつけることが子供への躾であると勘違いする親は、はるか昔から後を絶つことがありません。
当の親自身も、それが間違っていることであるとは露にも思わず、それどころか「子供のためになる」と信じて疑っていないケースが一般的ですらあるのですし。
作中で何かと伝統云々を持ち出してメリダに礼儀作法やら何やらを強要しまくっていた王妃エレノアも、別にメリダに悪意を持って接していたわけではなく、むしろ逆に「それがメリダのためになる」と信じて疑っていなかったわけです。
こういう親って、最初から確信犯で子供を虐待している親と同じかそれ以上にタチが悪かったりするんですよね。
むしろ、なまじ親の善意が分かっているだけに、親を裏切るような後ろめたさや罪悪感を子供側が覚えずにはいられないという問題が発生する分、問題解決が却って厄介になったりするのですし。
また、子供を圧迫している親側は親側で「これは子供を育てるのに必要な愛のムチ」と心の底から信じ込んでいたりするため、話し合いで相互理解に到達する余地自体がほとんどなく、反省や自浄作用を求めることも限りなく不可能に近いときています。
それに加えて、人間が持つ母性本能には「子供をいつまでも自分の手元で保護したい」という欲求が組み込まれているため、その欲求に逆らおうとする子供の成長や自立心を、母親が自ら踏み潰そうとすることも決して珍しい話ではありません。
成長した子供が自分の元から離れていくことを嫌がり、「ひとりにすると不安だから」的な理屈をこねてとにかく自分の指図に従うよう強要する母親などは、まさにその典型ですし。
エレノアがメリダの自立心を拒絶し、あくまでも自分が敷いたレールの上を無理矢理歩かせようとしたのも、そういう本能的な欲求がどこかで働いていたからに他ならないのでしてね。
メリダとエレノアが物語のラストで結果的に和解できたのも、皮肉なことにエレノアが魔女の魔法にかかってしまい、2人が苦難を共にしたことが発端になっていたのであって、それがなかったら2人の仲は時間と共に悪化の一途を辿るだけだったでしょう。
その点では、作中では疑問の余地なく「悪い魔女」扱いされているであろうあの老婆も、結果的にはメリダの願いを最も理想的な形で叶えていた、と評価することもできるのではないかと。
まあ、当の老婆にそんなつもりは全くなかったのでしょうけど(^^;;)。

作中のストーリーはとにかくメリダとエレノアを中心に回っていて、その他の登場人物は軒並み脇役的な役柄に終始していますね。
父親であるファーガス王や3貴族達はひたすら「脳筋」としてのみ描かれていますし、メリダの弟の3つ子達は単なるマスコットキャラクターでしかありません。
特に、3つ子達がエレノアを熊に変えてしまったパンケーキ?をつまみ食いしてしまい、エレノア同様に熊に変化してしまった事象は、王家としては本来ならば王妃エレノアが熊に変わってしまったこと以上に問題となるべき事件であるはずです。
王妃エレノアには王位継承権がない可能性が濃厚なのに対し、3つ子達は王家の直系男子で王位継承権が間違いなく存在しているのであり、その3つ子が熊に変わってしまったということは、下手すれば王位継承の問題にも直結しかねない国の一大事となりえるのですから。
しかしその割には、作中における3つ子達の扱いは「王妃エレノアのついで」的なものでしかなく、メインの扱いには全然なっていないんですよね。
普通の流れで行けば、将来の王国の国王には3つ子達の誰かが即位することになるのですから、王妃エレノア以上に3つ子達の動向の方が本来重要事項であったはずなのですけどね。

ストーリー的には映画「おおかみこどもの雨と雪」と同じく「親子関係」をメインテーマに据えた作品ですが、中心となる視点が前半と後半で変化していった「おおかみこどもの雨と雪」に対し、今作は終始メリダの視点のみで描かれています。
その点では、こちらの方が子供向け作品であると言えるのではないかと。
なお、今作ではエンドロール後に特典映像が存在しますので、最後まで席を立たずに映画を観賞することをオススメしておきます。

映画「おおかみこどもの雨と雪」感想

ファイル 697-1.jpg

映画「おおかみこどもの雨と雪」観に行ってきました。
「時をかける少女」「サマーウォーズ」などの作品を手掛けてきた細田守監督の新作アニメーション。
なお、今作は映画「メリダとおそろしの森」との2本立てで観賞しています。
1日2作品の映画同日観賞は久々ですね(^_^;;)。

