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Windows8のスタートメニュー問題で飛び交う憶測

マイクロソフト社のWindows事業部門トップだったスティーブン・シノフスキーの、Windows8の発売開始から1ヶ月も経たない中での辞任が憶測を呼んでいます。
彼はWindows8のスタートメニューの削除を提言した人物で、その改造が不評だったことから辞任を余儀なくされ、かつWindows8でスタートメニューが復活するのではないかと囁かれているわけです↓

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/121114/biz12111410200002-n1.htm
>  ソフトウエア世界最大手、米マイクロソフトが、発売したばかりのパソコン向け最新基本ソフト(OS)「ウィンドウズ8」の設計を変更するのではないかとの観測が強まっている。歴代のウィンドウズに採用されてきた「スタートメニュー」が廃止されたことで、利用者から戸惑いの声が上がっていることに加え、同社のウィンドウズ事業部門トップが、最新版の発売後わずか半月で突然退職したことが憶測を呼んでいる。
>
>  同社は12日、ウィンドウズ部門を率いてきたスティーブン・シノフスキー氏が辞任すると発表した。同氏はバルマー最高経営責任者(CEO)の後任候補の一人と目されてきた幹部。さらに辞任のタイミングが最新版を発売直後だったため、関係者の話題を集めている。13日の米紙USAトゥデー(電子版)によると、
最新版からスタートメニューが消えたことで「どう操作すればよいのか」と、とまどう利用者が多いという。スタートメニューをなくしたのは、ウィンドウズの搭載ハードウエアが伝統的なパソコンから携帯端末に移行し、タッチパネル方式による操作が主流になるとしてシノフスキー氏が、社内を説得したためだという。
>
>  これが不評だったことで同氏が解職されたとの見方が出ている。USAトゥデーは、シノフスキー氏の後任であるジュリー・ラーソングリーン氏が最新版の改修を指揮するのではないかとする関係者の見方を紹介している。

ある程度は想定の範囲内だったとはいえ、やはりWindows8は発売早々問題を引き起こしているとしか評しようがないですね。
スタートメニュー問題以外でも、様々な不具合が頻発しているみたいですし。
まあ、プログラムが初期に様々な不良を起こすこと自体は、むしろ全くないと却って不正が疑われるくらいに「ある方が自然」なのですし、仕様変更も互換性の問題や操作性の相違などで、最初はなかなか素直に受け入れられなかったりするものなのですが。
初期不良や仕様変更の弊害が少なくないだろうと考えたものだから、私は逆にパソコン買い替えの際にWindows7にこだわったりしたくらいでしたし。
その判断はやはり間違ってなかったな、とついつい自分褒めをしたくなってしまうWindows8の惨状ですね(^_^;;)。
不具合については、今後のWindows Updateで漸次改善されていくことになるのでしょうが、スタートメニューについては再度の仕様変更にまでなってしまうわけですし、果たしてどうなっていくのでしょうかねぇ。
個人的には、デスクトップ&ノートパソコンでWindows7、タブレット端末専用のWindows8といった「棲み分け」を行なって欲しいところではあるのですが。
すくなくとも、Windows8搭載パソコンをWindows7にダウングレードしなければならないなどという、Windows Vista時代の悪夢の再現は勘弁願いたいです。

燃費向上で巻き返しを図るホンダのハイブリッド車戦略

ハイブリッド車でトヨタの後塵を拝しているホンダが、新たなハイブリッドシステムを2013年に販売する新モデル車に搭載すると発表しました。
燃費を従来よりも30%以上向上させ、価格もトヨタのアクアより安く抑える方針なのだとか↓

http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD120IL_S2A111C1TJ1000/
>  ホンダは主力のハイブリッド車(HV)用システムを刷新すると発表した。低・中速走行時にエンジンと切り離す仕組みなどを採用し、燃費を従来より30%以上高める。2013年に発売する小型車「フィット」の次期モデルから搭載する見通しだ。
>
>  現在はモーターがエンジンと直結するHVシステム「IMA」をフィットなど7車種に搭載している。新システムは低・中速走行時にクラッチでエンジンを切り離し、モーターだけで走行する仕組みを採用。従来のニッケル水素電池からリチウムイオン電池に変更し、燃費効率を高める。
>
>  2つのモーターを使うHVシステムも開発。
中型セダン「アコード」に搭載して充電可能なHV「プラグインハイブリッド車」として13年1月に発売する。後輪駆動用も含めて3つのモーターを使うHVシステムの開発も進め、15年にも発売する高級スポーツ車「NSX」に搭載する。

ハイブリッド車についてホンダは、「安かろう悪かろう」的なイメージがすっかり定着してしまっていますからねぇ(苦笑)。
ホンダのハイブリッド車「フィット」も、せっかく安い価格帯を実現したにもかかわらず「車体が小さいのにプリウスより燃費が悪い」とそっぽを向かれる始末でしたし。
その欠点が是正されることになれば、確かにホンダにも逆転の目はあると言えるでしょう。
ただ、ホンダは今までトヨタに対ハイブリッド車商戦で負けが続いてますから、その負のイメージを払拭することも少なからず求められることになるかもしれませんが。
この手の販売商戦では、商品の品質や性能とは別に「これまでのイメージ」という要素も結構重要だったりしますからねぇ。
ハイブリッド車商戦におけるホンダの巻き返しは果たしてあるでしょうか?

外で働く女性達の「仕事と家庭の両立」の実態

外で働く女性達が子育てとキャリアの両立に悩まされている実態を綴った記事が、週刊誌「AERA」の2012年11月19日号に掲載されています。
記事は「働く女性に社会の理解が足りない」的な論調で締めくくっているのですが……↓

