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テレビドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」 第7話感想

全10話放送予定のTBS系列の金曜ドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」。
今回は2012年11月23日放映分の第7話感想です。
前回第6話の視聴率は9.0%。
前回は諸般の事情でいつもより1時間遅い23時からの放映となっていたはずなのですが、その割にはやや前進したと言える視聴率ではありましたね。
放映が遅くなったことが逆に幸いした要素でもあったりしたのでしょうか?
なお、過去の「大奥」に関する記事はこちらとなります↓

前作映画「大奥」について
映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想

原作版「大奥」の問題点
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
コミック版「大奥」検証考察2 【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】
コミック版「大奥」検証考察3 【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】
コミック版「大奥」検証考察4 【支離滅裂な慣習が満載の男性版「大奥」】
コミック版「大奥」検証考察5 【歴史考証すら蹂躙する一夫多妻制否定論】
コミック版「大奥」検証考察6 【「生類憐みの令」をも凌駕する綱吉の暴政】
コミック版「大奥」検証考察7 【不当に抑圧されている男性の社会的地位】
コミック版「大奥」検証考察8 【国家的な破滅をもたらす婚姻制度の崩壊】
コミック版「大奥」検証考察9 【大奥システム的にありえない江島生島事件】
コミック版「大奥」検証考察10 【現代的価値観に呪縛された吉宗の思考回路】
コミック版「大奥」検証考察11 【排除の論理が蠢く職業的男性差別の非合理】

テレビドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」
第1話感想  第2話感想  第3話感想  第4話感想  第5話感想  第6話感想

第7話のストーリーは、原作3巻のP128~P196までの内容を担っています。
女版家光がお忍びで江戸城の外を見回る女版家光の描写から始まり、春日局が病で倒れ江戸城内に赤面疱瘡が蔓延したとの村瀬正資の報告を受けて有功がテキパキと指示を出すまでの物語となります。
今話のオリジナルエピソードは以下の通り↓

・玉栄が前髪を落とされるシーン。
・女版家光と寝る直前に「有功との今後の関係」を心配する玉栄と、その心配はないと諭す女版家光。
・お夏の方の悪罵に対し、正面切って言い返す有功(原作では5巻P115における桂昌院の回想シーン、有功は何も言い返さず「ええのや」と受け入れただけ)。
・「玉栄は私の分身」と主張し、「(玉栄が天下人の父親になるという隆光の言について)そうなった方が良いのか?」という女版家光の問いに対し「はい」と答える有功(原作では何も返答しない)。
・八朔の儀に臨んだ後、赤面疱瘡の初期症状を見せる稲葉正則(ラストシーンで完全な赤面疱瘡に)。
・世継問題で「武士の頂点に立つ将軍が女でも構わぬと言うのか!」と激怒する春日局に対し、正面から女版家光を擁護する稲葉正勝。
・春日局の薬断ちの理由が「家光の赤面疱瘡」になっている(原作では「家光の疱瘡」)。
・春日局に関する女版家光と有功との会話。

稲葉正則については、息子か嫁の雪と対立した春日局が冷酷に放った刺客によって一族郎党皆殺しにされるか、赤面疱瘡で死ぬかのいずれかの末路を辿ることになるだろうと当初から予想していたのですが、どうやら後者の線で落ち着いたみたいですね。
作中の稲葉正則には妹がいたので、その死後は妹が稲葉正則を名乗るか、あるいは全く別の男名を名乗るかして、稲葉家を相続するというシナリオになりそうではありますが。

また、春日局の薬断ちの理由が「家光の赤面疱瘡」というのは少々無理がありますね。
ここは原作では「家光の疱瘡」になっていて、原作の2巻で「家光様は以前に疱瘡を患った際には快癒された。疱瘡は一度かかったら二度とかからぬのに、何故赤面疱瘡にかかるのだ!」とお匙を問い詰めるシーンがあったりします。
疱瘡の回復祈願が効いたからこそ薬断ちの誓いを守り続けている、ということになるわけです。
しかし、春日局の願掛け対象が「家光の赤面疱瘡」ということになると、そもそも春日局の願掛けは全く効を奏していなかったことになるのですから、春日局が誓いを守るべき理由自体がそもそも全く成立しえないことになってしまうのですが。
テレビドラマ版では、原作にあったお匙と春日局のやり取りがないため、疱瘡を赤面疱瘡に変更したのでしょうが、全く報われていない願掛けに固執する意味なんて、春日局の主観的に見てさえも果たして存在しえたのかと。

それと、今回個人的に注目していた「ハーレム否定」と「女系相続肯定論の高まり」については、あえて原作のような詳細な説明を避けた感がありありでしたね。
原作では「家の相続のため」「婚姻で大名家の勢力が拡大する」などとモノローグでのたまいまくったのが災いして、武家諸法度などを根拠に盛大なツッコミを私は入れていたりしたものだったのですが(苦笑)。
今回の話では、後継者問題に悩んでいた6人衆の面々達が、短絡的な自己&自家保身目的に女系相続を主張していたような描写になっていて、こちらは意外な説得力を醸し出していました。
何しろ、ひそかに娘に男名を名乗らせて江戸城内に参内させていることがあの時点で露見しようものならば、彼らが打ち首になるのはもちろんのこと、お家断絶の沙汰が当然のごとく下るのは避けられないわけですからねぇ。
かかっているのは自分の生命と自家の命運なのですから、そりゃ春日局の反対を押し切ってでも女系相続の正当性を訴えようとするでしょうね、彼らの立場的には。
もちろん、実際には春日局の発言の方に明確な理と利があるのであって、彼らの判断が目先に固執した浅ましく愚劣な発想であることに変わりはないのですが、彼らがそういう判断を下した背景自体は、愚かであるなりに理解はできるものとなっています。
武家や大名達個人の自己保身が、ああまで愚劣極まりない世界を作り出していったのか、現代も江戸時代も、責任追及を回避したがる人間がやることに何も変わりはないのだなぁ、と。
この辺りの展開は、現代にも通じる「事なかれ主義」「官僚的な自己保身」を想起させるものがあって、別の意味で笑えてくるものがありましたね。
ただまあ、たかだか自己保身程度の発想から、あそこまで大々的な、それも将来に多大な禍根を残しかねない欠陥だらけの社会システムの大変革を遂げさせるというのは、「赤面疱瘡には、人間の思考回路を著しく低下させ、しかもそれを自覚させない症状でも別にあったりするのか?」と皮肉のひとつも言いたくなるところではあったのですが。