映画の基本的な進行は、後日の成長したと思しき雪のモノローグをはさみながら、物語の前半は映画のタイトルにもなっている雨と雪の母親である花に、後半は雨と雪に、それぞれメインスポットを当てる形で進んでいきます。
そして物語は、大学生である花が、大学の講義でひとりの男性に興味を示したことから始まることになります。
作中でもエンドロールでも「彼」としか呼ばれていないその男性と、花はやがて親密な関係を結んでいくことに。
ある日、「彼」と一緒に街中を歩いていた際に、花は自分の名前の由来を「彼」に話し始めます。
何でも「花」という名前は、生まれた際に近くに咲いていた花を父親が見て、「いつでも花のように笑っている」ことを願い名付けられたものだったとか。
もっとも、父親が死んだ際の葬儀でまで彼女は笑顔を浮かべ続けていて、周囲に「不謹慎だ」と非難もされた過去もあるのだそうですが(^^;;)。
その花の過去話に感化されたのか、「彼」もまた、自身の重要な秘密を花に明かすことを決意。
その日の夜、誰もいない場所で、「彼」は花の眼前で自身の顔を狼のそれに変容させるのでした。
「彼」は、過去に絶滅したニホンオオカミと人間の最後の混血種で、同じく混血種だった父親から「おおかみおとこ」の歴史を学び育ったのでした。
ちなみに、「おおかみおとこ」の変身能力は別に「満月の夜」に限定されるものではなく、また人の血を好むというものでもないのだとか。
しかし、そんな「彼」の正体を見てもなお、花の「彼」に対する好意は何ら揺らぐことはなく、2人はついに逢瀬の時を迎えるのでした。

人間と混血種の2人の間には、2人の子供が誕生しました。
ひとりは冬の雪の日に生まれた女の子で、その日の天気から取って名前は「雪」。
もうひとりは春の雨の日に生まれた男の子で、名前は同じく天気から取って「雨」。
2人の子供は共に、人間から人狼へと変身する能力を生まれながらに身につけていました。
そのことが事前に予測できたことから、花は出産の際、わざわざ病院にかかることなく、自宅のアパートで2人の子供を産んでいたりします。
子供も生まれ、永遠に続くかと思われた花と「彼」の関係は、しかしある日突然終わりを告げることになります。
「雨」が生まれて間もないある日、花は雨が降り注ぐ天気の中、近くの川で死んでいる狼の姿を目撃するのです。
狼の死体は業者によってゴミ収集車でゴミ捨て場へと運ばれてしまい、花は「彼」の死を看取ることすらできなかったのでした。
当然のごとく打ちひしがれてしまう花でしたが、残された2人の子供を見て、彼女は涙を浮かべながらも持ち前の笑顔を刻み、自分ひとりで子供を育てていくことを決意するに至ります。
しかし、「おおかみこども」である2人を育てるのには様々な困難が伴いました。
身体的な問題がある故に子供を他の子供達と一緒に遊ばせることもできず、また子供が病気を患った際も医者にかかることができず、自分ひとりで見様見真似的に対処しようにも、小児科と動物病院のどちらに相談すれば良いのかという問題もありました。
しかも、幼稚園や保育園に子供を預けなかったことから、児童虐待の疑いを抱いた児童相談所の職員にアパートまで押しかけられてしまう始末。
児童相談所の対応自体は、それはそれで当然のものだったとは言え、事情を知る観客的には「何とも世知辛い世の中になったものだなぁ」と痛感せずにはいられないものがありましたね。
都会での生活が難しいことを痛感し、また「おおかみこども」である子供達の将来のことについても考えざるをえなかった花は、思い切って人里離れた田舎へ引っ越すことを決意するのですが……。

映画「おおかみこどもの雨と雪」は、花と「彼」が出会ってから、2人の子供が小学校を卒業する年代になるまでの13年間が描かれています。
父親が亡くなってから子供達が小学校へ入学するまでは、母親である花の奮闘記的な要素がメインで繰り広げられていますが、それ以降は子供の性格の変遷にスポットが当てられている感がありました。
たとえば長女の雪は、幼少時はネズミなどの小動物や蛇などと格闘して遊ぶような、とにかく明るく活発かつお転婆な幼女として描かれていますが、小学校へ入学した後、新しくできた友人達との交流を経て、彼女は次第に恥じらいや淑やかさを身につけるようになっていきます。
それに対して弟の雨は、幼少時はとにかく母親に甘え姉に引っ張られるような臆病な性格をしていたにもかかわらず、成長するにつれてこちらは「おおかみ」が持つ動物的な本能に目覚めていき、ついには山の「主」とされる老キツネに師事し、その後継となることを決断するにまで至ります。
また母親である花もまた、田舎へ引っ越してきた当初は、何でもかんでも自分ひとりだけでこなそうと無理をするのですが、やがて田舎の人達の支援を受けるようになり、ご近所付き合いもできるようになっていきます。
この三者三様の成長をよく描いているのが、今作の特徴と言えるでしょうか。
個人的には、母親である花の真骨頂は、それまで手塩にかけて育ててきた子供達が自立していく際、それをきちんと認めてあげたことに尽きるのではないかと思うんですよね。
花にしてみれば、アレだけ自分が苦労して育ててきた2人の子供が、自分の元を離れていくというのは悲しい部分もあれば不安な一面もあるでしょうし、「できれば【自分の保護下で】育って欲しい」という感情は母性本能の一側面として見てもごく自然なものです。
人間の母性本能には、長期にわたる子育ての必要性から「子供をいつまでも手放さない」という要素も備わっており、それが特に子供の思春期以降では「過保護」「過干渉」などの問題を引き起こすことも決して珍しいことではありません。
だから母親にとって「我が子の成長と自立を認める」というのは、実は「子供を大事に育て守り続ける」のと同じかそれ以上に難しいことであるわけです。
後者ができても前者はできないという母親は意外に多いものなのですから。
もちろん、作中でモンスターペアレント臭をこれでもかと言わんばかりに放出しまくっていた草平の母親のような輩は、全くもって論外ではあるのですが。

