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映画「アイ・アム・ナンバー4」感想

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映画「アイ・アム・ナンバー4」観に行ってきました。
侵略者モガドリアンに滅ぼされた惑星ロリアンの選ばれし生き残り達が、覚醒した特殊能力を駆使して戦うアクション物。
ジェームズ・フライとジョビー・ヒューズによる同名のSF小説を原作としている作品です。
なお、今回初めて映画のフリーパスポートなるものを獲得し、これから1ヶ月間、映画が無料で観覧できるようになりました(^^)。
予定では今作も含めて総計6本の新作映画を無料で観賞する予定です。

物語は、ケニアの奥地にある山小屋で自然に溶け込むかのようにひっそりと生活していたナンバー3とその守護者(ガーディアン)が、深夜に突如モガドリアン一派に襲撃され殺されてしまうところから始まります。
ナンバー3を殺害したモガドリアン達は、ナンバー3が所持していたペンダントのようなものを奪い取り、いかにも目的を達成したかのごとき笑いを浮かべます。
ちょうどその頃、アメリカのフロリダ州マイアミにある海岸で友人達とのパーティーに参加していたナンバー4は、突如足に激痛を覚え、ナンバー3が殺される幻影を見ることになります。
それと共に、激痛の元である足には光と共に謎の紋様が浮かび上がり、その様子をパーティーに集っていた人々に目撃されることになります。
後で判明したことですが、その様子はしっかり動画が撮られており、さらにその動画はご丁寧にもYouTubeにアップデートまでされていました。
ナンバー4の守護者で同時に保護者でもあるヘンリーは身の危険を感じ、家の中にある自分達の身分を証明するものを一切合財処分した後、ナンバー4と共にオハイオ州のパラダイスという町に移り住みます。
その後、ナンバー4がいたマイアミの家は謎の女(後でナンバー6と判明)に焼き払われ、やや遅れてモガドリアン達にも物色されていたので、ヘンリーの判断は間違っていなかったわけです。
しかしそうとは知らず、度重なる逃亡生活にいいかげん忍耐の限界に来ていたナンバー4は、息を潜めた生活を命じるヘンリーに反発し、地元の学校に通う手続きを独断で行ってしまいます。

通い始めた学校でジョン・スミスという偽名を名乗り始めたナンバー4は、カメラを愛する美少女サラ・ハートと、彼女の元カレで学校の競技選手であるマーク・ジェームズに陰湿なイジメを受けている科学&UFOオタクのサム・グッドに出会います。
次第に2人と打ち解け、友好的な関係を構築していくナンバー4ですが、そんなある日、授業を受けている最中、奇妙な幻影と共に突如両手が熱く光り出す事態が発生します。
異変を察知したヘンリーから、それが自分の持つ遺産(レガシー)こと特殊能力の覚醒であることを知らされるナンバー4。
能力が制御できるようになるまで休校するようにヘンリーから命令されるナンバー4ですが、ナンバー4は特殊能力を駆使して家を脱走。
町に繰り出したナンバー4は、そこで偶然サラ・ハートと出会い、彼女の自宅に招かれ、そこで身の上話をしている内に彼女に惹かれるようになります。
しかし、元カレでサラ・ハートをストーカーのごとく付け狙っているマーク・ジェームズが、彼女の家から出て行くナンバー4を目撃。
彼は翌日からナンバー4に対するイジメを始めるようになり、さらにはパラダイスの春の祭典であるカーニバルでサラ・ハートとデートをしていたナンバー4に集団で襲い掛かります。
しかし彼らは能力に覚醒したナンバー4の敵ではなく、あっさりと逆襲された挙句、マーク・ジェームズは右手を折られかけます。
結果として警察沙汰にまでなり、さらには前述のマイアミでの動画がYouTubeにアップデートされた事実までもが発覚するに及んで、ヘンリーは再び町を捨てて逃亡することをナンバー4に勧めます。
しかし、ナンバー4はサラ・ハートに恋をしていることを告げ、その提案を拒否。
そういうしている内に、ついにナンバー4の居所を特定したモガドリアン達がパラダイスに到着し、陰で蠢動し始めることになるのですが…。

映画「アイ・アム・ナンバー4」は、全体的に見ると明らかに「シリーズ作品の第1作目」的な構成になっていますね。
冒頭に出てきたペンダントや、物語後半に登場する謎の箱については、一体何なのかすら最後まで全く明らかになっていませんし、最後のシーンも「殺された3人とナンバー4&6以外の残り4人の仲間達を探す旅に出る」描写で終わっています。
そもそも、モガドリアン達は惑星ロリアンを滅ぼした前歴もあるわけですし、地球についても破壊する意思を明らかにしているのですから、チマチマと9人のナンバーズ達を殺していかずとも、地球を丸ごと破壊するなり全世界に絨毯爆撃を敢行するなりして地球もろともナンバーズ達を始末してしまった方が、はるかに効率も良いのではないかとすら考えてしまったのですが。
もっとも、モガドリアン達はナンバーズ達が持っているペンダントに何故か固執しているようでしたし、物語終盤でナンバー4を追い詰めた際にも、ペンダントを握り締めながら「これでこの星を破壊できる」的な発言を行っていましたから、ペンダントに本来の力を封じられているみたいな設定でもあるのかもしれないのですが。
全く何の説明もなかったこの辺りの謎の数々は、続編によって明らかにされていくことになるのではないかと。

作中におけるナンバー4と、後半に正体が明らかになるナンバー6は、それぞれの特殊能力を駆使してモガドリアン達とバトルを繰り広げていきます。
ただ、ナンバー6の特殊能力は超加速タイプのテレポートと耐火能力がメインで比較的分かりやすいのに対し、主人公ナンバー4のそれにはやたらと多機能性が付加されていて能力の方向性がまるで特定できないですね。
敵の光線銃を弾くシールドの役割をしたかと思えば、熱を持ったレーザービームのような使い方ができたり、さらにはナンバー6の体力を回復するヒーリング的な能力まで披露されたりしていました。
屋根から地表に落下するサラ・ハートを空中で止めるというサイコキネシス的な描写もありましたし、一体どれだけ使用用途が広いのかと。
今後続編が出た際には、さらに別の能力が追加付与される可能性もありえますね。