あと、前話まではやたらと強気で無意味なまでにサディスティックな悪役ぶりを披露していたはずの春日局で、今作では何故かえらく弱気な惨状を呈していましたね。
特に、菊見の準備をしていたことを咎められた有功が堂々と反論してきたのに返答に窮したシーンでは、原作もそうだったとはいえ違和感を覚えずにはいられないところでした。
今までのサディスティックな春日局であれば、有功の反論に対し「殺りや!」の一言で返し、澤村伝右衛門辺りにその場で有功を始末させてお終いだったのではなかったのかと。
そもそも、有功を「種なし」と見做して女版家光との離縁まで迫っていた春日局が、わざわざ有功を生かしておかなければならない理由自体がないに等しいでしょう。
元々強制的に拉致した身でもあったのですし、用無しになれば即座に殺されるというのは政治の世界では常識なのですから。
有功を殺しておけば、女版家光に対しても「お前の命運は私の手に握られている」「これ以上私に逆らったらどうなるか、分かっているな?」という警告ないしは抑止にも使用できたのですからなおのこと。
にもかかわらず、女版家光をあそこまで自由にさせ、有功に至っては決して少なくない俸給まで与えていたというのですから驚きです。
一面では「目的のためには手段を選ばないマキャベリスト」的に描かれているかと思えば、別の場面では変に自由を許して造反されてしまったりと、どうにも中途半端な人格を持たされてしまっている感が多々ありますね、春日局は。
元々原作でもその傾向はあったのですが、テレビドラマ版ではなまじサディスティックな面が強調されているために、さらにそんなチグハグなイメージが強くなってしまっているのではないかと。

来週の第8話でいよいよ春日局は死ぬことになるようなのですが、春日局に纏わるこれらの矛盾は果たして整合されることになるのでしょうかねぇ。
あと、稲葉正則の死後における稲葉家がその後どうなるのか、そして原作とは大幅に異なる設定を持つ稲葉正勝の動向についてもいささか気になるところです。

民主党という沈没船から逃亡するネズミ達の避難先とその動向

民主党の離党者がついに100人を突破したそうです。
離党者自体は2012年末から既に頻出してはいましたが、野田佳彦こと野駄目カンタービレの衆議院解散が最後のトドメとなってしまったようで。

http://megalodon.jp/2012-1123-1238-27/sankei.jp.msn.com/politics/news/121123/stt12112311370001-n1.htm
>  衆院解散後も民主党の崩壊に歯止めがかからない。14日の野田佳彦首相の衆院解散表明以降、11人が党を離れ、気がつけば政権交代以降の離党者は102人と、ついに大台を突破した。衆参両院で423人いた国会議員は激減。しかも、離党者の行き先は保守系からリベラル系の政党までばらばらだ。ある意味、「寄せ集め集団」と言われた民主党らしい結末なのかもしれない。
>
>  首相が14日に解散を明言して以降、閣僚経験者の小沢鋭仁元環境相が日本維新の会に、民主党躍進の象徴だった福田衣里子前衆院議員は脱原発が旗印の「みどりの風」に入党した。反増税の「減税日本」や「みんなの党」、
最大のライバルでもある自民党に入る離党者もいる。
>
>  振り返れば、首相の消費税増税方針を批判した小沢一郎元代表に近い衆院議員9人が昨年末に離党し、新党きづなを結党したのが民主崩壊の第一幕。7月には小沢氏を含む49人が「国民の生活が第一」を立ち上げるなど、離党者は昨年9月の野田政権発足以降に集中した。
>
>  
平成10年の結党時から「右から左までの寄り合い所帯」「理念なき選挙互助会」と揶揄されていた民主党。野党時代は「政権交代」という合い言葉で「大異」に目をつぶることもできたが、いざ政権を担当してみると、基本政策の違いが一気に表面化。党内の混乱は内閣支持率と政党支持率の低迷を招き、「選挙」の声が近づくとともに、政策の違いを理由に、生き残りを図る議員たちの脱走劇が相次いだ。
>
>  憲法改正に消極的な民主党を批判し、自民党入りする長尾敬前衆院議員はブログでこう心情をつづった。
>
>  「いつも孤独でした」
>
> (内藤慎二)

ネズミが逃亡していく沈没船のごとき惨状を呈している、としか評しようがないですね、今の民主党は。
まあ、崩壊したところで今更惜しむ人間など圧倒的少数派でしかないでしょうし、むしろ大多数の国民は「早く消滅してくれ」とすら考えてもいることでしょうけど(苦笑)。
次回の衆議院選挙で、民主党には文字通り完全に消滅してもらいたいところなのですが、さてどうなることやら。

ただ問題なのは、民主党から逃亡していったネズミな議員達が他党へ入っていく結果、その他党自体が民主党的な性格を帯びる危険性があることですね。
元々民主党自体、旧社会党系の議員達を中心に構成されていて、旧社会党の悪行を隠蔽するための隠れ蓑的な存在と化している始末だったのですから。
民主党を離党する議員達も、その動機は文字通り「沈没船から離れる」的なものでしかなく、別に自分の思想信条が間違っていたと悔い改めたりするわけでもないのですからねぇ。
その弊害が一番激しくなるであろう政党は、やはり第三極として台頭し大量の民主党離反者を受け入れつつある日本維新の会なのではないかと。
あの政党って、基本理念すら全く異なる者同士の野合といい、維新八策に象徴される経済・社会政策の内容といい、どう見ても「第二民主党」と化しそうな気配が濃厚ですからねぇ。
たとえ将来的には有望な政党となる可能性があるにしても、現時点で政権を委ねるには何とも不安過ぎる存在です。
日本維新の会の真価は、その烏合の衆な集まりを如何にしてまとめるかにまずはかかっているでしょうし、支持をするのはその結果を見てからでも遅くはないのではないかと思えてならないのですが……。

九州電力がついに電気料金の値上げへ

九州電力が電気料金値上げの認可申請を国に対して行う方針を固めました。
九州内の全原発が停止したことにより経営が悪化し、連結決算でも赤字が膨らむ見通しとなったことが主な理由とのことです↓

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/335155
>  九州電力は、電気料金値上げに伴う国への認可申請を27日に行う方針を固めた。同日、臨時取締役会を開いて正式決定した後、瓜生道明社長が資源エネルギー庁に申請書を出すとみられる。
>
>  
値上げ幅は家庭向けを平均9~10%程度で最終調整。国の認可が必要ない企業向けは同15%前後で検討しており、いずれも来年4月の値上げを目指している。瓜生社長は申請後、福岡市の九電本店に戻り記者会見する。
>
>  
九電は、全原発停止による火力発電の燃料費負担増で経営が悪化、2013年3月期連結決算の最終赤字が4千億円規模に膨らむ見通し。このまま原発が動かないと、15年3月期にも債務超過となる恐れがあり、瓜生社長は10月末に値上げの方針を表明していた。
>
>  申請を受けた国は利用者代表の意見を聴く公聴会や関係閣僚会議を踏まえ、九電が電力事業の原価として盛り込んだ燃料費や修繕費、人件費などが適正か判断する。申請受け付けから認可まで4カ月程度かかるという。
>
>  九電は料金値上げに合わせて合理化を強化。福岡市九電記念体育館の土地や隣接する九州エネルギー館、九州各地の保養所や社宅、接待施設などの売却も検討している。
>
> =2012/11/21付 西日本新聞朝刊=