草平といえば、作中で彼が雪の通っている小学校へ転校してきた直後、いきなり雪に対して「お前から獣臭い臭いがする」的な放言を言い放つに至ったのは、正直どうなのかとは思わずにいられなかったですね。
「おおかみこども」である雪の場合は、自身にある程度の後ろめたさがあったにせよ、あんなことを正面切って言われれば、性別や事情を問わず普通に嫌悪されて然るべきではなかったのかと。
挙句の果てに、「獣臭い」発言から雪のことをひたすら追いかけまくっていた件に至っては、イジメやストーカーの類と見做されても文句は言えないでしょうに。
まあ、雪に対してはモンスターペアレントとして振る舞いながら、再婚が決まった途端に自分の息子に対し「お前はいらない」的な発言をやらかした「あの」母親に育てられたのでは、そうなるのも当然かと思わせるものがあるにはあったのですが……。
あの草平の母親って、絶対再婚後も問題を引き起こしそうな気がしてならないのですけどねぇ(苦笑)。

作品の全体的な構成としては「大人向けのアニメーション作品」といったところになるでしょうか。
あまり子供向けに作られているとは言い難いような気が(^^;;)。
大人向け映画としては、それなりに丁寧に作り込まれているので、イチオシの作品であるとは言えるのですけどね。

長崎の中国漁船大量入港に見る日本の「非対称戦争」の弱さ

長崎県の五島市玉之浦町の玉之浦港に、中国漁船が90隻も一度に入港するという事態が発生しました。
台風7号の接近と、玉之浦港が日中間の協定に基づく国際緊急避難港に指定されていることによるものだそうですが……↓

http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20120719/02.shtml
>  台風7号の接近に伴い、五島近海にいた中国漁船が18日、五島市玉之浦町の玉之浦港に相次いで避難した。市によると、中国漁船の入港は2年ぶり。入港した船は90隻(同日午後5時現在)に上り、一度に入った数では過去10年で最多。天候が回復するまで停泊する。
>
>  市水産課によると、玉之浦港は日本、中国の協定に基づき国際緊急避難港に指定。天候悪化の際に一時的に中国漁船が避難できる。
>
>  17日夜から五島海上保安署に、入港するとの連絡が相次いで入った。多くは底引き網漁船。船の故障や急病人の発生など特別な事情を除き乗組員は上陸できず、同保安署の巡視船が海上で監視、警戒を続けている。

一国の港に、他国の漁船が、それも数隻ではなく90隻もの数が一度に入港・停泊するという事態なんて、一体どうやったらそんなことが起こり得るのでしょうか?
そもそも、彼らは何故日本に避難などしてきたのかというところからして疑問符がついてしまいますし。
日本海や東シナ海での漁業ならば中国本土や韓国の港の方が近いでしょうし、そもそも台風接近って事前に分かっていた情報でもあるはずなのですが……。
90隻の大半が底引き網漁船ということを鑑みただけでも、日本の領海内で不正な漁を行っていた可能性があるのではないでしょうか?

また、最近の中国の反日感情を鑑みると、この機に乗じて中国側が何らかの反日工作を仕掛けてくる可能性も懸念されます。
自作自演的にわざと自船を自沈させて日本側の受け入れ拒否を非難するとか、どさくさに紛れて破壊工作員を日本国内に潜伏させるとか、その方法はいくらでもありますし。
第一、中国の漁船と称する船舶が、実は中国海軍の偽装船や工作船である可能性でさえも、実のところ全くないわけではないのですからねぇ(-_-;;)。
実際、尖閣諸島へ接近してくる漁船などは、中国海軍の偽装船の疑いが濃厚であると言われているのですし、90隻というあまりの数の多さを考えても、大船団による上陸作戦の予行演習や偵察を兼ねている可能性すらありえるのではないかと。

