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12月8日は真珠湾攻撃&大東亜戦争開戦日

12月8日は、ハワイの真珠湾攻撃で大東亜戦争(アメリカ命名:太平洋戦争)が開戦した日。
日本時間(ハワイの現地時間では12月7日)のこの日、日本海軍空母機動部隊はハワイの真珠湾を奇襲攻撃し、アメリカ太平洋艦隊に壊滅的な打撃を与え、大東亜戦争が本格的に始まりました。
この攻撃では日本側の宣戦布告の手続きが遅れたということで、アメリカでは「日本の騙し討ちだ!」として大いに喧伝され、大戦中のみならず戦後に至るまでの対日観にも大きな影響を与えています。

しかしアメリカの歴史を少しでも紐解いてみれば、「よくもまあアメリカが騙し討ちなどと他者を非難できるものだ」というのが正直なところではあるのですけどね。
大東亜戦争以前も以後も、アメリカは普通に「騙し討ち」をやっている国だったりするのですから。
19世紀の西部開拓時代は、現地のインディアン達から土地を奪って強制移住させたり虐殺したりしていった歴史でもありますし、その際には詐欺や騙し討ちの類なども平然と用いられていました。
またベトナム戦争では、トンキン湾事件に捏造の手を加えて開戦の端緒にするなどというそれこそ「騙し討ち」な所業を堂々とやらかしていたりします。
そもそも、大東亜戦争に先んじて勃発していた第二次世界大戦の発端であるドイツのポーランド侵攻からして、宣戦布告が行われない状態での軍事行動だったのですけど。
世界的に見ても、宣戦布告がないまま行われる戦争の方がはるかに多いのですし、宣戦布告をせずに緒戦で行う奇襲攻撃の成功率と大戦果を鑑みれば、そうなるのも当然というものでしょう。
「宣戦布告なき騙し討ち」云々の話は、そうやって外部に敵を作ることで国内を纏め上げようとするアメリカならではのエピソードと言えるでしょうね。

なお、2011年は真珠湾攻撃および大東亜戦争開戦からちょうど70年目の節目に当たります。
映画でも「聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実-」という役所広司主演の作品が、12月23日から公開されます。
歴史的事実から考えてもあまり明るい物語にはなりそうにもないですが、最近の邦画は質も上がっていますし、単に「戦争は悲惨だった」「戦争ハンターイ」だけで終わることのない作品であることを期待したいところですね。

「白き焔BLOG」で行われた「騙り投稿」とその正体について

私の全く知らないところで、私のハンドルネームを騙って他所のブログを荒らす「騙り投稿」が行われるという事件がいつの間にか発生していました↓

白き焔BLOG
http://blog.goo.ne.jp/masoho-zero
よしながふみ論+「大奥」レビュウ
http://blog.goo.ne.jp/masoho-zero/e/b9a23fcf2c8958f2a34717b104cce818魚拓

2005年10月にアップされたというこの記事に「騙り投稿」が行われたのは2011年11月。
しかし、そもそも私はこのブログの存在自体、12月に入り今回の騒ぎが発覚するまで全く認知しておらず、「騙り投稿」が行われた11月時点で私が「白き焔BLOG」に投稿を行うのは不可能なんですよね。
HNこそ「冒険風ライダー」と銘打ってありますが、上記記事で11月に行われた以下の投稿↓

Unknown (冒険風ライダー)
2011-11-22 17:26:52

Unknown (冒険風ライダー)
2011-11-22 22:25:20

Unknown (冒険風ライダー)
2011-11-23 22:23:44

↑については私のものでは断じてないことを、この場を借りてまずは明言させて頂きます。

タナウツでの「騙り投稿」事件と言えば、12年以上も前に当時の「あめぞう」で、私も含めたタナウツ常連複数名のHNを騙った投稿が行われた事例があります。
「騙り投稿」なんて使い古された上に対策も作られ続けてきた「古い」手法ですし、今どき「騙り投稿」なんてずいぶんと古臭くて珍しい事件だよなぁ、というのが、騒ぎを知った私が最初に抱いた感想でしたね(苦笑)。
投稿内容を見ても、私が過去に場外乱闘掲示板その他で全くの別件から書いた投稿文をコピペ改竄しているだけでしかありませんし。

さて、この「騙り投稿」をした人物の正体は一体誰なのか?
まず一番の手がかりは、問題の「騙り投稿」が、よしながふみ原作「大奥」について過去に私がブログに書いた「コミック版「大奥」検証考察」シリーズのひとつを紹介していること。
ここで「騙り投稿」は以下のURLを紹介しているのですが↓

https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-293.html

しかし、実は上記URLの記事は、「大奥」絡みの記事としては最新のものではないんですよね。
2011年12月7日時点における「大奥」関連の最新記事は以下のURLになります↓

https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-313.html

「大奥」を扱った各記事には、それまでに書いていた過去の関連記事へのリンクも掲載しており、もし私が「大奥」関連の記事を他者の掲示板なりブログなりで紹介するのであれば、過去記事の関連リンクが全て掲載されている最新の記事を紹介するでしょう。
何故関連リンクが全て揃っていない(リンク数が)中途半端な記事を紹介しなければならないのかと。

そして一方、こことは全く関係のない場所で、件の「騙り投稿」と全く同じURLを紹介して私を目の仇にしている人間がひとり存在します。
それがこれ↓

2chのSF・ファンタジー・ホラー板 山本弘 part20
http://megalodon.jp/2011-1207-1754-06/kamome.2ch.net/test/read.cgi/sf/1302740022/761-794
> 761 名前:名無しは無慈悲な夜の女王[] 投稿日:2011/10/26(水) 21:47:15.09
> どうでもいいことだけど、
>
よしながふみの大奥の評論読んで、
> 冒険風ライダーは本当に数字に弱いことを、
> 実感したよ。

>
> 764 名前:名無しは無慈悲な夜の女王[] 投稿日:2011/10/27(木) 02:27:27.06
> >>762>>763へ
>
ttp://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-293.html
> ごめん、反省している。
> 山本弘のアンチサイト運営している冒険風ライダーって奴がかいたんだけど、
> こいつの論理は本当にイライラする。
> まあ、誤爆だったかもしれない。

「最新ではない記事」のURL紹介箇所が全く同じという時点で、まずはこいつが疑わしいと考えるべきでしょう。
さらに投稿を追っていくと、笑うべきことに自分の正体を暴露するような情報を吐露している箇所まであったりします↓

> 768 名前:名無しは無慈悲な夜の女王[] 投稿日:2011/10/28(金) 00:32:21.69
> >>766
> 嵐かどうか知らないけど、
> TPOをわきまえず山本弘の批判したり、
> 間違いを指摘されても認めず反論したり。
> >>765
>
ttp://www.tanautsu.net/kousatsu02_03_aa.html
> 僕もそう思います。
>
この件で、彼に恨みがあって、なかなか忘れられなかったり。