http://megalodon.jp/2012-1113-2049-37/zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20121112-00000006-sasahi-soci
>  働きながら子育てする女性が増えた。しかし、子育てとキャリアの両立にジレンマを抱える女性も少なくないようだ。
>
>  思い詰めた表情で、小6だった娘が発した言葉が胸に刺さった。
>
> 「お母さん、仕事辞めてくれない?」
>
>  大手保険会社の女性課長(46)は昨年、娘の中学受験を経験した。塾では大量の宿題が出され、多くの子どもは専業主婦の母親が手取り足取りフォローをし、成績を伸ばしていた。なのに、自分は娘の宿題を見る時間はほとんどなかった。成績で決まる塾での席順は目に見えて後退した。娘も我慢を重ねていたのだろう。
普段は無理を言わない娘が、冒頭の訴えをしたのだ。
>
>  女性はちょうどその時、部門の抜本改革を担当するリーダーだった。「前代未聞の忙しい時期」だったこともあり、塾が終わる夜9時に娘を迎えに行くためダッシュで会社を出て、帰宅後家事を済ませると、深夜まで持ち帰り仕事をこなす日もあった。「娘の訴え」を聞いた受験半年前からは、朝5時に起き、娘とマンツーマンで2時間勉強をした。
>
>  女性は34歳で出産。育休から復帰後は、保育園やファミリーサポートを利用しながらフルタイムで働いた。
娘に不自由な思いをさせてまで働いているのだから成果を上げたいと思い、出産前より仕事へのこだわりが強まった。会社もそんな彼女を、キャリアアップしながら働く女性のモデルとして後押しした。出張を免除され、クリエーティブな仕事を与えられ、3年前に課長への昇進を打診された。
>
>  迷った。責任が増し、忙しくなるのは目に見えていた。メンター役の先輩ワーキングマザーに相談すると、
>
> 「自分の裁量が増すぶん、管理職のほうが働きやすくなる」
>
>  と応援してくれた。
>
>  だが、管理職は想像以上の大変さだった。二十数人の部下が適材適所で働けているか目を配り、相談に答えられるよう幅広く業務知識を身につけなければならない。
時間的にも精神的にも仕事のウエートが増した。夫は忙しい時の塾の迎えなどを担当してはくれたが、そこまでして母親が働く必要があるのかという態度が透けて見えたし、実母にははっきり批判された。
>
> 「父親が出世したら、なんで出世なんて、とは決して言われない。母親は出世したら周囲も自分もジレンマを抱える。ワーキングマザーの出世とはそういう複雑さを抱えています」
>
> ※AERA 2012年11月19日号

この手の話題が出る度にいつも考えざるをえないのは、「母親(女性)の都合しか述べられていない」ということに尽きますね。
もう一方の当事者であるはずの「子供」の考えはどうなのか、という問題意識がまるで語られないわけです。
この記事に登場している母親的には、別に子供をないがしろにしているつもりもなければ、子供に対して申し訳ない感情を抱いてもいるのでしょう。
しかし彼女は、それでも自分が外に出て働きカネを稼ぐことに固執していたわけですし、それが子供にどんなに寂しい思いをさせているのかについて「頭だけの理解」に留まっていたわけです。
この母親に対する子供の「仕事を辞めて欲しい」という訴えは、記事にあるような塾での成績の問題も当然あったでしょうが、それ以上に「もっと自分の相手をして欲しい」というシグナル的な意味合いもあるでしょう。
記事中の母親は別にシングルマザーというわけでもなく、夫や祖母も母親の仕事熱心ぶりに批判的ですらありますが、金銭的に切迫しているわけでもないのに「子供を構うことなく外での仕事に没頭する」的なスタンスを取っていればそうなるのも当然でしょう。
すくなくとも表面的に見る分には、まさに母親が育児放棄しているようにすらも解釈されてしまう余地も充分にあるのですし。
この母親の主張を見ても、自分の仕事の都合しか語っていませんし、仕事に没頭する母親が子供に「叛逆」されてしまったモデルケースと言えるものではありますね。

外へ働きに出る女性達は、必ずと言って良いほど「自分は子育てと仕事の双方をきちんと両立させている」と主張します。
しかしその実態は、子育てを他人の手に委ねたり施設に預けたりして自分は子供のことをロクに構わないのに、子供が不満を述べない(言えない)のを良いことに「自分に甘い評価」を下している事例がほとんどです。
件の母親も、娘のことを「普段は無理を言わない」と評していた辺り、似たような認識を抱いていた可能性が濃厚ですし。
ところが実際はかくのごとし、というわけで、「子育てと仕事の双方をきちんと両立させていた【つもりだった】」母親はさぞかしショックを受けていたことでしょうね。
そもそも、自分の子育てについてことさら自虐的に悪く言う親なんて、実際に誰の目にも不祥事を公然とやらかした子供を持つ親でなければ相当な変わり者の類でしょうし。
「ワガママを言わない子供」などというのは、子供が不満を持っていない証明になんてまるでならないのですし。
外へ働きに出る出ないに関わりなく、親の贔屓目や世間体の問題が少なからず絡んでくる「子育てに関する親の自己評価」など、到底当てにできるシロモノなどではないのですが。

外へ働きに出る女性が増えた背景には、男女平等イデオロギーが浸透していったこと以上に「共働きでなければ家庭を維持できない」という経済的な事情も決して少なくはないでしょう。
それも元を質せば、女性の労働力供給による労働単価の引き下げを企業が求めたことに原因が求められはするのですが。
しかし、親が子供に構わなくなることで子供が蒙る悪影響は、その子供の一生を左右するとすら言っても過言ではないほど深刻です。
特に幼少時の子供にとって、自分の母親というのは「世界の全て」とすら言って良いほどの存在です。
その母親から母性本能と愛情をもって育てられず、母親との信頼関係が構築できなかった子供は、母親以外との対人コミュニケーションでも多大な支障をきたすようになります。
自分と最も身近にいて「世界の全て」ですらある母親の愛情すらもらえない状態で、どうして世間一般のことを信じることなどできるのでしょうか?
もちろん、実際には母親以上に愛情を注いでくれる父親や知人の類に恵まれた人もいはするでしょうが、それはあくまでも「たまたま人間関係に恵まれていた」のであって「母親のことが信頼できないのが正常」であるわけではないのです。
母親の愛情に恵まれない子供は、「子供の自立心を養う」という観点から言ってさえも問題です。
子供は母親から愛情をもらうためなら何でもする存在なのですし、母親から虐待された子供がますます母親にしがみつくという事例も無数にあります。
子供が非行に走る有力な原因のひとつにも、「どんなことをしてでも親を自分に振り向かせたい」という動機があったりするのですし。
では、父親が母親の役目を代わりに担えば良いではないか、という反論もありはするでしょうが、しかし、特に幼少時の子供の育成において、子供に対して母親の役割を父親が代替で賄えるものはごく僅かなものであり、母親による子供の育児に勝るものはないのです。
母親が早期に亡くなったとか、母親の不祥事が原因で離婚して父親が子供を引き取ったとか、そういった特殊な事情でもない限りは、少なくとも幼少期の子供は父親ではなく母親がメインとなって面倒を見るべきなのです。