管直人ことカンガンスの低能バカが、かつて玄海原発の再稼働に余計な横槍を入れてこなければ、この値上げも回避できたのではないかと、今更ながら痛感してならないですね(T_T)。
つくづく民主党というのは「無能な働き者」の集団でしかありません。
原発再稼働に舵を切ったかに見えた野田佳彦こと野駄目カンタービレも、結局再稼働にこぎつけたのは関西電力の大飯原発だけでしかなかったのでしたし。
そのくせ、消費税増税法案だのTPPだのといった、日本経済に多大な悪影響を与えかねない政策には、政治生命を掛け虚言を弄してまで実現しようと画策する始末。
原発を停めても安全は約束されず、自然エネルギーも原発の代替などにはならないと、もうとっくに結論も出ているのに、この期に及んでまだ原発再稼働に消極的というのは、経済的観点から見ても理解に苦しむのですが。
原発を再稼働しないと、燃料費の高騰に比例する形で際限なく電気料金は値上げされ続けることになり、原発よりも先に経済不況によって殺される人達が出てきかねないというのに。
安倍総裁率いる自民党には、この方面での短期と中長期双方の観点から見て妥当な政策を打ち出して欲しいものですね。

昨今の原発問題を見ていると、原発を再稼働させないことの弊害や安全性の問題を理解していてなお「再稼働」と聞いただけで難色を示す、というパターンが少なくないように思われますね。
さすがに、高額買取をはじめとする様々な弊害が露呈した「自然エネルギー万能論」は鳴りを潜めたようですが、「再稼働」というだけで頭で考えるよりも先にアレルギー的な拒絶反応を示してしまうのではないかと。
これもまた、「反原発に非ずんば人に非ず」的な「空気」の為せる業なのでしょうね。
いいかげん、こんな自滅的な原発アレルギーとはおさらばしたいものなのですが。

コミック版「大奥」検証考察11 【排除の論理が蠢く職業的男性差別の非合理】

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コミック版「大奥」検証考察11回目。
今回のテーマは【排除の論理が蠢く職業的男性差別の非合理】です。
なお、過去の「大奥」に関する記事はこちらとなります↓

前作映画「大奥」について
映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想

原作版「大奥」の問題点
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
コミック版「大奥」検証考察2 【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】
コミック版「大奥」検証考察3 【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】
コミック版「大奥」検証考察4 【支離滅裂な慣習が満載の男性版「大奥」】
コミック版「大奥」検証考察5 【歴史考証すら蹂躙する一夫多妻制否定論】
コミック版「大奥」検証考察6 【「生類憐みの令」をも凌駕する綱吉の暴政】
コミック版「大奥」検証考察7 【不当に抑圧されている男性の社会的地位】
コミック版「大奥」検証考察8 【国家的な破滅をもたらす婚姻制度の崩壊】
コミック版「大奥」検証考察9 【大奥システム的にありえない江島生島事件】
コミック版「大奥」検証考察10 【現代的価値観に呪縛された吉宗の思考回路】

テレビドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」
第1話感想  第2話感想  第3話感想  第4話感想  第5話感想  第6話感想

コミック版「大奥」では、時代が下るのに比例する形で、男性差別の度合いが苛烈さを増していきます。
徳川9代将軍家重の時代になると、男性はもはや「日陰者」として生きていかざるをえない存在にまで落ちぶれ果てているようです。
8巻では、ただ単に「男だから」という理由だけで客からも同僚の女性達からも忌避された挙句、料亭「かね清」をクビにされてしまう善次郎(後に大奥へ入った際には芳三と名乗る)のエピソードが描かれています。
「赤面疱瘡」が原因で男性人口が激減したのと、女性が労働の主要な担い手となったことで、女性の発言権が増大し重要な社会的地位をも占めるようになったこと自体は、作中でも少なからず描かれているように別に不思議でも何でもないでしょう。
しかし、女性の発言権増大や権利伸長だけでは、労働の場から男性を排除すべき理由などには到底なりえませんし、ましてや男性差別が跳梁跋扈する理由にもならないのです。
にもかかわらず、時代が下るにしたがって「大奥」世界における男性差別が悪化の一途を辿っているのは一体何故なのでしょうか?

コミック版「大奥」における作中の描写を見ても、「大奥」世界で男性差別が発生しえる発端になったと「かろうじてレベル」でも解釈しえる事件やエピソードは、実のところ「慶安の変」と「元禄赤穂事件」の2つしか存在しません。
しかもこの2つでは、どちらも「血生臭く乱暴者な気風の象徴」として男性が忌避されているわけです。
ところが、8巻で描かれている「享保の大飢饉」では、女性達の手による米問屋の打ち壊しなどが全国規模で大々的かつ公然と行われていたりします。
また、家光時代に発生した「寛永の大飢饉」でも、男女人口比率が1:5にまで落ち込もうという最中に一揆の気運が高まろうとしていたという描写もあります。
江戸城の面々が心の底から忌避していたであろう「血生臭く乱暴者な気風」とやらは、女性側も普通に持ち合わせている、という厳然たる事実の存在がこれで証明されてしまっているわけで、何とも滑稽な話であるとしか言いようがないのですけどね(苦笑)。
さらに言えば、「大奥」世界における「元禄赤穂事件」で吉良家討ち入りを敢行した赤穂浪士47名の中には、女性も5人は含まれていたことが作中でも明示されている(「大奥」5巻P193)わけで、その事実を無視・黙殺して「男性の気質」だけに全ての責を負わせている綱吉の裁断は、現実を直視しない不当かつ愚劣極まるシロモノでしかなかったのですし。
そして何よりも問題なのは、「慶安の変」にしても「元禄赤穂事件」にしても、それはあくまでも武士階級の人間が起こしたものであり、その裁断の範囲もまた武士階級に限定されるものでしかない、ということです。
江戸時代は士農工商に代表される身分制度が幅を利かせていたのであり、武士・農民・商人でそれぞれ別個の規範が適用されるのが一般的でした。
武家を統制するための規範だった「武家諸法度」が農民の行動規範を拘束などするわけもなく、逆に農民統制を目的とする「慶安御触書」が武士に対して適用されるケースがあるわけもなかったのですから。
つまり、士農工商における「士」以外の階級で男性差別が横行しなければならない理由と経緯については、作中では全く描かれていないということになってしまうわけです。
こんな状態で「大奥」世界の社会において男性差別が横行している様子が描かれても、読者側としてはひたすら「?」マークを浮かべ続けなければならないことになってしまうのですが。