> 770 名前:名無しは無慈悲な夜の女王[] 投稿日:2011/10/28(金) 19:18:14.00
> >>769
> そうですね。
> でも、違うHNを名乗っていましたよ。
> まあ、自分でも子供じみたことだと思います。
> というか、
古典SFファンさんが説得出来なかった時点で
> 諦めるべきだった。

自分が移動要塞論争に、それも私と対立する形で関わり、かつそのことで恨みを抱いている、などと自分から告白してどうするというのでしょうか、名無しがデフォルトであるはずの2chで(笑)。
移動要塞論争は何かと掲示板が荒れる紛糾のネタではありましたが、こんな後先考えない犯罪同様の手法でもって恨みを晴らそうなどと愚かしいことを考えるような理性の欠片も見出せない桁外れのバカなんて、あの論争に関わった誰かに該当なんてするのかねぇ、と私としてはつくづく考えずにはいられないのですけどねぇ(核爆)。

自称「環境保護団体」グリーンピースがフランスの原発を占拠

環境保護運動と称したテロ行為を、グリーンピースがフランスでやらかしたそうです↓

http://megalodon.jp/2011-1205-2257-22/sankei.jp.msn.com/world/news/111205/erp11120519540007-n1.htm
>  国際環境保護団体グリーンピースの活動家グループが5日、フランス中部ノジャンシュルセーヌの原発に侵入、「安全な原発は存在しない」との横断幕を掲げた。
>
>  グループは間もなく、警備当局に拘束され、取り調べを受けている。フランス電力によると、原発の運転に影響は出ていない。
>
>  フランス公共ラジオによると、グリーンピースは同日、フランス国内にある他の複数の原発へも同時に侵入を試みたが、警備当局に阻止された。(共同)

グリーンピースやその親戚筋に当たるシー・シェパードなどは、こういう人の迷惑を顧みない暴力的な活動を、これまでも平気で行ってきています。
2001年にはオーストラリアのシドニーにある原発を、2003年にはイギリスのサフォーク州サイズウェルの原発を、それぞれ今回と同じ理由で同じように占拠する挙に出ており、欧米諸国では「エコテロリスト」として捜査当局から監視対象に指定されています。
そのグリーンピースと、今回原発を襲撃されたフランスは、過去にも核実験や原発問題で対立してきた因縁の間柄。
我らが田中芳樹御大も、こんな論でもってグリーンピースの肩を持った主張を展開しております↓

薬師寺シリーズ3巻「巴里・妖都変」 光文社ノベルズ版P7上段~下段
<だいたいフランスという国そのものが薬師寺涼子に似ている。
 一九八五年、南太平洋で核実験を強行したとき、反対行動をおこなった環境団体の船をフランス政府の秘密工作員が爆破して、メンバーを殺害した。むろん各国から非難の声があがったが、
フランス政府は謝罪なんぞしなかった。「警告を無視して領海を侵犯したむこうが悪い」というのである。
 やっていることは悪辣で無反省なのに、堂々としていてカッコよくておシャレなものだから、ついだまされてしまう。涼子の正体を知りつくしているはずの私でさえ、何度だまされて後悔したことか。>

実際にはフランス政府はグリーンピースに謝罪どころか賠償までしていますし、その賠償金でもってグリーンピースは新しい船を購入しているのですけどね。
そのことは、当のグリーンピース自身が「フランスからの賠償で新しい船を購入した」と公式サイトで明言していますし↓

http://www.greenpeace.org/japan/ja/news/blog/staff/blog/34411/
> 初代の虹の戦士号は1985年にフランスの太平洋核実験を止めようと活動していた際に、停泊していたニュージーランドの港でフランスの諜報機関(スパイ)によって爆破され沈没してしまいました。嘘のような話ですが、事実です。
>
> このストーリーは「スパイバウンド」をはじめとして数々の映画やドキュメンタリーでも取り上げられました。  
>
>
2代目の虹の戦士号はフランス政府からの賠償金で購入され、初代の船の悔しさをばねにその熱き魂は引き継がれていきました。その後もフランス政府が続けた核実験の現場に向かい、世論を喚起し続け、ついには核実験を停止に導きました。

まあグリーンピースもシー・シェパードも、弱腰な日本についてはフランス以上のカモとでも考えているのか、反捕鯨や反原発を口実にロクでもない過激な行動を繰り広げまくっているので、その実態は比較的周知されてきてはいますが。
ただでさえ福島第一原発絡みで原発問題に世界中が敏感になっている昨今、ヨーロッパ諸国の電力供給最大手となりおおせているフランスにとって、グリーンピースの跳梁跋扈は頭の痛い問題でしょうね。

映画「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」感想

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映画「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」観に行ってきました。
富山県に実在する富山地方鉄道を舞台に、長きに渡って鉄道運転士を勤めた男とその家族を描いたヒューマンドラマ。
今作は「RAILWAYS」シリーズ2作目とのことですが、前作とは「地方の鉄道および鉄道運転士を扱っている」というコンセプトの共通点はあっても、ストーリーや登場人物等での関連性は一切ないので、前作を知らない人でも問題なく観賞できます。

今作の主人公である滝島徹は、富山地方鉄道で実に42年も勤務し続け、かつ35年もの間無事故の実績を持つベテランの鉄道運転士。
その彼が定年退職を迎える1ヶ月前、55歳で長年専業主婦として滝島徹を支えてきた妻佐和子と、妊娠中の娘片山麻衣が、踏切の前で停まっている車の中で走行していく列車を眺めているところから物語は始まります。
滝島徹がいつものように鉄道運転士の仕事を終えて自宅に帰ると、妻が看護師の仕事をしたいと相談をもちかけてきました。
実は妻の佐和子は元々看護師の職に就いていたものの、ガンを患った母親の介護のために仕事を辞め、以後はずっと専業主婦として家事を担っていたという経緯がありました。
そして、夫の定年退職と、物語中盤で明かされるあることがきっかけで第二の人生を歩みたいと考え、再び看護師の仕事に就こうと考えたわけです。
しかし夫である徹は「お前が働く必要はない」と聞く耳を持たず、2人は激しい口論を繰り広げることとなってしまいます。
挙句、口論の最中に、「同僚が倒れたからすぐ来てくれ」という鉄道会社からの緊急連絡で、滝島徹は会社へとんぼ返りをしてしまうのでした。
トラブルを何とか処理し、滝島徹が再び家に帰ってみると、自宅から妻の自家用車がなくなっており、家の中も誰もいなくなっていました。
先ほどの件が原因で失踪した以外の何物でもない状況に直面した滝島徹は、朝になって娘夫婦に妻の所在を確認する電話をかけてみますが、当の娘夫婦は妻の失踪の事実すら知らない始末。
そうこうしているうちに仕事の時間が迫ってきたため、滝島徹は妻の所在が不明なままの状態で鉄道会社に出勤する羽目となります。
一方、鉄道会社では、滝島徹の同僚が倒れてしまったことで問題が発生していました。
倒れた同僚が新人の鉄道運転士見習いである小田に対して行っていた研修指導が継続できなくなってしまっていたのです。
小田の研修期間は残り1ヶ月もないということもあり、その研修指導員の穴埋めの話が滝島徹に持ち込まれてきます。
妻のことが気になりつつも、滝島徹は通常の鉄道業務と小田の研修指導を一緒にこなしていくことになるのですが……。