昨今の女性の社会進出は、子育てと子供の健全な成長を犠牲にすることで成り立っていると言っても決して言い過ぎではないでしょう。
子育てというものを大人の都合で安易に勘定し、下手すれば邪魔なものとしてすら社会的に扱ってきたことが、子供への悪影響、さらには非婚&少子高齢化の元凶にもなっているのです。
「働く女性に非ずんば人に非ず」的な働けイデオロギーを女性に強要しているような風潮が、男女平等には確実にあるのですが、それは子供はもちろん女性自身さえも不幸にするシロモノでしかありません。
そんな「女性の解放」でも目指しているとしか思えない一昔前の左翼なスローガン的男女平等思想は、マルクスとエンゲルスの共産党宣言ばりに時代錯誤な、前世紀どころか19世紀レベルの「古臭い」思想でしかないのですけどね。

映画「シルク・ドゥ・ソレイユ3D 彼方からの物語」感想

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映画「シルク・ドゥ・ソレイユ3D 彼方からの物語」観に行ってきました。
映画「タイタニック」「アバター」のジェームズ・キャメロン監督が製作を手掛けた、世界最高峰のパフォーマンス集団「シルク・ドゥ・ソレイユ」による人間の限界を超えたパフォーマンスショーと音楽を売りにする作品です。

映画の物語としては、一応は主人公となるらしいミアという女性が、田舎で開催されていた移動サーカス「マーヴェラス」へと足を踏み入れたところからスタートします。
ちなみにこの「ミア」という名前自体、作中で判明するのは物語も後半に入ってからのことだったりします。
彼女はサーカス会場を見物していく中で、ひとりのピエロからチラシを強引に押し付けられます。
そのチラシに掲載されていたのは、エアリアリストという名の空中ブランコショーの芸人。
ミアは彼の空中ブランコショーを観覧すべく、ショーが行われている会場へ足を踏み入れます。
エアリアリストの空中ブランコショーは途中までは順調に推移していたのですが、ショーを観覧しているミアと目が合い、微笑みかけたことから一瞬の隙ができてしまい、彼はブランコをハシゴすることに失敗、セーフティネットも張られていない砂の舞台へ真っ逆さまに転落してしまいます。
ところが、エアリアリストが砂に叩きつけられたその瞬間、突如砂がアリジゴクのごとくさらに下へと落下しはじめ、エアリアリストもそれに巻き込まれて姿を消してしまいます。
観客席にいたミアは思わず立ち上がり、エアリアリストの後を追って同じく砂の舞台の下へと落下することに。
そして、意識を失ったミアが目を覚ました時、そこは別世界としか思えない広大な大地が広がっていました。
ミアが辺りを見渡してみると、すぐ近くにサーカスのテントを連想させる、しかしその規模は相当なまでに大きな建造物が存在していました。
その中へ入っていったミアは、ピエロにもらったチラシを元にエアリアリストの行方を探し始めるのですが……。

映画「シルク・ドゥ・ソレイユ3D 彼方からの物語」では、上映時間の大半が「シルク・ドゥ・ソレイユ」によるパフォーマンスショーに費やされており、登場人物達も作中ではほとんど何もしゃべることがありません。
作中で登場人物達がしゃべっているセリフは数えられる程度しかなく、しかもそれ自体、「助けて」とかいった類のちょっとした単語を口にしている程度でしかありません。
一応軸となるストーリー自体は「サーカスだけで構成されているような世界で、ミアがエアリアリストを探し出す」的な内容となっているのですが、その進行のほとんどをパフォーマンスショーのみで表現しています。
ミアがエアリアリストを探してあちこち回っている先々で、「シルク・ドゥ・ソレイユ」の団員達?が様々なパフォーマンスショーを披露していくという按配です。
パフォーマンスショーの中には、エアリアリストを捕縛したり刺客達と戦いを演じたりするものなどもありますが、物語進行とは全く何の関係のないものもあります。
一般的な映画とは楽しみ方がまるで異なっており、良くも悪くも「パフォーマンスショーと音楽のための映画」ですね。
登場人物による駆け引きや心理描写やストーリーの謎を追うなどといったコンセプトは全く見出しようがないのですし。

今作を観賞する際には、映画というよりもサーカスでも観覧しに行く的なスタンスで臨んだ方が良いでしょうね。

映画「悪の教典」感想

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映画「悪の教典」観に行ってきました。
「海猿」シリーズその他でヒーローや善人的な役柄を主に担ってきた伊藤英明が一転してサイコキラーな悪役を演じることで話題となった、貴志祐介の同名ベストセラー小説を実写化したサスペンス作品。
教師がありとあらゆる犯罪に手を染めた挙句、最後には生徒を大量に殺害していくなどという、非常にショッキングな内容です。
そのため当然のことながら、今作はR-15指定を受けています。

今作のプロローグは、とある両親が寝室で顔を合わせ、息子の異常行為について話し合っているところに、サバイバルナイフ?を持った当の息子で今作の主人公・蓮実聖司が部屋の中に入ってくるシーンから始まります。
後の展開でこの事件は、「蓮実聖司の両親は強盗に殺され、蓮実聖司自身も重傷を負った」と公式には処理されていることが描写されていました。
もちろん、全ては蓮実聖司自身の自作自演であったこともきっちりと強調されていましたが。

それから時が経過し、蓮実聖司は東京都町田市にある私立晨光学院町田高校で英語の教師の職に就いており、そのルックスと面倒見の良さから、生徒達から「ハスミン」の愛称で呼ばれ人気を博していました。
その年の町田高校では、携帯電話を使った生徒による集団カンニングが疑われる問題が浮上しており、学校の職員会議ではその対策について論議が交わされていました。
その席上で蓮実聖司は、携帯での連絡を不可能にする妨害電波を試験時間限定で発信することにより、携帯を使ったカンニングを完全にシャットアウトできると提言します。
ただ、この方法は電波法に抵触するという問題もあり、職員会議では提案を却下、結局は「試験時間中は各教師の権限で生徒達から携帯電話を一時的に没収する」という案に落ち着いたようです。
しかし後で蓮実聖司は、独自に妨害電波を流すことで生徒達のカンニングを抑止するという行為に及んでいたりします。
また一方、蓮実聖司および学校は、クラスで「自分の娘がイジメを受けていた」として学校に乗り込んできた父親の対応にしばしば追われる羽目になっていました。
学校側は余計な面倒事を起こしたくないという事なかれ主義もあり何とか説得しようと努めるのですが、モンスターペアレントの気がある父親は、ここぞとばかりに連日学校にやってきては居丈高にヒステリックな糾弾を続けており、学校側もいいかげんウンザリしていました。
蓮実聖司にとってもそれは同じことで、ついに彼は件の父親を排除すべく動き出すことになります。
父親の家には猫除けのためなのか、水が入ったペットボトルが家の壁に沿って設置されていたのですが、彼はこの中身を灯油にすり替えて父親を事故に見せかけて殺害してしまいます。