さて、「大奥」世界における男性差別がいかに歪なシロモノであるのかについて、8巻に登場していた料亭「かね清」絡みのエピソードを見てみることにしましょう。
実のところ、料亭で板前の男性が排除されるというただその一事だけでも、「大奥」世界の男性差別があまりにも非合理かつ無理筋なシロモノであることを証明して余りあります。
料亭における板前というのは、基本的に「同じ味と形の料理を常に変わることなく提供し続けることが可能であること」を必須とする職種です。
ところが女性の場合、生理の影響で体温が一定ではなく、また味覚も力加減も不安定に変化することから、「同じ味と形の料理を常に変わることなく提供し続ける」という用途には、男性と比較しても到底適しているとは言えません。
また、昔の板前というのは当然のごとく現代のような機械化された便利な環境があるわけでもないので、料理の素材の調達・運搬・下ごしらえに至るまでとにかく重労働をこなさなければならず、その点においても女性にはあまり向いていません。
男女平等&労働環境の利便化が進んだ現代においてさえも、すし屋や料亭の板前には女性よりも男性の方がはるかに多いのはそのためなのです。
身体的な問題が大きく影響しているのですから、男性が女性よりも数が少なくなったからと言って、男性排除の論理を働かせて良いものなどでは、板前という職種は全くありえないわけです。
ところが「大奥」世界では、そのありえないはずの男性排除の論理が大手を振ってまかり通っているなどという、何とも奇妙奇天烈な珍現象が現出しているのです。
しかもその理由がまた振るっていて、「男がいること自体がダメ」とか「(女性の)月のもの等の話がやりにくい」などといった、板前としての職のあり方や料理の味などとは全く何の関係もない、現代で言えば「一国の首相のカップラーメン値段当てクイズ」のごとくどうでも良いシロモノでしかないときています。
この「かね清」という料亭って、もし創業100年以上の伝統を誇っている店だったのであれば、赤面疱瘡で男女逆転が起こった際に、一体どんな珍論を駆使して男女の身体的な格差および板前の伝統と慣習を覆していったのか、つくづく疑問に思えてならなかったですね。
その際に「かね清」の料理の質は、間違いなくガタ落ちもいいところなレベルまで落ちたのではないかと思えてならないのですが(苦笑)。
これが史実の江戸時代であれば、元来男性の方が身体的・技術的にも向いている上に男性オンリーに近い板前の世界で、女性が台頭するのは至難を極める上に伝統・慣習的にも受け入れ難いものがあるからということで他の男性板前達の反感を買う、という構図が簡単に成立しえるのですけどね。
こういうのって、男女の人口比が変わったからと言って単純に逆転しえるものではないですし、ましてや、男性排除の論理を働かせなければならない必然性もないに等しいはずなのですけどねぇ(-_-;;)。

上記の板前の事例のごとく、人口・権力的な男女逆転が発生したからと言って、単純に連動させて逆転できるものではない伝統・慣習といったものは他にも色々あります。
女人禁制の伝統がある相撲などはその典型ですね。
そもそも、相撲が女人禁制となったのには、主に2つの理由があると言われています。
ひとつは神道における「穢れ」思想の影響によるもので、女性の生理や出産時における出血が不浄のものであるとされ、「神事」とされる相撲がそれによって穢されると考えられていたこと。
もうひとつは、「神事」で祭られている神が実は女性の神であり、同性である女性がその領域に近づくと女神の嫉妬や怒りを招くと考えられていたこと。
相撲に限らず、日本における女人禁制のほとんどが、上記2つの理由で軒並み説明可能だったりします。
江戸時代以前には、比叡山や大峰山などといった特殊な山が女人禁制とされていましたが、これには「山はそれ自体が女神である」と考えられていたことから後者の理由が当てはまるのですし。
で、こういった女人禁制などの伝統や慣習などは、男女逆転が発生したからと言ってそうそう変えられるものでもなければ、簡単に変えて良いシロモノなどでもありえないはずなんですよね。
現代でさえ、女人禁制を伝統や慣習として堅持しているところがあったりするのですし。
こういうのって、「大奥」世界においては一体どのような扱いになっているのでしょうかねぇ。
7巻P170~171で徳川8代将軍吉宗が男性力士と相撲を取った回想シーンがあるところを見ると、どうやら相撲については女人禁制がそれなりに機能していたようではあるようなのですが……。

どうにも「大奥」世界というのは、男女逆転に伴う伝統や慣習への影響や変革というものをあまりにも軽く考え過ぎているきらいが多々ありますね。
板前と相撲の事例のごとく、一方では男女逆転を安易に適用していたかと思えば、他方では何故か都合良く男性メインの形態が続いていたりと、チグハグな社会システムが出現するありさまですし。
結局、コミック版「大奥」という作品は、史実における伝統や慣習などといった社会システムのあり方や、それが出来るに至る経緯や必然性といったものについて寸毫たりとも考えることなく、ただ「男女逆転が起これば全ての慣習が自動的に逆さまになる」などというありえない前提で作中の世界を描こうとするから、世界設定のことごとくがおかしなシロモノとなり果ててしまうのでしょう。
男性差別に至っては、それがあの世界で出てくる理由も必然性も全くないに等しいのですし。
そういったものを出すなら出すで、作中のごときコジツケな屁理屈などではなく、もう少しマトモな理論と必然性といったものを捻出して欲しかったところなのですが。

次回の考察は、2012年12月3日に刊行されるらしいコミック版「大奥」9巻を購入して以降に披露してみたいと思います。

選挙の投票率と国民の政治的関心度の高さが招く意外な陥穽

選挙の度に必ずと言って良いほど話題になるのが、その選挙に投票した有権者の割合を示す投票率です。
この投票率の割合は、有権者の政治への関心の度合いを示すものとされ、高ければ高いほど有権者のためになる政治家が選出されると、主にマスコミを中心にこれまで言われ続けてきました。
しかしこの論理、果たして本当に実地で正しいと言える定説であると言えるのでしょうか?

2009年8月の衆議院選挙では、小選挙区比例代表並立制が導入された1996年以降で最高となる投票率を記録していました。
しかしその結果誕生したのが、あの史上最悪の民主党政権だったのは周知の通り。
そして、史上最高の投票率を誇った選挙で誕生したはずの民主党政権は、その後日本国民を3年以上もの長きにわたって苦しめ続け、東日本大震災後でさえも居座り続け、被災地の復興を妨害すらしてきたのです。
さらに歴史を紐解けば、1934年8月にドイツで行われた、ヒトラーに事実上の独裁権を付与する「総統就任」の正当性を問う民族選挙では、何と投票率95.7%の中で89.9%もの支持をヒトラーは獲得し、民主的な手続きに基づいて彼は最高権力を掌握することとなったわけです。
ではこの選挙は、ドイツ人の政治意識の高さと賢明ぶりを示すものであり、ドイツ国民を幸福にするものだったと言えるのでしょうか?
経済に関して言えばそうでもなかったかもしれませんが、少なくとも第二次世界大戦への移行とその後の敗戦を見る限り、とてもそう判断しえるものではなかったでしょう。
今や歴史の1ページともなったこれらの事例は、投票率の高さと政治の質が正比例の関係になど全くなっていないという事実を、額縁付きで証明するものでもあるでしょう。

選挙における投票率の高さは、政治の質や国民のためになる政治家を選出するための指標などには到底なりえません。
むしろ逆に、投票率があまりに高い時はその民意を利用した権力の乱用が発生しやすく、下手すれば民主主義の体制を根底から覆す巨大な権力を作り出してしまうことにすらもなりかねないのです。
さらに「国民の政治的関心度を示す指標」としての投票率に至っては、全く無意味な概念であるとすら言えるでしょう。
同じ政治的関心であっても、今更言うまでもなくその内容は人によって千差万別です。
一口に政治と言っても、その中身は経済・社会制度・福祉・教育歴史・国防・治安……と様々な分野に枝分かれしているのですし、その中で何を最大の関心事とするのかは、それこそ人の数だけパターンが存在するのです。
それどころか、極端なことを言えば「カップラーメンの値段を間違える麻生は許せない!」「3500円のカツカレーなどを食べる安倍には庶民感覚が足りない!」などというタワゴトを冗談やネタではなく大真面目に吹聴しまくる人間や、あまつさえそれに何の疑問も抱くことなくバカ正直に鵜呑みにして「そうだ!だから自民はダメなんだ!」とこれまた真顔でがなり立てる人間も実在したりするわけで。
性質の悪いことに、こんな3流お笑いネタにもならないであろうヨタ話でさえ、実は立派な政治的関心の一種たりえてしまうのですからねぇ(T_T)。
そんな「空気」の下で行われた2009年8月における衆議院選挙や、ヒトラーを総統にしたドイツの民族選挙は、前述のように間違いなく投票率も国民の政治的関心も極めて高かったとは言えるのですが、それがマトモな政治を生み出したとは到底言えたものではないでしょう。
むしろ逆に、誰もが政治に関心を持ち「このままではダメだ」と無用なまでの焦燥感に駆られ、一刻も早い政治的閉塞?の打開をなりふり構わず模索して副作用を伴う即効薬を選んだ結果、国民の害になる政権がめでたく誕生していたわけです。
これでは投票率や国民の政治的関心度が上がることを、無条件かつ手放しに喜ぶことはできないですね。