世界のテロ組織やゲリラ・特殊部隊などにとって、日本ほどに事件を起こしやすい国もそうはないのではないでしょうか?
武器と工作員さえ日本国内に送り込めれば、テロどころか国会や皇居の制圧なども容易に行えそうですし。
もちろん、この手の内部破壊工作の類は、日本に限らず「起こってしまったら終わり」という一面がありますし、どこの国でも「事件を未然に防止する事前抑止力」という方向で対策を打つものではあります。
その点で日本の公安や公安調査庁などの警察機構、海上保安庁や自衛隊などの「事前抑止力」自体は決して低いものとは言えないでしょう。
ところが、日本のがんじがらめな法体系と、警官が銃を1発撃っただけで始末書レベルの不祥事のごとく書き立てるマスコミの「とにかく体制叩き」な体質は、スパイや工作員の日本国内への浸透や破壊活動その他の工作を容易なものとしており、また「事前抑止力」の発揮をも困難なものとしています。
一般的に難しいとされている武器の日本国内大量搬入も、実際には重火器も含めた大量の武器庫が発見されたりするといった事件も発生しているわけですし↓

http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/06/29/kiji/K20120629003567540.html
>  28日午後2時ごろ、北九州市戸畑区の2階建て建物内で、ロケットランチャーや拳銃5丁、実弾数十発の銃火器があるのを、立ち入った福岡県警の捜査員が見つけた。
>
>  ロケットランチャーは濃い緑色の金属製で長さ約70センチ。県警は建物が暴力団の武器庫の可能性があるとみて銃刀法違反などの容疑で調べている。
>
>  県警と北九州市は半径25メートル以内に住む93世帯、計181人に避難を呼び掛け全員公共施設などに避難した。捜査員は「戦争でも始めるつもりか。発射したらビルが吹っ飛ぶぞ」と顔をこわばらせた。

相手が最初から「やる気」で、かつ手出しもできないような状況を演出した上でことを起こした際に、果たして「事前抑止力」だけで制圧ができるものなのか、はなはだ疑問なところではあります。
あのアメリカやヨーロッパ諸国ですら、しばしばテロ事件の発生を許してしまうことを鑑みれば、いくら「事前抑止力」を充実させても起こるものは起こる、常にそう考え、そのような非常事態をも想定した体制は絶対に必要不可欠でしょう。

では、そこまで工作員の浸透やテロ・国内武装蜂起が容易なはずの日本で、何故その手の事件が全く発生しないのか?
それは在日米軍の存在が「結果的に」大きな抑止力となっているためです。
スパイや工作員の浸透であればまだ日本の統治機構の範疇に属する問題ですし、テロや武装蜂起なども「発生した瞬間」までは、まだ御しやすい日本「のみ」を相手にするだけで済みます。
しかし、テロや武装蜂起が引き起こされ、日本国内が無政府状態や内乱状態になったりすると、その直後から在日米軍は本格的に動くことが可能となります。
日本の国内組織をがんじがらめに縛りつける日本の国内法も、在日米軍には全く適用されませんし、日本人の人質などもアメリカ軍には全く通用しません。
極端なことを言えば、国会議事堂や皇居などにミサイルを撃ち込み、人質もろともテロリストを殲滅し勝利を宣言する、そんな選択肢すらも最終的にアメリカは取ることが可能なのです。
もちろん、それはアメリカとしても「最後の手段」ではあるでしょうし、日本にしてみれば最悪の結果以外の何物でもありませんが、この「最後の手段」があるのとないのとでは、相手に与える脅威の度合いがまるで異なります。
日本とは全く関係なく、己の利害のためのみのために動くアメリカと在日米軍の存在があるからこそ、最終的にはそれをも相手どらなければならない大規模テロや武装蜂起の類は事前に抑止されている、というわけです。
在日米軍と言えば、「侵略の抑止」という観点で語られることが多い存在ですが、この「テロと武装蜂起の抑止」というのも意外に大きな要素と言えるのではないでしょうか?
なまじ日本が法やマスコミの問題でがんじがらめになっているのですからなおのこと。

中国側も、日本「だけ」が相手なのであれば、威圧にせよ侵略にせよ本当に楽な話ではあるでしょうね。
最新兵器などを持ち出すまでもなく、少数の特殊部隊や工作員だけでいくらでも好きなだけ引っ掻き回すことが可能な存在なのですから。
この非常時を一切想定しない日本の歪な体制、いいかげん変革する必要があるのではないかとおもえてならないのですけどね。

二次小説投稿サイト「にじファン」がサービス終了

二次小説投稿サイト「にじファン」が、2012年7月20日正午をもって正式に閉鎖されました。
二次小説の新規投稿および一般公開は一切できなくなり、投稿者のみ閲覧可能な投稿小説群も来年1月1日より順次削除されます。