かくのごとく、蓮実聖司は学校および自分の周囲で発生した問題の解決には熱心だったのですが、その解決のためには手段を問わず、脅迫や自殺や事故に見せかけた殺人なども躊躇なくやってのけるサイコパスな精神の持ち主でした。
助けてもらったことがきっかけで愛の告白をしてきた女生徒と肉体関係に及んだり、盗聴器を使って生徒と同性愛の関係に及んでいた教師の弱みを握って脅したり、さらには自分の過去の履歴を調査していた人間を死に追いやったりと、これでもかと言わんばかりに犯行を重ねていく蓮実聖司。
しかし彼は、来るべき文化祭の準備で夜にも準備作業が進められている学校内で、愛人関係にあった女生徒・安原美彌を投身自殺に偽装して殺害しようとした際、その現場に居合わせていたことを他の女生徒に見られてしまうことになります。
すぐさまその女生徒を後ろから襲撃し、素手で首を捻って殺害するのですが、あまりにも偶発的な行為だった上に死ぬ理由もない彼女をそのままを捨て置いていては、普通に殺人事件として扱われてしまい、自分に嫌疑の目が向けられる事態にもなりかねません。
当然、その窮余の事態を打開すべく、彼は死にもの狂いで策を考え始めます。
そして、彼の頭にひらめいた究極の打開策、それは何と「学校内にいる生徒達全てを自分の手で殺害し、その犯行の全責任を別の人間に擦り付ける」というものだったのです。
かくして、猟銃を片手に、前代未聞の大量殺人が始まることになるのですが……。

映画「悪の教典」は、とにかく最初から最後までまるで救いのない作品ですね。
サイコパスな主人公の蓮実聖司は、殺人その他の犯罪行為を行うことに全く躊躇がありません。
過去の経緯を見る限り、中学時代には中学の担任教師と実の両親を殺害していますし、アメリカのハーバード大学へ留学した際には、猟銃?の扱い絡みで親しくなった外国人を焼き殺すといった所業をやらかしていたりします。
そして、私立晨光学院町田高校へ転任してくる前の高校では、生徒4人が謎の自殺を遂げるという事件が発生していたりします。
どう少なく見積もっても、蓮実聖司は50人近い人達をその手にかけ偽装工作紛いのことを繰り返してきたことになりますね。
さらにこれに脅迫行為なども追加すれば、その犯罪履歴はとてつもない規模のものとならざるをえないでしょう。
よくもまあこれだけの犯罪を重ねてきた人間が、少数の例外を除けば今まで疑われることもなく、一定の社会的地位を維持できたものだなぁと、つくづく感心せざるをえなかったですね。
まあだからこそ、彼も同じところに長居をすることなく、わずか数年から数ヶ月程度であちこちを転々としているのでしょうけど。
同じところにずっと留まり続け、人付き合いも長くなってくれば、彼の周辺で自殺や事故の話が著しく多く、当の本人もしばしば巻き込まれている割には何故か再起可能なケガだけで済んでいるという状況に、さすがの周囲も気づいて不審感を抱いてくるリスクが増大せざるをえないわけですし。
今回の事件も、もし自分の意図通りに事が運び、目的を達成することができたならば、彼はまた別の高校に転任して一からやり直すつもりだったのでしょうね。

作中における蓮実聖司は、殺人や脅迫を行う際も怒りや憎悪などの表情を浮かべることがありません。
彼は常に笑顔か、せいぜい無表情を浮かべた顔で、淡々と殺人や脅迫等の犯罪を犯したり犯行の後始末をしたりしています。
蓮実聖司の凄まじいところは、たとえ自分の計画が失敗し、その犯行が世間の明るみに出るかもしれない、または出てしまったという局面においてさえも、すくなくとも表情面には全く動揺や負の感情が出てこなかったことです。
ラストの顛末なんて、彼の視点的には、生き残った2人に対して後ろ暗い表情を浮かべたり、「何故お前ら生きていやがった!」的な感情を叩きつけたりしても良さそうなものだったのに、それでもなおあれだけの演技ができるというのは凄いを通り越して怖いですね。
犯行の疑いを自分に向けさせないために、自分の身体に「重傷に見える傷」をつけることにも全く躊躇がありませんし、自分の計画が露見してもなお、狂気な精神異常者を装い責任能力喪失の路線で自身の罪を免れようとするのですから。
まさに「悪の教典」と呼ぶにふさわしい、同情の欠片も救いの余地もまるで見い出せない絶対悪ぶりでしたね。
そして、「海猿」シリーズや「252 生存者あり」などで人助けに全力を挙げる善人ぶりを演じてきた伊藤英明の好演にも必見です。
蓮実聖司のキャラクター像というのは、これまで伊藤英明が演じてきた人間とは全くの対極に位置するものなのですし。
今作で伊藤英明は、これまで築き上げてきた自分の俳優としてのイメージ像をあえて壊すことに注力していたのではないでしょうか?
あまりに同じ役柄を演じ続けると、そのキャラクターのイメージ像が固定されてしまい、却って仕事が来なくなってしまったりすることもあるわけですし。
「海猿」シリーズの大ヒットで、「伊藤英明=仙崎大輔」的なイメージもすっかり定着していますからねぇ。
ただ一方では、これまでのイメージ像が壊れることで、却って人気が落ちて短期的に仕事が来なくなるというリスクもあったりするので、俳優にとっても一種の賭けではあったりするのですが。
今作における伊藤英明の演技は、果たして彼にとって吉凶いずれの結果をもたらすことになるのでしょうか?