民主主義国家の一員たる国民としては、政治への関心や選挙での投票行為そのものは確かに必須の心得と言えるものであるでしょう。
しかし、その権利を有効に生かし、国民のためになる政治を本当に現出させるためには、国民ひとりひとりに相応の政治的知識と広い視野、そして他者に踊らされることのない精神力や信念などといったものが少なからず求められるのです。
自分で何も調べもせず、ただ「投票する行為自体に意義があるから」という理由だけで何となく投票したり、偏向マスコミの報道を鵜呑みにしたバッシング的感情だけで選挙で投票したりするような輩は、全く投票権を行使することのない有権者よりもはるかに性質の悪い「無能な働き者」でしかありません。
そんな投票行為が、先の衆院選で結果的に民主党政権を誕生させたり、ドイツでヒトラーに独裁権を与えたりしてきたのです。
あまつさえ、「あいつらは信用できない」と事前に警告している人達を「空気を読め!」と言わんばかりに嘲笑した挙句、案の定な展開で裏切られた後でさえも全く自分の選択を反省することすらなく「俺達は騙されていたんだ!」「あいつが全て悪いんだ!」と開き直るに至ってはねぇ……。
選挙における投票権というのは、ただ単に行使さえすれば良いというものなどではなく、使い方を誤れば自分や周囲の人間さえも傷つけ破滅にまで追い込みかねない、一種の凶器にもなりえるものなのです。
それほどまでの「権利」を行使する際には、当然それに見合う責任意識も事前にかつ充分に備えておくべきでしょう。
権利や権力には相応の責任が伴う、というのはごくごく当たり前のことでしかないのですから。

投票権というものは、ただ投票しさえすれば良いというものではなく、また目先の情報に踊らされ流される形で行使すべきものでもないでしょう。
他人の動向によって左右されることのない確たる自分の考えを持ち、候補者や政党の言動からその手腕や思想や方向性などを正確に読み取った上で、投票結果に責任を持って選挙に臨む。
これこそが、民主主義国家の国民に求められるべき本当の投票姿勢というものではないでしょうか?

銀英伝舞台版第三章「内乱」の舞台公演が公式発表

つい先日、外伝舞台「輝く星、闇を裂いて」および宝塚版舞台が、共に千秋楽を迎えた銀英伝舞台。
そんな中、銀英伝舞台版公式サイトが更新され、第三章の舞台公演が正式に発表された模様です。
副題は「内乱」、公演は2013年の春頃に青山劇場の予定となっています↓

銀英伝舞台版公式サイト
http://www.gineiden.jp/
特報動画ページ
http://www.gineiden.jp/tokuhou/

内容を考えると、第二章に続き同盟サイドがメインで、救国軍事会議クーデターから移動要塞戦辺りまでのストーリーが展開されることになるのでしょうか?
同じ「内乱」でも、帝国側は既に第一章でリップシュタット戦役の最後までやり抜いているのですから、残るは同盟側にしかないわけで。
これだと、第一章で松坂桃李が演じたラインハルトは、完全ではないにしても出番は少なくて済むわけで、出演予定が絶望視されていた状況から考えれば、ある意味朗報と言える部分もあるかもしれないですね。

また、宝塚舞台版の方も、九州博多座での舞台公演が改めて行われるとのことです↓

宝塚版銀英伝 博多座公演情報
http://kageki.hankyu.co.jp/revue/313/index.shtml

こちらは東京と違ってそう離れているわけでもなくクルマでの日帰り可能圏内だったりするので行けないこともないのですが、やはり内容が内容なだけに少々迷わざるをえないところがありますねぇ(-_-;;)。
宝塚でなければ喜んでチケットを買う方向で調整を始めていたと思うのですが。
話を聞く限りでは、原作のストーリー自体もかなり改変されているという話でしたし、原作のイメージが壊れそうな予感がどうにも否めないところで(--;;)。
行くのであれば早くチケットを確保した方が良い、とは分かっているのですが……。

映画「任侠ヘルパー」感想

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映画「任侠ヘルパー」観に行ってきました。
諸々の事情からヤクザが介護ヘルパーとして働くという奇抜な設定が話題となった、2009年にフジテレビ系列で放映された草彅剛主演の同名テレビドラマの映画化作品。
テレビドラマ版については、映画館での宣伝からその存在自体を知ったくらいなので当然のことながら全く未視聴。
ただ、設定自体はテレビドラマ版と一応の繋がりはあるものの、ストーリー自体はテレビドラマ版とは別個になっているので、作品単独でも充分に観賞可能な映画ではありますね。

かつては指定暴力団「隼会」に所属していた、草彅剛が扮する今作の主人公・翼彦一は、映画の冒頭では組織を抜けて堅気となり、とあるコンビニで働きながら細々と生活していました。
客商売にはおよそ向かないレベルの愛想のなさっぷりを披露していたため、客からも同じバイト仲間?からも見下されバカにされる日々ではあったのですが。
しかしその日常は、コンビニにヘルメットをかぶった強盗が押し入り、バイト仲間にナイフを突きつけてカネを要求されたことから終わりを告げることになります。
ヤクザ時代に培ってきた修羅場での経験を生かし、いともあっさりと強盗を返り討ちにしてヘルメットを奪い取る翼彦一。
しかし、そこにあったのは老人の顔で、明らかに食い詰めて犯行に及んだことが丸分かりな風体でした。
そんな老人に翼彦一は何か同情するものでも見出したのか、自分から老人のバックをかすめ取ってコンビニのカネを入れ、老人に手渡してこの場を去るよう促すのでした。
しかし、そんな一連の出来事は全てコンビニに設置されていた監視カメラに録画されており、翼彦一はコンビニをクビになった上で警察に逮捕されることとなります。
一度は警察に従順に従うそぶりを見せていた翼彦一は、警官達の一瞬の隙を突いて逃亡し、警察に追われながらトンネルを走る描写が展開されます。
まあ、その直後には刑務所の中で囚人として過ごす翼彦一が映し出されていたので、直後にまた捕まったであろうことは想像に難くないのですが(苦笑)。