また、モガドリアン達が黒いトラックに引き連れていた怪物と、ナンバー4がパラダイスの町に引っ越してきた際に拾った犬に化けていた守護獣のキマイラとの戦いはかなり笑わせてもらいました。
学校内を舞台に繰り広げられたこの両者の対決は、破壊されたトイレだかシャワールームだかで決着を迎えることになるのですが、この手の映画のお約束よろしく、最初はモガドリアンの怪物の方がキマイラを圧倒するんですよね。
そしてキマイラに重傷を負わせて壁に叩き付け、さあいよいよトドメとばかりに怪物がキマイラに向けて突撃を敢行したその直後、何と怪物は水で濡れたタイルに足を滑らせてすっ転んでしまい、キマイラの眼前で仰向け状態になってしまうのです。
当然キマイラ側がこんなチャンスを逃すわけもなく、怪物は仰向けで晒された喉元を噛み砕かれてあっさり死亡。
私も色々なハリウッド映画を観てきましたが、こんな「自滅」「自爆」以外の何物でもない爆笑ものの退場を余儀なくされたモンスターはあまり記憶にありませんね。
私はてっきり、どこかから援軍が来るか、キマイラが起死回生の奇策でもって何らかのカウンターを繰り出してくるという、これまたお決まりのパターンばかり考えていたので、良くも悪くも意表を突いた描写になりました。
いかにも「凄まじく凶暴であるが故に強そうなモンスター」として描写されていただけに、その無様な死に様はあまりにも滑稽としか言いようがなかったですね。

あと、ナンバー4とサム・グッドに対するイジメや嫌がらせに躍起になっていたマーク・ジェームズが、物語の最後に元気な姿で再登場していたのには少々驚かされました。
彼って、物語後半でモガドリアン達に捕まった挙句、モガドリアン一派のひとりにブン投げられて学校校舎2階?の窓に叩きつけられる描写があるんですよね。
この手の小人にハリウッド映画は躊躇なく「死」という末路をあてがうのが常ですし、「ああ、あいつは死んだね」とすっかり思い込んでいたのですが。
最後では隔意があったはずのナンバー4達にいつのまにか協力的になっていましたし、マーク・ジェームズに一体何があったのかと、この辺りは少々疑問に思ったものでした。

アクションシーンはスピーディーで迫力もあり、またストーリーもある意味「安心して観れる」作品と言えます。
ただ前述のように、作中の設定には最後まで全く明らかにならない謎の部分が結構多いので、作品単独ではなく「シリーズ物1作目」と割り切って観た方が良いでしょうね。

銀英伝舞台版オーベルシュタイン編のキャスト&スタッフ公開

銀英伝舞台版公式サイトが更新されました。
2011年11月公開予定のオーベルシュタイン編のキャスト&スタッフが発表されています。

銀英伝舞台版公式サイト
http://www.gineiden.jp/
オーベルシュタイン編のキャスト&スタッフ
http://www.gineiden.jp/cast.html

前回の双璧編は、わずか半ページ程度の満たない記述だったとはいえ、原作に元ネタとなるエピソードが存在していました。
しかし、オーベルシュタイン編は原作でも全く触れられていない舞台版完全オリジナルストーリーとなります。
何しろオーベルシュタインは、老犬の話以外は原作でもこれといった私的なエピソードは何も語られていないわけですからね。
どんなストーリー構成で如何なる登場人物が出るのか、気になるところです。

紹介されていたキャストは、例によって今まで名前すら知らなかった人達ですね(^^;;)。
出演作品で私が知っているものとしては、岸祐二が出ているという、あの悪名高い「きけ、わだつみの声 Last Friends」がありますが、それでも誰役でどこに出ていたのかまでは記憶に残っていませんし。
ただ、紹介されていた公式サイトとWikipediaを参照した限りでは、TV・映画・舞台とそれなりの役をこなして場数を踏んでいる人達ではあるようなので、その点では大丈夫なのでしょうが。

それにしても、一連の舞台版外伝ストーリーって、本来田中芳樹が執筆するはずだった作品だったのではないかと今更ながらに思えてなりませんね。
そもそも、当初の銀英伝の執筆予定からすれば、短編集があと1冊は刊行されなければならなかったはずなのですし。
まさか、この舞台版の外伝ストーリーを元に原作小説を書くなどという、いつも自身でほざいているような冗談の類を田中芳樹が本気でやりはしないかと、いささか心配にもなってくるのですが(苦笑)。
まあ今となっては、それでも銀英伝の外伝小説を読みたいという人はいるかもしれないのですけどね。

佐賀県と政府の玄海原発再稼動の合意が白紙撤回

佐賀県玄海町の岸本英雄町長が、一旦了承した九電玄海原子力発電所2・3号機の再稼働について撤回することを正式に表明しました。
これまでの交渉経緯を全て無視する形で、政府が突然、全ての原発を対象にストレステスト(耐性検査)を行う方針を打ち出したことを受けてのものです↓

http://megalodon.jp/2011-0707-1223-37/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110707-00000305-yom-soci

せっかく浜岡原発の全面停止要請以降ゴタゴタしていた玄海原発再稼動に一定の目処がつきかけていたというのに、これで九州の電力不足問題はまたもや振り出しに戻ってしまいました。
民主党は東日本大震災から続く関東・東北の電力不足を、西日本にまで拡大させるつもりなのでしょうか?
九州在住の人間としてはいいかげんにしてもらいたいところなのですけどね。

震災以降における民主党の対原発政策は、まるで一貫性がない上に無用の混乱を招くばかりで支離滅裂もいいところです。
浜岡原発に突然全面停止要請をしたかと思えば、玄海原発については再稼動を要請する。
そちらの方向に話がまとまったかと思えば、突然ストレステストを実施すると表明する。
反発を受けることも充分承知の上で苦渋の決断を下したというのに突然その顔を潰されるのでは、そりゃ佐賀県知事や玄海町の町長だって国に不信感を持ちたくもなろうというものです。
原発問題で、結局民主党は一体何がしたいというのでしょうか?