映画「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」では、実在する富山地方鉄道が舞台の中心となることもあり、富山地方鉄道を実際に走行している、レッドアロー・かぼちゃ電車・だいこん電車等の愛称で知られる列車が登場します。
主人公・滝島徹が作中で主に運転しているのは、二両編成の「レッドアロー」ことモハ16010形。
地方でしか見られない列車が、田舎ならではのだだっ広い田園や山間をひた走るシーンが作中で何度も繰り広げられるのも、「RAILWAYS」シリーズの魅力のひとつでしょう。
実際、前作「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」でも、劇場公開された2010年5月以降、物語の舞台となった島根県の一畑電車は利用者が急増し前年同時期に比べて8.7%増益になったのだとか。
今作でも同じ効果がそれなりに期待できるのではないかと。

また今作では、主人公である鉄道運転士・滝島徹役を担っていた三浦友和の好演が光っていました。
三浦友和も作中の主人公とほぼ同年齢とのことですが、昔ながらの頑固オヤジとしての姿と、それ故に周囲と衝突し葛藤する様子を、カッコ良さと貫禄も交えて丁寧に演じていました。
彼が登場している映画で私が観賞した作品としては、「マイ・バック・ページ」「星守る犬」がありますが、どちらもチョイ役での登場だったにもかかわらず「妙にカッコ良いキャラクター」というのが印象に残っていたものでした。
特に「星守る犬」では「この人にも何か曰くありげな別の物語がありそう」とすら考えたくらいでしたし。
今作は、彼のファンであればまず必見と言える映画でしょうね。

作中のストーリーでは、主人公の鉄道運転士としての仕事と別居を始めた妻の訪問看護の仕事、そして、互いに無器用な形でしか相手に接することができず、結果的にスレ違ってしまう夫婦の関係が描かれています。
主人公は、妻に対してだけでなく娘夫婦、さらには、同僚が倒れたことで半ば押し付けられた新人の小田に対する研修指導などでのやり取りでも無器用な面を見せており、そのためにしなくても良い損をしているような印象が多々あります。
奥さんに対する態度も、別に相方のことを蛇蝎のごとく嫌っているわけではなく、むしろ(間違ったものであったにしても)自分なりに相手のことを考えていたが故の失敗だったわけですし。
一方の奥さんは奥さんで、看護師の仕事をすることについて「母親をなくしたことに対することに対する気の迷いだろう」と誤った分析をしながらも「好きにすれば良い」ととにもかくにも容認してくれた夫に対し、「何故分かってくれないの!」と激高した挙句に結婚指輪と離婚届を突きつけてくる始末ですし。
これまでの鬱屈がたまっていたという事情もあったのでしょうが、それを差し引いても「そこは怒るところなのか?」と若干は疑問を抱かずにいられませんでした。
いっそ本当に互いに憎しみ合うような関係であれば却って話は簡単になったのでしょうけど、そうではないからこそ複雑で解決しがたい問題なんですよね、ああいう夫婦関係のこじれは。
2人の関係に娘夫婦がやきもきしていたのは当然でしょうが、当の本人達でさえも「何とかしてくれ」と言いたい気分ではあったことは間違いなかったでしょうね。

アクション映画のような派手さは皆無ですし、また世代によって評価にかなりの差が出そうな作品ではありますが、個人的には充分に面白くオススメの作品だと思います。

映画「タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密」感想

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映画「タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密」観に行ってきました。
ベルギーの漫画家エルジェ原作の同名マンガを3Dアニメーションで映像化した、少年新聞記者タンタンとホワイト・フォックステリア犬のスノーウィ、そして伝説のユニコーン号の船長の子孫であるハドック船長がコミカルに活躍する、スティーブン・スピルバーグ監督製作の冒険ファンタジー作品です
この映画は3D版と2D版が公開されていますが、料金が高いだけの3D版は何とか回避に成功。
また今回は12月1日の「正式な映画の日」での観賞となったため、いつもより格安で映画を観賞することができました(^^)。

物語は、主人公タンタンがノミの市に掘り出し物として出されていた模型帆船を見つけ、出店の主人と交渉して購入するところから始まります。
タンタンが模型帆船を購入したのとほとんどタッチの差で、2人の男が同じ模型帆船を買い付けにやってきます。
最初の男はタンタンに対し「それを手放さないと危険な目に遭うから」と警告し、2人目の金持ち風な男は「言い値で買い取るから売ってくれ」とタンタンに譲渡を迫りますが、タンタンはどちらの申し出も無視して模型帆船を持ち帰ります。
タンタンが自宅であるアパートの一室で模型帆船を居間の机?の上に置いた直後、窓から侵入したネコと愛犬であるスノーウィが追いかけっこを始めてしまい、その騒動に巻き込まれる形で模型帆船はマストの部分が壊れ机の上から落下してしまいます。
その際偶然、マストの部分に隠されていた小さな筒が模型帆船から抜け落ち、机の裏側に紛れ込んでしまいます。
床に落ちて壊れてしまった模型帆船を、落胆しつつも再び机の上に戻したタンタンは、模型帆船のモデルとなった船について図書館で調べるため、タンタンは模型帆船を家に置いて外出。
しかし、図書館で模型帆船のモデルであるユニコーン号のことについて調べたタンタンが家に帰ってみると、机の上に設置したはずの模型帆船がなくなっていたのです。
留守中に空き巣に狙われたことは確実で、また模型帆船の際のゴタゴタもあって「警戒しておくべきだった!」と後悔するタンタンですが後の祭り。
タンタンは模型帆船を取り戻すべく、模型帆船購入の際に言い値で売るよう迫った2人目の男の住所を割り出し、模型帆船を奪取しようとします。
そこはかつてのユニコーン号の船長が住んでいたとされるムーランサール城で、2人目の男ことサッカリンによって買収された地でもあるのでした。