刑期を過ごしていた刑務所の中で、翼彦一は冒頭のコンビニで強盗に押し入っていた老人と再会することになります。
その老人の名は蔦井雄三といい、刺青もしっかり彫り込んでいる元極道者。
彼は翼彦一からもらったカネを競馬で全部スッてしまった挙句、別件で逮捕され刑務所へ収監されたのだとか。
蔦井雄三は自分と同じ「元極道」という境遇に共感でもしたのか、翼彦一に将棋の駒を渡し、自分が元いた大海市を牛耳っている「極鵬会」という組を訪ねるよう促します。
そして後日、蔦井雄三は老齢に加えて病を患っていたことから死去。
翼彦一が出所するその日、彼の遺体は棺に入れられ火葬場なり墓場なりへ運ばれていったのでした。

刑期を終えて出所した翼彦一は、しかしその直後、冒頭のコンビニで自分と共に仕事をしていた山際成次という若者と出くわし、「男気に惚れたから舎弟にしてくれ」と懇願されることになります。
最初は拒絶していた翼彦一でしたが、あまりにもしつこい上に、その直後に蔦井雄三の娘にして遺族でもある蔦井葉子から形式的な挨拶を受けたこともあり、なし崩し的に舎弟として扱っていくことに。
そして、自身と蔦井雄三の事例から、元極道として堅気で生きていくが困難であると思い知らされた翼彦一は、今は亡き蔦井雄三の勧めに従い、大海市へと向かうことになるのですが……。

映画「任侠ヘルパー」では、まさにゴミ溜めのごとき施設に老人達を隔離し、生活保護のカネだけをふんたくって私腹を肥やす暴力団が登場します。
それどころか、一応は法的に何の問題もない高級老人介護施設でさえも、老人達を半ば機械的に扱い、薬を使って黙らせたりする傾向があることが普通に描かれていたりします。
人をモノとしてしか見ていない凄まじく非人道的な話ではあるのですが、しかし実際問題として、こういったことは現実の介護施設の現場で本当に行われていることのように思えてならないですね。
実際、生活保護の支給は暴力団や悪質なNPO法人の資金源になっているとされ問題にもなっており、作中で展開された「介護や借金を餌にした貧困ビジネス」も普通に横行しているのだとか。
介護ヘルパーによる老人イジメなども一時期話題となりましたが、それも老人を人間ではなく「金のなる木」と見做す風潮が原因でしょうし、根は同じところにあるような感が多々あります。
日本のみならず世界各国の主要国全てで、高齢化社会は誰にとっても避けて通れない深刻な問題となりつつありますし、今後似たようなケースはいくらでも出てくるでしょう。
もちろん、作中における翼彦一のごとく、老人のことを親身に考え老人のためになる介護を真剣に行っている良識的な施設もあることはあるでしょうけど。
出演者の顔ぶれに加え、どう見ても軽いノリの舎弟っぷりを披露している山際成次や正真正銘軽い頭な持ち主の仙道茜などのキャラクターがいることから、一見するとギャグ調な作品っぽく見えるのですが、作品のテーマには意外に重いものがあり、良い意味で予想を裏切る内容ではありましたね。

ただ、個人的に少々疑問に思ったのは、物語終盤における「極鵬会」の面々達の行動ですね。
貧困ビジネスの一環として自分に与えられた「うみねこの家」を焼かれたことから、翼彦一は介護施設建設の入札?会場で「極鵬会」に対して大々的に喧嘩を打ってビジネスを壊してしまった翼彦一は、「極鵬会」の総力を挙げて追われる存在となってしまいます。
そして、放火された「うみねこの家」で老人達が戻ってきた光景を目の当たりにした翼彦一は、老人達が「極鵬会」の目に留められ襲撃されることのないよう、自分の身を「極鵬会」に晒しその身を犠牲にすることを決断します。
果たして彼は「極鵬会」の組員達によって集団リンチに遭い、今まさにどこかへ連れ去られ殺されようとしていたのですが、そこへ異変を察知した八代照夫と蔦井葉子の2人が駆けつけ、八代照夫が「極鵬会」に向かって啖呵を切ることになります。
そしてそれに恐れを抱いたのか、「極鵬会」の面々達はそれ以上の危害を誰にも加えることなく、捨て台詞を吐きながら退散することになるのですが……。
しかし「極鵬会」の面々にしてみれば、たかだか八代照夫の啖呵程度のことで撤退する必要など、実はどこにもなかったりします。
その時の八代照夫は既に大海市の議員を辞職していることを宣言していましたし、その理由が彼自身の女性問題であることも、彼自身の口から既に公のものとなっていました。
となれば、あの場における八代照夫はただの一介の弁護士であるに過ぎず、「極鵬会」にしてみればその場で殺してしまっても何ら問題のない存在でしかない、ということになります。
むしろ「極鵬会」としては、翼彦一に集団リンチを加えていた現場を八代照夫と蔦井葉子に目撃されていることになるわけですから、2人を見逃すと後々厄介な問題にも発展しかねない局面でさえあるわけです。
既に「極鵬会」は、翼彦一を殺すためにどこかへ連れて行く段階に入っていたのですし、あの場には2人以外に目撃者もいなかったのですから、殺すべき対象をひとりから3人に増やしたところで何の支障もなかったはずでしょう。
口封じを目的にした殺人行為なんて、仮にもヤクザや暴力団を名乗っている面々ともあろう者達であれば常日頃から行っているビジネスでしかないのですし。
もちろん、2人を殺す際にはそれなりに合理的な理由で自分達の犯行がバレないような細工をする必要もあるでしょうが、そんなものは後からいくらでもでっち上げることも容易なことでしかないでしょう。
さし当たっては、八代照夫と蔦井葉子の関係を利用して心中に見せかけて殺すとか、何ならコンクリ詰めなり死体を処分するなりして「行方不明」にしても良かったでしょうし。
映画「悪の教典」の蓮実聖司辺りならば簡単に実行してのけそうなものなのですが、仮にも非合法行為を生業とする暴力団の面々が、その程度のことすらも実行どころか思いつきさえしないとは驚きです。
あの場は弁護士である八代照夫が得意とする法律など何も機能しておらず、完全無欠な「極鵬会」のテリトリー下にあったのですから、既にひとりの人間の殺害を実行しようとしていた「極鵬会」が2人を追加で抹殺するなど、赤子の手をひねるよりもはるかに容易なことだったようにしか思えないのですが。
あれでは「極鵬会」は、極道にあるまじき「アマちゃん&事なかれ主義の集団」でしかないではありませんか。
あの場で3人が助かるシナリオにするならするで、もう少し「極鵬会」側がそうせざるをえないような「物理的な力の明示(八代照夫の背後から警察が大挙して出現しようとしていたとか)」の類の演出が必要だったのではないかと。

テレビドラマ版か草彅剛のファンであればもちろん、介護問題について考えたい方であれば必見の映画ではないかと思います。

テレビドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」 第6話感想

全10話放送予定のTBS系列の金曜ドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」。
今回の記事は、2012年11月16日放映分の第6話感想となります。
前回第5話の視聴率は8.9%。
今まで続いていた視聴率最低記録の更新は回避され、今まで右肩下がりだった視聴率がようやく持ち直した感じではありますね。
とはいっても、初回および2回目放映分の視聴率までは回復しきれておらず、またここからさらに回復するのか、再度反転して落ちていくのかは正直不透明な情勢ではあるのですが。
なお、過去の「大奥」に関する記事はこちらとなります↓