ただこの作品、エンドロールの直前に思わせぶりな描写が映し出された挙句に「TO BE CONTINUED」の文字が出てきていたのですが、あの顛末で一体どうやって続編が製作できるというのでしょうか?
すくなくとも蓮実聖司は、作中の事件で自身の犯行である証拠と証人が揃ってしまっていますから無罪放免は難しいでしょうし、仮に万が一「責任能力喪失による無罪」になったとしても、今後の彼には「一生精神病院に収容される」という末路が待っているだけでしかないでしょう。
彼に唯一可能性があるとすれば、作中でも披露されていたスパイアクション映画の主人公並に桁外れな格闘戦闘能力を駆使して監視者達を倒して逃亡を果たし姿を暗ました後、別人になりすまして全く新しい人生を歩むシナリオが展開される、といったパターン辺りにでもならざるをえないのではないかと。
あるいは、ラストで自殺を装って学校の屋上から落とされていた安原美彌が奇跡的に意識を取り戻したことから、蓮実聖司のサイコパスぶりが彼女に伝染でもして安原美彌が新たな犯罪者になるというストーリーが展開されることになったりするのでしょうか?
それともいっそ、続編というのは題名だけで、実際には今作とはストーリーや設定面では何の関連性もない、全くの別人を題材にした全く別の物語が作られるという意味なのでしょうか?
すくなくとも、蓮実聖司がまた主人公として悪逆非道の限りを尽くす、というシナリオは成立しえないのではないかと思えてならないのですけどねぇ。

内容が内容なので、観れる人を確実に選びそうな作品ではありますね。
すくなくとも、「海猿」シリーズにおける「伊藤英明=仙崎大輔」的なイメージを当て込んで今作を観賞するのは止めた方が無難です。
そのイメージがどのように壊されるのかを観賞する、というのであれば必見かもしれませんが。

テレビドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」 第5話感想

全10話放送予定のTBS系列の金曜ドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」。
今回はちょうどテレビドラマ版の折り返し地点となる、2012年11月9日放映分の第5話の感想です。
前回第4話の視聴率は7.6%で、著しくダウンした前回のそれよりもさらに低くなってしまっています。
何かこのテレビドラマ版「大奥」って、初回放映から視聴率が右肩下がりの一途を辿っているのですが、やはり話が全体的に暗すぎるのと、現時点では大奥の外の話を除外しすぎて「男女逆転」という作品の売りの必然性に今ひとつ説得力がないことが、一般視聴者を敬遠させていたりでもするのでしょうかねぇ。
原作には忠実すぎるくらいに忠実なので原作ファンには受けそうなものなのですが、それで新規のファンを獲得するにはやや力不足ということなのかなぁ、と。
なお、過去の「大奥」に関する記事はこちらとなります↓

前作映画「大奥」について
映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想

原作版「大奥」の問題点
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
コミック版「大奥」検証考察2 【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】
コミック版「大奥」検証考察3 【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】
コミック版「大奥」検証考察4 【支離滅裂な慣習が満載の男性版「大奥」】
コミック版「大奥」検証考察5 【歴史考証すら蹂躙する一夫多妻制否定論】
コミック版「大奥」検証考察6 【「生類憐みの令」をも凌駕する綱吉の暴政】
コミック版「大奥」検証考察7 【不当に抑圧されている男性の社会的地位】
コミック版「大奥」検証考察8 【国家的な破滅をもたらす婚姻制度の崩壊】
コミック版「大奥」検証考察9 【大奥システム的にありえない江島生島事件】
コミック版「大奥」検証考察10 【現代的価値観に呪縛された吉宗の思考回路】

テレビドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」
第1話感想  第2話感想  第3話感想  第4話感想

第5話は、コミック版「大奥」3巻のP73~P93までのストーリーが展開されています。
しかし、原作のページ範囲を見ても分かるように、第5話はこれまでの話と比較しても原作ストーリーの進行が遅く、かつオリジナルエピソードの多い回となっています。
原作の内容的に見ると、捨蔵が大奥に上がってから女版家光が出産するまでのエピソードしかないのですし。
前回の第4話もオリジナルエピソードが少なからず盛り込まれていた回ではありましたが、今回はそれ以上に原作ストーリーの補完とオリジナルエピソードに終始した話であると言えます。
今回作中で披露されたオリジナルエピソードは以下の通り↓

・捨蔵と春日局&稲葉正勝とのやり取り。
・有功に捨蔵の後見役を担わせるよう春日局が画策。
・有功による捨蔵への指導と、それに疑問を抱き怒りを抱く玉栄。
・自身が大奥に来るまでの経緯を捨蔵に話す有功と、捨蔵を穏やかに脅す玉栄。
・有功と女版家光の語らい。
・稲葉正勝の妻子が、春日局を訪ねて江戸城へ来訪し、シカトを決め込んだ春日局を待ち続ける様子を稲葉正勝が陰から伺う。
・女版家光との褥に捨蔵が臨む前の有功の激励。
・3話で殺害された若紫とよく似た白猫を稲葉正勝が拾い、さらにそれが有功の下に居つく。
・その白猫に若紫の面影を見出し、同様する玉栄と、その様子を見て玉栄の所業を見抜いた有功。

オリジナルエピソードは、原作に描写がなかったり「気づいたらこうなっていた」的な部分に状況的な説明や補完をする構成となっているので、原作ファンであれば「ああ、あの描写の裏にはこういう事情があったのか!」と納得することしきりな展開になっています。
ただ、それで新規のテレビドラマ視聴者まで引き込めるものになっているのかというと、そこには疑問符を付けざるをえない一面が否めないところなのですが。
ああいうのって、「原作を知っているからこそ納得できる」という要素が少なくなく、逆に全く知らない人間からすれば無用な説明が長々と展開されているだけのように見えることすらあるわけですからねぇ。
ただでさえテレビドラマ版「大奥」では、陰々滅々とした話が第1話から延々と続いているのですし、原作のストーリーに忠実である限り、この傾向が最終話まで緩和される見込みはまるでないときているのですから。
ひたすら原作ファン向けに製作しているとしか思えないこの構成は、視聴率獲得という観点から見れば全くの逆効果でしかないような気が……。