玄海原発へのストレステスト実施は「脱原発」パフォーマンスに熱中する菅直人ことカンガンスの意向によるものと言われています。
浜岡原発全面停止要請の時と同様、その場の思いつきと政治パフォーマンスで突然決定したものだとのこと↓

http://megalodon.jp/2011-0707-0625-49/sankei.jp.msn.com/politics/news/110707/plc11070701410005-n1.htm
http://megalodon.jp/2011-0707-0626-17/sankei.jp.msn.com/politics/news/110707/plc11070701410005-n2.htm
http://megalodon.jp/2011-0707-0626-54/sankei.jp.msn.com/politics/news/110707/plc11070701410005-n3.htm

玄海原発への再稼動要請の際も自分は一切表に出ず、佐賀県知事との会談も拒否するなど、この期に及んでなお汚れ役は他人任せで、ひたすら自己保身と人気取りに終始する菅直人ことカンガンス。
その姿は、戦争指導では「スターリンの回し者」とまで酷評されたほどの無能ぶりを発揮してドイツを破滅に追い込んだくせに、自己保身に関しては天才的な才能を発揮し、数十回にもおよぶ暗殺計画の魔手を回避し続けてきたヒトラーを想起させるものがあります。
「脱原発」の安っぽい上に聞こえの良い大衆迎合的な主張で国民の支持を取り付けようとしている点でも、カンガンスはまさにヒトラーそのものです。
こんなのを「脱原発」の旗頭と仰いでいる時点で、「脱原発」自体のお里も知れようというものではあるのですが。
この「無能な働き者」が何か発言する都度、日本の政治・経済は大きなダメージを被るのですからたまったものではありませんね。
こいつが一刻も早く首相を退陣することが何よりの震災復興になる、と言われるのも至極当然のことです。
この非常時にそこまで言われること自体、無能の証以外の何物でもないのですけどね。

民主党の松本龍が復興担当大臣の辞任を表明

「お客さんが来る時は、自分が入ってから呼べ」
「長幼の序がわかっている自衛隊ならそんなことやるぞ」
「今の最後の言葉はオフレコです。みなさん、いいですか、絶対『書いたらその社は終わり』だから」
などという言論の自由の全否定な暴言を、TVカメラの前という公衆の面前で吐いたことから物議を醸した松本龍が、復興担当大臣を辞任する意向を明らかにしました。
大臣に任命されてからわずか9日で辞任する羽目になったのだそうで↓

http://megalodon.jp/2011-0705-1627-09/sankei.jp.msn.com/politics/news/110705/stt11070514400016-n1.htm

さらには己の発言についてこんな見苦しい言い訳を残したりもしてします↓

http://megalodon.jp/2011-0705-0324-09/www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00202721.html

九州人かつB型人間である私にとっては、非科学的かつおかしな偏見を撒き散らされてこの上なく傍迷惑な話なのですが。

政治家としての経歴も旧社会党出身の部落解放同盟副委員長、さらには人権擁護法推進論者と、その手のかなり凄まじい内容で彩られていますし、「これならああいう発言も当たり前にやるよなぁ」と頷けるシロモノです。
それに加えて、震災直後も防災大臣という要職にありながら役立たずも良いところで、結果として自衛隊の初動や被災地救援・物資輸送を著しく滞らせた元凶のひとりと目されているほどの無能者ときていますし。
民主党がネタ人材の宝庫であることをまたしても証明した事件でしたが、一体いつまでこんな三流喜劇が続くのでしょうか?
カンガンスや鳩山についても、北朝鮮による日本人拉致事件容疑者の親族が所属する政治団体「市民の党」から派生した政治団体に多額の献金を行っていたという事実が発覚していますし↓

http://megalodon.jp/2011-0705-1022-50/sankei.jp.msn.com/affairs/news/110702/crm11070208000002-n1.htm
http://megalodon.jp/2011-0705-1028-38/sankei.jp.msn.com/affairs/news/110703/crm11070301310003-n1.htm

一刻も早い震災復興が望まれる中、民主党は自分からそれを遅らせるようなことしかしないから、この非常時でさえ支持率が低いし、野党からも協力が得られないという異常事態が現出してしまうのですけどね。
もはや民主党の存在自体が日本にとってのガンそのものにまでなっているのですが、こいつらがこの世から消滅する日は一体いつになったら訪れるのやら。

それにしても、創竜伝や薬師寺シリーズに「卑小化された悪役」として登場しても何の違和感もない人物ではありますね>松本龍。
現在執筆中らしい薬師寺シリーズの新刊執筆における田中芳樹のボルテージもさぞかし上がっているのではないかと(爆)。
ただ、こんなのが自民党からではなく、己が積極的に支持しているであろう民主党から出てくるという事実は、田中芳樹にとって何とも複雑な限りではあるでしょうけどね(苦笑)。

映画「小川の辺(おがわのほとり)」感想

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映画「小川の辺(おがわのほとり)」観に行ってきました。
藤沢周平原作の短編集「闇の穴」に収録されている短編小説を映画化した作品。