前作映画「大奥」について
映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想

原作版「大奥」の問題点
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
コミック版「大奥」検証考察2 【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】
コミック版「大奥」検証考察3 【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】
コミック版「大奥」検証考察4 【支離滅裂な慣習が満載の男性版「大奥」】
コミック版「大奥」検証考察5 【歴史考証すら蹂躙する一夫多妻制否定論】
コミック版「大奥」検証考察6 【「生類憐みの令」をも凌駕する綱吉の暴政】
コミック版「大奥」検証考察7 【不当に抑圧されている男性の社会的地位】
コミック版「大奥」検証考察8 【国家的な破滅をもたらす婚姻制度の崩壊】
コミック版「大奥」検証考察9 【大奥システム的にありえない江島生島事件】
コミック版「大奥」検証考察10 【現代的価値観に呪縛された吉宗の思考回路】

テレビドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」
第1話感想  第2話感想  第3話感想  第4話感想  第5話感想

第6話が担当している原作のページ範囲は、コミック版「大奥」3巻のP94~P127まで。
女版家光と捨蔵改めお楽の方の間に女児が生まれてから、有功が玉栄に女版家光と子を為してくれるよう依頼するシーンまでのストーリーが展開されます。
今回は女版家光と有功絡みの本筋のストーリーについては特にオリジナル要素がなかったのですが、その分、稲葉正勝絡みのオリジナルストーリーがかなり前面に出ていた感がありましたね。
今回の話におけるテレビドラマ版オリジナルエピソードは以下の通り↓

・女版家光の出産後、春日局が捨蔵改めお楽の方に「お腹様」であることを告げ、次こそ男児を産むよう促す。
・有頂天になって柿を取ろうとしたお楽の方が、頭を打って半身不随に(原作では柿は話に絡んでこない)。
・お楽の方の半身不随後、女版家光と有功の逢瀬を許した春日局に対し、稲葉正勝がその意図について問い質す。
・家光に扮する稲葉正勝と、元服の儀のために江戸城へ参内した息子の稲葉正則の対面、さらに無難に儀式が終わろうとした際、息子を自分に近づけさせアドリブで語りかける稲葉正勝。
・対面が終わった後、母親に報告を行う稲葉正則と、春日局から「二度と同じことをするな」と警告される稲葉正勝。

話が進む度に思うのですけど、このテレビドラマ版「大奥」では、春日局のサディスティックな悪役ぶりが無意味なまでに前面に出まくっているような感が多々ありますね。
女版家光と有功の逢瀬を許した意図を稲葉正勝に問われているシーンでは、わざわざ自分から他者の憎しみを買うかのごとき振る舞いを稲葉正勝相手に披露していたりしていますし。
春日局に破滅願望でもあるのでなければ、アレって単に稲葉正勝をイビっていただけでしかないのですが。
原作の春日局も相当なまでの悪党ではありましたが、原作の方はあくまでも「必要に応じて手段を選ばない」だったのに対して、テレビドラマ版の方ではそうでない局面においてさえも残虐性が浮き彫りになっています。
よほどにストレスでも溜まっていたのか、それとも老い先短い自分の寿命に苛立ってでもいたのか、はたまた息子をイビることで自分が権力者であることの再確認でもしたかったのかは知りませんが、傍目には実に無意味なことをしているよなぁ、と。
原作と違って春日局の思想的背景が、現時点では全く語られていないため、なおのことサディスティックな一面だけがクローズアップされてしまっていますし。
稲葉正則の元服の儀で、稲葉正勝が春日局の言いつけに背いてアドリブな言動を披露していたのも、息子に対する愛着もさることながら、間違いなく春日局に対する反発も一役買っていたことでしょう。
あの2人、だんだんと反感と対立を深めつつあるようなのですけど、稲葉家の面々共々、今後一体どうなっていくのでしょうかねぇ。
何となく、自分に逆らう息子に対する制裁を目的に、稲葉家に呪いをかけたり殲滅を命じたりする春日局、という構図が思い浮かばずにはいられないのですが(苦笑)。

あと、玉栄に女版家光の側に上がるよう依頼してきた有功の表情が、明らかに腹に一物あるかのごときシロモノだったのが印象に残りました。
前回の話で玉栄に対して「お前はええ子や」と発言していた際の表情と言い、有功って玉栄に対して実は凄まじいまでの悪意や負の感情を抱いているのではないか、とすら解釈せざるをえないところだったのですけど。
有功を演じている堺雅人の表情の作り方は結構上手いものがありますが、自分のことを心から慕ってくれている第一の忠臣である玉栄に対して、わざわざそんな不気味な表情や声色をすることもなかろうに、とは考えずにいられなかったですね。
そして当の玉栄の方では、そんな有功の不気味さに果たして気づけているのでしょうか?
まあ、あの忠臣ぶりを見るにつけ、「まさか有功様が自分に悪意など抱くはずがないだろう」と頭から決めてかかっていそうではあるのですけど(苦笑)。
有功絡み以外になると、玉栄も春日局ばりに手段を選ばぬ悪党ぶりを披露しているものなのですが、主である有功の前では純粋無垢な赤子同前でしかない、ということになるのでしょうかねぇ。

次回第7話で、いよいよ原作でも支離滅裂な論理の塊だった「一夫多妻の否定」「女性に家の後を継がせる」の話が出てくるみたいですね。
春日局も次話で倒れることになるようですし。
正直、あの場面で披露されることになる男女逆転の政治的・論理的正当性については、原作以上のものを出すことはできそうにもありませんが、どんな形で盛り上げていくことになるのでしょうかねぇ。

野田佳彦こと野駄目カンタービレ政権が遂に衆議院を解散

野田佳彦こと野駄目カンタービレが遂に衆議院の解散を決定し、2012年12月16日に衆議院総選挙が行われることが確実となりました。
長々と居座り続けて日本の国益と国民生活に多大な損害と犠牲を強いてきた愚かな民主党政権が、ようやく退場を迫られる時が来たわけです↓

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121116/plc12111615520011-n1.htm
>  衆院は16日夕の本会議で解散された。これを受けて政府は臨時閣議で「12月4日公示-16日投開票」の衆院選日程を決定。3年余りの民主党政権が審判を受けるとともに、民主、自民の二大政党の対立に橋下徹大阪市長の日本維新の会、石原慎太郎前東京都知事の太陽の党など「第三極」が絡み、選挙後の新たな政権の枠組みや政界再編の行方を決める選挙となる。
>
>  政府は16日朝の閣議で解散詔書を決定。午後の衆院本会議で横路孝弘議長が解散詔書を朗読し、解散を宣言した。閣議を前に野田佳彦首相は官邸で記者団に「国民の皆さまの信をしっかり問います」と述べた。
>
>  解散に先立ち16日午前の参院本会議では野田首相が解散条件に掲げた特例公債法、衆院の「一票の格差」是正に向けて選挙区を「0増5減」する関連法が可決、成立。選挙区の区割り見直し作業が間に合わないため「違憲状態」(最高裁)のままの選挙となる。
>
>  衆院選は民主党が政権交代を果たした平成21年8月の総選挙以来、約3年4カ月ぶり。12月の衆院選は昭和58年以来。
>
>  消費税増税、脱原発、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の是非に加え、中国の戦略的海洋進出をにらんだ日米安保体制の強化、集団的自衛権の行使をめぐる憲法解釈の変更など各党の「国家観」に関わる課題も争点となる。
>
>  首相は内閣や民主党の支持率が低迷する中で解散を断行。民主党内ではこれに反発し離党する動きが相次いでいる。