テレビドラマ版の完全なオリジナルエピソードである「稲葉正勝の妻子と春日局」絡みの話ですが、あれほどまでに「戦のない平和な世の中」とやらに拘泥し、そのためならば多くの犠牲を払うことも辞さない春日局ともあろう者が、たかだか稲葉正勝の妻ごときにああまで逃げ腰なスタンスになってしまうというのはどうにも解せないですね。
稲葉正勝の安否の確認などという、下手すれば大奥の最高機密にも抵触しかねない行為に及んでいる稲葉正勝の妻の雪は、春日局にとってはまさに「邪魔者」以外の何物でもないはずなのですし、何故さっさと澤村伝右衛門辺りに斬り殺させないのか疑問に思えて仕方がないのですが。
別に彼女が死んでも、稲葉家の存続自体は既に長男と長女がいるわけですから何の問題もないわけですし、そもそも春日局にとっての雪は「他家から嫁いできた余所者」でしかなく、殺しても何の支障もない存在でしかないでしょうに。
「戦のない平和な世の中」ために血も涙もない犠牲を払うことに躊躇しない春日局が、身内に対しては何と甘いことよ、と考えずにはいられなかったですね(苦笑)。
まあそれを言ってしまうと、そもそも女版家光に対しても、ああまで「自由」を許していること自体、自分の意のままに操り世継ぎを産ませるという観点から見れば非効率も甚だしい限りではあるのですが。
自分の命令が神の信託であるがごとく絶対的なものであると教育し、少しでも自分の命令に背いたら半殺しクラスの虐待を行うことで躾けを行い、自我というものを殺しつくして自分の意のままに動かせる奴隷人形のごとく女版家光を育てていれば、あんな回りくどいことをする必要も手間もなかったはずでしょうに。
過去の歴史を紐解いても、皇帝や国王を傀儡として利用する人間は、常にそういう人間を自分の意のままにできるように堕落させたり強制的に従えたりしてきたものなのですし。
春日局に対してすらワガママ放題に振る舞ったりしている女版家光の態度を黙認するなど、他ならぬ春日局の立場や信念から言えば到底考えられない愚行でしかないはずなのですけどね。

ラストシーンにおける有功と玉栄の会話は、原作2巻のP198~P200における2人のやり取りをトレースしてきたものですね。
原作ではやや唐突だった感のある「有功が玉栄の所業に気づく過程」を、テレビドラマ版では詳細に描いていて、この点に関しては原作よりも描写が上手いと言えますね。
ただ、若紫を殺して角南重郷を自害に追いやったことを「今日まで悪いこととは思っていなかった」というのは、さすがにどうなのかと思わずにいられなかったのですが。
第3話では、「計画通り!」と言わんばかりの悪人的な笑いの表情を浮かべていた玉栄だったのですから、てっきり「悪を背負う覚悟と信念で一連の所業を行っていた」とばかり考えていた私としては拍子抜けもいいところでした。
ここは下手に設定補完な説明を入れたがために、却って玉栄の考えなしな覚悟のなさと小人ぶりが浮き彫りになってしまった感があります。
まあここでは、「お前はいい子や」と玉栄に話しかける有功の方が逆に不気味に見えたくらいでしたが。
原作では憐みの感情のみ発せられていたであろうあの発言は、表情といい口調といい、何らかの悪意が明らかに感じられたものでしたからねぇ、あの有功からは。

次回の第6話は、次回予告を見る限りでは、捨蔵が転んで半身不随になり、さらに玉栄が女版家光の御中臈になるところまでのストーリーのようですね。
大奥の外における他の武家の様子もようやく描かれることになりそうで。
テレビドラマ版でも描かれることになるであろう「大奥」世界における社会システムの改変は、果たして原作よりも説得力のあるものになりえるのでしょうかねぇ。

「Windows Live Messenger」が2013年第1四半期に「Skype」に統合

Microsoft社が提供している「Windows Live Messenger」が、2013年第1四半期に同社が買収した「Skype」に統合・廃止されることが決定しました。
同サービスは12年も続いてきたとのことですが、その歴史に幕が下ろされることになります↓

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1211/07/news023.html
>  米Microsoftは11月6日(現地時間)、メッセージングサービス「Windows Live Messenger(以下Messenger)」を「Skype」に統合し、2013年第1四半期に提供を完全に終了すると正式に発表した。約12年以上続いたサービスが終えんを迎える。
>
>  Microsoftは2011年10月に、Skypeを約85億ドルで買収した。Skypeは現在、Microsoftの1部門「Skype Division of Microsoft」となっている。
>
>  同社は10月にSkypeのデスクトップ版のアップデートで、Microsoftアカウント(Windows Live Messenger、Hotmail、Outlook.com)あるいはFacebookのアカウントでSkypeにログインできるようにした。現在、ログインするアカウントとしてMicrosoft、Facebook、Skypeのいずれかを選べるが、いずれ(いつからになるかはまだ発表されていない)SkypeのアカウントをMicrosoftアカウントにマージする(つまりSkypeアカウントはなくなる)よう促されることになる。
>
>  Messengerのユーザーは、Skypeの最新版をダウンロードし、MicrosoftアカウントでログインすることでSkypeに移行できる。最初にログインした際に、Messengerの連絡先がSkypeに取り込まれる。
>
>  MicrosoftアカウントとSkypeの双方のアカウントを持っているユーザーは、ログイン画面でSkypeアカウントをMicrosoftアカウントにマージするよう促される。
>
>  アカウントマージ画面 アカウントマージ後のSkypeの連絡先 アカウントをマージしてログインすると、「連絡先」にMessengerの連絡先も表示され、相手も既にSkypeを使っていればMessengerの相手とSkypeの機能を使ってコミュニケーションできる。
>
>  Windows Live担当ジェネラルマネジャーのブライアン・ホール氏は、公式ブログ「Inside Windows Live」で「IMやMessengerを取り巻く環境は大きく変わった。人々は(PCでよりも)電話でメッセージングを使うことが多くなり、FacebookやTwitterを使うようになった。そして、Skypeが、音声および動画チャットとメッセージングのための最上の手段になった」と語り、Skypeに移行すればMessengerよりも多くの方法で、多くの端末、プラットフォームでユーザー同士がコミュニケートできると説明した。今後、SkypeとOutlook.comとの連係を改善していくという。
>
>  Messengerの会話履歴はOutlook.comに保存されるが、今のところSkypeの会話履歴はまだOutlook.comに保存できない。今後そうした機能が改善されるとみられる。

「Skype」を買収したMicrosoft社が「Skype」を自社サービスに活用しないわけもなかったのですが、それが従来の自社サービスを終了させることになるとは皮肉もいいところですね。
もっとも、個人的に「Windows Live Messenger」は、正直「何のために存在するの?」「パソコンに無駄な負担をかけているだけの常駐ソフト」的な認識しかなかったのですが。
チャット機能などはそもそも相手がいないために使いようがありませんでしたし、今までのパソコン環境では、映像や音声でのやり取りを行うことができませんでしたからねぇ(T_T)。
私のパソコンが映像・音声配信に対応できるようになったのは、この間パソコンを買い替えて以降のことだったのですし。
今までは特に必要とは考えていなかったのですが、「Skype」のテレビ電話機能には少々心動かされるものがありましたからねぇ(苦笑)。
まあ、今後使う機会があるのか否かは私にも全く分からないのですが(-_-;;)。
mixiやFacebookなどもそうなのですが、どうもリアルタイム系のコミュニケーションツールは私にはあまり向いていないみたいでしたね(T_T)。