ストーリーは、架空の藩である海坂藩の藩士で戊井家の家長でもある主人公・戊井朔之助が、義弟である佐久間森衛を討てとの藩命を受けるところから始まります。
佐久間森衛は、2年前から凶作が続いていた海坂藩の農政について、改善案をまとめた意見書を藩の上層部に上申。
改善案自体は極めて理にかなったものだったのですが、自分の正しさを信じ周囲が見えなくなっていた佐久間森衛は、さらに殿様および重臣一同が集まった面前で現在の農政に対する批判を公然と展開。
これが、どう見ても名君には見えない殿様と、殿様の侍医に過ぎないのに政治にやたらと口出し、現在の農政を主導していた鹿沢堯伯の怒りを買ってしまい、謹慎処分が下されることになったわけです。
しかし、佐久間森衛の改善案に何か感じるものがあった重臣達は、佐久間森衛の改善案を元に独自に農政調査を行い別に改善案を提示。
さらに鹿沢堯伯を叩き出すよう殿様への説得工作も行い、結果めでたく鹿沢堯伯は上意により追放の沙汰が下されることになります。
しかし、当の佐久間森衛が殿様に対する批判を行ったことは事実であり、佐久間森衛および彼の親類にも更なる重い処罰が下されるであろうことは当然予想されました。
結果、佐久間森衛は主人公の妹で妻でもある田鶴を伴い脱藩。
海坂藩としては、殿様批判と脱藩の罪を犯した佐久間森衛を放置するわけにはいきません。
そのため藩による佐久間森衛討伐が行われることになったのですが、最初の討手の病気療養で藩へ帰還してしまいあえなく失敗。
また佐久間森衛は藩でも1、2を争うほどの剣術の達人でもあり、さらにその妻である田鶴もかなりの剣術使いと目されており、それに対抗できる人材が求められました。
そこで、やはり同じく剣術の達人であり、御前試合で佐久間森衛とやり合ったこともある戊井朔之助が、藩から佐久間森衛討伐の命を受けることになるわけです。

戊井朔之助にとって佐久間森衛は義弟であり親友でもある存在。
当然、戊井朔之助も最初は命令を受けかねる旨を、藩命を言い渡してきた海坂藩の家老・助川権之丞に伝えるのですが、助川権之丞は田鶴の存在を元に「そなたの戊井家にも類が及ぶかもしれない」と暗に仄めかし、命令の受諾を迫ります。
結局、戊井朔之助はお家の事情から、自身にとっても苛酷な命令を受諾せざるをえなかったのでした。
自宅に戻ってそのことを伝えられた戊井朔之助の両親と妻は当然いい顔をするわけもなく、特に母親である以瀬は半ば八つ当たり気味に戊井朔之助に突っかかってくるのですが、父親で剣の師でもある戌井忠左衛門は戊井朔之助の苦渋の決断に理解を示します。
その夜、「藩命だから佐久間森衛は討たねばならないが、せめて妹は助けたい」と思い悩む戊井朔之助の元に、兄弟のような間柄の幼馴染で戌井家に仕える奉公人でもある新蔵が、「自分も討伐の旅に同行させて欲しい」と嘆願にやってきます。
戊井朔之助はその嘆願を聞き入れ、かくして2人による佐久間森衛討伐の旅が始まることになります。

映画「小川の辺」では、日本の山岳や河川を描写するのがメインテーマなのではないかと考えてしまったくらいに、数多くの美しい自然風景が映し出されています。
作中に登場する「海坂藩」というのは架空の藩なのですが、元となっている藩は一応存在していて、現在の山形県鶴岡市と庄内地方を収めていた庄内藩がモデルみたいなんですよね。
そして、佐久間森衛がいると噂され、戊井朔之助と新蔵が向かったのは、現在の千葉県市川市の南部に位置するらしい行徳宿。
この間の旅程における山岳・田園・寺社、そして小川の風景が、主人公の回想と共に盛んに映し出されており、いわばロードムービー的な要素も多く含まれているわけです。
実際の撮影も山形県各地で行われたのだとか。

ストーリー後半で判明するのですが、佐久間森衛討伐への同行を自ら志願してきた新蔵は、佐久間森衛の妻となっている田鶴に恋心を抱いていました。
新蔵が同行を申し出てきたのも、田鶴の身を案じたのが一番の理由だったわけです。
それは田鶴の方も同じだったようで、昔の回想シーンで、佐久間森衛に嫁ぐ直前に田鶴が新蔵の下へやってきて、その心の内を告白する描写があります。
つまり田鶴にとって、現在の夫である佐久間森衛との婚姻は必ずしも自分から望んだものではなく、嫌々ながらも「お家のため」と受容したものであったわけです。
作中で主人公も含めた「海坂藩」の面々が軒並み「(佐久間森衛と対峙OR討ち取ったら)田鶴は必ず手向かってくるだろうな」などと言っていたので、てっきり相思相愛による婚姻だとばかり最初は考えていたのですが。
実際、物語終盤に佐久間森衛が討ち取られた際には、田鶴はしっかり実の兄に対し刃向かってきましたし。
元々は自分から望んだことではなく嫌々婚姻させられた夫のためにそこまで尽くすことができる女性というのも、現代ではあまり考えられない話でしょうね。
主人公の藩命にひたすら忠実な行動もさることながら、私はこちらについても「何とも難しい武士の生き様」というものを感じずにはいられませんでした。

ただ、戊井朔之助は藩命を忠実に守りぬいたわけですが、「海坂藩」的には戊井朔之助が命令に逆らうとは考えなかったのでしょうか?
戊井朔之助の旅には個人的動機から同行した新蔵以外、お目付け役的な同伴者は誰もいなかったんですよね。
となると戊井朔之助としては、命令が忠実に実行されるのかを常に監視する人間がいないことになるわけなのですから、いくらでも不正がやりたい放題なわけです。
終盤の描写を見る限り、藩命を遂行した証としては、別に佐久間森衛の首桶を持って帰ってこなければならなかったわけでもなく、佐久間森衛の髷を取ってくれば良かっただけのようでしたからね。
別に正面から命令に背く必要はなく、佐久間森衛の髷だけを切り取ってきて「佐久間森衛を討ち取った証」とすれば、誰も死なずに藩命を遵守したとすることだって不可能ではなかったのではないかと。
その上で佐久間森衛と田鶴には、行徳宿から出て顔も名も変えて新たに人生をやり直すよう告げれば良かったわけで。
まあそれをやってしまったら「武士の生き様」でも何でも無くなってしまいますし、そういう一種の「逃げ」をやらないところも「何とも難しい武士の生き様」というものだったのでしょうけどね。