正直、私は実際に衆議院解散が為されるまでは、カンタービレが前言をあっさり翻して解散せずに居座り続けるというシナリオも充分にあると考えていました。
何しろ、衆議院解散をエサとしてちらつかせた上で自分達の目的を達成し、達成した後は前言を翻して政権の座に居座り続けるというのが、これまで何度も繰り広げられてきた民主党の日常風景だったのですから。
これまでの民主党政権の言動の数々を見ても、前言を翻したりブーメラン発言を繰り広げたりとロクでもない内容が多すぎ、その発言にはとても信用が置けたものではなかったのですし。
民主党内でも、解散せずに任期満了まで居座り続けようとする勢力が公然と存在していたことを考えれば、民主党には解散する気など最初からさらさらない、と考えるのが自然というものでしょう。

さらに言えば、そもそも民主党は任期満了の選挙をする気すらも実は全くないのではないかとすら私は考えていたくらいなんですよね。
中国の習近平体制が確立するまでひたすら時間を稼いだ後、中国人民解放軍を自ら招き寄せて日本でクーデター&武力侵攻を起こさせ、その軍事力を背景に中国の傀儡政権として日本を永続的に支配し続ける。
そんなシナリオをすら、他国の利益を代弁する民主党は頭の中で描いていたのではないかと私は考えていたくらいですからねぇ。
これならば、そもそも選挙対策を考える必要すらもなく、中国をひたすら当てにしていれば良いだけなのですし。
それだけに、今回カンタービレが本当に衆議院を解散したのは驚愕せずにはいられませんでした。
カンタービレはとうとう自暴自棄にでもなってしまったのではないか、とすら私は考えてしまったくらいだったのですが……。
しかしいずれにしても、これで長年にわたって居座り続け、国民を食い物にしながら不当な利益を貪り続けていた民主党に、ようやく引導を渡すことができます。
今こそ、民主党を政権与党の座から叩き落とし、可能ならば消滅させて、日本の国益と国民生活を守りえる政権の樹立を、国民は求めるべきでしょう。
愚かなる民主党政権を生み出してしまった2009年8月の愚行を、我々は二度と繰り返してはならないのです。

ところで今回の解散を受けて、我らが田中芳樹御大は今頃相当なまでに複雑な心境にでも達していることでしょうね。
創竜伝や薬師寺シリーズにおける社会評論の内容を鑑みても、田中芳樹が民主党支持であったことは確実です。
2009年8月の衆院選でも、田中芳樹が嬉々として民主党に投票したであろうことは想像に難くなく、その熱烈な支持ぶりは、薬師寺シリーズ9巻で民主党批判を一切行わなかったことを見ても一目瞭然です。
その民主党が次から次に不祥事を引き起こしまくった挙句、国民から総スカンを食らい、ついにはバカとキチガイの集団であるかのごとく酷評されるようになってしまったことは、田中芳樹にとっては身を切られるほどのショックですらあったことでしょう(苦笑)。
しかし一方では、今度の衆院選で自民党やいわゆる「第三極」の勢力が政権を担った場合、田中芳樹は薬師寺シリーズで政権批判を復活させ、自身のストレスを再び発散することができるようになるわけです。
「第三極」の中心人物達って、石原慎太郎といい橋下徹といい、田中芳樹がさぞかし毛嫌いしてそうな人間ばかりですからねぇ。
ひょっとすると田中芳樹は今頃、現在執筆中のタイタニア4巻を放り投げて薬師寺シリーズを書き殴りたい衝動にでも駆られているかもしれません(爆)。

パクリ元とカブってしまう薬師寺シリーズのゴキブリネタ構想

久々にらいとすたっふネタをひとつ↓

http://twitter.com/adachi_hiro/status/268319224378847232
<今日の田中さん。編集さんと打ち合わせしていて、ふと「そういえば、まだ薬師寺にゴキブリの怪物だしてなかったなあ」と。ワシ、ここ数年は見せたことがなかったくらいの真顔で「女性読者が減るから、絶対にやめろ」と言ったよ。誰か褒めてよ。>

いや、ゴキブリの話は女性読者云々以前にネタがカブるでしょう、薬師寺シリーズのパクリ元たるGS美神極楽大作戦と(爆)。
あのマンガには、まさにゴキブリとその怪物を扱ったそのものズバリな話があるのですから。
美神令子はドラえもんのネズミ並にゴキブリが大の苦手で、ゴキブリを駆除するために核ミサイルをオーダーしようとしたり、信頼性のない危険な薬を使ってゴキブリを全滅に追い込もうとしたりと、なかなかにコメディチックなキャラクターを演じていました。
ただ、美神令子が苦手としているのはあくまでもゴキブリであって、「ゴキブリの怪物」の方には全く恐怖を抱いておらず、むしろここぞとばかりに足蹴にしていたところが何とも奇妙な話ではありましたが(苦笑)。
これと全く同じネタを、田中芳樹は薬師寺シリーズで披露するつもりだったのですかねぇ(笑)。

まあ正直、極楽大作戦とスレイヤーズからあそこまで露骨にネタをパクリまくっていたら、逆に確信犯でネタとしてやっていると考える方が自然ではあるのですが。
まさか両作品の存在すらも知らず、たまたまあれだけのネタがカブっているだけ、などという言い訳など、あの設定の酷似ぶりを見ても到底信じられない話なのですし。
というか私は、一体いつになったら魔神アシュタロスとルシオラを薬師寺シリーズに登場させてくれるのかと、半ばワクワクしながら待っているくらいだったりします(^^;;)。
元ネタの極楽大作戦でも「美神を食ってしまった」というレベルの圧倒的な存在感を醸し出していたルシオラが出るかどうかは微妙であるにしても、美神令子の(前世&魂の)生みの親である魔神アシュタロスの方は、ちょうど強大な権力者である父親が薬師寺涼子にはいるわけですし、こちらは逆に出てこない方が不自然でしょう。
姉の薬師寺絹子がスレイヤーズのルナ・インバースをまんま持ってきたような存在だったのですから、父親の薬師寺弘毅か祖父の薬師寺正基辺りが魔神アシュタロスのパクリだったとしても何の不思議もないわけですし(爆)。
自身が抱いている破滅願望を薬師寺涼子に託している、という設定なんて、いかにも強大な悪役らしい役どころなのではないかと。
今の田中芳樹に魔神アシュタロスのような悪役が描けるとは、正直言ってとても考えられないのですが、この辺り、田中芳樹は一体どう処理するつもりなのでしょうかねぇ。

それと、本日から銀英伝外伝舞台「輝く星、闇を裂いて」の公演が始まりますね。
今度の公演は、銀英伝舞台としては、銀英伝が舞台になることが初めて発表された時を除けば最悪の前評のようなのですが、その実際の出来は果たしてどうなることやら。
外伝公演が終われば、次はいよいよ来年4月になるであろう本編第三章の舞台となるでしょうし、そろそろ舞台公演の公式発表があっても良さそうなものなのですが、こちらの動向も気になるところです。

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