にじファン/NOS サービス終了のお知らせ
http://nizisosaku.com/

二次小説投稿サイト「にじファン」の閉鎖に伴い、同じ会社が運営している「小説家になろう」では、二次利用を承諾する作品についてのみ二次小説を掲載する方針を打ち出しています
しかし「にじファン」が閉鎖された時点で、実際に二次利用の許可が下りたのはたったの2作品しかなく、これでは事実上「二次小説は一切禁止」と何ら変わるところがありません。
結局のところ、「小説家になろう」では「にじファン」に掲載されていた二次小説を受け入れるつもりなど最初からなかった、ということになるのでしょうね。
二次利用の許諾には運営側の直接確認が必要など、負担を考えただけでも無理難題な条件が付随していましたし。
そもそも、「自ら行う煩雑な確認作業が困難を極める」などと泣き言を並べていた運営が、この期に及んで許諾の確認を自ら積極的に行うなどということ自体が本来ありえないことだったわけで。
銀英伝や恋姫無双などは、公式が二次利用に関するガイドラインを公示して許可を与えていたこともあり、許可が下りる可能性は他に比べれば比較的高い部類にあったはずなのですが、そういったところに対する許諾確認すらも実際にやっていたのかどうか…。
二次小説の移転を認めるつもりが全くなかったのであれば、最初からその旨宣言しておけば余計な混乱もなかったというのに。
閉鎖までのあまりにも短すぎる猶予期間といい、立つ鳥跡を濁しまくっている「にじファン」の運営会社ヒナプロジェクトの、無責任かつ混乱を助長しまくっている運営方針は、サイトの利用者達から充分に非難されて然るべきではあるでしょうね。
いよいよ閉鎖ということで、他サイトも巻き込んだ更なる混乱の誘発は必至なのですし。

ところで、我らが狂人キチガイの被害妄想狂患者たるエーリッヒ・ヴァレンシュタインの二次小説も、どうやら移転先が決定したようですね。
移転先は「暁 ~小説投稿サイト~」。

http://megalodon.jp/2012-0720-1915-45/mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/101342/blogkey/505148/
> azuraiiruです。今日でにじファン消滅です。出来ればなろう本体への移行をと考えていたのですが運営側からは今日になっても答えがありません。
> そういったわけで
別の場所に投稿しようと考えています。投稿先は肥前のポチ様が運営されているサイトにしようと思います。これから手続きしますので多少時間がかかると思います。
> アドレスは以下の通りです。
> http://www.akatsuki-novels.com/

「本編」「亡命編」およびその他短編的な外伝を合わせれば総計300話以上にも達するあの小説群を移行するのはさすがに大変でしょうが、ネタとしては笑えるので、是非とも頑張ってもらいたいものです。
アレほどまでにキチガイかつ自爆的な言動を繰り広げまくって平然としていられる二次創作の主人公というのも、そうそういるものではありませんので(苦笑)。

Windows8の正式発売日が10月26日に正式決定

Microsoft社が、Windows8を10月26日に発売することを明らかにしました。

http://megalodon.jp/2012-0719-2033-16/cloud.watch.impress.co.jp/docs/news/20120719_547806.html
>  米Microsoftは18日(米国時間)、次期クライアントOS「Windows 8」を、10月26日に発売することを明らかにした。なお、ARM版のWindows8である「Windows RT」搭載のタブレットも同時に発売されるとみられる。
>
>  Microsoftでは7月9日に、Windows 8とWindows Server 2012が8月1週目にRTM(製造工程向けリリース)になること、また10月末までにWindows 8が出荷されることを発表していたが、今回、発売日が明らかになった。Windows Server 2012は一足早く、9月より一般提供開始となる予定だ。
>
>  また、Microsoft純正のタブレット端末「Surface」のうち、Windows RT版はWindows 8発売と同時に、Windows 8 Pro版はその90日後に提供されると発表されているため、Windows RT版も10月26日より入手可能になるとみられている。

Microsoft社としては、Windows7がようやく「目の上の瘤」たる旧OSのWindowsXPを駆逐しつつある中での新OS投入となるわけですが、これがMicrosoft社にとって吉と出るか凶と出るか、要注目といったところでしょうか。
現時点では、Windows8がWindows7程度にも「使える」OSたりえるのか、未だ答えは出ていないわけですし。
古いバージョンのアプリケーションソフトやシステムソフトなどが、Windows7でさえ互換性がなくインストール不可能&バージョンアップを余儀なくされ、余計な費用と手間がかかる、といった事例が普通にある中で、Windows8がその手の問題にどこまで対応しえるのかは結構重要な問題だったりしますからねぇ。
Windows8はタブレット方面に特化したOSなんて話もチラホラ出てきていますが、それが本当ならば、従来のデスクトップ&ノートパソコンについては、能力の適正が明らかになるまで引き続きWindows7を搭載し続けて欲しいところです。
Windows Vistaの例を見るまでもなく、適性のないOSの使用を強要された挙句、ダウングレードにカネをかけなければならないことくらい、不毛な事例もそうはないわけですし。
巷のパソコンショップなどでは、今新しくパソコンを買い換えるとWindows8のアップグレードサービスが格安で入手できるという話ですし、やはりパソコンを買い換えるのなら今なのかなぁ、と。

映画「スリーデイズ」感想(DVD観賞)

ファイル 693-1.jpg

映画「スリーデイズ」をレンタルDVDで観賞しました。
日本では2011年9月に劇場公開されたアメリカ映画で、2008年公開のフランス映画「すべて彼女のために」のハリウッド版リメイク作品です。