ストーリー的にも演出面も、ハリウッド的な派手な要素は皆無といって良く、観客を限定しそうな万人受けしない作品ですね。

映画「マイティ・ソー(3D版)」感想

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映画「マイティ・ソー(3D版)」観に行ってきました。
アメリカのマーベルコミックの中でも特に人気が高いヒーローのひとりであるマイティ・ソーが活躍するアクション大作。
私が観に行った映画館では3D版しか公開されていなかったので、余計なカネがかかることを承知で泣く泣く3D版を観ることに。
案の定、どこら辺が3Dの見所だったのか理解に苦しむばかりで、「確かに迫力はあるが、2Dと見た目がほとんど変わらないじゃないか」「何故こんなことにカネを使わなければならないんだ?」と自問する羽目になりましたが(T_T)。
いいかげん、3Dメガネを使用しなければならない映画は止めて欲しいものなのですけどね。

物語は、アメリカのニューメキシコ州で天体観測を行っていた天文学者ジェーン・フォスター一行の前に、突如隕石らしき物体が落下したことから始まります。
周囲が静止するのも構わず、ジェーンは落下地点に車を走らせるのですが、落下の衝撃で濛々たる煙が上がる中、突如姿を現したひとりの男性を跳ね飛ばしてしまいます。
跳ね飛ばしたことに責任を感じたことと、それ以上にクレーターと共に現れた男性の存在に興味を抱いたジェーンは、彼を病院へ連れて行くことになります。

彼の名前はソー。
北欧神話の神々が住まう世界・アスガルドを含めた9つの世界を統べる王として君臨するオーディンの息子です。
ソーは自身にとって「栄光の日」となるはずだった戴冠の儀を、氷の世界・ヨトゥンヘイムからやって来た刺客達に邪魔されてしまいます。
その腹いせに、ソーはヨトゥンヘイムへ侵攻を行い、制圧することを父親に主張しますが、争いを好まないオーディンはその提案を退け、専守防衛方針を命じます。
しかし、オーディンの方針に納得がいかないソーは、自分の弟であるロキと、シフとウォリアーズ・スリーという自分に忠実な戦士達と共に、オーディンに内密でヨトゥンヘイムへ調査に赴くことを決意します。
アスガルドと、ヨトゥンヘイムを含めた他の世界を行き来するためには、ヘイルダムという見張り番の神が常に監視している虹の橋(ビフレスト)を通らなければなりません。
ヘイルダムを説得して一行はヨトゥンヘイムへ。
そこで一行は、ヨトゥンヘイムの王である巨人ラウフェイと出会い、ラウフェイの挑発に乗る形で大々的な戦闘が行われることになります。
腕に覚えがある歴戦の戦士なこともあり、一行も最初は善戦するのですが、敵の本拠地ということもあり相手は多勢に無勢。
しかもラウフェイはさらに巨大な氷の獣をも呼び起こして戦闘に参戦させ、ソー一行はもはや逃げるしかない状況に追い込まれます。
最強の武器であるムジョルニアを駆使するソーの獅子奮迅な活躍で何とか危機を凌いでいた一行ですが、それでも背水の陣状態で進退窮まったその時、ソーの独断専行を知ったオーディンがヨトゥンヘイムに降臨。
ラウフェイと交渉を行い、両者は事実上の戦争状態になってしまったものの、ソー達を連れてアスガルドへ戻ります。
独断専行したソーに失望したオーディンは、ソーとの口論の末、ソーの力を奪いミッドガルド(地球)へ追放する決断を下し、かくしてそれが冒頭の描写に繋がることになるわけです。

ソーが追放された際、彼の武器ムジョルニアもまた、ソーが落下した地点から少し離れたところに落下。
地元住民の格好の見世物になった挙句、調査にやって来た謎の組織シールドによって現場を接収されてしまいます。
そして、ソーを病院に送り届けて自分の家に戻ったジェーンもまた、同じくシールドによって自分の研究成果を全部強引に奪われてしまったのでした。
ムジョルニアを自分の手に取り戻したいソーと、自身の研究成果を取り戻したいジェーンの利害が一致し、2人はシールドが野営をしているムジョルニア落下地点へと向かうことに。
そして一方、アスガルドではソーの弟ロキとオーディンの間で諍いが発生した挙句、オーディンが突然の昏睡状態に陥ってしまいます。
それに乗じてロキは、王の代理と言わんばかり権勢を振るいまくった挙句、邪魔者を亡き者にしようと様々な画策を行うのですが…。

映画「マイティ・ソー」は、同じマーベルコミック系列作品の映画「アイアンマン」シリーズとも明確な繋がりがあります。
たとえば、作中でデストロイヤーという鉄の巨人が地球に現れた際には、作中に登場する謎の組織シールドの関係者達が「スタークから聞いているか?」と発言するシーンがあります。
これはもちろん、「アイアンマン」シリーズの主人公であるトニー・スタークのことを指しているわけです。
また、映画開始と同時に存在が明示されているエンドロール後の特典映像では、同じく映画「アイアンマン」1作目のエンドロール後と2作目のラストで登場した人物が、今作でも全く同じ姿形と役柄で登場しています。
調べてみたら、「アイアンマン」と「マイティ・ソー」は「アベンジャーズ」というヒーローチームにおけるビッグ3のうちの2つみたいなんですよね。
「アイアンマン」でも「アベンジャーズ」の名前がやたらと強調されていましたし、アメコミにあまり詳しくない私的には「一体何なのだろうか、これ?」とずっと疑問に思っていたのですが(^^;;)。
そして、残る最後のビッグ3である「キャプテン・アメリカ」もまた、日本では今年の10月に劇場公開され、さらに「アベンジャーズ」自体も来年に映画としての公開が予定されているのだそうです。
当然、最低でも3つの作品の融合体となるであろう「アベンジャーズ」は、3作品のストーリーや設定を全て融合させることになるのでしょうが(特に「マイティ・ソー」の続きは「アベンジャーズ」に繋がっているようですし)、一体どういう形になるのか気になるところではあります。