タンタンは愛犬スノーウィの助けもあって首尾よく城の中に不法侵入を果たし、模型帆船を発見することには成功します。
しかし直後に城の執事?と思しき人物によって昏倒させられた上、見つけた模型帆船も自分が盗まれたものとは別物であることを確認(ムーランサール城の模型帆船は壊れていなかった)して落胆する羽目に。
他人の住居に不法侵入したのに何故か警察に突き出されることもなく解放されたタンタン(まあ捕らえた側にしてみれば「あえて泳がせていた」のでしょうけど)は、城から追い出される際に城の執事から「模型帆船の部品を探せ」とアドバイスされたことから、冒頭の犬猫騒動で模型帆船から零れ落ちた部品があったことを思い出し、急ぎ自宅に戻ります。
そして、タンタンは無事に模型帆船の部品を見つけることができ、さらにその部品の中に隠されていた羊皮紙をも手に入れることができたのでした。
ところがその喜びを噛み締める間もなく、タンタンは模型帆船購入の際に出合った最初の男の訪問を受けます。
彼はしつこくタンタンに警告を続けるのですが、その最中に何者かによる銃撃を背後から受け、「カラブジャン」というダイイング・メッセージを残して死亡。
自身への襲撃や空き巣を警戒したタンタンは、件の羊皮紙を財布に入れて持ち歩くことにしたのですが、その財布もスリによって盗まれてしまう始末。
さらにタンタン自身も最後には拉致されてしまい、最初の男が残したダイイング・メッセージである「カラブジャン」という名の大型船の一室に収監されてしまったのでした。
またしても愛犬スノーウィの助けで自由を得たタンタンは、何とか脱出の道はないかと模索し始めるのですが……。

映画「タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密」は3Dアニメーションとのことですが、作中に出てくる街の風景や海・砂漠・建物などといった背景も、登場人物達の造形もほとんど実写そのもの。
パッと見たくらいでは実写なのか3Dアニメなのか区別がつかないほどです。
過去に私が観賞したことのある3Dアニメーション作品としては、DVDで観賞した「塔の上のラプンツェル」があるのですが、アレは「3Dアニメ造形」と明確に分かる造形でしたし、その比較でも今作における映像技術の凄さは折り紙付きですね。
むしろ逆に、異様に鼻のでかい登場人物が何人も出てくるなど、完全に実写に近づけないようあえてアニメ的な造形を作り出しているようなフシすらあるくらいです。
子供向け作品としてのアピール、という側面もあったのでしょうが、主人公タンタンなどは実写として紹介されても違和感が無いような顔立ちでしたし、完全に実写的な表現をしようと思えば出来ないこともなかったのではないかと。

また作中では、どう見ても人間並みの知能を持っているとしか思えないホワイト・フォックステリア犬のスノーウィが大活躍しています。
前述の「塔の上のラプンツェル」でも人間以上に動物達の活躍が顕著でしたが、3Dアニメだと実写の動物では到底できない様々な動きや演出も自由自在に描けるわけで、この辺は3Dアニメならではの強みと言えるでしょうね。
映画「わさお」などが典型ですが、実写で動物を扱うとなると、ごく普通の動きであっても現場ではかなりの手間と時間がかかったりするみたいですからねぇ(-_-)。

作中のストーリーは、アクションやシリアスシーンを交えつつも、全体的にはややコメディタッチなノリで進行していきます。
特に大型船カラブジャン号からの脱出の際に仲間になるハドック船長など、最初は酒にこだわりまくってタンタンの足を引っ張りまくる天然コメディアン以外の何物でもなかったですからねぇ(苦笑)。
一応はユニコーン号の財宝に至るキーパーソンだったとは言え、タンタンも何故こんな奴を救うのかと最初は疑問に思えてならなかったくらいでしたし。
これと個人的に印象に残ったコメディ系の演出としては、モロッコの君主が持っているという3つ目の模型帆船を守っている「ワレナーイ」社製の強化ガラスと、それを打ち破る「ミラノのナイチンゲール」ことオペラ歌手カスタフィオーレ夫人の「ジャイアンの歌」でも想起させるような甲高い歌声ですね。
カスタフィオーレ夫人は、3つ目の模型帆船を奪取せんとするサッカリンがわざわざ連れてきた人物で、彼の意図通りに模型帆船の守りは崩壊したわけですが、この辺りはまさにギャグそのものの展開でした。
もう少しマトモな方法で目的を達成するだろうと考えていただけに、アレには一瞬唖然とさせられたものでしたが。

ストーリーは分かりやすく単純そのものですし、3Dアニメも実写に近いので、その手の3Dアニメが嫌いという方でも違和感なく入れる作品と言えるのではないかと。
大人・子供を問わず、幅広い層で共通して楽しめる作品ですね。

映画「インモータルズ -神々の戦い-」感想

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映画「インモータルズ -神々の戦い-」観に行ってきました。
紀元前1200年頃のギリシャを舞台に、闇の神々タイタン族を復活させようとするイラクリオンの王ハイペリオンと、若き青年テセウスとの戦いを描いた作品。
作中では、首を掻き切られるシーンや振り回された武器で身体が炸裂するシーン他、流血&残虐描写が随所に盛り込まれており、当然のごとくR-15指定を受けています。

はるか昔、神々達の間で大きな戦いが起こりました。
戦いはゼウスを主神とする光の神々の勝利し、敗れた闇の神タイタン族はタルタロス山の地底深くに封印されました。
それから長い時が過ぎた、紀元前1200年頃の古代ギリシャの時代。
光の神々に敵意を抱き、その存在を滅ぼさんとするイラクリオンの王ハイペリオンが、領土の拡大と、タイタン族の封印を解くべく、軍勢を率いてギリシャ各地に侵攻を始めます。
タイタン族の封印を解くためには、はるか昔の神々の戦いで失われたとされる伝説の武器「エピロスの弓」が必要とされ、ハイペリオンはそれを探し出すためにギリシャ各地の神殿を襲撃していました。
その侵攻はやがて、半島の崖をくり貫いて作られている小さな村にも押し寄せ、村側は身分の高い者から順に安全な場所まで避難する決定を下します。