どこにでもいる、ごく普通の両親と息子の3人家族であるブレナン一家。
いつものように朝の食事をとっていたブレナン一家を、突如複数の警官達が包囲し、妻のララ・ブレナンが殺人容疑の罪で逮捕されてしまったことから物語は始まります。
ララの夫で今作の主人公であるジョン・ブレナンは、妻の無罪を信じ3年にもわたり法廷闘争を繰り広げるのですが、1審はむろんのこと2審の裁判でも、ララの無罪を勝ち取ることは叶いませんでした。
ララの弁護人は、日本の最高裁に当たるアメリカの連邦最高裁では30年以上にわたって殺人事件を扱っていないことを理由に、判決を受け入れるよう進言します。
しかし、妻の無実を信じているジョンは当然のごとくそれを受け入れません。
しかし、もう裁判で逆転の目が全くないことは、如何にジョンと言えども覆すことのできない事実でした。
法の正義というものをまるで信じられなくなったジョンは、ここに至ってついに妻を刑務所から脱獄させ、逃亡生活を送ることを決意します。

ジョンは脱獄計画を成功させるため、過去に7回にわたって刑務所からの脱獄に成功した実績を持つデイモン・ペニントンに接触します。
彼はジョンに対し、「逃亡生活を続けることに比べれば、刑務所を脱獄すること自体は容易なことだ」と述べ、刑務所を脱獄するための極意をいくつか教えるのでした。
税関を通過できる新しい社会保障番号と偽造パスポートを揃え、逃亡のための資金を用意すること。
刑務所の官吏達は日常の業務を惰性的に行っていることから、非常時の際には隙が生まれやすいので、刑務所の様子をよく観察した上でその隙を突くこと。
逃亡の際にはアメリカと仲の良くない国に高飛びしてしまうこと。
そして何よりも、手段を問わず脱獄を成し遂げるという覚悟を持つこと。
ジョンはそれらのアドバイスを全て実行に移すべく、まずは社会保障番号と偽造パスポートを得るべく内々の活動を始めます。
最初のうちは、その手の裏稼業の人間にいくら金を積んでも、ただ金を奪われた挙句に暴力を振るわれるだけの結果に終わるのみで、なかなか目的のブツを手に入れることができません。
しかしそれでも、相場の2倍近い金をかけた末に、何とか家族全員が逃亡するのに必要な3つの社会保障番号と偽造パスポートを揃えることに成功します。
ただ、そのための代償は決して少ないものではなく、なけなしの資金も底を尽きることになってしまいます。
さらには、有罪が確定したララが、3日以内にこれまでの刑務所とは全く別の遠い場所にある刑務所へ移送されるとの情報が、面会したララからもたらされるのでした。
窮地に追い込まれたジョンは、ついに強硬手段を取ることを決意するのですが……。

映画「スリーデイズ」の最も皮肉で面白いところは、無実の妻ララを救うために有罪確実の犯罪を重ねていかなければならないという夫ジョンの立場ですね。
彼は妻を助けるために脱獄の準備を進め実行するのはもちろんのこと、資金難から麻薬密売組織のアジトを襲撃し、その構成員を2人も殺害して札束を奪ってしまいます。
必要に迫られ、また相手が麻薬密売グループとはいえ、立派な強盗殺人ですし、無実の妻を助けるために自分が罪を重ねるというのは本末転倒ではないか、とは思わなくもなかったですね。
もちろん、ジョンにしてみれば、2審でも有罪判決な上に再審の道も断たれたことで妻を助ける方法が他になくなってしまったわけですし、アメリカの社会システムそのものに絶望を抱いていたというのが正直なところではあったのでしょうが、それでも自ら強盗殺人を犯すというのは、当人にとっても「ルビコン川を渡る」的な心境ではあったのではないかと。
ジョン自身、強盗殺人を犯したことで「もう引き返せない」「ここで手をこまねいていたら何もしなくても全てを失う」という覚悟を抱かざるをえなかったでしょうし。
妻を見捨てて息子と2人だけで人生をやり直す、という選択肢も、ジョンにとっては論外なシロモノだったでしょうからね。
この「覚悟の描き方」というのは結構上手い部類に入るのではないかと思います。

制限時間が課せられ、一刻の猶予もない脱獄作戦は、全体的に紙一重的に警察の包囲網を掻い潜りつつ、時間が経てば経つほどに敵を罠に嵌める余裕が出てくるというパターンで進行していきます。
ジョンやララにとっての一番の難所は、一番包囲網が厚く隙を見出しにくい監視下の病院だったということになるのでしょう。
ある程度距離を離しての心理戦であれば、ある程度頭を使えば何とかすることもできるわけですが、警察を直接相手取っての逃亡劇となると、「逃げ方をどうするか?」以外の智恵など活用のしようがないわけです。
ジョンもララも別に武芸の達人というわけではなかったのですから、警察に捕まったらその場で一巻の終わりだったのですし。
この辺り、主人公が超人やスパイアクション系の凄腕工作員でないのがよく出ていますね。