映画のストーリーとしては、作中でソーの敵として描かれているロキの行動がいささか支離滅裂な感が否めませんでしたね。
要所要所では「いかにも悪役」と言わんばかりの策動を披露しているロキですが、ロキが最終的に何がやりたかったのかがまるで見えてこないんですよね。
物語序盤では、自らの出生の秘密を知ってオーディンに食って掛かるロキ。
中盤ではソーに対する嫉妬心をむき出しにしつつ、ラウフェイ相手にオーディン暗殺をそそのかし、王位を手に入れることをほのめかすロキ。
しかし、いざ首尾良くラウフェイがオーディン暗殺を達成しようとするまさにその寸前に自らそれを阻止し、ついでにラウフェイを葬ってしまうロキ。
ここまでならばまだ何とか理解可能な範疇だったのですが、物語終盤、ヨトゥンヘイムを滅ぼそうとした自分の行為をオーディンに否定されるや否や自分から死を選んだロキと、そのくせ実は生きていてまた性懲りもなく地球で蠢動していたラストシーンは全く理解不能です。
ロキの行動原理で終始一貫しているのはソーに対する嫉妬心だけで、父親であるオーディンに対する態度はブレまくっていますし、王位が目的にしてはおかしな行動が多すぎます。
父親を憎んでいたか、あるいはアスガルドの王位が欲しかったのであれば、ラウフェイにオーディンを殺害させた直後に「仇討ち」としてラウフェイを葬ってしまえば良かったはずですし、それが一番「自分が英雄と讃えられつつ」王位を手に入れる最善の方法でもあったでしょう。
実は父親に自分のことを認めてもらいたかっただけなのか、とも考えたのですが、それもラストシーンの描写で全て御破算になってしまいましたし。
結局、ロキが意図していた真の目的とは一体何だったのでしょうか?

映像や演出は良くも悪くもハリウッドスタンダードで、その手の描写が好きという方には文句なくオススメできる作品です。

OTDの4代目掲示板、本日正式に終了

livedoorのレンタル掲示板「OTD」の提供サービスが、本日ついに正式に終了となりました。
深夜まではまだアクセスできたようなのですが、今日の朝方から午前中にかけて閉鎖されたようで。
OTD掲示板にアクセスしても、以下の終了告知記事へ自動的に飛ばされるようになっています↓

http://blog.livedoor.jp/bbsnews/archives/52073021.html

タナウツでは2001年4月14日から10年以上もの長きにわたってOTD掲示板が運用され続けていただけに、感慨もひとしおですね。
その長い年月の間に管理人交代も行われましたし。
まあサービス開始当初は最新かつ多機能だった掲示板も、10年以上も経てば老朽化・旧式化は避けようがないわけですし、それ以前に掲示板というカテゴリーそのものがブログ・SNSという「新興勢力」に押されて衰退の一途を辿っているのが実情ではあるのですが。
他ならぬ掲示板自身、ここ10年はこれといった進化があまり見られませんし、旧態依然たる掲示板が日進月歩のIT世界で衰退していったのも時代の流れというものなのでしょうけど。

こういった掲示板の事情を鑑み、新しく設置した5代目掲示板では、1カラムレイアウトやRSS機能などといったブログ的な要素を積極的に取り入れていたりします。
本当はFacebookのコメント連動機能なども入れてSNSとの連携もできるようにしたかったところなのですが、バグが頻発して使用に耐えず、この事案はやむなく先送りすることになりました(-_-;;)。
こういったことが、掲示板の運営にどのように作用するのかは全く未知数ですが、できればプラスの方向に動いて欲しいものです。

玄海原発の再稼動を佐賀県知事が容認の意向

佐賀県玄海町にある九州電力玄海原子力発電所の2号機と3号機の運転再開問題について、佐賀県の古川康知事は「安全性の問題はクリアされたと考える」と述べ、再稼働を容認する意向を示しました。

http://megalodon.jp/2011-0630-0106-15/mainichi.jp/select/wadai/news/20110630k0000m040111000c.html

震災以降、長々と続いてきた原発停止に伴う九州電力管内における電力不足問題は、果たしてこれで解決へと向かうことができるでしょうか?
カンガンスの阿呆が浜岡原発全面停止要請などという愚挙に出なければ、この問題ももっと早く解決していたはずなのですが…。
実のところ、原発を止めたところで事故の危険がなくなるわけでは全くないんですよね。
福島第1原発の4号炉も定期点検中で停止していたにもかかわらず、電源喪失で使用済み核燃料プールの冷却ができなくなり爆発したのですから。
それを無視して原発を止めたところで少しも危険がなくならないばかりか、電力会社の負担を悪戯に増大させて電力不足と電気料金の値上げを招くだけで、百害あって一利なしです。
にもかかわらず、こんな実体がスッカラカンなその場凌ぎの政治的パフォーマンスなどが何故あそこまで人気を得ることができたのやら…。
その後もカンガンスは、再生エネルギー法案絡みで相も変わらずその場凌ぎの人気取りと利権確保に汲々としていますが、自己保身を最優先するあまり、国政を悪戯に弄ぶのもいい加減にして欲しいものです。
第一、今回の玄海原発再稼動問題でも、民主党幹部の海江田万里経済産業相が裏でコソコソと動いていたわけで、カンガンスがアピールするほどに「脱原発」を志向しているわけでもなく、言動の一貫性がありませんし。