その小さな村に、神を信じず自分の武器のみを頼みに武芸に励むひとりの青年がいました。
彼の名はテセウス。
信心深い母親と共に生計を立てていたテセウスは、母親の身分が低くかつ村人のレイプによって産まれた子供という出生事情も相まって、他の村人達から蔑みの目で見られる日々を送っていました。
ハイペリオンの侵攻で村から避難することが決定された直後に、彼は自身の出生をバカにしてきた兵士のひとりと諍いを起こし、結果テセウスと母親はハイペリオンの軍勢が侵攻してくるであろう日に村からの避難を開始するよう命じられてしまいます。
そしてハイペリオンが村に侵攻してきたその日、テセウスは軍勢を相手に奮闘するものの、ハイペリオン自らの手によって母親を殺されてしまい、自身も多勢に無勢で囚われ奴隷の身とされてしまうのでした。
しかし、母親を失い無気力になって奴隷労働に従事していたテセウスの前に、4人組の巫女が連行されてきます。
彼女らは未来を予知する能力を持つ巫女で、その能力故にハイペリオンの軍勢に囚われの身となっていたのでした。
4人組の中で未来予知能力を持つ「本物」の巫女はただひとりで、あとの3人は「本物」を特定させないための一種の影武者という設定です。
「本物」の巫女であるパイドラは、テセウスの前を通りがかった際、彼が「エピロスの弓」を手に入れる未来を垣間見ます。
テセウスの未来に微かな希望を見出したパイドラは、テセウスと共に奴隷労働の現場から脱走を図ることを決断するのですが……。

映画「インモータルズ -神々の戦い-」で主人公となっているテセウスは、ギリシャ神話ではクレタ島の迷宮に幽閉されていた牛頭人身の怪物ミノタウロスを倒した英雄として有名を馳せている人物です。
その縁からなのか、今作の物語中盤でも当然のごとくミノタウロスと迷宮もどきが登場しており、ミノタウロス相手にテセウスが奮闘するアクションシーンが挿入されています。
今作におけるミノタウロスは、ハイペリオンの命令によってテセウスを殺しパイドラを拉致するために差し向けられた刺客、という役柄になっていました。
ただ作中のテセウスは、武芸に優れてはいるものの超人ではないので、1対1や1対数人程度の戦いならば奮闘もできるのですが、多勢に無勢という局面では数に押し切られるか、文字通りの「困った時の神頼み」で危機を脱出するかのどちらかに終始しています。
ただ、その「困った時の神頼み」の局面が実は意外に多かったりするのが、作品構成的には少々困り者ではあるのですが(-_-;;)。

また基本的なストーリー進行は、良くも悪くも単純明快で王道路線的な勧善懲悪物といったところですね。
ハイペリオンは問答無用で悪逆非道の王として描かれており、作中ではその残虐さを表現するために、母親の首を直接掻き切ったり、任務に失敗した部下を惨たらしく殺害したりするシーンなどが盛り込まれています。
個人的に印象に残ったのは、序盤でテセウスと諍いを起こし喧嘩両成敗で処分を受けたことに不満を持ち、ギリシャを裏切って自分の元に降ってきた兵士に対し、「裏切り者は信用できない」と言いながら、部下に命じて裏切り者の男性器をハンマーで潰させたシーンです。
映画の中で堂々と「去勢」の描写を展開するという事例はあまりお目にかけないものだったので、「いくらR-15とは言えそこまでやるか」というのが私の感想でしたね。

しかしこの王様、あれだけの大軍勢を率いていた割には、物語終盤で「エピロスの弓」を使いタイタン族の封印を解く際には、自分が指揮すべき軍と別行動を取り、しかもただのひとりの護衛を連れて行くことすらもなく、単身で現場に向かっていたりするんですよね。
タルタロス山の戦いにおけるイラクリオン軍は、タルタロス山の大壁で篭城するギリシャ軍を何十倍もの兵力で圧倒していたわけですし、ハイペリオンの立場であれば、その中から自分の護衛の百や二百くらい捻出することも充分に可能だったはずなのですが。
やたらと猜疑心の強い王のようでしたし、自分の護衛すらも信用していなかったのかもしれませんが、ちゃんと護衛を連れて行っていればテセウス一派の襲撃も簡単にあしらえたでしょうに。
ギリシャ軍だってどんな奇策を駆使してくるか分からないわけですし、神々の戦争介入や解放するはずのタイタン族が自分達に牙をむいて襲い掛かってくるケースも考えられるのですから、ハイペリオンは必要最低限どころか軍を二分するレベルの護衛を連れて行っても良かったのではないのかと。

ちなみに、ハイペリオンによって「去勢」されてしまった裏切り者の兵士は、ハイペリオンにテセウスに関する情報を提供する役割を担った以外は全くと言って良いほどに見せ場がなく、物語終盤のタルタロス山の戦いでも、「雑兵のひとり」同然の扱いでテセウスに瞬殺されてしまう始末。
一騎打ちに持ち込むことすらできなかったのですから哀れとしか言いようがありませんでしたね(T_T)。
序盤でテセウスと因縁もあったわけですから、最後くらい何か見せ場があるのではないかと期待していたのですが。

R-15系の残虐描写が嫌いという方にはあまりオススメできる映画ではなく、逆に血どころか肉片が飛び散るようなスプラッタ系アクションシーンが好みという方には必見の映画、と言えるでしょうか。

映画「コンテイジョン」感想

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映画「コンテイジョン」観に行ってきました。
ひとりの感染者を発端に全世界へ拡大していく致死性ウィルスの恐怖と社会的混乱を描いたサスペンス大作。

物語は、最初の感染者がウィルスに感染した「2日目」から始まります。
「1日目」で何が発生していたのかについてはラストで明らかになるのですが、序盤はその部分を省いたままストーリーが進行してきます。
アメリカ人では最初のウィルス感染者となるベス・エムホフは、空港の喫茶店?で発着が遅れている飛行機を待ちながら、かつての恋人ジョン・ニールと電話で会話をしていました。
既にウィルスに感染していた彼女は、咳き込んだりあちこちにベタベタ触ったりして、自分で自覚することのないままに感染源を片っ端から構築していきます。
同じ日には、中国・香港でカジノのウェイターが、イギリスのロンドンでウクライナ人モデルの女性が、日本の東京ではビジネスマンが、それぞれ人が密集する中で苦しげに咳き込んでいる様子が描かれています。
そして2日後、家族が待つ家に出張から帰ってきたベスは、夫であるミッチ・エムホフの目の前で突如痙攣を起こして意識を失い、すぐさま救急車で病院に運ばれたものの、間もなく死亡してしまうのでした。
あまりにも突然の事態に茫然自失状態になるミッチですが、そこへさらに追い討ちをかけるかのごとく、今度はベスの連れ子であるクラークが自宅で容態急変。
急報を受けてすぐに帰宅するミッチでしたが、自宅に着いた時には既にクラークの呼吸は止まった状態でした。
あまりにも不可解なベスの症状について報告を受けた世界保健機構(WHO)は、ベスの遺体解剖と、出張中におけるベスの足跡についての調査を開始。
症状が脳炎に近いということから頭を解剖した医師は、その結果について危機感を覚え「全方面に通報しろ」と助手に命じるのでした。
しかしそれからわずか1週間ほどで、ウィルスは一挙にアメリカ全土どころか全世界へと拡大していき……。