テレビ電話&多人数会話ツールとしての「Skype」には色々な使用用途がありそうなものなのですが、今後は一体どうなっていくのでしょうかねぇ。

銀英伝外伝舞台「輝く星、闇を裂いて」の公演まであと1週間

最近あまりチェックしていなかったのですが、気がついたら銀英伝外伝舞台「輝く星、闇を裂いて」の公演が1週間後に迫っていますね。
キャストの詳細もすでに発表されているようで↓

銀英伝舞台版公式サイト
http://www.gineiden.jp/
「輝く星 闇を裂いて」公式ページ
http://www.gineiden.jp/kagayaku/

なお、キャスト内容は以下の通り↓

横尾 渉 =ジークフリート・キルヒアイス(前回舞台と同じ配役)
二階堂高嗣=ダーフィット・フォン・ロイス(舞台版オリキャラ、前回舞台はコールドウェル)
仲原裕也 =ヘルマン・フォン・リューネブルク
岩永洋昭 =ワルター・フォン・シェーンコップ(前回舞台と同じ配役)
三上 俊 =エーリッヒ・フォン・ハルテンベルク(前回舞台はモランビル)
間宮祥太郎=ラインハルト・フォン・ローエングラム
岸 祐二 =ウルリッヒ・ケスラー
小林且弥 =カール・フォン・デア・デッケン
桑野晃輔 =カスパー・リンツ
藤原啓児 =アレクサンドル・ビュコック
廣瀬大介 =ウィレム・ホーランド
松村泰一郎=ライナー・ブルームハルト(前回舞台と同じ配役)
志賀圭二郎=リヒャルト・フォン・グリンメルスハウゼン
山本 修 =シンクレア・セレブレッゼ
コトウロレナ = エリザベート・フォン・リューネブルク
鶴町梨紗 =ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ
佐藤和久 =グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー
深澤英之 =ラザール・ロボス(前回舞台と同じ配役)
倉田昭二 =オットー・フランク・フォン・ヴァーンシャッフェ
四宮勘一 =アルベルト
山本拓己 =サムウェル

前回の舞台におけるラインハルト役はニコラス・エドワーズなる人物が演じていたはずなのですが、今回またしても配役交代となったようで。
外伝の小規模舞台な話であるとは言え、よくまあコロコロと配役を変えるものですね。
いくら「大人の事情」があるとはいえ、配役は一貫して同じ人にして欲しいものではあるのですけど。
今の調子で行けば、2013年には正伝の第三章の舞台公演が行われることになるのでしょうが、その際には是非とも第一章当時の配役・松坂桃李に戻して欲しいものです。
今となっては、映画にもそれなりの役で顔を出している有名人でもあるわけですし(^_^;;)。

主演の2人は、前回の外伝舞台で惨憺たる評価を受けた挙句、銀英伝舞台版公式ブログを炎上させた元凶ですらあるのですけど、今回は果たして大丈夫なのでしょうかね?
前回の外伝舞台の出来については、まだDVDを入手していないので何とも言えないのですが。

プリウスが月間販売台数首位の座から遂に転落

2012年10月の車名別新車販売台数月間ランキングで、16カ月連続で首位を維持していたトヨタのプリウスがついに3位へ転落しました。
1位は同じトヨタのハイブリッド車アクア、2位はスズキの軽自動車ワゴンRと続いています。

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/121106/biz12110611410006-n1.htm
>  日本自動車販売協会連合会などは6日、10月の車名別新車販売台数を発表し、トヨタ自動車の小型ハイブリッド車(HV)「アクア」が2万4192台で昨年12月の発売以来、初めて首位に立った。2位にはホンダの軽自動車「N BOX」が浮上、前月まで首位だったトヨタの「プリウス」は3位に後退、トップ3が大きく変動した。
>
>  アクアは排気量1500ccエンジンと高出力モーターを組み合わせ、JC08モードでガソリン1リットル当たり35・4キロの燃費を達成した。価格も169万円からとプリウスより約50万円安い。
>
>  プリウスは昨年6月以降、16カ月連続で首位を維持した。10月は前年同月比38・9%減の1万8116台。プリウスは3代目の現モデルが4年目に入り、販売ペースが鈍化している。
>
>  「N BOX」は1万8203台を販売、昨年12月の発売以来、初めて2位に浮上した。
>
>  スズキの軽「ワゴンR」が50・6%増の1万5946台で4位。5位と6位にダイハツ工業の軽「ミラ」(1万3837台)と「タント」(1万2101台)が続き、
エコカー補助金終了後も燃費性能の高いHVと軽の販売好調が浮き彫りとなった。

ハイブリッド車と軽自動車が好調というのは、やはりこの不況な御時勢の財政事情を反映してもいるのでしょうね。
クルマにそこまでの贅沢はできないから、できるだけ車体も燃費も安く抑えられるようにしたい、という思惑が当然のごとくあるのでしょうし。
かくいう私自身、今年のクルマ買い替えの際にはアクアとプリウスのハイブリッド車が共に候補に挙がり後者を選定していたのですし、車体はともかく燃費は安く抑えられるという思惑は当然のごとくありましたからねぇ(^^;;)。
逆に、スポーツカーのようなタイプのクルマは、昨今ではあまり流行のしようもないでしょう。
形はカッコ良く運動性や瞬発力は抜群でしょうが、如何せん燃費は食うし積載量も少なすぎるときているのですから。
そう考えると、ひたすら実用性が重視される昨今のクルマ販売の実情は、どことなく寂しいものがあると言わざるをえないですね(T_T)。
見た目のカッコ良さと装飾性がクルマに求められる時代なんて、今後来るのか否かも不明ではあるのですが。

映画「北のカナリアたち」感想

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映画「北のカナリアたち」観に行ってきました。
湊かなえの短編集「往復書簡」に収録されている短編小説のひとつ「二十年後の宿題」を原作とする、吉永小百合主演のヒューマン・サスペンス作品。

今作の冒頭では、雪が降り注ぐ離島でキャリーバッグを引き摺りながら移動している女性の姿が映し出されます。
彼女の名前は北島はるといい、離島にある小学校で教師をしていました。
しかし、島でとある事件が起こったことをきっかけに悪い噂が流れたことから、彼女は島民から避けられるようになってしまい、結果的に島を離れなくてはならなくなってしまいました。
ただひとり港へと向かう北島はるの前方に、彼女の教え子のひとりだった鈴木信人が姿を現します。
自分を見送りに来てくれたのかと思ったのであろう北島はるは、「のぶちゃん!」と鈴木信人へ歩み寄ろうとするのですが、当の鈴木信人はそばにあった石を拾い、北島はるに目がけて投げつけます。
石は狙い違わず北島はるの頭に命中。
額から血を流し、半ば呆然とする北島はるを尻目に、鈴木信人は謝罪の言葉もなくその場から足早に去っていくのでした。