原発の安全対策はもちろん強化する必要があるでしょう。
しかしそれは「原発を止めれば直ちに実現できる」などという安易なものではなく、ありとあらゆる危機を事前に想定した上での対策を積み重ねることで初めて可能になることなのです。
もちろん、ありとあらゆる想定を行ったところで、全く予想外の事態が生じて事故が発生することもありえますが、それでも事前の想定があるのとないのとでは対処の仕方も全く異なってきますし、事故を未然に防げる可能性も高くなるでしょう。
むしろ、原発をむやみやたらと危険視してただひたすら遠ざけようとするスタンスこそが、事故の想定さえも封殺し、結果として大事故を招くことにも繋がりかねないのです。
自衛隊を悪戯に危険視した挙句に手足を法律で雁字搦めに縛り上げた結果、阪神大震災における初動の救助活動に多大な支障を来たし、結果として大きな犠牲を出すことになった事例はあまりにも有名な話でしょう。
それと同じ愚行を、今度は原発問題で再び繰り返そうというのでしょうか?

そこにいるだけで深刻な害を撒き散らす上に何の利益ももたらさないが故に即刻叩き潰されなければならない民主党政権と異なり、原発問題は長期的に取り組んでいく必要があるものなのです。
一時の感情に任せて原発を廃止すれば、原発よりも先に経済と雇用問題に殺されることにもなりかねないのですから。
そのためにも、玄海原発ができるだけ早く再稼動し、他の原発もこれに追随して当面の電力問題を乗り切ってくれることを願ってやみませんね。

アメリカの連邦最高裁が表現による販売規制について違憲判断

アメリカの連邦最高裁で、「人物を殺害したり手足を切断したり、性的暴力を加える映像」を含めたゲームの販売を規制するカリフォルニア州法が、表現の自由を保障した憲法修正1条に違反するとの判断を下しました。

http://megalodon.jp/2011-0629-0055-11/sankei.jp.msn.com/world/news/110628/amr11062809420003-n1.htm

アメリカ、というよりも日本以外の国々では、アニメ・マンガ・ゲームをはじめとするエンターテイメント分野において、日本をはるかに上回る表現規制が普通一般に行われています。
作中で犯罪を扱っていたり死体が出てきたりするだけでモザイクがかけられたりR指定されたりするという徹底ぶりで、実際、カナダでは「名探偵コナン」がR-15指定されていたりします。
アメリカでも1950年代に「コミックス・コード」と呼ばれる表現規制が大々的に施行されて以降、コミックの多様性が大きく損なわれ、結果として大手出版社が扱うスーパーヒーロー系の作品一色になってしまった経緯があります。
そのアメリカで、暴力表現の規制を違憲とする判決が出されたことは、これまで規制一辺倒とすら言えたアメリカのエンターテイメント界にとっては画期的なことであると言えるのではないでしょうか。
日本でも非実在青少年の表現規制実施が間近に迫っていますが、これまで「欧米を見習え!」とばかりに表現規制を推進してきた人達は、この判決について果たしてどう考えているのでしょうか?

ところで我らが田中芳樹は、この手の外国の表現規制についてどんな感想を抱いているのでしょうか?
田中芳樹もマンガ好きで有名なわけですし、薬師寺シリーズのようなマンガ丸パクリな作品を書いてすらいるくらいなのですから、まさか表現規制問題について無関心ということはないでしょう。
社長氏もTwitterやブログでたびたび表現規制問題について言及したりしているわけですし。
そして、日本をはるかに上回る表現規制が外国、特に欧米で大々的に行われているという事実は、田中芳樹にとっては非常に由々しき問題であるはずです。
というのも田中芳樹は、特にイギリスを礼賛するに際して「王室の悪口を言っても罰せられないくらいに言論の自由が許されている偉大な国」「そんな国が世界を支配できたのは当然だ」みたいなことをたびたび述べているんですよね。
ところが、こと表現規制問題に関しては、イギリスもアメリカや他のヨーロッパ諸国と似たり寄ったりな水準の規制が行われていて、世界に冠たる自由な表現が許されている国は何と日本になってしまうわけです。
となると、皇室や政府に対する悪口はもちろんのこと、表現についての規制も世界的に見て緩い水準にある日本は、田中芳樹の論法から言えば「世界を支配する」資格が当然のごとくあるということになります(爆)。
世界各国および今の日本における言論・表現の自由の実態について、田中芳樹の頭の中では一体どういう扱いになっているのか、是非とも知りたいところではありますね。

映画「アンダルシア 女神の報復」感想

ファイル 391-1.jpg

映画「アンダルシア 女神の報復」観に行ってきました。
真保裕一の小説を原作とする前作「アマルフィ 女神の報酬」、テレビドラマ「外交官・黒田康作」シリーズに続く、織田裕二主演のサスペンス作品。
スペインと、フランス・スペインの境目にある小国のアンドラ公国をメイン舞台に、とある邦人の殺人事件の真相を、織田裕二扮する主人公・黒田康作が究明していくストーリーです。
なお、私は「アマルフィ 女神の報酬」は劇場観賞したのですが、「外交官・黒田康作」シリーズの方は全く観ていなかったりします(^^;;)。

物語は、フランスのパリで開催されるG20国際会議への出席を控えていた村上清十郎財務大臣が、何故か裏通りにある場末の飲食店で佇んでいる光景から始まります。
財務大臣は、いかにも汚くて浮浪者が飲食しているような店を見回した後、「何故俺がこんなところで待たされなければならないんだ」と周囲に不満をぶつけて店から出ようとします。
そこへ、何故か店を訪れるアメリカの財務大臣。
アメリカの財務大臣は件の店を昔から懇意にしていたものの、いつの間にか店がなくなっていた事を残念に思っていたのですが、匿名の電話でこの場所に移転していたと聞かされやってきたのだとか。
「あの匿名の電話はあなたの手によるものなのですか?」とアメリカ財務大臣から尋ねられた村上財務大臣は、訳が分からなかったものの周囲の合図でとりあえず「YES」と返答し、上機嫌になっているアメリカ財務大臣に対し、今後行われる国際会議についての根回し交渉を行うことになります。
実はこの両者の鉢合わせは、今作の主人公である外交官・黒田康作によって演出されたものであり、これで一連のシリーズ作品を全く観ていなくても、黒田康作の有能ぶりが示される構図になっているわけです。
こういうのって、外交の場では意外と重要な要素を持っていますからねぇ。
ちなみにこの序盤の描写、物語終盤でも大きな伏線として生きてくることになります。