映画「コンテイジョン」に登場するような感染性の高い致死性の病気(ウィルス)の爆発的拡大と脅威、いわゆる「パンデミック」を扱った作品は、ここ10数年で結構多く見かけるようになりました。
この手の作品で私が初めて観た映画は、1995年公開のアメリカ映画「アウトブレイク」。
エボラ出血熱の突然変異種が空気感染するようになり、ワクチンを見つけるべく奮闘する軍医と、感染拡大を防ぎ病原菌に纏わる秘密をも闇に葬ろうとする軍上層部との緊迫した駆け引きが描かれていました。
最近だと、ミツバチが大量に失踪する事件を元ネタに、感染者が何らかの方法で自殺を図ってしまうという2008年公開映画「ハプニング」や、感染者が突然盲目になってしまう病気が蔓延し社会が荒廃してしまった同年公開映画「ブラインドネス」があります。
単純に「ウィルスの拡大による社会の崩壊」を描いたものならば「バイオハザード」シリーズもありますし、この間公開されていた映画「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」のラストでも、致死性ウィルス拡大による人類の暗い未来が暗示されていました。
日本でも2009年公開映画「感染列島」がパンデミックの恐怖を扱っており、また2010年公開映画「大奥」でも、男性人口激減の設定として「赤面疱瘡」という架空の病気のパンデミックが使われていました。
「感染列島」や「大奥」におけるパンデミックの設定は、何故か感染範囲が日本国内に限定されてしまっているのが何とも不可解な話ではありましたが。
新旧の「猿の惑星」の変遷に象徴されるがごとく、ソ連崩壊によって現実味がなくなってしまった全面核戦争などよりも、いつ起こるか分からず、またいつ起こっても不思議ではないパンデミックの方が「社会的な恐怖」として受け入れられるようになってきたわけで、これも時代の流れというものなのでしょうか。

さて、映画「コンテイジョン」に話を戻すと、この映画の構成としては、2009年公開の日本映画「感染列島」に結構近いところがありますね。
パンデミックが拡大を始めるところから物語がスタートし、感染の原因が終盤に判明する構図や、ウィルスそのものの脅威よりも、ウィルスの脅威に対する人間社会の反応にスポットを当てた点などは、まさに「感染列島」を想起させるものがありました。
ただ、ウィルスに対する恐怖の反動として、商店の焼き打ちや略奪などといった暴動が発生したり、ワクチン目当ての誘拐事件などが発生したりする辺りは、さすがアメリカナイズされているといったところではあるのですが(苦笑)。
というよりも、日本以外の国ではそれが普通なのであって、むしろ東日本大震災直後ですら暴動や略奪の類がほとんど発生しなかった日本の方が世界的に見ても異常なのでしょうし、だからこそ全世界が賞賛もしたのでしょうけど。
ブログで「正しい治療薬」なるものを提示し「政府は有効な治療薬を隠している」などといった陰謀論を主張したりする詐欺師が出てきて、かつそのブログの閲覧者が1200万人も出たりする(もちろん「批判的・懐疑的に観ている」という人もその中にはいるでしょうが)という描写は、日本でも普通にありそうな話ではあるのですが。
他にも、TwitterやFacebookなども作中に名前が登場したりしていて、この辺りにも何となく時代の変化を感じさせるものがありましたね。

あと、今作にはマット・デイモンが主役のひとり(ミッチ・エムホフ役)として登場しているのですが、今作における彼はこれといった活躍の描写が全くと言って良いほどありませんでしたね。
「最初の感染者の夫」という役柄でスポットが当てられた一般人以外の何物でもなく、その行動もその他大勢の一般人と何ら変わるところがありません。
物語序盤でこそ、彼は感染の疑いから隔離されるのですが、その後あっさりと解放されてウィルスの研究やワクチン開発などには全く関与することがなかったですし。
あえて彼の特異なところを挙げるとすれば、最初の感染者である妻と彼も少なからず接触や会話をしていて、かつ連れ子はきっちりウィルスに感染して死んでいるにもかかわらず、彼と彼の実娘?だけは最後まで病気が発症しなかった点でしょうか。
この辺りは、周囲がひとり残らず盲目になっていく中、ただひとりだけ盲目になることなく普通に目が見えていた映画「ブラインドネス」の女主人公を想起させるものがありましたが。

作中で発生している社会的な情勢や個人の対応などは、「もしこんなパンデミックが発生したら実際に起こりそう」的な内容で説得力も多々あります。
扱っているテーマがテーマなので全体的に暗い話ではあるのですが、サスペンス物が好きな方にはオススメな作品なのではないかと思います。

人気アニメ「宇宙戦艦ヤマト」のリメイク映画公開決定

往年の人気アニメ「宇宙戦艦ヤマト」のリメイク版が、2011年4月7日より劇場公開されることが決定したそうです。
タイトルは「宇宙戦艦ヤマト2199」。

http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp1-20111110-861411.html
>  1974年(昭49)に日本テレビ系で放送された人気アニメ「宇宙戦艦ヤマト」が、38年ぶりに復活し、来年4月7日から劇場公開されることが9日、分かった。タイトルは「宇宙戦艦ヤマト2199」。ベースとなる物語、2199年という時代設定はシリーズ初代と同じだが、監督に過去のシリーズで設定やメカニックデザインを担当した出渕裕氏(52)を起用するなど製作陣を一新。ビジュアルなどを再構築し、新作として公開する。
>
>  放送から38年…。今も語り継がれる「ヤマト パート1」が、装いも新たに生まれ変わる。09年に26年ぶりに公開された映画「宇宙戦艦ヤマト 復活篇」は、83年公開「宇宙戦艦ヤマト 完結編」から20年後を描いた。主人公の古代進も38歳で艦長に昇格するなど、“その後”を描いていた。今回新たに製作する映画は、古代らがガミラス帝国の侵略で破滅寸前に追い込まれた地球を救うためにイスカンダルへ旅立つ、シリーズパート1のストーリーがベースになる。

ヤマト1作目のストーリーがベースになるということは、2009年公開映画「宇宙戦艦ヤマト 復活篇」とはストーリー的に何の関係もないということになりますかねぇ。
アレは昔の回想シーンに、わざわざ旧「ヤマト」シリーズの作画を出していたくらいですから、今更リメイク版をあそこまで繋げて……というわけにはいかないでしょう。
個人的には、リメイク版云々よりも「宇宙戦艦ヤマト 復活篇」の続きの方を観てみたいところなのですけどね。
明らかに真のラスボスが別にいて続きがあるような終わり方をしていましたし、リアルタイムで見ていないこともあって、あまり旧シリーズには思い入れもないものですから。

この手のリメイク作品は、作品単独の構成や設定・面白さなどとは別に「原作にどれだけ忠実か?」という要素も大きな評価基準のひとつになるものですが、往年の「ヤマト」ファンやSFファン的には、この情報でどのような感想を抱くのでしょうか?