それから20年後。
島を離れて以来、東京の国会図書館で勤続していた北島はるは、定年退職の時を迎えていました。
職場の人に「今までお疲れ様でした」と見送られ、自宅へと戻ってきた北島はるでしたが、そこへ警察の人間2人が彼女を訪ねてきます。
警察が彼女の元を訪ねてきた理由は、彼女のかつての教え子で、冒頭のシーンで石を投げつけてきた鈴木信人に絡むものでした。
鈴木信人は殺人事件を起こして行方を眩ましており、しかも彼の家には北島はるの現住所と連絡先が書かれていた紙が貼られていたというのです。
当然警察は「鈴木信人から何か連絡がありましたか?」と質問してくるのですが、北島はるは「20年前に島を離れて以来、連絡は取っていない」と返答。
関わりがあったのが20年も前ということもあってか、警察もそれ以上北島はるを疑うこともなく、部屋に置かれていた草津温泉のパンフレットを見て「旅行へ行くんですかぁ」などと雑談に興じたりしていました。
一応、去り際には「もし鈴木信人から連絡があったら、私の元へご連絡を」と連絡先の名刺を渡してはいましたが。
しかし、これをきっかけとして北島はるは、かつての教え子達6人の元をひとりひとり訪ねるべく、単身北海道へと向かうことになります。
まずは6人の中で唯一結婚し姓を変えている、戸田(旧姓:酒井)真奈美の元を訪ねることになるのですが……。

映画「北のカナリアたち」は、主演である吉永小百合をはじめとする豪華キャストもさることながら、3100人のオーディションから選抜されたという子役のチョイスもなかなかのものがありますね。
公式サイトのINTRODUCTIONページによると、この子役達は「天使の歌声を持っているか否か」で選定されたようなのですが、成人後の役を担う俳優さん達と比較しても、幼少時の面影や背格好などの構図がそのまま被せられるようなチョイスになっています。
おかげで物語のラストにおける旧小学校で全員が一堂に会した際も、幼少時と成人後の組み合わせが分からなくなるということは全くなかったですね。
この辺りの作りこみはなかなかに上手いのではないかと思いました。
また、ストーリーが進行するにつれて、20年前の事件の全貌や、当時における登場人物達の心情が少しずつ明らかになっていく構成になっており、その過程も丁寧に描かれているため、人間ドラマとしてのみならずミステリー的な視点でも楽しむことができます。
ラストで6人全員が一堂に会するシーンは、ややご都合主義的な展開であってもやはり感動的なものではありますし。
さらには、実はその演出自体が北島はるが最初から画策していたものだった、などというオマケまでつきますし。
物語序盤における警察とのやり取りで出てきた「鈴木信人とは連絡を取っていない」云々自体が実は全くのウソだった、という展開は、あの冒頭の石投げシーンも相まって最初の時点で気づけるものではなかったですからねぇ(苦笑)。
この辺り、本当に展開の仕方が上手く、私も見事に騙されてしまいました(T_T)。

今作における主人公である北島はるという人物は、良くも悪くも「自分よりも他人のことを優先に考える」人間ですね。
病で余命半年の夫・北島行夫のために北海道の離島へとやってきたり、自殺しようとしていた警官・阿部英輔を不倫の噂を流されてまで無理にでも引き留めようとしたり。
彼女にしてみれば、相手が自ら死の道を歩もうとしていることが我慢ならなかったのでしょうし、そんな道を選ぶことなく幸せになって欲しかったというのが本音であったのでしょう。
ただ彼女の場合、特に20年前はそれが完全に空回りしていて、結果的に周囲の人間を却って不幸にしていた感が多々ありますね。
彼女が6人の生徒達に歌を教えていた件などはまさにその典型で、アレのために6人の生徒達は内部分裂を引き起こした上、それを改善するために主催したバーベキューで北島行夫が死んでしまった上、北島はるの不倫話が村中に広がってしまったことで、生徒達の心の傷が修復不能までに悪化してしまったのですから。
自分のやることなすことがことごとく最悪の方向へと転がっていく様を見て、当時の彼女はさぞかし絶望せざるをえなかったのではないかなぁ、とつくづく思わずにはいられなかったですね。
下手すれば、それこそ彼女自身が自殺してもおかしくはなかったでしょうし。
しかし、それでも6人の生徒達にとっての北島はるは、やはりなくてはならない存在であったし、彼女と別れる羽目になった後もそれは変わらなかったのでしょう。
彼らは全員、自分達の家族に少なからぬ問題を抱え込んでおり、自分のことを真剣に見てくれる者は北島はるを除き誰もいなかったわけなのですから。
作中のごとき不幸な事件があってもなお北島はるが6人の生徒達から慕われていた理由は、彼女が初めて自分達と真剣に向き合ってくれる「本当の母親」のごとき存在だったからでしょう。
ただ、それでも北島はると出会ったことが6人の生徒達にとって本当に良かったことなのか否かは、物語の全体像を見ると結構疑問に思わざるをえない部分も多々あったりするのですが。
幼少時の心の傷を20年間も抱え込んで生きていかなくてはならなかった、という事実は、その後の人生に間違いなく多大な負の影響を与えるものとなりえるのですからねぇ。
もしあの6人の生徒達が、北島はると出会うことのない幼少期を過ごしていたら一体どのような人生を歩むことになっていたのか、というIF話は少々興味をそそられるところです。

あと、物語とは全く関係ないのですが、今作で北島行夫を演じていた柴田恭兵って、映画「エイトレンジャー」に出演していた舘ひろし共々、すっかり人間が丸くなった役柄が似合うようになってしまったのだなぁ、と往年の「あぶない刑事」ファンとしては考えずにいられなかったですね。
個人的にはあちらのキャラクター像の方が好きなのですけど、今作や「エイトレンジャー」のような描写のされ方も似合っていた辺り、2人ともすっかり年を取ってしまったのだなぁ、と。
年月の経過や人の老いというのはこういうところにも表れるものなのか、とついつい考えてしまったものでした(T_T)。

感動的かつハッピーエンドな人間ドラマが見たいという方はオススメな作品ですね。
あと、ミステリー好きな人も意外にその面白さを感じられるところがあるかもしれません。

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