フランス・パリで開催されたG20の国際会議では、マネー・ロンダリングについての規制強化が議題として挙げられ、日本国代表の村上財務大臣は規制強化を各国に提言します。
しかし、主にヨーロッパ諸国の反対によって交渉は難航を極める状況に。
そんな様子を、財務大臣の警護任務に従事しながら様子見している黒田康作の下に、上司である安藤庸介から、アンドラ公国で邦人の殺人事件が発生したので調査に向かって欲しいとの連絡が入ってきます。
財務大臣の次の演説まで間があることもあり、黒田康作は早速アンドラ公国へと向かうことになります。
そこで黒田康作は、ビクトル銀行の行員で事件の第一発見者でもある新藤結花と、黒田康作に先行してアンドラ公国で新藤結花に対する事情聴取を行っていたインターポール捜査官・神足誠と出会います。
第一発見者の新藤結花は、明らかに事件の証拠を隠滅していると思しき描写が序盤で展開されており、また事情聴取にも当たり障りのないことを発言するのみで、いかにも怪しげな雰囲気が漂っています。
一方の神足誠も、黒田康作と出会う直前に上司らしき人物から電話で「事件を穏便に済ませろ、汚名を返上して日本に帰るチャンスだ」的な説得を受けており、こちらはこちらで腹に一物あり気な感じです。
現場検証から、新藤結花の発言と矛盾する不審な点を発見した黒田康作は、新藤結花の自宅を密かにマークするのですが、そこで偶然、新藤結花が何者かに襲撃されている光景を目撃します。
全く別の理由から新藤結花を見張っていた神足誠と共に、襲撃者から新藤結花を守ることに成功する黒田康作は、新藤結花を保護すべく、アンドラ公国から一番近いバルセロナの日本領事館へと向かいます。
しかし、そこでも新藤結花は更なる襲撃を受けることになり……。

前作「アマルフィ 女神の報酬」もそうだったのですけど、今作「アンダルシア 女神の報復」もまた、タイトルで派手に銘打っている割には肝心要のアンダルシアの出番が少ないですね。
作中で占める舞台の割合は序盤の大半と終盤に登場するアンドラ公国、中盤の舞台となるバルセロナで既に3分の2近くが占められていますし、プロローグとエピローグではフランスのパリが出てくるわけですから、スペイン南部のアンダルシア州は全体的に見れば3分の1以下の割合しか占めていないわけです。
しかも真の最終決着の地も、実はアンダルシアではなくアンドラ公国だったりしますし。
前作のアマルフィも結局最終決着の地ではありませんでしたし、このシリーズの映画のタイトルって一体何を基準に命名されているのでしょうか?

「アンダルシア 女神の報復」では、主演の織田裕二もさることながら、脇役達もなかなか豪華なメンバーを取り揃えていますね。
今作のヒロイン役である新藤結花を演じている黒木メイサは、映画「SPACE BATTLESHIP ヤマト」でもヒロインである森雪を演じていますし、神足誠役の伊藤英明は「海猿」シリーズで主人公として活躍しています。
以前観賞したことのある映画の主演クラスともなれば、元来俳優に疎い私でもさすがに名前を覚えざるをえないわけで、「なかなか豪華な俳優さんを揃えたなぁ」とこの辺は素直に感心したところです。
ただ、前作「アマルフィ 女神の報酬」でいかにも「駆け出しの新人」的な言動に終始していた、戸田恵梨香扮する安達香苗役の出番が少なかったのは少々意外ではありました。
予告編では冒頭でご機嫌に黒田康作に話しかけるシーンが映し出されていただけに出番も多いのではないかと思っていたのですが、いざフタを開けてみると彼女の出番はバルセロナが舞台となっている物語中盤のみで、しかもどちらかと言えばチョイ役的な役柄です。
「アマルフィ 女神の報酬」で黒田康作としばしば掛け合い漫才をやっていた場面が印象に残っていただけに、今作でもそれを観られるかと期待していたのですけどね。

あと今作で一番驚いたのは、主演の織田裕二に接吻シーンがあったことですね。
というのも、私は映画「ホワイトアウト」以来、織田裕二主演の映画作品は「駄作な邦画群の中でも数少ない例外」として、邦画の評価が全面的に見直される以前から積極的に観賞しているのですが、その中では男女の関係を匂わせる描写はあっても、実際に抱き合ったり接吻したりするシーンというのは皆無だったんですよね。
織田裕二は恋愛絡みの演技が苦手とか本人がやりたがらないとかいった噂話を耳にしてもいて、「ああ、だからその手のシーンは皆無なのか」とひとりで勝手に納得してもいたのですが、それだけに今回のシーンには驚きを禁じえなかったというわけです。
まあ、件の接吻シーンはフラメンコ踊りも交えていかにもラブシーンだと言わんばかりの演出をしていたものの、結末まで見るとそんな要素は全くなかったことが分かるという、何とも奇妙なシロモノではあったのですが。

サスペンス的なストーリー部分は、ラストの大どんでん返しをハイライトとして、個人的にはなかなか良く出来ていた部類に入るのではないかと。
アクションシーンの方は、本場ハリウッドなどに比べると全体的にショボい印象が否めませんが、まあそれがメインの作品ではありませんしね。
出演している俳優さんないしシリーズ作品いずれかのファンの方ならば、観てまず損はしない作品だと言えるでしょう。

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