田中作品群の続巻刊行状況について

http://twitter.com/adachi_hiro/status/132270096201691136
<ごめんなさい。「銀英伝」の外伝は、本人が「すまん、もう書けない」と。RT @little_penpon: @adachi_hiro 田中先生に、銀英伝の予定最後の外伝と創竜伝の続編を、早く書いてーと、伝言してください(涙) よろしくお願いしまーす♪

毎度毎度思うのですけど、どうして田中芳樹&「らいとすたっふ」は、こういう重要なことを公式発表という形で読者に伝えようとしないのでしょうか?
こんな「内輪話」的な形でしか公表できない「らいとすたっふ」も社長氏も、企業および企業責任者として大いに問題であると言わざるをえないのですが。
それに、かつて銀英伝10巻あとがきで「外伝は全部で六冊分」と公言していたのは田中芳樹本人なのですし、その発言を信じた読者を不毛に待たせていることについて、田中芳樹自身、何か思うところはないのでしょうか?

http://twitter.com/adachi_hiro/status/132271676829343744
<『創竜伝』は、私も続きが気になるので、しつこく催促してます(笑)。RT @little_penpon: @adachi_hiro お返事ありがとうございましたー♪ 銀英伝は十分に楽しませていただいたので、諦めます(涙) もう一つの方は、よろしく♪とお伝えください^^

そこまで創竜伝の続きが気になるのならば、2006年初頭に発表したあの執筆スケジュールを田中芳樹に最後まで完遂させれば良かったのに(爆)。
あの官僚答弁な対応を見た後では、「社長氏が創竜伝の続きを気にしており、田中芳樹にしつこく催促している」なんて、とてもじゃないですけど信じられないですね。
あの騒動の知名度が皆無に等しいのを良いことに好き勝手ほざいている、としか感想の述べようがないのですけど。

ところで、現在執筆中らしい薬師寺シリーズ新刊の進行状況って今どうなっているのでしょうか?
2011年9月26日に社長氏ツイートで「ようやく筆が進み始めたよ」という電話があったらしいこと以外は何の情報もないのですが。
「髑髏城の花嫁」が脱稿してからもう半年になりますし、その直後あたりから執筆を始めているだろうと思われるのですが、第1回目の原稿受け渡しを意味する「初荷」も未だに報告されていませんし。
あんな「ストレス解消目的で執筆している」と作者本人が明言しているようなゴミ小説、シリーズそのものを廃刊にするのでなければさっさと書き殴って、次の「タイタニア」最新刊の執筆に集中して欲しいところではあるのですけどね。

映画「カイジ2~人生奪回ゲーム~」感想

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映画「カイジ2~人生奪回ゲーム~」観に行ってきました。
福本伸行原作の人気コミックである「カイジ」シリーズを、映画「DEATH NOTE」2部作で主人公を演じた藤原竜也を主演に実写化した前作「カイジ~人生奪回ゲーム~」の続編。
前作は映画館では未観賞だったのですが、2011年11月4日に日本テレビ系列の金曜ロードショーで放映された際に観賞する機会があり、何とか前作のあらすじは把握することができました。
今作は前作を事前に観賞していることが前提となるストーリーなので、前作を未観賞の方は前作を観てから今作を観賞することをオススメしておきます。

前作のラストで利根川幸雄を相手にEカードゲームで勝利を収め5億円を獲得したにも関わらず、カネを山分けするはずだった遠藤凛子に自分の取り分まで全部奪われ無一文になってしまった主人公・伊藤カイジ。
結果、彼はまたも多額の借金を背負う羽目になり、帝愛グループの地下帝国に再び送還され強制労働を強いられる日々を送っていたのでした。
そのカイジが配属された地下帝国の現場では、場を取り仕切っている班長の大槻太郎による「地下チンチロリン」という名のギャンブルゲームが行われていました。
「地下チンチロリン」とは、3つのサイコロの出た目の大小で勝負が決まるゲームで、カイジはこのゲームで大槻太郎と何度も勝負しながらも惨敗を繰り返してしまいます。
しかし、同じ仕事仲間のひとりが「地下チンチロリン」の出た目を常に記録していたことから、カイジは「サイコロの目が4~6しかない」という大槻太郎のイカサマを見破ります。
結果、大槻太郎はこれまでの勝利を全てチャラにさせられ、それまでの「地下チンチロリン」で収奪してきた地下帝国限定通貨「ペリカ」のほとんどを奪われてしまいます。
大量の「ペリカ」を入手した地下帝国の労働者達は、かつて利根川に勝利したカイジに全てを託し、ペリカを換金してカイジひとりに109万円の現金を持たせ、14日間限定で地上に出すことで、全員分の借金を返済するための資金2億円以上を作らせる決断を下すのです。
カイジはこれを快諾し、109万円から2億円を捻出するための手段を模索することになります。
カイジが最初の日に当座の食と寝泊り場を確保するため立ち寄ることになる派遣村?モドキな場所で、彼はかつて自身が敗北させた利根川と再会します。
カイジにしても利根川にしても、本来は互いに殺したいほど憎み合ってもおかしくない関係にあるはずですが、確かに最初は多少のイザコザもあったものの、その後の両者は何となく意気投合するような関係になっていきます。
カイジの事情を知った利根川は、カイジに将棋のイカサマ勝負を申し込み勝利した後、帝愛グループが運営するカジノの招待状を置いて姿を消します。
招待状を持ってカジノに入ったカイジは、カジノの目玉となっている巨大パチンコ「沼」で億単位の一攫千金が狙えると知り、その攻略に挑むこととなるのですが……。

一方、帝愛グループでは、カイジとの勝負に負け失脚した利根川に代わり黒崎義裕が会社の重役となり、その部下?とおぼしき一条聖也が、帝愛グループの運営するカジノの支配人に抜擢されていました。
一条聖也は、前作にも登場したゲーム「鉄骨渡り」を見事渡りきったひとりで、同じく「鉄骨渡り」をクリアした伊藤カイジを帝愛グループの会長が褒めていたことから、彼に敵愾心を抱くようになります。
度が過ぎるほどの「人の良さ」を前面に出しているようなカイジと異なり、一条は「他人を押しのけることで自分の席を確保する」ことを思想信条とする人物。
作中で2人は、ギャンブラーとしての心理戦を競うのみならず、信条においても争っていくことになります。