個人的に少し御都合主義的に思えたのは、片道20分以上もかかる動物園に息子が行ってしまった件で、迎えに行くかどうかであれだけド派手に揉めたにもかかわらず、そのことで他者から警察へ通報が行くでもなく、またいともあっさりと息子を迎えにいくことが出来てしまった点でしょうか。
高速道路?とおぼしき場所でアレだけ危険運転でスピンしまくっていたら、他の通行人に対して目立ちまくり&大迷惑かけまくりなわけですし、通報が行かないほうが変だと思うのですが。
また、警察も「2人は子供の場所へ向かうだろう」と目星をつけていた割には、時間をかけまくって揉めにもめていたジョンとララ相手に後れを取ってしまい、結局3人を逃がす羽目になっていましたし。
個人的には、あの揉めていた時間は充分に致命傷たりえましたし、警察が先回りする時間くらいのロスは普通にあったのではないかと思えてならないのですが。
デイモン・ペニントンの「脱獄の心得」を見事に無視した上での行動でしたし、アレで助かるというのは少々御都合主義的な感が否めないところですね。

アクションはやや地味ながらも、手に汗握るサスペンス的な面白さはなかなかのものではないかと思います。

平成24年(2012年)7月九州北部豪雨に見る治水・公共事業の重要性

7月11日から14日にかけて熊本・福岡・大分を襲った「平成24年(2012年)7月九州北部豪雨」。
この豪雨では、白川の氾濫で阿蘇地方を中心とした白川流域に多大な浸水被害をもたらし、九州3県で死者・行方不明者合わせて総計30名以上の犠牲者を出しています。

阿蘇から熊本の市街地を経て有明海へと流れる白川は、昔から水害が絶えない河川であり、古くは加藤清正の時代から治水事業が続けられてきました。
白川は中流域が非常に急勾配で、阿蘇地方で降った雨と、阿蘇の火山灰を含んだ土砂が一気に流れ込んでくる特性を持ち合わせています。
そのため、阿蘇地方で集中豪雨が発生すると、その影響はたちまちのうちに白川下流域にまで出てきてしまうことになるわけです。
今回の豪雨では、阿蘇地方で500mm以上もの大雨が降ったことが、白川流域の被害を拡大する一大要因となりました。
毎年自然災害が猛威を振るう中、治水事業の重要性はますます高まっているのではないでしょうか?

民主党の管直人ことカンガンスは、かつて己のブログで「あい続く天災をストップさせるには昔なら元号でも変えるところだが、今必要なのは政権交代ではないか」などとのたまいました。
当時は自民党が政権を握っており、この発言もいつものごとく「政権交代」のためのイチャモンの類でしかなかったのですが、民主党政権発足以来の災害の数々は、皮肉にもこの言葉が正しいものであることを証明していると言えますね(苦笑)。
九州だけでも口蹄疫や新燃岳の噴火という災厄がもたらされましたし、全国的には言うまでもなく東日本大震災が発生している事例があります。
これから考えれば、2009年9月以降に発生した自然災害は全て民主党政権にその責任が求められるということになり、他ならぬ民主党自身の主張から言ってさえも政権交代が求められることになるわけですね(笑)。
もちろん、いくら「親中韓朝・反日」を党是としているとしか思えない民主党といえども、まさか日本を衰退させるために意図的に天変地異を引き起こしているなどということはさすがにないでしょうが、連中の施策は「コンクリートから人へ」や事業仕訳けの事例、さらには災害時の鈍重な対応に見られるがごとく、災害の被害を収束どころかむしろ拡大する方向を向いているとすら言えるものです。
民主党が政権にいる限り、放射能など比べ物にならないレベルで国民の財産と生命が脅かされることになるのはこれからも明らかでしょう。
毎年のように繰り返される自然災害の被害を可能な限り少なくするためにも、頭がお花畑な「無能な働き者」でしかない民主党を一刻も早く政権の座から叩き出し、可能ならば存在そのものをも消滅に追い込み、余計な蠢動すらも封じ込めた上で、日本の国土を災害から守るための正しい治水・公共事業を行っていくことが、今は求められているのではないかと思うのですが。

ところで「平成24年(2012年)7月九州北部豪雨」では、田中芳樹の生家があったとされる熊本市の白川流域に位置する黒髪地区も多大な被害を蒙っています。
かつて日本の治水事業について「コンクリートの護岸で覆う自然破壊」「想像力といったけど、景色を見て、いいなあと思う気持ちってないのかな」的なことをのたまっていた田中芳樹は、今回の水害についてどのような感想を抱いたのでしょうかねぇ。
まあ、原発問題を語る際に民主党の存在を無視するがごとく、自分に都合の悪いことは当然のごとくスルーを決め込むのでしょうけど。

映画「苦役列車」感想

ファイル 691-1.jpg

映画「苦役列車」観に行ってきました。
第144回芥川賞を受賞した西村賢太の同名私小説を実写映画化した作品。
映画のタイトルに反して、作中に列車の類は一切出てきません(苦笑)。
作中には生々しい風俗関係の描写があるため、R-15指定されています。
なお今作は、熊本県では熊本シネプレックス1箇所限定での劇場公開となっていたため、そこまで足を運んでの観賞となりました。

物語の舞台は1986年。
父親が性犯罪行為で社会的に取り上げられ、一家離散を余儀なくされた挙句に中卒で働き始めた今作の主人公の北町貫多は、日雇い労働でその日暮らしの生計を立てつつも、風俗や酒に溺れる自堕落な生活を送っていました。
そんなある日のこと、いつも彼が日雇いで働いている職場に、その年から専門学校生として田舎から上京してきた日下部正二が新入り労働者としてやってきます。
北町貫多と日下部正二は仕事場で意気投合し、公私両面で行動を共にするようになります。
ちょっとしたことですぐにブチ切れる北町貫多に対し、処世術に長け世慣れた感のある日下部正二は、最初は良きコンビとして機能します。
もっとも、それは無理筋な要求ばかりする北町貫多に対し、日下部正二が困った顔をしながら受け入れていくというパターンに終始してはいたのですが……。
北町貫多には、行きつけの古本屋でバイトとして働くひとりの女性の存在が気になっていました。
自身も読書が趣味という北町貫多は、その容姿といつも読書をしているバイトの女性こと桜井康子にお近づきになりたいと願うようになっていたのでした。
北町貫多がそのことを日下部正二に話すと、彼は北町貫多を伴って古本屋へ直接乗り込み、桜井康子と直談判をすることで、2人の友人になってくれることを桜井康子に了承させることに成功するのでした。
しかし、「友達」の意味が全く分かっていない北町貫多は「友達になれる=(セックス的な意味合いで)ヤれる」と勘違いするありさま。
その様子に、日下部正二は一抹の不安を抱くのですが……。

映画「苦役列車」は、主人公の破綻だらけな性格と言動をどのように解釈するかによって、観る人次第で大きく賛否が分かれそうな作品ではありますね。
個人的には、正直「何を言いたいのか分からない」的な部分がとにかく多すぎる上、主人公の言動にはまるで共感も同情もできないというのが実情ではあったのですが。
ストーリー的に見ても、「生活破綻者が友人を得てから無くしていく過程」が延々と描かれているだけで、爽快感的なものもまるでなく、そこにどんなテーマがあるのかを見出すのにすら困難を極めるありさまでしたし。
同じ私小説でも、映画「わが母の記」などはテーマに普遍性があり感情移入もしやすかったのですが、この作品にそういう要素はまるで見出せない状態。
どちらかと言えば、映画「ラム・ダイアリー」を日本に移植してさらに劣化させた作品というのが、今作の実情に近い評価と言えるのではないかと。
作中で主人公が何の結果も出していないこととか、作中におけるヒロインの存在意義がないも同然とか、昔の特定地域の知られざる闇の雰囲気を堪能できるとか、そんな共通点が両作品共に存在するわけですし。
今年の観賞映画の中でもワーストクラスに入るであろう「ラム・ダイアリー」と作品の出来や評価までもが同じ、というのは正直どうかとは思うのですけどね(-_-;;)。

それでも無理に今作のハイライトを見出すとしたら、一度険悪な雰囲気になってしまった北町貫多と桜井康子が日下部正二の仲介で和解した後、3人で海に入って仲良くじゃれあう光景でしょうか。
個人的には、ここで映画そのものを終了しておいた方が、却って作品の評価は上がったのではないかと思えてならないですね。
ここからストーリーをさらに展開していくとしたら、友情に目覚めた北町貫多が真人間になっていく過程を描くというパターンが理想的なわけなのですが、実際にはこれ以降の北町貫多の性格破綻ぶりはますます悪化の一途を辿り、全ての人間関係を破局へと追い込むことになってしまうのですから。
作中の北町貫多は、中卒であることや家庭問題などで少なからぬコンプレックスを抱え込んでいるのは良いにしても、破滅願望でも抱いているようにしか思えない言動に終始し過ぎていて、とても感情移入できるようなシロモノではありませんでしたし。
物語の終盤近くで、日下部正二と彼の恋人?に対し、東京と映画について何やら偉そうに御高説を垂れていた場面でも、主張内容の是非以前に「そんなことをしたらせっかくの友人関係が確実に破綻するだろ」としか評しようがありませんでしたし。
作中の北町貫多って、対人コミュニケーション面で何らかの障害でも抱え込んでいる狂人の類にしか見えなかったのですが、こんな人物のどこに人間的な普遍性や魅力といったものが存在するのかと。
まあ原作からしてそういうキャラだったのかもしれませんし、そういうキャラクター性を100%出し切っていたであろう俳優さんは、それはそれで評価に値するのかもしれないのですが……。

最初から最後まで「救い」とか「明るさ」とかいった要素がまるで期待できない作品なので、エンターテイメント的な面白さや感動的な人間ドラマのようなものが観たいという方にはあまりオススメできるものではないですね。

ユーティリティ

2025年05月

- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

検索

エントリー検索フォーム
キーワード

ページ

  • ページが登録されていません。

新着画像

Feed