映画「カイジ2~人生奪回ゲーム~」で主人公を演じている藤原竜也の出演作品としては「バトル・ロワイアル」シリーズが特に有名です。
ただ、私が初めて観賞した藤原竜也出演作品は映画「DEATH NOTE」2部作で、それ以降は前作「カイジ~人生奪回ゲーム~」の金曜ロードショー版までとんと縁がなかったというのが実情だったりします。
同じく映画「DEATH NOTE」で藤原竜也と共演し、かつ前作「カイジ~人生奪回ゲーム~」でも登場していた松山ケンイチが主演している映画の観賞作品は「椿三十郎」「L change the WorLd」「GANTZ」2部作そして「マイ・バック・ページ」と結構縁があったのですが。
映画「DEATH NOTE」以来、藤原竜也の姿を見ることがなかっただけに、その姿を久々に確認した時は何となく嬉しいものがありましたね。

映画の「カイジ」2作におけるカイジ役の藤原竜也は、演じる役の性格が似通っていることもあってか、演じ方がそのまんま映画「DEATH NOTE」の夜神月を想起させるものがありますね。
いかにも舞台のど真ん中でひとり絶叫しているような描写や、苦境に陥った際の見苦しい悪あがきぶりなどはほとんど「まんま」ですし。
この辺り、出演する作品毎に登場人物の性格どころか容姿まで丸ごと変わってしまう松山ケンイチとは対極にあると言えるのではないかと。
前作「カイジ~人生奪回ゲーム~」では、最初「松山ケンイチが出演している」という情報を私は知らなかったのですが、観賞後に知った後でも「あれが松山ケンイチだったの!? 全く見分けがつかなかった」と驚いたくらいでしたし(^^;;)。

原作にはないものの、原作者である福本伸行本人が考案したという物語中盤登場の映画オリジナルゲーム「姫と奴隷」は、ゲームの内容も映画としての描写も秀逸の一言に尽きますね。
このゲーム、プレイヤーとなる奴隷には3つの檻とそれを開くボタンが用意されているのですが、1つには姫が、残り2つにはライオンが入っています。
そして、1~3までの数値が振られている3つのボタンの1つをプレイヤーは押下し、姫が入っている檻が開けばプレイヤーの勝利、ライオンの檻が開けば食い殺されて死亡、という内容です。
ここで面白いのは、姫は予め正解となるボタンを知ることができ、かつそれをプレイヤーに教えることも可能、というルールがあることです。
一見すると最初からプレイヤー側の勝利が約束されているかのように見えるゲームですが、しかし姫がプレイヤーに教える「正解」が本当であるという保証は実のところ全くなかったりします。
実際、「姫と奴隷」に挑んだ最初の挑戦者は、カジノ側が約束した300万の報酬に動かされて姫側が挑戦者を裏切ってしまい、挑戦者にわざとハズレのボタンを教えてライオンに食い殺させていました。
かといって、姫が本当に正解のボタンを教えていた場合、それを信じなければ自ら率先してハズレのボタンを押すという愚挙をしでかすことにもなりかねません。
非常に単純なのに人間心理的に奥の深いゲームと言って良く、またそれをカイジが乗り切るための伏線の張り方や演出も上手く、地味ながらもここが一番感心させられたところでした。

ただ、物語後半におけるパチンコ台「沼」の最終決戦については、カイジと対決する立場にあった一条聖也の視点で考えると、彼にはもっと安全確実な勝利への道があったように思えてなりませんでしたね。
パチンコ台「沼」は、一条によって絶対に勝つことができない細工が二重三重に施されていたのですが、カイジ一派はそのトリックを見破り、自分達に有利になるよう逆細工を行い、勝負を有利に進めていきます。
これに対し一条は、ただひたすらパチンコ台にイカサマが仕込まれていないかとか、店の信用を失わせるほどに露骨な小細工でパチンコの玉を入れさせないとか、とにかくパチンコ台のみに注視した対応ばかりやっているんですよね。
実は一条には、パチンコ台の操作などよりもはるかに強力な武器が、それも最初から備わっていたはずなのです。
それは彼がカジノの支配人であり、かつカジノ内における最高権力者であるという事実です。
一条がその権限を行使さえすれば、「カイジ一派がパチンコ台で不正を行っていた」という【カジノ側にとって都合の良い事実】をでっち上げ、問答無用に敗北を叩きつけることが容易にできたはずなのです。
それを最初からやっていれば、カイジ側がどんな小細工を弄していたとしても、彼らに無実の罪を着せることができ、ああまでハラハラドキドキしながらパチンコ台の小細工に忙殺される必要もなかったことでしょう。
一応作中でも、一条はカイジ達が不正を働いているのではないかと調査を一度行っているのですが、バカ正直に正規の方法で調査を実施した挙句、不正の証拠を上げることができなかったんですよね。
カイジ達がどんな小細工を弄していようと関係ない、罪をでっち上げて潰してしまえば問題ないのだ、とまでは、さすがに彼も割り切ることができなかったのでしょうか?

また一条は、自分の奴隷同然の身になっていた利根川がカイジについた際も、彼の身分剥奪やカジノ内における一切の権限停止などといった措置を一切行っていませんし、石田裕美がカイジ側についた時も同様でした。
一条はカジノの支配人なわけですし、利根川も石田裕美も名目上は部下扱いなのですから、彼らに「カイジ側につくな」と命令を下したり、違反した場合に制裁を下したりするなどといった行為も、己の権限内で普通に行えることであるはずでしょう。
それを行っていれば、彼らがカイジ側についた瞬間に「カジノの従業員としての権限を全て剥奪する」と宣言した上で、彼らが持っていた金権を全て無効化することが合法的に可能だったのです。
最後に登場した「切り札」の発動などよりも、こちらの方がはるかに「スマート」なやり方ですし、相手が(名目的な)自分の部下ということも手伝って、カジノの信用もそれほど損なわれずに済んだのではないのかと。

まあもちろん、実際にそういう「問答無用な強権発動の乱発」的なことをやってしまうと、「カイジ」シリーズがメインにしているであろう頭脳戦や心理戦の「売り」そのものが全て御破算になってしまうわけですから、作品的にそういうことはできないという事情は当然あるでしょう。
しかし物語終盤における一条は、もはや「カジノの信用を完全に失墜させてでも、目の前におけるカイジとの戦いに勝利する」「そのためには手段を問わない」という状態にあったのですし、勝負に負けてしまえば彼は前作の利根川同様に破滅の運命が待っているのですから、彼の立場的にこれを使わなかったというのはさらに不思議でならなかったのですけどね。

俳優さんの演技・演出も良く出来ていましたし、頭脳戦や心理戦メインのストーリーを楽しみたい方には是非オススメしたい作品ですね。

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